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新自由主義と愛国心教育 : 安倍政権の教育改革を中心に 利用統計を見る

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新自由主義と愛国心教育 : 安倍政権の教育改革を

中心に

著者名(日)

竹島 博之

雑誌名

東洋法学

55

2

ページ

49-72

発行年

2011-12

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00000832/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止

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目次 一   はじめに 二   これまでの理解と疑問 三   教育改革と少年犯罪 四   新自由主義と新保守主義 五   これからの愛国心教育 一   はじめに   現在、グローバル化や多文化化が進展する中で、新自由主義的な政策を支持する者たちが、同時に愛国心の涵養 も要求する場合が見られる。これは、一見したところ矛盾しているように思われる。個人の自由に重きをおくはず の新自由主義者たちが、なぜ思想・信条の国家的な押しつけとも受け取れる公教育による愛国心の育成を主張する 《 論    説 》

新自由主義と愛国心教育

――

安倍政権の教育改革を中心に

――

 

  

 

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の だ ろ う か。 新 自 由 主 義 は、 「新 保 守 主 義」 と 結 合 し が ち だ と 言 わ れ る。 だ が、 こ の 二 つ が 結 び つ く 必 然 性 は ど こ にあるのだろうか。むしろ論理的には、両者は対立や相克といった反発し合う側面が強いように思われる。   本稿では、まず新自由主義と新保守主義の関係性を検討しよう。その上で、近年安倍政権において教育基本法が 改正されたが、その背景にある日本固有のコンテクストについて論じたい。最後に、特に新自由主義に基づく愛国 心教育に焦点を当てながら、今後のわが国における愛国心教育の改善の方向性について触れることにしよう。 二   これまでの理解と疑問   新自由主義と新保守主義は、そのルーツにおいても主義・主張においても、もともと異なる思想・信条である。 ところが、レーガンやサッチャーによる改革、そしてグローバル化が進展する二〇〇〇年以降の日本でも、この二 つは密接に結びつきながら国家の様々な政策に反映されるようになった。 (一)従来の理解   新自由主義と新保守主義の関係については、従来しばしば次のような説明がなされてきた。新自由主義は、国家 による市民社会への介入を最小限に抑制し、あらゆるものごとをできる限り市場における自由競争に委ねようとす る。 市 場 原 理 に 従 っ て 各 個 人 が「自 己 責 任」 に 基 づ い て 自 分 の 利 益 を 追 求 す れ ば、 必 然 的 に「勝 ち 組」 と「負 け 組」が生み出される。その結果、国民の間に格差が拡大し、貧困、共同体の衰退、地方の疲弊といった諸問題が生 じ る。 こ れ を 受 け て 新 保 守 主 義 は、 社 会 的 亀 裂 を 克 服 し、 「秩 序」 を 回 復 し て、 国 家 の 安 定 を 確 保 す る た め に「道

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徳」を復活させようとする。つまり新保守主義は、新自由主義が生み出す様々な社会的な弊害を事後的に是正しよ うとするものであり、したがって両者は相互補完的であるとされる。その中で、社会の軋轢を修復する一つの有力 な手段として、愛国心教育が持ち出されるというわけだ。   新自由主義は、社会に亀裂をもたらしておきながら、その亀裂を新保守主義によって修復し、社会統合を回復し ようしている。一見もっともに聞こえるこうした語り口は、新自由主義や新保守主義に批判的な立場に広く見られ る 議 論 で あ る (例 え ば、 田 中・ 世 取 山 編   二 〇 〇 七、 四 ― 五 頁、 佐 貫 二 〇 〇 六、 一 二 六 頁、 渡 辺   二 〇 〇 七、 九 二 ― 九 三 頁 な ど) 。 こ の よ う な 議 論 を 展 開 す る 際 に 彼 ら が 参 照 し て い る の は、 多 く の 場 合、 D・ ハ ー ヴ ェ イ の 新 自 由 主 義 論 で あ る (ハ ー ヴ ェ イ   二 〇 〇 七、 一 一 五 ― 一 二 一 頁) 。 こ の 種 の 言 説 は、 新 自 由 主 義 と 愛 国 心 教 育 と の つ な が り を 説 明 す る上で、どこまで妥当するものなのであろうか。 (二)一つの疑問   直ちに一つの疑問が思い浮かぶ。サッチャーやレーガン、中曽根康弘や安倍晋三といった新保守主義者は、自ら の政治的な立場を新自由主義からスタートさせ、社会にほころびが見えてきたので、のちに新保守主義の考えを取 り入れて愛国心や道徳の涵養を主張するようになったのだろうか。実際の順序は逆である。ここでは安倍晋三を例 に挙げよう。   渡 辺 治 の『安 倍 政 権 論』 に よ れ ば、 安 倍 晋 三 は「最 初 か ら タ カ 派 の 政 治 家 と し て ス タ ー ト し ( 1) た 」。 そ し て 総 理 大 臣になるまでの一三年間の政治活動を見れば、安倍の「経歴のほとんどがタカ派としての活動に集中している」こ とが分かる。例えば、彼の政治家としての原点となる活動は、一九九七年二月に中川昭一らと結成した「日本の前

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途と歴史教育を考える若手議員の会」である。この会には、中学校社会科の教科書に「従軍慰安婦」に関する記述 が掲載されたことに不満と危機感をつのらせた議員たちが集まり、従軍慰安婦の記述を教科書から削除することを 目 的 と し て い た (渡 辺   二 〇 〇 七、 一 九 八 ― 二 〇 二 頁) 。 こ の よ う に 安 倍 晋 三 は、 新 自 由 主 義 の 欠 点 を 是 正 す る た め に、便宜的に新保守主義の立場を取り入れたわけではない。市場原理ではなく保守こそが、彼のスタート地点なの であ ( 2) る 。   以上の点を踏まえるならば、新自由主義と新保守主義との結びつきを考える際には、これまでなされてきた問題 設 定 の 仕 方 を 転 換 さ せ る 必 要 が あ る。 す な わ ち、 「個 人 の 自 由 を 重 ん じ る 新 自 由 主 義 者 が な ぜ 国 家 に よ る 道 徳 や 愛 国心の押しつけに賛同できるのか」ではなく、逆に「新保守主義者がなぜ新自由主義的な市場原理主義を容認し受 容しえたのか」という形で問いを立てなければならないだろ ( 3) う 。 (三)アメリカとイギリス   そのような構図のもとで、新自由主義と新保守主義との結びつきを探れば、各国によってこの二つの関係性がそ れぞれ異なることが明らかになる。例えば、一九八〇年代に登場したロナルド・レーガンは、アメリカの保守政党 である共和党出身の大統領である。レーガンの方針は、自由市場の中で自己責任において競争し、それによって個 人の能力を最大限に発揮することで、社会のあらゆる部門で活力を引き出すというものであった。この新自由主義 政 策 の 根 幹 に あ る の は、 「ア メ リ カ の 建 国 精 神 の ま さ に 中 核 に あ る 自 立 と 自 助」 に ほ か な ら ず、 ア メ リ カ に と っ て 「保 守」 と は こ の「建 国 の 精 神 に 立 ち 戻 る こ と」 な の で あ る (佐 伯 二 〇 〇 八 b、 六 四 ― 六 五 頁) 。 保 守 派 の レ ー ガ ン が新自由主義的な政策を採りえたのは、アメリカの伝統の中に「自助と自立」という新自由主義を支える理念が含

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まれていたからである。   またイギリスの場合も、同様の構図が見られる。保守党出身のサッチャー首相は、新自由主義的な政策を採用し た 代 表 的 な 政 治 家 で あ ( 4) る 。 サ ッ チ ャ ー は み ず か ら の 新 自 由 主 義 的 改 革 を 推 し 進 め る 際 に、 「ヴ ィ ク ト リ ア 時 代 を 模 範とした強い自主独立精神に満ちた個人を称揚し」た (佐伯   二〇〇八b、六六頁) 。さらに国家を社会サービス事業 から撤退させ、国有企業の民営化を推し進める際には、こうした政策が、これまで福祉の名の下に国家が独占して きた資本を市民の手に正当に配分するものだとし、それを「財産所有民主主義」という伝統的な観念によって基礎 づ け て い た。 そ れ は 過 去 と の 断 絶 を 強 調 す る よ り も、 「む し ろ 過 去 の 栄 光 あ る 保 守 政 治 と の 連 続 性 を 想 起 さ せ る も の」だったのである (豊永   一九九八、一一二頁) 。   このように英米においては、保守が新自由主義政策を採りうる文化的・思想的な素地があったと言える。それゆ えに、保守と市場原理主義とが大きな齟齬をきたすことなく結びつきえたのである。 (四)日本の場合   ところが日本の場合、自助や自立、個人の財産権といった英米流の観念が、自国の文化的・思想的伝統に必ずし も根ざしてきたわけではない。むしろこれまでの日本の保守は、西洋由来の行きすぎた個人の自由こそが、日本固 有の文化的伝統を破壊してきたと見なす傾向がある。そのため日本においては、道徳や秩序の回復という保守的理 念と個人の自由や自己責任を強調する新自由主義との間で、論理の整合性が英米以上に問題とならざるをえない。   戦後民主主義を批判し、 「戦後レジームからの脱却」を唱えた安倍晋三は、 「自由」とともに「規律」を重んじる ことを政権構想で掲げており、また著書『美しい国へ』では、現代の若者のモラルを回復するためにボランティア

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活 動 の 義 務 づ け を 主 張 し て い る (安 倍   二 〇 〇 六、 二 一 二 ― 二 一 三 頁) 。 ボ ラ ン テ ィ ア を「強 制」 し て、 若 者 に モ ラ ル を 身 に つ け さ せ る と い う 発 想 に 象 徴 的 に 現 れ て い る よ う に、 安 倍 の 場 合、 「自 由」 と「秩 序」 が 必 ず し も 整 合 的 に 結びつけられておらず、互いに軋轢や相克をもたらしていることが垣間見えるだろう。   安 倍 政 権 の 目 玉 で あ っ た 教 育 改 革 に 着 目 す れ ば、 「新 自 由 主 義」 と「新 保 守 主 義」 と の 関 係 が い か に 矛 盾 を は ら んだものかが露呈することになる。安倍政権による教育改革の柱は二つあり、一つは子どもたちの「学力の向上」 、 もう一つは「モラルの回復」である。前者を実現する政策としては、教育バウチャー制度や学校評価制度の導入、 教員免許更新制の実施と不適格教員の排除、授業時間増や教科書の改善をはじめとするゆとり教育の見直し、習熟 度別指導、全国一斉学力テストの実施などが挙げられる。基本的にこれらの政策は、子どもや親に学校選択の余地 を与え、教師や学校の間に市場原理や自由競争を持ち込む新自由主義的な改革の手法であると言える。   他方で後者のための政策としては、愛国心教育の推進、ボランティアの義務化、問題生徒の出席停止措置、家庭 や地域の教育力の再生、行き過ぎたジェンダーフリー教育の否定などである。これらの政策は、国を愛する心、公 共心、道徳、家族の役割といった伝統的な観念を重視することによって秩序を回復しようと目論む点で、新保守主 義的な改革の手法であると言える。   前者と後者、新自由主義的手法と新保守主義的手法との間で齟齬をきたすのは、例えば教育バウチャー制度の導 入 に お い て で あ る。 教 育 バ ウ チ ャ ー と は、 用 途 を 学 費 な ど の 教 育 目 的 に 限 定 し た ク ー ポ ン 券 を 子 ど も や 親 に 配 布 し、校区の縛りを取り払って、私立学校を含めて子どもたちに自由に学校を選択させるという制度である。そうす ると、子どもを多く集めることに成功した学校は、子どもの数に比例して多くの資金を獲得することになる。この ような仕組みを作れば、子どもをできるだけ多く集めるために、各学校や教員は努力し競い合い、切磋琢磨するこ

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とになるだろう。そうなれば結果として、小中学校の教育の質が高まるというわけである。   このような自由競争原理に基づく新自由主義的な学校選択制を導入すれば、隣に住む同学年の子どもが別々の学 校に通ったり、自分の居住する地域から遠く離れた学校に通学したりする子どもが数多く出てくるだろう。ところ がそれは、学校が地域と協力しながら子どもを育てるという、もう一方の新保守主義的な教育政策を実現困難なも の に す る の は 明 ら か で あ る。 「学 校 統 廃 合 や 学 区 制 の 解 体、 さ ら に 学 校「選 択 の 自 由」 は、 地 域 と 学 校 と の つ な が り を 破 壊 す る こ と を 加 速 化 す る」 (渡 辺   二 〇 〇 七、 二 一 六 頁) 。 こ の よ う に 新 自 由 主 義 的 手 法 を 用 い た 教 育 改 革 は、 保守派が構想する家庭や地域の再建にまったくつながらない。それどころか逆に、地域の教育力を崩壊させかねな いものであ ( 5) る 。 三   教育改革と少年犯罪   二〇〇六年九月に政権が成立後、安倍内閣が最初に行った大きな改革は、教育基本法の改正である。安倍政権は この時期に、なぜ教育改革に着手したのであろうか。   教 育 改 革、 特 に 社 会 科 の 教 科 書 問 題 に つ い て こ れ ま で の 歴 史 を 振 り 返 る と、 一 つ の 興 味 深 い 事 実 が 浮 か び 上 が る。教科書問題といえば、直ちに思い浮かぶのは、一九九〇年代半ばに起こった「新しい歴史教科書問題」かもし れない。ところが一九八〇年代初頭にも、実は、社会科の教科書が大きな政治争点になったことがあ ( 6) る 。

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(一)八〇年代の社会科教科書問題   一九八〇年六月、衆参同日選挙で自民党が圧勝した。その結果、保守回帰の流れの中で、三塚博を中心に自民党 タカ派による社会科教科書批判キャンペーンが行われる。その際に最も問題になったのは、学習指導要領には愛国 心を指導すると定められているのに、教科書にその記載がないことであった。これを受けて当時の文部省は、愛国 心教育について、より踏み込んだ発言をするようになる。   しかしながら、一九八二年六月の高校教科書検定に際して、文部省が日本のアジア諸国への「侵略」を「進出」 に書き換えさせた、という報道が朝日新聞などによってなされた (実は誤報だったことが後に明らかになる) 。この報 道を受けて、中国と韓国が厳しい批判を行い、日本政府に正式に抗議するという事態にまで発展する。八二年は日 中国交正常化一〇周年記念にあたり、そのため当時の鈴木首相は、自民党の強硬な反対論を押し切って、教科書の 近 現 代 史 の 記 述 は 近 隣 諸 国 へ の 配 慮 を す る と の 規 定 を 教 科 書 検 定 の 基 準 に 加 え、 事 態 の 収 拾 を 図 っ た。 こ う し て 一 九 八 〇 年 代 の 社 会 科 教 科 書 批 判 は、 結 局 の と こ ろ 大 き な 挫 折 に 終 わ っ た の で あ る (大 嶽   一 九 九 六、 一 五 二 ― 一五三頁) 。   ここで注目すべきは、自民党の保守派がこの時期に社会科の教科書批判をし、愛国心教育の欠如を問題視するに 至った背景である。実は当時、教育問題の主たる争点となっていたのは、校内暴力、青少年の非行、学校でのいじ め で あ っ た。 一 九 八 〇 年 頃 に「自 民 党 内 部 で、 教 育 問 題 の 主 た る 争 点 と な っ て い た の は、 (当 時 マ ス コ ミ で も 大 き く 取 り 上 げ ら れ て い た) 校 内 暴 力、 青 少 年 非 行 の 問 題 で あ っ た こ と を 忘 れ て は な ら な い。 一 九 八 四 年 に お け る 臨 教 審 の 設 置 も、 い じ め や 校 内 暴 力 を 直 接 の き っ か け と し て い る」 (大 嶽   一 九 九 六、 一 六 二 頁) 。 自 民 党 の 保 守 派 は こ れ ら の問題の原因を、高度経済成長の中で伝統的な日本の家庭と地域が崩壊しつつあることに見出す。そこには「伝統

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的社会秩序が「物質万能」という「近代化」によって脅かされることへの保守主義者の側の憂慮」があった。そし て、 「この種の教育問題への関心の高まりを背景として、愛国心問題も浮上しているのである」 (大嶽、同上) 。   ここには、その後も繰り返されることになる日本政治に固有の連鎖現象が見受けられる。すなわち、少年犯罪が 多発すると、教育への問題関心が高まり、教育改革の必要性が唱えられる。その結果、教育改革の一環として社会 科の教科書を改善し、もっと愛国心を育成せよという要求が保守派の中から現れる、という一連の流れである。   一九九〇年代半ばに起こったいわゆる「新しい歴史教科書問題」の際にも、同様の社会状況が背景として見られ た。この頃は九六年に起きた酒鬼薔薇事件をはじめ、凶悪な少年犯罪が日本社会で深刻に受け止められた時期であ る。少年犯罪への社会的関心の高まりと保守派による社会科教科書の修正要求が同時期に起こり、愛国心の育成が 求められている。大嶽が指摘しているように、従来から日本の保守派は、社会生活上の問題を国家の問題に直接に 結びつけて理解する傾向があ ( 7) る 。一見したところ無関係に思われる「少年犯罪への関心」と「愛国心の要請」が同 時並行的に現れるのは、保守派に固有のこうした傾向と無関係ではないだろう。 (二)教育改革の社会的背景   このような視点から安倍内閣の教育改革を見た場合、ここでも上記と同じ構図で、少年犯罪への社会的注目と愛 国心教育の要求が同時に浮上しているのである。一九九〇年代後半から二〇〇〇年代初めにかけては、例えば「佐 賀 バ ス ジ ャ ッ ク 事 件」 が 発 生 し た り、 「人 を 殺 し て み た か っ た」 と い う 理 由 で 高 校 生 が 老 女 を 殺 害 し た 体 験 殺 人 事 件が起きたりしている。その他にもこの時期には、不登校、引きこもり、学級崩壊、援助交際、いじめといった青 少年をめぐる問題が多発してい ( 8) る 。これらの少年少女たちによる社会生活上の問題が、国家の統治行為、すなわち

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公教育に結びつけて理解されたことは想像に難くな ( 9) い 。実際、安倍の所信表明演説には、少年犯罪と教育改革の結 びつきを念頭においた文言が複数出てく ( 10) る 。   そ れ に 加 え、 ゆ と り 教 育 に よ る 学 力 低 下 も、 教 育 改 革 に 拍 車 を か け た 大 き な 要 因 で あ っ た。 経 済 協 力 開 発 機 構 (O E C D) が 三 年 ご と に 実 施 し て い る 国 際 学 習 到 達 度 調 査 (P I S A) に よ れ ば、 日 本 は、 数 学 と 科 学 部 門 の 応 用 力、読解力などの三部門で、二〇〇三年度も二〇〇六年度の調査でも、その順位を下げた。具体的には、科学的応 用 力 で は 二 位 (〇 〇 年) → 二 位 (〇 三 年) → 六 位 (〇 六 年) 、 数 学 的 応 用 力 で は 一 位 (〇 〇 年) → 六 位 (〇 三 年) → 一 〇 位 (〇 六 年) と 急 落 し、 あ ら ゆ る 勉 学 の 基 礎 と な る 読 解 力 も 八 位 (〇 〇 年) → 一 四 位 (〇 三 年) → 一 五 位 (〇 六 年) と 低 い 水 準 に と ど ま っ て い る。 こ う し た 学 力 の 国 際 順 位 下 落 の 原 因 は、 二 〇 〇 二 年 か ら 施 行 さ れ た ゆ と り 教 育 に あ る と さ れ ( 11) た 。 そ の 結 果、 危 機 感 を つ の ら せ た 親 た ち は、 公 立 学 校 の ゆ と り 教 育 を 避 け、 私 立 学 校 へ の「お 受 験」に殺到するという事態がもたらされた。このため、親の経済力が子どもの学力や将来を大きく左右することが 懸念されるようになる。   したがって、安倍内閣が発足後直ちに教育改革に着手したのには、それなりの理由があったのである。安倍政権 の「教育再生は……いまの教育と子どもたちの危機をなんとかしたいという、国民の要請を受けている側面も否定 で き な い」 (渡 辺   二 〇 〇 七、 一 〇 八 頁) 。 そ し て そ の 際 に は、 す で に 論 じ た よ う に、 学 力 低 下 に 対 し て は 学 校 バ ウ チャー制度などの新自由主義的な改革手法が唱えられ、少年犯罪に対しては道徳や愛国心を涵養する新保守主義的 な改革手法が用いられ ( 12) た 。安倍政権の教育改革は、まったく別のルーツを持った二つの教育問題に対処する中で、 新自由主義と新保守主義が論理的な整合性を持たぬまま、一つの政策パッケージに詰め込まれることになった。そ のため、そこには有機的な結びつきを見出すことができないばかりか、内部に矛盾さえ抱え込むことになったので

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ある。 四   新自由主義と新保守主義   教育改革に着目する限り、新自由主義と新保守主義が大きな矛盾や相克をきたしていると判断せざるをえない。 しかしながら安倍の中では、必ずしもこの二つがまったく結びつかぬまま併存し、それが放置されているわけでは ない。では、英米のような自主独立の伝統が必ずしも強固には存在しない中で、この二つはどのように結びつくも のなのだろうか。日本に固有の文脈に着目しながら、両者の結びつきについて考えてみたい。 (一)新自由主義   そもそも新自由主義とは何か。ロック流の自由主義が抗争していた敵は「旧体制」であったが、新自由主義の闘 う敵はもはやアンシャン・レジームではない。古典的な自由主義は、絶対王政による個人の自由や権利の侵害と闘 う中で形成されたのに対し、新自由主義は、二〇世紀に出現した大きな政府や福祉国家を批判する中から形作られ た。 つ ま り 新 自 由 主 義 の 敵 は、 福 祉 国 家 が 進 展 す る 中 で 体 制 化 し た リ ベ ラ リ ズ ム (さ ら に は そ れ を 拡 張 し た 社 会 民 主 主 義) な の で あ る。 対 抗 軸 は、 「絶 対 主 義」 対「自 由 主 義」 か ら「リ ベ ラ リ ズ ム」 対「新 自 由 主 義」 へ、 自 由 主 義 内部の対立に変化した。   このため新自由主義の唱える政策は、リベラリズムや社会民主主義に対する批判や対抗という形を取る。具体的 には、福祉国家が実現してきた手厚い福祉サービス、国内市場の保護、公共事業の積極的実施、労働者の保護、要

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するに高福祉・高負担による富の再分配を批判する。それに対して、新自由主義は小さな政府を唱え、規制緩和と 公的部門の民営化、福祉や公共サービスの縮小、市場における自由競争の促進、公共事業の削減、労働者保護の廃 止など、要するに低福祉・低負担による自己責任の原則を対置する。すなわち、個人の自由を実現するには、自由 を実現するための最低限の条件まで保障する必要があると考えるリベラリズムや、それに基づく福祉国家こそが、 新自由主義が念頭におく克服対象なのである。 (二)新保守主義   新保守主義が新自由主義と密接に結びつくのは、まさにこの反リベラリズム、反福祉国家という点においてであ る。   まず第一に、一九九〇年代以降のグローバル化の進展によって、国家は「国際経済におけるヘゲモニー獲得競争 に 深 く 巻 き 込 ま れ」 る こ と に な っ た (ウ ォ リ ン 二 〇 〇 六、 二 二 三 頁) 。 国 際 競 争 を 勝 ち 抜 く た め に、 国 家 は、 企 業 活 動の妨げとなる規制はできるだけ撤廃し、民営化による市場の自由競争を促し、これまでの手厚い労働者保護を廃 止するなど、多国籍企業のグローバルな活動を支援する。   リベラルな福祉国家を批判し、市場の競争原理を徹底する点で、新保守主義と新自由主義はほぼ重なり合うもの となる。だが新保守主義の場合、こうした手法の背後にナショナルな企図が控えていることを見過ごすべきではな い だ ろ う。 新 保 守 主 義 は、 「小 さ な 政 府」 を 目 指 す か ら と 言 っ て、 必 ず し も 権 力 を 一 方 的 に 縮 小・ 削 減 し、 国 家 を 弱体化させようとしているわけではない。むしろ逆に、新保守主義が目指すのは強い国家である。確かに新保守主 義の構想する国家は、指導的な中枢による一元的な支配構造にはもはやとらわれないという点で「中心を失っては

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い る」 。 だ が、 グ ロ ー バ ル に 浸 透 す る 経 済 セ ク タ ー を 含 め た シ ス テ ム 全 体 と し て は 権 力 の 増 大 を 目 指 す 点 で「集 権 的」である。したがって新保守主義は、まさに「脱中心的集権化」として特徴づけるのが適切な政治経済体制なの である (川崎   二〇一〇、一八頁) 。   企業のリストラクチャリングと同様、一方で不採算・非効率部門をそぎ落とし、他方で発展の見込めるセクター ――世界市場での多国籍企業の活動――に資源を集中させることにより、トータルではより大きな経済発展を目指 す。この意味で新保守主義は、依然として大国主義的でありナショナリスティックなのである。   第二に、新保守主義のこうしたナショナルな方向性は、家族やコミュニティといった文化的な伝統を重んじるの みならず、軍事力の強化という形でも現れる。安倍晋三の場合、日本の軍事大国化という保守派の目標が、グロー バル化への適応と強く結びつけられている点にその「新しさ」がある。安倍の際立った特徴は、明文改憲論者とし て自民党総裁選を戦ったことである。その際に「安倍は、大企業の活躍できるグローバル化した市場秩序の維持の ために、日本がアメリカと組んで世界の警察官になることも肯定した。……さらに安倍は、より踏み込んで、アメ リカの切望する日米の共同作戦体制の構築の必要性にまで言及した」 (渡辺   二〇〇七、四六頁) 。   日本企業による国際的な経済活動の安全確保を口実に、日本の軍事力の強化をはかろうとすること。グローバル な国際競争への対応の背後に軍備拡張の企図を組み込ませる点で、安倍の立場は、単なる新自由主義を踏み越えて おり、大国への志向を有する新保守主義なのである。   第三に、安倍の新保守主義は、反北朝鮮や反中国、そして反韓国を前面に出した排他的ナショナリズムを色濃く 含んでいる (渡辺   二〇〇七、二一一頁) 。日本の伝統的なナショナリズムは、必ずしもアジアを排斥するものではな か っ た。 む し ろ、 「常 に 反 欧 米、 反 植 民 地 を 掲 げ、 ア ジ ア の 解 放、 大 東 亜 共 栄 圏 を 掲 げ て 植 民 地 支 配 と 戦 争 を 正 当

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化 し よ う と し て き た」 (同 上、 二 一 〇 頁) 。 こ れ に 対 し て 安 倍 は、 北 朝 鮮 に よ る 拉 致 問 題、 従 軍 慰 安 婦 や 南 京 大 虐 殺 の 記 述 を め ぐ る 歴 史 教 科 書 問 題 に 携 わ る 中 で、 東 ア ジ ア 諸 国 に 対 し て 敵 対 的・ 攻 撃 的 な 態 度 を 見 せ て い た (渡 辺   二〇〇七、二〇一―二〇五頁、 安倍   二〇〇六、四六―五五頁) 。 この点も、 従来の保守とは異なる新保守主義の 「新 しさ」と言えるだろう。 (三)二つの結節点   ここまでの議論をまとめよう。新自由主義と新保守主義は、グローバル化への適応など歩調を一つにすることも あるが、両者は必ずしも同じものではない。新保守主義ではない新自由主義という立場もあり得るのであり、構造 改革を進めた小泉純一郎や竹中平蔵の立場はその典型であろ ( 13) う 。またリバタリアンの立場から、新自由主義的な経 済政策を支持する場合もありうるだろう。新保守主義の場合、新自由主義的政策を支持する背景にナショナルな意 図が控えているところが大きな特徴である。   新自由主義と新保守主義との関係について広く論じられているように、新自由主義が市場原理の徹底によって社 会的亀裂をもたらし、それを事後的に是正するために、愛国心教育など国民統合を進める新保守主義が求められ、 両者が結合したのではない。こうした理解は、新自由主義や構造改革を目的、新保守主義や愛国心の涵養を単なる 手段と位置づけている。だが安倍の真意は逆であり、新保守主義的理念の実現こそが目的なのである。   新 自 由 主 義 と 新 保 守 主 義 に は も と も と 重 な り 合 う 部 分 が あ り、 そ の 結 節 点 は 反 福 祉 国 家、 反 リ ベ ラ リ ズ ム で あ る。したがって福祉国家を攻撃する限りにおいて、両者は強い親和性を持つ。だが、それ以外の領域にまで新自由 主義の論理を持ち込むと、新保守主義とは必ずしも整合せず、ときに大きな齟齬や対立さえもたらす。その典型が

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教育の分野だったのである。 五   これからの愛国心教育   以上のような新自由主義と新保守主義の関係性が、第二節で論じた安倍政権の教育改革における内部矛盾の背景 にあると思われる。では、この矛盾を解決するにはどうすればよいのか。一つには、新保守主義の立場に立ってあ くまでその理念を優先し、それに反しない限りで新自由主義的政策を取り入れるという、優先順位を明確にする方 法がありえよう (本稿は必ずしも新保守主義の立場を支持しているわけではない) 。   しかし、事はそう単純ではない。グローバル化状況に対応するには、新保守主義的な方針だけでは不十分だから である。例えば教育に限って言うと、二〇〇九年六月一二日付で安倍晋三のホームページ上に記載されている「教 育再生」に関する記載 ( 14) は 、新自由主義的な側面をそぎ落とし、彼の新保守主義が前面に現れている。いくつか関連 する箇所を抜き出してみよう。   「教 育 再 生 の 目 標 は す べ て の 子 ど も 達 に 高 い 学 力 と 規 範 意 識 を 身 に 付 け る 機 会 を 保 障 す る こ と で あ り、 新 し い 教 育基本法には「公共の精神」 「道徳心」 「国や郷土を愛する心」 「職業教育・環境教育」などが盛り込まれました。 」   「ま た、 真 の 国 際 人 を 育 成 す る た め に も 国 旗「日 の 丸」 、 国 歌「君 が 代」 の 教 育 指 導 に 力 を 入 れ る 必 要 が あ り ま す。教育現場では単に「国歌は君が代です」とだけ教えて合唱もせずに授業を終わらせる無責任な教師がいるのも

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事実です。そこで今回の学習指導要領では「君が代を歌えるようにする」と書き改めました。サッカーのワールド カップで勝ったチームのサポーターは声高らかに国歌を唄います。日本も同じように誇らしく「君が代」を合唱し ようではありませんか。 」   「さ ら に 規 範 意 識 や 他 人 を 思 い や る 心 を 育 む た め に 道 徳 教 育 を 充 実 さ せ ま す。 生 徒 児 童 が 感 動 を 覚 え る よ う な 教 材 を 開 発、 活 用 す る こ と に な り ま す。 生 命 の 尊 厳、 社 会 へ の 主 体 的 な 参 画 な ど の 重 要 性 に つ い て も 教 え る こ と に なっています。 」   「こ の ほ か、 平 成 二 四 年 度 か ら は 中 学 校 で 男 女 と も 武 道 が 必 修 と な り ま す。 体 育 の 授 業 で 剣 道、 柔 道 を 取 り 入 れ ることは、武道には日本の伝統文化が息づいているからです。教育現場で頑張っている先生が報われる制度も導入 しました。 」   公 共 心 や 愛 国 心 の 育 成、 「日 の 丸」 と「君 が 代」 の 指 導 の 徹 底、 道 徳 教 育 の 充 実、 武 道 必 修 化 に よ る 伝 統 文 化 の 学習など、新保守主義色が満載である。その一方で、驚くほどグローバル化への対応という視点が欠落している。 こ こ に 挙 げ ら れ た 内 容 を 前 面 に 打 ち 出 し た 教 育 に よ っ て、 グ ロ ー バ ル に 活 躍 す る 人 材 が 育 つ と は 考 え に く い だ ろ ( 15) う 。新保守主義の限界である。   とはいえ、こうした内容を一切避けてきたこれまでの戦後民主主義的な教育もまた、過去の戦争の反省という理 由があるとはいえ、いびつな面があったことは否めない。そして、そうしたある種の偏った教育の構造が、いたず

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らに保守派の反発を掻き立て、ことあるごとに社会科の教科書が標的にされるという事態を生み出してきたのであ る。そこで以下では、焦点を愛国心の育成に絞って、今後の日本でどのような教育がなされるべきかを考えること にしたい。 (一)避けるべき教育   ま ず は、 最 も 避 け な け れ ば な ら な い 愛 国 心 教 育 の 形 態 に つ い て 触 れ て お き た い。 そ れ は、 近 隣 諸 国 を 敵 に 見 立 て、 「反 中 国」 、「反 韓 国」 な ど を 旗 印 に し て 日 本 へ の 愛 国 心 を 扇 動 す る と い う 形 の 教 育 で あ る。 中 国 と 韓 国 は、 こ れまで「反日」を煽る教育によって国民の愛国心を高めるという手法を用いてき ( 16) た 。日本国民の中には、そうした 中韓のやり方に強い反発を感じている者も少なくないだろう。   そ の 反 作 用 と し て、 今 度 は 日 本 に お い て、 例 え ば『嫌 韓 流』 と い う 本 が ベ ス ト セ ラ ー に な っ た ( 17) り 、「ネ ッ ト 右 翼」と称される特に若者層のネットユーザたちが、インターネットの掲示板に韓国や中国に対する罵詈雑言を書き 込んだりするなどの現象が見られている (高原   二〇〇六、八九―九一頁) 。   「擬 似 的 な 敵」 を 隣 国 に 設 定 し、 そ こ か ら 翻 っ て 自 国 の 愛 国 心 を 高 め る 試 み は、 東 ア ジ ア 諸 国 の 相 互 経 済 交 流 が これだけ深く進展している現在において、非現実的な選択肢である。このようなやり方を公教育に持ち込めば、自 国 へ の 誇 と い う よ り も、 む し ろ 他 国 へ の 蔑 視 や 差 別 感 情 を 醸 成 し て し ま う。 現 在、 こ う し た 愛 国 心 教 育 を 行 っ て は、成長著しいアジア諸国とともに日本が発展する道をいたずらに閉ざしてしまう恐れがあるだろう。   第四節で指摘したように、安倍の新保守主義には排他的ナショナリズムの色彩が見られる。そのため、反中国や 反韓国、反北朝鮮を煽り立てることを通じて日本の愛国心の育成を試みるような教育が推し進められることがない

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よう、われわれは警戒しなければならない。 (二)アデナウアーモデル   では、どのような教育をすべきなのか。東アジア諸国との関係では、日本のアジア侵略をめぐる歴史認識問題が 大きな躓きの石となってい ( 18) る 。この問題をジェニファー・リンドの議論に依拠しながら、愛国心教育の問題に結び つけて考えてみた ( 19) い 。   日本国内の保守派は、日本の過去を断罪し、否定するだけの戦後民主主義的な歴史教育を「自虐史観」だとして 攻撃する。従来の歴史教育は、保守政治家による反動的な発言を誘発し、日中・日韓関係を悪化させる好まざる結 果を繰り返しもたらしてき ( 20) た 。   かといって、日本の過去の軍国主義を賛美したり、首相が靖国神社に参拝したり、南京大虐殺の事実を否定した りすれば、日本は過去を美化していると受け取られて、東アジア諸国との関係を悪化させるだけである。どちらに しても、歴史認識問題をめぐってアジア諸国と良好な関係を築くことはできない。   したがって日本の過去の歴史を教える際には、この左派的な「反省」と保守的な「反動」のどちらにも一方的に 偏らないことが重要になってくる。これをリンドは、ドイツのアデナウアー首相の手法に倣って「アデナウアーモ デ ル」 と 呼 ぶ。 第 二 次 世 界 大 戦 直 後、 ア デ ナ ウ ア ー は、 一 方 で ナ チ ス に よ る「過 去 の 侵 略 行 為 を 認 め」 つ つ も、 「ナ シ ョ ナ リ ス ト に よ る 反 動 が 生 じ て、 ド イ ツ の 民 主 主 義 の 安 定 性 が 揺 る が さ れ る」 こ と を 懸 念 し て、 ド イ ツ の 罪 や 犯 罪 行 為 を 過 度 に 強 調 す る こ と を 避 け た ( Lind 2008, p. 108 ) 。 つ ま り「ア デ ナ ウ ア ー モ デ ル の も と で、 西 ド イ ツ は過去の暴力を認めたが、同時に戦後の業績も強調したのである」 ( Lind 2009 ) 。

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  このモデルを日本の教育に当てはめるならば、現在の日本は軍国主義を明確に拒否しており、過去の侵略や虐殺 の事実を否定したり、賛美したりしないことを教える。だが他方で、日本には経済的繁栄、技術、文化、平和、環 境 な ど 誇 れ る も の が 数 多 く あ る こ と も 教 え、 自 国 へ の 誇 り を 涵 養 す ( 21) る 。 こ の よ う に 自 国 の 失 敗 や 恥 と 向 き 合 い つ つ、同時に自国の優れた面も学ぶことで、自虐史観でも反動的でもないバランスの取れた歴史教育が可能になるの ではない ( 22) か 。   左派・革新派の人々は、公教育による愛国心の育成を批判し、愛国心教育をしないことや愛国心教育に蓋をする ことに重きをおいてきた。他方で保守派は、自国への誇りを強調するあまり、アジア諸国の反発を生み出す居直っ た発言をする場合が見られた。しかしこれからは、そのどちらかに偏るのではなく、まさにアジア諸国とともに発 展するためにまっとうな愛国心教育をやる、という逆転の発想に立つ必要があるだろう。自国の恥ずべき行為と誇 るべき偉業のどちらからも逃げずに、両方に正面から向き合うこと。これこそグローバル化時代に要請される今後 の日本の愛国心教育であると思われる。 注 ( 1 )  安 倍 晋 三 の 政 治 思 想 の 特 徴 は、 「断 固 た る タ カ 派、 明 文 改 憲 論 者、 そ し て 利 益 誘 導 型 政 治 か ら 遠 い 政 治 家」 で あ る と い う 点 に 求められる(渡辺 二〇〇七、二〇〇頁) 。 ( 2 )  自 分 の 原 点 が「保 守」 で あ る こ と は、 安 倍 自 身 が そ の 著 書 の 中 で 認 め て い る。 「『保 守 主 義』 、 さ ら に い え ば『開 か れ た 保 守 主 義』がわたしの立場である」 (安倍 二〇〇六、一八頁) 。 ( 3 )  ア メ リ カ の い わ ゆ る「ネ オ コ ン」 と、 一 九 八 ○ 年 代 以 降 に ヨ ー ロ ッ パ や 日 本 で 台 頭 し た「新 保 守 主 義」 と は、 重 な る 部 分 が あ

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り つ つ も 基 本 的 に は 異 な る 立 場 で あ る。 ネ オ コ ン は、 「自 由 民 主 主 義 へ の 進 歩」 と い う 歴 史 観 に こ だ わ り、 そ う で な い 政 治 体 制 を 悪 と し、 軍 事 力 を 用 い て で も「レ ジ ー ム・ チ ェ ン ジ」 し よ う と す る 急 進 的 な 進 歩 論 者 で あ る。 他 方 で 新 保 守 主 義 は、 大 き な 政 府 を い た だ く 福 祉 国 家 を し り ぞ け、 小 さ な 政 府 と 市 場 原 理 を 重 視 し つ つ、 伝 統 的 な 道 徳 心 や 地 域、 愛 国 心 の 復 権 を 唱 え、 対 外 的 な 国 家 威信も重んじる立場である(佐藤 二〇〇九、三八―三九頁) 。 ( 4 )  バ ー ク 以 来 の イ ギ リ ス の 保 守 主 義 は、 コ ミ ュ ニ テ ィ を は じ め と す る 様 々 な 中 間 集 団 の 存 在 を 重 視 し、 そ の 国 の 歴 史 的・ 文 化 的 状 況 に 即 し て 漸 進 的 に 問 題 を 解 決 す る こ と を 求 め る 思 想・ 信 条 で あ る。 そ の た め、 サ ッ チ ャ ー 政 権 は 保 守 政 権 で あ り な が ら も、 彼 女はイギリスにおける典型的な保守政治家とは言えないだろう。 ( 5 )  安 倍 晋 三 の 著 書 や 政 権 構 想 の ど こ を 見 て も、 こ の 矛 盾 を 縫 合 す る よ う な 手 立 て は 語 ら れ て い な い。 新 自 由 主 義 と 新 保 守 主 義 と の 不 整 合 は 放 置 さ れ た ま ま で あ る。 安 倍 晋 三 に よ る 教 育 改 革 の 事 例 は、 非 西 洋 圏 に お い て こ の 二 つ を 結 び つ け る こ と の 難 し さ を、 端的に示しているように思われる。 ( 6 )  詳細は、大嶽 一九九六、一四七―一七四頁を参照。 ( 7 )  「自 民 党 の タ カ 派 グ ル ー プ に は、 躾 の よ う な 社 会 生 活 上 の 問 題 に つ い て の 保 守 的 価 値 を、 国 家 の 問 題 に 直 接 に 連 動 さ せ る 傾 向 があった」 (大嶽 一九九六、一六三頁) 。 ( 8 )  安 倍 内 閣 成 立 前 に 起 き て い た 有 名 な 少 年 犯 罪 を 見 て み る と、 二 〇 〇 〇 年 四 月 に 愛 知 県 の 名 古 屋 市 で、 中 学 生 の 少 年 グ ル ー プ が 同 級 生 か ら 合 計 五 四 〇 〇 万 円 も 恐 喝 し て い た と い う 巨 額 恐 喝 事 件 が 明 ら か に な る。 さ ら に 二 〇 〇 〇 年 五 月 に は、 本 文 で も 触 れ た 佐 賀 バ ス ジ ャ ッ ク 事 件 が 起 き、 同 月 に 今 度 は 愛 知 県 の 豊 川 市 で「人 を 殺 し て み た か っ た」 と い う 理 由 で 本 当 に 高 校 生 が 老 女 を 殺 害 し た 事 件 が 起 き て い る。 ま た 二 〇 〇 〇 年 六 月 に は 岡 山 バ ッ ト 殺 人 事 件 が 起 き て い る。 こ れ は、 後 輩 に い じ め を 受 け て い た 野 球 部 員 が バ ッ ト で 後 輩 た ち を 次 々 に 殴 っ て 重 傷 を 負 わ せ た 後、 家 に 帰 っ て 母 親 ま で 殺 害 し、 そ の 後 岡 山 か ら 東 北 地 方 ま で 自 転 車 で 逃 走 し て いたことで世間を驚かせた少年犯罪である。 ( 9 )  少 女 た ち の 性 の 乱 れ や 援 助 交 際 の 要 因 を 学 校 に お け る 過 激 な 性 教 育 や ジ ェ ン ダ ー フ リ ー 教 育 に 見 出 す 安 倍 晋 三 の 見 解 も、 社 会 状 況 と 国 家 の 統 治 行 為 と を 直 接 に 連 動 し て 理 解 す る 保 守 派 固 有 の 発 想 の 典 型 と 言 え よ う。 二 〇 〇 五 年 に 安 倍 晋 三 が 座 長、 山 谷 え り

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子 が 事 務 局 長 を 務 め る「過 激 な 性 教 育・ ジ ェ ン ダ ー フ リ ー 教 育 実 態 調 査 プ ロ ジ ェ ク ト チ ー ム」 が 発 足 し、 そ う し た 教 育 の 実 態 調 査と批判的検証を行っている。 ( 10)   具 体 的 に は「家 族 の 価 値 観、 地 域 の 温 か さ が 失 わ れ た こ と に よ る 痛 ま し い 事 件」 、「近 年、 子 ど も の モ ラ ル や 学 ぶ 意 欲 が 低 下 し て お り」 、「家 族、 地 域、 国、 そ し て 命 を 大 切 に す る、 豊 か な 人 間 性 と 創 造 性 を 備 え た 規 律 あ る 人 間 の 育 成 に 向 け、 教 育 再 生 に 直 ち に 取 り 組 み ま す」 な ど で あ る。 「第 一 六 五 回 国 会 に お け る 所 信 表 明 演 説」 、 安 倍 晋 三 の ホ ー ム ペ ー ジ( http://www.s-abe.or.jp/anal -ects01/72 )、もしくは『朝日新聞』 (二〇〇六年九月二九日付夕刊)を参照。 ( 11)   と い う の も、 二 〇 〇 六 年 度 の P I S A 調 査 を 受 け る 際、 高 校 一 年 生 だ っ た 人 々 は、 ゆ と り 教 育 が 初 め て 施 行 さ れ た 二 〇 〇 二 年 に小学校六年生だったからである。 ( 12)   た だ し、 「自 虐 史 観 か ら の 脱 却」 や「自 国 へ の 誇 り の 回 復」 と い っ た 愛 国 心 教 育 が、 引 き こ も り や 学 級 崩 壊、 ゆ と り 教 育 に よ る学力低下といった問題を解決するのに、どれだけ効果的かははなはだ疑問であると言わざるをえない。 ( 13)   小 泉 純 一 郎 の 靖 国 神 社 参 拝 へ の こ だ わ り を も っ て、 彼 を 新 保 守 主 義 と 捉 え る 見 解 を し ば し ば 見 か け る。 だ が、 皇 室 典 範 を 改 正 し よ う と し た 小 泉 の 姿 勢 か ら 明 ら か な よ う に、 彼 を 新 保 守 主 義 者 と 規 定 す る の は 適 切 で は な い。 靖 国 参 拝 は 彼 の パ ー ソ ナ ル な ル ー ツ か ら 解 す べ き で あ り、 新 保 守 主 義 に 還 元 す べ き も の で は な い。 た だ し、 自 衛 隊 の 扱 い に 関 し て は 両 義 的 で あ り、 正 面 装 備 を 削 減 し な が ら、 有 事 法 制 を 成 立 さ せ て い る。 こ れ に 関 し て も、 有 事 法 制 は 二 〇 〇 一 年 の 九・ 一 一 テ ロ を 受 け て ア メ リ カ の 強 い 要 請 の も とで成立したという経緯を踏まえるならば、小泉を新保守主義と規定する根拠として十分な説得力があるとは言い難い。 ( 14)   全文は http://www.s-abe.or.jp/policy/education_policy を参照。 ( 15)   グ ロ ー バ ル 化 に 対 応 す る に は、 多 文 化 共 生 の 作 法 を 学 習 す る シ テ ィ ズ ン シ ッ プ 教 育 を 行 う こ と が 欠 か せ な い と 思 わ れ る。 シ ティズンシップ教育に関しては、 Kymlicka 2001 、

Roland-Lévy and Ross 2003

=二〇〇六、参考文献の拙稿を参照。 ( 16)   こ れ に 加 え て、 韓 国 に よ る 竹 島 の 一 方 的 な 占 拠 と 国 民 に よ る 熱 烈 な 支 持 が 日 本 で 広 く 知 ら れ る よ う に な り、 ま た 二 〇 〇 五 年 に は 中 国 で 大 規 模 な「反 日 デ モ」 が 起 き た り し て い る。 こ う し た 中 韓 の 行 動 の 背 景 に は 両 国 に お け る 反 日 的 な 愛 国 心 教 育 が あ る と さ れる。

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( 17)   山野車輪『マンガ嫌韓流』晋遊舎、二〇〇五年七月。 ( 18)   歴史認識をめぐっては、馬原 二〇〇八が参考になる。 ( 19)   Jennifer Lind 2009 を 参 照。 ジ ェ ニ フ ァ ー・ リ ン ド「歴 史 問 題 を 解 決 す る た め に は『ア デ ナ ウ ア ー モ デ ル』 」『G L O B E』 (朝 日新聞社、二〇〇九年六月二二日、第六面)は、この抄訳である。アデナウアーモデルの詳細については、 Lind 2008, p.108 ―124. ( 20)   政 府 に よ る ア ジ ア 諸 国 へ の 謝 罪 が、 侵 略 戦 争 で は な い と す る 保 守 派 の 反 動 的 発 言 を 誘 発 し て お り、 こ の 二 つ は セ ッ ト と 見 な す べ き と す る の は、 加 藤 典 洋(一 九 九 七) 『敗 戦 後 論』 講 談 社、 四 七 ― 四 八 頁。 こ う し た 視 点 か ら 見 れ ば、 愛 国 心 教 育 を 避 け れ ば 避 け る ほ ど、 そ の 反 動 と し て 保 守 派 か ら 極 端 な ―― 先 に 挙 げ た 避 け る べ き ―― 愛 国 心 教 育 の 要 請 を 誘 発 す る こ と が 懸 念 さ れ る と 言 え るだろう。 ( 21)   「ド イ ツ と 同 様 に、 日 本 に は 誇 れ る も の が た く さ ん あ る。 天 然 資 源 は 限 ら れ 国 土 が 狭 い に も か か わ ら ず、 …… 勤 勉 な 国 民 が、 日 本 を 戦 後 の 荒 廃 か ら 世 界 で 最 も 豊 か で、 最 も 安 定 し、 技 術 が 発 展 し た 創 造 的 な 国 へ と 再 興 さ せ た。 …… 日 本 は 平 和 で、 惜 し み な く 国 際 援 助 を 行 い、 環 境 保 護 や エ ネ ル ギ ー 効 率 を 推 し 進 め る 先 導 者 で あ る。 日 本 の 政 治 指 導 者 た ち が 日 本 人 の 中 に 誇 り を 涵 養 し た いなら、言えることはたくさんある」 ( Lind 2009 )。 ( 22)   むろんこうした教育が成り立つためには、政府による歴史認識問題に対する明確な方針の提示と、その実行が前提となる。 【参照文献】 Kymlicka, Will ( 2001 )“ Education for Citizenship ”, Politics in the Vernacular: Nationalism, Multiculturalism, and Citizenship, Ox

-ford University Press

Lind, Jennifer

2008

) Sorry State : Apologies in International Politics, Cornell Uni

versity Press

Lind, Jennifer

2009

) ‘A new solution to Japan

’s history problems ’, in : http://globe.asahi.com/meetsjapan/090622/01_03.html Roland-Lévy, C. and Ross, A. eds. ( 2003 ) Political Learning and Citizenship in Europe, Trentham Books. (中里亜夫・竹島博之監訳

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(二〇〇六) 『欧州統合とシティズンシップ教育――新しい政治学習の試み』明石書店) 安倍晋三(二〇〇六) 『美しい国へ』文藝春秋 出原政雄(二〇〇八) 「愛国心――知的伝統の再発見」出原政雄編『歴史・思想からみた現代政治』法律文化社 大 嶽 秀 夫(一 九 九 六) 「教 育 に お け る 保 守 イ デ オ ロ ギ ー ―― 社 会 科・ 歴 史 教 科 書 問 題 を め ぐ る 対 立」 『戦 後 日 本 の イ デ オ ロ ギ ー 対 立』 三一書房 川崎修(二〇一〇) 『「政治的なるもの」の行方』岩波書店 佐伯啓思(二〇〇八a) 『日本の愛国心――序説的考察』NTT出版 佐伯啓思(二〇〇八b) 『自由と民主主義をもうやめる』幻冬舎 佐藤一進(二〇〇九) 「ネオコン」佐伯啓思・柴山桂太編『現代社会論のキーワード――冷戦後世界を読み解く』ナカニシヤ出版 佐貫浩(二〇〇三) 『新自由主義と教育改革――なぜ、教育基本法「改正」なのか』旬報社 佐貫浩(二〇〇六) 『教育基本法「改正」に抗して――教育の自由と公共性』花伝社 シ ェ ル ド ン・ S・ ウ ォ リ ン(二 〇 〇 六) 「民 主 主 義 と 福 祉 国 家 ――「国 家 理 性」 と「福 祉 国 家 理 性」 の 政 治 的 理 論 的 連 環」 『ア メ リ カ 憲法の呪縛』千葉眞・斎藤眞・山岡龍一・木部尚志訳、みすず書房 高橋哲哉・大内裕和(二〇〇六) 『教育基本法「改正」を問う――愛国心・格差社会・憲法』白澤社 西原博史(二〇〇三) 『学校が「愛国心」を教えるとき――基本的人権から見た国旗・国歌と教育基本法改正――』日本評論社 高原基彰(二〇〇六) 『不安型ナショナリズムの時代――日韓中のネット世代が憎みあう本当の理由――』洋泉社 竹 島 博 之(二 〇 〇 五) 「政 治 教 育 に お け る シ テ ィ ズ ン シ ッ プ の 育 成」 『教 育 実 践 研 究』 第 一 三 号、 福 岡 教 育 大 学 教 育 学 部 附 属 教 育 実 践 総合センター 竹 島 博 之(二 〇 〇 六) 「政 治 教 育 ―― グ ロ ー バ ル 化 時 代 に お け る シ テ ィ ズ ン シ ッ プ の 育 成」 シ テ ィ ズ ン シ ッ プ 研 究 会 編『シ テ ィ ズ ン シップの教育学』晃洋書房

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竹 島 博 之(二 〇 〇 八 a) 「グ ロ ー バ ル 化 時 代 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ と シ テ ィ ズ ン シ ッ プ 教 育」 『政 治 研 究』 第 五 五 号、 九 州 大 学 政 治 研 究 会 竹島博之(二〇〇八b) 「グローバル化する現代世界とシティズンシップ教育」 『世界と議会』第五二三号、尾崎行雄記念財団 竹 島 博 之(二 〇 〇 九 a) 「多 文 化 社 会 の シ テ ィ ズ ン シ ッ プ 教 育 ―― メ タ・ ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 政 治 学 に 向 け て」 関 口 正 司 編『政 治 に おける「型」の研究』風行社 竹 島 博 之(二 〇 〇 九 b) 「公 教 育 と ナ シ ョ ナ リ テ ィ ―― 愛 国 心 教 育 を め ぐ る 議 論 を 題 材 に ――」 施 光 恒・ 黒 宮 一 太 編『ナ シ ョ ナ リ ズ ムの政治学――規範理論への誘い――』ナカニシヤ出版 田中孝彦・世取山洋介編(二〇〇七) 『安倍流「教育改革」で学校はどうなる』大月書店 豊永郁子(一九九八) 『サッチャリズムの世紀――作用の政治学へ――』創文社 長谷川一年(二〇〇八) 「新自由主義――市場原理主義と国家の変容」出原政雄編『歴史・思想からみた現代政治』法律文化社 原 谷 直 樹(二 〇 〇 九) 「新 自 由 主 義(ネ オ リ ベ ラ リ ズ ム) 」 佐 伯 啓 思・ 柴 山 桂 太 編『現 代 社 会 論 の キ ー ワ ー ド ―― 冷 戦 後 世 界 を 読 み 解 く』ナカニシヤ出版 広田照幸(二〇〇五) 『︽愛国心︾ のゆくえ――教育基本法改正という問題』世織書房 馬原潤二(二〇〇八) 「歴史認識――過去の記憶と政治の論理」出原政雄編『歴史・思想からみた現代政治』法律文化社 渡辺治(二〇〇七) 『安倍政権論――新自由主義から新保守主義へ』旬報社 ※   本 稿 は、 二 〇 〇 九 年 七 月 五 日 に 佐 賀 大 学 で 開 催 さ れ た 第 八 回 日 本 国 際 文 化 学 会(全 国 大 会) の 共 通 論 題 五「新 自 由 主 義 と「伝 統」 の 再 構 築」 で の 報 告「多 文 化 状 況 に お け る 愛 国 心 教 育」 の 原 稿 に 加 筆 と 修 正 を 加 え た も の で あ る。 質 疑 応 答 の 際 に い た だ い た 御意見や御批判は、本研究の貴重な糧となっている。御参加いただいた皆様に、記してここに感謝の意を表したい。 ―たけしま   ひろゆき・法学部准教授―

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