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(1)

王畿「致知議略」精読

著者名(日)

小路口 聡

雑誌名

東洋大学中国哲学文学科紀要

17

ページ

45-76

発行年

2009-03-10

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00002438/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止

http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

王畿﹁致知議略﹂精読

小路口

はじめに

 王畿二九四八−一五八一三の﹁致知議略﹂の成立と、その構成内容については、既に、福田殖氏が、﹁王竜渓と

謡讐江ーー﹁致知議略﹂における良知論争  ﹂︵﹃陽明学﹄第8号 一九九六︶の中で精細に論じておられる。また、

その重要性についても、氏が、﹁⋮⋮陽明の良知心学の根底を問う問答として当時の士人の関心を集めた⋮⋮この致

知問答は一種の教義問答で、良知心学の本質をうかがうに足る資料である﹂と指摘し、更に、佐藤仁氏が、﹁最讐江

の帰寂説と王龍渓の現成説との差異、並びにそれぞれの思想の特色を浮き彫りにしているもので、陽明学関係資料の

中でも重要なものの一つである﹂と指摘する通りである。ただ、残念なことに、福田氏が、その論文の中で取り上げ

ているのは、前言と﹁綜綱﹂二条とのみである。

 よって、本稿では、﹁致知議略﹂の全訳を試み、更に、詳細な注を付すことで、王畿の良知心学の原理的解明の端

緒としたい.。 王畿﹁致知議略﹂精読 四五

(3)

東洋大学中国哲学文学科紀要 第十七号 四六 *なお、本稿は、二〇〇七、八年度の東洋大学大学院文学研究科中国哲学専攻﹁中国哲学特論皿﹂での講読の成果である。こ  の授業に通年参加して、活発に意見を交換し合った、三名の学生諸君、福田真吾君、播本崇史君、伊香賀隆君の氏名を、こ  こに挙げて、感謝の意を表したい.。 凡例  一、底本は、︻陽明後学文献叢書︼の一冊として出された、呉震氏によって編校整理された﹃王畿集﹄︵鳳風出版社 二〇〇七︶   を使用した。なお、句読の位置は適宜改めた。  二、各条は、原文、校注、訓読文、現代語訳、訳注の順に配列した。  三、訓読については、汲古書院から出ている和刻本漢籍文集所収の﹃龍籍王先生全集﹄を参考にした。  四、現代語訳においては、内容の性格上、その理解を助けるために、訳者が、言葉を大幅に補った。補った箇所は[]で示   し、また説明を加えた箇所は︵ ︶で示した。  五、注には、それぞれの発言の思想史的背景・意義の検討に供し、思索・議論の契機となるように、煩を厭わず、出来るだけ   多くの参考発言・資料を附したが、それは、何よりも、筆者自身の研究ノートとしてであることをお断りしておきたい。  六、注で引用した文献の底本については、最隻江の著作は、参照の便を図って、︻陽明後学文献叢書︼の﹃斎豹集﹄︵鳳風出版   社 二〇〇七︶を、王守仁の著作は、﹃王陽明全集﹄︵上海古籍 一九九二︶、朱喜⋮の著作は、﹁理学叢書﹂の﹃朱子語類﹄   ︵中華書局 一九八六︶を、それ以外は﹃朱子全書﹄︵同 二〇〇二︶を、陸九淵の著作は、﹃陸九淵集﹄︵中華書局 一九八   〇︶を、その他の宋明理学者の著作は、主に、中華書局の﹁理学叢書﹂本を、﹃宋元学案﹄は、中華書局本︵一九八六年︶   を、﹃明儒学案﹄は、中華書局本︵二〇〇八年修訂本︶を使用し、その頁数を掲げた。

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﹁致知議略﹂︵﹃龍渓王先生全集﹄巻六︶

   序−執筆の経緯

徐生時畢、將督學敬所君之命、奉莫陽明先師遺像於天真。因就予而問學。臨別、出讐江、東廓、念庵三公所書贈言巻、 祈予一言以設所學。三公言若人殊、無非参互演繹以明師門致知之宗要。予難有所言、亦不能外於此也。

徐生時畢、督學敬所君の命を將て、陽明先師の遺像を天真に奉莫す。因りて、予に就きて學を問う。別れに臨みて、

       もシレざ

讐江・東廓・念庵三公の書きし所の贈言の巻を出して、予に、一言して以て學ぶ所を讃せんことを祈む。三公の言、

    ザアしピ 入の若く殊なれば、参互演繹して、以て師門致知の宗要を明らかにするに非ざる無し。予、言う所有りと難も、亦た、 此を外にする能わざるなり。

学生の徐時暴が、督学の王敬所君の命によって、王陽明先生の遺像を天真書院に奉納した。そのついでに、私に対し

       すべ       プゆピ      ロア て﹁学ぶ﹂ということについて質問をした。別れぎわに、耳朋讐江・郡東廓・羅念庵の三公が書いた[互いの切磋を励

      あかヒ

ます]贈答の言葉を出してきて、私にも、一言書いてもらって、[今回]学んだことの証としたいと依頼してきた。

三公の言葉は、その人柄同様に個性があるので、互いに参照し合い、その意味を推し広げていけば、必ず陽明先生一

門の﹁致知﹂の教えの本質を鮮明にするであろう。私としては、[いろいろと]言いたいこともあるが、やはり、こ

れらの意見を無視することはできない。 王畿﹁致知議略﹂精読 四七

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東洋大学中国哲学文学科紀要 第十七号 四八 ⑦﹁徐生時事﹂ 徐雁隆。王敬所の門人。﹁王陽明年譜附録一﹂の﹁︵嘉靖︶三十四年乙卯、欧陽徳改建天眞仰止祠﹂の条に、  ﹁江西提學副使王宗沐、南康の生祠を訪ひて、師の像を塑り、徐鷹隆を遣りて新祠に迎え至らしめ、有司の公祭を為す。﹂  ︵﹃王陽明全集﹄巻三十六 ]三四六頁︶とあるに拠る。また、最豹︵讐江︶の﹁山中問答﹂に、﹁督學敬所王先生者、敏而  好學、不駈下問、⋮⋮。一日、介其門人徐生、柾予於山中。⋮⋮﹂︵﹃晶豹集﹄巻十三 五三五、六頁︶とある。おそらく、  この﹁徐生﹂とも同一人物であろう。 ②﹁督學﹂ 明清代、学校や教育を監督・指導した専門の役職。英宗の正統元︵一四三六︶年に設置。 ③﹁王敬所﹂王宗沐、字は新甫、敬所は号。一五三二一五九一。臨海の人。嘉靖二十三年進士。﹁授刑部主事。與同官李  肇龍、王世貞輩、以詩文相友善。宗沐尤習吏治。歴江西提學副使。修白鹿洞書院、引諸生講習其中。﹂︵﹃明史﹄列傳・巻二  二三・列傳第=一︶。﹃明儒学案﹄の伝に、﹁王宗沐、字新甫、號敬所、台之臨海人。嘉靖甲辰進士。在比部時、與王元美  為詩社、七子中之一也。久歴藩泉。値河運銀滞、以先生為右副都御史、査復祖宗喜法、一時漕政修畢。猶慮運道一線、有不  足侍之時、講求海運、先以遮洋三百艘試之而致。其後為官所阻而罷。萬暦三年、韓工部侍郎、尋改刑部。先生師事欧陽南野、  少從二氏而入、已知﹃所謂良知者、在天為不已之命、在人為不息之禮、即孔氏之仁也。學以求其不息而已。﹄其辮儒鐸之分、  謂﹃佛氏專於内、俗學馳於外、聖人則合内外而一之。﹄此亦非究寛之論。蓋儒稗同此不息之彊、鐸氏但見其流行、儒者掲見  其真常爾。先生之所謂不息者、將無猶是鐸氏之見乎。﹂二侍郎王敬所先生宗沐﹂第十五巻・漸中王門學案五 三一五頁︶と  ある、.福田殖氏は、﹁致知議略﹂成立の経緯を述べて、﹁宗沐は﹁未発・已発﹂が聖學の頭脳であると考えており、それが今  日紛紛然として定まらないので、当時王門の指導的立場にいた竜渓に生員であった徐時塁を通じて門学したのである。この  ことがきっかけで竜渓と讐江との問で致知の問答が交わされることになった﹂と言う︵前掲論文 五頁︶。著書に、﹃宋元資  治通鑑﹄六十四巻・﹃海運志﹄二巻・﹃南華経別編﹄二巻・﹃奏疏﹄四巻・﹃文集﹄三十巻がある。

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互﹁天真﹂ 嘉靖九年五月、王守仁の門人蒔侃によって銭塘縣の天真山の山麓に創建され、同十五年、漸江省監察御史張景、  及び、漸江省提学命事徐階によって重修された天真書院︵精舎︶を指す︵﹃王文成公全書﹄巻三十六 年譜附録 =二二八  頁︶。蒔侃は、精舎の一角に、王守仁を祀る祠を築き、毎年二月と八月の仲丁の日を期日として、四方の同志が集まって先  師を祭り、祭りが終わると月末まで、講会を催すことが慣例となった。︵中純夫﹁王畿の講學活動﹂ 三三頁以下参照︶ ⑤﹁竪江﹂ 晶豹、字は文蔚、號は讐江。永豊の人。正徳十二年の進士。四十二年十一月四日卒。年七十七。隆慶元年、贈少  保、誼は貞嚢。﹃明儒学案﹄第十七巻・江右王門學案二・三七一頁。未発以前に﹁寂静﹂なる本体を形而上学的実体として  立てる、所謂﹁帰寂﹂派の立場から、王畿の﹁良知現成﹂の思想と鋭く対立。﹁致知議略﹂の﹁良知﹂理解をめぐって、一  つ一つ、疑義を提出。それに応えた王畿の議論は、﹁致知議辮﹂としてまとめられている︵﹃王畿集﹄巻六 =二二頁以下︶。 ⑤﹁東廓﹂ 郡守益、字は謙之、號は東廓。江西安福の人。四十一年に卒す、年七十二。隆慶元年、贈禮部右侍郎、識は文荘。  ﹃明儒学案﹄第十六巻・江右王門學案一二三三二頁。 ⑦﹁念庵﹂ 羅洪先、字は達夫、別號は念蓄。吉水の人。四十三年に卒す。⊥ハ十一歳。隆慶改元、光緑少卿を贈られ、識は文  恭。﹃明儒学案﹄第十八巻・江右王門學案三・三八八頁。 ⑤﹁参互演鐸﹂ 朱喜⋮の﹃中庸章句﹄の序に、﹁更互演繹、作為此書﹂とある。

   一 ﹁良知﹂と﹁知識﹂の違い

夫良知之與知識、差若毫麓、究實千里。同一知也、如是則為良、如是則為識、如是則為徳性之知、如是則為見聞之知、

不可以不早辮也。良知者、本心之明、不由學慮而得、先天之學也。知識則不能自信其心、未免假於多學億中之助、而

王畿﹁致知議略﹂精読 四九

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東洋大学中国哲学文学科紀要 第十七号 五〇

已入於後天 。良知即是未登之中、即是登而中節之和。︹未慮非先、已雁非後。即寂而感行焉、寂非内也。即感而寂

存焉、感非外也。︺此是千聖斬關第一義、所謂無前後内外、潭然一鷺者也。若良知之前別求未登、即是二乗沈空之學。

良知之外別求已登、即是世儒依識之學。或撮感以蹄寂、或縁寂以起感、受症錐若不同、其為未得良知之宗、則一而已。

愛述一得之見、麓為敷條、用以就正於三公、並質諸敬所君、且以答生來學之意。 ︽校注︾  ︹ ︺内の二十八字は、王畿の全集本所収の﹁致知議略﹂には無いが、﹃覇豹集﹄巻十一の﹁答王龍渓﹂の中で、 ﹁来書云﹂として、引かれた﹁致知議略﹂によって補った。福田殖氏も指摘する通り、以降の文脈からも、この二十八字を 補った方が、文意が明瞭となる。

夫れ良知と知識とは、差うこと毫麓の若くして、究むるに實に千里なり。同じく一つの知なるも、是くの如くなれば

則ち良と為り、是くの如くなれば則ち識と為り、是くの如くなれば則ち徳性の知と為り、是くの如くなれば則ち見聞

         ラ ニ

の知と為れば、以て早に辮ぜざるべからざるなり。良知なる者は、本心の明にして、學慮に由らずして得ば、先天の

      あ

學なり。知識は、則ち、自ら其の心を信ずること能わずして、未だ多く學び、億して中たるの助に假るを免れざれば、

已に後天に入る。良知は即ち是れ未登の中、即ち是れ登して節に中るの和なり。︹未だ慮ぜざるも先に非ず、已に慮

ずるも後に非ず。寂に即して感行わるれば、寂は内に非ざるなり。感に即して寂存すれば、感は外に非ざるなり。︺

此れは是れ千聖斬關の第一義、所謂﹁前後内外無く、澤然]髄﹂なる者なり。良知の前に、別に未登を求むるが若き

       おンご

は、即ち是れ二乗沈空の學なり。良知の外に別に已登を求むるは、即ち是れ世儒依識の學なり。或いは感を撮めて以

       トよ

て寂に蹄す、或いは寂に縁りて以て感を起こす。受症、同じからざるが若しと錐も、其の、未だ良知の宗を得ずと為

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      マニこ すは、則ち一なるのみ。髪に、一得の見を述べて、 所君に質し、且つ、以て生の來學の意に答う。 おさ 麓めて敷條と為し、 用いて以て、三公に就正し、    セ  並びに諸れを敬

そもそも、良知と知識とは、その差は、ほんの僅かなようでいて、突き詰めれば、実に、千里の開きがある。同じく

一つの﹁知﹂ではあるが、ある時は良知となり、ある時は知識となるし、ある時は﹁徳性の知﹂となり、ある時は

﹁見聞の知﹂となるのであれば、早い段階で弁別しないわけにはいかない。良知というものは、心に、もともと備わ

っている、[是非善悪を]明らかにする能力であって、[後天的に]学習したり、思慮したりしなくても、もともと持

っているものであれば、﹁先天の学︵生まれつき身についている学ごである。=方、]知識は、その心[に固有の能

力]を信じることができないために、﹁たくさん[知識を]学びとって﹂、﹁[その中から]憶測して的中させる﹂やり

方の助けを借りなければならないものであれば、すでに後天︵後付けの知恵︶に堕してしまっている。良知は、すな

わち、[﹃中庸﹄に所謂]﹁未発の中﹂であると同時に、﹁発して節に中るの和﹂︵同上︶でもある。︹まだ応じていない

としても、前にあるわけではないし、もう応じてしまったからといって後にあるわけではない。寂に即して感は行わ

れるのであれば、寂は内ではないのだ。感に即して寂が存しているのであれば、感は外ではないのだ。︺これは、あ

またの聖人たちが、常識の壁を突き破って手に入れた根本の道理であり、[王陽明の]所謂﹁前/後とか、内/外と

       

かいった分別意識を越えた、未分化なる統体的一者﹂である。良知に先立つものとして、別に﹁未発﹂[なる実体]

を求めようとするのなどは、すなわち、仏老二氏の[現実から乖離して]空寂に溺れる学である。良知の外に、別に

      セ

﹁已発﹂を求めようとするのは、すなわち、俗儒の、[既存の]知識に依存する学である。一方は、[良知の]感応を

制御することによって静寂[なる本体]に立ち帰ろうとするものであり、他方は、静寂[なる本体]に基づいて[良

王畿﹁致知議略﹂精読 五一

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東洋大学中国哲学文学科紀要 第十七号 五二

知の]感応を起ち上げようとするものであれば、その病状は同じでないように見えるが、良知の教えを、十分理解し

ていないという点では、一つである。ここに、私が愚考して得た卑見を記録し、きちんと整理して数条にまとめて、

それによって、[最讐江・85東廓・羅念庵の]三公の説を参照しながら自説を正し、同時に、これを王敬所君にも問

い質し、加えて、徐͡時畢︶学生の来学の意にもお答えしようと思う。 ㊦︶﹁良知﹂ もと﹃孟子﹄蓋心上篇より出づ。﹃孟子﹄蓋心上篇に、﹁人之所不學而能者、其良能也。所不慮而知者、其良知也。  該提之童、無不知愛其親也。及其長也、無不知敬其兄也。親親、仁也。敬長、義也。無他、達之天下也。﹂とある。王陽明  は、﹃大學﹄の﹁致知﹂の﹁知﹂を、﹁良知﹂とし、この我の内なる心の良知を、あますことなく実現発揮することを、﹁知  を致す﹂ことだとした.、すなわち、﹁致知云者、非若後儒所謂充廣其知識之謂也。致吾心之良知焉耳。﹂︵﹃大學問﹄ 九七一頁︶ ②﹁知識﹂ ここで、王畿が﹁良知﹂との対比において挙げる﹁知識﹂という概念は、何を意識したものなのか。たとえば、  朱喜⋮が、﹃大學章句集注﹄における﹁致知﹂の解釈の中に、﹁知、猶識也。推極吾之知識、欲其所知無不蓋也。﹂とあるのが、  まず浮かぶ。これに対して、王陽明は、その﹁大学問﹂において、﹁致知云者、非若後儒所謂充廣其知識之謂也.、致吾心之  良知焉耳.﹂と、その説を、きっぱりと斥けている。王畿が、﹁夫志有二、知亦有二、有徳性之知、有聞見之知。徳性之知求  諸己、所謂良知也。聞見之知、縁干外、所謂知識也。毫厘千里、辣諸此而已。﹂︵﹁水西同志會籍﹂﹃王畿集﹄巻二 三六頁︶  と言っているのを見れば、専ら﹁聞見﹂に依拠し、後天的に獲得された﹁知識﹂を指すものと言えよう。﹁良知﹂が﹁内﹂  なるものであるのに対して、﹁知識﹂は﹁外﹂なるもの、後付の知恵である。次注の﹁答呉悟齋﹂を参照。ただし、朱蕪の  所謂﹁知識﹂が、﹁,外﹂なるものとしての﹁聞見の知﹂のみを指していたかといえば、必ずしも、そうは言えないだろう。  王陽明は、後儒の説として﹁其の知識を充廣する﹂と言っているが、朱喜⋮は、﹁吾が知識を推極する﹂と言っている。﹁充廣﹂

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 と﹁推極﹂との違いは、決して小さくないと言えよう。 ⑥﹁良知之輿知識⋮⋮究實千里﹂  ﹁良知﹂と﹁知識﹂の弁別については、王畿は、繰り返し述べている。たとえば、﹁夫良  知之與知識、争若毫厘、究實千里・、同︸知也、良知者、不由學慮而得、徳性之知、求諸己也。知識者、由學慮而得、聞見之  知、資諸外也.、﹂二書婆源同志會約﹂﹃王畿集﹄巻二 三九頁︶、﹁夫識與良知、同出而異名、所争只毫督。識有分別、知髄渾  然。識有去來、知艘常寂。﹂二與梅純甫﹂同巻十二 三一九頁︶、また、﹁心之知、一也、根於良則為徳性之知、因於識則不  免假於多學之助。此回賜之學、所由以分也。果信得良知及時、則知識莫非良知之用、謂吾心原有本來知識、亦未為不可。不  明根因之故、沿習奮見、而遂以知識為良知、其謬実菅千里而已哉。﹂二答呉悟齋﹂同巻十 二四六頁︶など.、 、皇﹁徳性之知./見聞之知﹂ 張載の﹃正蒙﹄大心篇に、﹁大其心則能髄天下之物、物有未纏、則心為有外。世人之心、止於聞  見之挾。聖人書性、不以見聞桔其心、其視天下無一物非我、孟子謂蓋心則知性知天以此。天大無外、故有外之心、不足以合  天心。見聞之知、乃物交而知、非徳性所知。徳性所知、不萌於見聞。﹂︵﹃張載集﹄ 二四頁︶また、程噸︵伊川︶にも、﹁聞  見之知、非徳性之知。物交物則知之、非内也。今之所謂博物多能者、是也。徳性之知、不假聞見。﹂︵﹃程氏遺書﹄巻二十五  ﹃二程集﹄ 三一七頁﹀という発言が見られる。 ⑤﹁不由學慮而得﹂ ﹃孟子﹄に基づく。注⑦を参照。 ⑥﹁先天之學﹂ もと、郡康節の語。﹁先天之學、心也。後天之學、 也。出入有無死生者、道也。﹂︵﹃観物外篇﹄後天象敷第  五、﹃宋元学案﹄巻九・百源學案︵上︶ 第一冊 三八〇頁︶ ⑦﹁多學・億中﹂  ﹁多學﹂は、﹃論語﹄衛露公篇の﹁賜也、女以予為多學而識之者與。封日、然。非與。日、非也。予一以  貫之.、﹂を踏まえ、﹁億中﹂は、先進篇の、﹁回也其庶乎。屡空、、賜不受命、而貨殖焉。億則屡中。﹂を踏まえる。 包﹁未鷹非先、⋮⋮﹂  ﹁未慮非先、已慮非後﹂は、もと、程伊川の語.。﹁沖漠無朕、万象森然巳具.。未応不是先、已応不是 王畿﹁致知議略﹂精読 五三

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 東洋大学中国哲学文学科紀要 第十七号      五四  倒。如百尺之木、自根本至枝葉、皆是一貫。不可道上面一段事、無形無兆、却待人旋安排引入来、教入塗轍。既是塗轍、却  只是[箇塗轍、﹂︵﹁程氏遺書﹄巻一五 ﹃二程集﹄一五三頁︶ ⑨﹁斬關﹂  ﹃漢語大詞典﹄に、﹁欣断門閂、乏指攻破城門﹂とある。﹁斬關第一義﹂は、﹁辛苦して切り開いた根本思想﹂  ︵佐藤 三二四頁頭注︶.。 ⑩﹁無前後内外、渾然一賠﹂  ﹁渾然]髄﹂の語は、程明道の﹁學者須先識仁。仁者、潭然與物同髄。﹂︵﹃程氏遺書﹄巻二  ﹃二程集﹄一七頁︶を踏まえたもの。また、ここでの王畿の発言は、﹃伝習録﹄中巻の﹁答陸原静書﹂に、﹁未登之中即良知  也.、無前後内外、渾然一艘者也。有事無事可以言動静、而良知無分於有事無事也。寂然感通、可以言動静、而良知無分於寂  然感通也。動静者、所遇之時.、心之本鵠、固無分於動静也。﹂とあるのを指す。また、この点については、王畿は、更に、  ﹁夫心無動静、故學無動静。後儒以不見不聞為己所不知、属静、以掲知為人所不知、属動。或又以不見不聞為天根、掲知為  天機、是即動静之説也。若先師之意、則以為不見不聞正指猫知而言、微之顯、誠之不可掩也.。所謂未獲在已登之中、而已登  之前未嘗別有未襲者在、無前後内外而渾然一彊者也﹂二答呉悟齋﹂﹃王畿集﹄巻十 二五一頁︶とも言っている。 芭﹁二乗沈空之學﹂  ﹁二乗﹂は、﹁仏老二氏によって代表されるもので、ひたすら静寂の境を守るだけで活機大用のない小  乗的な学問﹂︵佐藤 三二四頁頭注︶。﹁大乗・小乗ではなく、﹁声聞﹂﹁縁覚﹂の二乗をいう.大乗は沈空の学とは言われな  い。﹁静無﹂を説く老荘も沈空の学に含まれる﹂︵福田 ]五頁︶。﹁聲聞乗﹂とは、御釈迦様︵世尊︶の説法の声を聞いて悟  る弟子。﹁縁覚乗﹂は、師なくして独自に覚った者。大乗仏教は、この﹁縁覚乗﹂を自己中心的なものと考え、利他の菩薩  と区別し、﹁声聞乗﹂とともに﹁小乗﹂と呼んだ。﹁沈空﹂は、現実から遊離した空虚な理説.、﹁致知議辮﹂では、更に、﹁良  知之前無未獲者、良知即是未襲之中、若復求未登、則所謂沈空也。﹂と言う。 ⑫﹁世儒依識之學﹂ 見聞を通して、後天的に獲得した﹁外﹂の﹁知識﹂に依拠・依存する学。陸九淵が、﹁外入の学﹂と呼

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 んだもの。﹁孔門、惟顔・曾伝道、他未有聞。蓋顔曾従裏面出来、他人外面入去。今所伝者、乃是子夏・子張之徒、外入之  学。曾子所伝、至孟子不復伝 。﹂︵﹃陸象山語録﹄巻下・七九条︶。﹁致知議辮﹂では、更に、﹁良知之外無已登者、致此良知  即是聚而中節之和、若別有已登、即所謂依識也﹂と言う。﹁依識の学﹂の弊害については、次節で述べられる。﹁程朱の格物  窮理の学によって代表されるもので、ひたすら博学多識にたよっていく学問﹂︵佐藤︶、﹁知識・見識に依拠し、博学多識に  向う世間]般の儒学。当時の朱子学者を想定している﹂︵福田︶。 ⑬﹁蹄寂﹂ 斎豹︵隻江︶の﹁蹄寂﹂説を言う。覇讐江の次の発言を参照。﹁愚意窺謂、無間感與不感、而一以蹄寂為工夫主  宰、所謂吃緊牧飯、亦只於此慮吃緊敗敏。﹂︵﹁寄羅念庵十六首︵第七首ご﹃最豹集﹄巻九 二八七、八頁︶、また、﹁僕謂、  蹄寂之功、本無間於動静、一以蹄寂為主、寂以雁感、自有以通天下之故、雁非吾所能與其力也。與力於雁感者、憧憧之思、  而後過與不及生焉。是過與不及生於不寂之感。寂而感者、是從規矩之方圓也、安有所謂過與不及哉。﹂二答欧陽南野︵三︶﹂  同巻七 二四三頁︶、と。この斎讐江の﹁蹄寂﹂説に対する王畿の批判としては、次の発言を参照。︵﹁讐江蹄寂の説は何如﹂       の コ   という質問に対して、︶曰く、﹁覇讐江先生は、﹃[もはや]感いてしまった場所では、功夫も[施しようが]ありません﹄と  言っていますが、それも一つの見識です。しかしながら、寂には、もともと、帰る[べき一定の]場所などありません.、感  応から決して離れてしまうことがないのが寂なのであって、これこそ、本当の寂なのです。もし、帰る[べき一定の]場所  が[感応とは別のところに]有るというのであれば、寂なる時、感なる時という、[別々の、独立した]時間が有るという  ことになり、結局、二元論に陥ってしまうでしょう。︵﹁讐江先生云﹃感虚無功夫﹄、不為無見。然寂本無蹄、即感是寂、是       ヘ   ヘ   ヘ   へ  為眞寂.。若有所蹄、寂感有時、終成二見。﹂遵巖日、﹁讐江慮學者不知寂膿、ロバ從感上牽補過去。故提得寂字較重、非謂寂而  後生感也。﹂︶﹂︵コニ山麗澤録﹂﹃龍渓会語﹄﹃王畿集﹄ 七〇五頁︶。また、﹁若日本於虚寂而後有知是知非之流行、終成二見..  二則息 。﹂︵﹁別曾見憂漫語摘略﹂﹃王畿集﹄巻=ハ 四六四頁︶というのも、﹁蹄寂﹂説に対する批判の言葉である。 王畿﹁致知議略﹂精読 五五

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東洋大学中国哲学文学科紀要 第十七号 五六 ⑭﹁或撮感以飼寂、或縁寂以起感﹂ 前者は最讐江の帰寂派を指し、後者は俗儒を指すのであろう。なお、﹁撮感以蹄寂﹂に  似た表現として、﹃廣弘明集﹄巻二十二・法義篇に、﹁撮生錆寂﹂という語が見える。 ⑮コ得之見﹂  ﹃曇子春秋﹄内篇・雑下に、﹁聖人千慮、必有一失。愚人千慮、必有一得。﹂とあるのを踏まえる。ここは、  自分の意見を謙遜していう。︵佐藤︶ ⑯﹁就正﹂ 道理を体得した人に就いて、自分の言動を正すこと。﹃論語﹄学而篇の﹁就有道而正焉﹂を踏まえる。王畿は頻  用している。﹁自是﹂を戒めた﹁講学﹂の特色を物語る鍵語と見てよかろう。

   二 独知

猫知無有不良。不賭不聞、良知之髄。顯微髄用、通一無二者、此也。戒慎恐催、致知格物之功、   從日用倫物之感雁而致其明察者、此也。知膿本空、著禮即為沈空。知本無知、離髄即為依識。 視於無形、聴於無聲、    ︽校注︾ *﹁從﹂字は、底本には無いが、覇讐江の﹁答王龍渓﹂に引く﹁来書云﹂により補う。        み

濁知は、良ならざる有る無し。賭えず聞こえざるは、良知の禮なり。顯微禮用、一に通じて二無き者、此れなり。戒

慎恐催は、致知格物の功なり。無形に視、無聲に聴き、日用倫物の感雁に從いて、其の明察を致す者、此れなり。知

の禮は本と空なり。髄に著すれば即ち沈空と為る。知は本と無知なり。髄を離るれば即ち識に依ると為す。

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﹁独知﹂に、もともと良くないものなどは無い。[﹃中庸﹄に]﹁目にも見えず、耳にも聞こえない﹂というのは、良知    マかた 本来の体である。[目に見えて]顕著なものと、[目には見えない]微細なもの、[目には見えない]本体と[目に見

えて明らかな]作用とは、連続した一つの流れのようなものであって、独立した別個の実体ではないというのがこれ

である。[﹃中庸﹄に所謂]﹁戒慎恐催﹂は、[﹃大學﹄に所謂]﹁致知格物﹂の功夫である。形の無いところに目を凝ら   み

して視、声の無いところに耳を澄ませて聴き、日常の、人間関係や他の存在との感応の場において、まさに、その現

場から離れることなく、はっきりと[良知の働きを]見極めていくというのが、これ︵﹁致知‖格物﹂という功夫︶

       すかた       ヨ

である。知︵11良知︶の本来の体はもとより空なるもの︵実体を持たない、純粋な働き︶である。[純粋な働きその

       すがた ものである、﹁良知﹂の本来の]体[を実体化して、それ]に執着すれば、すぐさま、[現実世界から乖離して]空寂 に沈んでしまう。知は、本来、[既存の]知識に依存することのない[独立自由な]ものである。[この独立自由なる         すがた ﹁知﹂の本来の]体から乖離してしまうから、[純粋なる働きとしての﹁良知﹂の糟粕にすぎない、外の]知識に依存 することになってしまうのだ。 筋﹂﹁濁知﹂ 朱喜⋮は、﹃中庸﹄の、﹁莫見乎隠、莫顯乎微、故君子慎其掲也﹂の﹁掲﹂を解して、﹁掲者、人所不知而己所掲知  之地也。言、幽暗之中、細微之事、跡難未形、而幾則已動、人難不知、而己掲知之、則是天下之事無有著見明顯而過於此者。  是以君子既常戒催、而於此尤加謹焉、所以遇人欲於將萌、而不使其滋長於隠微之中、以至離道之遠也。﹂︵﹃中庸集注﹄︶と言  っている。これに対して、王畿は、﹁不賭不聞即是隠微、即所謂掲。﹂二書婆源同志會約﹂﹃王畿集﹄巻二 三九頁 *次注  に引く︶と言う。この﹁独﹂処における、﹁知︵気づき︶﹂こそ、ほかでもない、﹁良知﹂の純粋なる現出である。 ②﹁良﹂ 朱喜⋮は、﹃孟子﹄中に見える﹁良知﹂﹁良能﹂﹁良心﹂の﹁良﹂を、全て﹁本然之善﹂と解釈している。﹁良者、本然 王畿﹁致知議略﹂精読 五七

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東洋大学中国哲学文学科紀要 第十七号 五八  之善也﹂︵﹃孟子集注﹄︶。﹁良﹂とは、単に﹁善良﹂というだけでなく、それが﹁本然﹂なるものであることを含意している。 ③﹁不賭不聞﹂ ﹃中庸﹄に、﹁道也者、不可須爽離也。可離、非道也。是故君子戒慎乎其所不賭、恐擢乎其所不聞。﹂とある。 ④﹁顯微糧用﹂ 程伊川の﹃易傳﹄序の﹁禮用一源、顕微無間﹂を踏まえる。また、以下のような表現も参照。﹁農用顯微、只是  一機。﹂二天泉謹道紀﹂﹃王畿集﹄巻一 一頁︶、﹁主宰即流行之膿、流行即主宰之用、髄用一原、不可得而分、分則離 。﹂        ヘ   へ  二撫州擬嶋豪會語﹂同巻一 二七頁︶。覇讐江の引用では、﹁顕微隠見﹂に作る。﹁致知議辮﹂では、﹁顯微隠見、通[無二﹂とある。 ⑤﹁通一無二﹂ それは、本源と末流の関係のようなものであると言えよう。﹁由萌蘂之生、以達於千尋、由源泉混混、以放  於四海、其本末源委、長養流行之機、實非有二物也。﹂二水西會約題詞﹂﹃王畿集﹄巻一 六八〇頁︶。 ⑥﹁戒慎恐催﹂ 前注③。 ⑦﹁日用倫物之感雁而致其明察者﹂ ﹁倫物﹂とは、﹁人倫庶物﹂の略。﹁人倫﹂﹁庶物﹂﹁明察﹂は、﹃孟子﹄離婁下篇の、﹁舜  明於庶物、察於人倫、由仁義行、非行仁義也﹂を踏まえる。王畿の用例としては、﹁蓋吾人在世、不能為枯木為渥灰、必有  性情之登、耳目之施、以濟日用。不能逃諸虚空、必有人倫庶物、感鷹之跡。有性情而不知節、則將和蕩而淫 。有耳目而不  知槍、則將物交而引 。有人倫庶物之交而不知防慎、則將素秩而雰類 。此近取諸身、不容一日而離、則此學固不容以一  日不講也。﹂二新安福田山房⊥ハ邑會籍﹂﹃王畿集﹄巻二 五一頁︶、﹁蓋吾人喜怒哀樂之情、無時不登。人倫庶物、無時不雁。  必見得未登之中、始能中節。﹂︵﹁與董弦齋﹂同巻十一 三〇〇頁︶、﹁若如先師本旨、人倫事物之物即悪外物之物、本非二義。  在入倫事物上磨、格其不正以蹄於正、正是無慾工夫。舜明於庶物之物、即是格物之物。謂之明者、致其良知而無所蔽也。﹂  ͡﹁格物問答原旨・答敬所王子﹂同巻六 一四三頁︶とある。すなわち、人と人と、また、人以外の﹁物﹂との出会いの場と  しての日常生活の現場を言うが、そこは、同時に、入の良知が活発に自己を展開する場でもあれば、そここそが、功夫の場  であることを言う.、むしろ、ここを措いて、他に、功夫の場はあり得ない。この事実を発明する言葉である。王畿の﹁学

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 ︵哲学︶﹂の現場を考える上で、重要な概念であると言えよう。例えば、﹁格物是聖門第一段公案、致知在格物、謂不離倫物  感雁以致其知也﹂、﹁倫物感雁實事上、循其天則之自然、則物得其理 、是謂格物﹂︵﹁格物問答原旨・答敬所王子﹂同巻六︶、  ﹁吾人今日之學、亦無庸他求者、其用力不出於性情耳目倫物感鷹之跡、其所慎之幾不出於一念掲知之微。是故一念戒擢、則  中和得而性情理 ﹂︵﹁新安福田山房六邑會籍﹂同巻二 五一頁︶、﹁若如輝學作蒲面壁、習為枯静。外於倫物之感慮、則為異  端之學ム矢﹂︵﹁竹堂會語﹂同巻五 一一一頁︶。 ⑧﹁空﹂ 何ものにも満たされていない、空っぽの状態。自由無擬なる働きを生み出すベースとなる状態・環境。例えば、王  畿は、顔子の﹁屡空﹂を論じて、﹁空者道之饅也、愚・魯・辟・嵯、皆滞於氣質、故未能空。顔子氣質消融、渣淳渾化、心  中不留一物、故能屡空。﹂︵﹁書累語簡端録﹂﹃王畿集﹄巻三 七五頁︶と言っているのを参照。 碗二無知﹂ 良知を、﹁無知﹂と説いたのは、王陽明に端を発す。王畿は、その﹁無知﹂の思想は、孔子に端を発するもので  あることを指摘した上で、その思想の主旨を、次のように解説している。﹁及居夷三載、動忍増益、始超然有悟於良知之旨。  無内外、無精粗、一儂渾然、是即所謂未登之中也。其説難出於孟朝氏、而端緒實原於孔子。其日﹃吾有知乎哉、無知也。蓋  有不知而作、我無是也、﹄言良知無知而無不知也。而知識聞見不與焉。︵全集本には、この下に﹁此學脈也。﹂の四字有り。︶  ⋮⋮良知不由知識聞見而有、而知識聞見莫非良知之用。⋮⋮﹂︵﹁刻陽明先生年譜序﹂﹃王畿集﹄巻十三 三四〇頁︶。遡れば、 それは、王陽明の﹁良知不由見聞而有、而見聞莫非良知之用、故良知不滞於見聞、而亦不離於見聞。孔子云﹃吾有知乎哉。 無知也。﹄良知之外、別無知実。故﹁致良知﹂是學問大頭脳、是聖人教人第一義。﹂︵﹁答欧陽崇一書﹂﹃傳習録﹄中︶という        ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ 発言を踏まえたものである.、以上、要するに、﹁無知﹂とは、この場合、﹁知識聞見﹂にとらわれない、依存しないというこ とであり、﹁無不知﹂とは、にもかかわらず、﹁知らないことはなにもない11全てを知っている﹂。すなわち、﹁良知﹂は、後 天的な﹁知識聞見﹂に依存しない、先天的な﹁知﹂であることを言うのであろう。朱喜⋮は、この孔子の﹁吾有知乎哉、無知 王畿﹁致知議略﹂精読 五九

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東洋大学中国哲学文学科紀要 第十七号 也﹂の﹁知﹂を﹁知識﹂とし、﹁孔子謙言己無知識﹂︵﹃論語集注﹄︶と解釈している。 と、すなわち、﹁私は何も知らない﹂と謙遜して言っている、と解釈していた。 六〇 すなわち、﹁自分には知識が無い﹂ こ

三 乾知

易日乾知大始、乾知即良知、乃混沌初開第一簸、為萬物之始、不與萬物作封。故謂之猫。以其自知、故謂之猫知。乾

知者、剛健中正純梓精也。七徳不備、不可以語良知、中和位育、皆從此出、統天之學、首出庶物、萬國威寧者也.。 ﹃易﹄に、﹁乾知は大始なり﹂と日う。乾知は即ち良知なり、乃ち混沌に初めて開かれし第一の藪にして、萬物の始め 為れば、萬物と封を作さず。故に、之を猫と謂う。其の自ら知るを以て、故に、之を猫知と謂う。﹁乾知﹂なる者は、 剛健中正純梓精なり..七徳、備わらざれば、以て良知を語るべからず。中和位育す、皆な此れ從り出づ.、天を統ぶる の學なり。﹁首として庶物に出でて、萬國、威く寧し﹂なる者なり。 ﹃易﹄︵繋辞上伝︶に﹁乾知こそ、大いなる始まりである﹂とあるが、この乾知[と名付けられたもの]こそが、ほかで

もない良知であり、すなわち、混沌に初めて穿たれた最初の知覚であり、全ての存在者の始源であれば、全ての存在

者とは、その存在のレヴェルを異にするものである。それ故に、﹁独︵単独者・絶対者︶﹂と呼ぶのである。[人が気

づく以前に]自分だけが[その現出に]気付くものであることから、﹁独知﹂と呼ばれる。乾知とは、剛・健・中・

正・純・梓・精なるものである。この七つの徳が兼ね備わっていなかったならば、﹁良知﹂として語ることはできない。

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﹁中和の道が実現され、[天地の]秩序が定まり、[万物が]成育する﹂のは、いずれも、ここから始まるのである。 [その意味で]宇宙を統一する学である。﹁万物に抜きん出て、全ての国々を、ことごとく安寧にする﹂ものである。   ¢﹁乾知大始﹂  ﹃周易﹄繋辞上伝に、﹁⋮⋮乾道成男、坤道成女。乾知大始、坤作成物。乾以易知、坤以簡能.。易則易知、    簡則易從。易知則有親、易從則有功。有親則可久。有功則可大。可久則賢人之徳。可大則賢入之業。易簡而天下之理得 。        つへきロと    天下之理得、而成位乎其中 。﹂とある。﹁乾知大始、坤作成物﹂は、⋮般には、﹁乾は大始を知り、坤は成物を作す﹂と読    まれてきた..9ーえば、朱喜ば、次の様に言う。﹁此﹃知﹄字訓﹃管﹄字、不當解作知見之﹃知﹄。大始是﹃萬物資始﹄、乾以    易、故管之。成物是﹃萬物資生﹄、坤以簡、故能之。大抵談経ロバ要自在、不必泥於一字之間。﹂︵﹃朱子語類﹄巻七四 一八七    九頁︶.、   ②﹁混沌初開第一寵﹂  ﹃荘子﹄内篇・鷹帝王第七に、﹁南海之帝為億、北海之帝為忽、中央之帝為運沌。億與忽時相與遇於    渾沌之地、渾沌待之甚善.、債與忽謀報潭沌之徳、日、人皆有七藪以視聴食息、此掲無有、嘗試整之。口整一藪、七日而渾    沌死.﹂とあるに拠る。ただし、﹃荘子﹄では、七籔を穿たれた後、﹁潭沌﹂は、遂に死んでしまう。それは、知識や技能に    よって、むりやり﹁童蒙﹂を啓こうとしたからである。次の発言を参照。﹁⋮⋮蒙之時、混沌未分、只是一團純氣、無知識    技能携次其中、黙黙充養、純氣日足、混沌日開、日長月化、而聖功生焉。故日﹃童蒙、吉﹄。後世不知養蒙之法、憂其蒙昧 無聞、強之以知識、益之以技能、整開混沌之藪、外誘日滋、純氣日潟、而去聖愈遠、所謂非徒無益、而反害之也。﹂︵﹁東遊 問答﹂﹃龍漢會語﹄巻三 ﹃王畿集﹄附録二 七二〇頁︶また、次の発言も参照。﹁易日﹃乾知大始﹄、良知即乾知、露明首 出、剛健無慾、混沌初開第一簸、未生萬物、故謂之大始、順此良知而行、無所事事、便是坤作成物。﹂︵﹁答季彰山龍鏡書﹂ ﹃王畿集﹄巻九 二=二百C 王畿﹁致知議略﹂精読      ⊥二

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東洋大学中国哲学文学科紀要 第十七号 六二 ③﹁掲﹂ 既出。朱喜⋮は、﹃大学﹄の﹁所謂誠其意者、母自欺也、如悪悪臭、如好好色、此之謂自謙、故君子必慎其掲也。﹂の  ﹁掲﹂を解して、﹁掲者、人所不知而己所掲知之地也﹂と言う。朱喜⋮が、﹁掲﹂を、﹁地﹂、すなわち、内的な場として捉えて  いるのに対して、王畿は、それを、良知の純粋なる現出として、それ自身を、﹁絶対﹂の知として捉えている。 ④﹁剛健中正純粋精﹂  ﹃周易﹄乾卦﹁大哉乾乎。剛健中正純梓精也。﹂とあるに拠る。いずれも、乾の徳である.. ⑤﹁中和位育﹂  ﹃中庸﹄に、﹁喜怒哀樂之未登謂之中。襲而皆中節謂之和。中也者、天下之大本也。和也者、天下之達道也。  致中和、天地位焉、萬物育焉。﹂とあるに拠る。 ⑥﹁統天之學﹂  ﹁統天﹂の二字は、﹃周易﹄乾卦の家伝﹁大哉乾元。萬物資始、乃統天﹂に出づ, ⑦﹁首出庶物、萬國威寧﹂ ﹃周易﹄乾卦・家伝に、﹁乾道饗化、各正性命、保合大和、乃利貞。首出庶物、萬國威寧。﹂とある。

   四 良知

良知者、無所思為、自然之明畳。即寂而感行焉、寂非内也。即感而寂存焉、感非外也。動而未形、有無之間、幾之微

也。動而未形、登而未嘗登也、有無之間、不可致詰。此幾無前後、無内外。聖人知幾、賢人庶幾、學者審幾、故日、

幾者、動之微、吉之先見者也。知幾、故純吉而無凶。庶幾、故匝吉而寡凶。審幾、故趨吉而避凶。過之則為忘幾、不

及則為失幾。忘與失、所趨難異、其為不足以成務、均也。

良知なる者は、思為する所無き、自然の明畳なり。寂に即して感行なわるれば、寂は内に非ざるなり。感に即して、

      あら

寂存すれば、感は外には非ざるなり。動きて、未だ形われず、有無の間、幾の微なり。動きて未だ形われず、登して

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      ねが

未だ嘗て登せざるなり、有無の間、致詰すべからず。此の幾、前後無く、内外無し。聖人は幾を知り、賢人は幾を庶

い、學ぶ者は幾を審らかにす。故に曰く、﹁幾なる者は、動の微、吉の先に見われし者なり﹂、と。幾を知る、故に、

      すく

純吉にして凶無し。幾を庶う、故に、伍に吉にして凶寡なし。幾を審らかにする、故に吉に趨きて凶を避く。之に過

ぐれば則ち幾を忘ると為し、及ばざれば則ち幾を失うと為す。忘ると、失うとは、趨むく所、異なると錐も、其の、

以て務めを成すに足らずと為るは、均しきなり。 良知は、思慮や作為をすることなく、自ずからなる働きとして展開する、明敏なる洞察力である。それ自身、﹁寂﹂、 すなわち、何ものにも動かされることなく、感応を遂行していくものであれば、﹁寂﹂と言っても、﹁内﹂[にひっそ りと引き籠もっているわけ]ではない。[万物との]感応の真っ直中にあっても、﹁寂︵良知の不動性11独立自存性︶﹂ はちゃんと保持されているのであれば、﹁感﹂と言っても、[﹁寂﹂なる良知の]﹁外﹂で起こっているわけではない。

      かす

[周灌渓の所謂]﹁動いてはいるが、まだ目に見える形を取っていない、有でもなく、無でもない、その間の、微かな ぼ ざ  ゴ

幾﹂である。[それは]動いてはいるが、まだ目に見える形態を取っていないし、発動してはいるのだが、まだ完全

には発動しきっていない、有るとも言えず、無いとも言えない、その間にあって、[有なのか、無なのか]どちらか

はっきり見究めることのできないものである。この﹁幾﹂は、時間的な前後の別も無く、空間的な内外の別も無い。

     つか びピゴ       コか        ねが  ロコゴ      つまびら 聖人は幾を知み、賢人は幾を[知むことを]庶い、学ぶ者は幾を審かにしようとする。だから、[﹃易﹄繋辞下伝に]

      つか

﹁幾とは、動の微かなるもので、吉の先駆けである﹂と言う。﹁幾を知んでいる﹂からこそ、もっぱら吉となり、凶は

      ねが

起こらないのである。﹁幾を[知むことを]庶っている﹂からこそ、常に吉となり、凶は少ないのである。﹁幾を審か

にしようとしている﹂からこそ、吉には向かって行き、凶は避けようとするのである。行き過ぎたらば、﹁幾を忘れ

王畿﹁致知議略﹂精読 六三

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東洋大学中国哲学文学科紀要 第十七号 る[無視する]﹂ことになるし、及ばなかったなら、﹁幾を失う︵見失う︶﹂ことになる。 では、方向性は異なるが、務めを十分果たしていないという点においては同列である。 六四 ﹁忘れる﹂のと﹁失う﹂のと ①﹁有無之間﹂ 周濠渓の﹃通書﹄誠神幾章に、﹁寂然不動者、誠也。感而遂通者、神也。動而未形、有無之間者、幾也。﹂と  あるのを踏まえる。﹁致知議耕﹂では、斎讐江の疑義を承け、ここでの議論を敷桁して、更に、﹁良知之實禮為誠、良知之妙  用為神、幾則通乎禮用而寂感一貫、故日有無之間者、幾也。有與無、正指誠與神而言。此是千聖從入之中道、過之則堕於無、  不及則滞於有。﹂と言っている。また、次のような発言も見える。﹁陽明先師提出良知雨字、是希聖希賢真根子、有無之間、  其機甚明、購他些子不得。﹂︵﹁與徐龍責﹂﹃王畿集﹄巻十二 三一三頁︶、﹁其本原自無而生有、其功行自有而蹄無、有無之間、  其機甚純。﹂︵﹁與宛陵會中諸友﹂同巻十二 三一五頁︶﹁造者自無而顯於有、化者自有而藏於無。有無之間、霧機獣運。故日  顯諸仁、藏諸用、造化之全功也。﹂︵﹁建初山房會籍申約﹂﹃王畿集﹄巻二 五〇頁︶。 ②﹁知幾﹂ ﹃易﹄繋辞下傳に、﹁子B、知幾其神乎。君子上交不詔。下交不漬。其知幾乎。幾者動之微、吉之先見者也.、君  子見幾而作,、不侯終日。﹂ ③﹁庶幾﹂  ﹃易﹄繋辞下傳に﹁子日、顔氏之子、其殆庶幾乎。有不善未嘗不知。知之未嘗復行。﹂を踏まえるのであろうが、  普通、この﹁庶幾﹂は、﹁ちかし﹂、もしくは、﹁こいねがう﹂と読む。先の﹁乾知﹂の解釈と同様で、王畿の経書解釈は、  従来の伝統的解釈に縛られない、かなり﹁自由﹂、見る人が見れば、かなり﹁杜撰﹂なものであったと言えよう。また、そ  こに王畿の思想の特色があると言えよう。 ④﹁忘輿失﹂﹁忘﹂とは、﹃孟子﹄の﹁必有事焉而勿正、心勿忘、勿助長也。﹂︵公孫丑上篇︶を踏まえ、﹁失﹂とは、同じく、﹃孟  子﹄の﹁仁、義、禮、智、非由外鎌我也、我固有之也、弟思耳 。故日、﹃求則得之、舎則失之。﹄﹂︵告子上篇︶を踏まえる。

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   五 顔子の学と子貢の学

顔子有不善、未嘗不知、未嘗復行、正是徳性之知、孔門致知之學、所謂不學不慮之良知也。纏動即畳、纏貿即化、未

嘗有一毫凝滞之跡、故日、不遠復、無砥悔。子貢務於多學、以億而中、與顔子正相反。顔子没而聖學亡。子貢學術易

於湊泊、積習漸染、至千百年而未已也。先師憂潤後學、將此両字信手拮出、乃是千聖絶學。世儒不自省悟、反暎然指

以為異學而非之、夜光之珠、視者按剣、亦無怪其然也。 顔子、﹁不善有れば、未だ嘗て知らずんばあらず﹂、﹁未だ嘗て復た行はず﹂、正に是れ徳性の知にして、孔門致知の學       わず      さと

なり、所謂﹁不學不慮﹂の良知なり。纏かに動けば即ち畳る、縷かに覧れば即ち化す、未だ嘗て二毫も凝滞の跡有ら

      いた      あ ず。故に、曰く、﹁遠からずして復る、悔いに砥ること無し﹂、と。子貢、多學に務め、以て億して中たる、顔子と正

に相反す。顔子没して、聖學亡ぶ。子貢の學術は、湊泊に易ければ、積習漸・染みて、千百年に至りても、未だ已ま

      まか

ざるなり。先師、後學を憂欄して、此の雨字を將て手に信せて拮出す、乃ち是れ千聖の絶學なり。世儒、自ら省悟せ

      そし

ず、反て映然として指して以て異學と為して、之を非る。夜光の珠、視る者、剣を按ず、亦た其の然るを怪しむこと

無きなり。 顔子は、﹁不善の心が萌せば、それに気づかないということはなかった﹂し、﹁二度と同じ過ちを繰り返すことはなか

った﹂が、これこそ、まさしく﹁徳性の知﹂であり、孔子門下の致知の学であり、所謂﹁学ばず[して能くし、]慮

らず[して知る]﹂良知[の働き]である。[悪しき意念が]発動したとたんに気付くし、気付けばすぐさま改める。 王畿﹁致知議略﹂精読 六五

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東洋大学中国哲学文学科紀要 第十七号 六六        ヒまどい

これっぽっちも凝滞の跡は見られない。それ故に、﹁遠くまで行かないうちに、正しい道に戻るので、後悔に至るこ

    き      すへ      ロ

とはない﹂と言われるのだ。一方、子貢は、たくさん学ぶことに務め、臆測して、的中することもあったが、顔子と

は正反対であった。﹁顔子が没して聖学は亡んだ。﹂︵王陽明︶。子貢の学術は、とっつき易かったため、[たくさんの 人々が]長い間、学習を積み重ねてゆくにつれて、しだいに身に馴染んできて、長い歳月が経過したにもかかわらず、 や

止むことなく、続いている。先師王陽明は、後の学ぶ者たちのことを憂慮して、この﹁良知﹂の二文字を、手探りで

取り出したが、これこそ、千年来、失われていた学問である。[それなのに]俗儒たちは、そのことに気づかず、か

      ヨ       かま

えって、異端の学と見なして、笑いぐさにして非難した。夜光の珠を目にした者が、[その価値に気付かず]剣を按

えてしまうのもまた、不思議なことではない。 ①﹁顔子有不善未嘗不知﹂  ﹃易﹄繋辞下伝に、﹁子日、顔氏之子、其殆庶幾乎。有不善未嘗不知、知之未嘗復行也。﹂とある。 ②﹁徳性之知﹂ 既出.. ③﹁不學不慮﹂ 既出。 ④﹁不遠復、無砥悔﹂  ﹃易﹄復卦・初九交辞、あるいは、繋辞下伝。 ◎﹁子貢務於多學﹂ ﹃論語﹄衛霊公篇の、﹁賜︵子貢︶也、女以予為多學而識之者與..封日、然。非與。日、非也。予一以  貫之。﹂を踏まえる。﹁子貢の学術﹂以下の叙述からすれば、子貢の学術とは、朱子学的読書窮理の学を、暗に意識したもの  であると言えよう、その端は、陸九淵に発す。拙稿﹁良知心学の血脈ー陸九淵・王陽明・王龍渓ー﹂︵﹃陽明学﹄十七号 二  〇〇五︶を参照。 ⑥﹁億而中﹂ ﹃論語﹄先進篇に、﹁回也其庶乎。屡空。賜不受命、而貨殖焉。億則屡中。﹂とあるのを踏まえる。

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⑦﹁顔子没而聖學亡﹂  ﹃伝習録﹄巻上に、﹁問、顔子没而聖學亡。此語不能無疑。先生日、見聖道之全者惟顔子。観唱然一  嘆可見。其謂夫子循循然善誘人、博我以文、約我以禮、是見破後如此説。博文約禮、如何是善誘人。學者須思之。道之全  髄、聖人亦難以語人。須是學者自修自悟。顔子難欲從之、末由也已、即文王望道未見意。望道未見、乃是真見。顔子没、而  聖學之正派、遂不蓋傳 。﹂と見える。 働︸﹁信手拙出﹂  ﹁信手拮来﹂で、﹁手当たりしだい取ってくる﹂の意。﹁文章を書くとき、語彙や材料が豊富で、すらすら書  けることを言う﹂。 ﹁先師一生苦心、將良知爾字信手拮出、直是承接尭舜孔顔命脈、而其言則出於孟氏、非其所杜撰也︵先  師王陽明は生涯苦心し、﹁良知﹂の二字を手探りで取り出してきたが、それは、他でもない、尭舜孔顔の命脈を、正統的に継承       ぶアこゴちあげ  するものであった。その言葉は﹃孟子﹄から出たものであれば、杜撰ではない︶。﹂︵﹁答茅治卿﹂﹃王畿集﹄巻九 二三〇頁︶ ⑨﹁夜光之珠﹂ 蘇東披の﹁士製論﹂に、﹁夜光之珠、明月之壁、無因而至前、匹夫猶或按劒。﹂︵﹃蘇載文集﹄巻三 中華書  局 一九八六 八九頁︶とあり、その注に、﹁漢郷陽上梁孝王書云臣、明月之珠、夜光之壁、以闇投人、於道衆莫不按劔相  跨者。何則元因而至前也.﹂︵﹃経進東披文集事略巻﹄第十三︶とあるのを参照。すなわち、闇の中に突然、出現したものは、  それがどんなに素晴らしい物でも、目が慣れていないため、その価値が分からないことの警え。

   六 ﹁無知﹂と﹁空空﹂

孔子日、吾有知乎哉。無知也。言良知之外別無知也。鄙夫之空空與聖人之空空無異、故叩其爾端而掲。雨端者、是與

非而已。空空者、道之髄也。口惟空、故能辮甘苦。目惟空、故能辮黒白。耳能空、故能辮清濁。心惟空、故能辮是非。

世儒不能自信其心、謂空空不足以蓋道、必假於多學而識以助登之、是疑口之不足以辮味而先滴以甜酸、目之不足以別

   王畿﹁致知議略﹂精読      六七

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東洋大学中国哲学文学科紀要 第十七号 六八 色而先泥以鉛粉、耳之不足以審音而先清以宮羽。其不至於爽失而眩蹟者、幾希 。 ︽校注︾ *﹁能﹂は、前後の文から推測するに、﹁惟﹂の誤りであろう。 孔子曰く、﹁吾、知ること有らんや。知ること無きなり。﹂良知の外、別に知無きを言うなり。鄙夫の空空と聖人の空

空と、異なる無し、故に、其の雨端を叩きて掲くす。雨端なる者は、是と非とのみ。空空とは、道の饅なり。口は惟

だ空なり、故に、能く甘苦を辮ず。目は惟だ空なり、故に、能く黒白を辮ず。耳は惟だ空なり、故に、能く清濁を

辮ず..心は惟だ空なり。故に、能く是非を辮ず。世儒、自ら、其の心を信ずること能わず、空空、以て道を蓋くすに

足らざれば、必ず、多く學びて識るに假りて、以て、之を登するを助くと謂う、是れ、口の、以て味を排ずるに足ら

         し      ぬ

ざるを疑いて、先ず滴めらすに甜酸を以てし、目の、以て色を別つに足らざる︵を疑いて︶、先ず泥るに鉛粉を以て

         ゴらまび       みだ

し、耳の、以て音を審らかにするに足らざる︵を疑いて︶、先ず渚すに宮羽を以てす。其の、爽失して眩蹟するに至

     ニいニ      かエ  らざる者、幾んど希なり 孔子が、﹁吾、知有ランヤ。知無キナリ﹂と言ったのは、﹁良知以外に、特別に知は無い﹂ことを言ったのである。愚

昧な男の﹁空空﹂と聖人の﹁空空﹂とに違いはない。だから、﹁雨端を叩きて掲くす︵その良知の是非を分別する能

      き      ロ  すがた 力を、余すところ無く発揮する︶﹂とあるが、︵その︶﹁爾端﹂とは是と非とにほかならず、﹁空空﹂とは、道の髄なの

である。口[の構造]は中が空っぽである、だからこそ、甘いと苦いを弁別できるのである。目[の構造]は中が空

洞である、だからこそ、黒と白を弁別できるのである。耳[の構造]は中が空洞である、だからこそ、清と濁を弁別

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できるのである.心[の構浩二は中が空洞である。だからこそ、是と非を弁別できるのである。俗儒たちは、自らの

       かロ しっぽ

心[に固有の能力]を信じることができないから、心を空空にする︵欲望と意見を無くす︶だけでは、道を実現発揮

するには不十分であると考え、﹁多く学んで、知識を貯め込む﹂ことの助けを借りて、[道を]明らかに表そうとする

のだが、これは、口だけでは、味を弁別するには不十分なのではと疑念も持って、前もって甜酸︵調味料︶で下味を

       えのく

つけたり、目だけでは、色を識別するには不十分では[と疑念を抱いて]、前もって鉛粉で上塗りしたり、耳だけで

       おんがこ は、音を聞き分けるには不十分では[と疑念を抱いて]、前もって宮羽で増幅したりするようなものである。[そんな ことを続けていれば]その本来の能力を見失って、いずれ目も耳も働かなくなってしまうだろう。 ・㊤﹁吾有知乎哉。無知也﹂ 既出..﹃論語﹄子冗干篇の孔子の語。﹁吾有知乎哉。無知也。有鄙夫問於我。空空如也。我叩其函端  而掲焉.﹂とある。朱喜ば、この﹁知﹂を﹁知識﹂の意に取っている。﹁孔子謙言己無知識﹂︵﹃論語集注﹄︶。 ͡2﹁良知之外、⋮⋮﹂ 王陽明の語。﹁良知不由見聞而有、而見聞莫非良知之用、故良知不滞於見聞、而亦不離於見聞。孔子  云﹃吾有知乎哉.、無知也。﹄良知之外、別無知 。故﹁致良知﹂是學問大頭贈、是聖人教人第一義。﹂︵﹁答欧陽崇一書﹂﹃傳  習録﹄中︶ ︵3︺﹁空空﹂ 注①の﹁空空如﹂を踏まえる。空っぽであること。この場合、知識、意見、先入観による、とらわれの無い心の  状態を言う、王畿は、この孔子の言葉を、﹁私には、︵良知以外に︶知があるだろうか。︵良知以外には︶知はない。﹂と解釈  しているのであろう.、 ④﹁南端者是與非而已﹂ 次の発言を参照。﹁孔子日、﹃吾有知乎哉。無知也。﹄無知也者、空空也。無聖無凡、孔子之空空與  鄙夫之空空、一也。雨端者、良知之是與非也。叩雨端而端、則是非忘芙。﹂︵﹁艮止精一之旨﹂﹃王畿集﹄巻八 一八五頁︶ 王畿﹁致知議略﹂精読 ⊥ハ

(27)

東洋大学中国哲学文学科紀要 第十七号 七〇 ︹◎﹁道之韻﹂ この﹁体﹂は、道の﹁本体﹂ではなく、道の﹁すがた・有り様﹂と捉えた。﹁道之豊﹂という言い方は、既に、  程伊川に、﹁﹃子在川上、日逝者如斯夫﹄、言道之禮︵一作往︶如此。這裏須是自見得。﹂︵﹃程氏遺書﹄巻一九  ﹃二程集﹄  二五一頁︶、﹁﹃人心惟危、道心惟微。﹄心、道之所在、微、道之賠也。心與道、潭然一也。﹂︵同巻二一 ﹃二程集﹄ 二七六  頁︶と見える。木下鉄矢氏は、この前者の﹁道之彊﹂を、﹁﹃目に見えない道の目に見えるすがた﹄と読むのが適当であろう﹂  と言う︵﹃朱喜⋮再読﹄研文出版 一九九九 一九一頁︶。ここも、この意で解釈した。﹁空空︵空っぽ︶﹂ということそれ自体  は﹁目に見えない﹂ものではあるが、﹁空洞﹂であることは、﹁空﹂を内に含んだ構造体として見たとき、それとして見て取  ることの出来るものである。 ⑤﹁心惟空﹂ ﹁心︵の構造︶は中が空洞である﹂と訳したが、これ以前の﹁ロ・目・耳﹂から判断して、この﹁心﹂は﹁心  臓﹂という器官を指すものと理解した。彼らが、﹁心臓﹂を﹁空洞﹂と認識していたであろうことは、次の、朱喜⋮の﹁解剖  学﹂︵?︶的知見に基づいた発言からも窺い知ることができる。﹁凡物有心而其中必虚、如飲食中難心猪心之属、切開可見。  人L亦然。口三琵二虚虞、便包藏許多道理、彌論天地、該括古今。推廣得來、蓋天蓋地、莫不由此、此所以為人心之妙歎。﹂  ︵﹃朱子語類﹄巻九八 二五一四頁︶ ⑦﹁多學而識﹂  ﹃論語﹄衛霊公篇に、﹁子日、賜也、女以予為多學而識之者與。封日、然。非與。日、非也。予一以貫之。﹂  とあるのを踏まえる。 學、

 七 自然の覚

畳而已。白然之畳、

良知也。畳是性髄、良知即是天命之性。良知二字、性命之宗。格物是致知、日可見之行、随

(28)

事致此良知、使不至於昏蔽也。吾人今日之學、謂知識非良知則可、謂良知外於知畳則不可。謂格物正所以致知則可、

謂在物上求正而遂以格物為義襲則不可。後儒謂績知即是已襲、而別求未登之時、所以未免於動静之分、入於支離而不

自畳也。

學、畳るのみ。自然の貴は、良知なり。畳は是れ性賠、良知は即ち是れ天命の性なり。良知の二字は、性命の宗なり。

      ひ が

格物は、是れ致知の、日・見るべきの行いにして、事に随いて、此の良知を致して、昏蔽に至らざらしむるなり。吾

人、今日の學、﹁知識は良知に非ず﹂と謂うは則ち可なるも、﹁良知は知畳を外にす﹂と謂はば則ち不可なり。﹁格物

は、正に知を致す所以﹂と謂うは則ち可なるも、﹁物の上に在りて正を求む﹂と謂いて、遂に格物を以て義襲と為す

は則ち不可なり。後儒、逢かに知れば即ち是れ已登と謂いて、別に、未登の時を求む。未だ動静の分を免れずして、

支離に入りて、自畳せざる所以なり。

﹁学ぶ﹂とは、覚る︵吾が心の良知に覚醒する︶ことにほかならない。[思慮や作為の手を借りることなく]自ずと

[是非善悪を]判断するのが、良知である。[良知が]覚醒している状態が、心の本来のすがたなのだ。良知こそ、ほ かでもない、天が命じた人問の本性である。﹁物を格す﹂とは、この良知を発揮することを、﹁日々、目に見えて明ら

かにしてゆく実践﹂であり、具体的な出来事に基づいて、この良知を発揮して、[良知のはたらきを]鈍らせたり、

おお

蔽い隠してしまわないようにすることである。われわれは、当世の学問について、﹁知識は良知ではない﹂と言うの

はよいとしても、﹁良知は、知覚とは無関係である﹂と言うのはよくない。また、﹁物を格すのは、まさしく知を致す ための手段である﹂と言うのはよいが、﹁[具体的な]事物の上で、正しさを求める﹂と言いながら、結局、格物を、 王畿﹁致知議略﹂精読 七一

(29)

   東洋大学中国哲学文学科紀要 第十七号      七二 ﹁義襲︵外から奪い取ってきて、上辺を繕うこと︶﹂とみなしているのは、よくない。後儒は、﹁ちょっとでも知った

なら、もう発動している﹂と言って、[良知とは]別に未発の時︵まだ発動していない、純粋なる状態︶を求めよう

とする。まだ︿動﹀対︿静﹀という二元論から抜け出すことができずにおり、[核になるものを失って]分裂状態に

陥りながらも、自分では気づいていない証拠だ。   ①﹁學、費而己﹂ 本来は、﹃論語﹄学而篇﹁学而時習之、不亦説乎﹂の﹁学﹂の解釈であった。﹁一部﹃論語﹄、開首只説個    學字。學者、畳也。時習便是常畳。畳與夢封。夢中顛倒陣吟、苦境萬愛。苦與悦封。學而常貴、則苦境自忘而悦、所謂理義    之悦我心也。⋮⋮﹂︵﹁九龍紀講﹂﹃王畿集﹄巻三 五六頁︶   ②﹁性膿﹂ 次の用例を参照。﹁ロバ因聖學不明、漢之儒者強説道理、泥於刑名格式・執為典要、失其愛動周流之性罷﹂︵コニ山    麗澤録﹂﹃王畿集﹄巻一 一五頁︶、﹁未登之中是千古聖學之的。中為性禮、戒憧者、修道復性之功也。﹂︵﹁書婆源同志會約﹂    同巻二 三九頁︶﹁未襲之中、性纏也﹂︵﹁中庸首章解義﹂同巻八 一七九頁︶、﹁虚寂原是性農﹂︵﹁致知議辮﹂同巻六 一四    一頁︶など、﹁変動周流﹂と言い、﹁中﹂と言い、﹁虚寂﹂と言い、いずれも、心本来のあるべきすがた︵本来態︶を言った    ものである。   ③﹁日可見之行﹂ ﹃易﹄文言伝に、﹁君子以成徳為行、日可見之行也﹂とある。   ①﹁義襲﹂  ﹃孟子﹄公孫丑上篇に、﹁敢問何謂浩然之氣。﹂日、﹁難言也。其為氣也、至大至剛。以直養而無害、則塞干天地    之間。其為氣也、配義與道。無是、霞 。是集義所生者、非義襲而取之也。行有不傑於心、則霞 。我故日、﹃告子未嘗知    義、﹄以其外之也。﹂とあるのに拠る。   ⑤﹁後儒﹂ 北宋の程願︵伊川︶。次の問答を踏まえる。  蘇季明問﹁中之道與喜怒哀樂未獲謂之中、同否。﹂日﹁非也。喜

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 怒哀樂未登是言在中之義、只一箇中字、但用不同。﹂或日﹁喜怒哀樂未登之前求中、可否。﹂日﹁不可。既思於喜怒哀樂未登  之前求之、又却是思也。既思即是已襲。︹思與喜怒哀樂一般。︺績護便謂之和、不可謂之中也。﹂︵﹃程氏遺書﹄巻十八  ﹃二  程集﹄ 二〇〇頁︶。 ⑥﹁後儒謂綾知即是已襲⋮⋮﹂ 次の程子の発言をベースにした議論であろう。  ⋮⋮或日﹁喜怒哀樂未登之前求中、可否。﹂  日﹁不可。既思於喜怒哀樂未登之前求之、又剤是思也。既思即是已登。思與喜怒哀樂一般。纏獲便謂之和、不可謂之中也。﹂  ︵同上︶。また、それに依拠した、覇讐江の次の発言を参照。﹁程子云﹃不賭不聞便是未襲之中、説襲便属賭聞﹄、猫知是良知  的萌芽慮、與良知似隔一塵。此慮著功、難與半路修行不同、要亦是半路的路頭也。﹂二致知議略﹂﹃王畿集﹄巻六 一三五  頁−﹁答王龍渓﹂﹃轟豹集﹄巻=  三七七頁︶ ⑦﹁未免於動静之分﹂ 王畿は、このように、動/静、有/無、体/用、未発/已発の二元論からの脱却・解放を、繰り返し  論じている。たとえば、この﹁致知議略﹂における、﹁良知即是未襲之中、即是襲而中節之和、此是千聖斬關第一義、所謂  無前後内外、潭然一膿者也。﹂︵1︶、﹁掲知無有不良、不賭不聞、良知之豊。顯微禮用、通一無二者也。﹂︵2︶といった発言。  更に、﹃中庸﹄の﹁不賭不聞﹂﹁独﹂﹁戒慎恐催﹂の解釈に触れつつ、朱喜⋮︵二元論︶と王守仁︹=兀論︶の思考方法の違い  を論じた、王畿の、次の発言を参照。﹁⋮⋮晦翁既分存養省察、故以不賭不聞為己所不知、掲為人所不知、而以中和分位育。  夫既己所不知 、戒慎恐憧執從而知之。既分中和位育 、天地萬物執從而二之。此不待知者而辮也。先師則以不賭不聞為道  鰐、戒慎恐憧為修道之功。不賭不聞即是隠微、即所謂掲。存省一事、中和一道、位育一原皆非有二也。晦翁随庭分而為二、  先師随虚合而為一、此其大較也..⋮⋮﹂二書婆源同志會約﹂﹃王畿集﹄巻二 三九頁︶。王畿の思索の特質は、まさに、この  体と用、寂と感、未発と已発、微と顕といった、朱子学の二分法、二元論的思考からの解放、もしくは、その脱−構築にあ  ると言えよう。ここに王畿の良知心学の本領がある。ただ、王畿の当時の﹁朱子学﹂とは違い、朱喜⋮自身の思索が、二元論 王畿﹁致知議略﹂精読 七三

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