とNGO/ボランティア・セクター)
著者
大菅 俊幸
雑誌名
国際地域学研究
巻
-号
15
ページ
20-30
発行年
2012-03
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00003659/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja震災から180日
SVA 東日本大震災・被災者支援の歩み
大 菅 俊 幸
∗1.はじめに
公益社団法人シャンティ国際ボランティア会(SVA)は、1981 年に発足した教育分野の国際協力 NGO である(曹洞宗国際ボランティア会、1996:シャンティ国際ボランティア会、2011)。東京事 務所を中心拠点とし、タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマー(ビルマ)難民キャンプ、アフガニ スタンの国々に、海外事務所を置いて活動している。2010 年は、これらの国々の子どもたちに 6 万 冊の絵本を届け(累計66 万冊)、各地に 22 棟の小学校校舎(累計 284 棟)を建設した。 また、1995 年に発生した阪神淡路大震災以降、これまで国内外で 20 回を越える災害救援活動を 実施した。それらの経験を極力活かしつつ、宮城県気仙沼市と岩手県遠野市に事務所を開設し、現 在、東日本大震災の被災地支援活動に取り組んでいる。当会の2011 年 8 月までの活動のあらましと、 そこから見えてきたものの一端についてお伝えしたい。2.こうして緊急救援は始まった
2-1 まずは現地へ 東日本大震災発災の翌日、3 月 12 日。急遽、当会スタッフ 7 名による緊急救援タスクチームを編 成。現地派遣と支援活動の組み立てのため、初動活動を開始することを決めて、すぐに業務執行理 事の確認を得た。 東北在住の関係者の安否確認、現地の情報収集、現地入りの準備、募金活動や広報に向けての準 備を始める一方、あわただしく電話が入り、災害ボランティア活動支援プロジェクトや東京災害ボ ランティアネットワーク、曹洞宗関係機関、全国青少年協議会などから、続々、支援活動における 連携の要請を受けた。 3 月 15 日、山形県在住の当会副会長、三部義道が車で被害状況の視察のため被災地に入った。ま ず宮城県気仙沼市に入り、そこから北上して岩手県の陸前高田市、さらに釜石市、大槌町へと向か った。これまで阪神淡路大震災の現場や中越地震災害の現場に立ったことのある三部であるが、今回、目の当たりにした悲惨さはそれまでとはるかに違うことを伝えてきた。 「火災に見舞われれば別ですが、そうでなければ、地震により家屋が倒壊したとしても、そこに まだわが家はあるわけで、衣類や貴重品、思い出の品を探し出し、掘り出すこともできました。し かし、津波による災害は、根こそぎすべてを奪い去ってしまうものだと思い知らされました。家を 失い、車を失い、町を失い、愛する家族を失った、多くの人々の悲しみと絶望を思う時、どのよう にこの災害と向き合っていけばいいのか、この国の人々が総力を結集して立ち向かわなければ、と ても乗り越えることはできない」 被災地は南北に縦長に広がっており、道路が寸断され、ガソリンも不足し、思うように動けない。 したがって、関東以南からの支援は難しく、北に行けば行くほど支援の手が薄くなっている。それ ゆえ、今回の支援は、西から東へという支援の動き、すなわち、山形や秋田から岩手、宮城、福島 を支援する動きが有効ではないかと伝えてきた。 さらには、物資は被災地まで届いているが、電話がほとんど使えないために、横の連絡がとれず、 支援の偏り、分配の偏りがみられる。報道されているような大きな避難所だけでなく、隠れた被災 地への細かなリサーチと支援が早急に必要であると訴えていた。 曹洞宗の僧侶でもある三部は、このような現地視察と同時に、方々の寺院を訪ね、これから始め る救援活動の場所を提供してくれる寺院を探した。当会の前身は、曹洞宗ボランティア会であり、 多くの熱意ある僧侶に支えられてきた団体でもある。これまでの国内災害においても、全国の寺院 や僧侶との連携を念頭に活動を組み立ててきた。地域に根ざし、室内外に広い空間を有する寺院は、 被災地における活動拠点としてとても有効である。今では、お墓のある場所という印象が強い寺院 であるが、近世までは地域の避難所や福祉施設としてのはたらきを果たしてきた歴史がある(阿部、 1981:網野、1996:佐藤、2006:参照)。 2-2 救援活動の準備 3 月 16 日、事務局次長の市川斉と緊急救援担当スタッフの白鳥孝太の二人が被害状況の調査のた め、現地入りした。二人は三部とも連絡をとりな がら、まず宮城県石巻市に入り、そこから北上し て南三陸町を経て気仙沼市へと入っていった。そ して、その結果を踏まえ、関係者とも検討の上、 気仙沼市に拠点を置くことが決まった。というの も、仙台までは、比較的、交通のアクセスがよく、 多くの支援の手が入ることが予想された。それよ り、むしろ宮城県北部と岩手県南部の海岸部が支 援の手も届きにくく、必要性が高いのではないか と考えたからである。気仙沼に拠点を置き、さら に余力ができれば、そこから南北に活動地を広げ 瓦礫となった家に戻り、探し物をする男性。 (3 月 18 日、石巻市)
ることも想定した。 3 月 25 日、緊急救援担当としての経験を有する海外事業課スタッフ鈴木晶子と広報課スタッフの 青島寿宗の二人が気仙沼に入った。気仙沼ボランティアセンター立ち上げの支援と、今後、活動拠 点とする寺の事前調査のためである。気仙沼市内の少林寺が候補地として考えられた。同じく宝鏡 寺には倉庫として様々な物資を置かせていただくことになった。 3 月 26 日、三部、市川、白鳥の調査をもとに策定した事業計画案を臨時理事会に提出。ただちに 承認された。まずは被災者の衣食住を確保する活動に取り組むこと。そして、地元の団体との連携 や、全国各地とつなぐプロジェクトの実施。さらにはコミュニティ復興支援も視野に入れた計画で、 予算規模1 億円、1 年間の活動期間、と決定された。また同日、東京新宿区信濃町の真正会館にお いて、一般対象の被災地報告会を開催。市川と三部が現地視察の結果を報告した。 2-3 気仙沼ボランティアセンター立ち上げと運営を支援 まず、SVA は気仙沼の社会福祉協議会に協力して、ボランティアセンターの発足に協力すること を決めた。行政職員自身も被災者であり、救援体制が整うには時間がかかることが予想されたから だ。ただ、それだけでなく、地域の復興は地元の人が中心になって行うもので、私たちはその支え 手であるべき、という考えからでもある。私たちは、所詮、よそから来た者。いつかは去ってゆく 者である。SVA という看板を背負って活動するにしても、地元の人々との信頼関係がなければ、地 元に密着したいい活動はできない。 この背景には、阪神淡路大震災の支援活動の時の苦い体験がある。当時は、明確な受け入れ体制 が整っていなかった。神戸の行政職員も被災者であり、大勢のボランティアがかけつけても、被災 状況を把握し、コーディネートする人がいないため、立ち往生する人も少なくなかった。ボランテ ィア難民という言葉も生まれた。コーディネーターが鍵であること、地元の人々、地元の団体と連 携し、信頼関係を構築することが肝要であることを痛い程学んだ。それは、SVA だけではなく、す べてのボランティア団体が受けた洗礼であったと言っても過言ではない(シャンティ国際ボランテ ィア会、2000)。 今回、当会の白鳥孝太、鈴木晶子の両スタッフは、まず気仙沼市の社会福祉協議会の一員として、 ボランティアセンターの立ち上げに関わり、軌道 に乗るまで一緒に活動することにした。 2-4 気仙沼事務所を開設 その一方で、SVA としての拠点づくりも進め ていた。いくつかの候補があったが、結局は、清 凉院という寺院のご好意により、その境内に事務 所を建てさせていただくことになった。多くのご 支援により、4 月 15 日、気仙沼市本吉町、清凉 SVA 気仙沼事務所
院境内にコンテナハウスを設置(事務室、物資倉庫、最大25 名が宿泊可能な宿泊棟)し、いよいよ 気仙沼事務所が開設となった。車両8 台(2t トラック 1 台、軽トラック 2 台、乗用車 5 台)を投入。 緊急救援担当スタッフの白鳥孝太、東さやかを中心として、他に約15 名前後のボランティアが活動 する体制が整えられていった。
3.緊急救援活動 ― 3 月から 5 月の活動
こうして展開した生活支援、まちづくり支援であるが、当会はもとより、教育支援を専門として きた団体でもあり、子どもたちの支援も念頭に置いて活動を組み立てた。3 月から 5 月まで取り組 んだ主な活動は次の通りである。 1)気仙沼市災害ボランティアセンター立ち上げと運営支援 白鳥、鈴木の二人を派遣し、気仙沼市の社会福祉協議会と協働し、災害ボランティアセンターの 立ち上げと運営支援に取り組んだ。また、同センターと連携して本吉町の前浜地区を中心に、被災 家屋周辺に散乱した瓦礫の撤去や津波によって破砕した神社の鳥居の片付けを行った。3 月 28 日、 気仙沼市災害ボランティアセンター開設。白鳥と鈴木は4 月末までサポートにまわった。 2)避難所巡回 他のボランティア団体と分担し、本吉地区と唐桑地区の21 の避難所を巡回担当。1 日に 4、5 カ 所を巡回。ニーズ調査、炊き出し、入浴送迎の調整を行った。 3)炊き出し 全国の協力団体とともに、陸前高田市や気仙沼市本吉地区の避難所や小学校16 カ所で約 6000 食 を配食した。 炊き出しに喜ぶ子どもたち (3 月 21 日、気仙沼市・浄念寺の避難所) 小学生へ文房具の配布(3 月 21 日、気仙沼市松岩小学校)4)文具セット配布 宮城県と気仙沼市の両教育委員会と連携し、4 月19 日、市内の 11 カ所の小学校にノートや鉛筆 など18 種類の学用品セットを配布した。 5)入浴プロジェクト。4 月 21 日~5 月 30 日。 水道などのインフラが整っていない地域を中 心に、1 週間に 9 カ所の避難所を対象として、温 泉施設への送迎を実施。5 週間に 45 回運行し、 各避難所から、のべ743 人が利用した。また、5 月14 日~16 日には、山形県最上町の観光協会主催の山形温泉ツアーを行い、10 カ所の避難所から 合計183 人が参加した。 6)行茶プロジェクト。 この活動は、避難所を訪問し、緑茶やコーヒーを一緒に飲みながら、避難所にいる方々の声に耳 を傾ける傾聴活動である。4 月 21 日より開始。地元僧侶の有志を中心に 5 月末まで 3 カ所の避難所・ 集会施設で計6 回実施。各回 20~50 人が参加した。 7)絵本を届けるプロジェクト 気仙沼市内の階上小学校、津谷小学校、小泉小学校、馬籠小学校へ絵本、図鑑、児童書を配布した。 8)あそびーばー(協力事業)
NPO 法人日本冒険遊び場づくり協会(プレイパーク)、Youth for 3.11 と協力し、4 月 26 日、気仙 沼市大谷地区に、子どもたちの「遊びの場」(あそびーばー)を開設した。子どもは大人と違って自 分の体験を言葉によって充分に表現できない。しかし、遊びを通して、心の傷を癒すことができる。 「遊びの場」には、手作りのすべり台、調理場、ターザンロープなどがあり、プレイリーダーのも とで安心して遊ぶことができる。来場数は、週末、 子ども約100 人、大人 20~30 人。平日や雨天の 日には、子どもが約20 人集まった。
4.緊急から復興へ(6 月~8 月の活動)
4-1 祈りの日々 震災から3 カ月たった 6 月。「遺体が見つかって、 おめでとう、というのはおかしいと思うんだけど、 岩手県一関市への温泉ツアー(4 月 25 日) あそびーばー(子どもたちの遊び場)そう言ってしまう」。このように語らう避難所の人々。まだ行方不明の人も多く、身近な人の遺体が見 つかるように祈り続ける人々の姿があった。避難所から仮設住宅への移行もなかなか進まないためにス トレスが溜まっている人も多く見受けられる。折しも、夏まつりの季節を迎え、このような人々が少し でも元気を恢復できるよう、地域のお祭りやイベントの運営などの手伝いに力を注ぐこととした。 一方、6 月 10 日の理事会において、活動期間を 2 年間に延長すること、予算規模を 2 億円へ変更する ことが決定された。1 年という期間では短いという 判断からである。人的体制においても、地元の人と 活動することを大切に考え、6 月 21 付で、気仙沼事 務所のスタッフとして、地元在住の笠原一城を現地 採用。同じく、8 月 1 日付で、同事務所広報担当兼 総務補佐として、里見容を現地採用することとなっ た。3 月に開始した緊急救援募金の額は、5 月末の 時点で1 億 9260 万 5286 円に達していた。これまで の緊急救援募金より圧倒的に早いペースである。 4-2 お祭りの運営サポート 8 月 14 日、気仙沼市本吉町で「平磯地域復興祭」が開催され、この地域に伝承される伝統芸能「虎 舞」が披露された。SVA も運営の裏方を手伝い、かき氷の出店で参加した。また、気仙沼で現地採 用された地元出身の笠原は、地元の人々に請われて、初体験の虎舞の演舞に参加した。じつはこの 開催まで紆余曲折があった。津波で道具一式が失われ、一時は、今年の開催の中止が検討されたの だ。しかし、全国からの支援によって、「平磯虎舞保存会」が復活し、大谷地区の「大漁唄い込み」 などとともに、当日の舞台で晴れて披露されることになった。この復興祭を今年もぜひ実現したい と、震災直後から、地域の人々に働きかけ、こつこつと浜辺の清掃をしてきた人々もいたという。 そのような熱意によって実現した祭りである。 「やっぱり、俺たちは海でしか生きられない。これが生きがいだべ」と、誇らしげに語る漁師た ちに活気が甦っていた。1980 年代のカンボジア難民キャンプでも、阪神淡路大震災後の神戸でも感 じたことであるが、伝統文化や祭りというものが、戦火の下にある人々や災害を受けた人々に、い かに大きな元気を与えるものであるか、改めて感じさせられた。 4-3 地域コミュニティ支援 こうして手伝ったお祭りやイベント開催は、次の通りである。 1)お祭りの手伝い 7 月 23 日~24 日、唐桑半造星まつり。8 月 13 日、がんばっつぉー唐桑夏祭り 8 月 13 日~14 日、気仙沼みなと祭り。8 月 14 日、平磯地域復興祭。 気仙沼の郷土芸能「虎舞」(8 月 14 日、平磯地域復興祭)
8 月 15 日~16 日、小原木鎮魂のつどい 2)イベント実施、調整など――地域、避難所、仮設住宅において 6 月 4 日、登米沢凧作り。6 月 12 日、法話会。8 月 5 日、東日本遺父母の会。 6 月 18 日、新月中学校健康支援プロジェクト。7 月 19 日、東長寺コンサート。 7 月 19 日、石川さゆりコンサート。 3)その他、行茶、青空カフェを実施(7 カ所で 15 回)。足湯活動を調整(4 カ所 6 回)。温泉ツアー を実施。 4-4 子ども支援 震災の影響により、小中学校の夏休みは、始業式の遅れに伴って、例年にくらべ期間が短くなっ ていた。それに伴って授業の遅れが心配されていたが、学生ボランティアが主体となって、4 カ所 で25 回の学習支援を行った。また、気仙沼市内の 9 カ所の幼稚園や小学校に防災ずきんを配布した。 6 月に気仙沼市内で行われた避難訓練において、子どもたちが使用した。 4-5 炊き出し 8 月 15 日までに、16 カ所の避難所で、7068 食分の炊き出しを実施した。
5.いわてを走る移動図書館プロジェクト、発進
5-1 SVA の特徴をいかした活動を 「SVA らしさを活かした活動ができないだろうか」「子どもたちのための図書館活動はできない だろうか」。気仙沼での活動を開始して1 カ月ほどたったころ、支援者やスタッフの中から、そんな 声があがり始めた。そこで、5 月 2 日、岩手県沿岸部の被災地にある図書館の現状視察と、支援の 可能性を探るため、事務局次長の市川斉と広報課長の鎌倉幸子が岩手に向かうことになった。鎌倉 は、かつてカンボジアの図書館事業の調整員として9 年間活動した実績をもち、SVA では内外の図 書館支援事業に最も通暁しているスタッフである。 5 月 2 日、盛岡市にある岩手県立図書館訪問から始まって海岸部に移動し宮古市へ。そこから南 下して山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市へ。5 月 6 日まで、5 日間の調査であった。 とくに陸前高田市立図書館、大船渡市立三陸公民館図書室、大槌町立図書館、山田町立図書館を訪 ねると、予想されたとはいえ、いずれも壊滅状態。備品も流失し、まったく機能していなかった。 大船渡の図書館は当分の間休館。その他は、再開の目処さえ立たないという状況であった。とくに 陸前高田市立図書館は、図書館員が全員行方不明か死亡ということであった。それでも、被災した 地域の図書館員に話を聞くと、希望を捨てていないことがわかった。「こんな時だからこそ、今出会う本が一生の支えになると信じています」「本を読む文化を残していく手伝いをしてもらえるだけで ありがたい」。支援に対する期待感がにじんでいた。とはいえ、行政職員のお話から、図書館の復興 などは一番後回しになることが推測された。 被災した子どもたち、大人たちのために、読書の機会を提供する――。これまでの蓄積を活かし、 まさにSVA がとりかかるべき仕事ではないか。そのような結論に達し、事業計画を立案して提出し た。そして5 月 13 日の業務執行理事会を経て、6 月 10 日の理事会において、移動図書館活動を中 心とした岩手県における図書館事業の計画案が承認された。対象は、岩手県山田町、大槌町、大船 渡市、陸前高田市の仮設住宅など。仮設住宅の人々の孤立化を避ける意味でも、本の貸し出しだけ でなく、定期的に小さなイベントも行い、交流できる場となることも配慮する。そして、終了時期 は、仮設住宅が閉鎖となる2 年(または 3 年)後、行政のサービスが終了する時点までをめどとするこ と。その後は、地元NPO を立ち上げ、撤退後も一定の資金提供で応援することなどが盛り込まれた。 車に図書を積んで各地を廻って読書を推進するこの活動は、創立以来、30 年間にわたって取り組んで きたSVA にとって最も伝統ある活動である。1980 年代にカンボジア難民キャンプを車で周り、子どもた ちに読書の機会を提供したのがこの活動の出発点であった。アジア諸国で実践してきた活動を、日本の被 災地で取り組むことになり、これまでの蓄積を日本という土壌でどう活かせるか、新しい挑戦となった。 5-2 遠野市に岩手事務所オープン すでに5 月から始めていた岩手の拠点探しであるが、被災地に比較的近く、アクセスも便利な、 岩手県遠野市に事務所を借りることに決定。借りた場所は、元縫製工場。工場は数年前に閉鎖され て、人の出入りがなかったため、最初の1 週間は床ふきなどの掃除や壁貼り。そして、倉庫の本棚 の組み立て。本の受取と整理。貸し出しシールを貼る作業など、ほぼ1 カ月、ボランティアたちの 精力的な活躍で準備が整った。 スタッフ体制も、鎌倉が広報課長と兼務で岩手県図書館事業のスーパーバイザーに、同じく、国 内事業課の古賀東彦が岩手県事務所現地責任者として、6 月 1 日付で発令された。また、岩手の人 と一緒に活動したいという願いから、図書館担当スタッフとして7 月 1 日付で田中明博を岩手で採 用。その後、8 月 1 日付で、同じく図書館スタッフとして吉田晃子、そして経理・総務担当として 千葉りかを地元から採用することになった。 5-3 図書館車、岩手を走る 7 月 17 日(日)、午前 8 時過ぎ、まだ名前もない移動図書館車が岩手事務所を発進。「いわてを走 る移動図書館プロジェクト」がようやく始まった。軽トラックに本棚を積んだ小さな図書館車を先 頭に、4 台の車にスタッフ、ボランティア計 12 人が分乗し、一路、陸前高田市へ向かった。
寄贈を受けた1 万 5000 冊余りの本から、約 800 冊の絵本、コミック、小説、料理本などを選び抜き、 初日は、竹駒、高田、広田、小友の4 地区の仮設住宅を回った。最初にやって来たのは子どもたちであ った。「何やってるの?」「マンガ読んでもいい?」「わたし、絵描く」。子どもたちのはしゃぎ声が呼び 水になって、その後、いろいろな方が立ち寄ってくれた。「仮設にいて本が借りられるなんてありがた い」「この本は子どもが大好きで、家にも置いてあったんですよ。津波で全部流されたけど……」。 本の貸し出しだけではない。手にした本をきっかけに、みんなの話が広がる。本について、3 月 11 日に体験したこと、昔このあたりに嫁いできたころの話、滞在時間の 1 時間はあっという間に過 ぎていく。こうして、7 月 17 日の初めての運行から 8 月末まで、36 回の移動図書館活動を実施。433 人が利用し、901 冊の本が貸し出された。
6.今後に向けて
募金総額は、9 月 6 日現在で、2 億 7184 万 4234 円。これまでの災害時と桁はずれである。バンコ クのスラムやラオス、カンボジアなど、SVA の活動地からもいちはやく寄せられた。彼らの生活水 準は高くないはずなのに、そう思うと頭が下がる思いである。 このような温かいご支援を背景に、これからも、 SVA は、地縁社会を礎にした地域の暮らしの再 建をサポートしていく。今後は仮設住宅に入居し た方々が孤立感を深めたり、孤独死の問題が起き ないよう、地域の住民組織などと連携して、見守 る仕組みづくりが必要とされる。 そして、何と言っても必要とされているのは、 生業復興のための支援である。被災した沿岸部の 人たちは観光や漁業、およびそれに関連する産業 移動図書館で本を借りる子どもたち(7 月 17 日、陸前高田市) 移動図書館車のデビュー(7 月 17 日、陸前高田市) バンコク、クロントイ・スラムで、自発的に行われた募金活動が壊滅的な打撃を受けたため、生業(漁業)の復興なくして生活再建はありえない。といってSVA 単独での実施は困難である。行政、企業、専門家、NPO などとも連携し、たとえば、生産者と消費 者をつなぐ一村一品運動のようなものを検討していくことが必要と考えられる。 また、この夏、祭りの開催に関わることを通して、伝統文化の復興を通して人々が活性化できる 可能性が見えてきた。「文化」というアイデンテイティを取り戻し、心の拠り所をもつことによって、 復興をはかる営みは、SVA が創設以来、大切にしてきたことでもある。日本各地の人々との交流、 SVA が関わっているアジアの人々や伝統芸能との相互交流など、SVA が仲立ちとなって実現可能な 方向が開かれてきたと思われる。 岩手の図書館事業については、冬場は野外での移動図書館活動は困難となるので、仮設住宅にあ る集会所や談話室に本棚を設置する。本は定期的に入れ替える。また、大槌町と陸前高田市には仮 設図書館を設置し、敷地内の仮設住宅や周りにお住まいの方に開放する予定である。 福島県においては、地元のSVA の支援者と情報交換を続け、時に現地に赴き、「被災地応援寄席」 のイベントなどを開催し、ささやかであるが、福島と各地を結ぶ役割を担っていく。
7.おわりに
未曾有の災害をもたらした東日本大震災は、いかに生き、いかに死を迎えるか、そして愛する人 を喪失した後、いかに生きるか、そして、そのような人々をどう支えるか。そのような人生の最重 要課題を大きく浮き彫りにした。 たとえば、8 月のある日、気仙沼市本吉町前浜地区に住むある女性が、当会の気仙沼事務所に訪 ねてきて言った。「私の弟夫婦、子どもを亡くして気を落として今も何も手がつかずに苦しんでいる んです。親を亡くした子どもは注目されますが、子どもを亡くした親は注目されない。子どもを亡 くした親のための集まりをつくってもらえないでしょうか」。その声を重く受けとめ、仙台にある専 門の団体と連携して、定期的な集いを実現することになった。 そこで思ったことがある。それは、このように、愛する存在を突然に失い、内に秘めた悲しみを 他に語れず、悶々と苦しんでいる人は少なくないのではないか、ということだ。一日も早い復興を、 とよくいわれる。しかし、目に見えるものだけではなく、傷ついた心を癒し、立て直す、心の復興 がなければ、本当の復興になりえないのではないだろうか。そのことを忘れてはならないと思う。 引用文献 阿部善雄著(1981)『目明かし金十郎の生涯』、中央公論社。 網野義彦(1996)『無縁・公界・楽』、平凡社。 佐藤孝之(2006)『駆込寺と村社会』、吉川弘文館。 曹洞宗国際ボランティア会(1996)『アジア・共生・NGO』、明石書店。 シャンティ国際ボランティア会(2000)『混沌からの出発―SVA 阪神・淡路大震災救援活動の歩み』、シャンティ国 際ボランティア会。 シャンティ国際ボランティア会(2011)『図書館は国境をこえる』教育史料出版会。Shanti Volunteer Association’s Disaster Relief in Miyagi and Iwate Prefectures
Toshiyuki OSUGA
Established in 1981, Shanti Volunteer Association (SVA) has been working as a voluntary international non-governmental organization in Asian countries. When Tohoku Earthquake and Tsunami occurred on March 11, 2011, they began relief operation in Kesennuma, Miyagi Prefecture. Later, SVA set up another office in Tono, Iwate Prefecture as well. This paper describes SVA’s activities up to August, 2011: providing relief supplies, supporting establsishment of Disaster Volunteer Center, mobile library, and arranging various cultural programs.