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(1)

貨幣の商品化と資金--宇野弘蔵の問題

著者

今東 博文

著者別名

Imahigashi Hirohumi

雑誌名

経済論集

17

1

ページ

p19-35

発行年

1991-10

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00005449/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

東洋大学「経済論集

J

17巻 1号 1991年 10月

貨幣の商品化と資金

一 一 宇 野 弘 蔵 の 問 題 一 一

今 東 博 文

I . 利子生み資本論の問題点 II. 資 金 論 III. 投資と貸し付け---*吉ぴにかえて

1

.

利子生み資本論の問題点

マルクスは,貨幣資本家Aから機能資本家(産業資本家,商業資本家,生産資本家)Bに貸し付け られる貨幣に即して,利子生み資本(zinstragendesKapital)を規定しこの貨幣は,潜在的,可能的 に, (平均)利潤を生む資本として機能しうるという使用価値を有するものとして商品化し,そのこ とは同時に資本が資本として商品化することにはかならないものとする

u

資本論1).]第

3

巻第

5

篇 「利子と企業者利得とへの利

i

聞の分割,利子生み資本」第21章「利子生み資本2)J)。すなわち, 「貨幣一一ここではある価値額が,事実上貨幣として存在するか,商品として存在するかを問わ ず,その独立の表現として考えられたものーーは,資本主義的生産の基礎の上では,資本に転化 されることができ,この転化によって,与えられた一価値から, 自己自身を価値増殖し自己を増 1)Karl Marx. Das Kapital. Bd. 1 • 1I . III. in:Marx-Engels Werke. Bd. 23. 24. 25, Dietz Verlag.1962. 1963. 1964向 坂逸郎訳 r資本論J(1)-(9),岩波文庫, 1969-1970年。引用に際しては .(K.,II1.S.364.岩(7),31ベージ)のように略記す る。なお,訳文は必ずしも上記邦訳書どおりではない。 2 )本章のク IJティークとして,宇野弘蔵編 r資本論研究JV,筑摩書房, 1968年, 3 -12ベージ(鎌倉孝夫稿),大内秀明・ 桜井毅・111口重克編『資本論研究入門』東京大学出版会.1976年,第Vll章(木村一朗稿).佐藤金三郎・岡崎栄松・降旗節雄・ 山口重克編 r資本論を学-;~J V.有斐閣, 1977年, 18-29べージ(鎌倉孝夫稿).桜井毅・111円重克・f宅美光彦・伊藤誠編 r経 済学J 1.有斐閣.1980年,第Il部第6章(馬i度尚憲稿).を参照。なお,拙稿「資本機能の商品化について』折原絡・今 東博文・佐藤公俊編『現代ポリテイカル・エコノ Eーの問題構成』社会評論社, 1991年をも参照されたい。 - 1 9

(3)

大させる価値となる。それは利潤を産む。すなわち,一定量の不払労働を,剰余生産物と剰余価 値色労働者から引き出して,わがものとする能力を資本家に与える。かくして,それは貨幣と しての使用価値のほかに,一つの追加的使用価値を,すなわち,資本として機能するという使用 価値を与えられる。ここでは,貨幣の使用価値は,まさにそれが資本に転化されて産み出す利潤 に存する。この,可能的資本としての,利潤の生産のための手段としての属性において,貨幣は 一つの商品に,ただし一種独特な商品になる。または,同じことになるが,資本は資本として商 品となる

J

(K.. III, S. 350-351,岩(7),8ページ)。 ここに.

i

可能的資本としてのj貨幣の商品化という事態,

i

資本は資本として商品となる」とい う事態とは,借り手Bにおいてこの貨幣が貨幣資本として「利潤の生産のための手段」として機能し うるものとして,貸し手

A

から借り手

B

'

こ譲渡されるということである。この貨幣は

B

にとってのみ 「可能的資本」なのであって, Aにおいては利子を生むものではあるにしても,この貨幣の「利潤の 生産のための手段としての属性」は否定きれている。すなわち,マルクスの設例に拠って,機能資 本家

B

が借り入れた100ポンドで20ポンドの利潤を生産し,そのうち5ポンドを利子として

A

に支払 うとすれば, Aは,自らこの100ポンドを充用すれば20ポンドの利潤が得られるにもかかわらず 5 ポンドの利子だけで満足するという,資本家的には不合理な存在であることになる叱資本主義的商 品経済における資本は,利子を生むことをも利潤実現の手段とするものとして,すなわち,利子を 利潤として実現するものと規定されるべきなのであるが,ここで, Aが5ポンドの利子を得ることで 満足する資本家とされ,

A

の100ポンドが

A

においては利潤を生むものとしては捉えられていないの は,資本家Aが,産業資本家あるいは商業資本家の資本家的活動から疎外されたものとして想定きれ ているからである。「最初に100ポンドを資本として支出するのは実際はAなのであるが雫彼の資本家 としての全機能は,この資本としての100ポンドの支出に限られているのである

J

(

K

.

.

III, S. 352, 岩(7),11ページ)0

i

資本としての100ポンド」は,資本家Aにおける資本家的活動に裏付けられた姿態 変換の運動体をなす資本としてではなし Bにおける i20ポンドの利潤を産む力

J

(

K

.

.

III, S. 35,1 岩(7),9ページ)をもっ貨幣の「可能的資本」としての属性において規定きれているのである。 貨幣資本家Aも,この100ポンドについては,貨幣の保管,資本家Bに関する信用調査等の資本家 的活動にもとづいて貨幣資本家たりえているのであって,貸し付けを投資対象とする資本の機能の 担い手であり,そのような機能資本家にほかならないのであるから,そもそも,資本主義的商品経 済に貨幣資本家と機能資本家という

2

種類の資本家を設定するというマルクスの抽象の方法が問題 ときれなければならないが,その点はいまは措いて,利子生み資本論の展開においては,姿態変換 する価値の運動体というマルクスの資本の本来の規定が転換してしまっていることを指摘しなけれ 3 )宇野弘蔵『経済学方法論』東京大学出版会.1962年(以下「方法論』と画書記).267. 299ページ,宇野位、議F恐慌論・商業 利 ìM~命の諸問題』法政大学出版局. 1963年.148. 151. 152ページ,宇野弘歳

w

"

ルクス経済学の諸問題』岩波書官, 1969 年.160ページ,等を参照。 2 0

(4)

-ばならない。すなわち,資本は, Aの 手 に あ っ て 姿 態 を 変 換 し な が ら 循 環 す る 価 値 の 増 殖 運 動 体 と し ての規定からはなれて, Aか らBへ 持 手 変 換 を す る 貨 幣 , 場 所 を 移 動 す る 貨 幣 と し て 捉 え ら れ て い る といってよいのである。 マ ル ク ス が 貸 し 付 け ら れ る 貨 幣 を 「 可 能 的 資 本 」 と 捉 え て い る こ と が , 貨 幣 姿 態 に 一 面 的 に 即 し て 規 定 さ れ た 資 本 観 を 示 し て い る の で あ る が , 商 品 に つ い て も , 一 定 の 価 値 額 を 代 表 す る も の と し て , 貨 幣 と 同 様 に , 貸 付 資 本(verliehenesKapital)と し て 扱 わ れ る こ と に な っ て い る 。 先 に 引 用 し た 箇 所 で は , 貸 し 付 け ら れ る 貨 幣 は 「 あ る 価 値 額 が , 事 実 上 貨 幣 と し て 存 在 す る か , 商 品 と し て 存 在 す る か を 問 わ ず , そ の 独 立 の 表 現 と し て 考 え ら れ た も の 」 と さ れ て い た し , 5JJIの 箇 所 で は 「 資 本 と し て 貸 し 付 け ら れ る 商 品 は , そ の 性 状 に 応 じ て , 固 定 資 本 ま た は 流 動 資 本 と し て 貸 し 付 け ら れ る 叫 」 と述べたあと,

i

す べ て の 貸 付 資 本 は , そ の 形 態 の 如 何 を 問 わ ず , ま た そ の 使 用 価 値 の 性 質 に よ っ て 返 済 が い か よ う に 変 形 き れ る か を 問 わ ず , つ ね に 貨 幣 資 本 の 一 特 殊 形 態 で あ る に す ぎ な い 。 な せ な ら ば , こ こ で 貸 し 付 け ら れ る も の は , つ ね に 一 定 め 貨 幣 額 で あ っ て , ま た 利 子 も , こ の 額 に 対

L

て 計 算 さ れ る の だ か ら で あ る

J

(K., III, S.356,岩(7),17ペ ー ジ ) と さ れ て い る 。 機 能 資 本 家 の も と で 充 用 さ れ る か ぎ り で , 貨 幣 な い し 商 品 の 貸 し 付 け は と も に 資 本 の 貸 し 付 け で あ り . 資 本 と し て の 商 品 化 で あ る と 規 定 き れ る わ け で あ る 。 かくしてマルクスは, Aか らBtこ貸し付けられる貨幣に即して,

i

利 子 生 み 資 本 の 特 有 の 流 通J(K., 1II, S.352,岩(7),11ページ)を, G-G-W-G'-G'の よ う に 定 式 化 し て い る (K.,III, S.353,岩 (7), 11ページ)。この定式では, Aに お け る 資 本 の 運 動G-G'(な い し は. G…G')と, Bに お け る 資 本 の 運 動G-W-G'と が 区 別 き れ な い で , 貸 し 付 け ら れ た 貨 幣 のAか らBへの移転と, Bに お け る 資 本 価 値 の 変 態G-W-G'と, Bか らAへ の 貨 幣 の 再 移 転 と が 連 結 さ れ る こ と に な っ て い る わ け で あ る 。 AB間 で 移 転 す る の は , 一 定 期 聞 の 貨 幣 の 使 用 権 で あ る と い う べ き で あ ろ う が 司 い ず れ に し て も , こ の 定 式 に あ っ て は , 商 品 と し て の 貨 幣 な い し 一 定 期 間 の 貨 幣 の 使 用 権 の 流 通5)と,資本価値の変態と が

1

つ の 定 式 に 連 結 さ れ て い る の で あ っ て , そ れ は 個 別 経 済 主 体 に お け る 価 値 の 姿 態 変 換 の 運 動 体 と し て の 資 本 形 式 を 示 す も の と な り え て い な い の で あ る 代 4 )種々のリース業.例えば工作機械.業務用車制,事務所,コンビュータ等のり えにおいて,業務用車車両等はその 定期 間の手JI用権を売るリース業資本においては悶定資本であるが,借り入れた車舗を利用して価値増殖活動を行なう資本家にと っては,資本投下はあくまでも車舗の使用料としてなきれたのであって.車輔自体の価値の回収が問題とならない以上,こ の車舗が固定資本として機能することはないといわなければならなL、。もちろん.大型コンピュータのリースのように,借 り手にとってその使用料の回収に長期間を要する場合には,その使用料に投下きれた資本部分は固定資本であるが.コンビ ュ タ自体が固定資本でないことは同じである。 5) ?ルクスは.G-W-G'やW-G-Wに対比して r利子生み資本におL、ては, Gの第ーの位置転換は,全く何ら商品変態 の契機でもなければ.資本の再生産の契機でもなしりとし.このGの移転は「一定の法律的諸形態と留保とのもとで行なわれ るのを常とする移転以外には何も表現しな¥'J(K.,IlI,S.353,岩(7),12ベージ)といっている。貨幣の貸し付けが「一定の 法律的諸形態」をとることはL、うまでもないが.われわれは,資本家出J商品経済のもとで産業資本家間において行なわれる 貸付関係の経済的諸形態を資本主義的な貨幣市場を編成するものとして,展開しなければならないものと考える。 6 )日高普 r商業信用と銀行信用』青木書庖.1966年, 13-16べーシ,参照。 11)[)重克は.貸付資本の運動の資本形式を,他 の資本への「寄生的な増殖の形式Jである「貨幣融通資本の形式Jの 1方式として規定し.商品売買資本の形式,商品生産 資本の形式の「資本の運動を補足する資本」として f流通関係のー形態をなす」ものとする(山口重克 F経済原論講義』東

(5)

-21-2. マルクスは,次いで'.

i

商品としての資本に特有な貸しという形態

J

(K

.

III. S. 354.岩(7),13ペー ジ)について考察し商品資本や貨幣資本は売りや買いという流通行為においては,単に商品,貨幣 として機能するにすぎず,資本としては機能しないのであり,

i

資本が流通過程において資本として 現われるのは,全経過の関連においてのみのことであり,出発点が同時に復帰点として現われる契 機においてのみのこと

J

(K.. III. S. 355,岩(7),15ページ)であり,

i

商品および、貨幣がここで資本で あるのは,商品が貨幣に,貨幣が商品に転化されるかぎりにおいてではなし買い手または売り手 に対するそれらの現実の関係においてではなく,単に,資本家自身に対する(主観的にみれば),ま たは再生産過程の諸契機としての(客観的にみれば),それらの観念的な関係においてのみそうなの である

J

(K.. III, S. 355,岩(7),16ページ)ということが確認きれる。すなわち,貨幣や商品は流通 過程における現実の売買関係に即してみれば,資本の一契機としては現われないことが確認されて いる。 しかし利子生み資本は,それとは対照的な「特殊の性格

J

(K.. III, S. 355,岩(7),16ページ)を もっとし,次のように述べている。 「自分の貨幣を利子生み資本として価値増殖しようとする貨幣所有者は,それを第三者に譲渡し 流通に投じ資本として商品となす。彼自身にとってのみでなく,他者にとっても資本としてで ある。それは,譲渡する者にとって資本であるのみではなし初めから資本として,剰余価値, 利潤を産むという使用価値を有する価値として,第三者にj度される。すなわち,運動において自 己を維持し続け,そして機能し終わった後にーその最初の支出者の手に,この場合に

i

'

,貨幣所 有者の手に帰る価値として。……すなわち,第

1

には,一定期間の後にはその出発点に帰ること, ただし第

2

には,実現された資本として,したがって剰余価値を生産するというその使用価値を 実現した資本として帰ること,この条件のもとでのみ譲渡される価値としてである

J

(K.. III, S. 355-356,岩(7),16-17ページ)。 「流通に投じ」られた貨幣は.

i

初めから

J

i

剰余価値,利潤を産むという使用価値を有する価値」 として資本なのである。利子生み資本にあっては,貸し付けられる貨幣が,資本の「全経過の関連」 から独立にそれ自体として「初めから資本」なのであるとされている。貨幣は,貸し手にとっても 借り手にとっても資本であるとされているのであるが,その貨幣と貸し手および借り手の資本の運 動の「全経過の関連」の分析にもとづいて.

i

資本として商品となす」ことの内実が追求されること にはなっていない。先の設例にもどれば, AからBへの貸し付けの関係においてこの貨幣が資本であ るのは,

i

実現された資本として,したがって剰余価値を生産するというその使用価値を実現した資 庁、大学出版会.1985,年 70-72ページ)。なお.1tl¥稿「生産の資本形式 資本形式論の諸問題 J, r経済論集J(東洋大 学),第16巻第1号, 1990年10,月 29-34ベ ジ.をも参照きれたい。 22

(6)

本 と し て 帰 る こ と , こ の 条 件 の も と で の み 譲 渡 さ れ る 価 値 」 と い う 貨 幣 自 体 の 属 性 に よ る の で あ る と さ れ る こ と に な る 九 資本家A,

B

の も と に お け る 資 本 の 運 動 と の 関 連 が 追 求 さ れ る こ と な く8), 利 子 生 み 資 本 が 規 定 さ れ て い る こ と か ら , 貸 付 資 本 の 運 動 は 「 現 実 の 資 本 運 動 の 無 内 容 な 形 態 に す ぎ な い

J

(K.. III. S. 361.岩(7). 26ページ)とされる。貸し付けられる貨幣は.

I

媒 介 的 中 間 運 動 な し に , 単 純 に 一 つ の 性 格 と し て . 資 本 の 規 定 性 と し て 資 本 に 合 体 さ せ ら れ

J

(K.. III. S. 357,岩(7). 19ページ).

I

譲 渡 と 返 済 と の 間 に 行 な わ れ る こ と は す べ て 消 し 去 ら れ て い る

J

(K., III. S. 362.岩(7). 26ページ)とされるこ とになるのである。 『 資 本 論 』 の 利 子 生 み 資 本 論 に つ い て の , こ こ ま で の 検 討 を 小 括 し よ う 。 第1に , 利 子 生 み 資 本 の 定 式G-G-W-G'-G'に お い て は , 貨 幣 の 場 所 変 換 ( 貨 幣 の 一 定 期 聞 の 使 用 権 の 流 通 ) と 貨 幣 の 姿 態 変 換 ( 価 値 の 変 態 ) と い う 異 質 の 運 動 が 連 結 さ れ る こ と に な っ て お り , 変 態 す る 価 値 の 増 殖 運 動 体 と し て の 資 本 の 定 式 と な っ て い な い 。 貸 し 手Aと 借 り 手Bを 産 業 資 本 家 と し た う え で , そ れ ぞ れ の 資 本 の 運 動 に 基 礎 づ け ら れ る も の と し て 貨 幣 の 貸 借 関 係 が 解 明 き れ な け ればならないだろう。 第

2

に , 貨 幣 資 本 家 と 機 能 資 本 家 の 貨 幣 貸 借 の 関 係 に も と づ い て 展 開 さ れ た 貨 幣 の 商 品 化 は , そ の 貨 幣 の 機 能 資 本 家 に お け る 「 可 能 的 資 本 」 と し て の 属 性 に よ っ て , た だ ち に , 資 本 の 資 本 と し て の 商 品 化 と 規 定 さ れ て い る 。 マ ル ク ス に あ っ て は .

I

資 本 の 規 定 性 」 に あ る 貨 幣 の 商 品 化 が , 資 本 の 商 品 化 と 区 別 さ れ て い な い わ け で あ る 。 第

3

に , 貨 幣 の 貸 し 付 け と 返 済 は , 現 実 の 資 本 の 運 動 の 前 後 に 位 置 づ け ら れ る 「 法 律 的 諸 取 引 に よ っ て 媒 介 さ れ る 恋 意 的 な 運 動 と し て 現 わ れ る

J

(K., III. S. 360.岩(7),24ペ ー ジ ) と さ れ , 産 業 資 本 な り 商 業 資 本 な り の 運 動 か ら 切 断 き れ て 規 定 さ れ る こ と か ら , 貸 付 資 本 の 運 動 形 態 は , 無 媒 介 的 で 無 内 容 な も の と し て 総 括 さ れ る こ と に な っ て い る 。 あ た か も , 貨 幣 そ れ 自 体 が , 資 本 家 的 活 動 か ら 抽 象 き れ て , 利 子 を 生 む も の と し て 価 値 増 殖 す る か の よ う に , 説 か れ て い る わ け で あ る 。 要 す る に , そ の 形 成 と 充 用 が 資 本 の 再 生 産 過 程 と の 関 連 に お い て 間 わ れ る こ と な く , 持 ち 手 を 変 7)7ルクスはまた次のようにも述べている。「貨幣は.それが資本として貸し付けられる限リでは,まさにこの,一定期間の 後には付加物(Zusatz)を伴なって復帰L,そしてたえず新たに向じ過程を通過しうる,自己を保存し自己を増殖する貨幣 額として貸し出されるのである。それは貨幣として支出されるのでもなければ.商品として支出きれるのでもない。したが って,貨幣として前貸しされる場合にも商品と交換されるのではなし商品として前貸しきれる場合にも貨幣と引き換えに 売られるのではな

"

0

それは資本として支出されるのであるJ(K.,1Il, S.357,岩(7),19ベ ジ)。 8 )借り手Bにおける資本の運動については,抽象的にではあるが, rG-W-G'が資本運動の内在的形態であるJ(K.,III, S.362,岩(7),26ベージ)と述べられているが, G-W-G'の過程に規定されるであろう貨幣の借り入れ条件等について分析さ れることはな"。なお,貨幣の返済は,現実の貨幣の還流に規定きれている点についても付言きれているが (K.,III, S.361,岩(7),25-26ベ ジ入貸し手における貸し付け可能な貨幣の形成については不明のままであリ,貸し付けと返済は一 方的に借り手の側の事情によってのみ規定されることになっているように思われる。宇野弘蔵は,貸し付けの期間について 次のように述べている。「貨幣資本家の資本に,それ自体の貸付期限がなくて機能資本家の手で投ぜられた生産過程の期限 が,その期限をなすというのは, 7 1レクスの利子論の根本的欠陥ではないだろうかJ(前掲,宇野編 r資本論研究JV.341 ページ。なお.宇野『方法論J,288ページ,をも参照されたし、)。 一

(7)

23-換する貨幣形態(ないし商品形態)において捉えられたマルクスの利子生み資本,ないし貸付資本 は,個別諸資本の競争行動を通じて措定されるものとして,資本主義的商品経済の諸市場機構に内 的に定位されることにはなっていないのである。 マルクスは利子を「平均利潤中の,機能資本家の手にとどまらず貨幣資本家に帰属する部分

J

(K., III, S. 363,岩(7),28ページ)としこの利子を,

i

貨幣資本家が貸付期間中手放していて,借り手で ある生産資本家に譲渡しておく使用価値

J

i

貨幣が資本に転化され資本として機能しうるというこ とによって,したがって,その最初の価値の大ききを保存する上になおその運動中に一定の剰余価 値,平均利潤……を産むということによって,貨幣が受け取る使用価値

J

(K., III, S. 363,岩(7),29 ページ),すなわち「貨幣の資本としての使用価値

J

(K., III, S. 364, 365,岩(7),30, 32ページ)の価 格(価値)であると規定している。 しかし,マルクスの分析は,資本の再生産過程と利子ないし利子率の関連の解明に向けられるの ではなし日常的に普遍的な利子の概念の非合理性の指摘にとどまることになっている。マルクス によれば,利子の概念の非合理性とは,次のようなことである。 「資本の価格としての利子というのは,初めから全く非合理的な表現である。ここではー商品が 二重の価値をもっ。すなわち,一方には一つの価値を,他方にはこの価値とは異なる一つの価格 をもっ。価格とは価値の貨幣表現であるのに。貨幣資本は,さしあたりまず,一つの貨幣額に, または貨幣額として固定された一定商品量の価値にはかならない。商品が資本として貸されると すれば,その商品は一貨幣額の仮想、形態であるにすぎない。……ところで,いかにして,ある価 値額は,それ自身の価格のほかに,それ自身の貨幣形態で表現されている価格のほかに,なお一 つの価格をもつことになるのか。価格とは, じつに,商品の使用価値からは区別された商品の価 値である。……価値と質的に異なる価格なるものは,一つのばかばかしい矛盾である

J

(K., 1II, S. 366-367,岩(7),34-35ページ)。 貸し付けられた貨幣100ポンドが(平均)利潤20ポンドを産むものとすれば,ここにいう,貸し付 けられた貨幣の「二重の価値」とは,第 1に,

i

一つの貨幣額

J

100ポンドであり,第 2に,例えは、 20ポンドの利潤のうちの

5

ポンドの利子のことである。 貸し付けられた 100ポンドは,それ自体価値の独立の定在としての「一つの貨幣額」であるが,こ の100ポンドの「貨幣の資本としての使用価値」を売買する貸し手Aと借り手Bにとっては, 100ポン ドの貨幣額そのものを価値とするわけでbはない。マルクスのいう貸し付けられる貨幣資本の「二重 の価値」とは,機能資本家Bの資本の循環中に体現する価値 (100ポンド)と, AからBへの 100ポン ドの貸し付けの代価としての価値(

5

ポンド)のことである。「貨幣の資本としての使用価値」に

B

(8)

-24-貨幣の商品化と資金 からAに支払われる価値は 5ポンドの利子である。すなわち, 100ポンドの貨幣額の, 20ポンドの 「価値を産み増殖する能力

J

(K., III, S. 364,岩(7),30ページ)の価格が5ポンドの利子である。貸 し付けられる貨幣の価格は, 100ポ ン ド 自 体 で は な い し 20ポンドの利潤自体でもないのである9)。 マルクスが,利子を, ["価格の非合理的な一形態

J

(K., III, S. 366,岩(7),34ページ)として,ま た, ["利子生み資本にあっては,すべてが外面的なものとして現われる

J

(K., III, S. 369,岩(7),38 ページ)という関係にあるものとして,形式的,抽象的にしか規定しえていないのは,産業資本の再 生産過程から遊離する貨幣、遊休貨幣資本の産業資本聞における資本家社会的利用,貸し付けの関 係を,産業資本の競争過程における個別資本の価値の増殖動機にもとづいて,展開しえていないこ とによるものといわなければならないのである。

1

1

.

資 金 論

前節に検討したマルクスの利子生み資本論の問題点は,宇野弘蔵によって批判克服されることに なった。宇野によるマルクス批判の中心視角は,貨幣貸借の主体を,純粋な資本主義的商品経済に おける産業資本に設定し,その再生産過程の運動に規定されて形成される遊休貨幣資本の融通関係 から,資本主義的信用機構10)を,資本市場機構とは明確に区別された貨幣市場機構ないし貨幣の商品 化の論理として展開することにあったといってよい。 マルクスは,利子生み資本を貨幣資本家と機能資本家のあいだで行なわれる貨幣の貸借関係にも とづいて規定していたのであるが宅宇野は,産業資本の再生産過程で形成される遊休貨幣資本を資 金と規定し,資金の産業資本間における融通関係を分析することによって,その資本家社会的意義 を明らかにすることができた。宇野の資金の概念については次項で検討することとし,本項では, マルクスの

2

種類の資本家の設定が,干Ij子生み資本論ないし貸付資本論において, どのような難点 を生じさせているかについて宇野に拠りながら考察することにしよう。 端的にいえば,マルクスの設定の難点は,貸し付けられる貨幣の出所が産業資本の再生産過程に あること,またその貨幣は産業資本の再生産過程の拡充に利用されるものであることが明確にされ えないことにある11)。宇野によれば,貨幣資本家と機能資本家を想定するというマルクスの方法は, 「資本家がその資本の運用に対して追加的に資金を借り入れる関係から,その貸借関係だけを抽象 9) ?ルクスには,利潤それ自体を,貸し付けられた貨幣の使用価値とする観点も存在する (K.• III, S. 364,岩(7),31ページ, 参照)。 10)字野の商業信用論,銀行信用論について.立ち入った検討は本稿の課題ではないので,宇野による7ルクスの利子生み資 本論批判に直接かかわるかぎリで.ふれるにとどめる。 11)字野弘議 r資本論五十年J(下),法政大学出版局, 1973年, 1022ベ ジ r方法論J,268ページ,参照。

2

5

(9)

して考察するという方法12)J,

i

貸借関係を資本家の資本から抽象したものとして理解する悪い抽 象13)

J

ということになる。例えば,自己資本10,000ポンド,利潤率20%で生産を行なっている資本 が,追加的に100ポ ン ド を 借 り 入 れ て 生 産 を 拡 大 し 利 潤2020ポンドの中からその 100ポンドに対す る 利 子 (5ポンド)を支払うとし寸関係から,この 100ポンドの部分だけがとり出されたものと考え られるというわけで、あるlぺこの場合, 100ポンドの借り手は、追加的に得られた利潤20ポンドのう ち5ポンドを貸し手に支払っても, 15ポンドの利潤の増大が可能で,利潤量は従来の2,000ポンドか ら2,015ポンドとなる。自己資本に対する利潤率も 20%から 20%0%に増大することになる。借り手の 産業資本がこの100ポンドを借り入れるのは,自己資本に対する利潤率の増進を目的とするものであ ることが明確にされなければならない。 100ポンドの貸借による利潤率の増進は,貸し手の側にも生ずる。この 100ポンドは,再生産過程 から一時的に遊離し一定期間生産に充用しえない遊休貨幣資本であるが, 100ポンドの貸し付け は,貸し手にとって,次のように利潤率増進の要因となる。第1に, 100ポンドの貸し付けによって 得られる利子5ポンド分の利潤量の増大をもたらすことによって。第 2に,遊休貨幣資本の存在に よって産業資本は保管費用等の流通費用の支出を余儀なくされるのであるが.100ポンドの貸し付け によって,貸し付けの期間については,この流通費用への資本投下が不要となり,貸し付けに伴な い新たに必要となる信用調査等の流通費用を差し号

1

"

、ても.投下資本量の縮ノj、から利潤率の増進が 見込まれるということによって15)。 貨幣資本家と機能資本家との聞の貸借関係から利子生み資本を規定するというマルクスの方法の 第2の問題点は,貨幣の貸し付け期間が,機能資本家における資本の個別的な循環に直接に規定さ れるものとされている点にある(K..III, S. 360-361,岩(7),25-26ページ,参照)。宇野によれば.

i

問 題は……貸付資本による資金の貸付

ι

資本の再生産過程と独立に存在する資金の貸付とし……そ の返済を直接的に資本の現実的運動における還流に結びつけた点にある16)

J

。したがって.

i

貨幣資本 家の貸付ける貨幣は,その使用価値をそれ自身に一定の期限を有するものとしてではなし機能資 本家の手で資本としての運動をなす一循環としてよりほかに限定されない17)

J

ことになるのである が‘むしろ,産業資本の遊休貨幣資本として貸し付けられる貨幣の貸し付け期間は,貸し手の再生 産過程からの遊離の期間によって決定されるものと考えられなければならないのである問。それ自 12)字 野 r方 法 論J.268ベ ジ 。 13)前掲,宇野編『資本論研究JV. 340ベ ジ。 14) 字野弘蔵 ~7} l- 7 ス経済学原理論の研究』岩波書底. 1959年(以f.r原理論の研究』と略記).164ページ,の数値例によ る。なお,同.169. 231ページ w方 法 論J.304ページ.をも参照。 15)山口重克『金融機構の理論』東京大学出版会.1984年.30-32ベ ジ,参照。 16)宇 野 r原理論の研究J.170ペ ー ジ 。 注8)をも参照きれたい。 17)前 掲 , 宇 野 f 7ルクス経済学の諸問題J.155ペ ー ジ 。 宇 野 弘 歳 r資本論の経済学』岩波新書.1969年.125ベ ー ジ を も 参 照。 18)宇 野 r方 法 論J,270ベージ.参照。

(10)

貨幣の荷品化と資金 身の運動に貸し付け可能な期間の決定原理をもたない貨幣資本家の貨幣色機能資本家が借り入れ るとし寸関係からは,産業資本が編成する諸市場機構の内的機構としての貨幣市場機構は展開され えないのである。 マルクスの利子生み資本の規定の第3の難点として,宇野が次に述べているような問題も指摘で きょう。すなわち,貨幣資本家から機能資本家への貨幣の貸し付けにあたっては,

I

貨幣が『資本

J

として貸手から借手に渡されるものといってよいであろう。しかしその関係は,この貨幣を『資本 として商品となす』というには適当ではない。貸手と借手との関係は,商品の売買関係以上のもの といってよいであろう川」と。「貨幣が『資本』として貸手から借手に渡される」というのは,貸し 手の借り手に対する関係が単なる貸し手の立場にとどまりえず,むしろ借り手における資本の運動 に,貸し手は疎遠で、はありえないということであろう。貸し付けた貨幣が,借り手側の事情に一方 的に規定された期間,借り手の資本の運動に拘束されることを貸し手が許すということは,貸し手 による借り手の資本の運動への実質的な関与を想定することにならざるをえない。この場合の貸し 手は,事実上,借り手の資本運動への出資,貨幣資本の投下を行なっていることになるのであって, 「貸手と

f

苦手の関係は,商品の売買関係以上のもの」となっているわけである。両者のあいだの貨 幣の貸借関係において,貨幣の商品化が成立するためには,貸し付けと返済が,貸し手の資本の投 下と回収として,借り手の運動に直接に従属するものであってはならなしミ。貸し付け(貸し手にと っては同時に資本投下)から返済(貸し手にとっては同時に投下資本の回収)までの期間を,貸し 手が独立に決定しえないのであれば,貨幣の一定期聞の使用権という,資金の商品としての使用価 値が完成されないからである。このように考えてよいとすれば,マルクスの貨幣の貸し付けにあっ ては,貸し手の資本運動と借り手の資本運動が融合してしまうことになり20,>

I

売買関係としてあら われる貸借関係2l)

J

にまで純化されえないものといわざるをえないのである。 本項での考察から,以下の諸点を確認しよう。 (1)利子論の端緒は,産業資本の遊休貨幣資本の融通関係を,貸し手および借り手の利潤率増進を 動機とする資本行動に即して展開するものでなければならない。 (2)貨幣の貸し付け期聞は,貸し手 側の産業資本の再生産過程に規定きれ,一定期間,生産過程から遊離する遊休貨幣資本は,いわば 貸し手にとっての非使用価値として資金となるのである。

(

3

)

貨幣市場機構を成立させる貨幣の商品 化は,貸し手と借り手の貸し付け条件の個別的符合に倹つては展開されえなし仰に貨幣がいわば、産 業資本の再生産過程の個別性から中立化されて,貨幣貸借が客観的に商品売買の形式をとらなけれ ばならないのである。 19)í~l , 271ベジ。 20)宇野 F原理論の研究J,218ベージ,参照。 21)字野『方法論j,274ベジ。 22) r貨幣資本家と機能資本家の問には貨幣市場はなしり(前掲,宇野『資本論五十年J(下).1021ページ)。

(11)

-27-宇野による資金概念の提起は,上に検討してきたマルクスの利子生み資本論の難点を解消するも のであった。 字野は,その貨幣論で¥いわゆる「貨幣としての貨幣」を商品経済的に一般的な富としての貨幣 と規定し,

i

貨幣としての貨幣が……流通過程への復帰の方向をとっている場合,貨幣は資金となる といってよいのではないか23)

J

として,流通における貨幣の直接的な機能から相対的に独立し一般 的にいつでも流通に対する貨幣機能の発動が可能な状態におかれた貨幣を資金としているといって よい。「貨幣としての貨幣」に対して,

i

やや限定された意味24)

J

を付加されたものとして資金が規定 きれているのである25)。すなわち, 「支払期日のために準備される貨幣は,蓄蔵貨幣と同様に絶対的な富の性格を与えられるが,商 品経済の発展は,単なる蓄蔵貨幣の形成を減じて,支払手段としての貨幣の蓄積を増進させるこ とになる。『貨幣jとしての貨幣はいわゆる資金の性格を明らかにして来る。それは蓄蔵貨幣のよ うに流通外部に蓄積せられるにしても,やがて流通に投ぜらるべきものであり,また互いに清算 されて節約されるものであって,蓄蔵貨幣のごとく蓄積自身が目標となるわけではなL、。いわば 止むを得ざる蓄積である。貨幣が商品に対して価値の独立の存在たる地位を与えられたにしても, 元来,貨幣白身がー商品から出たものであって,一般的富としても商品流通を離れてそれ自身富 なのではない26)

J

。 ここでは,支払準備金として蓄積される貨幣は,

i

やむを得ざる蓄積」として,いわば流通世界の 必然的な遊休貨幣として,貨幣としての貨幣に対する「限定された意味」を規定されているわけで ある。また, 「金は,価値尺度としての貨幣の機能を通して,流通市場と地金乃至貨幣の貯蓄との聞を流出入 しつつこの[流通手段としての貨幣量の 引用者]調節を行うのであるが,しかしそれは単に 貨幣として行われるものではない。価格の変動常なき商品流通市場に対して,資金としての貨幣 の新なる機能を通して行われる。支払手段としての貨幣に対し,いわはaその積極的展開をなすも のといってよい。商品経済的富として貯蓄される貨幣は,必ずまた商品を売って利益をうるため に,商品を買うということに,いいかえれば富の増殖のために使用されることになる27)

J

。 ここに,支払手段としての貨幣の機能の「積極的展開」として,流通世界に対して,流通手段と しての貨幣量の調節が行なわれることが述べられている。流通手段としての貨幣量の調節は,個々 23)字野『原理論の研究J.184ページ。 24)鳳 220ページ。 25)宇野の資金概念について検討したものとして,植村高久「資金概念と信用一一字野弘蔵の所説から J. r証券経済』第 155号.1986年3月.を参照されたL。、 26)宇野弘蔵 r経 済 原 論J(合本改版).岩波書庖, 1977年 (1日版.1950年.1952年。以ト rIEI原論』とall-t.己).67-68ページ。 27)宇野弘蔵『経済原論』岩波書底.1964年(以下 r新原論』と略記).37-38ベ ジ。

-28

(12)

貨幣の商品化と資金 の経済主体の行動の事後的,社会的結果であって,流通に出動する貨幣の機能そのものとはいいえ ないように思われるが,ここでは,商品経済的諸関係を通じて流通から引き上げられた貨幣は,む しろ流通に対して積極的に働きかける側面を有するものとして,

1

資金としての貨幣の新なる機能」 が展開されているものと,解されるわけである。 以上,宇野によって流通世界に独自の規定性として展開された資金の概念の概要をみてきたので あるが,それによると,資金とは, (1)流通からヲ│き上げられた貨幣,流通の必要から遊離された貨 幣であり, (2)

1

流通過程への復帰の方向をとっている」貨幣であり(単なる貨幣の蓄蔵とは異な る), (3)

1

富の増殖のために使用される」ものとしての貨幣,

l

'

、わば流通の外部から来た貨幣をも って商品を購買する28)

J

ものとして流通に復帰し,流通世界に新たなる形態規定として資本を展開す る,貨幣機能の終結規定として展開されたもの, といってよいであろう29)。 貨幣としての貨幣の終結規定としての.資金としての貨幣は,一方に,流通手段として流通部面 にとどまる貨幣と,他方に,資本の循環運動のうちに貨幣資本として機能しつつある貨幣, との中 間に存在する貨幣として規定できるであろう制。このような規定性を有する,資金としての貨幣の存 在形態は,産業資本の再生過程から一時的に遊離する貨幣であるということができる。利潤率極大 化を動機とする資本行動によって,遊休貨幣の「流通過程への復帰の方向」は資本主義的市場機構 に内装されることになるのである。これは,生産の拡大のための蓄積資金雫固定資本の更新に備え るいわゆる減価償却のための積立資金司価格変動等に備える準備資金,生産資本に転化されるまで 一時的に遊休する貨幣形態にある流通資本等 これらを遊休貨幣資本というーーで構成きれる が31},これらの資金はそれぞれの再生産過程との関連に応じて,遊休する期間を異にする。 個別産業資本の再生産過程に形成される資金は,例えば,減価償却の積立金は長期に遊休するの に対して。貨幣形態にある一時的な流通資本はごく短い期間しか遊休しないというように,資金の 28) 字野 rl 日原l~~九 70ページ。 29)宇野の WI日原論』の第1編「流通論」第2章「貨幣」の矯成は.r 1 f国ifl直尺度としての貨幣J.r 2 流通手段J.r 3 貨 幣J(貨幣としての貨幣--51府 和 と さ れ r3 貨幣」は.rA 蓄蔵貨幣J.rB 支払手段としての貨幣J.rC 世界貨幣」 の3項からなっている。貨幣論の終結規定は r世界貨幣」となっているのであるが.世界貨幣はI也金形態による貨幣量の原 始的調節という論点 (69ページ)を除けば,資本形態を展開する端緒として.ここに述べた資金の規定と事実上一体化きれ ることになっているように思われる。 r新!京論』では,世界貨幣の規定は本文から排除きれ,貨幣論の終結規定しての「資金 としての貨幣の新たなる機能」はよリ明確になっている。 かくして,資金としての貨幣の規定は r支払手段としての貨幣」の規定から展開されることになっている。ところで r支 払手段としての貨幣」は.a)信用売買の決済の機能と.b) 支払準備金としての機能.の 2面があるように思われる。すな わち.a)商品の引き波しと貨幣の支払いが時間的に隔った商品売買における購買の機能ないし流通手段としての機能と.b) 将来の支払L、に備えるために流通から引き上げられた準備金としての貨幣の機能,である。いうまでもなし資金としての 貨幣の規定に展開きれるのはb)支払準備金としての貨幣機能である。 なお,山口重克の貨幣の「致富機能」は r富の増殖のために使用きれる」資金としての貨幣を独立させて展開したものと いってよいであろう(前掲,山[Jr経済!車、論講義J.46-47べージ。また,貨幣論の構成について.同.262ベー.ジ.をも参 照されたL、)。 30)宇野はこの関係を「通貨と資本との!日jにr貨幣としての貨幣』というのがあるJ(前掲.字野『資本論五十年J(下).1002 ページ)と表現している。 31)宇野rl日原論J.158. 188-190. 456. 460. 461ページ r新原論J.197-198ページ r原理論の研究心 166-167. 185-186 ページ,等を参j照lされたし、。

2

9

(13)

種類ごとに,また個別資本の再生産過程との関連に規定きれて,一定の遊休期間, したがって一定 の融通可能期間,一定の利用可能期間を個々に有するものとして存在することになる。貨幣は,一 定期間の利用権を使用価値とする資金を売買するものとして商品化するのであるが,融通可能期間 と借り手側の利用の必要期間を,個別資本聞の個々の貸借関係において合致させることはきわめて 困難でbある。遊休貨幣資本が,個別産業資本の再生産過程からうける制約の内容を資金の個別性と よぶとすれば,資金の個別性の問題には,ここに述べた期聞の個別性の問題の他に,貸し手側の提 供可能な資金の量が借り手側の必要資金量に不足するという,資金量の個別性ともいうべき問題も 存在する。 個々の貨幣の貸借関係色社会的な資金の売買関係として展開するためには,個別産業資本の再 生産過程に規定される,資金の期聞の個別性と資金量の個別性乞「社会的に中和しうる32)

J

市場機 構が成立していなければならないわけである。銀行資本の成立は,このような資金の個別性にもと づく困難を止揚しうる,資金の売買市場としての貨幣市場機構を展開することになるのである。「産 業資本の個別的な特殊の事情が,銀行を通していわば平均化されて,資本家社会的な一般的な関係 に転換される33)

J

関係が展開されるのである。 銀行資本の成立によって,資金の売買市場として貨幣市場機構が展開されると,資金の個別性は 資本家社会的に止揚される。もちろん,銀行資本自体が,私的な個別資本としての性格を解除され るわけではないが,再生産過程から遊離して,貸し手にとって一定期間,非使用価値として存在す る遊休貨幣資本刊は,銀行に集積されてその個別性を平均化され,一定期間の利用権という使用価値 が借り手によって消費されて.その生産規模の拡大に寄与することができる。資金の高品化は,個 別資本の剰余価値生産の増進を,資本家社会的な貨幣の融通機構を通じて促進することになるわけ で、ある。 資金は,産業資本の再生産過程を基礎に,貨幣市場におけるその供給と需要の関係を通して。「一 定期間の資金の使用に対する代価問」としての価格を決定される商品となる。利子は,そのような資 本家社会的に商品化された資金の価格である。貨幣市場において成立する利子率は,商品市場にお ける商品価格と同様に,いわば貨幣の価格(なお、 日常誤用的には,資本の価格)として雫資本の 32) 宇野 r原理論の研究J.170ベ ジ 。 33) 字野 ~I 日原論J. 468ページ。なお.字野は次のようにも述べている。「銀行信用の産業資本に対する関係は,産業資本の生 産過程め表面に生ずるいわば資金のfl[UJを.産業資本自身の超過利潤追求を基準とする要求にしたがって,均等化するとい うことにあるJ(~I 臼原論~. 493ベ ジ)0 r偶守の資本として独立して行われる資本家的生産過程に当然なる,いわば個別的 な端数が社会的に利用せられるJ (r方法論ゎ 279ページ)。ここにいう「資金の凸 IUIJ• r個別的なるま嵩数」は,貸付期間と資 金額の2つの資金の個別性を意味するものとして読まれるべきであろう。 34)字 野 r新 原 論J.204ページ,参照。 35) 同. 201ページ。

(14)

-30-貨幣の商品化と資金 競争行動を直接に規制する指標となる。「社会的に融通される貸付資本は,個々の産業資本に対して いわば社会的な資本としての規制力を有している36)

J

のであって,

I

一般的利潤率がいわば理念的に 資本の競争の基準をなすのに対して,利子率はこれと全く独立のものとして現実的な基準をなす37)

J

ことになるのである十 「貸付資本が貨幣貸付資本として,……資金としての貨幣を一定期間の使用の売買として貸付け る38)

J

関係を展開する貨幣市場では,資金は,一方で、生産され他方で消費されるものとして商品化さ れ39),

r

利子はいわばその価値をなす40)

J

わけであるo

1

0

0

ポンドを

6

カ月間借り入れて

2

0

ポンドの剰 余価値生産の増進をなした資本が支払う 5ポンドの利子は, 6カ月聞の

1

0

0

ポンドの利用権の価格で ある。いうまでもなし

2

0

ポンドの利潤が実現されるか否かは雫貸し付けの時点にあっては不確実 であるが,マルクスのいうように,

2

0

ポンドの利潤が得られない場合にも,

I

借り手は,他のいかな る財源から貸し手にたいする債務を履行すべきかを,考えねばならなし、

J

(K., III, S. 361,岩(7),26 ページ)。この

1

0

0

ポンドについて,借り手の用途およびその結果について,貸し手が関与しないこと は,貨幣の商品化が機構的に成立するための条件である。個別的な貨幣の貸借関係を越えて,商品 としての資金においては,資金としての遊休貨幣資本の個別性が抽象化されていなければならない のであって,買い手による商品の使用価値の消費から,商品の売り手である貸し手が疎遠で、あるこ とは,商品の売買の形態をとる以上いつまでもないことである。元本

1

0

0

ポンドの返済と

5

ポンドの 利子の支払いは,

1

0

0

ポンドの使用の結果の如何にかかわらず実行きれなければならない。 要約しよう。 (1)資金は産業資本の再生産過程から一時的に遊離することをまぬかれない遊休貨幣資本であるこ と, (2)銀行資本の成立は,資金の個別産業資本的性格を抽象化することによって,遊休貨幣資本を 資本家社会的な資金として商品化すること, (3)利子は,社会的に資金として商品化された一定期間 の貨幣の使用権の価格であること, (4)貨幣市場においては,資金の売買市場として,産業資本の再 生産過程の内的関連から外的に客観化された商品売買の形式が成立しうること一一確認できたこれ らの諸点を考慮しながら,貨幣市場の構造を図示すれば次ページのようになるであろう。 銀行資本は,個々の貸借関係の貸し手と借り手のあいだに直接に介在して、両者の仲介をなすわ けではないが,個別諸資本の遊休貨幣資本を社会的に集積することによって,貸し手に対して遊休 貨幣資本の増殖機会を提供するとともに,借り手の再生産過程の拡大を可能にして剰余価値生産の 増進に寄与することになるわけである。銀行資本は,預金によって直接に個別諸資本の遊休貨幣資 36)字 野 r方法jii;J.284ページ。なお,前掲,宇野『資本論五ト年J(下).1011ペ ジ.をも参照されたい。 37)宇 野 f[日原論J.495ページ。 38)字 野 F原理論の研究J.190ベ ジ。 39)宇 野 r[日原論J.457ページ.参照。 40) 同. 472ベ ジ 。 ←

(15)

31-産業資本A

!

:

:

J

L

二 一

一 〆

+ ⋮

銀行資本 産業資本B 記号)g 遊 休 貨 幣 資 本 z 銀行の支払し、手IJ子 z' 銀行の受け取リ手IJ子 G字:商品としての資金 本を集積することに加えて,商業手形の割引を通して商業信用関係を媒介し,資本家社会的な生産 のよりいっそうの拡大を可能にする。すなわち,手形による商品の売買は,元来,その商品の販売 代金が,売り手にとっては,手形期限までは使用きれないと予定されていることを基礎とする,す なわち,商品の売り手のいわば将来の遊休貨幣資本の利用を可能とする関係を基礎とするものであ るが,このような一種の信用創造の関係は,商業手形の割引による債権の集積によって可能となる 銀行の信用の供与を通じて,資本家社会的に拡大きれることになるからである。いいかえれば,将 来の遊休貨幣資本を現在の資金とする機構を展開することになるからである。このような関係を考 層、に入れれは、'銀行はただちに資金の仲介機能をはたすものにとどまりえない側面をも有するので あるが,貨幣市場において銀行は資本家社会的には「特殊の商品を売買する商人41)

J

としてあらわれ るわけである。「貸付資本の媒介者としてのみその原理的規定が与えられるは

)

J

ことになる。 図において,銀行資本は,産業資本Aの遊休貨幣資本を資金としてただちに産業資本Bに貸し付け るものとはいいえないのであるが,資本家社会的には,

i

一方で、預金された資金を他方で貸付け,い わゆる利鞘をもって自己資本の利潤とする州」ことになる。先にも述べたように,銀行の貸し付ける 資金は,産業資本の将来の遊休貨幣資本が信用関係を通じて現在に創造された交換力(購買力)と しての資金をも含むのであって,

i

預金きれた資金」に限られないのであるが,銀行は,支払い利子 を代価として資金を買い入れ,受け取り利子を代価として資金を販売することによって, z-Gホ ーz' た れ 々 己 。 照 照 参 参 J U e む を亭﹄ . ン 9 ン

一 一

ベベ 7 a つ 白 FhUAHu d 品 z q F 臼 E a -a A m ム 関 原 原 旧 新 伊 U 伊 u お お な な e ン e ン 守 汁 一 ン /

べ べ ベ ワ , ゐ u ハ υ q δ υ 弓 , . ハ H v 勾 , 凋 n 処 噌 q q ︽ υ s 4 仏 坐 • 包 e 目 ﹂ 4 -. a 込 詰 弔 誠 哨 4詳 f # 請 m 珊 珊 込 論 一 珊 醐 原 法 原 旧 方 旧 , ' P a , . 野 野 野 宇 字 字 噌 よ q つ , ι “ 内 δ a 4 仏 坐 . , A n崎 噌 宇 4 坐

(16)

-32-貨幣の商品化と資金 (すなわち, G-G*-G')の形式をなすことになるのである州。銀行は,この支払い利子への資本投 下,銀行建物。事務機器などへの資本投下のほかに,資金の取り扱いにかかる,いわゆる貨幣取り 扱い費用としての保管費用,簿記費用等の流通諸費用や信用調査の費用等をも、 自己資本として投 下するのであり, z'の和とZの和の差額をそのような自己資本に対する利潤とすることになるのであ る。かくして,

i

銀行資本はそれ白体貸付けられる資金として貸付資本をなすのではない叫」のであ って,商品としての資金の売買価格差,受け取り利子と支払い利子との差額を利潤とする,資金の 商人としての資本となるのである。 こうして,遊休貨幣資本の増殖機会を求める諸資本と,資金をもって追加投資を行なおうとする 諸資本は,貨幣市場において,銀行を介して,いわゆる資金の出し手と取り手として相対すること になる。産業資本Aと銀行は商品の売り手と買い手として関係し,産業資本Bと銀行は買い手と売り 手として関係する。貨幣の貸借は資金の売買に抽象化きれる。資金は匿名性を獲得して商品化するc 貸し手としての,また借り手としての産業資本の個別性は,銀行を通して,その個別的な再生産過 程から相対的に独立したものとして社会的に抽象化され,銀行の支払い利子率と受け取り利子率の 水準に反映されるものとなる。貨幣市場機構の成立は,資金の形成ないし供給と.充用ないし需要 の関係

ι

個別諸資本の再生産過程の関係から間接化,相対化することになるのである刷。貨幣の商 品化は、遊休貨幣資本の社会的融通乞資本家社会的に一般的な資金の売買として,抽象的な商品 売買関係に一元化することによって実現するものにはかならないわけである。

I

I

I

.

投 資 と 貸 し 付 け 一 一 結 ぴ に か え て 一 一 結びにかえて,宇野の資金概念の提起の構造と意義について総括しよう。 資金の概念、は,概ね, 3段の論理構造に規定きれているように思われる。第1に,流通から引き 上げられ,流通への復帰の方向性を有する貨幣として(資金

1

)。第

2

に,産業資本の再生産過程か ら一時的に遊離する遊休貨幣資本として(資金II)。第3に,貨幣市場において社会的に融通きれ, 商品として売買される貨幣として(資金III)。 資金

I

は,産業資本の再生産過程に位置づけられて,資金

1

1

に転化される。価値の増殖率の極大

f

じを行動の基準とする個別資本の遊休貨幣資本は,流通への復帰の方向を必然イじさせることになる わけである。いいかえれば,資金

1

1

において,遊休貨幣資本には,増殖機会を求めて出動しなけれ 44) 宇野は,銀行の資本形式について次のように述べているε「銀行は産業資本の遊休資金を安〈買い.ニれを高〈売るわけで 商人資本をなすのだが,それがG-W-G'でもちょっとあらわせなし'oWが資金なので.GとWとG'がいずれも貨幣なのだ」 (前掲.宇野編F資本論研究JV. 345ベ ジ)。いうまでもなく, z-G*-z'の定式 li. 銀行資本による,自己資本の投下と その増積,回収の運動の全体を示すものではなし、。銀行の商人としての性格を端的に表現するにすぎなL。、 45) 宇野 ~I 日原論ぁ 476ページ。 46) 宇野『原理論の研究J,173. 189ページ.参!!日。 33

(17)

ばならない必然性が与えられることになる。ところが,資金IIは,遊休の期間,資金額の大きさ等, 産業資本の個別性をまぬがれないから,個々の貸付関係を通じてその増殖動機を充足させることは 容易ではない。資金IIのこのような個別的性格は,銀行に集積きれていわば平均化された商品とし ての資金田において,解消ないし消極化きれるものといってよい。 資金の概念は,貨幣の商品化を産業資本の内的な機構としての貨幣市場機構として措定する基軸 の概念であるといってよいが,これとはやや別の観点からいえば,宇野による資金概念、の提起の意 義は,原理的に規定されうる運動体としての資本U:,貨幣を貸し付けるものとしては自立しえず, 貨幣の貸し付けをも,価値増殖の手段として資本投下の対象とするものであることを明確にしたと ころにあるように思われる。運動体としての資本は,資本を貸し付けるのではなしマルクスのい うように資本としての貨幣を貸し付けるのでもなし貨幣の貸借を資金の売買の形態を通して資本 投下の対象とするのである。先の図において,産業資本Aの遊休貨幣資本 (g)の銀行への貸し付け li,G-W"・

p

・"W'-G'の運動をなす資本投下に付随する補足的な資本投下であり, Aの受け取る利 子(ピとgの差額)も産業資本の本来の利潤の一部にはかならないものといってよいし,銀行資本に しても,私的な個別資本として,自己資本の投下の対象として,遊休貨幣資本の集積と貸し付けが 選択されているのであって,銀行資本にあっても利子を生む資本として規定することはできないの である。利子は資金の価格であり,資本は利子を生むのでなく利潤を生むのである4九宇野は,利子 を資本家的市場機構に定位きれて商品化された資金の価格として措定しえたことを通じて,資本は 競争にもとづいて利潤を生むのであって,利子を生むものとして抽象的に規定されるべきではない こと,いいかえれば,資本は貸し付けをも投資の対象とする運動体であること,を明らかにしえた わけである。 宇野は,

i

貸付資本が金貸資本の形式を資本主義社会に生かしてくる48)

J

i

資本の流通形式のーっ となった金貸資本的形式

G

G

'

が資本家的生産方法を基礎に再現する叫」というのであるが, しか し,産業資本の遊休貨幣資本の運動(図のAにおけるg

g')は, G - W

P

W'-G'の補足的運動 であるし,銀行と借り手である産業資本Bのあいだの貸借関係

ι

銀行にとってG

G'のようにみえ るとしても,このGは銀行が投下したものではなく,資本家社会的な産業資本間の資金の融通の関係 にはかならないから,ここでも,自立的な資本としてG…G'が「再現する」とはいえないように思わ れるのである。貸付資本は,自立的な運動体としての資本となるわけではなく,貸し手と借り手の あいだを移動する貨幣にほかならないわけである(本稿第1節,マルクスの利子生み資本の検討を 47)宇野は,資本の商品化との関連においてであるが,次のように述べている。「純粋の資本主義社会においては.資本は一般 に利潤をうるものとして資本なのであって rそれ自身に利子を生むものとしての資本』は.現実的には商品として売買され ることにはならな,>J (宇野『方法論J.31ページ)。なお. (貨幣の)貸し付けと(資本の)投下.手IJ子と利潤の区別と関連 について,宇野弘蔵編『資本論研究J 1.筑摩書房.1967年.329ベ ジ,のIIJ口重克の発言を参照されたい。 48)前掲,字野 F資本論五十年J(下入 807ページ。 49)宇野 fl日原論J.458ページ。

3

4

(18)

貨幣の商品化と資金 参照されたい)。 資金は,産業資本の貨幣資本の姿態と流通手段としての貨幣のあいだを往還しつつ、産業資本の 利潤率の増進,生産の拡大を資本家社会的に媒介することになるのであった。宇野 J丸 資 本 が 利 子 を生むようにみえる関係乞資金の価格としての利子を得ることをも資本投下の対象として,価値 増殖の拡大,利j閏率の極大化をはかる諸資本の競争によって市場機構的に支えられている関係とし て,編成することができたのである。いいかえれば、'マルクスの資本としての貨幣の商品化論は, 宇野によって,産業資本の投資行動を展開の動力とする,資金としての貨幣の高品化論として措定 されたのである問。 50)字野の資金概念の提起によって可能となった,貨幣の商品化のこのような市場機構としての展開の方法は,資本の商品化 論ないし擬制資本論の疑問にも,方法上の示唆を与えるものと思われる。宇野の資本の高ん13化論の検討は別稿に譲らざるを えないカヘ資本の商品化も,手Iji閏率の極大化を行動原理とする運動j体としての資本が具体的に編成する諸市場機嫌に位置づ けられるものとして.展開きれなければならない。すなわち.資本の商品化は.それ自身利子を生むものとしての資本形態 の 定 成 , 観 念 的 な 資 本 の 物 神 化 の 完 成 と い う 側 面 か ら の み で は な し 資 本 物 神 の 完 成 を 支 え る こ と に な る , 産 業 資 本 の 競 争 行動によって措定される資本市場機構の展開としても説かれなければならないものと思われるのである(運動体としての資 本の商品化の展開について,宇野による方法上の注意として r原理論の研究J.189. 224ベージ r方 法 論J.286ページ.前 掲 r資本論研究JV. 336ベ ジ f ?ルクス経済学の諸問題J. 164ページ,等を参照i。なお,山口重克「資本論の読み方 宇野弘蔵に学JJ-一』有斐閣.1983年 . 第2再¥1第4章「資本の物神性一一それ自身に利子を生むものとしての資本の問題 点 一 一J.柴煩和夫 F社 会 科 学 の 論 理a東京大学出版会.1979年.75-77ベージ.をも参照)。

参照

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