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マキノ町扇状地群の開発と土地利用 : 百瀬川・石庭・牧野扇状地の比較地誌

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滋賀大学教育学部紀要 人文科学 ・社会科学 ・教 育科学 No.37  p.p.69一 一89,1987 69

マ キ ノ町扇状 地 群 の 開発 と土 地利 用

百 瀬 川 ・石 庭 ・牧 野 扇 状 地 の比 較 地 誌 一

野 間 晴 雄

:Land  Reclamation  and  Land  Use  of Alluvial:Fans       in Makino  Town,  Shiga  Pref.

Haruo  NOMA 1.  は じめ に   琵 琶 湖 を中心 と して 同心 円 的 な配 列 を とる滋 賀 県 の地 形 に お い て、 扇 状 地 は、 沖積 低 地 の地 形 要 素 の なか で は最 も高 い と ころ に位 置 し、外 縁 の 山地 や 、段 丘 ・丘 陵 と明 らか な傾 斜 の不 連 続 に よ っ て 分 か た れ る。 しか し沖 積 低 地 や段 丘 ・丘 陵 は、南 部 や 東 部 に広 く、北 部 や西 部 に 狭 い とい う偏 りが 存 在 す る。   図1に み る よ う に、 高 島 郡 マ キ ノ町 域 に は2       ももせ 本 の:重要 な河 川 が 存 在 す る。 一 つ が百 瀬 川(幹 線 流 路 延 長12.0㎞ 、 流 域 面 積44.78瞳)で 、 あ と一 つ が 知 内 川(幹 線 流路 延 長17.5㎞ 、 流 域 面 積49.86k㎡)で あ る。 い ず れ の河 川 も県 内 で は 比 較 的 短 少 な 河 川 で あ り、野 洲 川(流 長64㎞ 、 流 域 面 積366kの 、安 曇 川(流 長52㎞ 、 流域 面積 3111wi)な どの 主 要 河 川 に比 べ て 流 長 ・流 域 面 積 と もに一桁 小 さい。 しか し湖 西 南 部 の志 賀 町 の 比 良 山 麓 複合 扇 状 地 群 の諸 河 川 に比 べ る と一 桁 大 きい 。 こ の2つ の河 川 が 作 る扇状 地 が 本 稿 で 対 象 とす る もの で あ る。 す なわ ち 、百 瀬 川 の 作 る 百 瀬ll1扇状 地 、知 内 川 支 流 の堀 切 川(全 長       いしば 3.1km)が っ く る 石 庭 扇 状 地 、 同 じ く 知 内 川 の         よきとも 支 流 で あ る釜 研 川(全 長4.0㎞)の 牧 野 扇 状 地 で あ る 。以 下 の行 論 で は、 この 名称 を用 い る。 た だ 、 後二 者 の名 称 は一 般 的 には あ ま り用 い ら れ て い る もので は ない が 、 扇 状 地 に立 地 す る集 落名 か ら私 が 仮 に命 名 した もの で あ る。   こ の う ち、牧 野 扇 状 地 は 、前 二 者 と異 な って 、 同心 円 状 の 高等 線 を した 典型 的 な 扇状 地 で は な く、と りわ けマ キ ノス キ ー場 が 立 地 す る斜 面 は、 山麓 の 崖 錐 ・麓 屑 面 的性 格 を持 っ て い るが 、 こ れ も本 稿 で は扇 状 地 に含 め る こ とに す る。 いず れ の 扇状 地 も、 山 地 か ら流 れ 出 た河 川 が段 丘 ・ 丘 陵 を通過 せ ず に、 扇状 地 に移 行 して い る の を 特 色 とす るが 、 後 二 者 は支 流 が 作 る扇 状 地 で あ る。   この小 稿 の 目的 は 、 こ れ らの 扇 状 地 群 の 自然 地 理学 的基 礎 を踏 まえ た うえで 、 開発 の歴 史 的 過 程 や土 地 利 用 を概 観 したの ち、 著 しい 対 照 を みせ る百 瀬 川 と牧 野 扇 状 地 の 現 在 の土 地 利 用 や そ こで の生 活 の一 端 を比 較 地 詩 的 に考 察 す る こ とで あ る。 この報 告 の元 に な った 調 査 は、 昭 和 61年7月28日 ∼31日 にか けて 実 施 した 地 理 学研 究 室 の 学 生 実 習 を兼 ね た 共 同調 査 で あ る(1)。 成 果 の 一 部 につ いて は62年1月17日 に開 催 され た第32回 滋賀 大 学 湖 沼 実 習 施 設 の 講 演 会 で発 表 したが 、 そ の後 の補 充 調 査 に よ って 新 た な知 見 を加 えた ものが 本 稿 で あ る。 2.地 形 ・自然 災 害 と土 地利 用 概観 (1)湖 西扇 状 地 群 の性 格   滋 賀 県 湖 西 地 方(2)は 、 東 に琵 琶 湖 、 西 に比 叡 ・比 良 山地 や 野 坂 山 地 が立 ち は だ か り、沖 積 平 野 の発 達 は安 曇 川低 地 を除 い て極 め て悪 い 。 湖 東地 方 の 沖 積低 地 が 湖岸 に 向 か っ て扇 状 地一 1987年9月21日 受 理 。 滋 賀 大 学 湖 沼 実 習 施 設 業績303号

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70 野間 晴雄       ぐ、 ・、.       、         、 マ キノ町r'》       ρ・     ' ∫ ・」 ! 、 '、 高 島郡   コ ヘ       ロロロ   曾■ ●   .  r     ■「■       ∼    、 .-. 、 , ノ ∼ ㌧ 琵 琶 ,湖 滋賀県   '   、 ( " ! OG J 、 ﹁ , ヒ ︾ 1, ノ つ   尾     、     、     ,'     」   !   ∼   '!     ∼     」     `     ノ   ノ   '1' \ \    & マキ ノスキー場         し`,㌔b       谷 + も 白 十 十 十 峯 ↑ 十 十 車 争 十 ● ﹁

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マ キ ノ町扇 状 地 群 の 開発 と土 地 利 用  一 百 瀬 川 ・石 庭 ・牧 野 扇状 地 の 比 較 地誌 一 71 自然 堤 防 ・後 背 湿 地 帯一 デ ル タ(三 角 州)と 模 式 的 に移 行 す る の に対 して 、湖 西 の 扇状 地 群 は、 安 曇 川 低 地 を 除 いて は、下 流 に 自然 堤 防 ・後背 湿 地 帯 や デ ル タを ほ とん ど欠 い て い るか 、存 在 して も ご く狭 い 。 湖 岸 の 標 高86m(水 面 標 高 85.6m)一90Mに 分 布 す る狭 長 な三 角 州 性 低 地 も、 湖 水 面 の低 下 に よ って形 成 され た部 分 が か な りあ る と思 わ れ る。 た だ 、比 良 山麓 の複 合 扇 状 地 群 だ けは 、湖 岸 付 近 の河 床 も粗 粒 の礫 で構 成 され て 、 直接 、琵 琶 湖 に流 入 して お り、 や や 例 外 的 で あ る 。   湖 岸 に形成 され る沖 積 平野 は 、 海岸 に形 成 さ れ る場 合 と異 な って 、 潮 汐 作 用 が な い た め、 感 潮 デ ル タ を欠 く。 大 矢 雅 彦 は、 この よ うな湖 岸 の堆 積 環 境 を重 要視 して 、 海 岸 に形成 され る沖 積 平 野 と は別 の 類 型 を設 定 して い る(3)。 湖 西 の扇 状 地 群 は、 氏 の分 類 で は、 陸 上 部 の堆 積 物 質が 砂 ・礫 の粗 粒 で あ る 「扇 状 地+自 然堤 防」 で 、水 中 部 が 前 置斜 面 の明 瞭 な水 中デ ル タ とな る下 位 分 類 に該 当 す る と考 えて よい 。 (2)マ キ ノ町 の 扇 状 地群   次 に、 これ らの 扇状 地 群 の地 形 ・河 川 災害 を 中心 と した 自然 的 基 礎 や 開発 の歴 史 的 過 程 につ い て述 べ よ う。   a)百 瀬 川 扇状 地   こ の扇 状 地 は標 式 的 な扇 状 地 と して 、 中 学 ・ 高等 学 校 の参 考 書 や 読 図 の た み の地 形 図 集 には 甲府 盆 地 と並 んで 扇 状 地 の代 表 事 例 と して 最 も よ く取 り上 げ られ る もの の 一 つ で あ る(4)。 扇 端 部 を結 ぶ 見 事 な集 落 立 地 や 、 「深 清 水」 の 地 名 か ら推 定 され る湧 水 の 存在 、 天井 川 を く ぐる 道路 トンネ ル 、扇 央 部 にみ られ る広 葉 樹 林 の 存 在 は 、確 か に 中等 教 育 レベ ル で は 適切 な教 材 と い っ て よい。 しか しこの 扇状 地 の 形成 過 程 を人 文現 象 と関係 付 け て本 格 的 に論 じた もの は ほ と ん どな い 。 む しろ、 上 流 山 地 の 土 石流 災 害 の メ カニ ズ ム に関心 が 集 中 し、 そ の 膨 大 な砂 礫 の堆 積 の場 と して セ ッ トで 扇 状 地 が と らえ られ て き た(5)。 上 流 部 の 地 質 は、 丹 波 山 地 か ら連 な る 秩 父 古生 層 で 、チ ャー ト ・粘 板 岩 ・頁 岩 ・硬 砂 岩 な どか らな り、土 砂 崩 壊 は む しろ 起 こ りに く い 地 層 と い え よ う(6)。 そ の 河 川 延 長 に比 較 し て 非 常 に 膨 大 な土 砂 供 給 量 の要 因 は、 今 津 町域 を流 れ る 石 田川 と百 瀬 川 の 河 川 争 奪 に よ り、 百 瀬 川 が 石 田川 の上 流 部 を斬 首 した 結 果 、百 瀬 川 の下 刻 作 用 が増 大 した た め とい わ れ る(7>。 こ の河 川 争 奪 地 点(河 川 争 奪 の肱)は 、標 高420m 付 近 にあ り、 こ こ を中 心 に斜 面 崩 壊 地形 が集 中 して い る。 そ れ よ り も上 流 、標 高510Mよ り も 高 い部 分 に は平 底 谷 が 広 が り、 湿 地 とな って い て 、 無 能 河 川 が 流 れ て い る(8)。 し か し水 山 高 幸 が指 摘 す る よ うに、 河 川 争奪 の時 期 の 認定 と 現 在 の百 瀬 川 上流 部 の崩 壊 が示 す侵 食 の 形式 が 連 続 的 な もの か ど うか は、 今後 に残 され た課 題 で あ る(9)。   現 在 の 扇 状 地 は150mを 扇 頂 部 と して 、扇 端 部 は90M、 縦 長(現 在 の河 道 部 分)2.25㎞ 、 勾 配22.2/1,000で あ り、 比 良 山 麓 の 扇 状 地 の 40/1,000程 度 に比 べ る と緩 傾 斜 で あ るが 、 盆 地 内 の小 扇 状 地 の なか で は、 ほ ぼ平均 的 な値 で あ ろ う⑯ 。   現 在 の河 道 は扇 状 地 の北 に片 寄 っ た位 置 にあ り、 標 高1400m付 近 か ら下 流 は天 井 川 化 して 最 も高 い と ころで は、 河 床 と堤 内地 との地 盤 高 の 唱 比 高 が7一 一8mに お よ び、 能 瀬 良 明 は 六 甲 山 麓 に か わ 仁 川 の 天 井 川 と と もに 、 「日本 最 高 の 天 井 川 」 と して 紹 介 して い る(11>。この 天 井 川 は、 川 幅 を上 流 よ りも狭 め なが ら湖 岸 の 知 内 浜 まで連 続 す る。 天 井 川 沿 い の微 高 地 は標 高87m付 近(図 2のA点)ま で 伸 びて きて い る が 、 そ れ よ り も 下流 に は天 井川 を作 りなが らそ れ に沿 った微 高 地 はみ ら れ な い 。籠 瀬 は、 「人 間 の 力 を強 く受 けた 自然 堤 防 」 ニ 「天井 川 沿 いの 微 高 地 」 と、 「河 川 その もの と して の天 井 川 」 と して 峻 別 す る こ と を提 唱 して い るが(12)、百 瀬 川 の場 合 こ の 両者 の コ ン トラス トが と りわ け は っ き り して い る。河 川 と して の 天井 川 は三 角 州 性 低 地 にみ られ る こ とに注 目 した い 。 人 間 の力 に よ って 河 道 を固 定 した た め、 河 床 が上 昇 して 、天 井 川 化 す るの で あ るが 、 粗 粒砂 礫 は ほ とん どA点 まで で 堆 積 して し ま うよ うで あ る。   図2は 明 治26年(1893)測 図 の正 式2万 分 の 1地 形 図(13)を基 図 と して 、 当 時 の 土 地 利 用 を 示 した もの で あ るが 、 そ こ に藤 原敏 朗 の復 原 に よる 堤 防 の建 設 時 代 を書 き加 え て お い た(14)。  『高 島 郡 誌』(1927)や 、 『マ キ ノ町 誌」(1986) な ど か ら拾 い だ した 百瀬 川 の 主 要 な破 堤 記 録 か ら判 明 す る こ とは 、次 の4点 で あ る。

(4)

72 野 間 晴雄 1

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内湖 破堤 頻発箇所 ジェー ン台風 での破堤箇所 ⊂ ≦)・ 古酬 び欄 ① 文化堤        ②黒川堤 ③ 高川堤        ④北 爆 ⑤ 明治11年 までの堤 ⑥ 明治12年完成 の堤   Q   OQ    "}白 谷・ 一QQQQQQ QQQ=ご ●       コ     QQ ㌧.     q∼       Q,.       d● '等       Q 下 蒼頭塚古墳 ㌔. '    野牧 …Q。 ∫ `… 匿"・ …"、'α   コヘロ Qd一. Q 、,'。、

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マ キ ノ町 扇状 地 群 の 開 発 と土 地 利 用  一 百 瀬 川 ・石 庭 ・牧 野 扇 状地 の比 較 地誌 一 73 】05. loo 95 go 85 75

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鴛 怒三 置  幽 6 ℃. 「 1 ,'ノ・ク   上記二種の瀧 脚顔 置05. 100 95 go 脆 8Q 75 図3  百 瀬川 扇 状 地 の 地 質柱 状 図 とN値(番 号 は図1の ×の位 置 に対 応 す る)    1)  18世 紀 か ら現 在 までの 破 堤 は左 右 両 岸      で発 生 して い るが 、 近世 の破 堤 は左 岸 が       よ り激 甚 で 、 と りわ け沢 ・森 西 の 間付 近      で頻 発 して い る。    2)  本 川 の 膨 大 な土砂 に よ り、 石 庭 ・辻 方      面 か ら石 庭 扇 状 地 の 扇側 部 を流 れ る水 路      が遮 断 さ れ、 しば しば 沼 地 と化 した(15)。    3)河 道 の屈 曲点 で 破 堤 が 頻発 し、 それ を      防 ぐた め左 岸 を中 心 に堤 防 が強 化 され た       (図2の ① ∼⑤ な ど)。    4)  明 治期 以 降 も破 堤 は頻 発 す るが 、右 岸      の 回 数 が増 加 す る。 扇 状 地 の 地 下 の 構 造 に つ い て は、 ボ ー リ ン グ デ ー タが 乏 しい た め 、正 確 な状 況 は把握 で きて い ない が 、 今年 調 査 され た湖 北 バ イパ ス の工 事 の た め の地 質柱 状 図 が入 手 で きた の で 、 既往 の 柱 状 図2つ を加 えて 、資 料 堤 示 の 意味 を込 めて 、 一応 の推 定 を して み た い(16)   図3が その柱 状 図 を ま とめ た もの で 、 そ の 位 置 は 図1に ×印 で 示 す 。 地 質 区分 は、 玉 石 が 混 入 した砂 礫 、 砂 、 シル ト ・粘 土 の3区 分 に私 が 編 集 し直 した。 ⑦ を除 い て どれ も玉 石 混 じ りの 砂 礫 質 が 大 部 分 を 占め る が 、 そ の 中 に帯 状 にN 値 の小 さい砂 や シ ル ト ・粘 土 か らな る相 対 的 に 軟弱 な層 が み られ る。 この うち 、① の97m付 近 の 地下 水面 下 の シ ル ト ・粘 土層 が つ なが る と考 え る と、 そ れ よ り下 の 粗 い 礫層 は よ り古 い扇 状 地 堆 積 物 あ る い は段 丘 堆 積 物 の 可 能 性 が あ る 。 ま た 、 ⑥ の マ キ ノ 南 小 学 校 地 の デ ー タ は 、25m 以 上 に わ た っ て ボ ー リ ン グ さ れ て お り、 全 体 と し て 、 粗 礫 に 、 砂 や シ ル ト混 じ りの 砂 が と こ ろ ど こ ろ に 滞 層 と して 挾 ま っ て い る 状 態 で 、N値 、も ば らつ き が 大 き い 。 こ こ で は 、88m、 あ る い は84m付 近 の 軟 弱 層 を 狭 ん で 新 旧 の 扇 状 地 に 分 か れ る 可 能 性 を指 摘 す る に と ど め る 。 ⑦ は 、N 値 が 地 下3mま で か な り小 さ い 軟 弱 地 盤 で あ り、 表 土 は 水 田 と な っ て い る 。 石 庭 扇 状 地 と の 間 の こ の 低 地 は 、2つ の 扇 状 地 が 完 全 に は 連 続 し て い な い 部 分 で 、 百 瀬 川 本 川 の 河 床 上 昇 に よ る 排 水 不 良 に な っ た 軟 弱 地 盤 と 思 わ れ る 。   ま た 、 現 河 床 の2地 点S1とSz(図1参 照) で 、100個 の 礫 を ラ ン ダ ム に と っ て そ の 粒 径 を 測 定 した 結 果 で も 、 長 径 の 平 均 はsill.2cm、 S211.3cmで あ る 。5∼10cmの 粒 径 にS,で38、 S2で40が 集 中 し、 と も に 粗 礫 質 と み な し て よ い 。   扇 状 地 面 に 目 を移 す と、 北 半 分 と南 半 分 で は 土 地 利 用 に は っ き り と した差 異 が 存 在 す る 。 こ れ に よる と、 広 葉樹 を中心 と した平 地 林(当 時 の凡 例 で は闊 葉樹)が 扇 状 地 の北 半 分 には圧 倒 的 に多 い が 、南 半 分 は水 田 と桑 畑 にな って い る。 桑 は開 国 に よ って 生 じた外 国 か らの生 糸 需 要 に 応 え る もの で あ る。 江 戸 時 代 か らの養 蚕 核 心 産 地 で あ った東 浅 井 郡 ・伊 香 郡 に比 べ る と、 高 島

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74 野間 晴雄 郡 は 後 発 地 域 で あ るが(17)、明 治 中 期 か ら栽 培 が 急 増 した。 郡 内で は最 も桑 栽培 が盛 ん に行 な われ た の が 、 こ の図 にみ る旧 百瀬 村 で あ る。 最1 盛 期 と考 え られ る明 治36年(1903)に は 、春 蚕 266戸 、夏 蚕323戸 、 収 蔵 量427石 で あ り、 当 時 、 2軒 に1戸 は 養 蚕 に従 事 して い た(18)。あ と一 つ の顕 著 な土 地 利 用 が 水 田 で あ る 。百 瀬 川 の旧 流 路 と考 え られ る凹 地(周 囲 との 比 高 は約50cm) に扇 状部 か ら連 続 的 な水 田 が 広 が って い る。 主 要 な流 路 は空 中写 真 か ら3系 統 確 認 さ れ る。 そ の 凹 地 を幹 線 水 路 が 流 れ 、 これ に よっ て用 水 が 潤 沢 に得 られ る こ とが 、 水 田 にな って い る最 大 の 理 由 で あ る。 取 水 地 点 は扇頂 部 よ り も上 流 の B地 点(標 高161m)で 、 そ こか ら百 瀬 川 本 流 に並 行 して流 れ て、 扇 頂 部 で南 東 に分 流 す る。   現 在 の 百瀬 川 の河 道 は 扇状 地面 の著 し く北 に 片 寄 った位 置 に あ るが 、 か つ て の流 路 や地 下 の 構 造 か ら推 定 して 、 南 か ら次 第 に北 へ 変 え て い っ た もの と推 定 さ れ る(19)。土 地 利 用 も よ り 集 約 的 な水 田 か ら果 樹 、雑 木 林 と変 わ って い く。 ..2,500分の1の 大 縮 尺 地 形 図 で2mご との等 高 線 を微 視 的 に み る と、 南 半分 に よ り開析 を受 け た 凹凸 が存 在 す る。 これ に対 して 、北 は現 河 道 と左 岸 側(沈 砂 地 付 近)が 膨 大 な土 砂 供 給 に よ っ て 大 き く張 り出 して い るの を除 け ば、 凹凸 の 少 な い典 型 的 な 同心 的 等 高線 を示 す 。   b)石 庭 扇 状 地   知 内 川 の支 流 、堀 切川 に よ って形 成 され た 扇 状 地 で 、扇 頂 部 に石 庭 の 集 落 が 、扇 側 部 に辻 驚 森 西 、 扇端 部 に は南 牧 野(大 字 は牧 野)・ 寺 久       ひるぐち 保 ・醍 醐(大 字 は寺 久保)・ 蛭 口 ・沢 の 各 集 落 が 立 地 す る 。百 瀬 川 の 扇状 地 に比 べ て 扇 端 部 は loom前 後 とlomほ ど高 い だ け な の に対 して 、 扇 頂 部 の標 高 が185mと35mも 高 い。 扇 端 部 の 北 部 と知 内川 の細 長 い 谷 底 平 野 との 間 に はか な り明 瞭 な崖(比 高 約8m)に よっ て分 断 さ れて い る。 最 大 長 は1.2km、 平 均 傾 斜75/1,000と 百 瀬 川 扇状 地 に比 べ る とか な り急 で あ る。   この 扇状 地 を流 れ る 河川 は 天井 川 に な って お らず 、 扇央 部 で の 伏 流 もな い 。 む しろ知 内 川 の 合 流点 付 近 で は下刻 が進 んで い る若 い 扇 状 地 で 'あ る(20) 。 旧河 道 に 当 た る もの は微 細 に み る と、 か な り乱 流 して い た こ とが 空 中写 真 や 大 縮 尺 地 形 図 か ら推 定 で きる が、 主 要 部 が 果 樹 園 に な っ て い て 、百 瀬 川 扇 状 地 の場 合 ほ どは っ き り しは ない 。事 実 、 百 瀬 川 の よ うな激 甚 な破 堤 災 害 は 管 見 の 限 りで は、 ほ とん どな か っ た とみ て よ い が 、辻 ・森 西 や 沢 は隣 りの百 瀬 川 の破 堤 氾 濫 し た 場合 に 、大 きな被 害 を受 け た。図1に 旧 河 道 ・ 浅 谷 と示 して お い たの は、 ほ ぼ 同 じ レベ ル で確 認 され うる もの だ け に限 った。 そ れ をみ れ ば わ か る よ うに、 南 側 に相対 的 に比 高 の 低 い部 分 が 存在 し、水 田 と な って い る所 で は、 灌 漑 用 水 と して 山 麓 の谷 水 を 利 用 して い る。 山 の 中 に は 緑 ヶ池 が 正 式2万 分 の1地 形 図 にす で に み られ る。 また、 この 水 田 とは連 続 は しない が 、 辻 か ら森 西 にか けて の 扇側 部 に も水 田 が み られ 、 い ず れ も谷 水 を水 源 とす る 。 こ れ らの 水 田 は明 治 中期 に はす で に存 在 して い る。   しか し開 発 過 程 の 詳 しい プ ロ セ ス に つ い て       とも は 、資 料 不 足 の た め不 詳 で あ る。 平 安 時 代 は靹 ゆい 結 郷 に属 して い た と推 定 され 、 古 北 陸 道 が この 扇状 地 を横 切 り、石 庭 付 近 に靹 結 駅 を比 定 す る 説 も あ る(21)。また 斉 頼 塚 古墳 は こ の 地 方 の 盟 主 の 墓 と され る 円 墳 で あ る(図2参 照)。 少 な くと も辻 村 の 享 保9年(1724)の 『辻 村 高 反 別 指 出帳 』に は 、元 禄5年(1629)・ 享 保2年(1717) の新 田検 地 に よ る下畑 や下 田が 記 載 され て い る こ とか ら推 定 で きる よ うに、 江 戸 時 代 中 期 に部 分 的 な平 地 林 の 開 墾 が が扇 状 部 を中 心 に 行 なわ れ た とみ て よい 。 また石 庭 の 北 の 扇 側 部 の 水 田 も近 世 に開 か れ た よ うで 、水 源 と して は 青 谷 た め 池(享 保 年 間 に はす で に存 在)に よ っ て い る(22)。こ れ ら の た め 池 は 、 単 に渓 流 の 水 を引 水 す る だ けで は不 安 定 な扇 状 地 の 水 田 開 発 の た め に、 よ り恒常 的 水供 給 の機 能 を果 た した こ と は容 易 に推 測 で きる。   しか し扇 央 部 は現 在 もな お雑 木 林 が か な り分 布 し、 水 田 は 開 か れて い な い 。 こ こ に は周 辺 集 落 の 区 有林 や学 校 林 、 個 人所 有 の 山林 な どが 混 在 して い た。 いず れ もクヌ ギ や ナ ラ を主 体 と し た 薪 炭林 と して 機 能 して い た もので あ る。 第 二 次 世界 大 戦 後 の食 糧 増 産 の要 請 に応 え る た め、 この 地域 の 開墾 が 計 画 され 、 国 に よ って 買 い上 げ られ た。 しか しそ の後 の食 糧 事 情 の 好 転 で 、 開 墾 されず に長 ら く放 置 され て い た。   そ の高 度 利 用 が 県 や 町 ・一 部 地 主 に よ って 昭 和30年 代 後 半 か ら考 え られ る よ う にな る。 この

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マ キ ノ町扇 状 地 群 の 開 発 と土 地 利 用  一 百 瀬 川 ・石 庭 ・牧 野 扇状 地 の比 較 地 誌一 75 直接 の 契機 は、 終 戦 直後 の 始 め られ た 国 の緊 急 開 拓 事 業 が新 しい時 代 に そ ぐわ な くな り、昭 和 36年(1961)に 新 制 度 のパ イ ロ ッ ト事業 の実 施 要 綱 が 定 め られ た こ とで あ る。 従 来 の 開 拓 制度 と異 な るの は、入 植:重点 主 義 で は な く、 既存 農 家 の規 模 拡 大 に重 点 を置 くこ と、米 麦 以 外 の 主 要 食 糧 以 外 の 果樹 ・畜 産 ・野菜 な どを基 幹 作 物 とす る こ と な どで あ った 。 滋賀 県 で は泰 山寺 野 (安 曇 川 町:モ モ ・ク リ)・ 布 引(永 源 寺 町:       む しょうの ク リ)・ 頓 宮(土 山:茶)・ 虫 生 野(水 口町: 茶 ・苗 木 ・米)と な らんで 、 こ こが 県営 開拓 パ イ ロ ッ ト事 業 の 指 定 を受 け た(23)。昭 和37年 か ら40年 に か け て68.8haを 対 象 と して 、 抜 根 開 畑 、 幹 線 道路 建 設 、 土壌 改 良 な ど を実 施 した の ち、 ク リ を4万 本 植 栽 した。 経 営 ・維持 管理 は 地 権 者 の 団 体 で あ る農 事組 合 法 人 「マ キ ノ果 樹 生 産 組 合」 を組 合 員145人 で 設 立 して行 な って い る(24)。   昭 和46年(1971)か ら は、観 光 農業 へ の 脱 皮 を図 っ て、 観 光 果 圃 を開 設 した 。湖 西 線 が 開 通 した昭 和49年 以 降 は 入園 客 が 年 間2万 人近 く訪 れ た こ と もあ った が 、交 通 の 不 便 さや他 の施 設 に乏 しい こ と な ど の要 因 で 、現 在 で は7,000人 前 後 に 減少 して い る。 ク リの収 穫 時期 との 関係 で 、 開 園期 間が9-10月 の約1カ 月 と極 め て 限 定 され る こ と、 成 木 の 老 木化 に よ る収 穫 量 の減 少 、 共 同 経営 方 式 の ため 個 人 の経 営 意 欲 が も う ひ とつ 上 が らな い こ とな ど、課 題 も多 い 。 しか し近 年 は、 い も掘 りを同 時 にで きる よ うに した り、60年 か らは 各種 の果 樹 苗 を栽 植 して果 樹 観 察 園 を計 画 す るな ど、滋 賀 県 が 推 進 して い る 自 然 休 養 村 構 想 に呼応 して 、マ キ ノ町 観 光 の核 と な る 「土 に学 ぶ里 」(昭 和54年 開 始)の 重 要 な 施設 の ひ とつ と して 、 そ の一 翼 を担 お う と して い る 。   c)牧 野 扇状 地   北 牧 野 は扇状 地 の 扇端 部 に あ り、 集 落 は標 高 130一一140mに 位 置 す る。 付 近 に は製 鉄 遺 跡 や 後 期 の 群 集 墳 が 存 在 す る 。 こ れ に対 して 、 西 牧 野 は山 麓 に接 した 小 規模 な 扇状 地 に 、南 牧 野 は石 庭 扇 状 地 の扇 端 部 に位 置 す る た め 、北 牧 野 と は 小 さ な地 形 レベ ル で は立 地 が異 な っ て い る。 し か しいず れ も知 内 川 の 支 流 に よ って 涵養 され た 水 田が 存 在 す る こ とは 共 通 す る 。 こ れ らの水 田 は、牧 野 区 有 文書 に 『寛 文6年 新 田 畑 検 地 帳 』 (1661)が 残 さ れ てい る こ とな どか ら推 定 して 、 17世 紀 ご ろ まで に平 地 林 を開 墾 した 新 田で あ ろ う と思 わ れ る(25)。また 周 囲 の 山 地 は牧 野 の 共       かい 有 林 に な っ て い た ば な りで な く、 西 浜 ・下 開 で 田 ・上 開 田 ・寺 久 保 ・牧野5か 村 の 立 会 山が 存 在 し、 薪 ・柴 草 や ほ と ろ(若 芽)が 生活 物 資 と して 、 また肥 料 源 と して非 常 に重 要 な比 率 を 占 め てい た 。 そ の ため 両 者 の境 や そ の 用益 権 をめ ぐって の村 ど う しの 争 い もあ っ た(26)。   生 業 と して は 、 かつ て は純 農 業村 落 の 色彩 が 強 か った が 、 開墾 地 が 多 く地 味 は劣 って い る。 しか し、 豊 富 な 山林 資 源 を利 用 した 炭 焼 きや 薪 炭 材 ・苅 安(27)採取 な ど は か な り重 要 な副 業 で あ った。 北 牧 野 は 、 こ の集 落 を越 え て、 赤 塚 山 (現在 、 ス キ ー場 の あ る 山)を かす め て 、福 井       あわがら 県 の 三方 方 面 にぬ ける 粟柄 峠越 えの 峠下 集 落 で もあ っ た が 、 徒 歩 で しか 越 え られ な い こ と も あ って 、若 狭 方 面 との 交渉 は 、京 都 方面 との結 びつ きに比 べ る とず っ と弱 か った。 水 3.  百 瀬川 扇 状 地 南 部 の 農 業 的土 地 利 用 と湧  本 章 と次 章 は 、 扇状 地 の特 色 あ る土 地 利 用 に つ い て の実 態 調 査 を も とに した考 察 を行 な う。 (1)百 瀬 川 扇 状地 南 部 の農 業 的 土 地 利 用   前章 で も言 及 した よ うに 、 百瀬 川 扇状 地 は現 河 道が い ま なお 膨 大 な 土砂 を吐 き出 して い る ア クテ ィブ な扇 状 地 の 北 半 分 と、比 較 的鎮 静 して い る南 半分 で は土 地 利 用 が 大 き く異 な る。北 半 分 は雑 木林 が い ま なお 卓 越 す るが 、 一 部 は 昭和 44年(1969)ご ろ 、大 阪の 不 動 産 業 者 な どに よ っ て別 荘 地 と して分 譲 され 、 簡 易 舗 装 道 路 が つ け られ水 道 電 気 も一応 引 くこ とが 可 能 に な った 造 成 地が 沈 砂 地 の 北 にあ る 。 た だ、 入 居 者 はほ と ん どな く、荒 れ放 題 に な って い る。 薪 炭 利 用 が 全 く省 み られ な くな った 現 在 、 こ の雑 木 林 は広 大 な末 利 用 地 と して残 さ れて い る。   こ れ に対 して 、南 半分 は扇 頂 部 か ら扇 端 部 に か け て連 続 して 農 業 的土 地 利 用 が み られ る。 わ れ わ れ は こ の部 分 の 一 筆 ご との植 え付 け作 物 の 調 査 を昨 年7月 末 に実 施 した 。 結 果 は2,500分 の1土 地利 用 図 と して図 化 し、 さ らに デ ジ タ イ ザ ー とパ ソ コ ンに よ って 地 目別 ・作 付 け作 物 別

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76 野 間 晴雄 幕

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0 100 200. イ ネ 家庭 菜園 カ キ ナ シ ブ ドウ クリ モ モ 系 図 タバ コ スイ カ マク ワウ リ ーアズ キ ダイ ズ トウモ ロコシ イテ ゴ トマ ト 荒地 休閑地 水田の転用 孤立した林地 竹林 嚇{主 要小路 ⊂=⊃ ビニールハウ・ 、 〈亀目別面積比〉 〈作物別面積比〉 ●                        柿 、                    と 大,       ア 呈              柿  31 .1  , 家 庭 萩 園 3.1 ま くわ う り 23 と う も ろ こ し .2 荒 地   11.4 そ の 他   12.9 稲   29.6 キ S.0闘 混 ●● 作   帯グラフは土地利用図からのデジタイザーによる計   測値を比率(%)に 直 したものである。現地調査は   1986年7月30日。 図4  百 瀬 川 扇 状 地 南 部 の 農 業 的 土 地 利 用

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マキ ノ町扇状地群の開発 と土地利用 一 百瀬川 ・石庭 ・牧野扇状地の比較地誌一 77 の 面 積 を計 測 し、 全 体(102.2ha)の 中 で 占 め る 比 率 を計 算 した(図4)。 土 地 利 用 と して の ま とま りを考 慮 したた め 、南 半 分 は今 津 町域 を含 ん で い る こ とに あ らか じめ留 意 して い た だ きたい 。   い ち ば ん面積 と して 広 い の が果 樹 園 で 、35.6 ha、34.8%を 占 め 、 次 に 水 田(29.9%)、 畑 (22.3%)が こ れ に次 ぐ。果 樹 の89.2%、31.7 haは カ キで あ る こ とが 大 きな特 色 で あ る。 図 4を み る と、この分 布 は扇 央 部 に集 中 して い る。 扇 頂 部 よ りさ らに上 流 か ら取 水 した用 水 路 は 、 地 表 上 で 扇 端部 に接 続 して い るが 、 扇 央 部 を灌 漑 す る だ けの水 量 に乏 しい 。 そ の ため 、 乏 水 地 で 粗 放 的 管 理 に も耐 え う るカ キが 作 付 け られ て い る とみ て よい。 品 種 は圧 倒 的 に富 有柿(岐 阜 産)が 多 い 。   水 田 の 分 布 は ミ ク ロ に み て も極 め て 興 味 深 い 。 旧 河 道 と考 えて よい 凹 地 を結 ぶ よ うに 水路 が 引 か れ て い るが 、 扇 頂 部 は連 続 的 な水 田 の 配 置 が み られ る の に、 標 高120mを 境 に して 、 そ れ よ り低 い 扇央 部 で は、 水路 沿 い の耕 地 に の み 帯 状 に み られ る。 しか も、 この扇 央 部 で は ダイ ズ の転 作 が 多 く、一 部 に はカ キ を栽 植 して 果樹 園 化 した もの もあ る。 転 作 は 農業 政 策 の 反 映 で あ るが 、 個 々 の農 家 レベ ル で み れ ば、 よ り条 件 悪 い土 地 を転 作 に だそ う とす る戦 略 を と る。砂 礫 質 の 水 漏 れ の激 しい 百 瀬川 扇 状 地 で は、 通 耕 距 離 の 遠 い 、 よ り水 掛 か りが悪 い水 田が そ の対 象 とな る。現 在 の扇 状 地 の土 地 利 用 は、 粗 放化 して い って い る よ う に思 え て な らない 。 そ の な か で 、 宅 地周 辺 に は なお イネ の作 付 けが み られ るが 、 これ は、 距 離 が 近 い こ とか らす る通 耕 の 容 易 さ と、 扇央 部 に比 べ て細 粒 の土 壌 に よ る。 '扇頂 部 か ら の用 水 は この 付 近 で 一部 が 伏 流 して しまい 、 また水 量 も十 分 で は な い。 明 治 前 期 の 中 庄村 地籍 図 を みて も、 この付 近 は林 地 や 畑 地 にな って お り、 水 田 はみ られ な い。   次 に カキ につ い て検 討 しよ う。稲 作 が圧 倒 的 な滋賀 県 で は 、果 樹 栽 培 は微 々 た る もので あ り、 技 術 ・設備 ・規 模 ・市 場 い ず れ を と って も貧 弱 で あ る 。 しか し果 樹 の 中で は、 最 も栽 培 面 積 が 広 い の が カ キで あ る。 もと も とカ キ は宅 地 や農 地 の片 隅で 散 在 的 ・粗 放 的 に栽培 され た果 樹 で あ る。 しか しこ この カキ は当 初 か ら集 団的 な果 樹 園形 式 を と り、 草 津 市 の 老 上 地 区(28)とと も に、県 下 で は最 も歴 史 の 古 い 産 地 とな って い る。 そ の発祥 は 、大 正 初期 に岐 阜 県 の養 蜂 家 に よ っ て カキ の積 木 が もた ら され て、 これ を在 来 種 の 台 木 に接 ぐこ と に よ り栽培 面 積 を増 や して、 商 品 化 して い っ た もの で あ る。 昭 和 初 期 の面 積 は 1.5ha、4-5名 の 農 家 が 栽 培 し、 大 津 方 面 に 出荷 して い た とい う(29)。そ の 後 、 栽 培 農 家 は徐 々 に増 加 し、昭 和15∼6年 ご ろ に は面 積 は 7一 一8haに 及 ぶ。 肥 料 と して は こ の 扇 状 地 の       あいば の 野 草 の ほか 、饗 庭 野 の 陸軍 砲 兵 演 習 場 の馬 糞 な ど も用 い た。   戦 時 中 は食 糧 増 産 の 掛 け声 で果 樹 栽培 は どの 産 地 で も衰退 して い る。 しか しこ の 地域 で は 、 昭 和22年(1947)に 、23名 の会 員 で 研 究 会 を結 成 し、 県 農試 園芸 部 の指 導 で 増 植 を始 め 、 モ モ の栽 植 も試 み られ る。 県統 計書 で果 樹 の統 計 が 町村 別 に得 られ るの は ご く一 時期 に す ぎな い。 昭和25年(1950)の カキ の 栽培 面積 をみ る と、 県 全 体 の 集 団果 樹 園65.3町 の うち 、 深 清 水 の集 落 を含 む川 上 村 が17.8町 、 百 瀬 村 が100町 、 今 津 町 が16.7町 で 、 こ の3町 村 で 県 全 体 の6.8% を占め る に過 ぎな い。 しか し高 島 郡 だ け につ い て み る と72.4%を 占 め てお り、 きわ め て ロー カ ル で は あ る が、 産 地 を 形 成 して い る とい え よ う(30)。昭 和31年(1956)に は果 樹 組 合 が 結 成 され て、 京 都 ・大 津 を 目指 した共 同 出荷 体 制 を し く。 しか し栽培 は こ の地 域 に と ど ま り、他 地 域へ の拡 散 はみ られ な か っ た。   そ の ほか 面 積 は わず かで あ るが 、 この 扇状 地 に卓越 す る畑 作物 と して は 、マ ク ワ ウ リ、 ス イ カ、 タバ コ、 トウモ ロ コ シ 、 ダ イズ 、 アズ キ な どが あ る。 タバ コ(31)を除 い て 水 田 の 転 作 作 物 と して導 入 され た もの で あ る。 第二 次 世 界 大 戦 後 入植 した 新 田(大 字 は深 清 水)の 北 は畑 地 の 区 画整 理 で あ り、 こ の一 帯 に ス イ カ ・マ ク ワウ リや飼 料 用 の トウモ ロ コ シが 多 い 。 (2)扇 端 部 の湧 水 利 用   扇 状 地 の 末端 部 で の湧 水 とそ れ を契機 と した 集 落立 地 は よ く知 られ て い る。 しか し、個 々 の 集 落 内 で 、 どの よ うに湧 水 が 得 られ 、 そ れ が ど の よう な利 用 に供 さ れ るか 、 あ るい は 、1mか そ れ以 下 の オー ダ ーで の微 地 形 との 関係 な どに つ いて は、 これ まで ほ とん ど取 り上 げ られ て こ

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マ キ ノ町 扇 状 地群 の 開発 と土 地 利 用 百 瀬川 ・石 庭 ・牧 野 扇 状 地 の比 較 地 誌 79

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80 野間 晴雄 なか った 。 そ こで わ れ わ れ は、 新 保 ・中庄 ・大 沼 の3集 落 を 中心 に、 集 落 内 の湧 水 の す べ て確 認 し、また そ れ に 関 わ る施 設 も同 時 に把 握 して、 分 希 図 を作 成 した(図5)(32)。 こ れ を も とに して 、若 干 の考 察 を加 え よ う。   まず用 語 の説 明 を して お きた い。 自然 に湧 出 す る水 を住 民 は シ ョ ウズ と呼 んで お り、 漢 字 を 充 て る とす れ ば清 水 で あ ろ う。 しか しこの用 語 は水 自体 よ り もそ の湧 出す る場 所 を指 し示 す こ との方 が 多 い よ うで あ る。 周 りか ら土 砂 が 落 ち た り崩 れ た り しな い よ うに、 石 組 に した もの も あ る(図6)。 一 年 中 こ の水 は枯 渇 す る こ と は な い のが 特 色 で あ る。 こ れ に対 して 、 人為 的 に 石 組 や木 枠 を作 っ て地 下 へ 掘 削 し、 地 下 水 を取 水 してい るの が イ ケで 、浅 層 地 下 水 を とる井 戸 の こ とを意 味 す る 。夏 は地 下水 位 が 下 が るた め 、 枯 渇 す るの が:普通 で あ る。   こ の シ ョウ ズ とイ ケ の 分 布 の 違 い は非 常 に は っ き り して い る。 対 象3集 落 にお い て 、 イ ケ は シ ョウズ よ りも標 高 の高 い と ころ に位 置 し、 シ ョウズ が 水路 に よって 下 流 や他 の シ ョウ ズ と 結 びつ い て い る の に対 し、イ ケ は孤 立 分 散 的 で 、 個 人 所 有 が 一般 的 で あ る。   また シ ョウ ズが 主 と して 集 落 よ り東 に位 置 す る湖 岸 の 水 田 の灌 漑 用 水 と して用 い られ る の に 対 して 、 イケ は飲 料 水 ・生 活 用水 と して の利 用 が 中 心 で あ る。 シ ョウズ の 分布 は新 保 で は標 高 92-93mの 集 落 内 に、 中庄 ・大沼 で は89-90m と約2mの 違 いが あ る。 これ は扇 状 地 全 体 が 北 に高 い こ とに 関係 して い るた め と思 わ れ る。 扇 端 部 の 張 出 しが 、 新 保 ・中庄 の あ い だ の荒 地 に な って い る大 字 の 境 界 付 近 で 最 も湖 岸 へ 伸 びて お り、 そ の両 側 の 少 し入 りこん だ とこ ろ に湧 水 地 点 が集 中す る。 と りわ け 、新 保 の湧 水 は沖 積 低 地 の な か の浅 い谷 状 の と こ ろ に分布 す る のが 等 高 線 との 関 係 か ら読 み とれ る。 図7に は新 保 ・中 庄 に お け る主 要 な シ ョウズ の 流 路 の水 準 測 量 結 果 に主要 地 点 を、A-Mの 記 号 を付 して おい た 。 この記 号 は 図5に 対 応 す る。 地 表面 か ら約60cm上 に水 面 が あ り、 どの付 近 か ら7月 末 の時 期 に湧 水が み られ るか が 読 み とれ る。   集 落 か ら東 の湖 岸 低 地 に は ほほ正 南 北方 位 の 条 里 遺構 が 湖 岸 の 浜 堤 と旧 内 湖(33)にご く近 接 す る と ころ まで存 在 した こ と は、 わ れ わ れ の地 籍 図 で の確 認 や 圃 場 整 備 前 の5,000分 の1都 市 計画 図(昭 和46年 測 量)な どか ら判 明 した。 そ の 範 囲 は 図2に 加 え て お い た の で 参 照 さ れ た い(鋤。 この 湖 岸 低 地 の 灌 漑 は何 に 水 源 を求 め た の で あ ろ うか 。 百 瀬川 だ け か らの引 水 で 湖 岸 低地 の連 続 的 な条 里 を灌 漑 した とみ なす の は難 しい 。 これ らの条 里 水 田 の水 源 が 図5に み る よ うな何 箇 所 か ら も湧 出 す る湧 水 を集 め た もの で あ る可 能 性 は極 め て 高 い 。   シ ョウズ は 個 人 の屋 敷 地 内 に湧 出す る こ と も 多い 。 屋 根 の つ い た物 置 き棚 の よ う な洗 い 場 に は台 所 用 品 が 置 か れ て お り、 食 器 や 野 菜 を洗 っ た りす る こ とに も用 い られ る。 シ ョウズ は屋 根 で覆 って 私 的利 用 す る ものが 多 い が 、 そ こで使 用 した 水 は水 路 に よ って 下 流 へ 流 れ て い く。 シ ョウズ が 流 れ る水 路 を カ ワ と呼 ん で お り、 そ のな か に は 名前 が つ い た もの もあ る。新 保 の ゲ ンシ ロウ カ ワ 、 中庄 の ボ ン ノ カ ワ ・シ ミズ カ ワ な どが そ れ で 、前 者 はそ の シ ョウズ を開発 した 人 の 名前 と推 定 され る。 屋根 の 無 い洗 い場 は カ ワの 両側 が一 段 低 く階 段 状 にな って い た り、水 路 幅 が そ の部 分 だ け石 組 や コ ン ク リー トに よっ て 拡 幅 され て お り、洗 い場 と して 利 用 され る(図 8)。 こ こ で 洗 濯 した り、 収 穫 した野 菜 や 農 具 を洗 った り もす る。 新 保 の場 合 、家 の前 に あ る もの は 、個 人 利 用 され て い る が 、集 落 の東 端 に あ る比 較 的 規 模 の 大 きい もの は 、共 同洗 い場 と して機 能 して い る。 また ここ に新 た な湧 出が み られ る と こ ろ もあ る 。 この洗 い場 を共 同 ・個 人 の所 有 に関 わ りな く、 イ ケ と も呼 ぶ(35)。  琵 琶 湖 沿 岸 の 集 落 で は 、水 道 が 導 入 され る ま で 、生 活 用 水 と して 、井 戸 、 川 水 ・山 水 、 湖水 な ど多 様 な水 源 が 、用 途 ご との 重 層 的 な利 用 が されて い た こ と を滋 賀 県 琵 琶 湖 研 究 所 の 共 同研 究 は 明 らか に した 。 そ こで は伝 統 的 な用 水 利 用 が常 に排 水 とワ ンセ ッ トの もの と して 存 在 す る しが な か った生 態 学 的 連 関 と、住 民 の きめ 細 か な対 応 が 非 常 に強 調 さ れ て い る(36)。そ こ で事       あげ ちない 例 と して取 り上 げ られ た マ キ ノ 町上 知 内 と海津 東 町 は 、前 者 が 沢付 近 に湧 水 源 を もつ 前 川 とい う小 河 川 、後 者 が 井戸 と湖 水 で あ り、 地 形 条件 もわ れ わ れが 取 り上 げ た3集 落 と異 な る。 そ こ で 、 こ れ らを統 一 的 に理 解 す るた め 、 模 式 図 を 提 示 して一 応 の 説 明 の筋 道 をつ けて み た い 。

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マ キ ノ町 扇 状 地 群 の 開 発 と土 地利 用 百 瀬 川 ・石 庭 ・牧 野扇 状 地 の比 較 地 誌 81 図8  共 同 の 洗 濯場(新 保)       け 魔 \ ・・し、うず         、       凪 _扇 状地 一

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    図9  水利 用 の模 式 図   い け ↓も ⊥     ・}=h くoo l瀬1 頂   図9は 扇状 地 の 末端 に位 置 す る新 保 の よ うな 集 落 と、 湖 岸 低 地 の な か ほ ど に あ る上知 内 、湖 岸 に あ る海 津 東 町 をイ メ ー ジ して作 成 した もの で あ る。 伏 流 水 が ち ょ うど湧 出 す るA地 点 で は シ ョウ ズ と イ ケ と呼 ば れ る 井 戸 は わ ず か!∼ 2mの 標 高 差 に よ って 、現 われ 方 に 違 い が生 じ るの で あ るが 、 どち ら も水 源 と して い る の は地 下 の 浅 層 を流 れ て きた水 で あ る。井 戸 とい っ て も、 しっか りした石 組 に よ って 数mも 掘 削 した 被 圧 地 下 水 の 井戸 で は ない 。 小 さな 池 とわ れ わ れが 通常 もつ イメ ー ジ と して の 井戸 との識 別 し が た い の が イケで あ り、 湖 岸 の 村Cで も共 同井 戸 は同 じよ うな構 造 で あ る。 これ に対 して小 河 川 を利 用 す るBで は、 も し井戸 を掘 る と して も AやC地 点 の よ うに は容 易 には 水 は得 られ な い で あ ろ う。 む しろ表 流 水 をい か に有 効 に 、汚 染 を最 小 限 に して用 い るか の た め 、 明示 的 あ る い は暗 黙 の"水 利 用 のル ール"や 集落 内規 制 が 存 在 した。 これ に対 して 、Aで の 水利 用 は か な り 自由度 が 大 きい 。 自然湧 水 の シ ョウズ を飲 料 水 蒜轟 轟 転ず 、 舞犠 距 離 で講 書 罎羅 譲紅 な馳 洗 浄 用 や農 業 用 水 まで こ れ を用 い る こ とが で き る。 洗 い場 は単 に 湧 水 の通 過 地 点 と して だ けで な く、湧 水 が 湧 出 してい る と こ ろす ら存 在 す る。 た と え 井 戸 を掘 る と して も、 わ ず か に掘 り込 ん だ り、管 を差 し込 ん だ だ け で 良質 の 水 が 得 ら れ る 。豊 富 な扇 状 地 末端 の湧 水 に よ って 、 極 め て 個 別 的 な利 用 が 可 能 な 水 条 件 を内 包 して い る。古 川 彰 が 海 津 東 町 で取 り上 げ てい る よ うな は っ き り した 形 の 池 仲 間3η に あ た る もの が 、 この3集 落 で は カ ワ タ仲 間 と呼 ば れ る もで あ る。 これ は葬 式 な どの 互助 組 織 で もあ り、 村 落 内 の 小 地域 集 団 と して も機 能 して い る。しか し、 海 津 東 町 の よ うな イケ そ の もの に つ い ての 明 確 な規 制 や意 識 は存 在 しな い 。集 落 内 の い た る と ころ が ら じわ じわ と浸 み 出 る 地下 水 を い ろ い ろ な用 途 にふ ん だ ん に用 い て い る の が、 こ この 地 域 像 と して 的 を射 て い る で あ ろ う。 4.  マキ ノ スキ ー 場 の 開発 と民 宿 集 落 の 成 立 (1)マ キ ノ ス キ ー 場 の 開 発 と交 通 手 段 の 変 革   牧 野 扇 状 地 に 位 置 す る 集 落 と し て は 、 北 牧 野 だ け で あ る が 、 近 世 以 来 、 村(大 字)と して は 西 牧 野 ・南 牧 野 を 含 め た3集 落 で 一 村 を な す 。 大 字 牧 野 は 、 昭 和61年4月 末 現 在 、 戸 数59、 人

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82 野間 晴雄 口235人 で あ る。 寺 院 と4軒 の 細 木 姓 を除 け ば すべ てが 青 谷 姓 で あ り、今 な お均 質性 が 高 い 集 団 とい え よ う。   ス キ ー場 が 開 発 され る まで の牧 野 は、 近 江 盆 地 の 周 縁 部 に ど こ に で もあ る よ う な 水 稲 単 作 と、周 辺 の 林 野 資 源 を活用 した薪 炭 で生 業 を営 んで い た農 山 村 で あ った(38)。   この 牧 野 の広 大 な村 有 の 山林 原 野 に 目 をつ け て 、 大正6年1月(1917)に 蛭 口 出 身 の西 庄 村 村 長 の井 花 伊 佐 衛 門 と、今 津 中学(現 在 の高 島 高校)の 体 育 教 諭 で あ った寺 久 保 出 身 の広 井 親 之 助 が 、 伊 吹 山 で 京都 第土 中学 校 長 の 中山 再 次 郎 らが 滑 走 した の に刺 激 されて 、 牧 野 の 赤塚 山 (現在 の 第1ゲ レ ンデ付 近)で 滑 走 した の が 最 初 とい わ れ る(39)。大 正14年2月(1925)に は 牧 野 で 大 阪朝 日新 聞の 後 援 で ス キ ー 競技 会が 開 催 され て い るが 、 参 加 者 は地 元 の小 中学 生 ・今 津 中学 の 学 生 が 主 で あ っ た(40)。た だ 当 時 は 交 通 が不 便 であ り、 遠 方 か ら訪 れ る人 は ほ とん ど な か っ た よ うで あ る。 昭和4年(1929)12月 、 片 仮 名 の 「マ キ ノ」 を冠 したマ キ ノ ス キ ー場 が 正 式 に開 設 され る(41)。   わ が国 へ の ス キ ーの 紹 介 は 、明 治44年(1911)、 新 潟 県 高 田市 にオ ー ス トリア の レル ビ少 佐 が 軍 隊訓 練 用 に導 入 した の が 最初 とい わ れ 、そ の 後 、     おおわに 小 樽 、大 鰐 温 泉(青 森 県)、 五 色 温泉(山 形 県)、 大 町 ・野 沢 温 泉(長 野 県)な どが 、 地 元 の 小 資 本 に よ って 、 大正 か ら昭和 初 期 にか けて 開 発 さ れ る。 白坂 蕃 は この時 期 を ス キ ー場 開発 の 第1 期 と区 分 して い る が(42)、マ キ ノ ス キ ー場 も こ の時 期 に開 発 され た もので 、 関 西 で は兵庫 県 の 神 鍋 山 ・氷 の 山 、滋 賀 県 の伊 吹 山 と な らん で 最 も歴 史 の 古 い ス キ ー場 の一 つ で あ る。 しか し戦 前 の有 名 ス キ ー場 が温 泉 地 に存 在 し、 しか も旅 館 業 者 な どの 地 元資 本 が 中心 と な って 施 設 を拡 張 して い っ た の に対 して(43)、マ キ ノ ス キ ー場 は観 光 資 源 ・交通 の便 と もに良 好 で あ った とは い え ない 。   しか し昭和5年(1930)に は 、 琵 琶湖 鉄 道 汽 船(も と太 湖 汽 船 系)と 湖 南 汽 船(京 阪 電鉄 系) が 合 併 した 新 生 の 太 湖 汽 船 が 、 浜 大 津 か らス キ ー 船 の運 航 を開 始 した 。 これ は午 前0時 に浜 大津 港 を 出航 して 、 早 朝 に 海津 に着 き、 そ こか ら徒 歩 ま た はバ ス で ス キ ー場 に 向 かい 、 日中 ス キ ー を楽 しんで 、 午後5時 に再 び海 津 か ら浜 大 津 に 向 か う もの で あ る 。京 都 ・大 阪 方 面 か ら休 日を有 効 に利 用 で きる交 通 機 関 と して た い そ う 賑 わ っ た(44)。ま た 、 翌 昭和6年(1931)に は 江 若 鉄 道 が 今 津 ま で 延 伸 され た の を機 会 と し て、 い っ そ うス キ ー客 が集 まる よ う にな る。 新 生 の 太 湖 汽 船 は 京 阪 電 鉄 の 完 全 な 子 会社 で あ り、 江 若 鉄 道 も高 島郡 の地 元 資 本 を母体 と しな が ら も、 京 阪 の 息 の か か っ た ロ ー カ ル鉄 道 で あ っ たか ら、 マ キ ノ ス キ ー場 は京 阪 電鉄 の資 本 に よ る交 通 手段 の 開発 で 、 急 速 に京 都 ・大 阪 方 面 の スキ ーヤ ーを集 め てい った とい え よ う。   太 平 洋 戦 争 中 は ス キ ー客 の足 も遠 の い たが 、 戦 後 は国 民 の レジ ャー と して ス キ ー が定 着 す る なか で 、 戦前 に も増 して 賑 わ う よ うに な った 。 交 通 機 関 と して は 、乗 り換 え を しな け れ ば な ら ない 船 や 江若 鉄道 に代 わ って 、 直通 バ スが 主 体 とな る。 図10は 昭 和35年 か らの毎 年 のマ キ ノス キ ー場 の 観光 客 数 の 推 移 を示 した もので 、 今 津 の 冬 季 の 降水:量を参 考 にあ げ て お い た。 降雪 期 間 や 降雪 量 によ って 年 ご との ス キ ー客 の 変 位 が 大 きい の が 目につ くが 、特 別雪 の少 なか った 年 を除 い て 、昭 和50年 ごろ まで は 、10万 人 ∼15万 人 で推 移 して い る。 戦 後 の ゲ レ ンデ スキ ーで は リフ トは不 可 欠 と な った が 、マ キ ノ スキ ー場 で は江 若 鉄 道 と大 字 の 共 同 出資 と して 、 昭 和31年 (1956)に 第1リ フ ト、39年(1964)に 第2リ フ トが 開設 さ れて い る 。   しか し35年 に比 良 ス キ ー場 、37年 に箱 館 山 ス 1万 人} 30 (mm) 25 20 15 10 5 o S35         40         45         50          55         60     図10  マ キ ノ高 原 の 観 光客 数 の推 移   資 料 は滋 賀 県 観 光物 産課 調 べ の 各 年 度 「滋 賀   県 観 光 地 観 光 者 数統 計 調 書 」 な ど に よ る。 ス   キ ー客 以 外 の観 光 客 も含 む。 × はデ ー タな し   の 年 。 棒 グ ラフ は前 年12月 ∼3月 の4カ 月 間   の 降 水 量 の 累計 値 。54・55年 は 一 部 降 水 デ ー   タ欠 落 の た め、 記 入 を省 略 。 胸 脚 700 600 500 400

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マキノ町扇状地群の 開発 と土地利用 一 百瀬川 ・石庭 ・牧野扇状地の比較地誌一 83 表1  観光客の季節変動 と宿泊者比率   (昭和59年度) 観 光 客  数 (千人) 1年 延 人数 1-3月(%) 7・8月(%) マ キ ノ高 原 261 ,207(79.3) 40(15.3) うち宿 泊率(%) 28.1 10.5 72.1 びわ 湖 バ レー 396 265(66.9) 57(14.3) うち宿泊率(%) 2.3 1.7 5.1 比良山 1337 986(73.7) 133(9.9) うち 宿 泊 率(%) 2.1 2.0 3.8 (資料)滋 賀 県 観 光 物 産 課 「昭 和59年 度 滋 賀 県 観 光 地 ・観 光 者 数 統 計 書 」、     1984 キ ー場(今 津 町)、40年 に比 良 山系 南 部 の打 見 山 ・蓬 莱 山 一 帯 に サ ン ケ イ バ レ ー(45)開設 さ れ る と、 京 都 ・大 阪 方 面 か らの ス キ ーヤ ーは 、 近 くてゲ レ ンデ が変 化 に富 む これ らの ス キ ー場 に 殺 到 して、 マ キ ノス キ ー場 は観 光 客 数 で溝 をあ け られ て い くこ と は否 め な い。 昭 和43年 で す で に び わ 湖 バ レー が1.6倍 、 比 良 ス キ ー 場(46)が 4.3倍 の観 光 客 を集 め てい る。   マ キ ノス キ ー場 で は、 年 間観 光 客 の大 部 分 が 1∼3月 に集 中 す る。 ス キ ー場 と して は年 末 年 始 の 滑 走 が 可 能 か どうか が 企 業 的 な ス キ ー場 経 営 に とって 非 常 に重 要 とい われ る。 そ の点 マ キ ノス キ ー場 の場 合 は 、標 高 が200m-300mと か な り低 い とこ ろに立 地す る た め、 不 安 定 な 要素 が多 い。 昭 和54年 ご ろ か らの観 光 客 数 は漸 増 の 傾 向 に あ るが 、 これ は ス キ ー の客 の増 加 とい う よ り も、 夏 場 の 学 生 ・生 徒 の 合 宿 ・テ ニ ス ・ キ ャ ンプ ・ハ イ キ ン グ な どの掘 り起 こ しを、 町 をあ げ て行 な っ た こ との 効 果 の 方 が大 きい。 そ れ は表1に み られ る よ う に、 マ キ ノ高 原1年 間 (昭和59年)の 延 べ 観 光 客 数26万 人 の うち 、 な お8割 は1∼3月 に集 中す るが 、7・8月 に も 4万 人 、15%の 観 光 需 要 が あ る。 しか も宿 泊者 の比 率 が 冬 期 で は1割 に過 ぎな いの が 、 夏 期 に は7割 以 上 に及 ぶ こ とか ら も、 観 光 目的 の 多様 化 が窺 わ れ る。 つ ま り、完 全 な冬 の 日帰 り中 心 型 ス キ ー場 で あ った マ キ ノが 、こ こ数 年 の 問 に、 ス キ ー を中心 と しなが ら も、冬 ・夏 型 の滞 在 型 観光 地 に脱 皮 しよ う とす る傾 向 が指 摘 で きる の で あ る。 (2)民 宿 経営 の現 状   わが 国 の ス キ ー場 の ゲ レンデ 拡 張 ・リフ トの 増 設 や宿 泊 施 設 の整 備 は、 昭 和30年 ご ろ か ら信 州 の ス キ ー場 を中 心 に進 み 、 ス キ ー 人 口 の増 大 と相 ま って 多 くの ス キ ー客 を県 外 か ら集 め る よ うに な る。 しか し、 マ キ ノの よ うな 日帰 り中 心 型 の都 市近 辺 ス キ ー場 の 場 合 、 しか もい わ ゆ る ベ タ雪 で、 滑 走 期 間 も110日 以下 とい う(47)、自 然条 件 に必 ず し も恵 まれ てい ない と こ ろで は、 ス キ ー客 の伸 び 悩み が み られ る。そ れ に加 えて 、 平 均勾 配 が リフ トの あ る 第2・3ゲ レ ンデ で は 250/1,000あ る もの の、 貸 ス キ ー場 が 立 ち並 ぶ 山麓 の 第1ゲ レ ンデ で は86/1,000と 非 常 に 緩 や か で、全 くの 初心 者用 で あ る。リフ トも2基(総 延 長575m)に す ぎず 、広 さ と変化 を求 め る現 在 の ゲ レ ンデ ス キ ー場 と して は貧 弱 さは否 定 で きな い(図11)。   また 、近 代 的 ・大規 模 な宿 泊 施 設 は全 くな い 。 す べ て が 、 い わ ゆ る 民 宿 タ イ プ の 宿 泊 施 設 で(48)、61年現 在 、 北 牧 野 と西 牧 野 ・寺 久 保 ・ 石 庭 を あ わせ て27軒 が営 業 して い る。 地 元 の人 に よる経 営 が 大 半 で 、村 外 資 本 は入 って い な い 。 すべ て の民 宿 を対 象 に、 ア ンケ ー ト形 式 で 民 宿 経 営 の 実態 を聴 き取 り した の で 、以 下 に そ の結 果 を分 析 す る。   27軒 の 内 訳 は 、北 牧 野 に19軒 、西 牧 野 に4軒 、 寺 久 保2軒 、石 庭2軒 で あ る 。 この うち通 年営 業10、 冬 ・夏季 節型11(う ち1軒 は春 も営 業)、 冬 の み 営 業4、 夏 の み営 業1で あ る。 西牧 野 は ゲ レンデ か ら も遠 く、民 宿 経 営 は後 発 で あ るた めか 、 通 年 営 業 の とこ ろ は ない 。 も っ ぱ ら山小

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図11  マ キ ノ高 原 の 観 光 ・宿 泊施 設 ﹁

.1㌦.  ≠= 屋 経 営 が 中 心 で あ る 。   しか しこ こ の民 宿 経営 の特 色 は、 そ の前 段 階 と して の 貸 ス キ ー業 と食 堂 経 営 に 求 め られ よ う。 これ まで み て きた よう に、 日帰 り中心 型 の スキ ー場 の た め 、 地 元 の人 た ちの 収 入 の 中心 は 貸 ス キ ー と、 第1ゲ レ ンデ に立 ち並 ぶ 食堂 ・休 憩 所 で の 飲 食 物 の 売 上 げ で あ った 。 毎 年宿 泊す る よ うな常 連 客 は表2に み る よ う に、大 部 分 の 民 宿 で 持 って い るが 、 そ の人 数 の お お よそ の 内 訳 をみ れ ば わ か る よう に、 小 学校 が27.5%と 第 1位 で あ り、企 業 や一 般 客 が少 ない のが わか る。 戦 後 の マ キ ノス キ ー場 の平 均 的 な イメ ー ジ は、 非 常 に な だ らか な ス ロ ー プ と、 バ ス が 直 接 ス キー場 まで 進 入 可 能 で 、 ロ ー プ ウ ェー乗 り換 え の 必要 が な い利 便 さで あ る。 比 良 山 や び わ湖 バ レー に 比べ て 遠 距離 に あ りなが ら、永 ら く滋 賀 県 ・京 都 府 ・大 阪府 下 の小 学 校 の ス キ ー授 業 の 場 と して親 し まれ て きた最 大 の理 由が こ れで あ る。 そ の た め 、他 の ス キ ー場 に比べ て子 供 用 貸 ス キ ー の需 要 が 多 か った こ とは容 易 に首 肯 され る。 表2  民宿 の得意客 の有無 (%) 無 16.7 得  有一 83.3 小 学校       27.5 意 ( 高校 ・大 学      10.0 内 ボ ー イ ス カ ウ ト ・YMCA  17.5 客 訳 企業      17.5 ) 一般      22 .5 その他       5.0 (聴きとり調査 による概数 を合計 した数値か ら算出   した もの)   戦前 か ら民 宿 を経 営 して い たの は、 北 牧 野 で 6軒 にす ぎず 、 最 も古 い民 宿 の開 業 は昭 和3年 (1928)で あ る。 当 時 は ス キ ー小 屋 の 経 営 を村 営 で行 な って い た よ うで 、 これ が 牧 野 の 冬 場 の 重 要 な副 業 に な っ て い た(49)。戦 後 の 開 業 で は 、 昭和30年 代 まで に12軒 で 、 昭 和40年 代 は3軒 、 50年 代 に6軒 とな って い る。50年 代 に 開 業 した もの は、 い ず れ も季 節 民 宿 で あ る。   図12は 聴 き取 りに よ って 確 認 し得 た 限 りの 民 宿 の開 業 年(一 部 の民 宿 で は1∼3年 程 度 の ず

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