日(毎月l回25日発行)応 部 開 抑 制3
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2008
とぺる刊行会NO. 182
「部 落解 放運動への提言J
を読む③ー上 「提言」は実状を踏まえているか 山 下 力 + 藤 田 敬一 差別・被差別ー混沌の泉① 井戸を掘る 山口公博 いのちを生きる⑩ 泣いたらあかん ! 長 谷川洋子 光る風を見た一写真と文 小林 茂2
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会計報告写真と文一小林茂 半朝の[民歩 ハンセン病の国主療養所「邑久光明園Jの羽は早い。薄暗いうちから育人のノ\々の散歩が始 まる。ハンセン病はや11経を侵す。視神経がやられて盲目になるとき、|地内ーの底jがもうひとつ 抜けたような心境におちいるという。 手術をしてやや見えるようになった人が、分厚い眼鏡をかけて先頭lを歩いた。そして、とき どき「ドン
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「ドン」と大きな声を出した。小高い丘にある「光明村社|に着いたとき、その!”ド ン」について聞いた。「あっ、これか、道に穴があいているで、という後ろへの合図ゃなj﹁ 部 落 解 放 運 動 へ の 提 一 吉 田 ﹂ を 読 む ③ l 上 い っ た ん 一 然の帰結です。ここで一日一、水平社以来の一つの節目を一 担った世代として部落解放運動を撤退させるべきだとい一 う思いが強い。﹁提言﹂でどんなにいいことを言うても− ろても、﹁誰がそれを担うのか。担う条件はあるのか﹂一 と い う こ と で す 。 一 藤田最近、何かあると、いわゆる外部の第三者に依頼一 して調査委員会とかをつくり、提案をしてもらうスタイ一 ルが、あらゆる分野で広がっていますよね。私には、委一 員会なんかに参加する人びとのことがまず気になって仕一 方がないんだな。たとえば、今回のような﹁不祥事﹂は﹄ これまでにもあった。﹁全国水平社以来の部落解放運動− の先駆性を胸を張って語ってきたにもかかわらず、水面一 下でこのような事態が起きていた﹂と書いてあるけれど、一 それはないだろうと思う。﹁知ら・なかった﹂とは言わせ− ミ .
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藤田敬一﹁提苦一己を読まはった印象から。 山下力一五人の提言委員は善意の人たちなんでしょ うけれど、こういう﹁不祥事﹂が起こってくる背景、根 拠、基盤はあまη
ご存じないようですな。部落解放運動 にたいする思いはひしひしと伝わってきますが、実状は そんなもんじゃないですよと言いたくなる。このままほ っといたら、もう取り返しのつかないことになってしま うという危機感の前提には、﹁いまなら出直せる﹂とい う考えがあるのでしょう。しかし、そうじゃないんやね。 私も責任を感じますけれど、これは﹁同和対策審議会答 申﹂︵一九六五年︶路線にのめり rこんでいった運動の当 こぺる l藤 凶 敬 な い c 一 二
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年前にわかっていたんだから。少なくとも二O
年前に﹁同和はこわい考 ﹂ で指摘してある。そのとき、 ﹁あなたは友人として何を言ったのか。どういう行動を とったのか﹂と尋ねたいな。それを明確にしないで、い まになってあれこれ言うのは、みっともない。 師岡佑行さんは京都部落史研究所所長だったとき、京 都府連の幹部が﹁所得に関係なく部落出身の高校生には 奨学資金を貸与ではなく、支給すべきだ﹂と発言したこ とを知って、長文の手紙を書き、批判したことがある。 友人とは、こういうもんです。 山下今回、京都で起きたようなことは、 これまでにも 何 凶 も あ っ た し ね 。 藤田だから、提言委員会をつくり、あなたの言葉で言 えば﹁丸投げ﹂して、﹁提言﹂を受け取り、﹁真正面から 受け止めて真撃に取り組んでいきます﹂などと応じてい る姿をみると、気持が悪くなる。ほんとの友だちなら、 そのときどきに指摘するなり、直言するなり、苦言を呈 するなり、批判するもんでしょ?それが友人たるもの の 使 命 、 責 任 だ と 忠 、 っ 。 山下浪速問題、海原建設問題、北九州市の土地ころが や み し問題、高知県閥融資問題、ハンナン・フジチク問題な ど、あれだけ派手に出ても、だんまりだから。 藤田﹁我関セズ﹂。自分には関係ないと、﹁知らんフ リ﹂をしてきたんです。 山下誤解を恐れずに言えば、私たちが知っている﹁利 権や腐敗﹂の問題からみたら、この間摘発された﹁不祥 事﹂なんてたいしたことゃない。上田卓三へん委員長とリ て レ クル!トの関係はどうなのかとかね。身を挺して頑張ら なかったんです。学者・文化人・弁護士・教育関係者・ ジャーナリストなど、われわれに同伴していただいた人 たちも、ごく少数の人を除いて声を上げなかった。 それどころか北九州の土地ころがし事件では﹁報 2 藤田道は差別の拡大・助長につながる﹂と新聞社に抗議した 人びとがいたの彼らは、いま何を思っているんだろうね。 ﹁ 不 祥 事 ﹂ の意味するものは 藤 田 ﹁ 提 一 言 し は 冒 頭 で 、 ﹁ 不 祥 事 ﹂ に つ い て 、 ﹁ ﹃ 同和対 策事業特別措置法 ﹂ 以来、運動の内部においてしだいに 体質化され構造化された諸要因にもとづくものしと言っ ているけど、山下さんはどう考えますか。 山下今回のような事柄は氷山の一角なんです 。 もっと 大きな声を上げなければならん﹁不祥事﹂がこれまでに )Jさん 山下 あった。﹁いま寸なぜこの程度の問題で﹂ということで一 す ね 。 確かに部落解放岡県では自浄作用が働かなかった。一 それはなぜかということは、とうの昔に提起されている。一 ところが、いっこうに手をつけなかった。手をつけよう一 と思ってもできなかった。そういう運動体がいま、この− ﹁提言﹂をいただいたとしても、どうして立ち直ること一 ができるんだろうかと思う。 藤田﹁不祥事﹂の背景とその分析が な されているけれ一 ども、これはどうです? 山下委員のみなさん方は、部落解放同盟の財源がどこ一 ね ん L ゆ っ から捻出されているかご存じないのではないかな。一 公共事業が集中するところに利権屋がたむろする、僻一 例するのはごく自然で、当然予想できたことです。その一 とき﹁自力自問﹂の看板を掲げ、自主財源が必要なんだ. と言い、自主財源を大義名分にして、事業を請け負った一 業者からカンパをとった。工刀、これまで部落解放運動一 に背を向けていた部落内の企業者にとって企業連合会一 年 だ れ 一 ︵企連︶の融資対策と税対策は魅力で、雪崩をうって結. 集してきたということがある。そこからもカンパをとる。一 県連が企連から受けとる金というのは粕査しているけれ一 ども、企連そのものの中で隠している金というのはなか一 こ’える 3
なか表に出ない。支部段階で億単位の金を持っていると ころもあると言うのでしょ?それは多分、支部の同盟 昌二般には知らされていない。 す ぺ 藤田知る術がなかったし、知ろうとさえしなかった。 ﹁幹部請負主義はいけない﹂なんてことは、朝田善之助 さんのころから言われていた。しかしね、幹部請負主義 の裏には幹部依存主義がへばりついている。だから﹁み んな幹部にお任せしてます﹂ですませてきたんだ。 山下同盟という組織が一人ひとりの同盟費で賄われ ていない。人件費は役所から、そして運動費もほとんど 役所からという状態のところだつであったんですから。 そしてカンパはすべて不透明な状態のまま一部の幹部だ けしか知らない仕組みになっている。一番肝心なのは支 部。お互いの城 H 支部を守るということで、つつきあい し な い 。 藤田﹁侵さず、侵されず﹂ 0 山下そうそう。﹁不可侵、不可被侵﹂の関係というの は人事もそうです。支部の推薦がなかったら都府県連の 役員になれない。ましてや中央本部の役職につけない。 こういう仕組みです。金を握り、人事権も握っている支 部が一番強い。カンパにしても、そのすべてが組織に入 藤 田 や
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ぱ り 現 業 職 員 の 部 千 丁 儀 の 亘豆 しミ も ん が し、 る 4 るわけではない。よこしまな使い方、個人的なところに 流れる部分がある。それをめぐって暴力団が介入してく る。暴力団の関係者が、暴力団のバッジをつけてくる。 現役ではなくても企業舎弟と言われる関係者が巧みに、 ここには利権があるとしてもぐり込んでくる。そうして 支 部 が 支 配 さ れ る 。 たとえば飛鳥支部が一0
年間、支部総会やってないの は、みんな知っていた。知っていたけれども、指導に行 けない。行かない。安中の支部長がどうのこうの Z 一 一 口 う て も、誰も支部長の指導に行けない。そういう状態が都市 部なんかで広がっていたわけ。 なぜいま﹁不祥事﹂ の摘発か こ う い う ﹁ 不 祥 事 ﹂ が 、 ー ∼ー三F '-、 二 年 で バ l ッ と 出 て き た よ ね 。 それについてはどうですか。 山 下 京 都 に し ろ 、 奈良にしろ。行儀の悪さは、 市の職員管理 の 問 題 で す 、 根 本 的 に は 。 藤 田 そこのところはどうかな。 がまか ﹁ 行 儀 の 悪 さ ﹂ り 通 る ﹁関係のありょう﹂が問題なんであって。山下そうやけど、大阪・京都・奈良という、運動を主 導 し て き た 近 畿 の 一 二 府 県 が や り 玉 に 上 が っ て い る の は ね 、 一つは現業民営化のネライがあるからでしょう。それと 暴力団との癒着。その資金源を絶ちたいという方針があ る。警察と市行政が、マスコミを誘いこんで積極的に部 落解放同盟と暴力団との癒着を暴露しているんだと思い ま す よ 。 藤田図柄としては。 山下そう。今回は現業にかかわる問題が出てきている けれど、支部の専従にかかわる問題もある。もともと大 阪市の交通局がやり玉に上がった。大阪市の地下鉄や市 バスを民営化するという動きがある。市職員採用時の n o f ν ト A m − 勺 ノ ﹁学歴詐称﹂問題も含めて出ている。これは全部、﹁労 働組合にブ l ブ l 言わせへん﹂というネライがこめられ ている。組合はほぼ整理できる。問題は部落解放同盟。 ここがしんどいところやった。﹁公務員やのに仕事して か く せ い ざ い へんやないか﹂。﹁公務員が覚醒剤事件を何回も起こして いるゃないか﹂。﹁会館や福祉関係の施設を私物化してい るゃないか﹂。﹁市から借りた駐車場を私物化しているゃ ないか﹂。こんな話、恥ずかしくて弁解できへん問題で す。だから、たとえば市が現業労務の民営化を大胆に進 そろそろ部落解放同盟は何も言えない条件が整 ったと言える。この類の話は次から次へと暴露されて いくんちゃうかなと思いますね。 藤田なるほど。氷山の一角としての﹁行政における同 和不祥事﹂に対する﹁提言﹂の分析は、山下さんから見 て ど う で す か 。 山下先ほども言ったように、今日の事態は﹁同対審答 申﹂路線にのめりこんできた運動の行き着いたところが はっきりしたということですが、その路椋をひた走って きた運動に対する切り込みが全くない。 藤田むしろ﹁提号己は﹁答申﹂にしがみついている感 じゃな。﹁同和行政の切り捨ては許されない﹂などと、 や た ら 力 ん で い る く ら い 、 だ か ら 。 山下まだそれでやっていけると考えているんです。 ﹁人権教育及び人権啓発の推進に関する法律﹂があるで め て も 、 し ょ っ ・ ﹁人権教育・啓発推進法﹂ ︵ 一 一
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藤 田 い わ ゆ る 年 ︶ や ね 。 山下そういうものを後生大事にし、そして結局﹁人権 侵害救済法の成立を切に願う﹂と言う。法依存主義が続 い て る ん で す 。 こぺる 5﹁ 部 落 民 ﹂ はどう受け止めているか 藤田﹁提言﹂には新鮮味が全くない。それは委員たち きじよう が実状、現実を踏まえず、机上の議論をしているから です。同盟の活動家から少しは意見を聞いたようだけれ ど、いわゆる部落外の市民のナマの声なんか全く聞いて ないのゃないかな。それでは世間の感覚がとらえられる は ず が な い 。 山下今日の事態を前にして、部落民や活動家で怒って いる、悔しがっているという人に、あんまり会うてへん の や け れ ど な あ ︵ 笑 い ︶ 。 藤田﹁今回のような不祥事は、崇高な人間解放の運動 とはおよそ無縁の、断じて許しがたい裏切りの犯罪行為 であり、最大の被害者は他ならぬまじめな活動と日常生 活を営む被差別部落の大衆だ﹂とある。ここにね、頭だ けで文章をこねまわす知識人の紋切り型発想が表われて いる。﹁最大の被害者は同盟員だ﹂というのは、ものご とを部落の中からしか考えない典型的な部落第一主義で す。﹁公金を﹃私﹂したということは、納税者である市 民に被害を与えたという視点も忘れてはならない﹂など と付け足しているけれど、発想が逆立ちしているだけで一 なく、市民を﹁納税者﹂の枠内に限定しているのがアカ一 ン。事柄の意味するところがわかつてないんだ。一 山下どういう形でもいいから、部落の人びとに、﹁今一 後の部落解放運動をどうしたらいいと思いますか﹂、﹁部一 落解放運動に何を期待しますか﹂と聞いてほしかったな。一 一九九三年、総務庁の実態調査で、﹁部落に住んでいる一 人﹂に向けた意識調査がありました。そのとき、三人に一 一 人 が ﹁ 過 去 一
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年間に、部落差別を経験した﹂と答え、一 四六・六%の人が﹁黙って我慢した﹂。﹁民間団体に相談一 した﹂という人が四・六%。人権擁護委員会に相談した一 の は0
・六%。総務庁交渉で﹁数字はうちの方が高い。 お前のところは低い﹂と批判した。まさか言うとは思わ一 な か っ た け れ ど 、 一 言 う た ん で す ︵ 笑 い ︶ o 一 藤田﹁目クソ、鼻クソを笑う﹂の類です︵笑い︶ 0 白 山下あれから一五年。部落民が積極的に闘いに参加し一 けいせき一 ている様子もないし、個人的な闘いを始めたという形跡一 もない。そして部落解放同盟に相談するという話も聞か一 ない。ですから﹁部落大衆はいま何を思うてるんやろ。一 部落解放運動に何か期待しているんやろか﹂と考えてし一 まう。水平杜以来の闘いを高く評価して、これまで一緒− 6に取り組んできてくれた人たちを失望させてるんやろけ ど、運動に最も失望しているのは部落民自身とち?っか。 運動や組織をとうの昔に突き放している。法律が切れ、 制度が切れた段階で、何のつながりもなくなっているよ う に 思 え て ね 。 藤田なるほどな。 山下このへんが一番大事なことゃないかな。 藤田水平社の創立から八六年。そのうちの三一二年が特 措法の時代。それが終了して六年が経過したわけだけれ ど、﹁同対審答申﹂路線の最大の問題は何だと思います , 刀 山下人を変えられなかったということ。ここが最も肝 心 な と こ ろ で す 。 藤田部落の人を受益者にしてしま心たから。﹁人と人 との関係を変える﹂なんて視点は﹁問題外﹂の外で。 山下要するに﹁足らざるところを補えば、格差がなく なり、差別意識が消えていく﹂というのが、﹁答申﹂の 本 質 で し ょ っ − 藤田そうですよ。平準化が差別解消の物質的基礎だと いう理論だから。カネとモノを﹁与える・もらう﹂とい う関係ができてしまった。 山 下 そうそう。カネとモノを与えて生活実態の格差を なくす。それで差別はなくなるんやと。﹁格差リ差別﹂ 論ゃったから、同対審答申の核心は。 狭山闘争をめぐって ﹁提三己には、﹁確固たる解放の運動主体が形成 されないままに︵略︶、自立自闘の精神が忘れられがち であった。運動の力点が対外志向、つまり対行政が中心 になってしまって、自分たちの運動体の中に向けて展開 ひ しきれなかったことが、不祥事を惹き起こした主要な原 因と言える﹂とある。別の箇所では﹁自力自闘﹂という 一言葉が使われている。こんな言葉の未整理にも、筆者た ちの思考の乱雑ぶりがうかがえるけれど、それはともか くとして、ここで言う﹁自立・自力・自闘﹂って何です 藤 田 か ね 。 そんなこと部落解放運動が目指したことなんかあ りませんよ。狭山闘争には辛うじてあった。しかし実態 か ら 号 一 しかしカンパを集めるなどして出かけた人びとがいる。 そこには﹁闘い﹂が一定あつたことは確かです O 山 下 こぺる 7
藤田狭山闘争で獲得できるものは﹁部落差別にもとづ え ん ざ い く権力犯罪としての寛罪事件﹂と向き合う思想性しかな い。司法との闘いは行政闘争ともちがうし、戦前・戦後 の学校などにおける差別事件に対して同盟休校などで闘 ったものともちがう。狭山で﹁自力自闘﹂がスローガン にされたけれど、私はずっと懐疑的だった。大集会主義 だったから。寛罪事件に立ち向かう人びとに共通してい るのは﹁街頭で立ち尽くす弧絶の思想﹂です。集団、組 織に頼らない思想が根底にある。 狭山で人聞が変わったか。変わった人もいるだろう。 しかしその後の経緯を見ていると、狭山で同盟休校ゃっ た子どもたちはいま四
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歳代になっている。彼らにとっ て狭山闘争って何だったのかという検証もない。各地を まわっても同盟休校をやった人びとがほとんどいない。 山下それはね、彼らが部落を離れているからなんです。 藤 田 あ て そ う か 。 山下要するに、あのとき、狭山がピタッときたのは、 親たちが、石川一雄と同じ世代だったということがある。 親たちやその上の世代の経験が石川のそれと重なった。 学校に行かしてもらえへんかった。貧乏で行きたい高校 へも行けなかった。ましてや小学校にも行けへん。そう いう親たちが日の前におって、親子の会話ができた。一 藤 田 石 川 さ ん と 共 通 体 験 が あ っ た 。 一 山下あのとき子どもが頑張れたのは、日の前にいる親一 の姿、部落産業に従事して夜遅くまで苦労している、士一 方仕事をしている親と石川さんが一一重写しになったから。一 藤 田 な る ほ ど ね 。 一 す こ ぶ 一 山下これは子どもたちにとっては、頗る具体的な実一 物教育になったんとちゃう?この前まで土方はいやや一 け い ぺ つ 一 言うて、土方を軽蔑していた子どもらに、﹁ちゃうね− ん﹂という話を掘り起こせたわな。悲しいかな、要求闘− 争というのは、日の前に実態があるあいだは思想性を引 m き出させるけれど、自分の周辺から実態が消えると、思− 想 性 は 希 薄 に な る 。 一 藤田希薄になるだけではなくて、言葉の空洞化、形肱一 化が起こる。そんな情況で﹁自立自闘・自力白闘﹂の精一 神 な ん て 生 ま れ る わ け が な い 。 一﹁
解
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と
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山
下 ﹁提言﹂には、﹁解放の運動主体が形成されないま まに﹂と書いてあるでしょ?私は、﹁解放の主体﹂ 8 つて 何 や と 思 う 。 藤田そこそこ。 山下﹁部落差別とは何か﹂﹁部落解放とは何か﹂という 根本的な問題の議論を一切してこなかった。川口グルー プは﹁解放新聞﹂︵奈良県版︶新年号で、﹁引き続き部落 解放とは何かを考え続けたい﹂と書いている。﹁部落解 放とは何か﹂がわからないままで、どうして﹁解放の主 体﹂が形成されるのかと思う。 藤田﹁自力自闘﹂も、よくわからないままに使われて いたね。自力とはどういうことか、自闘とはどういうこ とかをめぐっての議論はさっぱりなされなかった。言葉 だ け が 空 ま わ り し て い た な 。 山下しかし一九六九年の﹁特措法﹂制定以後、水平社 創立以来最大・最強の組織形成はできましたよ。 藤田そうですね。同盟員二
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万 と 豪 語 し た こ と も あ る 。 山下少なくとも運動の主体はおりました。それが﹁解 放 の 主 体 ﹂ に な ら な か っ た 。 藤田なるほど。同盟員は増えたけれど、それが﹁解放 の 主 体 ﹂ に は な ら な か っ た 、 と 。 山下なってない。それは﹁解放とは何か﹂がわからな いからです。この間、私が一番腹が立ってるのは、また ぞろ﹁事業は手段であり、目的は解放である﹂という議 論が出てきていることです。﹁ M A P 甲 ﹂ 路 線 か ら 言 え ば 、 一つひとつのモノを獲得することが解放への一里塚だと されてきた。獲得物を積み上げて格差がなくなったら解 放 や 言 、 っ て き た ん で す 。 事 業 は 手 段 だ と 言 、 つ け れ ど 、 そ の手段は即、目的達成の一里塚ではなかったのか。そう いう位置づけをしてきたゃないか。そういう流れでやっ てきたゃないか。それをいまさら﹁解放を忘れていた﹂ ﹁ あ あ そ う や っ た 。 そ う や っ た ﹂ は な い で 、 と ︵ 笑 い ︶ 。 モノとり主義だと叩かれたとき、大賀正行さんが大阪で 言いだした話やけれど、冗談ゃない。朝田善之助さんは ﹁差別事件を行政闘争に転化せよ﹂と号令かけたゃない ですか。﹁部落に生起する一切の不利益は部落差別に起 因する﹂。これはやっぱり一定の力を持っていた。私ら もしびれたもん、いっぺんに︵笑い︶ 0 藤田そのへんの総括が﹁提言﹂にはない。今後、同盟 中央はどう総括するんだろうな。 山下﹁部落解放とは何か﹂をちゃんと真正面から論議 し、どういうふうに人聞が変わっていくのか、どういう ムラにしていきたいのかという話がなかったら、あちこ ちの市民運動の例を出して運動をつくれと言われでも、 こべる 9誰が担うのですか。運動体が空っぽになっているのに。 藤田運動団体を名乗っているのだから、会議や集会を 聞き、機関紙誌を発行するとか、それなりの﹁活動﹂は あるでしょう。しかし、それが﹁部落解放を目指す主体 の形成﹂につながっているのかどうかが明確にされない ままに過ぎてゆく。これはやっぱし大変な状態だな。 山下それから、自立的な組織になりきれなかったとい う問題がある。あれだけの運動を展開しながら自立でき なかったのは﹁窓口一本化﹂が原因やね。﹁窓口一本 化﹂で同盟の幹部は支部員を管理した。 藤田ずっと昔、狭山事件の話をしに行ったとき、二
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人の出席者がいはった。みなさん、入り口で手帳にハ お ンコを捺L
てもろうたはるねん。それから一ヵ月後、私 の友人が教育の話をしに行ったら、出席者は何と支部幹 部 の 七 人 だ け ︵ 笑 い ︶ 0 な ん で や 言 う た ら : ・ 。 山下その夜はハンコが捺してもらえへんから︵笑い︶。 藤田そう。ハンコは運動への参加意欲、忠誠度を一不し、 その数によって評価される。﹁提言﹂は﹁解放の主体形 成﹂とか、むずかしい言葉を使っているけれども、一体、 この運動は何を目指す運動なのか、そこで人間はどうい うふうに変わっていくのか、変えていこうとするのかと いう問題が置き去りにされてきた。 山下やっぱり善意の人たちなんだ。部落解放運動は生 活の場が基本になっているからダ l ティな部分をどうし ても抱えこむ。そこのところに切り込まないと、まとも な提言など出せるはずがない。それがわかっていない。 わかったとして何もできないと思うけれど。 藤田学者・文化人・弁護士・教育関係者・ジャーナリ ストなどに提言を依頼するという発想が、そもそもおか し い の で あ っ て ね 。 10差別・被差別 混沌の泉①
井戸を掘る
山口公博︵兵庫県尼崎市在住︶ \ 京都文学学校の修了式後の懇親会が、おでん、とりわ け大根の味が評判の店でもたれた。 夜間の半年間学んだ者とチュlタlが集まっていた。 私は、文学学校の教室となっていた教会にいた時から、 ひ じ か た て つ チュ!ターである土方識の襟章に魅入られていた。数日 前に開催されていた部落解放同盟の全国大会の記念に作 け い か ん 成された荊冠旗の荊冠の襟章だった。 カウンター席と数台のテーブル席の店は混雑していた。 話し声、笑い声が充満し途切れる気配は感じられなかっ たが、酔っぱらってしまう前にと意を決して、奥の方の カウンター席の土方さんの元へ足を運び、声をかけた。 ﹁その襟章を譲ってもらえませんか?﹂ 私が言ってくるのを待っていたかのように、 ﹁ い い よ ﹂ 一 とだけ言って、刑冠の襟章が私の手のひらにおさまった。一 土方さんは隣席との会話に戻り、私に向けられていた一 隣 席 か ら の 視 線 も 外 れ た 。 一 さ ん し よ う 私も自分のカウンター席で、薄味に煮込まれ山搬の一 粉 が 軽 く 振 り 掛 け ら れ た 大 根 と 冷 酒 を 味 わ っ た 。 − 部落差別を、被差別部落の人間を文学作品で描きたい一 と考え、どう描けばいいのかと思案し始めて三年が確実一 に 過 ぎ て い た 。 一 大学の入学試験に合格し、入学式までの日々、パチン コ店でアルバイトをした。当時は今と違い、パチンコ台 二台が裏側に向き合った、人ひとりが通れる空間があっ て、その中で新しい玉と使用済みの玉の管理と、客から け ん そ う の注文に応えるのが仕事だった。陪一騒まみれの箱状の空 い す 間の奥で丸椅子に腰掛けているのだ。一台一台にランプ が付いていて、灯ると、台の上から背伸びをして顔を出 し、客の要望を聞く。 ﹁ は い つ ? ﹂ 客 の 要 望 は 一 一 種 類 に 分 類 さ れ た 。 玉が穴に入ると一個につき一五個が客側に出たが、そ こぺる 11れに備えたセ
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フ玉が台の天部に、どの穴にも入らなか ったアウト玉が台の底部にあったが、その量の加減だっ た 。 ﹁ セl
フ玉をもっと減らしてくれ﹂ ﹁アウト玉を空にせんといてくれ﹂ これらの要望は、パチンコ台の垂直性に関するものだ とベテランの店員から教えてもらった。台の天部のセー フ玉が多いとその重みで台そのものが圧されて曲面にな り、玉がなめらかに流れ落ちないのだという。アウト玉 は四千個入る木箱に集め、回収を待つ。そのさい、他店 の玉があれば取り除いておく。店員が回収し、洗浄され て 又 一 民 っ て く る 。 アルバイトの帰路、駅前の街頭カラーテレビ放送を見 るのが楽しみのひとつだった。 大学は家を離れてとの思いは、父の反対と友人の説得 で 断 念 し て い た 。 学生時分は、家庭教師のアルバイトで小遣いは足りた。 冷や汗ものの卒業論文もパスし、就職も内定した。 なにか物足りない思いがあった。 卒業前に応募した大学新聞部の懸賞小説は落選。︿文 句たれ﹀だけでは小説は書けないことを思い知ったよう に 思 っ て い る 。 し つ よ う 大学進学、就職のさいに父が執拘に言っていたことが ある。選挙は松本治一郎に入れなあかんのや。働き始め て、見えていなかったものが見え始めたのか、見ようとL
なかったことが目にとぴ込んできたのか、私は、しっ かり見なければ、しっかり掴まえなければと焦ったもの の 独 り だ っ た 。 文庫本の﹃破戒﹄と黒い表紙の﹁部落の歴史と解放理 論﹂を、大阪梅田の旭屋書店で買い求めた。 新聞広告で見た大阪文学学校の入学案内を請求した。 大阪文学学校には、﹃地下茎﹄という作品で新日本文 学賞を受賞した土方識がチュ l タ l の一人としているこ と を 知 っ た 。 ﹃地下茎﹄を収録した単行本﹃侵蝕﹄を、難波の古書 店・天地書房で手に入れることができた。 文学学校の授業料もできて申し込んでみると、土方識 は研究科のチュl
ターであって、研究科は本科修了の資 格がいった。やむなく本科に席をおき通った。そして一 年、さあと意気込んだが、その時、もう土方識は大阪に は来ず、京都文学学校のみだという。 一年後、通うことに決めた。阪急電車で京都四条河原 12町へ、そこから市電で会場である教会へ。帰路、市電の 駅は底冷えがした。﹃暗い絵﹄の一場面に出会った感じ がした。土方識が飲まないことも知った。 勤めている市では、職員部落解放研究会が結成されて、 夜間に公民館で学習会が聞かれていることを庁舎の掲示 板の張り紙で知った。早めに行くと百人は入れそうな教 室の窓際で、弁当を食べている男がいた。愛想がよく、 ﹁こんばんわ﹂と声をかけてくる。てっきり昼用の弁当 を何かの事情で食べられなかったので今ごろ食べている のだろうと思っていたのだが、この日は昼用と学習会用 と、弁当は二個持って家を出てきたとのこと。ちょっと の ぞ 一杯と誘われなかったから学習会を覗いてみた感じの私 など恥ずかしいかぎりだった。彼は水筒も持ってきてい て弁当を食べ終わると、ちょっと一服と言って部屋を出 ていったが、すれ違う時にちらつと私の襟章に目をやる の を 忘 れ な か っ た 。 三十五年も前のことだ。 朝日ジャーナル誌上に、中上健次が連載した 木の国・根の国物証巴に次のような箇所がある。 ﹃ 紀 州 ここで私は、和歌山市で手に入れた注目すべきと思う一 文芸季刊誌﹃革﹄創刊のビラの文章を紹介してみる。一 ︿部落問題と正面から取り組み、差別の本質に迫り、一 解放とは何かを真剣に聞いつづる文学的営為が始まろ一 うとしている。/日本近代文学史のなかで、作家の存 在をかけて問われることの少なかった部落差別、また一 一切の差別について、人間存在のぎりぎりの底から、一 あらためて聞い直すことを始めようとしている。/こ一 こから日本の全体行動を見すえたあらたな文学創造の一 出発が始まるだろう﹀とあるが、文学的営為に、部落一 問題とは存在するのか、いや、部落問題とは何なのか、一 この高野山の下の町まで旅をして来て、分からなくな っ て い る 私 の 眼 に 、 こ う 書 か れ て あ る 言 葉 が 、 一 て見えるのである。︵朝日文芸文庫、加 l 却 頁 ︶ 一 上ず つ ﹃革﹄に創刊時から関わってきた者の一人として、中 上のこの問いかけに答えたい。 こぺる 13
いのちを生きる⑩
泣いたらあかん
1 長谷川洋子︵大阪府小学校教員 三 島 郡 島 本 町 在 住 ︶ 一 一 月 四 日 し ゅ よ う ﹁骨盤内に三センチの腫蕩が一つあります。再発です。 が ん 以前使った抗癌剤をもう一度使います﹂。コンピュー ターの画面を見せながら、主治医が説明する。覚悟して いたとはいえ、ゴ一センチという大きさには驚いた。月に 一度検査をしながら、なぜもっと腫蕩が小さな内に見つ けることができなかったのかと思う。 その場で、セカンドオピニオンを受けることを主治医 てはず に告げ、紹介状と診断書を書いてもらう手筈を整えた。 その足で学校に帰り、免疫治療を受けている東京のS
診 療所に電話をする。あらたな免疫治療を受けたいと伝え る た め だ 。 私の癌は手強い。抗癌剤でいったんは滅びかけたが、 加療が終わるとすぐじわじわ力を盛り返し、たった半年 で再発状態。加療後、半年間再発しなかったら、その抗 癌剤は﹁効いた﹂ことになり、同じ抗癌剤を使い続ける のが標準治療だが、私の場合、二度目の﹁切り札﹂が一 度目よりよく効くとは思え・なかった。脳裏に、繰り返し ゃ 使う抗癌剤のおかげで痩せこけ、しびれた足でゆっくり 歩く人々の姿が浮かぶ。抗癌剤だけではダメなんだ。自 分で生きぬく道を見つけなければ! 幸 いS
診療所のH
医師が渡米する間際にアポイントが とれた。ホツとして、職員室に向かう。同僚に﹁再発﹂ のことを伝えた。こういう事を開かされた方は大変だ。 悪いことをした。言葉はなかったが、日や顔がすべてを 語ってくれた。本当に優しい同僚たちだ。 その足で校長室に行き、事務手続きをお願いした。校 長にとって、たったひと月で逆戻りなんて世話のかかる 教員だろう。しかし﹁命が第二と慰め、すぐ病欠講師 の手続きを始めてくれた。 長い一日が終わった。あとはクラスの子どもたちに告 げるだけだ。八歳の二年生に、いつ、どんな顔をして言 えばいいのか。一年に二回も担任が変わるなんて子ども たちは許してくれるだろうか。子どもたちの顔を想像し ながら、復帰間際の考えは大変甘かったと心が﹄即時みし た 。 14一 一 月 一 四 日 東京の
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診療所に行き、日医師の診察を受ける。 ﹁腫蕩が三センチなので、本当に一個なら、HITV
とガンマナイフの併用で治療ができますよ﹂と H 先生は 明るい声で言った。﹁何とか明日、受けさせて下さい﹂ と無理を承知で頼みこむ。看護師さんが何度もスケジ ュールを調節してくださって、翌日に﹁血液分離法﹂の 検査と、翌々日に精密検査のためのベット C T を撮るこ とになった。百%治ると決まったわけではないが、幸運 が私に寄り添ってくれた気がした。 この日から三日間、東京で先進的な治療・検査を受け ることになった。驚異だった百大阪との差が身にしみる。 一 一 月 一 八 日S
センターでセカンドオピニオンを受ける。医師はI
病院の治療方針に同意した後、 C T を見て﹁他にも腫蕩 があると思っておいた方がいいです。H
ワクチンやHI
TV
は知りません。得体の知れない免疫治療は費用もか かるししない方がいいですよ﹂と言った。﹁それはS
セ ンター婦人科全体のお考えですか﹂と、ちょっと気色ば んで問い返したら、﹁いえ、いろいろな考えの先生がい ますから﹂とあわてて答えたので気持ちが少し納まる。 ﹁知らないことを﹁得体が知れない﹂なんて独断すん なよ﹂と、へこんで帰宅したが、東京からのメ l ル で 気 持ちが一変した。﹁ベット C T の結果、一つしか腫蕩が 見つかりませんでした。ガンマナイフで治療計画をすす めます﹂。やっぱり私には幸運が寄り添ってくれている の か な ? 一 一 月 二 一 日 子どもたちに、しばしのお別れを告げた。﹁泣いたら プロじゃねえ﹂と心の中で巻き舌しながら前に立つ。口 を聞く前に涙がぼろぼろ出てしまった。病気のこと、ま た担任が代わることを伝える。ごめんなさい、本当に。 女の子が数人泣き出した。しかし手はかかるがかわいい 男の子が﹁次のセンセはゲームセンターのセンセがええ わ﹂と言ったので普通モl
ドに戻ることができた。 ﹁ O 君。その前に九九を練習しなさい!﹂。みんなが笑 っ た 。 元気になってまた学校に戻ってくるねんや そんなら、泣いたらあかん!﹂。ひとりのやんち ゃな男の子が静かに諭してくれた。 先 生 こベる ろ?
152007
年度『こぺる
j会計報告
一般会計収支計算書 自2007年2月 1日 至2008年1月31日 手 ヰ 目 金 額 購 読 ・lf 3,398,888 基金および寄付金 241,730 受 取 手JI 息 38,956 誌 代 売 上 89,046 通 信 費 644 郵便定額j貯金満期解約(No目13) 500,000 郵便定額貯金解約(No.22、24) 1,400,000 当年度収入合計 5,669,264 前年度繰越金 657,019 収入合計 6,326,283 編 集 費 1,894,500 印刷・製本代 1,585,035 通信交通費 887,687 原 稿 料 804,880 消 耗 品 費 32,495 雑 費 32,003 振込手数料 67,470 支 出 合 計 5,304,070 当年度収支差額 365,194 次期繰越収支差額 1,022,213 区 分 資産の部 資 負債の部 負 財 産 目 録 2008年 1月31日現在 項 目 現金預金 現 金 普通預金 京都中央店信用金庫 西陣支 No.0555464 京都銀行 出町支店 No.483979 郵出便町貯郵便金局 No.20195771 郵便振替貯金 No.01010-7-6141 定額貯金出町郵便局(3件) 産 l口込 計 預かり金 債 ぷ口、〉 言十 差 引 正 味 財 産 一般会計 1,747 21,876 36,236 122,350 840,004 2,100,000 3,122,213 360。
3,121,853 2007年 度 会 計 監 査 報 告 金銭出納様、預金通帳、郵便振込等、監査いたしましたと ころ、金銭の処理、帳票の処理が確かにされていることを認 めましたので、ここに報告いたします。 2008年3月25日 こべる刊行会 代 表 藤 田 敬 一 殿 会計監査松田園広⑮ 16鴨水記 マこの四月、岐阜県は﹁人権施策推進 指針﹂を改定しました。重点対策の第 一が、﹁﹃よく生き合う力﹂をはぐくむ ことができる人権教育・人権啓発の推 進﹂です。持論の﹁生き合う力の回復 L が取り入れられて、正直うれしい。 岐阜県内をまわって気づいたのは、 地域によって人権問題への姿勢に差が あることでした。大まかにいえば、同 和地区︵被差別部落︶がある所は、そ れなりに取り組まれている。これは同 和対策事業とともに﹁同和問題は人権 問題だ﹂という教育・啓発が進められ てきた結果でしょう。と同時に、﹁人 権問題とは、同和問題のことだ﹂とい う受けとめ方が広がり、同和地区のな い所では﹁人権問題は関係ない﹂とい う意識が根づいたように見えます。こ れからは、同和問題を人権課題の一つ に位置づけ直し、﹁響き合い、重なり 合う﹂感性の広がりと深まりを求めて ﹁生き合う力の回復 L に取り組む必要差別した人との関係を変えることがで がある。そのためには先ず同和問題第きなかった 0 ︵差別があるから糾弾す 一主義からの脱却が不可欠なんですが、るというのは︶時代認識が全然ダメ﹂ 転換は容易でない。まあ、焦らずにやといった趣旨の発言をしました。 る し か あ り ま せ ん よ ね 。 マ あ る 人 が ブ ロ グ で こ の 番 組 を 批 判 す マ 三 月 六 日 夕 刻 、 MBS 毎日放送の報るついでに、インタビューを受けた者 道番組﹁ VOICEi 刀 再 生 と 改 革 μ は﹁藤田敬一氏といい、わざと隠語を 部落解放同盟の今﹂︵関西限定︶に登使えば﹃ハク﹄ばっかりで、ムラ出身 場。おおよそ、﹁今までのようなやりの同盟員からのコメントは何ひとつな 方をしているか、ぎり和解と関係の修復かった﹂と非難しています。﹁ハク﹂と はできず、マイナスイメージの記憶とは﹁部落民以外の人間﹂を指す部落の 伝承の連鎖を断ち切ることはできない。隠語。﹁わ、ざと﹂であれ、白負、心の表わ 二 O 年前、中央本部は﹁同和はこわいれであれ、隠語で人を指す心根が哀し 考﹄を批判し、わたしを差別音 ち、王と断︷疋した。あのとき、こころをの対応関係を断ち切ることを彼は考注 え 開いて振り返つていてく、だされ、ば、こない O すべてを出自で決めつける発想 んなことにはならなかつたと思、つ。率も、すでに﹁︾﹂わい考﹄で批判した代 直に三口つて部落解放同盟は時機を失し物。﹁身内・仲間﹂意識が強すぎると、 たな。それなのに、今後も行政交渉を大事なことが見えなくなるものです。 継続する、糾弾闘争は生命線だと言、っ。﹁部落民以外は信頼できない﹂との信 糾弾は人と人との関係を変えなかった。念を持ちながら口先で人間解放を語る、 社会的に告発することはできたけれど、このいびつき。鳴呼。︵藤田敬二 編集・発行者 こぺる刊行会(編集責任藤田敬一) 発行所 京都市上京区衣棚通上御霊前下ル上木ノ下町 73-9 阿件社 干6020017 Tel. 075 414 8951 Fax. 075 414 8952 E-mail: [email protected] 定価300円(税込)・年間4000円郵便振替 01010-7-6141 第182号 2008年5月25日発行