――目次――
巻頭言
Foreword:-1,
巻頭のことば, 堀一郎, A Foreword, Ichirō HORI, p.1.
座談会 Round Table
Discussion:-2,
「宗教研究」編集の想い出, 原田敏明/小口偉一/古野清人/脇本平也/石津照璽/後藤光一郎,
Editorial Reminiscences on the “Journal of Religious Studies”, T. Harada & Others, pp.2-29.
展望
3,
アメリカ宗教学会の最近の動向, 中村恭子, Religious Studies in America, Kyōko NAKAMURA,
pp.60-80.
4,
アメリカにおけるイスラム学の動向, 中村廣治郎, Islamic Studies in America, Kōjirō NAKAMURA,
pp.81-103.
5,
フランスの宗教学の近況:東方アジア宗教の研究を中心として, 福井文雅, Religious Studies in
France, Fumimasa FUKUI, pp.104-118.
6,
セイロンにおける寺院の仏教, 前田恵学, Official Buddhism in Ceylon, Egaku MAEDA, pp.119-138.
7,
オランダの宗教学研究, 鎧淳, Religious Studies in Holland, KIYOSHI YOROI, pp.139-161.
会長
堀
虫ほ
ナ,
Ⅰ
力 。 Ⅰ
土よ
し
的
と
思います。
を
記念しようというのは、﹁
二
00号
﹂そのも
の
す @ ぶ
ければならないと、切に念願する次第です。
通巻 二 00号になり
が、ともかくも五四
役割は大きなものが
ぃ論文が本誌に掲載
た。﹁宗教研究
L が努力と、他方
務 持と長命必ずしも尊いと
に意味があるのでは
確立と発展のための
巻頭のことば
Ⅰ ( Ⅰ )はじめに
から、
って、お
に 、これ
集り ね が
と 考えま
まだたく
ますもの
いしたわ けです。
はっき
の Ⅰ田臭 の
究ヒに も
ぅ です。
な えて 今
作ろうか
ろ 調べて
うこと
して拾い
にしてし ていただいたらと思います。 古野ああ、簡単じゃなくていいよ︵笑声︶。
石津
照璽
後藤光一郎
古野清人脇本平他 原田敏明小口
佳
一
会|
出席者
﹃宗教研究﹄編集の想い
出
(2) 2仁 宗教研究 コ 編集の想い出
考え
研究﹂
数所
研究 b
は か
0 発
とめ
話を がいたいと思います。
なさ
ここ
後に
﹁ ムフ
と ︶
し、
す 。
の よ
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多多
返っ 、年代を下ってまいりたいと思います。
編集
史
概観
石津年代を繰って
みりや わかる。 後藤第六巻は昭和四年です。き|第
重 が担当
3
(3)で、 赤
新第八巻
が、 ︵ 註
一方発行
博文館、 つまり本屋に移っています。
っ たの
研究発行
治の名前
は 矢吹 慶
大正十三
まで行く
て 依然 同
からいろ
のおわり
生じゃ は いかと思いますが。 石津第六巻からじゃないですか。
ないの ですが。
んですか
て 、その
というの
際 の 編 集 責任者は原田さんでしたね。 くるから君はおれ﹂といって。
宇野君が っ ちゃ 原田大正十三年九月ですよ。
原田私が第四巻五号までやったんですよ。
生です ね。
僕がや っ たんです。僕にやれと言われたから。 脇本そして、昭和五年から石津先生ですね。
学士院
もらいた
邦君はど
その困っ
者がず ぅ
っ たら、
、それ 4
岸本と増 谷と 。
ど ざいますよ︵笑声︶。 ね。そして新刊紹介は皆で担当していたんだ。
っ たから だよ、 ことが 古野そりゃ、そうかもしれない。 原田新刊紹介は、当時ある程度批評もしたな。
デオロ
かくやっ
君はどの 本 をやるとか何とかい う ような事でね。
り 私に
の 連中壇
私とで 共
になって
して、 み
て 来てい
0 ヰ 巾 -@ ハカ Ⅰ
皆んなで ね。岸本は外国に行っていていなかった。
はいつ
ア
宗教研究 コ
編集の想い出
や ま も う う か 三 だそ うので月第た田いに
れと 和る
で
十
一 まお な と で い
村 硝石
りど言
ど たたので すか。
、わ 力 @ @ 。
はこう なんだから。
けな
ね。 僕
の 三月だ っ たかな。
ったん
ヴィッ セ
すょ 。 と
ことで
は 、石橋
こでは、 宇野先生の方が有力メンバーだったわけですね。
つづく ﹁宗教学紀要 L 第四 揖が 不二屋から出ております。
月から
ぃ 石橋 体
すょ 。
な
い軒先生か 5
え研て社研真
の仕手が部すでで
らっ の そ っ い
困 も
では
や一で。
男 だか教 っ版 数軒 き版
けす安でとの
んけすと
教 持ら 石
て
文 だあ
山のそんⅠ
(6) 6
ア 宗教研究 コ
編集の想い出
た無
手ど
無は
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はとなとつ
東
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円 ア, Ⅰ
か かま
誌上
チだ 氏多にの
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% 。 が も ,り て てね、
会 っ な ん 行六出め
い も た う う 々 と手 っ干 て じ が 悪よいいにいや
無
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の
方
し で では
て
い す。
す。
あ ん さ た てだ究ず
なる な 事気
れなんか
き ろ 室 う っ と る のもらって たわけです。
てて ね。 脇本じゃ、もう少し。
﹁ め ホ姑 笘
刊 第一年
前 、昭和 十九年まで続いたわけです。
年 段階
編集員で した。
という
のときに は 誰がやっていた。 原田甲斐実行。
たんだ
んか市川 さんから長尾君になったんだよ。
とね、
あ、四人いたんだ。
では 矢 7
吹 、木村。
﹁残って
両 帝国大
会務及び
氏 、佐野
羽渓了諦
なる。 編
行氏 が編 揖 事務を分担してゐる。 し 原田こりゃあ、私が書いたんだ。 いることがあるでしょう。
ぎれて
後藤そうです。
やめた
それにし
よかった と 残念で仕方がない。
出てる
ね。あれ は 特集号で番号は入っていないからね。
す 。 原田別冊は四冊くらいあるでしょう。
特集を 何回かやったようにおもう。私は持っているが。 後藤 集 されて 究 編集部 教学会と 小口 ったので で、ここ がねえ、 いうこと 学会の親 石津 教学会の 創設した を機会と 当然日本
J
。 ノ
の
関係
約
なっくって
日本宗教学会との関係
後藤一度、是非見せていただきたいと思います。㍉め %
かい う 仝 冗 値 があるそうですね。
い井 ﹂ 田 , b
にそれ た けれど。
(8)
8拝 宗教研究 凹 編集の想い出
小ロいや、そうじゃないですよ
ゅ後藤は
い 。そのときから出ております。 石津建て前はそうですよ。ら始ま
ですか、成立は。
から別で
小口宗教研究会というのは、大正五年です。、その 都
っ
たんで
小ロいや東京と京都。ム の会員、
、宗教研
ゆる 帝
大学は
いって 、
念 講演
招 聴しておったわけです
と いろんですね。あんた
たわけで覚えとるかい。岸本君も来とったし、
ここも来とった。学モ院、 羽淫 さんなど四、五人
という。そのときイ宗教
です。
ないか、
接 ﹁いや、あんた 達
それじゃあ、宗教学をや
い か。 自
お もう。
つて、もう決っているの
かえしてしまった。 っていたんだが。 る津 昭和五年当時 は 、 龍 大ですか。 後藤姉崎先生の名前は、その前から出ています。
学 の 者
石津宗教研究会として
?じゃない
とき初め
十五分 講
一回の大
も 、真似
不教学の人
ほ
忘れんでおいてもら い た い 。とめて こられたんです。
さんと
なって い
スト教で す 。 小口宗教哲学をやってた人でしょう。
から 羽
おらんじ や ないか︵笑声︶。
。校正
だ。横文
寄稿論文
おった。 おまけに誤植も沢山できたりしてねえ。
ム、 我々
史学会、
しふ刀 ︶ 、、ァ仁 っ ちでもやろうじゃないか、ということでねえ。
ど がね え ㏄ )
やった
さんが 遠
くやっち ゃ ったんだ。
、﹁ 天
まで、 三 十五分間﹂︵大笑声︶。 脇本あとあとこれじゃ困るということですか。
く 真野
ときは
ていた。
けて十五 分 ぴしゃりとやって、すぐ下がるというように。 古野一昔のことですねえ 石津一昔どころじゃないよ。
のがあ
の会員を もっていたわけなんですね。 小ロそうですね。
て 前と
丁 宗教研究コ編集の 想い出
大関係の方であった。 そ ど
が 中心と
ど、
そなっていた。
うではなかったと。てある
じゃ、どっかにないか
て
、正式ね。惜しいことをした。
ね。
しない
かるんと、普通はとっちゃいますからねえ。
です。本 して
え、東 あるんですよ。
あの京都
録 、例
のってたんですよ。宗教
記 までとっちゃおうとい
いうような形で非常に無 学 とでやってたことになるんだね。 味 乾燥なものになってくるわけだね。
コ カ O
という 小ロそうですよ。京城帝大にいらっしゃる前に。
ですよ。
ていたんですよ。
院 に入っ
編集の仕事
のですか
してなの
ていた ですよ。 からですか。
小ロそれに
羽渓 先生二尾 と
員 のもの以外は市販
とュ
いう形式をとっていたから。
すため
ては、 横
よ 。私が 同文館に書かせて何度もはりかえて。 脇本市販して河部ぐらい出たんです。
とき 以
つ めは、 本屋の方でですか。
ね。 そ
なかった ですよ。 古野そうそう、よくぞ金があったもんだな。
んです
﹁忙しい
目 ったハリマⅠ す 。
みんな 喜んで書いたわけですね。
だから
︵ 竺 全戸︶。
我々の
いたよ。
ねゥ 12
、原稿
もって
来埼
情 やこご
ことだ
かった ん ですよ。
の 推薦
つ とたく
ね。僕は
の 三分の
き 回った。 小口実業家でしょう、あの人。
回 さん
のむか、
うした
ん原田さ
が圭日 かな
ちゃ て、
肩を叩 い
田先生は 中中策士の気味がありますよ。
批評 紹
は
、記名
それが、
せんを
経
つくと
同
短くなり、
び
紹介者
いものや
んな私共
という
多
いし十冊
たのか、
その秘伝でもおきかせいただければ、と思います。
や
古野
さんあたりと組んだときですね。
な、新
刊
紹介は。
よ
。これが一項
エ合にしてには、外国の雑 い
う
をしたこ
丹前の頃
そういう 本を持っていって、なんとかしてくれたんだね。
むいた し 石津常連は五人ぐらいいたと思うが。
ロ
ゴ ロ している仲間があったんですね。その他 にいたんですね。
よ - Ⅰ ノ 。 だから他の者はなれんですよ。
人 も多 かったんですか。
たから なヰ の。
か
石津よその大字を出たのが来るんだな。にはわ
まして、㈹
ないのが あります。
ってき た 。山田というのは山田籠城 氏 だろう。
石津木下というのは九州のことだ。
後藤それから
釘宮 という人がいます。です。 脇本これは仏教関係ですね。 原田支那仏教だったな。書いたものがあったな。 たま ひろ
脇本主室さんというのは
と では ないかな。
後藤高田っていう方は。 口ロ に 修でしょう。 後藤ムロ坂さんてい う 人もたびたび出てきます。
重目 卜 Ⅲ た
つかった
誰かす ぐ わかるんだが、
がいっ
で 村上 俊
か、 彼は
つけて 木 村 俊太とかなんとかしたんだ。
編集と関係した拷問題
小ロそれから、村上、小口の編集のときに
の
﹁四姓制度に関する一考察
L
という新第十二一
まつわる事件があったが、とくに目だつ事件と
﹁宗教研究
L
のどこかに私がちょっと書いてお
山川智
応
さんの論文が掲載禁止になったことは
もう検閲が始まった頃ですね。それで編集責任
と
警視庁からきたので、姉崎先生は病気だとい
が
代りに出頭して、一札いれて、その時はもう
送っちゃった後だったけれどもねえ、一応後に
だけ破り取ったんです。㍉日蓮聖人の国
神観
b
︵
第四
%︶ですよ。
古野あれは、
智広
さんが姉崎先生に頼んで
君が
小ロこれは直接頼んだんですよ、編集部と
それはね、山川さんの論文が悪いんじゃなくて
ね、同種々
御
振舞御書
L
というのがあるでしょ
-
引用したこと自体がいけない。
古野それは何年頃かね。
小ロ・昭和十五、六年頃だったとおもう。
そ
0代表者に迷惑をかけちゃあいけないというこ
っている者ということで、代表者名を私の名前
私の名前のあとは田沢君になったんです。
@C と のん夷 号
で際で
学会
す。
にや (14)@ 14の ナチ
チス批判
胸青ロ 0% 珊
とができ て 、非常におもしろく読みました。
って い
問題が両 方 あるのと同じですね︵笑声︶。
で 。
番から おしまいまでやったこともある。
本家恩
たごたし
かのこと ほ ついて。
かと 文 出札科学論でやっていたのがありましたね。
生だったん
ろと 論か 、﹁宗教研
畝究
L 誌上で。い ですね。
のの問題ね、 哲
のものが
いるとい
研究 L は
でも持っ ているはずですけれど︵笑声︶。
すね。
ね。
摩した
覚えてい
いなあ。
先発表
ね。
して、 鈴 木 崇志がねえ。 口ロにそうそう。
たね。
編集方法
は 出た
、ある 時
0 頁 散る
れも石津
ます。 本 15 ( Ⅰ 5)
らに新刊
にするさ
分 まとめ て 追加するという大変厄介な
って か
は 頁が 始 めから分かれていたんではないかな。違 う かね。
のは、
を 二段 組 みにしたね。 石津それはそうだけれど、負数は。
一年、新 第五号からです。
ろ う 。
通りで
部 が新刊 紹介同様になりまして
をした Ⅰ カ O
戻 って い ますが、
三、四
えることも あったでしょう。
市販さ 6
しますの り
0 発行年 月 とずれているのがあるからです。
という ことでそうしたのかなあ。知りませんがねえ。
ぽ題
先生から
て 、そこ
て 発表者
ト 順で並
﹂と﹁ 成
学 L とい
一般及び
ホ数 史 ﹂、
初期 仏
分類され
四宿は下
、といっ た 具合です。
で、 そ
きは浜田
本数社会
正宗教研究』編集の 想 、 出
ないのがあ
い う 話が出
ヨ番 校の方
つになった
0 段階か
出来ている
望 という 欄は 、石津さんのときにつくったんだな。 る津 そうです。
りがたい んで、あの 棚瀬襄爾 だの、私のかけ出しの頃
小口日本における宗教社会事とか何とか。
小口編集者がよかったということでしょう。 原田いろいろ変ってるんだな。 つ @
し 。 石津新しいところだねえ。 古野我々は前のことはもう忘れておる。
おりでは ないでしょう。
た 。 あ っ 、こりゃあ表紙がついてないんだな。
その 人
と 、﹁ 枚
いうて 貰 Ⅰ 7 字 のと違って 、 少しかえました。
先生の
た 。もと
した。
えてい る Ⅰ
それか
ね。これ からはだんだんこれも出来なくなりますね。
巻が出 たすぐあとに社会学、倫理学が出たんですよ。
と、こ れは早 い のですね。
ね。
という
り 哲学系
わけです よ 。 苦心 談
やら余談やら
稿 が出
十 何枚か (17)
また短い
いった ,ら、 ﹁外国には半頁のもありますよ﹂︵大笑声︶。
頃には
となく 反
に、 僕が
ので、 仏
学 仏教学
何にもな
望 があっ
どうも 姉
おられた
室 がわか
期 があっ たと思う。
Ⅰ カ O 石津ああ、そうでしたなあ。
もので すか。 小ロそれはねえ、一種の懇親会的なものですよ。
それで
どという ものをいっしょにやったしさ。
よ にお っ たんだもん、震災後。
しにつ 憾 づいた。
書いてい
雑誌は恥
教学会。 たわけですね。発表の場所として。
れど
正式には
手の人も @ Ⅴ・十八Ⅰ - Ⅰ。 原田印哲の寺崎もいた。
、どう
ぞれの時 代 、そんなことでもお話し下されば 脇本それじゃあ、まず原田先生から。
られた
か 何とか
、若手が それをもっておったのは特色だったと思う。
りの時
なかっ
てもすぐ
にめっけ
いんです
『宗教研究 コ
編集の想い出
はね、 一
古野ひがみ深いんだな
ひ。柏手
を 。それ
ょ 、東京
ですね。
ならん。石橋さんがおら
ろに行きよったですよ。
L の 編
ッ にのせ
と分れて
ケツ じゃ
。﹂﹁うんいるんですか。
してこ
のせたも
いんだか のです。
は 却って宗門大学のえ らい先生などにあったな。 れ るぅけつ いだ。
う 。 そ
、昭和
示の例会というものをや
画 かや る
いって 、
すよ。﹁それは、在京の
会員は損 だ、 同じ会費を
。それで結局できなかっ
さんは
難た
。はヱ ネル 脇本それまでは、学会は隔年だったわけですね。 ギッシ ュ な人だったな。 小口隔年しかなかったわけですよ。
脇本すると紀要も隔年だったわけですね。
細見て。 小ロそういうことですよ。 原田ああ、私はさんざんやられたですよ。
て、そ
よ
。学者かあの、この辺におきゅうしてたね、
きゅうの談義はよく きい保馬 ︶さんだったか天文
あんなのが秀才だなとお ら 、つっつかれる︵笑︶。 もったといっておられた。
は、そ
とめる
ね た
。あんま
研究した資料やなんか
ね。
けれど、
んとまとまるもので
に
雑誌はすかね﹂といったら、﹁うんうんそれ
もそうじゃ﹂といって ねたような
対しては、非常に感激 ユム しとったですね。
原田㍉宗教研究
口 にはなかった。脇本むしろ、断るほ
う。先生
んと、 は 外の人には感心して えらけ人が来たら困るからといって。 小ロうちの者の価値は︵笑︶。
稿 はい 石津あらが見えるんだろうな︵笑︶。
いうとき 小ロ子供に見えるんだよ、いつまでたっても。
﹂、という
関係
から、時間をい う ときちっとくれるからね。が 、姉崎
先生からはあまり理解されなかったな。
つけてく
たいな
に 図書館長室に寄るんだ (20) 20
厄 宗教研究 コ 編集のぬ 、 い出 い 威 のん な
たげにゃ
の一俣 。 先
。この 小 日召もそ う かも知らんけどね。︵笑︶。
研究 口
のません
いつか、
どうです か 。まず、原田先生から。 原田姉崎先生のは大体非常に長かったですね。
からと
なにかの 裏へ 書いたようなのくれよったよ。
になっ ちゃってるんだ。まねしたんだな。 原田あの頃は紙っていうのは大切だったからな。
。そ う
う ん だ よ 。
きだっ
館愛橘先 ②
ヱ Ⅰハ ツ 英五 %
の 英文の
ついてい
の所へ 持
。私は結
わって 来
おりにし
な い だ る う ﹂︵笑︶。
いて 高
んだから
あ しゃあ としてるんだから。
ュ カ O
古野ああ、主査でね、先輩
ょ 、高楠さんは。小ロあのね、帝国学士院のプロシー
デ, ングス、でなく
事で編集
ころが 岸
葉者では
帝国学士
んはあの
きなくて
れは昭和 十九年か、十八年。
の、そ
を 今度は
水 先生が 2
枚の紙で 2
伝 い をし 均
んだけれ どね。あれ、残ってると面白いんですがね。
もので
姉崎 謂と
研究 L か
や, ﹁ ノ 。
年 の 策
ね。やは
原稿の数
列 とかだ
だけど、
っ のが、 この頃からだんだん出て来たな。 脇本研究室でやるようになってですね。
った 。
たりは
けれど、
とに大東
とはない
い わなか
仁 宗教研究』編集の 想い出
った 。 そ
じゃないで
0 分野の人
いじゃな
用 する人 ま 0
入って た わけですか。
りスタ
大 であっ
り 、結果は
行ったこ
ずつ っと
だったです ね。たびたびあったですね。
脇本どうやって断るときは
断 わったのですか。くとで
な
。だか
それから 人を介して 断 わって貰ったね、よく。
してとい うようなことはなかったんですか。
が ︵ ノく
﹂、なんて
って 大
らでも 頼 為 の )
というん
ねえ、 題
か 書いて
いえば ね
してくれ
先生はだ めだった。 古野君は苦労したんだ。
訳を持
先生のだ
はああ い
ボッ にし
のせない
、そんな ものに原稿料払えますか﹂︵笑︶ 脇本なるほどね。
りそれ
いって。
すょ 。
よ @ ツ ハ 。
殆んど ほっとした暇はなかったですね。
になると
位 依頼状
った 。 一
僕らの と
で、戦後 にかかるわけで、 GHQ とか。
古野検閲
か 。後の検 閲の時期に編集やったわけですからね。
すね。
小ロそうです。
。校正 刷の段階で 古野いや、本になってから。 脇本なってからですね。それでだめなら
とって ね、第五号をやられたんだ
前 の 建 物 、あのへんだったよ。
たいな 所 あったねえ。
いう 所 が 悪いんだといったら、
小ロそれは戦争中のあれだ
ね一ケ所 4
にじゃな
そして
今勾
って 、そ
茶 苦茶 し
とるんだ
富雄とい
つ してだ
はいいん
なるとも
重星 埴 がそ
、っ ぶれ ちゃった。
脇本﹁宗教研究
L には発禁というのはです。
るけれ
ど 、いわゆる神仏 基の バランスですけどね。にな, ら ん 、そりゃあ仏が多すぎるんだ。
一同仁
が 多 い ねえ︵笑︶。多いで
てはいけ
又の内容 自体の問題もあるんですが
編集と報酬
円
もら
っていたでしょう。
石津いや、そんなには。二十円だったかな。
小口六十円をみんなで割り振ったのかな。
れたと
んにムム
って
力
に対する
っ
じゃない
おるんで
す
。原田さんの知恵だから︵笑声︶。
で、
姉
崎
先生が﹁君は困りゃせんか﹂、と言われたんだ。
石津ただその頃は原稿料はくれたな。
く
無料
さんからね、も
いたんだな。
昭
綾和
十年頃もそうだったから。
々に諮問があっ
もやりま
。五円か
かをおみ
五円か 何
っ なこと
はいたん
城屋 かど っ かへ行って豪遊したことがあるよな。 古野豪遊とはいえないよ︵笑声︶。 脇本それがお金の出る最後というんですね。
た 訳で
ムが変っ ていった時期があったね。 脇本おいくつ位ですか。 る
洋三十年前
よう
、口 を田
原田今は報酬はどうなってます。 脇本何もしてないです。
の 仕事 とは違 う んだ。 脇本研究室で始めたのは。
おった
うよりそ
の 続きな
い二 ノキ 上 口目
一 つ なん
も ⋮⋮ や
それがあ
手だから
編集して
ム ﹁一ムった
受けとっ
生 のとき
て 、よそ
カュ
を 維持
やってな 脇本命はやってないですね。 小口一時それやったんですがね。
てそれ つ きり維持会員︵笑︶ 小ロそれやるといいんだよ。
るべき 26 ヰハ 巾 * Ⅰ。
っ だ。 勒 今は賛助会員制度というのはやはりあるのか。 脇本はいあります。 石津どの位になるのかな。
のは 必 ずしも全部集まってないですね。半数 か
戦後の 紙の心配とかなんとかは。 小口田沢君と僕のときですね。
です ね。
ないわ けですね。
くれる わけですね。
ね。 我
所でした よ 。 古野で、岩波は何もくれんの。
売りは してたわけですね。
です
乎 宗教研究 コ 編集の想 い 出
というよ ば 。 うなことはなかった。
う な や 小口ええ、それはなかった。
に 不利だ 脇本それは終戦直後のことですね。
肩 のと
き 一時あった 位 。他に引き受ける所がなくて
ことにな 原田今の出版はどうなってます。
てるのは 脇本命はあの、本屋じゃなくて、印刷屋ですね。
いに何で 原田直接経営ですね、こちらの。
い ですが
脇本ええ、そうです。
夏 でやれ
て 分らな
今後の﹁宗教研究
ヒていいん
たらいいじゃないです
多ければ良か。その代り危険はあるんですよ。
えんです
小口会員が減るっていうことね。 ね。私はち
いんで 古野仏教学者は両方に発表するんだろ。
の ﹁宗教研究 ヒは 一冊
これじゃ困るですね。何
。も う 少し、宗教学に集
であっていい。でないと 方で両方便 い わけるわけです。
れでつぶ 勒
数
にしされていることがあるね。
しなけれ
は 必要 勿
でしょう。
すもの
、日本史
でやって
や ないで
ないです
日本史と
、地方史
会員がい
。急速に
いる感 じはあるは。
つ 一一ヰ * ハ し
要 ばっか
だよな。
かなりす つ きりするでしょう。
理せに
なのでは 宗教学大会じゃないんですもの。 古野困難な事情もあるだろうけれどさ
だよ。
、これ
原田もうここらでやっていいんですよ。 古野うん、そういう時代じゃ。 脇本編集権は大いにふるう︵笑︶
のね。
。それ
番 つまら んですよ︵笑︶。
るとこ ろがあるんじゃろうからな。
すょ 。
で
少しは
概論を聞
っ たらど ぅ ですか︵笑︶。
脇本入
ムムめ賈格に ︵笑︶ 小口講習会やりますか、 え 、宗教学会主催のいにや ることだな。
ともな い 人が大部分でしょ。
何かや っている大字がある。
田 宗教研究 コ 編集の想い出
うじゃな
原田宗教学じゃ、あてにならんというのですね。
というくなっちゃった。
形
の
溝義
はかなりあるんですね、大学に。
ふん
小ロある。あるけれど中身は違
う
。
脇本ええ、宗教学会がそうなってる。
あ
宗教
ます。
ときゃ
そ
した。
れでいいだろうというような。
り
方を
小口五十年近
い
ね。
後藤大正五年ですから。
小口だから五十年になる。
原田大正五年なら、五十年すぎてる。
古野五十三年じゃからもう。
すけど
むしろ
戦
後
じゃないでしょうか。
石津まあ、そ
う
かも知れないですね。
だとい
了ユ 9 /29 Ⅰ行
実 績 表雑纂
考
12 2 75 銭 「宗教研究」は 宗教研究会の 会 誌として発足。 総 負数 欄の カッコ内は目次, 口絵など。 会費年
2
円50
銭43
4
メ /27
3
Ⅰ / Ⅰ 7一
"11
一
2
ァⅠ32
57
一
l "一
""
一
|
一
"
" 一"
一
" 一l
Ⅰ85
銭
一 一
1
一
1 一1 71 71 11 21
1||
28@
13@
・4@
4 I 関東大震災による 中断 (30)@30
表
付宗
教
研
究
刊
号編
輯
第 1 巻第 1 号 東大・ 東 大宗教研究
宗教研究会
大正 5 年
4 月228
212
ム ( 再) 11
月 ( 十3)
赤 松 秀 景 ガ 第 2 号 宗 教 研 究 会ク 第 3 号
第
2
年第6
号ガ 第 7 号
庁 第 8 号
第
3
年第9
号ガ
第
10
号
(+
176
3)
171
げ 第11
号(+
134
2)
133
げ 第 12 号第
4
年第13
号ガ
第
14
号
(+2)
122
113
ガ 第 15 号ク
第
16
号
11
年 Ⅰ 0 月(+
Ⅰ12
2)
66
31 (31)
考
10
121
新刊紹介立批評し ,編輯主任は 原田敏明 氏 ,京都 では甲斐実行 氏 が編輯事務分担
14 3 一
20
1 円 一冊 1 円,三冊 ( 半年分 ) 3 円 六冊(1
年分 ) 5 円80
銭 新 第 1 巻合本2
円20
銭一一・Ⅰ
2
2
Ⅰ
一
ⅠⅠ
一一
26
4
Ⅰ一メ
/
一"
一 Ⅰ2
一 新第2
巻合本6
円60
銭一一Ⅰ 7
2
2
一ノ
Ⅰ新刊紹介に紹介者の 名前が付され
Ⅰ
3
Ⅰ 043
一"
合本6
円60
銭17
9
29
(32) 32
表 付
教 研究 ム 同 文 館
宗教研究会
第 2 号 姉 崎 正 治 170 136 一 一(18
号
)
(原田敏明
) 大正13
年11
月 て十 Ⅰ0)
(20
第 号 )2
号 カリ162
一"
一ガげ
けガ肛
ガ 第 5 号
イガ
ガ(29
号 )33 (33)
主日 評 洋書 和書 考
11
1
一
11
29
編輯主任原田敏明 氏 満期
辞任, 古野清人民新たに 編輯主任となる
新刊紹介だけ 別に新第 5
巻第 1 号にさかのぼる 通 巻貝 数 をつけはじめる
新刊紹介の和書の 部に大
体 紹介者の名, または キ ヤ ピタルが再び 付される
新刊紹介の洋書の 部にも | 1
l
再び紹介者の 名が付され
Ⅲ木鍬
2)
雑劇3@
望 ,書評(4@
刊 紹介,彙報がそれそ れ 別の通巻頁を 付される (34) 34表
付
発行
所発行総員
釦糞欄
宗教研究会
同 文 館// 第 3 号
カリ
が(39
号 ) Ⅴ 第 4 号カリル
(40
号 ) げ 第 5 号(41
宥ナ ) げ 第 6 号げリ
ガⅠ 1 月・
(42
号・ )げ庁ガ け 第 2 号
ガ卍ガ
(44
号 ) 沖 第 3 号ガ卍ガ
(45 モ ・ )
沖 第 5 号
卍カリ
(47
号・ ) ガ 第 6 号(48
号 ) 新 宗教研究編輯 部35 (35)
新刊紹介
学会
考合本昭和 7 年 1 月発行 6 円 60
銭 5 年
11
月臨時特輯 号 「現代 宗教批判」(298
頁,1
円20
銭 ) が 同文館から発行 和書件数洋書件数24
カッコ内は本文真数に 入いっ ていない 別 負数たは欠席者の 原稿を
ABC
順に 載録,11
日大会後の協議会で 日 本 宗教学会が成立。 会規約に 隔 隼 大会の開催と 紀要の発行が 発 定められたが 宗教研究の発行は まだ会の事業となっていない。14
4
1
円合本
6
円60
銭一一一Ⅰ
5
14
Ⅰ
2
一
7
ノⅠ
新刊紹介 欄 に新刊宗教関係書 目 があ る
一
(36) 36付
表宗教研究編輯部
同文館㌧宗教昭和
げ 第 3 号
(51
モ ・ )ガげガ
ガ % ぎ 6 号
(54
号 DⅠ 第 2 号
(56
号・ )ガ
ガ リガ 第 4 号
(58
号 )Ⅴ
ガ ガカリガ
宗教学紀要 東京帝国大学
二十五年記念会
(60
号 )ガカリ
// 轡 第 2 号(63
号 )ガ
イ げ85
一
25
37@ (37)学会
弔文彙報価額
備
銭
3.
未開民族及び 古代の宗教史4.
キリスト教5.
仏教関係 Ⅲ仏教学一般(2)
初期仏教(m@
期 仏教6.
日本宗教史13@12
91
一一メⅠ
(38) 38
付
表 ユコ第 3
号宗教研究編集 酬
姉崎正治国英郎
/石津 照爾り
7
年5
月 ( 十3)
25
123
一17
@, 缶 拘 4 口 り - 1@ 1(65
号」卍げげ
げ 第 5 号 (66 号 )
ガ
リ ガ口一
竹出刑 h リ ト ワ(67
号 )ガ庁げ
ガ
(69
第 号)
2号,
l81・
洋書 和書 ガ 第 3 号
(70
号 Dガ 第 4 号
(71
号 )ガ
卍 リ沖
12
月(+
338
4)
324
一一一一一
ル 第 2 号
(76
号 )げカリ
げげ
かけガ
39
(39)圭 日 ' 。 平 学会 弔文 彙報 価額 備 考
新刊紹介
11111
1.
部会 : 第 1 部 ( 宗教学一般・ キリスト教・ 神道関係 ) 第 2 部 ( 仏教学印度 学 関係 ) 紀要分類 : 第 1 篇宗教学の部
A
宗教哲学の諸問題B
宗教心理学の 諸問題C
宗教社会学の 諸問題D
特殊問題 第二篇 宗教史の部G
東洋宗教史の 諸問題H
西洋宗教史の 諸問題26 2 Ⅰ 4 3 12 一 一 ⅠⅠ
付
表
き者
㈲
轍治軋
網代
臨
首号
5
︶
6
︶
ガ
︵
卍
︵
ガ卍 ガ イリガ首号
ⅠⅠⅠ ノ 0 乙 , : / 第 1lll
@
,
(8
第号 )3
号 げげ Ⅳガ
(84
第
号)
4
号 げ卍沖ガ
(85
第
号)
5
割
l
カリガ日本宗教学会 日本宗教学会 立正大学 第 3 回大会 姉 崎 正 治 宗教学 紀 要 研究室
(86
号 )宗教研究編 輯部
散文 手 宗 克則 ヨワ 2 ︶ 第号 Ⅰ @ ︵
/7 11 月
3@
ガ 5 月 卍 7 月9@
ガ 10 月く十
6)
0 ︶ 5 ︶ 60 54く十
月月
Ⅱ 工 年340
53
77
ⅠⅠ 3 月(+
146
3) 19
雑纂
101
81
81
2 2 4
2
一
海外
雑誌 論文4 Ⅰ (4 Ⅰ 、 )
セ句
一一
111111 9 3一一
一一
一一
1 1111
8 5一一
一一
2 円
篇目部類
る
諸策
第第
大会 : 昭和 11 年 11 ∼ 29 日 ( 日 ), 駒沢 び のまま紀要の 紀要 ( 学会部会 分類 % 字 分な 月 大のと (宗教学一般・キリス
ト 散関係 ) ( 宗教史的宗教社会学 的のもの ) ( 仏教学印度 学 関係 ) 一 l 3 ]円却 信士 九 - 4 ㎎㈲ 3 3
一銭
第 5 回大会 : 昭和 13 年 10 月 29 日 ( 土 ) ∼ 30 日 ( 日 ), 立教大学 部会の宗教学一般④一般宗教史
⑥仏教学第一
③宗教苗字・キリスト 教( 数字は紀要における ⑤日本宗教史・ 神道 順序 ) 会則改正,普通号 3 回,特 輯 号 1 回の会読季刊「宗教研究」 0 発行がぎまる。 普通号 1 円 20 銭 特輯 号 2 円 1 年分 5 円 60 銭 会員会費 1 ケ 年 5 円
表
付
海外
げ 第 4 号
(91
号
)ガ卍沖
庁 第 5 号
(92
号 )卍 第 6 号
(93
号 )朋打
Ⅰ庁 第 2 号
(95
号 )宗教学紀要 日本宗教学会 第 4 揖 姉 崎 正 治 ガ ・
13
年3
月 て十362
12) 35t
一一一
(97
号
) 第 5 輯 日本宗教 学会 ガ12
月(+
328
5) 312
一一一
(98
号 )日本宗教学会日本宗教
学会U4
年6
月(+
3)
43 (43)
書 評
備 考
1
| 1 1 1一
"
一
"2
円特輯「日本宗教の
諸問題」101
2
一
1
31
Ⅰ/1
一
特輯「第 6 回大会紀要」 10 2 円 大会 : 昭和 15 年 10 月 19 日 C 土 ) ∼ 20 日 ( 日 ) 熊谷大学 ( 学会創立
10
周年 ) 部会 : 第 1 部 宗教学宗教史一般問題 第 2 部 カ リ 特殊問題11
|一一
"
Ⅰ ・11 2 円 ー1 l 時 揖 「文化と宗教」(44) 44
表
付雄
き者
仕合
治俊
学士
ガ 第 2 号 (104 号 )
げ朋げ
ガ 第 4 号 (106 号, )
長暦 一 一 康 沢
|
首号号音
刹引刊簾引
第 Ⅰ 第 4 - 号 (114 号 ) 45 (45)6 2 Ⅰ・ ユ 00 8 ︶ 2 ︶ 03 29 2 千 3 千
月月
同
% 6(+
248
4) 235
一ガ
12
月(+
411
15)
401
Ⅰ
12
月(+9)
295
・294
一 " 2 ︶ 4 ︶ 月 月 年 リ ガ評 学会 彙報
価 額
備
考童
第二次世界大戦末期及び 戦後における 中断
表題「宗教と 人間」 第 大会
8
回学術大会紀要を : 昭和23
年10
月23
中心とする 日∼25
日 部会 : 二部会 紀要 : 50 音順に編集14
表題「 第 9 回学術大会紀要 死 と宗教」 大会, 昭和 24. 年 10 月 7 日∼ 9 日 東北大学 : 部会二部会 なる。 常務理事即ち 編集委員の氏名が 表示さ第 10 画学術大会紀要
大会
: 昭和 25 年 1Q 同 20 日 ( 金 ) ∼ 22 日 ( 日 )
46
表
付
首号
第
げ 第 4
才
ガ (118121
号小口健一
日本宗教学会 122 号号
123124
号岸本
日本宗教学会 英 夫岳
125 Ⅰ片田
ガ 126 号127 号
一一一
一一一
一一一
8 ︶ 丁ヰ ⅠⅠ ︵月月月
5 @ 9 坊払 重目沖カリげ
刃口 布川な 0 。 十 全店 学 日吉春日出版社
25
年10
月(+
160
4) 65 61
自由 言 寸言 義10
47 (47)
評 学会 洋書 和書
彙報 価額
備 考8 一
l
31
ガ | 第 大会ml
国学術大会紀要 : 昭和26
年1Q
同19
日 ( 金 ) ∼21
日 ( 日 ) 天理大学 部会 第 1 部 哲学的研究 第 2 部 実証的研究 第 3 部 宗教史一日本宗教史 第 4 部 ガ ークリスト 教 ・道教等 第 5 部 仏教Ⅲ 第 6 部 ガ (2) 紀要 : 部会毎に編集立教大学 部会 : 三部会
-
一-
一一Ⅰ
メ
/
同志社大学 部会 : 4 部会 紀要 : 全部を 50 音順に編集
一一
"
一一一
"
一ノ
Ⅰ(48) 48
131
号月
片 8(+
74
8)
63 一133 号 ガ
12
月 く十212
18)
210 一
137
号 ガ12
月 く十 Ⅰ81
5)
78 一
付
表
49 (49)
膏
評考
3
会費 年 暫定600 円
4
ァ/
学会創立 設50
周年記念25
周年,東京大学宗教学講座剤
第15
回学術大会紀要 大会 : 昭和 30 年 10 月 14 日 ( 金 ) ∼ 16 日 ( 日 ) 東京大学 部会 5 部会 紀要 : 全部を 50 音順に編集4
ブⅠ 京都大学文学部創立 第16
回学術大会紀要50
周年記念 大会 : 昭和 31 年 11 月 23 日 ( 金 ) ∼ 25 日 ( 日 )大正大学 部会 : 6 部会 紀要 : 全部を 50 音順に編集 (50) 50
表
付
報告
、 ム H 召和
142
号全潰
日大 本 京島 教 学 日本宗教学ヌ29
年12
月(+
15)
86 一 一143
号 ガ イ 144 号庁ガ
145 号げげ
146 号//
12
月 ( 二ト18)
92
88 一 一
149 号
卍け
150
号日本宗教学会
石津
照璽
朋12
月(+
79
7)
75 一 一 151 号
カリ
153 号
154 号
(+
Ⅰ 09)
Ⅰ5 Ⅰ C5 Ⅰ )
書
学会
弔文 集韻 価額
考など
備
英文表紙に
Editorial Board
が東北大学にあ ることを表示
京 , 9 月 5 日 ( 金 ) ∼ 9 日 ( 火 ) 関西 学術大会は中止され , 11 月 22 日に国学院 大学で総会及び 講演会を開催 @ 3
一一
一一
一一
一一
5 片 第 18 回学術大会紀要 大会 : 昭和 34 年 10 月 16 日 ( 金 ) ∼ 18 日 ( 日 ) 関西学院大学 部会 : 6 部会 紀要 : 全部を 50 音順に編集
第
10
回国際宗教学宗教史会議,マールプ ルク大会 1960 年 9 月 H1 日 ∼ 17 日ll A/ 第 19 回学術大会紀要 大会 : 昭和 35 年 11 月 4 日 ( 金 ) ∼ 6 日 ( 日 ) 青山学院大学 ; 部会 5 部会 紀要 : 全部を
50
音順に編集131000 会費 年 円 雑誌 購読 年 800 円
付
表
ガ 第
2%
157 号庁 第
3%
162 号月
ク(+
Ⅰ 08)
Ⅰ 86 一ガ
165
第 号2
円 ガ 第 3%166
号岸本英夫
//
36
年Ⅰ月く十
Ⅰ10)
10
99 一 一 朋 第 4 揖 167 号
3
月 く十I03
Ⅰ5)
90
-一
一
@
一
53 (53)備
る,さ れが 織 継いががた 組 別 てム本 へ れ問 学兼委 大 が集 京事遍 東埋 る ら務す か 常と 学は問 大貝 顧 が 編を 務 で事 事ま理 。 集れ 務た 編こ常れ 第
20
回学術大会紀要 大会 : 昭和36
年10
月13
日 ( 金 ) ∼16
日 ( 月 ) 九州大学 : 部会 6 部会 紀要 ; 各部会毎に発表 頓 に編集 ︶ 日 6 ば会 要月部 集 紀篤 : 編 余年挙 に 大竹大岳れ会要
第大紀
日 8 6 ム 在 要月部 集 紀皿 : 編 余年挙 に 大 ㏄人毎 %会要
第大紀
8 日 ( 火 ) (54) 54
付
表編輯者発行
所発行年月給真数論文
120
9@ 一t 一
鹿 第 3 輯 ・ 朋
170
号 メ / Ⅰ 2 月 一 Ⅰ 41 一肪 第
3%
174 号//
38
年
1
月(+7)
204
193 一 一
朋 第 2 輯 ガ 177 号
55 (55)
評 和書 洋書