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パーリ学仏教文化学 (24) - 004畑 昌利「Pali「沙門果経」と阿闍世王」

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全文

(1)

[?.N]

Pali

rW>FHl;EIreE]

EPfiIuetrl

tm

g

iij

The

Pali

SZimafificrphalasutta

and

King

fijatasattu

Hata,

Masatoshi

The

SZimafifiaphalasutta,

which

is

the second sutta of the

Dighanikdya,

describes

the

dialogue

between

the

Buddha

and

King

Aiatasattu.

In

this

paper,

by

examining the text and

its

translation,

I

would

like

to

solve

the

question:

whether

King

.ofatasattu was relieved

through

the

conversation with

the

Buddha

or not.

The

problem

lies

in

the various

interpretations

on

the

Buddha's

remarks

made atthe ending scene of thissutta.

He

says "O monks,

this

king

is

khata.

O

monks, this

king

is

upakata."

In

hitherto

studies of the sutta,

his

rematks are

translated variously

And

these

different

interpretations

can

be

classified

into

two

mam

polnts.

(1)

Is

the

speeeh made

by

the

Buddha

faverahle

to

the

king

or not?

(2)

[[b

which

does

the

Pali:

khata

correspond,

Skt.:

khata

or

Skt.:

k.yata?

As

fbr

the

first

question,

through reconsidering

the

context,

the

hitherto

studies, and the explanations made

by

the commentators,

it

is

concluded that

the

Buddha's

remarks are unfavorable

to

the

king.

And

as

for

the second,

it

is

effective to examine the usage of

khata

and

upahata

in

the

Buddhist

Sanskrit

literatures

as well as

in

the

Pali

scriptures.

As

a result,

the

fact

can

be

ascertained

that

in

the

Buddhist

Sanskrit

literatures,

ksata

and

upahata,

and

their

derivatives,

are used side

by

side as a

kind

of stock

phrase.

And

through

the

comprehensive consideration of the usage of these

two

words

in

the

Pali

and

Buddhist

Sanskrit

literatures,

it

makes clear that

khata

(2)

4 パーリ学 仏 教 文 化 学

 

From

 

the

 above  

findings

, 

I

 can  conclude  

that

 

the

 remarks 皿 ade  

by

 

the

Buddha

 show  

that

 

King

 1癩 跏 α磁

has

 some  obstacle  against 

his

 own  relief

and  at the same  time  these remarks  may  suggest  

that

 something  

disastrous

would  occur  

to

 

the

 

King

Keywords

:阿 闍 世 王, 善根.無根信, 

khata

, 

ksata

 

0

は じめ

に       、

 

Dighanikaya

2

経 の 「沙 門 果 経 は, ブ ッ ダ とマ ガ ダ王 ア ジャ ー タ サ ッ トゥ

阿 闍 世

との

を描 く経 典で あ る。

本 経

は六

師外

道の 教 説 を保 存す る一 次

資 料

と して だ けで な く

浬 槃

品」 で 伝え ら れ る 「

閣世

救済

」 にモ チ ー フを

提供

して い る点で も重

さ れて き た。 以

で は

pali

門 果 経」 をメ イ ン

資 料

と し, その 「王 の

済」 の 記 述 な らびに 当該

所の 翻 訳 に関わ る問

察 して み たい

ず経

典の 概 要 を, 底 本と す る

PTS

のセ クシ ョ ン番 号 と共 に挙

れ ば 以下 の よ うに な る。

     §

1

カ ッ テ ィ カ 月の 満 月の 夜, 阿 閣世 王が家 臣に対 して 適

         師

挙す べ

 

§§

2

9

大 臣 らに よ り六

師外

道の

げられ た後, ジ ー ヴァ カ に

        

よ り ブ ッ ダが

推薦

さ れ る。

 

§§9

14

 

世 王 が ブ ッ ダ を訪 問→ ブ 「沙 門る こ

        

に 見 え る結 果」 を質 問。

§§

15

33

 

王 の 口 よ り六

師外

道 の

教説

紹 介

さ れる。 §§

34

98

ブ ッ ダが 自説

修 行 道

を説示。

§§

99

102

 

王 が ブ ッ ダへ の 帰 依を宣 言→ ブ も と よ り退

1

. §

102

翻 訳

  問

題 とす る

所 は,

尾 に

在す る, 入れ た後の 記 述で あ る。 ブ ッ ダが 阿 閣世王 の 帰 依を受け

(3)

      Pfili「沙 門

」 と 阿閣世 王                 

5

   

atha  

kho

 

bhagav

五 acirapakkantassa  rafifio 

M

gadhassa

 

Aj

亘tasattu −

   Vedehiputtassa

 

bhikkhU

 

Emantesi

:‘

khat

Eya

bhikkhave

 ri

5

, upahat ’

   

ayam

 

bhikkhave

 r 百

j

巨. sac ’

Eyam

 

bhikkhave

 raj 

a

 

pitara

dhammikani

   

dhammarajAnam

 

jivita

 na  voropessatha  

imasmim

 

yeva

 

asane

 virajarp

   vitaエnalam  

dhanmiacakkhUm

 uppajjissath 蚕’

ti

   

は , 出立 して

もない マ ガ ダ王 で ヴ ェ ー 息 子 の ア

   

ジ ャ ー タサ ッ トゥ につ い て , 托

鉢修 行者

達 に

げた の だ よ。 『

托鉢 修 行

  

者 達 よ, か の 王 は

khata

で あ る。 か の王 は upahata で あ る。 托 鉢 修 行 者

   達

よ, も し かの王 が ダル マ に則っ た

ル マ 王 で ある父の 命を

わ な か っ

   

た な らば, ほか な らぬ こ の

に お い て,

な く

れ ない ダル マ の 眼が起

  

こ り出たで あろ うに。』 と。 」

DNI

p

. 

85f

上 記 引用 文か らは, 以下の

3

点が読み

れ る。

i)

ブッ ダの立

か ら

て,

阿闍世

王 は

khata

, upahata な る

状 態

に あ る。

 

世王 は 父 王

ビ ン ビサ ー ラ

を死 に追 い や っ た。

 

父殺 しの影 響に よ り, 王 の帰

と同 時の法 眼獲 得は 達 せ られ な か っ た。 これ らの

ii

は , 阿 閣 世王 の 王殺 害, 所 謂, 「舎 城 悲 劇 」 が 前

と なっ て い る点 を示

して お り重要で ある ω 。 同

に,

 

は 「法 眼 」 獲 得 の

修 道

.ヒの

位置

づ けや , その

地 へ

悪 業

せ て

考 慮

すべ 問 題で あ る。 た だ しこ の   の 問題 は,先 行す る(

D

の 内容を正確 に把 握 し た後 に 踏み込むべ

で あ る と考え る。 そ こ で 以下で は, 当該 箇 所の 全面 的な 理 解を 目指 し, 専 らこ の

i

の 問

決に焦 点を 当て考

を進 め る。

Cl

翻 訳 と問題 点

 

は 問

と な る

所の

P

語 原 文

翻 訳

を,

先 行研

究を

ま えつ つ

認 して み る  。

(4)

6

       パ ーり学 仏 教 文 化 学

 

P

li

khat

’巨

ya

bhiklChave

 raj…

i

 upahat ’ 互

ya

bhikkhave

 r

 

赤 沼

善 : 「

よ, 王 は

常 に感 激 した。 」

抄 訳

 

了 諦 : 「

よ, かの 王 は衷

心感

激 して

過せ り。」

 

長 尾 雅 人 :「丘 た ち よ, か の 王 は

その 拠 りどこ ろ の

我が

抜 き去

          

られ, 断ち切られた。」

 

明 美 : 「比 丘 た ち , あの 王は深 く心 に 感 じて お ら れ た。 比 丘 た ち

          

よ, あの 王 は悔 悟 して おら れ る。 」

 

田 辺

子 : 「

修 行僧 達

, あの 王 は

善根

た れて い る。」

原 文

:  at ’

      

yarp

 

bhikkhave

 rfij盃

(3)

 

片 山一 良 : 「

丘 た ち , か

さ れ て い の で 。 比丘 た ち

          

よ, かの 王 は

壊 さ れて い ます。 」

 

 

道 : 「

行 僧 た ち よ, か の 王 は

己が

掘 り出 さ れ, 修 行

      

僧たちよ, か の 王 は

悪い 自己が

破 壊 され た。」

 

リズ ・デ ヴィ ズ :‘

This

 

king

, 

brethren

, was  

deeply

 affected , 

he

 was  

touche

     

in

 

heart

.,

 

フ ラ ン ケ :‘

Bhikkhu

s, 

dieser

 

K6nig

 

ist

 

im

 

1

皿nersten  

getroffen

 und  ergriffen .

 

ピ ッ ク ・シ ー ラ ー チ ャ ー ラ :

Moved

 was  this 

king

 

O

 

Bhikklius

 much

          

stirred  was  this 

king

 

O

 

Bhiktkhus

 

ル ヌ ー :‘

Le

 roi est 

frapp6

 moines

, 

le

 rei est  abattu , moines .

 

ピ ッ ク ・ボー デ ィ :

This

 

king

 

bhiklChus

 

has

 ruined  

himself

he

 

has

 

injured

     

himsel

£ 若

解 説 を加 え る。 片 山

で は上

掲箇

所に

さ れ た

脚 註

註釈 (

tiki

の 訳が紹 介 され, 「 さ れ 善 根 」 で あ る点が

足 さ れ て い る。 一 方 リズ ・デ ヴ ィ ズ の 訳 に は ,

PED

の 前 書 き部

p

. xiv

に て 要 修正 の 可 能 性が ある旨の コ トが加 え らて い る(4)。

 

こ の

に, 同 一 の原

に対 して種々 の 翻 訳解 釈が 加え ら れて い る こ と が 判明 す る。 そ して こ の

多様

さの 原 因は,次の

2

点に纏め る こ とが で き, その

(5)

      P曲 「門 果 経 」 と阿 闍 世王

点を もっ て

諸翻

訳を分 類 し た もの が下 表であ る。

7

 

khata

, upahata な る状 態が, 阿

世王 に とっ て望 ま しい もの

 

か。

 

khata

は 「

られ た

/抜

か れ た」 か 「

破 壊

さ れ た」 か。 ,  掘 ら れ た/抜 か れ た    破 壊さ れ た       そ の他 十 長尾 (?)   森 一『皿冖一皿曲一置鹵一一 「感 激 」 :赤 沼, 羽渓, 小 林, リ ズ ・デ ヴ ィ ズ ?), シ ー ラーチャ ー ラ 一 片 山 フ ラン ケ,ル ヌ ー,     ボーディ 「断 た れ 」 :田辺 (?) 一 る に, 欧 米

訳が 比

的 一 で あ る に対 し て, 邦 語 訳 に多 数 のヴ ァ リ エ ー ン が ある こ とが分か る。 それで はい ず れの 訳が ,

P

li

原 典の 趣 意に 最 も沿っ た もの なの で あろ うか 。 以下で は, 上 記

 

 

の 視 点を念

き つ つ 検 討 を行い , 先 の

P

1i

語 原

文の 意

す る とこ ろ,

びそ れに まつ わ る 諸 問 題 を明 らか に して い き た い

   先 行

 

ず 

視 点

, す な わ ち, ブッ ダが発 し た言

が 阿

世王 に とっ て好 意 的 な もの で あ っ た か否かにつ い て考えて み る。 た だ し本 点に関 し て は , すで に

平 川

1971]

に よ り同 様の 問題 提 起が為 されて お り(5) , その 後,

小 丸

1986 ]

に お い て解 答が 提 出さ れて い る。 す な わ ち, 小 丸 は

khata

, upahata を 「 か れ た,破 壊 さ れ た 」 と翻 訳 (

p

84

) し た後, 主に 当 該 箇 所 の 前 後の 文 脈,

Ja

515

や 『根 本 有 部 律 』 に存 在 す るパ ラ レ ル の 記 述に よ り以 下の よ うに結 論 付 け る。 「

SamaiMaphala

−sutta の 云 う

khata

, upahata は,

わ れ た ものな の か。

部派

文獻

す る

り, そ れ は

阿闍世

(6)

8      パ ーリ学 仏 教 文 化学

 

で は有 り得な い それ は阿 闍 世 自身の , お そ ら くは善 根 につ い て 云 わ れ

 

た も の と解せ られ る。 そ れ が

部 派

に お け る五 逆 罪の 正 統 の

解 釋

で あ ろ

 

う。」

 

P

89

こ の

判 断

す う えで

丸が重

し たの は ,

該 当箇 所

前後

文脈

で ある。 そ し て , 目

下 問題

と し て い るブ ッ ダの

が ,

喜 し た 阿

世 王 が仏

を 退 出 し た 後に 発せ られ た言 葉 で あ る点, さ らに は そ れ に続い て 「も し殺 父 を 犯 さね ば 法 眼が生 じたで あろ うに」 とい う言 葉が述べ られ る点 と を

慮 に入 れ れ ば, 小 丸 の 下 し た結 論は妥 当で あ る と

え る。 ま た, 小 丸 に よ り 直 接 言

さ れ るこ とは ない もの の こ の 箇 所に対す るブッ ダゴ ー サ の

註 釈

は,

1thata

, upahata な 王の こ とを 「

脚 点

け た

bhinna

patittha

とし

現 し, さ らに

tikEi

で は こ の

khata

, upahata とは

」 (

tassa

kammaparadha

を形

し た もの と註 され る。 こ れ ら註 釈 文 献の

述は小 丸 の

釈の 正 当

を支

する もの と考 える。 一一 , 「

ら れ た」 もの が 「王 の 善 根」 で あ る とい う解 釈 の 是 非 は ど うで あろ うか。 小 丸 論 文で は , 「

根信

」 の 起 源 を さ ぐる とい う主題か らはずれ る こ と も あっ て か,

当該 問題

する 文 献 学 的 吟 味 は為 さ れて い な い 。 し た が っ て

に 挙 げた

 

点 に関 し て は,

だに

検 討

の 余 地が残 さ れて い る もの と

え る。

3

khata

の 訳 語 問題

 

そ こ で こ の

 

の 視 点, す な わ ち,   ata の 翻 訳 語の決定 につ い て考 えて み る。 こ の

問題

pali

khata

4

 

khan

, の

過 去

受 動 分 詞 形

Skt

.:

khita

と み る か ,

4k

串an の そ れ

ksata

と見 るか に

わ っ て い る。

者 を採 用 す る場 合 は 「 っ て ) 抜か れ た とな り,

者の 場 合は 「

さ れ た 」 と な る(6)。 とこ ろ で コ ー

P

語 辞 典に よ れ ば

P

li

で は こ れ ら

2 動詞

が , 語

及 び

意 味

の 面で 相 互に影 響 し あい つ つ , 混用 されて い る点が

指摘

さ れて い る。

(7)

      P甜 「沙 門 果 経

」 と阿 闇 世王      

g

A

 

DictionaT

y{ofPdli

s.v. 

kha

ati1,   anatil :[

S

. 

k

寧apoti,...usual 且

y

 understood  

by

 cts as 

khanati2

亅:    

hurts

, 

inj

 ures .

  

khata1

:[

S

. 

k5ata

hurt

, 

inj

 ured ._

DI86

2

s,肌

khapati2

 

khanati2

:[

S

. 

khanati

P

li

p

prob

. 

infiuenced

 

by

 

khapatii

   

digs

, 

digs

 up .

  

khata2

:[

S

、  窃

ta】

dug

 excavated .

   

kh

五ta:[ts】,

1

. 

dug

, excavated ;...

太 字 部

に あ る よ うに,   anati の n が n に変

す るこ とに よ り,

語形

に区

が な く なっ て しま うの で あ る(7)。 サ ン ス ク リ ッ ト    

k

寧aりoti    

khanati

本来

想 定 さ れ る

pali

  a口ati(〈 *  御oti)      

khanati

  テ クス ト

kllaJ

 Lati/

khanati

khal

 ati /

khanati

以上 の よ うに両 動 詞 の 語 形 上判 別は非

に 困

な状 況に あ る。

実 際

当該

沙 門 果 経 」 の 筒 所 に

っ て も コ ー ン は上

の よ うに

khatal

す な わ ち 「

つ け ら れ た」 の

目に分 類 する が ,

PED

で は 同 じ用 例 が 「掘 られ た」 の 項 に入 れ ら れ て お り, 見

が異な る。 くわ え て 上 掲 の コ ー 辞 典 下 線

に あ る よ うに,

註釈

は   anati1

傷つ ける

khanati2

掘る

の 派 生 語 を用 い て 説 明す る こ とが 多 く, 更に状 況が複 雑 にな る。 また, 「 る」

khanati2

の場 合 に 関し て 言え

  ata2 の

げ られ て い る用 例 は

註釈 文献

の み で あ り,

Ja

等の 聖 典の 用 例 は

khfita

に 集 中 して い る。 す る と聖 典 段

で は 「

ら れ た 」 は

khata

とあ っ た もの が , 註 釈の 段 階で は

khata

とな り 「 つ け ら れ た」

  ata1

との 区別が な くなっ た とも看 做 し得 る。 た だ し前 接 辞が つ く

場 合

に は聖

で も

khata

で 「

抜 く」 を意 味 する

存在

して お り(s), すで に聖 典 段 階に お い て,先 に見た よ うな語 形 混 淆が 生 じ て い た可 能 性が高 い 。 し た が っ て,

詞 を訳す

に は,

後の

文脈

判 断 及 び

P51i

(8)

 

10

      パ ーリ学 仏 教文化 学

典で の 用 例の 吟

が その 都 度必要 と な るの で あ る。

2

khata

khata

 

upahata

 

以 下,

章で 指摘 した問

を解 決 すべ く考 察 を行 う。 その 結 果 経 典 本 文 にあ っ た 「阿 闍 世王 が

khata

, upahata 」 で ある とは, い か なる状 態で あ る か を明

にする こ とを 目

とする。

1

pali

註 釈

の記

 

沙 門

」 に対す る註 釈

の 説 明を見 て み る。

Su

エna 血

galavilasini

 

I

 

P

237

ida

珥 vuttalp  

hoti

 ayarp  

bhikkhave

 raj 

a

 

khato

 upahato  

bhinna

pati

ho

 

jEto

tatha nena  atta 嫗 va  att巨

khato

 

yath5

 attano  va 

patitth

轟na 

jat

ti

.「 の こ とが

われた こ と と な る。 『

修 行 者達

, この 王 は   ata, upahata , す な わ ち, 立 脚 点が 裂 けた も の と な っ て い る。 自分 自身に 立 脚 点が生 じな い よ うに, ほか な らぬ その 自分 自身に よ っ て 自分が   ata なの で あ る。』 と。」 太

字部

khata

, upahata に

す る

語 釈

で あ る。 こ こ で言わ れ る 「立 脚 点 」 と は , お そ ら く

る た め の 寄 る辺 を示 して お り,阿 闍 世王 の場 合はそ れが 破 壊 さ れ て い る, とい う こ とが 意図 さ れ て い る の で あ ろ う。 た だ しこ の 記 述 は

khata

, upahata を同

して い るが

に , 

khata

が い か に理

さ れ て い るか

が 明 確 で な い 。 或い は

patitthZ

とい う

で 「

脚 点

と し 根 元 」 の よ う なニ ュ ア ン ス が 暗示 され て い るの か も しれ ない が, 同

に不明確で あ る。 一 方, 下 線 部 に あ る 「 atta

khata

あ る とい う記 述 は

認 する よ うに他の

pali

聖 典 に も用 例 を見 る もの で あ る。 次に

tika

述 を 見て み る。

(9)

       pali「沙 門 果 経

」 と阿 闍 世王        ll

L

血atthava 翠口an亘

1

, 

p

370

imasmiip

 

yeva

 attabh 亘ve nippajjanakfinarp  attano  

kusalamitlfinarp

 

kha4anena

khato

, 

tesarp

 

yeva

 upahananena  upahato , ubhayen 互 ’

pi

 

tassa

 

kamm

paradham

eva  vadati .「ほ か な らぬ こ の

存 在

で 飛 び

して く る

自分

諸 善

を掘

す る こ と ?

kha4ana )

に よ っ て

khata

で あ り, ほ か な らぬ そ

れ ら を

倒す る こ とに よDr upahata で あ る。

両 者

を 用 い て

い の 罪 を言っ て い る。」

tik5

は太 字 部の よ うに, 

khata

, upahata され る主 体が

善 根 」 で ある とい う解 釈 を提 示 す る。 こ の 様 な解 釈は , 「

khata

, upahata な王 」 とい う聖 典 本 文 を仏 教 教 義 上 の 用 語 を用 い て 明 す る註 釈 者が,

khata

, upahata が 「 」 と結 び つ く何 らか の

要素

を見

して い た

可 能性

を示す もの で あ る。 即ち ,

khata

を 「

」 と

して い た こ とに

因 する もの で は な い か と

測 す る。

2

PE

i

聖 典 に おける

khata

 upahata

 

さて , 次 に 「沙 門 果 経」 以外の

pali

聖典で の 用 例を確 認す る。 辞 書 や コ ン コ ー ダン ス に よれ ば,

khata

は 「門 果 」 の 場 合 と同 じ くupahata と並

んで の

使

数 箇 所 存 在

す る(9)。 upahata は upa −

Vhan

の過 去

受 動 分 詞

で あ り,意 味が 「

さ れ て い る」 「苛 ま さ れ て い る」 で あ る こ とは

な い 。 問

は, そ れ と

用 さ れ る時の

khata

の 意 味で あ る。

辞典の 見 解 は 以

り。

PED

:「抜か れ た

khatai

)の に分 類。 → 前 書 き

p

. xiv )で 修正 の余

     

地 あ る

を追 記。

 

CPD

: 「け られ たakkhata  anupahata

コ ー ン : 「つ け ら れた

khaoatiL

の 項

← お そ ら く文脈 に よ る判断

(10)

 12      パ ーリ 学 仏 教 文 化 学 を指 摘す る。

aksata > akkhata

し か し, 前 接 辞 後の

k

の 重 複 は

  an で も 生 じ る こ とが 指 摘 さ れ て い る (

CPD

 s.v. abbikCkharpati )。 従っ て 文 字 重 複 は有 力な判

断材料

と は な っ て も

定 的な

根 拠

に は な りえな い 。 そ こ で 以下,

PEIi

に お け る

khata

, upahata の 用

際に

認 し,

諸辞

典 の記

の 是

な らびに

当該表

現の

す る とこ ろ を

確認

して み たい

SN

 

17

3

(voL  

II

 

P

226

£)

とある

が水 中に あ る危 険 区域 とい わ れ てい る場 所 に行 っ て しま い , 漁 師

ludda

に よっ て 銛 ?

papa

で 射 られて しま う。 その 射 られ た 亀が安 全 地 帯 に戻 り, 別 の 亀 と交わ した会

話 】

akkhato  

kho

’mhi  tata 

kUmma

跚 upahato .

  

atthi ca me  

ida

η

q

 suttakarp

pitthito

 

pitthito

 anubandhanti .「

ち ゃ ん よ, 私は

khata

で な くupahata で

な い 。 しか し この

か い

が 私の 後ろ か ら後 ろか らつ き ま とっ て く るの だ。」

taggha

si 

tata

 

kumma

 

khato

 

taggha

 upahato . etena  

hi

 

te

 

t

ta

 

kumma

luddakena

 

pitaro

 ca 

pitEmahE

 ca anayam  

apanna

 vyasanam  

EpannE

,「あ あ亀

ち ゃ ん よ, 君 は

khata

で あ りupahata で あ る。 とい うの も

ち ゃ ん よ,

君 の 父 や祖 父が こ の

め(10)に よっ て

滅 ・

惨 事

へ とい た っ て し まっ たの だか ら。 」

こ の用 例 で は, 漁 師の 手 よ り逃 れ る こ と が で き な い 亀 を 形

して

khata

upahata が 用い ら れ て い る。 具 体 的に亀の 何が

khata

, upahata で あ る とい う

述は為 さ れ て お らず, したが っ て少な く と も 「

る」 の

要素

当該用例

す る か ぎ り見 られ な い 。 ただ し, 救わ れ得な い 亀 自身が , 自らが その 様 な状 態 に い る こ と を 気づ い て い な い は , 「沙 門 果 経 」 の阿 闍 世王 と類 似の 状 態 を 思 わ せ興

深い 。

AN

 

2

12

5 (

vol .

1

 

p

89)

(11)

      pal{「沙 門 果 経

」 と阿 闇 世王       13

dvihi

 

bhikkhave

 

dhammehi

 samann5gato  

b

lo

 avyatto  asappuriso  

khatarp

upahatarP  attanam  

pariharati

 sav  ajj o ca 

hoti

 sEnuvajj  o vifififi皿aM  

bahu

五 ca apufliiam  

pasavati

.「托 鉢 修

行 者

達 よ

2

種 の 事 柄 を具 えて い る 愚か で 蒙 昧で 正 し く ない は,   ata, upahata な 自 己を持 ち ま わ っ て い るの で あ り(11), 分 別 ある人々 に とっ て非

さ れ るべ き こ と ・責 め られ るべ き こ と を伴 う者 とな り, 多 くの 非 福 を 生 み出 して い る。 」 愚

が 「

khata

 upahata

己 を

ち ま わ っ て い る」 とい う

現は,

pali

聖 典 に も

確 認

さ れ る ほ か(12), 次

で 見 る と お り, 類 似

現 が 梵 文

Ekottar

gama

や 『

菩 薩

ら れ

AN

3

57

(VQI .

1

P

. 

161

yo

 

kho

 

Vaccha

 

para

d

五na

dadanta

耳1 v蕊reti so  tilrParFt antarEyakaro  

hoti

tip

ηa

pEripanthiko

. 

katamesam

 tipηa. 

d

yakassa

 

puhiantarayakaro

 

hoti

pa

ig9

曲 akana

1

bhantar5yakaro

 

hoti

, 

pubb

’ eva  

kho

 

pan

’ assa  att互

khato

 ca

hoti

 upahato  ca .「 ァ ッ チャ よ,

人に

施を与 えつ つ あ る

を妨 げる 者が い る として

3

者に とっ て 障 害をつ く る者 とな り

3

者 に とっ て い は ぎ的 な

とな る。 い ずれ の

3

に とっ て か。 施 与 主に とっ て は

福徳

障害

をつ くる

と な り, 受 け取 る

に とっ て は獲 得

障害

をつ く る者 と な り, ま た , そ れ 以前 に彼の 己 が

khata

とな りupahata と な るの だ よ(13)。 」

こ の 用 例 も ,直 前 の

AN

 

2

12

5

と岡様 

khata

 upahata が atta を形 容す る語 と

して 用い ら れて い る。

内容

的 には,

布 施

受 を邪

す る

し き

本 性

が ,

施 の

呈に よっ て生 じ るはずで あ っ た

果 報

と比 較 して 述べ ら れ て い

る。 以 上 の

AN

2

例 は,   ata が 愚者 や性 悪 な者の形 容 語 と して使用 さ れ

て お り, その 愚

に よ る

非福

行を

く とい う点で

通 して い る。 こ の

(12)

14

       パ ーリ学 仏 教 文 化 学

 

Vin

 

V

, 

P

161

 chandE  

dos

巨 

bhaya

 mohE  

there

 ca 

paribh

蕊sati 

1

 

kfiyassa

 

bheda

 

dupPafifi

khat

・ upahatindriy ・ /

 

niraya !

p

 

gacohati

 

dummedho

 na ca sikkhaya  

g

酊avo ノ

 

動,

し み, 恐 怖, 惑い よ り古 参を

傷 す る。

 

智 慧 劣 り,

khata

で あ り能 力が upahata な る者,

 

が 劣 り学 習を重ん じ ない

体の崩

壊後

, 地獄へ 行 く。」

こ の で は , upahata さ れ る対 象 は

indriya

が 意 図さ れて い る。 た だ し, 

khata

対 象 は不 明で あ る(14)。

khata

が 愚 者 の 形 容 と し挙 げられる点 はニ の 用 例 と同

で あ り,

に死

の地

行 き が

言及

さ れ て い る点は, 先の

SN

khata

, upahata な

に対 して悲

到 来

が 予 言 さ れて い た の と 一 。 最

に聖典・外か ら,

Visuddhimagga

の例を挙

て お く。

Visuddhimagga

, 

p

57

dhi

 

jivitarp

 asaiifiatassa

, tassa sarrlanaliama 亅vesadh 互ri ssa !

assamapassa ahata

kha

撫m  G 5〕atti洫a vahantassa /

1

制 御

に とっ て 生 命 は厭わ しい 。 その修 行

格好

を し た,

偽修

, upahata で

khata

己 を運 びつ つ あ る

に とっ て 。」

こ の 偈は 「戒 清浄」 末尾 に 挙 げら れ る

gatha

群 に 含ま れて お り,

習 慣

sila

た ぬ

に 生 じ る 災い を

い あ げた もの で あ る。

khata

, upahata が atta の

形 容 語 と して 用 い ら れ る点 は先に 見て き た 用 例 に 等 しい 。

khata

に 関 して , 諸 翻 訳の 中, 水 野 訳で は 「〔善 根 〕 掘 り取 ら れた る」 との 訳が提示 さ れ る が , ニ ャ ナテ ィ ロ ーカ は そ の 独 語 訳に お い て

V

 

k

au と と るべ 付 註 して い る(16)。

 

以 上 が

pali

聖 典に お け る   ata, upal }ata の 代 表 的 用 例 で あ る。 こ れ ら

4

乃 至

5

用例 で は

の 劣 る者 に よ る不 善の実行 , 及び将

お とずれ る堕 地

(13)

      P詛

i

沙 門果 経 」 と阿 闍 世王     

15

獄な どの 悲

到 来

直 接

的あ る い は暗 示 的 に示 す 文 脈 で,

khata

, upahata が 用い られ て い る点が

特徴

的で あ る。 そ して

註釈

は これ らを 「

特性

掘 削

gugakha

lana

とい う

言 葉

註釈

し た。 た だ し, い

れの 用

に お い て も 聖

典 本 文

か ら, 「

/ 抜

く」 とい う一

さ れ た

訳が必

と さ れ る こ と はな か っ た。 (

3

) 梵 語 仏 典の

k

ata upahata

  次

pali

 

b4

仏 典

で の

確 認

。 まず 「

沙 門 果経

」 の

パ ラ レ ル の

一 イ ン ド

語 原

典が

認 され る 『

根本 有部律

僧事

』 で は 以

の よ

うに ,

pali

khata

の 対 応

と して

ksata

を保

して い る

SaAghabhedavastu

(こニ

 

本 )

pt

2

, 

p

252

evam  

kSato

 

bhikSavo

 rAj2 mEgadho ’

jfitaSatmr

 vaidehiputrah  evam  upahatalj .

字 面

ど お り

翻 訳

す る と, 「阿

世 王 は こ の よ うに 破

さ れ て い る,

さ れ て い る」 と な る。 とこ ろが こ の 『

破 僧 事

』 で は, 引き

い て pali に な い 「か れ た杭の モ チー フ 」 が 登 場す る。 そ して そ の モ チ ー に は

が 存 在 す るこ とが

指摘

さ れ て お

切 , さ らに そ の パ ラ レ ル で は

諸 善

ksati

 upahati 話 題 と っ て い る。

題 が複 雑 ゆ え, よ り詳

討 は別の

を期す が, 有

の 伝 承に よ る と, 『破 僧 事 』 に あ る 「阿

世王 が

ksata

, upahata 」 とい う記

は , 王 の

善根

欠 損

図さ れ て い た とい う

釈 も

可 能

にな る。 こ の 他,

前節

挙 げ

pali

のパ ラ レ ル

文献

に は ‘

k

§ata !

khEta

, upahata ’ の決 定に

益 な用 例は見 出 し え ない (19> しか し, レ ル を

れ用

検 索

す るに,

ksata

, upahata あ るい は その

語 / 派

が セ ッ トで

い ら れ る例 を複 数 見

す こ と が

出来

る(19)。 例 え ば 『

菩 薩

』 で は法

随 法 行 中の 思 (samyak −cintana

明 の 自 己を aksata , anupahata ,

anavadya な者 と し て 持ち ま わ る」

Eti

:nEnam  akSam  c5nupahatarp  ca 

pariharati

anavadyam

荻 原 本, 

p

108])

とい う, 先 の

AN

 

2

12

5

の ほぼ 同 内容の フ レ

(14)

 

16

      パ ー学 仏 教 文 化 学 ズが ak 麟 a を用い て

表現

されて い る。 ま た 『

千頌 般若経

』 で は,

難破船

の 乗 組 員が水に浮 く木 切や死 体 に しが みつ く様が 以 下の よ うに

か れ る。 『

頌 般 若

ヴァ イ ドヤ

p

143

svastin5nantar 翫

ye

a 

pEram

 uttari $

yanti

 ak §at56  cinupahattiS  ca sthale sthasyanti 「

な く

k

$ataで な くupahata で ない とし て 地 に 立つ で あ ろ う 同様 に 「安 穏

svasti > とい う語 と共に用い られる例が ,

iksasamuccaya

Adhy

SayasarpcodanasUtra

られ る(2 )。 fSik 鄭 amuccaya (ベ ン ドール本 〉, 

p

104

caturbhir  

Maitreya

 

dharmaih

 samanv 瓢

gato

 

bodhisatvay

五nikah  

pudgalah

pa6cimay

pa

負ca ‘aty saddharmavipralope  vartami 洫e ,

k

ato ,nupahatall svastina  

parimoksyate

 /

1

「マ イ トレ ー ヤ よ,

4

の ダル マ を具えた菩 薩

あ る人 は,

500 年後

退 しつ つ あ る

kSata

で な くupahata で

な く

安 穏

解放

さ れ る で あ ろ う。」

こ れ ら

2

で は,

akSata

, anupahata

両語

併 記

が svasti と共 に,

の 目

的 地 に至 るまで の 「無 事さ」 を示す の に用 い ら れ て い た (21)。 さ らに

菩 薩

地』 に は,

ks

 ati, upahati とい う

詞形 の

用が

存在

す る。

菩 薩地

荻 原 本

P

116

皿aca  

M

巨rakayike u 

deve

u 

yacanake

u vihethabhipr 互

ye

u 

pratyupasthite

u

svadeham  a

ga

−vibh 五

ga

忌o 

dad

巨ti. m 盃 

haiva

 teSam  adhimEtr5 】紐歯 copahat 嬉

ca 

bhavatiti

.「そ し て グル ー プに あ る神 々 が

こ とを意

(15)

      PEIi「沙 門 果 経 」 と阿 闇 世王     

17

はない 。 『実に彼 らに過 度の

k

§ati, upahati が 生 じない よ うに。 』 と。」 こ の 例が示 す もの は,悪 行の 行 為 者 に

ksati

, upahati が 生 じる とい う とい うこ とで あ ろ うか (22)。

 

以上 数 例 の ほ か , 梵 文

BhikSUni

vinaya

kSata

, upahata の 用 例 が 見つ か る(23)。 一

kh5ta

, upahata 及 びそ の 派生 語 形 が 併 用され る用 例は, 管 見 の 限 り

梵 語 仏典

なか っ た。

ら れ た

用 例

で は あ る が ,

な く と も

梵 語

典の

達 に とっ て は

ksata

, upahata な る

用は usual な もの で

あっ た と想

す る。 ま た, そ れ が用い ら れ る

文脈

か ら

判 断

す るに,

解脱

を 目 指 す

菩 薩

が他

ある い は

らの

か ら

ける,

解脱

妨 げ

よ う な も

が 当 該 表 現 に よ り意 図されて い るの で は ない か と推 測す る。

小    結

 

以上

2 節

め るに,

Pali

に 登

す る

khata

, upahata の   ata は, 

CPD

や コ ー ン の

指摘

し た

り,

Skt

.:

ksata

相 当

す る と

え るの が 妥

で あ ろ う。 ま た そ の

意 味

し て も ,

梵 語仏典

よ り

看 取

され るニ ュ ア ン ス が ほ ぼその ま ま

pali

に も適 用で き る の で は ない か と考 え る。 したが っ て, 問

と して い た

PZIi

「沙 門

果 経

§

lo2

の ブ ッ ダの 発 言は 「托 鉢 修 行

達 よ, か の 王 は

さ れて い る。 か の 王 は打ち倒さ れて い る。 」 と翻 訳で き る。 そ し てそ こ で は 父 王殺 害 に よ り何 らかの 傷 を受けた阿 闇 世が 意 図され てい るの で あ り, 同

に, 王 が

りへ

障害

い る, 或い は将 来 堕 地 獄 な どの 悲 惨 が 訪 れ る様が 暗 示 さ れて い る の で はな い か と

え る。

3

. そ の

問 題

概観

最後

に 「沙 門

経」 漢

パ ラ レ ル に お け る,

pali

§

lo2

の 対

個 所 を

認 して お く。 こ れ ら諸 漢 訳で は, すで に指 摘 さ れ て い る とお り (24), 王 対 す

い に

々 の ヴァ リエ ー シ ョ ン が生 じて くる。

(16)

18      パ ーリ学 仏 教化 学

 

長 阿 含

28

沙 門 果 經 」(25)

 

王 は父 王 殺 害 の 行 為影 響 法 眼 を得 るこ とは 出来なか っ たが すで

 

過 し罪 を減

させ て い る。

 

果經

』(26)

 

闍世

王 は生忍 を

, 父 王 を

殺 害

した に も か か わ らず,

れ ・

漏を な   くし … …汚 れ な き法 眼を得た。

 

増 壱 阿 含 經

43

7

 

 

王 は初 沙 門果 や 八 正 道 を

る こ とは出

なか っ た が , 大

を獲

し, 無

 

根 信 を

て い る。 また これ ら

諸漢

訳 の

に 「沙 門 果

」 で は, 此 阿 閣 世王過 罪 損

已拔 重 咎。 「こ の 阿 闍 世 過 罪損 減 , すで に重い 咎 を抜 い て いる。」 とあ り, 太 字 部 にあた か も   ata を 「 」 と訳 し た と思わせ る よ う な 記述 が あるの は注 目に

する。 こ の

阿含経

』 の 「無

根信

」 あ る い は

2

D

tikel

で見 た 「

善 根

」 な ど(28), い ずれ も 「

」 を 思 わ せ る

現が こ の

所 に は登

す る。

厳 密

論 証

は困 難で あ るが , こ の よ う な現 象 も

khata

とい う

か らの

らか の

た とえば,

khata

→ 「

ら れ 」 → 「根」

の 影 響に よ るもの か も し れ な い さて, こ の様 に漢 訳 文

に お け る当 該個 所の 記 述 は

々 で あ る もの の , そ れ ら は い ずれ も

pali

して 王 に対 し て好 意 的 なもの とな っ て い る こ の

変 化

マ ッ ク イ ー ン は 以

の よ うに

釈 す る(29)。 す な わ ち 氏は リズ ・デ ヴ ィ ズの 英

を引き合い に

しつ つ , ブッ ダの説 法に よ っ て 救わ れ ない 者が い る こ と に関す る抵 抗が テ クス ト伝承

の 問に 生 じ, その 結 果, 王 に対 する扱い が救

の 方 向へ と向か っ て い っ たの で は ない か, との

測 を 立 て る。 氏の

測 は大い に可 能 性 の あ る こ とで あ る。 た だ し先 に た よ うに, そ も そ も

典 に 「阿 闍 世王 は

khata

, upahata で ある」

(17)

      pali「沙 門 果 経 」 と阿 闍世王      19 とい っ た, 一種 含 っ た分か りづ らい

現 が存 在 し て い た点が, 解

多様 化

助長

した とい う…

定で き ない と

え る。

お わ り

 

本 稿 で は 冒頭に

pali

沙 門 果 経 」 §

102

の ブ ッ ダの 発 言が 様々 に 現 代 語 さ れて い る こ とを

介 した 。 そ して 引き

検 討

した

結果

をふ ま え れ ば,

れ も そ れ な りの

根 拠

を もっ て

訳 出

さ れて い る こ と が よ く

か る。 た と えば, 訳

中に 「

己」 を

釈は他 の

Ptili

聖 典で の用 例 を 意識 し た も の で あろ う し, 「善 根 」 を

うそ れは 億 巨 の 説 明 を 採 用 した もの で あろ う。 そ し て何よ りも 当該 発 言が 王 に とっ て好 意 的な もの とする

釈 は, 漢 訳の 記 述を考 慮 した もの で あ る と同 時に, 本 邦で馴 染み深い 『大 乗 涅 槃 経 』 に お け る 「阿

世 王 救 済」 の記 述 を 念 頭に 置い た ものか もしれない 。 近 年, 諸 学 者 が

可能

な ツール は, 一 次 ・二

次文献

と もに ま す ま す

加 しっ っ あ る。

は その

多数

あ る

情 報

を適正 に利 用 しつ つ ,

原典

の意 図す る とこ ろ を

り 出さね ば な ら ない 。 以上 を

自戒

と し て

ちつ つ ,

今後

訳 ・

研 究

い き たい 。 註 (

1

> 「 悲 劇 」 につ い て の 一次 ・二 次文献 に関 して は, 例 えば以下の文献 を参  照。 匸末 木 1992:

39

−73 ], [

Silk

 

1997

] , [シ ル ク

2000

]. (

2

) 諸 訳の 出典箇 所 は以下の通 り。 [赤 沼

1921

382

];[羽 渓

1935

128

];[長尾

1969

:  

538

];[小 林

1985

134

];[田 辺

1987

240

];[片 山 199i:71];[森 2003 :108];

 

[Rhys Davids 1899:

95

];[Franke 1913:85];[SilEcdra 1917:26];[Renou  l 949:76コ;

  匚Bodhi 1989;51 ].

3

Ja

 

515

 

S

晦 iv啝 ta  散 文 部に存 在する 「沙 門果 経

」 に対応する箇 所の翻 訳。 (

Ja

 I,

 P

509

4

) The 

fbrmu

且a at 

D

 

I

86

khata

+upahata

is

 

doubtfU1

 as to 

its

 exac ’t meaning ._

The

 trsln at

 

Dial

1

95

 gives 

it

 as “

deeply

 affected and  touched  i皿heart”:

doubtfU1

5

) 平川は 当該 箇 所 を 「 罪 過) 根か れ ,破 壊

。」 (p .

5

)   と翻 訳 した

h

で ,「何が破 壊さ れ たの か示さ れて い ない 或い は王の 善根が破壊さ

(18)

20 パ ーリ学 仏 教 文 化 学

 

れ て い る と解すべ き で

。」 と付註 す る。 (

p

11

,n.

16

) (

6

 Cf

. 

EWA

 s.v

1

(hani:

graben

s.v. 

kSanl

:verwunden .

7

> 

C

£ [Norma 皿 1994: 461

,[Oberhes 

2001

31

】.

8

SN

 

IV

 

p

83

idarp

 

jatu

 apalikliatarp  ga:

damitlam

 palikhali ti.(

1

5

;ミャ ン マ ー版 よ

 

り太字 部 底本 :palikhatamテ クス ト訂正 に関 して, 同経の対 応 漢 訳 (

T

.  

1

 p

603a

)で は判 然 と し ない が ,『舎論註パ ー 引用さ れ レ ル

 

分で は, 「 腫 物 と腫 物の 根を完全に抜い て い ない の に, 腫物と腫物の根を完全に抜

 い た」 (’

bras

 

da

血’

bras

 

kyi

 

rtsu

 

ba

 yofis su ma  

bsa1

 

ba

 

la

 ’

bras

 

dafi

bras

 

kyi

 rtsu 

ba

 yo加 su

 

bsal

 

ba

’i

;大 谷 目録5595, Thu116b2 > と あ り訂 正を支持す る。 ([本 庄

1983

7f

] もあ

 

わ せ て 参 照。)な お, 先 の PEIiの底 本テ クス ト は, こ の 前 後で

palikhiun

との 読み

  も提示 す る が. palikhata:p と訂正 さ れ るべ きで ある。

9

) 

PED

 s.vv. upahata  

khata1

CPD

 s.vv. akkhata , anupahata , upahata ;

ADictionaT

:y of 

P

ti

 s.v. 

khaqatii

PTC

 s.vv . 

kha

ati, upahanti .

   luddakena .ミャ ンマ ー版で は suttakena 糸に よっ て ).

11

) 註 釈 で は,

khata

, upahata の 主 体 は

徳 性

」 と説 明 さ れ る。 

khatan

 ti

 gurpanarp 

khatatta

 khatam . Upahatan  ti gu4anam  upahatatt5  upahatarp , 

jippagupa

 

natthagm4an  ti attho .「

khata

は, 諸 々 の 徳 性 が

khata

で あ る が 故に

khata

で あ る。  upahata とは, 諸々 の徳 性が upahata で ある が 故に upahata ,徳 性が朽ち た,徳 性が

 

失 わ れ た, とい う意 味で ある。」 (

Mp

 

II

, 

p

.158)  

 Vin

 

V

, 

p

.168, AN  

I

, 

pp

90

,105,II, 

p

,2ff な ど。  

 

註釈 :khato 乃o≠面

gupakh

ane 皿a khato hoti

, 

gu4upagh

蚕ten’ eva  upahato ,(Mp  II, 

p

.  

258

a4

) 註 釈 で は atta と 説 明 さ れ る。 

kzhato

 upahatindriyo  ti tfiya chand5digainitaya  tena  ca paribh5sanena attano  attano  khatatt巨khate . saddh5dina 蚤 ca indriy翫nam  upahatatti

 

upahatindriyo .「

khato

 upahatindriyo と は,その よ うに衝 動等に憑か れて い るが故に,

  ま た そ の 中 傷に よ っ て 自分の 自己が

khata

で ある が故に

khato

で ある。 ま た信 仰

 

等の諸 根 源 力が upahata で あるが故に upahatindriyo で ある。」 (

Sp

 

VII

, 

p

1362

;太字   部は ミ ャ ンマ ー版で は attanfi と あ る。 その場合 「 己 を khata し た が 」   となる。)  

HOS

版 よ り底本 :chatam を訂正。 ノ ー よ れ ば , 西 イ ン ド方 言の音韻変化   で は

ksanati

> chanati ,実ア シ ョ ーカ王碑 文 (東 部の もの も含めて )に,   その様 な形が残されて い る ら しい

Nomlan

 

1994

461f

.])その 法 則に従 う と,こ   の底 本が 示 す 。

ha

由瓢 も ksatam の変化 形 とみ な す こ と が可 能に な る。 し か し,底本  並 び に HOS 版 と もに 当 該箇 所に異 読情 報が 記 載されて お らず, 底 本の 単なる ミ ス   の可 能 性 も排除で き ない こ とよ り,暫定的 なテ クス ト訂正で ある。 ち なみ に諸翻 訳

(19)

PEIi「門果 経 」 と阿闍世 王

21

 並 びに近年刊 の イン デッ クス ([

Ousaka

& 梅mazald  

2004

154

])いずれ もこの  ohatam を   atam の誤 記 と み な して い る。  

  

[水 野

1937

111

];[

Nyana

棚 oka 

1952

866

コ. (

m

 

[梵文 仏 典研 究会

1995

; 57];Divyavadana  

pp

197

,534 と自

ik

鄭 alnuccaya , 

p

149

 

指摘さ れ る。 ほ か, [平岡 2007:361f .]も参 照。 これ らの 中,

9ik

§五samuccaya は ,

 

有 部 達

の 」 (iirya−

Sarv5stiv5

(  )伝 承 と して,  DivyEvaddria, p.

197

に相 当す   る内容 を提 示す る。

  パ ラ レ ル で は な い もの の, 上 挙 の

AN

 

2

12

5

に近 い 用 例が , 

Ekottarigama

§§

 

15

61

, 

13

52

に存 在す る。

   naham  ekadha   am  api salnanupa 轟

y

且mi  

yena

 samanv 亘

gato

 

b510

 mUdho ._b蕊lah kato

 

bhalla

 upapadyate  apaya −

durgati

−vi皿

ipateSu

 

gacchati

 

patati

 upapadyate ._ (§

15

61

 

 

ま た Mah5vyutpattj (榊本)に は, 7354 anupahatam 7355 ak atam と, 連 続 して 当

  該 語が採 録さ れて い る。    ※ 本 稿 査 読を 受 け る に あ た り, 以 下で 挙 げる 文 献 以 外 に も,

DivyEvadiina

 

BhaiSajyavastU, 

Lalitavistara

等の 複 数の 梵 語 仏典に該 当する用例が存 在す る との 指摘

 

を賜 っ た。 そ れ らの用例を参照するに,ksata, upahata に は,本稿で 指摘す る様な用  法 以外に, 単に 「身体的につ い て い る」 こ と を 意 味する用法 が存在す る こ とが判  明す る。 そ れ ら 諸 用 例の存 在に よ り, 本 稿の論 旨 が 大 幅に変わる こ とは ない と信 じ   る が,用例収集が不 十 分で あっ た こ と を記 して謝す る と と もに 情 報を提供 下さっ  た査読者に意を表した い  

 Cf

.『寶 積 經 』 卷 第 九 十… (發 勝 志 樂 會)「彌 勒, 若 有 菩 薩, 於 後 末 世五 百歳  中 法 欲 減 時, 當 成 就四法。 安 隱 無 惱 而 得 解 脱。」 (

T

11

,p .

520c15ff

.); 『發 覺 淨

 

經』 卷 上 「其 具足 有四種 法 ,於 後五百 歳 法 欲 壞 時 , 不 損 不 害 而 得 免 脱。」 (

T

12

,p .

  44c13ff

.)この ほ か SikS5samuccaya , 

p

. l l 6に お ける AdhyESayasa 珥codanastttra の 引 用

 

に も類 似の用例が存 在す る。 引 用経 典の 対応 漢 訳は IL l 1,

p

.521asff., 尸

L l2 

p

45a3ff

  svasti わ な い 例 が 『維 摩 経

』 に 見 ら れ る。 

katarnui

 

dharmaih

 samanvSgato

 

bodhisatvo

k

響ato皿upahata 噸sahAlokadh 巨toS cyurVE  pariSuddhalp 

buddhak

etralp  gacchati

  「 菩 薩

ksata

な くupahata な く ハ ー世 界か ら死 没

 

し て か ら,純 潔な仏の 地へ 行 くか 。」 (大 正 大学本 ,

p

.386)  

 

ま た, 同 じ く 『菩 薩 地

p

.164で は, 菩 薩 が ダル マ の説 示 を求め る者 に対 し

 

法 を行わ な くて よい 事 例の 1 と して,「相 手 が 弱 く, 説 よ り 恐

 

(uttコrasa)・邪 見 (mithyfidarSana )・邪な 思い 込み (mithyabhiniveSa )・k呂ati, upahati が   生 じる よ う な 場 合」 とい う 記述が あ る。

   ロ ー ト本 §§

125

3A

35

194

7B

.1.

4

な ど。 比丘尼の 身体 表 面に生 じる腫 瘍 を 指 し

参照

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