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Vol.6 , No.2(1958)067中村 元「海外學界の歩み」

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最 近 の 海 外 に お け る イ ン ド 學 ・ 佛 教 學 の 歩 み に つ い て は、 先 年 ﹁ 印 度 學 佛 教 學 硯 究 ﹂ 及 び 拙 著 ﹁ い ま の 世 界 と 東 洋 思 想 ﹂ の う ち に 詳 し く 紹 介 し、 そ の 後 の こ と に つ い て は 昨 年 ﹁ 大 倉 山 學 院 紀 要 ﹂ 第 二 輯 の 中 に 紹 介 し て お い た が、 さ ら に そ の 後 約 一 年 間 に 筆 者 の 知 り 得 た こ と を こ こ に ま と め て 述 べ る こ と に し ょ う。 學 會 當 局 の 要 請 に よ り、 大 急 ぎ で 手 も と の 手 び か え を ま と め た だ け で あ り 綱 羅 的 な 竜 の で は な い。 一、 大 學 及 び 研 究 機 關 二、 イ ン ド 研 究 三、 シ ナ ・ チ ベ ッ ト 研 究 一 大 學 及 び 硯 究 機 關 い ま イ ン ド 全 燈 で は 大學・(dnieity)と 稻 す る も の 示 三 十 四 あ る。 そ れ は 地 域 的 に 猫 立 し て いる(residential) 大 學 と、 コ レ ッ ジ を 廉 併 も て いる(affiiatinag)大 學 と で あ る。 前 者 の 例 と し て は、 タ ゴ ー ル の 設 立 し た ヴ ィ シ ヴ ァ バ ー ラ テ ィ ー 大 學 で、 そ れ の 存 在 す る シ ャ ー ン テ ィ ニ ケ ー タ ン(Santiiketan)の 土 地 に あ り、 首 相 ネ ー ル を 総 長 に 頂 き、 副 総長(ioe, o hanoenor)が す べ て を 管 理 す る 濁 立 の 大 學 で あ る。 し か し 後 者 の 例 と し て、 ベ ン ガ ル 州 に あ る 他 の 諸 カ レ ッ ジ は ベ ン ガ ル 州 知 事 を 総 長 と し て 頂 く カ ル カ ッ タ 大 學 に 從 属 し て い て、 そ れ ら は す べ て 同 一 時 日 に 同 一 試 験 問 題 で 試 験 を 行 う。 教 育 は 各 地 の カ レ ッ ジ ご と に 別 々 に 行 わ れ る 示、 學 位 は す べ て カ ル カ ッ タ 大 學 が 授 與 す る。 ラ ー マ ク リ シ ュ ナ 教 團 は 各 地 に コ レ ッ ジ ま で 竜 つ く り 串 し た。 例 へ ば ラ ー ジ プ ル で ロ ー ケ ー シ ヴ ァ ラ ー ナ ン ダ師(Samiokeshwa-ra n a n

da, Ramakrishna Mission, Raupur,

2 4, Paraganas, denagal)は 新 た に コ レ ッ ヂ を 設 立 し、 日 奉 な ど 外 國 の 留 學 生 を 敷 迎 し て い る が、 訓 育 は 保 守 的 で き び し い。 例 え ば 女 子 學 生 の 口 紅、 喫 煙 な ど は 嚴 禁 で あ る。 プ ー ナ の バ ン ダ ー ル カ ル 研 究所(Hon, S o oretary: R, Uandekar)は 一 九 五 七 年 八 月 二 九 日 に R ・ G ・ バ ー ン ダ ー ル カ ー ル の 第 三 十 二 周 年 紀 念 祭 を 催 し た。 マ ハ ー バ ー ラ タ の 校 訂 版 は 引 き つ 穿 き 刊 行 さ れ て い る が、 U ho n apaan(Fasoioule 29A)の 刊 行 が 焚 表 さ れ た。 イ ン ド 教 の 一 派 で あ る マ ド ヴ 派 で は 一 九 五 二 年 に ク リ シ ュ ナ の 聖地vrindahan, d. P. に ヴ ィ シ ヌ 教 紳 學 大 蹄學(vaishn Th-e olagioa-dniesiy)を 設 立 し、 ﹁ イ ン ド 哲 學 文化﹂(Indian Pholoope)と い う 季 刊 誌 を 一 九 五 六 年 に 刊 行 し 始 め た。 設 立 者 學

長はSmie don Mahaau師

で あ る 示、 額 に 白 い 線 を 三 本 引 き、 首 に 聖 紐 を ま と っ て い る 古 風 な 宗 教 家 で あ る が、 し か し ア メ リ カ 人 と 協 力 し て ベ ン ジ ャ、 ミ ン ・ フ ラ ン ク リ ン め 二 五 〇 年 記 念 祭 を 祝 っ た り す る。 フ ラ ン ク リ ン の 世 界 親 に は 多 分 に イ ン ド 思 想 と 共 通 な も の が あ り、 今 後 の 新 し い 世 界 を 確 立 す る の に 役 立 つ と い う の で あ、 る。 こ の 大 學 で は 佛 教、 シ ャ ン カ ラ、 ラ ー マ ー ヌ ジ ャ、 マ ド ゾ、 チ ャ イ タ ニ ヤ、 ヴ ァ ッ ラ バ、 ニ ン バ ー ル カ、 シ ャ ン カ ラ デ ヴ、 シ ク 教、 ガ ン ヂ ー 海 外 學 界 の 歩 み ( 中 村 ) 三 一 五

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海 外 學 界 の 歩 み ( 中 村 ) 三 一 六 ﹁の 研 究 の た め の 十 二 講 座 を 開 設 す る と い ふ。 イ ン ド に は 諸 属 裡 の 原 始 民 族 が い る の で、 か れ ら の 生 活、 習 性 を 研 究 す る と い う こ と は 非 常 に 重 要 で あ る。 そ の た め に イ ン ド の ビ ハ ー ルのRanohiに 民 族 研 究所(Trihal Resseaoh Institute)が設 立 され、B, S.Ouhuが 所 長 (d ireotor)で あ る。 イ ン ド の 傳 統 文 化 を 薪 た に 再 評 債 す る た め に マ ド ラ ス 犬 學 で は、 ユ ネ ス コ 傳 統 文 化 研 究

所(Institute oh Traditional esnesoo)

示 設 立 さ れ、 歴 史 家 と し て 宥 名 な ニ ー ラ ヵ ン タ シ ャ ー ス ト リー(K.A.Nilakanta Sastri) 氏 が 所 長(direotor)で あ る。 同 氏 は す で に マ ウ リ ヤ 王 朝 及 び ナ ン ダ 王 朝 に つ い て 一。 書 を 著 し た が、 近 く サ ー タ ヴ ァ ー ハ ナ 王 朝 に つ い て 書 を 著 す さ う で あ る。 特 に 同 研 究 所 か ら 紀 要 (B u ll

etin of Tradnalo ultures, Madras.

u niversityohadas 1957)が 刊 行 さ れ た が、 論 文 を 掲 載 し て い る ほ か に、 同 硯 究 所 と 關 係 あ る 諸 學 者 の 紹 介、 入 手 し た 書 の ビ ブ リ ナ グ ラ フ ィ ー を 墓 ・げ て い る の で 便 利 で あ る。 マ ド ラ ス 大 學 の サ ン ス ク リ ッ ト 教 授v. R a ghavan博士 は マ ド ラ ス 大 學 で 編 纂 中 の 爲 本 総 目録(oataloaqus oata-aqm)を 完 成 す る た め に、 一 九 五 三-五 四 年 に ヨ ロ ッ パ を 族 行 し 諸 圖 書 館 に 所 藏 さ れ て い る 爲 本 を 調 査 し た 示、 ヨ ー ロ ッ パ に お け る イ ン ド 研 究 を 総 覧 し て、 便 利 な 一 書 を 著 した。V. Raaghaversity, 次 に 佛 教 の た め の 研 究 機 關 を 見 よ う。 一 九 五 三 年 に 創 立 さ れ た ナ ー ラ ン ダ ー の パ リ 語 研 究所(Zava Mahavihara) で は 近 く 紀 要 第 一 輯 を 刊 行 す る。 梵 文 倶 舎 論 はP.PNadhan氏の 手 で 校 刊 が 進 行 中 で、 す で に バ ト ナ で 第 一 団界 品 全 部 と 第 二 根 品 の 一 部 だ 組 上 つ て い る。 こ の 研 究 所 は ビ ハ ル 大 學 (d niv oh Bihar)に 屡 し、 大 學 院 の 課 程 を 憺 當 し て い る。 一 九 五 七 年 か ら 櫻 部 建 氏 が 講 師 と し て 赴 任 し て い る。 繹 奪 入 滅 の 地 ク シ ナ ガ ラ は 北 方 都 市 ゴ ー ラ ク プ ル の 近 く に あ る が、 そ こ で ゴ ー ラ ク プ ル 大 學(dniversity Gorakhpur)が 二 九 五 七 年 に 新 設 さ れ、 古 代 文 化 史 の 教 校 に パ ン デ ー 氏

(Qoind ohandra Pande)氏

が 任 命 さ れ た。 そ の 地 は ル ン ビ ニ ー に 竜 近 い の で、 特 に 佛 教 研 究 に 重 黙 を 置 い た 研 究 室 を 設 立 す る 豫 定 で あ る。 デ リ ー 大 學 で は 一 九 五 七 年 十 月 二 十 一 日 に 佛 教 研 究 科 を 開 設 し た。 現 左 で は プ ー ナ か ら 移 つたP.V.Bapat博 士 が 教 授 と し て 一 人 で 教 え て い る 示、 將 來 は 登 展 し て パ ー リ 語 研 究 も 行 つ 豫 定 で あ る と い う。 パ パ ト 博 士 は そ の 講 座 開 設 講 演 の 中 で、 日 本 を 含 む ア ジ ア 諸 國 に 及 ぼ し た ブ ッ ダ の 影 響 を 述 べ た。 次 に 眼 を ヨ ー ロ ッ パ に 向 け る と、 フ ラ ン ス の イ ン ド 研 究 の 現 駅 に つ い て は、 特 に フ ィ リ オ ザ 教 授 が 紹 介 に つ と め て い る。 ま た オ ラ ン ダ の イ ン ド 學 に つ い て は ヨ ン グ 教 授 が 紹 介 し て い る。 (J.W. d e J o n g: S an 西 ド イ ツ の ミ ュ ン ヘ ン に は ソ ヴ ィ ェ ッ ト ・ ロ シ ア 薔

究所(Institute for the oh thedS

S R. ) が あ り、 學 問 的 な ソ ヴ ィ ェ ッ ト 研 究 を 行 つ て い る が、 そ の 機 關誌(Studies on the S

oviet dniop, Zo. 1,1957)の

中 で ロ シ ア の イ ン ド 研 究 ボ 論 ぜ ら れ て いる。(A.dluktuk, I

ndoloaqy in the Sovietd Uion)そ

の 中 で オ ル デ ン ブ ル グ、 ス チ ェ ル バ ツ コ ーイBanan

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n ikovに至 る 傳 統 を た ど り、 現 在 ロ シ ア で は、 ナ ン ス ク リ ッ ト 研 究 は 衰 滅 し て し ま い、 爲 本 な ど は 昔 ど お り 博 物 館 や 大 學 に 保 存 さ れ て あ る が、 も は や そ れ を 扱 う 學 者 が い な く な つ た。 現 在 の ロ シ ア で は マ ル キ シ ズ ム の 立 物 か ら イ ン ド の 社 會 経 濟 を 論 ず る こ と が 圭 と な つ て い る。 ま た 古 代 イ ン ド の 言 語 宗 教 哲 學 の 研 究 を や め て 莚 代 の 言 語 ・ 文 學 の 研 究 に 重 黙 示 う つ っ て い る。 か か る 研 究 の 成 果 は ソ ヴ ィ ェ ーッ ト 百 科 全 書、 學 士 院 刊 行 物 の う ち に 見 ら れ る と い う。 ( た し こ の 報 告 は、 一 貫 し て 反 共 的 立 場 か ら 述 べ ら れ て い る。 ) こ れ に 封 し て 日 本 の イ ン ド 研 究 に 關 し て は ま だ 詳 し い 報 告 は 出 て い な い が、 ル ヌ ー 博 士 の 報 告 は 西 洋 の 學 者 に 興 味 を 起 さ せ た こ と と

思う。(Louis Renu: Lindianisme au

西 ド イ ッ の ゲ ッ チ ン ゲ ン 大 學 に イ ン ド 言 語 ・ 文 化 研 究 所 示 設 立 さ れ、 一 九 五 七 年 六. 月 一 六 日 に イ ン ド 大 使 臨 席 の も と に 開 所 式 が 行 わ れ た。 そ の 所 長 は 大 學 総 長 で あ る。 そ の 大 學 の ゾ ル ト シ ュ ミ ッ ト 教 授 は 子 息 が 先 般 の 職 争 で 職 死 し、 後 嗣 が な い の で、 自 分 の 三 階 の 自 宅 と 圖 書 爲 本 の 全 部 を 大 學 に 寄 附 し、 そ れ が こ の 研 究 所 と な つ た の だ と い う。 現 在 ス イ スのFribourg大 一學 で は イ ン ド 哲 學 は 哲 學 關 係 の 必 須 課 目 と な つ て い る。 そ れ は ヨ ー ロ ッ パ で イ ン ド 哲 學 を 必 須 課 目 と し て い る 唯 一 の 大 學 で あ る。 し か し ス イ ス の 大 學 で は シ ナ 學 の 講 座 が な い の で、 そ れ を 設 立 し よ う と 學 者 は 蓮 動 し て い る が、 未 だ 實 現 す る に 至 ら な い と の こ と で あ る。 ま た カ リ フ ォ ル ニ ア の バ ー ク レ ー で は 今 村 寛 猛 師 の 指 導 の も と に 佛 教 文 化 研 究 所 が 一 九 五 五 年 に 完 成 し、 新 築 の 研 究 所 に お い て は、 英 語 に よ る 例 會 が 行 は れ て い る が、 關 係 者 の 熱 心 に よ り 順 調 に 進 農 し、 白 入 の 協 力 者 屯 多 い。 毎年Berkleyを 刊 行 し、 特 色 あ る 色 調 を 示 し て い る。 カ リ フ ォ ル ニ ア 大 學 の 所 在 地 に あ る た め、 萬 事 に つ け て 好 都 合 で あ る。 フ ィ ラ デ ル フ ィ ア の ペ ン シ ル ヴ ァ ニ ア 大 學 ではW.Norman Brown博 士 指 導 の も と に、 ア メ リ カ に お け る イ ン ド 研 究 の 一 大 中 心 と な つ て い るが、Bender講 師 の 協 力 に よ り 近 代 イ ン ド語Lisiske講 師 博か ド ラ ヴ ィ ダ 語 を、 K r amrisoh教 授 が イ ン ド 美 術 を 教 へ て い る。 ニ イ ン ド 研 究 碩 學 フ ラ ウ ワ ル ナ ー 教 授 は 畢 生 の 大 事 業 と し て イ ン ド 哲 學 史 五 巻 を 計 書 し て お ら れ る が、 そ の 第 二 巻 が い よ く 刊 行 さ れた。(Erioh h u rg, Austria, 1956)三 五 〇 頁 ほ ど の 小 著 で あ る が、 内 容 は 非 常 に 充 實 し た も の で あ り、 ヴ ァ イ シ ェ ー シ カ、 ジ ャ イ ナ、 唯 物 論 を 論 じ て い る。 イ ン ド 史 或 い は イ ン ド 思 想 史 に 關 す る 名 著 の 紹 介 も 行 わ れ て い る。 ゼ イ ロ ン の 歴 史 も 出 版 さ れ た。 し か し イ ン ド 史 研 究 に お け る 最 大 の 牧 獲 は、 海 外 學 界 の 歩 み ( 中 村 ) 三 一 七

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海 外 學 界 の 歩 み ( 中 村 ) 三 三 八 コ ー サ ン ビ 博 士 の ﹃ イ ン ド 史 研 究 入 門 ﹄ で あ

らう。(Uamodar Uharmanand Kosambi:

7, 1956)從 來 イ ン ド 史 に 關 す る 書 は 決 し て 少 く な い が、 箪 な る 資 料 の よ せ 集 め ま た は 整 理 に と ど ま つ た 竜 の が 多 く、 最 近 の 史 佃學 二 般 の 水 準 か ら 見 る と、 何 か ピ ン ト ぶ は つ れ て い た と い う 印 象 の あ つ た こ と は 否 定 す べ く 竜 な い 一 と こ ろ が こ の 書 に よ つ て、 よ う や く 鮭 會 経 濟 吏 的 硯 黙 か ら イ ン ド 史 が 検 討 し 直 さ れ、 現 代 の 知 識 人 か ら み て、 よ う や く 納 得 の ゆ く 歴 史 書 が 始 め て 得 ら れ た と い へ る で あ ろ う。 著 者 の イ ン ド 文 化 に 關 す る 博 識、 冠 會 科 學 的 考 祭 豊 富 な 語 學 力、 科 學 的 思 惟 は 相 ま つ て、 こ の 書 の 意 義 を 高 か ら し め て い る。 散 ゲ ル ト ナ ー の リ グ ・ ヴ ェ ー ダ 濁 誰 は ヴ ェ ー ダ 研 究 に お い て 一 つ の 時 期 を 割 す る 竜 の で あ る 示、 そ れ の 名 稽 索 引 と 事 項 索 引 が ノ ベ ル 教 授 に よ つ て 編 纂 さ れた。(Uer Riag-veda, d ge, Mass. 1957.)リ グ ヴ ェ ー ダ に 關 す る 固 有 名 詞 僻 典 と ド イ ツ 語 に よ る 事 項 僻 典 を 兼 ね た 竜 の で あ る。 イ ン ド の 哲 學 思 想 の 嚢 端 は ヴ ェ ー ダ の 讃 歌 の う ち に 求 め な け れ ば な ら な い 示、 そ の 哲 學 詩 の 集 成 全 課 が ル ヌ ユ 教 授 に よ つ て 行 わ れ、 ユ ネ ス コ 叢 書 の 一 冊 と し て 出 版 さ れ た。 n

tives. Serie. Oanimard 1956.)判

り 易 い フ ラ ン ス 語 で し か 竜 正 確 に 誰 し て あ り、 附 註 竜 な か な か 綿 密 で あ る。 ウ パ ニ シ ャ ッ ド 竜 ラ ー マ ク リ シ ュ ナ ・ ミ ッ シ ョ ン 系 統 の ス ワ ー ミ ー た ち の 努 力 に よ っ て、 よ う や く ア メ リ カ 人 に 竜 親 し い 竜 の と な つ た が、 ハ リ ウ ッ ド の ヴ ェ ー ダ ー ン タ ・ セ ン タ ー を 圭 管 す る プ ラ バ ヴ ァ ー ナ ン ダ 師 な ど の 努 力 に よ つ て ア メ リ カ 入 に 受 け 入 れ ら れ 易 い か た ち で 述 べ ら れ る に 至 つ た 。 次 に 佛 教 一 般 に つ い て み る に、 一 九 五 六 年 秋 に イ ン ド で 行 は れ た 繹 奪 二 千 五 百 年 記 念 式 典 を 記 念 し て イ ン ド 政 府 た、 と い ふ 佛 教 史 を 著 し、 ア ジ ア 全 般 に わ た る 佛 教 の 傳 播 嚢 展 を 述 べ て ゐ る。 こ の 書 の 序文(p. IX)に お い て ラ ダ ク リ シ ュ ナ ン は、 ﹁ ブ ヅ ダ は ヒ ン ヅ ー と し て 生 れ、 育 ち、 死 ん だ。 ﹂ と い ふ 立 揚 で 繹 尊 を 解 繹 し た の で、 佛 教 諸 國 の 若 干 の 學 者 か ら 激 し く 非 難 さ れ た。 現 代 ド イ ッ 學 界 の 動 き と し て は、 グ ラ ー ゼ ナ ヅ プ 教 授 は、 佛 典 の 抄 課 集 成 と し て ﹁ さ と り へ の 心道﹂(zur deuohtunaq)を 刊 行 さ れ た。 ま た 故 オ ル デ ツ ベ ル ビ の 名 著 ﹃ ブ ッ ダ ﹂ の 新 版 示 來 年 あ たりootta adssと い う 書 店 か ら 刊 行 さ れ る。 そ れ は オ ル デ ン ベ ル ビ の 奮 著 に 約 六 〇 頁 ほ ど グ ラ ー ゼ ナ ヅ プ 教 授 が 書 き 足 し て そ の 後 の 新 研 究 を 附 加 し た 竜 の で あ る。 原 稿 は 九 年 前 に 完 成 し た 示 印 刷 不 可 能 で 今 日 ま で 串 版 が の び て い た。 は 從 來 西 洋 で 殆 ん ど よ ま れ な か つ た 幾 多 の 原

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典 か ら も 抜 葦 課 を 試 み て い る。 唯 識 二 十 論、 唯 識 三 十 願 は 全 繹 さ れ て い る。 倶 舎 論 中 論 な ど の み な らず、Ratnaagtrvihhaagaと か R a tnavaliのよう に 近 年 知 ら れ る に 至 つ た 諸 原 典 竜 抄 課 さ れ て い る。 イ ツ ド で は ヴ ァ イ デ ィ ヤ 博 士 に よ つ て、 佛 典 原 典 の 抄 出 仙集 成 が 出 版 さ れ た 。 從 來 原 始 佛 教 聖 典 硯 究 と い へ ば、 パ リ ー 語 の 聖 典 の 中 の 資 料 を 適 當 に 按 配 し て 立 論 す る と い う 程 度 に す ぎ な か つ た が、 最 近 原 典 批 剣 的 視 黙 か ら 非 常 に 綿 密 な 研 究 が 畠 版 さ れ た。 u niversity oh Allaabad. 1957. 600pp.)こ れ は パ ン デ ー 教 授 の 學 位 論 文 で あ る。 パ リ ー 聖 典 の 成 立 の 問 題 に つ い て 詳 し く 論 じ て い る。 律 藏 の 諸 本 を 封 照 し て そ の 原 型 を た ど る と い う 研 究 示 フ ラ ウ ヴ ァ ル ナ ー 博 士 に よ つ て 途 行 さ れ、 ロ ー マ の 東 洋 研 究 所 か ら 出 版 さ れ た。 me 1956)ま た 博 士 は 佛 傳 の 成 立 に つ い て 竜 猫 自 の 考 察 を の べ て

いる。(East and West,

1957)ド イ ツ の ヴ ァ ル ト シ ュ ミ ヅ ト 博 士 は 引 き つ づ き 中 央 ア ジ ア 獲 見 の サ ン ス ク リ ッ ト 原 始 佛 教 聖 典 を 研 究 し て い る。 シ ャ ー ン テ ィ ニ ケ τ タ ン の 大 學 で は、 ナ ン ス ク リ ッ ト 原 典 ハ示 散 侠 し て 漢 課 の み の 残 つ て い る 佛 典 を 研 究 し、 そ れ を ナ ン ス ク リ ッ ト に 還 元 課 す る と い う こ と を 行 つ て い る。 シ ャ ー ン テ ィ ピ ク シ ュ は 奪 者 星 沙 の ﹁ 阿 毘 曇 甘 露 味 論 ﹂ ( 大 正 藏 二 八 巷 ) を サ ン ス ク リ ッ ト に 復 原 し(Anhidhaamaohsaka. Trom ア イ ヤ ス ワ ミ 教 授 に よ つ て 成 實 論 の サ ン ス ク リ ッ ト 復 原 繹 竜 試 み ち れ て い る。 ヴ ェ ン カ タ ラ マ ナ ン 教 授 は コ ご 彌 底 部 論﹂(Samitiya n ikaya sastra)(大正 藏 三 二 巻 所 牧 ) を 英 繹 し、 ま た ﹁ 大 智 度 論 ﹂ の う ち の 我 の 鶴 念 に つ い て 論 文 を 獲 表 し て いる(The Philos O uarterly)。 最 近 諸 外 國 で 非 常 に 研 究 が 進 歩 し た の は、 大 乗 論 書 に 關 す る 原 典 研 究 で あ る。 ナ ー ガ ー ル ジ ュ ナ の ﹃ 廻 課 論 ﹄ が 自 註 と と 竜 に 出 版 さ れ た。(E.H.Johnstn andnd Knst: 1 951.)そ の 他、 か れ の ﹃ 大 乗 二 十 願 論 ﹄ (Ma ﹃ 因 縁 心 論願﹄(V.V. Uer San 海 外 學 界 の 歩 み ( 中 村 ) 三 一 九

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-630-海 外 學 界 の 歩 み ( 中 村 ) 三 二 〇 バ ー ヴ ァ ヴ ィ ヴ ェ ー カ の ﹃ 掌 珍 論 ﹄ ( o h a n agchen v a bhaat, Santiniketan 1049.)な ど の 研 究 も 刊 行 さ れ た。 チ ャ ン ド ラ キ ー ル テ ィ の 中 論 註 に 關 す る 研 究 も 行 わ れ て

いる。(Jaoques May: Reoherches

マ イ ト レ ー ヤ に 露 せ ら れ る 現 観 荘 嚴 論 は 難 解 の 書 で あ る が、 そ の 英 課 が ロ ー マ の 東 洋 研 究 所 か ら 刊 行 さ れ た。 (E.C onz e: Abh is a ma y al nkara, Rome 1954.) ア サ ン ガ の 阿 毘 達 磨 集 論 の 梵 文 断 片 が 畿 見 刊 行 さ れ たが(V.V.Qokhale: Fraagments fr

om tne Abhidharmasauooaya oh Asanaga

A siatio Sooiety, Z.S., 23, 1947)そ の 後 梵 文 註 繹、 チ ベ ッ ト 課、 漢 課 を 参 照 し て プ ラ ダ ー ン 氏 が 原 典 を 作 製 した。(Abhidhara Sam ト ゥ ッ チ 教 授 は 若 干 の 短 い テ ク ス ト の 集 成 を 刊 行

した。(Q.Tuooi: Minor Buddhist Texts,

T arkasopana oh Vidyakarasantiを 含 む。 特 殊 な 大 栗 経 典 で あるAryaodhisattva-p itaka-nama-Mahayanasutraに お け る 智 の 観 念 に つ い て、 ア メ リ カ の ウ ェ イ マ ン 氏 が 詳 細 な 研 究 を 嚢 表

した。(Alex Wayman: Zotes

密 教 に 關 す る 書 も 途 次 刊 行 さ れ つ つ あ る。 ﹃ 佛 読 出 生 一 切 如 來 法 眼 遍 照 大 力 明 王 経 ﹄ ( 大 正 藏、 第 二 十 一 巻、Zo.1243)は オ ー ス ト リ ヤ の ピ シ ョ フ 氏 に よ つ て、 チ ベ ッ ト 課 と 封 照 し て 出 版 さ れた。(Arya-Mahahala d hioa ooneotion)内 容 は い ち じ る し く タ ン ト ラ 的 で あ る。 ま た ド イッのMeisezahl博 士 が 梵 漢 藏 封 照 出 版 し た 不 空 羅 索 陀 羅 尼 は 近 く ﹁ 大 倉 山 學 院 紀 要 ﹂ 第 三 輯 に 刊 行 す る 豫 定 で あ る 。 ア シ ョ ー カ 王 の 研 究 も 若 干 現 れ た。 佛 教 拡 イ ン ド で は 殆 ん ど 絶 滅 し た と 言 わ れ て い る が、 山 間 の 地 で あ る カ シ ュ ミ ー ル と ラ ダ ク に は ま だ 少 し 佛 教 が 残 存 し て い る。 そ れ 竜 圭 と し て ラ マ 教 で あ り、 ラ ダ ク の 住 民 は チ ベ ッ ト 人 と 良 く 似 て い る の で、 雇 別 が つ け に く い。 そ の 山 間 の 佛 教 に つ い て 始 め て 研 究 が 刊 行 さ れた。J.Z. and P.Z.Qanhar: ヴ ァ ス バ ン ド ウ の 論軌(Vadavidhi)は 原 文 が 散 秩 し て い る の で 最 近 フ ラ ウ ヴ ァ ル ナ ー が

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-631-そ の ナ ン ク リ ヅ ト 及 び チ ペ ヅ ト 断 片 を 集 め て 研 究 した。(E.Frauwanner: vadavidhih. W NKSO. I, 1957, S.1-44.) フ ラ ウ ヴ ル ナ ー 教 授 は チ ー ソ ン デ ー ツ ァ ン 王 朝 時 代 の チ ベ ッ ト に お け る 因 明 研 究 の 實 情 を 研 究 し、 多 敷 の イ ン ド 論 理 學 ・書 の 年 代 的 前 後 關 係 を 決 定 した。(E.Frauwanner: Nuden ニ ヤ ー ヤ ビ ン ド ゥ に 封 す る ダ ル モ ッ ー タ ラ 註 と 復 註 ( P and i t a Uurv e k a M i sr s u h armotta ﹃ プ ラ マ ー ナ ・ ヴ ァ ー ル ッ テ ィ カ ﹄ 索 引 佛 教 論 理 學 の 先 駆 と し て ヂ ャ イ ナ 教 論 理 學 は、 從 來 看 却 さ れ て 雍 た 示、 今 後 大 い に 研 究 さ る べ き 領 域 で あ る。 近年Mallavadinの U vadasanayaoakaが そ れ に 封 するSimh-a suriのZyyagagnusarinと と 竜 に 出 版 さ れ た。 二 種 刊 本 が ある。(ed.hyMunioa a nd 26. ohhani 1948 1951.こ れ に 封 す る 批 評 と し て は、E.Fr a uw a l ln er: T h e E d ition 現 代 論 理 學 の 皿橿 威 で あ る ス イ ス の フ ラ イ ブ ル ク 大 學 教授I.M.Bohenski氏はFormale U o agikとい う 書 を ス イ スのFriboragで 出 版

した。(verlag Karl Alher

Freihury/Mun-o hen, 1956)同 氏 は 一 般 論 理 學 の 歴 史 を 概 観 し、 別 に 原 典 に 當 つ た わ け で は な い が、 イ ン ド 論 理 學 を 記 號 論 理 學 ・の 立 揚 か ら 論 じ て い る。 カ バ ー の 表 紙 に は ア リ ス ト テ レ ー ス の オ ル ガ ノ ン ( ギ リ シ ア 語 )、 ア ル ベ ル ト ゥ ス ・ マ グ

ヌのIn priorum Analyticorunr,ホ

ワ イ ト ヘ ツ ド と ラ ヅ セ ルのinoipial Mathematioa と 並 ん で、 タ ル カ バ ー シ ャ ー の 爲 本 が 映 さ れ て い る の 竜 興 味 深 い。 ま た ク ン ス ト 氏 の 學 位 論 文 は 因 の 三 相 (tra-i rupya)に っ い て で あ っ た 。 薪 正 理 派 の 學 問 的 研 究 は ア メ リ カ ・ ハ ー ヴ ー ア ー ド 大 學 の イ ン ゴ ー ル ズ 教 授 に よ つ て 始 め ら れ た 示、 そ の 門 下 に よ つ て さ ら に 嚢 展 せ し め ら れ つ つ あ る。 (K aldew g te T h e P a h idagMas, 1957)ラ グ ナ ー タ の こ の 書 の テ ク ス ト の 翻 課 註 解 で あ る が、 意 味 論 の 立 場 か ら 重 要 で あ る 。 カ シ ュ ミ ー ル の シ ヴ ァ 派 に つ い て は、 從 來 紹 介 が な ざ れ て い た 程 度 で あ つ た が、 ア ビ ナ ヴ ァ グ プ タ の 審 美 論 に つ い て 詳 し い 研 究 が イ タ リ ア の 東 洋 研 究 所 で 刊 行 さ れ た。 (eostq 象 に 他 の 文 化 領 域 を 見 る に、 實 利 論 及 び 法 典 に 關 す る す ぐ れ た 硯 究 を 含 む 竜 の と して、P.K. Stdiesin Indian 示 あ る。 イ ン ド 讐 學 に 關 し て は、 海 外 學 界 の 歩 み ( 中 村 ) 三 二 一

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-632-海 外 學 界 の 歩 み ( 中 村 ) 三 二 二 難 解 な パ ー ニ 文 典 の 研 究 で は、 ル ヌ ー 教 授 が 木 断 の 業 績 を 示 し て い る。 (b i e njdas: 佛 教 梵 語 の 研 究 は 鰍 米 の 學 者 の 得 手 と す る と こ ろ で あ る。 エ ヂ ャ ト ン 博 士 の 文 法 及 び 僻 書 は そ の 面 に お け る 一 大 記 念 碑 で あ る。 し か し イ ン ド で は 殆 ん ど 注 意 さ れ て い な い。 佛 教 梵 語 と は 梵 語 を 良 く 知 ら ぬ 人 々 が 間 違 つ て 書 い た 竜 の だ か ら 研 究 の 償 値 な し と い う の が、 イ ン ド の 多 く の 傳 統 的 學 ・者 の 見 解 で あ る。 し か し 西 洋 で は 特 別 に 研 究 し て い る 學 者 示 あ る ボ、 そ れ ら の 諸 大 家 の 間 で は 種 々 の 論 争 が 行 は れ て

いる。(Fasltkli dageto JAOS.

グ ジ ャ ラ ー テ ィ ー 語 及 び ラ ヂ ャ ス タ ー ニ ー 語 で も、 ヂ ャ イ ナ 聖 典 に 樹 す る 多 藪 の 註 繹 が 著 さ 劃 て いる。amsnmhadt: 次 に、 九 世 紀 の プ ラ ー ク リ ヅ ト の 書 で、 ヂ ャ イ ナ 教 の 五 十 四 人 の 聖 者 の 傳 記 を お さ め て い る も の 竜 刊 行 さ れ た。 (S n k a s o a p p ナ ン ス ク リ ッ ト は イ ン ド ネ シ ア の 言 語 に 竜 山 八 き な 影 響 を 與 へ て い る。 O n d a S a n k t 近 年 は ヒ ン デ ィ ー 文 藝 に 關 し て も な か く 良 い 畠 版 が 現 れ る に 至 つ た。 例 え ば ラ τ ム チ ャ リ ト ・ マ ー ナ ス の 原 典 英 課 封 照 本 が 刊 行 さ

れた。(The Ramayanah Tuidas. Rendered

1954).マ ラ ー タ の シ ェ ー ク ス ピ ア と 呼 ば れ る ほ ど、 マ ラ ー テ ィ ー 文 學 に 深 い 影 響 を 及 ぼ し た ト ゥ カ ー ラ ム は、 從 來 學 界 で は 断 片 的 に し か 知 ら れ て い な か つ た ぶ、 か れ の 詩 集 の フ ラ ン ス 繹 だ ユ ネ ス コ に よ つ て 出 版 さ れ た。 d Oees pHSentatie-imad)敬 皮 な、 近 代 性 あ る 宗 教 詩 で あ る と い う 黙 で 注 目 す べ き で あ る。 ダ ヤ ー ナ ン ダ に よ つ て 開 創 さ れ た ア ー リ ヤ ・ サ マ ー ジ は 今 な お 熱 心 な 支 持 者 を 竜 つ て い る。 か れ の 哲 學 思 想 の 硯 究 書 が そ の 立 場 人 か ら 出 版 さ れた。(Qanaga asaddpahiya Q a naga-agyan-Mandir, 1955.)著 者 は 別 の 書 で ダ ヤ ナ ン ダ の 鮭 會 改 革 の 理 想 は ブ ッ ダ に 由 來 す る と 主 張 する。(ditn: SOoiaeoOnt 現 代 イ ン ド の 思 想 を 西 緻 的 視 貼 か ら 評 儂 紹 介 し て い る 黙 で 特 に 有 名 な の は ジ ュ ネ ー ヴ 大 學 講師Jean Herbt氏 で あ る。 氏 拡 マ ッ ヅ

(9)

-633-ン ウ ル セ ル 博 士 と と 竜 に パ リ の ア ル バ ン ミ シ ェ ル 冠 からesaqd smaispiit e lsdans Indontemporae叢 書 を 監 修 し、 ラ ー マ ク リ シ ュ ナ、 ヴ ィ ヴ ェ ー カ ー ナ ン ダ、 オ ロ ピ ン ド、 タ ゴ ル な ど 近 代 イ ン ド の 哲 學 思 想、 並 び に 鈴 木 山八 拙 博 士 の 禮 眉 の 研 究 な ど を 大 規 模 に 紹 介 し て お ら れ、 圭著Spiri tualhindoue並 びにMytloagiehinde は、 ヨ ー ロ ッ パ の 精 湘 引傳 統 と イ ン ド の 精 湘 旧傳 統 と の 間 の す ぐ れ た か け 橋 を つ く つ た 竜 の と し て、 高 い 評 儂 を う け て い る。 著 述 の 準 備 の た め 三 九 五 七 年 末 に 日 本 へ 來 朝 さ れ た。 近 代 イ ン ド 改 革 者 に つ い て の ・書 竜 現 れ て い る。 將 來 世 界 の 文 明 を 指 導 す る 思 想 家 は 誰 で あ ろ う か ? マ ル ク ス か、 ガ ン ジ か と い う こ と が ま じ め に 論 議 さ れ て いる。(arjewerrt 美 術 の 方 面 で は、 ニ ュ ー ヨ ー ク 大 學 の fred Salmny教 授 だ 刊 行 者 と な つ て、ASoro v ersiy 80 steetyk)が 刊 行 さ れ、 す で に 二 十 春 に 達 し て い る が、 そ の 大 部 分 は 佛 教 美 衛 示 あ る。 イ ン ド の 考 古 學 的 遺 跡 の 嚢 掘 は 着 々 と 實 行 さ れ、 西 ・紀 二 世 ﹂紀 の 佛 教 ス ト ゥ ー パ ( マ ト ゥ ラ ー の 近 く に あ る ) か ら 二 本 の 名 柱 と 一 つ の 笠 石 が 嚢 見 さ れ た。 一 本 の 柱 は 一 六 フ ィ ー ト あ り、 マ ト ゥ ラ ー で 護 見 さ れ た 最 大 の 竜 の で あ る。 略 號 表 三 シ ナ ・ チ ペ ツ ト 硯 究 塞 平 の 國 立 政 治 大 學 で は 謝 幼 偉 氏 だ 哲 學 ( 西 洋 及 び シ ナ ) を 教 え て い る が、 同 氏 は 十 月 終 り の ユ ネ ス コ 東 西 交 渉 史 會 議 で 日 本 に 見 え、 東 洋 思 想 の 根 幹 は 孝 の 観 念 と 一 膿 観 で あ る と 圭 張 し て い た。 同 氏 に よ る と、 有 名 な 呂 徴 氏 は 南 京 に を り、 馬 一 浮 氏 ( 在 抗 州 ) は 輝 を 研 究 し、 熊 十 力 氏 ( 在 抗 州 ) は 唯 識 を 研 究 し、 同 氏 の ﹁ 新 唯 識 論 ﹂ は 特 に 有 名 で あ る と の こ と で あ る。 シ ナ 佛 教 史 の 冠 會 経 濟 史 的 研 究 と い う こ と は 今 日 二特 に 要 講 さ れ る こ と で あ る。 ハ ー ヴ ァ ー ド 大 學 チ ェ ン 博 士 は 會 昌 破 佛 ( 八 四 五 年 ) の 経 濟 的 背 景 を 研 究 し、 當 時 の 佛 教 寺 院 が 大 荘 園 を 所 膚 し て 税 を 免 れ、 種 々 の 経 濟 活 動 を 行 つ て い た 實 惰 を 論 じ て いる。(Kenneth シ ナ 佛 教 を 研 究 す る た め に は 正 史 を 参 照 せ ね ば な ら ぬ が、 西 洋 の こ と ば に 翻 課 さ れ た も の は、 ば ら で 参 照 に 不 便 で あ る。 そ の 目 録 が 刊 行 さ れ た の で、 硯 究 者 に は 便 利 で あ ろ 六 組 慧 能 の ﹁ 法 寳 壇 経 ﹂ の う ち の ﹁ 無 相 願 ﹂ は 特 に そ の 精 要 を 示 す も の と 考 え ら れ て い る だ、yunagnsi師 の 講 義 を 周 鮮 光 博 士 示 英 誰 出 版

した。(Revyunagi The ommen

(

)

(10)

-634-海 外 學 界 の 歩 み ( 中 村 ) 三 二 四 シ ン ガ ポ ー ル 及 び 香 港 の 佛 教 は 輝 が 中 心 で あ る ら し い。yasfgdai師 示 香 港 九 龍 の Z ew Aiaooeageで一 九 五 四 年 に 行 つ た 灘 に 關 す る 講 義 が ﹂周 膵 光 ( ア ラ ハ ー バ ー ド 大 蘭學 教 授 ) 博 士 に よ つ て 英 課 さ れ て 刊 行 さ れた。(Rev. yu の 歴 史 と 他 の 諸 宗 に 封 す る 關 係 を 述 べ て い る。 シ ナ 佛 教 改 革 者 と し てのTar Hsu師(一 九 四 七 年 残 ) の 傳 記 並 び に 講 演 英 鐸 が 刊 行 さ

れた。(ohu Hsianaq-Kuang: Taisms

L

ife and Teaohinags 1957糞

行 所 前 に 同 じ ) 中 共 の 治 下 に お い て 竜 佛 教 の 活 動 は い ち お う 容 認 さ れ て い る の み な ら ず 揚 合 に よ つ て は 政 府 の 援 助 を 受 け て い る。 中 國 佛 教 會 副 會 長 趙 撲 初 氏 は、 シ ナ 佛 教 の 現 況 を 述 べ、 他 國 の 佛 教 徒 と 積 極 的 に 提 携 し た い と い う 希 望 を 表 明 し て いる。(chewau Messaage Z ov. 1956. 中 國 的 佛 教。 中 國 佛 教 協 會、 一 九 五 六 年 十 一 月、 北 京 ) ス タ ン フ ォ ー ド 大 學 の ラ イ ト 教授(Asdtjwqr P.iaght)の 圭 催 す る シ ナ 思 想 委 員會(oom m

itte on ohinee Thuagh)は

全 米 の 主 な シ ナ 學 者 を 網 羅 し て い る が、 一 九 五 六 年 十 一 月 二 十 日 か ら 儒 教 の 實情(Onhoianim in A otiOn)に つ い て ロ ッ ク フ ェ ラ ー 財 團 後 援 の も と に 四 年 計 豊 の 研 究 を 始 め た。 そ れ は 儒 教 の 理 想 並 び に 信 條 が シ ナ 人 の 個 人 的 集 團 的 行 動 に い か な る 關 係 を も つ か を 研 究 し よ う と す る の で あ る 。 またPaiak教 授 編 纂のohin s

e Thouaght and Institutionsと

い う 論 文 集 だ シ カ ゴ 大 學 出 版 部 か ら 刊 行 さ れ た が、 そ の 中 で ラ イ ト 教 授 は 階 の 思 想 の 形 成 を 論 じ、 ま た ラ イ ト 教 授はBuddmand hineseou tureとい う 論 文 の 中 で シ ナ 佛 教 の 祉 會 性 の 鍵 遽 を 論 じ て

いる。(The unaejw eowsianst

老 子 の 英 課 並 び に 解 読 が 最 近 ア メ リ カ で 刊 行 さ

れた。(Zatue and Inteniagenoe. The

u erquv, Zexio Pd S.1958.)著 者 べ ー ム 教 授 は 哲 學 の 教 授 で あ り、 最 近 で は 哲 學 の 教 授 が こ の や う に 東 洋 哲 學 に 關 心 を 竜 つ よ、 つ に な つ た。 シ ナ 佛 教 の 研 究 は、 イ ン ド で は 殆 ん ど 行 は れ て い な い が、 そ の 唯 三 の 中 心 地 '示 タ ゴ ー ル の 設 立 し た ヴ ィ シ ワ バ ー ラ テ ィ ー 大 學 ・で あ る。 そ こ に は シ ナ 學 研 究 所 示 あ る が、 そ こ で 多 年 研 究 に 從 事 し て い た ド イ ツ 人 の 學 者 リ ー ベ ン タ ー ル 博 士 の 記 念 論 文 集 が 刊 行 さ れた。(Lie W e st Benagal, 1957.)そ の 中 に は 多 敷 の シ ナ 學 關 係 の 論 文 が 牧 め ら れ て い る。 最 近 は シ ナ と イ ン ド と の 關 係 が 非 常 に 緊 密 に な つ て 來 て い る が、 そ れ を 示 す 興 味 深 い 書 が 現 れ た。 ヒ マ ー ラ ヤ 山 脈 の 麓 カ リ ン ポ ン に 住 む シ ナ 人 で あ る。 チ ャ ン 博 士 が ﹁ シ ナ と ガ ン ジ ー の イ ン ド ﹂ と い う 書 を 著 し た。 (Ur. は シ ナ の 哲 學 思 想 を 紹 介 し、 ガ ン ジ ー の 思 想 が シ ナ の 聖 賢 の そ れ と 多 分 に 共 通 貼 の あ る と い う こ と を 指 摘 し た 竜 の で あ る。 チ ベ ッ ト 研 究 は ド イ ツ で 竜 盛 ん に 行 わ れ て い る 。 藪 年 前 に 出 た ホ フ マ ン 教 授 の ﹁ ボ ン 教 史 資 料 集成﹂(Oueln esohiohtede

(11)

-635-1 950)を 最 近 見 る こ と が で き た だ、 ボ ン 教 に 關 す る 資 料 を 集 成 麟 課 し、 蒙 古 語 の あ る 竜 の は 蒙 古 語 課 を 竜 封 照 し て い る 精 密 な 研 究 で あ る。 そ れ を 見 る と、 ボ ン 教 と 佛 教 と が、 日 本 に お け る 紳 道 と 佛 教 の よ う に、 協 和 す べ き も の と 考 え ら れ て い た の は 面 白 い。、 ド イ ツ の 民 俗 學 の 難 誌 ト リ ブ ス の 第 七 巻 B and 7/1957)は ノ ー ぜ ル 教 授 の 記 念 特 別 號 と な つ て い る が、 そ の 中で、R.O.Meisea hl博 士 が シ ト ウ ッ ト ガ ル ト の リ ン デ ン 偉 物 館 に あ る チ ベ ヅ ト 爲 奉 目 録 を 編 纂 し て い る。 ( 一 六 六 頁 に わ たる。Uietietisoen and m sin Stuttag)語 述 が 非 常 に 詳 し い。 ト ゥ ッ チ 教 授 一 行 は ネ パ ー ル を 探 陰 調 査 し て 碑 文 や ボ ン 教 費 料 を 爽 見 し た の で、 そ の 報 告 を ま と め て 出 版

した。(Maials for the

黄 河 上 流 の 西 シ ナ ・ 東 北 チ ペ ッ ト の 調 査 報 告 も 刊 行 さ

れた。(okn: The mnye

ラ グ ヴ ィ ー ラ 博 士 の 主 宰 す る イ ン ド 文 化 研

究所(Intematina oadmy Indiano

y

usub Serai Zew Uegli)で

は い よ く 藏 梵 僻 典 を 刊 行 す る こ と に な つ た が、 総 項 目 籔 二 十 萬、 圏 版 二 千 で 一 九 五 七 年 末 ま で に 第 一春(ka, khaの 部、 約 四 〇 〇 頁 ) を 刊 行 す る こ と に な つ た。 こ の 研 究 所 は 昨 年 蒙 古 の 一 流 學 者 で あるRinohen博 士 を 招 待 し た が、 か、 れはBuryat共 和 國 の 佛 教 曾 院 の 歴 史 と 蒙 古 謡 の 佛 教 文 獄 目 録 ( 約 二 千 頁 以 上 の 喝 の ) を 著 し つ あ る が、 こ の 研 究 所 か ら 刊 行 さ れ る 豫 定 で あ る。 四 思 想 の 交 流 カ リ フ ォ ル ニ ア の ク レ ル モ ン ト に は 虚不 教 研 究 所 が 設 立 さ

れた。(The Caarm nt Inti

o resay氏 示 中 心 と な つ て 動 か し て い る よ う で あ る。 二 九 五 七 年 九 月 二 日 か ら 目 奉 で 初 め て の ペ ン ク ラ ブ だ 開 か れ、 ド イ ツ か ら は グ ラ ー ゼ ナ ッ プ 教 授 が 見 え た。 イ ン ド 學 を 中 心 と し て 世 界 の 諸 出不 教 の 比 較 研 究 と い う 黙 で 卓 越 せ る 業 績 を 示 し て い る 人 は グ ラ ー ゼ ナ ッ プ 教 授 で あ る。 先 年 彪 大 な 二 冊 の 大 著 ﹁ 五 大 宗 教 ﹂ v erlaagssfdsrtae1952)を 著 し て 第 一 部 ﹁ 永 遠 の 世 界 理 法 の 宗 教 ﹂ に お い て ヒ ン ヅ ー 教 と 佛 教 と シ ナ 的 普 遍 圭 義 を 論 じ、 第 二 部 ﹁ 歴 史 的 啓 示 の 宗 教 ﹂ に お い て キ リ ス ト 教 と イ ス ラ ム 教 逢 論 じ、 第 三 部 に お い て そ れ ら の 比 較 を 述 べ て い る が、 最 近 著 し た ﹁ キ リ ス ト 教 な ら ぎ る 諸 宗教﹂(Uie niohtohitohen う 三 四 〇 頁 ほ ど の 小 著 に お い て は、 キ リ ス ト 教 以 外 の 諸 宗 教 を ア ル フ ァ ベ ッ ト 順 に 配 列 し て、 敏 述 し て い る い は ば 小 型 の 僻 書 で あ る が、 内 容 は な か な か 豊 富 で あ る。 カ ル カ ッ タ 大 學 で イ ン ド 哲 學 を 教 え て い た B oui教 授 が 現 在 ヂ ャ カ ル タ の イ ン ド ネ シ ア 大 學 で 哲 學 の 主 任 教 授 と し て イ ン ド 哲 學 と 西 洋 哲 學 と を 教 へ て い る。 か れ は ラ ダ ク リ シ ュ 海 外 學 界 の 歩 み ( 中 村 ) 三 二 五

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-636-海 外 學 界 の 歩 み ( 中 村 ) 三 二 六 ナ ン の 推 薦 で イ ン ド ネ シ ア へ 赴 任 し た。 特 に 著 書 は な い が 博 學 な 人 で あ る。 ま た シ ナ 語 科 の 圭任Ohanohu San教 授 は 同 教 徒 で あ る ボ、 東 西 比 較 哲 削學 に 深 い 關 心 を ﹂も つ て い る。 ま た イ ン ド ネ シ ア 大 學 ・で は、 B A コ ス で ア ジ ャ ラ ー ナ ン ダ 教 授 が ナ ラ 王 物 語、 ヒ ト ー パ デ ー シ ャ、 カ タ ー サ リ ト ナ ー ガ ラ な ど を 教 え て い る。 ア ジ ャ ラ ナ ン ダ 教 授 は ケ ラ ラ 地 方 の 出 身 で マ ド ラ ス 大 學 で 勉 張 し た。 ラ ー マ ク リ シ ュ ナ、 ミ ヅ シ ョ ン に 入り、oonee e ramの本 部 の 長 で あ つ た。 そ の 後 ラ ン グ ー ン の 本 部 に 來 て そ こ 長 と な つ た が、 そ こ で 経 螢 し て い る 病 院 は ビ ル マ 第 二 の 亘 大 な も の で あ る。 庚 は 度 々 日 本 に 來 た こ と あ り、 夫 人 は 日 本 人 で あ る。 佛 教 は 思 い が け ぬ と こ ろ に ひ ろ が り つ 玉 あ る。 ド イ ツ の 佛 教 蓮 動 に つ い て も 屡報 告 が な さ れ. て いる。(Waltereier: dddhismine 3.Jan.1957.)ド イ ツ 人 ホ フ マ ン氏(man-n ) 氏 は セ イ ロ ン 佛 教 ( 上 座 部 ) で 出 家 し、 Qviagjwda止い う 法 名 を 得て、hidhamma h assagahaを 獅 課 し た り し た が、 そ の 後 タ ン ト ラ 佛 教 に 麟 し、 結 婚 し、 ﹁ チ ベ ッ ト の、 密 教 ﹂ O ebeimee Tietsと い う 書 を ス イ ス の チ ユ リ ッ ヒのLaoha社 か ら 出 版 し た。 そ の 書 の 中 で、 エ ロ チ ヅ ク な 佛 教 が 先 に あ つ て、 ヒ ン ヅ ー 的 な タ ン ト ラ 教 は 佛 教 か ら の 影 響 を 受 け て 成 立 し た の だ と 圭 張 し て い る。 バ ン コ ッ ク の o h u -a l n ag k o n 大 學 の 英 語 教 師 で あるOhnheld氏 は 佛 教 徒 で シ ナ 婦 人 と 結 婚 し て い る が、 日 本 と の 交 流 を 望 ん で い る。 カ リ ン ポ ン に 住 む 陳 健 民氏(o.Mohen, U.Mdagaimpnaq)は 漢 文 で 佛 教 論 集 ﹁ 曲 肱 齋 文 集 ﹂、 密 教 論 集 で あ る ﹁ 知 恩 集 ﹂、 讃 を 集 め た ﹁ 讃 頒 集 ﹂ を 集 め て 配 布 し て い る。 イ ン ド 側 の チ ベ ッ ト へ の 人 口 で な さ れ て い る 仕 事 で あ る と 思 う と 面 憤 い。 ヨ ガ の 實 践 竜 國 際 的 に ひ ろ ボ つ て い る。 近 年 タ ミ ル の ヨ τ ガ 行 者 一にKriyaaaiと い ふ 人 が あ り、 そ の 信 徒 が K r iy a d a h a i a n ag h a o a d a s と い う ヨ ー ガ の 團 髄 を 創 設 し た。 か れ の 弟子yagiSARamaiha が マ ラ イ の ク ア ラ ル ン プ ル に そ の 團 髄 を 開 設 し、 ヨ ー ガ の 實 践 に つ と め て い る。 (P o st p ur, Ma-aya)師 は 一 九 五 六 年 秋 に 日 本 で 開 か れ た 世 界 宗 教 會 議 に 出 席 す る た め に、 來 日 し た が 同 年 十 一 月 十 七、 十 八 日 に ﹁ 宗 教 ヨ ー ガ 會議﹂(Paiame diagionsandyaq) を 開 い た。 そ の 目 的 は ﹁ 諸 宗 教 の 統 一 を 實 現 す る た め ﹂ で あ る と い う が、 所 り の こ と ば に 竜 オ ー ム、 ア ー メ ン な ど 諸 宗 教 の も の を 唱 へ る。 文 化 交 流 は な か く 厄 介 な 問 題 を と 竜 な う。 か つ て シ ン ガ ポ ー ル の 大 學 に イ ン ド 學 講 座 を 開 設 し よ う と してZakaha Sstri教 授 ( マ ド ラ ス 大 學 ) が 依 囑 を 受 け た の で、 サ ン ス ク リ ッ ト と ヒ ン デ ィ ー と タ ミ ル と の 一二 つ の 講 義 を 開 こ う と し た 示、 左 佳 イ ン ド 人 の 猛 反 封 を 受 け た。 シ ン ガ ポ ー ル 在 住 の イ ン ド 入 は 多 く は 南 方 の タ ミ ル 人 で あ る の で、 タ ミ ル 語 以 外 ゆ ナ ン ス ク リ ッ ト と ヒ ン デ ィ ー の 講 義 を 開 く こ と は 不 要 で あ る と 圭 張 し た の で あ る。 こ と ボ ら が 面 倒 で あ る と 見 て と つ た シ ン ガ ポ ー ル 政 府 は イ ン ド 學 の 講 義 を 開 設 す る こ と を 中 止 し た。 タ ミ ル 地 方 の イ ン ド 人 の、 反 サ ン ス ク リ ソ ト ・ 反 ヒ ン デ ィ ー の 氣 持 は 深 刻 で あ る。 タ ミ ル 地 方 の 指 導 的 知 識 人 で あ る憲masmi Z aika(sio)老はUrava-akaと い う 團 髄 を 組 織 し て い る が、 か れ は ラ ー マ ー ヤ ナ と い う 題 名 を ひ つ く り 返 してRavaayanaと い う 書 を 著 し た。 つ ま リ ラ ー マ の 南 進 す な わ ち サ

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-637-ン ス ク リ ッ ト の 南 進 は 悪 魔 ラ ー ヴ ァ ナ の 南 進 だ と い う の で あ る。 第 十 二 同 國 際 哲 ・學 會議(The Xnt Inter n atioonag oh Philoopy)だ 一 九 五 八 年 九 月 一 二 -一 八 日 に イ タ リ ア の ヴ ェ ニ ス で 開 か れ る が、 そ こ で は 東 西 比 較 哲 學 が 一 つ の 部 門 と し て 設 け ら れ て い る。 東 洋 哲 學 示 つ い に 哲 學 の 中 に 地 歩 を 占 め る に 至 つ た の で あ る。 第 二 十 四 同 國 際 東 洋 學 者 會議(XXI.In ternanal ientisonOnaqess)ボ ド イ ツ の ミ ュ ン ヘ ン で 一 九 五 七 年 八 月 二 八 日 か ら 九 月 四 日 ま で 開 か れ た。 フ ラ ン ス と イ ン ド と の 文 化 交 流 に つ い て は、 ジ ャ イ ナ 教 の 三 教 團 の 機 關誌(The voioe oh が フ ラ ン ス ・ イ ン ド 文 化 交 流 特 別 號 を 刊 行 し て い る。 日 本 と の そ れ に つ い て、 イ ン ド で 問 題 に し て く れ る の は い つ で あ ら う か。 グ ラ ー ゼ ナ ッ プ 博 士 ( 中 村 ) 三 二 七

参照

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