南アジア研究 第28号 010書評・友澤 和夫「水島司・柳澤悠(編)『現代インド2 溶融する都市・農村』」
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(2) 水島司・柳澤悠 (編) 『現代インド 2 溶融する都市・農村』. 第7章 農村から都市へ 宇佐美好文・柳澤悠 第8章 学校教育改革 押川文子 第9章 引き続く課題 柳澤悠 また、各章では論じきれないテーマについては以下の5つの補論が設 けられており、本書の射程範囲を拡げている。 補論1 降水量の変動と農業生産への影響 岡本勝男・堀野豊人 補論2 環境問題の見通し 川島博之 補論3 雇用環境と教育投資 和田一哉 補論4 女性と社会変化 喜多村百合 補論5 変貌する健康問題 山崎幸治 各章の内容についてまとめてみる。 序章は本書の全体像を示すものであり、問題意識、フレームワーク および各章の要約が提示されている。序章を読むことにより、本書の あらましを理解することができる。 第 1章は、従来ブラックボックスとされてきた19 世紀の人口動向に着 目し、南部インド・チングルプット地域の資料により、人口は拡大基 調にあったことを明らかにするとともに、センサス調査が開始された 1870 年代からの半世紀が例外的に低成長の時代であったことを論証す る。そして、その要因を19 世紀後半からの耕作不適地の開発(過剰開 発)が人口増加をもたらした反面、自然環境への対応力低下と生産の 不安定化・脆弱化(大飢饉と疫病の発生という形で顕在化)を招いた ことに求める。ただし、井戸灌漑の普及により土地集約的・資本集約 的な農業への転換が生じて、1920 年代頃には現在に至る人口の増加を 確定できる状況が取り戻されたとする。極めて実証的な歴史分析がな されており、地図や空間的視点も導入されている点にも斬新さを感じ る。 第 2 章は、タミル・ナードゥ州の全農村を対象とした人口変化の要因 分析と、パンジャーブ、ビハール、タミル・ナードゥの3 州間比較の二 本立てである。前半では、1991年と2001年のセンサスを用いて、タミ. ル・ナードゥ州の14 ,534 村を、その間の人口動向から増加・微増・微. 減・減少の 4 つに類型化する。その状況は地図化され口絵 1に示され、 都市分布との関係が述べられる。さらに、コミュニケーション基盤、教. 121.
(3) 南アジア研究第28号( 2016年). 育基盤、生存基盤、生業基盤との関係がグラフを用いて丁寧に説明さ れている。後半では、サブ・ディストリクトを単位に、生業基盤にか かわる5 変数を用いたクラスタ分析が実行される。各クラスタが卓越す る地域としてパンジャーブ、ビハール、タミル・ナードゥの3 州を選び、 農業の生産基盤、教育基盤にかかわる変数等から比較した上で、構造 的な差異を導出している。 第 3 章では、パンジャーブ、タミル・ナードゥ、ビハールの3 州につ いて、およそ100 年のタイムスパンでの農村発展のダイナミズムが、宇 佐美、柳澤、押川の3 人の分担執筆によって描き出される。その後、柳 澤により、タミル・ナードゥ州の発展形態を軸に据えて、残り2 州の動 向が対比的に捉えられ、インド農村発展の多様な展開が農村を取り巻 く社会経済的な構造の変化と併せて論じられ、家族労働に基づく農業 経営の発展:パンジャーブ、農村外ビジネスの発展:タミル・ナード ゥ、出稼ぎ経済の発展:ビハール、という類型を得ている。試論との 位置づけが著者によりなされているが、先行研究を参照しつつ洞察に 富む考察が展開され、インド農村の理解に資する重要な論点が提示さ れている。 第 4 章では、まずは岡本により、夜間光の衛星画像解析からインド全 体の都市域の拡大と農村の電力消費の増加が分析される。そして、デ リー首都圏の光量変化とランドサット画像から解析される土地利用変 化の状況が提示される。本文中にはモノクロで口絵にはカラーで関連 する画像が提示されており、その具体的な解説が本文でなされている。 それを踏まえた上で、宇佐美がデリー内部の農村の動向をセンサス・タ ウンの増加、経営体・土地利用等の変化に着目し、都市化圧力という 観点から論じている。 第 5 章では都市化とインフォーマル化を成長途上のインド経済の特 徴とみる観点が示され、都市経済における製造業と労働市場の分析が なされる。都市における製造業(組織部門)の存立は、立地規制や地 価上昇等により趨勢的には減少傾向にあり、むしろ農村へシフトして いることが論じられる。都市経済はサービス業に牽引されるものとな り、サービス業における雇用は「教育の収益率」(高校と大学)の上昇 と密接な関係があることが示される。本章での1つの重要な考察結果 は、農村では製造業、都市ではサービス部門が経済を牽引するリーデ. 122.
(4) 水島司・柳澤悠 (編) 『現代インド 2 溶融する都市・農村』. ィングセクターであることを明示したことにあると見る。. 第 6 章は、2000 年代に入ってインドが重視してきた inclusive growth. が生活環境の面でどの程度達成されたのかを、州間および都市農村間 の格差に焦点をあてて把握する。まず、インドの家計データを用いて、 州を単位に生活環境の状態にかかわる指標が都市・農村を対比する形 で捉えられる。次いで乳幼児死亡率についても同様の把握がなされ、そ の着実な改善と依然として存在する州間格差、都市農村格差を導き出 している。教育も社会経済の発展とかかわる重要な指標であるが、そ れについても同様の格差が存在することを示している。その一方で、計 量的な手法により、都市と農村の乳幼児死亡率の差および教育の差が、 統計学的に有意になる州は限られており、同様に非スラム・スラムの 差についても、少数の都市のみにおいて有意であることが示される。こ うした検討から都市と農村の溶融が生じつつあるという著者の指摘は 興味深い。 第 7 章の内容は、副題の「都市経済を支える農村社会」に端的に表 象されている。まず宇佐美が農村から都市への労働力移動を分析し、そ の基本的パターンとトレンドを踏まえた上で、移動労働者の属性を把 握し、農村社会が労働市場を通じて都市経済を支えてきた意味を提示 する。続いて柳澤は、工業製品やサービスへの農村需要を検討し、定 説とも言える都市中間層の消費がインド経済の高度成長を牽引したと いう見方に異議を申し立て、農村需要の重要性を論証している。また、 新興経営者層にも目を向けて、それらが農村社会を起点とする地域経 済を基盤に形成され成長してきたことが論じられる。都市・農村の溶 融が、労働市場、商品・サービス市場、経営者層の形成という経済的 な側面から体系立てて捉えられており、本書の中でも重要な位置づけ にあると見る。 第 8 章では、1990 年代から進められた初等教育段階の学校教育改革 を主たる対象に、法律の構成や立法過程が幅広く検討される。本章の フレームワークは、この間大きく変化した政府、市場、市民社会を背 景に、教育改革に参画するアクター間の連携・対立の構図を導くもの であり、学校教育改革を政治的社会的文脈の中で捉えることに成功し ている。教育の重要性は他の章でも指摘されているが、本章によりそ の制度的成り立ちや背景にある文脈を知ることができる。. 123.
(5) 南アジア研究第28号( 2016年). 第 9 章は、引き続く課題として格差の問題を取り上げる。中国と比較. して、インドの地域間格差、都市 - 農村格差は小さいが、むしろ村落・ 都市・企業・工場といった社会の内部を構成する階層間の格差が大き. いことが論じられる。その根底には、土地が均等に分けられた中国と、 特定の有力者(しばしば上位カースト集団)に土地が集中しているイ ンドという農村の所得格差があるとする。農村から都市への人口移動 は、農民が都市において職を得る過程であるが、その場合に農村の格 差が、教育や資格を介して、都市労働市場の階層構造に再生産される ことが導かれる。都市と農村の溶融の中で、社会的な構造格差は解消 されず、これがインド工業化の足かせとなっているという主張は卓見で あろう。 以上、各章の内容を評者の関心に基いて整理し、併せてコメントも 付してみた。ここで、上では触れなかった事項についても述べてみた い。最初に、要望点を幾つか挙げる。まずは、本書冒頭のカラー口絵 である。これらは第 1章や第 4 章の本文と連動しており読者にとっても 有益であるが、多少の改善が必要であろう。具体的には、口絵 1の(1) の内容は(2)と重複しており、しかも幾つかの県については空白で情 報がない。(1)は省略し、(2)のみを拡大して表示する方が分かり易 いと思われる。口絵 2~ 4 についても、全体的に画像や文字が小さく読 み取りづらい印象がある。第 2 章では、図14 に示されるサブ・ディス トリクトを単位とする農村就業のクラスタ分布パターンが大変興味深 い。ただし、そうしたパターンをどのように解釈すればよいのか、あ るいはそのようなパターンが形成される理由は本文中では示されてい ない。本書では農村の分析は、早い段階でタミル・ナードゥ、パンジ ャーブ、ビハールの3 州に収斂するので、ここでインド農村全体を俯瞰 的に捉える作業があっても良いように思われる。第 4 章では、 表 6 にデ. リー農村部の産業別就業比率が示されている。2001 - 2011年の間に耕. 作者や農業労働者の比率上昇が認められるが、その理由は何であろう. か。デリーにおいてこうした農業就業比率が増加する理由を評者なり に考えたが納得できる解答にはたどり着けなかった。これについても言 及が望まれよう。第 5 章では、農村において製造業が成長していること が述べられている。ここで注目したいのは、どのような農村で製造業 が成長しているのかである。たとえば(大)都市からの距離に応じた. 124.
(6) 水島司・柳澤悠 (編) 『現代インド 2 溶融する都市・農村』. 動向が明らかになれば、分析はさらに深化するものと思われる。第 8 章 は、本目的や方法は明快であるが、国家・連邦政府レベルでの教育制 度を対象としているため、第Ⅲ編のテーマ「都市・農村の境界を越え て」とはやや調和性を欠くように思われる。ここに位置づけられてい る理由について説明が望まれる。 本書全体についてもコメントしておきたい。その際、評者は現代イ ンドを空間的に捉えたシリーズ第 4 巻『台頭する新経済空間』の編者の 1人であり、したがってその立場あるいは評者の専門である地理学的な 観点からのものとなる点を了解いただきたい。まずは、歴史学、経済 学、社会学など多様なバックグラウンドを持つ本書の執筆陣が、都市 と農村、その関係、溶融空間など、地理学的な研究対象である空間あ るいは空間性を設定して、計量的手法や GIS も導入して論考を展開して. いること自体が興味深かった。空間の分析は、もはや地理学だけのも のではないのである。第 4 巻との対比で言えば、本書の特徴は、インド の経済発展における農村の重要性が強調されていることにある。これ はとくに柳澤の論考において顕著である。そこでは工業製品の農村需 要、農村から都市への労働力の供給ばかりでなく、新興企業の経営者 層の出自にまでも目を配っている。一連の分析には首肯させられること. も多いが、その反面第 4 巻が研究対象としている自動車や ICT などの外. 資や大企業の役割が軽視されている印象も伴う。農村に由来するもの. と外来のもの双方に目を向けたフレームワークを構築することが、今後 の我々の仕事となろう。また、本書では溶融の空間として郊外を位置 づけているが、直接の研究対象としてはデリー NCT (National Capital. Territory)内の農村部にとどまっている。一方、第 4 巻ではその外側 に拡がる NCR(National Capital Region) を扱っている反面、 NCT 内部の 農村には注意を払っていない。この点では両者は補完関係にあると言. える。インド地域研究において郊外空間に関心が向かい始めたのは最 近のことであり、この都市でもなく農村でもない(都市でもあり農村 でもある)第 3の空間をどのように捉え得るのか、方法論の確立や現地 調査に基づく研究の積み重ねが必要と考える。 以上、本書について評者なりの感想を述べてきた。上にも記したが 第 4 巻と補完関係にある内容もあり、両書を併せて読むことで、現代イ ンドの空間構造がより立体的に理解できることが期待されよう。イン. 125.
(7) 南アジア研究第28号( 2016年). ド研究者のみならず、新興国の都市と農村、両者の関係に興味がある 方に一読を勧めたい。 ともざわ かずお ●広島大学. 126.
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