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(1)

(IDE‑JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名 アジア経済

巻 12

号 3

ページ 40‑57

発行年 1971‑03

出版者 アジア経済研究所

URL http://doi.org/10.20561/00052494

(2)

Ⅰ はじめに

1971030042.TIF

タ ン ザ ア の 「 社 会 主 義 j ヒ イ

ウジャJー演:;りと山らア/レーシャ守パへ

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じ め に

タンザユアの「社会主義」化!噌!却す乙ァエレレベ 統合 l ;つd .  i ;JlJl討子

1.  タ ン ザ ニ アν)政治的独立および J・K・ニエレレ

2.  ウシ\•.,一間刻一一寸 フりカrtf:t:::i査の主主!終 I

i'日 Ujamaa Lf'.'!iる F・(;・パ 調査"ii"'r  3.  .ノレ−

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b.  ローデシア問題を契機とするイギリスとの経

;'i'; !渇

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ii)  1こ

林 晃 じ 史

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ll)に基づいて, 1967年には「ケニアナイゼ ーション

i

2)の下に,従来インド人商人が占め ていた流通部門のアフリカ人化を押し進めつつあ るが, !']人の資産にはし また手をつけず,その手 段は現在までのところ3国のうちで, いちばん穏

{~]': なもののよう i二思われる。

1962年9月に独立したウガンダでは, 1966年の 勺ーラゲーによって,ブずンゲー!?ムテザ2世(Mu‑

tesa II,独立後ウガンダ大統領)を追放したオボチ首 相(M.OLote)は国内の部族主義を解消することに むで,明確な方針がれて〉出されたのは1969年9月 の独立7周年記念日に発表された「庶民憲章(Com‑

rnon  lv1ans Charter)J  バ:けであ7たυ それiこ基づ き,型年5月に外国系銀行,保険会社に対し株式 の60%n政府による資本参加,またウーゲンゲ最大 のカナダ系キレンベ(Kilembe)銅山に対し,開発 公社方1株式のii0':)6を取持し資本参加をしたれか,

外鼠貿易部門も国営化され,経済分野における アフリカイ

i

ニj 4)がはじまった。

通常東アフリカ3悶と呼ばれるケ二ア,ウガン こわんの2i:E.Iに対L,タンガ三ーカ (19臼年4月 ザ,タ/ザニアはともに1960年代初めにイギリス のザンジパルとの合併後.タンガニーカ・ザンジバル連 から政怜的独])令を達成LJ乞が, その校日発展はお 合共和凶となり,その後々ンザニア連合共和国と改称さ のおのかなり異なった方向に進んでいるように思 れた)は,1961年12月の独立後,ただちにニエレレ われるc (.1. K. Nyerere)大統合:j(二よって「社会主義J

f

ヒの 3国のうち最後に独立(196:1年12月〉し,植民地 方針が打ち出された。その方針の基本は1962年4 時代最も多く白人が入航したIr二アは.独立後十

r

J]の I1'7ジャマー(Uj削減)

_説lこ示されており,

フリカ社会主義とケニアにおけるその計両への適 それをさらに具体化したものとして1967年2月の 40 

(3)

1J,,;1訟の

jj};(向性絡を{1'1:[1''jけ て お き たL。、 ア ン ド レ イ ン は 「 ア フ リ カ 社 会 主 義jiこ 共 通 す る 特 徴 と し て 「 他 の 社 会 主 義 国 へ の 《 盲 目 的 な 模 i  ",ll,ーシヤ,.,1; i .¥n :rJl,y];ir川川口;!心込点、む「

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(Ji yブリ力的・,ノレケス主義(African Marxism) 

14. 

これl土1ル ク ス 主 義 的 社 会 主 義 と レ ー ニ ン 主 義 的 組 織 原 則 を , ア フ リ カ に 同 有 な 《 共 同 体 主 義 的 》 市野 i~ttri1; rア7ii刀 的 任 主 主j正の )f;

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(2i社 会 主 義 的 人 道 主 義 ( 均ci心三fIlumanism)l.・  !,,;  社会主荘に結ひ、つけようとするもので,

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社 会 主 義 の fiilぷ0アフり力的マルクス主義が,

I:.,.ーマニニズム的側面を強調してはいるものの,

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、とL う立場iこ立ってヤるj (,  17とし、う氏 ただ一歩掘り下 のこの指摘は正しいといえよう。

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,;有価値を政治的近代化の要求に従属させて いるのに対し,逆に経済や政}台を文化に従属させ,

特にアフリカ的生活に特有の倫理的宅精神的な《共 げて|伝統的価値」とは何かを考えると, |それ したがって アフリカの共同体的伝統を指し,

l

士, 初期Iレタスのヒ 1ーマユズ 同体的、))諸価値と,

部族的慣胃のうちに求められるとい うことにつきる」<,18)という氏の指摘も,はなは だ /~!. 然としたものになる。

そこで,

i

アフリカの伝統的価値!とは何かをよ 村裕社会的,

セネチ

f

ノレのサンゴール(L. Senhor)とヂィア(M. Dia)を 点、げて', .る。

13)社会福祉国家(The泳 川al‑¥¥'el farState)印16)

ム的訴えとを調和させているものとして,

わたくしとしては, アンド りiザ|確にするために,

理論牲の かjもらに r'1flゴ苫に比べ,プラグマティ p ケな

M l

存なi1Jの社会主義を代表するもので レイシが試みた類型化の成果を踏まえたうえで,

さらに,タンザ、ニアを例として,タンザニアの「干土

「アフリカ社会 とっては,《社会主義》とは,社会正義,富の平等

配分,機会の平等, 基本的な人聞の要求の充足と 会主義」が志向するものを通して

主義」とは何かの素材を提出してみたい。いわば,

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A般的かっ漠然とした希求を意味し,

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「横断的類型化」の試みを行なっ アンドレイン出:

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と たも''fこりし,

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えなは,

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あるいはその他のさー!?ゾペ社会主義

レ 一 一 一 / ,

IFブリカ社会主義

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というイヂオロギーを問 さらに. ア

行び〉影

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を,ほとんど示してL、なレυ

いずれの方法を採るにしても欠陥 趨にする場合,

かれらの信条 ブリカ的マルクス主義に比べると,

ある 横断的にとらえるため,思想、の発

前者においては,

はあると思う。すなわち,

一定の時点で,

生産 手段の公的所有よりも資源の西日分に力点をおいて おり,社会主義的人道主義とは対照的に,倫理的,

急速な工業化よりも農業発肢を強調し,

は,

逆 に 後 肢という, u、わば

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態 的

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函が観過され,

ヤわば日程、しがJ に-/.~!ニけを追究 すゐ結果,棋との関連が見失われやすい。 Lたが って「タンザニア型社会主義jはj〉かJ》ても,

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二i;j山、て;t' 経 済 的

そしてその代表 伯仲的原理に対してあまリ

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タンザ、ニアのニ:てしし,

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こ「アフリカ社会主義jと等置す アウすロウォ(()目 Awo‑

アシキウ::r:(N.  Azikiwe), 

lowo)をあげている。 るためには, 「横断的類型化」の補完が必要であ る。

アンドレインが類型化したように,「アフ 以上,

確かに「アフリカ社会主義

J

に は さ ま ざ ま な 形 リカ社会主義]はさまざまなニュアンスの差はあ

前述したアンドレインの分析に 態があること(;

t ,

「伝統的価値志向性j それにもかかわらす

ら11・;,

それにもかかわらず,

「それに到達する手 よ' )ても明らかであるが,

1・ゴ、ゾケスボ言うごとく,

小田 氏によればアフリカの指導者たおは 7フリカ社会 主義の根拠を「アフリカの伝統的社会のなかに求 をもっという点で共通して」、るc すなわち,

段ー原理の適用は国によって異なるかもしれない が,目標には普遍性がある。」〈作19)。そしてその普 遍性とは, アンドレインの分析の結果として得ら アフリカ社

会主義というかたちで現代的に復元されなければ アフリカの伝統的価値は,

めており,

(5)

れた 1ょi;dU~J価値志rt,J 性;であろう c

したがって,

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、話誌では,タンザ、コア

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{¥1Jとして,

この点を掘り下げていきたいと思う。その際,ま ず 第l二:

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由iしにものとして山 1二レレ大;

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充領の;二つの演説 一(1)1962年4月ののジγマー 演説と,(2)1967年2月のアルーシャ穴言ー をと りあげ, そ九によってそこに J 冥して流れるタン ザニYの志向する「伝統的価値」とは何かを考え,

第 2にニつの演説の問には思想、j:の発騰があるの かど/J  ',  またアノレーンヤ宣言を行ならに到った タンザ二 Fの1962年から1%5年まで山はごミ経済的 背長を中心にさぐっていきたいと思うの

最後に資料

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こっし、て若干ふれておこう。

タンザ アの「社会主J主化に!~,l

心i次資料 として,半い二エレド大;

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凸や新聞・

雑誌等に発表された重要なものが, Freedomand  Unity I l 1 /11υu na  Umυju一 一A ルln‑tiυn from  Writings und L",peh

.952〜6.5(1%7どFnt'

dom and Socialism/Uhuru  na  Ujamaa  A  Selection  from  Writings  and 

S

ρeeches  1965〜  1967 llJ(耐と 2冊の本として, L、ず

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川、Jノクス7

ォード大i下出版部から出版されてU、るハ これは時 系列に配列されているが, 別に項目別の索引もつ いている。 さらに,この期間にタンザニア政府か ら 発 行 さ れ た 各 種 統 計 や 年 報 類 ー た と え ば , Statistical Abstract ''."  Hackground to the Rudg‑

et  (An Economic Survey) (各年)などーーや第1 次(1964〜69年)および第三次(1969〜74年 ) 経 済 開 発 5カ年計画, それに新聞の抜粋を中心iこ月刊 ごとに編集されたAfricaResearch Bulletinがあ げられる。

2;大資料としては, タンザ ニアの政治・経済lこ 関する数

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の 著 作 たとえば iI.  Biennenや

W. Tordoff Is̲どーーや,海外(開こ東アフリカおよ び英米系)雑誌一一一たとえば EastAfrican Jour‑ nal,  Journal of Commonwealth Political Stu‑ dies,  lnternatiomtl Affairsなどーーに栽.−,た諸 市文が主なものである。邦人,1)1,のとして(J「γ ルーシャ宜主?」の翻訳が外務省および浦野起央氏 によってなされてし、るだけであ石。

なお, 資

t l

の詳細につU、ては,脚註を参照され たU。、

C i +  

1 ) Kenya Government Printer, African So‑ cialism and it

4 ψ

,Plicationto }'lanning in  Kmya  (Nairobi,  IG5)

(iJ: 2)  ,̲   J1ゼ −c,−;,叶・t均してはJ.Craham  Smith et  al., 'The Economics  of  Kenyanization 

J,;ast  Africa Journal (March 1968)参照。

(i3〕 A¥fi‑ica  Research I!u!frtin. Vol. 7,  No. 4  (May 1970),  p.  lli76. 

Ci4) AficaRe.皮 切rchBulletin, p.  1676.  (i} 5) 「アフリカ社会主謎」に|期する参考文献日 似としては, W.日目 Friedlandand Carl G. Rosberg,  Jr. (edsふilji・ican Socialislll (Stanford  University  lress,  19G4) ,りさ末にある文、l断ii;録およびil•H•JI、危

「アフリカ社会主義」(『アジア経済資料月機』, 1967 9 Jl)を参照。

Ci6) C. F.  Andrain, Democracy and Social‑ ism: Ideologi目 。fAfrican Lead inldeology and  Discontenムed.lD.E.  Apter (Free Press of  (;Jen‑ coe,  Illinois,  1964). (小田英郎訳「民主主義と社会主 i浅一一アフリカ指導者たちのイデオロギ一一一」〈慶応

大学地域研究クJループ訳

f

1 ';'オロギーと現代政治ふ 愛応通信ti,昭和43年〉所ii¥'.)

(il: 7)  C.  F.  Andrain, p.  172.小田訳,184ベー:/。

(注8) C.  F.  Andrain, p. 172,小田訳,185ページ。

C i

9) C.  F.  Andrain, p.172.小田訳,185ベーシ。

(注目) C.  F.  Andrain, p.  172.小田訳,1851 ン。

(注11) C.  F.  Andrain, p.  172.小田訳,185ぺ−−>o 

(注12) C.  F.  Andrain, p. 172.小田訳,185ベージ。

Ci13) C. F.  Andrain, p.  172.小田訳,185ページ。

(泊三14〕C. F. Andrain, PP‑173〜177.小田訳,186

〜191ベーンυ

Ci15) C. Andrain,pp. 177〜181‑,j、Ill沢, 191 43 

(6)

Ⅱ タンザニアの「社会主義」化に関するニエレレ大統領の二つの演説とその骨子

1971030046.TIF

19

l!U  C. F.  Anclrain,  pp. 181〜l;再i

f

11:<Ii,  195 

〜19K  / 

(;"17)  J、li:・:;「f ‑,  'ハ:

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l,. .  ,・ll')f̲J  ( . /子「j : i  ,fI,,f、1L40,  N札口、 1%7;パ,:1り

(!卜lK) ·•·I  ,.・J'f.  )(  r 、;i . iτI Hi I,  :!7  C l1 [,I ri討(、ox, Socia[it [deιas  in  Africけ い

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ス内(こなンガ二ーカ

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虫ーセを与える に.'.(.Jしζ抗議したことかム イ下リス植民地 山i{fI::不和に/( . 't..こ。 1957iF, 二工レレはーゥ:法審 ぷ主{勺ff:{,f; =;l与はとな)イこが, l'ANUの機関紙が,li/i i亡j也主配合jjιI'llL たため •I カ Jl で時!fl\仁させられた

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1%H〜:'ill年it・1、ANllの{上事に存念L, TANU 

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jゐ候補者

i

~-:r.1H持議会に送り込むことに

今けJした。 1%0if三村}]に行なわれた総選挙では,

TANUは71

i

議席中70議席をr11めることに成功し 1 4!,  f,il"l'c 9 Jj  4 日, T A Nじ総裁ニエしレを首相

とするTANU内閣が成立したっ

翌1%1年:i

n ,

こ,ヲル・エス・サラームで開か れた総仔と三二ヱレレ前「相との間の制窓会議の結

)必 11)ケンガニーカは

r , ; J { f . s

凡i口以降,外交,

市事十qr:̲を下よく内E交J−.のt'llfiil士府となること,(2)二 工レレは首相となり, 行政議議会は内閣,立

i : t

審 会と改称されるこ土,(3J12n 21rn,こ完全

(7)

こ の こ と を よ く ふ) *「ものとして二二二Eレレ:土I欠 の よ う な ス ワ ヒ リ"討の l誌をづ

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す る

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ni siku  mbili,ドiku ya  とのらくら脊(loitrer)であった。

j虫、主かlj.え「〉れと:)こと('かがけとむされたιその後,

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虫セitl1'・  j, ;, 

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こ の よ う な 「 伝 統 的 社 会jが ヨ ー ロ ソ パ 人 の 椛 1 

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存としてもてなせ,

二エレレi士大統出 1111に し たll Jjの 大 抗 領 選 挙 でτ

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ど う 変 化 し た か ? 民 地 化 に よJPて,

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「杭民地化は,

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ア フ リ カ 人 の 中 に こ れ

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し, り二− /Jj此治的発展(')中心的 [f{rにふって',' 11 

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て い る っ そ 三 で 次 討iでは司

l(iし 上 う と す る も の が 出 て き たJ( ,9)。つまり搾 ニーカの

i

正 む べ き か 向 を 決tんた,yジャ rーがお見を

今 ま で の 働 き ず

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干 の 対 立 が 生 じ た と い うl、 九七ろ〈

JIfニ ー カ 由 民 が ま す 第 i

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立後,

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ア フ リ カ 社 会 主 義 の ゑ 」」、,

ウ ジ ャ マ ー 演 説 一 2 

に や ら な け れ ば 必 ん な レ こ とi士、「杭民地化以前の ii);  I'( 

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l l J f

窄 取 に よ ぺ て 繁 栄 し た 社 会 に な ろ う と す る 資 本 主 義 に は 立 す る もの,(2) 階 級 闘 争 に 上 っ て 繁 栄 し た 社 会 に な ろ う と す る 教 義 的 自 会 主 誌 に 長j,¥1̲ ずるもの(, 11)として 本 主 主 社 会 と 仕 会 主 義 社 会 のj止ね均十fjj主i土分配(/)

にあるとし,こ山悦//i二{/.って,ゲン

lト二γの 「 YI)  lj人 | 伝 統 的 社 会iは ど う で あ p 千二斗之介

5 ・

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1二レしぴ,,,,g,ir在すと》γ ノリ j(•’>

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革命と産業革命(前千?にトノて土地所有高と11:土地所 有fを発生させ,

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1

Aによ.,て資本家土プロV'Jリアー トが生じたという)を

i

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j二二三;ヒ義j は7ブ リ カ の

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配 山

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先 的 社 会

J

内では, Ji人

J

Lとけ ,rるも(i)f土τ な ま け 百 iidler; 1ality)カ;{r'. ti:する社会であ., .ことするJ

7ふけ町

(8)

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1

'にあり、その基礎は拡大家紋( extended famil

 

であるという(11.12。)

17〆ヤマー演説について, 以上の桜約によって ニエレレの考える「アフリカ社会主雑

J

,特に,そ の志向するアフリカの「伝統的社会

J

とは何かが 明らかになったと思う。すなわち, ニエレレによ れば, |伝統的社会jとじ, 11)無既存級、(2)平等分 配 13)f{正と歓待の存在十る'

t i

~·'.;~-::: k,  ' その基

土拡大家族である。

(  i 力の[伝統的社会|にけするこのような ユエレレの認識のうち,特に,階級の存在に関し て, マケレレ大学の

A

・モヒッヂィーンによって 疑問が出された(,113)。すなわ

h

,二ごtレレは植民 地化以前のアフリカの「伝統的社会

i

全無階級と L勺/ぅ;真実であろうか? Eヒ、ノアイーンによれ ば

l f

千社会はそれぞれ国有の社会経涜的、歴史的

l守一九

t

(I)/)子物であって, おのおじ叶号

j f f ( ! > t ¥ f

言経済体 制をもってし、る。ある社会は平等な社会であるこ ともあるが, たいていの社会は地位やヒヱラルキ ーとし、う要素をもった集産的(collectivi引)性格を 有して U、たj(11 14)と言い,ヨー口ッパ的意味で、の

「階級」は,アフリカの r伝 統 的 社 会 に は な か

}だが、 A・マズルイ教授か指椀したことく,「階 級とし寸

3

葉がないということは. そのもの自体 (th thingitself)がないというよ二とを必ずしも意味 しない」 c;nぬという言葉に同意して,アフリカの

「伝統的社会」にも諸階級が存在した(therewere  ,・lasses)と反論する。そして,ニエレレの認識は,

ふく七で「理想への情緒応jノヘ【JFレ〆•' (an  emo‑

L1una I 110,talgia  for  an ideal iIJfi.,とか ,(,二二工レ

" 7J刊階級性を主張する(Jは lf ・; 1)  /Jの優越性 を み 示 す る 一 つ の 方 法

J,  , 

l7Jでめ.,て,それは

「過去へのノスタ/レジアであると同時に, 未来へ の新しい積極的姿勢

J

Ci: 18)を示してし、るのだと解

46 

釈すらひ

口、トJYリカの「伝統的社会jに お け る [ 暗 級」の符在を主張するモヒッディーン円出摘は,

それおりに説得的ではあるが,やはり箪婆なこと は「階級

J

の本質は「社会の生産体制における人 人の生産手段に対する所有関係を過して,生産上 占めらそれぞれの地位、の相違jであり, この本質 を

t t

:"'二した

f

也位やヒヱラ/レキ一で句

i

11皆級jを規 定し/ごの

I Ul 

4

人民【iこ

1 . 1 ;

づL、て アフリカの

i

伝統的世会

J

における階級の存在の有無に閣しては, 従来の議 論の到達点は, やはり大多数は階級の存在を否定 し,ごく一部のものが,階級の蔚芽的形成を認め,

かっ民核運動一一たとえばガーナの

CPP

,ナイジ

tjf(}l 

NEP

じなどーーーの指導者たんが,政策 べ

y , ,

島田谷山慨に階級分析を置いてL、るにすぎない

{!日}

さらに, モヒッディーンの後半の指摘, 「理想 への情緒的ノスタルジア」に関しては, わたくし は「過去へのノスタルジア」であるよりも, むし ろ, タンザニアにおける資本主義の発遣にともな 弓階級の発生全警戒する意図をも,f亡、無階級性 を強く!:張Lたのではないかと考える。

以!こ, ウシャマー演説に関する紹介と検討をし てきたが, 最終的tこ言えることは,二の時期のニ ヱレレの構想、した「アフリカ社会主義は, あくま で 精 神 的 な も の で あ り , い わ ば エ ー ト ス で あ っ たと思う。このことを G•K ・ヘライナー (1120)や 下・ハーケ: 21: 1ま「哲学(philos

phyリどし、う言

1 t l : ' .

でと九えてレる。

??言論.Ujamao に倒する F•G• パークの言語査報告{主22)

二【レレによるウジャマー演説のあと,アメリカの政 治学者で,当時.東アフリカ社会科学研究所に所属してい たF・G・パークによって,このUjamaaという言葉が,ア フリカ人諸階層にどのように理解されたかについての面

(9)

出品奇が行なわれ,その奴?告が, 1%4(:ιTanganyika: 

The Search  ofじJama,いとして公ぶされた》

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, 筒liょにその内ず

F

を紹介

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斗)LC

(ナとり方(土,その志月まのあい

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いさど 不 正 確 さ れague ιmrl  impre仁川町のために多様であるとト〉〉すなわち,

[ 1J会 議l'lは ご く 少 数 を 除L このL

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区i

i

定わず,(j'l.  ん 1/•r行同 1ぷt, I正li/1民地トー

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の大統領選挙に際しごは, Uhu,u Cl'i  :ti¥ l:huru  nEaχi1:1IDJ)'l一:huru na l lmojι 

t1け]と斜L) l llrnru  na Jarnh1ri ( l:l  111とjたF:口icl) な Cl l'i!j) ;lL,  l :Im r u flil  lljnaaiti•t1,t し た か ,U ~Ii, JliJ i.‑l:t,  l ;jarnaa U、う:;

業をl白;岐に;土佐わないが,タンガニ−!;ff:会の然防級制,

T生fモケゾー生び)協調に土る社会主主i災につLJ/i,とら,さらに T.¥'.Jl:γ 党のtlヨ辱自たちは「?!理

' m .

i

札 病 気j絶 滅 の どめのスローガJとしてそけと〆2てィ、ろという}!お/iil

{;‑• J也域?上合同発中iIu卜討・カモトLパラ(Kasamhula)

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f1生活Ip

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j:等位しているF また, iA>Jl L止の円,iL'次長i Iljam川 を nation‑huildin民三汚ぇ,そ のた,hc/1大 根 労 働 何

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ム防;の必要を説くt 士七|ご級 i・iJ. Tljam:川合 iI了川herhood土 L、,1 I(~ーで炎I見し、 子 ア I 二・カ l• ’>'!!)''/:' tit Ujamaa 全性会L誌 な い しiZf,/( 10也!:誌と与えて,,、,:,,主f 30:f'l'''/:ifcに 質1/Uしと

とて7, ぞ(/ Jうん2れ だ け がUjamaaj:、いうι?紫をXII

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おい、 l人;士す::/j¥n義 務 . す な わt)li;h/ri]してt/ltr 収機を行な i とか’? •:1}を勺〈るこ Efゴど7 もう i : t,  土士会日誌である二容えたが,かれの考えているt1

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をは地域?|会のはイ,;J化 合 立l法して;'t

f:を要約して,パーク:iつぎのよ弓(三三うっ

i[)  二工ししにとrJiJ:. {'jam九九日士伝統的社会か JJ‑併 が れ て ラ た 精 神 の ふ け ぢPふり、

I' こ 〈 少 数 の 社 会

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義 理 論 を 長11'てし、るものには,

y 7 1j11の快!丘ないし

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であるとし,

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  [羽僚や T.¥>Jl:党JηJ伝導者たおにとJ》ては,!?、

1.11. 

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川,病気|に

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る 戦L

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, ぼ ん や り と し た j県立1でお:1

その(山叶ti'J'.Jには司 111ttPJ体n,e,1:11.主主にJK‑,

く;\;;じ三の,宋;よこさなければなりなし、

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完全店l!Jょす るとl,,l  . ,

そしてノ〈 !'I身(土つきのように結論してレる。

Jjnailは 現 代 の ア7リカの政治理論のeぬから発し たといよ;)もむしろ!iii民 地 化 の 経 験 か ら 発 し た 精 神 山

あり方の産物であるc だ が , そ れ に も か か わ ら ず , そ れ は急激に発!廷しようとする人与の複雑な肉体的,心理的 安求から起こる;;十ijや 政 策 に 対 し て , わ か り や す く , 神 力 的 で , 格 識 の あ る 工 ー ト ス と し て あ ら わ れ る

f f

効 で 力 のあるイFオロギーである」と(2410 

3.  ア ル ー シ ャ 宣 言 と 社 会 主 義 , 独 立 独 行 に 関 す る TANUの 政 策 け25)

,・,  :・ ,・:i• ,;‑

‑1 ¥

;必か「》;)if{交のlG7lfl万三jil'  7ン ザ ニ

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七部Clアルーシャで!井,jf.p;jLていた l'A NU 立大会の席上,ニヱレレによ •') 亡上記標題び)

' . , {  i 

jが挺/!\され,

H

の 討 議 を へ て , 長 終 的 に2 )JIJに 公 ぶ さ れ た 。

1i,11:r ;\は5if[\からなっ亡し、る1

第 lffl¥  TANlJ綱領

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f

';'.?部社会主義の政策

:3音ii

1

: I J .

虫行(ト,clf‑Rclinee)

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,1E l'ANllの メ ン バ ー シ ッ F

お s r m  

アルーシ γ決 議

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部 で ITANUU>政策は、

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会 主 義 同 家 を 佳 ぷ す る こ と で あ り , 社 会 主 義 の 原 則 は T A N U 辻、によJPて 焼 定 さ れ る

J

2riとし,(1)人間の平等弔 問 人 間 の 尊 厳 , (3)i弓ltの 政 治 参 与 の 権 利 , f4)1~- ,)(i;;' 

f

l:,{;t{印 , 結 社 の 自 由 , (5) 生 命 , 財 産 の 保 護,(6) 労 働 へ の 正 当 な 報 酬 , (7)資源の共有,(81:J,¥; 本 的 生 産 手 段 の 画 家 管 理 , (9) 国 民 の 福 祉 , 搾 取 ・ 階 級 の 発 生 の 防 禦 , の た め に 経 済 活 動 へ の 国 家 の 介 入 の9原 則 を か か け 、 , こ の 原 則 に 基 づL、てT A N Ufl的 と し て , (1) 同 の 独 立 と 人 民 のfllfl,  12)  何人ぴ)時!滋

R

事長,(3)

t

(主的

t i

:会主義]I幻(fに よ る 統

;(i(4)fプリ力解放をごfl(Y.Jと十るす,−−:_ての政党と の協力,(5)貧困,無女II, 疾 病 の 除 去 , (6)協l,iHll(, の強化,(7) 経 済 開 発 へ の 政 府 のl副長参与、(8)人種,

宗 教 , 身 分 , 男 女 に か か わ り な い 機 会 の 平 等 , (9) 搾 取 , 脅 迫 , 差 別 、 贈 賄 の 撲 滅 , (10)基本的生産−¥,

47 

(10)

1971030050.TIF

段のi:l]家管

f l i l

と資源の共有,(11)アYリカの統

f

干へ の協力,回世界平和をかかげている。

このうん,(7)(101の日的は,立言治表直後,μ,J

I

二にって之だわ(こ実成された (1をjf)c

2

部では,社会主義国家

1 r ,

(1)無階級,(2)無 搾取,労働に応じた収入の得られる社会と規定し,

現在日)夕: +'ニア i立, :農民三労働者のIU家守わ るが,まだ社会主義国家ではない」し,27〕という組 織に立つ。そして社会主義国援を建設するために

;ま, 日本的 七産子段を政府および協同組「?を訴し て農民や労働者の管理下に問かれるべきととをや 張し,基本的生産手段として,土地,森林,鉱物 資源,水,ィ

I

油,;電力司通{ii,輸送

F

段 銀七、

1

呆険,輸出入貿比卸花、鉄鋼工問、工

f ' r '

機 械i・. 場,武器生産工場, 自動車工場,セメント工場,

HE料[;場, 繊維工湯,ープラLテーンヨンを:あif、て おり そc,') :, ち(川、くJtかは.すと;こ政府の管f[jl

下lこ置かれてL、ると述べている。 さらに政府は民 主主主誌のす悩き瓜上って,込民と労働者み、ら巡ば れること,

i

主会

1

義以イ←,".jロドーでんって,

TANU党員は社会主義のイデオロギーをもつもの でなければなら低いとする。

l部i

t

l

:νコ広(HI]の

L r :立べ,

7ン,if'

アの「社会主義」化の道の独自性を述べた宣言の 核心ともいうべき部分である。すなわち,独立後 現在士でタンザ、ニアの政r{.fや TANlJの指導者は 経済問発の

i J t

器として資金に力点を置き過ぎてき た。つまり「資金は開発の基礎であり,資余なしで は開花は不

1 1 J

能fニ」(;i"'''と。 Lたか pて、 一般111

l e i ! ;

もllfl発が唾まtc'・、原因:土,政府が k:HItd月1えて

U、るためだと苦情を言う。しかし,真実l立政府に 財源がなU、どU、うことであるJ もL'\,政府 iこより 多くの支出

i

要求するならば守それは事実ヒ増税

を要求することにほかならなし、。増税以外に財源、

を求めるとするよ仁らば外国援助(!陪り,併殺,民間 投資〕に頼るほかはない。しかし,第

1

に外国援助 に開発のための財攻のすべてを依存することは不 可能fょことであわ,第2;こ「たとえ外国からわれわ れが必要とするものに対し,十分な資金が得られ たと Lてれ, それはわれわれが本えに望んでL、る ものであんうから独立とは独立独行(SelfRelil山) を;意味する。 もしもー悶家がその開発のために他 からの贈与ペラ借款に依仔するならば, 独立i土真(!) もひはふりえなL、j 2)' ‑)まり,贈ヨ lj,{re款 にふくまれる「ひもっき」の危険性を指摘し,か つ民間投資による利潤の本悶送還の問題を論じ,

結論土して[われわれは外国政府や企業t二 われ われの自由を大艇に与えることなしに, 開発を委 すことができるf:ごろうか?」(けむとする。

さん

l

こ,第

16

;経済開発

5

/J年計11fiiにまれ、て,資 金;こ

r f

(,,与を置いたため, もう一つの重大なあやま り ーω工業化中心一ーを犯したことを指摘する。

つまり, リ〉れわれが犯してレる間違いは,開発 はT.主化にはじまると考えることであ芯

(工業化に〉必要な援助が得られたとしても,それ に依{j:することは,社会主義に基っくわれわれの 政策合妨害することに仕る

J

('i 31)p また工業化 に逗点を置ャたため, 開発は都市に集中され,都 市の ll~ 発 L:.{,史われた借款の返済を農民の封力に依 仔し、 「者戸市と農村に

f t

む人々の間に搾

i

伐の可能 性が生じてきたという。

J

(il32) 

それでは経済開発の重点をどこに位くのか。そ れは,

1 1 i u m : : . 1 2

)十

J

也、(

3

)長ff士,(

4

)すぐれた指導 性を前提として, 設業に開発の基盤を置くべきで あるとする。そして,開発のためのニつの条件とし て,(Ii勤労(hard working)と,(2)知性(intelligence) を指摘する。つまり「開発の基構は,国民であ

り,重労働(特に農業における〉である。これこそが

参照

関連したドキュメント

[r]

[r]

荒井悦代(あらいえつよ) 。アジア経済研究所地域研究センター動向分析研究グループ

[r]

[鄭 1998;賀 1999;趨 1999;遅・陳 2000;李由 2000] ,これまで少なからず理論的研究と実態調 査が行われてきた [張 1995;1999;周 2000;今井

こうした自由主義的な, 「上からの」農地改革を 批判しているのが木閏和雄氏および吾郷健二氏で

[r]

例) ○○医科大学付属病院 眼科 ××大学医学部 眼科学教室