(IDE‑JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名 アジア経済
巻 12
号 3
ページ 40‑57
発行年 1971‑03
出版者 アジア経済研究所
URL http://doi.org/10.20561/00052494
Ⅰ はじめに
1971030042.TIF
タ ン ザ ア の 「 社 会 主 義 j ヒ イ
ウジャJー演:;りと山らア/レーシャ守パへ
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じ め に日 タンザユアの「社会主義」化!噌!却す乙ァエレレベ 統合 l ;つd . i ;JlとJl討子
1. タ ン ザ ニ アν)政治的独立および J・K・ニエレレ I '、て
2. ウシ\•.,一間刻一一寸 フりカrtf:t:::i査の主主!終 I
i'日 Ujamaa Lこf'.'!iる F・(;・パ ツ,,調査"ii"'r 3. .ノレ−,'ャ
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I均するTANU ,n 政策
III ウJ W 才 ., ,Jlか店、 ル ー 〆 1干~,-·· HU多',,,与 民凶
1. ' '! 'IJ°lヲ広'i、' a. 決 定 氾
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v'ノ拡.k. b. 一可:京, ":・リ一 f の 腐1 c. デソt c
! HI動家ii:への拒主f 2. 対 外 政 策a 戸y
b. ローデシア問題を契機とするイギリスとの経
;'i'; !渇
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主d ¥.' とイ c. 中i記への探近 IV 計 約I
ま ii) 1こ林 晃 じ 史
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ll)に基づいて, 1967年には「ケニアナイゼ ーションi
位 2)の下に,従来インド人商人が占め ていた流通部門のアフリカ人化を押し進めつつあ るが, !']人の資産にはし また手をつけず,その手 段は現在までのところ3国のうちで, いちばん穏{~]': なもののよう i二思われる。
1962年9月に独立したウガンダでは, 1966年の 勺ーラゲーによって,ブずンゲー!?ムテザ2世(Mu‑
tesa II,独立後ウガンダ大統領)を追放したオボチ首 相(M.OLote)は国内の部族主義を解消することに むで,明確な方針がれて〉出されたのは1969年9月 の独立7周年記念日に発表された「庶民憲章(Com‑
rnon lv1ans Charter)J バ:けであ7たυ それiこ基づ き,型年5月に外国系銀行,保険会社に対し株式 の60%n政府による資本参加,またウーゲンゲ最大 のカナダ系キレンベ(Kilembe)銅山に対し,開発 公社方1株式のii0':)6を取持し資本参加をしたれか,
外鼠貿易部門も国営化され,経済分野における アフリカイ
i
ニjは 4)がはじまった。通常東アフリカ3悶と呼ばれるケ二ア,ウガン こわんの2i:E.Iに対L,タンガ三ーカ (19臼年4月 ザ,タ/ザニアはともに1960年代初めにイギリス のザンジパルとの合併後.タンガニーカ・ザンジバル連 から政怜的独])令を達成LJ乞が, その校日発展はお 合共和凶となり,その後々ンザニア連合共和国と改称さ のおのかなり異なった方向に進んでいるように思 れた)は,1961年12月の独立後,ただちにニエレレ われるc (.1. K. Nyerere)大統合:j(二よって「社会主義J
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ヒの 3国のうち最後に独立(196:1年12月〉し,植民地 方針が打ち出された。その方針の基本は1962年4 時代最も多く白人が入航したIr二アは.独立後十r
J]の I1'7ジャマー(Uj削減)J
(;_巨説lこ示されており,フリカ社会主義とケニアにおけるその計両への適 それをさらに具体化したものとして1967年2月の 40
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(2i社 会 主 義 的 人 道 主 義 ( 均ci,心三fIlumanism)l.・ !,,; 社会主荘に結ひ、つけようとするもので,
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、とL う立場iこ立ってヤるj (, 17)とし、う氏 ただ一歩掘り下 のこの指摘は正しいといえよう。日r 1 t 1 i ' r 1
,;有価値を政治的近代化の要求に従属させて いるのに対し,逆に経済や政}台を文化に従属させ,特にアフリカ的生活に特有の倫理的宅精神的な《共 げて|伝統的価値」とは何かを考えると, |それ したがって アフリカの共同体的伝統を指し,
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士, 初期?Iレタスのヒ 1ーマユズ 同体的、))諸価値と,部族的慣胃のうちに求められるとい うことにつきる」<,I 18)という氏の指摘も,はなは だ /~!. 然としたものになる。
そこで,
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アフリカの伝統的価値!とは何かをよ 村裕社会的,セネチ
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ノレのサンゴール(L. Sen日hor)とヂィア(M. Dia)を 点、げて', .る。13)社会福祉国家(The泳 川al‑¥¥'el farピState)印16)
ム的訴えとを調和させているものとして,
わたくしとしては, アンド りiザ|確にするために,
理論牲の かjもらに r'1flゴ苫に比べ,プラグマティ p ケな
有
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存なi1Jの社会主義を代表するもので レイシが試みた類型化の成果を踏まえたうえで,さらに,タンザ、ニアを例として,タンザニアの「干土
「アフリカ社会 とっては,《社会主義》とは,社会正義,富の平等
配分,機会の平等, 基本的な人聞の要求の充足と 会主義」が志向するものを通して
主義」とは何かの素材を提出してみたい。いわば,
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A般的かっ漠然とした希求を意味し,
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,こ「横断的類型化」の試みを行なっ アンドレイン出:
昨かJ )
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{;系的な社会主義的析ヤを定式化しようとわたく
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の立場i土「{向日iJ(t(J分析J
と たも''fこりし,マルクス・
l王と/υどた芯jlてい
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、一i
ーらi
えなは,ヤピ}てよレ方、もしれない。
あるいはその他のさー!?ゾペ社会主義
レ 一 一 一 / ,
IFブリカ社会主義
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というイヂオロギーを問 さらに. ア行び〉影
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を,ほとんど示してL、なレυいずれの方法を採るにしても欠陥 趨にする場合,
かれらの信条 ブリカ的マルクス主義に比べると,
ある 横断的にとらえるため,思想、の発
前者においては,
はあると思う。すなわち,
一定の時点で,
生産 手段の公的所有よりも資源の西日分に力点をおいて おり,社会主義的人道主義とは対照的に,倫理的,
急速な工業化よりも農業発肢を強調し,
は,
逆 に 後 肢という, u、わば
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態 的t s .
函が観過され,ヤわば日程、しがJ に-/.~!ニけを追究 すゐ結果,棋との関連が見失われやすい。 Lたが って「タンザニア型社会主義jはj〉かJ》ても,
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二i;j山、て;t' 経 済 的
そしてその代表 伯仲的原理に対してあまリ
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主企J ム
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要素により関心を集中してL、るc
そ 寸イ
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.−.:リアのタンザ、ニアのニ:てしし,
いして町
れなもってすく'
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こ「アフリカ社会主義jと等置す アウすロウォ(()目 Awo‑アシキウ::r:(N. Azikiwe),
lowo)をあげている。 るためには, 「横断的類型化」の補完が必要であ る。
アンドレインが類型化したように,「アフ 以上,
確かに「アフリカ社会主義
J
に は さ ま ざ ま な 形 リカ社会主義]はさまざまなニュアンスの差はあ前述したアンドレインの分析に 態があること(;
t ,
「伝統的価値志向性j それにもかかわらす
ら11・;,
それにもかかわらず,
「それに到達する手 よ' )ても明らかであるが,
1・ゴ、ゾケスボ言うごとく,
小田 氏によればアフリカの指導者たおは 7フリカ社会 主義の根拠を「アフリカの伝統的社会のなかに求 をもっという点で共通して」、るc すなわち,
段ー原理の適用は国によって異なるかもしれない が,目標には普遍性がある。」〈作19)。そしてその普 遍性とは, アンドレインの分析の結果として得ら アフリカ社
会主義というかたちで現代的に復元されなければ アフリカの伝統的価値は,
めており,
れた 1ょi;dU~J価値志rt,J 性;であろう c
したがって,
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、話誌では,タンザ、コア: a
{¥1Jとして,この点を掘り下げていきたいと思う。その際,ま ず 第l二:
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寸としてiし な ン ザ 二 ア のl t l
;会主義J
化へν)̲1二ドァクをi
由iしにものとして山 1二レレ大;i
充領の;二つの演説 一(1)1962年4月ののジγマー 演説と,(2)1967年2月のアルーシャ穴言ー をと りあげ, そ九によってそこに J 冥して流れるタン ザニYの志向する「伝統的価値」とは何かを考え,第 2にニつの演説の問には思想、j:の発騰があるの かど−):/J ', またアノレーンヤ宣言を行ならに到った タンザ二 Fの1962年から1%5年まで山はごミ経済的 背長を中心にさぐっていきたいと思うの
最後に資料
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こっし、て若干ふれておこう。タンザ アの「社会主J主化に!~,l
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心i次資料 として,半い二エレド大;J E i
演の公式山' i t
凸や新聞・雑誌等に発表された重要なものが, Freedomand Unity I l 1 /11υu na Umυju一 一A ルln‑tiυn from Writings und L",pe山h
,
亡、 /.952〜6.5(1%7)どFn't'‑dom and Socialism/Uhuru na Ujamaa A Selection from Writings and
S
ρeeches 1965〜 1967 llJ(耐と 2冊の本として, L、ずt
川、Jノクス7ォード大i下出版部から出版されてU、るハ これは時 系列に配列されているが, 別に項目別の索引もつ いている。 さらに,この期間にタンザニア政府か ら 発 行 さ れ た 各 種 統 計 や 年 報 類 ー た と え ば , Statistical Abstract ''." Hackground to the Rudg‑
et (An Economic Survey) (各年)などーーや第1 次(1964〜69年)および第三次(1969〜74年 ) 経 済 開 発 5カ年計画, それに新聞の抜粋を中心iこ月刊 ごとに編集されたAfricaResearch Bulletinがあ げられる。
2;大資料としては, タンザ ニアの政治・経済lこ 関する数
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の 著 作 たとえば iI. BiennenやW. Tordoff Is̲どーーや,海外(開こ東アフリカおよ び英米系)雑誌一一一たとえば EastAfrican Jour‑ nal, Journal of Commonwealth Political Stu‑ dies, lnternatiomtl Affairsなどーーに栽.−,た諸 市文が主なものである。邦人,1)1,のとして(J「γ ルーシャ宜主?」の翻訳が外務省および浦野起央氏 によってなされてし、るだけであ石。
なお, 資
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の詳細につU、ては,脚註を参照され たU。、C i +
1 ) Kenya Government Printer, African So‑ cialism and itに4 ψ
,Plicationto }'lanning in Kmya (Nairobi, I付G5)(iJ: 2) ,̲ J・‑1ゼ −c,−;,叶・t均してはJ.Craham Smith et al., 'The Economics of Kenyanization ,
J,;ast Africa Journal (March 1968)参照。
(i主3〕 A¥fi‑ica Research I!u!frtin. Vol. 7, No. 4 (May 1970), p. lli76.
Ci主4) Afi門caRe.皮 切rchBulletin, p. 1676. (i} 5) 「アフリカ社会主謎」に|期する参考文献日 似としては, W.日目 Friedlandand Carl G. Rosberg, Jr. (edsふilji・ican Socialislll (Stanford University lress, 19G4) ,りさ末にある文、l断ii;録およびil•H•JI、危
「アフリカ社会主義」(『アジア経済資料月機』, 1967年 9 Jl)を参照。
Ci註6) C. F. Andrain, Democracy and Social‑ ism: Ideologi目 。fAfrican Lead自民, inldeology and Discontenムed.lヴD.E. Apter (Free Press of (;Jen‑ coe, Illinois, 1964). (小田英郎訳「民主主義と社会主 i浅一一アフリカ指導者たちのイデオロギ一一一」〈慶応
大学地域研究クJループ訳
f
1 ';'オロギーと現代政治ふ 愛応通信ti,昭和43年〉所ii¥'.)u(il: 7) C. F. Andrain, p. 172.小田訳,184ベー:/。
(注8) C. F. Andrain, p. 172,小田訳,185ページ。
C i
主9) C. F. Andrain, p.172.小田訳,185ベーシ。(注目) C. F. Andrain, p. 172.小田訳,185〆1 ン。
(注11) C. F. Andrain, p. 172.小田訳,185ぺ−−>o
(注12) C. F. Andrain, p. 172.小田訳,185ベージ。
Ci主13) C. F. Andrain, p. 172.小田訳,185ページ。
(泊三14〕C. F. Andrain, PP‑173〜177.小田訳,186
〜191ベーンυ
Ci担15) C.ド Andrain,pp. 177〜181‑,j、Ill沢, 191 43
Ⅱ タンザニアの「社会主義」化に関するニエレレ大統領の二つの演説とその骨子
1971030046.TIF
〜19日
l!U) C. F. Anclrain, pp. 181〜l;再i
f
、11:<Ii, 195〜19K /
(;"17) J、li:・:;「f ‑, 'ハ:
t; , ;
l,. . ,・ll')f̲J ( 長:. i /子「j : i ,〜fI,,f、1けL40, N札口、 1%7;パ,:1り(!卜lK) ·•·I ,.・J'f. I )( r 、;i . iτI Hi I, :!7 C lり1 [,I ri討(、ox, Socia[i汚t [deιas in Africけ い
.¥lllr.ri.rnz TodaγrFeh. 1%41, 1〕4:l
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ケンヂ二 Yv〕「 1士~_';1 主 」 J
{じに!叫 す る こJ二しレ大統[J J i
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・jタンザニアの政治的独立および J.K・ニ エレレについて
Tー い t ・' 清子jl任li,:
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終的に|γ つ I) IJ j)サ ;
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/ コ 1)戸7‑7. '、 ;, n二子う・二二仁しL :.fuliu、[\川口一 l川r刊ef¥yererel川、 l'.l'.::'.:'. {子:1月、ヴ fケ ト リ ア
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胡(/')東岸ブ、ソ手ャマ( Butiam不でとE
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:に 父;土 トド寸キ族(1anaki;ゾ)首長ニエレレ・・/ i)卜tNyerere Burito,であJJたL 行設の11:j,ムリ−−,, c¥fo州口1H)わ 小学校に入学したが. 二のi時期にnーγン・旬、/1 1
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先干しをF壬:十てL、る。 /) s'、で、 な,['; r
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み,191:l>fには,、'i i:寺東ァー リサJで;土曜ーの大学でふ.,たのガン与の44
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虫ーセを与える に.'.(.Jしζ抗議したことかム イ下リス植民地 山i{fI::不和に/( . 't..こ。 1957iF, 二工レレはーゥ:法審 ぷ主{勺ff:{,f; =;l与はとな)イこが, l'ANUの機関紙が,li/i i亡j也主配合jjιI'llL たため •I カ Jl で時!fl\仁させられた。t!
1%H〜:'ill年it・1、ANllの{上事に存念L, TANU
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凡i口以降,外交,市事十qr:̲を下よく内E交J−.のt'llfiil士府となること,(2)二 工レレは首相となり, 行政議議会は内閣,立
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17〆ヤマー演説について, 以上の桜約によって ニエレレの考える「アフリカ社会主雑
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,特に,そ の志向するアフリカの「伝統的社会J
とは何かが 明らかになったと思う。すなわち, ニエレレによ れば, |伝統的社会jとじ, 11)無既存級、(2)平等分 配 13)f{正と歓待の存在十る't i
~·'.;~-::: k, ')' その基/,!'/!,土拡大家族である。
( i )'力の[伝統的社会|にけするこのような ユエレレの認識のうち,特に,階級の存在に関し て, マケレレ大学の
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・モヒッヂィーンによって 疑問が出された(,113)。すなわh
,二ごtレレは植民 地化以前のアフリカの「伝統的社会i
全無階級と L勺/ぅ;真実であろうか? Eヒ、ノアイーンによれ ばl f
千社会はそれぞれ国有の社会経涜的、歴史的l守一九
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(I)/)子物であって, おのおじ叶号j f f ( ! > t ¥ f
言経済体 制をもってし、る。ある社会は平等な社会であるこ ともあるが, たいていの社会は地位やヒヱラルキ ーとし、う要素をもった集産的(collectivi引)性格を 有して U、たj(11 14)と言い,ヨー口ッパ的意味で、の「階級」は,アフリカの r伝 統 的 社 会 に は な か
}だが、 A・マズルイ教授か指椀したことく,「階 級とし寸
3
葉がないということは. そのもの自体 (th巴 thingitself)がないというよ二とを必ずしも意味 しない」 c;nぬという言葉に同意して,アフリカの「伝統的社会」にも諸階級が存在した(therewere ,・lasses)と反論する。そして,ニエレレの認識は,
ふく七で「理想への情緒応jノヘ【JFレ〆•' (an emo‑
L1una I 110,talgia for an ideal i〆IJfi.,とか ,(,二二工レ
" 7J刊階級性を主張する(J)は lf ・; 1) /Jの優越性 を み 示 す る 一 つ の 方 法
J, ,
l7Jでめ.,て,それは「過去へのノスタ/レジアであると同時に, 未来へ の新しい積極的姿勢
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Ci: 18)を示してし、るのだと解46
釈すらひ
口、トJ アYリカの「伝統的社会jに お け る [ 暗 級」の符在を主張するモヒッディーン円出摘は,
それおりに説得的ではあるが,やはり箪婆なこと は「階級
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の本質は「社会の生産体制における人 人の生産手段に対する所有関係を過して,生産上 占めらそれぞれの地位、の相違jであり, この本質 をt t
:"'二したf
也位やヒヱラ/レキ一で句i
11皆級jを規 定し/ごの級I Ul
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人民【iこ1 . 1 ;
づL、て アフリカのi
伝統的世会J
における階級の存在の有無に閣しては, 従来の議 論の到達点は, やはり大多数は階級の存在を否定 し,ごく一部のものが,階級の蔚芽的形成を認め,
かっ民核運動一一たとえばガーナの
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じなどーーーの指導者たんが,政策 べ,
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島田谷山);\;慨に階級分析を置いてL、るにすぎない{!日}
さらに, モヒッディーンの後半の指摘, 「理想 への情緒的ノスタルジア」に関しては, わたくし は「過去へのノスタルジア」であるよりも, むし ろ, タンザニアにおける資本主義の発遣にともな 弓階級の発生全警戒する意図をも,f亡、無階級性 を強く!:張Lたのではないかと考える。
以!こ, ウシャマー演説に関する紹介と検討をし てきたが, 最終的tこ言えることは,二の時期のニ ヱレレの構想、した「アフリカ社会主義は, あくま で 精 神 的 な も の で あ り , い わ ば エ ー ト ス で あ っ たと思う。このことを G•K ・ヘライナー (1120)や 下・ハーケ: 21: 1ま「哲学(philos
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phyリどし、う言1 t l : ' .
でと九えてレる。??言論.Ujamao に倒する F•G• パークの言語査報告{主22)
二【レレによるウジャマー演説のあと,アメリカの政 治学者で,当時.東アフリカ社会科学研究所に所属してい たF・G・パークによって,このUjamaaという言葉が,ア フリカ人諸階層にどのように理解されたかについての面
出品奇が行なわれ,その奴?告が, 1%4(:'ιTanganyika:
The Search ofじJama,いとして公ぶされた》
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, 筒liょにその内ずF
を紹介L
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(ナとり方(土,その志月まのあい
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区i士i
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主とL、うsi
紫を{吏うとL、うlI : :
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の大統領選挙に際しごは, Uhu,u Cl'i :ti¥ l:huru n江Eaχiず(1:1IDと労{必'J)'l一:huru na l lmoj,ιt、!'1け]と斜L) l llrnru na Jarnh〔1ri ( l:l 111とjたF:口icl) な ど[!)スCl }'、シ力;l'i!j♂) ;lL, l :Im r u flil llj口:naaiti•t1,t し た か ,/:ごU寸 ~Ii, JliJ /正議i.‑l:t, l ;jarnaa U、う:;
業をl白;岐に;土佐わないが,タンガニ−!;ff:会の然防級制,
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ム防;の必要を説くt 士七|ご級 i;・iJ.:;土 Tljam:川合 iI了川herhood句、土 L、,:,1 I(~ーで炎I見し、 子 ア I 二・カ l• ’>'!!)''/:' tit Ujamaa 全性会L誌 な い しiZf,/( 10也!:誌と与えて,,、,:,,主f,こ 30:f,の'l'''/:ifcに 質1/Uしととて7, ぞ(/ Jうん(!)2れ だ け がUjamaaj:、いうι?紫をXII
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おい、 l人;士す::/j¥n義 務 . す な わt)li;h/ri]してt/ltr,革や 収機を行な i とか’? •:1}を勺〈るこ Efゴど7干え もう i人 : t, 土士会日誌である二容えたが,かれの考えているt1:企u
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義 理 論 を 長11'てし、るものには,‑y 7 1)勺,\';命j主11\::の快!丘ないし
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完全店l!Jょす るとlI ,,l . ,そしてノ〈 ケ!'I身(土つきのように結論してレる。
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(Jj川nailは 現 代 の ア7リカの政治理論のeぬから発し たとい,:よ;)もむしろ!iii民 地 化 の 経 験 か ら 発 し た 精 神 山
あり方の産物であるc だ が , そ れ に も か か わ ら ず , そ れ は急激に発!廷しようとする人与の複雑な肉体的,心理的 安求から起こる;;十i由jや 政 策 に 対 し て , わ か り や す く , 神 力 的 で , 格 識 の あ る 工 ー ト ス と し て あ ら わ れ る
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事{l:,{;t{印 , 結 社 の 自 由 , (5) 生 命 , 財 産 の 保 護,(6) 労 働 へ の 正 当 な 報 酬 , (7)資源の共有,(81:J,¥; 本 的 生 産 手 段 の 画 家 管 理 , (9) 国 民 の 福 祉 , 搾 取 ・ 階 級 の 発 生 の 防 禦 , の た め に 経 済 活 動 へ の 国 家 の 介 入 の9原 則 を か か け 、 , こ の 原 則 に 基 づL、てT A N Uのfl的 と し て , (1) 同 の 独 立 と 人 民 のfllfl, 12) 何人ぴ)時!滋R
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(1)無階級,(2)無 搾取,労働に応じた収入の得られる社会と規定し,現在日)夕: +'ニア i立, :農民三労働者のIU家守わ るが,まだ社会主義国家ではない」し,27〕という組 織に立つ。そして社会主義国援を建設するために
;ま, 日本的 七産子段を政府および協同組「?を訴し て農民や労働者の管理下に問かれるべきととをや 張し,基本的生産手段として,土地,森林,鉱物 資源,水,ィ
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油,;電力司通{ii,輸送F
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呆険,輸出入貿比卸花、鉄鋼工問、工f ' r '
機 械i・. 場,武器生産工場, 自動車工場,セメント工場,HE料[;場, 繊維工湯,ープラLテーンヨンを:あif、て おり そc,') :‑, ち(川、くJtかは.すと;こ政府の管f[jl
下lこ置かれてL、ると述べている。 さらに政府は民 主主主誌のす悩き瓜上って,込民と労働者み、ら巡ば れること,
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主会1
義以イ←,"‑.j・ロドーでんって,TANU党員は社会主義のイデオロギーをもつもの でなければなら低いとする。
第
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l部it
以l
:νコ広(HI]のL r :立べ,
7ン,if'アの「社会主義」化の道の独自性を述べた宣言の 核心ともいうべき部分である。すなわち,独立後 現在士でタンザ、ニアの政r{.fや TANlJの指導者は 経済問発の
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器として資金に力点を置き過ぎてき た。つまり「資金は開発の基礎であり,資余なしで は開花は不1 1 J
能fニ」(;i"'''と。 Lたか pて、 一般111l e i ! ;
もllfl発が唾まtc'・、原因:土,政府が k:HItd月1えてU、るためだと苦情を言う。しかし,真実l立政府に 財源がなU、どU、うことであるJ もL'\,政府 iこより 多くの支出
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要求するならば守それは事実ヒ増税を要求することにほかならなし、。増税以外に財源、
を求めるとするよ仁らば外国援助(!陪り,併殺,民間 投資〕に頼るほかはない。しかし,第
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に外国援助 に開発のための財攻のすべてを依存することは不 可能fょことであわ,第2;こ「たとえ外国からわれわ れが必要とするものに対し,十分な資金が得られ たと Lてれ, それはわれわれが本えに望んでL、る ものであんうから独立とは独立独行(SelfReli山l山) を;意味する。 もしもー悶家がその開発のために他 からの贈与ペラ借款に依仔するならば, 独立i土真(!) も<))ひはふりえなL、j I 2)' ‑)まり,贈ヨ lj,{re款 にふくまれる「ひもっき」の危険性を指摘し,か つ民間投資による利潤の本悶送還の問題を論じ,結論土して[われわれは外国政府や企業t二 われ われの自由を大艇に与えることなしに, 開発を委 すことができるf:ごろうか?」(けむとする。
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こ,第16
;経済開発5
/J年計11fiiにまれ、て,資 金;こr f
(,,与を置いたため, もう一つの重大なあやま り ーω工業化中心一ーを犯したことを指摘する。つまり, リ〉れわれが犯してレる間違いは,開発 はT.主化にはじまると考えることであ芯
(工業化に〉必要な援助が得られたとしても,それ に依{j:することは,社会主義に基っくわれわれの 政策合妨害することに仕る
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('i 31)とp また工業化 に逗点を置ャたため, 開発は都市に集中され,都 市の ll~ 発 L:.{,史われた借款の返済を農民の封力に依 仔し、 「者戸市と農村にf t
む人々の間に搾i
伐の可能 性が生じてきたという。J
(il32)それでは経済開発の重点をどこに位くのか。そ れは,
1 1 i u m : : . 1 2
)十J
也、(3
)長ff士,(4
)すぐれた指導 性を前提として, 設業に開発の基盤を置くべきで あるとする。そして,開発のためのニつの条件とし て,(Ii勤労(hard working)と,(2)知性(intelligence) を指摘する。つまり「開発の基構は,国民であり,重労働(特に農業における〉である。これこそが