大雀命一仁徳天皇一物語論吐 −『古事記』の構造に関連して!
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(2) 早稲田商学第309号. お偉みこと. だをとあ. かみ. 一﹂と. 雷の如. こ. 埼も. 相枕枕く. あひまくらま. うるは. 聞えしかども. み. 5^﹂. 本つるぎ末ふゆ. もと. う. た. 冬木如す からが下樹の. の. きま. さやさや. とよのあ加o. 告りたまひげらく︑﹁是の日向より喚上げたまひし髪長比責は︑天皇の大御所に請ひ白して︑吾に賜はしめよ︒﹂と. 土 く. 吐. みたも. た ち. 侃かせる大刀. したき. のりたまひき︒爾に建内宿彌大臣︑大命を講へぱ︑天皇即ち髪長些買を其の御子に賜ひき︒賜ひL状は︑天皇豊 明 と 聞し看しし目に︑髪長比責に大御酒の柏を握らしめて︑其の太子に賜ひき︒爾に御歌日みしたまひLく︑︵中略︶. 巳. た. は. は. ムゆき. とうたひたまひき︒如此歌ひて賜ひき︒赦︑共の嬢子を賜はりて後︑太子歌日ひたまひしく︑ LO. う. 道の後︑故波陀嬢子を. ね. とうたひたまひき︒叉歌目ひたまひしく︑. くずども. 大雀. み1﹂と. す盈. 遣の後古波陀嬢子は 争はず寝しくをしぞも愛Lみ思ふ よLの. とうたひたまひき︒. 大雀. お僅さざき. 日の御子. 叉吉野の国主響︑大雀命の侃かせる御刀を躍て歌目ひげらく︑. 品陀の. 借むた. かむあが. とうたひき︒︵中略︶. たが. なほ. おも. おとみ. こ. こ−﹂ろ. ひそ. つはもの. ま. 故︑天皇崩りましし後︑大雀命は天皇の命に従ひて︑天の下を宇遅能和紀郎子に譲りたまひき︒是に大山命は天. うはもの. つかひ. り. 皇の命に違ひて︑猶天の下を獲むと欲ひて︑其の弟皇子を殺さむ情有りて︑籍かに兵を設けて攻めむとしき︒爾. ︷−培ほにへ. い註. に大雀命︑其の兄の兵を傭ふることを聞かして︑即ち使考を遣はして︑宇遅能和紀郎子に告げしめたまひき︒ ︵中略︶. あ. あまた. 加く. 一二時に. ひとときムた占き. 是に大雀命と宇遅能和紀郎子と二柱︑各天の下を譲りたまひし間に︑海人大費を貢りき︒爾に兄は辞びて弟に貢ら いな. しめ︑弟は辞びて兄に貢らしめて︑相譲りたまひし間に︑既に多の日を経き︒如此相譲りたまふこと︑ 非ざりき︒︵中略︶. 96?.
(3) 大雀命(仁徳天皇)物語論ω. はじめにー前提として−. 然るに字遅能和紀郎子は早く崩りましき︒故︑ 大雀命︑天の下治らしめしき︒. 一 おくり吐. ︵﹃古事記﹄中巻より︶. 即位して後世に仁徳天皇と議された大雀命︵以下オホサザキと略記︶は︑三巻で構成される﹃古事記﹄下巻の 冒頭に位置づげられている︒. 中巻と下巻とが︑それぞれ中つ代と下つ代として異なった時代的位相性を及びて配置されていることはその位相. 性をどう見るかはさておき︑衆目の一致するところである︒そうした上・中巻とは異なった時代認識を負った下巻. の第一番の天皇とされる仁徳が︑同様に中巻冒頭に位置づけられる人皇第一代王統の始祖神武に充分に比肩し得る 重要性を負わされていることは︑これまた容易に想像することができる︒. 仁徳が下巻冒頭に律令の近代へ直結する下つ代の始まりの帝として位置づけられるに至った原因は如何なるとこ. ろに存したのだろうか︒応神を始祖とし︑仁徳を開祖として︑以下履中・反正・允恭・安康・雄略と続く王朝が︑. 記紀の伝承成立期及び成書期の宮廷を通じて︑今日の隆盛の基となる王統の権威を確立したものという︑神話では. なく歴史として認識L得る距離の最先端に存在Lたからであろう︒﹃宋書倭国伝﹄の倭の五王は︑この王たちに比. 定されている︒その五王の第一に記された讃が仁徳かまたは次の履中であるかについては︑現在においてもそれぞ. れ説の分かれるところであるが︑いずれにしろ仁徳が対外的にも名の知れるほどの権威と権力を獲得した王朝の祖 と認識されていたことは確かであろう︒. つ童り︑仁徳は︑七世紀から八佐紀にかげての宮廷人たちが・自分たちの今に直結する過去としてその存在の事 実を感覚的に確信し得る歴史の範囲の最先端の王と認識されていたのである︒. 96色.
(4) 4 早稲囲商学第309号. その−﹂とは︑また﹃古事記﹄をどこで終結させているかということに見られる時代認識においても確かめ得る︒. 知れきったことだが︑記は下巻の末尾を第三十三代捷古女帝としている︒それは︑次の第三十四代箭明を皇統譜の. 上で︑律令的近代の王たちの祖と認めた故の措置であった︒穫古で古き代は終わり︑箭明でもって近き代は始まる. のである︒﹃万葉集﹄がその冒頭に倭の五王の時代の雄略の歌を置き︑その次にいきなり箭明の歌を置いているの も︑これと企を一にしている︸﹂と︑すでに指摘されている通りである︒⁝一. 仁徳の父応神を中巻末尾に︑仁徳を中巻とは劃然と分かれた下巻冒頭に位置づけたのは︑それに類した認識故で あろう︒. では︑そうして位置づげられた応神にしろ︑当面の対象である仁徳にしろ︑いったいその位置づげにふさわしく. 如何に形象化されているのか︒また︑その形象の在り様は︑記全体の構成上どのような意味を担っているのか︒. 今︑﹃古事記﹄を︑王権の宗教的呪術的超越性を全ての空問と時間に浸透させるために︑まず一箇所として同じ. もののないミクロからマクロの空問を同心円的同一の構造原理によって単一の聖なる祭儀的空間に整合聖化し︑次. に繰り返しの不可能な現世の時間を永遠に始原に回帰し再生する聖たる祭儀的時閻に組み換える︑換言すれぱ無歴. 史化するという秘蹟を開示することで︑王権の超越的霊威とその現世におげる君臨の正統性を語る警であると考え. る︒王権はそのような力によって︑現世のあらゆるケの空間と︑現世の繰り返す−﹂との狂いケの歴史的時間に歴代. 天皇をもって君臨する−﹂とが可能なのである︒そこに空間の継承という歴史が成立する︒. ︑. ︑. ︑. ︑. ﹃古事記﹄はその秘蹟をどのような技法によって表現し得ているのか︒多くの神話伝承相互の聞における藷型そ. ︑. ︑. の他の穣成要素の類似︵同一ともいえる︶こそ︑空問を整合聖化し︑時間を甦らせる霊威を示す記号であり︑類似. からばずれる相違こそ現世の変幻流動するケの時空における君臨を示す記号であろう︒働. 965.
(5) 夫雀命(仁徳天皇)物謡論ω. 始祖応神も開祖仁徳も︑さらには中・下巻の折り目も︑右のような記全体を貫く構造原理によって成り立ってい. るはずである︒今こうLた見通しをもって︑中巻末尾の応神天皇の伝承中に犬きな都分を占めて登場する皇子オホ. サザキの伝承と下巻冒頭に置かれた天皇オホサザキの伝承を一括して﹁大雀命物語﹂︵以下オホサザキ物語︶とし. て取り扱ってみたい︒そのアウトラインについて︑既に発表したところであるが︑倒今回はそれを細部において確. 認するということにたるであろう︒その結果が既述のものと大略異同ないものであることは︑充分予想されること. をあらかじめお断りLておく︒次お︑本稿では︑紙幅の都合上︑応神記の皇子オホサザキに関する伝承に対象を限. 三皇子の名とその分掌. 定して︑﹁夫雀命︵仁徳天皇︶物謡論﹂ωとする︒. 二. なかうひめ. みキ由しやが直え. ひ. 応神記には冒頭の后妃皇子女の系譜部分にひき続き︑﹁三皇子分掌﹂とも称すべき伝承が記されている︒応神が︑. め. う苗のわきいらっこ. 十一人の男子のうち︑高木之入圓売所生の大山守︵以下オホヤマモリ︶︑中日売所生のオホサザキ︑宮主矢河枝比. 売所生の字遅能和紀郎子︵以下ワキイラツコ︶の三人を選び︑それぞれに王権の天下支配の任務を分担させるとい う話である︒. この話が応神記の伝承の初めに置かれているのは︑応神の事蹟を語るに当ってまず最初に天下の仕置きを如何に 処置Lたかを述べるべきであった故であろう︒. ﹃書紀﹄では︑この話は応神四十年正月のこととLている︒また︑二皇子分掌という型をとる崇神紀の同様の藷. も︑崇神四十八年正月の︸﹂ととなっている︒編年体を採る書紀故に年月の経遇に不自然でば次いように︑たとえぱ︑. 皇子たちの年齢が父天皇の﹁ことよさし﹂にふさわしいものであることなど︑そうした年に配置された原因と考え. 964.
(6) 早稲田膚=学第309号. られる︒しかし︑紀の二つの話の期目が両者とも正月であることは︑誘の意味がどう理解されていたかを示してい. るといえよう︒すたわち︑年の初めこそまず天下の仕置きを新たに定めるべきときなのであった︒ け那. ﹁三皇子分掌﹂伝承に対応すると考えられる︵後述︶﹁三貴子分治﹂榑話は︑記紀いずれにおいても︑焚神イザ. ナキの責泉の国よりの帰還︑稼れの藤ぎによる三貴子︵アマテラス・ツクヨミ・スサノヲ︶の誕生に直接してイザ. をすく担 ナキの﹁ことよさし﹂によって三貴子の宇宙三元︵高天原・夜の食国・海原︶の統治が決められるという順序にな. っている︒統治空間の分担を決定することは︑同時にその空問の神の存在によって王権の空問として実在化するこ とであって︑最重要︑したがって最優先させるべきまつりごとであろう︒. このように︑統治の分担を決定することの意義が考えられるならぱ︑応神の事蹟の初めに三皇子分掌が語られる ことも首肯されるであろう︒. に オホサザキを はす 食く国 の政︒凶ワキイラツコは. オホヤマモリ.オホサザキ.ワキイラツコの三人が分掌の当事者に選ぱれたのは︑その名とそれぞれの分担領域 つoごと とが連想的に関っていたからであろう︒オホヤマま壬 リは︑山海の政︒. 天津日継︵皇位︶と宣告される︒. ヤマモリの名は︑応神の代に定められたとする山部・山守部を直ちに連想させる︒山守部の職掌は山林の管理を. もっての奉仕であろうから︑オホヤマモリが山海の政を分担するというのは納得できる︒海まで付託されているの. は︑海も山と同様に︑穀物を生産する農耕地である平野︵現世︶のイメ!ジと結びついている﹁錯離﹂を別にした あまぺ. 地上の領域︑すたわち他界の観念を負う空問であった故と考えられる︒三という分担項目の数を立てれぱ︑海と山 肚ら. は一括せざるを得ない︒また︑海部も応神の代の定立とされているのであれぱ︑当然すぎる連動である︒. 海がそこへ祓われる罪稜によって他界の観念を負わさ九ていることは︑スサノヲ神話によって充分明らかであ. %3.
(7) 犬雀命(仁徳天裏)物語論ω. る︒㈲そして︑他界に君臨する神スサノヲが海底の国である根の堅洲国に放逐されるように︑他界の名を負う人も も ついには現世から抹殺されるのが︑記中・下巻を通じての定石である︒名は霊であってみれぱ当然ともいえる︒ つ オホヤマモリもスサノヲのように︑父のことよさLに背き︑ワキイラツコを滅して︑皇位に即こうとして︑かえ. ってワキイラツコの手にかかる︒オホヤマモリはそのように名の由来によって運命づげられている︒. オホサザキの名には︑前者のように明瞭な物語的由来を読みとることができない︒紀では︑オホサザキに﹁大鶴. 鵜﹂の字を宛てている︒それがみそさざいという小禽であることは通説であるが︑そうであれぱ︑人家の周辺や藪. などを生活圏とした︑とくに地上すれすれに低く飛ぶその鳥をケの空問︵現世︶のものと観じ︑その名を負った皇. 子を食国の政︵現世支配の執行︶に結びつげるのは容易である︒﹃倭名抄﹄には︑﹁鶴鵜隻伎小鳥也︑生二於薬薬之. 間一長二於藩饒之下ことある︒いずれに﹂ろ人の身近に生を営む親しむべき小禽であるのは︑閻違いない︒. オホサザキをこのように位置づげておくことが︑巻が改まって彼がワキイラツコに代わって天津日継を承けて即. 位することの布石となっていることは︑いうまでもない︒ワキイラツコから皇位を譲られることによって︑彼が有. 徳の君︑聖帝である由縁を説こうとするのである︒その他︑三資子分治神話との対応もあろうが︑これは後章で述 べる︒. 前二老と比べると︑ワイキラツコは名そのものも抽象性が強い︒﹁郎子﹂なる用字そのものに︑皇位継承上何ら. かの意味があったとは考えられないし︑ひいては﹁イラツコ﹂にも特別た身分的制約があったとも簡単に言い切れ. ま荘ご. そうもない︒ただ漢籍の用例から︑﹁郎子﹂は頭の良いお坊ちゃんを表わすともいわれる︒㈹そうすると︑特に応神. の愛予としての皇子を表わすのに用いたと考えられる︒豪族春日の和現民出自の妃の生んだ年少の皇子に皇位を継 がしめようとする父応神の私的愛着に︑その名は照応しているのである︒. 962.
(8) 早稲田商学第309号. 晶こと また︑﹁イラツコ﹂は︑命の称号より下位︑王よりも上位を表わすともいわれる︒ωそうであれぱ︑オホヤマモ. リもオホサザキも命の称号を持つが︑それは系譜上嫡妹である母の出自が王族である故と思われる︒それに比べて︑. ワキイラツコの母は臣下の出自であれぱ︑彼らより一ランク下位となるのもいわれがあろう︒下位のワキイラツコ. が上位の二人をさし置いて︑皇位継承考に指名されるところは︑前述のように父の愛着を表わしていると考えるこ. ともできよう︒﹁ワキ﹂も﹁稚・若﹂であるから︑再生の霊の力を表わすから︑ワキイラツコという名も︑三者の. 名のバランスを考慮すれぱ︑天津日継の継承考とされるには記の物語的展開に即Lて最も適当ということになろ うo. 中巻末尾において︑こうした継承の順序と統治の分担が定められるのは︑﹃古事記﹄が中巻から下巻への王権の. 歴史的変貌をどのように表現しようとしていたかと深く結びついており︑それをどうとらえるかは︑﹃古事記﹄を︑. さらには王権をどのように考えるかと密接に関わっているであろう︒次にその間題を︑上巻の﹁三貴子分治﹂神話. 三皇子分掌の構造. との対応において論じてみたい︒. 三. 初めに﹃古事記﹄上巻の﹁三貴子分治﹂神話の構造について︑その概略を述べておきたい︒この部分は︑駆に発 表Lた拙論﹁古代王権の字宙構造﹂に︑その多くを負うものである︒㈱. 父神イザナキは︑三貴子の誕生に際して︑アマテラスには高天原を︑ツクヨミには夜の食国を︑スサノヲには海. 原をと宣り分げた︒これらの神々は︑それぞれの名が表わす霊能にかなった字宙空間に君臨することとなってい. る︒アマテラスは︑太陽神たる最高神として神聖たる神々の原郷に君臨L︑スサノヲはその名が表わすように荒ら. 961.
(9) 犬雀命(仁徳天皇)物語論ω. ︑. ︑. ぶる行為によって罪稜を負う神として︑正な至局天原と対極化された負の世界海原に君臨する︒最終的には︑彼は. ︑. ︑. 根の堅洲国︵賛泉の国︶へ赴く︒. 正と負との世界の神々の中聞に配置された月神ツクヨミは︑人の代に天皇が統治すべき空間として用意されてい つ加き る食国の︑それも夜だげに君臨すべき神とされている︒この地上の月目のうつりを司どるのが月神である故に︑彼. は当然この世の統治神とされる︒人の世界故に天皇が君臨すべき神聖なる地食国︑つまりケなる現世は正と負との. 二つの他界にはさまれた宇宙軸の中央にある﹁中つ国﹂でもある︒その空間の位置づけも三神中のツクヨミの位置. づけと対応されている︒そして︑ツクヨミがその現世の夜だけに隈定されたのはなぜか︒. とこ. よ. 日の神アマテラスの君臨する高天原は常に光り満ちた昼の世界であり︑海原から移動してスサノヲが君臨した根. の堅洲国は常夜の暗黒界であったのに対して︑この二つの他界にはさまれた﹁うつしよ﹂としてのこの世は昼と夜. ︑. ︑. という両義的時間帯を保有する世界なのである︒倒しかるが故に︑現世は明暗・善悪などの二元的世界となる︒た ︑ しかに月はその夜を照らすから﹁夜の食国﹂と連想されたであろうが︑夜と隈定された理由は︑昼の食国が対立的. に存在するからである︒現世の昼こそアマテラスの直系﹁日の御子﹂である天皇︑アマテラスの霊威の人としての. 継承者が君臨すべき時空だからである︒そのために神の代といえども昼の食国は空白なのである︒なぜならぱ︑神. 々の代は︑人の代に対して通時的に遇去として存在するのではなく︑永遠に共時的に存在するからである︒. このように︑ツクヨミが三貴子の中央に︑食国に君臨する神として位置づげられていることが︑次の中巻になっ. て︑神武が神々の宇宙の三元淵源をもつ霊威を一身に収敷した︵高天原の正佳・海原の負性・中つ国の国魂の霊威 と一体化︶第一代天皇として登場する︸﹂との与件となっている︒. 応神記の三皇子分掌は︑前述のように第一番にオホヤマモリが山海の政︑第二にオホサザキが食国の政︑最後に. 960.
(10) 10. 早稲固商掌第309号. ワキイラツコが天津日継となっている︒この順序は長幼によるものであろう︒全宇宙を対象とする神代の三貴子分. 治と異なって︑こちらは宇宙の一部であるこの地上という天皇の君臨する平面的領域に隈っている︒スサノヲの海. 原・根の国に対応するのが︑日常のケの空間を意味する平野に対置される他界としての山海であり︑ツクヨ︑ミの食. 国に対応するのが︑食国の政となる︒ツクヨミが目の神の霊威の及ぶ昼を侵さなかったように︑オホサザキも︑地. 上におげるアマテラスの霊威の継承というハレの宗教性からはずされて︑現世の執政を分掌される︒中間に配置さ. れた考が中聞の空間にその正統から除外された権能を分掌するよう位置づげられるわげである︒. そLて︑アマテラスの正統の地上におげる継承者としてワイキラツコが指名される︒これは︑神代とは異なって︑. と. まを. ひつぎのみこ. たすけ. くにのヒと. 人代のことであるから︑天津目継が空白であることができないからである︒しかL︑現世における天津日継という. 祭事の権能は︑﹁食国の政を執りて白したまへ﹂︵記︶﹁太 子の輔として︑国事を知らしめたまふ﹂︵紀︶という ︑ ように︑ケの次元の政事の輔が必要なのである︒祭祀は政治として実現されることでその霊能が証明されるもので. ある︒祭祀は政治への一体化の指向をもつものである︒政治がなけれぱ祭祀者の霊威は保持できない︒︸﹂こに︑政. 治を執る奏のケにおける優位性が生じる︒こうして︑天津日継の継承者たるワキイラツコより食国の執政者たるオ. ホサザキの優位が位置づげられる︒したがって︑この三皇子分掌伝承の穣図は︑三貴子分治神話の照射によって意. 味づけられ︑下巻冒頭においてオホサザキが︑オホヤマモリを滅ぽしたワキイラツコに代わって天津日継を承ける. という展開への空間的必然性を準備しているとみるべきであろう︒右の筋書は︑オホサザキがオホヤマモリの山海. の政・ワキイラツコの天津日継・おのれの食国の政という三つの政治的権能︵ケ︶と祭祀的霊能︵ハレ︶を一身に. 具現したことを意味している︒実は︑そこに︑近き代におげる神11人としての天皇の新Lき在り様が開示されてい ると考えられる︒. 959.
(11) たす. 律令時代の天皇は︑政事をも執行する︒持統前紀に記されているところだが︑天武期において皇后持統が﹁註︑ 圭つoピと. た加みくら. 政事に及びて︵天武天皇を︶砒け輔ふ所多し﹂とあるのでも知られるように︑天皇が政事を執るものであった︒奈. 良朝の宣命でも︑﹁天つ目嗣の高御座﹂にいるという宗教的呪術的祭祀霊能と﹁食国天の下の政事﹂﹁天の下の業﹂. を執るという政治的権能の二つが天皇の一身に集中していたこと︑少くともそれがたてまえとして抽象的に成立し. ていたこと︑が明らかに示されている︒そ−﹂に︑律令制︵太政官・神砥官制︶の頂点に君臨する天皇の超越的両義 性がうかがえるのである︒. 換言すれぱ︑中巻末尾応神記の三皇子分掌伝承は︑近き代における天皇の神人としての新Lき超越的両義性を説. き明かL︑その獲得の歴史的遇程を語ることでその正統性をあわせ説こうとするためのものである︒とすれぱ︑中. 道徳性の先取り. 巻末尾応神記は︑たしかに下巻冒頭へ如何につながるかを意識して︑プレ仁徳記として構造化されているというレ﹂ とがいえるだろう︒. 四. 近き代における天皇は道徳性を具現した存在であらねぱならなかった︒そのことと前章で述べたオホサザキ以降 の天皇の新しき超越的両義性の獲得とは︑深く関わったものであったはずである︒. 下巻冒頭の天皇オホサザキが︑記では唯一人聖帝と呼ぽれていることも︑そうした時代認識を示している︒下巻. を儒教的聖天子の代によって開始したとする考えは妥当である︒ωだが︑なぜそうしなけれぽならなかったのか︒. 神武が永遠に続く天皇そのものを象致する存在であれぱ︑オホサザキは近代の天皇を象徴する存在たり得る理由は ど−﹂にあったのか︒. 958. 大雀命(仁徳天皇)物語論ω. u.
(12) 12. 早稲田商学第309号. 人の姿をもった神の現世における超越性をその道徳性に求めた理由は︑新しい国家の体制にあったと考えられ お曲みた加ら. る︒律令制の下︑中央集権国家を造り上げるため︑全ての人間が古い紐帯から切り放される必要があった︒新しい. 組織の中で彼らは︑公とか官とかに直接的に支配されねぱならない臣 民となった︒そのような理念の下に︑新し ケ い時代の状況にかなった︑公・官に人を馴致させることができる新しい呪文ともいえる︑目常の次元において人を. 一. 心の内側から規制する︑統制の具としての道徳が求められたと考えられる︒その意欲の具体化が︑推古十二年四月 の十七条憲法であろう︒この憲法の随所にそれを知ることができる︒. 天皇は︑ケの次元を統制する致治的権能を保有するが故に︑その統制の規則そのものとおのれを化さねぱ次らな. く恋る︒そうでなげれぱ︑ケの次元においてケの存在として趨越性を保持することはできない︒彼はかつて︑ケの なぴ. ととo借. 次元にハレの存在としてその超越性を保持していたが︑今やそうしなけれぱケにおけるそれを維持できなくなった. のであろう︒ω十七条憲法の三には︑﹁上行ふときは下廃く︒﹂と︑また四には︑﹁上礼なきときは︑下斉らず︒﹂. とある︒もちろん︑十七条憲法は臣下へ諭達であるが︑君たるべき者も当然守るべき教えであった一﹂とは︑たとえ ぱ︑下巻末尾の兄オケの弟ヲケヘの諌言でも保証される︒㈱. 父応神は︑オオヤマモリとオホサザキを呼んで︑﹁汝等は︑兄の子と弟の子といづれか愛﹂き︒Lと問うた︒割注. は︑この間いには応神のワキイラツコに天津日継を継承させたい下心が−﹂められていたと説明Lている︒それは︑. オホサザキが如何に怜利でありかつ孝心に厚かったかを説こうというのであったろうが︑いらざる念押しであろ. う︒おそらく割注を付げた考︵今は誰かを闇わない︶が︑紀の本文に類した他の資料を記憶していたためであろう か︒. 記紀の例によれば︑このようた間いを発したときは︑必ずある種の目的のために︑間いかける相手を−﹂ちらの意. 95?.
(13) いろ世. は. さ. 硅. ぴ. め. を. 志に従わせようとする下心があってのことなのである︒中巻の一例は﹁沙本毘売物語﹂にあって︑兄が妹に︑﹁夫 砧とo. 肚やぶさおけ. さざき. と. 一. と兄といずれか愛しき︒﹂と間うている︒これは妹が﹁兄ぞ愛﹂﹂と答えるように仕向けての間いであった︒仁徳. 紀の一例は﹁雌鳥皇女物語﹂にあって︑夫隼別皇子が妻の皇女に︑﹁鶴鶴と隼といづれか捷き︒﹂と問うのであ と る︒この場合も︑妻が﹁隼は捷﹂Lと答えることを予期してのそれである︒いずれの場合も︑選ぶべきものを後に. 置いて︑間う者の意を相手に伝えようとLているのであり︑答える者もそれによって間う老の意のどこにあるかを. 確認し得る仕組みになっている︒これが二老択一を要求する際の間いの表現形式であったと考えてよいであろう︒. ムたo. ひと. さらに︑﹁沙本毘売物語﹂の場合の夫と兄も︑この場合の兄の子と弟の子とに当事老の主観以外の客観的な価値. の軽重がない︒崇神紀にも︑コ一の子︑慈愛共に斉し﹂とある︒であるから︑ますます問う者の意のあるところを. 観取する間われ者の心がまえが間題となる︒沙本毘売の場合は︑夫を軽じたわげではなかったが兄の本意を見ぬげ. ず︑答えてほLいと−﹂ろに添って﹁愛し﹂という㌧﹂とぱの包含する広い愛情の対象の中の一つとして目前にいる兄. を立てたわけで︑その不用心が彼女を破滅へ追いやることになる︒㈱. オホヤマモリは︑父の意の存するところを察知Lえず︑わが意に添って答えて父の意に反した︒それと対照され. て︑オホサザキの父の意のあるところを正確に感取する怜利さと︑理路整然たることぱで父の意志を肯定する孝心 珪 厚い人がらが表現されている︒﹁故︑大雀命は天皇の命に違ひたまふこと勿かりき︒﹂というのも︑彼の孝心のほど. いぷt. を称え強調している︒十七条憲法の一に︑﹁君父に順はず﹂とあって︑父のことぱに従順であることが美徳であっ た−﹂とは明らかである︒. いたお. しかし︑﹁兄の子は既に人と成りて︑是れ椙きこと無き実弟の子は未だ人と成らねぱ︑是れぞ愛しぎ︒﹂という. 論理は︑婦女子を労るを大丈夫の美徳とする儒教的な新Lい人情論であろう︒年少者を優先させようという感情は︑. 956. 犬雀命(仁徳天皇)物語論① 13.
(14) 皿. 人をよろこぶ歌があることは衆知の事実で︑未成年は人の数に入らなかった︒むLろ厳しい自然淘汰の生き残りが 霊的に優れた老と認められていたであろう︒. たとえそうでなくても︑そういう人債論は目常の次元に通用するものであって︑宗教的呪術的王権の後継老を決. 定するというハレの次元での与件とはなりえまい︒天津目継の後継者の決定は︑前掲崇神紀四十八年正月の条にあ. るように︑斉戎沐浴の後の夢見によって決定するというが如き︑宗教的呪術的手段によることこそ古武でもあり本 筋でもあったはずである︒. ところが︑ここではそういう皇嗣決定の法則が否定され︑一般的な人情が大き友力を発揮する︒皇嗣決定におい. てもケの次元の人問感清が優先されるという・﹂とは︑それによって決定された皇嗣が即位する時代こそ︑遣徳的人. 間感情優先のケ中心の時代であることを語るものである︒応神がそのように決したことは︑応神の代−﹂そまさに近. き代の直前であり︑近き代を招来させたものであったからである︒前述のように︑近き代においては︑天皇はその 新しき代の道徳性の体現者である必要があったからである︒. であるから︑そのようにして皇嗣に立てられたワキイラツコでありながら︑彼はケ中心の近き代では即位するこ. となく︑結局は︑近き代の論理を体現しそれを言挙げし古き代を否定したオホサザキが皇位につくのである︒これ. は︑近き代の霊を身につげているともいえる︒このように次代の遺徳性を先取りしたオホサザキが︑神武と同様に. 中巻から下巻への王権の橋渡し役また︑歴史の転換役とLて最もふさわしく形象化されているといえるのである︒. かみ世がひ. め. あらゆる点において︑応神記のオホサザキは巧妙な構造性をその形象に見せている︒. オホサザキの髪長比売︵以下カミナガヒメ︶への求婚講も︑例外ではない︒応神が日向の国の諸県の君の娘カ︑ミ. 955. 少くとも一般的ではなかったであろう︒子の誕生や成長に関する歌が﹃万葉集﹄にないこと︑それとは対照的に成. 早稲田商学第309号.
(15) ナガヒメを美人と聞いて宮へ召したとき︑オホサザキは彼女を難波の泊りでうかがい見て︵この見得たことも求婚. の動機であろう︶︑愛憐の情を抱いた︒そこで彼は建内宿弥に︑﹁天皇の大御所に請ひ白して︑吾に賜はめよ︒﹂と. ついでに︑父天皇の欲した女を求めるという天皇の権威への侵. 頼んだというのである︒この求婚譲は︑まず下巻の冒頭に立つ天皇としての一条件である日向の国の女を妻にする ことを語るぺく設定されたものであるが︵後述︶︑. 犯に類する異常な行為におげるオホサザキの礼節を弁えた態度を記すことで︑その道徳性を賞賛しているのであ. る︒この設定は︑同じ中巻景行記におげるヤマトタケルの兄オウスの同様の行為におげる正反対の態度と対照され ている︒この対照もまたオホサザキの道徳性をきわだたせている︒. 五 ウガヤフキアヘズと応神. 前述のように︑既に中巻冒頭の第一代神武天皇︵即位前はワカミケヌ︶と下巻冒頭のオホサザキとはいくつかの. 点において同様の構造性を保有していることは︑明らかである︒それらの点をいささか再検討しつつさらに両者の. 共通性を確かめてみ る ︒ つ 神武は︑上巻の神の代に天神と海神の子孫の神として生まれ︑中巻の人の代に皇位に即いた︒そのようにして︑. 神でありたがら人の姿をとって人の世に君臨する天皇の両義的霊性の獲得が語られていた︒−﹂うして︑神武ぱ上巻. 神の代と中巻人の代を結びつけ︑現世を王化の徳に浴する聖なる御代となす聖なる王となる︒オホサザキも中巻応. 神の代に天皇の子とLて生まれ︑下巻で天皇となる︒古代の霊性を近代にもたらし︑近き代を新Lき御代と再生さ せる聖帝である︒彼が近代◎王統の開祖たる由縁ぱ・そ㌧﹂に存するわげである︒. まず︑この両者の系譜上の共通性は︑それぞれの親・応神とウガヤフキアヘズの在り様から知ることができる︒. 954. 大雀命(仁徳天皇)物蕎蕃論ω 15.
(16) 珊. 早籟田商学第309号. 中巻末尾の神功皇后︵以下オキナガタラシヒメ︶・応神母子の伝承と上巻末尾のトヨタマビメ・ウガヤフキァヘズ. 母子の神話が︑いくつかの共通の話素をもつ母子神の水辺出現神話ともいうべきものであることはすでに指摘され ている︒幽. ウガヤフキアヘズの母は海神のもつ治水の霊能を皇統に一体化させる︒そのために︑彼は他界海中に胚胎し︑こ. の世の水辺へ出現する︒前述の三貴子分治神話でも知られるように︑﹁海﹂は立体的た宇宙におげる一空閻であり︑. 海神の宮は﹁海坂﹂を下った下つ国なのである︒人皇第一代神武の父︑皇統の始祖は︑そのような字宙的スケiル の他界から現世に垂直移動によって出現しなけれぱならない︒. これに比して︑応神のできごとは現世の地上的スケールによって語られなげれぱならたいので︑応神は海彼の国 あめの. ひぽヒ. 新羅という平面的他界から筑紫という現世の水辺へ水平移動によって出現する︒また︑彼の母神功皇后オキナガタ. ラシヒメはその系譜を遡れぱ︑新羅の国主の子天之日矛︵以下アメノヒボコ︶という神話的存在に至る︒という・﹂. とは︑ウガヤフキアヘズ同様に応神はその母の血筋を通じて海彼の国新羅を統治する霊能をもつ魂を継承している. ことなのである︒そのことによって応神を始祖とする新しき王統の宗教的呪術的超越性の再生と同じく海彼の国の 支配の正当性が宗教的呪術的に保証されているのである︒. 応神記の伝承の末尾に付加されているアメノヒポコの伝承とその系譜は︑それがただ表面的に応神の母オキナガ. タラシヒメにつながる由縁をもって︑応神記に置かれた蝸のではない︒右のように始祖応神以降の特に下巻におけ. る新羅を含む半島支配の由来とその正当性を説き明かす重要な鍵とLて意図されたものだ︒アメノヒボコ伝承は応. 神記に位置づけられるべきものたのである︒それは系譜の奥に秘められた王権の意志ともいえるものによる︒璽言. すれぱ︑オキナガタラシヒメの系譜の部分は︑そのためにこの伝承に付会されべく改変されたのではたいかともい. 953.
(17) えるのである︒理由はむしろ逆なので︑中巻末尾において︑半島支配の由来を説かねぱならないので︑系譜による. アマテラスと住吉三神のオキナガタラシヒメヘの神がかりによる海彼の国の教え覚Lも︑この系譜を前提とLて. 縁を求めて︑この伝承をここに位置づけたのである︒. いるし︑ひいては︑アメノヒボコの妻がヒメコソ杜のアカルヒメがあって難波に坐すとする伝えも︑住吉の縁にょ るものであろう︒. 以上の如く︑始祖は海彼の他界の整と一体化した霊とLての神的存在であり︑開祖はその霊が新Lき次元に若宮 み出や として再生Lた存在であらねぱならないのである︒氏族伝承においても︑御祖は巫女的な存在であり︑始祖はその 霊を受けた老であるという多くの例が見られる︒. 穴 ワカミケヌとオホサザキ. 始祖の塾を受けた若宮である開祖の登極によって世はよみがえり活力をとり戻すわげで︑したがって︑開祖は前 代と現代を劃すと同時に両者を繋ぐ者として機能させられ語られるのである︒. 神武天皇は︑神の代にワカミケヌとして生まれ︑人の代に皇位に即いた︒そのことで︑神でありながら人の姿を. もって人の代に君臨する天皇の趨越的両義性を獲得している︒ワカミケヌなる名も︑その両義性を象徴している︒㈹. オホサザキも︑前述のように︑中巻末尾に生まれ︑下巻冒頭において即位する︒彼のこのように位置づげることで︑ 古き代と近き代を王権の霊威をもって繋ぐのである︒. この爾者の共遼項は︑その后妃にも見出される︒ワカミケヌば即位前に︑王権の地上的版図の第一段階的規僕大. 八嶋国︵第二段階は前述の朝鮮半島を含むことにたる︶の空間において︑その周辺として位置づけられた聖なる王. 952. 犬雀命(仁徳天裏)物語論ω 17.
(18) 週 早蒲ヨIヨ≡1商学婁;309号. 権の原点日向幽のアヒラヒメ︵紀ではアヒラツヒメ︶を妃としたと伝える︒アヒラヒメは︑天孫降臨の地目向の阿 ︑. ︑. 多︑つまり隼人族の女で︑天孫ホノニニギの妻コノハナサクヤビメと同じ︑地なる女神としての豊穣の霊威を帯び. た巫女的存在である︒紀では︑コノハナサクビメの別名をカムアタカシツヒメと伝える︒この女神も南九州日向阿 ︑ ︑ 多︵紀では吾田︶の地の神であった︒コノハナサクビメは︑・﹂の地上に最初に出現した天津神の嫁として︑この神. ︑. ︑. に地の霊を捧げ︑その血脈にそれを一体化させる役割を負っている︒アヒラヒメは︑このコノハナサクヤピメの人 代版として︑最初の天皇になるべき人とLてのワカミケヌに魂振りするのである︒. い.っものくにoみやつこoかむよ−﹂と. そして︑ワカミケヌは大和に入って即位後︑大和の神オホモノヌツの娘ヒメタタライスケヨリヒメ︵以下イスケ にぎみたま. ヨリヒメ︶を后とした︒オホモノヌシは︑﹃出雲国造神賀詞﹄で知られるように︑天孫降臨以前にこの地上中つ も. の. 国を統治していた国津神の統領オホクニヌシの和魂である︒オホモノヌシの名が語る如く︑この神は地上の全ての ふ. 物体に宿る精霊の頭であり︑この地上に君臨しようとする他界から来臨したよそ者である天皇は︑この神の﹁御魂. の振ゆ﹂によらなけれぱ︑精霊どもを統括L君臨することができない︒イスケヨリヒメは︑穀霊としての天孫ホノ. そ. つ. ホ. ニニギが花咲く霊の女神コノハナサクヤビメを必要としたと同様に︑神武天皇カムヤマトイハレビコが大和に君臨 するため魂振りとして必要とした地を支配する神の娘であった︒. い畦の. ひ. め. オホサザキも︑即位以前の応神記では日向の諸県君の娘カミナガヒメを妃とし︑以後の仁徳記では蔦城の曾都毘 こ. 古の娘石之日売︵以後イハノヒメ︶を后とした︒カミナガヒメは︑コノハナサクヤビメ・アヒラヒメの系列に繋が ち る皇統の聖なる発禅の地日向の女であり︑オホサザキにその他界としての霊を魂振りする︒皇后イハノヒメヘの妻. 間い譲はないのに︑カミナガヒメヘの求婚譲は四首の歌謡を伴いかなりの分量を費しているのは︑特にこの結婚が. ブレ仁徳記の語りとして大き恋意味があったからであろう︒他の如何たる女性より︑まず聖なる同向の女との繕婚. 95−.
(19) が聖帝の求婚謹とLて語られねぱならない︒オホサザキは︑この結婚によっても︑次期天皇とLて重大な資格を得 ているわけである︒記はオホサザキが天皇になるより他ない書き方をしている︒. 四首の歌謡も︑応神即位前記の勧酒歌と謝酒歌が﹃琴歌譜﹄に記されているが如き宮廷におげる儀礼の後宴のも. のであることを思えぱ︑あるいは地方豪族の娘が貢献される際の服属儀礼的意味合いをもったそれの後宴などで. う. .つ. ひ. ニ. キまLた. 歌われたものであったかもしれない︒それが由来を求めて聖なる日向の女に付会されることにもなりえるであろ うo. イハノヒメの父葛城のソツビコは︑建内宿弥の子である︒建内宿弥は孝元天皇と紀の国造の祖字豆比古の妹山下. 鱗服勅の子である︒紀の国は︑記紀の伝承によれぱ︑垂直的にはこの地上の罪稼の源たる根の国︵それ故にスサノ ︑ ヲが君臨する︶に直緒し︑水平的には大和に隣接する他界熊野との境となる負の周辺である︒またその熊野を近畿. というミクロの空聞におげる他界としたとき︑それと対応する大八嶋というマクロの空間におけるそれとなるのが ︑ 出雲であるが︑その出雲という負の空聞に観念的に直結Lているのが紀の国であったと考えられる︒㈱. 宿弥の母系は︑その名が示すように︑紀の国の国津神の霊威を負う始祖たるヒメヒコである︒したがって︑影比. 売は国魂に鶏く巫女として天皇の妃となって宿弥を生む︒その子宿弥は︑負なる空間の霊魂を負う故に︑王権の正. 統には列することができたい者として︑構造化されているはずである︒だが︑その負たる霊威故に伸哀.応神.仁 壮那ひと 徳の三朝にわたってこれらの正統の王たちをその超常性によって扶翼する︒﹁世の長人﹂︵記歌謡71︶と呼ぽれる彼 の長寿も負の霊威による︒. オホサザキの皇后イハノヒメは㌧﹂の宿弥の霊を受げる︒その本賛として蔦城という施も︑童た負なる空聞として. 構造化されている︒葛城は︑葛城山・金剛山の山麓に位置し︑負なる出雲の大神オホクニヌシの子神アヂスキタカ. 95C. 犬雀命(仁嬢天皇)物語論ω 19.
(20) 20 早覇彗困i萄挙負姜309号. ヒコネやコトシロヌシが天皇の近き守り神とされて鎮座する︵﹃出雲国造神賀詞﹄による︶地であり︑それは王権. の正統の占位する正なる大和の中央の周辺を構成する負の空間である︒王権の空間構造についてはすでに繰り返L. 述べたと一﹂ろであるが︑㈹マクロからミクロに至るあらゆる規模の複合的空閻が王権の霊威によって宗教的呪術的. 同一の構造原理によって統合されているのである︒葛城も︑王権の中心大和における負なる周辺である︒そういう. 意味で︑イハノヒメも神武の正后イスケヨリヒメと同じ霊的構造性を引き受げている︒故に皇后なのである︒ただ. その空間的スケールが異なっているだげである︒ちなみに紀では︑イスケヨリヒメ︵紀はヒメタタライスズヒメ︶ はオホクニ・ヌシの子神葛城の鴨に坐す神コトシロヌシの子とされている︒. く ず ワカミケヌとオホサザキの共通項として︑追加できるもう一点は︑雨考とも却位前に吉野の国主︵国栖︶の奉仕 を受けていることである︒. い直おLわくの E. くザ. ワカミケヌは︑熊野から大和へ出る途次の山中で︑岩を押L分げて現われた尾ある人に出会った︒その人は︑国. 津神で石押分之子と名告って︑奉遡の意を奏上し允︒それが︑吉野の国巣の祖であると割注はいう︒︸﹂の伝承は︑. 王権の秘儀︑一代一国限りの天皇霊継承の呪的儀礼大嘗祭に吉野の国栖が参上し︑犬嘗宮の庭前において﹁古風を. 奏﹂︵﹃践酢大嘗祭式﹄︶Lた一﹂との聖なる神話的由来としての語りであることは︑すでに詳細に論じられたと−﹂ろ. である︒自oそれによれぱ︑諸氏の歌舞秦上の中で﹁最も重要なものであったら﹂い︒今その論旨を繰り返すことの. 愚は避げるが︑国栖の魂振りと臣従の誓約を受げて新天皇が誕生するということは︑物語に即Lていえぱ︑国栖の. 奉仕を受げる者が天皇になりえるという−﹂とになって︑ワカミケヌは言うに及ぱす︑オホサザキも天皇たり得る聖. 格を付与されたということになる︒国栖と関係があるのは︑記ではこの二者のみである︒. ワカミケヌとのこうした共通項は︑オホサザキが神武同様王権の歴史上犬きな役割を担った天皇とLて形象化さ. 949.
(21) 相譲伝承の論理−私の超克−. れていることを︑語っている︒. 七. 応神の死後︑オホサザキは父の命に違わず弟ワキイラツコに天津目嗣を譲った︒これは先にオホサザキの形象に. 与えられたその儒教的道徳性に添った叙述である︒ワキイラツコもオホサザキにかたくたに譲ろうとしたという︒. ところが︑兄オホヤマモリは父の命に違い︑﹁猶天の下獲むと欲ひて︑その弟皇子を殺さむ情有りて︑﹂ということ. りね. す. になる︒このオホヤマモリの形象の類型性と構造性については第三章などで前述した︒彼の全ての思惟と行動はも. ちろん第一に王権の負を負うその形象の構造性に由来するものであるが︑その導機に︑紀が﹁毎に先帝の廃てて立. てたまはざることを恨みて︑﹂と述べる心情が存したことは︑物語の展開の必然として充分想像可能なものであっ. たはずである︒彼が﹁恨み﹂を抱く原因として︑父応神の弟ワキイラツコヘの私的た寵愛があったこと︑それがケ の次元のものであったことも︑先に見た通りである︒. ととの借. 曲珪じか. 王権の継承老を選定するということは︑公的なことであって私情の介在は許さないはずである︒それは儒教倫理. によってもそうなる︒十七条憲法の十五に︑﹁人私有るときは︑必ず恨有り︒恨有るとき必ず同らず︒同らざ 牛ぷ るときは私を以て公を妨ぐ︒恨起るときは制に違ひ法を害る︒﹂とあるのは︑私清による応神の決定とオホヤマモ リのこれに対しての恨みと反逆行為を十二分に説明Lていると思われる︒. 紀の伝えるワキイラツコが兄オホサザキに皇位を譲ろうとする遣徳的論理と比較Lて︑父の遺命を楯にこれを拒. もうとするオホサザキの論理添公という観点から見て︑説得カが弱いのば否定しがたい︒. ワキイラツコは︑皇位に即く者の徳目として︑天地の如き寛容︑威厳ある容姿︑衆知の仁慈と孝養︑相応の年齢︑. 948. 大後命(仁徳天皇)物語論(上1 21.
(22) 22. 早稲固商学第309号. 兄であることたどを挙げ︑それらの点で自分は全て劣っており︑父が皇位継承者とLたのはただ愛清だけであった. と述べている︒これに対して︑オホサザキは︑先帝が明徳の人を選んだこと︑寵愛していたこと︑先帝の遺命を尊. ぱねぱたらないことを挙げている︒オホサザキの論処は︑いずれも先帝の私意を尊ぶことを前提としており︑ワキ. イラツコの説く︑継承老の人格そのものが広く承認されるべきであるという公的客観性に欠けている︒ワキイラツ のりと コの説くところが︑近き代の道徳原理に則るものであることは︑前述の十七条憲法の在り様に照らLても明らかで ある︒. 父の遺命を守るのは孝である︒しかし︑孝は私の道徳である︒私の道徳を趨えるのが公の道徳である︒記は︑下 5ら. おも. 巻を通じて︑そのような道徳性を強く主張していると考えられる︒特に下巻末尾の伝承﹁衰那命物語﹂において︑. 兄オケが天皇である弟ヲケに諌言して︑﹁父王の怨みをその霊に報いむと欲ほすは︑これ誠に理なり︒然れどもそ. か机. の大長谷天皇は︑父の怨みにはあれど︑遼りてはわがをぢにま﹂︑亦天の下治らしめLし天皇なり︒ここに今ひと そ L へに父の仇という志を取りて︑悉に天の下治らしめしし天皇の陵を破りなぱ︑後の人必ず誹議らむ︒唯父王の仇は. 報いざるべからず︒故︑少しその陵の辺を掘りつ︒既にかく恥みせつれぱ︑後の世に示すに足らむ︒Lと述べたこ. とぱには︑公私の軽重がよくうかがえる︒すなわち︑父の仇を報ずる孝は私の小乗的道徳であって︑これは否定さ. れるものではないが︑先帝の祀りを尊ぶのは公の大乗的道徳であって︑この公が私に優先されるべきものと説くの である︒それこそ︑ 律 令 制 を 支 え る 基 で あ っ た ︒ 匡 ﹄. オホサザキ物語の場合に即Lていえぱ︑オホサザキが父の私の情に発Lた遺命を順守せんとするのは︑私の道徳. に即いたものであるが︑ワキイラツコの論理は私を超えた公のものである︒したがって︑オホサザキの孝は否定さ れはしないが︑ワキイラツコの公によって超えられるべきものなのである︒. 94?.
(23) 大雀命(仁徳天皇)物謡論ω. ひじり. それは一種の政治論理であるが︑その論理性が物語を貫くものとなるとき︑父の私清によって選定された皇位継. 承者ワキイラツコは︑最終的に有徳の聖オホサザキに交代しなけれぱならない展開となるのは必定なのである︒オ. ホサザキ物語におげるワキイラツコの死とそれによるオホサザキの即位は︑右の論理の具体化に他ならない︒そし. てオホサザキは私の道徳性とそれを超える公の道徳性をも合わせて身につけることになるのである︒それによって. 現世の人の姿をとって君臨する神天皇のケの次元における超越性を示すのである︒しかし︑私に対する公の超越の 確定され発揮されることが語られるのは︑下巻となる︒. 以上︑中巻末尾応神天皇の条に配置されている皇子オホサザキの物語を中心に検討Lたが︑主人公オホサザキは︑. 中巻末尾において同じく中巻冒頭の初代天皇ワカミケヌ︵神武︶とみごとに照応することで︑その生まれ代りとし. て王権の正統が負い続げなげれぼならない宗教的呪術的霊威の継承老である聖性を獲得しつつ︑下巻において始ま. る新しき代を開くべき著としてのそれまで王権の歴史上見ることのできなかった新しき王の属性とLて道徳的超越. 注. 性を先取りした者と1一て語られているのである︒. 本稿は昭和五十八年度早稲田大学商学部鹿野研究振興基金による成果の一部である︒. 伊藤博﹁古事記における時代区分の認識﹂﹃国語と国文学﹄六六年四月︒. 付記. 都倉﹁﹃古事記﹄におけるスサノヲとヤマトタケル﹂﹃早稲田商学﹄二九〇号 八一年八月︒. 七九年一二月︒. 王権の聖なる究閻としての﹁食国﹂については︑既述したところでもあるので︑ここでは繰り返さない︒. 都倉﹁読む﹃応神記・仁徳記−﹃古事記﹄中巻から下巻への神話的溝造−﹂﹃日本文学﹄八二年三月︒. 郡倉﹁古代率権の字宙構造1﹃古事記﹄三貴子分治神話をめぐって−﹂﹃早稲田商学﹄二八一号. 五九年五月︒. 六七隼九月︒②に同じ︒. 岡田精司﹁犬化前代の服属儀礼と新嘗﹂﹃古代王権の祭祀と神話﹄ 七〇年四月︒その他︒. 神田秀夫﹃古事記の構造﹄二一八頁. 西郷信繍﹁須佐之男命−罪の化身﹂﹃古事記の世界﹄岩波新書. 946. (皇)(3)(2)(1〕 (6)(5〕.
(24) 六七年二一月︒. 八三年二一月︒. 七六年二一月︒. 八○年二一月. 七九年六月︒その他︒. 六七年一一月︒その他︒. 七三年七月︒. 八二年一〇月︒. 七三年七月︒. UP選書. 七六年一月︒. 二九二号八一年二一月︒. 945. 川副武胤﹃古事記の研究﹄九四頁. ④都倉・⑪・⑰に同じ︒. ωに同じ︒. 西郷信綱﹁犬嘗祭の構造﹂・﹁神武天皇﹂﹃古事記の研究﹄. 土橋寛﹃古代歌謡全注釈古事記編﹄二一五頁. 七二年一月︒. 都倉﹁志毘臣物語論﹂﹃早稲田商学﹄二九八号. ⑰に同じ︒. 都倉﹁古代王権の国土とその継承﹂o・o﹃早稲田商挙﹄二八六号. 西郷信綱﹁神武天皇﹂﹃古事記研究﹄. 西宮一民校注﹃新潮日本吉典集成古事記﹄一九九頁頭注. 吉井巌﹁応神天白望の周辺﹂﹃天皇の系譜と神話﹄. 都倉﹁沙本毘売物語論﹂﹃日本文学﹄七九年九月︒. ⑩に同じ 五三頁︒. 都倉﹁衰那命物語論﹂﹃早稲畷商挙﹄三〇二号. 三涌佑之﹁仁徳天皇﹂﹃講座目本の神話6古代の英嬢﹄有精堂. ω都倉に同じ︒なお﹁うつし世﹂については︑坂部恵﹃仮面の解釈学﹄一九五頁. ④都倉に同じ ︒. ⑱⑫⑯蝸⑭鱒⑫⑪⑩(9)(8)(7). ⑳⑲ ⑳. 以. 早稲田商学第309号.
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