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(1)

不 可 罰 的 事 後 行 為 の 法 的 性 格

5‑4 ‑527 (香法'86)

(2)

るも

のや

る︒しかし︑吸収関係の意義については︑学説上争いのあるところであり︑それを法条競合の他の形式としてとらえ

それはむしろ法条競合ではないと考える見解も少なくない︒そして︑不可罰的事後行為の事例において︑ ところで︑不可罰的事後行為は︑罪数論上︑

てよ

い︒

不可罰的事後行為

( s t r

a f l o

s e N 

a c h t

a t )  

とは︑前の行為の利用・処分行為として行われた後の行為が︑構成要件を

充足するにもかかわらず︑独立して可罰性をもたない場合をいう︒この典型例は︑例えば︑窃盗犯人が盗品を損壊し

たような場合である︒すなわち︑この場合︑窃盗罪の構成要件を充足する行為と︑器物損壊罪の構成要件を充足する

行為が存在するが︑後者は独立して可罰性をもたず︑窃盗罪一罪としてのみ処罰されるわけである︒

では︑この不可罰的事後行為の事例において︑前の行為が何らかの理由で処罰されえないときも︑後の行為は依然

として不可罰と考えるべきであろうか︒すなわち︑例えば︑窃盗犯人が盗品を損壊したが︑窃盗行為についてすでに

公訴時効が完成していたというとき︑器物損壊罪としても処罰しえないのであろうか︒また︑親告罪としての親族相

盗︵刑法二四四条一項後段︶の事例において告訴がなく︑犯人が盗品を損壊したとき︑器物損壊について告訴があっ

たとしても︑これは依然として不可罰と考えるべきであろうか︒この問題は︑不可罰的事後行為における︑前の行為

と後の行為との関係をどのようにとらえるか︑すなわち︑不可罰的事後行為は如何なる意味で一罪となるのかという

ことと密接に関連するものと思われる︒従って︑これは不可罰的事後行為の法的性格にかかわる基本的な問題といっ

問 題 設 定

一般には法条競合の吸収関係

( K

o n

s u

m t

i o

n )

と解されているようであ

5 ‑ 4 ‑528 (香法'86)

(3)

不可罰的事後行為の法的性格(虫明)

なお

貫しているかを考察してみたい︒ 前の行為が何らかの理由で処罰されえないとき︑後の行為は可罰的となるか否かの問題についても︑からそれぞれの結論が示されることになるのである︒

1 0

一方︑筆者は別稿において︑不可罰的事後行為は法条競合の一

(2 ) 

場合と考えるべきでなく︑包括一罪の一場合と考えるべきことを論じた︒従って︑本稿では︑不可罰的事後行為が包

括一罪の一場合であることを前提として︑上述の問題について如何なる結論をとるべきかが課題となる︒以下では︑

上述の問題についての結論が︑不可罰的事後行為の罪数論的位置付けとどのように関連するかに関して︑学説を検討

した上で︑不可罰的事後行為を包括一罪と解した場合には︑上述の問題について如何なる結論をとるのが論理的に一

この問題については︑不可罰的事後行為の先行行為が何らかの理由で処罰できなくても︑ それぞれの立場

一定の場合に事後

行為は依然として不可罰となることを認める見解と︑そのような場合は︑事後行為は改めて可罰的となるとする見解

とに分かれるが︑ここでは便宜上︑前者を不可罰説︑後者を可罰説と呼ぶこととする︒

号︵昭和五九年︶

( 1

)

拙稿.﹁法条競合と包括一罪︵三︶﹂香川法学四巻

( 2

)

拙稿・前掲論文一〇七頁︒

(3

)も

っと

も︑

我国

では

この

問題

につ

いて

論ず

るも

のは

極め

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なく

︑検

討の

対象

は︑

主と

して

ドイ

ツの

学説

であ

る︒

5 ‑4 ‑529 (香法'86)

(4)

たとしても処罰できないとされ︑

一 方 ︑

こ こ このように 我国においてこの問題に言及する数少ない学説のうち︑高田教授は︑不可罰説をとられている︒すなわち︑﹁先

行行為たる犯罪がなんらかの障害によって処罰できない場合︑

告訴がない場合でも︑事後の行為だけを取り出して処罰することはできない﹂

親族相盗︵刑法二四四条一項後段︶

不 可 罰 説

たとえば公訴時効が完成した場合や親告罪であるのに

(l ) 

とされるのである︒そして︑例えば︑

の犯人が貯品を損壊した場合に︑告訴がないときは︑器物損壊につき告訴があっ

これはその他の訴訟条件欠鋏の場合も同じであるとされている︒

いい得るのは︑ともかく﹁先行行為の存在﹂が認められる場合に限り︑その存在が証明されない場合には可罰的とな

(3 ) 

るとされる︒また︑﹁逆に︑構成要件を充足する以上︑先行行為の存在は認められるのであるから︑その他の犯罪成立

の要件が欠鋏する場合︑たとえば︑責任能力が欠けたとか緊急避難であるとかの場合も︑事後行為はやはり不可罰と

解すべきである﹂とされている︒

このように︑高田教授は︑﹁先行行為の存在﹂が認められる限り︑事後行為は不可罰であるとされるのであるが︑

れを罪数論との関連でどのように理解してよいであろうか︒この点︑高田教授は︑罪数の決定基準につき構成要件標

. . .

.  

準説をとられ︑不可罰的事後行為についても︑事後行為は当該状態犯の構成要件によって包括的に評価されているた

. . . .

. . . .

.  

めに不可罰と解されている︒従って︑ここにいう﹁先行行為の存在﹂とは︑﹁構成要件を充足する先行行為の存在﹂と

解する必要があろう︒そして︑先行行為が構成要件を充足する限り︑たとえ違法性ないし責任がなくても︑当該構成

要件によって事後行為を包括評価することができるが故に︑事後行為は不可罰であると解されているようであり︑

ニ四

5 ‑4 ‑530 (香法'86)

(5)

不可罰的事後行為の法的性格(虫明)

(6 ) 

の結論は︑構成要件標準説による当然の帰結のようにも思われる︒

しかし︑先行行為が構成要件を充足するものであっても︑違法性ないし責任がない場合は犯罪として成立しえない

(7 ) 

のであって︑このようなものを罪数判断の対象とすること自体意味のないことではなかろうか︒すなわち︑行為が構

え ず

成要件を充足し︑違法であり︑責任がある場合にはじめて罪数が問題となるのである︒従って︑先行行為が構成要件 を充足しても︑責任能力が欠け︑又は︑緊急避難であるとかの場合には︑それはそもそも可罰性判断の対象とはなり

まして罪数判断の対象ともなりえないのではないか︒この場合︑可罰性判断の対象となりうるのは事後行為の 部分のみではなかろうか︒しかも︑この事後行為については︑構成要件を充足する違法で有責なものであることが認 められている︒ここから︑高田教授が︑先行行為が構成要件を充足する限り︑違法性ないし責任がなくても︑事後行

為は不可罰とする結論に対しては︑疑問を抱かざるをえない︒

なお︑阿部教授は︑先行行為が実体法上の要件を欠くため処罰し得なかった場合につき︑不可罰的事後行為の本質 に関し一罪説に立つならば︑先行行為に存する違法阻却︑責任阻却等の効果は事後行為にも当然及ぶことになるとさ れている︒これは︑不可罰的事後行為を本来的な一罪と考えるならば︑先行行為が違法阻却・責任阻却等によって処

( 1 0 )  

罰しえないときも︑事後行為は不可罰と考えるべきであるとする趣旨と思われる︒しかし︑不可罰的事後行為は数個 の行為が存在する場合であり︑しかも︑異なる構成要件を充足する場合である︒従って︑違法阻却事由・責任阻却事 由等については︑各行為につきそれぞれ別個に検討すべきである︒すなわち︑先行行為にこれらの事由が存在すると

して

も︑

二五

それは事後行為の可罰性に何らの影響を与えるものではないと解すべきであろう︒そして︑このことは︑不 可罰的事後行為を本来的一罪と解することと矛盾しない︒つまり︑不可罰的事後行為を本来的一罪と解すなら︑先行 行為が違法阻却・責任阻却等の実体法上の要件を欠くために処罰しえないときも︑事後行為は不可罰と考えることに

5‑4 ‑531 (香法'86)

(6)

シュレーダーは︑﹁行為者が先行行為の故に実際に処罰されうるか︑又は︑処罰の障害があるかということは重要でな

い﹂とし︑例えば︑先行行為が時効によって処罰されえないときや︑先行行為に告訴が欠如するために訴追できない

(l ) 

ときも︑事後行為は不可罰であるとするのである︒そして︑その理由は︑不可罰的事後行為における先行行為と事後

(2 ) 

行為は評価の単一性

( B

e w

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t u

n g

s e

i n

h e

i t

) を

形 成 し て い る の で あ り

︑ 一 方 の 刑 罰 が 他 方 の 刑 罰 を 排 除 す る

ドイツの学説のうち︑不可罰説を代表するのは︑

この

場合

シェンケ

シュレーダーの見解である︒すなわち︑1 1 なるとされる阿部教授の指摘は疑問といわなければならない︒

( 1 )

高田卓爾・注釈刑法②の

I I

︵昭和四四年︶五七二頁︒

( 2 )

高田・前掲書五七二頁︒

( 3 )

高田・前掲書五七二頁︒

( 4 )

高田・前掲書五七三頁︒

( 5 )

高田・前掲書五六六頁︒

( 6 )

団藤博士も︑﹁前行為が実際に処罰されたことは︑事後行為の不可罰性の要件ではない﹂とされ︑不可罰説をとられているように

も思えるが︑その理由は明らかでない︒団藤重光・刑法綱要総論︹改訂版︺︵昭和五四年︶︱‑八頁注︵一七︶︒

( 7 )

阿部純二.﹁刑法学の動き﹂法律時報四七巻三号︵昭和五0年︶九六頁︑拙稿.﹁法条競合と包括一罪︵一︶﹂香川法学二巻一号︵昭

和五七年︶一〇九頁参照︒

( 8 )

高田・前掲書五七三頁参照︒

( 9 )

阿部純二.﹁不可罰的事後行為﹂判例刑法研究4︵昭和五六年︶二六九頁︒

( 1 0 )

但し︑阿部教授御自身は︑不可罰的事後行為の本質につき数罪説をとられ︑事後行為を可罰的とされる︒阿部・前掲﹁不可罰的事

後行為﹂二六九頁︒

二六

シェンケ

I I

5‑4 ‑532 (香法'86)

(7)

不可罰的事後行為の法的性格(虫明)

二七

のでなく︑先行行為が排他的評価基礎

( a u s s c h l i e B l i c h e   B e w e r t u n g s g r u n d l a g e )

をなし︑これが事後行為の独立した

刑法的判断を排除するという点に求められている︒一方︑先行行為が立証できないが故に処罰されないときや︑例え

ば責任無能力の故に行為者に先行行為の責任を負わせられないときは︑事後行為は不可罰ではない︒これらの場合に

(5 ) 

は︑排他的評価基礎としての先行行為が脱落するからである︒

もっ

とも

シェンケ

1 1 シュレーダーは︑罪数論上︑不可罰的事後行為を法条競合における補充関係

( S u b s i d i a r i t a t )

(6 ) 

ととらえており︑この問題に関する不可罰説も︑それを基礎として導かれたものと思われる︒しかし︑前述の見解は︑

不可罰的事後行為を法条競合の吸収関係

( K o n s u m t i o n )

とする一般の学説からも支持されるに至っているのである︒

すなわち︑不可罰的事後行為を法条競合の吸収関係とするイェシェックは︑﹁先行行為が実際に処罰されえないとき

︵例えば︑不可罰的未遂︑告訴の欠如︑時効の完成︶も︑事後行為は不可罰である﹂とし︑その理由を︑先行行為をと

(8 ) 

らえている刑罰構成要件が全事象の排他的評価基礎である点に求めている︒また︑ザムゾンも︑不可罰的事後行為を

( 9 )  

法条競合の吸収関係とするが︑二つの行為は評価の単一性を形成し︑先行行為のみが刑法的に評価されると考え︑﹁先

( 1 0 )  

行行為が実際に処罰されうるか否かは重要でない﹂とする︒そして︑﹁先行行為が時効の完成又は必要な告訴の欠如に

( 1 1 )  

よって訴追されえないときも︑事後行為は不可罰である﹂とするのである︒さらに︑ブライも︑同様の立場に立ち︑

( 1 2 )  

先行行為と事後行為は︑前の行為の観点でのみ評価されるべき評価の単一性を形成しているとする︒そして︑事後行

為の不可罰性は先行行為の処罰を条件とするといいながらも︑事後行為を処罰することによって先行行為に妥当する

特権規定

( P r i v i l e g i e r u n g s v o r s c h r i f t )

の目的が失われるときは︑事後行為は不可罰であるとしている︒ここから︑ブ

ライは︑先行行為が時効にかかった場合︑先行行為に告訴のない場合︑先行行為の際に一身的刑罰阻却事由が発生し

( 1 4 )  

た場合には︑時効にかかっていない︑告訴の不要な︑等々の事後行為を処罰することはできないとするのである︒な

5‑4‑533 (香法'86)

(8)

お︑これらいずれの見解においても︑先行行為が立証できないときや︑先行行為の際に責任無能力等で責任のないと

( 1 5 )

1 6 )  

きには︑事後行為は可罰的となるとされている点も︑シェンケ

1 1 シュレーダーの結論と同じである︒

以上のように︑

ドイツにおける不可罰説は︑先行行為が時効の完成とか告訴の欠如といった事情によって処罰でき

ないときは︑事後行為も不可罰とする点︑高田教授の見解と一致する︒一方︑先行行為が証明できないときのみなら

ず︑責任が認められないといった犯罪成立要件を欠如する場合には︑事後行為は可罰的であるとする点は︑高田教授

の見解と異なる︒そして︑先行行為が犯罪要立要件を満たさない限り︑事後行為との罪数関係は問題とならないこと

から︑不可罰説をとるにしても︑先行行為が犯罪成立要件を欠如する場合は事後行為の可罰性を認めるべきであり︑

この点はドイツの学説の方が一貫したものがあるといえよう︒

また︑上述の不可罰説は︑不可罰的事後行為を補充関係とするか吸収関係とするかは別として︑法条競合と考える

ことを基礎として主張されている︒すなわちここでは︑前述のように不可罰的事後行為の場合︑先行行為と事後行為

とは評価の単一性を形成しており︑先行行為のみが評価の対象となり︑事後行為に対する評価は排除されると考えら

( 1 7 )  

れているのである︒従って︑例えば︑先行行為が時効の完成ないし告訴の欠如等によって処罰できない場合は︑それ

は少なくとも犯罪成立要件を満たしているので︑事後行為との罪数関係が問題となるが︑結局︑先行行為のみが評価

の対象となり︑事後行為はもはや評価の対象となりえないと考えられているように理解できるであろう︒しかし︑事

後行為は構成要件を充足し︑違法で有責な行為である︒このような行為が︑先行行為との関係で一罪となるとしても︑

これは可罰性評価の対象となりえないと考えてよいものであろうか︒この点︑不可罰説に対する根本的疑問がある︒

( 1 )  

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S t r a f g e s e t z b u c h ;

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2

0.  A u

f l . ,

  1

98 0,

S .  

  6

01 . 

ニ八

5 ‑4 ‑534 (香法'86)

(9)

︵都岳︶淀起立

坦S 1

掟に巡鷺孟話后↑

(N) Schonke‑Schrler(Stree), a.a.O., S. 600. 

(M) Schonke‑Schrler(Stree), a.a.O., S. 601. 

("""') Vgl. Sehrer,JZ., 1971, S. 142. 

(u;) Schonke‑Schrer(Stree), a.a.O., S. 601; vgl. Wolter, Verurteilung aus nicht tatbestandsm~Biger Nachtat ?, GA., 1974, S. 

165. 

((Cl) Schonke‑Schrer(Stree), a.a.O., S. 600 ; vgl. Stratenwerth, Strafrecht, Alig. Teil I, 2. Aufl., 1979, S. 325. 

(r‑) Jescheck, Lehrbucl:r des Strafrechts, Alig. Teil, 3. Aufl., 1978, S. 602. 

(00) Jescheck, a.a.O., S. 603 ; vgl. Welzel, Das Deutsche Strafrecht, 11. Aufl., 1969, S. 235. 

(a.) Samson, Systematischer Kommentar zum Strafgesetzbuch, Bd. 1, Alig. Teil, 2. Aufl., 1977, S. 378. 

ぼ)Samson, a.a.O., S. 378. 

(:::) Samson, a.a.0., S. 378. 

(~) Blei, Strafrecht I, Alig. Teil, 17. Aufl., 1977, S. 325. 

(~) Blei, a.a.O., S. 326. 

(;:!;) Blei, a.a.O., S. 326. 

ぼ)Samson, a.a.O., S. 379 ; Blei, a.a.O., S. 326 ; Welzel, a.a.O., S. 235. 

ぼ)V gl. KrauB, Zurn Begriff der straflosen N achtat, GA., 1965, S. 178 ; Schorn, Die straflose N achtat in der Rechtsprechung des 

Reichsgerichts, Deutsche Richterzeitung, 1931, S. 248 ; Gelbert, Die ortlichen und zeitlichen Grenzen der Strafgewalt im 

Gebiet der mitbestraften Tat ("straflosen Vor‑und N achtat"), Juristische Rundschau, 1935, S. 161. 

(~) KrauB, a.a.O., S.176竺怜后届忌嶋巡む捉

s

rr'弄彩8堂坦知Ql 0 QtffKa; 后澁~~

:I!

(Strafberechtigung) Q[I活臣

~~0ゃ_;1‑Q Q~-v'誤しヒ字忌81108毎涵忌~~編忌悩捗(Strafdrohung)Q配謬臣國刃~0ゃ_;1-Q~ 1‑QV gl. Schorn, 

a.a.O., S. 248 ; Gelbert, a.a.O., S. 161. 屯谷亙活・i忌寂「怜后匡起薔継と捉」lIi合塩墳淫゜

II  I 

初心U'怜后編苗竺r怜甘届忌誓巡ぬ捉如坦ボ聡ぐ口や竺~;,..\Jヤ心批紺令心企柑恙初ごや;t-0

1"'~

兵心' わクへ、 (98.~:i:) S£S‑l7 │g 

11兵

(10)

ウマンは︑不可罰的事後行為の場合は数個の行為が存在するため法条競合ではなく︑外見上の実在的競合

( s c h

e i n b

a r e

R e

a l

k o

n k

u r

r e

n z

) とする立場から︑不可罰説をとるのである︒バウマンによると︑この問題については︑事後行為の

不可罰性の意味及び可罰性を排除する要素の意図が重要であるとされる︒そして︑例えば︑先行行為の訴追が時効に

かかっているときは事後行為はもはや訴追できないとし︑それは︑先行行為が侵害行為であり︑事後行為の不法内容

を包含しているからであるとする︒また︑先行行為の訴追に告訴が欠如するときも事後行為の処罰は通常排除され︑

例えば︑家庭内及び家族間の窃盗(§.247 

St GB )

に必要な告訴がないとき︑その後に行われた器物損壊は︑それに告

'

4)

5

) 

訴があっても不可罰であるとしている︒それに対して︑先行行為が立証できないときは︑事後行為が処罰されうるの

( 6 )  

は当然であり︑先行行為に可罰性の実体法的条件が欠けるときは︑事後行為は原則として処罰されるという︒すなわ

ち︑先行行為の際に責任能力がなく︑又は︑責任阻却事由や違法阻却事由のある場合︑それは先行行為に対してのみ

作用するので︑例えば︑窃盗行為の際に責任無能力で︑器物損壊の際には責任能力がある場合は︑器物損壊で処罰で

きるとするのである︒

このようにバウマンは︑不可罰的事後行為を法条競合ではないとしながら︑それを法条競合として不可罰説をとる

見解と同じ結論に至っているのである︒もっとも︑バウマンは︑不可罰的事後行為を︑前述の不可罰説をとる多くの

見解と同じく︑吸収関係

( K

o n

s u

m t

i o

n )

の観点から一罪性が認められるとしている︒しかし︑バウマンのいう吸収関

係とは︑前述の学説のいうものとは若干意味を異にしているように思われる︒すなわち︑バウマンは︑不可罰的事後

行為の場合︑その不法は先行行為の処罰によって完全に償われており︑そこから︑先行行為が処罰されれば事後行為

( 1 0 )  

をもう一度処罰することはできなくなるとするのであり︑事後行為に対する﹁評価﹂を問題にするのでなく︑事後行

為の﹁処罰﹂を問題にするからである︒そして︑このように解すると︑不可罰的事後行為の場合︑先行行為が実際に

二 〇

5 ‑ 4‑536 (香法'86)

(11)

不可罰的事後行為の法的性格(虫明)

処罰されるときに限り事後行為は不可罰となり︑先行行為が処罰されないときは事後行為はもはや不可罰とならない

( 1 1 )  

可罰説をとるのが論理的というべきではないだろうか︒なぜなら︑先行行為が何らかの理由で処罰されえな

事後行為に存する不法は償われているとはいえないからである︒

罰的事後行為の基本的性格と合致するのかどうか疑問といわなければならない︒

こう

して

( 1

)  

B a

u m

a n

n  

̀ 

S

tr af re ch t 

̀ 

A l

l g .  

Te il ,  8 .   A u

f l . ,

  1

97 7, S   .  7 09 f.  

( 2 )  

B a

u m

a n

n  

̀ 

a . a . O . ,   S

. 

7 1 4 .   ( 3 )  

B a

u m

a n

n  

̀ 

a . a . O . ,  

S.

 7 1 4

.   ( 4 )  

B a

u m

a n

n ,

  a . a

. O . ,

S  

. 

7 1 4 .  

( 5 ) その他︑先行行為が一身的刑罰阻却事由によって処罰できないときも︑事後行為が不可罰となる場合のあることを認める︒

B a

u m

a n

n  

̀ 

a .

a . 0 .

S ,  

. 

7 1 4 .   ( 6 )  

B a

u m

a n

n ,

  a . a

. O . ,

S  

. 

7 1 3 .  

( 7

)  

B a

u m

a n

n  

̀ 

a . a . O . ,   S

. 

7 1 4 .  

( 8

)  

B a

u m

a n

n  

̀ 

a . a . O . ,   S

. 

7 1 4 .   ( 9 )  

B a

u m

a n

n  

̀ 

a . a . O . ,   S

. 

7 1 1 .   ( 1 0 )

B  

a u

m a

n n

̀ 

 

a . a .

O . ,  

S.

 7 1 3

.   ( 1 1 )

現に︑吸収関係の意義を︑一方の行為の処罰によって他の行為も共に償われている場合ととらえる学説は︑可罰説をとる傾向にあ

ることは︑後でみる通りである︒また︑特に︑

W

e

el

̀ 

s S tr af re ch t,  A l

i g .  

Te il ,  1 0 .   A u

f l . ,

  1

98 0, .  S 17 8は︑バウマン同様︑不可罰

的事後行為を法条競合でない吸収関係とするが︑可罰説をとっている︒

いと

きは

とす

る︑

バウマンの不可罰説は︑不可

5‑4‑537 (香法'86)

(12)

このように︑吸収関係の意義を︑

次に︑可罰説も︑不可罰的事後行為を法条競合の吸収関係とする学説のとるところとなっている︒もっとも︑

可罰説をとる学説のいう吸収関係は︑前述の不可罰説をとる学説のいう吸収関係とは意味を異にしている︒すなわち︑

例えば︑フォークラーは︑吸収関係の場合︑当該刑罰法規相互の関係が問題となるのではなく︑処罰の必要性の観点 での具体的事情の評価が問題となるのであり︑それ自体可罰的行為が︑他の行為による行為者の処罰によって共にと

らえられているかどうかが重要であるとしており︑行為者の﹁処罰﹂を問題とするのである︒そして︑ここから︑﹁吸

収される行為の不可罰性は︑原則として︑主行為の可罰性を条件とする﹂とする︒従って︑例えば︑責任無能力のた めに行為者に主行為の責任を問えないときや︑先行行為に責任阻却事由又は違法阻却事由があるときとか︑主行為が 立証できないとき等の︑主行為に実体法上の欠鋏がある場合は︑吸収される行為は不可罰でなくなることになる︒ま

た︑主行為が有罪となり︑又は︑

可 罰 説

なりうるときにのみ︑随伴行為が不可罰となるのであるから︑主行為が処罰されな い理由は重要ではないのであって︑主行為が訴訟障害によって訴追しえないときも︑事後行為は可罰的であるとされ

(4 ) 

てい

る︒

(5 ) 

一方の行為の処罰によって他の行為も償われているという点に求めるなら︑如何

なる理由においても先行行為が処罰できないときは︑吸収関係は問題とならず︑

それ自体可罰的な事後行為は改めて

可罰的となるとする可罰説をとることは︑論理的帰結といえよう︒そして︑これは︑

(6 )

7

)

8

) 

ットホイザーやメスル等のとるところである︒ フォークラー以外にも︑

シュミ

5 ‑4 ‑538 (香法'86)

(13)

不可罰的事後行為の法的性格(虫明)

もっとも︑以上の見解は︑何らかの理由で先行行為が処罰できないときは︑もはや競合問題自体が生じないと考え

ているようである︒すなわち︑

( S t r a f a n d r o h u n g )  

フォークラーは︑事後行為の場合︑各々の犯行以前の二つの抽象的な刑罰的威嚇 の競合が問題となっているのではなく︑判決の時点での実現可能な二つの刑罰請求権

( S t r a f

a n s p r u c h )

の競合が問題となっているのであり︑刑罰請求権が実現できないときは︑そのような競合がないため︑事

後行為ではなく︑主行為のみであるとするのである︒従って︑不可罰的事後行為の事例において︑先行行為に妥当す

る法律が︑判決の時点で適用不可能のときは︑もはや先行行為は罪数論上も問題とならず︑事後行為の可罰性のみが

を満たすものである限り︑ 確かに︑先行行為が構成要件該当性︑違法性︑責任という犯罪成立要件を満たさないときは︑罪数判断の対象とならず︑可罰性判断の対象として存在するのは事後行為の部分のみである︒しかし︑先行行為がそれらの犯罪成立要件

それと事後行為の罪数関係が問題となる︒そして︑この場合には︑何らかの理由で先行行

為に妥当する法律が実際には適用しえなくても変わらない︒従って︑例えば︑先行行為について公訴時効が完成した

ときや︑親告罪につき告訴の欠如するとき等の場合には︑先行行為は少なくとも上述の犯罪成立要件を満たしたもの

ここでは︑先行行為と事後行為が︑罪数論上一罪であであるので︑事後行為との罪数関係は問題となる︒すなわち︑

ることを認識した上で︑先行行為に妥当する法律が適用できない場合の事後行為の可罰性を問題にする必要があるの

である︒このように︑先行行為が処罰できない理由はさまざまなものがあろうが︑それが犯罪成立要件にかかわる実

体法的なものか︑又は︑

( 1 )  

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10 . 

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5.  L i

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19 78 , 

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4 7

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G r

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n  

d e

r  

問題となることになる︒

それ以外のものかによって︑論点が異なることに注意する必要があるであろう︒

5‑4‑539 (香法'86)

(14)

11]回

Gesetzeseinheit, Festschrift ftir Paul Bockelmann zum 70. Geburtstag, 1979, S. 733. 

(N) Vogler, LK., S. 48. 

(M) Vogler, LK., S. 48. 

("'1') Vogler, LK., S. 48. 

(t.n) fJ8匹怜て匡巽如叫心Schonke‑Schroder(Stree), a.a.O., S. 600ざ←芦届忌苔忍こ述塁密む1歪ご戸届S幸ミ塁戸臣旦‑

心ぎ芸や竺~;叫ヤ心宕芸臣忌や母心゜

(<.0) SchmidhauserStrafrecht,Allg. Teil. 2. Aufl., 1975, S. 734. 

(t‑‑‑) Mosl, Strafgesetzbuch, Leipziger Kommentar, 9. Aufl., 4. Lieferung, 1970, S. 21. 

(oo) Pfeiffer‑Maul‑Schulte, Strafgesetzbuch, Kommentar, 1969, S. 277; vgl. Sauer, Allgemeine Strafrechtslehre, 3. Aufl., 1955, S. 

242 ; Siegert, Beihilfe zur straflosen N achtat. GA., 1933, S. 100; Deubner, Zurn Verhaltnis von Abzahlungsbetrug und 

Unterschlagung, NJW., 1962, S. 95. 

(c,) Vogler, Bockelmann‑Festschrift. S. 734; vgl. Kohlmann, SchlieBt die Verjhrungder V ortat auch die Bestrafung wegen der 

N achtat aus ?, JZ., 1964, S. 493£.  (98.¥~~ ors ‑st' 

 

11 后!忌巽竺呪火'怜戸忌届芸饂こ掟如坦吠仕器4ITや竺匂二叫怜氾国溢旦丑0'叫心二心いJ灼や埒心°怜好兵心'

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Realkonkurrenz)」や~0'~尺譴駅

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苗要石器溢初菜肉叫抑竺'

(15)

不可罰的事後行為の法的性格(虫明)

先行行為の一身的刑罰阻却事由が失われ︑先行行為のときに責任無能力の状態であったり︑主行為と事後行為の間に

大赦

( A

m n

e s

t i

e )

が行われた場合には︑事後行為は可罰的となることを認めるのである︒

マウラッハ

1 1 ゲッセル

1 1 ツイプフは︑不可罰的事後行為における事後行為の不可罰性を︑

却事由として説明するのであるが︑このことは︑事後行為も犯罪として成立していると考えられていることを示して

いる︒しかも︑この場合は︑真の数行為

( T

a t

m e

h r

h e

i t

とされているので︑先行行為と事後行為は本来的な数罪であ)

ると考えられているといってよい︒そして︑不可罰的事後行為の事例を本来的数罪の場合と考えるなら︑先行行為と

事後行為はそれぞれ別個の犯罪となり︑先行行為に生じた事情は事後行為に影響を及ぽさないのは当然といってよい︒

( 6 )  

従って︑ここで可罰説をとるのも当然の帰結となろう︒しかし︑不可罰的事後行為の事例は包括一罪の一場合であり︑

( 8 ) ( 9 )  

これは本来的一罪と考えるべきことは別稿で述べた通りである︒すなわち︑マウラッハ

1 1 ゲッセル

1 1 ツイプフの見解は︑

不可罰的事後行為の罪数論的把握の点において妥当でないものがあるといってよい︒

( 1 0 )  

なお︑我国でも︑不可罰的事後行為を本来的数罪であるが一罪的処分に服する場合と考えられる阿部教授が︑可罰

( 1 1 )  

説をとられている︒もっとも︑阿部教授は︑不可罰的事後行為を本来的数罪と考える帰結として可罰説をとられるわ

けではない︒すなわち︑教授は︑﹁一罪説をとるにせよ数罪説をとるにせよ不可罰的事後行為は実体法の問題だとする

と︑不可罰的事後行為の成否はすでに実体法の平面で決まることであって︑

この

よう

に︑

三五

のちに訴訟障害などのため先行行為が訴

( 1 2 )  

追できなくなったからといって︑事後行為がふたたび可罰性を回復するのはおかしい﹂とされるのである︒しかし︑

( 1 3 )  

不可罰的事後行為が実体法の問題であるとしても︑それは事後行為の可罰性を失わせる概念ではない︒その場合も事

後行為は依然として構成要件に該当する違法で有責な行為であり︑先行行為が訴追できない場合に︑事後行為が可罰

的となると考えても︑﹁おかしい﹂わけではない︒また︑教授は︑﹁不可罰的事後行為は︑あくまで現実に行なわれた 一身的刑罰阻

5‑4‑541 (香法'86)

(16)

件を満たす限り︑

教授の見解は︑可罰説を導かれる前提に問題があるのではなかろうか︒

( 1 )  

Ma

ur

ac

h  , G

a s s e

l ' Z i

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S t r a

f r e c

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A l l g

T e .  

i l ,  

T e

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  2

,  5.  A u

f l . ,

  1

97 8,  S .

  3

37 . 

( 2 )  

g l .  

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96 0,

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  1190 

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 1

2.  

( 3 )  

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f ,

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. O . ,

  S .

  3

40 . 

( 4 )

高田・前掲書五七二頁参照︒

( 5 )

B l e i

, a .

a . 0 .

S . ,  

  327

は︑不可罰的事後行為を一身的刑罰阻却事由とするようであるが︑これを法条競合とし︑不可罰説をと

( 6 )   Vgl•

D r

e h

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  , Tr o n d l

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3 

9.  A u

f l . ,

  1

98 0,

S .  

  279 

W e

s s

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. a   a

. O .  

`  S .  

17 8.  

( 7 )

拙稿・前掲﹁法条競合と包括一罪︵三︶﹂一〇七頁参照︒(8)拙稿•前掲「法条競合と包括一罪(-)」10三頁参照。

( 9 )

一身的刑罰阻却事由というのは︑二つの行為を一罪として処断するかどうかということとは無関係であるので︑科刑上一罪とも異

なるものである︒ あることはいうまでもない︒ 本来的数罪と解することから︑端的に可罰説を導く方が論理的と思われる︒もっとも︑本来的数罪とする点に疑問の むしろ︑前述のように︑不可罰的事後行為を 事後行為との罪数関係は問題となり︑

両者が一罪となることもあるといわなければならない︒阿部

ら可罰説を導かれているように思われる︒

しか

し︑

先行行為に対する有罪宣告がなされなくても︑それが犯罪成立要 をとられている︒

これ

は︑

先行行為に対する有罪宣告がなされないときは︑一罪的処分が許されないとされ︑

ここヵ

と解されることから︑可罰説 主行為と事後行為との主従関係から一罪的処分が導かれる場合であるから︑一罪的処分が許されるためには︑

( 1 4 )  

についての優越的な可罰性評価が現実の有罪宣告というかたちで示されることが必要﹂

三六

主行為

5‑4 ‑542 (香法'86)

(17)

不可罰的事後行為の法的性格(虫明)

( 1 0 )

阿部・前掲﹁不可罰的事後行為﹂二四七頁︒

( 1 1 )

阿部・前掲﹁不可罰的事後行為﹂二六九頁︒

( 1 2 )

阿部・前掲﹁不可罰的事後行為﹂二六九頁︒

( 1 3 )

不可罰的事後行為という概念は︑罪数論上一罪と考えられるという点に︑本来的意味がある︒

( 1 4 )

阿部・前掲﹁不可罰的事後行為﹂二六九頁︒

この問題に関するドイツの連邦通常裁判所の判例は︑可罰説をとるようである︒そして︑その最も代表的なものと

一九五五年一月︱一日の判決をあげることができる︒すなわち︑それによると︑﹁ある態度が︑可罰的主行為に

対する﹃不可罰的事後行為﹄であるということは︑行為者が主行為の故に有罪とされ又は有罪とされうるときにのみ︑

事後行為の故の刑罰を科さないということである︒﹃不可罰的事後行為﹄という観点は︑ある者が︑すでに主行為を行

ったこと

( B

e g

e h

u n

g )

によって︑可罰的構成要件を処罰されずに実現する権利を獲得するということを意味するもの

でなく︑また︑主行為が証明できず又は訴訟障害によって判決を下すことができないが故に︑行為者が主行為によっ

て処罰されないときも︑﹃事後行為﹄が不可罰となるということを意味するものでもない︒﹃事後行為﹄は︑それが主

行為の刑罰によって十分に償われているときにのみ︑その限りで﹃不可罰﹄となるのである﹂とされている︒

この一九五五年の判決は︑

が問題となった事案で︑前者はすでに公訴時効が完成している場合︑後者で処罰することができるかということが争 し

て ︑

四 判

(2 ) 

その後の判例にも引用され︑例えば︑背住

( U

n t

r e

u e

) を行った後での詐欺行為

( B

e t

r u

g )

三七

5‑4 ‑543 (香法'86)

(18)

この よう に︑

であ

る︒

(3 ) 

われた一九六八年八月二三日の判決において︑

主行

為が

このような場合には︑可 一九五五年判決の立場が踏襲されている︒また︑不可罰的事後行為の

ドイツ刑訴法一五四条

a

による﹁訴追の限定﹂によって処罰しえないとき︑事後行為は処罰されるか否か

(4 ) 

が問題となった一九七

0

年七月二二日の判決においても︑前述の一九五五年判決が引用されており︑﹁先行行為の訴追

が︑刑訴法一五四条

a

による訴訟の簡素化のために排除され︑実際上再度とりあげられることのない場合︑﹃そうでな

(5 ) 

ければ不可罰の﹄事後行為は処罰されうる﹂ということを認めている︒

一方︑判例の中には︑不可罰説をとるものもみられる︒すなわち︑一九六三年六月二八日のブラウンシュヴァイク

(6 ) 

上級地方裁判所の判決では︑﹁前に行われた奪取の刑事訴追が︑時効によって排除されるときも︑奪った財物の毀棄は

不可罰的事後行為として不可罰である﹂とされているのである︒これは︑被告人が︑ビール八本を即時に消費するた

めに窃取したが︑所有者に追跡されて気が変わり︑

(7 ) 

盗︵

370

N r .  

St GB ) が時効にかかった後で︑器物損壊︵夕

30 3S tG B)  

それを投げつけて破壊したという事案について︑前段の飲食物窃

シェンケ

1 1 シュレーダーの不可罰説に従い︑これを否定し︑被告人を無罪としたものである︒そして︑その理由として︑

可罰説をとると︑本来なら軽い犯罪

( U

b e

r t

r e

t u

n g

1

飲食物窃盗︶で処罰されるのに︑それが時効にかかったが故に︑1

重い犯罪

( V

e r

g e

h e

n

1

1器物損壊︶で処罰されるという︑不合理な結果をまねくということがあげられている︒しかも︑

このような不合理な結果は︑時効期間の経過という︑訴追機関の怠慢によって生ずるということも指摘されているの

一九六三年のブラウンシュヴァイク上級地方裁判所の判決は︑前述の連邦通常裁判所の立場とは異な

る結論を示したわけであるが︑それと矛盾するものではないと解されている︒それは︑ここでは︑先行行為よりも事

後行為の方が重い犯罪であるという特殊な事例が問題になっているからであろう︒そして︑ について処罰できるかという点が争われ︑

三八

5 ‑4 ‑544 (香法'86)

(19)

不可罰的事後行為の法的性格(虫明)

( l )  

も不可罰的事後行為を認める限り︑

すな

わち

可罰説をとるとこのような不合理が生ずるという点は︑

三九

BG H  b e i   D a l l i n g e r , O  M R.

`  

19 55 , 

S .  

26 9.  

( 2 )

事案の詳細は不明であるが︑ドイツでは︑例えば︑窃盗犯人が被害者に対して盗品の所持を否認し︑返還請求を困難にしたような

S i c h e r u n g s b e t r u g

として︑不可罰的事後行為とされ︑窃盗罪の他に詐欺罪は成立しないとされるが︑これと同様の事案であろうか。なお、拙稿•前掲「法条競合と包括1罪(三)」―10頁注(16)参照。

( 3 )   NJ W. , 

19 68 , 

S .  

2115 

( J   N 

. ,  

19 68 , 

S .  

71 0) . 

( 4 )   G A . ,   1 97 1,

S 

. 

83 . 

( 5 )

なお︑先行行為が大赦

( A m n e s t i e )

によって処罰されないときについて︑同趣旨の判断を示した上級地方裁判所の決定もある︒

MD R. , 

19 51 , 

S .  

53 

(O LG   N t i m b e r g . e  B

h l

u l 3 vo n 

25 .  9 .  19 50 ).

 また︑主行為が立証できないときは事後行為は可罰的となるとす

るものとして︑

NJ W. ,

19 74 , 

S .  

1957 

(O LG   Ha m.   Ur t .   5 .  3.  1 97 4) . 

( 6 )   NJ W. , 

1963 ̀ 

S .  

1936 

( G A .

,   1

96 3,

S .     37 9) . 

( 7 )

もっとも︑現行法では︑この規定は削除されている︒

( 8 )   V g l .   B G H S t . ,   B d .   1 8,

S .  

  324 

(N JW  ,  , 

19 63 , 

S .  

12 14 ).  

見逃がしてはならない︒ 不合理な現象の生ずることは指摘される通りである︒

先行行為よりも事後行為の方が重い犯罪であるとき

罰説によるならば︑先行行為が時効にかかる前よりも︑それが時効にかかった後であるが故に重く処罰されるという

5 ‑ 4 ‑‑545 (香法'86)

(20)

あっ

て︑

解が分かれていることからくるものでもある︒ 以上のように︑この問題に関する不可罰説は︑不可罰的事後行為を法条競合とする見解からも︑

合でないとする見解からも主張されており︑可罰説も︑

も支持されているのである︒また︑不可罰事後行為を法条競合の吸収関係とする学説においても︑不可罰説と可罰説

の分かれるところである︒これらは︑不可罰的事後行為の罪数論的意義と関連せしめてこの問題を考えるとき︑従来

の学説が必ずしも十分なものとはいえないことを示すものであり︑同時に︑法条競合の吸収関係の意義についての理

もっとも︑不可罰説といっても︑ それを法条競合と解する見解にも︑ それを法条競

そうでないとする見解に

すべての場合に事後行為が不可罰というのではなく︑犯罪成立要件が欠如するた

めに︑先行行為が処罰できないときは︑事後行為は可罰的となることを認めているのであって︑この点については可

罰説を含めて学説上ほぽ争いのないことがわかる︒そして︑先行行為が犯罪成立要件を満たさない場合には︑それと

事後行為についてそもそも罪数問題は生じないのであり︑そこには可罰性の要件を備えた事後行為のみが存するので

これが可罰的となるのは当然といってよい︒これは︑罪数そのものの意義から生ずる帰結である︒

具体的にいうと︑まず︑不可罰的事後行為の事例において︑先行行為が証明できないときは︑事後行為が単独で処

罰されるのはもちろんである︒従って︑例えば︑窃盗犯人が盗品を損壊したとしても︑窃盗の事実が証明できないと

きは︑器物損壊で処罰できることになる︒また︑先行行為が構成要件を充足する違法で有責なものとはいえない場合

(3 ) 

も︑事後行為は独立して可罰的となる︒ここから︑例えば︑窃盗︵先行行為︶を行った時点では責任無能力の状態で

五 私

四〇

5‑4 ‑546 (香法'86)

(21)

4Q 0 +.! 芯'~Q~U器蕊墜褻如tヒ0.;‑! ふ初足竺艦出澁兵如揺全t-0~J..lJ全や抑肉心:;.A¥'唸ぐ口ば竺'器侭完聡(善巡に捉)

ゃ翠届や抑心心:;.A\°"~j ..lJ~t-OQ~s:::,.,'~しごヒ掟芯置出国葉誓田メ竺轡坦西葉誓日S衣念旦翠匡や狛~:;.~[I,.,;j)

蕊や~r{d゜

︵郡缶︶淀起孟坦 S 掟ぬ巡鷺孟届后↑

←) fE\..)'i~t{:~•0~'喧田癒班S瞑澁竺眺~t-0

(N)逐田・i忌惑攣ばギ11嵐'匡活・i忌咤「K:‑ii?届忌誓細ヒ掟」l)K<'Schonke‑Schrer(Stree), a.a.O., S. 601 ; Samson, a.a.O., 

S. 379; Blei, a.a.O., S. 326; Wolter, a.a.O., S.165; Schroder, a.a.0., S.142; Baumann, a.a.O., S. 713; Vogler, a.a.O., S. 48; 

Schmidh:iuser, a.a.0., S. 734; Pfeiffer‑Maul‑Schulte, a.a.O., S. 277; Dreher‑Trondle, a.a.O., S. 279; Wessels, a.a.O., S.178; 

Lackner, Strafgesetzbuch, 12. Aufl., 1978, S. 239; Huschka, a.a.O., S.1190 Arnn. 12; Hruschka, Zur Logik und Dogmatik 

von Verurteilungen aufgrund mehrdeutiger Beweisergebnisse im StrafprozeB, JZ., 1970, S. 641 ; BGH bei Dallinger, MDR., 

1955, S. 269; OLG Ham., NJW., 1974, S.1957. 

(M) Schonke‑Schrer(Stree), a.a.O., S. 601 ; Blei, a.a.O., S. 326 ; Baumann, a.a.O., S. 714 ; Vogler, a.a.O., S. 48; Maurach‑

Gossel‑Zipf, a.a.O., S. 340 ; vgl. Samson, a.a.0., S. 379 ; Welzel, a.a.O., S. 235 ; Wolter, a.a.O., S. 165. 

(""')匡蔀・i忌咤「怜后届孟甍巡ぬ掟」11K兵直'Baumann,a.a.O., S. 714; Vogler, a.a.O., S. 48; Sauer, a.a.0., S. 242 ; Huschka, a. 

a.O., S. 1190 Anm. 12. 

(I.!"))匡蔀・i忌蛇「←后届孟驀~tヒ掟」!IK兵嵐'Baumann, a.a.a., S. 714 ; Vogler, a.a.a., S. 48. 

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