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マネジメ ン トの可能性

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マネジメ ン トの可能性

一 志木 市 の教 育改革導入期 を事例 と して‑

はじめに

安 藤 知 子

埼玉県志木市は,2002年度か ら実施 している小学校低学年での 25人程度学級や,2003 年度に特 区申請で話題 となった教育委員会廃止案など,周囲の 目を引 く多様 な試みを相次 いで 自治体単位で打 ち出 してお り,近年 その動向が注 目されている。例 えば,小川正人 (2003a,b)は,志木市の教育行政改革がなぜ可能であったのか, また現行の教育行政シス テム下で どこまで可能であるのか をさぐりつつ,今後の自治体行政モデルを構築 してい く ことの重要性 を指摘 している。

しか しその一方では,注 目されてい るのが教育委貞会の取組みであることか ら,「学校 教員の側か らみれば トップダウンと受け止め られかねない ことは否めない」 として,「 校 内部の側の主体性確立」が改革の成否 を分 ける課題 になるとの指摘 もある (荒井文昭, 2002:88)。教職貞 をは じめ保護者や地域住民 ら当事者が, これ らの動向をどの ように受 け 止めているのか とい う視点か ら,志木市の取組みがいかに進め られたのか,なぜ可能であっ たのか を検証 してい くことが必要である。 この ような視点か ら,本稿では25人程度学級 の導入 ・実施期 に焦点づけて,1どのような条件がいかなる経緯 を経て整 えられていったの か を検討することを目的 とす る。

改革実施のために整 えられるべ き条件は,財政的裏づけや法的根拠,関係者の期待の把 握 など,様々に考 えることがで きる。 しか し,本稿では教職貞や保護者,地域住民が,大 胆 な制度改革 を比較的好意的に受容す る土壌がつ くられていたのではないか と思われる点 に着 目したい。改革 "前夜"(1998年〜 2000年頃),志木市の教育改革にとってキーパー ソンである金山康博 は志木市内の小学校長 として学校改革に取 り組 んでいるが,その改革

あんどう ・ともこ /上越教育大学

キーワー ド/志木市の教育改革,学級編制基準の弾力化 改革推進要因,シンボリック ・マネジメン ト

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の特徴 は,後 に詳述す るシンボ リック・マネジメン トとして理解す ることがで きる。そ して, と くに25人程度学級 の導入 ・実施 に際 して,金 山が語 る教育委員会の動 き方 には,シ ン ボ リック ・マネジメン トの発想が継承 されていると思われるのである。

そこで,以下では金山に対す る聞 き取 り調査 と志木市教育委員会での収集資料 を主たる 素材 として改革の推進要因を考察 し,そのなかで もとくに地域住民や保護者,教職貞の改 革への好意的態度 を醸成す る要因に直結 していると思われる,金山の校長時代の学校改革 の実践 と理論 を検討す る そこか ら,シンボ リック ・マネジメン トの可能性 を明 らかに し たい。

1.志木市の教育改革

1) 全国的な注 目の契機

全国的に注 目されるようになった2002年,志木市教育委貞会 は多面的な取組 み を行 っ ていたが, とくに注 目されたのは,①25人程度学級 の実現 とそれに伴 う市費採用教員の 登用,②長期欠席児童 ・生徒対象のホームス タデ ィ制度,③ 中学校の学校選択構想 と教育 委貞会廃止案 を盛 り込んだ特 区申請の3つであった。

志木 っ子ハ タザ クラブラン (小学校の1・2学年における 25人程度学級の導入)(1) 志木市 は全国都道府県市町村 に先駆 けて,25人程度 を標準 とす る学級編制 を実現 した。

2001年の義務標準法改正以降,学級編制基準 の弾力化が可能 になったが,志木市 の場合 には市町村の側か ら県へ働 きかけた とい う点 と,「29人定数」 とは言 わず に 25人程度」

の少人数学級 を実現す るとして,1学級 の児童数が18‑29名程度になるように弾力的に 学級数 を調整す る考 え方 を採 った点で注 目された。その結果,2002年度 には市 内8小学 校 の1・2学年で40人定数による学級編制 よ りも10学級増 となった。

この増加学級分の担任配置 を県の市町村立小 ・中学校教職貞配当基準表の範囲内で実施 す るために,専科での配置教員 を増加学級の担任 とし,その分不足 した専科教員 を市費負 担で充当 している。市費採用教員の選考方法 も独特 で,徹底 して学校 の意向を尊重す るよ う配慮 されている。具体的には,各学校がそれぞれ第1次選考通過者のなかか ら採用希望 候補者 を複数名選出 し, これ ら候補者 による20分 の模擬授業 を校長他数名の教員,保護 者が受講 し,その後10分程度の質疑 を経て合格者 を決定す るのである。模擬授業 は一披 市民 も参加可能であるなど,選考過程の公正 さを保障 しつつ も,各学校が 「わが校 に欲 し い人材」 を主体的に採用で きるような方法 となっている。

サ クランボプラン (ホームスタデ ィ制度)

ホームス タディ制度は,長期欠席児童 ・不登校児童 を対象 として教貞免許状 を有す る有

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償 ボランテ ィアを派遣す る制度である。学校教育法第75条第2項 「疾病 によ り療養中の 児童及び生徒 に対 して,特殊学級 を設け,又は教員 を派遣 して,教育を行 うことがで きる」

との規定 を根拠 として,「行政は,義務教育年限のすべての児童 ・生徒 (健常者及び心身 障薯児)に対 して,本人の 『学習意欲に基づ き,本人及び保護者が学習 を希望す る場合, 特別な支援 を行 うなどの責務がある」 との判断の もとで制度化 された。渡部はこの制度に 対 して 「志木市独 自の 『教育 を受ける権利保障観 に基づ く法規範的アプローチによって, 権利保障のための法制評価 (See)が まずあ り,次に新たな事業の立案 (Plan)がなされ, 2002年度 よ り実施 (Do)に移 された と整理で きよう」(渡部,2002:2426)と評価 している。

特区申請 (中学校 での学校選択 自由化構想 と教育委員会廃止構想)

この時期 に注 目された3つ 目の トピックは,特 区申請の際の 「謳い文句」である。教育 特 区への申請項 目として,市長発言が先行す る形で 「教育委員会廃止案」 と 「中学校学区 自由化 ・各学校学部化構想が報道発表 された。志木市では厳 しい財政事情への対応策 と して,行政職員 を大幅に削減 して市民ボランテ ィアである「行政パー トナー」を活用 した り,

市民委貞会」 (2)に行政施策や予算の審議 ・評価 まで任せてい こうとす る試み を2001 か ら始めている。教育委員会廃止の市長発言は,このような行政機構のス リム化が可能な 部分 はどこか とい う吟味のなかか ら出た ものであったようである(3)

また,2003年 1月には 「中学校 ごとに文系 ・理系導入一市立中全体 を 『大学各校 は

学部」 (朝 日新聞113日)など,市長の発言 を前面に出 した報道が全国的に取 り上げ られた。 しか しその構想の実際は,通学 区自由化 と教育課程の弾力化であ り,学年配当適 用外および総合的な学習の時間を学校裁量 として,各学校が特色あるカリキュラムを編成 す ることをで きるだけ保証 しようとす る趣 旨だったようである。 これか ら検討委貞会 を設 置す るつ もりであった突先の新聞報道であ り,学校 関係者 にとって も教育委員会側 にとっ て も 「寝耳に水の報道になって しまった と金山は回想 している(4)

2) 改革の背景にある理念・‑・‑ 「地域立学校構想

これ らの改革全体 に通底 している考 え方は,「地域立学校 の創造」である。 これは,学 校教育に対 して,地方 自治体 も関心 と責任 をもち,地域住民 も関与 しなが ら,地域の学校 を自分たちの もの として創 ってい こうとするものである。制度枠組みの大胆 な組み替 え案 に着 目す る報道が多いが,それだけでは志木の教育改革 を十分 に説明す ることはで きない。

志木市の取組みが興味深いのは, これ らの多様 な改革が行政 と学校 と地域住民 との関係の あ り方を組み替 えつつ進め られている点であ り,その組み替 え過程のなかで,それぞれの 当事者が役割の変化 に主体的に応 じているように見える点である。

「地域立学校」 とい うキャッチ フレーズ に具体的な意味や形 を付与 している重要な要素 として,以下の2点が挙 げ られる。第 1の要素は,市民委貞会 に代表 される志木市行政の 独 自性 にある。志木市の教育改革 を促 している大 きな要因 として,まず穂坂市長のリーダー 7

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シップによる 「市民主体の市政創造とい う自治体行政の運営方針 をあげることがで きる だろう(51。国に対 して 自治体 としての 自律 (自立)性 を発揮す るなかで,教育行政 と自 治体行政 も密接 なもの とな り,「志木市の学校には 「志木市民」が責任 をもつ, といっ た感覚が ご く自然 なものとして強調 される雰囲気が醸成 されている。

また,第2に,学社融合施設 としての志木小学校の新校舎完成がある。志木市内の小学 校では比較的古 くか ら社会教育 と学校教育の間をつなぐ様 々な試みが存在 していた。それ らを基盤 として,社会教育的な側面で当事者意識 をもつ市民が少なか らずいたことや,学 校施設 も休 日には 「市の公共施設 として」管理 ・利用するもの と考える素地があったこと

は事実であろう。志木小学校 ・いろは遊学館 は,こうした,学校教育 も生涯学習の一部 に 含む,逆に学校 か ら見れば,社会教育 ・生涯学習の一環 として学校教育 を位置づけるとい

う学校観 に具体的な形 を与えた ものと理解す ることがで きる。

2.志木市における教育改革の推進要因

1) 金山康博の見解

金山は,98年か ら2000年 まで志木市立宗岡第三小学校 で校長 として学校改革 をリー ド し,01年か ら04年 までは教育委貞会で教育改革 を実質的に推進す る立場 にあった。氏 に 対す る聞 き取 り調査 は,2001115日に約1時間実施 した他,折 にふれて非構成的に 実施 している。それ らのなかか ら,志木市の教育改革が うまく進んでいる要因に関する発 言 を抽出す ると,金山自身はそこに3つの要因を意識 していることが理解 される。

すなわち,第 1の要因は市長の リーダーシ ップであ り,第2の要因は政策具体化 におけ る教育委貞会の実行力であ り,第3の要因は政策具体化のための 「戦略」の存在である

志木市が大 きく動 き出 した経緯は,穂坂氏の市長就任 と連動 している (1)。教育行政 面での試みが 「志木市の教育改革」 としてひとまとまりの ものと捉 えられるようになった 最 も大 きな契機 である 25人程度学級」 も,その起点 は2001823日に公表 された 市政方針 にあった。 この意味で市長の リーダーシ ップは,「市町村 自治体での教育改革」

と人々に意識 されるような動向の始 まりに不可欠の要因であった といえる

しか し,市長の リーダーシップは, トップダウンでビジ ョンを提示 し,実施結果 を評価 す るようなものである。 これは,佐古 (2000:159164)が コン トロール指向の伝統的なリー ダーシップとして整理 した教授的 リーダーシ ップ (instmctionalleadership)に相当する。

実際に提案 された ビジ ョンを具体化するためには,県教委 との間での法制度の確認や連絡 調整,折衝 などの施策形成 と,各学校や保護者 ・地域住民‑の施策概要の周知,導入のた めの基盤整備など多面的な活動が必要である。 これ らの具体的活動 には,教育委員会の判 断力や企画力,交渉力など総合的な能力の高 さが不可欠であろう。 この点で,志木市教育 委員会が,教授 的 リーダーシ ップに対比 される形成的 リーダーシ ップ (transfbrmational

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leadership)を十分発揮 し得たことが第2の要因であるといえる。

そ して,第3の要因は 「戟略」の存在である。金山は,予算 と新たな規則 (法改正) を 必要 としない ものか ら始める方針 をとったことが,改革推進の重要な要因であった とい う

新 たな試みの導入 を阻む最大のハー ドルは,予算 と法律である。 しか し, これを逆手 にと れば,予算や法律 にふれなければす ぐに実行可能であるとい う積極的な解釈が可能にな り, また こうした解釈が,人々の新たな試みへの抵抗感 を軽減 し,説得す る手段 に もなる。 こ の 「戟略」は,教育委貞会内部での改革への抵抗感 ・負担感 を軽減す るだけでな く,施策 導入 を受 けて実際に教育活動の内容 を変 えてい くことになる学校 に対 して も改革受容の基 盤 をつ くるための重要 なポイン トになった と考えることがで きる。

2001.7 2001.8 2001.10 2001.ll 2001.12 2002.8

穂坂邦夫氏,市長就任

市政方針公表 2002年度から小学校1,2年生を対象に25人学椴を導入する

志木市市政運営基本条例施行 (基本理念 「まちづくりは,市民 自らが主体とな っ て考え,行動 し,市民及び市が協働 して推進すること)

志木市市民委員会設立

志木 っ子ハタザクラブラン」公表

志木市 「教育特区構想」準備,「行政パー トナープラン」公表 1 穂坂市長就任後初期段階の市政改革の動向

2)教育改革が全体 と しては好意的に受け止め られた理由

以上の ような金山の見方は,改革 を進める側の視点に基づいている。 しか し志木市の場 合 には,同時 に改革 を受け とる側,す なわち学校や保護者や地域住民が様 々な改革に好意 的 ・積極的に関わる状況があったごとに も着 目すべ きである。つ ま り,改革 を受け とる側 に,教育行政主導の改革に対 して も比較的受容的な土壌があった と思われるのである。そ うした好意的態度 をもた らした要因は2つあった といえる。

その 1つは環境的要 因である。 まず志木市の規模が,市の教育委貞会単位で動 きやすい 大 きさだった とい う点が重要である(6)。そ して, この適正規模 に加 えて,地域住民や保 護者が学校 にかかわる関係づ くりを進めやすい土壌があった点 も重要である。志木は新興 住宅地 と古 くか らの田園地区の双方があ り, とりたてて教育熱心 な地域であるといった特 色があるわけではない。 しか し,NPOや市民運動 な どではす ぐに動 く人 々がお り, どち らか といえば,古 くか らの地域性 を基盤 として地域が学校 を支 えるような連携 ではな く, 新興住宅地の住民 を中心 として新たな地域づ くり,学校づ くりに取 り組 む とい う連携形態 である。行政 ・教育委員会 ・学校 か らの投 げかけに対 して機敏 に応 える人 々の輪があ り, それが少 しずつ拡大 してい くちとで 「地域立学校」 を目指す ことがで きていた もの と思わ れる。

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例 えば,2001年以前 の次の ような取組み は,学校教 育 に市民がかかわることへ の垣根 を低 くす る方向へ作用 して きた といえる

環境 に優 しい町づ くり運動 としての 「エ コ ・シテ ィ」の取組 みや市民委員会 な ど,市 政 レベ ルでの住民参加が積極 的に展開 されて きた こと。

文科省/総合型地域スポーツクラブ育成モデル調査研究事業, 日本 レクリエーシ ョン 協会/総合型地域 スポーツ ・レクリエーシ ョンクラブ育成モデル事業 としての 「クラブ しっ き‑ず」の活動 な ど,学校等 を活動拠点 とす る生涯学習‑ の取組 みが具体的 な形で 進め られて きていた こと。

学校 開放運営協議会 (市 内8小学校長,教員,利用者が毎月集 まって学校 の使用予定 を協議)や学校 プラザ構想 (学校多 目的化推進事業。各学校 の空 き教室 を利用 した福祉 , 情報,芸術関連のセ ンター等設置)など,公共施設 としての学校 を地域住民 も利用 で き るようにす る工夫が なされて きた こと (7)

さらに, もう 1つ重要 になるのが教職員の受 け止め方である。 この点は今後 さらに詳細 な検討が必要 な部分 であるが,現状では大 きな反対意見 は出されていない。 む しろ,世 間 の注 目を集 め る きっか け となった25人程度学級 の導入 は好意 的 に受 け入 れ られてい る。

とい うの も, これは従 来教員 か ら要望 されていた案件 であったか らである。 『教 育』2002 11月号 の小特集で,大沼博 良志木市教組書記次長 と三浦義昭委員長 は,25人程度学級 実現 には,それ までの市民運動や教職員組合 の運動 の下地があった ことを指摘 してい る( 沼 ・三浦,2002)0

この他,「いろはカ ッパ応援 団事業 (水泳指導補助事業)

「中3チューター制度

部活 動技術指導補助制度な ど,多 くの試みが子 どもの現状 を正 しく評価 し, よ り良い教育計 画 をつ くるためになされてい る。その基本枠組 みは,教職員の実情 を読み取 るなかか ら出 されて きている。必ず しも教職貞 に歓迎 され る試みばか りではないが, まず大多数の教員 が反対す るはずがない と考 え られ る改革か ら着手 した ことが,改革の許容性 を高めた もの と思われ る。 この ような,教職貞の意識や組合 の反応 に対す る配慮の原型 を,金 山が宗 岡 第三小学校長時代 に行 ったい くつかの実践の論理か らも発見す ることがで きた。

‑若い先生の意識改革といっても,意識は変えられないと思うところから出発しなければだめ。

それぞれの立場に応じた責任をもってもらう。とともに,責任を預けた部分は完全に信頼する。

引き受ける教師も,引き受けられない部分ははっきりと言ってもらう。ギプア、ソプしてもらっ た部分について,外部の専門家を活用する。

‑日課表をいじった学校側の意図は,子どもの1E]の活動にメリハリをつける,学校の生活リ ズムにゆとりを取り込む。教師は午前の休みは一靖に遊ぶこと,昼休みは自分が休むこと, 放課後は自由に使うことを原則とする。これは,子どもとの接触を増やす,休憩時間問題解 決,個別課題への対応時間確保。子どもは思いっきり遊ぶ。明るくなるし,メリハリができる, 地域の大人と一矧 こ遊ぶことでマナーを身につける。‑(2001115日聞き取り調査記録)

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3.金 山 の リー ダー シ ップ とマ ネ ジメ ン トー 環境が整えられた過程

1) 宗岡第三小学校 (19984〜 20013月まで校長)での取組み

では,金山は宗岡第三小学校長時代 にどのような学校改革を行 ったのであろうか。その 具体的取組みと,改革推進のために金山が意識 していた学校経営戦略を見てみたい。

1998年度 :敷地内に遊歩道 ・パークコルフ。教育福祉交流センター設置 (学校プラザ構想に 基づく余裕教室有効利用)

1999年度 :日課表の工夫‑ 13匝】30分休み。1・2時間目と3・4時間目を90分のモジュー ル型に。この他,水泳インス トラクター,市費負P̲の算数加配教員を手配など。

2000年度 :遊びの玉手箱スター ト・・「総合型地域スポーツレク リエーションクラブ」設立事 業の拠点校へ。3回ある30分休みを利用 して様々な「クラブ活動(ex.ゲー トボー ル,ビリヤー ド,スポーツチャンバラ.機織りなど)を展開。この年の6月に 「 ラブしっき‑ず」設立。宗岡第三小学校から地域住民,志木市全域の活動へ拡大。( 小学校でも実施。同時に2001年度からは 「クラブ活動」時間を縮小 ・整理)

2 宗岡第三小学校での取組み

聞き取 り調査 と宗岡第三小学校 における収集資料か らは,表2のような改革の経過 を理 解することがで きる。 これ らの取組みのなかで, 目に見える形で学校 を変えたことで,千 どもが変わ り,変わった子 どもを見ることで保護者が変わ り,それを見る教職貞や行政が 動 き始めたとい う連環が意識 されているようであった。

2) 宗岡第三小学校実践で金山が意識 していたこと

以上の ような金山の取組みのなかで, とくに興味深いのは,「学校 を見せること」 を軸 とする 「経営感覚」である。それは具体的には,① とり繕 うのではな く,本物志向で見せ られる学校 にする (内容の充実),②学校 をどんどん見せ る (情報公開 ・学校開放),③見 られていることを見せる (公開 した情報 を児童 ・保護者 ・教職貞へ フィー ドバ ックす る) といった3つの方針 として現れていた。

本物志向」:で きないことまで教員に期待するのではな く,必要なところはどんどん 外部講師を活用 して,子 どもを専門家にふれさせるとい う考えかたを浸透 させる (水泳 指導など)。 この考え方 を浸透 させ ることで,指導内容領域に限定せず,教員がで きな いことをできない と言える雰囲気 をつ くる。

宗岡第三小学校では,金山は校庭 に遊歩道を作 り,その道沿いにパークゴルフがで き るスペースを作っている。宗岡第三小学校 における聞 き取 り調査中にも,買い物帰 りの

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女性 が 自転車 で遊歩道 を通 ってい く。普段 で も地域 の人がパ ー クゴル フをや りに くる と い う 遊 びの玉手箱 や教 育福祉交流 セ ンターの ような形 で地域住民 に 「学校 に来て もら

だけで な く,学校 が 日常的 な生活環境 の一部 になるよう工夫 を してい る。

‑横長の経営感覚について‑全体を視野に入れ 先行きを見通して判断できる力量が必要。外 からはどこを見られているかについての鋭敏な感覚が重要。例えば.算数加配については, この学校は学力向上にも力を入れている。日課表を大幅にいじったことについては,この撃 殺は教育改革に取り組んでいる.勉強だけでなく楽しい学校にしようとしている‑ このよ うに見られることを想定している。空き教室を1階にまとめて物置にしておくなどというの は論外ol階は保護者にも地域にも一番見られる。教育福祉交流センターの廊下に絵を掛け られるようにする際にも,絵が学校の外から窓越しに見えるように,高さに気を配った。

‑日課表の工夫による30分休みの交流‑地域の人は.学校にかかわることができ,じかに子 どもと接触できる。このことが学校への関心を高める。直接かかわることが一番説明のいら ないアカウンタピリティになる。‑・ (2001115日聞き取り調査記録)

フィー ドバ ック :多様 な方法 で地域 の人 々が学校 にかかわって くるこ とに よって,チ どもを見てい るのが教 師 と保護者 だけではな くなる。子 どもに とっては,多 くの 目に見 られてい るこ とになる。

‑クラブしっき‑ずなどの活動がマスコミに取材され 新聞や雑誌での紹介やテレビで放映さ れる機会が増えたことで,子どもたちにも 「見られている」という自覚と.自分の学校が注 目されているという自信が生まれてきた。このことが子どもの変容をもたらし,わが子の変 化を実感した保護者の意識変容につながっている。‑(2001 115日聞き取り調査記録)

4.シンボリック ・マネジメン トの可能性

組織 シ ンボ リズ ム論 は,組織 の なか にあ る 「文化」 (価値 ・規範,意味 の解釈 図式 な ど) に着 目して組織現象 を理解 しようとす る。 そのなかで も, シ ンボルや シ ンボ リック行為 の 操作 に よる組織 文化 のマネジメ ン トについては,その可能性 をめ ぐって, よって立つ立場 ごとに見解が分 かれ る ところであ る。た しか に,組織文化 を 「構 成員が 間主観 的に構 成 し た意味世界」 と して理解す る解釈主義的 シ ンボ リズ ム論 の立場 に立 てば,マ ネジメ ン トに

よって思惑 どお りに文化が組 み替 え られ る とい う想定 は常 に裏切 られ る余地 をは らむ。 ゆ えに, シンボル を操作す ることによる安易 な組織文化マ ネジメ ン ト論 は失敗す る とい え よ

う。

しか し,坂下昭宣 (2002)は, アルベ ッソンとバ ーグが識別 した 「シ ンボ リック ・マ ネ ジメ ン ト」 について,解釈 主義的シ ンボ リズ ム論 に立 ちなが ら,組織文化 マ ネジメ ン トの 可能性 に言及す る もの として注 目してい る。彼 によれば,シ ンボ リック・マネジメ ン トとは,

「マ ネジ ャーの側 のシ ンボ リック行為 と一般成員 の側 の意味解釈 の行為 を通 じて行 われ る

意味 の共有化』 の作 業(坂下,2002:206)であ る。 ここで は,「組織 の成点 はあ らゆ る シ ンボルの意味 を,自らの構 成物 としての 『状況との関係 の中で解釈 してい る」(:190)

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と考えられている。そ してそれゆえに 「均質的,一元的な組織文化の存在 を必ず しも前提 としない。マネジメン トの対象 となるのは,組織成貞の意味解釈過程や意味構成過程であ 」 (同上:204)といわれる。

このように考えるならば,例えば金山の宗岡第三小学校実践に見 られた方針のい くつか はシンボリック ・マネジメン トであった といえよう すなわち金山は,他者の視線から見 ると学校が何 を象徴 しているのかに気 を配 り,学校 をシンボルとして どのように表象する かを考え,その側面に対 して積極的に働 きかけている これは, 1つには 「学校」の意味 が間主観的に構成されるものであることを意識 した うえでの,情報提示 (シンボリック行 為)の工夫である。 また,こうした情報提示の際に金山が積極的に行 ったのは,「見せる」

ことであって,「見方」 を指示することではなかった。「見方」については,情報の受け手 自身の意味解釈 にゆだねていたのである。

この ような 「見せ方を工夫す る」マネジメン トは,受け手側 に解釈の余地 を残 しつつ, 発信する側の解釈図式 をソフ トに提示す るものである。特定方向での意味理解 を求めざる

をえないような制度改革内容等の情報提示 とは別に,それ らと並行 して受け手の主体的解 釈 にゆだねて もよい情報 を多 く取捨選択 しなが ら提示する。不特定多数の人々の間に,緩 やかに解釈図式の変容 を求めてい く際には,このような方法は有効かつ重要であろう。

志木市全体での教育改革において も, このような 「見てわかる形に して見せることと, それによって多様な人々の関心や参加 を取 りつけ,全体に巻 き込みつつ,現場 にフィー ド バ ックする」 とい う一連の情報の扱い方には共通点があると理解 される。例 えば,シラバ スの全保護者への配布,ハ タザクラブラン採用面接へのPTA代表の参加,志木市教育政 策研究会の存在の示 し方など(8)

教貞の間には 「学校の 日常は何 も変わっていない」 とい う声 もないわけではない。 しか し,人々の主観的な意識が一度にすべて組み替えられることなどあ りえないことを考えれ ば,少な くとも各種の調査結果(9つが好意的反応 を示 しているとい うことは,改革の意図 をふ まえた .(学校)や (教育)の意味変容がゆるやかに進行 しているもの と理解 して も, まとはずれではないだろう。このような形での働 きかけが人々の意識変化に有効な影響力 をもつのか否かは,今後 さらに検証 を継続すべ き課題である。

註】

(1) このプランの詳細については,志木市教育委員会 (2001),奥村俊子 (2002)を参照。

(2)市民が主体的にまちづ くりを推進するとい う理念の もとに,公募で集 まった委員が予算や事業や施 策 を検討 し,市 に提言する。2001年11月か ら活動 している。

(3) とはいえ,結局,教育委員会廃止案は具体化せず,特区申請項 目に含 まれなかった。

(4)2003223日の聞 き取 りによる。報道発表 も効果的に活用 して きた教育委員会であったが,こ の報道だけは予想外 に先走 られて しまい,対応に苦慮 したそうである。

(5)市政運営方針 に関する詳細 は,小川正人 (2002a,b)参照。

(6)志木市は人口6.5万人強の首都圏近郊の郊外型都市だが,面積 は9.06kniで,学校数 も8小学校,4

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教育経営研究 第11号 2a75・3 中学校 とこじんま りしている。

(7)学校開放運営協議会の存在 については望月 (2002:92)によってお り,未確認である。

(8)志木市の広報では,この研究会メンバーの一覧 を示 して,全国の大学教員か ら関心をもたれている ことをアピール している。 これ も,市民に対する情報の 「見せ方」 を意識 したものであるといえる。

(9) 例えば,志木市教育委貞会小学校少人数学級研究会 (2002)や根津 (2004)など。

引用参考文献】

荒井文昭,2002埼玉県志木市の教育改革で起 こっていること」『教育』11月号,8589頁。

大沼博良 ・三浦義昭,2002志木市の教育改革 と25人程度学級の現状」『教育』11月号,100104頁。

小川正人,2002a,b,2003a(教育委員会 レポー トー改革への挑戦‑)市民主体の市政づ くりと子 ども の学習支援 を軸にした教育改革 (上) (早) ()」『悠』11月号〜2003年 1月号。

小川正人 2003b総論報告 :志木市の教育改革が投げかけていること」(222日 ・志木市教育政策研 究会報告 ・未公刊)0

奥村俊子,2002教貞の 『ゆとり』 を教育に生かせ一埼玉県志木市教育委員会少人数学級の とりくみ‑」

学校経営』Vol.47,No.8,7月号。

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参照

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