一 517 一
三医大誌 48(5):517,1990
花散る中で
(原 三郎先生の思い出)
千葉大学医学部長(薬理学)
村 山 智
月日のことは定かでないが,私が薬理学研究の道に入ってそう何年も過ぎていない春の日のこ とであった.学会のパーティーがあって,頻りに桜の花の散る庭でグループごとにビールを飲ん でいた.まだビールが貴重であった頃のように思い出す.にぎやかに談笑する一団があったので 近づいてみたら,原 三郎先生を中心とする東京医科大学薬理学教室の人々であった.私は何と なくその輪の中に入ってしまって,原先生のお話を聞いていた.すると,「わしの盃を受けろや」
と言われて一口飲んだビールのコップが渡された.一瞬びっくりしたがとにかく飲もうとした 時,原先生は「何だ君か」と少し慌てられた.御自分の教室員だと思ってコップを渡されたので あった.そして急に私に向かって「君も中枢神経系の薬理をやろうとしているらしいが,なあ 君,中枢神経系は丸ごとだぞ」と言われた.この言葉は以来今日まで私の耳の奥に静かにしまわ れている.中枢神経系への薬物の作用をみる時,結局は総合的判断に立たないといけないと思い 続けてきた.原先生にしてみれば,他大学の一介の研究の徒以外の何者でもない筈の私を,それ
となく見ていて下さったことを知って励みになった.
それから年経て,これも学会の合間だったと思うが,インスリンの話になり,原先生は「パン チングとベストがノーベル賞をもらった」と言われたので「先生,ベストはもらっていません」
と申しあげたら「そんなことはない」とやや御機嫌斜めであった.また月日がたった.ある日,
地下鉄の中でばったり原先生にお逢いしたら「ああ君、君.たしかにベストはノーベル賞をもら っていないね」とだけ言われて三越前駅でさっと降りられた.
原先生の告別式にお伺いした.当時病床にいられた奥様が担送車でお訣れの焼香をされた時,
思わず涙を流した.ぼっとした目の奥に地下鉄のホームがあり,頻りに桜の花が散っているよう に思えてならなかった.
やがて医学部長の任期も終わる.教育や研究に響きを与える一言を私も残さなければならない 年齢になっているのだが……と思うとやや情けない.
(平成2年7月26日記)
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