墓誌と伝世文献―中国中世研究における墓誌史料
著者 李 航
雑誌名 博士学位論文 内容の要旨及び審査結果の要旨
巻 9
ページ 1‑3
発行年 2020‑07‑01
URL http://id.nii.ac.jp/1160/00002016/
は し が き
本冊子は、学位規則(昭和 28 年 4 月 1 日文部省令第 9 号)
第 8 条による公表を目的として、2020 年 3 月 18 日に本学に おいて博士の学位を授与した者の論文内容の要旨及び論文審 査の結果の要旨を収録したものである。
学位記番号に付した「博第○号」は学位規則第 4 条第 1 項 によるもの(いわゆる課程博士)である。
目次に記載の報告番号は学位規則第 12 条によるもの(文部
科学省への報告番号)である。
目 次
学位記番号
[ 報告番号 ] 学位 氏名 論文題目 頁
博第 10 号
[ 甲第 10 号 ] 博士(文学) 李
り
航
こう墓誌と伝世文献
―中国中世研究における墓誌史料 1
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石刻史料としての墓誌は、伝世文献と異なり、独自の書写方式・体系を持っているはずである。
これは今後、墓誌研究の重点になると思われる。現在まで積み上げられてきた墓誌に関連する書 籍は、主に集釈 ( 集注・彙考ともいう )・彙編・目録など、特に集釈と彙編に集中している。こ れに対して、墓誌学という学問を成り立たせるには、新しい研究体系を築くことが必要である。
そのためには、研究方法や墓誌全体の書写に対する整理のさらなる積み上げが必要である。
本博士論文では、墓誌の史料としての有効性を見極めることを目標とし、その裏返しとして墓 誌の持つ史料的限界にも焦点を当てる。それはつまるところ、伝世文献史料との対比において、
どちらをより信用すべきかという問題に帰着する。本稿で出した最終的な結論は、どちらが信用 できるか一概に決めつけることはできないということであり、個別の事例に即してその都度、あ らゆる角度から検証する必要がある、というものである。以下、各章の内容を紹介する。
第一章では、「褚庭詢墓誌」を取り上げ、その誌文の中に存在しているいくつかの疑問点、す なわち伝世文献との相違が見られる点について考証を加えた。墓誌学がますます盛んとなる現在、
多くの学者がこれを根拠として伝世文献の内容を校訂している。伝世文献は当然、完全に正しい ものとは言えない。十分な根拠があれば、修正することは可能である。しかし、我々は史料を読 む際に、その原史料はどのような時代背景の下に、いかなる人によって記録されたかを分析して、
これを通してその史料の信頼性を判断していく必要がある。即ち史料への批判である。墓誌など も当然、史料批判を加えるべきである。大切な史料であるが、やはりその価値を無条件に伝世文 献の上に位置づけるわけにはいかない、という問題意識を持つことが肝要である、言い換えると、
墓誌を無条件に信じてはいけないという問題意識を提示した。
第二章では、研究者にとって常に頭痛のタネである偽刻の問題について、具体例に基づいて筆 者なりの知見を提示した。京都藤井斉成会有鄰館藏の「楊松年墓誌」はこれまで全く顧みられる
論 文 内 容 の 要 旨
氏 名 李
り航
こう学 位 の 種 類 博士(文学)
学 位 記 番 号 博第 10 号
学位授与年月日 2020 年 3 月 18 日
学位授与の要件 学位規則第 4 条第 1 項該当
学 位 論 文 題 目 墓誌と伝世文献―中国中世研究における墓誌史料
論 文 審 査 委 員 (主査)大手前大学大学院准教授 山 口 正 晃
(副査)大手前大学大学院教授 小 林 基 伸
(副査)大手前大学大学院教授 森 下 章 司
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ことのなかった墓誌であるが、これは先行研究によって既に偽刻のレッテルを貼られている「楊 通墓誌」と明らかに同一人物が同時に「王偃墓誌」を藍本として偽造したと見るべき、偽刻の兄 弟篇である。これに対して、 「李祈年墓誌」も「王偃墓誌」を藍本として偽造されたとおぼしいが、
文字の字形・石の大きさ・文章の行文などの方面において、「楊松年墓誌」・「楊通墓誌」とは明 確に区別できる。一方、「王偃墓誌」と「侯海墓誌」は、真刻の兄弟篇である可能性が高いこと も確認できる。そしてそれは、唐代以降に見られるような、墓誌作成のうえで参照される文例そ のものではないが、その祖型とでもいうべき事例と見なすことができる。このように、偽刻の兄 弟篇の在り方を具体例に基づいて分析し、およびそれに関連して真刻の兄弟篇の具体例をも挙げ て北朝期における墓誌銘をめぐる状況について考察した。これを通して、墓誌史料についての最 も大きな問題点、即ち真贋問題を論じた。
第三章では、伝世文献を補う墓誌史料について、これまでほとんど注目されていなかった姫妾 墓誌に焦点を当て、唐代総計 44 点の姫妾墓誌を集計し、唐前・後半期に分けたうえで初歩的な 整理を加えた。唐後半期において墓誌の数量が顕著に増加したことは、墓誌が上層より下層へ普 及していった結果であると一般に説明される。銘文のない、簡略な記述性の墓誌の復活というの も、この現象が持つ一つの側面として説明できる。すなわち、こうした銘のない墓誌が作成され たのは専らこうした下層社会が中心ではないかと考えられる。また、個人文集に載せる「墓誌(銘)」
と題する文章は一応、石刻としての「墓誌(銘)」と見なしてよいのか、あるいは単なる文人作 品と見なした方がよいのか。この問題について、墓誌の罫線の作用を手がかりにして、議論を展 開できるだろう。この二点について、今後の課題としておく。
最後の附章では、墓誌そのものではないが、史料論の一環として、伝世文献の史料的問題につ いて、唐代韋后の亜献事件を手掛かりとして論じた。
綜合して言えば、本論文は墓誌研究の限界について、一つの愚見を提出した。つまり、墓誌史
料は必ずしも伝世文献の上に位置づけられるわけではない。研究者がまず行うべきは、墓誌の一
つ一つを個別の具体例として見なすべきではないかと考えている。故に、墓誌を以って伝世文献
を修正することに対しては慎重になるべきである。墓誌の考察から、当時の制度など実在的な方
面を研究することについても、十分な根拠を周到に用意してから論じるべきである。墓誌史料が
大量に出土した現在、魏晋南北朝 ( 主に北朝 ) から隋唐にかけて、伝世文献には記載されていな
い微細な事柄までも研究することが可能になりつつある。墓誌及び他の出土史料 ( 例えば敦煌文
献など ) を利用した研究によって、歴史研究は伝世文献による一面的な研究から、異なる由来を
もつ複数の史料に基づく多元的な研究へと深まりつつある。この過程の一つに、墓誌研究も位置
づけることができる。こうした観点のもと、伝統的な金石学を超えるために、墓誌史料の基礎的
研究はまだまだ不十分ではないか、というのが本論文をふまえた筆者の主張である。
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審 査 結 果 の 要 旨
墓誌は中国では南北朝以降、盛んに作られるようになったが、そこには多くの「生」の情報が 含まれていることから、当該時期の研究にとって必要不可欠な重要史料となっている。特に文革 が終わった 80 年代以降は出土点数が爆発的に増加し、それとともに墓誌を使った研究も今なお 増加の一途を辿っている。ただし出土墓誌を歴史研究の史料として用いるに当たっては、伝世文 献との間に相違点があったときにどちらを信用するのか、という問題が必ずつきまとう。本博士 論文は、こうした出土墓誌および伝世文献のそれぞれについて史料的な有効性およびその限界を 客観的に正しく認識し、それぞれを適切に用いる必要性を提唱する。その問題意識そのものは決 して目新しいものではない。これまで蓄積されてきた学界の成果を土台として、さらに一つ歩を 進めるというのが本論文の目指すところである。
第一章では近年新出の「褚庭詢墓誌」を取り上げ、その記載内容2点について各種史料を突き 合わせて信憑性を検証する。結果として墓誌の記述が正しいという結論に落ち着くが、安易に出 土史料を妄信することを戒めるという、本論文を一貫する著者の問題意識がここでまず提示され る。続いて第二章では出土墓誌の史料としての信頼性を根幹から揺るがす「偽刻」の問題を扱う。
具体的には、先行研究において偽刻の兄弟篇として指摘される2点の出土墓誌について、同じ藍 本から偽造された可能性は確かにあるものの兄弟篇としての類似性は低く、むしろその中の1点 と著者が発見した2点の計3点こそが正真正銘の偽刻の兄弟篇であることを論証する。さらにそ の藍本と考えられる真刻についても、同一の撰文者の手になる可能性を有する事例を1点挙げ、
北朝期における墓誌の具体的な在り方について新たな知見を提示する。第三章では従来ほとんど 注目されることのなかった側室の墓誌、いわゆる姫妾墓誌について、唐代の事例を網羅的に集め て分析する。ただし、唐代において存在していたはずの「姫妾」の総数からするとそれはほんの 氷山の一角にすぎないとして、統計的な分析ではなく個別の内容を分析してこそ意味があるとす る。附章では唐前半期のいわゆる「韋后亜献問題」を手掛かりとして伝世史料が抱える問題点を あぶり出し、出土史料との対比を試みる。
本論文では、出土墓誌と伝世の文学作品としての墓誌を区別していないという史料の扱い方や、
論証における詰めの甘さなど、一定の問題が存することは否めない。とはいえ、この論文におい て提起されている問題意識は、本質的には現在の学界における一般的な考え方に沿うものであり、
且つまた一つ一つの論証も特段の矛盾点はなく、結論は妥当なものであるといってよい。就中、
墓誌の史料価値を脅かす深刻な問題である偽刻について、その実例を著者自身が見つけ出し、関 連墓誌とともに分析を加える第二章は本論文の核心をなす部分である。ここで提示された偽刻・
真刻それぞれの兄弟篇の実例およびそれらに対する分析は、学界に裨益するところ少なくない。
また、従来研究の比較的手薄だった分野を扱う第三章も、その問題意識は十分に説得力があり、
今後の研究の発展が期待できる部分である。以上により、総体として本論文の博士論文としての
学術的価値は十分に認められる。
博士学位論文 内容の要旨及び審査結果の要旨( 第
9集)
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