スミス租税第1.原則の解釈と
J.S.ミルの影響
一明治期を中心に一
山 崎 怜
Ⅰ
明治期の社会経済思想における.丁.S.ミルの位置やその影響に∴ついてはミル
(1)
のわが国への導入史の観点から,いくつかのすぐれた成果がうまれているが,
村税思想史的な視角からのものは今のところ辛がつけられていない。筆者はか ねてからスミ.ス導入史の立場に.おいて,その租税第1原則の解釈をとりあげて
(2)
きたのであるが,かかる脈絡からもミルの独自な,おもわざる影響を無視する
\3\
ことほできなかった。小文もまたそ・のことをやや広い視野のなかで確認するこ とにある。
明治期にほいるまえにミルのスミス第1原則の処理に・ついて簡単にでもふれ ておかなくて:はならない。かれは『経済学旗理』欝5篇第2茸「租税の−・般原 理」の説明紅あたりスミ.スの4原則を「古典的」と名づけてこれを引用するこ
とからはじめ,第2原則(確実),欝3原則(便宜),第4原則(最少徴税費)に っいてほ詮議や励証は不必要であるが,第1原則(平等)把ついては「しばし
(1)掘 経夫「明治初期の思想紅及ぼしたIいS」・ミルの影響」(掘経夫編『ミル研究』未 来社刊,1960年9月所収),杉原四郎「汐ヨソ・スデュア−ト・ミルと近代日本一生 誕百五十年を記念して− 」(杉原四郎『ミルとマルクス』ミネルヴァ書房刊,1957 年2月,増補,1967年5月,所収),永井義雄け・S」・ミルー明治期に∴ついての試論
−」(杉原四郎編『近代日本の経済思想』ミネルヴァ書房刊,1971年2月)。
(2)山崎怜「明治・・大正期における・スミス租税寛1原則解釈の諸類型−−ひとつの接近
−」,『香川大学経済論叢』算39巻第2号,1966年6月,同「昭和期におけるスミス 租税第1原則の解釈についてニーひとつの序章−−」,『研究年報』(香川大学経済学 部)第7号,1968年3月,同「明治期紅おけるスミス租税第1原則の解釈について
−ひとつの試論−」(天野敬太郎先生古稀記念論文集『図書館学とその周辺』1971 年6月刊,収録)。
(3)前注粧さいごにあげた小論(とくに782−783ぺ−・ジ)をみよ。
欝45巻 寛1号
− 2 −−
ば不完全にしか理解されず.」に.,「多数のあやまった観念がある程度の信任を うけるようになった事柄でもあるので,より十分な検討を要する」とのべて−,
(4)
以下かなり詳細な分析を展開した。ミルによれば,政府ほあらゆる人に.平等に 対すべきであるから,政府が人民に「どのような犠牲を要求するにしてもその 犠牲ほすべての人に対し及ぶかぎり同等のカをもって負担となるようにし」,
同時に「全体のうえに生ずる犠牲を最小ならしめる方法」をとるべきなのであ
(5)
る。そこで「■課税の平等とほ政治の格言としては犠性の平等を意味する」こ.と に.なる。
(8)
ミルはこの自説に.もとづき,いわば個別的利益説を論難する。ある種の人た ちは「■社会の各成員が支払う租税をかれに.対するサーヴィスの形でかれがうけ とる価値への,ひとつの等価物とみなすのである。」政府の保護をうける励産を 2倍所有する人ほ2倍の保護を政府からうけとるとすれぼ,「売買の原理」に よって2倍の租税を支払うべきことになろう。しかしミルによれば第1に政府 は財産の保護のために.あるのではなく,身体の保護のために.もある。その身体 の保護に等価なものとして人頭税が主張されるかも知れぬが,政府の目的は財 産や身体の保護だけではなく,「■ぁらゆる福利や災害からのあらゆる解放」に ある。それだけでほない。第2に保護の利益はその財産高に.比例しないのであ る。10倍の財産所有の保護が10倍の保護利益をうけとるわけではないし,さま ざまの裁判官や陸海軍兵士に.よる保護利益をそれを享受する人たちに・分割して 確定することはできない。もしも,かかる利益をあえて評価しようとすれば,
それは.零落した虚弱な人々であって,個別的利益説に.たてはかれらへの過重な 租税におわると ミルは椰輸するのである。政府は万人のためのものであり政 府との利害閑係の大小を決定することほ/できもしないし,重要でもない。もし
(4)John Steuart Mill,PY・incibles ofPoliticalEconom.y,ed.by W.J・・Ashley,
1929,pp..804一釦5.末永茂音訳『経済学原理』第5分冊,岩波文庫版,1963年12月,
28−32ぺ−汐。訳文はかならずしもこれに.よらない。
(5)こうしてミルほ最小犠牲と平等怯牲とを混宿して主張したのであるが,このこと自 体は小文では問題としないでおきたい。
(6) ミ.ルは個別的利益説なる用語を使用したのではないが,かれの説明は事実上この説
の叙述とこれへの批判であるとおもう。
3
スミス租税寛1原則の解釈と.丁.Sミルの影響 一 β − も個人間または階層間に.おいて政府利益の享受に不均一・があるのならば,その 欠陥を是正すべきであって,それが「 租税軽減の根拠」となるべきではない,
とかれはいう。
このミルの所説は一・般に.自覚されているとはいいがたいが,スミス租税原則 の理解に致命的ともいうべき影響をあたえた。第1に.スミスの4つの原則のな かで第2原則以下ほ明白で仙・賞したものとかんがえ.られ,第1原則のみが他の 諸原則と分離されて非難の剋上に.おかれるプロクトタイプがここに定着したの である。しかも第2にミル自身ほいかに.も慎重にスミスの原文自体がかれの論 難する個別的利益説であるとほ.ひとこともいわないで,スミスの第1原則があ る種の人たちに.よって「不完全にしか理解されず」に「ぁやまった観念」がで
(7) てきたという形式でこれをとりあげたにもかかわらず,そしてミル自身はおそ
らくスミ.スのあたらしい後継者としてスミ.スの「能九」を「犠牲」にくみかえ て第1原則を再建しようとして−おり,そのために第1原則での undeI など のふくむコンテクストほ別にLおいてもっぱら protection,,と租税配分とを結 合させる個別的な代償説を指弾しつつ,意眼に.もスミスにおける全般的利益説
の存在構造をみぬいていたほずにもかかわらず,もはやミルの権威もてつだ い,スミスの原文自体が個別的利益説であるにちがいないとする強固な読解が 内外に支配することになった。こうしてミルに.おいてこそ租税根拠論と租税 負担配分論の同時決定たる個別的利益説が排撃され,根拠論としては全般的
(−・般的)利益説が当然視されて,むしろ根拠諭そのものが姿をかぐすかのよ うであり,配分論が横板的紅前面庭おどりでて犠牲説が成立したという形をと るのである。また第3に.ミルの4原則の引用が第2,第3,欝4の3つの原則 に.ついてははば原文に/沿うたものであるのに,第1原則について−はわたしの分
(8)
解した記号でいえば〔A〕,〔B〕,【 c〕および〔FL〕のみがとりだされ,〔D.〕,〔E〕,
(7)これをミルの「作戦」とする見方もできなくはないが,わたしはミルがスミス第1 原則に.ついての「あやまった観念」をただし,これ紅かんするミル段階での正解をあ たえようとしたものとかんがえる。しかし,ミルの術策であるにせよ,またそれでな いにせよ,かれの叙述は副作用の効果の方がより大であった。
(8)注2)にあげたいずれかの小論をみていただきたい。
常45巻 寛1号 一 尋 −
〔G〕および〔H〕ほ省略されてしまう。このことはとくに単税主義を批判して
「課税の普遍性」の揚言とおもわれる〔G〕の無視によりスミスの「保護」が
「全般的保艶」であって「普遍性」と「平等性」の混濁のなかに.第1原則のも つ根拠論と配分論の同時決定の排除と全般的利益説に包摂された能力説提起の 意味を事実上みうしなわせるのである。ミルはその意思とは関係なく,わたし のいわゆる個別的利益説の解釈(第1類型)を世にひろめたこ.とになる。
ⅠⅠ
ミルのかかる役割ほまず明治期のスミス解釈につぎのような結果をもたらし た。すでに別の機会に指摘したよう紅明治20年以前の精神的作物に.みられなか ったほずの undeI・,,の「より」なる意訳的な誤訳がミル『原理』中のスミス からの引用文の翻訳にみられることであった。
明治12年(1879年)にミルの『原理』第5篇を原本とする2種の邦訳(抄訳)がだ されたが,ひとつほ渡辺恒吉訳の『官民権限論』であり,「官民権限ノ議論‥…‥ヰ ヤ其風潮我国二波及シテ漸次二昌盛二至ラントス帖…此書ヲ訳述シ上梓シテ以 夕世二公ケニスル老ハ世上ノ軽レク任他主義ヲ唱フル輩及ヒ猥リニ干渉主義ヲ 説クノ徒ヲ警戒セント欲スルノ微意二出ルナ・リ……・本巻論スル所ノ大旨ハ…・
(9)
官民ノ権限ヲ明晰暁暢スルニ在ル」の訳者の「緒言」をもち,他のひとつは租税 論を中心とする和久正辰訳述の『収税要論上』であって訳者ほ「緒言」のな かで「人民休戚ノ関スルモノ租税ヨリ大ナルハ莫ク政府ノ命脈ヲ保ツモノ亦夕 租税ヨヅ重キハナ・シ……・税額ヲ議定スルノ自由ハ所謂ル民会ノ椅神ニシテ民権 ノ骨髄タル所以ナリ人民与リテ之ガ当否ヲ議決スルヲ得ルト得ザルトノ、其伸縮 二関係アル固ヨリ僅少エアラゲルヲ知ル可シ…… 我邦民権ノ伸張ハ英二明治12 年ヲ以デ其端緒ヲ発キタリト云ノ\ゲル可ケンヤ地方民会ノ盛ナル巳二斯クノ如
シ事物ノ理勢二従テ之ヲ推究スレバ国会ノ開設アリテ衆庶参政ノ権利ヲ仝フス
(9).葵国ジョン・スチクワ・−ト・ミル著・日本渡辺恒吉訳『官民権限論』第1巻,明治
12年5月,律書房刊,「緒言」。本訳苔および和久訳述のものはもと関西大学所蔵のも
のを杉原四郎教授のご好意により借覧しえたのであり,記して謝意を表したい。香川
大学付属図書館神原文庫にも渡辺訳の仝3巻本が所蔵されている。
5
スミス租税第1原則の解釈とJ.S,.ミルの威容 ー 5 −
ルニ至ルモ亦夕将二近キニアラントス故二方今ノ急務ハ其撰二当ルノ代議士タ ル老ハ固ヨリ論ナ・ク官民共二収税ノ本義原理ヲ知り其辟類性質ヲ詳ニシ其利害 得失ヲ明ニスルヨヅ先ナルハナン是レ我輩ガ此苔ヲ今日二訳シテ世二公ニスル
(10)
ヲ怠ラサル所以ナリ」とかいている。国会開設の建白,請願,自由民権運動の 昂揚を背景とした産物であることはまちがいがないが,ミ.ルの本来の意図が租 税根拠論とむすぴあわさった個別的利益説と租税協賛権への論駁であることを
(11)
おもえば,これらの翻訳書のもった歴史的意味ほ訳者の意図をこえていたか,
(12)
あるいほ.こえなかったにせよ,ふくみのおおい問題をほらむのである。
しかし,それはさて∴おいて,こ.の両訳書はミルの引ノ許するスミ‥スの unde工・,,
(1き) (14)
を奇しくもともに「依テ」または「由テ」なる「保護」の個別利益説的訳語を 示すのであり,これがミルの叙述紅よって決定的影響をうけたほずであること は明白である。もちろんミル自身は同じ母国語のスミスの文章からの引用につ いては原文のままであるが,みずからの説明箇所では undeI,,ではなく,
りfrom,,といい, the degreesof benefit which different persons derive
(10)和久正辰訳述『収税要論上』明治12年7月,松井氏蔵版,「緒言」。
(11)ミルが「利益」にかえて「犠牲」なる新機軸をうらだし,政府からの便益に不均一・
のあるはあいに.ほ,その禾均一・こそを是正すべきで,それを理由に「租税軽減の根 拠」としてはならないという先述の含意の重たさにおもいをいたす必要がある。ま た,このこととはるかにつながるのだが,スミスが全般的利益説と能力原則とを納税 拒否梅の否定とあわせて論定したことも想起されてよいであろう。
(12)わが国の「近代化」はイギリス紅おけるような,プルジュワ革命→産業革命→選挙 法改正という「近代化」の画期を継起的に,もしくは自然成長的に経過することな
く,とれらが一・挙に−■周となって巣来し,あるいはむしろ,これらの逆行現象さえみ られるために,租税協賛権がミル租税論の訳述動機と肇りうるのであるが,こうした 問題のもつひろがりほ自由民櫛期の財政思想全体のなかで把握されうる。
(13)渡辺訳,前掲,15丁。ミルの引用するスミスの籍1原則の訳文はつぎのとおりであ ツト
る。「各国ノ臣民タル者英政府ヲ維持スル為メ・ニ支出スル所ハ宜レクカメテ∵各個ノ資 力ノ多寡ヲ畳リテ以デ比例卜為スベレ即チ各自政府ノ保護二依テ収ムル所ノ歳入ノ多 寡ノ比例二準スベレ収税ノ公平不公平ハ蓋シ此主義ヲ奉スルト之ヲ忽セニスルトニ由
テ起ルノミ。.」
(14)和久訳述,前掲,2ぺ−ジ。和久に・よる第1原則の訳文は「凡ソ一周政府ノ統轄ヲ
受クル者ハ皆ナ応分ノ租税ヲ出シ以テ其命脈ヲ保支セサル可カラズ更二之ヲ詳説スレ
バ政府ノ保護二由テ各人得ル所ノ金額二応ジテ納税セゲル可カラゲルナリ畢尭収税ノ
不公平ヲ生ズルト生ゼゲルt・ハ此格言ヲ守ルト守ラグルニ在ルノミ。」
鴇45巻 寛1号 ー 6 −
(1ら)
from the protection of government〃というような表現をしている。だが,訳 者たちにとっ宅ほ. unde工・〃と fIOm〃とほ同義語であるらしく,この英文を
(15) 渡辺は「各人ノ政府ノ保護二由テ其恩ヲ享ルノ軽重」と訳し,和久のばあいほ
(17) 「各人政府ヨリ受クル所ノ保護ノ多少」と訳している。うたがいもなく,かれ
らはミルによって幻惑されたのであるが,ミルの巧妙な手法に・ぐらついたのは かれらだけでほ.なかった。
ⅠⅠⅠ
ところでミル導入の特殊性からわが国へのミルの影響は論者たちにより白認 されたり,その名をあげて−の明白な指呼紅より如示されたのではなく,むしろ 挙名されないで暗黙の前提のように了解されていったのである。そ・れほ日本の
「近代化」が当時風靡していたミルの同時代的思潮と平行しですすみ,「近代化」
(15)丁.S‖Mill,ク♪.cよ≠,p.805 これは末永訳では「種々なる人が政府の保護からひき 出す便益の程度」(前掲,30ぺ−ジ)となっているが,ちなみにミルの引用する第1 原則は末永訳に.よると,「各国の臣民は,その各々の能力に/できるだけ比例的に・,言 いかえれば彼等がそれぞれ国家の保護の下に獲得する収入に、比例し,政府を維持する ために嘉納すべきものである。この原則を守るか守らないかが,即ち所謂租税の公 平か不公平かの岐れ路である」(前掲,25ページ)となり,あきらかに f王−Om と
under を訳しかえた正訳である。わたしの手元に.ある戸周正雄訳『経済学原理』第 5分冊,1948年4月,春秋社刊も,「各人の受くる政府の保護の恩恵の程度如何」
(同,21ぺ−ジ)と「銘々が国家の保護の下町於て享有する収入に応じで…‥」(同,
16ぺ−ジ)とに訳して∴おり,その意味で適切なものである。なお,寛1原則中の「比 例して」と「応じて」とは両者どちらがよりふさわしいかは詳論を要するとほい.え,
戸田訳の「応じて」は一層含蓄のあるものとおもわれる。これについては,山崎 怜
「昭和期に.おけるスミス租税第1原則の解釈に・ついて」,前掲,32−35ぺ−・汐。
(16)渡辺訳,前掲,22丁。傍点は引用者。
(17)和久訳述,前掲,14ぺ一汐。傍点は引用者。なお,ミル『原理.』の邦訳は『諸国民
の富』の分我初訳にさきだつこと7年,明治8年(1875年)に・刊行されはじめたので あるが,それはついに儲5篇の翻訳にいたらなかったので,この渡辺と和久の訳述書 はミル租税論ないしは第5篇のもっとも早期に属する邦訳として注目、されよう。また ジョンスチウワート
参考のために.付記したいが,渡辺はジョン・ステユ・ア−ト・ミルを約翰,士低瓦的, ミル アダム スミツス ベンザム
弼爾(緒言),アダム・スミスは亜当,斯美多(15丁),ベンサムほ層雑吾(25丁),リ
アダムり
リツカルド ミ ル カ−ドゥは力査道(57丁)とかき,和久の方はミルを弼兄(凡例),スミスは亜当斯 スミツスアダム・スミブスベンザム
密帖(1,7ぺ−ジ)ないしは亜当斯密士(106,119ぺ−汐),ベンサムは孟唐(19,
リカード ゥエルス・オフ・ナーションス
.0.\ ヽ −−l二・ユーrl 伊ニ■′l===l⊂=コ_.′==b n、、IPJ=ごフロlニノゝ【 ′ _
29ぺ−ジ),リカ−ドゥは里加徳(80ぺ−ジ)と表記し,『諸国民の富』は『竃
ぺ−ジ)とよんでいる。
ス‡.ス租税寛1原則の解釈とJS.ミルの影轡 −7−
の知識人たちが留学ないしは文献のうえでミ.ルの使徒やその原著またほその教 科書的解説書に.じかに接したこと,「近代化」に必須の総合認識と歴史認識が ミルにみとめられること,さらに.ミルの折衷的かつ過渡的な性格が穏健な知的 グル十プに支持されたこ.と,また,やがて導入されるドイツ歴史学派の方向に もその道をひらきうるような要素をもっていたからである。しかし急いで付言 したいのだが,これはミルが体系的に精読されたり,とくに.『原理』がけっし て十分によまれたというのでほない。断片的に.,しかも経済学以外のところ で,あるいはミルの政策論的通俗版を通じて,しばしばミルの名とほ知らずに.
その権威がつくられたのであり,経済学の分野でいえほ,たとえば,「ミ.ルほ むしろ,名前をあげられぬまま,明治の日本人に.よって書かれたおおくの経済 学書の篇別構成……生産,分配,交換,あるいは消費といった構成のなかに身
(18)
をひそませて:いるのである。」この4部門構成そのものは父ミルのそれであっ て,周知のように息子のミルでほ「消費」の1部を「政府の影響」紅とりかえ るような創意がみられるにもかかわらず,父子が混同されたなかで息子の権威
(19)
がひそむのである。
中西牛郎「アダム・スミ.ス氏の租税論を読む」(『知新会雑誌』79号,明治42年 1月31日)もそうしたもののひとつであった。中西によれば,スミ.スの「著書
ほ篇を5牽に分ち,第1篇及2篇は労力,資本,土地,貨幣等を論じ,第3篇
●●●●●●●●●●●
は史的回顧にして第4篇ほ.経済学派の評論なりとす,第5篇ほ消賀論に.して租.
………=…(加)
税論実に之が重安なる部分なり」と。かれはミルの名をいちどもあげてはいな
いが,つぎに示す租税第1原則の訳文をみれば上述のミ.ルの影響を感得しない
(21) ものは.あるまいとおもう。
(18)永井義雄,前掲,215ぺ−ジ。
(19)もっとも生産,分配,消費の3分法の方はセ−の1803年にでた『凝済学概論』であ ったから,「消費」は父ミルだけの単一・な影響というよりも当時の篇別構成をめぐる 時代椅神のなかでかえりみられなくてはならない。
(20)中西年郎,前掲,18ぺ一汐。傍点は引用者。『知新会雑誌』というのほ熊本税務監督
局内知新会の機関誌といわれる。この中西の文章は杉原四郎教授のど教示により東京 大学の明治新聞兼題文庫所蔵のもの紅よった。関者係濫・謝意を表したい。
(21)中西の論説に.つづく田尻晋一イ所有権の基礎」に・はミルがさかんに・でてくる。
第45巻 寛1号 ーー g −
「凡そ一周の臣民たるものは,各自の能力に応じて政府の経費を負担すべき 義務あり,何となれほ各個臣民が政府の保護を受くるの大小ほ,其の収入の多 寡と相比例し,収入愈多きものほ政府の保護を受くるこ.と亦愈々大にして,そ れ丈け多く政府の経費を負担すべきの義務あれほなり,此大小多寡の権衡を失 せざるの租税,之を租税の公平と云ふ,是に㌧反するもの,之を不公平なる租税
(22)
と云ふなり。」これが中西による第1原則の全文であるが,明治42年(1909)と
(23)
いえば,これに.相前後しての松崎蔵之助の典型的なスミス批評がなされ,ドイ ツ財政学が地歩をしめる時代の渦中であって,中西もこれに梓さすのである。
なお,やや脇道にそれるが,第1原則以外の中西の叙述をすこし紹介すれ ば,かれはスミスの生没年紅ふれたあと,スミスが「啓蒙時代の特殊範囲に於 ける代表者」であり,その「学界に於ける功績ほ,主として人生現象を経済方 面より解剖し総合したる紅存す_」といい,「経済を以て倫理に隷属するもぁとし
て一之が独立を認めざりし」「欧州古代及中世の学説」をしりぞけ,「始めて−経
(24)
済と倫理との区別を明かに.し」たという。つづいて「経済上自由放任主義」
がスミ.スに「胚胎」すると記し,さらに.「第5篇消費論は別ちて2章とし,第 1牽は消費の目的即ち国家の経費を論じ」たのであるが,この章の「今日より 最も注意すべきの価値あるものは.,教育費」であるとして,分業→単純労働→
(22)同上,20ぺ一汐。
(23)山崎怜「明治期におけるスミス租税第1原則の解釈について」,前掲,783−786ぺ」−
ジ。同「明治・大正期に・おけるスミス租税貨1原則解釈の諸類型」,前掲をもみよ。こ のドイツ財政学導入・確立の時代にアメリカの財政学者セリグマンの『租税論集』が 翻訳され,そのなかでつぎのようにかかれていたのであったが,それは上記の動向紅
かき消されたのであろうか。「アダム・スミスは全く社会利益の為めに支出せらるる 経費なるものあるを説き,随って此種の費用は全社会の人々各々共納税力に.縫って相
当の負担に.任ずるを以て至当とすべき旨を論ぜり。これ彼が後に至って説明せる如く,
正当の意味に於て租税と称すべきものなりとす。彼は之と同時に一斉紅於ては,裁判 費用の如く時紅最も庖接に・是に・由りて利益を受くるものあるを説き,随って此種の費 用は潰接之に.関係せる当事者をして支弁せしむるの至当なるを論ぜり。‥・要する紅 アダム・
のとを区別せんとするは,革克する紅租税と手数料との差別に外ならざるなり。」(セ リグマン氏煉著・大日水文明協会刊行叢書第33編『租税諭』191∩年12月,353−354ぺ−
ジ)。
(24)中西牛郎,前掲,18ぺ−ジ。
ー 9 − スミス租税第1原別の解釈とJ..S.ミルの影轡
労働者階級の愚昧化→迷信と狂/妄→治安と進歩の妨害(平時)→防衛任務遂行不 能(戦時)のスミスの論理とこ.れに対する国民教育の普及を中西はとりあげ,教 育費が「不生産的なりと雑も,国家の生存及び発達紅必要なるは言を嫉たず」
(2さ)
とする点は注目にあたいする。−・般に防衛費,司法費,公共部門,,主権者尊厳 維持費とされる形式的4部門費目構成がここに教育費の視点から分業論の環を 媒介として内的にさぐりあてられているのである。
また「スミス氏以為らく国民各個の収入は土地に.対する収益,資本に対する 利得,労働に対するの賃銀に外ならず,故に総ての税税ほ此の三者に課せざる
(2β) べからず」と中西はのぺ,4原則を簡略に・紹介したあと,「因に云ふ靖国厳復
民スミス氏の書を訳し,以上四箇の第一・を平とし,第二を信とし,第三を便と
(27)
し,欝四を褒としたるほ.最も妙なりとす」と評して唯一・の中国語訳に関説した ととも興趣をそそられる。
ⅠⅤ
田口卯吉はすでに.明治15年4月に.論説「海関税廃止すべし」のなかでスミ.ス の租税原則について,「経済学の太祖アダム・スミス氏其要を摘みて四訣を立 つ。其略−・に日く,凡そ−・国の臣民たるもの其所得に・準じて政府を支持せざる べからず。・……右四訣の内租税の是非得失を判決すべきものは第三第四のこ訣 に虐[くなし。之を約言すれば営業の妨害を為さざるものと租税徴収の費用多か
らざるもの、との二名是なり。請ふ蕊に・海関税の此二点紅於て最も有害なること
(妨)
を説かん」という。あきらか虻田ロほ海関税批判のためとはいえ,欝3,第4 の原則のみを竃祝し,飾1原則を「租税の是非得失を判決すべきもの」に.かぞ えず,これを軽視しただけでなく,この第1原則をもっぱら租税負担配分論と してのみ論評しているこ・とも黙過できない。ミルの名ほこれにかんするかぎり
(25)同上,18−19ぺ−ジ。
(26)中西牛郎,前掲,19ぺ一汐。これ紅もとづく中西の租税各論のとりあつかい紅つい てはここでほ省略したい。
(27)同上,20ぺ−汐。
(28)田口卯吉「海関税廃すべし」,『東京経済雑誌』105−9号,『鼎軒田口卯ま全集』貨6
巻,1928年6月,131ぺ−・ジ。
鱒45巻 発1琶
−J∂ − 10
(29)
言及されないにもかかわらず,その間接の影響を推定してもよいであろう。
罪1原則を問題視する田口の態度ほ.明治37年1月の論説「如何に.して国家を 裕にすべきか」でより鮮明となった。酒造税をめぐって容器税法の「実試」を 勧告する目的をもつ,この論説ほ.「国庫を裕にする」にほどうしたらよいかと いう一層の国庫主義とスミス租税原則の援用やウォルポ−ルの内国消費税計画 などにも言及する田口流の時論であるが,まず「余輩ほ日本帝国に.して大に其 の徴税主義を改正」して「国庫を裕に.すること容易な」らしめるために.「従来 徴税上に於て金科玉条として尊崇せらるる所のアダム・スミ.スの徴税四大格言
(30)
を審査することを必要なりとす」といい,4原則の引用からはじめる。この4 原則の紹介はみずからの指導に.よる本邦初訳の文章に.片かなを平かなにかえ て,僅少の手なおしをしたほとんど同・一・の翻訳文であり,とくに第1原則は原 文のままといって−よい。それを示すと,「第1,各国臣民ほ政府維持の為め に,成る可く文け其各自の身代に.準じて出金せざる可らず,委しく言へ.は政府 保護の下に.在りて各自に.享有する所の歳入に.準じて−出金せざる可らず。凡そ政 府費用の大国民に於ける猶ほ事務管理費の大田園聯合小作人に於けるが如し。
此等のものは此田園に有する利益の大小に.準じて各々出金せざる可ちず。而し て課税の公平なると不公平なるとは,此の格言を守ると守らざるとに.あり。⊥紅 記載したる三種の歳入の唯だ−・種に・畢寛墜ち来る所の租税ほ他の二種の歳入紅 影響せざる間は,必ず不公平のものたらざる可らず。諸税の左の考究に於ては 余は此の種類の不公平を之れより余計に論ぜざるべし。然れども最も多くの場
(29)この論説の他の箇所に・ほミルの名がしばしば登場しているが,デーマの関係から,
かならずしも好意的であるとはいえない。
(30)田口卯書「如何に・して国家を裕にすべきか」,『東京経済雑誌.』1219−21号,1904年 1月,『鼎軒田口卯書全集.』第6巻,1928年6月,492ぺ−ジ。田口ほ冒頭で軍備拡張 に賛成して増税紅反対したり,軍備拡張に賛成すればいかなる増税紅も反対できない
というのはいずれも「余輩の与みす能はぎる所」であり,「余輩は軍備紅関しては陸 軍拡張に反対し,海軍拡張に腰成したるものなり。否な原案の未だ総出せられざる紅
当りて其拡張の必要を唱へたるものなり。/余輩は歳入に関しては地租の増徴紅資成 し,煙草に.於ては段別法を主張し,其の専売法に反対し,酒造法に於ては容漁法を主 張し造石主義に反対し,営業税に・於ても……其の売上並に従業者辣税主義に反対した
り」(同,491ぺ−ジ)とのべている。
スミス租税発1政則の靡釈と.丁いS小三ルの影響 −∴臼一 11
(ママ)(ママ) 合にほ一・種の歳入ほ不公平紅墜ら来る。一一層甲税の為めに起る所の不公平に余
が観察を限るべし」と。
これは例の unde工,,を正訳するのみならず,第1原則のどの部分をも省略 していない点において.拍手をおくりたいのであるが,残念ながら田口ほこれを
(31)
内在的に.分析することをまったく放置して,つぎのように筆をすすめる。
田口によれば,「右第1条に於てスミ.スが……云えるは則ち地代,利息,賃銀
00 の3収入紅対し公平に徴税せんことを企図」したものであり,これほ.「格言と
して最も不都合のものなり.」であった。その理由の欝1はスミスがもしも所得 税以外のすべての租税を「全廃」するというのならば首肯できるけれども,「他 に地租消費税印紙税等を承認する以上はスミスが所謂公平の語は直紅消滅すべ し。」第2の理由は,租税をある特定の収入に.威課してもそれが転嫁するから,
「政府に・して一層の収入,一・種の営業に不公平に戚課するも其結果ほ一−・般に.公 平に波及する」,すなわちある税金が特定収入にかけられても「資本と労力とは
他の営業と同一・の割合を保つぺし。」そして第3紅「地代に課したる租税ほ他 に転移すべからず,之れを利息,若くほ.賃銀に及ぼすべからず,然れども地代
(32)
に課する租税の良き税源たることほスミス之を認むるものならず」である。
さらに.田口は「第一・格言」が「三種の収入に対して.−公平に濁すべし」の趣旨 でなく,たんに「公平に課すぺし」の趣旨にすぎず,それであれぼ,「第一・格 言」は「是れ明に.第二格言に因りて打破せられたるもの」である。この第2原 則は「確定不動」の主張,「専断不定のものなる司らず」で,「余輩はスミスの 第二格言に推服するものなり。」つづいて田口は第3原則ほ若干の注意をつゆ てこれを原則的に容認したうえ,第4原則について,「凡て至当の言なり。余輩 は世の政治家が之を反覆熟読せんことを衆望せざるを得ず。而して収税吏が政
(ママ) 府と人民との間紅立ちて此の如き弊害を為す所以のものほ。偏に徴税確定不動
ならずして独断不定なるに.基くことなり。故に.アダム・スミスの徴税四格言を
(31)田口ほ多分自己の示す訳文のもつ意味について自覚するところがない。怪我の功名 といわれても返すことばはないとおもわれる。
(32)田口卯吉,前掲,493−494ぺ−汐。白圏点は原文。
ーJ2− 第45巻 第1号 12
(33) 審査すれば公平と確定との軽重に過ぎざることなり」と強調する。
このように.かれは第1原則と他の原則を−・指して,両者の軽患を「公平と確 定との軽重」といい,「租税の公平にして且確定なるものあらば天下之より良き ものほなし。然れども若し此の方法に.して得べからざるに於ては,公平にt′て 独断不安のものを採らんか,将た不公平なりとも確定不動なるものを採らん か.」と設問し,みずから「確定」をとる。したがって「余輩ほ既に.アダム・
00 スミスの徴税四格言を審査し,彼の意志は専ら独断を攻撃し碇定を主張するに
あることを認めたり。アダム・.スミ.スの意志果しで此の如くならば余輩は全く
(34) 之に同意するものなり.」と。こうして田口はスミスの租税原則を「所謂独断主
し35\
義を改めて−確定主義を採るもの」としてこれを再編成しつつ,従壷税を一歩 すすめたとかれのかんがえる容器税法をスミスの名において提唱するのであ る。
さて,この田口の所説を批判的に検討したい。第1に.田口は何が何でも確定 主義により「収税吏の独断の領域」をのぞくために徹底的に第1原則の「不都 合」を揚言する。だから,ここでは明治15年の論説で等閑視されていた欝2原 則がにわかに.おどりでて第4原則と合体し,みずからの確定主義を補強するに いたる。田口のかかる実用主義は欝1原則中の「左の考究に於てほ.余は此の種 類の不公平凌之れより余計に.論ぜざるべし……」以下の,わたしの記号では
〔H〕を引用しながら,この含意をさぐることなく・一・方的に地阻を論じた箇所で のスミスの説明との矛盾をついている。これほ〔G〕および〔H〕が課税の「普遍 性」と「平等性」の混甫のなかで第1原則全体の全般的利益説と負担能力説
の存在を例示していることをみうしなった議論であるとい うはかはない。滞2 に田口のいう第1原則の「不都合」に.たちいってこれを点検しよう。「不都合」
(33)同上,494−495ぺ・−汐。
(34)同,495−・496ぺ−ジ。「既に.」て;・というのはスミスがある地租を論じたさい,第1 原則紅は反するが,他の3原則紅適合して「確定のものなり」と記述したこと(同,
494ぺ一汐)に関連している。そこで本文でさきに.も引用したように貨1原則はたん に「公平に課すべし」にあって「第一・格言は利息賃銀地代の三収入に公平に課すべ し」との趣旨紅「あらざること明なるぺし」というわけである。
(35)同上,505ページ。
スミス租税努1原則の解釈と.丁小S、ミルの影響 −Jβ−
13
ほ3点。第1点ほ.所得税単税主義以外はスミスの説が成立しえないというこ・と にあった。しかしスミスの時代を−・暫しただけでも田口のいうことの方に「不 都合」のあることは自明である。しかもスミス白身は「健力」の2字によってあ たらしい時代を宣言したほずのものである。第2点は転嫁に・よって公平主義の 根拠がぐずれるこ.との指摘であるが,これほ「普遍性」と転嫁論の混同,ある いほ「平等性」と転嫁論ゐ混線である。租税の転嫁を「普遍性」や「平等性」
やが考慮すべきものであるにしても,前者が後者に代屈しうる筋合のものでほ ない。そしてスミスもまた転嫁を無視すべきでないことをかきしるしている。
欝3点の「良き税源たる」地代をスミスは知らなかったという田口の非難ほか
(38)
れのおもいちがいで,スミスはスミスなりにまさにそのことを主張していた。
こうみてくると田口の意見がミルの,直接にか間接にか,影響下にあること は否定できないとおもう。もちろん,それほミルだけの影響でなく,リカ−ド
7やセーの通俗的解説者やミルの同じく平板な後裔の影響によることも十分か
(37)
んがえられる。しかし,第1原則をたんに負担配分論としてよみとり,これに
−他の3原則ときりほなして一集中攻撃をくわえるとすれば,「日本のスミ ス」田口に対して「ブルータス,おまえもか」といってもいいすぎにはならな いであろう。要するに田口ほスミスの租税原則を確実の原則に・のみ倭少化する 技師主義におちいり,欝1原則に・みられる「普遍性.」と「平等性」の産業資本 による醒めた宣言紅冒に.つぶるのであった。これもまた日本における早期スミ ス導入の間接性と俗流性の1例なのである。
Ⅴ
以上に應いて資料的制約のなかで明治10年代および明治30年代から40年代初 頭にかけての君子の所説の検討をおえ,問題の明治20年代にたちかえってミル
(36)木村元劇「アダム・スミスの財政論」,高島啓哉編『アダム・スミス』山根啓店,
1950年6月刊,297ぺ一−ジ以下。
(37)田口の「不都合」説の3点は正確紅はミルのみならず,かれ以外の父ミルやりか−
ドゥ主義の通俗化した自由主義経済学の同時代的主張をならべたてたものというぺき
かも知れない。
寛45巻 第1弓
一J4 − 14
の意味を再確認しようとおもう。この時代が明治20年を画期として徐々にド イツ経済学の導入・定着にむかうことは周知のことであるが,それはいわゆ る新旧両派経済学の対比となってあらわれた。R.T.イリ、−のrゐ¢Pが≠α彿d タグ一路狐=げP抽 わ■cαJβco〝∂研.γ,1884の邦訳,米国リチアード・チー・イラ イ原著・帝国大学教授文学博士和田垣謙三関・法学士経済理財専門嵯峨根不二
郎訳『新旧両派経済学要領全』(吉岡書籍店刊,1888年7月)もその代表例の
ひとつである。「旧」とは利己心中心の「永久・−・般人類に備はる本性」をみるイギ
(8S) リス古典派,「新」とはこれな否定するドイツ歴史学派であるが,イリーほミ.ル
をこの新旧の媒介的中間に位置づけたのである。「旦4甥実に旧経済学派先導 者の創作したる数多の演繹的学理に対して不満を感ぜり然れども猶ほ宅も其根 本を換ふることなくして特紅之に新材料を輸入し之を根拠として1京理を増補せ
しもゐにて一層特別の地位に腐り即ち新旧両学派の中間にありて旧を去るに忍 ず又新に入るを欲せざりしものの如し比如き地位にありしを以てi空氏ほ新学 派を興して其之視たること能はぎりしと軽ども演繹的経済学の価値紅対しで氏 の揚言せし疑点と氏が従来漸く旧主義を放棄する紅至りたるは実に新学派の興 るべき種子の植付ありしが為め英国にほ新説の発育を促し遂紅今日の好果を結 ぶに至りしなり1870年の頃より独逸思想を以て教育せられたる至二・1二・ヱ 旦ヱ・ヱ旦ユニ民が経済学の新主義を説きて演繹的経済学を攻撃するに方りて
(39) 世人耳を其新説に傾くもの多かりし所以のものほ.全くミル氏の教化」に.よると
イリー・ほいう。ここにほミ.ルの選巡への非難においてその「新主義」への過渡 的な「種子の植付」を評価する態度がある。原著者イリーのこの態度はまた訳 者嵯峨根不二郎の主張であった。イリ−はアダムズととも紅ドイツ社会政策学 会のアメリカ版といわれるアメリカ経済学会の創立者のひとりであるが,イリ ーたち肝いりのこの学会の初代会長にはMITの初代総長でもあったウォーカ ー(Francis Amasa Walker,1840−97)が就任する(1885年)。嵯峨根ほ明治23
(38)「新旧」という表現はよく知られているよう紅本書のみならず,当時の論者たち紅 よって使用された共通の標語であった。
(39)イライ原著・嵯峨限不二郎訳『新旧両派経済学要領』前掲,90−91ぺ−ジ。
スミス租税第1原則の解釈とJ.S‖ミルの影弊 −ヱ∂−
15
(40)
年このタカ・−カーの『応用経済学』を抄訳してスミス租税原則のミル的な理解を
(41)
間接に世砿ひろめただけでなく,みずから明治20年代の初期に東京専修学校講 師として丁一校外員」のための「租税論」講義をおこない,−・方ではドイツ財政学の
(42)
影響と他方では独仏の折衷に.たつフランスのルロワ・ポリユーに.沿う説明をこ ころみた。嵯峨根によれば,「政府ノ保護三園デ各人享受スル所ノ利益ノ多少二 比例レテ納税スレハ平等ナリト」とする「説モ云フヘクレテ行フへカラス何トナ
レハ何人力最モ多ク政府ノ保護ヲ受クルヤ何人力巌モ多ク政府ノ職務ヨリ利益 ヲ事クルヤ知り難グレノ、ナリ殊二政府ノ保護ヲ多ク享クルモノハ貧弱,無智ノ 者二多クレア富強ノ者多ク政府ノ保護ヲ要セサルへク然ヲハ最モ政府ノ保護ヲ 受クルモノハ最モ納税ノカニ乏シキモノナリ又政府ノ為ス所ノ事務ハ警察海陸 軍裁判所ノ如キ身体財産ノ保謹ノミニ止ラス誘導奨励ノ如キ公益事務ノ如キハ 国民中何人力最モ多クノ利益ヲ受クルヤハ知ルへ・カラス故二政府力尽ス所ノ職 務ヨリ納税者力受クル所ノ利益二比例シテ租税ノ額ヲ定メソトスルハ決シテ為
シ得へキモノエアラス具概算スラモ知ルヲ得サルモノナレハ此ノ如キ方法三蔵
(40)クォーカー氏原著・嵯峨根不二郎訳述『応用経済学』博文館,1890年。原本は Brief7bxi−BookofR?liticalEcow7n.y,1由6の第4部門たるSomeApplications of Economic PrincipIesである。嵯峨根にはこの訳書や以下紅ふれるもののほか,
『経済原理』,『貨幣論』(いずれも明治23年刊)の著作がある。
(41)山崎 怜「明治期に.おけるスミ.ス租税第1原則の解釈について」,前掲,781−782ぺ
−ジ。嵯峨根の翻訳によるウヵーカーは undef・ を「依リチ」とし,欝1原則を補 正して「各国ノ人民ハ成ルベク各自ノ能力ニ準ジテ納税スベン」としている。ここで
も第1原則ほ根拠論の性格をうしなって配分論のみ紅純化される。
(42)嵯峨根ほコツサのみならず,ドイツのシュタイソ,ワープナ・−,ヲウなど紅注目 し,「租税論ヲ経済学ノー・部二加へ分配篇二於テ分配ノー・流と為シ倉卒論レ去ルヲ常
トス」る「英国経済学」でほなく,「余ハ租税論ヲ経済学申に属スルモトセスシテ■経 済学レ、独立シタル財政学中二置カントス財政学ハ・・1漸ク儲蘭西及ヒ独逸ニ於テハ
一利独立ノ学問トナレリ」(東京専修学校講師・法学士嵯峨根不二郎講述・小倉光太
郎筆記『租税論』1889年11月,11−12ぺ−ジ。発行年月ほ目次のまえに.とじたものの印 刷に.よる)とのべている。そ・の意味ではミルもまたこの「葵国経藩学」に属し,租税 の「原理原則ヲ講明」しなかった部類のひとりであり,嵯峨根はミルをこえてドイツ 財政学に近づいた。この『蘭税論』をはじめ,後述のものもふくめて専償学校の講義
録をよみえたのは森下澄男,木崎審代治両氏のど好意紅よる。なお,専修学校の経済 学上の講義録については序説的な紹介ではあるが,つぎの<資料紹介>をみよ。額下 澄男「専修学校の経済学講義録紅ついて(一っ」,『専修商学論集』第12号,1972年1
月,173ぺ一汐以下。
寛45巻 発1考
−J6− 16
(娼)
リテ租税ヲ賦〔課〕セントセハ遂二不公平二陥ヲサルヲ得ス」という。これがミ ルの名を示さずしてのミルの言辞の援用であることほ.くりかえすまでもない。
そ・こで嵯峨根ほ例によって−スミ.スの第1原則をもっぱら配分論にくみかえ,
ポリュ一に.したがっで比例税主義を採用しつつ,それが根拠論としの個別的利 益説紅もとづくものでない所以を以下のように力説している。「余輩ハアダム・
旦iぞ民力唱道セレ租税ハ四則ノ第一・ニ雷キタル「租税ノ、国民ノ財力ニ比例ソ テ賦課徴収スへキモノナリ」トノ原則ヲ以テ公平ヲ得ルノ原則トナサントス夫
レ租税ヲシテ各人ノ財力ニ比例セレメソトスルハ決シテ財産ノ多少ヲ以テ各人 力政府ヨリ利益ヲ受クルノ多少ヲ示セルモノトナスカ故ニアラス元来政府ノ保 護ハ単二財産ノ上二止マラス身体ノ安寧ヲモ保護シ又人智道義ノ進歩ヲ封り物 質上ノ福祉ヲ増進シ殖産工業ヲ奨励スルコトモ司ルカ故二財産ノ多寡二応レタ 政府二保険料ヲ払フト云フカ如キ思想ノ\甚クレキ誤謬ナットハ余輩ノ曽テ駁撃 シタル所ナ・り故二組税ヲシテ其財力ニ比例セシ.メソトスル所以ノモノハ政府ノ 費用ハ国民力社会相維持スルノ精神二由リテ共同シテ負担セサルへカラサルモ
(44)
ノナレハ各人ハ自分ノ貧富ノ程度即チ財力ニ応シテ之ヲ納メサルヘカラス。」あ きらかにかれは共同負担説に.依拠してミル的言説を強調するわけであるが,こ こで折角の配分論における応能主義に対応した根拠論としての全般的利益説に 到達しえないのほおそらく嵯峨板に.あたえたドイツ財政学の影響であった。嵯 峨根ほ講義の冒頭において国家の職務に.ふれ,そのひとつに「国家自身ノ存在
(45)
ヲ保持レ」という国家生存説を宣扮し,「租税ノ定義」に.「租税トハ政府一 切ノ公務二供スルカ為メ政府力強制シテ人民ヨリ徴収スル人民財産ノー・部ナリ
」を示し,「強制」の「ニ字ヲ用ヒシハ租税ハ全ク任意ノ献金卜異ナルコトヲ
(48)
示サンカ為メナ・リ」と注釈をくわえ,これによって過去の,とくに英仏の所説
(43)嵯峨板木二郎講述『租税論』,前掲,110−111ぺ−ジ。ただし,この説明文申紅スミ スの名はない。
(44)同上,111−112ぺ−ジ。なお,同上,126−127ぺ−ジ。
(45)同上,15ぺ一汐。
(46)同上,16−17ぺ−ジ。
17 スミ.ス租税第1原則の解釈とJけS巾ミルの影響 −J7 −
(47)
を批判し,「租税二閲スル名辞」はドイツ語群から説明するのである。
だが,嵯峨娘のはあい,かかるドイツ主義の足音のたかさと同時に.過渡期の 人物にふさわしくスミスの巨名をすてがたいかのよう紅,「千七百七十六年著明 ナルZダ卓二そÅ旦氏ノ国富論世二出テクリ民ノカニ依リテ経済学カ・一層真正 ナル科学タルノ地位二進ミント同時二民ハ又財政学ノ進歩ヲ討助センコト砂カ ラス即チ氏ノ大著中殆卜其四分ノー・ノ、租税ノ理論ヲ論述スルコトニ用ヒヲレタ
リ而ンテ氏ノ初メタ唱道セシ租税四則ノ如キイ、蔑古不滅ノ真理サリトシ今日ト
(48)
耕モ皆称賛スル所ノモノナ・リ」といい,さらに.スミスの租税原則についてこ・う のぺる−「ヱ芝卓二そÅ三周ハ既ニー膏年ハ往昔租税ノ良剤如何ヲ探究シ四 条ノ定則ヲ置キチ以テ世∴人ノ注意ヲ喚起セリ其定則ノ如キ光輝燐然トレテ今日 二至ルマタ財政学理ノ指針トナ・リテ敢テ朽敗スルコトナレ‥…・今蕊二前述諸原 則中Z空室二旦i旦氏ノ唱道セレ四則い、何ナルヤヲ示サンカ為メ左二之ヲ引 用セン是レ民力財政上二放チタル充輝勲功ヲ退忘セサランカ為メナリ氏日ク/
欝−・,凡ソ国民タル老ハ可成丈ケ其財力ニ応シテ政府ノ費用二供給スへシ即チ 各具有スル所ノ歳入二応シテ\政府二支給スへ・シ抑々政肝費用ノ−・国人民二於ケ
ルハ尚ホー・大財産取扱費ハ衆財主二於ケルカ如シ其財産所有主タル老ハ各我所
(49)
有高二応ソテ費用ヲ姶セサルへカラス云々。」ついで第2,第3,欝4原則を構
(47)同上53ぺ−ジ以下。これほ課税物件とか,税源などという用語群がドイツ財政学 紅起因することからも自然ではあるが,やはり鮮烈な印象をあたえる。
(48)同上,10ぺ一汐。ここで Wh汀摘=り■∧b如〝・Sを「国富論」としていることは,当 時,「富国論」が−・般的であることをおもえば,止目すペきととである。しかし,同 上,100ぺ一汐では「富国論」となっており,筆記者小倉の怪我の功名,もしくは組 版上の手ちがいともかんがえられよう。ただ,そうであるに.せよ興味のあるのは,こ
の嵯峨根の講義筆記に合本されている文学士加藤彰廉講述・高雄馬一・郎筆記『租税 論』6ぺ・−ジ紅も同工異曲の文脈紅おいて「国富論」となっていることである。関係
部分を示すと,「アダム・スミスノ、一・般ノ経済学二付キテ最モカヲ轟シタルノミナ・ラ ス相磯ノ問題二至リデモ其真理ヲ講究セルコト遜二他ノ経済学着工勝り後世租税ノ事
ヲ論スル者ニシテそ三三ノ租税四則ヲ称扮セル者アラサル程ナリ即チ・共著番国富論中 英四分ノー・ノ、租敬二閑スル理論ヲ以テ墳充セリ」(同上,6ぺ一汐)。
(49)嵯峨板不二郎講述『租税論』,前掲,122−123・ぺ一汐。とこでかれが,化underわをふ ぐむ保護説のコンテクストたる〔B〕を欠落させているし,〔D二了,〔EJの比喩の文 章もまた根拠論の性格を喪失して「各我所有高二応シテ」云々の原文に.ない1文を随
伴することに.留意されたい。
第45巻 第1号 18 ーJβ −
作0)
記したあと,「是レ則チアダム・スミス氏ノ四則ニレタ其第一ノ、租税ノ分配二間 スル理論上ノ則エペ/テ其二条以下三条ハ則チ∵租税ノ戚課徴収二間スル実施上ノ
(ふ1)
則トス」といい,第1原則の配分論的純化をみずから明言するのであった。
こうして嵯峨根において特徴的なことの欝1ほドイツ財政学の影響が明治20 年(1887年)1月から明治22年(1889年)12月にかけて実施された専修学校「校外昆
」のための講義録に−その時期がいみじくもわれわれの近代化の画期にあた る点で重要−あらわれたことを如示すること,しかし欝2に.その影響にもか かわらず,明治30年代後半以降とことなりスミースの租税帯1原則を拾棄しない で−すでにみたように眉口ですら捨棄したのである−これを配分論に.再編 したうえでつよくみずからの説としたこと(これは明治20年代初期がなおスミスの 令名を忘れが長い過渡期であることを教示する),そして㌧第3にこの根拠論ぬきの比 例税的配分論がやがて累進税主義を導入する過程で形式化したスミスの名を拾 棄する予定のドイツ財政学の礎石となったことであろう。それだから,嵯峨根 は「■アダムてj ▼
今日二重ルマテ世人ノ称道スル所ナレトモ現今ニアリデノ、猶ホ其他工数多ノ原 則ヲ生セリ余輩ハ請フ是ヨリ先ツ租税ノ三太原則ヲ説述セン」として,欝1は
「政治上公正ノ原則」,第2ほ「経済上ノ原則」,第3ほ.「財政ノ原則」をあげ,
(52)
それぞれ,かなりくわしく解説しているが,あきらかに・それはドイツ財政学の
(53) (54) 通俗的要約たるコツサの3大原則に照応しているとおもわれ,叙述の不整合の
(50)算1原則以外の諸原則紅ついは別の視角からあらためてとりあげたいとおもう。
(51)嵯峨板不二郎講述『租税論』,前掲,124ぺ−ジ。ここでの「分配三関スル理論上ノ 則」とは今日のいわゆる租税配分論のことである。
(52)同上,99ページ以下。
(53)コツサの『財政学』を導せの糸とする和田垣謙三の1文「財政学大意」が明治20年 創刊の『国家学会雑誌』に掲載され,その『財政学』の町田忠治紅よる翻訳(イギリ
ス語訳からの重訳)が明治22年に.,またドイツ語訳からの重訳が明治35年(1902年)
に.和田垣謙三に.より−「法科大学学生工藤重義氏のカを籍」りて−だされ,また
その翻案ともいうべきエーエペルヒ『財政廉論』(寺田勇吉・平塚定二郎共訳)が明
治24年(1891年)に公刊されたのもいずれもその出版時点からみて明治期紅おけるコ ッサの影響の,とく紅画期としての意味の大きさを象徴しているが,コツサ紅よれば
「スミス氏の門弟及びカント氏紅従ふ学者は,国家の機能を以て只身体及び財産の法
律上の保護のみ紅制限するの謬説紅陥りたり」(伊国ルイギ・−・コツサ原著・独国力
スミス租税第1原則の解釈とJいS.ミルの影響 −J9−
19
なかでの嵯峨根の志向の行方は疑問の余地がない。
嵯峨根の講義録に合冊されている前出の加藤の講義録もまた嵯峨板の内容に 類似して−ポリュ−の所説に.したがうし,スミスの処理も酷似する。たとえば
「Zぞ全二旦ミ二冬以来世ノ経済学老(近頃ノ財政学者ヲ除キ)エンデ租税ノ学 理二開レ特別二其思考卜時間トヲ費ヤシタルモノ甚少ク偶々之アルモ練二直税 問税ノ利害得失及ヒ各税負担ノ帰スル処ヲ論スルニ止マリ租税全体ノ事二至リ テヱ空室二そjr旦ノ四則ヲ解説スルノ外吏二思想ヲ費ヤシタル者アルヲ見サル
(55) ナリ」は嵯峨根の「アダム・スミ女氏ノ徒弟及ヒ氏二亜キデ起リタル経済学者 中ニノ\全ク財政ノ事二論究ヲ試ミサルモノ多ク……該学ノ考察ニハカヲ用フル コ†極メテ少レトス即チ旦土,リカード,】と旦旦乙芝二,空ヱと」二,旦阜ヱ二
ユアL−ト・ミル,フヵ・−セット等ノ輩ハ幾分力財政ノ事二論及セ リ然レト 星空
モ其論スル所統ニ芝生二_互主ヱ氏ノ租税四則ヲ解説スルニアラスンハ直税間 税ノ利害得失及ヒ租税負担板転ノ事等二閑シテ弁説セレニ止マリ学理的ノ順序
(56)
ニ由リテ拾ク租税ノ性質ヲ研究シ原理原則ヲ講明セレ者アルヲ見サルナ■リ」の 主張に対応しているし,「租税ノ原理原則トナ・ルヘキモノ決レタ旦j_そノ四則ニ
(67)
止マラス.」という加藤の口吻も既出の嵯峨根の発言に.瓜ふたつといってよい が,いくらかの相異ほ加藤のばあいアダム・スミスの租税論について「租税ノ、
(53〉 交換ナリ.」とするものと「同説ナルカ如レ」と根拠論的に.明言してこれを批判
−・サ叫、ヱ・−ヘベルヒ独訳・日本法学博士和田垣謙三壷訳『財政学仝』金港豊吉籍株 式会社刊,1902年5月,17ぺ−ジ)となる。ミル的発想紅留意。この明治35年版のコ ッサ訳は後掲の添田寿−・『財政通論』とともに東北大学図書館所蔵本を穿川尚周氏の
ご好意でよみえた。コツサの詳細については別の機会に論じたい。
(54)「現今ニアリテノ、猶ホ其他ニ」と嵯峨根はいっているが,じつはスミスの原則が,
「訂正」されたうえで3大原則の1部にちりばめられているはずであって,この混乱 はかれの過渡的な性格と意中をおもわず示したものである。
(55)加藤彰廉講述『租税論』,前掲,6ぺ一汐 。おなじぺ一−ジの酷似した他の1文はさ きに月t用しておいた。
(56)嵯峨板不二郎講述『租税論』,前掲,11ぺ−ジ。ここに挙名された論者の氏名はそ のはかの論者たちとともにではあるが,加藤紅おいてもはとんど同様の文意忙したが って前出につづくパラグラフにあらわれている。
(57)加藤彰廉講述『租税論』,前掲,8ぺ−ジ。
(58)同上,14ぺ−汐。
第45巻 第1号
・−2β − 20
して‥いること,また加藤は嵯峨根はどにはドイツの財政学者にふれず大方はポ リュ一による。・そのために,租税負担の方法を基準とした租税分類の学説を紹 介するにさいして:,嵯峨板はラウやワーグナーの説をもややくわしくかえり魂
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ているが,加藤はミルとがリコーの説に・「如クモノアラサルナリ」としてラク
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やワーグナーには貢及しない。しかし,これらは基本論旨のちがいとほいいが たいし,とりわけ,ミルの事実上の影響を謁査しようとする小論からすれば問
(81) 題とするにたりないとおもう。
ところでこの加藤ほミル『原理』第4篇およ.び帝5篇にもとづく「応用経済
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学」の講義をこころみ,のこされた2席の講義筆記からも,加藤のミルへの敬 意がうかがわれるし,ミルのこの時代にもった画期としての意儀もまた付言す
るまでもない。ただし,加藤ほこの講義録でみるかぎり渡辺や和久とちがって く鮎〉
スミスの例のパundeI・〃を「下ニアリチ」と正訳しており,同時に例の f工・Om,,
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