個人年金保険の市場規律に関する一考察
相関関係の分析
徳 常 泰 之
■アブストラクト
護送船団行政の時代では,競争制限的な規制が行われていたため,保険会 社の破綻について,保険契約者は考慮する必要がなかった。保険業法改正以 降,規制緩和が進展したが,一方で逆ざやの問題や保険会社の破綻により契 約者が不利益を被る問題が発生した。保険契約者にとって,保険会社を選択 することの重要性が増加している。
本稿では,保険会社の財務状態に関する指標(ソルベンシーマージン比率,
格付情報)が変化することで,個人年金保険の契約に関する指標(保有契約 数,新規契約数,解約率など)がどのように変化するのかという点について,
保険会社の財務状態に関する指標が良化すれば,保有契約数,新規契約数 が増加し,解約率が低下する。他方,財務状態に関する指標が悪化すれば,
保有契約数,新規契約数が減少し,解約率が上昇する という仮説を立て,
変数間の相関関係の分析を行うことで市場規律が存在する可能性について検 証を行い,市場規律が存在する可能性が確認された。
■キーワード
個人年金保険市場,市場規律,相関分析
(愛知学院大学)報告に
*平成25年10月27日の日本保険学会 平成26年5月1日原稿
よる。
/ 受領。
1.はじめに
個人保険のマーケットにおいては,バブル経済崩壊以降,長年にわたり死 亡保障に対する需要が鈍化している。一方,個人年金保険や医療保険に代表 される第3分野に対する需要が伸張しマーケットが拡大してきた。
個人年金保険とは,個人が保険会社と任意に契約を締結し,保険料を払い 込み,将来の必要なときに年金の形態で受け取る保険である。個人年金保険 は私的年金に区分され,公的年金などでは充足できない部分を補完するため に利用されている。2002年10月,銀行窓口での個人年金保険の販売が解禁さ れ個人年金保険市場は急成長した。しかし,2008年9月のリーマン・ショッ クにより資産運用環境が悪化したため,個人年金保険の新規契約の募集を停 止し,個人年金保険市場から撤退する会社が出現した。
規制緩和以前の護送船団行政の下であれば,競争制限的な行政の規制が行 われ,保険会社の業績が悪化し破綻するということについて,保険契約者は 考慮する必要がなかった。1995年の保険業法改正以降,保険業界では規制緩 和が進み自由化が進展した。その一方で,逆ざやの問題や保険会社の破綻に より契約者が不利益を被る問題なども発生した。保険契約者にとって,保険 契約の締結に際して保険会社を選択することの重要性が増加している。
以下,本稿では個人年金保険を販売している生命保険会社の財務基盤の健 全性が個人年金保険の保有契約数,新規契約数,解約率などに与える影響に ついて変数間の相関関係を分析することで個人年金保険市場に市場規律が存 在する可能性について考察する。
2.研究の背景と先行研究
個人年金保険を販売している生命保険会社の財務基盤の健全性が個人年金 保険の保有契約数,新規契約数,解約率などに与える影響について,変数間 の相関関係を分析することにより,個人年金保険市場に市場規律が存在する 可能性について考察する。
規制緩和以前の護送船団行政の下では,競争制限的な行政の規制が行われ ていたため,市場規律は有効に機能せず,またその必要性はなかった。しか し,自由化の進展に伴い,1990年代後半以降に市場規律が重視されるように なってきた。
保険会社の健全性の確保について植村(2009)によれば, 1.行政によ る規律,2.ガバナンスやリスク管理態勢などの自己規律,3.ディスクロ ージャーや格付け会社,株式市場,マスメディアなどを通じた市場規律の3 種類がある とされ,保険自由化・規制緩和の流れの中では市場規律が重 視されるようになってきた。
市場規律とは監督機能と影響機能から構成されており,自由化・規制緩和 が進展する中で,非常に重要視されてきている。特に銀行業界における 市 場規律 に関する研究が進んでいる。
銀行業界における市場規律と保険業界における市場規律は,商品の特性や 他社への乗り換えが容易ではないことに起因して性質を異にすると考えられ る。
本稿に関連する先行研究として,保険会社の外部評価を容易にしたことに ついて検証した家森・浅井(2004),保険会社のディスクローズが拡充され てきたことにより,市場規律が機能する前提条件が整いつつあることについ て検証した浅井(2006),ディスクローズに進展はあるが,情報格差は解消 されていないことについて検証した植村(2001)などを本稿の出発点として いる。
松浦・白石(2004)では,生保危機下における市場規律について検証し,
ソルベンシーマージン比率が機能していることについて検証している。永田
(2011)では,契約者は保険会社のリスクに反応しているということについ
1) 植村(2009)pp.62‑63。ただし,植村(2009)p.69によれば, ディスクロ ージャーを通じた市場規律は,保険会社特有の用語や財務諸表,保険事業に特 有の収益・リスク構造,不十分な情報開示とアナリスト機能の弱さからこれま で十分機能してこなかった。 とされる。
て,さらに永田(2012)では,契約者は平常時と危機時に区分し,危機時に はリスクに強く反応することについて検証している。しかし,植村(2009)
では,1990年代後半に破綻した生命保険会社の経営内部の調査から,自己規 律,行政による規律および市場規律のいずれもうまく機能しなかったことに ついて検証している。その上で,ソルベンシーマージン比率等の健全性規制,
保険会計やディスクロージャーなどについては改善の余地があると指摘して いる。
また,Epermanis and Harrington(2006)では,保険会社の格付の変化 が収入保険料に影響を与えるという視点から,Zanjani(2002)では,保険 会社の格付の低下が解約の増加につながるという視点から,Cummins and
Danzon
(1997)では,保険会社のデフォルトリスクと保険価格の関連という視点から,Sommer(1996)では,自己資本比率の変化がポートフォリオ リスクを変化させ,保険価格に影響を与えるという視点から保険市場におけ る市場規律について検証している。他方,
Carson,Doran and Dumm
(2011) では,個人年金保険市場において,財務内容が良好な会社の方が保険料を引 き下げているという従来とはまったく性質が異なる市場規律が存在するとい うことを検証している。さらにPark and Tokutsune
(2013)では,日本 の生命保険業界に焦点を当て,格付情報とソルベンシーマージン比率による 市場規律の存在について検証した。3.実証分析
本稿では,保険会社の財務状態に関する指標(ソルベンシーマージン比率,
格付情報)が変化することによって,個人年金保険の契約に関する指標(保 有契約数,新規契約数,解約率など)がどのように変化するのかについて分 析する。
必要なデータは生命保険会社発行のアニュアルレポート(年次報告書)か ら入手し,一部の格付情報は保険会社や格付会社より直接入手している。保 険会社を格付取得の有無により区分し,ソルベンシーマージン比率や格付情
報の変化が,個人年金保険の保有契約数,新規契約数,解約率などにどのよ うな影響を与えるのかについて,変数間の相関関係を分析することで検証す る。
また,保険会社が格付会社から取得している格付情報の数や個人年金保険 を販売している保険会社の会社組織形態が相互会社かどうか,同じく外資系 の保険会社かどうかが契約に何らかの影響を与えているのかどうかについて も分析を試みる。
3‑1 使用データ
生命保険会社発行のアニュアルレポート(年次報告書)から本研究に必要 となる基本的なデータ(ソルベンシーマージン比率,格付情報,保有契約数,
新規契約数,解約率,会社属性)を入手した。保険会社によって異なるもの の,1998年度から2012年度までのデータを可能な限りで使用し,分析の対象 としている。
格付情報の一部については生命保険会社より直接,情報提供を受けている。
また,スタンダードアンドプアーズ社,ムーディーズ社,フィッチ社および 日本格付研究所により公開されている保険会社の格付情報の月次データも併 せて利用している。
3‑1‑1 財務状況に関する変数
⑴ ソルベンシーマージン(SM)比率
保険会社の保険金支払い余力を示すソルベンシーマージン比率を用いるこ とにより,保険会社の財務状況の状態を年度ごとに数字で把握可能である。
ただし,ソルベンシーマージン比率は決算時点での数値である点には注意が 必要である。ソルベンシーマージン比率は保険会社の保有資産である株式の 価格の影響などを受けやすいため,毎年(または毎四半期)変動する。
1995年の保険業法の改正により,行政(監督官庁)による財務内容に問題 のある会社を早期発見,早期対応することを目的としてソルベンシーマージ
ン比率を指標として用いることになった。過去の破綻した保険会社の分析で は,直近の決算では問題がないとされる200%を超過していても破綻する事 例があったため,ソルベンシーマージン比率という数値に絶対的な信頼性が あるとは言い切れない。
ソルベンシーマージン比率を元にした変数は次の4つである。①ソルベン シーマージン比率新基準(SM新基準):2011年度から採用された算出方法 により算出されたソルベンシーマージン比率。②ソルベンシーマージン比率 旧基準(SM旧基準):2010年度まで採用されていた算出方法により算出さ れたソルベンシーマージン比率。③ソルベンシーマージン比率対前年比
(SM比):前年に対してソルベンシーマージン比率がどれだけ変化したかを 算出。ソルベンシーマージン比率が良化すれば正の値に,悪化すれば負の値 になる。④ソルベンシーマージン比率対前年比
dummy
(SM比dummy
):前年に対して良化した場合には1,悪化した場合には − 1,変化しなかっ た場合には0を入力する。
⑵ 格付情報
格付情報を取得している保険会社である場合,Morgan(2002)を参考に 格付情報を数値化(AAA →10,AA+
→9,……,BBB− →1,BB+以
下→0)して分析する。
格付会社により,格付の評価基準が異なるものの,格付情報はソルベンシ ーマージン比率と比較して,あまり変動しないという特徴がある。格付情報 のアウトルックについては,格付情報そのものと比較して変動する特徴を持 っているが,アウトルックの時系列データが入手できなかったため,本稿で は格付情報のアウトルックは用いていない。
外資系の保険会社がグループ全体として格付情報を取得している(日本の 営業拠点だけでは格付情報を取得していない)保険会社についても除外せず に含めている。
格付情報を元にした変数は次の3つである。⑤格付取得数:保険会社が格 付会社から取得している格付の数。格付取得数が多い保険会社ほど,財務状
況や契約状況などを含めた情報を積極的に公開する姿勢があると判断するこ とができる。⑥格付情報対前年比(格比):当該会社が取得している格付情 報を数値化したものの合計を算出し前年の数値と比較。格付情報が良化すれ ば正の値に,悪化すれば負の値になる。⑦格付情報対前年比
dummy
(格比dummy
):前年に対して良化した場合には1,悪化した場合には − 1,変化 しなかった場合には0を入力する。3‑1‑2 契約状況に関する変数
⑶ 保有契約数(個人年金保険)
個人年金保険を販売している保険会社の個人年金保険の保有契約件数の推 移を変数として用いる。保有契約数を元にした変数は次の3つ。⑧保有契約 数(当該年度),⑨翌年度(t+1)および,⑩翌々年度(t+2)の保有 契約件数を算出する。当該年度の財務状況に関する変数(ソルベンシーマー ジン比率,格付情報)が変化した影響が,当該年度,翌年度(t+1)また は翌々年度(t+2)の保有契約の状況に出現するかどうかを検証する。市 場規律が有効に機能しているのであれば,財務状況を示す変数と正の相関関 係がみられると考えられる。
⑷ 新規契約数(個人年金保険)
個人年金保険を販売している保険会社の個人年金保険の新規契約件数の推 移を変数として用いる。新規契約数を元にした変数は次の3つ。 新規契約 数(当該年度), 翌年度(t+1)および 翌々年度(t+2)の新規契 約件数を算出する。当該年度の財務状況に関する変数が変化した影響が,当 該年度,翌年度または翌々年度の新規契約の状況に出現するかどうかを検証 する。市場規律が有効に機能しているのであれば,財務状況を示す変数と正 の相関関係がみられると考えられる。
⑸ 解約率(個人年金保険)
個人年金保険を販売している保険会社の個人年金保険の解約率の推移を変 数として用いる。解約率を元にした変数は次の3つ。 解約率(当該年度),
翌年度(t+1)および 翌々年度(t+2)の解約率を算出する。当該 年度の財務状況に関する変数が変化した影響が,当該年度,翌年度または 翌々年度の解約率に出現するかどうかを検証する。市場規律が有効に機能し ているのであれば,財務状況を示す変数と負の相関関係がみられると考えら れる。
3‑1‑3 会社属性に関する変数
⑹ 相互会社
会社組織形態が相互会社であるかどうかが個人年金保険の契約状況に影響 を及ぼしているかどうかを検証する。
⑺ 外資系の保険会社
外資系の保険会社であるかどうかが個人年金保険の契約状況に影響を及ぼ しているかどうかを検証する。特に,2008年のリーマン・ショック以降に外 資系の保険会社を中心として個人年金保険の販売停止や日本市場から撤退す る事態となった。これらの事態が個人年金保険の保有契約,新規契約,解約 率の状況に影響を与えている可能性が考えられる。
3‑2 グループ分け
格付取得の有無により全会社(格付情報取得会社+格付情報非取得会社),
格付情報取得会社,格付情報非取得会社とグループ分けを行う。また,全期 間,2007年度までの期間(1期)および2008年度以降の期間(2期)に分け て分析を行う。
4.本稿における仮説
バブル経済崩壊後の1990年代後半から2000年にかけて,資産運用環境の悪 化により生命保険会社が7社破綻した。セーフティネットとしての契約者保 護機構が存在するものの,保険会社が破綻すれば予定利率の引き下げ,責任 準備金削減などにより保険金が削減されることになる。過去の事例では特に 個人年金保険のような保障性よりも貯蓄性に重点が置かれた保険では削減幅 が大きくなる傾向があった。また,2008年に発生したリーマン・ショックに より,資産運用環境が急激に悪化したため,資産運用機能が重視される個人 年金保険市場は販売停止や日本市場から撤退する外資系の保険会社が出現す るなど大きなダメージを受けた。
本稿においてこれらの背景や先行研究を踏まえた上で, 保険会社のソル ベンシーマージン比率や格付情報が良化すれば,保有契約数,新規契約数が 増加し,解約率が低下する。他方,ソルベンシーマージン比率や格付情報が 悪化すれば,保有契約数,新規契約数が減少し,解約率が上昇する という 仮説を立て,変数間の相関関係の分析を行うことで個人年金保険市場に市場
表1 グループ分けとサンプル数
グループ分け サンプル数
① 全会社全期間 383
② 全会社 − 1期(〜2007年度) 187
③ 全会社 − 2期(2008年度〜) 196
④ 格付情報取得会社全期間 295
⑤ 格付情報取得会社 − 1期(〜2007年度) 118
⑥ 格付情報取得会社 − 2期(2008年度〜) 177
⑦ 格付情報非取得会社全期間 88
⑧ 格付情報非取得会社 − 1期(〜2007年度) 69
⑨ 格付情報非取得会社 − 2期(2008年度〜) 19
規律が存在する可能性について検証を行う。
5.分析結果
以下,分析に用いた変数の特徴を考慮したうえで,個人年金保険の市場規 律に関連すると考えられる変数間の相関関係を分析し,有意水準(1%水準,
5%水準)にある正の相関関係,負の相関関係が観察されたものを抽出する。
併せて有意な相関関係が出現することが期待されたが,観察されなかった相 関関係も抽出する。(表2参照)
全会社および格付取得会社における相関関係の分析から,格付取得数と保 有契約数,新規契約数および解約率との間については,市場規律が存在する 可能性が十分に考えられる。それと比較して,SM比,SM比
dummy
,格 比および格比dummyについては,部分的には市場規律が存在する可能性が
考えられる。しかし相関関係がうまく出現しない場合もあった。SM新基準 およびSM
旧基準については,保有契約数,新規契約数および解約率との 間に有意な相関関係が見られなかった。格付非取得会社における相関関係の 分析から,SM比と保有契約数,新規契約数および解約率との間に相関関係 が部分的に見られた。SM新基準およびSM
旧基準については,全会社お よび格付取得会社と同様に保有契約数,新規契約数および解約率との間に有 意な相関関係が見られなかった。格付取得会社に比べて,市場規律が機能し ているということを示す相関関係は少なかった。期間については,特に2期では保有契約数,新規契約数と外資系の変数間 には負の相関関係がみられ,解約率と外資系の変数間には正の相関関係がみ られた。リーマン・ショックの影響が出現している可能性が考えられる。
格付情報取得会社については,取得数が情報開示に積極的であるというシ
2) 分析結果の詳細については文末の表3〜表7を参照。紙幅の都合上,格付情 報取得会社1期・2期,格付情報非取得会社1期・2期については割愛。詳細 を希望する場合は執筆者(tok@kansai-u.ac.jp)まで。
表2分析結果の概要
グナルとして機能している可能性があり,市場規律が有効に機能している可 能性がある。他方,格付情報非取得会社については,有意な相関関係があま り存在しなかった。これは格付情報を取得していないことが情報開示に積極 的でないというシグナルになっている可能性があり,市場規律が有効に機能 していない可能性が考えられる。
今回の分析結果から
SM
新基準やSM
旧基準の数値そのものは市場規律 に影響していない可能性が考えられる。全般的に格付情報の方が,ソルベン シーマージン比率よりも相関関係が認められた。6.おわりに
本稿では個人年金保険を販売している生命保険会社の財務基盤の健全性が 個人年金保険の保有契約数,新規契約数,解約率などに与える影響について,
変数間の相関関係を考察することにより,個人年金保険市場に市場規律が存 在する可能性について考察してきた。
個人年金保険の市場規律に関連すると考えられる相関関係の分析結果より,
ソルベンシーマージン比率や格付情報と保有契約数,新規契約数,解約率と の間で 保険会社のソルベンシーマージン比率や格付情報が良化すれば,保 有契約数,新規契約数が増加し,解約率が減少する。他方,ソルベンシーマ ージン比率や格付情報が悪化すれば,保有契約数,新規契約数が減少し,解 約率が上昇する という相関関係が認められ,個人年金保険市場に市場規律 が存在する可能性が確認された。
ただし,現段階では銀行業界のように市場規律が有効に機能していると断 言できる段階ではない。
今後の研究の方向性については,今回の相関関係の分析とは異なるアプロ ーチで市場規律の存在を検証することや,他の保険種目(生命保険,損害保 険)での分析を通じて市場規律の存在の検証などを進めていく。
(本稿は関西大学在外研究員(平成22年度)としての研究成果の一部である。)
(筆者は関西大学商学部准教授)
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表3全会社全期間相関係数
表4全会社1期相関係数
表5全会社2期相関係数
表6格付情報取得会社全期間相関係数
表7格付情報非取得会社全期間相関係数