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〈日本語解説〉「オーストラリアの客家移民」

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〈日本語解説〉「オーストラリアの客家移民」

著者 河合 洋尚

雑誌名 国立民族学博物館調査報告

巻 150

ページ 129‑130

発行年 2020‑03‑31

URL http://doi.org/10.15021/00009532

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羅  澳大利亚的客家移民  

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〈日本語解説〉「オーストラリアの客家移民」

 本稿の作者・羅可群は、オーストラリア客家研究の第一人者であり、2008年に『澳大 利亜客家(邦訳:オーストラリアの客家)』を上梓している。また、現在80歳を超える高 齢であるにもかかわらず、ほぼ毎年オーストラリアへ渡航し、メルボルンの客家団体と 連絡をとって調査を進めている。本稿は、『澳大利亜客家』に掲載されたデータに基づい ているが、さらに出版後にメルボルンで収集したデータも加味し、 1 本の論文としてま とめている。その意味で、『澳大利亜客家』をまだ読んでいない研究者だけでなく、すで に読んだ研究者にとっても貴重な「続編」となっているといえよう。本稿で提示されて いる概要は以下の通りである。

◦ オーストラリアへ華人が大量に移入するようになったのは、19世紀半ばのことである。

その要因となったのが、世界的なブームとなったゴールドラッシュであった。特に広 東省、福建省の出身者がオーストラリアへと渡ったが、墓地調査から、そのうち最も 早くに移民した客家は広東省の四邑(台山、新会、開平、恩平)の出身であると想定 できる。これらの地域は、19世紀半ばに「土客械闘」(広府人と客家の間の争い)があ ったところで知られている。

◦ 19世紀後半より華人がたびたび排斥され、20世紀に入ってからは白豪政策の影響もあ り華人の移住が制限されてきた。しかし、1972年にオーストラリアと中国が国境を結 び、その後オーストラリア政府が多文化政策を採択すると、華人の移住が再び増加し た。そのなかに客家が含まれていた。この時に移住した客家は、中国南部の出身者に 限定されることはなく、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、インドネシア、東ティ モール、台湾などさまざまであった。

◦ 1980年代以降、オーストラリアでは華人団体が次々と成立するようになった。メルボ ルンでは維省客属崇正会、維省東帝汶華裔老年会、墨爾本客家聯誼会、シドニーでは 紐省客属聯誼会、紐省東帝汶華人聯誼会、悉尼客属崇正会、澳州客属協会、ダーウィ ンでは北澳客属公会などが結成された。そのうち本稿は、メルボルンの客家団体に焦 点を当てて紹介している。維省客属崇正会は、1989年に成立し、東南アジア各国、モ ーリシャス、中国本土や香港、マカオ、台湾などあらゆる国/地域の出身者が加わっ ている。他方で、維省東帝汶華裔老年会は東ティモール(東帝汶)出身の華人による 集まりとなっている。東ティモールの華人は約98%が客家であるため、この団体は実 質上、客家団体となっている。1975年の動乱が原因で東ティモールの客家が徐々に移 住し、1997年にこの会が成立した。他にも2002年には台湾出身の客家を中心とする墨 爾本客家聯誼会が成立した。

◦ これらの団体は、年会、誕生会、年中行事の祭りなど、さまざまなイベントを開催し

ている。そうすることで、客家、もしくは故郷を同じくする華人のつながりを、オー

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ストラリアという異国の地で強めているのである。また、オーストラリアでは、華人 を対象とする各種の新聞、雑誌が刊行されている。例えば、『漢声』という雑誌は、

1979年にベトナムから移住した中国系難民によって創刊された。

   本稿は、オーストラリア客家の歴史および団体の概況を述べたものであるが、同時 に非客家系の華人についての言及もしている。序論で示したように、オーストラリア の華人社会において客家は少数派である。それだけに、モーリシャスやタヒチとは異 なり、「客家(客属)」を銘打った団体が成立するようになっている。オーストラリア における客家団体の歴史は、まだ40年も経っておらず比較的新しい。そのなかで、東 南アジア諸国、特に紛争や戦争が原因で移住してきたベトナム、東ティモールの客家 が相対的に多いことは注目に値する。本書では系統的に述べていないが、ゴールドラ ッシュが移民の契機となった歴史、および東南アジアからの客家難民を多く抱えてい る状況は、アメリカ合衆国とも共通している。

(河合洋尚)

参照

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