九州山地の民家 : 椎葉・米良地域を中心に
著者 杉本 尚次
雑誌名 国立民族学博物館研究報告
巻 4
号 1
ページ 79‑116
発行年 1979‑07‑30
URL http://doi.org/10.15021/00004561
杉本 九州山地 の民家
九 州 山 地 の 民 家 椎 葉 ・米良地域を中心に
杉 本 尚 次*
Rural Houses in the Mountains of Kyushu: the Example of the Shiiba and Mera Region
Hisatsugu SUGIMOTO
Rural houses of Japan have been studied by scholars from a wide range of disciplines included ethnology, geography and various related fields. From ethnological and geographical perspectives, the rural house is an important key to settlement structure. The typical characteristics of the roof and floor plan of rural houses differ among regions, and reflect specific aspects of the local physical-socio-cultural environment, as well as the dynamic change of life in a rural and mountainous area.
The Shiiba and Mera Region is situated deep in the moun- tains of Kyushu (Fig. 1). Shiiba and Higashi Mera village is located in an area of steep slopes and valleys with so little level land that houses seem to cling to the slope and are supported by stone wall embankments, and Nishi Mera village is located on a small river terrace.
The floor plan is of the house attenuated and consists of rooms lined in a single row. A typical Shiiba house has 3 main rooms plus a kitchen (Fig. 3,4). Whereas a Mera house char- acteristically consists of 2 principal rooms and a kitchen (Fig.
5,8,9). All the rooms are arranged in a row and are divided by sliding partitions that can be removed to create a single large room. Kagura, the sacred masked dance, is traditionally held in the large room, locally known as dei.
Method :
1) The region selected for fieldwork is in the mountainous hinterland of Kyushu (Shiiba and Mera Region) ;
*国 立民 族学博物館第4研 究部
国立民族学博物 館研究報 告4巻1号
2) The object of the field research was the study of rural houses in a mountain agricultural village;
3) The most commonly occuring house types in the area were chosen rather than the old and atypical forms;
4) In addition, lifestyles were analyzed by means of interviews.
Division of the report:
1. Introduction
2. General condition of Shiiba and Mera Region 3. The roof
• 4 . The house plan (Interior of main house)
(1) Shiiba (2) Mera (3) Neighboring Region (4) Comparative study of house plan 5. Attached buildings
6. Conclusion
1.は じめ に
2・ 椎 葉,米 良 地 域 の 概況 3.民 家 の 屋根
4・ 間 取 り型 (1)椎 葉 の民 家 (2)米 良 の民 家
(3)隣 接 地域 の民 家(高 千 穂,五 家荘,五 木,人 吉 盆地)
(4)間 取 り型 の比 較 考 察 5・ 付 属 建 物
6.お わ りに
1.は じ め に
椎葉,米 良,高 千穂,五 家 荘 な ど 九州 山地 の民 家 に関 して は,早 くか ら注 目 され て きた 。行 政 的 に は,宮 崎県 と熊 本 県 境 の 山岳 地 域 で あ り,隔 絶 山村 と して,最 近 で は 過疎 地 域 と して 関 心 を集 め た。 これ らの地 域 の民 家 研 究 に つ い て は,九 州 地 方 の民 家 研 究展 望 で 詳 述 した[杉 本1977a:141‑171]。 そ の 後 に 出版 され た 太 田静 六編 の
『九 州 の か た ち 民 家 草 葺 きの 家 を 中 心 に』[太 田1977]で は,高 千 穂,椎 葉,米 良,五 家 荘,五 木 の民 家 が と りあ げ られて い る。 い ず れ も写真 を豊 富 に使 い,建 築 構 造 と共 に歴 史 的背 景 や生 活 に もふ れ て い る。 筆 者 の ま とめた 『九 州 地 方 の民 家 』[杉 本1977b:129‑136]で も,こ れ らの 九州 山 地 の 民 家 を考 察 した が,米来 良地 方 の民 家 に つ い て は資 料 が不 十 分 で あ った 。
宮 崎県 民 家 の 調 査研 究 で は,伊 藤 延 男 ほ か奈 良 国 立 文 化 財研 究 所 の ス タ ッフが ま と め た 『宮 崎 県 の 民家 』 が最 も よ く整備 され,内 容 の充 実 した もの で あ ろ う[宮 崎県 教 育 委員 会1972]。 構 造 に 重点 を お いて い るが,部 屋 名,そ の使 い方 に も言 及 して い
杉本 九州山地の民家
図1調 査 地 域 図
(r宮 崎県 の民 家 』民 家 緊急 調 査 に あ る民 家 所在 地 とタ イ プ別 に よ り編 図) A(併 列 型)B(二 棟 造 り系)C(A,Bに 属 さな い型)M(町 家)E(そ の他)
● 筆 者 調査 地 番 号1‑9は 表1参 照
国立民族学 博物 館研究報告 4巻1号 る。 この 調査 の 結 果,宮 崎県 の 民 家 をA型(併 列 型,椎 葉型)〔 部 屋 の 間仕 切 りを 梁 行 方 向,横 に部 屋 を 増す 型 で,宮 崎 県 中 部以 北 に分 布 す る〕・B型(二 棟 造 り,分 棟 型)〔主 屋 と釜 屋 を別 棟 とす る型,西 諸 県 郡 な ど 旧薩 摩 藩 領 域 に分布 〕・C型(A・Bい ず れ に も属 さ な い型)の3型 式 に分 類 し,そ の分 布 を 明 らか に して い る。
こ こで と りあ げ る椎 葉,米 良 の民 家 はA型 に属 して い るが,椎 葉 地 方 の 民家 に 比 べ て米 良地 方 の民 家 資 料 が少 な い。前記 『宮崎県の民家』で も旧東米良村 の民家は調 査 され て い るが,西 米 良 村 は空 白地 域 にな って い る。
筆 者 は,椎 葉 村 につ い て は1966年 と1976年,西 米 良 村 につ い て は1976,1977年,旧 東 米 良 村 に つ いて は1977年 に調 査 す る機 会 を得 た。1976年 と1977年 の調 査 は 文 部 省科 学 研 究 費補 助金 に よ って 実施 した もの で あ る 。
椎 葉 と米 良 地 方 の 民 家 に つ いて は,村 落生 活 と の かか わ りに 注 目 しつ つ,そ の 特 色 を ま とめ,隣 接 す る高 千 穂 や,熊 本 県 側 の五 家 荘,五 木 地 方 の 民 家 との比 較 検 討 を も 試 み よ う とす るの で あ る。
2。 椎 葉,米 良 地 域 の概 況
椎葉,米 良 地 域 は急 峻 な九 州 山 地 の 中央 部 に位 置 し,市 房 山 を は じめ1000mを こ え る 山 々 が並 ぶ 熊 本県 境 に接 して い る。 耳川,一 ツ瀬 川 本 流 と数 多 くの支 流 が 山地 を 浸食 し,深 い 峡 谷 を 形成 して い る。 村 落 は峡 谷 部 の 小 平地 や 山 腹 の緩 傾 斜 地 に 散在 し て い る。
椎 葉 地 域 は,椎 葉村 一 村 に ま とま って お り,面 積537 km2で 県 内屈 指 の大 きな村 で あ る。 米 良 地 域 は,西 米 良 村 と西 都 市 に合 併 され た 旧東 米 良 村 か らな って い る。
土 地 利 用 状 況 を み る と,山 林 が96%(椎 葉 村),98%(西 米 良 村)を 占め,耕 地 は 0.8%と1.O%で 僅少 で あ る 。産業 別 構 成 で は,第1次 産 業 が62%と68%[農 林 省 1970」
と主 力 だ が 年 々減 少 傾 向 を 示 して い る。
経 営 耕 地 規 模別 農家 数 で は,0.5ha以 下 が59%と56%。 l ha以 上 は両 村 各 々3%
とな り,零 細性 を示 して い る。 兼 業 農家 も88%と90%を 占 めて い る。
山林 所 有 は,73%(椎 葉 村),83%(西 米 良 村)が 民 有 林 で あ るが,西 米 良村 の 場 合,領 主 米 良 氏 が 明治 維 新 の 際,山 林 を こ と ご と く民有 林 に した の で,椎 葉村 よ り民 有 林 が多 くな って い る。 しか し村 外所 有 者 の 比 率 が高 い。 戦 後 パ ルプ資 本 の進 出が 目 立 ち,と くに ダム 建 設 に よ る道 路 の整 備 に よ って 村外 所 有 者 が 増 加 して い る。 林 業 は これ ら山 村 に と って は最 も重 要 で あ り,過 疎 地 域対 策 事 業,林 業 構 造 改 善事 業,ス ー
杉本 九州山地 の民家
パ ー林 道 の 建 設 等 々,種 々 の計 画 を 実 施 しつ つ あ るが,解 決す べ き山 村 問 題 は楽 観 を 許 さな い よ うで あ る。
九州 山地 の村 々で は,戦 前 は広 く焼 畑 が行 わ れて いた 。 佐 々木 高 明 氏 の 研 究 に よ る と,1950年 当時 で も九 州 で は約2,327町 歩 の焼 畑 面 積 が あ り,そ の 中で も九 州 山地 中 央 部 に あ た る五 家 荘 地 域 を 中心 に,東 は 宮 崎県 の椎 葉 村 か ら西 は熊 本 県 の五 木村 地 域 な どが焼 畑農 家 率,同 面 積率 共 に高 率 を 示 し,わ が 国で も最 も焼 畑依 存 率 の高 い 地 域 で あ った[佐 々木 1972:43‑49]。 そ の後 急速 に減 少 した が,1966年8月 椎 葉 村 の 日 添,尾 手 納 地 区,臼 杵 又 地 区 で焼 畑 を み る こ とが で き た。 火 入 れ の大 半 は植 林 の た め の もの で,作 物 栽 培 は僅 か で あ った。 作 物 栽 培 の焼 畑 は大 根 が 多 く,ソ バ もあ る が, 作 物 栽 培 の あ と植林 す るケ ース が 多 く,「 育 林 前作 農 業 」 と して の 焼 畑 と い え る[牧
野 1974a:40‑48]。
1977年 東 米 良 で は ほ とん ど焼 畑 は み られ な いが,西 米 良 で は大 根 の 播 種 期(8月) に小 規 模 なが ら(平 均la),焼 畑(夏 ヤ ボ)が 残 って い る程 度 で あ る。
現 在 椎 茸 生 産 が この地 域 で は重 要 な 地 位 を 占 めて い るが,生 産者 が 多 く,原 木不 足, 生 産地(ホ タバ)の 分 散 な ど多 くの 問 題 を か か えて い る。牧 牛 も盛 ん だ った が,最 近
停 滞傾 向 を示 して い る。 ウ メ,ユ ズ な ど果 樹作 の導 入 な ど も試 み られ て い る。
一 ッ瀬 川,耳 川 な ど には漁 業 共 同組 合 もあ り,ヤ ス,カ ナ ツキ な ど を用 いて,ア ユ, ウナ ギ,マ ダ ラ な どの 漁獲 が あ った が,奥 地 の 開発 で 減少 して い る。 一 ツ瀬 ダ ムに コ イ の 放流 な ど新 しい試 み もみ られ る。
平家 落 人 の伝 承 など 秘 境 ムー ドや,電 源 開発 に堂 もな う人 工 湖,一伝 統 的 な民 俗 芸 能 な どを 軸 に観 光 開発 に も努 力 して い るが,交 通 の不 便 さが あ り,観 光 客 の大 量 誘 引 は 望 め な い 。流 出す る人 口 は最近 と くに 目立 ち,い わ ゆ る過 疎 山 村 と して多 くの 苦 難 に 直 面 して い る。
椎 葉,米 良地 域 の 中 か ら,民 家調 査 を行 った村 落 を 中心 に9村 落 を選 び,農 業 集 落 カ ー ド資 料 を ま とめ た のが 第1表 で あ る。
農 業 集 落 カ ー ドは,ほ ぽ村 落 別 の 統 計資 料 と して概 況把 握 に は好 適 な もの で あ る。
当地 域 の 場 合,山 間 に 散在 す る小 村 落 が 多 い 関係 か ら,2‑3の 村 落 を ま とあ て1調 査 区(1集 落)を 構 成 して い る もの が あ る。
椎 葉 村 の4村 落 は標 高500‑960m,西 米 良村 の3村 落 は240‑350 m,旧 東 米 良村 の2村 落 は217‑400 mに 立 地 して い る。
概 して 椎 葉 村 の場 合,耳 川 や そ の支 流 に沿 った峡 谷 部 に立 地 す る もの も あ るが,山 腹 傾斜 面 の上 部 に立 地 す る もの が多 くな って い る。
詔 表1農 業 集 落 カ ー ド に よ る 村 落 比 較 資 料
\ 指 標 農業集落\
①銀 鏡
②八 重
③竹 原
④上 米 良
⑤村 所
⑥向山 ・日添上下
⑦ 臼 杵 又
⑧大 藪
⑨ 栂 尾 ・尾 崎
行 政 区
西都市東米良
西 米 良 村
椎 葉 村
〃
〃
農 家 人 口(人) 1960「197011975
367 327 101 109 135 182 76 115 122
306 129 93 89 103 130 62 103 99
254 65 95 88 99 139 70 93 88
集 落 高 度 (m) 217‑250 300‑400
250‑350 (480‑550)
270‑330 240‑280
740‑870 560‑740 700‑960 500‑600(尾 崎) 640‑680(栂 尾)
集 落 立 地(
地 形)
小 河 岸 段 丘 山 腹 緩 斜 面 小 河 岸 段 丘 (小屋 山腹斜面) 小 河 岸 段 丘
〃
山 腹 緩 斜 面
〃
〃
〃
総世帯数(戸)
・96・i・97・
159 96 95 154 365 35 23 54 30
176 57 90 119 364 38 19 40 29
総世帯人員 (人)
19601970 769 448 132 631 1387 198 93 274 149
728 232 106 439 1244 194 84 147 123
農 家 数(戸) 第2種 兼業農家率(%)
1960 58 51
1970 65 29
1975 65 21
1960 57 90
1970 49 48
1975
19 50 58 26 14 18 20
19 47 50 25 13 19 19
20 41 44
22 30 48 26 13 19 19
8 14 0 35
33 32 62 16 15 53 58
74 86 63 49 61 81 23 63 37
農 家 人 口増減 率 (75/70)%△ 印一
△17
△49
2
△1
△4
7 13
△10
△11
農 家1戸 当 り 耕
地 面 積(a) (1975)
30 22 48 46 37 49 32 30 36
水 田 率%
(1975) 78 64 89 83 82 51 57 58 73
経 営 耕 地0.5ha 未 満 農 家率%
(1975) 74 86 49 66 61 46 85 89 68
肉 用 牛(頭)
1960 1970 1975 59
45 42 35 55 26 20 22 18
62 10 46 36 44 28 19 17 21
33 5 38 29 19 50 5 36 19
保 有 山林 面 積 (ha) 10,906
3,857 6,844 10,131 4,186 2,767 3,295 4,350 3,890
〔統 計 は1970年,1975年 農 業 集落 カ ー ド(市 区 町 村 別)農 林 省 によ る〕
圖
串
駆 ド
4u
杉本 九州 山地の民家
写 真1 山 腹 の緩 斜 面(800〜840・m)に 立 地 す る村 落 。背 後 の 山地 は熊 本 県 との県 境 を なす (椎葉 村 日添 上)(1966)
しろみ
旧東 米良 村 の場 合,一 ッ瀬 川 の 支流 銀 鏡 川 沿 いに は,峡 谷部 の小 段 丘 上 に立 地 す る もの が あ る が,他 は椎 葉 村 と類 似 した 山腹 斜 面 に立 地 す る もの が大 部 分 で あ る 。 西 米 良村 の場 合,山 腹 斜 面 立地 型 は僅 少 で,大 部 分 は 峡谷 部 の河 岸 段 丘面 に立 地 し
むらしょ
て い る。村 役 場 の あ る地 域 中 心村 所 な ど一 ツ 瀬川 曲流 部 の 河岸 段 丘 面 に山 間 町 的 景観 を つ くりだ して い る。 竹 原,上 米 良 も峡谷 部 小 河 岸 段 丘 立地 型 で あ る。
総 世 帯 数や 農 家 数 の減 少 に 比べ て,総 世 帯 員 数,農 家人 口の減 少 が 目立 ち,と りわ け1960年 か ら1970年 に か けて 減 少 率 が 高 く,1970‑1975年 は 減少 率 が低 下 して い る 。
は え
極 端 な 減少 を示 す 八 重 は,地 区 内 に1963年 一 ッ瀬 ダ ムが 完 成 し,水 没 戸 数 を 含 ん で い
写真2 西米良村で は河川沿いの小河岸段丘上に立地 する村落が比較的 多い。僅かに残 る茅葺民家。宅地内の建物は横長 の併列配 置と な ってい る (西米良村八重)(1977)
国立民族学博物館研究報告 4巻1号 る か らで あ る 。
どの 村 落 も過 疎 現 象 が 著 し くみ られ る。
兼 業 農 家 の 中で も第2種 兼 業 農 家率 は著 しい 増 加 傾 向 を示 して い る。
経 営 耕 地0.5ha未 満 農家 率 も高 く, 1戸 当 り耕地 面 積 も零 細 性 を 示 す が,そ の 中 で,一 ツ瀬 川筋 の河 岸 段 丘 面 に水 田 を もつ 村 落 が水 田率 も高 くな って い る。 椎葉 村 の 向 山,日 添 上下 は,や や 耕地 面 積 が 大 き く,等 高 線 に 沿 う山腹 緩 斜 面 と峡 谷 部 に耕 地 が あ る(写 真1)。
椎 葉,米 良地 域 の経 済 を 支 え る もの は椎 茸 裁 培 と山 林業 だ が,肉 牛 生 産 は一一部 の 村 落 を 除 い て停 滞 して い る し,山 林 業 や 椎茸 栽 培 も前 記 の よ うな諸 問 題 を 内包 して い る の で あ る[金 森 1969:311‑321][西 米 良 村 村 史 編 さん 委 員 会 1973]。
3.民 家 の 屋 根
最 近 伝 統 的 な屋 根 材 料 で あ る茅,麦 桿,杉 皮,板,竹 な どが 急速 に減 少 して い る。
瓦,ト タ ン,ス レー ト,洋 瓦 な どが 普 及 し,村 落景 観 が カ ラフル に な って い る。 また 過 渡 的 な 工 夫 と して草 葺 屋 根 に トタ ンを かぶ せ た形 式 が 農 山 村 集落 で は 目立 って い る 。 椎 葉,米 良 の よ うな奥 ま った 山 間 村 は,茅 葺 や板 葺 の民 家 が 多 か った が,最 近 は新
しい屋 根 材 料 が 急 激 に増 加 して い る。
屋 根 材 料 に 関 す る統 計 資 料 と して は,総i理 府 統 計局 の 昭和38年 住 宅 調 査 や 昭和40年 生 活 改 善 実 行 グ ル ー プ全 国連 絡 研 究 会 が 調 査 した資 料 が あ る[本 多 1966:17‑23]。
これ らは か な り 巨視 的 な地 域 に 関す る資 料 で あ る 。 各村 落 レヴ ェル で は各 市 町村 の税 務 課 に あ る家 屋 課 税 台 帳 に各 戸 の 屋 根 材 料 の 表 示 が あ り,同 じ く税 務 課 が 取 り扱 って
い る家 屋 評 点 調 査 表 の屋 根 材 料 の 項 目 は詳 しい*。
椎 葉村 の 日添 上 の 屋 根材 料 を み る と(1967年 調 査),栗 粉 葺 が26%,つ い で 茅葺24
%,ト タ ンや ル ー フ ィ ングが40%と な り,古 い 茅 葺 や栗 粉 葺 が 減 って きて い る。牛 小 屋,納 屋 な ど付 属 建 物 の屋 根 を み る と,栗 粉 葺 が53%,杉 皮17%,茅 葺17%と な り,
付 属建 物 で は伝 統 的 屋 根材 料 が ま だ残 って い た 。 しか し新材 料 の進 出 は時 間 の 問題 で あ ろ う。
*家 屋評 点 調 査表 の屋 根 材 料で は,日 本 瓦(特 ・上 ・中 ・並 ・下) ,日 本瓦(紬 薬,塩 焼),セ メ ン ト瓦,洋 風 瓦,ス レー ト,亜 鉛 鉄 板,着 色 亜鉛 鉄 板,銅 板,ア ル ミニ ュー ム板,柾 葺,波 型 合 成 樹 脂板,砂 付 ル ー フ ィ ング,そ の 他(カ ヤブ キ ・ワ ラブ キ ・杉 皮 な ど … …記入 式)の 項 目 が あ る。最 近 の新 建 材 の 多様 さを 反 映 して い る し,伝 統 的な 屋根 材 料 カヤ,ワ ラ,杉 皮 な どは そ の他 の項 目で記 入 式 に な って い る と ころ も最近 の滅 び ゆ く伝 統 的民 家 の屋 根 材 料 の姿 を示 し て い るよ うで あ る 。
杉本 九州山地の民家
写 真3 椎 葉 の 茅 葺 屋 根 (椎葉 村 日添上)(1966)
西米 良村 竹 原 の屋 根 材 料 に つ いて は,1967年 の家 屋 課 税 台 帳 資 料 が あ り,追 跡調 査 で1977(3月)年 の現 況 と比 較 して み た 。
1967年 で は主 屋 で茅 葺36%,セ メ ン ト瓦42%,日 本 瓦10%,ト タ ン6%,ル ー フ ィ ング6%で あ った が,1977年 で は茅 葺 は激 減 し,セ メ ン ト瓦71%,日 本 瓦17%,ト タ ン6%,ル ー フ ィ ング6%と な って い る。倉 庫,納 屋,隠 居 屋 を は じめ とす る付 属 建 物 につ い て も新 建材 が増 加 して い る が,簡 易 な トタ ンな どが 目立 って い る。 茅 葺 も僅 か なが ら残 存 して い る 。上 米 良 で も茅 葺 は1戸 の み で あ る。 旧東 米 良 村 で は,銀 鏡 に 2戸 残 って い るが,い ず れ も空屋,廃 屋 で あ る。 そ の他 茅 葺 は 中 野原,打 越,縦 木 原, 岩 井谷 な ど奥 地 の 村 落 に 僅 か な が ら残 って い る にす ぎな い 。 農業 改 良 資 金 と して,屋 根 替資 金 が で きた こ と も伝 統 的屋 根 材 料 の減 少 に拍 車 を か け た もの と思 わ れ る 。 茅 葺 の場 合,共 有 山 や 屋 根 講,葺 替 え作業 な どの 諸 慣 習 は,奥 地 山間 村 に比 較 的 温 存 され て い た が,こ れ らも現 在急 激 に消 滅 しつつ あ る。2〜3の 事 例 を示 して み よ う。
椎 葉 村上 椎葉 は椎 葉 村 役 場 の あ る 中心 地 で1967年 す で に茅 葺 はほ とん ど み られ な か った 。 この地 区 は耳 川 沿 い の 椎 葉 ダ ム に近 く,ダ ム建 設 の た め 外 来要 素 の流 入 が早 か ったか らで あ ろ う。1955〜1957年 頃 に は重 要 文化 財 の鶴 富 屋 敷(現 在 銅板 被覆)を 含 めて 茅 葺 は7戸 あ り,ヤ ネ ガ エの 時 に は手 伝 い あ った。 この よ うに 労 力交 換 す る こ と を 「カ テ リ合 い 」 「カ テ イ リ」 とい う。結 婚 式 ・葬 式 な ど の手 伝 い は 「カ セ イ 」 と い い,区 別 して い る。8kmほ ど離 れ た 山 に上 椎 葉 の共有 山 が あ り,こ こか ら採 取 す る 。 茅 場 は毎 年 焼 いて,よ い茅 がで き る よ うに した。 山 に火 を 入 れ る こ とを 「シ ンノ ヤ キ」
とい い,大 体3月 頃 に 行 った(1967年 調 査)。
旧東 米 良 村 の銀 鏡 に も共有 の茅 場 が あ った。 現 在 植林 され て い る が,以 前 は 春 先 に
国立民族学博物館研究報 告 4巻1号 ノヤ キ を して い た 。 茅切 りは秋 で,乾 燥 す る の に1カ 月以 上 を要 した 。 茅 屋 根 の葺 あ げ め時 に は,ソ バ,シ トギ(シ トンギ ロ と も云 う ・米 を生 の ま ま粉 に して 団子 に した もの)を 撤 いた 。 最 近 で は新 築,棟 上 げに は 餅 を撤 き,あ と菓 子 を 配 った り して い る 。
銀鏡 茗 荷 原 で は各家 か ら各 々2人 出 て手 伝 う(テ ゴ リ)。他 村 落 か ら手 伝 い に くる時 は 「カ セ イ」 す る とい う。
西米 良 村 竹 原 で は,「 テ ゴ リ」 は茅 切 り,茅 送 り(運 搬),屋 根 葺 き,田 植 時 の 労 力 交 換 で,冠 婚 葬 祭 の 手伝 い は 「カセ イ」 で あ る。 この場合,竹 原 で 上 ・中 ・下 の 三 組 が別 々に な って 行 った 。 竹原 で も棟 上 げ の時,棟 に シ トギ(生 米 を湿 らせ つ き臼 で つ き,団 子 を作 る)を 供 え,そ の後 で 撤 い た 。最 近 で は餅 撤 き,菓 子 配 布 な どが 主 に な って い る(1977年 調 査)。
高 千穂 で は茅 葺 は 減 って い るが,葺 替 え は10戸 位 で 組 ん だ 「フ シ ング ミ」 の 共 同 作 業 で 葺 き替 え る。 茅 の 不 足 で屋 根 全 体 を一 度 に葺 き替 え る こ とが 困難 に な った(1956 年 調 査)。
写真4 栗材の扮葺屋根 をもつ木小屋 (椎葉村 日添上)(1966)
板 葺 は全 国 的 に み て 山間 部 に多 か っ た。 椎 葉 村 で は 奥地 に 入 る と栗 材 の 粉 葺 が残 って いた 。 熊本 県 境 に近 い椎 葉 村 日添 で は,各 自の 持 山 か ら栗 材 を伐 り出 し,厚 さ4分,長 さ7〜8寸,幅 4〜5寸 の木 片 を 作 り,3寸 ず つ重 ね て 葺 い た。 米 良 で は小 屋 の屋 根 に用 い られ て い る程 度 だ が,茅 葺 か ら板 葺 → トタ ン葺 に変 化 した 事 例 もみ られ る 。 竹 は天 井,屋 中竹 や 種 木,木 舞 竹 な ど民 家 に多 く用 い られ て い る が,屋 根 葺材 料 と して 利 用 した 竹 屋 根 は,九 州 山地 に 事 例 の 報 告 が あ った[川 島 1973:69‑71]。 普 通 は庇 や 付 属 建 物 の 屋 根 に 用 い られて いた が,九 州 山地 で は住 ま い の屋 根 に用 い た 例 もみ られ た(現 在 で は ほ とん ど消 滅 して い る)。
調 査 時 点 で は,東 米 良 の銀 鏡 で 椎 茸 乾
杉本 九州 山地の民家
写 真5竹 の 庇 屋 根
(西都市 東 米良,銀 鏡の 山間部)(1977)
燥 小 屋 の庇 屋 根 に竹 屋 根 が み られ た 。 竹 は 真竹 と孟 宗 竹 で,丸 竹 を二 つ に切 断 して こ れ を上 向 き下 向 きに 交互 に 重ね て 葺 い た もの で あ る。
トタ ンは比 較 的 安 価 だ し,草 や 板 に比 べ て 防火 的で 耐 久性 もあ り,軽 量 で 輪 送 に 便 利 だ か ら山間 村 で もか な り普 及 して い る。 また 草屋 根 に トタ ンを か ぶせ た もの もみ ら れ る。 瓦 葺 に した場 合,小 屋組 を和 小 屋 構 造 に 改変 す る必 要 が 多 い が,こ れ に対 して
トタ ンか ぶせ の場 合 サ ス(合 掌)構 造 が そ の まま 保 存 され る し,住 人 も住 み心 地 が よ い こと を意 識 して い る。 重 要 文 化財 の椎 葉 の鶴 富 屋 敷 も大 き な茅 屋 根 を 銅板 茸 に して い る。 トタ ンは過 渡 的 な もの で あ る が,現 在 で は伝 統 的屋 根 型 を 探 る資 料 で もあ る。
付 属 建 物 も トタ ンの利 用 が多 い 。 そ の他 山間 村 で一も交 通 路 の影 響 もあ り,セ メ ン ト瓦 の導 入 も著 し くな って い る。 西 米 良 村 竹 原 の場 合,日 本 瓦 は宮 崎平 野 佐土 原 の もの が 入 る が,新 しいセ メ ン ト瓦 は熊 本 県 球 磨 郡 産 の もの が 導 入 され て い る。 現 在 の 山 村集 落 で も,伝 統 的 な屋 根材 料 だ けで な く,新 建材 を も含 めた 新 しい村 落景 観 と して 把 握 す る必要 が 強 ま りつ つ あ る。
茅 葺 屋根 の屋 根 型 は寄 棟 だ が,か な り急 勾配 で あ り,と くに 椎 葉 で は屋 根 の外 観 は 大 きい 。
茅 葺 屋根 の構 造 はサ ス(合 掌 組)で,サ ス の下 部 を梁 に さす 梁 ざ し形 式 で あ る。 梁 ざ しの 場合,梁 の上 に桁 を わ た した 置 桁 と,柱 の上 に桁 を わ た して そ の上 に梁 を か け た(梁 の下 に 桁)敷 桁 の2形 式 が あ る[石 原 1952a:159‑160]。 さ らに 梁 ざ しで サ ス を桁 の 外 側 に 立 て る場 合 と内側 に立 て る場 合 が あ る 。
椎 葉 や 米 良 で は 梁 ざ し置桁,敷 桁両 形 式 が あ るが,外 ざ しが 多 い 。 多 くの 梁 が柱 の 前 に2〜3尺 も突 出 して,そ の端 近 くにサ スが 立 て られ る ので 大 屋 根 の 軒 が 突 出 した
国立民 族学博物 館研究報告 4巻1号
写 真6 残 る茅葺民家 も現在は空屋:茅 葺寄棟型 (西都市東米良茗荷原)
写真7 椎葉民家 のひえんと雀桁(椎 葉村高尾,現 在 日本民家集落博物館)
よ うに な る。 椎 葉 で は 突 出部 軒 下 に腕木 で持 出 され た 雀 桁 が特 徴 とな って い る。 この 雀 桁 に樫 を用 いた 「ま つ ら」 と よぶ 飾 りが つ い て い る。 こみ い った 彫刻 もあ り,格 式 高 い 家 ほ ど立 派 な もの が 多 い。 茅 葺 屋 根 の大 棟 の よ うな 水平 な稜 線(棟)は,風 雨 に対 して苦 心 して い る。 また 棟 を 目立 たせ る こ とか ら棟 飾 りが必 要 と な り,種 々の 意 匠 を も り こみ な が ら屋 根 に 特 色 を もたせ て い る。 しか もあ る程 度地 域 的 な ひ ろが りを も っ て い る例 が 多 く,民 家 の地 方 色 の一 要 素 とな って い る。
棟 を 茅,竹,杉 皮 な どで 押 え た ものが 最 も一 般 的 だ が,米 良 で は棟 に竹 を10数 本 並 べ,7〜5カ 所 を鞍 形 の 針 目覆 い で押 えて い る(写 真15)。 この形 式 は熊 本県 側 の五 家 荘 に もみ られ る。 小 屋 根 型 の木 また は トタ ン製 の箱 棟 を のせ た もの も あ る(写 真6)。
椎 葉 か ら高 千 穂,五 ケ 瀬 に か けて は太 い 木 を組 んで の せ る棟飾 りが特 色 とな って い る。
杉本 九州山地 の民家
写 真8 高千 穂 民 家 の 棟飾 り(ウ マ ノ リ) 高 千 穂 町三 田 井(1956)
椎 葉 で は ウマ ノ リ,カ ケ ウ シと よび,五 ケ 瀬 川 上流 高 千 穂 で は ウマ,ウ マ ン マ タ,ウ マ ノ リ,カ ケ ウ シな ど種 々の 呼 称 が あ る。椎 葉 で は主 屋 は,栗 の木 の皮 を そ い だ ま ま の ッ メ ギ と よぶ 丸太 を棟 方 向 に並 べ て 棟 覆 い を 押 え,や は り栗 の 木 の ウ マ ノ リを 組 ん で い る。 屋 根 の 規 模 に よ って5〜7本,奇 数 が 多 い が椎 葉 で は偶 数 も散 見 す る。
高 千 穂で は2本 の 自然 木 の一 部 を く く り合 わ せ て屋 根 の 両 側 に垂 ら した 原 始 的 な 棟 飾 りが み られ た 。古 くは岩 松 な どを 植 え た 芝 棟 が あ った ら しい が,現 在 は竹 で 押 え た 棟 覆 い の上 を 叉状 に組 ん だ木 で 押 え る。1.5〜2.Om前 後 の栗 や 杉 の 枝 を そ い だ まま の 丸 太 を使 う。 一 方 の 木 材 の先 に角 の穴 を あ けて,こ れを メ ン(女 木)と い い,一 方 の先 を 細 く して オ ン(男 木)と し,オ ンの 先 が メ ンの穴 を 通 して そ の横 か ら 「かみ さ し」 とよ ぶ栓 を差 して とめ た もの もあ る。
写 真9 古 い形 式 の 棟飾 り(日 本 民 家 集 落博 物 館 へ移 築 され て い る椎 葉 村 高 尾 の民 家(ウ マ ヤ))(1976)
国立民族学博物館研究報告 4巻1号 椎 葉 で は ウ マ ヤの棟 飾 りは,棟 押 え の丸 太 の両 側 に かみ さ しを した丸 太 を ぶ らさ げ
て 八字 型 に した もの が あ る。 この 木 材 を 使 った棟 飾 りは,規 模 は小 さ くな るが,阿 蘇 火 口原 南 郷 谷 か ら由布 院付 近,玖 珠 盆地 に か け て分 布 して い る。栗 材 な どを 使 った 棟 飾 りは全 国 の 山 間村 に み られ るが,素 材 は耐 久 性 の強 い もの で あ る。 雨 量 の 比 較 的 多 い 山間 部 で 得 や す い素 材 を 使 った もの と み られ る が,高 千穂 か ら椎 葉 に か けて と くに 際立 って い る。
4.間 取 り 型
間取 り型 の分 類 につ いて は,幾 何 学 的 形態 に よ る分 類,発 達 過 程 を 重視 した 分 類, 機 能 に 重点 を おい た 分類 な ど種 々あ る。今 の と ころ分 類 の基 準 が 統一 されて い ない の
図2九 州 民 家 間 取 り 型 分 布 図 (筆者編 図)
杉本 九州 山地の民家
で,間 取 り型 の分 類 基 準 も一 定 で な い。
日本 民 家 の 間取 り型 は,基 本 的 に は床 張 りの居 住 部 分 と土 間 の2部 分 か らな って い る。
筆 者 は機 能 や住 生 活,土 間 や 高 床(居 住 部 分)な ど に留 意 して現 在 の間 取 り型 を 次 の よ うに分 類 した 。
① 四 間 取 り(標 準 型)(整 型 と食 違 い型 〕 〈高 床 と土 間 〉,② 広 間型 お よ び広 間 的 間取 りく高 床 と土 間 〉,③ 併 列 型 く高 床 と土 間 〉,④ 妻 入 型 く高 床 と土 間 〉,
⑤ 土 間 極 小,無 土 間 型 く高 床 〉,⑥ 二 棟 造 り(分 棟 型)〈 主 屋 高 床 〉,⑦ そ の他 (鍵 屋 な ど)〈 高 床 と土 間 〉
椎 葉,米 良地 方 の間 取 り型 は 併 列 型 お よ び その 系 統 が優 占 して い る。
併 列 型 は,梁 行 方 向 に間 仕 切 りを つ く り,部 屋 割 りを す るのを 原 則 とす る 形 式 で, 梁 間 は一 定 して い る場 合 が 多 い 。 部 屋 を 増 加 させ る場 合,桁 方 向 に のび るの で 横 長 の 間取 りに な る。 九州 で は椎 葉,米 良 を は じめ,隣 接 す る五 ケ 瀬川 上流 の高 千 穂,熊 本 県 側 の球 磨 川 上 流五 家 荘,五 木 な ど高 峻 な 九州 山地 の 山間 村 に分 布 して い る。 詳 細 に 検 討す る と各 々地 域 差 を も って い る よ うで あ る。 最 近 の調 査 で は宮 崎県 中部 以 北 の平 野部 に も併 列 型 の 分 布 が ひ ろが って い る こ とが 明 らか に な って い る[宮 崎県 教 育 委 員 会 1972]。
(1)椎 葉 の 民 家
事 例1 宮 崎県 椎 葉 村 上 椎 葉,那 須 正 敏 氏 宅(鶴 富 屋 敷)。 茅 葺 寄 棟屋 根,1966年 銅 板 葺 に す る。 文 政6年(1823年)の 建 築 とい わ れ る。 椎 葉 で は最 も規 模 の大 き な 民家 の 一 つ で あ る。1951年 国 指 定 重要 文化 財 とな った 。 間取 りを み る と,右 勝手 で 「コザ」
図3 椎葉民家事例1 那須正敏氏宅(鶴 富屋敷) (r宮崎県 の民家』による)
国立民族学博物 館研究報告 4巻1号
「デ イ 」 「ッ ボ ネ 」「ウ チ ネ 」 の4室 が 並 ん で い る 。 こ の4室 に 板 間 の 台 所(カ マ ノ シ ロ) が つ い て い る 。
土 間 は 「ドジ 」 と よ ぶ 。 か つ て 土 間 に カ ラ ウ ス が あ っ た 。 「ウ チ ネ 」 「ツ ボ ネ 」 に は イ ロ リが あ る 。 か つ て3尺 ×6尺 の 長 ジ ロで あ っ た 。 以 前 「デ イ 」 「コ ザ 」 に も3尺 角 の ゴ ゥ ジ ロが あ っ た[野 間 1970:58‑63]。 「ウ チ ネ 」 は 家 族 員 の 最 も よ く利 用 す
る 部 屋 で あ る 。
「ツ ボ ネ 」 か ら 「コザ 」 に 至 る 各 部 屋 の 前 面 に は1間 幅 の と こ ろ に 敷 居 を 入 れ,部 屋 を 「オ ハ ラ 」,1間 幅 の 部 分(広 縁)を 「シ タ ハ ラ」 「ソ トハ ラ」 と よ ん で い る。 こ の 外 側 に3尺 幅 の 縁 が つ い て お り,「 ヒ エ ン」 と よ ぶ 。 「ソ トハ ラ 」 と 「ヒ エ ン 」 の 境 に は,1間 ご と に 柱 が あ り,2枚 の 雨 戸 の 中 間 に1枚 の 紙 障 子 を い れ て い る 。 各 部 屋 の 背 後 は す べ て2段 戸 棚 が 造 りつ け て あ る の で 開 口 部 は な い 。 壁 は す べ て 板 壁 で あ る 。 軒 は 深 く,腕 木 を 持 出 さ れ た 雀 桁 が 特 徴 と な つ て い る 。
事 例2 椎 葉 村 日 添 上,椎 葉 秀 行 氏 宅(図4一 ③)。 主 屋 は 栗 粉 葺 の 屋 根 で,間 口10 間,奥 行3間 半,横 長 の 直 家 で あ る 。 間 取 り は 右 勝 手 で 「ウ チ ナ イ 」(ウチ ネ)と 「デ イ 」 「コ ザ 」 の3室 が 横 に 並 ぶ 典 型 的 な 併 列 型 で あ る 。 左 端 トタ ン の 下 屋 部 分 は物 置 だ が,イ ロ リが あ り,以 前 は 隠 居 部 屋 で あ っ た 。 表 側 に3尺 幅 の 縁 を も っ て い る1 「ウ チ ナ ィ 」 は 板 間 で,3尺 ×4尺 の イ ロ リが あ る 。 ジ ジ ャ ー(自 在 鉤)も あ っ た
が,今 で は と り は ず して い る。 こ こで 炊 事 した が,カ マ ドが で き て か ら 、(1962年)イ ロ リは あ ま り使 わ な い 。 こ こ は 台 所 に あ た り,家 族 員 が よ く集 ま る 部 屋 で,他 の 部 屋 に 比 べ る と粗 末 で あ る 。 現 在 若 夫 婦 の 寝 室 に も使 う 。 ウ チ ム キ の 部 屋 で あ る 。 「ウ チ ナ イ 」 と土 間 部 分(ド ジ)は 一 段 低 い 屋 根 に な っ て い る 。 カ マ ドの こ と を フ ロ と よ ぶ
写 真10椎 葉 民 家事 例2(椎 葉村 日添 上) 栗 材 の粉 葺民 家,併 列 型間 取 り (1966)
杉本 九州 山地の民家
写 真11事 例2「 デ イ」 に 祀 って あ る エ ビス,戸 棚 ・神 棚 な どが 背 面 に並 ぶ
こ と もあ る。 土 間 に は 以 前 カ ラ ウスが あ った 。 カマ ドは現 在 煉 瓦 造 りの もので3つ の 焚 口が あ り,大 釜 は味 噌 づ く り,正 月 の 餅 つ きの時 な ど に使 う。
「デ イ」 は12畳 あ り,畳 廊下(敷 居 よ り外 側)の 部 分 を 加 え る と18畳 の広 い部 屋 に な る。 中央 に3尺 ×6尺 の イ ロ リ(長 ジ ロ)が あ る。 この部 屋 は接 客 用で あ って,イ ロ リも日常 は木 蓋 を か ぶ せ て い る が,正 月 な どに使 う。 客 は 「デ イ 」 の縁 側 か ら,家 族 は ドジや ウチナ イ入 口か ら入 った 。
「デ イ」 と 「コザ 」 に は敷 居 が あ り,こ れ か ら外側 は シタハ ラ,ソ トハ ラと よ び, 一 般 の客 は ここか ら奥 へ 入 れ な か った とい う。「コザ」には仏 壇があるが 、「デ イ」 に
は神 棚 が あ り,夜 神 楽 が この 部 屋 で行 われる 。 この時 には 「デ イ」 「コザ 」 境 の マ イ ラ戸(竪 淺 の板 戸)を と りはず す 。秋 の収 穫 も終 った11月14日 に,祭 りの 宿 に 当 った 家 の 「デ イ」 で舞 われ る。 これ は収 穫 の感 謝 と来 る年 の豊 作 を祈 願 して 毎年 当(頭)屋 宿 を 神 楽 宿 に して 夜 神 楽 神 事 を す る。
宮 崎 県下 は 神楽 が盛 んだ が,と くに 椎 葉,高 千 穂,米 良 の 神 楽 は よ く知 られ て い る 。 夜 神 楽 の 頃 はす で に寒 く,村 人 た ち は 「デ ィ」「コザ 」 な ど に集 ま る 「デ ィ」 や 「コ
ザ 」 は広 い 部 屋 で あ る が,こ の よ うな 村落 生 活 の 中で ハ レの 時 に非 常 に重 要 な 役 割 を もつ 空 間 な の で あ る。
神 棚,仏 壇,押 入 れ,戸 棚 な どは全 部 各室 の背 面 に並 ん で い る。
主 屋 の他 に大 きな牛 舎,便 所,椎 茸 乾 燥 場 が細 長 い宅 地 にほ ぼ一 列 に並 ん で い る。
宅 地 は 山腹 の 緩斜 面 を 削 った もの で,前 面 は石 垣 が 築 い て あ る。
事 例3 椎 葉 村 上 椎 葉,椎 葉菊 次 郎 氏 宅(図4一 ⑮)。1959年 に大 火 が あ って 牛 小 屋 を焼 失 した が,主 屋 は古 い姿 を 残 して い る 。1957年 に瓦 葺 に した が,以 前 は 茅 葺 で
国立民族学博物館研究報告 4巻1号
図4椎 葉 民 家 の 間 取 り
杉本 九州 山地の民家
写 真12椎 葉 民 家 事 例3(椎 葉 村 上 椎 葉)
併 列 間取 り,ひ え ん,雀 桁,こ の民 家 は 瓦 葺(1966)
あ っ た 。
聞 口12間 半,奥 行4間 半 。 「ウ チ ネ 」 「デ イ 」 「コ ザ 」 の3室 に 板 間 の 台 所 が つ い て い る 。 こ の 台 所 は 大 正 末 頃 ま で 土 間 で あ った と い う 。 風 呂 ・炊 事 場 は1961年 に 下 屋 を か け て 増 設 した も の で あ る 。 台 所 に 火 の 神 を 祀 っ て い る 個 所 が 民 家 の 古 い 部 分 の 端 に あ た っ て い る 。 「ウ チ ネ 」「デ イ 」「台 所 」 に3尺 角 の イ ロ リ(ジ ロ)が あ る が,日 常 は 殆 ど 使 用 しな い し,「 ウ チ ネ 」 の イ ロ リに は 火 鉢 が 置 い て あ る 。 縁 側 が め ぐ っ て い て, 栂,樫 の 太 い 柱(外 柱)が あ り,雀 桁 が 美 し い 。 「ウ チ ネ 」「デ ィ 」「コ ザ 」 は1間 内 側 に 敷 居 が あ り,椎 葉 型 の 特 徴 を よ く示 して い る 。 現 在 「コザ 」 は 建 具 を 入 れ て2室 に
して い る が ∫ こ れ は 戦 後 の こ と で あ る 。
戸 棚 を は じ め 押 入 れ,神 棚 な ど は,す べ て 各 室 の 背 面 に1列 に 並 ん で い る 。 上 椎 葉 で は10戸 の 民 家 が 古 く,今 村(2),お も て(鶴 富 屋 敷),し た(1),み つ こ
し(1),か み(1),新 屋(1),し も(2),大 久 保(1)と,そ れ ぞ れ 屋 号 を も っ て い る 。 神 楽 は こ の10戸 で 行 い,神 楽 宿 は 順 番 に ま わ っ た 。10戸 の う ち8戸 の 民 家 が 大 き く,小 さ い 家 は他 家 を 借 りて 神 楽 宿 を した 。 神 楽 の 時 は10戸 以 外 の 村 人 も集 って く る 。 夜 を 徹 して 行 う が,「 デ イ 」 が 神 楽 を 舞 う場 所,「 コ ザ 」 は 楽 師 や 世 話 人 の 控 室,「 ウ チ ネ 」 「縁 」 に か け て 人 々 が 拝 観 す る 。 「デ イ 」 の 左 半 分 に 注 連 縄 が 張 ら れ,「 デ イ 」 か ら 「ウ チ ネ 」,最 後 に 火 の 神 を 祀 っ て い る 「台 所 」 で 舞 い お さ め を す る。 椎 葉 の 民 家 は 神 楽 と 切 り離 して は 考 え ら れ な い よ う で あ る 。 こ の 家 で は 椎 茸 乾 燥 機 を 土 間 に 設 置 して い た 。 宅 地 の 狭 長 さ か ら,土 間 の 作 業 場 と して の 必 要 性 が で て き た の で あ ろ う 。 立 派 な 牛 小 屋 は 火 災 後 新 築 して あ り,牧 牛 の 盛 ん だ っ た ζ と を 示 して い る 。
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(2)米 良 の 民 家
事 例1 宮 崎県 西 都市 東米 良銀鏡 茗 荷 原,黒 木 雄 一 氏 宅(図5)。 茅 葺 寄 棟。 間 口 6間,奥 行3間 半 。 間 取 りは左 勝 手 で,下 手 か ら 「ナ カ ノ マ(ウ チ ネ)」 と 「デ イ ノ マ」 の2室 が並 ん で い る 。表 側 か ら1間 幅 で 敷 居 が あ る。 現 在 「ナ カ ノ マ」 に は障 子,
「デ イ ノマ 」 に は襖 が 入 って い る ので,整 型 四 間 取 りの よ うな形 態 に な って い る。 し か し戸 棚,床,仏 壇 な どが 背 後 に並 び,無 壁 で 板 羽 目に な って い る し,1間 幅 の敷 居 な ど も椎 葉 型 と類似 した併 列 型 間 取 りの特 色 を 示 して い る。
「デ イ ノマ」 「ナ カ ノ マ」 に は 各 々3尺 角 の ジ ロが あ るが,「 ナ カ ノ マ」 の ジmは 以 前 は土 間 側 へ6尺 ×3尺 の ジ ロで あ った(写 真16)。 土 間(ド ウ ジ)の 表 側 は約20年 前 に3畳 の 小 部 屋 を造 って お り,家 族 は普 通 妻 側 か ら出 入 す る。
土 間 に は土 くどが あ る。 改造 部 分 の少 な い比 較 的 古 型 を 残 して い る民 家 だ が,現 在 無 住 で 廃 屋 に 近 い 姿 とな って い る。
事 例2 宮 崎県 西 都 市 東 米 良 銀 鏡 囲(図6)。 トタ ン葺,10年 前茅 葺 寄 棟 屋 根 で あ った 。8間 ×4間,米 良 で は大 き な規 模 の民 家 で あ る。 右 勝 手 の 家 だ が,土 間部 分 が かな り改 造 さ れ,現 在 は フ ロ場,台 所 とな って い て 土 間 は縮 小 して い る。 「ウチ ネ」 は 家 族 の 居 間 兼 食 事 空 間 だ が,背 後 が 改造 さ れ て い る。 「デ ノマ 」 と 「オ モ テザ 」 は背 後 に床,仏 壇 な ど が並 び併 列 型 の特 色 を残 して い る。1間 幅 に 敷 居 が あ る と ころ は椎
杉本 九州 山地の民家
図6 米良民家事例2 宮崎県西都市東米良銀鏡囲
葉 型 だ が,こ の 家 で は 襖 を 入 れ て い る 。 し た が っ て 「デ ノ マ 」 の 場 合,前 面 は5畳 の 部 屋 と な り,現 在 は 寝 室 に 使 っ て い る 。 奥 の 部 分 は,現 在 使 用 し な い が6尺 ×3尺 の ジ ロ が あ る 。 「デ ノ マ」 「オ モ テ ザ 」 共 に 縁 側 に 面 し た と こ ろ は 障 子 で あ る 。 「オ モ テ ザ 」 に は 玄 関 が つ い て い る 。
細 長 い 屋 敷 地 に は 地 主 神(ウ ジ ガ ミ)を 祀 る 木 小 屋 と,牛 小 屋 が あ る 。 地 主 神(ウ ジ ガ ミ)は 屋 敷 神 で 各 家 に あ る 。
写 真13米 良民家事例2「 オモテザ」の トコと押入 れ (西都市東米良銀鏡囲)(1977)
国立民族学博物館研究報告 4巻1号
写 真14米 良 民 家事 例2 左 側 「デ ノ マ」,右 側 は1間 幅 の敷 居 が あ り 小 部 屋 にな って い る(1977)
事 例3 宮 崎県 西都 市 東 米 良 銀 鏡 上 原(図7)。 『宮 崎 県 の 民 家』[宮 崎 県 教 育 委 員 会 1972:35‑36]に も収 録 さ れ て い る普 通規 模 の民 家 。 右 勝 手 で,食 違 い 四間 取 り だ が,や や 広間 的 な 間取 りで あ る。 しか し背後 に床,神 棚 な どが並 ぶ 「カ ミザ 」 と1 間 幅 の 「シモ ザ」 は椎 葉 型 で あ り,広 い台 所 の 背後 は奥 行1間 の 「ヘ リ」 が つ い て い る。 部 屋 の 名称 は,「 カ ミザ 」 を 「カ ミデ」,台 所 を 「ウチ ネ」 と よぶ 家 もあ る 。 縁 側 に は1間 ご とに 柱 が 配 され て い るの も椎 葉型 に類 似 して い る。併 列型 か らの変 化 と考 え られ る とこ ろが 多 い 。
西 都市 東米 良 銀 鏡 は,栗 田,上 原,下 原,囲(上 ・下),茗 荷 原,登 内,杖 立 か ら 成 り,現 在 で は班 組 織 で 月1回18日 に班 長 が 寄 り合 い を して い る。 各 班 内 部 で の 寄 り 合 い(常 会)は20日 に行 う。 寄 り合 い は 事 例1「 デ イ ノ マ」,事 例2「 デ ノ マ」, 事 例3の 場 合,「 カ ミザ 」 を使 い,シ モ ザ境 の建 具 を はず す こ と もあ る。
銀 鏡 の年 中行 事 の 中 で 最 も重 要 な もの は,12月14日,15日 を 中 心 に 行 わ れ る銀 鏡 神社 の 大祭 で あ る。 神 楽 が14日 夕 方 か 1(間) 〇一 3(m) △ ら奉納 される。神楽が終 るのは15日昼前にな る。狩 猟組 合 の ものが 獲 った 猪 の 頭 図7 米良民家事例3 西都市東米良銀鏡上 が 供 え られ る が,神 楽 の あ と シ シガ ユ を 原(r宮 崎県の民家』による)
作
って 皆 で 食 べ る。
杉本 九州山地の民家
神楽 の奉 納 は,椎 葉 や高 千穂 の よ うに各 家 で で はな く,社 務 所 近 くの舞 庫 で 行 わ れ る。 神楽 の練 習 も神社 で行 うが,以 前 は 各 村 落 で 大 き な 家 の 「デ ノ マ (デ イ ノマ)」 で練 習 した と い う。
銀 鏡 の 春 祭 りは3月21日 で あ る。 以 前 は各 村 落 で 田 に 弓場 を 造 り,弓 射 の 競 技 を した が1972 年 頃 か ら神 社 で 行 うよ うに な っ た。 その 場 合,銀 鏡 各村 落 に上 揚,八 重 の 一 部 が 加 わ る。
図8 米良民家事例4 西米良村上米良 (太田静六編 『九州のかたち』原図)
現在 は若 者 も少 な く,弓 愛 好 家 が 主 力 とな って い る。
事例4 宮 崎 県 児 湯 郡 西 米 良 村上 米 良,郷 田巧 氏 宅(図8)。 西 米 良 村 の 中 心村 所 か ら一 ッ瀬川 を遡 った 峡 谷 部 の 小 平地 に上 米 良 が立 地 して い るが,こ の村 落 で 唯一 っ 残 って い る茅 葺 寄 棟 の民 家 で あ る。6問 半 ×3間 半 の規 模 。 間 取 りは左 勝 手 で,土 間 は間 口2間 ×3間 半,そ の うち奥 行2間 は板 間 で カ マ ドが つ く。 「茶 ノ間(ウ チ ネ)」
の奥 に物 置 的 な 「ナ ン ド」 が 二 つ あ る 。 「コザ 」 と1間 幅 の 「シモ デ」 が あ り,背 面 全 面 に床,仏 壇,棚 が つ いて い る。1間 幅 の 「シモ デ」 と 「コザ 」 の 部分 が最 も併 列 型 の特 色 を残 して い る。 この 民 家 間取 りは,2室 併 列 型 か らの 発 展 型 と考 え られ る。
事 例5 宮 崎県 児 湯 郡 西 米 良 村 竹 原,旧 黒 木 幸見 氏宅(図9)。 宮 崎 県 総合 博物 館 民
写 真15米 良 民 家事 例5(西 米 良 村竹 原,現 在 宮 崎県 総 合 博 物館 民 家 園 に移 築)(1976).
国立民族学 博物 館研究報告 4巻1号
図9 米良民家事例5 西米良村竹原(旧 黒木幸見氏宅) (現在 宮 崎県総合博物館民家園に移築)
家 園 に移 築 され て い る古 民 家 で あ る。 茅 葺 寄 棟 で,小 屋 組 は普 通 の サ ス組 だ が,軒 裏 に は合 掌 梁 が 外 側 柱 よ り突 き 出 して い る。 合 掌 尻 は側 柱 よ り外 に出 て い る。 椎 葉 や 高 千 穂 で は この 傾 向 が 著 し くな って い る。
主 屋 は事 例4(西 米良 村 上 米 良)の 民 家 とほ ぼ 同 規 模 で あ る。左 勝手,土 間(ド ウ ジ)の 奥 は エ ン,床 ノ上,平 釜 が つ く。 土 間 に は フ ミウス が あ る。 「ウチ ナ ィ」 「デ ノ カ タ」 「シモ ハ ラノ マ」 の3室 広 間 型 だ が,背 後 全 面 に戸 棚,モ ノ イ レ,床 ノ間,仏 壇 が 並 ん で い る。 「デ ノカ タ」 の表 側 に1間 幅 の 「シモ ハ ラノ マ」 が あ り,事 例4よ り 濃 厚 に併 列 型 の特 徴 を示 して い る 。「ウチ ナ イ 」 に は6尺 ×3尺 の ジ ロ,「 デ ノカ タ」
に3尺 角 の ジ ロが あ る。
事 例4・5の 間 取 り型 は西 米 良 で は,か な り一 般 型 で あ った とい わ れて い る。
この 家 は付 属 建 物 と して 立 派 な 牛 小 屋 を も って い る(後 述)。
事 例6 宮 崎県 児 湯 郡 西 米 良 村 村 所,黒 木康 好 氏 宅(図10)。 山腹 緩 斜 面 を 開 い た
杉本 九州山地の民 家
写 真16米 良 民 家事 例1「 ナ カ ノマ 」(ウ チ ネ)写 真17米 良民 家事 例5「 ウチ ナ イ 」 とイ ロ リ (現在 無住)(1977) (宮崎県 総合 博 物館 民 家 園 移 築)(1976)
も の で,山 間 村 と し て は ま と ま っ た 屋 敷 地 で あ る 。 主 屋 の 南 側 に 小 屋,北 側 に 物 置 (も と牛 舎)を 配 置 して い る 。 南 東 隅 に 氏 神(屋 敷 神)が あ る 。 主 屋 は 瓦 葺 で,宮 崎一 平 野 部 の 佐 土 原 の 瓦 を 使 用 して い る 。 規 模 は7間 ×3間 半 。
写 真18米 良民 家事 例6(西 米 良村 村 所)(1977)
国立民族学博物館研究報 告 4巻1号
図10米 良民家事例6 西米良村村所(黒 木康好氏宅)
写 真19米 良民 家 事例6の 内部 「デ ノ ホ」(押 入 れ ・仏 壇 ・トコが 背 面 に並 ぶ)
間 取 り は 左 勝 手 で 土 間(ド ウ ジ)部 分 が 改 造 さ れ て い る 。 奥 は 新 建 材 を 用 い た 食 堂 と な り,物 入 れ,カ マ ド,ナ ガ シ と は 区 分 して い る 。 風 呂 場 も増 設 して い る 。 居 住 部 分 は,「 ダ イ ドコ ロ」,「ヘ リ」,「マ エ ノ マ 」,「 デ ノ ホ 」 の 食 違 い 四 間 取 り に な っ て い る 。 「ダ イ ドコ ロ」 表 側 は 縁 側 状 に な っ て い る が,こ れ は 新 し く仕 切 りを つ け た も の で あ る 。
杉本 九 州山地 の民家
6尺 ×3尺 の イ ロ リが あ っ た が,現 在 は コ タ ッ 。 奥1間 幅 が4畳 の 「ヘ リ」 に な っ て い る 。 「デ ノ ホ 」 の 背 面 は 物 入 れ,床,仏 壇 で(写 真19),表 側1間 幅 が 「マ エ ノ マ 」 だ か ら,こ の 部 分 が 併 列 型 の 特 色 を 残 して い る 。 「ダ イ ド コ ロ 」 は 家 族 団 藁 の 場 と 共 に 接 客(普 段 の 来 訪 客)空 間 で も あ る 。
「ヘ リ」 は ナ ン ド的 な 部 屋 だ が,お 産 な ど も こ の 部 屋 を 使 っ た と い う。
屋 敷 神 は 氏 神 さ ん と よ ん で い る 。 正 月 に 祀 る家 が 多 く,御 幣 を き り,注 連 縄 を は る 。 各 家 で 神 主 を よ ん で 神 事 を し,あ と 食 事 を す る が,こ の 時 は 「デ ノ ホ 」 を 使 い,神 主 は 「マ エ ノ マ 」 か ら入 る 。
村 所 で は,村 の 寄 り 合 い な ど 最 近 は 公 会 堂 を 使 っ た りす る の で,各 家 で の 寄 り合 い は 少 な く な っ た が,葬 式 の 際 の カ セ イ は 残 って い る 。 村 所 で は3組(上 囲,下 囲,キ リハ ラ)に 分 か れ,各 々 ま わ り(順 番)が あ る 。 竹 原 で も 上 ・中 ・下 の3組 に 分 か れ, 葬 式 の 時 の み カ セ イ して い る 。
(3)隣 接 地 域 の 民 家
椎 葉,米 良 地方 に 隣…接 す る地 域 と して 宮 崎県 側 の 高 千 穂,熊 本 県 側 の五 家 荘,五 木, 人 吉 盆 地 な どの 間取 り事 例 を示 して み よ う。
高 千 穂 の 民 家 事 例 宮 崎 県 西 臼 杵 郡 高 千 穂 町 三 田 井(図11‑@)。 間 取 り は,ニ ワ(土 間),「 ゴ ゼ ン」 「オ モ テ 」 「ツ ボ ネ 」 の3室 併 列 が 多 く,「 オ モ テ 」 と 「ゴ ゼ ン」
に は イ ロ リが あ る 。 事 例 の 民 家 は 「ツ ボ ネ 」 を 仕 切 っ て 「上 ツ ボ ネ 」(ウ エ ン マ),「 下 ッ ボ ネ 」(シ モ ン マ)と し,「 上 ツ ボ ネ 」 に は 仏 壇 が あ る 。
写真20高 千穂民家事例 「オモテ」手前の敷居 は戦後につ くる (高千穂町三田井)(1956)
国立民族学 博物 館研究報告 4巻1号
写 真21高 千 穂 民家 事 例 「ゴゼ ン」 の イ ロ リ (坂田 滋 氏撮 影)(1956)
家 の 背後 は多 くの場 合 山 が 迫 って い る ので 全 面板 壁 と して 神 棚,戸 棚(重 ね 棚式) な どを並 べ て い る。 ニ ワは 広 く,大 釜 で は以 前盛 ん に栽 培 して い た麻 を蒸 した と い う。
土 間 の 一部 を改 造 して 部 屋 を 造 って い るが,こ の よ うな傾 向 は 他 の 家 に もみ られ る。
人 口の流 出 な どを 軸 に 過 疎 化 が進 み,部 屋 が 大 きす ぎて,「 オ モ テ」 「コザ」 な ど を 仕 切 る傾 向 が み えて い る。
高 千 穂で も夜 神 楽 が 盛 ん で あ る。 収 穫 後 の秋祭 りで,神 楽 宿 に 当 った 家 で は,「 オ
④ 高 千穂 の 民 家事例 高 千穂 町 三 田井 A‑B新 しい仕切 り
⑤ 五 家荘 の 民 家事例 熊 本県 八代 郡泉 村 椎原 (石原憲治氏 に よる)
図11