はじめに
算数・数学教育の現代化運動とは、現代数学を含む科学の進歩に対応するため、教育におい ても古典数学のみを学ばせるのではなく、現代数学とその考え方を取り入れるべきであるとい う潮流である。佐々木元太郎1)は、昭和35から48年における世界の政治・経済・社会情勢と 算数・数学教育における現代化運動の関連を時系列で概説している。このように世界的な広が りを見せていた算数・数学教育現代化運動を背景に、わが国では、昭和43年7月11日に小学校 学習指導要領が告示された。注1)この指導要領は、通称「現代化指導要領」と言われ、昭和46 年4月から実施された。現代化指導要領では、現代数学の基本手法である集合と関数が算数科 に取り入れられ、「集合の考え」と「関数的な考え」と呼称された。その後、算数・数学の現 代化運動は急速に退潮し、次の昭和52年実施の指導要領では算数科の現代化教材は一掃されて しまうことになった。小学校に集合の考えを導入することについて、どこに無理な点があった のか。集合の考えとは、どのようなものであると捉えられていたのか。これらを、検証する必 要がある。確かに、現代化運動の全体的な検証・反省に関する論文2)3)4)は、施行後から現 在に至るまで少なからず出されている。注2)しかし、現代化指導要領の施行前から行われてい た先行実践や、実践案の細部はほとんど検証されていない。すなわち、急激な思潮の変化により、
当時苦心して開発された現代化教材は、細部の検討・反省がされないまま忘れ去られたのであ る。これらの現代化教材の開発の視点には何が不足していたのかを検証する必要がある。なぜ なら、今後算数科に新規教材を導入する場合、満たすべき要件が必要となるからである。現代 化教材の実践案の細部の検討なくして、今後の新規教材の導入規準は構築できないと考える。
現代化指導要領では、特に最重要教材として小学校に取り入れられたのが「集合」と「集合 の考え」であった。本稿では、この「集合」と「集合の考え」に関する教材内容、当時の先行 実践の指導案について再評価する観点を示したい。
1 算数科における現代化の問題点
算数・数学教育現代化運動の目的は3項目あり、それぞれが指導要領に盛り込まれた。
第一には、現代数学の初歩的内容を導入することである。小学校では集合と確率、中学校で は位相幾何の初歩としての位相合同、代数構造の初歩としての剰余類が導入されたことがその 典型である。第二には、現代数学の方法と考え方を生かすことである。「集合の考え」、「関数 の考え」を生かすことが、小学校の低学年から求められた。その目的は、石田忠男5)が指摘
昭和40年代の小学校算数科における 現代化教材に対する再評価の観点
山本 忠
Reevaluation of the Modernized Arithmetic Teaching Materials Invented in 1965-1974
Atsushi YAMAMOTO
するように、低学年の段階から、現代数学の考えで従来の教材を見直し、それによって数学的 な考え方の育成を図ろうとするものであった。そして、集合の概念を基盤とすれば、ものごと を単純化、明確化してとらえることができること。さらには、高学年では構造の概念も導入し て、合理的で見通しよく考える現代数学の特徴を教育に取り入れることができると考えられて いたのである。
第三には、指導法の改善が求められた。たとえば、発見的学習、主体的学習の重視である。
表1には、小学校算数科に導入された集合関連の教材の学年別配置を示してある。これによ れば、「集合」という用語や包含関係は4年生から指導することになっている。1〜3年生で は「なかま作り」(考察対象の明確化)、「なかまくらべ」(対応の考え)、「なかまわけ」(集合 を決める条件)の三分野に分けて、「集合の考え」を指導することになったのである。
現代化指導要領は、答申の直後から告示前後を通して、教育学部の付属学校や各県の研究機 関で実践的な指導案が作成され、先行的な実践も行われている。注3)たとえば、愛知教育大学 附属岡崎小学校6)では、従来の授業と集合の考えを取り入れた授業とを各学年の各分野で比 較実施している。集合の考えを取り入れる授業の指導案細部が、詳細に示され、検討されてい る。したがって、現代化指導案は十分な準備の基に実施されたのである。しかし、川口廷7)
が指摘するように、現代化指導要領の実施後は、計算力が低下したという批判、算数・数学ぎ らいが増加したという批判、算数の落ちこぼれが増加したという批判が趨勢となり、社会問題 化した。また、従来の教材に加えて、現代化教材が上乗せされたという過密化批判も行われた。
実際、川口は当時の状況を次のように書いている。
「これまで何回もなされてきた教育課程の改訂の場合は,教育に直接関係の深い教師や専門 の学識経験者からの提言や批判は寄せられたが、教育の対象となっている児童・生徒の親たち からの提言や批判はきわめて少なかったように思われる。しかし,今回は,この層から強い批 判が数多く出されており、教師や学識経験者の層からの批判と合わせて、強い世論を形成する に至っていることは見逃すことができない。このことはこれまでになかった大きな変化である
学年 なかま作り なかまくらべ なかま分け 1 ・簡単な観点のもとに
集合を作る
・1対1の対応・多対
1の対応・順序づけ ・1つの条件による分類 2 ・要素を番号などで表
わして集合を作る
・要素と数の順序対と の対応
・2つの条件による分類の 初歩
3 ・関数における対応な
ど
・2つの条件による分類の 初歩
4
・集合,要素の定義
・集合の表わし方{ }
・数の集合,図形の集 合
・2つの条件による分類
・包含関係⊂(交わり、結 びなどの考えにもふれる)
5 ・無限集合の考え(倍 数の集合など)
・数の集合の類別(同値関 係による類別の初歩)
6 ・構造の考えの初歩 ・3つの集合間の関係の初 歩
表1 集合関連の教材の学年配置(啓林館・教師用指導書を基に作成)
といえる。しかも、世論の批判の多くは,算数・数学教育に集中し、これらの教育内容が質・
量ともに過大であるとか、そのために,児童を算数ぎらいにさせたり生徒を非行化に走らせた りする結果を招いているとの批判にまで至っている。」
このような批判にさらされた結果、次期指導要領では現代化の方向は大幅に縮小、後退せざ るを得なかったのである。しかし、石田忠男8)は、学力調査と意識調査のデータから計算力 の低下はなかったこと、算数・数学ぎらいの増加はなかったこと、そして落ちこぼれの増加も なかったことを示している。
現代化指導要領が社会問題化した背景には、実践段階での不備があったと推測する。すなわ ち、真の原因は教育現場における集合概念への誤解、ベン図に対する過信、現代数学の内容と 方法の混同の三つがあったと考えられる。実際の問題点は、これらの3点であって、計算力低 下や算数ぎらいやおちこぼれの増加ではなかったのである。したがって、まずこれらの3点に ついて検討する。
2 集合概念への誤解
辻正次9)が「集合論は獨逸はれる大學教授げおるぐかんとるニヨッテ創造セラレタ數学ノ 一分化デ無限ノ物の集合を論ずる學科デアル」と指摘するように、集合の概念を創りだしたの はゲオルグ・カントールである。彼は三角級数の非収束域を表現する必要から点集合の概念を 創りだした。すなわち、集合概念は無限概念を扱う分野である解析学の必要から生まれたので ある。この後、カントールは、要素間に1対1対応の付く2つの数の集合を同値とみなして、「濃 度は等しい」と定義したのである。たとえば、整数全体の集合と、偶数全体の集合は濃度が等 しい。また、有理数全体の集合と、整数全体の集合も濃度が等しいことが示せる。しかし、実 数全体の集合は、異なる濃度であることも、対角線論法により証明できる。これがいわゆる古 典集合論である。算数教育現代化の文脈の中で述べられる主張に次のようなものがある。「算 数では『集合の考え』を扱うのであって、『集合論』を扱うわけではない」この中で出てくる
「集合論」が、このカントールの古典集合論である。しかし、カントールの古典集合論でも、
現代数学の集合論でもない素朴な「集合の考え」にも、無限概念が顔を出すことがある。算数 科の教材に集合を取り入れるときに、「集合とは何か」を説明する強調された事項がニつあっ た。一つは、何の集合かという「きまり」があること。もう一つは、その集合に属するか否か が決定できることである。「このクラスの背の高い人の集合」のようにあいまいなものは集合 ではなく、「身長160㎝以上の人の集合」のようにきまりを作れば集合である。だが、集合とは 何かを説明するのに、致命的に重要な事項が一つ欠落していたのである。村田全10)によれば、
カントール自身は次のように述べている。
「集合概念は本来数学のみのものではなく、“一者とみなされた多者のことであり、プラトン のいうエイドス、イデア、ミクトンなどに近いもの”だ」
村田全11)が指摘するように、ここでいう「一者とみなされた多者」とは、「述語を対象化す ること」である。たとえば、「集合Nが自然数の集合である」とは、N={1,2,3,4,5,………}と 表されるだろうか。低学年の児童であれば、「いっぱい数があるのなら{ }の中は真っ黒に なってしまう」と思うだろう。「………の先はどこまでも続くのは本当かな」と思うかもしれ ない。この例のように、無限集合を外延的に表現することは不可能である。一方、内包的に述 語で表現すれば、N={n|nは自然数}のようになる。しかし、これでは、「自然数とは何か」
という定義を何も示していないことになる。そこで、「自然数とは次の条件を満たす集合Nの
要素である」として、述語の内容を明確にするためペアノの公理を 書き並べる。これによって集合Nは完結した一つの対象となるので ある。述語の対象化、すなわち内包の外延化が集合の本性なのである。
換言すれば、藤田伊吉12)の指摘するように、「変化する過程的無限」
を「完結した存在する無限」とみなすための数学的な道具が集合で あるということができる。
現代化指導要領において小学校で扱う集合は、有限集合ばかりで はない。「三角形全部の集合」、「3の倍数全部の集合」などの無限集 合が教材としてある。これは、集合の考えを取り入れた教材を開発 するならば、無限集合を扱わざるを得ないからである。たとえば、「図 1は三角形全部の集まりです」という説明に対して、低学年の児童
は図1のようなはみ出した三角形を描き「でも、こんな三角形は、この中に入っていません」
という疑問が出されるのは自然なことである。
現代化を推進するにあたって、「集合の考え」は素朴な「ものの集まり」であるから、低学 年の児童にも十分理解できるはずである、と考えられていた。しかし、集合概念の本性は無限 概念に関して「述語の対象化」という飛躍的な論理上の方法論を含んでいる点が軽んじられた と考えられる。
実際、ダンツィク13)によれば、カントール自身がこの集合論を発表するのを10年間も躊躇 した。それは、この飛躍的な論理上の方法論に対して恩師クロネッカーからの反論を恐れてい たからである。実際、発表後はやはり「殺到する非難」があり、「集合論の嵐のような初期」
となったのである。それほど集合概念はわれわれに、パラダイムの変換を迫るものなのである。
また、数理哲学者のヴィトゲンシュタイン14)はカントールの集合論は「無限大に関する数学 ではなく、規則に従う記号ゲームの一つに過ぎない」として、これを認めていない。確かに、
集合概念の外見は「ものの集まり」という素朴な考え方に見える。しかし、その裏には無限概 念を数学の遡上に載せるための巧妙な飛躍を含んでいるのである。このような集合概念の側面 を考慮した上で、小学校に集合や集合の考えを導入することは可能であったのだろうか。銀林 浩15)はこのような集合概念の本性を指摘し、「(前略)集合の特色は、少なくとも初等数学を 考える場合、同時に限界ともなり制約ともなるものである」とした上で、「集合を初等教育に 導入する重要性を否定するものではけっしてない」と述べている。一方、小平邦彦注4)は「集 合論は十九世紀の終わり近くになってカントールがはじめたものであって、その目的は無限集 合を扱うことにあった」16)として、「この集合論を小学生に教えようとするのはとんでもない 間違いである。もちろん、小学生には対角線論法も実数もわからないから、集合論のもっとも つまらない、どうでもよい部分を教えることになる」17)と述べている。
この二人の数学者の意見が代表するように、集合概論の本性をふまえた上で、これを初等教 育に導入することについて議論が二分していたのである。すなわち、表面上は無限概念を取り 扱わない小学校算数科においても、集合概念の本性が、時に顔を出す危険性をはらんでいたと いえる。
3 ベン図への過信
集合の考えを表現するのがベン図であり、現代化指導要領では小学校算数科に導入された。
現在では、集合の考えは小学校算数科からはすべて姿を消している。たとえば図形の包摂関 図1 ベン図の誤解
係はベン図を使って、集合の考えでまとめを すると児童は統合的に理解できるとされてい た。ところが、船越俊介ら18)の現行の教員 向けの解説書では、「図形の包摂関係につい ては、以前は小学校でも積極的にとりあげら れたこともありましたが、現在では特にとり あげないことになっています。(後略)」のよ うに、これを回避する方針が示されているの
である。その理由の第一は、包含関係を考える場合に、「正方形はひし形である」、「ひし形は 平行四辺形である」、という一般が特殊を含む原理が理解されにくいからである。理由の第二は、
これらが無限集合であるからである。児童のベン図の構成過程について以下の例で考える。
クラスの中で、今日かさを持ってきた人と、昼休みに校庭で遊んだ人の集合について考えさ せる。クラスの中でかさを持ってきた人が、最初からベン図のように教室の中央に集まって座っ ているわけではない。中学年の児童の心理的な認識としては、あくまでも具体的に「○○ちゃ んと、○○ちゃん、………」のように、ばらばらに認識するであろう。昼休みに校庭で遊んだ 人も同様である。そこで、カードに名前を書いたものを黒板に貼ってみる。第一の分類観点で ある「かさ」でまずカードを動かして上下に分けるのが自然である。次に、第二の分類観点で ある「校庭」で分ける際に、第一の観点を考慮して分ける必要がある。そのまま左右に分ける とこれはベン図ではなく、図2のカルノー図になってしまう。数学ではベン図を使うのが常で ある。しかし、児童の自然な活動からはベン図よりもカルノー図が出てくる可能性がある。観 点が三つになっても、キャロル図に発展できる。指導要領に盛り込まれていないカルノー図や キャロル図を使う指導はほとんどされていないと考えられる
ベン図にするためには、先に教師が円を描いておいて、「かさ」の児童をこの中に移動させ る必要がある。次に、もう一つ円を描いて、「校庭」で分けるときに、「かさ」の観点を考慮 しながら分けることが必要になる。
ベン図で表すといっても、このよう に数段階の具体的な操作を行った後 に、やがては念頭操作で行えるよう にする必要がある。いきなりベン図 を与えて分類させる指導には無理が あると考えられる。教師がベン図を 書き、児童がその中に要素を書き込 むということは、構造が先に与えら れているということである。児童は 与えられた構造に合わせて、「なか
まわけ」操作をしなくてはいけない。一方のカルノー図では、児童の活動の自然な流れで「な かま分け」活動ができるのである。
集合の考えをわかりやすくするはずのベン図でさえ、このような困難性を抱えているのであ る。現代化当時作られた指導案は、ベン図を書かせるのが目的になってしまったものが多いの である。問題を解決するのが目的であり、そのための手段としてベン図があるべきであったと 思うのである。ただし、この点に配慮した指導案も作られた。村山尚子19)は5年生の図形の
図2 カルノー図の構成
図3 ベン図の構成(村山の指導案を基にして作成)
対称性の指導において、図3左の素朴な1観点図からベン図への工夫をすることを児童に促し ている。9個の図形を観察して、まず点対称か否かで分類させる。次に線対称か否かで分類さ せる。どちらでもない図形を含めて「3つの仲間」ができる。これを「もう一度分類し直そう」、「左 図でない表し方はないか」という発問で、ベン図が自然に考え付くように指導したのでる。こ の授業では、対称性の理解という目的を見失わず、ベン図は手段として使われている点でも評 価できる。ベン図は現代数学で使われ、概念をまとめるのに便利に見えるため、現代化指導要 領に盛り込まれた。しかし、児童にとっては理解し使いこなすためには、困難が伴うのである。
4 現代数学の内容と方法の混同
カントールの創出した集合概念を数学の記述に使い、現代数学の抽象への方向付けを行った のはデデキントである。実際、村田全20)は次のように述べている。
「しかしカントルと共に、デデキントの寄与もまた重大である。というのは、数学の中での 無限集合の取り扱いの具体的な道は、カントルよりもむしろデデキントによって拓かれたもの だからである。(中略)カントルの集合導入の態度には一般に超越的な処があり、点集合論の 開拓という点別にすると、現代数学との直接のつながりはむしろ稀薄だと言える。(中略)こ の間、自然数論や実数論でこのことを実行したのはデデキントであつて、力ンドルの方にはこ ういう考えの筋はあまり明瞭に出ていない。」
すなわち、デデキントは集合を使って、実数の連続性を「切断の公理」によって記述し、現 代数学の方法論へ踏み出したのである。デデキント以降の数学は、集合と対応すなわち写像を もって記述され、抽象化された。そして、ブルバキに至っては、すべての数学を集合と写像を 持って再構成しようと『数学原論』シリーズの刊行を始めたのである。すなわち、カントール の集合論を契機として、数学が抽象的なものに見かけ上変質したのである。
だが、森毅21)が指摘するように、そのブルバキの数学原論でさえ、理工系大学生の教養課 程程度の内容である「線形代数」の巻を含んでいる。つまり、ブルバキは高度に抽象化された 現代数学のみを『数学原論』に書いているのではなく、既成の数学を、集合と写像で再構成し て見せているのである。すなわち、集合と写像はそれ自体が現代数学ではなく、数学を表現す る手段であると考えられる。
算数の現代化指導要領が告示される前から、「集合の考え」と「関数の考え」が、それ自体 は教材ではなく、表現手段、思考手段であることは、その段階ですでに指摘されている。たと えば、愛知教育大学附属岡崎小学校22)では、「『集合の考え』は教材ではなく、教材のとりあげ方、
問題を解決してゆくときの着想や処理のしかたに関係している」というように指摘している。
しかし、小学校1年生から全学年にわたって、集合と集合の考えが算数科の基調となったこと から、集合を作ることが授業の目的となった。たとえば集合を作るために分類するのみの授業 や、ベン図を作ることのみが目的となった授業が行われた。その結果、児童は答が出る算数で はなく、何かを分類して終わってしまう授業に違和感を持ったと考えられる。すなわち、「集合」
や「集合の考え」は教材そのものではなく、概念の整理手段、思考手段であるという観点が軽 視されたということが指摘できる。たとえば、稲木克己23)は、「ベン図を使って、長方形⊂平 行四辺形という学習はしても、そのままになってしまう」と述べている。また、石田陽三24)は「16 の約数――1,2,4,8,16 これだけでは、不充分なのでしょうか。16の約数の集合{1,2,4,8,16} こ のようにしなければならない―した方がいい―理由が、よく理解できませんでした」と述べて いる。
5 再評価できる実践例
上述のように、集合の考えと集合の指導には、三つの問題点、考慮すべき点があった。その 一方で、数学的な考え方を育成する目的、本来の目標を見失うことなく、集合の考えを背後に 潜ませた実践もあった。これは、集合の考えを生かして論理的な考えを育成した実践として再 評価できるものである。
一例として、現代化当時に作られた指導案である明石準一25)の集合の考えを生かした実践 例「かたちづくり」(1年生)を検証してみる。「まえがき」の中で「この指導事例のほとんど すべてが、実際に試みたものである」と記されており、実践的な指導案であると考えられる。
第一の活動は、重ね合わせによる合同の確認である。長方形の画用紙を児童数だけ用意し「こ れを切って2枚のさんかく、を作ることができるか」、「どのように切ればできそうか」を考え させ、「2枚のさんかくの大きさが,同じといえるかどうか」、「それを調べるには,どうした らよいか」のような発問を続ける。
第二の活動は、図形の構成である。2枚の三角形をきちんと重ね合わせ、下の1枚はノート にのりづけして固定させる。そして、上の1枚を動かしいろいろな形を自由に作らせる。そし て、できた図形は,どのように動かしてできたのかを発表させる。動かしかたが同じといえる ものをまとめさせ、何に目をつけて分けたものかという観点をおさえて分類させる。児童から 出てくる考えやことばをとりあげて,動かしかたを分類させていく。
児童に自由に操作させることから、児童の算数的活動を生かした指導である。その中にも、
重ねた三角形の1枚(図の斜線の三角形)をノートに固定するという配慮があるから、児童は どのように動かしたかを考察しやすい点も評価できる。ここでは、同じ動かし方で集合を作ら せているのである。だが、集合を作らせるのが目的ではなく「おなじ動かし方のなかま」を集 めて変換という概念の萌芽を作っているのである。これは、高学年での図形の変換に生きてく る活動をしているといえるのである。
予想される児童の反応としては、「もちあげる」(図4①②③)、「まわす」(④⑤⑥)、「ずらす」
(⑦⑧)であり、それぞれが、対称移動、回転移動、平行移動に相当する。
この実践例では評価問題として類題2題が作成されている。
第1問は、図5で「ひだりのかたちから みぎのかたちをつくるには 1つの三角形をどの うごかしかたをすると いちどでできるでしょう。せんでむすびましょう」、そして、第2問は、
図6で「ひだりのずの なんばんと なんばんの さんかくを うごかしたら みぎのような かたちが できるでしょうか」である。
図4 重ねた「さんかく」を動かす(明石の指導案を基にして作成)
① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧
新規な教材が教育現場に定着するためには、このような類題が豊富に作れるか否かが、成否 を左右する重大な要件の一つである。変換を集めることが目的ではなく、図形の変換が具体的 な操作としてできるかどうかについての評価をするための類題である。形が変わっても児童は、
「おる」、「まわす」、「ずらす」の操作で図形が変換できることを確かめることができる。形の 変化も興味を引くものである。児童は授業で行った活動の経験を基に、図形の変換についてさ らに経験を積むことができるだろう。
この指導案は「変換の集合を1年生に教える」というと一見困難に見えることをしているこ とになる。物の集合も理解困難な1年生に、操作自体を要素とする集合を教えるのは無謀な試 みに見える。しかし、実際はこのように無理なく数学的な考え方に育成に集合の考えを生かし たことになる。明石の指導案で見るように集合の考えは教師の数学観として保持されている状 態で、授業の前面には出さないことが望ましい。このことを杉岡司馬26)は次のように表現し ている。「先生が集合や関数の教養を十分に身に着けて、それをみせびらかすのではなく、お し包んでかくそうとすれども、ついにじみ出てきてしまった、そうゆうような形で教材を見な ければならない(後略)」この指導案は、「あつめる」という集合の考えを前面に出さず、考え 方として背後に生かせば、実践可能であることを示している。
6 結論
上述の各項から、現代化教材の集合の考えと集合に関しては、以下の結論を得たと考える。
こうすれば、現代化教材への批判はもっと穏健に行われたであろうという観点である。
図6 評価問題2(明石の案を基にして作成)
図5 評価問題1(明石の案を基にして作成)
【おる ・ まわす ・ ずらす】
1
2 3
4 ⇒
第1には、集合概念は無限概念と表裏一体の関係にあるため、小学校算数科への導入は「考 え方を背後に隠して生かす」という条件付きでのみ可能である。その上で、低・中学年では有 限集合に限定して教材化することが必要である。
第2には、集合の考えと関数の考えは、表現手段であり、ときには思考手段であることから、
数学的な考え方の育成という本来の目標を優先するべきである。授業においても、集合を教え るための教材ではなく、数学的な考え方を育成するための道具であるという観点を失わないこ とが必要である。
第3には、児童が自然な流れで考察を進めることができるカルノー図を使い、ベン図は構成 的に、児童が考え付くように指導する。
第4には、集まりを見つけ出すために、児童が紙を切る、折るなどの具体的活動を伴う発見 的な授業であること。
第5には、授業で扱った問題と類似の問題を評価問題として作成できること。
上記のような観点から現代化教材を再評価すれば、これからの算数・数学教育において現代 化の遺産を生かして使うことができる。なぜならば、これから新規に教材を導入する場合への 示唆となるからである。現代化の反省期以降は、新規に教材を取り入れることに対して、算数・
数学教育界全体が積極性を喪失してしまっている。実際、現在に至るまで新規教材はほとんど 導入されていない。新規教材の成否を分ける観点が明確になれば、喪失してしまった新規教材 の導入の機運や研究意欲も生まれてくる可能性があると私は考える。
さて、現代化指導要領では、集合と集合の考え、関数的な考え方が全面に出て強調された。
そして急激な現代化思潮の後退があった。このため、現代化の方向に含まれていた「数学的な 考え方」と「発見的な指導法」については、当時の実践指導案に関して十分な検討が行われて いない。これらの検討を進めることが今後の課題である。
【注】
注1) 実施の翌年には、「小学校・中学校・高等学校等の学習指導要領の一部改正ならびに運用について」と題 する文部省通達が出された。通達は教育現場のとまどいに配慮して出されたと思われる。なぜなら通達 の内容は以下の文章を含んでいるからである。「(前略)地域や学校の実態および児童の心身の発達段階 を十分考慮して、適切な教育課程を編成するものとする。(後略)」(昭和47年10月文部省通達)
注2) たとえば、以下のような特集が組まれている。2)と3)では小学校の教師による報告である。現場の とまどいと混乱が示されている。4)は数学者の見方がいくつか示されている。
注3) たとえば、27)では各学年の指導案、22)では指導案に加えて、実践結果と旧来の指導方法との正答率比較、
28)では理論的側面と指導案が示されている。
注4) 小平の現代化批判は、特に下記17)で広く一般に知られるようになり、現代化見直しの端緒となった。
初出は 16)が『科学』,岩波書店(1968)、17)が『文芸春秋』,文芸春秋社(1975)。
【引用・参考文献】
1)佐々木元太郎『現代数学教育史年表[付・概説]』,聖文社(1985),pp.40-51.
2)広川清隆他「特集・集合指導の効果を問う」,『教育科学・算数教育』,Vol.176(6),明治図書(1973).
3)奥野博他「特集・現代化、何が現場に定着したか」,『教育科学・算数教育』,Vol.204(8),明治図書(1975).
4) 村岡武彦他「特集・集合を教えることの是非を問う」,『教育科学・算数教育』,Vol.213(4),明治図書(1976).
5) 石田忠男「提案 算数・数学教育の現代化はなぜ失敗したか〈誌上シンポジウム〉」(数学教育の現代化はな ぜ失敗したか〈特集〉)『現代教育科学』Vol.25(4),1982年4月号,pp.5-23.
6)廣川清隆(監修)、山口県小学校教育研究会算数部『集合の考え-その指導事例』,明治図書(1968).
7)川口廷「集合無用論批判」,『教育科学・算数教育』,Vol.213(4),明治図書(1976).
8)上掲書 5).
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10)村田全「カントル」,伊藤俊太郎他編著『数学史』,筑摩書房(1975),pp4.78-489.
11)村田全「集合論史の周辺」,村田全『数学史散策』,ダイヤモンド社(1974),pp.196-226 . 12) 藤田伊吉(注)、ボルツァーノ、藤田伊吉(訳)『無限の逆説』,みすず書房(1978),p.158.
13)ダンツィク、河野伊三郎(訳)『科学の言葉=数』,岩波書店(1945),p.289.
14)山本信、黒崎宏(編著)『ウィトゲンシュタイン小事典』,大修館書店(1987)p.220.
15)銀林浩「集合の意義と限界」,銀林浩『わたくしの数学教育批判』,国土社(1976),pp.31-37.
16)小平邦彦「New Math 批判」,『怠け数学者の記』,岩波書店(2000),pp.110-115.
17)小平邦彦「数学教育を歪めるもの」,上掲書 16),pp.116-126.
18) 船越俊介、家田晴行、斉藤規子『改訂版・小学校算数「授業力をみがく」指導ガイドブック』,啓林館(2012),
p.167.
19) 村山尚子「対称―図形」,片桐重男(編)『算数教育指導・第1巻・集合の考え』,近代新書(1969),
pp.194-198.
20)村田全「集合と集合論」,上掲書12),pp.476-477.
21)森毅『現代数学とブルバキ』,東京図書(1967),p.59.
22)和田義信(序)、愛知教育大学附属岡崎小学校『集合の考えを生かした算数指導』,明治図書(1969),p.26.
23)稲木克己「現代化、定着はどの程度進んだか」,上掲3),p.38.
24)石田陽三「現代化、何が現場に定着したか」,上掲3),p.68.
25)明石準一「形づくりの操作-図形」,上掲書21),pp.43-48.
26) 杉岡司馬「算数教育現代化の反省」,日本数学教育学会誌『算数教育』,Vol.56(6),日本数学教育学会(1974),
pp.98-106.
27)日本数学教育学会(編)『集合とその指導・小学校編』,明治図書(1970).
28)上掲書 22).