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雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

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(1)

新素材の開発にともなうボール・ゲーム史への影響 について −ビリヤードと卓球を中心に−

著者 稲垣 正浩, 中房 敏朗

雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

巻 39

号 1

ページ 59‑69

発行年 1990‑11‑26

その他のタイトル The Effects of the Invention of New Materials upon History of Ball Games −on Billiard

History and Table Tennis History−

URL http://hdl.handle.net/10105/1834

(2)

東国iMim&a‑m 淵EX3日LMCoE'tti*iaKii」3耳EZ Bull. Nara Univ. Educ, Vol. 39, No. 1 (cult.& soc), 1990

新素材の開発にともなうボール・ゲーム史への影響について

‑ビリヤードと卓球を中心に‑

稲垣正浩・中房敏朗*

(奈良教育大学体育学教室) (平成2年4月28日受理) I は じ め に

新素材の開発が、在来のスポーツに新しい可能性を与えたり、ときには新しいスポーツそのも のを生み出すなど、近代スポーツの形成にとって重要な役割を果たしていることはすでに指摘さ れている(1)。しかし、その反対に、ひとつのスポーツが新素材の開発の重要な原因になったこと はあまり知られていないO世界最古の玩具のひとつであるボールがそれまでの天然資源の素材に 代わり初めて人造素材man‑made materialsから作られたのは19世紀後半のことであった。こ の人造素材によるボールは1868年にアメリカで開発されてセルロイドと命名されたが、同時にそ れがプラスチックとして世界最初のものだったのである。人類の歴史とともに歩んできた木材、

石、金属にも匹敵するようになるこの人造素材は、ほんらいはビリヤード球のために開発された ことを強調しておきたい。このことは化学工業史では常識的な知見(恥であるが、従来のスポーツ 史では見落とされてきた事実である。しかも、このプラスチック球がのちに卓球用に応用され、

こんにちのように世界各国に普及する結果になったという、ビリヤードと卓球の繋がりもまた、

従来、種目別に追究されてきた個別スポーツ史研究では意外な盲点となっていた。

これまでのビリヤード史研究(3)および卓球史研究(4)は、ルールや用具の整備、国内的・国際的な 競技団体の設立がいかに推し進められたのかという問題を中心に追究されてきた。もとより概観 的、通史的な考察が大半を占め、ビリヤードや卓球に対する研究者の関心そのものが、他のスポー ツにくらべて著しく低いのが現状であろう。たとえば、スポーツ史の総説的な書物をひもといて みても、ビリヤードや卓球については全く触れられていないが5)、よくても1、 2行触れられる だけの状態(6)であり、まして上記のような新素材の開発と近代スポーツの関わりという問題(7)につ いてはほとんど未開拓であると言ってよいであろう。この小論では、これまで十分に明らかにさ れてこなかった新素材によるボールの改良という問題を中心に、ビリヤードと卓球をめぐるスポー ツの「近代史」がいかに展開したのかを究明してゆくことにしたい。

II 象牙球の果たした役割とその弊害

こんにち使用されている卓球用公認ボールはセルロイド製であるが、このセルロイドがもとも と、ビリヤード球のために開発された最古のプラスチックであったことは既述のとおりである。

それでは、セルロイドが開発される以前はいったい如何なる素材からビリヤード球が作られてい

*奈良教育大学大学院研究生

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たのか。往時のビリヤード球とそれをめぐる諸問題について今のところ最も詳しく論述している N ・クレア(8)に拠って、以下の考究をすすめてゆくことにしたい。

ビリヤードというゲームが生まれた当初のことは十分に明らかにされていないが、用具類はす べて天然資源の素材で作られていたことは自明のことであろう。一般にボールは木材を加工して 作られていた。ところが、気候によって収縮したり膨張したりしたうえ、使用しているうちに、

すぐに表面が痛んだりへこんだりするなど、いくつかの欠点があった。そこで、簡単に摩損しに くい象牙がビリヤード球の素材として好んで使用されるようになったと考えられている。ビリヤー

ドにおいて最初に象牙球が使用されたのはいっ頃のことかは不詳であるが、文献上では1674年の チャールズ・コットン著『完全なるゲームスター』に言及されているのが初見とされる。むろん、

その他にも、象牙球がとくに好まれたのにはいくつかの理由があった。木球にはない淡い光沢や、

ボール同士が当たった時の弾けるような音などが大きな魅力になったことがクレアによって指摘 されている。さらに次のような点も指摘しておきたい。象牙球は木球よりも表面がなめらかで比 重が大きく、それゆえいったん転がり出せば止まりにくいうえ、反発係数が大きいことからポー ル同士が衝突した後のエネルギー・ロスが少ないので、それによって初めてゲームとしての可能 性と面白さが格段に増大し、こんにちのようなスタイルのビリヤードの発展する重要な役割を果 たしたといえるであろう。また、高価で珍重な象牙球が使用されることによってビリヤードに対 するイメージが高級化したことなども、人びとを惹き付けた大きな理由と考えられる。

しかしながら、このような長所をもつ象牙といえども完全な球形をつくるのが困難であるとい う短所があった。一般に噛乳類の歯には神経が通っているが、それを球の中心にもってこなけれ ば完全な球形を得られなかったからである。また、木材ほどではないがやはり気候による影響は 避けられず、それによる変化が細胞の横方向のみに起こって、縦方向には起こらないという性質 をもつので、加工に際しては十分に注意をはらう必要があった。さらに、均質な象牙球をっくる ためには雌の小さな牙からっくるのがいいとされたので、 1本の牙から多くても4、 5個しかつ

くられず、しかもそのうちの1個は二流品として処理される場合が多かった。ということは、そ れだけ多くの象が犠牲になっていたことを意味する。これが象牙球のもっとも大きな弊害であっ たといってよい。

社交目的のクラブが新興中流階級に普及するとともに、クラブ生活を彩る‑娯楽としてビリヤー ドが急速に流行した19世紀後半のイングランド(9)では、バーロー・アンド・ワッツ社の販売する 象牙球の量だけでも、毎年ゆうに千頭の象を殺害する必要があったという計算があるAQ。 20世紀 初頭には、ビリヤード関係の貿易商社がロンドン周辺に少なく見潰もっても40社はあったという

から、その数はさらに膨れ上がるだろう。原料となる象牙はアフリカ‑とくに広大なサバンナ を抱える中央・南部地帯‑から輸入されていたav。アフリカゾウの牙はインドゾウの牙よりも 大きくて晶質も優れているからである。 1890年の記録によれば、ビリヤード用に加工される量だ けで、およそ750トンにのぼる象牙がロンドンに輸入されたということである。ごく最近までロ ンドンは世界有数の象牙の分配地として有名であったが、その他、リバプールのような港湾都市 にも多量の象牙がアフリカから輸入されでいたと考えられる。推計では、イギリス全土で約2千 頭分もの象が毎年殺害されたと考えられている。当時、 22個の球を使って行われるスヌーカーは あまり人気がなかったものの、 15個の球を使うビリヤードはすでにヨーロッパ大陸をはじめ世界 各国で行われ始めていたので、これまでにいったいどれだけの象がビリヤード球のために犠牲に

なったのか、今ではほとんど検討がっかないという。

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新素材の開発にともなうボール・ゲーム史への影響について

m セルロイド・ポールの開発

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一部の限られた人間の道楽のために多量の象が死に追いやられていたという上述のような事実 は、今だからこそ再び強調しておく必要があるだろう。しかし、幸いなことに、天然の象牙に代 わる新しい人造材料が19世紀のアメリカで開発されたのである。その開発にいたるまでにどのよ うな経緯があったのか。化学工業史ではよく知られたこの事実を、あらためてスポーツ史の文脈 の中で捉えなおしてゆくことにしたい。

ビリヤード用の象牙球をっくっていたアメリカのフェラン・アンド・コランダー社が、ある時、

深刻な原料不足に陥った。その原因について触れている書物はないが、 1つにはビリヤードに対 する人気がピークに達したことが考えられる。事実、アメリカでは初の全国選手権が1859年に開 催されるまでになっていたOB。しかし、このように象牙球の需要が増加していたにもかかわらず、

1861年から始まる南北戦争が、他の輸入品目と同様、象牙の輸入を困難にしたものとみられる蛸o そこで同社は、妙案がないかと考えた末、新しいビリヤード用ボールの素材を開発した者には1 万ドルの懸賞金を提供するとの広告を1863年に出した。ニューヨ‑クの若い植字工であったジョ

ン・W・ハイヤット(1837‑1920年)がこれに着手し、数年後に象牙に代わる人造素材の開発に 成功することになったのであるu心。

ハイヤットは生涯で2∝)以上の特許をとったという、いわゆる発明家であった。若い頃には自 分の印刷工場をもち、チェッカーやドミノの盤と駒を印刷していたこともあった。天然のセルロー スと硝酸を化合させるとニトロセルロースになることは以前(1830年代)から知られていたが、

ハイアットはこれに樟脳を混ぜると弾性に富む硬く強い物質が得られ、加熱すると軟化し可塑性 が大きくなることを発見したのである。これにセルロイドと名づけてアメリカで商標登録したの が1868年であったoセルロイドとはつまりニトロセルロースプラスチックの商品名にはかならず、

こんにちのプラスチックとしては世界長初のものであった。翌年の1869年、弟のI・S・ハイアッ トとともにオールハニー・ボール会社を設立し、つづいて1870年には、その実用的な製造法の特 許(Patent‑No. A.P.105338)を手に入れ「ボンゾラインBonzoline」ボールとして売り出した のであったn劫。かれが先述の賞金を手に入れたかどうかは不詳であるが、間もなくヨーロッパの サロンにもセルロイド製ボールが登場したことは確かであるo新しいボールは、ぶっかるとまる で「銃声」のような響きを立てると大きな話題を呼んだという8Q。

ところが、このセルロイド製のポールは当初、なかなか受け容れられなかった。セルロイド球 は安価で性能も優れていたにもかかわらず、プロの選手やアマチュアながらベテランの選手が在 来の「珍重」な象牙球にこだわったからである。そのような折に、ハイアット兄弟が経営するオー ルハニー・ポール会社に勤務していたジョージ・バートが渡英することになり、 1抑年にP ・ウォー

ンフォード‑デイヴスとともに同様のポールを製造しはじめ「クリスタレイトCrystalate」ボ‑

ルとして売り出したのである。クリスタレイト・ボールは1926年のアマチュア選手権で使用され たのを皮切りに広く認められ、 1929年からはプロ選手権でも使われるようになったのである。

さらに1930年代に至ると、ウォーンフォード‑デイヴスの息子のダリルが、ニューヨークのオー

ルバニ‑ ・ボール会社から次のような知らせを聞いたことにより、現在広く使用されている合成

樹脂製ボールがついに開発されることになった。ドイツの優秀な化学者であるコエブネル博士が

イングランドに訪れているというのだ。ドイツでは尿素樹脂(1920年) 、ポリスチレン(1930年) 、

ポリ酢酸ビニル(1933年) 、ポリ塩化ビニル(同年)など、天然の原料をまったく使用しない文

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字どおりの合成樹脂‑セルロイドには天然セルロースが使用される‑を工業的に生産するこ とに早くから成功していたところへ、グリルは日を着けたのである。のみならず博士は、当地に 長期間滞在できるよう強く望んでいるらしいという。というのも博士は、当時政権を掌握したヒッ トラーから逃れるためにイングランドに逗留していたからである。いくつかの関門をくぐり抜け たすえ、当地に滞在できる許可を獲得した博士は合成樹脂の製法を紹介し、こうして晶質が均一 で多量に生産できる合成樹脂製のビリヤード球が製造されるようになったのである。現在では、

イングランドをはじめベルギー、アメリカ、台湾などを中心に、ビリヤード用の合成樹脂製ポー ルが製造されている。

Ⅳ セルロイド製卓球ボールへの転用

以上のような経緯でハイアット兄弟により初めて工業的に生産されたセルロイドを利用してつ くられているのが、現在公式に使用さされている卓球用ボールである。いいかえれば、卓球で使 われるセルロイド球はもともとビリヤード用に開発された原料が使用されているわけである。そ れでは、いかなる経緯でアメリカで開発されたセルロイドがイギリスに渡って卓球用に改良され

たのか。この経緯もまた従来の研究では不鮮明な部分である。

ハイヤット兄弟がセルロイドの開発に成功したのは既述のとおり1868年であった。いっぽう、

イングランドでも、これより先の1856年にアレキサンダー・パークス的が同じ製法を開発してい たのである。パークスはこれに「パークシンParkesine」と名づけて売り出したものの、 2、 3 年のうちに会社がっぶれてしまったので、こんにちでは、ハイヤットがセルロイドの開発者とさ れるのが通例である。ところがまた、ハイヤットとほぼ同時期にイングランドのD・スピル叫が、

全く同じ方法によってニトロセルロ‑スプラスチックの製造法を独立に開発したということであ るo スピルはこれに「ザイロナイトXylonite」と名づけて、 1869年にイギリスで商標登希した。

その後、ニトロセルロースプラスチックの製造法として75もの特許が取られているが、 1877年に はこれを社名に使用したブリティッシュ・ザイロナイト社が設立されるにいたり、これがイギリ スにおけるセルロイド工業の起源とされる。

さて、その頃、イングランドの新興中流階級の間ではエレガントでしかも男女が共に行える戸 外スポーツとしてロウン・テニスが流行のきざしを見せていた。それまで男女が共にできる別の スポーツとしてはクローケ‑がよく知られていたが、 1850年代終わりから始まったブームもよう やく衰え、 1870年代にはより活動的なロウン・テニスの人気が急速に高まってきたのである。卓 球はこのようなロウン・テニスの流行を背景にして、茶の間でもできるそのミニチュア・バージョ

ンとして1880年代頃から行われ始めたようであるn昏O一説によると、ある人がラケットの代わり に葉巻の箱の蓋、ボールの代わりにシャンペンのコルク、ネットの代わりに本を並べて1881年に ゲームをしたのが卓球の始まりといわれる。確実なところでは、 F・H・エアーズ株式会社の 1884年版のスポーツ用品カタログにその名もずばり「ミニチュア・インドア・ロウン・テニス・

ゲーム」が記載榊されているはか、 1887年にパーカー兄弟商会が「テーブル・テニス」を紹介(21) しており、モアトン・イン・マ‑シュ社のチャールズ・バーターが1891年12月19日に同種のゲー ムの特許(Patent‑N0. 19,070)を獲得(22)していることがわかっている。以後、卓球協会が設立 され鹿技方法や用具などが形の上で統一化される1920年頃まで、貴い合うように用具の改良、開

レイテスト

発が試みられたうえ「最新の」と形容されては売りに出されたのであった。こんにちわかってい

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新素材の開発にともなうボール・ゲーム史への影響について 63

るだけでも「ゴシマGossima」 (23)、 「フリム・フラム Flim Flam」 (24)、 「ウィフ・ウァフ WiだWaff! などの同種のゲ‑ムが市場に出回っていた。

当時の卓球用のボ‑ルはゴム製のものが主流であったが、それに代わるセルロイド製のボール が卓球に転用されるようになったのもまた、その頃であった。 「セルロイド」という商品名が示 唆しているように、卓球用に開発されたニトロセルロースプラスチック製のボールはアメリカか ら持ちこまれたものであった。イングランドにも「ザイロナイト」という同種の原料があったに もかかわらず、はるか遠いアメリカから入ってきたところに歴史の妙がある。しかもアメリカか らセルロイド製ボールを持ち帰ったのが、ジェイムズ・ギッブという4マイル競走の記録保持者 (1887年)であった「陸上錬技選手」であり、それを商品化したのがまたジェイクスというイン グランドにおいて「クローケ‑」を最初に開拓したスポーツ用品の製造業者であったという、ま さに種目を越えたこのような関連は従来の個別スポーツ史ではしばしば見逃されてきたところで あった。

ギッブ(26)はサレ‑州に住むエンジニア‑工業化を背景にして生まれてきた当時では先端の職 莱‑であったが、一見軽量で短ストライドで走る果敢なランナーとしても知られていた。とく に1875年4月26日に行われた4マイル錬走でウォルター・スレイドと最後まで競い合ったかれの 走りっぷりは当時語り草になったものである。ところでギッブには、スポーツ用品の製造業を営 んでいるジョン・ジェイクス‑イングランドにおけるクローケ‑の開拓者でもあった‑とい う隣人がいた1890年頃にギッブが仕事でアメリカに行ったとき、たまたま子ども用玩具として 売られていたセルロイド球を見かけて卓球用にちょうど使えるのではないかという着想を抱いた ので、イングランドに帰るやさっそくこの話をジェイクスに持ちかけたということである。ジェ イクスは、セルロイド球とネットとラケットを一式揃えて箱詰桝こするという当時の一般的な流 儀にしたがいながら1891年に「ゴシマ」と命名し特許をとったうえ、ハムレイ兄弟商会と共同し て売り出した。その後、 1900年に新たに商品名を「ピンポン」と改めてからはロンドンを中心に 一気に流行しはじめた。ピンポンという商擦名はイギリスではこのハムレイ商会が登録していた が、以前から提携を結んでいたアメリカのパーカー兄弟商会も同年8月1日付でこの商標名を継 承(Trade Mark No. 36854 6/8/01)し(27)、ピンポンの規則の著作権(1901年、 1902年)と特許 をとるとともに、同様の卓球セットを売り出したのであった。

V ニュー・ゲーム「ピンポン」の反響とテーブル・テニス協会の設立

ピンポンという名称を「発案」したのは、セルロイド球をアメリカから持ち帰ったジェイクス であり、このセルロイド球がラケットやテーブルに当たる音からヒントを得て考え出されたと多

くの書物(28)には書かれている。しかし、ガーニーの指摘(29)によれば、祝賀用カードに記載される という形で、すでに1878年にピンポンという名称が造語されていたという。なおまた、 1901年の

"The Sphere"紙にも、 1880年頃に「ピンポン」という唄がロンドンのミュージック・ホール で歌われていたという記事が紹介(30)されている。言葉は同じピンポンでもその意味は違っていた 可能性はあるにせよ、このようにピンポンという名称がジェイクスの発案ではないことは確実で あろう。そうすると、ジェイクスの果たした役割は、ハムレイ商会と誰よりも早く「ピンポン」

を商標登録した点にあるといえるであろう。

1890年代にセルロイド球が使用されるようになってから、卓球はまたたく間に広く普及した。

(7)

それまでの粗雑なボールと違い、弾んだ後に跳ぶ方向が偶然に左右されなくなったため純粋に技 術を競えるようになったことが1番大きな理由であったと同時代の著香(31)はみている。そのうえ、

本式のロウン・テニスに比べてはるかに安価であったはか、新しいゲームだけに技術的に発展途 上だったこともあり、女性や子供にも容易にできたというのもその一因だという。しかし、その ことがかえって噺られたり下目に見られたりする原因になったことは見逃せない。あるものは

「貧乏人のビリヤード」といい、あるものは世紀末というこの時代独特の空気と結びつけて「こ の国の人びとのデカダンスの兆侯」にはかならないと警句を発した(32)。またあるものは、くだん の「伝染病」が蔓延するのを防ぐためにピンポンに重税を課してはどうかと皮肉った(33)。そもそ もピンポンという名前からして「威厳に欠ける」と公言をはばからぬものすら現れた(34)。しかし、

このような白眼視はこのニュー・ゲームの反響がいかに大きかったかを逆に示すものであり、ピ ンポンの人気がそれほど急速に高まったことを証左するものであったといえよう。

以上のようなピンポンの人気によって、さらに多くのニュー・ゲームが「テーブル・テニス」

という名称で売り出されたが、ついに「ピンポン」をしのぐゲームは現れなかった。とはいえ、

そうした勢いが選手権大会の成功や協会の発足にまでこぎっける重要な要因になったことは疑い 得ない。 1901年6月15日付の 〟Illustrated London News には2貢にわたる見開きでピンポ ンの挿絵が掲載されるというきわめて異例の扱いで大きく紹介されているが、とくに1901年12月 に王立水族館で開催された選手権大会については"Dayly Chronicle 12月16日(36)、 "The Graphic 12月21日(37)など各紙で祐介された。その後、クイーンズ・ホールでトーナメント戦が 行われたときにはその「ブーム」の絶頂期を迎えたといわれる(38)。つづいて明くる年の1902年に、

はじめての統轄団体であるテーブル・テニス協会とピンポン協会とがはぼ同時期に設立されるに 至っている。その後、ピンポンという名称が、商標登録されていることが判明して、法律上のト

ラブルになりかねないという理由で、 1922年にピンポン協会の方は解体し、テーブル・テニス協 会に併合されるかたちになった(39)。いっぽう、アメリカでもピンポン協会が設立されているが、

ピンポンという名称が登録商標であることが判明しながらも存続していることは注意しておきた い。

さて、いっぽう、日本では1921年10月に初めての全国団体である大日本卓球協会が設立される に至っている。この頃の卓球は、すでにセルロイド球が使用されていたことは既述のとおりであ る。ところで、日本におけるセルロイド工業(40)は1898年に丸見屋商店が試作品を共進会全国品評 会に出品して受賞したのが始まりといわれている。当時の日本は、原料となる樟脳の原産地の台 湾を領土に抱えていたこともあって、 1920年代後半には世界一のセルロイドの生産国となってい る。しかし、可燃性があるという理由で日本では、 1955年に玩具にセルロイドを使用することが 禁止されたほか、より安価で性能の優れた他のプラスチックが次第に市場を占めるようになった。

それにもかかわらず現在でも卓球用のボール(と眼鏡のフレーム)はやはりセルロイドが使用さ れているのは特筆に値する。球のはずみ具合や打ったときの抵抗など、物理的特性の点でセルロ イドに優るプラスチックがまだ開発されていないからである。

ビリヤード球の素材が他の合成樹脂に代わっているのに対して、ピンポン球がこうして今でも

セルロイドで作られているのを改めて見直してみると、近代卓球の形成にとってセルロイドの開

発がいかに重要な意味をもつものであったのかがわかるであろう。

(8)

新素材の開発にともなうポール・ゲーム史への影響について

お わ り に

65

新素材の開発によるボールの改良と近代スポ‑ツの関わりというこれまで十分に追究されてこ なかった問唐を中心に、ビリヤードと卓球の近代史について解明してきた。本稿で確認された主 な点は以下のようである。

どリヤ‑ド用のボールのために開発された新素材であるセルロイドが、工業化されたものとし ては最初のプラスチックであるという化学工業史の知見を、スポーツ史の文脈のなかで追認した。

その結果、プラスチックが使用される以前の象牙球について論述することによって、セルロイド の開発がその後のスポーツ史にとっていかに重要な意味をもったかが明らかとなった。ついで、

ビリヤードと卓球の意外な繋がり、いいかえれば象牙球からセルロイド球に代わる‑ビリヤー ドではさらに合成樹脂製のボールに置き換わる‑経緯が明らかにされた。さらに、象牙やそれ に代わる人造素材など、ボールの素材を調達するという一事を明らかにすることを通して、スポー ツの近代史がいかに広範囲にわたる考察・分析を必要としているかが明らかになった。

今後の展望としては、ボールの素材としてこんにちでも重要な「ゴム」についての考究を加え ることができればより興味深い「ボールの世界史」像が浮かび上がってくるはずである。たとえ ば、ゴムを最初に「発見」した西洋人であるコロンブスが現地で見たものは、原住民の遊んでい た「まるで生きもののよう」なポールであったという話は有名である(41)。ゴムについては、鉄と ならんで、スポーツの「近代化」にとって重要なポイントになることは早くから掃摘(42)されてい るが、本稿の考察の結果と併せて、今後あらためて追究されることが望まれるであろう。

註及び引用文献

(1)別所龍二「近代スポーツと「鉄」の文化‑近代スポーツ成立要因の研究」 、体育史研究、

3号、 1986年、 26‑33頁。稲垣正浩「近代社会のスポーツ」 、日本体育協会監修「最新スポー ツ大事典」大修館書店、 1987年、 236頁以下。稲垣正浩「ゴム・鉄・自転車 近代スポーツ の仕掛人」 、 「i s」ポーラ文化研究所、 41巻、 1988年9月、 43頁以下。

(2 ) Encyclopaedia Britanica, vol. 18, ed. 1963, pp. 40A‑40B, under "Nitrocellulose . J・バーク「コネクションズ:意外性の技術史10話」福本剛一朗他訳、日経サイエンス社、

1984年、 276頁以下 D・S ランデス「西ヨーロッパ工業史(1)」石坂昭雄・冨岡庄一訳、

みすず書房、 1980年、 299頁。

(3) W. Broad foot, Billiaeds, London, 1896; N. Viney and N. Grnat, An Illustrated History of Ball Games, London, 1978, 183‑89.

(4) J. Arlott (ed.), Oxford Companion to Sports and Games, Oxford, 1975, pp.

1021‑28; N. Viney and N. Grant, op. cit., pp. 179‑83.

(5) J. Walvin, Leisure and Society 1830‑1950, London, 1978; R. D. Mandell,

Sport: A CulturalHistory, New York, 1984; D・B・ヴァン ダーレン, E・D・

ミッチェル, B・L ベネット「体育の世界史」加藤橘夫訳、ベースボール・マガジン社、

1958年。 E・A・ライス, J・L ハッチンスン「世界体育史」今村善雄・石井トミ訳、不

味堂出版、 1965年。 J ・ボフス「入門スポーツ史」稲垣正浩訳、大修館書店、 1988年。岸野

雄三「体育の文化史」不味堂出版、 1959年。

(9)

(6) J. A. R. Pimlott, Recreations, Ontario, 1968; W. J. Baker, Sport in the Western World, New Jersey, 1982; B. Spears and R. A. Swanson, History of Sport and Physical Activity in the United States, Iowa, 1983; T. M舶on, Sport in Britain, London, 1988; R. Holt, Sport and the British: A Modern History, Oxford, 1989.

(7)スポーツ用具とそれをめぐる諸問題の史的研究の重要性と、古典古代を除く、この分野の 研究の立遅れについては岸野の指摘がある。岸野雄三「体育史」大修館書店、 1973年、 88頁 以下。

(8) N. Clare, Billiards and Snooker Bygones, (Shire albums; 136), Aylesbury, 1985, pp.23‑24.また次も参照。 EIicyclopaedia Britalnca, vol. 12, ed. 1963, pp.

834‑36, under "Ivory .

I▼

(9)イングランドにおけるビリヤードの流行については次を参照 T. R. Gourvish and A.

O Day, Later Victorian Britain 1876‑1900, London, 1988, pp. 141‑46.またパブを 通して労働者階級にもビリヤードが普及したことは次を参照 F. M. L. Thompson, The Rise of Respectable Society: A Social History of Victorian Britain 183Cト1900, Glasgow, 1988, pp. 157‑58 and p. 327.

(10) Clare, op. cit., p. 23.

(ll)輸出側のアフリカでも、欧米各国が19世紀前半につぎつぎ奴隷貿易を禁止して以来、貿易 商品としては象牙をはじめとする1次産品に強く依存しなければならなくなった J・F マンロー「アフリカ経済史」北川勝彦訳、ミネルヴァ書房、 1976年、 41貢以下O

(12)アメリブ=こおけるこの時期のビリヤードの流行については次を参照 F. R. Dulles, A History of Recreation, New York, 1940 (second ed. 1965), p. 156; Baker, op.

cit., pp. 113.

(13)南北戦争の始まった1861年から1年間の輸入総額は前年にくらべて3分の1以上減少して

いる K. Coman, The Industrial History of the United States, London, 1905, p.

269.

(14)ハイヤットについては次を参照。 I ・アシモフ「科学技術人名事典」皆川義雄訳、共立出 版、 1971年、 328‑29貢、 「ハイアット」 0 D ・アポット編「世界科学者事典(2)」伊東俊太郎 監修、竹内敬入監訳、原書房、 1986年、 118‑19頁、 「ハイアット」 。またハイアットがセル ロイドの製法を確立する経過とその後のビリヤード球の改良については次を参照。 N.

Clare, op. cit., p. 24.; Encyclopaedia Britanica, loc. cit., under Nitrocellulose .;

ibid., vol. 3, p. 611ff, under "Billiards .; O.Brucker, Vom Ping‑Pong zur olympischen Sportart, in; Olympisches Feur,血li‑September 1988, S. 63. ; S.

Davis, Ch. Rhys and J. Wright, The Book of Snooker, London, 1986, p. 13.; J バーク、前掲書、 276貢以下。なお、ハイアットがセルロイドの開発に成功した年が文献に よって1968年、 69年、 70年と食違っているのは、どの時点でセルロイドの開発と見倣すかが 異なるためであろう。

(15)その後、ハイアットはオールハニー・デンタル・プレート社を設立し、義歯の製作を始め た。

(16) Rhys and Wright, loc. cit.

(10)

新素材の開発にともなうポール・ゲーム史への影響について 67

(17)パークスについては次を参照 The Dictionary of National Biography, Oxford, vol.

XV, pp. 292‑93, under "Parkes, Alexander ; V. E. Yarsley and E. G. Couzens, Plastics, (Penguin Books. 80), London, 1941 (ed. 1944), p. 14.大沼正則編「化 学工業の発明発見物語」国土社、 1983年、 172‑75頁。

(18)スピルについては次を参照。化学大事典編集委員会編「化学大事典」共立出版、 1963年、

401貢、 「セルロイド」 。小山寿「セルロイド」 、 「世界大百科事典(17)」 、平凡社、 1981 年、 523‑24貢。

(19)ヴィクトリア朝期に、既存のものをミニチュア化するのが大変流行したことは次を参照。

G. N. Gurny, Tennis, Squash and badminton Bygones, Aylesbury, (Shire Albums 121), 1984, pp. 6‑7.高山宏「日の中の劇場」青土社、 1985年、 338頁。

(20) G. N. Gurny, op. cit., p. 7.

(21) J. A. Simpson and E. S. C. Weiner (Prepared), The Oxford English Dictionary, second ed., vol. XVII, 1989, p. 516.なお、これがO. E. D.による"Table Tennisの初出例である。

(22) Brucker, op. cit., S. 63.

(23)意味不明。英語はむろん、独語、仏語、羅語、希語にもそれらしい語臭が見当たらない。

完全な造語らしいが、どうやらヨ‑ロッパ語らしい言葉にしなかったところに秘密があるよ うだ。 「ゴシマ」と名づけられたその卓球セットの箱にはいかにも異国風の絵が措かれてお り、当時の異国趣味の流行を想起するならば、おそらくエキゾチックな言葉として「ゴシマ」

と名づけられたのではないかと思われる。

(24) 「デタラメ」の意。

(25) Wifftま「プッと吹く」の意、 Wa仔は造語、単なる語呂合わせらしい。

(26)ギッブについては次を参照。 M.Shearman, Athletics and Football, London, 1887, p.106, p.108 and p.383.またギップがセルロイド球をアメリカで見掛けてから、ピンポ

ンとしてパーカー兄弟商会と商品化するまでの経緯については次を参照 Arlott (ed.), loc. cit.; Viney and Grant, loc. cit.; Brucker, loc. cit.; Gurny, op. cit., PP.6‑7.; C. G. Schaad, Ping Pong: the game its tactics and laws, New York,

1931, pp.27‑31.

(27) Official Gazett (U. S. Patent Office), Oct. 4 1949, 40/2. quoted in; The Oxford English Dictionary, op. cit., vol. XI, p.865.商標番号については株式会社タマス「卓 球史料室」に展示されている実物から転記した。

(28) Viney and Grant, op. cit., p. 179.; O. B. E. R. Brasch, How did Sports Begin?, New York, 1970, p.325.荻村伊智朗「卓球」 、日本体育協会監修「最新スポー

ツ大事典」大修館書店、 1987年、 726頁。

(29) Gurny, op. cit., p.7.

(30)株式会社タマス「卓球史料室」にこの新聞のコピーが展示されている。 1902年の「パンチ」

誌にも数年前に同唄を開いたとの言がある。 Anon., "A Ping Pong Protest , Punch or the London Charivari, .fen. 15, 1902, p.49.歌詞は以下のようである。 「〜朝食のた めにピンポンを、昼食のためにピンポンを、夕食とお茶のためにピンポンを、そして眠って

いるときにもピンポンを、ピンポンの夢を〜」

(11)

(31) A. Parker. Ping Pong: the game of parlor tennis and how to play it, 1902, p.13 and p.18.

(32) ibid., pp. 13‑14.

(33) Anon., "A Ping Pong Protest , op. cit., p.49.

(34) A.A.S., "An Extra‑active verb , Punch or the London Charivari, Dec. 25, 1901, p.461.日本でもピンポンが「子供の遊戯じみた名称」であるとの風評が早く(大 正初期)からみられたことに注意を促しておきたい。日本体育協会編「スポーツ八十年史」

日本体育協会、 1958年、 295‑56貢。

(35) Illustrated London News,血ne 15 1901, pp.801 II‑III.

(36) Daily Chronicle, Dec. 16, 8/2. quoted in; The Oxford English Dictionary, op.

cit., vol. XVII, p.516.

(37) The Graphic, Dec. 21 1901.棚田虞輔・表孟宏・神書賢一編「19世紀のイラストにみ る世界のスポーツ」株式会社1 2 1、 1990年、 268‑29頁の引用による。

(38) Parker, op. cit., p.18.

(39) Anon. , Encyclopedia of Sports Games and Pastime, London, 1936, pp.606‑09, under "Table Tennis: A Popular Indoor Game .

(40)日本のセルロイド工業については次を参照。井上幸之助他「明治工業史、化学工業編」丸 善、 1930年。本山卓彦「おもしろいプラスチックのはなし」日刊工業新聞社、 1988年。

(41)コロンブスは第二次航海のとき(1493‑1496)、おそらく植物質のガムを固めて作ったで あろう黒い重いボールを見て驚いたという。中川太郎「ゴム物語」大月書店、 1984年、

15‑16頁。

(42)別所龍二、前掲書。稲垣正浩、前掲書。

(12)

69

The Effects of the Invention of New Materials upon History of Ball Games

on Billiard History and Table Tennis History‑

Masahiro Inagaki and Toshiro Nakafusa

(De如rtment of Physical Education, Nara University of Education, Nara 630, Japan) (Received April 28, 1990)

The purpose of this study is to explore the effects of the invention of new materials upon the history of ball games, espesially of billiard and table tennis.

It is clear that the invention of new materials has brought about new possibilities for existing sports. But it is scarcely known that sports themselves accelerated the invention of new materials. In the history of chemical industry it is well known that celluloid, the world s first commercial synthetic plastic, was devised as a substitute for ivory billiard balls. In order to confirm this fact from the aspect of sport history, first I discussed merits and demerits of ivory balls in playing billiard. Secondly I searched for the processes how celluloid balls were used for other purposes;ping pong or table tennis. Ping pong caused a great sensation among all classes soon. I emphasized that the new material, celluloid, played a very important role in the development of modern table tennis. Indeed, celluloid balls are still used in playing table tennis, though celluloid billiard balls have replaced by other plastics.

I suggested that how the modern history of sports has been rapidly changing

under the development of new materials of balls.

参照

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