はじめに
戸籍制度は「単位制度、檔案制度と共に改革・開放以前の中国の政治・
社会管理体制の大きな特徴となってきた」*1 と位置づけられている。中国 各地の地域住民の行動を規制してきた戸籍制度の存在は、大躍進や文化大 革命のような混乱と破壊が発生したにもかかわらず、中華人民共和国を維 持できた大きな要因だったと考えられる。しかし、中国は戸籍制度の具体 的内容をみずから積極的に説明してこなかった。中華人民共和国の政治 的・社会的体制の根幹にあたる部分は秘儀として公表したくなかったせい かもしれない。
*1 天児・石原・朱・辻・菱田・村田編『岩波現代中国事典』(岩波書店、
1999年)
、351頁(辻康吾執筆)
。なお「単位」と「檔案」の意味については、それぞれ同書、760~
761頁および926頁を参照。
しかし、中国が戸籍制度の存在と役割に断片的とはいえ言及しだした
1970年代後半ないし末から
*1、外国の中国研究でもそれがしだいに取りあげられるようになった。また、
1970
年代末に始まるいわゆる改革・開放 により中国を直接観察する外国人が戸籍制度に関わる断片的事実に言及す るようになった。こうしたさまざまな事実を組み合わせて戸籍制度の実態 を解明する労作も発表されてきた*2。とはいえ、戸籍制度に関する中国 の情報公開が系統的でなかったため、その全体像も問題点も十分に解明さ れたと見なしがたい。中国社会の実態を中国が公表した資料から描こうと中国の戸籍制度
―― 資料と解説 ――
小 竹 一 彰
したある資料集を読んでも*3、戸籍制度を包括的に理解できるとはいえ ないと思われる。
*1 筆者も1970年代後半に無名の人物に「戸長」という肩書がつけた記事を 中国の公式メディア『人民日報』に見つけて戸籍制度の存在を感じた記憶 がある。
*2 代表的な労作のひとつとして、内田知行「戸籍管理・配給制度からみた 中国社会――建国―一九八〇年代初頭」、毛里和子編『毛沢東時代の中国
(現代中国論1)』(日本国際問題研究所、
1990年)
、258
~290頁、がある。
*3 辻康吾・加藤千洋編『原典中国現代史 第4巻 社会』(岩波書店、
1995年)
、98~103頁の「戸籍と居民委員会」
。以上のような研究状況(および本稿末尾で触れる視角)から、筆者も戸 籍制度をさらに解明したいと心がけてきた。その断続的な作業のなかで、
中華人民共和国における戸籍制度の概略を説明する文献、ならびにそれが
1980
年代後半にどのような問題に直面していたかに関するルポルタージュ 的な文章をあらためて見つけだした。それらを利用して筆者自身の戸籍制 度研究を行うよりも、以上2つの文献を翻訳する方が中国の戸籍制度の骨 格と問題点の解明に寄与できると考えるようになった。そこで、以下では 2つの文献を翻訳するとともに、それぞれに対して筆者の解説を行い、最 後に現代中国における戸籍制度の意義に関する筆者の見解を提示したいと 考えている。なお、翻訳にあたり、原語をあげた方が適切だと判断した場合[ ]を 付して訳語の後に原語を記入し、あるいは説明的な語句を加えた。日本語 ではなじまない用語でもそのまま使用した場合もある。関連する資料や文 献などの注記は当該段落の末尾ごとに挿入している。また、2つの文献は どちらも日本語では戸籍という意味になる「戸口」と「戸籍」を併用して いるが、この併用は意図的だと判断してすべて原語のまま表記した。
1.戸籍制度の概略
1-1 資料
【解題】「戸口管理」、《当代中国的公安工作》編輯委員会『当代中 国的公安工作』(当代中国出版社〈北京〉、1992年)第九章「社会治 安管理」第三節、
243
~251
頁。この文章を翻訳の対象にしたのは、戸籍制度の成立から1980年代半ばまでの経過とそれに関連する事項 を簡潔に記述しているという理由による。なお原文には注記がまっ たく無いので、以下の翻訳で若干の段落の末尾ごとに付けた注記は すべて訳者による。
新中国が成立してから、国民党政府の旧式の戸口制度を廃棄し、中国の 国情に適合した一組の斬新な戸口管理制度を徐々に樹立した。新中国の戸 口管理制度の目的は、公民の合法的権益を保障し、社会の治安と秩序を擁 護するためであり、社会主義建設に奉仕するためである。
一、戸口管理工作の概況
新中国の樹立に前後した大中都市の解放にともない、各地の公安機関は 中共中央の指示に従い、即座に戸口調査の実施に着手し、戸口登記を進め た。1951年7月16日、公安部は『城市戸口管理暫行条例』を公布し、都市 の戸口管理工作を推進した*1。
1955
年6月に国務院は『通常戸口登記制度 の樹立に関する指示』を発布した*2。同じ年に国務院は、内務部が主管 していた農村の戸口登記工作を公安部の主管へ移管すると決定した。これ により全国の都市と農村の戸口の登記・管理工作制度および主管機関は統 一された。1956
年3月中旬、公安部は全国戸口工作会議を開催し、戸口管 理の基本任務を明確にした。すなわち、公民の身分を証明して、公民が権 利を行使し義務を履行するのに役立てること、人口数値の統計をとって、国家の経済・文化・国防の建設のために人口データ[原語:資料]を提供
すること、反革命分子およびその他の犯罪分子の活動を発見するとともに 防止して、敵に対する闘争に密接に協力すること、である。1958年1月9 日に毛沢東主席は『中華人民共和国戸口登記条例』を公布すると命令した ことにより、全国の戸口管理工作には完備し統一した法規が生まれた*3。 戸口制度の樹立はまた、建国以来進められてきた歴年の人口統計、三回の 全国人口普査
[
日本の国勢調査に相当する]
および各項目の人口抽出調査 のために、きわめて貴重な人口基礎データを提供してきた。中共第十一期 三中全会以降、改革開放政策の貫徹と商品経済の発展にともない、人口の 流動量は大々的に増加した。こういう情勢に適応させ、公民の正常な社会 活動を進めるのに便宜をはかるために、1984年4月には全国で居民身分証 制度の逐次試行を開始し、1985
年7月には城鎮暫住人口の管理制度の健全 化と強化*4を開始し、それによって戸口管理工作の改革の過程を開始し た。*1 公安部「城市戸口管理暫行条例」(1951年7月16日)は、公安部政策法 律研究室編『公安法規匯編 1950-1979』(群衆出版社〈北京〉、1980年)、
135
~137頁、に収録。その抜粋の翻訳は、辻・加藤編『原典中国現代史
第4巻 社会』、99~
100頁。
*2 国務院「関於建立経常戸口登記制度的指示」(1955年6月9日)は、同 前『公安法規匯編 1950-1979』、138~
141頁、に収録。
*3 中華人民共和国第一届全国人民代表大会常務委員会第91次会議通過「中 華人民共和国戸口登記条例」(1958年1月9日)は、同前『公安法規匯編
1950-1979』
、142~146頁、に収録。その抜粋の翻訳は、辻・加藤編『原
典中国現代史 第4巻 社会』、101頁。*4 「公安部関於城鎮暫住人口管理的暫行規定」(1985年7月13日)は、公 安部法規局編『公安法規匯編 1980-1986』(群衆出版社〈北京〉、1988
年)、273~
274頁、および、中華人民共和国公安部編『中華人民共和国公
安規章匯編(1957-1993)』(中国人民公安大学出版社〈北京〉,1994年)、
351
~352頁、に収録。
二、戸口登記の基本制度
全面的に正確に戸口登記を進めることは、厳密な戸口管理の基礎であ
る。健全な戸口登記があってこそ、公民の身分を確実に証明できるし、国 家のために正確かつ適時に人口データを提供できるのである。
戸口登記の内容は、城鎮では常住、暫住、出生、死亡、転出、転入、変 更更正の七項目の登記を実行する。農村では常住、出生、死亡、転出、
転入の五項目の登記を実行する。公安派出所を設立しているすべての地 方では、公安派出所が戸口登記の機関になる。都市では平均500戸程度ご とに、集鎮[非農業人口を主とするやや大きい集落の意]では平均
700
戸 程度ごとに戸口責任区を区画し、1名の戸籍民警を配備してその責任区の 戸口管理工作の責任を負わせる。公安派出所を設けない地方では、郷・鎮[郷は農村の末端行政区画で、鎮は郷と同級のより都市化した末端行政区 画]政府が戸口の登記と管理の機関になり、郷・鎮政府は専任あるいは兼 任の人員を置いて戸口の登記と管理の責任を負わせる。現役軍人は、軍事 機関が現役軍人を管理する関連規定にもとづいて戸口登記を進める。中国 国内に居住する外国人と無国籍の人物は、公安機関の外事管理部門に登記 と管理に責任を負わせる。戸口登記のやり方は、城鎮では家庭を単位に一 戸ごとに一冊の戸口簿を作成する。農村の戸口は戸または自然村を単位と する。機関、団体、企業事業単位の内部の独身の従業員[原語:職工]に は、集団管理制度を実行する。1958年以降は、多くの派出所は警官と民衆 の連絡箱の設置、および巡査が戸別訪問して戸口を処理する制度を推進し て、大衆にとって便利であるとともに警察と民衆の関係を密接にすること により、大衆が戸口を自発的に申告する積極性を引き出した。
『戸口登記条例』の規定によれば、戸口登記機関が認可・発行した戸口 簿と登記した事項は公民の身分を証明する法律的効力を備えている。各期 の人民代表選挙では、戸口簿が公民に選挙権の行使を保障するための信頼 できる根拠を提供している。戸口簿はまた公民が就業し、就学し、財産を 相続し、救済などの福祉の待遇を享受し、またその他の合法的な権利を行 使することにも役立っている。戸口簿はもはや公民の日常生活にとって欠 かせない証明書になっている。
三、居民身分証制度
80年代に入って国家が改革開放政策を実行してから、公民のさまざまに 往来する活動が日ごとに増加し、都市と農村の居民
[
住民の意]
がみずか らの権益に関わるさまざまな事務を処理するなかで、公民の身分の証明を 要求する事項が大量に増加し、一戸につき一冊の戸口簿を使用し続けるや り方ではもはや公民の需要に適応できなくなってきた。そこで、1984年4 月6日に国務院は『中華人民共和国居民身分証試行条例』を公布し*1、1985年9月6日に第6期全国人民代表大会常務委員会第12回会議は『中華
人民共和国居民身分証条例』を採択して公布し*2、全国で居民身分証制 度を実行することを決定した。これは国家の戸口管理制度における重大な 改革である。*1 国務院(発布)「中華人民共和国居民身分証試行条例」(1984年4月6日)
は、公安部法規局編 『公安法規匯編 1980-1986』、
256
~258頁、に収録。
*2 第6期全国人民代表大会常務委員会第12次会議で採択された「中華人民 共和国居民身分証条例(中華人民共和国主席令第29号)」(1985年9月6 日)は、同前『公安法規匯編 1980-1986』、317~
319頁、に収録。その
抜粋の翻訳は、辻・加藤編『原典中国現代史 第4巻 社会』、101頁。『中華人民共和国居民身分証条例』とその実施細則の規定によると、居 民身分証は公安機関が統一的に印刷、交付および管理するもので、申請し て受領する範囲は中国国内に居住する十六歳に達した中国公民である。現 に兵役に服している人民解放軍軍人と人民武装警察官は居民身分証を受領 せず、軍官証、士兵証および警官証を使用する。居民身分証の有効期限は 十年、二十年および長期の三種類に分けられている。居民は常住戸口の所 在地の戸口登記機関に身分証の受領を申請する。公民は、政治・経済・社 会生活に関連する以下の各種の事務を処理するにあたり、居民身分証を提 示すれば身分を証明することになる。それらは、選挙民の登記、戸口の登 記、兵役の登記、婚姻の登記、入学と就業、公証事務の処理、国境管理地 区への入境、出国を申請する手続きの処理、訴訟活動への参加、自動車と 船舶の運転免許証と通行証ならびに非動力車の許可証の処理、個人営業許
可証の処理、個人貸付事務の処理、社会保険への参加、社会救済の受領、
民間航空機への搭乗手続きの処理、旅館へ投宿するにあたっての登記手続 きの処理、送金や郵便物の受け取り、物品の委託販売、その他の事務の処 理などである、公安機関は公務を執行する際に居民身分証を検査する権限 を持っている。
居民身分証の交付工作は、当面のところ都市を先にして農村を後にし、
計画的に順序立てて進行を加速しつつある。新中国が成立してから、公民 は初めて法定の個人身分証を持つことになった。これは、公民の身分を有 効に証明し、公民の合法的権益をいっそうよく保障し、公民が個人の政 治・経済などの各側面の事務を処理し各種の社会活動を進行するのに対し て、また社会の治安管理を厳密にし、社会秩序を擁護するのに対しても、
重要な作用を発揮するであろう。
四、人口カードの制度と管理
人口カードは主に都市において作成されている。それは、戸口登記を基 礎に、人を単位として戸口の登記項目を備えたカードであり、検索に便利 な科学的方法により配列して保管している。その基本的作用は居民の住所 の検索に便利なことである。カード作成の年齢になった常住人口に対して は、その姓名、性別、年齢、原籍および関連する補助項目を取りあげるだ けで、迅速かつ的確にその住所を明らかにすることができる。人口カード を作成する工作は
1953
年には準備を開始した。1956
年の全国戸口工作会議 は、省が管轄する市以上の都市では人口カードを普遍的に作成すると提案 するとともに、人口カードの作成と管理の方案を制定し、およそ都市に居 住する18歳以上の常住戸口(現役軍人は除く)にはすべてカードを作成す るように要求した。「文化大革命」の期間には、この工作はいったん中断 した。「四人組」を粉砕してから、カード作成の歩調をあらためて復活し てから加速した。1986年末までに全国の合計140の都市が人口カードの作 成工作を完成させ、またカードを作成する人口の起点を18歳から16歳に改めた。
1984
年からは、人口カードは手作業の管理から電子計算機の管理の 方向へ発展を始めた。現在では吉林市、大連、蘇州、包頭など350あまり の市と県が相次いで人口基本情報パソコン管理システムを樹立し、工作効 率を大々的に向上させた。たとえば吉林市は、1984年にパソコン管理を採 用してから、カードの検索速度が手作業によるカード検索に比べ45
倍に向 上した。人口カードの作用はきわめて広範で、人口が周密で集中した大都市ほ ど、その作用はいっそう顕著である。特に人口カードのサーヴィス範囲が 徐々に拡大するとともに、国外の華僑、香港・マカオ・台湾の同胞および 人民大衆が親友を探し出すのを援助したり、関連単位が住所不明の郵便物 や小包の配達先を突きとめ、病院が誤って処方した薬[の行方]を突きと め、銀行が誤って支払った金額を回収し、さらに姓名の表記がある遺失物 の落とし主を探しだすのに協力したりするなどの面で、きわめて大きな作 用を発揮している。北京市を例にとると、1985年度の統計だけで人口カー ドにより、国内外の大衆のためにのべ1万6千人の親友の住所を探しあ て、郵便局のために住所不明の郵便物7378件の宛先を明らかにした。一例 をあげると、マレーシアから帰国して観光していた一組の老年の華僑夫婦 が北京を離れる前の最後の日に二十年以上前に離散した姪を探してほしい と申し出た際、公安機関はその日のうちに探しだして彼らが面会するよう に援助した。二人の老人は非常に感動し、くりかえして感謝を表明した。
五、戸口移転の基本政策
戸口移転の処理は社会主義建設と人民の切実な利益に直接関わってい る。長期にわたって、戸口の移転を処理する基本的な指導思想とは、人民 大衆の政策的規定に符合する正当な移転を保障するとともに、国家が市鎮
[地方小都市の意]の人口の増加速度を計画的に制御する政策を貫徹し、
社会的生産力の発展水準と都市建設の引き受け能力に適応させる必要があ るということである。都市人口を適切に制御することは、国家の計画経済
の重要な措置であり、制御の対象は主に農業人口である。
1958
年に公布 された『戸口登記条例』が初めて行った拘束的な規定では、「公民の農村 から都市への移動には、必ず都市労働部門の採用証明、学校の合格証明、または都市の戸口登記機関の転入を許可する証明がなければならない」。
1960
年代初めに、国民経済が[大躍進の失敗により]重大な困難に遭遇し たために、国家は都市人口を緊縮する方針を採用して、2,000万人の従業 員[原語:職工]を帰郷させて農業生産に参加させるように選択的に削減 した。1964年8月14日に国務院は『公安部の戸口移転の処理に関する規定(草案)』を裁可して通達させ*1、各地に試行するように要求した。「文化 大革命」の期間、戸口管理制度は破壊を被り、規則があっても従わず、法 規をかってに作り、あらそって農村人口を都市へ移転させる現象を出現さ せた。1977年11月8日、国務院は『戸口移転の処理に関する規定』を裁可 して通達させ*2、戸口移転を処理する基本的原則と具体的な政策的限界 をあらためて声明した。その要求によると、農村から市鎮(鉱区・林区な どを含む)への移動、農業人口の非農業人口への転移、および一般の[原 語:其他]都市から北京・上海・天津の3都市への移動に対しては、厳格 に制御する。鎮から市への移動、小都市から大都市への移動、一般農村か ら市郊外・鎮郊外の農村もしくは国営農場、野菜生産隊、経済作物区への 移動に対しては、適切に制御する。市鎮から農村への移動、市から鎮へ の、大都市から小都市への、および同等の市の間の・鎮の間の・農村の間 の移動に対しては、理由が正当なものは戸口の変更を許可する。それと同 時にさらに出された規定によると、国家の規定に符合して配属された従業 員とそれに従って転居する家族、国家の規定により採用され分配される従 業員と学生、国家の規定により退職を許可された従業員で市鎮の実家へも どることを要求するもの、市鎮の従業員・居民と結婚している農村人口お よびその子女で確かに長期の病気や障害により生活の自弁[原語:自理]
が難しく農村では親族からの世話がないもの、市鎮の従業員の農村在住の 父・母で確かに親族に頼れず生活の自弁が難しく市鎮へ移って子女を頼り
にしなければならないもの、およびそのほかの確かに特殊な状況があるも のは、すべて市鎮に戸口を変更できる。以上の戸口移転政策を貫徹して執 行することは、都市人口の自然発生的な増加を防止するもので、国家の経 済建設に有利で、また広大な人民の長期的な根本的利益に符合している。
*1 原題は「公安部関於処理戸口遷移的規定(草案)」。訳者が調べた限りで はこの文献の原文の所在は確認できなかったが、その要旨の説明は、張慶 五編著『戸籍手冊』(群衆出版社〈北京〉、1987年〈内部発行〉)、99~
100
頁、にある。*2 原題は「関於処理戸口遷移的規定」。訳者が調べた限りではこの文献の 原文の所在は確認できなかったが、その要旨の説明は、張慶五編著『戸籍 手冊』、100~
101頁、にある。
中共第
11
期3中全会から、党と国家は知識人と広大な従業員の切実な利 益に非常に関心をよせ、戸口移転政策においては夫婦の任地が隔たる長期 別居の問題の解決に注意し、これについていくつかの具体的規定を行っ た。たとえば、1980年9月3日に国務院の同意をあおいだうえで、公安 部・糧食部・国家人事局は連名で『一部の専門技術幹部の農村家族が城鎮 へ移動することにともなう城鎮における国家による食糧供給問題の解決に 関する規定』を発布した*1。1984
年6月11
日には国務院と中共中央軍事 委員会は、国防科学工業委員会などの部門の『条件の悪い三線地区の国防 科学技術工業から退職した人員の生活斡旋および従業員夫婦の長期別居問 題の解決に関する報告』を裁可し通達させた*2。1984年7月6日に国務 院は、石炭鉱業などの部門の『炭鉱坑内従業員家族の城鎮戸口へ変更する 試点工作の総括および全国の炭鉱において戸口変更工作を推進する意見に 関する報告』を裁可し通達させた*3、などがあげられる。これらの政策 を貫徹して執行するにつれて、知識人向け政策の定着に有利になり、一部 の従業員夫婦の長期にわたる別居の問題を合理的に解決している。*1 「公安部、糧食部、国家人事局関於解決部分専業技術幹部的農村家属遷 往城鎮由国家供応糧食問題的規定」(1980年9月3日)は、中国人民銀行 人事司編『人事工作文件選編(幹部管理部分)』(中国金融出版社〈北京〉,
1985年)
、520~522頁、に収録。
*2 国防科工委等五個部門「関於解決三線艱苦地区国防科技工業離休退休人 員安置和職工夫妻長期両地分居問題的報告」(1984年7月6日)は、中央 軍委法制局編『中華人民共和国軍事法規匯編』(中国民主法制出版社〈北 京〉、1991年)、707~
710頁、に収録。
*3 原題は「関於煤砿井下職工家属落城鎮戸口試点工作総結和全国煤砿推行 落戸工作意見的報告」。ただし、訳者が調べた限りではこの文献の原文の 所在は確認できなかった。
我国の商品生産と商品交換の迅速な発展につれて、郷・鎮の工業と商業 がはつらつと起こり、ますます多くの農民が集鎮へ出て工業に従事し、商 業をやり、サーヴィス業に努めようになっている。こうした状況を考慮し て、国務院は
1984
年10
月13
日に『農民の集鎮進出による戸口変更の問題に 関する通知』を公布し*1、転入による戸籍変更と自家食糧[口糧]自弁 の政策を制定し、自家食糧自弁の戸口簿を交付した。*1 「国務院関於農民進入集鎮落戸問題的通知」(1984年10月13日)は、国 務院法制局編『中華人民共和国現行法規匯編(一九四九-一九八五)
政法
巻・軍事及其他巻』(人民出版社〈北京〉,1987年)、71~72頁、および、
公安部法規局編『公安法規匯編 1980-1986』、259~
260頁、に収録。
六、人口統計工作
人口統計は国家全体の統計工作の重要な構成部分であり、また国家の各 種統計の基礎である。三十年余りにわたり、人口統計工作には大きな発展 があり、統計内容はしだいに充実し完備し、国民経済と社会発展の欠かせ ない統計内容になっている。
人口統計報告書はなんども改修され調整されてきたが、現行のものには 以下の六種がある。(一)人口変動情況統計は、毎年一回統計をとるもの で、総合的な統計である。その内容は、戸数、総人口数、性別、総人口に おける非農業人口および一年間の出生・死亡・転入・転出などの変動数を 含んでいる。その目的は、当面の市と県の人口基本状況および人口の自然
変動と機械的変動の状況を掌握し、それにより人口の発展法則と趨勢を掌 握するためである。(二)鎮人口統計は、鎮を設置している地方の統計で、
主に鎮の人口の増加と変動の状況を示している。(三)非農業人口の増減 変化状況の統計は、主に農業人口の増加と減少の原因を示している。(四)
集鎮自家食糧自弁の人口統計は、農村の集鎮に転入した戸籍変更と自家食 糧自弁の状況を示している。(五)常住にまだ入っていない戸口の統計は、
戸口の無い人口の状況を示している。(六)都市人口の移転状況の統計は、
省都と大都市の統計からなり、主に都市人口の移転の原因を示している。
このほかに、さらに一部の地区が行っている人口年齢統計、死亡人口年齢 統計ならびに民族人口統計は、入学人数、労働力状況、選挙民、兵士の供 給源、高齢女性、老年人口の計算、未来人口の予測および科学研究にとっ て、重要な意義をもっている。
通常の人口統計工作は、基層では公安派出所と郷・鎮政府が責任をも ち、戸口登記簿と各種の変動登記簿にもとづいて統計を行ってから、県以 上の公安機関がランクごとに集計している。統計の精度を保証するため に、公安部と省級公安機関は必要な精度調査を毎年行っている。1985年か ら、各省・自治区・直轄市は電子計算機による集計を採用し、統計速度を 加速させ、統計の精度を向上させ、適時に各方面に的確な人口データを提 供するようになっている。
1-2 解説
まず本書『当代中国的公安工作』を含む『当代中国叢書』とは中華人民 共和国建国
35
年を期して企画されたもので、共産党・政府・解放軍などの 組織がそれぞれの担当する分野を解説して刊行された。『当代中国的公安 工作』は中国政府の公安部が当然ながら担当した。担当官庁がみずからの 担当分野を解説すると「お手盛り」になるだろうという印象がぬぐえない ので、筆者は本書を放置してきた。しかし、戸籍制度をあらためて調べる 手がかりとして本書を精読して、その記述を無視できないと判断したわけである。
以上の翻訳から明らかなように、それは中華人民共和国における戸籍に 関する法制度の成立と変遷の経過を簡潔に説明している。法制化に先行し たはずの戸籍制度の実態はほとんど語られていないものの、戸籍制度の法 的な形成と変遷の基本的過程を通時的に確認できるという意義は認められ る。また、戸籍制度における都市と農村の差別はかならず指摘される主題 だが、実は都市戸籍と農村戸籍では登記項目そのものが異なり、登記を管 理する行政的仕組みも異なることを明らかにしている。さらに、農村から 都市への戸籍の移転を厳格に制限してきた中国の方針もかなり率直に説明 している。戸籍制度を管理する立場から都市戸籍と農村戸籍の相違を示し ているわけである。
それ以上に、筆者には軍人戸籍が都市戸籍や農村戸籍から独立している という指摘は重要だと思われる。中国で軍隊(人民解放軍)が共産党組織 や政府組織から独立していることは従来から論じられてきた*1。たとえ ば、全国と地方の人民代表大会の代表および共産党大会の代表の選出に際 して、一般の代表が地域別に選出されるのに対して、軍隊が一括して選出 単位となっていることは周知のところであろう。つまり、軍隊から一括し て国家機関と共産党の代表を選出する仕組みが戸籍制度と結びついている ことを、この文献は確認している。軍隊が一般の中国社会から切り離され ているという特徴は、戸籍制度にも反映しているのである。また、軍隊と 武装警察という実力組織の成員は、戸籍制度と同じく
1980
年代後半から一 般の中国人に交付される居民身分証制度からも切り離されている。ただ、軍人の家族の戸籍はどうあつかわれるのか、退役した軍人の戸籍はどのよ うに処理されるのかなどの問題は、本文献の記述だけでは判然としない。
*1 小竹一彰「「単位」・「部門」・「系統」」、『シリーズ中国領域研究』第6号
(1997年10月)
86
~90頁、は推測をまじえつつこの問題を論じている。
戸籍の登記は都市では家庭を単位に、農村では戸または自然村を単位に するとされている。これは戸籍が血縁または地縁といった自然的結合に依
拠していることを意味している。これに対して、居民身分証制度は個人を 単位としている。本文献はこの制度を採用した理由として1980年代に本格 化した改革・開放政策をあげている。要するに、改革・開放による経済発 展が中国民衆の社会的移動をうながし、固定的な社会に対応した戸籍制度 では対応できなくなったわけである。居民身分証の交付が都市で先行し、
農村は後回しにされていることも、まず都市における社会的移動が活発に なったからだろう。中国の民衆に対する管理は、家庭その他の自然的結合 に対する一括した管理から各個人を対象にした管理へ変化したことにな る。
ただし、1980年代に入って家庭などの一括管理から個人単位の管理へ転 換したと言いきるには疑問もある。ひとつは、「人口カード」という制度 に関する記述である。本文献の第四項では戸籍登記を基礎に個人ごとに作 成された「人口カード」の制度は
1950
年代半ばに始まったとのべている。この時期から個人単位の管理への指向が存在していたように思われる。た だ、本文献は居民身分証制度と「人口カード」を別の項で記述しているた め、両者の関係には曖昧さがある。また、居民身分証制度の実施により家 庭などの自然的結合の一括管理から個人単位の管理へ完全に移行したのか どうかは、本文献の記述だけでは判断できないと思われる。
2.戸籍制度に対する1980年代後半の批判
2-1 資料
【解題】出所は、任賢良・田炳信・黄国文・李升旗「中国“戸 禁”」、『中国青年』1989年第6期(1989年6月刊)4~6頁。本文 献は戸籍制度を取材してまとめられた実態報道といえる。
1980
年代 後半には本文献のような戸籍制度に批判的な文章が散発的に公表さ れている。この時期に戸籍制度がどのように問題視されていたかを 明らかにする例として本文献を翻訳した。なお、この文章が公表された
1989
年6月にあの天安門事件が発生した後は、このような中国 社会にある問題点を指摘する議論は公表されなくなった。おそらく この雑誌の編集と印刷は天安門事件以前に完了していたので、この 文章も日の目を見たのであろう。中国では“戸口”が人の命運と密接に関連している。“戸口”は中国 人を二つの明確に異なる等級に、つまり都会人と田舎人に固定してい る。ここから中国ではいろいろな戸口の“悲喜劇”が生まれている。
彼は、なかなか評判の医者なのだが、大部分の精力とすべての貯えを田 舎で教師をしている妻と三人の子供の“農転非”[農村戸籍から非農村=
都市戸籍への転換]という戸口の変更に費やした。1987年に、彼は8,400 元の都市戸口への転入費を納め終え、女性四人に都市戸口へ入ったと知ら せた際に、次のように家族全員に対して重々しく告げた。「私の生涯では あなたたちに他の遺産を残すことはできなかったけれども、この都市戸口 だけを与えることはできた……」
民族学を研究するある博士は、戸口を解決できないために、辺境の都市 にいる妻子と10年間別居するしかなくなっている。3,000日以上も夜中に 自分の心情を抑制するために、ベッドで倒立を練習するという思わぬやり 方によって、これで心理と生理のバランスを維持しようと思ってきた……
鄭州で戸籍登記工作に長年従事してきた老いた公安職員がしわがれ声で 記者にこう語った。「戸籍警官になるとしわがれ声にならない者はひとり もいない」。戸口の解決を要求する人はたしかにきわめて多く、一人ずつ ひとしきり話し合い説明しても、どれだけの人がこの説明を信じるだろう か? 一部の人々は門を入ると戸籍警官に跪き頭をこすりつけて[過去の 中国における臣下の皇帝に対する礼法を思わせる]声涙ともに下るように お願いして訴える。さらに人によってはロープを手にして戸口を上げなけ れば首を吊るとまで言う。
全国で毎年一万分の二という“農転非”の比率は、根本的に現実の要求 を満足させるはずがない。鞍山市だけをとっても、市公安局に溜まってい
る“農転非”を要求する戸口は
11,000
件余りに達すると報じられている。そして毎年都市へ入れる目標数は2,200人前後に過ぎない。毎年新たに増 える“農転非”の人数を放置して問題にしなくても、溜まっているものだ けで、7年余りかけてやっと申請に対して回答することができる。
戸口が解決できないために、全国の工場と鉱山の企業だけでも
600
万組 の夫婦が二カ所に別居している。こういう“牽牛と織女”が毎年一度つど うのに、5万両の列車が満席になり、10
万両の公共バスがすし詰めになっ ている。国家はこのためにおよそ23億人民元を支出する必要がある。さらに戸口によって引き起こされるさまざまな卑劣な挙動がある。真の あるいは偽りの離婚とか、贈賄と収賄とか、脅して財物をゆすり盗ると か、違法な職権濫用とか……
もし北京、天津、上海という同等の大都市の間で、戸口を移して一家団 欒を達成するために、また理想的な職業人材を流動させるために、八年十 年と苦節したとしても、いつも甲斐のない労働になる。そこで、一部の人 は国外へ出て夫婦団欒を行うしかなくなってしまう。
戸口はなんでこれほど大きな魔力を持つのだろうか? 異なる戸口の背 後に、見過ごせない経済的および社会的内容があるからである。
建国後に制定された新しい戸籍登記条例の目的のひとつは、[食糧など 消費物資の]統一買い付け・統一販売、労働への就職の統一計画および都 市人口の制御に都合よくするためだったのだが、これは同時に都市と都 市、都市と農村の間に戸口によって一連の飛び越えられない高い塀を築い てしまったのである。農村に出生すれば、一枚の農村戸口により黄色い大 地へ投げだされ、一年また一年と“統一買い付け”の対象をやらされ、[工 業製品との]“価格シェーレ”の不平等な交換を引き受けさせられる。都 市に出生すれば、生まれながらのように“統一販売”による公定価格の農 副産品、手厚い財政補填、国家が手配する入学・就業・公費医療を享受す るなどの各種の権利を保有している。さらに都市が大きくなるほど、福祉 はますます高水準になり、権利はますます多くなり、戸口はますます値打
ちがでてくる。一枚の戸口が一個人の、一家族の、さらに数世代の人々の 命運をしばしば決定してしまう。命運を改変しようとすれば、まず戸口を 改変すべきなのである。
全世界で三つの国家だけが戸口によって人口の流動を制限していて、
中国はその中のひとつに入る。封鎖的な戸口制度は中国人の天性を扼 殺している。商品経済は人口の自由な流動を要求しているのである。
現今の世界において中国、朝鮮民主主義人民共和国および中央アフリカ のベナンだけが戸籍によって人口流動を制限している。
中国の戸籍制度には悠久の歴史がある。戸籍を人口の流動を制御し、社 会的動乱を防止する手段としたのは、秦の“十五戸連座法”[意味不詳]
に始まる。それから王朝の交代をいくども経験し、戸籍制度に変化が生じ てきたが、人に対する制御の機能はまったく弱まらなかった。魏晋南北朝 時代の“宗主督護制”[北魏朝初期の地方有力者を宗主として民衆を管理 させる地方組織]にしろ、元朝の“連座保甲制”[意味不詳]にしろ、こ ういうものだった。
新中国が成立してから、戸籍の制限はいったん柔軟なものになった。最 初の憲法は、公民には移動の自由があると規定した。当時は大量の農民が 都市に流入するという混乱がまったく発生していなかった。戸口の届け出 は、派出所へ行って三十分もすれば完了していた。その後、単一の計画経 済の推進と“階級闘争をカナメとする”[方針の重視]につれて、戸口は ますます引き締められ、人口流動に対する制限はますます厳しくなり、
“文革”の期間には外地へ三日間出かけるならすべて、旅先で臨時戸口を 申告し、監督を受けなければならなかった。
中華民族の移民史をひも解くと、魏晋・南北朝・唐・宋の時代の数回の 大規模な南北間の移動の動きにしろ、また解放後の[大躍進失敗後の]三 年間の困難な時期における都市人口の疎開と知識青年の上山下郷にしろ、
大体どれも戦乱、災害、政策的変遷と関連があり、つまり受動的移動に属 している。
中国の名言では、流れる水は腐らず、開き戸の軸は虫に食われない
[
い つも動いているものは腐食しないという意味]
と言われている。三十六計 逃げるにしかず。しかし人々が“流れ”ようとし“逃げ”ようとすると、まっさきに出合うものこそ戸口の覊絆[束縛]である。封建社会の“みだ りに乱をさせない”戸籍を語らなくても、今この時に“農転非”の戸口を ひとつ申請するのにさえ、5通の証明書を備え、9件の公印を押し、11回 の手続きを通さなければならない。これほど困難に満ちた戸籍の変更を、
好んで夢中になって望む人間がまだいるものなのか? そうするうちに、
職業では一生同じことを続け、住居では転居したくなくなり、故郷を離れ がたくなり、家を出て事業を始めようと思わなくなることが、中国人の心 理と生活習慣になるのである。中国では一人が一生のあいだに
1.7
回しか 移動しないのに、先進国ではほとんど毎年20%の人が移動している。“天然の平等派”としての商品経済は、人々に“どこへでも流浪せよ”、
“どこにでも定住せよ”、“どこででも事業を始めよ”と要求する。そして 中国では、むしろ商品経済の担い手がいたるところで“戸口”の束縛に抑 えつけられて流動できなくなっている。
アメリカのゼロックス社は中国で企業を運営するのに
200
名の技術職と 管理職の人員の雇用を必要としたが、60名しか雇えなかった。米中貿易全 国委員会の北京駐在代表馬丁・韋爾[原文のママ]は次のように直言して はばからない。「労働力が流動できないことがいまだに中国にある合弁企 業の主な煩悩である」。これら外国人経営者は労働力の流動できない背景 にある戸籍制度が中国人にとってなにを意味するかを知らない。中国雑技団は、北京へ入る戸口を制限されているせいで、建国初期
(1953年)に全国から訓練生を一度採用したのを除けば、現在まで30年余 りずっと北京市と北京郊外の農村に募集を限定されてきた。そしてごく近 いところにあり、中国雑技の故郷の名声を享有している河北省呉橋の農村 の抜きんでた演技者に対して、その才能をながめて嘆息するばかりなので ある。
1984
年、浙江省杭州市の紡織系統の全人民所有制[国有]企業は1,395
人の労働者の募集を計画した。だが都市の青年は労働がきついのを嫌い、働きたくなかった。農村の青年は都市戸口が無いせいで応募できなかっ た。その結果、募集計画は3分の1しか完成しなかった。
市場の誘導を主とする開放型の経済は必然的にわが国の現行の閉鎖的な 戸籍管理と尖鋭な矛盾を発生させる。農村の余剰労働力の移動、都市の労 働力需要の不均衡、開放都市の労働集約型産業の発展に必要な労働力、知 識集約型産業が要求する知識分子と技術労働者の集中は、いずれも商品経 済の主体としての人が自由に転居し移動できることを要請している。しか し、戸口は人々の流動の足取りを引き止めるばかりでなく、経済の活力も 束縛している。
戸口を開放すると、中国は都市人口が爆発して制御不能になる危険に 直面しているのだろうか? 戸口の現状を維持し続けると、商品経済 の発展はどこから語れるのだろうか? 中国の戸口はどちらにころん でも難しい選択に直面している。どこからどこへ向かうのか?
経済は開放すべきであり、戸口は緩めるべきである。だが、都市と農村 の差別が依然として存在し、都市人口が膨張している状況のもとで、戸口 は徹底的に解放できるのかできないのか?
公安部治安局長の高旭に言わせると、「人民代表大会で、われわれ公安 部門が戸口を抑えこんで解放しないと語る代表がいるが、実際には冤罪で ある。われわれはこれまでたびたび上級の関連部門あてに報告を書き、ど のように解放するのか、どれほど解放するのかという指示を求めている。
しかし、あえて同意する部門はひとつもない。過去の静態的な人口のしっ かりした管理は、いったん犯罪事件が起こると、犯罪分子の所在地をおお よそ割り出すことができた。現在は流動人口の増加にともなって、このや り方がもはや適応しなくなっている。戸口が農村で拘束力を失ってしまっ ている今、さらに都市が拘束を解いた場合に、それでも引き受けられるの だろうか?」
北京市公安局長の蘇仲様は戸口の開放に対して独特の感覚を持ってい る。「首都はひとつしかなく、戸口を開放しても大乱させてはいけない。
現在北京には
100
万余りの流動人口があり、首都の社会治安に巨大な圧力 をもたらしている。1987年に、流動人口の犯罪は14,776件に達し、治安条例違反は
9,000
件余りになり、違法な行商人5万人を追い払っている。北京の戸口制御は厳格な措置を必要とし、改革は穏当であるべきである。」 上海では市公安局戸政処処長の石頌九が見るところでは、「現在は戸口 を開放するにはまだ条件が備わっていない。上海では、一常住戸口に1ヵ 月に8元の副食補助金をかけているから、もし現在の
180
万の流動人口を 常住人口に転換すると、毎月に国家財政の補助金は1,400万元あまり増加 し、一年では一億元を超えてしまうだろう。さらに都市の住居、交通、食 糧・食油・副食の供給に対しては、上海はまかないきれない。」開放している広州は人口の衝撃をさらに強く被っている。広州のガイド ラインでは2000年の人口規制を250万にしているが、現在すでに270万に達 し、流動人口はさらに激増している。ここ数年、広州の流動人口における 犯罪率は急激に上昇している。有名な“四仔一佬”[4地方から来た若者 と1地方から来た大人]が広州人に憂慮を痛感させている。“広西仔”[広 西から来た若者]は売春とポルノ物品の販売活動に従事し、“瀋陽仔”[遼 寧省瀋陽から来た若者]は破壊・略奪や殺人をやり、“湖南仔”[湖南省か ら来た若者]は窃盗と物乞いをやり、“潮州仔”[広東省潮州から来た若者]
は密貿易・詐欺・偽ブランド商品の投機売りをやり、“新疆佬”[新疆から 来た大人]は文物と地方特産品の密輸販売をやっている。今年の春節が終 わってから多数の民工[出稼ぎ労働者]が広州へ流れ込んだことは、すで に広州市に人口の警告を出している。
しかしながら、人口問題を研究する学者たちの一部は、都市管理の困難 を口実に人口流動を制限するのは、消極的で受動的な遅れた手法にすぎな いと見なしている。中国社会科学院政治制度研究室の譚健主任に言わせる と、「職業選択と転居の自由は公民が享受する最も基本的な権利でなけれ
ばならず、われわれは都市管理の困難を口実に公民のこの権利を剥奪して はならず、戸口の制限により低水準の都市管理に迎合してはならない。い かなる社会にも不法分子は存在するもので、流動人口のせいで違法現象が 出現するはずがなく、人民大衆すべてに戸口の禁固を受けさせ、ともに道 連れの苦役を受けさせている。むしろ、改革開放のなかで都市の管理水準 を向上させ、戸口の禁制を開放して人口流動の大きな趨勢に適応しなけれ ばならない。」
1987年に広州で開催した全国大城市流動人口問題および対策討論会は、
迅速に増加する流動人口が大都市の経済・社会の発展に活力を注入すると ともに、大都市に一連の新しい問題をもたらしていると実証した。両者を 比べると利点が弊害より大きく、それは大都市が閉鎖経済・単一機能から 開放型経済・多機能へ転化することを加速し、都市の商品経済の繁栄を力 強く促進している。したがって、流動人口の出現は商品経済に対して利点 が弊害より大きいというなら、都市戸口はそれでもいかなる理由で開放し ないのか? あえて開放しないのか?
1989年の春節が終わってから、北京、広州、武漢、瀋陽などの大都市の 駅、波止場、長距離バスの停車場は、どこでも外へ出て働こうという農民 でごったがえしている。突然、これらの大都市のもともとから負荷ぎりぎ りで稼働していた都市システムはひどく息切れし、都市は人が多過ぎて問 題が生じ、交通・治安・衛生・食事と宿泊は流動人口過剰の衝撃を受けて いる。国務院と各地方政府は施策を講じなければならず、多くの民工が帰 郷し農業をやるように仕向けている。この流動人口の警報シグナルは確か にみなに次のように訴えている。都市の“戸禁”を開放すると、中国では 都市の制御喪失の危険が生じるだろう。
したがって、“戸禁”の開放、とりわけ都市の“戸禁”の開放は過程で しかない。この過程において、われわれが解決しなければならない矛盾は 巨大な都市と農村の差別の矛盾であり、また現存の都市の住居政策、物価 政策、福祉政策の改革である。
深圳の“人戸分離”のモデル:戸口と国家の各種福祉の処遇との連係 を断ち切り、価値法則に戸口を調節させ、改革開放のなかで脱出を追 求する
都市戸口をあえて開放するのかどうか、開放できるのかどうかを、人々 がまだ論争してやまず、躊躇して進めないという時に、わが国の改革開放 を率先する深圳特区は戸口改革においても率先して一歩踏み出している。
深圳市は世界的な高レヴェルの経済開放の特区をめざすために、国際市場 の激烈な競争に適応するために、高素質の労働大軍を常に保持することを 要請されている。これこそ労働力が市場の必要に適応して流動を常に保持 できることを要求している。戸口制限の矛盾を解決するために、深圳市は
“人戸分離”の原則にもとづき、外資単独出資、合弁およびその他の企業 類型において多くの深圳の戸口を持たない外来労働力を採用している。彼 らは戸口の制限を受けず、[深圳市に]入ることもできれば[そこから]
出ることもでき、仕事があればやって来て仕事が無ければもどり、その食 事、衣服、住宅、行動は市場調節に完全に依存し、正式の深圳市民と同等 の待遇を享受している。この原則にもとづき、深圳市はすでに24万の外来 労働力を採用していて、そのうち
10
万人は通年勤務の職場にいる。深圳に はこのせいで人口が膨張し、失業が激増し、生活が悪化し、治安が混乱す ることはまったくなく、むしろどこでも活力が充満している。この都市戸 口と国家の福祉補助を切断するやり方は商品経済発展の要求に適応してい て、強大な生命力を備えている。人口の都市化は人類社会の発展の必然的趨勢である。都市化の過程で は、人口が膨張し、社会治安が不穏になり、失業率が増加するなどの社会 的陣痛は避けがたいものである。しかし、人口の都市化の進行過程をこの せいで遅らせてはならない。中国社会科学院人口研究所の馬侠などの学者 は次のように提案している。すなわち、都市を[人口圧力の]減圧地区、
制御された発展地区、および積極発展地区に区分し、農村人口を目的地の 移動先の都市に誘導するようにする。同時に都市に転入する戸口規制を緩
和し、同等の規模で同等の条件の都市人口の流動と移動を許可し、高度な 文化水準をもつ知識分子と科学技術の人材の自由な流動を許可すべきであ る。わが国の中都市と農村集鎮の建設を大いに発展させ、人口流動のルー トを強化・拡大し、大都市の人口圧力を緩和し軽減する、と。
2-2 解説
この文献は都市と農村の戸籍による差別が多くの社会問題を生みだし、
腐敗と犯罪の温床になっているという。第1の文献では明言していない が、この文献では農村から都市への人口移動を抑制することを目的に、こ ういう戸籍制度が形成されたとかなり率直に指摘する。しかし、その結 果、都市の住民が厚遇され、農村の住民が劣悪な待遇におかれることを例 証している。戸籍による都市と農村の差別は実質的には身分差別になって いると論じていると思われる。
人間を拘束する封鎖的な戸籍制度を実施している国として、中国以外に 北朝鮮と中央アフリカのベナンをあげることも興味深い。北朝鮮もベナン も当時の中国の改革指向の人々の間では格下の国と意識されていたはずで ある。中国がそうした国々と同等だという指摘は、速やかに改革すべきだ と強調しているといえる。以上の論難の裏返しが、先進国では人口移動が 常態化しているとの指摘である。さらに付言すると、
1980
年代後半の改革 指向に世界の垂直に配列された諸国のなかで中国の順位を上げようという 発想が強かったことをうかがわせる。つまり、中国の後進性を速やかに克 服すべきだという姿勢である。中国の順位を他国よりも上げたいという意 欲が改革でなく国力の面で表面化したのが、1990
年代以降の傾向だといえ るのだろう。戸籍制度が中国の経済発展にとって足枷になっていることを、戸籍を管 轄する公安機関も関連分野も研究者も明白に理解している。しかし、その 抜本的な改革に対しては躊躇の態度がうかがえるようである。そこには明 快で抜本的な解決策の実行が中国の現在の体制を根底から揺るがすという
懸念が存在していたのだろう。
3.中華人民共和国と戸籍制度(結びに代えて)
戸籍制度に関わる問題をさらに取りあげる準備は現在の筆者にはない。
むしろ、ここで筆者が注目するのは戸籍制度が中華人民共和国のあり方に 対していかなる意味を持っていたかという論点である。
中華人民共和国が成立した意義は、さまざまな角度から論じられてきた し、今後も論じられるはずである*1。その中には中華人民共和国の成立 に積極的な意義を認めるものも多いだろう。たとえば、帝国主義の侵略を 終結させ、分裂を克服して統一を復活させ、近代化を本格的に開始する条 件を達成した、などがある。しかしながら、以上に翻訳した2つの文献と それらに対する筆者の解説で取りあげた戸籍制度をふまえると、中華人民 共和国の成立に異なる意義を見いだせると思われる。
*1 一例として、李洪林著『四種主義在中国』、三聯書店(北京)、1989年 6月、がある。筆者は同書を翻訳し「李洪林著『中国における四種の主 義』」を、『久留米大学法学』第75、76号、に分載した。
中華人民共和国が成立してから戸籍制度は設置され充実していったこと は既述したとおりである。戸籍制度の目的が人口移動の制限にあったこと も、翻訳した2つの文献が多かれ少なかれ認めている。人口移動を制限す る背景には、中国社会を安定させようとする企図が存在していたと考えら れる。制約のない人口移動は地域社会の流動化を発生させて社会的安定の 形成を阻害する。戸籍制度にはこのような状況の発生を極小化しようとす るものだった。活発な人口移動をともなういわゆる農民反乱が王朝を転覆 させる契機になった中国の歴史は、当然、中華人民共和国の指導者たちの 念頭にあっただろう。また、中華人民共和国成立までの中国社会が長期に わたって不安定だったこともよく知られている。社会的不安定は水平的お よび垂直的な人口移動が恒久的だったことを意味する*1。中華人民共和