252
焦点を陳述副詞に置こうと思う︒ 平家物語の副詞には︑様々な問題が潜んでいる︒就中︑いわゆる 陳述副詞には興味ある問題もあり︑ここに覚え書きその一として︑
陳述副詞の表現機能は流動性に富むものであるが︑今昔物語集と
平家物語との時間的間隔がその表現機能の上にいかなる一径庭となっ てあらわれるのか︑しかしてそれは国語史の流れの中での現象であ
るのか︑あるいは平家物語独自の特色であるのか︒これらの検討を
試みることは︑それが解明に至らなくとも︑飛石の一つを投入する
ことにはなるであろう︒今昔物語集の陳述副詞については︑旧稿﹁今
注1 昔物語集における副詞の呼応﹂で調査したことがあり︑このたび﹃平
注2 家物語総索引﹄公刊という先覚の学恩に浴したことを機に︑平家物
語の陳述副詞について︑今昔物語集のそれと比較しながら検討しよ
うと思う︒ 数多くの異本が存在する平家物語のことであり︑覚一本の転写本
を底本として成った日本古典文学大系本に限ることは砂上の楼閣の
如きものであるかもしれない︒しかし︑一飛石であれば邪魔にはな
らないであろう︒反語表現に関するもの︑否定表現に関するもの︑
平家物語副詞覚書その一︵原栄一︶ 平家物語副詞覚書その一
l今昔物語集との比較からI
仮定表現に関するもの︑二つの表現に関するもの︑この四類に分け て見てゆくことにする︒.
反語表現に関するもの︒ ﹁いはむや︒いかにいはむや﹂を︑ひとまず分類してみると︑
A反語表現に用いられるもの:⁝⁝⁝::⁝二例 B﹁においてをや﹂に呼応するもの・⁝⁝:二例
C平叙文に用いられるもの⁝⁝⁝・⁝⁝⁝:一八例
のように三分できる︒
Aの二例 ④彼の唐家清涼一山の芯蕊︑猶ぶそうの官兵を帰へす︒況や和
国南北両門の衆徒︑なんぞ謀臣の邪類をはらはざらむや︒︵上三
○二Ⅱ︶ ︑異国には︑三条の広路をひらひて十二の洞門をたつと見えた l り︒況や五条まであらん都にへなどか内裏をたてざるべき︒︵上
三三七5︶
原
栄
七 一
について注目すべきは︑﹁況や﹂の下文に﹁なんぞ﹂﹁などか﹂が補
添されていることである︒この一見して﹁況や:::むや﹂﹁況や⁝⁝
べき﹂の呼応も︑実は︑﹁なんぞ﹂﹁などか﹂が反語表現に用いられる
陳述副詞であるとすれば︑﹁なんぞ⁝⁝むや﹂﹁などか⁝:・べき﹂の
呼応と見なければならない︒これは︑﹁況や﹂のもつ反語を導く機能
が衰弱していることを示すもので︑このような事例は今昔物語集︵以
下﹁今昔﹂と略記︶にも︑
何二況ャ愚痴ナラム者何ゾ如然事ヲ可知キ︒︵今昔Ⅳ二○九Ⅱ︶
況ャ服セラム人何ドカ病ヲ癒ザラム︒︵今昔I三二一4︶
況ャ同ジ人ノ身ニテ何デカ不乗デハ有アラム︒︵今昔I三八○
5︶
のように見出すことができる︒これらは平叙文に用いられる﹁いは
むや﹂と全く同等なのである︒とすると︑平家物語︵以下﹁平家﹂
と略記︶には反語表現の﹁いはむや﹂は存在しないと言えるのでは
ないか︒今昔においても︑平叙文に用いられる﹁況ャ・何況ャ﹂が
全用例一四八例中の一○○例を占め︑﹁ムャ﹂と呼応する反語表現用
法は僅かに一三例であり︑しかもこれらの多くが原典の﹁況︒何況﹂
に依ったものであることを思えば︑平家に﹁むや﹂﹁べき﹂と呼応す
る﹁況や﹂が皆無であるとしても不思議なことではない︒
また︑平家において特徴的であるのが︑下文に体言のみを出して
叙述を省く型である︒今昔では体言に﹁ヲャ﹂のみを装着させるの
であるが︑平家ではBの如く︑二例すべてが一様に﹁においてを
や﹂を付ける︒
④上古猶かくのごとし︑況や末代にをいてをや︒賢王猶御あや
まりあり︑況や凡人にをいてをや︒︵上一六○Ⅱ︶ 平家物語副詞覚書その一︵原栄一︶
eおさまれる世だにもかくの如し︒況や乱たる世にをいてをや︒
︵下九四2︶
④大梵王宮の深禅定のたのしみ︑おもへば程なし︒いはんや電
光朝露の下界の命にをいてをや︒︵下三六九M︶
の如きがその一部である︒﹁においてをや﹂の起りは︑﹃漢文の訓読
によりて伝へられたる語法﹄︵三四一頁︶に述べられているように︑
﹁而況於王乎﹂︵孟子・公孫丑︶の如き漢文を字について訓読したこ
とによったものであろうが︑平家に限ってすべてがこの型で見られ
るのは︑右のことが遠因ではあるにしても︑他に直接の理由がある
と考えられる︒そこで︑﹁において﹂三四例の中﹁においてをや﹂の 二例を除く二三例について検するに︑
人をばしらず︑季重にをいてはひとひきもひぐまじゐ物を︑ひ
ぐまじゐ物を︒︵下二○○6︶
人々は参らせ給ふとも︑匡房におゐては叶候まじ︒︵下二九八5︶
四大種の中に水火風は常に害をなせども︑大地にをいてはこと
なる変をなさず︒︵下三八○5︶
のように︑逆接条件の後件に用いるなど︑﹁:::二限ツテ︑:::ダヶ﹂
の意味で︑限定を示し強度表現となっている例が大半を占めている︒
このことから︑﹁においてをや﹂の﹁において﹂には強調の語気が込
められているとみることができる︒﹁をや﹂を強調するための﹁にお
いてをや﹂であろう︒
Cの平叙文に用いられる一八例は︑ e凡この后の琴のねをきいては︑武きもの坐ふのいかれるもや
はらぎ︑飛鳥もおち︑草木もゆるぐ程なり︒況哉いまをかぎり
の叡聞にそなへんと︑なくノー1ひき給ひけん︑さこそはおもし
三 八
②其運命をはかるに︑もて天心にあり︒なんぞ天心を察ずして︑
をろかに医療をいたはしうせむや︒︵上二四三u︶ ②当時の破滅︑まさに此時にあたれり︒諸衆何ぞ愁歎せざらん
や︒︵上二九七M︶
⑦源氏は近年よりこのかた︑度々のいぐさに討勝て運命ひらけ
んとす︒なんぞ当山ひとり宿運つぎぬる平家に同心して︑運命
ひらくる源氏をそむかんや︒︵下八八3︶ ②家門繁昌の古は恩波によて私をかへりみぎ︒今なんぞ芳恩を
むくひざらんや︒︵下一一五3︶
③彼の唐家清涼一山の芯萄︑猶ぶそうの官兵を帰へす︒況や和
国南北両門の衆徒︑なんぞ謀臣の邪類をはらはざらむや︒︵上三
○二Ⅱ︶ ﹁くぎや﹂と呼応するもの
⑦通盛卿以下当家数輩︑摂州一谷にして既に詠せられおはい︒
何ぞ重衡一人の寛宥を悦べきや︒︵下二五一M︶
﹁む﹂と呼応するもの
⑦髪に利益の地をたのまずむば︑いかんが歩を嶮難の路にはこ
ばん︑権現の徳をあふがずんば︑何かならずしも幽遠の境にま
しまさむ︒↑︹ましまさんや︵西教寺文庫本・龍門文庫本︶︺︵上二
○一2︶ ④神明納受し給はば︑所願なんぞ成就せざらむ︒︵上二○一9︶
などである︒⑦には異同があり︑﹁んや﹂で結んでいるものもあるこ
とであり︑ともかくも︑すべてが反語表現であることには違いない︒
これを因みに今昔について見ると︑ 仏二問奉テ云ク︑何ゾ功徳ヲ修スル者地獄二堕テ︑罪障ヲ作し 平家物語副詞覚書その一︵原栄一︶
r
ル者浄土二生ルゾ・何ゾ富メル者有り︑貧キ者有ゾ︒︵今昔I二三
八6︶
のように︑疑問表現に用いられることが多く︑﹁何ゾ﹂の全用例︵副
詞用法のみ︶の乃%にあたる八四例が︑﹁何ゾ⁝:.連体形﹂︵四○例︶・
﹁何ゾ・⁝:連体形十ゾ﹂︵四三例︶・﹁何ゾ:⁝・連体形十ャ﹂︵一例︶ のような型で疑問表現に用いられ︑別%にあたる二七例が︑﹁何
ゾ⁝⁝ムャ﹂︵一四例︶・﹁何ゾ⁝⁝ム﹂︵一○例︶・﹁何ゾ⁝⁝︒ヘ
キャ﹂︵一例︶・﹁何ゾ:⁝・ベキ﹂︵一例︶・﹁何ゾ⁝⁝ニャ﹂︵一例︶
の型で反語表現に用いられるのである︒このように︑平家の﹁なん
ぞ﹂を今昔の﹁何ゾ﹂の用法と照合するとぎ︑平家の反語表現用法
が固定した用法であったことを知るのである︒
このような事情から︑
⑫勅勘の者は月日の光にだにもあたらずとこそ申せ︒何況や︑
いそぎ都の内を追出さるべしと︑院宣宣旨の成たるに︑しばし
もやすらふくからず︒︵上一四六昭︶
に見られる﹁何況や﹂の﹁何﹂に﹁なんぞ﹂の訓が適当と考えられるこ
ともあるのであろう︒@の﹁何﹂を高野本と西教寺文庫本とが﹁イ
ヵニ﹂としているが︑この訓が尊重されるべきことは︑
④同じ流をむすぶも︑多生の縁猶ふかし︒いかに況や︑汝等
は⁝⁝︵下一一五1︶
の如き例を持ち出すまでもないであろう︒
次に︑﹁などか﹂については︑これも一般に︑疑問表現と反語表現
とに用いられるものであるが︑平家ではこの両者が一定の型をもっ
て使われている︒すなわち︑疑問表現は︑
②この子が︑我もゆかうどしたひしを︑:::其を限りと思はま 四○
248
しかば︑いましばしもなどか見ざらん︒︵上二三八9︶
③たとひ世をばそむくとも︑などかかくとしらせざらん︒︵下二
六八岨︶ のように︑﹁などか⁝⁝ざらむ﹂の型で四例︑
⑦物かはと君がいひけん烏のねのけさしもなどかかなしかるら
む︵上三四○蛆︶
のように︑歌謡に﹁などか・・・⁝らむ﹂の型で一例見られる︒この歌
謡の一例を仮に例外とすれば︑疑問表現は﹁などか:⁝・否定辞十む﹂
の型とすることができる︒これに対して︑反語表現は︑﹁などか⁝⁝
否定辞十べき﹂の型で示すことができる︒反語表現二七例の中の二
四例がこの型である︒
⑦大慈大悲の君にてをはします︒などかぎこしめし入ざるべき︒
︵上三五七4︶ のように︑﹁などか⁝⁝ざるべき﹂の型一三例︑
②声を尋てむかへ給ふなる聖主の来迎にてましませば︑などか
いんぜうなかるくぎ︒︵上一○四M︶
のように︑﹁などか.⁝:なかるくき﹂の型六例︑
⑦おのこどの身にてさぶらはば︑わたらせ給ふ鴫へも︑などか
まいらでさぶらふべき︒︵上二三七週︶
のように︑﹁などか.⁝:で︵さぷらふ︶べき﹂の型三例︑
⑦今度こそもれざせ給ふ共づゐにはなどか赦免なうて候べき︒
︵上二一五9︶
のように︑﹁などか:⁝・なうて︵候︶べき﹂の型二例︑などがこの型
である︒この型に入らない例外の三例というのは︑﹁などか⁝⁝べき﹂
一例と疑問表現と同型の﹁などか⁝⁝ざらむ﹂二例とであるが︑
平家物語副詞覚書その一︵原栄一︶ ︑たとひ入道がかなしみを御あはれみなく共︑などか内府が忠 をおぼしめし忘れざせ給ふべき︒たとひ内府が忠をおぼしめし 忘れざせ給ふ共︑争か入道が歎を御あはれゑなからむ︒︵上二五 二略︶
のように︑対句︵いわゆる回文対︶に用いられ︑﹁争か⁝⁝なからむ﹂
と対をなすもの︑
④后はじめてさらに一曲を奏す︒﹁七尺屏風はたかくとも︑おど
らばなどかこへざらん︒一条の羅殼はつよくとも︑ひかばなど
11
かはたえざらん﹂とぞひき給ふ︒︵上三五二u︶
のように︑対句をなした歌曲に用いられ︑﹁などかは:.⁝ざらん﹂と
対をなすもの︑
⑦洪水みなぎり来らば︑岳にのぼてもなどかたすからざらむ︑
猛火もえ来らぱ︑河をへだててもしばしもさんぬくし︒︵下三八
○1︶
のように︑これもまた対句に用いられ︑﹁しばしもさんぬくし︵シ︑ハ
ラクハ避ケルコトガデキルハズダ︶﹂に対応しているものとである︒
このように例外三例はすべて対句に用いられており︑型に填ってい
なくとも誤解されることのないものばかりである︒これらのことか
ら︑平家の﹁などか⁝⁝否定辞+べき﹂は反語表現の一定型とみて
よいと思われる︒
一一
否定表現に関するもの︒ 今昔における否定の陳述副詞で最も頻繁に用いられるものは﹁更
二﹂であり︑肯定表現用法の一七例に対して否定表現用法は五二四
四
一
247
例に達する︒これほどに多用される原因というのは︑原典からの影
響というようなものではなく︑今昔編者の自在に使用しえた語で
あったことによるのであるが︑平家においても﹁さらに﹂は︑
⑦嬉しとはさらに思はず︒︵上一○五8︶
⑥これはまいらずとも︑更に御事かけ候まじ︒︵下一一八八8︶
④参詣せんとすれば更に衣鉢なし︒︵上四一四3︶
④知時涙もさらにおさへがたし︒︵下二四四7︶
のように︑否定辞﹁ず︒まじ︒なし︒がたし﹂と呼応するものが一
六例中の一四例を占め︑使用例こそ少いが︑ここでも陳述副詞とし
ての機能に変わるところはない︒陳述副詞﹁さらに﹂が漢文本来の 用法ではなく︑和文的用法であることから︑肯定表現に用いられる
二例の情態︵程度︶副詞
②后はじめてさらに一曲を奏す︒︵上三五一面︶
⑤蓑は雨露にをかざれて︑仏壇さらにあらはなり︒︵上三五六m︶
の如き﹁さらに﹂は︑特に訓読語としての印象を強く与える語となっ
ている︒
﹁さらに﹂と関連ある副詞に﹁かつて﹂がある︒﹁曾﹂は日本霊異
記や日本住極楽記などでも陳述副詞用法として見られるのである
が︑今昔において︑この用法では全く用いられなくなり︑情態副詞
用法としてのみ残存している︒この趨勢には陳述副詞用法﹁更一一﹂ の多用が影響しでいるのであるが︑平家においても﹁さらに﹂の主
用法が陳述副詞用法であることから︑ ②僑慢の心のゑふかくして︑かって当来の昇沈をかへりみ
ず︒⁝.:人をほろぼし︑身をたすからんとおもふ悪心のみ遮て︑ 善心はかつて発らず︒︵下二五四週M︶ 平家物語副詞覚書その一︵原栄一︶
に見られる﹁かつて﹂は︑否定の陳述副詞としてではなく︑情態副
詞として解釈しなければならないと思われる︒
今昔で︑﹁更二﹂に次いで多用される﹁敢テ﹂は︑全用例九二例中 九一例までが否定表現︑ただ一例が反語表現に用いられるというよ
うに︑完全に否定の陳述副詞として用いられるのであるが︑これは
平家においても同様で︑全用例七例すべてが︑
②大宮敢てきこしめしもいれず︒︵上一○八M︶
⑤かくてむなしく命おはりなぱ︑火穴湯の苦果︑あへて疑なし︒
︵下二五五M︶
のように︑﹁ず.なし﹂と呼応して否定表現に専用されている︒
専用されているものでは︑和文語に属する﹁露︵も︶﹂の五例があ
る︒
⑤一院還御の後︑⁝⁝﹁さてもふし議の事を申出したるものか
な︒露も思食よらぬものを﹂と仰ければ︑︵上二四過︶ ! ②法皇﹁今は世の政きこしめざばやと催露もおぼしめしよら
ず︒⁝.:﹂とぞおほせける︒︵上三三二9︶
②︵女院︶﹁:::その昔あの人どものはぐくみにてあるべしとは
露も思より候はず﹂とて︑御涙をながさせ給へば︑︵下四三五4︶
⑤大納言我身の上とは露しらず︑︵上一五三8︶
⑤むねせきあぐる心ちして︑露もまどろゑ給はいが︑︵下三九七
Ⅱ︶
これらで気付くことは︑⑤②②がそれぞれ一院︒法皇︒女院の会話
文中に用いられ︑しかも類句であるということである︒和文語の陳
述副詞﹁露︵も︶﹂が平家において自由自在に多用されるものでない
ことは︑今昔の用例数一○九例に対して五例しか見られないことに
四
二
れるが︑平家では﹁まじ﹂が応じる二例に加えて︑﹁ず﹂と呼応する
三例
︑いかでかしりまいらせ候べき︒ゆめノー〜しりまいらせず候︒
︵上三九六4︶
④平家を別して私のかたきとおもひたてまつる事︑ゆめノー︑候
はず︒︵下二六二8︶
②平家の人々に別の意趣おもひたてまつる事努々候はず︒︵下三
六七3︶
があり︑否定表現に五例見られることになる︒ここでは︑﹁ゆめゆめ﹂ が専ら禁止表現用法であるという︑今昔におけるような見方は通用
しない︒ 禁止表現に用いられるものに﹁あなかしこ﹂があることはよく知
られている︒
︑荊刺﹁この事あなかしこ人にひろふすな﹂といふ︒︵上三四九
7︶
④﹁我いかにもなりなん後︑汝等都に帰て︑穴賢道にてきられ
たりとは申べからず︒⁝⁝﹂との給へば︑︵下四○四9︶
の二例が見られるが︑﹁あなかしこ﹂は既に今昔において禁止表現の
陳述副詞となりきっている︒今昔全用例九例には︑﹁ベカラズ・ナ.:
ソ・ナ﹂などと呼応するもの︑それに
穴賢努々此ノ箱開テ不見給ナ︒︵今昔Ⅳ五○六4︶
然し︒ハ門ヲ強〃差テ音モ不為デ有し穴賢々々︒只櫓ニ登テ遠見
ヲセョ︒︵今昔Ⅳ三七九略︶
ユメユメ のように︑﹁努々﹂と重ねて用いられるものや︑﹁穴賢々々﹂が直上 の﹁不然デ有し﹂と呼応するものなどがある︒ 平家物語副詞覚書その一︵原栄一︶
次に︑否定表現にも肯定表現にも両用される﹁すべて﹂について
見る︒平家では︑﹁すべて﹂一八例の中︑次の四例
◎入道﹁すべてその儀あるまじ︒但祇王があるをは堂かるか︒
その儀ならばぎわうをこそいださめ﹂とぞの給ひける︒︵上九八
・川詮︶ ︑入道﹁すべて其儀あるまじ﹂とのたまふ間︑︵上一○一M︶
②夏はあっしといひ︑冬はさむしときらひ候︒東国にはすべて
其儀候はず︒︵上三七三5︶ ⑤されども幽王の心にかなはざりける事は︑褒似咲をふくまず
とて︑すべて此后わらう事をし給はず︒︵上一七七5︶ が否定表現に用いられ︑◎⑧@の三例は同類句である︒このような
用法は明らかに陳述副詞であり︑慣用句で用いられたとも見られる︒
しかして他の一四例は肯定文における情態副詞用法である︒そもそ
も﹁すべて﹂は︑訓読語﹁コト︑コトク﹂に対する和文語の情態副詞
であり︑源氏物語では全用例八二例の中︑否定辞を後に伴なうもの
は僅かに二例にすぎない・これが今昔になると︑全用例五一例中の
四一例が否定辞を伴ない︑陳述副詞としての機能が看取できるよう
になる︒よって平家における﹁すべて﹂の用法は︑源氏的なもの︑
すなわち和文語である情態副詞用法が主であって︑これに今昔的な
ものが︑あるものは慣用句として︑混入したものであるとみること
ができる︒
一一一
仮定表現に関するもの︒
﹁もし﹂は︑仮定表現・疑問表現・推量表現とに分けられるが︑ 四四
244
まず仮定表現一三例について見ると︑その殆どが典型的な仮定順接
条件句となっており︑今昔に見られるような不自然な型との呼応は
していない︒今昔における不自然な型というのは︑
若シ道ヲ行ク時二僧二値ヌレゞ︿目を塞テ還ヌ︒︵今昔Ⅱ三一四
u︶
若シ此ノ経ノ題目ヲ聞奉ル人︿決定シテ四悪趣一一堕ル事無シ︒
︵今昔H九八皿︶
の如く︑活用語の已然形に接続助詞﹁ば﹂がついた既定順接条件句︑ あるいは条件句末の体言に連体修飾の助動詞﹁む﹂を用いない型で
ある︒これらはいずれも依拠した漢文・変体漢文の訳出によってあ
らわれた型であって︑慣習的事柄がその内容となっており︑本朝部
後半には見られない型である︒この事実を勘合すれば︑平家に見出
されないことも合点できるのである︒
⑥捌u︑女性にて候へば︑母儀の二品なんどゃさも申候はんず
らん︒︵下二四三2︶
においても︑﹁もし﹂は.﹁候へば﹂と呼応するのでなく︑﹁女性にて 候へば﹂を挿入句として︑係助詞﹁や﹂との呼応としなければなら
ない︒仮定順接条件句句末の内訳は︑動詞・補助動詞・助動詞の未
然形に接続助詞﹁ば﹂がつくもの一三例︑助動詞﹁べし・ず﹂の仮
定条件をあらわす形﹁べくは・ずは﹂五例︑﹁む+体言﹂の型一例︑ 注3 連体形﹁む﹂自体が体言の役目を担って助詞が直接するもの二例で
ある︒ここに︑ただ一例 ⑤もしふしぎにこのよをしのびすぐすとも︑心にまかせぬ世の
ならひは︑おもはいほかのふしぎもあるぞとよ・︵下一三九M︶
のように︑﹁もし﹂に接続助詞﹁とも﹂が応じて逆接条件句を成すも
平家物語副詞覚書その一︵原栄一︶ のがある︒この﹁もし⁝⁝とも﹂の型は源氏物語の夕顔・総角にも 見られ︑今昔にも︑
若シ女二侍リトモ︑童ト語上給プラム様一一翔テ御カシ︒︵今昔肌
五六八M︶
のように一例だけ見られるが︑平家のものは︑﹁もし﹂と﹁たとひ﹂
の使い分けが既に固定していた頃の用例として︑やはり特殊な例で
あるといわなければならない︒
次に︑﹁もし﹂の推量表現というのは︑﹁もし﹂が係り結び﹁もぞ+
連体形﹂﹁もこそ+已然形﹂と呼応する類型を指すのであるが︑平家
では︑これも一例
④兵衛佐殿流人でおはすれども︑すゑたのもしぎ人なり︑もし
世に出てたづねらる上事もこそあれ︒︵下三八二3︶
のように見られ︑ここでは︑良い結果を予想し期待の気持を表わし
ている︒今昔の七例のうち六例までが悪い結果を予想して危倶の念
を表わしているとはいえ︑その形態は同じである︒
さて︑﹁もし﹂が﹁や.::.連体形﹂と呼応して︑
◎二人はおなじ心に︑もし熊野に似たる所やあると︑鴫のうち
を尋まはるに︑︵上一九九7︶ のように︑疑問表現をなす用法は和文的用法と言えるが︑これは仮
定表現が訓読文的用法と言えるのに対してである︒仮定表現の二二
例に対して疑問表現は二例であり︑平家がいかにも訓読文に近い
耐︾
もののように思われるが︑﹁もし﹂に助詞﹁や﹂が付着した﹁もしや﹂
が二例見られることにより︑この印象は薄らぐのである︒﹁もしや﹂
の用法も︑その熟語化が目立ち︑
⑤もしやたすかり給ふと︑︵上四○七週︶
四五
①若やたすかると前の海へぞおほく馳いりける︒︵下三一妬︶
の二例を除く九例すべてが︑
■■■日日日日88N日日■︑
④少将もしやと一首の歌をようで︑︵上三九四M︶ ③もしやのたのみもよはりはてて︑いとど心ぼそうぞなられけ
る︒︵下二二八5︶
⑥もしやとかたはらをさぐれども人もなし︒︵下三九七M︶
④もしやとねらひ申候つるなり︒︵下四一七皿︶
のように︑﹁もしや﹂以下の叙述を省略し︑独立させて用いるように
なっている︒さらに︑副詞の機能を脱した例
︑木曾はもしの事あらば︑法皇をとりまいらせて西国へ落くだ
り︑︵下一七五7︶
の如きを見ることができる︒陳述副詞としての﹁もし﹂そのもので
は勿論なく︑﹁もしや﹂の﹁や﹂を略して体言化した﹁もし﹂とすべ きものであろう︒
平家らしい用法としてあげうるものに︑﹁もし﹂の後に﹁不思議に
︵て︶﹂を伴なう型の五例がある︒いずれも平氏の現在の非運に対す る幸運への願望を込めた場合であり︑諦観の中に潜む一繧の望承を
この﹁不思議に﹂が担っているように思われる︒
②若不思議に運命ひらけて︑又都へたちかへらせ給はん時は︑
ありがたき御情でこそ候はんずれ︒︵下一○一一2︶ ⑦若不思議に運命ひらけて︑又都へ立帰る事候はば︑其時こそ
猶下しあづかり候はめ︒︵下一○六5︶
日■Ⅱ■■88ⅡI︑︑︑︑ ⑤もしふしぎにこのょをしのびすぐすとも︑︵下一三九M︶
③もし不思議にて世もたちなをらば︑︵王一七六9︶
③もし不思議にて今一度︑かはらぬすがたをみもし見えもやす 平家物語副詞覚書その一︵原栄一︶
るとおもひてこそ︒︵下三七四7︶
右の②は︑知盛が関東武士重能︒有重︒朝綱を東国へ帰すべく宗盛
に意見を述べたところであり︑⑦は︑経正が琵垂呈月山を仁和寺の守 覚法親王に返上する際のことばであり︑ほぼ同文が②⑦の場面に用
いられている︒平家では﹁不思議﹂という語が三九例あらわれ︑清
水寺大門前の札に書かれた﹁歴劫不思議力及ばず﹂︵上一一四1︶と
いう法華経普門品の喝の句をはじめ︑会話文に数多く用いられてい
る︒これは平家物語用語の特徴と言えようが︑同時に﹁もし不思議
に﹂も︑平家の特徴的語法と言えよう︒
次に︑﹁たとひ﹂について︒ここで注目されるのは逆接条件句の句
末であろう︒その句末は︑今昔と同様に︑接続助詞﹁とも﹂﹁といふ
とも﹂﹁といへども﹂その他が見られるが︑今昔全体と同一視できな
い点はある︒
﹁とも﹂と﹁といふとも﹂との差異については︑和文体と訓読文 体ということで区別されており︑今昔における﹁タトヒ﹂との呼応
に限っても︑天竺震旦部・本朝部前半で﹁卜云フトモ﹂三六例が﹁ト
モ﹂一一例を圧し︑これが本朝部後半になると逆に﹁卜云フトモ﹂
二例が﹁トモ﹂八例に及ばなくなっている︒この呼応を平家に見る
と︑﹁たとひ⁝・:とも﹂四一例に対して﹁たとひ⁝⁝といふとも﹂一
○例で︑今昔本朝部後半とは同傾向であるが天竺震旦部︒本朝部前
半とは全く逆であることが知られる︒今昔全体と同一視できないと
いうのはこのことである︒全体的にみて︑平家が︑漢文︒変体漢文 を訳出したものと同質でないことは当然であるが︑平家の﹁たと
ひ・・:.︒といふとも﹂一○例の中にも︑この漢文訳出︵訓読︶によっ
て﹁といふとも﹂となったと推察できるものはないか︑ということ
四六242
か考えられる︒たとえば︑
︑聖徳太子十七ケ条の御憲法嘆﹁人皆心あり︒⁝⁝こLをもて 設人いかると云共︑かへて我とがをおそれよ﹂とこそみえて候
へ︒︵上一七三5︶
④披て叡覧あれば︑﹁昔は:::︒設かばねは胡の地にさらすと云
共︑魂はこたび君辺につかへん﹂とぞかいたりける︒︵上三○六
Ⅱ︶
の如き例がこれに当たるであろうと思われる︒@は︑直接ではない
にしても︑日本書紀の十七条憲法﹁十日:.⁝是以彼人錐腹還恐我失﹂
︵推古天皇︶のようなものに依ったであろうし︑⑤は︑漢書蘇武伝の
﹁天子射上林中得雁足有係帛書言武等在某沢中﹂に直接の字句は求
められないにしても︑後に源平盛衰記に見られる﹁昔.::.設身留永
朽於胡同必神還再仕干漢君﹂の如き︑漢文体の手本となったものに依
ったであろうことが考えられる︒
平家において︑概ね﹁たとひ﹂には﹁とも﹂が応じたと見倣して
よいと思われるのであるが︑参考までに﹁たとひ﹂を伴なわない﹁と
も﹂﹁といふとも﹂について見ると︑﹁とも﹂一○五例に対して﹁と
いふとも﹂一○例で断然﹁とも﹂が優勢であり︑しかも僅か一○例
の﹁といふとも﹂の中には︑﹁末代といふ共﹂﹁王宮といふとも﹂﹁義
家朝臣といふとも﹂の如き︑体言に直接するものや︑﹁都までこそか
なはずと云共﹂︹と云I高野本ミセヶチ︺のような異同例も含まれて
いる︒そしてその中に︑ ③君君たらずと云とも︑臣もて臣たらずば有べからず︒父父た
らずと云共︑子もて子たらずば有べからず︒︵上一七八5︶ のような例があり︑古文孝経・孔安国序の﹁君錐不足君臣不可以不
平家物語副詞覚書その一︵原栄こ 臣父錐不父子不可以不子﹂に依拠して﹁といふとも﹂が用いられた ことがわかり︑漢文訳出と﹁といふとも﹂の関係の深さを重ねて知 ることができる︒
逆接既定を表わす﹁といへども﹂と呼応する例は︑ ①老少不定の世のなかは石火の光にことならず︒たとひ人長命
といへども七十八十をば過ず︒︵下二六六6︶
の一例にすぎない︒﹁といへども﹂が﹁長命﹂という体言に直接する
ので︑形態上これを﹁ども﹂との呼応とすべきであろうが︑ここは
﹁たとひ人長命なりといへども﹂の意味であって︑﹁なり﹂の省略と
みなければならない︒今昔に見られる五例は
鬘上犯シ有り卜見ルト云ヘドモ吉ク尋ネ知テ罰ヲ可加シ・︵今昔Ⅷ
二三七2︶
のように︑すべて活用語を承けており︑条件句の内容は過去におい
て既に行なわれた先例や世間一般の真理となっている︒@もこれら
と同様に︑﹁この場合は.:⁝であったとはいうものの普通一般の場合
には﹂の気持を込めた用法である︒
次に︑﹁たとひ﹂が接続助詞と呼応しない例について見ると︑
④縦重科を蓑て遠国へゆく者も︑人一人身にそへぬ者やある︒
︵上一七九4︶ @たとひ又百千歳の間百羅漢を供養したらん功徳も︑一日の出
家の功徳には及べからず︒︵下二八三6︶
のように︑呼応すべき部分が連体修飾語となっているもの︑
③縦此身はいかなる目にもあひ候へ︑とう1︑御文給はてまい
り候はん︒︵上一八八3︶
⑥かう申せば平家のかたうどとやおぼしめざれ候らん︒たとひ
四七
240
をあげることができる︒﹁ながらふ﹂を修飾する﹁いまだ﹂のところ
に﹁いままで︵も︶﹂を用いた例
⑦又君をも御代にあらせまいらせばやなどおもふゆへにこそ︑
︽Ⅷ刹訓刻洲Nながらへてありつれ︒︵下一五○6︶
@かはらぬすがたをみもし見えもやするとおもひてこそ︑うぎ
0■Ⅱ■■ⅡⅡⅡ■ⅡⅡ日日■ⅡⅡ日■︑︑︑︑ ながら今までもながらへてありつるに︑︵下三七四8︶
▲■Ⅱ■■■Ⅱ日日■Ⅱ日ⅡⅡ︑︑︑︑ ②露の御命なにしに今までながらへて︑︵下四一五3︶
等が見られるのであり︑﹁いまだ﹂を﹁いままでも﹂に︑また﹁いま
までも﹂を﹁いまだ﹂に置換することが可能である︒
さて︑否定表現用法﹁いまだ﹂には︑
■ⅡⅡ日日ⅡⅡ■■■■■︑︑︑︑︑ ③契はいまだくちせざりけり︒︵下一七七8︶
一日■Ⅱ■■日日■日Ⅱ■9︑︑︑ ②御うつり香もいまだうせず︒︵下四一四4︶
■■■■■■■■■■■■Ⅱ■︑︑︑︑ ①余寒もいまだつぎせず︒︵下四二九5︶
の如きものがある︒これらは継続している情態が今なお続き︑途絶 えていない様を表わすのであるが︑これに類似したものに﹁いま
に⁝⁝ず﹂がある︒
平家で︑否定辞と呼応する﹁いまに﹂には︑
⑦平朝臣重盛公の後生善処と祈る事︑いまに絶ずとぞ承る︒︵上
二四九皿︶
⑦其事など今にわすれず︒︵下二八八1︶
③事にふれてありがたうあたり候し事︑今にわすれ候はねば︑
︵下二八八賜︶
の三例︑それに
Ⅵ日日■■■■■■︑︑︑︑ ⑦男女のえんしゆくせ︑今にはじめぬ事ぞかし︒︵上一○○皿︶
■■日Ⅱ■■Ⅱ■■︑︑︑︑ ⑦山門の大衆みだりがはしぎうたへ仕事︑今にはじめずと申な
平家物語副詞覚書その一︵原栄一︶ がら︑今度は以外に覚候︒︵上一五○2︶ ④判口はじめぬ事なれ共︑内府が心のうちこそは§っかしけれ︒
︵上一七八7︶ の如く︑﹁今にはじめず﹂の型で用いられるものがある︒ここで注意
しなければならないのは︑⑦②④と偶鳳汽④とが全く異質のものであ
るということである︒⑦の﹁絶ゆ﹂とQ④の﹁忘る﹂とは継続情態
の終止を示す動詞であるが︑⑦⑦④の﹁始む﹂は事の開始を示す動
詞である︒従って︑前者の﹁今に﹂は︑
@昔よりいまにいたるまで︑此山は密宗をひかへて退転なし︒
︵上二二三岨︶ の﹁いまにいたるまで﹂と同義であるのに対して︑後者の﹁今に﹂
は︑
④これはいまさらおどるかせ給ふくからず︒且﹂ろよりおぼし
めしまうけたる御事也︒︵下二九○週︶
の﹁いまさら﹂に相当するものであって︑﹁今に始まったことではな
いぞよ︑昔からあることぞの意︒﹂︵﹃平家物語全注釈﹄︶として使わ
れている︒今昔における﹁今一一﹂は副詞化の傾向が見られ︑これ が依拠した変体漢文において既に見られることも明らかであるが︑
﹁いまに﹂の種々の用法には十分な配慮が必要である︒なお︑肯定表
現に用いられる﹁いまに﹂は﹁いまだ﹂と同様であって︑すべてが﹁今
にあり﹂の型であらわれている︒
平家における﹁まだ﹂は︑
②刻矧くらかりけるに︑︵上一五一面︶
⑦まだよひの事なるに︑︵上三二七9︶
②まだよひの事なれば︑︵上四一六週︶
四九
の僅か三例にすぎず︑肯定表現にのみ用いられている︒しかも②に は異同があり︑高良神社本・寂光院本などでは﹁いまだ﹂となって
いる︒﹁いまだ﹂一五五例に対して﹁まだ﹂三例であることは︑源氏
物語において﹁まだ﹂二二六例に対して﹁いまだ﹂三例が見られる
ことに等しく︑源氏物語では﹁まだ﹂専用︑平家物語では﹁いまだ﹂
専用であったと言える︒今昔では引用和歌に二例﹁マダ﹂があるだ
けで三二一例は﹁未ダ﹂である︒
次には︑今昔で推量表現と反語表現とに両用された﹁まさに﹂に
ついて見る︒
﹁まさに﹂は︑平家では
⑦価彼禅門︑武士を当寺にいれんとす︒仏法と云王法と云︑一
時にまさに破滅せんとす︒︵上二九九妬︶
②近日世上の躰を案ずるに︑仏法の衰微︑王法の牢籠︑まさに
此時にあたれり︒今度清盛入道が暴悪をいましめずば︑何日を
か期すべき︒︵上二九七2︶
⑦当寺の破滅︑まさに此時にあたれり︒諸衆何ぞ愁歎せざらん
や︒︵上二九七M︶ ⑦方に今︑伊豆国の流人源頼朝︑其筈を悔ず︑かへて朝憲を潮
る︒︵下九○5︶
の四例が見られるだけで︑陳述副詞としては﹁むとす﹂に呼応する ⑦の一例のみであるCe⑦⑦は平叙文に用いられる情態副詞であり︑
用法は﹁まさしう︵く︶﹂と同じである︒
@位を退て後はま入さるためしもあんなり︒まざしう在位の時︑
ざ様の事は後代のそしりなるべし︒︵上三九三2︶
の﹁まさしう﹂は︑⑦の﹁方に﹂と形態上全く異ならない︒また︑ 平家物語副詞覚書その一︵原栄一︶
e⑦ともに﹁此時に﹂を明示するための用法であり︑さらに⑦につ
いても︑﹁一時に﹂という副詞を補足強調するものとみれば︑これも
また時に関係していることになる︒このように︑﹁まさに﹂は時を明
示するものであったとゑられ︑同様に用いられた﹁まさしう︵く︶﹂
もこれに準じるものであると考えられる︒﹁まさしう︵く︶﹂の用例
をいくつかあげると︑
④猛火はまさしうおしかけたり︒︵上三八三6︶ l ⑦つゐにはかくれあるまじけれども︑まざしうこのありさまを
きいては︑やがてざまをもかへんずらんとおぼゆるぞ︒︵下二七
六1︶ ⑦平家をほろぼさんの案のうちに候へども︑まさしくげんざん
にいるべしとは存ぜず候ぎ︒︵下二六一2︶
などであるが︑これについて︑金田一春彦博士は︑﹃索引と語釈﹄の 注4 ﹁まさしう﹂の項で︑﹁現実二と訳すと当たる﹂と述べられている︒
﹁まさしう﹂が時を明示する副詞として用いられていることにより︑
この﹁現実二﹂という訳が適切となるのであろう︒
このように︑平家の﹁まさに﹂は陳述副詞としてよりもむしろ情
態副詞として用いられるのであるが︑ここに今昔との懸隔を見るこ
とができる︒今昔では︑全用例六二例中﹁・へシ・ムトス・ム・ジ﹂
と呼応する訓読語法︵推量表現︶が三七例︑巻十四以前にのみ用い
られ︑﹁ムャ・ムャハ﹂と呼応する和文語法︵反語表現︶が一六例︑主
に本朝部に用いられている︒しかして︑呼応する語を伴なわずに平
叙される情態副詞は僅かに九例であり︑この中には依拠した原典の
読解不十分のままに訳出したことによる誤用の例も含まれている︒
和文語法の﹁まさに﹂というのは竹取・伊勢・落窪・源氏など物語 五○
和漢混清・雅俗同列の授雑という面が看て取られる︒そのうらに動
いていたのは︑口頭語における︑古代語的性格の崩壊であり︑文章
語における王朝的規範の弛緩である︒﹂とつ更に︑﹁平家物語の文章
の中の何十分の一かは︑この種の︑変体漢文とでもいうべきもので
あり︑これらについて和漢混清などとはいうも愚かなことである︒﹂
と︒変体漢文的用法︑たとえば︑平家物語に﹁いはむや﹂の純粋な
反語表現が見られない事実などは︑平家物語の文体を考察する際に︑
決して看過してはならないことがらである︒
注1金沢大学教養部論集第六号・昭和四十四年二月︒
2笠栄治氏編のものと︑金田一春彦・清水功・近藤政美三氏共編のもの
5 . 4
1 1 3﹁もしこひうけてものぼらむに︑﹂︵下四○二8︶
とがある︒んは︑﹂︵上二一二7︶
﹃平家物語総索引﹄所収︑
﹃日本文法講座4﹄所収︒ 平家物語副詞覚書その一︵原栄一︶
四六○頁︒
l ﹁若一人も留められ
五