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三木清『歴史哲学』に関する覚書

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(1)

三木清『歴史哲学』に関する覚書

著者 佐々木 健

雑誌名 星薬科大学一般教育論集

3

ページ 1‑21

発行年 1985

URL http://id.nii.ac.jp/1240/00000153/

(2)

清﹃歴史哲学﹂に関する覚書

佐々木 健

じめに

1

  本稿は︑三木清の﹃歴史哲学﹄︵昭和七年・一九三二年︶に即して︑彼が構想する﹁秩序の論理﹂と﹁歴史の人間学﹂の

と論理機制とを明らかにするとともに︑若き日の草稿﹁語られざる哲学﹂以降の︑ヨーロッパ留学︑パスカル研究を

経て唯物史観研究にいたる思想形成の歴程を辿ることによってその枠組みの基本的な骨格が確立するにいたった﹁三木哲

学﹂が︑﹃歴史哲学﹄における彼自身の課題設定を通じていかに具体化されるにいたったかを解明し︑あわせて︑この著       ゐ  ヘ  へ作のなかで︑三木がいかなる問題を﹃歴史哲学﹄以後︑展開されるべき新たな問題として掴むにいたったかを確定しよう

とするものである︒

 ﹃歴史哲学﹄は︑昭和五年に治安維持法違反の嫌疑により検挙︑拘留された三木が︑下獄中に﹁プロレタリア科学研究      ヘ  へ所﹂の哲学部主任の地位を解任され︑マルクス主義勢力に対して一定の距離を設定するようになってから著わした最初の

著作であった︒それはまた︑検挙・拘留により一切の教職から身を引くことを余儀なくされた彼が︑出獄後の生活︑思想

る物質的︑精神的な逆境をくぐり抜けながら完成した最初の体系的な著作であり︑思想上の再出発のための新

(3)

な﹁視点設定の表現﹂として︑彼の思想形成の歴程において重要な位置をしめるものである︒2

1 存在と事実

         1

 ﹃歴史哲学﹄において登場し︑﹁三木哲学﹂の基本範疇となる最も重要な鍵鏑概念は﹁存在﹂と﹁事実﹂である︒まず︑

別︑それぞれの内実︑そして両者の関係を確定することから︑考察を始めよう︒

義﹄︵<o巳o︒・ζ5σqo⇒コぴo叶象o勺ゴ昌oω8匡o巳o﹃Ooωo匡oゴけo︶のなかで︑へーゲルは︑ドイッ語の

歴 史﹂という語は主観的な面と客観的な面を統一しており︑歴史は﹁出来事﹂︵合ωOoω6庁ΦげΦoΦ︶であるとともに︑

述﹂︵○①じ・o匡o宮ω2品匡已5四〇〇ω6巨o宮ωぴo白・o宮o︷げ已ロぴ9︶でもあることを指摘している︒︵ロ力已げ完①日廿妻o済P

ρ

N

乙り゜○︒ω︶三木は﹃歴史哲学﹄の叙述を開始するにあたって︑まずこの点を確認する︒﹁歴史といふ語は︑多くの国

於て⁝⁝︑一方では主観的に︑﹃出来事の叙述﹄匡ω9﹃冨吟⑦日日゜qoω古自q日の意味に於て︑そして他方では客観的

に︑﹃出来事﹄︹Φωぴqoω冨oそのものの意味に於て︑用ゐられてゐる︒﹂︵﹃三木清全集﹄第六巻五頁︒以下︑全集からの引

用は巻・頁︑第六巻からの引用は頁のみを記す︒︶前者は﹁ロゴスとしての歴史﹂︑後者は﹁存在としての歴史﹂と呼ばれ       ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へる︒こうした二様の区別を設けながら︑三木は出来事としての歴史と叙述されたものとしての歴史を﹁存在としての歴史﹂       て  へ

もとに概括し︑これに対して﹁事実としての歴史﹂を掲げる︒それは︑さしあたっては︑歴史を叙述するという﹁現在﹂

ける﹁行為﹂を意味する︒歴史を叙述するとはいかなることか︒またそれの内的必然的条件とは何か︒第一に︑歴史

(4)

       ヘ  ヘ  ヘ  へ

   を叙述することは歴史を繰り返すことであり︑歴史を﹁現在﹂に﹁手繰り寄せる﹂ことであり︑このことによって歴史の

在﹂におかれる︒︵一三ー四頁︑一九−二〇頁︶第二に︑歴史叙述には歴史的なもの︵史料︶の選択が必要で

あり︑その選択は﹁現在﹂に基礎を有する︒﹁現在﹂において﹁関心﹂される史料が選択されるのである︒︵一四ー五頁︑

 二〇頁︶第三に︑歴史が叙述されるためには︑個別的な出来事や史料を統一し意味づける何らかの﹁全体﹂が与えられな

   らず︑そのためには︑歴史の不断の過程が何らかの仕方で完結したものとして表象される﹁絶対的な時間点﹂が

  らない︒それは﹁現在﹂をおいてはなく︑﹁現在﹂こそがその﹁全体﹂を与える︒︵一六i七頁︑二一頁︶以上

  簡単に云へぽ︑歴史は唯﹃現在の時間のパースペクチヴ﹄NΦ=bo臣bo丙江く①△窪Ooぬ①ロ≦①詳からしてのみ書かれる﹂

   のである︒︵一七頁︶

       ヘ  へ

   こうした﹁現在﹂は時代区分における﹁現代﹂とは﹁秩序﹂を異にする︒現代は古代︑中世︑近世︑近代︑現代と継起

  ヘ  ヘ      ヘ  へ る時間の一部分であって︑﹁過去﹂たることの性格を担っており︑このようなものとして︑﹁存在﹂としての歴史の﹁秩

序﹂に属する︒これに対して﹁現在﹂は︑計量されうる継起的時間でもその極微でもなく︑﹁瞬間﹂たることを根本規定 とするような時間であり︑﹁存在﹂より﹁高次の秩序﹂に属する﹁事実﹂である︒﹁存在﹂としての現代から﹁範疇的﹂に

区別される﹁事実﹂としての﹁現在﹂こそ︑﹁存在﹂としての歴史を理解することを可能にするのみならず︑歴史を叙述

り       ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ        ヘ ヘ ヘ      ヘ ヘ ヘ へ

 するという歴史的行為を含む一切の歴史的行為を可能にする根拠である︒﹁存在﹂としての歴史が作られたものの﹁領域﹂

史      ・ ︑

あるとすれば︑﹁事実﹂としての歴史は﹁歴史を作る行為そのもの﹂以外の何ものでもなく︑﹁存在﹂としての歴史に根

存 在﹂としての歴史を超えるものとして︑それは﹁原始歴史ご下ΩΦω6臣o宮o﹂︵二五頁︶たることの根

う︒

3  それでは︑以上の如く範疇的に区別される﹁存在﹂と﹁事実﹂とは︑いかなる内実のものであるのか︒三木による両者

(5)

4

一 層立ち入った規定を次にみることにしよう︒

まず︑﹁存在﹂であるが︑これは三木において︑意識の一面や﹁本質存在﹂たるイデーをも包括する広い外延をもつ概

念である︒しかし︑今ここでは︑﹁存在﹂のもとに︑﹁本質存在﹂に対する﹁現実存在﹂を考えれぽよい︒﹁現実存在﹂は

    フオアハンデン るものであり︑﹁客体﹂の領域に属する︒このようなものとして︑それは﹁客体的存在﹂と術語的に呼ば

る︒

  ところで︑﹁客体的存在﹂としての﹁現実存在﹂の︑まさに﹁現実存在﹂としての特性は︑それが﹁既に﹂の性格︑す

なわち﹁過去性﹂を担うということである︒︵六五頁︶存在するものは︑今ここに現実に存在するとしても︑﹁既に﹂ここ

るものとして︑存在するものであり︑そのかぎりにおいて︑﹁過去﹂たることの刻印を押されている︒﹁現実存在﹂

こうした﹁既に﹂の性格を担うことをその特性としているのは︑それが﹁偶然性﹂をみずからの根本規定としている

らにほかならない︒﹁偶然性﹂とは存在と存在の﹁根拠﹂にかかわる規定であって︑偶然的であることは︑存在が存在

自己自身のうちにではなく他のもののうちに有することである︒必然的なものとは︑神のごとく︑存在と存在の

とがそこにおいて一つであるものであるのに対して︑偶然的なものとはそれの現実存在が現実存在の﹁理由﹂︵11根

拠︶を他のもののうちに持つものの謂である︒︵六ニー三頁︶この意味において︑偶然性は二切の存在の因果法則決定

性﹂と抵触することはない︒後者はもっぱら存在の秩序における因果の系列にかかわる規定であるのに対して︑前者は存

在とその根拠︑現実存在とその理由との﹁平面的でなく︑却て立体的﹂な関係にかかわる規定であるからである︒現実存       マ  へ在はこうした偶然性を根本規定とするものとして︑存在することも存在しないことも可能でありながら︑﹁既に現実に現

ゐるもの﹂として現実存在なのである︒

に︑﹁事実﹂についてであるが︑右にみたように︑存在・現実存在からその根拠・理由として区別され︑存在と秩序

(6)

      ヘ  ヘ  へ  し存在に対して超越的であるのが﹁事実﹂である︒それは﹁客体的存在﹂に対して﹁主体的事実﹂と呼ぽれる︒

実が﹁事実弓①下Q力①Oプ①﹂と呼ぼれるのは︑事実とは﹁行為するもの﹂のことであり︑そこでは﹁行為﹂が同時に﹁物﹂

あることの意味をもっているからである︒行為は﹁絶えず移行する歴史の過程を切断すること国巳ωn庁①庄已問∂q﹂︑その

ること国暮ωoげo庄⊆口西﹂の契機を含み︑そのかぎりにおいて一切の行為は﹁自由﹂を含んでいる︒自

   由は事実の規定の一側面をなす︒︵二七頁︶しかしながら︑行為は無制約的に自由であるのではなく︑また純粋に形式的

      ヘ   ヘ      ヘ   ヘ   へ な活動でもなく︑みずからのうちに否定の契機と必然性の原理を含むことによって歴史的行為となる︒

   ヘ  ヘ  へ 第一に︑その否定の契機とはいかなることか︒﹁現在﹂を﹁瞬間﹂たることを根本規定とする﹁現在﹂たらしめる否定       ヘ  ヘ  へ 的なものとしての﹁未来﹂である︒ここにいう未来とは実践的見地での未来のことであり︑﹁時間の最も重要な契機﹂を

  なすが︑行為は未来への関係を含み︑﹁現在﹂は﹁未来がそのうちに喰ひ入れる現在﹂である︒﹁現在のうちに含まれる未

現 在に対して否定的なものの意味を担つてゐるために︑現在は瞬間であるのである︒﹂︵三一頁︶﹁未来が現在の否定

 または死である故に︑未来を予料する現在はまさに瞬間であるのである︒この意味に於て時間の本性は終末観的o・・oゴ㌣

85ぴq冨6げ時間であるとも云はれよう︒﹂︵三二頁︶﹁本来的な時間は根源的な未来から時来ω一〇庁No﹂江ぴqo口する︒そして

⁝⁝唯瞬間としてのみ特性付けられることが出来る︒現在が瞬間である故に我々の行為には決心するといふ

ことが属する︒﹂︵一六五頁︶ 節一︑一心︑必然性の原理とは︑行為の費粋的制約性として︑行為を﹁必然的﹂たらしめる﹁自然﹂︵パトス・運命︶であ

 る︒主体的事実は客体的存在において自己を実現するが︑そのために事実は客観的な対象性へと自己を打ち出すべく︑存

と結びつかなければならない︒その実現の必然性の質料的な制約条件として働くのが自然である︒もとよりそれは存在

5 としての自然ではなく︑﹁事実のうちに含まれる自然的なもの﹂を意味する︒自然はまず︑感性と身体である︒﹁歴史の基

(7)

6 礎であるところの行為に於ては行為が直ちに物の意味をもち︑行為が即ち物であるのである︒⁝⁝物が行為を前提するの

もなく︑行為が物を前提するのでもなく︑行為と物とが一つであるのである︒感性は身体的なものとして決して単に受

あるのではなく︑寧ろ行為的︑実践的である︒感性のかくの如き実践的性質を認め︑力説したのはマルクスであつ

た︒このやうに身体的︑感性的であるために︑人間の行為は必然的に自然の存在或は存在としての自然に結び付く︒身体

単に自然の存在であるのではない︑⁝⁝身体は同時に事実としての自然的なものである︒我々は身体を通じて外的自然

らなる︒何らかの自然の存在に結び付くことがない如何なる行為も歴史的とは云はれない︒歴史は決して自然の存在

ら切り離されたものでなく︑これと最も密接に連関して展開するのである︒L︵三四頁︶ここでは︑三木自身の唯物史観

研 究において︑それに対する透察が不徹底であった﹁社会の自然的媒介﹂︵象Φロ旬言︸ρ津o<o﹃日詳江⊆⇒°q△o吟06切⑦F

乙力o﹈声︹ひくσq﹂°Po力6庁目︷象︑02ロoぬ吟一⌒⌒ユ巽2騨9﹃ぎ阜2↑①庁苫くoロ﹈≦胃ぷ国已目b巴ωoげΦ<o巳①ひqω①5け巴戸冶ON︶

的﹂条件が問われているといってよい︒次に︑自然は人間の﹁社会的自然﹂ともいうべき﹁社会的身体﹂である︒

あらゆる人間は事実として社会的身体ともいふべきものを具へてゐるのであつて︑そのために人間は社会の存在︑従つ

存 在としての歴史に自己を結び付けるのである︒﹂︵三五頁︶﹁個人的身体の保存と発達とのために自然物が消費されね

ならぬやうに︑種族即ち社会的身体の保存と発達とにとって個人の死滅するといふことが必要なのである︒種族は個人

犠牲を要求する︒⁝⁝人類の歴史が犠牲の歴史であるところに︑我々は事実としての歴史のうちに或る必然的なものが

含まれているのを知ることが出来る︒種族はかかる必然的なものを現はすのである︒﹂︵三六頁︶

さて︑以上のような内実をもつ存在と事実とが︑存在とその根拠︑現実存在とその理由︑客体的存在と主体的事実︑作

られたものと作るもの︑﹁既に﹂の性格を担う過去と未来をみずからの否定とする現在として原理的に区別されることは︑

りである︒さらにこの区別に照応して︑内在と超越︑眼前する所与としての環境とその中心としての活動︑体

(8)

史性と瞬間的歴史性︑因果論と目的論︑因果必然性と意味必然性︑部分と全体︑有と無との区別が設けられる︒今

ここでは︑﹁存在的﹂と﹁存在論的﹂との術語的規定も存在と事実との区別に即した規定であることを確認しておけぽよ

ち︑﹁存在論的058一〇魅ω︒β﹂とは︑﹁存在的︵o暮冨o庁−引用者括入︶といふことが存在を存在の秩序に於

ものの連関から認識することを意味するに対し︑存在を事実との連関に於て︑従つて主体的なもの︑行為する

ものとの関係から理解することを意味する︒﹂︵二二二頁︒二三二頁参看︶

と事実とは秩序を異にするものとして区別される︒しかし単に区別されるばかりではなく︑両者は相互に﹁非連

続﹂であり︑両者の間には﹁根源的な対立・矛盾﹂がある︒だがまた同時に︑両者は対立の﹁統一﹂の関係にある︒両者

関係のうちに︑歴史的なものが運動的発展的であることの根抵が存する︒存在と事実とのダイナミズムから現実の生成

発展の構造を解明する方向で構築されるのが﹁秩序の論理﹂としての弁証法である︒次に︑これについて考察しよう︒

      2

 ﹁存在としての歴史と事実としての歴史との対立は存在と存在の根拠との対立である︒しかも両者は︑存在と存在の根

として互に相侯ち︑対立でありながら統一である︒如何なる現実的なものもその現実存在と現実存在の理由との二つの

酷  

統一である︒かかる対立に於ける統一︑統一に於ける対立は弁証法的として規定される︒従つて一切の現実的

なものは弁証法的である︒事実としての歴史は自己の対立物たる存在としての歴史に於て自己を実現する︒この場合それ

 は過去の存在としての歴史に結び付くことを通じて自己の存在を規定する︒これらのことなしにはそれはみつからを発展

しめ得ない︒その限りにおいて存在としての歴史は事実としての歴史の発展形式である︒然し存在としての歴史はどこ

7 までも事実としての歴史の対立物であり︑前者はやがて後老に対する姪桔に転化する︒かくて一切の現実的なものは矛盾

(9)

8 陥るべき運命を有する︒事実としての歴史はそのとき旧き存在形式を破壊し︑新たなる存在形式へと発展する︒L︵九四ー

頁︶

右に引用した文章は︑三木自身が﹁秩序の論理﹂と呼ぶ︵﹁弁証法に於ける自由と必然﹂・昭和四年一〇月︑第四巻九五

頁︶︑彼自身が構想する︑存在と事実とのダイナミズムに立つ弁証法の基本構図を描出している︒現実的なものは存在と

事実を構造契機として含み︑客体的存在と主体的事実とが相侯って一つの全体となる歴史的統体であり︑存在と事実との

矛盾・対立を通じて運動・発展する︒現実の歴史的発展の構造を明らかにし︑﹁存在の歴史性﹂を解明する﹁歴史の論理﹂

として︑そして同時に︑﹁歴史を作る行為の立場﹂に立つ﹁行為の論理﹂として︑弁証法を構築すること  ﹃歴史哲学﹄      ヘ  へ ける三木のモティフの一つはここにある︒

木が構想する弁証法の原イメージは︑すでに若き日の草稿﹁語られざる哲学﹂︵大正八年七月︶のなかで︑心理現象

と﹁闇そのもの﹂との﹁立体的な従の関係﹂に関する確信という形で︑心理的︑主観的なタームで綴られている︒︵第一

〇1一頁参看︶この確信は処女作﹃パスカルに於ける人間の研究﹄︵大正一五年︶のなかで︑パスカルにおけるデ

ィアレクティクの分析に即して確証され︑低次の秩序と高次の秩序︑﹁現実﹂と﹁現実の理由﹂︑﹁象徴﹂と﹁象徴﹂され

るものとのディアレクティクとして理論的に表現されるにいたった︒︵第一巻一八九頁参看︶ここに﹁人間学﹂的な表現

えたディアレクティクの形姿こそ︑三木が構想する弁証法の原形であり︑それは前掲の﹁弁証法に於ける自由と必然﹂︑

証 法の存在論的解明﹂︵昭和六年五月︶のなかで︑﹁秩序の論理﹂として具体化されてゆく︒しかもまた同時に︑その

で︑マルクス主義との接触と唯物史観の研究に促されて︑三木は歴史的存在の論理を︑しかも歴史を﹁作る﹂立場か

ら構築する方向で︑みずからの弁証法の構想を具体化しようとしたのである︒既に﹁成つてある﹂歴史的累積の﹁存在﹂

して︑﹁成りつつある﹂新しいものに人間は歴史形成の主体として︑実践的時間的﹁未来﹂に媒介された﹁現在﹂の

(10)

て︑いかにして参画しうるか  これを追究する方向で構築されるのが︑存在と事実とのダイナミズムに立つ

で あった︒

ここで︑﹁歴史の論理﹂・﹁行為の論理﹂としての三木の弁証法を︑その内実に少しく立ち入って検討しよう︒

    ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ      ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

   ﹁存在と存在の根拠との間に於ける弁証法的関係は存在そのもののうちに現はれる弁証法的関係の基礎である︒存在と

しての歴史そのもののうちに弁証法的関係が見出されるのであるが︑かやうな弁証法的関係の根抵となつてそれを現出せ

しめるものは︑もとより事実としての歴史と存在としての歴史との間に於ける弁証法的関係である︒﹂︵九五頁︒傍点は原

文   以下同様︶ここでは︑物質的生産力と社会的生産関係との矛盾に関するマルクスの唯物史観の﹁公式﹂の一部が︑

木哲学のカテゴリーに翻訳されて援用されている︒現実的なものは存在とその根拠とを構造契機として含み︑両者の矛

盾・対立を通じて運動・発展するが︑この矛盾・対立は存在そのものの弁証法的関係として現出する︒それゆえ︑存在は

自身の法則性をもって発展する傾向を有する︒これが弁証法に関する原理的な﹁根本命題﹂である︒

ところで︑人間は主体的事実であると同時に客体的存在でもある︒彼は主体的事実として事実としての歴史に︑客体的

として存在としての歴史に属する︒﹁人間は現実的なものとして主体11客体の統一である︒この統一は対立に於ける

統一であり︑従つて人間はその本性に於て弁証的なものである︒人間は自己を絶えず二つのものに分裂し︑分裂しつつ統  一である︒かかるものとして人間は運動的︑発展的である︒⁝⁝人間はみつから存在としての歴史に属し︑これによって

され︑制約される方面を有する︒⁝⁝人間は歴史的存在である︒歴史的存在として人間はまつ自然の制約のもとに立

 つてゐる︒⁝⁝然し最も特有なのは︑人間の生産物が生産者たる人間自身を規定し︑支配するに至るといふことである︒

 かやうな生産物といふのは彼らの物質的な生産物に限られず︑彼らの観念的な生産物がまたさうである︒一般的に云へぽ︑

9 史は人間の被造物でありながら︑創造者たる人間を隷属せしめる︒かやうな圧迫を越えての発展即ち真の歴史があるた

(11)

0 めには⁝⁝事実そのものが真に運動的︑発展的と見られねばならぬ︒L︵二四ニー三頁︶1

さて︑右にみた弁証法の﹁根本命題﹂︑﹁主体‖客体の統一﹂という人間の規定︑および存在の﹁物象化﹂現象に関する       ヘ  へ 木の叙述は︑マルクスおよびルカーチへの問題関心を保持しながら行なわれていることは明らかである︒だが︑既に別

摘したことであるが︑三木の﹁行為﹂の立場は︑既に﹁成つてある﹂ものが歴史的累積として担う﹁幻想的対

象性﹂を克服しようとする不断の過程といかにかかわるのか︑その論理的接点を見出さずに終っている︒しかしながら︑

今ここで留目すべきことは︑﹃歴史哲学﹄においてはじめて︑﹁新しい歴史哲学は何よりも歴史そのものを作る行為の立場

らぬ﹂という問題視点が設定され︑﹁行為の立場﹂が強調されるにいたったことである︒行為を可能に

す るのは︑コ一重の超越﹂であるとして︑三本は次のように述べている︒

   ﹁人間は凡て﹃歴史人﹄︑即ち歴史を作りつつある人間である︒行為の立場は︑これを徹底するとき︑意識の立場︑従つ

   き破る︒このことはひとり︑普通云はれるやうに︑行為の立場は行為の対象として意識を超越する

   ﹃存在﹄を認めねぽならぬことを意味するのではない︒それは単に前面に於て意識を超越する客体をぼかりではなく︑更

背後に於て意識を超越する主体たる﹃事実﹄を認めることなしには真に行為の立場であることが出来ない︒かくの如き

     ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ初めて行為の立場を成立せしめるのである︒﹂︵一七八頁︶

   ﹁事実は一方主体的に自己を意識に於て表出するにとどまらず︑他方客体的に自己を存在に於て実現する︒事実は行為

るものとして意識のうちに閉じ込められてゐるのでなく︑意識を超出して自己を存在に於て客観化する︒﹂︵二三五頁︶

  しかしながら︑﹁秩序の論理﹂としての弁証法を新たに歴史を﹁作る﹂立場から﹁行為の論理﹂として具体化しようと るモティフにもかかわらず︑﹃歴史哲学﹄においては︑﹁歴史を作る行為﹂の構造解明の作業はようやく端緒に着いたと       ヘ  ヘ  ヘ  へ ころで終っている︒それは︑﹃歴史哲学﹄のモティフに関するかぎり︑この著作におけるもう一つのモティフをなしてい

(12)

る﹁歴史的意識の理論﹂の構想と︑﹁史観﹂に構造を与える﹁歴史の人間学﹂の解明のための作業に︑より多くのエネル

ーが費やされたためであるといえよう︒以下︑章をあらためて︑この点を考察しよう︒

丑 歴史の人間学

歴 史哲学とは何かをめぐって︑三木は次のように述べてている︒

   ﹁フソボルトとマルクスとに於ては⁝⁝歴史を理解する立場が異つてゐる︒然しフンボルトは近代の歴史的意識を豊か

   現した人と見られてをり︑マルクスもまた固より発達せる歴史的意識を体現せる人であつた︒そこで注意すべきこと

  は︑歴史的意識は歴史を単に平面的なものとしてではなく寧ろつねに立体的なものとして考へてゐるといふことである︒

ぽ︑それは歴史のうちに︑或はイデーとその現象︑或は下部建築たる物質的生産的生活と上部建築たるイデオロ

詣  

ーといふ風に︑いはぽ階層組織を考へてゐる︒このことは︑我々の意見によれば︑根本的には︑歴史が事実としての歴

史と存在としての歴史といふ二重のものであることから来るのであって︑この二重のものの一定の史観にもとつく解明と

して現はれるのである︒フンボルトのやうな歴史の見方は観念論的な史観と云はれ︑マルクスの如き歴史の把握の仕方は

な史観と云はれる・二人の史曹かく対⊥巻るにも拘らず・共握史的意識を有したと云はれ得るならぽ・﹃歴

意 識﹄の概念が﹃史観﹄の概念に対して或る形式的な意味のものであることは明らかであらう︒⁝⁝我々はヘーゲル︑

ボルト等の観念論的な史観及びマルクス主義の唯物論的な史観に共通な歴史的意識一般の理論といふものを考へるこ

      ヘ  ヘ  ヘ  へ とが出来︑且つこのやうな理論を打ち建てることが出来よう︒歴史哲学とはかかる歴史的意識の理論である︑と定義され

ー てもよい︒⁝⁝歴史的意識の理論は史観が唯物論的であるべきか︑それとも観念論的であるべきかを決定する︒﹂︵五一ー

(13)

2 三頁︶1    しからぽ︑このように歴史的意識の理論として構想されるべき歴史哲学の重要な課題はどこにあるか︒さらに︑三木を    して語らしめよう︒

    三層重要な点は︑等しく歴史的意識を含むとせられる史観に於て︑唯物論的と観念論的とが区別せられるといふこと

 でなければならぬ︒この区別は存在としての歴史に於て何が優越な意味に於ける存在として決定されるかといふことに関

る︒或は非感性的なイデーが︑或は感性的な物質がそのやうなものとして決定される︒即ち存在論的決定と我々の称

   するものが各々の史観のうちには含まれてゐるのであつて︑このものが史観の性質を規定する︒然るにいはば客観の側に

  る﹃存在論的決定﹄に主観の側に於ては﹃人間学﹄が対応する︒一定の人間学は必ず一定の存在論的決定と結び付く︒

   ⁝⁝主観の側に於ける人間学と客観の側に於ける存在論的決定とは共に事実としての歴史によつて規定され︑従つて両者

 はまたつねに対応の関係にあることになる︒史観の問題といふ空漠な問題は︑このやうにして︑人間学及び存在論的決定

   の問題としてその哲学的内容を明かにされる︒そこで歴史哲学にとつての一つの重要な課題は⁝⁝史観と人間学との連関

       ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

   を明かにすること︑然しとりわけ優越なものの意味を有する歴史的意識を構成するが如き歴史の人間学とは何であるか︑

  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ  

歴 史の存在論的決定とは何であるか︑を示すことである︒L︵五六ー七頁︶

 さて︑歴史的意識の理論︑歴史の人間学に関する考察に立ち入る前に︑次のことを確認しておく︒三木が構想する歴史

的意識の理論は後にみるように︑事実−人間学ーイデナロギーというトリアーデを基本範蒔としており︑このようなもの

   としてそれは︑唯物史観研究において提示された基礎経験ーアントロポロギーーイデオロギーの﹁相互制約の原理﹂に立

 つ﹁理論の系譜学﹂と同じ論理機制に立つものである︒しかるに︑﹃歴史哲学﹄における歴史的意識の理論は︑﹃唯物史観       ヘ  ヘ  へ

   と現代の意識﹄︵昭和三年五月︶において唯物史観という特定の史観に適用されていた﹁理論の系譜学﹂を︑唯物史観を

(14)

      ヘ  へ 含む史観一般の問題にまで拡張して適用しようとするものである︒そうであるとすれぽ︑﹁人間学のマルクス的形態﹂︵昭

      ヘ  ヘ  ヘ      ヘ  ヘ  へ 和二年六月︶から﹃歴史哲学﹄にいたる展開は︑特殊的な史観の理論から普遍的な史観の理論への展開であるといえよう︒

      ヘ   へ   も   ヘ   へ もとよりこの展開は︑三木が構想する﹁人間の自己了解﹂の学としての︽人間学︾のそれ自身の展開ではある︒しかし︑

  右のような展開を促す思想的インパクトとして働く要因があったとすれば︑  もとより断定はできないがーその一つ

は︑彼がかつてハイデルベルクで机を並べて学んだマンハイムの著作﹃イデオロギーとユートピア﹄︵民090°q冨⊆⇒エ

己9巳oおNΦ︶ではなかったであろうか︒﹁知識社会学﹂の成立可能性に関するマンハイムの次のような見解が︑︽人間

学︾の構想を歴史的意識の理論の方向へと具体化するモティフを三木に抱かせる力として働いたのではないかと推測する

ことができる︒

 ﹁分析を行なう者が敵対者の観点ぽかりではなく︑自分自身の観点をも含めてすべての観点をイデオロギーとして分析

る勇気をもつとき︑全体的イデオロギー概念の普遍的な把握がなされていることになる︒われわれの理解の現段階では︑

イデオロギー概念のこうした普遍的な把握を避けることはできず︑この把握の仕方にしたがえぽ︑あらゆる時代の

あらゆる党派の思想はイデオロギー的性格をもっている︒⁝⁝全体的イデオロギー概念の普遍的な把握が出現すると同時

に︑単なるイデオロギー論が発展して知識社会学となる︒かつて一党派の精神的武器であったものは︑社会史・精神史一

群  

般の研究方法となる︒まず︑一定の社会集団が敵対者の諸観念の﹃存在拘束性﹄︵乙ooぎωσqo言a⑦ロげo貫ω一9騨江8呂  臼08﹃目日①江8︶を発見する︒次に︑この事実の承認はすべての集団の思想をその生活条件から発生するものとして捉え

る包括的原理へと練成される︒こうして︑思想に影響を及ぼしうる現実的な社会状況におけるすべての要因を党派的な顧

慮をはなれて分析することが︑社会学的思想史の課題となる︒﹂︵﹈臼Φ巳oひq望騨口臼己古o豆P古﹃§ω冨8臼ひ町国゜ω巨后①ロム

ー 己9ρ零o富8ぴぺ↑°妻≒古庁図○已江9ぴqo自民o西95巳﹂OやO>b°8︶

(15)

4  今ここにマンハイムを引用したのは次の二つの理由による︒第一に︑三木は﹃歴史哲学﹄を執筆する時点で︑すでにマ

   ンハイムのこの著作を幡いているということである︒﹃歴史哲学﹄と同じ年に刊行された﹃社会科学概論﹄のなかで︑三

   木は﹁イデオロギーとユートピアとを対立させることは理論上斉合的でありえず︑且つ無意味に終るであらう﹂︵三一八

   頁︶と批判的言辞を弄しているものの︑素材的にも︑叙述のうえでも︑数ケ所でこのハンガリー人の著作を出典を明示せ

  ずに典拠として使用している︒﹃歴史哲学﹄には︑マンハイムの名前こそ出てこないが︑両者がその論理機制の違いにも    かかわらず︑問題意識を共有しうる問題局面がいくつかあるのであり︑その一つが右にふれた点である︒第二に︑唯物史

   を一箇の﹁イデオロギー﹂として捉える三木にマルクス主義そのものの歴史的被制約性を教示した者がいたとすれば︑

   その一人がマンハイムではなかったということである︒﹁社会学者としてわれわれが︑マルクス主義が産み出した見解を    マルクス主義に適用してはならないとか︑それのイデオロギー的性格を指摘してはならないとかいう理由はない︒﹂︵︷臣画こ

  O﹈巳゜90°ΦΦーベO°巳9づ゜陪O︶このような形で表明されるにいたる問題関心を︑ハイデルベルク滞在中の三木はその

師から開陳されたのではないであろうか︒少なくとも︑三木における﹁理論の系譜学﹂の構想は次のようなマンハ       ボ デン  イムの課題設定と︑哲学思想をその生成の入地盤︾から把握しようとする問題関心と視方向とに関するかぎり︑共同歩調

 に立つものであったといえよう︒﹁この手続き︵11すべての思想を﹁存在拘束性﹂の観点から取扱うこと  引用者︶が

  大いに明らかにしてくれることは︑すべての形態の歴史的・政治的思想は思想家と思想家が属する集団の存在状況によっ    て本質的に規定されているということである︒この洞察を政治的外皮をまとったその一面的なあり方から解放すること︑

 そして︑人がどのように歴史を考察するか︑人が所与の事実から全体的状況をどのように解釈するかは︑その人が社会の

   内部で占める位置にかかっているという命題を体系的に仕上げることが︑われわれの課題である︒どのような歴史的・政

治的貢献の場合にも︑諸対象がいかなる立場から観察されたかを確定することが可能なのである︒﹂︵ま声臼ごU°﹂ご︶

(16)

以上のような三木とマンハイムとの内的連関を確認したうえで︑以下︑三木の歴史哲学の基本構図を検討することにし

  よう︒

    まず︑歴史的意識の理論についてであるが︑事実︑歴史的意識・史観︑存在としての歴史︑およびロゴスとしての歴史

叙 述︶がそれぞれいかなる﹁相互制約﹂の関係に立つかに即して︑その基本構造をみる︒

       ヘ  へ   

意 識とは︑﹁優越な︑規範的な意味に於ける﹂﹁価値評価的な﹂歴史の意識のことであるが︑これは事実一般から

なく︑事実のなかでも﹁歴史の基礎経験﹂と名付けられる﹁優越な意味に於ける﹂事実から与えられる︒右の﹁相互

  制約﹂の関係について︑三木は次のように書いている︒

    ﹁かくて優越的なものの意味を担ふ歴史的意識は︑事実としての歴史︑特にその優越なものであるところの歴史の基礎

験によつて規定されて与へられる︒歴史的意識は︑それが意識の名をもって称せられるにしても︑ロゴスとしての歴史

と同位のものであるのではなく︑却てこれの根抵にあつてこれを規定するのである︒前者は後者に対して根源的な︑従つ

贈  

と云はれ得る意識である︒然しまた歴史的意識は存在としての歴史に就いてそれをその存在に於て示し︑その本

来の歴史性に於て顕はにするものである︒⁝⁝いま歴史叙述がかやうな哲学的な︑世界観的な意識によつて規定されると

ことは一般に如何なる意味を有するであらうか︒歴史的意識は根源的には事実によつて規定される︒然るに事実は存

  在に対して主体的なものの意味を担ふ︒従つてこの哲学的意識に於ける固有なるものは︑それが主体的事実を表出してゐ

るところに求められねぽならぬ︒かくて歴史叙述は一方に於て存在としての歴史を模写する関係を通じて客観的存在によ

 つて規定されると共に︑他方に於て歴史的意識によつて規定される関係を通じて主体的事実を表出する︒ロゴスとしての

      ヘ  ヘ       ヘ  へ   史は存在としての歴史を模写すると同時に事実としての歴史を表出する︒しかもそれが如何に前者を模写するかといふ

5       ︵注︶1於て表出される後者によつて根源的に規定されるのである︒﹂︵四九頁︶

(17)

       ヘ  へ6  ところで︑歴史的意識が﹁形式的﹂な意味を担うのに対して︑史観は﹁内容的﹂な意味を有する︒形式的であれ︑内容      ヘ  ヘ  ヘ  へあれ︑両者は同じ秩序に位する︒前者が﹁根源的﹂﹁哲学的﹂といわれる意識であるのと同様︑後老は﹁凡ての歴史叙

述の根抵につねに含まれる或る歴史的なもの﹂と規定される︒︵五五頁︶こうした史観の固有の本性はいかなる点にある

   のか︒﹁史観の固有なる本性は︑それが客体的なものを模写してゐるところに見らるべきでなく︑寧ろ主体的なものを自

うちに表出してゐるところに捉へらるべきである︒かかるものとしてそれはロゴスとしての歴史よりも根源的な意味

   もつ意識なのである︒存在の問題が如何に把握されるかといふことも史観を通じて事実としての歴史によつて規定され

  る︒そして歴史叙述はその根抵に於て史観に規定されることによつてイデオロギーとしての性格を担はせられることにな

る︒蓋しイデオロギーといふ言葉は︑ロゴスが単に客体的なものを模写するにとどまらず︑同時に主体的なものを自己の

  うちに表出し且つそれが如何に前者を模写するかの仕方そのものがかかる主体的なものによつて規定されているといふご

       ︵注︶ とを表はしている.﹂︵二〇三頁︶

さて次に︑歴史の人間学についてみる︒﹁史観そのもののうちに含まれ︑それに一定の構造を与へるのは根本的には人       ヘ  ヘ  へ   間学である︒﹂︵二二〇︶歴史の人間学は︑歴史の人間学として︑史観のうちに織り込まれつつ︑歴史叙述を規定する︒そ

      ヘ  ヘ  へまた︑歴史の人間学として︑基礎経験ーアントロポロギーーイデオロギーのトリアーデにおけるアントロボギーに対

る︒ここに人間学というのは︑﹁何等かの学的に加工され︑組織された人間に関する理論﹂を指すのではなく︑﹁最初

して根源的にはいはば或る人間直観を意味する﹂︒その意味において︑﹁人間学は人間の現実の生活の中から生れ︑い

  彼等の現実的な生活意識としてつねに既に成立してゐる︒﹂︵二三〇1一頁︶このようなものとしてそれは︑人間につての

  

学 問的︑理論的な探究としての﹁哲学的人間学﹂から区別されなければならない︒

は︑このような人間学が歴史叙述を規定的に制約するとはいかなることか︒第一に︑それは︑﹁それ自身或る一

(18)

定の人間学によつて規定される歴史的出来事そのものの限界に関する見方は︑次に自分の側から︑歴史叙述の本来の作業

何であるかといふそれの理論上の限界に関する見方を規定し︑そしてこのものも更に︑歴史叙述の実際上の可能性

界が何処にあるかに関する見方を規定する﹂ということである︒︵二一九頁︶しかし第二に︑根源的には︑イデオロ

ーとしての性格を担う歴史叙述という﹁学問における存在論上の態度国ぎω9一巨⇒σq﹂は︑無意識的無自覚的に行なわれ

る根源的な﹁存在論的決定﹂によって根抵的に規定されており︑いかなる方向に存在論的決定がなされるかはいかなる人

間学がとられるかに対応するということである︒﹁歴史的な見方は現実存在をもつて優越な意味に於ける存在として決定

ることにより初めて具体的に成立する︒そこには我々のいふ現実存在の方向に於ける存在論的決定が含まれてゐるので

なければならぬ︒これに反しもしも本質存在の方向に存在論的決定がなされる場合には︑他の点に関してどれほど深く歴

  史的な見方がなされているにしても︑究極に於てそれも非歴史的な見方に終らざるを得ない︒﹂︵二四六頁︶現実存在の方

  向における存在論的決定に対応するのは︑人間を客体的存在としてと同時に主体的事実としても捉え︑しかも存在・事実

 の両面における社会的なものとして把握する存在的・存在論的な人間学でなけれぽならない︒

 ところで︑ここで看過されてならない点は︑右にみたような人間学の解明へと三木をかりたてたのは︑思想相互の︑ま

解の共通の基盤となる人間学が不在であるという︑現代社会の歴史的状況に関する診断であるということ

鍵  

ある︒﹁今日哲学的人間学が特別に関心を惹き起こすのは︑従来の各々の時代には暗黙の間に普遍的に認められてゐた  一定の人間学があり︑このものが凡ての場合に於て議論にのぼるまでもない無意識的な且つ自明的な前提としてはたらき︑

あらゆるイデオロギーがその上に立つ共通の地盤をなしてゐたことの反証であり︑そして我々の時代はもはやかくの如き

な︑自明的な︑そこでまた特に論議されるに至ることもないといふやうな人間学を有しないことの証拠である︒人間

− は神の被造物であり︑凡ての者はアダムの子であるといふことが普遍的に受取られてゐた時代があつた︒今日かやうな

(19)

8 08・︒⑦pω已ωσqo暮芦旨としての人間の見方は失はれてゐる︒⁝⁝イデオロギーの対立は根源的には人間学の対立である︒1 して今日人間がかくも問題的となつたといふことは︑我々の時代がまさに社会の転形期であるといふことの徴候のひと

 つと見られることができる︒L︵二二二ー三頁︶﹁人間学の危機はあらゆるイデオロギーにとつての基礎の危機である︒そ

 してそれは単に論理的な基礎に関係するのではないだけ一層危機的である︒﹂︵二二四頁︒二三八頁参看︶

 マンハイムは︑﹁思想の危機は単に一つの知的立場に影響を及ぼすにすぎない危機ではなく︑知的精神的発展のある特

定の段階に到達した世界全体の危機である﹂との時代認識を示したうえで︑﹁われわれの社会的・知的精神的生活が陥っ

 ている混乱をより明確に認識することは︑損失というよりむしろ︑豊富になることである﹂と述べて︵8°o芦も゜㊤ω1膳︶︑

として現代の知的状況に対応しようとした︒三木の︽人間学︾の構想は︑人間学という共通の基盤の喪

という時代認識をふまえた︑新しい﹁人間の定義﹂を探求する方向で現代と向き会おうとする志操の理論的な表現であ

   ったのである︒

皿 ﹃歴史哲学﹄以後

上︑ω存在と事実との区別︑両者のダイナミズムに立つ﹁秩序の論理﹂としての弁証法︑②歴史的意識の理論︑歴史

間学の二点に論点をしぼり︑これに即して﹃歴史哲学﹄における﹁三木哲学﹂の展開を検討してきた︒最後に︑﹃歴

史哲学﹄以後の展開の方向を見定める意味から︑次の二点を記しておきたい︒

ω  1で述べた如く︑﹁秩序の論理﹂を新たに歴史を﹁作る﹂立場から﹁行為の論理﹂として具体化しようとするモテ

ィフにもかかわらず︑﹃歴史哲学﹄においては︑﹁歴史を作る行為﹂の構造解明の作業はようやく端緒に着いたところで終

(20)

 っている︒本稿で取り上げたマンハイムとの関連に即していえぽ︑三木が﹁瞬間﹂としての﹁事実﹂的時間たる﹁現在﹂

 からの﹁行為﹂を理論的に解明する作業に着手したのは︑次のようなマンハイムの問題設定を自分自身の思想課題として

  引きうけようとする志向からであったといえよう︒﹁政治的行為は︑生成の過程にあるかぎりでの国家と社会にかかわる︒

  政治的行為は次のような過程︑すなわち︑どの瞬間も独自の状況を創造し︑たえず流動している諸力のなかから恒久的な

もつものを引き出すような過程に向き会っている︒したがって問題は︑﹃このような生成︑創造的な行為について

   の科学は存在するか﹄ということである︒⁝⁝︵社会的なものの領域において︶すでに生成したもの︵≦げ9冨ω①旨$身  ぴooo日o︶と生成しつつある過程にあるもの︵笥9二ω芦日o買08ωωohσ08日﹂R︶との対照はいかなる意味を有す

るのか︒﹂︵一σ一△°︑づ゜﹈°OO︶マンハイムは前者を﹁合理化された﹂社会構造と︑後者を﹁非合理的な﹂行動母胎と呼ぶ︒これ

らは︑三木が﹁成つてある︵︹︸Φ♂<○﹁亀Φ昌ωO﹂昌︶こと﹂と﹁成りつつ在る︵≦Φ昆Φ口︶こと﹂として設けた﹁在る︵oりoぎ︶

   こと﹂の二様の区別と対応する︒︵﹁理論 歴史 政策﹂︑昭和三年一一月︑第三巻二九三頁参照︶またマンハイムは︑﹁瞬

とは﹃ここと今﹄における非合理的な要素以外の何ものでもない﹂ともいう︒︵℃°巳SoひO°﹂ωべ︶三木はこの﹁非合

素﹂を﹁存在﹂と﹁事実﹂という彼自身の枠組みにおいて捉えかえし︑﹁行為﹂の理論的解明に着手したといっ

て よい・

酵  

 ﹁歴史を作る行為﹂の構造解明の作業がようやく端緒についたところで終っているということは︑この解明の課題が︑

造﹂の論理としての﹁構想力の論理﹂の構築にいたる彼の思想形成の営為にとって一つの重要な課題として残  されたということにほかならない︒この課題を追究する途上で︑三木は古きロゴスに対して新しきパトスの要求を掲げ︑

   パトス的意識︑ミュトス的意識の意義と役割を強調するが︑それは︑マンハイムが﹁存在超越的﹂な﹁ユートピア﹂に付

− 与した現実の既存の秩序を変革する観念としての意義を﹁主体的事実﹂の立場から再構成する営みを意味したともいえよ

(21)

0 う︒﹁人間の思想と行動からユートピア的要素が消失しきるならば︑それは人間本性および人間的発展が全く新しい性格2

   をおびるということを意味するであろう︒ユートピアの消滅は︑人間自身が物以外の何ものでもなくなるような静態的な

る︒﹂︵マンハイム︑b°NωΦ︶

    ② ﹁対立と矛盾とに充ちた現代は︑よし我々にとつて幸福の時ではないにしても︑恐らく最も重大なる世界史的時期    である︒我々はこの時期の意義を把握し︑実現するために︑覚悟するように促がされてゐる︒﹂︵﹃史的観念論の諸問題﹄︑

 昭和四年四月︑﹁序﹂︑第二巻四頁︶先に述べたように︑﹃歴史哲学﹄における︽人間学︾の構想は﹁対立と矛盾に充ちた現

代﹂の認識をふまえた︑新しい﹁人間の定義﹂を探求する方向で現代と向き合おうとする志操の理論的な表現であった︒

  それと同時に︑﹃歴史哲学﹄は︑三木が一九三〇年代における日本の現実とかかわる際の︽時務︾の準拠枠を提供するも

   のであり︑﹁暗い谷間﹂の時代︑そこでの人間と思想の﹁哲学的解明﹂のための理論的枠組みを準備するものであった︒

は︑﹁時代の文化を診断するための社会学的技術﹂︵gωoo一〇宮駐o巴けo口庁巳ρ⊂oS自口冨09⇒oωぎ09夢ooc口斥oo咋ρ⇒

88庁︶として知識社会学を駆使しようとするマンハイムの志向に対応するものであった︒﹁危機意識の哲学的解明﹂︵昭

年一一月︶︑﹁不安の思想とその超克﹂︵昭和八年六月︶︑﹁新しい人間の哲学﹂︵昭和九年七月︶等︑彩しい数の論文・

ら生まれた所産であり︑人間の再生と知性の改造のための処方箋を提示しようとする努力の結晶であっ

  た︒

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