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中国行政監察史論(1986年─1993年)

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中国行政監察史論(1986年─1993年)

On the History of Administrative Supervision in China: 1986─1993

通 山 昭 治

    目   次

  序─中国における党の規律検査と行政監察  一 中国行政監察の自立化の試み

 二 中国行政監察の自立化の中断   小結─中国行政監察の原点の形成

序─中国における党の規律検査と行政監察

 猛威をふるったプロレタリア文化大革命(以下「文革」という)がよう やく終息し,執政党である中国共産党(以下「党」または「中共」とい う)とその規律の再建が初歩的にめざされた1977年に「中国共産党規約」

(以下「党規約」という)が改正された。その第13条第 ₁ 項で,党の中央 委員会,地方の県級以上および軍隊の団級以上の党の委員会における規律 検査委員会(以下「規律委」という)の建国初期以来の再設置が「党規 約」上はじめて定められ,また同条第 ₂ 項で,各級規律委の主な役割など が規定された1)

 ここに,本研究の対象である行政監察機関そのものよりも一足さきに中 央と県級・団級以上における党の規律検査機関の設置が徐々に組織的にす

 所員・中央大学法学部教授

1) 「中国共産党章程」(中国共産党第11回全国代表大会で1977年 ₈ 月18日に採 択)(夏利彪編『中国共産党党章及歴次修正案文本彙編』(2016年 3 月第 ₁ 版,

法律出版社,以下『文本彙編』という),219頁。

(2)

すめられることが「党規約」レベルですでに規範化されていたのである。

 そして実際に,建国30周年を翌年にひかえた中華人民共和国(以下「中 国」という)で今日すでに40周年をむかえた改革開放政策の実施にむけて ようやく舵取りがなされたとされる1978年12月の段階において,党の11期 3 中総会で中央規律委の設置が決定された2)ことは党とその規律の再建に とって象徴的なできごとであった。

 なお,その主要な任務は,①「党の規約およびその他の重要な規則制 度」の擁護,②「党の路線方針政策の施行状況」の検査,③党員にたいす る規律遵守教育(以下「党員の教育」という),④「党の組織および党員」

による「党規約・党の規律違反の重要な,または比較的に重要な事件」の 検査および処理,⑤「党員の告訴告発および不服申し立て」(以下「党員 の告訴等」という)の受理という ₅ 項目であった3)

 具体的に党の中央レベルでは,中共中央規律委「第 ₁ 回総会通告」(1979 年 ₁ 月26日)によれば,前述の第11期第 3 回中央委員会総会で選出された 中央規律委は,第 ₁ 回総会を1979年 ₁ 月 4 日から22日まで首都北京で開催 し,みずからの「『業務上の任務,職権の範囲,機構の設置にかんする中 共中央規律検査委員会の規定』を討論し,あわせて採択した」4)という。

 さらにその後,1979年 ₁ 月26日に,「中央規律委は『業務上の任務,職 権の範囲,機構の設置にかんする中共中央規律検査委員会の規定』を下達 発布した」5)とされる。

 そこでより具体的に確認された党の規律委の基本的任務は当時の時代的 な特徴を反映して,①「文革」で著しく蹂躙された「党規党法」の擁護と

2) 「中共中央紀律検査委員会」(本書編委会編『中華人民共和国国史全鑑』第 ₅

巻(1976─1988),1996年 4 月第 ₁ 版, 団結出版社, 以下『全鑑』 という),

5272頁。

3) 同上。

4) 「中共中央紀律検査委員会第一次全会通告」(1979年 ₁ 月26日)(『全鑑』),

5382─5385頁,5382頁。なお,原載は『人民日報』1979年 3 月25日である。

5) 中央紀委国家監委研究室編『改革開放40年紀検監察工作紀事』(2018年12月

第 ₁ 版,中国方正出版社,以下『工作紀事』という), 4 頁。

(3)

②「党員の権利」の保護,そして③いわゆる「党員の革命的な熱情および 活動上の積極性」の発揚,さらに④「党の規律に違反し,党のすぐれた伝 統を破壊する一切のよくない傾向と」の闘争,⑤各級党委における党の作 風の適切な構築への協力援助6)の ₅ 項目とされた。

 また党の地方レベルでは,同年 3 月 4 日に,「中央規律委・中央組織部 は『規律検査委員会の設置に関係する問題にかんする通知』を発出し」,

省および県の各級党委員会における規律委の設置,地区党委における規律 検査組の成立が求められた7)

 そして,同年 4 月25日に「中央規律委および中央組織部は『各級規律検 査機構をすみやかに樹立し健全なものにすることにかんする意見』を下達 発布し」, 省・ 市・ 自治区・ 地区・ 州・ 県の党委の規律委や規律検査組

(設置準備組を含む)の樹立が党の人事権にかかわる中央組織部もくわわ り,1979年 ₅ 月末までにあまねく正式になされることが求められた8)ので ある。

 一方で鄧小平が主導権をにぎってから最初に開かれた第12回党大会で改 正された1982年「党規約」では,「第 ₇ 章 党の規律」(第38条~第42条),

「第 ₈ 章 党の規律検査機関」(第43条~第45条),「第 ₉ 章 党組」(第46 条~第48条)などが独立した章としてそれぞれ定められた9)

 すなわちまず当時,「法紀」(公務員犯罪などの刑法規範の一部)等を担 当する検察機関はすでに再建されていたものの,国家の行政監察機関の 1950年代以来の再建がまだなされていないこともあって,その意味で過渡 的な1982年「党規約」第38条第 3 項では,①「行政規律・国法に違反する 党員」にたいする行政機関や司法機関による行政規律や法律に依拠した処 理という党政機関や司法機関との連携が明記され,さらに,②司法機関に

6) 同上。

7) 同上, ₅ 頁。

8) 同上, ₆ 頁。

9) 「中国共産党章程」(中国共産党第12回全国代表大会で1982年 ₉ 月 ₆ 日に採

択)(『文本彙編』),255─259頁。

(4)

かかわる「刑罰法規に由々しくふれた党員」の党籍剝奪が必須とされた。

なお同第39条第 ₁ 項では,党の規律処分を行うさいに,党外の組織にたい する党外職務解除の建議までもが党の規律委の役割に含まれていた10)  ここで,①の「行政規律・国法に違反する党員」で,国家機関勤務員等 の場合はのちにみるように,再建される行政監察機関によって「党政分 業」のもとでそれぞれ処理されることが,組織的には当然想定されたわけ である。

 また,②の「刑罰法規に由々しくふれた党員」については,国家監察委 員会が登場した今日と比べてより積極的に国家の検察機関が関与すること になるが,国家機関や当時の国営企業等をも含む党外組織における党員の 党外職務の解除にたいする党の規律検査機関のかかわり方こそが司法機関 や党政機関との役割分担にとって重要な問題であろう。なお本研究では,

こうした司法機関との関係は残念ながら割愛せざるをえず,党政機関の関 係に絞ってみていくことにする。

 ついで,郷鎮級である(最)基層レベルにかかわる同第43条第 3 項で は,党の基層委員会レベルに規律委や規律検査委員(以下「規律委機構」

という)を置き,党の総支部委員会・支部委員会レベルには規律検査委員 を設けるとされた。つまり,郷鎮級の地方レベルの党組織についてまでこ の段階ですでに関連規定が設けられている点には注意を要しよう11)  ちなみに本研究で重要な中央レベルの国家機関については,同条第 4 項 で,中央から郷鎮までの直系で縦系列の党の規律委機構とはべつに,党の 中央規律委「は業務の必要にもとづき,中央レベルの党および国家機関に たいして」,規律検査組や規律検査員(以下「規律組機構」という)を派 遣し駐留させ,同「組組長または規律検査員は当該機関における党の指導

10) 同上,255─256頁。

11) 同上,257頁。なお『工作紀事』における1982年 ₉ 月14日の胡喬木の説明に

よれば,「比較的に大きい基層組織に」規律委を,「比較的に小さい基層組織

に」規律検査委員をそれぞれ置くとされている(34─35頁)。

(5)

組織の関係する会議に列席することができる」と規定された12)

 すなわち,国家行政監察機関が再建されるに先立って,省レベルにおけ る党の規律組機構等の存廃がのちに争点化されることになる,中央や省な どにおける国家機関にたいする傍系である党の規律組機構の派遣駐留(出 向)がすでに先行されていたわけである。この点でそれを許容する「党政 分業」か,それを許容しない「党政分離」かがのちに問われることにな る。

 また,同第44条第 ₁ 項で定める党の中央および地方各級規律委の主要な 任務には,①「党の規約およびその他の重要な規則制度」の擁護,②「党 の委員会に協力援助して」の「党の作風」の整頓にくわえて,③より広範 な「党の路線,方針,政策および決議の執行状況」(以下「党の路線等」

という)の検査13)という 3 項目がそれぞれ含まれ,前述の1978年12月の ₅ 項目から ₂ 項目(党員の教育と党員の告訴等)が削除された。

 つまり,前述の1979年 ₁ 月の「規定」にみられた「党員の革命的な熱情 および活動上の積極性」の発揚や「党のすぐれた伝統」の破壊との闘争な どが党員の教育や「党員の権利」の保護とともにこの「党規約」にはすで に含まれていない一方で,決議を含む「党の路線等」のより広範な検査業 務がここで追加された点は示唆的であろう。

 ちなみに「国家の法律法令」違反にかかわって,同第44条第 ₂ 項では,

中央および地方各級の規律委の任務には,「党の組織および党員が党規 約・党の規律および国家の法律法令に違反する比較的重要か,または複雑 な事件を検査および処理」することも含まれていた14)

 ここでも,国家の行政監察機関の再建がまだなされていないなかで,

「国家の法律法令」違反を行った党員にたいする党の規律委による検査処 理権の存在が無条件に想定されていたわけである。なお,その意味で後発 の行政監察機関の設置後はのちにみるように,重複または交叉する両者の

12) 『文本彙編』,257─258頁。

13) 同上,258頁。

14) 同上。

(6)

役割分担における諸条件の内容自体やその統合による効率化などといった 問題がきわめて重要となる。

 さらに,のちの「党政分離」ではかえって不要だが,ここでの「党政分 業」における組織的な象徴である「第 ₉ 章 党組」にかんする第46条の規 定には,「中央および地方の国家機関,人民団体,経済組織,文化組織ま たはその他の非党組織の指導(原文は強制力のある指導である「領導」)

機関」における「党組」の成立が定められた15)

 他方で,1982年 ₉ 月の胡燿邦の政治報告では16), 前掲の1982年「党規 約」総綱の最後の段落17)に追加された「『党はかならず憲法および法律の 範囲内で活動しなければならない』という新党規約の規定は, ₁ つのきわ めて重要な原則であ」り,「中央から基層まで,一切の党組織および党員 の活動はすべて国家の憲法および法律にあい抵触してはなら」ず,「党は 人民の一部分であ」り,「党が人民を指導(「領導」)して憲法および法律 を制定し,ひとたび国家権力機関の採択をへたならば,全党はかならず厳 格に遵守しなければならない」18)とされたことはのちの趙紫陽報告につな がる点でもやはり重要であろう。

 そして,「党はかならず憲法および法律の範囲内で活動しなければなら ない」という「人民の一部分」である党による自己制約をかかげるいわば 中国式の「社会主義的憲政」19)をめざして,前述の「党規約」を受けて制

15) 同上,258─259頁。なお,同第48条ではさらに,「したに属する単位にたいし て高度に集中した統一的な指導を実行する必要がある国家業務部門」におけ る,「党組の職権および業務上の任務ならびにこれらの部門の党組を党の委員 会に改めるかどうかについては,中央がべつに定める」(259頁)とされてい る。

16) 胡燿邦「全面開戧社会主義現代化建設的新局面─在中国共産党第十二次全国 代表大会上的報告」(1982年 ₉ 月 ₁ 日)(『紅旗』1982年第18期,以下「胡報告」

という), ₆ ─30頁。

17) 1982年「党規約」(同上),33頁(『文本彙編』,242頁)。

18) 「胡報告」,19頁。

19) 「(社会主義的)憲政肯定論」についてはさしあたり,拙稿「中国憲法30年

(7)

定された「中華人民共和国憲法」(1982年12月 4 日)で行政監察にかんす る規定がはじめて中国の憲法上設けられたのである。そこでは,国務院な どの権限を定めたその第89条第 ₈ 号における「監察等の業務」の指導(「領 導」)と管理,同第107条第 ₁ 項における「県級以上の地方各級人民政府は 法律が規定する権限にしたがい,その行政区域内の」「監察・計画出産等 の行政業務を管理」するという規定20)がそれぞれ定められ,本研究の主題 である行政監察にかんする憲法上の一定の根拠規定がここにととのえられ たのである。

 なお,前述の「党組」(党委)の設置については,のちの「党政分離」

を旗幟鮮明にかかげた1987年の13回党大会における党と国家・政府の関係 として理想的な「党規約」の改正(第46条)で「中央および地方の国家機 関」が「各級人民代表大会」に限定されたほかに,「政治協商会議,人民 団体およびその他の非党の組織における選挙によって選出された指導機 関」にも「選挙によって選出された」という限定がふされたが21),いまだ になぞの多い1989年の第 ₂ 次天安門事件後のいわゆる「逆コース」へとむ かう画期となる1992年の14回党大会における現実的な「党規約」 の改正 で,さきの ₂ つの限定がはずされ,「党政分業」のもとの方向性に戻され たのであった22)。幸か不幸かこの時期にさしあたり,後述の中国行政監察 の ₅ つの原点が形成されることとなったのである。

 さてまえおきはこれくらいにして,早速本論にはいることにしよう。

(1982年─2012年)とその後」(『比較法雑誌』第50巻第 ₁ 号,2016年 ₆ 月,156─

164頁)等を参照願いたい。

20) 「《中華人民共和国憲法》有関監察工作的条款」(この憲法は1982年12月 4 日 に第 ₅ 期全国人民代表大会第 ₅ 回会議で採択,同日公布施行)(中華人民共和 国監察部編『中国監察年鑑(1987─1991)』,1993年 ₁ 月第 ₁ 版,中国政法大学 出版社,以下『年鑑』という), 3 頁。

21) 「中国共産党章程部分条文修正案」(1987年11月 ₁ 日に中国共産党第13回全国 代表大会で採択)(『文本彙編』),263頁。

22) 「中国共産党章程」(中国共産党第14回全国代表大会で一部改正が1992年10月

18日に採択,以下1992年「党規約」という)(同上),287頁。

(8)

一 中国行政監察の自立化の試み

1)行政監察機関の再建と「趙紫陽報告」

 1949年から1959年までの建国初期にかつて存在した中国の行政監察制度 は,それから約27年後,文革における「混乱の収拾」をへて改革開放政策 が実施に移されるなかでここでも党の規律委とペアで再建されることとな った。つまりそれは,これまでの党の規律検査のほかに,1982年憲法の上 記の規定にもとづいた国家の行政監察機関の再建という形で,国家機関勤 務員等を担当する党員における党政機関等での人的重複や職権の交叉をい とわずに,旧ソ連を中心とする社会主義体制の改革が本格的に始まった 1986年末から1987年にかけてようやく実施に移されるようになったのであ る。

 すなわち, ①1986年12月 ₂ 日に, 全国人民代表大会常務委員会(以下

「全国人大常務委」という)は監察部の設置を決定し,②翌1987年 ₅ 月27 日に,「党中央委員会は,尉健行を監察部党組書記に」決定するなどし,

③同年 ₆ 月23日に,国家主席令により,全国人大常務委の決定にもとづ き,尉健行を監察部部長に任命するなどした。そして,④同年 ₇ 月 ₁ 日 に,「監察部は正式に対外的に事務を行った」という。⑤同年 ₈ 月15日に,

「国務院は県以上の地方各級人民政府に行政監察機関を設置することにか んする通知を発出し」,それを受けて,「全国の各省・自治区・直轄市に前 後して監察庁(局)が成立した」23)とする。

23) 「1987年国家行政監察機関及其工作」(『中国法律年鑑(1988)』,《中国法律年 鑑》編輯部,法律出版社,1989年 3 月第 ₁ 版),23頁,ならびに「中華人民共 和国監察工作大事記(1986─1991)」(『年鑑』,1013─1022頁),1013─1014頁。な お,国務院「関於在県以上地方各級人民政府設立行政監察機関的通知」(1987 年 ₈ 月15日)(江必新主編『行政監察法実用全書』(1997年10月第 ₁ 版 人民法 院出版社,以下『全書』という,618─620頁,国発(1987)74号,『年鑑』, ₈ ─

₉ 頁)もある。

(9)

 旧ソ連や1950年代の中国における行政監察との異同も重要だが,こうし た党政における中央の人事がなされたあと,行政監察の再生にむけて,監 察部の活動が正式に始動した点は示唆的であろう。ただし,それはまさに 当時の中国における学生運動への対応などを批判されたとされる胡燿邦の 総書記辞任と国務院総理であった趙紫陽の総書記就任という党の最高人事 の変動が生じた1987年 ₁ 月から半年をすぎたばかりのときであった。

 国家行政監察機関の設置について具体的にみると,全国人大常務委の

「監察部を設置することにかんする決定」(節録)(1986年12月 ₂ 日)の附 録の「国家行政監察機関を設置する方案」では,その再建はつぎのように 中央レベルにおいて構想されていた。つまりまず, ₁ .国家行政監察機関 を,「各級人民政府が監察業務に責任を負う専門機構」と明確に位置づけ た(これを「中国行政監察の原点その ₁ 」という)。そして,「国務院は国 家監察部を設置し,県以上の地方各級人民政府は相応の監察部門を設置」

するとしたうえで,「国家監察部は国務院の指導(原文は「領導」,以下同 じ)を受け,地方各級機関は上級の監察機関および所属する人民政府の二 重の指導を受け」,「地方各級監察機関の主要な指導的幹部の任免は,かな らず上級の監察機関の意見を徴し求めなければならない」24)として「垂直 指導」のみではなく,「二重の指導」が規定された(これを「中国行政監 察の原点その ₂ 」という)。

 なお後述のように,二重の指導の原則にもとづいた県級以上の地方行政 監察機関の設置がめざされた点にそもそもその限界がはっきりと示された のであるが。

 つぎにその限界は, ₂ .中央レベルの「国家監察部の監察対象」はまず,

①国務院常務会議を除く,「国務院各部門およびその勤務員」,②「国務院 の主要な責任者」ではなく,「省級人民政府の主要な責任者」,③中央直属 の「企業事業単位において国家行政機関が任命した指導的幹部」(以下

24) 全国人民代表大会常務委員会「関於設立中華人民共和国監察部的決定」(節

録)(1986年12月 ₂ 日に全国人大第 ₆ 期常務委第18回会議で採択)の附:「設立

国家行政監察機関的方案」(『全書』,600─601頁,『年鑑』 3 ─ 4 頁)。

(10)

「被任命幹部」という)の三者である25)点にも垣間見られるのであった。

 そして, 3 .地方レベルの「省級および省が管轄する市級の監察機関の 監察対象」は,①「所属する人民政府各行政部門およびその勤務員」,②

「下級の人民政府の主要な責任者」,③「所属する人民政府に属する」「被 任命幹部」の三者である26)

 さらに 4 .基層レベルの「県級の監察機関の監察対象」は,①「所属す る人民政府各行政部門およびその勤務員」,②「下級の行政機関およびそ の勤務員」,③「所属する政府に属する」「被任命幹部」の三者である27)  ここには,総理をはじめとする国務院の主要な責任者や常務会議構成員 等を除く行政機関勤務員と「被任命幹部」を「行政監察の対象」とすると いう点に限界があった(これを「中国行政監察の原点その 3 」という)。

 また ₅ .その「主要な任務および職責」には,①監察対象による「国家 の政策および法律法規」(以下「国家の政策」等という)の貫徹実施状況 にたいする検査,②監察対象による「国家の政策」等の違反,③行政規律 違反行為にたいする監督処理,④そうした行為にたいする個人または単位 による摘発,告訴告発の受理,監察対象による規律処分への不服申し立て の受理,⑤「行政の序列に照らして国務院による任命をへた要員および地 方人民政府による任命をへた要員の規律処分事項」の審議という ₅ 項目が 型どおり含まれるとされた28)

 すなわち,上記の監察対象における「国家の政策」等の合法性や行政規 律にかんする監督を行うのが行政監察であり,それは1950年代なかごろに 一時期実施された適法性にたいする検察院による一般監督などに一部で類 似するものであるといえる。なお,ここでの「国家の政策」等と「党の政

25) 『全書』,600頁。

26) 同上。

27) 同上。

28) 同上。なお,その権限としては,「検査権」,「調査権」,「建議権」,「一定の

行政処分権」がそれぞれ列挙されている(601頁)。

(11)

策」や今日の「党内法規」29)との関係は,党員である国家機関勤務員等に とってどのようなものかが党の規律検査との関連でのちに問われるのであ るが。

 こうした行政監察機関の再建自体が実はタイミング的にも「党政分業」

から「党政分離」へというにわかに党の総書記を担当することになった趙 紫陽の主導による後述の政治改革の一環とも重なったのである。

 つまりそれは,1987年10月の趙紫陽報告において,「党政分離を実行す る」ことが13回党大会で強調された点に直截に現れている。すなわち,

「党政分離はすなわち党政の職能の分離であ」り,「党は人民を指導(原文 は「領導」)して憲法および法律を制定し,党は憲法および法律の範囲内 で活動しなければならない」としたうえで,党の規律委「は『法紀』およ び行政規律事件を処理せず,力を集中して党の規律を立派に管理し,党委 に協力援助して党の作風を立派に管理させなければならない」30)とされた。

 この象徴的な存在のひとつが前述の「法紀」(公務員犯罪などの刑罰規 範の一部)を担当する国家の検察はさておき,本研究の主要な対象である 1986年から1993年ごろまでの監察部をはじめとする中国における行政監察 の一時的な自立化の試みとその挫折であった。

 そしてその後,中央規律委の活動報告における「今後の規律検査業務に たいする建議」のなかで,こう指摘された点も重要であろう。すなわち,

いわゆる「党政分離を実行することは,党の規律検査業務自身の改革のた めに,新たな課題を提起した」として,「国家の適法性が日増しに健全な ものになり,そして政府監察部門の樹立につれて,党の規律検査業務が政

29) 程維荣主編『新民主主義革命時期中国共産党党内法規』(2018年11月,上海 三聯書店)によると,毛沢東が最初(1938年10月)に「党内法規」という概念 を提起したという(309頁)。それは毛「中国共産党在民族戦争中的地位」の

「党的紀律」(『毛沢東選集』第二巻,1968年 ₁ 月第 ₅ 次印刷,494頁)である。

30) 趙紫陽「沿着有中国特色的社会主義道路前進─在中国共産党第十三次全国代

表大会上的報告」(1987年10月25日)(『中国共産党第十三次全国代表大会文件

彙編』(1987年11月第 ₁ 版,人民出版社),43─46頁。

(12)

府の監察業務と分離したのち,各級規律委がさらに精力を集中して党規約 を擁護することによって,党の規律を擁護し党の作風をただす業務を成し 遂げることができるようになり,規律検査機関を党の思想作風建設のひと つの重要部門とならしめる」31)とされた。つまり,ここでの「党政分離」

により,党の各級規律委における「党規約」の擁護への精力の集中こそが 理想的にめざされていた点は重要であろう。

 さらにいわく,「党の規律検査業務」と「政府の監察業務」の組織上の 分離だけでは,いまだ「党政分業」の域を出たものとはいえないものの,

国家機関における党組や党の規律組機構の廃止という措置をともなった

「党政分離以後,党の規律検査業務は軽減されたのではな」く,「党規約で 定めた規律検査機関の 3 つの主要な任務」の実行,つまり①「党の規約お よびその他の重要な規則制度」の擁護,②党の委員会による党の作風整頓 への協力援助,③「党の路線・方針・政策および決議の執行状況」の検査 は,「依然として党の規律検査機関の主要な職責である」32)などとされた。

 つまり,ここでは党の規律検査業務の軽減が目的ではないと釘をさして いるのであるが,「行政規律・国法」や「国家の法律法令」などといった 1982年の「党規約」以来存在する国家行政にかかわる文言にはすでにあま り言及されなくなっている点には注意を要しよう。

 以上については,小島朋之がかつて明快にこう述べていた。すなわち,

胡燿邦「の後任の趙紫陽は87年党13全大会で,『党の指導とは政治指導で ある』とさらに限定した」うえで,「13全大会では,さらに政府専従の党 委書記や常務委員の廃止,政府部門と重複する党部門の廃止,国家機関や 大衆団体の内部に設置された党組の廃止,党規律検査委による行政への介 入の禁止,さらには企業・事業単位内の党組織の管轄権を同級の地方党委 に移管することなども決定された」33)とする。

31) 「中央紀律検査委員会向党的第十三次全国代表大会的工作報告」(1987年10月 30日)(同上),121─126頁,122─123頁。

32) 同上,123頁。

33) 小島朋之『現代中国の政治 その理論と実践』(1999年 ₇ 月,慶應義塾大学

(13)

 ここでは,党の規律「委による行政への介入の禁止」(以下とくに,傍 系である党の規律組機構の廃止等をメルクマールとして,「中国行政監察 の自立化」という)をより具体化した,「政府専従の党委書記や常務委員」,

「政府部門と重複する党部門」,「党組」の廃止などからなる「党政分離」

による国家の監察部をはじめとする行政監察の党および党の規律委からの 一定の自立化という上記の方向性が明確に示されたといえよう。とくに,

「政府部門と重複する党部門の廃止」では,国家行政監察機関の再建に連 動する形で,省級レベルでいちはやくそれと部分的に重複する行政機関等 に派遣駐在(出向)している党の規律組機構の廃止という問題がここでク ローズアップされてきたのである。

2)党の規律組機構の一時的な廃止

 これを受けて,中央規律委・監察部の「省級政府業務部門の党の規律検 査組を一歩一歩取り消し,そして行政監察機構を組織し建設する問題にか んする通知」(1988年 ₈ 月18日)が「各省・自治区・直轄市党委,規律委,

政府,監察庁(局)」宛に出され,前述の「中央の政治システム改革の精 神にもとづき,各級政府部門の党組および規律検査組は,一歩一歩取り消 されるであろうし,中央および省・自治区・直轄市の政府業務部門には,

監察業務の必要により,行政監察機構が設置されるであろう」34)とされた のである。

 つまり,中央および省レベルにおいて,国家の行政監察機関が未設置な 時期と地域においては,各級政府部門には,「党政分業」の原則をかかげ た1982年「党規約」にもとづき,党組にくわえて,傍系である党の規律組 機構が設置されていたわけであり,それにたいして「党政分離」のもとで の国家監察機関の設置にあたっては,まず各級政府部門に設置されていた 党の規律組機構を廃止することが党組の廃止とともに必要であり,それに

出版会),64頁。

34) 中央規律委・監察部「関於逐歩撤銷省級政府工作部門党的紀検組和組建行政

監察機構問題的通知」(1988年 ₈ 月18日)(『全書』),837頁。

(14)

かわって行政監察機関をあらたに設置することがここでは将来的にめざさ れていたわけである。あるいはこれこそが当時における「一炊の夢」と化 した例外的で理想的な政治改革の切り札のひとつであったといえまいか。

 本研究では,党の人事権の問題はさておき,上記の通知における組織上 の措置を徹底することを,ここで「党政分離」という。というのも,そこ で党組はもとより,党の規律組機構を残したまま,国家行政監察機関を設 置していくことも可能だからである。つまりその場合は,「聯合辦公」( ₂ つの看板と ₂ つの組織)という形での「党政分業」にすぎず,そこでは両 者の完全な「合併」(かつての党の監察委員会による事実上のそれ)まで はなされないものの,相互の協力を密に行えば,比較的に効率的なわけで ある。さらに効率をアップさせるには,のちにみるように,「合署辦公」

( ₂ つの看板・ ₁ つの組織)35)への移行といういわば「逆コース」への転換 がそこでは必要となるのであるが。

 短期間にかなり複雑に錯綜しているが,いずれにせよ,本研究では,

1949年10月の建国後,1959年の監察部廃止ののちに1986年12月以降に組織 的に再建された中国の改革開放初期の行政監察制度にしぼって,しかも 1987年の13回党大会で提起された「党政分離」という傾向性からふたたび 乖離して,1989年の第 ₂ 次天安門事件後にあらためて強化された「党政分 業」への復帰や再「転換」までの一連の過程を中心に,党の規律検査・国 家行政監察の両者における役割分担の諸関係にかんする一定の考察を初歩 的に行うことにする。

 それは実際には政府部門における党の規律組機構の廃止と国家行政監察 機関の再建という「党政分離」を徹底して行う暇も十分にはないものであ ったと想定される。つまり,本論でみるように,第 ₂ 次天安門事件後,す

35) ちなみに,2017年 3 月 ₁ 日施行の「中国共産党工作機関条例(試行)」第 ₅

条第 ₂ 項では,「業務の必要にもとづき,党の業務(「工作」)機関は職責がお

互いに近い国家機関等と合併して設置するか,または『合署辦公』を行うこと

ができる。合併による設置または『合署辦公』については,依然として党委が

主管する」とする(http://www.ccdi.gov.cn/)。

(15)

みやかに党の規律組機構の再建や廃止の保留というそれとは真逆の「逆コ ース」への転換の措置が現場の混乱が予想されるなかでまさに「朝令暮 改」的に講じられ始めたのであった。

 しかもそこで,今日においても維持「発展」しているとみられる党の規 律検査と行政監察(や国家監察)における「合署辦公」36)への転換(それ は「党政合一」への志向性を含む)がソ連の解体や東欧の体制転換に抗す る形で機構改革等を追い風に「党政分離」から「党政分業」へのたんなる 復帰を越えた形で「社会主義的市場経済」の導入後の党政機関内における 腐敗の深刻化への対応とともに,すすめられていくことになる。

 さて,そのまえに「党政分離」を部分的に具体化した党政機関の分業関 係等についてつぎにみることにしたい。

 国家行政監察機関の再建がすすむにつれて,逆に党員である国家機関勤 務員等にたいする党の規律・行政規律・「法紀」(公務員犯罪などの刑法規 範の一部)にたいする対処には,党の規律検査機関・国家行政監察機関・

国家政法機関,とくに法院・検察院があい交叉し,場合によっては一蓮托 生的に関与することになった。

 そのうち,ここで党の規律検査と国家の行政監察の分業協力についてみ ていくと,やや前後するものの,中央規律委・監察部の「党の規律検査機 関および国家行政監察機関の事件の調査処理業務における分業協力にかん する暫定規定」(1988年 3 月16日,以下「1988年暫定規定」という)37)が出 されたが,その内容はおおよそこうである。

 すなわち,この時点では職能における「党政分離の原則に照らして,党 の規律検査機関は党規約および関係する規定にもとづき,党員が党の規律

36) なお,中央規律委と国家監察委員会との「合署辦公」にかかわる今日の状況 についてはさしあたり,江国華『中国監察法学』(2018年 ₈ 月第 ₁ 版,中国政 法大学出版社,20─24頁)などを参照願いたい。

37) 中央規律委・監察部「関於党的紀律検査機関和国家行政監察機関在案件査処 工作中分工協作的暫行規定」(中紀発(1988)1号,1988年 3 月16日,(『全書』,

1240─1241頁,『年鑑』,96─97頁)。

(16)

に違反する事件にたいして,検査処理を行う」とされていた点は重要であ ろう。つまり, ₁ .「党の組織および行政職務を担当しないその党内指導メ ンバー,党の機関における党員」(以下「専従党員」という)の規律違反 には,「幹部管理権限に照らし」,関係する党の規律委が検査処理する一方 で,「党の機関における非党の勤務員」の規律違反は,「その所属部門また は単位が検査処理する」38)とそれぞれ定められた。

 ここでは,「専従党員」はともかく,いわゆる「党機関における非党の 勤務員」にたいする所属部門・単位の関与が逆に国家行政監察機関との関 係で問題となろう。

 そこで, ₂ .「各級行政監察機関の監察対象(党内職務の兼任を含む)」

の行政規律違反については,「行政監察機関が検査し,あわせて規定に応 じて処理する」39)とされた。

 ここでは,行政監察機関の設置が党の規律検査機関よりもおくれたにも かかわらず,「党内職務の兼任を含む」行政「監察対象」にたいする各級 行政監察機関の関与が党の規律検査よりも規定上は優先されており, ₁ . の「所属部門または単位」による関与はともかく,まさしくそれは,「党 政分離」の原則への方向性を部分的には体現するものでもあろう。なお,

ここでいう「規定」(「条例」や新旧「辦法」)については,次節でふれる ことにする。

 さらに, 3 .「行政監察機関の監察対象における党員」への行政規律処分 は,「幹部管理権限に照らし」,通報を受けた処理の意見または決定を書面 で関係する党の規律検査機関が党の規律処分を与える必要があると認めた とき,行政監察機関は調査報告,主要な証拠,本人との面会資料(コピー 文書)を党の規律検査機関に転送し,その規律検査機関が党の規律の問題 について処理を行う40)とする。

 これは,行政監察機関からの党の規律委への監察対象である党員にたい

38) 『全書』,1240頁。

39) 同上。

40) 同上。

(17)

する党の規律処分にかんする事務的な引継ぎの問題であろう。

 なお逆に, 4 .「行政監察機関の成立のまえに,各級の党の規律検査機関 がすでに受理した行政監察機関が検査処理すべき事件については,依然と して党の規律検査機関が引き続き処理」し,「行政規律処分を与える必要 があるとき,行政監察機関にたいして建議を提出し,行政監察機関が決定 すべきである」41)ともされる。

 これはいわば経過措置の一種であろうが,まもなく,「党政分離」から

「党政分業」への復帰を越えた「合署辦公」(それは事実上の主たる党の規 律検査機関による従たる国家行政監察機関の部分的な吸収合併に近い)へ の移行をのちにみることを考えると,党員の場合にはさきに党の規律検査 が作動するという今日にいたるこの傾向性こそが,行政監察機関の未設置 の時期および地域においては当時においてもかえってむしろ常態化してい たことが想定される。

 その後,中共中央規律委・中共中央組織部・最高人民検察院・監察部・

人事部の「業務上の連携を強化することにかんする通知」(1990年 ₈ 月 4 日)42)は次節の「条例」制定直前に出されたものだが,以上の諸点は党政 の人事権をにぎる党の組織部や国家の人事部(いわゆる「組織・人事部 門」)がくわわることで,こうなっていた。すなわち,党の規律検査機関 と政府監察機関による幹部の規律違反・違法事件の調査処理過程において は,事件の登録・事実確認の状況・審査状況,重要な事実の資料の組織・

人事部門への通報がなされ,党内職務の解除以上の党の規律処分や降格以 上の行政規律処分を幹部に与えるさいには,「うえに報告して審査承認を えるまえに,幹部管理権限に照らし,組織・人事部門の意見を聴取する」

とされた。また,「その他の党の規律・行政規律処分」については,「うえ に報告して審査承認をえると同時に,処分意見の写しを組織・人事部門に 送付する」などとされ,すでに「合署辦公」後の名称でもある「規律検査

41) 同上(『年鑑』,97頁により,誤植を訂正した)。

42) 中共中央規律委・中共中央組織部・最高人民検察院・監察部・人事部「関於

加強工作聯系的通知」(1990年 ₈ 月 4 日)(『全書』),844─845頁。

(18)

監察部門が事件を調査するにあたり組織・人事部門の協力が必要なとき,

組織・人事部門は支持と協力を与える」43)とされていた。

 ここでは,理想的な「党政分離」をかかげるうえでの党政幹部にたいす る党政の人事権にもとづく「組織・人事部門」の関与の現実における維持 強化と「 ₂ つの看板・ ₁ つの組織」の名称でもある「規律検査監察部門」

との協力がすでに突出してきている点はきわめて示唆的であろう。かくし て,はやくもこの段階で「党政分業」の原則へと復帰し始め,「合署辦公」

の片鱗すらすでにここにみてとれるわけである。

二 中国行政監察の自立化の中断

1)「旧辦法」の制定と「李鵬同志の講話」

 ついで行政監察「条例」制定まえの行政監察における行政規律事件につ いては,「監察機関行政規律事件調査処理試行辦法」(1988年 ₅ 月11日)44)

が重要であり,その主な内容はごく簡単にみれば,以下のとおりである。

 すなわち,「旧辦法」の「第 ₁ 章 総則」の第 3 条では,その任務を,

①「国家行政機関およびその勤務員,国家行政機関が任命する全人民所有 制企業事業単位の責任者」(以下「行政勤務員等」という)の「国家の政 策,法律,法規」違反や行政規律違反の事件の調査処理,②行政規律の厳 粛化,③行政管理の改善強化,④「社会主義的初級段階の基本路線の貫徹 執行」にたいする保障という 4 項目とする45)

 ここでも,監察の対象が「行政勤務員等」に限定されている点を「中国 行政監察の原点その 3 」という。つまり,いわゆる「社会主義の初級段 階」における監察対象は国家行政勤務員と国有企業等の責任者であり,

「党の政策」ではない「国家の政策,法律,法規」と「党の規律」ではな

43) 同上。

44) 「中華人民共和国監察機関政紀案件調査処理試行辦法」(監辦発(1988)7号,

1988年 ₅ 月11日,以下「旧辦法」という)(『年鑑』),89─91頁。

45) 同上,89頁。

(19)

い「行政規律」の違反事件である。ここに少なくとも,「党政分業」の精 神が垣間見られる。なお同第 ₅ 条では,監察機関による事件の調査処理で は,「党の規律検査機関,司法機関および経済監督機関との連携および協 力」の強化の必要性に言及されている46)点は示唆的であろう。

 「第 ₂ 章 受理」では,第 ₉ 条で「各級監察機関は上級が許可して処理 し,その他の部門が移送し,そして大衆により行政監察対象が国家の政 策,法律,法規に違反したことを伝達させ,摘発させ,告訴告発させ,そ して監察対象がみずからのべるか,または不服申し立てした問題について 受理すべきである」47)とされ,「監察対象」による反論や弁明の機会がもう けられている点は重要であろう。

 「第 3 章 事件の登録」の第13条で「行政規律に重大に違反した単位に ついては,それの一級うえの行政監察機関により,その級の政府または行 政指導部に報告して申請し,事件の登録を決定する」とされ,第14条で は,「下級の監察機関における事件登録の範囲に属する重大事件について は,上級の監察機関が直接事件を登録することができる」48)として,民主 集中制にもとづく垂直指導を体現する。

 「第 4 章 調査」では,第19条で事件登録後における,事件処理部門に よる指導部の同意を前提にした調査組の組織と調査方案の制定が定めら れ,「第 ₅ 章 処理」では,第25条で「性質を決定して処理する必要のあ る事件は,監察機関の厳格な審議をへることが必要であ」り,「重大事件 については,処理の決定または審査の結論をくだすまえに,専門機構また は専門要員を指定して審理を行う必要がある」49)とされるが,ここではの ちの「新辦法」で明確にされることになる「審理」の必要性に注目すべき であろう。

 「第 ₆ 章 事件の終結」では,第37条で「監察機関は事件にたいして処

46) 同上。

47) 同上。

48) 同上,90頁。

49) 同上。

(20)

理の決定または回訓を行ったのち,調査組が事件終結報告を作成し,主管 の指導部に報告して同意をえたのちにただちに事件を終結することができ る」50)とされる。

 なお,この「旧辦法」は次項の「条例」制定後に早速改正されることに なる。

 その後はやくも,「第 ₂ 回全国監察業務会議代表に接見したときの李鵬 同志の講話」(1989年12月25日)がなされた。そこでは,第 ₂ 次天安門事 件の直後に,当時の李鵬国務院総理はいちはやくのちの「逆コース」にそ うかのように,「現在,国務院各部門は党組を回復させる必要がある」と のべている点はきわめて重要であろう。いわく,「これは国家行政機関に おける党の指導(原文は「領導」)的役割を強化し,行政業務における非 政治化傾向を克服するためである」とされていたのである。そして,「党 の指導」と「行政業務」における「政治化傾向」の強化のために,「党組 を樹立することもまた,集団指導を強化し,民主を発揚し,幹部をよりよ く監督し,管理するためでもある」とされた。つづけて李は,「中央はす なわちこのような角度から考慮することによってはじめて,党組の回復を 決定したのである」が,「党組を回復するということは,かならず政治部 を成立させ,組織・宣伝機構および規律検査組を樹立することが必要なの かどうか。これはわれわれのもともとの考え方ではない」とさすがにまだ やや慎重である。つまりそこでは,まだ直系ではない傍系である規律検査 組の樹立などの必要性については留保しつつも,「党の規律検査部門は主 として党内の事柄を管理し,主として党の方針,政策が貫徹される状況を 監督し,検査し,そしてある若干の高級幹部,指導的幹部の法に違反し,

規律に違反する問題を調査し処理するのである」一方で,「行政監察機関 は主として国家が任命した企業事業単位の責任者を含む,各級国家行政機 関の勤務員にたいして監督監察を行うのである」として,現実的な「党政

50) 同上,91頁。

(21)

分業」レベルへの復帰の必要性をのべるに止まっている51)が,これが次項 における「党政分離」からの転換のさきがけ(起点のひとつ)となったと 考えられる。

 ここでは,一応党の規律検査と国家行政監察の分業体制がたんなる「党 政分業」という形で想定されていて,さすがにまだ「合署辦公」までは想 定されていないようである。しかし,関連規定の整備が粛々とすすむなか で,1992年の機構改革以降では,監察部のあり方をはじめ,理想的な「党 政分離」方式そのものの変更がはやくも課題とされるのだが。

2)「若干の規定」による党の規律組機構の「再建」

 前項における「李鵬講話」の決定的な重要性はさておき,ここで国家の レベルでは,1990年の「行政監察条例」52)がそうした複雑な情勢下で行政 監察の分野ではじめて「条例」として粛々と制定されたのである。それは とくに中国行政監察の原点の基本的な形成にとって重要である。すなわ ち,「条例」「第 ₁ 章 総則」の第 ₂ 条で監察機関を「人民政府が監察の職 能を行使する専門機構」と前述の1986年12月の決定を受けて正式に位置づ けたうえで,国家行政機関およびその勤務員ならびにそれが任命するその 他の要員(以下「国家行政機関勤務員等」という)が国家の法律,法規,

政策および決定,命令を執行する状況および法に違反し規律に違反する行 為の監察を担当するとされ53),ここで,ようやく「国家の政策」が「国家 の法律,法規」のあとにきた点は重要であろう。

 まずここで「中国行政監察の原点その ₁ 」として,「行政監察機関=人 民政府が監察の職能を行使する専門機構」である点があげられる。そし て,監察の対象が「国家行政機関勤務員等」に限定されている点をその

51) 「李鵬同志在接見第二次全国監察工作会議代表時的講話」(1989年12月25日)

(『年鑑』,16─18頁),18頁。

52) 「中華人民共和国行政監察条例」(1990年11月23日に国務院第72回常務会議で 採択,1990年12月 ₉ 日発布,以下「条例」という)(同上), ₅ ─ ₈ 頁。

53) 同上, ₅ 頁。

(22)

「原点その 3 」とする。

 また同第 3 条では,「監察機関はその級の人民政府および上級の監察機 関にたいして責任を負い,あわせて活動を報告し,監察業務は上級の監察 機関の指導(原文は「領導」,以下同じ)を受ける」54)として,「中国行政 監察の原点その ₂ 」(二重指導)を定めている。

 さらに,同第 4 条では,「監察機関は国家の法律,法規および政策にし たがい,独立して職権を行使し,その他の行政機関,社会団体および個人 の干渉を受けない」55)とされた(これを「中国行政監察の原点その 4 」と いう)。なお,「旧辦法」にはなかったこの規定でも「政策」が顔を出して いる。

 ついで,「第 ₂ 章 監察機関および監察要員」の第 ₈ 条で,監察部はさ きの李鵬「国務院総理の指導のもとで,全国の行政監察業務を主管する」

とされ,「県以上の地方各級人民政府の監察機関は,それぞれ省長,自治 区主席,市長,州長,県長,区長および一級うえの監察機関の指導のもと で,その行政区の行政監察業務を主管する」56)とする。

 さらに,「第 3 章 監察機関の管轄」の第14条では,監察部のそれには,

本「条例」の制定主体でもある国務院常務会議を除き,「国務院各部門お よびその勤務員,国務院およびその各部門が任命するその他の要員ならび に省・自治区・直轄市人民政府およびその省長・副省長・主席・副主席・

市長・副市長」の監察が含まれる57)とされる(原点その 3 )。

 また,「第 4 章 監察機関の職権」の第19条では,「監察機関の主要な職 権」として,①「国家行政機関勤務員等」が「国家の法律,法規および政 策ならびに決定,命令を貫徹執行する状況」の監督検査,②上記の勤務員 等の「行為にたいする摘発,告発告訴」の受理,③上記の行為の調査処 理,④行政処分に不服な「国家行政機関勤務員等」による不服申し立てお

54) 同上。

55) 同上。

56) 同上。

57) 同上。

(23)

よび法律,法規が定める監察機関が受理するその他の不服申し立ての受 58)という 4 項目が具体的に列挙されていた。

 そのあと,「第 ₅ 章 監察手続」と「第 ₆ 章 罰則」をへて,最後に,

「第 ₇ 章 附則」の第48条で「本条例第14条で規定した国務院各部門およ びその勤務員」には,「国務院各部委,各直属機構,各事務機構および行 政職能を具有する全国的な経済組織ならびに上述の部門の勤務員」が含ま れるとされ,「旧辦法」第 3 条で「国家行政機関が任命する全人民所有制 企業事業単位の責任者」のみが対象とされていたのにくらべて,本「条 例」第49条では,「全人民所有制企業・事業単位は本条例の規定を参照し て,その単位の国家行政機関に任命されない勤務員にたいして,監察を行 う」59)と「監察対象」の拡大もはかられた。

 さらに,1989年 ₆ 月の第 ₂ 次天安門事件をへて, ₂ 年もたたずに党のレ ベルでは,中共中央規律委の「中央規律委が規律検査組および各部門党組 の規律検査組(規律委)を派遣駐在する若干の問題にかんする規定(試 行)」(1991年 4 月23日,以下「若干の規定」という)60)が「党政分離」か ら「党政分業」への後退という「逆コース」を促す形で出された。つま り,中国行政監察の自立化の試みは,ここに中断することとなった。

 もとよりこれは,文字どおりの「朝令暮改」であり,現場は相当混乱し たと思われるのだが。ここでふたたび中央レベルにおいて傍系である党の 規律組機構や党組への「再」派遣駐留(出向)という「党政分離」に逆行 する動きがみられるが,その「若干の規定」の内容はこうである。

 すなわち,「中央のレベルの党および国家機関各部門の党の規律検査業 務を強化するために,党規約および関係する規定にもとづき,中央規律委

58) 同上, ₅ ─ ₆ 頁。

59) 同上, ₇ 頁。なお,ここでも誤植を「中華人民共和国行政監察条例」(《中国 法律年鑑》編輯部『中国法律年鑑(1991)』,法律出版社,1991年10月第 ₁ 版,

245頁)により訂正した。

60) 中共中央規律委「関於中央紀委派駐紀検組和各部門党組紀検組(紀委)若干

問題的規定(試行)」(1991年 4 月23日)(『全書』),1244─1246頁。

(24)

が中央のレベルの党および国家機関各部門の規律検査組ならびに各部門党 組の規律検査組(規律委)を派遣駐在する若干の問題について,以下のよ うに規定を行った」61)という。

  ₁ .その「指導(原文は「領導」)システムおよび業務関係」では,「中 国行政監察の原点その ₂ 」と呼応して,党の規律組機構である「中央規律 委が派遣し駐在する規律検査組および各部門党組の規律検査組(規律委)

は中央規律委および所属する部門の党組(党委)の二重の指導を受け」,

「派遣駐在する規律検査組,各部門党組の規律検査組は所属する部門およ び属する系統の党の規律検査機関の業務を指導」(原文も「指導」)し,

「属する系統にたいして高度に集中された統一指導(原文は「領導」,以下 同じ)を実行する国家業務部門に派遣駐在する規律検査組,党組の規律検 査組および部門規律委が所属する部門および属する系統の党の規律検査機 関の業務を指導」し,「派遣駐在する規律検査組組長および党組の規律検 査組(規律委)組長(書記)は所属する部門の党組(党委)に参加し,な お党組(党委)のメンバーではないときは,所属する部門党組(党委)の 会議に列席する」62)などとした。

 要するに,さきに李鵬がやや躊躇していた二重指導における「党組の規 律検査組」などの登場を含め,直系である党の規律委機構とは異なり,傍 系である党の規律組機構にかんするやや詳細で,拡張的な内容の規定がこ こでなされた点はきわめて示唆的であろう。

  ₂ .その「任務および職責の範囲」には,①「所属する部門および属す る系統の党組織および党員の指導的幹部が党の路線,方針,政策および決 議を執行する状況」の検査や「所属部門の党組(党委)およびそのメンバ ーならびにその他の党員の指導的幹部にたいして党規約が定める範囲内の 監督」,そして②「所属する部門の党員の指導的幹部が党の規律に背く事 件および属する系統の重要な規律違反事件」の検査,③党の規律組機構で

61) 同上,1244─1245頁。

62) 同上,1245頁。

(25)

ある「派遣駐在する規律検査組および党組規律検査組は関係する規定にも とづき,検査するところの事件にたいして処理の意見を提出」し,「部門 規律委は党の隷属関係および幹部管理権限に照らして,検査するところの 事件における党員にたいして,処分または処分の取り消しを行う」63)こと などが含まれた。

 ちなみに,「条例」を受けて定められた1991年の「監察機関行政規律事 件調査処理辦法」は「旧辦法」を改正したものであり,中国行政監察の 4 つの原点の延長線上のものでもある。つまり,「新辦法」の「第 ₁ 章 総 則」第 ₁ 条で,「監察機関の行政規律事件調査処理業務の規範化を保証し,

法により行政規律事件を正しく,時を移さずに行政規律事件を調査処理す るために,『中華人民共和国行政監察条例』にもとづき,本辦法を制定す る」64)とされた。

 なおその改正の内容の具体的な紹介は省略せざるをえないが,章立て は,「旧辦法」の最初にあった「受理」と最後の「事件の終結」がなくな り,「第 ₂ 章 事件の登録」,「第 3 章 調査」,中間に新設された「条例」

にもみられない「第 4 章 審理」があり,そして「第 ₅ 章 処理」へとつ づく。また,「附則」の第52条で「新辦法」は発布の日から施行され,「旧 辦法」は同時に廃止とされた65)。そしてとくに,この「新辦法」第37条 で,「審理部門は監察機関が行政規律事件の審理に責任を負う専門機構で あ」る66)とされた点は,行政規律事件の審理の専門機構をもつものとして 特筆に値する。

 ところで,その後の「『中華人民共和国行政監察法』条文釈文」の回顧

63) 同上。そのほかに, 3 . 「機構,職務の設定および幹部の管理」と 4 . 「業務制 度」がある(同上,1245─1246頁)。

64) 「監察機関調査処理政紀案件辦法」(1991年 ₈ 月31日に第17回部務会議で採択 し,1991年11月22日に監察部第 ₁ 号令で発布, 以下「新辦法」 という)(『年 鑑』,114─117頁,『全書』,1065─1071頁),114頁。

65) 『年鑑』,117頁。

66) 同上,116頁。

参照

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2013年3月29日 第3回原子力改革監視委員会 参考資料 1.

2011 年に EC(欧州委員会)科学委員会の職業曝露限度に関する科学専門委員会(SCOEL) は、インハラブル粒子:0.2 mg/m 3 、レスピラブル粒子:0.05

全社安全環境品質管理委員会 内部監査委員 EMS管理責任者 (IFM品質統括部長).

継続 平成29年度新潟県の地域づくりに関する意見交換会 新潟県総務管理部地域政策課 委員 石本 継続 ファンドレイジング福祉にいがた管理委員会

・大前 研一 委員 ・櫻井 正史 委員(元国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会委員) ・數土 文夫 委員(東京電力㈱取締役会長).

・大前 研一 委員 ・櫻井 正史 委員(元国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会委員) ・數土 文夫 委員(東京電力㈱取締役会長).