はじめに
『小樽蕗科大学百年史 J
一一大学文化史学の観点から一一
佐 藤 能 丸
官立実業専門学校として
1910年
3月
28日に小樽高等商業学校が誕生してから、その後 身である小樽商科大学がこのたび創立
100周年を迎え、これを記念して浩瀦な本書(通史 編、学科史・資料編、写真集の全
3冊)が刊行された
(2011年
7月、小樽商科大学出版会)。
かつて、 f 早稲田大学百年史j全
7冊
(1978年
‑1997年)を編纂・執筆した者の一人とし て本書の刊行を喜ぶとともに、私がかねがね提唱している「大学文化史学」の観点から、
いささか感じたことを記したい。
1 I
大学文化史学
Jの先達
私の数人の恩師の中に、大学文化史学の先達として大久保利謙と木村毅がいる
O周知の ように、大久保は日本近代史研究の繁明期以来、学界でその牽引者としての役割を果たし 続けたが、その多方面にわたる業績の中に近代日本の学術・文化史研究がある。その淵源 は 、 f 東京帝国大学五十年史』上・下巻(1
932年)の編纂・執筆とその姉妹編たる『東京帝 国大学学術大観j
(1942年)の総説と文学部の巻の執筆・編纂にある。この間に前後して、
個人による日本史学史の暗矢『日本近代史学史j ( 1
940年)と本格的な最初の大学通史『日 本の大学j ( 1
943年)を発表して高い評価を得ている。そして、以後は重野安縛や久米邦武 などの太政官修史館系の(東京)帝国大学草創期の史学者の研究や帝国学士院の研究に伴 う明六社系の学者の研究や彼らの著作集の編纂・刊行に尽力し、幅広い「大学文化史学」
の研究と開拓に先鞭をつけていた。
また、木村毅は前述の f 百年史j編纂当初の総編集者で(私は
7年間木村の助手役の一 人)、『日本スポーツ文化史j ( 1
956年)で文化としてのスポーツの歴史を検討して、これを 大学史の中に位置づけ、 f 早稲田外史j ( 1
964年)で、制度史や機構史ではない大学史を大 変広く捉えた文化史を提示して、早大・慶大・帝大・同志社の各大学の歴史を比較検討し ており、また、昨日の西北一早慶野球戦を中心に j ( 1
978年)では、慶応・早稲田両大学 の野球戦を軸にした大学史を展開させて、博識な記述で挿話を随所に散りばめて、読者を ぐいぐいと歴史の中に誘ってくれている。木村のこれらの蓄は、一種の「大学文化史」な のである。
木村と大久保は歴史を幅広く総合的に捉える手法の在野の「明治文化研究会」の間人で、
私もいつしか向派の末喬として、教育史学としての高等教育史・大学史とはニュアンスの
異なる歴史学の近代日本史専攻のサイドから、大学史を文化史として捉える方向に進んで
いったのである
O小 樽 商 科 大 学 史 紀 要 第5号 (2012年3月)
2
r 大 学 文 化 史 学
Jの範鴎
私は、恩師の影響と『百年史
Jの実際の編纂・執筆という実務と並行する形で新たな大 学史を考えるようになり、『百年史jが終りに近づいた
1990年代の半ば頃から、それまで の f 百年史 J 編纂・執筆の反省を交えながら、「大学文化史学jを提唱するようになった(そ の中間報告が
11大学文化史学」序説 ‑ r 早稲田大学百年史
J編纂の経験から
‑J、『早稲田
大学史記要 J 第
29巻 、
1997年
9月である)。これを後押ししてくれたのが、当時は、「大学 文化史学」を明確に自覚していない段賠で発表した『近代日本と早稲田大学 J
(1991年)を 謹呈した際の、大久保利謙からの葉書である。「本書は大学文化史である」ーと。この大久 保の位置づけの言葉に我が意を得たりと喜び、私がいつの間にか期せずして、「大学文化史 学」の実践に入っていたことを実感した。その意味では、「大学文化史
Jの命名者は私信で
あるにせよ大久保利謙であることを公表しておく。
歴 史 学 の 中 の
歴史学の各分野の 研究成果を摂取 大学文化史学
。大学文化史学
。大学史
1 1
高等教育史
(大学院・学部・予科) 大
ム大学教育政策史 学
ム大学教育制度史 カ= カ=
ム大学教育法制史 わ
る
ム大学経営財政史 幅
広
ム教育思想史 ミし
実 その他大学に関する
歴史的事象の研究
歴 史 的 考 察
大学文化史学
考察の対象
高等教育(一般)史 教育法制史 法人史
創立者・功労者伝記 学制・機構・制度史 カリキュラム史 儀式・式典・行事史 社会教育史
経営財政史
施設建築史 ‑>
学術史(人文・社会・自然各系) 産!大
文芸史 業
教員史 化
l
学職員史
職場史 │文
福利厚生史
学校紛擾史
i
化学生生活文化史
学生サークル文化史 │産
学生スポーツ文化史 ーー 学生政治社会運動史 供
i
業国際交流留学史 念品ロ 大学歴史写真史
大学出版部史
大学周辺(環境地域)史 カレッジソング史 卒業生(中退含む)活躍史 政治(一般)史
社会経済(一般)史 統 計
その他
史的解明
私は、日本の大学に関する歴史の研究と編纂は、広く歴史学の日本近現代史の一環とし てなされる必要があることを痛感し、歴史的・社会的葎在として発展してきた大学の歴史 は、少なくとも(とりわけ私学の場合は特に)、大学の歴史に密接なかかわりを杏する図の ような分野の「大学文化史学
Jの範轄を網羅した大学総合史として解明されなければなら ない、すなわち、総合性こそ今後の大学史研究の大きな課題と考えた。しかも、大学は一 つの大きな市場であるので、関連する大学文化産業にも目配りしなければならない。
3 I
大 学 文 化 史 学 j から見た問、樽商科大学百年史
J「大学文化史学
Jとしての観点から本書を総合的に見渡してみたならば、どのような感じ を受けるであろうか。大雑把ながら前述の大学総合史の内容を各編各章にわたって当ては めてみるならば、極めて煩雑に見えるが、以下に列挙してみたい。
まず、通史編から検討する。一般的な高等教育史・実業専門学校史については、第 1編 第
I章創立前史第
1節「高等高業教育気運の高まり」で簡単に記されているだけで、一般 的な教育史については紙幅上敢えて記述しない方針であったようである。教育法制史(高 等商業学校・商科系大学関係)は、同第 1章創立前史第 1節 f 高等萌業教育気運の高まり
Jと第
2章第
5節「第一次大学昇格運動」と第
2編第
9章第
1節「大学改革の嵐のなかで
J•同第
3節「圏立大学法人としての出発jで一般的な動向に言及している
O法人史は、近年 に閤立大学法人となったばかりのため第 2編の最終の第 9章第 3節「国立大学法人として の出発j で記述されている。発展に尽くした功労者伝記関係は、第
l編第
1章第
3節「開 校までの準備」と第
2章第
3節「教員陣の充実へ」と第
3章第
1節「緑丘のルネサンス」
と第
4章第
1節「苫米地体制の確立」・第
5章第
1節「民主化の模索
Jと第
5節「大学昇格 への苦難」と第
2編第
7章第
1節「沈滞の危機
J. 第
2節
11沈滞から建設へ
JJと第
8章第
1節「高度経済成長期の量的拡大
J. 第
3節「四学科・夜間主コース体制の確立」で、歴代 校長・学長を主とした記述である。
学制・機構・制度史は大学史の心臓部分であるから、各編各章全般にわたっているが、
特に第
1編の第
2章の第
2節 f 教育体制の始動」・第
5節「第一次大学昇格運動
Jと第
3章 第 2節「教青体制の展開」・第 3節「研究体制の展開
Jと第 4章の戦時体制期の第 2節「教 育体制の転四」・第
3節「研究体制の戦時化
J.第
5節「アジア太平洋戦争と緑丘」と第
5章の敗戦車後期の第
1節「民主化の模索
J.第
2節「教育体制の民主化」・第
3節「研究体 制の民主化j・ 第
5節「大学昇格への苦難」と第
2編の新制大学発足期の第
6章第
1節
11日 本一の単科大学足らんことを期す
JJ. 第
2節「新制大学の教育と研究」と第
7章第
1節「沈 滞の危機
J.第
2節訂沈滞から建設へ
JJ.第
3節 f 教育・研究体制の確立」と第
8章第
1節「高度経済成長期の量的拡大
J. 第 3 節「四学科・夜間主コース体制の確立
Jと第 9 章第
1
節「大学改革の嵐のなかでド第
3節「圏立大学法人としての出発」等々が万遍なく詳し く記述している
Oカリキュラム史は、大学としての重要な内容であり、上記と重なる部分が多いが、第 1
編の第
1章第
3節「開校までの準備
J、第
2章第
2節「教育体制の始動」と第
3章第
2節「教
小 樽 商 科 大 学 史 紀 要 第5号 (2012年 3月)
育体制の展開
Jと第 4章第 2節「教育体制の転回れ第 5節「アジア太平洋戦争と緑丘」と 敗戦直後期の第 5章第 2節「教育体制の民主化
Jと第 2編の新制大学発足期の第 6章第 2 節 f 新制大学の教育と研究
Jと第
7章第
3節「教育・研究体制の確立」と第
8章第
1節「高 度経済成長期の量的拡大」・第
3節「四学科・夜間主コース体制の確立」と第
9章第
1節「大 学改革の嵐のなかで
J等が具体的に論じている。
儀式・式典・行事史は、大学史を年史としてみる際は画期となる場合が多いが、第 1編 第
2章第
1節「開校」・第
2節「教育体制の始動
J.第
5節「第一次大学昇格運動」と第
4章第
1節「苫米地体制の確立」、第
2編の第
6章第
1節 r r 日本一の単科大学たらんことを 期す
JJと第
7章第
2節 r r 沈滞から建設へ
JJで論じられているが、私立の場合に比べて大々 的な「お祭り騒ぎ
Jは少ないようである
O社会教育史は、大学内の学生に対する教育活動以外の教育活動で、第
1編第
3章第
4節 [学生生活の展開
J.第 6節「小樽のなかで」と第 5章第 2節「教育体制の民主化j と第 2 編第
8章第
3節「四学科・夜間主コース体制の確立j で検討されているが、それほど活発 ではなかったように見受けられる
O経営財政史は、官立国立の性格上これといって記述されてはいない。充分な研究・学び 舎の施設として看過できない施設建築史は、第
1編第
1章の第
3節「開校までの準備」で 創立に伴う校舎建築について記され、第 3章第 2節「教育体制の展開」で校舎の新増築が あり、第
2編第
7章第
2節 r r 沈滞から建設へ
JJで学生会館と智明寮の建設が述べられ、
第
8章第
1節「高度経済成長期の量的拡大」で!日本館の取り壊しが記されている。
大学史で最も重要な学術史(人文科学・社会科学・自然科学、教員史)は、この通史編 とは別に学科史・資料編で詳しく論じられているので、この通史編を見渡してみると、第
1編第
1章第
3節「開校までの準備jで「教職員の選任」・第
2章第
3節「教員陣の充実へj で創立草創期の教員のプロフィーノレが略述されている。必ずしも学術史としての記述では ないが、第
3章第
3節「研究体制の展開」で「教員人事の諸相」のあと、創設期の功労者 大西猪之介の死去に際して、その学術上の検討がなされており、本大学の学術機関誌『商 学討究』の創干日時の経緯が記されている
Oまた、第 4 章第 3 節「研究体制の戦時化
Jで本 大学の学術研究が戦争への傾斜と協力態勢に転回したことが具体的に記されているが、そ の中で、あえて自己の研究を戦争に近づけず、研究スタイルをくずさない少数の「戦争か ら離れて」いた教員が異体的に論及されている。敗戦直後の第
5章第
3節「研究体制の民 主化」で教職適格審査の結果、不適格教員
2人に関してかなり詳しく論及され、第
7章第
1節「沈滞の危機」で教職員組合の結成が記されている。
職員史は、第
1編第
1章第
3篇「開校までの準備jで「教職員の選任」が記され、第
5章第
3節「教育体制の民主化」で職員消費組合と第
7章第
1節 f 沈滞の危機
Jで教職員組 合の結成が記されているが、職場史や福利摩生史は特に記されてはいなしユ。文芸史は構成 する学部の関係上特に記すことも無いようである
O大学史に有り勝ちな内紛ともいうべき 学校紛擾史は、特に記されていない。
ところで、
20歳前後の学生にとって教室だけではない人関形成の場として極めて大事な
学生生活に関する学生生活文化史は、第
1編の第
2章第
4節「学生生活の始動」と第
3章 第 4節「学生生活の展開j と第 4章第 4節「学生生活の戦時化」と第 5章第 4節「学生生 活の再建」と第 2編の第 6章第 3節「窮迫する学生生活j・第 7章第 2節
r‑r沈滞から建設 へ
JJ.第
4節「疾風怒涛の学生生活」と第
9章第
2節「現代の商大生j で、それぞれの時 代状況の中で多様に詳しく論及されている。
これと部分的に重複する学生サークル文化史は第
1編第
2章第
4節「学生生活の始動」
で外国語部・弁論部・緑丘吟社や第 3章第 4節「学生生活の展開jで文化部の活躍その他 や第
5節「変動する社会のなかで
Jで f 北方文芸jや文芸研究会、第
5章第
4節「学生生 活の再建jで文化部の再建や第
2編第
7章第
2節 r r 沈滞から建設へ
JJで学生会館の建設 などが記されて、学生サークル活動がかなり詳しく論じられており、他方、学生スポーツ 文化史については、第
1編第
2章第
4節「学生生活の始動
Jで運動部の始動が記され、第
3章第
4節「学生生活の展開
Jで選手制度と応援団と各運動部の活躍が記録され、第
5章 第
4節「学生生活の再建
Jでボート部の活躍が記されている。
学生運動史(学内・政治社会)は、第
1編の第
3章第
5節「変動する社会のなかで」で 社会科学研究会の創設や学連大会出席問題や所謂「小樽高商軍教事件」の経緯が歴史の中 に位置付けられており、第 5章第 4鮪「学生生活の再建j で自治組織としての学友会の結 成と授業料値上げ反対運動が記され、第 2編の第 6章第 3節「窮迫する学生生活」で学生 委員会の内実と第
7章第
4鮪「疾風怒溝の学生生活
Jで自治委員会の結成と活動が、そし て第 8章第 2節「学生の社会的変容j で 6 0年代末期から 7 0年代にかザての学生運動の経 緯が詳しく大学史の中に位置付けられている。
国際(学術・文化)交流史は、戦後の第 2編の第 8章第 3節「四学科・夜間主コース体 制の確立」で「国際化
Jの志向から始まり、第
9章第
1節「大学改革の嵐のなかで」で国 際交流の本格化が記されている。留学生史は、第
2編の第
9章第
I節「大学改革の嵐のな かで」の大学院改革と国際交流の本格化での中で言及されている。大学写真史は、通史編 の巻頭や本文の中の髄析に、また、学科史・資料編でも若干掲載されており、後述する別 巻の写真集 f 北に一星あり 写 真 集 小 樽 高 商 ・ 商 大 の 百 年
Jに満載されている。大学出 版部史は、小樽商科大学出版会が本書
3冊を発行しているが、本文にも索引にも記されて
はいない。
青春の学窓時代の心象風景と人間形成に大切な大学を取り巻く地域環境史については、
第
1編の第
2章第
1節「開校
Jで「マアキユリ山
J.地獄坂の立地環境が記され、第
3章第
6節「小樽のなかで」で地域の大火や凶作への救援活動や各種の講座・講習会が記録され、
第 2編の第 6章第 3節「窮迫する学生生活」で学生たちのたまり場「五楽園」に言及され、
第
2編の第
9章第
1節「大学改革の嵐のなかでj で「小樽学
Jのことが記されているが、
この具体的な内容については記されていないので、大学の個性の一端を窺うためにも知り
たいところである。カレッジソング史は、第
1編の第
3章第
4節「学生生活の展開
Jで時
雨音羽作詞・杉山長谷夫作曲の校歌の制定が記述されているが、これ以外にあった寮歌や
応援歌も知りたいものである。
小 樽 商 科 大 学 史 紀 要 第5号 (2012年3月)