民 族 11 蓮 命 共 同 鵬 説 の 吟 味
︑テーマ
中 野 清
一日常最も多く用ひられる言葉はそのま︑最も明瞭な意味のものであるとは限らない︒場合によつてはそのも
つ意味の不鮮明である事がその言葉をして汎く用ひ易からしめてゐる事が砂くないであらう︒而してこういふ
種類の言葉の例としては今日数多くのものが考へられるであらうが中に就いて﹁民族﹂といふ言葉程明瞭を訣
く事甚しいながらに普く用ひられてゐるものは他にないといつてい玉︒聲の響きだけについてみるならば成程
ゆ﹁民族主義の復興は一つの世界的事實﹂であるに違ひないがそれはそれだけ民族といふ言葉のもつ暖昧さをそ
のま玉﹁復興﹂させ︑との言葉の概念規定に於ける混齪ぶりをもう一度﹁一の世界的事實﹂たらしめた事を反
面に於て意味してゐるといつてい瓦︒なによりもまつ集團理論でなければならぬ(勘くとも私はこう見てゐる)
肚會學はこの事實を前にして室しく排手傍観するの他はないのであらうか︒若しそうなら集團現象の理論艦系
民族"蓮命共同髄観の吟味九一
1)矢 内原 思雄,「 民族 と亭和J3頁 。(昭 和9年4月 號 中央公論所載)
九二
であらうとする事を措いてはその面目を保ち能はぬ筈の肚會學はどこにその存在理由を見出し得るといふので
あらうか︒こう考へるならば民族概念の本義を關明するといふ事は民族主義が支配的な風潮をなしつ玉ある今
の時代にとつて必要な事であるのみならす肚會學の存在理由を明白且つ正當に示すためにもなされねばならぬ
事に屡する︒
だが然し肚倉學が民族概念の本質を積極的に明らかにしてゆく爲めにはこれに先立つてなさる玉べき一つの
事柄が存在する︒即ち既に多くの人々によつて試みられた概念規定の一々を端念に吟味し︑類を以て聚め︑一
つの秩序にまで整理する事これである︒若しこのいは野浩極的な作業にしてなさる玉事なく直ちに積極的な概
念規定を試みようとするならば屋上更に屋を架するの愚を敢てするの虞れなしとしない︒私がこの小論に於て
わ民族の本質を運命共同艦︒︒︒露︒窃静σq§鉱昌︒︒9跨けと見ようとする立場を吟味しようとする理由の第一は鼓に漕
んでゐる︒從つて鼓での吟味は積極的規定のために必要な消極的作業として要求さる曳限度内に於てのみなさ
れる︒
翻つて考へて見る︒民族に關する概念規定は歎多く存在する︒申に就いて先づ蓮命共同艦読を拉し來つて考
察しようとする理由はどこに存するのであらうか︒この間ひに答へてゆく事はやがてこの小論の存在する理由
の第二を明にする事を意味しよう︒この鮎について私はこう考へる︒イ曾て多くの民族研究者にょつて民族理(
論のN彗す風9をなすものは實にスウイスに於ける事實をどう読明するかであると言はれた︒この鮎今日に於
2)SchiCksalAe蓮 命 と鐸 出 し7こi理由 に つ い て に 錘 ぞ に 特 に取 出 して 述 ぺ な い で お くoこ の 小 論 な 通 讃 さ るれ ば 自 つ か ら明1:79る で あ ら う と信 ず るか らで
あ るo
てもなほ事情を同じくしはするがこれよりもより彊い程度に於て民族理論のN碧ざ風9をなすものはソヴエー
ト・ロシヤに於ける民族についての理論であり現實であるであらう︒スウイスの現實をどう論明してゆくかに
民族概念措定の成否が懸つてゐる以上にロシヤ的理論と現實をどの程度迄読明しうるか讐民族概念の見定めを
完全なものであらしめるためには念慮されなければならぬであらう︒所でこの鮎を考慮してゆくためには一慮
マルキシズムに於ける民族理論についての理解を正確にしておく必要が存しよう︒この小論が吟味の封象に拉
わし來らうとする蓮命共同罷読はオツトー・バウエルの所読に外ならないがこのバウエルの民族理論こそマルキ
わラシズム的民族理論の申に就いて最も理論的統一を有するものなのである︒ロ今日行はれつ玉ある民族の本質に(
っいての解繹の申最も有力なものであるかに見えるものは民族的性格の概念を申核としつ玉民族の本質を規定
しようとする立場である︒ナチス的人種主義に於ても又イタリヤ的傅統主義にあつても更に又日本的な國民精
紳主義にとつてもそれぞれ人種的事實の背後に考へられ︑傳統的衿持の裡にもとめられ︑國民精紳の基底に於
て見出されつ曳あるものは民族的性格に外ならないといつていム︒所でバウエルによつて設かれた蓮命共同饅
読は後に述べる様に民族を先づ性格共同留O冨壁犀言お︒日曾9ぎ{鈴として暫定的に見定める事から出稜してお
り︑いつて見れば民族的性格を吟味し書した究極に於て到達した立場に外ならない︒從つて運命共同艦読を吟
味するといふ事はやがて今日行はれつ玉ある民族解繹の申最も支配的であるかに見える立場を吟味するための
ラ有力な手掛りを與へる事にならう︒ババウエルの運命共同髄読に關しては一般に多く知られてゐないのみでな(
民族"蓮命共同麗観の吟味九三
3)OttoBauer;DieNationalitatenfrageunddieSozia工demokratie,Wien,Ig24。
4)理 論 的 犀 利 のtUl:於 て にLenioの 民 族 理 論 こ そ マ ル キ シ ズ ム 的 民 族 理 論 の 申i:あ つ て 最 も優 れ7こ も の で あ っt二 か も し れ ぬ がLeniロ の 説 く所 に 極 め て 噺 片 的 な も の に 過 ぎ ぬoLenin;UberdienationaleFrage,Berlin,Ig30。
塗 照o
九四
くして有力なパウエル批判者の中にもかなりの誤解が存在してゐるのを見出す︒数多くのバウエル批判者の中
のにあつて最も綿密に吟味しつ︑ある者は恐らくハインツ・チイグレルであると考へられるがバウエルに樹する
チイグレルの誤解の著しいものは運命共同磯論を民族理論に於ける所謂客観主義的立場に近きもの叉は勘くと
のも客観的要素と主観的要素とのアンチテーゼの増内に囚はれつ玉あるものと見倣しつ︑ある黙であらう︒だが
然し事實に於て運命共同腿設は客観主義的立場に近きものでは決してなく逆に客観主義と主観主義との綜合窯
を見出しそこに民族の本質を規定しようとする立場であつたと考ふべき理由が充分に存在する︒それのみなら
す運命共同艘読は民族理論の数多くのもの玉申に見らる玉上述客観主義と主観主義との野立に次ぐ第二の封立
である所の民族を以て事實︑現に存在する集團と見るか然らすして理念的にのみ存在する集團と見るかの封立
に關しても或程度迄有力な解決のヒントを提供してゐるゆしかもこの二つの封立を解かうと努力した程度に於
て(この努力が成果を牧め得たか否かは姑く別として)他の多くの試みにたち優つてゐるものがある︒從つて
蓮命共同艦読を吟味するといふ事は一面現存する民族解繹の一つのものを吟昧する事を意味するに止まらす民
族解繹に於ける雑多困齪を整理するための有力な手がかりを提供する事となりもする︒
以上この小論のもつテーマとこのテーマをとりあげた事の理由を明らかにした︒なほ若干の事を豫め記して
おく︒バウエルが運命共同騰設を展開した主著﹁國民性問題と肚會民主主義﹂の題目から暗示される如くにバ
ウエルは懊太利に於ける肚會民主窯の民族政策を明にする意圖を恒に念頭にもつ曳論議を進めてゐる︒從つて
5)HeinzvonZiegler;DiemodemeNation,Tttbingen,zg31.
6)妓 に 客 観 的 要 素 と い ふ の に 血 統 の 同t土 地 、 丈 化 、 宗 教.法 的 秩 序 、 言 語 等 の 共 同 等 な 指 し 、 主 観 的 要 素 と い ふ の に 意 識 、 意 志 、 感 情 に 於 け る 共 同 な 意 味 す る 。
バウエルの民族理論は言葉の廣き意味にこれを解する限り理論としての蓮命共同饅読と政策論としての民族政
策を論じた部分とを合せ含む︒しかもこの二つの部分の間には若干の矛盾が見出される︒だが然し運命共同饅
読そのものの吟味を企てようとするこの小論に於てはバウエルの民族政策論については姑くこれを考慮外にお
いてゆく︒叉バウエルの場合他の多くの民族理論家に於て見られたと同檬に民族と課出さる瓦べきく︒岸と國
民と課さる︑べき§侍一8との二つの言葉に於ける嚴密な使ひ分けが存してゐない︒然し本論に於ては煩雑を
惧れてこの鮎に立入らす姑く同じ意味のものとして取扱つてゆく︒,
二︑救述
蓮命共同髄読の吟味に入るに先立つてそれがどの様な内容を有し︑どの様な思考過程を経過してゐるかを叙
述してみよう︒この叙述は既に前項に述べておいた様に運命共同盟読が一般に知られてゐないといふ瓢からし
て必要とされてくるのみならす(より一暦重要な事に)この立場が多くの民族理論の一つの優れたる綜合を意
味しておるといふ瓢からしても必要でなければならぬ︒
バウエルは民族を定義して次の様に言ふ︑﹁民族とは蓮命共同膿によつて性格共同盟にまで結合せしめられた
ヨ人々の総艦である︒﹂叉より簡明な形に於ては次の様に言ふ︑﹁民族とは蓮命共同艦の謂に外ならない︒﹂では運
命共同艦とは如何なる意味のものであ少︑蓮命共同膿にょつての﹁よつで﹂噂h霞︒げ︑.とは如何なる事態を指し
民族11蓮命共同髄観の吟味九五
1)0.Bauer;a.a.0.,S.=35.
2)0.Bauer;a.a.0.,S.24。
,
九六
たものであり︑性格共同盟とは如何なる内容のものなのであらうか︒これらの鮎についてのバウエルの読明は
そのま製運命共同艦詮の思考過程を現してゐるがこのバウエルの思考過程は絶えす民族の本質に關する雑多な
る立場を整理してゆく作業と交渉を保ちつ﹂経過してゐるのに氣つく︒バウエルは諸種の民族理論を大盟に於
て三種の型に分類してゐる様に見える︒その第一は﹁形而上學的理論﹂と呼ばる玉もの︑第二は﹁心理學的理
論﹂と名づけらる玉もの︑その第三は﹁各種の要素を暴げその結合によつて民族を規定﹂せんとするものであ
る︒右の中第一の立場は一般に客観主義的立場と呼稻せらる曳ものに属する立場であり︑第二のものは同様に
主観主義的立場として一括さるふものに驕する︒而してバウエルの運命共同髄読は右の如き三種の立場に封し
てそれぞれ批判を加へながら展開せられてゐる檬に考へられる︒こう考へるのでなければバウエルの所論は正
當に理解され得ないし︑こう考へようとはしなかつた鐵にカウツキー及びチーグレルの蓮命共同盟読に封する
誤解の因つて來たる大部分のものが潜んでゐるといつてい玉︒從つて以下の叙述を三段に分つて試みてゆく事
は必要でもあり正當でもあるのみならす便宜でもあるであらう︒
ライ﹁形而上學的理論﹂との交渉ー(
バウエルが﹁形而上學的理論﹂と呼ぶ民族解繹上の立場は彼に從へば更に二種のものに細分せらる玉︒その
一は﹁國民的唯物主義﹂の立場でありその二は﹁國民的精神主義﹂と名づけらる玉考方である︒從つて蝕に試
みようとする第一段の叙述は更に二つの順序に分たれてなされなければならないであらう︒