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Social and Political Justice

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(1)

Th e Ch aracteristics of George Orwell s

       v

Social and Political Justice

ジョージ・オーウェルの誠実さ

 George Orwe11は1950年に47才に至らぬ若さで,肺結

核のためにその短い生涯を終えるまで,終生社会大衆に深い 関心と同情を抱き,power politics(権力政治)とそれに必 然的に付随するtreachery(違約)とdeceit(虚偽)を非難

し,Swift以来の屯営小説と呼ばれるAnima/ FarmやA.

HuxleyのBrave New確。πゴに比較される逆ユートピアを

描いたNineteen Eighty−Fourによって「非人間的恐怖の極 地を伝えた」(1)作家であるがこの小稿に於いては,Orwe11の 社会的政治的正義の諸相について彼の作品,特に7「he Road

to Wigan Pier, ffomage to Cata/onia, Animal Farue,

Nineteen EighlN−Fourを中心にしてたどってみたいと思

う。

 Orwe11はインドのBengal州のMotihariで1903年,

Indian Civil ServiceのCustoms and Excise oMcialの 子として姉妹にはさまれた一人息子として生まれたが,:父

は彼の幼い頃に退職したので,彼は8歳の時に英国南岸の

preparatory schoo1に通うことになったがこの幼年期の学

校時代は彼よりもはるかに裕福な家庭の子弟に伍して幸福

ではなかった。彼は授業料を免除してもらった代りに学業を 優秀にして奨学金を得,学校の名誉を傷つけない様にしなけ ればならなかった。 この様な貧困の家庭の子であるOrwe11 が富裕階級の俗物根性や,紳士気取りにかこまれたことは彼

の人生観に大いに影響を及ぼしたであろう。14歳の時Eton

校に入学,この有名なpublic schoo1で5年聞をすごすこと になる。この在学中に,彼は社会主義がどの様なものかを十 分に理解し得ず,叉労働者階級の人々が「人間」であること を実感として感じることは出来なかったけれども,17,8歳

頃の青年Orwe11は漠然と乍ら自分を社会主義者だと自負し ていたようである。その当時の彼はShawやH. G・Wells

等を読み,書物を通じて労働者達の苦しみを知り彼等と共に

自分も苦悶しようとするのであるが,実際にはそれにも拘ら ず,彼等に対する蔑視の念は拭い去ることはできなかった。

乃ち彼等がそばにいれば不快を感じ,彼等の話す言葉使いに 反簸し,彼等の持つ「習慣的粗野」に怒りを覚えるのであっ た。それは sme11 (臭み) に対する本能的嫌悪に似たもの であった。彼はいかにしてこの階級差別の意識と自己撞着を

自己流に解決しえたであろうか。彼はEton校卒業後大学に

進学せずビルマに行きそこでIndian Imperial Police}・ご勤 務することになるがこの時の経験がその解決への糸口となっ たことに問違いなさそうである。

  When later on 1 got rid of my class−prejudice, or   part of it, it was in a roundabout way and by a

  process that took several years. The thing that

  changed my attitude to the class−issue was sorne−

  thing only indirectly connected with it−something

  almost irrelevant. (2)

 と述べているようにIndian Imperial Policeに勤務する

ことはイギリス帝国主義という巨大なメカニズムの一部品 となって良心の有無に拘らずそのお先棒を担ぐことであっ た。Orwellの「正直さ」と「卒直さ」はこういったImpe−

rialismを耐え難い負担と感じそれに対して反簸するように

なっていった。5年間のその生活の果てに彼は,

  ... hated the imperialism 1 was serving with a   bitterness which 1 probably cannot make clear. L3)

のである。彼にとって他国を侵入しその民衆を抑圧する機構 の一部であることがうとましかった。

 彼は1927年に休暇を得て本甲に帰った時には再びimpe−

rialismのwickednessの中に立ち帰る気持にはなれなかっ

た。然し乍らOrwellにとってはこの「悪」の組織からの脱

出によって万事終ったのではなかった。このeventを通じ

て彼の心には現在までの自分に対する贋罪の意識が烈しく燃

(2)

津山高専紀要(第1巻 第5号)

え上って来たのである。

  1 wanted much more than merely to escape from   my job. For five years 1 had been part of an

  oppressive system, and it had left me with a bad

  conscience. lnnumerable remembered faces−faces

  of prisoners in the dock, of men waiting in the

  condemned cells, of surbordinates 1.had bullied

  and aged peasants 1 had snubbed, of servants and   coolies 1 had hit with my fist in moments of rage

  ... Iwas conscious of an immense weight of

  guilt that I had got lo exPiate・(4)(斜線は筆者)

 この罪の意識は彼に「the oPPressed are always right and the oppressors aエe always wrong.」のという推論を 導くにいたらしめたのであるが,この推論を基礎にしてイギ

リスの社会状勢を眺めるとき,彼は

  1 had got to escape not merely from imperialism   but from every form of man s do皿inion over

  man.(6)

 と感じ又イギリス労働者階級は,

  The symbolic victims of injustice, playing the   same part in England as the Burmese p1ayed in

  Burma.(7)

 と彼の眼に映じたのである。この様に,

  He reached the皿(decency, justice and liberty), not   through academic training, but by[ ,the exercise of

  his native jntelligence and much personal suffering

  in Burma and Europe.(s)

 と批評家も言う如く,彼は社会や政治の問題に対して常に

パーソナルなアプローチを持ってのぞんだのである。かかる

Orwe1王の態度は社会のあらゆる非人間的なるもの,不正な るもの,例えば階級問題,経済問題,帝国主義,等に対し

て,客観的な社会科学的,経済学的な面よりも倫理的な面か

らの解決法に重点がおかれてゆくのである。

  It seemed to me then−it sometimes to me now,

  for that matter−that economic injustice will stop   the moment we want it to stop, and no sooner,

  and if we genuinely want it to stop the method

  adopted hardly matters.(9)

 と言っているように経済上の不正は我々のそれを解決しよ

うとする意志次第であると言う。勿論このような考え方は economistや科学的socialist達からは一顧だに与えられな

い問題処理の方法かも知れないが,制度を変えなければ人間 性は改善できぬのではなくて,人間性,或は我々の思考方法

を変えなけれぽ制度そのものだけを変えてもどうにもならな

いというのがOrwellの立場である。

   If men would behave decentlly the world would

  be decent is not such a platitude as it sounds.(10)

というDickens論の中で述べているpassageはOrwellの 立場をよく描いているように思われる。扱て

 Orwell自身は具体的な生き方として労働者階級の中に自

己を投入することによって,つまり彼等と共に生活すること によって自分の罪悪感を一掃することができると考えるので

ある。その結果彼は「Among the lowest of the low」(ll),

つまり浮浪者の群に身を投じ,はじめは,異質感と危険を感

じていたが彼等と同じ釜の飯を食ったとき,はじめて安心

し,幸福感にひたるのであった○然し自分を労働者階級の地 位にまでおし下げることによって現実に,何等の階級問題解 決への手がかりにはならなかった。それは只彼の固執観念と

      

もなっていた階級差別意識消滅への自慰行為にすぎないもの

であった。が然しそうしない限りOrwe11自身にとっては自

己の倫理感を満足させることができなかったのであろう。こ のような彼の態度は,階級問題を考える場合にも,それを生 産手段の所有という観点から捉えず,もっぱら個人の意識や 生活慣習から見ているからである。

  If you secretly think of yourself as a gentleman   and as such the superior of the greengrocer s er−

  rand boy, it is far better to say so than to te11   1ies about it(12)

 と言っているようにここでは既にOrwe11の中にあるいわ ゆる「社会主義者の姿」は影をひそめて,Orwe11の「倫理

的リゴリスト」に我々は接するのである。彼は外形を整える のではなくて究極には人間の内面的姿勢の在り方に問題の解 決を求めているのであるQこのことは次の言葉によってもっ

と明確に裏付けられるであろう。

  Ultimately you have got to drop your snobbishness,

  but it is fatal to pretend to drop it before you昂re   really ready to do so.(13).

 HypocrisyこそOrwellの最も攻撃の矢を向ける悪徳であ

った。特に権力を持ったものの仮面と虚偽に対する鋭い批判 は彼の作品の底を貫いて流れる思想であった。

 当時ヨーロッパはヒットラーを中心とするNazismと,

ムッソリーニを中心とするFascismの勢力が拾頭し,個性

の無視と人間性を抹殺する全体主i義の危険に曝されようとし

ていた。Orwellの言葉を借りれば

  ...a. world in which nobody is free, in which

一324一

(3)

  hardly anybcdy is secure, in which it is almost   {mpossible to be honest and to remain alive.G4)

 この袋小路からの Away out (脱出口)はSocialism

しかないとOrwe11は考えるのであるが,そのSocialismが

一般の人々の信頼と人気を勝ち得ないのはそれに付随する爽 雑物の故である,つまり社会主義者のあり方にその罪がある のだと指摘しているが,

  To reconcil frGm Socialism be(ause so many indi−

  vidual Socialists are inferiOr peoPle is as absurd   εsrefusing to travel by train because you dislike   the ticket−collector s face.(15)

 と言っている如くに,社会主義を見捨てたり,それから逃       はびこ

回したりすることは全体主義をますます蔓延らせる原因にな るのであるから今我々のやらなけれぽいけないことは,

  It(Socialism) has b(:en buried beneath layer after   layer of doctrinaire priggishness, party squabbleF,

  and half baked progressivism until it is like a dia−

  rnond hidden under a mountain of dung. 6)(下線筆者)

 とOrwellの語るが如く,インテリ社会主義者の手あかに

汚れたsocialismをその狭い党派的な世界から広く一般の人

々の手に救い出すことをOrwellは求めるのである。つま

り,

  Everyone who knows the mean{ng of poveri.y,

  everyone who bas a genuine hatred of tyranny

  and war is on the sccialist side, potentilly.(17)

 と言っているように暴政と戦争を憎しむものは誰でも社会 主義の四方でありこの一般大衆の潜在的勢力をめざまし大き く結集するためには先ず現在の社会主義者の態度の反省を促

すのである。

 彼の考える社会主義とは

  Orwell stuck to t耳e simple and positive conception   of Socjalismヒased on g(:neral ideas of brotherhocd,

  fair play, and honεst dealing, and he distrusted   the involved metaphysics of Marxist thought.(ε)

 とAtkinsも言っているように,彼が社会主義を唱えるの

は,justiceと1iberty, commen decencyとequalityを守 るためであって,スペインで銃をとって戦うのも,そして反

共主義者になるのも,社会正義を守るためであったのであ

る。この事をもっと確かめるために,彼のスペイン戦争に対 する関係に移らねばならない。

 周知のようにこの時期の彼の姿を語るものはHomage to

Cataloniaというスペイン戦争に関するルポルターージュと Looking Bacle On The SPanish pmarというエ・ッセイに示

されている。スペイン戦争が始まった時,Orwe11はスペイ

ンに渡り,militia(人民軍)に参加したがその理由.として

  If you had asked me why 1 had joined the miiitia   I should have answered ; to fight against Fascism ;   and if you h a d asked what 1 was fighting for, I

  should have answered;  Common decency ag)

 と語っているようにtotalitarianismから「人間らしさ」

を守るために,つまり彼の中にある「社会主義」を体験を通 じて実行に移すためであった。然し乍ら彼がそこで発見した ものは何んであったろうか。EMThomasの言葉を借りれ

ば,

  Spain set Orwell on his guard against the exercise   of power by the left, as he had always been a: a−

  inst power on the right.(20)

 何故ならぽ,彼が一般社会大衆の味方であると信じていた

communismもソビエット国家権力の一部にすぎず結局は社

会大衆とは無縁であった。何故ならば,

  In reaiity it was the communists above all others

  who prevented revolution in Spain. Later, when

  the Right−wing forces were in full control, the

  commun{sts showed themselves willing to go to

  a great deal further than the Liberals in hunting   down the revolutionary leaders.(2i)

 この様なCommunismの態度はOrwe11にとってはFas−

cismをも含めて全体主義の一種と考えてはげしくそれを攻 撃することになったのである。なかんずくOrwe11の{nte−

gr量tyにとって許し難いものはcommunismのとった報道の

態度であった。

  It is impossible to read through the reports in   the communist press without realizing that they

  are consciously aimed at a public ignorant of the

  facts and have no other purpose than to work

  up prejudice.(22)

 このようなCommunismの報道のやり方はOrwellにと

っては 爆弾よりも恐ろしいものであった 。《t客観的真実性 という概念そのものが世界から消え去りつつあるように思え

で陳然とぜざるを得なかったのである 。例えばclassless societyの建設のために人民軍に加わり,ファシズムのため

に家族も,自分の生活も犠牲にした彼の親友が派閥争内紛そ

れだけのためにcommunistsに捕えられ投獄されたり,或

は又Orwell自身もPOUMにいたために追跡されたりする

事件からcommunismに大いに幻滅をいだいたのである。

然しOrwellはこのことによって政治的状況に対する関心を

(4)

津山高専紀要(第1巻 第5号)

捨てず,

  His own time in Spain was comparatively short,

  and the grebter part of it spent at the Front, but   there is no doubt that this provided him with the

  inside knowledge on which he drew in Animal

  Farm and 1984・(23)

 と言うE.M. Edwardの言葉を待つまでもなく, Orwe11 はむしろ政治そのもののもつメカニズムを文学によって捉え て行こうと努力したのである。Orwe11はBurmaに於いて は,Imeperialismのwickednessへのreactionを通じ,

イギリスではSocialistsへの挑戦を通じ,更にスペインでは FascismとCommunismとの闘いを通じて彼独自のsocial doctrineを樹立していったのであるが最後に左翼の暴政と権

力政治の行きつく暗黒の世界を描いて行くOrwellの抗議の

声.をきかねばならない。

  Animal Farm was the first book in which 1 tried,

  with full consciousness of what. 1 was doing, to

  fuse political purpose and artistic purFose into

  one whole.(24)

 とWhy f writeという一文の中でのべているが, Swift をはじめとして,古来幾多の作家によって広い意味で政治文 学にもっともよく利用された課刺の方法で彼は一層明確に彼 の批判の対象物を浮き彫りにすることができたのである。そ の文学的評価は幾多の批評家によって賞讃されているがホプ

キンソンはAnimal Farmについて,

  「これはオーウェルのもののうちで,いささかも苦渋の   あとをとどめない唯一の作品であって,まるで著者が浄   書以外になにをする必要もなかったようにまったく明晰   に,はじめからおしまいまで筆が流れるようにすすんで

  いる。」(25)

 と批評しているが筆者は今はこの作品のpolitical com−

mentをしなければいけない。

 Animal Farmは周知の如くに,ソビエット共産主義革命

を颯刺したものである。それは革命失敗の物語であるが一般 に権力の腐敗に対する謁刺と考えられよう。Old Malorが死 ぬる直前に語った,

  TVVeak or strong, clever or simple, we are all bro−

  thers. No anjmal must ever kill any other animal.

  All animals are equal.(26)

のような理想社会の建設のために動物達は革命を起こしその

農場(Manor Farm)の主人公であるJonesを追放し一時

は彼等の夢みたユートピアが実現したかに見えたけれどもす

ぐに動物達の中で最も知性のすぐれた豚達に指導権が握ら

れ,その駆動の実力者のNapoleonとSnowballの権力争

いが始まり,Napoleonは自分のひそかに飼いならしていた

警察犬によって競走相手のSnowballを追出し,その後は,

白を黒と言って潭からない狡猜なSquealorとNapoleonと

.の権力政治によって他の動物達は再び暴政に苦しみ,以前に 動物農場のすべての動物が永遠に守って行くように定められ た不変の法則である  7っの戒律 はすべて,権力を握った 豚によって破壊されてしまい,物語は双六のふりだしに帰っ てしまうのである。つまり権力者が人間から豚に代っただけ であって一般の動物は独裁者のごまかしと圧制の下に悲しい

運命をたどらざるを得なかったのである。Squealorの言葉

のごまかしや, Surely, comrades, you dQn t want Jones

back というようなcatch phraseによって動物達は次第に 物事を正しく考えることができなくなり,批判精神の芽をつ みとられ,真実と虚偽の区別が出来なくなってゆき豚達に操

られることになってゆくのであるQ

  Behjnd the reiterated cry of the pigs to the Qther   animals;  Surely you don t want Jones to come   back,   lay Orwell s experience of a real situation

  in which the Spanish workers could be rnade to   accept every encroachment on their freedo皿 by   reminding thern of the supreme need to win the

  War. (27)

 とE.M. Thomasが言うように, SquealorはOrwe11が いや程スペインで体験したcornmunismのやり口を表象し

ているのである。この様な思想統制はtotalitarianismの取 る常套手段であって第二次世界大戦でも我々が身に泌みて感 じたものである。扱てこのような状勢の下で最も残酷な目に

会うのは労働馬Boxerであった。

 Boxerは巨大な馬でほとんど18ハンドの高さ羽あり,普 通の馬の二頭分の馬力がある。然しBoxerには自ら考え出

す知力がなく,常に豚を指導者と仰ぎ,教えられるままに行 動する。そうして理想社会実現のためにすべてを捧げる。

彼の金科玉条とするモットーは Iwill work harder と bomrade Napolen is always right. の二つであった。

このBoxerの理想社会建設の大目標に対するあくなき献

身と純粋さと誠実さを徹底的に悪用してゆくNa・ poleonや

Squealorの姿の中に権力政治の腐敗の象徴的姿をOrwe11

は察知するのである。既にのべた様にOrwellは只Stalinism への批判だけではなくして将来どこにでも起り得る可能性を 持っているものとして我々に警告を与えているのである。

一326一

(5)

 ところでこの強健で,励ましいBoxerも遂に倒れSque−

alorに騙されっっknackerの車に乗せられ屠殺場の露と消 えて行くのであるがそれではAnin7al Farmは完全に救い

のない絶望なのであろうか。我々は独立した考え方をする能 力を持っているClo▽erにOrwellの希望を見出すのである。

Clo▽erはBoxerの同僚であるが或る日丘の上から平和な農

場のたたずまいを見下し乍ら彼女は涙を抑えることができな かった。何故ならば「人間」を打倒した当時動物達が理想と

して描いたものと余りに異っていたから。勿論Jonesのい

た時代に比較すれば事態はよいことを知ってはいたが,動物 達がwindrnillを建設するのに苦労したり, Jonesの射つ小 銃の弾丸に勇敢に直面していったのも,現在のように誰も自 己の本当の気持を発表する勇気がなく,檸猛で吠えつづける 警察犬がうろつきまわり,同僚が殺されていくような世界を つくるためではなかったと考えざるを得なかったのである。

このCloverの.自覚を豚は抹殺することはできなかった。

  Leadership devolves almost automatically upon theT一    pigs, who are on a higher intellectual level than   the rest of the animals. Unhappily their charac−

  ter is not equal to their intelligence, and out of

  this fact springs the main development of the

  story.(2s)

 と述べられている様にintelligenceにcharacterの伴なわ

ない政治は狂人に刃物を持たした様に危険であると同時に,

一般大衆の批判精神と政治的自覚がなければその危険の傾向 は益々度合を増すことは明らかであることをAnimal Far皿

は教えてくれるのである。このCloverの自覚(Clover s

C3pacity for independent thought)(2g)は次の小説Nine−

teen Eighly−Fourの中に於ける proles への期待につなが るのである。 proles のいる世界はもっと残酷であるQ   Some people dare not face this novel at all;

  many cannot read it a second time. But for those   who are interested in Orwell s ideas, there is this   alternative.(:o)

 と言われる程に,人間を待伏せている未来の個性の無視と 人問性の抹殺された悪魔の如き陰惨な全体主義独裁国家の世

界がNineteen EightN−Fourの世界である。この本の書か

れた頃,宿下の結核に倒れ,「もしこれ程病態が悪くなけれ ぼこれ程91。oniyなものではなかったであろうに。」と彼自 身が言っているようにこの暗い世界の描写の一部は彼の肉体 的哀弱によるのかも知れない。扱てNineteen Eighty−Four では世界はOceania, Eastasia, Euraslaの三つの国家に分 かれており,これら三国はいずれも全体主義思想と政治組織 に麦配されている点では三国とも殆んど異なるところなので

ある。そこは,

  Every citizen, or at least every citizen important   enough to be worth watching, could be kept f or   twenty hours a day under the eyes of the police   and in the sound of offical propaganda, with a]1   0ther channels of coエnmunication closed.(31)

 この様に厳重に拘束されて,逃げる隙のない監視の眼の光

る社会であってこの統制された国家はBig Brotherをその

頂点としてピラミッド形の構成をなしている。Big Brother

の下にはInner Party(党幹部)があり,その下にはOuter Party(平党員)が来る。党幹部を国家の頭脳と呼ぶならば

平党員はその手にあたいするものである。この平党員の下に

は,普通Prolesと呼ばれている唖も同然の大衆が来る。そ の数は恐らく総人口の85パーセントになるのである。そし

てこの全体主義国家を支えてゆくための思想統制の武器とし

て三つの道具が使用される。その第一はcrimstopである。

それは党の方針にとって危険な思想が生じた場合には,本能

的にそれを停止させることである。第二はbユackwhiteであ

る。それは明白な事実と矛盾していても黒が白であると無分

別に要求することを意味し,第3にdoublethinkである。そ

れは人の心の中に同時に二つの相矛盾する信念を持ちそうし て両方共を受け入れる能力を意味するのである。若し党利に なるように自分の信条を変えることのできないならば党に忠 実でない異端者として処罪されるのであるQ

 Orwellの投影と見られる主人公Winston Smithは党の

方針に合致するように新聞のバックナンバーの関連事項を変

更する仕事に従事している。がWinstonは過去の事柄を次 から次へと想い出し,Oceaniaには何か間違ったものがある

と感じとる,まだ良心の失われていない人間なのである。

Winstonは過去をなつかしみ,人間らしさを見つけようと

してせめて自分の心の中に浮かぶことを書き留めておくため

に日記をつける決心をする。Oceaniaには日記をつけるこ

とが法律で禁止されている訳ではない。何故ならOceania ・・trc は法律はないから。併し党に反対すると認められる行為はす

べて思想警察によって罰されるのであるq次にWinstonは

女党員と恋におちいる。恋愛も又党への反抗と看散されてい

るのである。Oceaniaではこの様に全ての人間的なものは存 在できないのである。最後にWinstonは思想警察のスパイ

に欺かれて逮捕され,党の代表者0 Brienという男に訊問

と拷問にかけられるのである。党が2プラス2は5であると

強要して,Winstonを洗脳しようとしても2プラス2は4 であるというsanityを彼はあくまで:貫こうとするが遂に党

(6)

津山高専紀要(第1巻第5号)

の前に屈服してしまうのである。この事は人間らしさを求め ようとするWinstonの圧力に対する反抗と敗北の歴史で もある。Win$tonの敗北は,愛も正義もなく,人生の多様性 への好奇心もなく,只あるのは権力への執着と党首への忠誠 と,helpエessな面貌なものを踏みにじった時の快感のみの 完全に支配する世界の勝利を意味するのである。然しこの悪

魔の世界の統制外にいるものがあったQそれは唖の如く黙し

て語らぬ鈍重なprolesであった。 WinstonはO Briqn l・こ 屈する前にprolesに一縷の希望を托すのである。

 ウィンストンは下宿屋の二階から洗濯物を干している一人

の女労働者の姿を見てそこにprolesの象徴的姿を読みとる

気がするのであった。

Tbe wGman down ihere had no皿ind, she had

only strong arms, a wafm heart, and a fertile

b副y.He(.Winston)wonderEd how many chi正d−

ren she had given birth to. lt might easily be fifteen. She had her momentary fiowering, a year,

perhaps, pf wild−rose beauty, and then she had

swollen 1ike a fertilized fruit and grown hard

and red and coarse, and then her life had been laundering, scrubbing, darning, cooking, sweeping,

po1量s届ng, mending, scでubb∫塾9, lavAderiP9,五rst foご children, then for grand一 children, over thirty unbroken years. At the end of it she was still singing. The mystical reverence that he felt for

her was somehow mixed up with the aspect of

the pale, cloud!ess sky, stretching away behind the chjmny pots into interminable distanee.,..

The birds sang, the proles sang, the Party did not

sing. All round the world, in London and New

York, in Africa, arid Brazil, and in the myste−

rious, forbidden lands beyond the frontiers, in the streets of Paris and Berlin, in the villages of the

endless Russian, plain in the baz2ars of China and Japan−everywhere stocd the same solid un−

conquerable figures, made monstrous by work and

chjldbearing, toiling from birth to death and still

Slllglng.(:・2)

 proles(社会大衆)の世界は平等の世界であり, Orwellが 一貫 して夢見たclassless sOcietyである。平等のあるとこ

ろにはsanityが存在することをOrwe11は信じるのである。

このsanityとはNjneteεn Eighty−Fourに於けるmadness

の世界と正反対の愛と正義と自由と人間らしさの存在する世 界なのである。その様な「世界」の実現のために,prolesの 中にある大きい生命力に期待と信頼をかけると同時に彼等の

覚醒を促がすのである。そうして上述の女の姿の中にOrwell はいかなる権力も永遠に征服しつくすことのできない人間の 姿を描いていると同時にこの征服されつくされえない抑圧さ

れた人達の利害を知識人の真の利害として見考えて行こう

と志向する姿をOrwellの中にみたいのである。

  When 1 sit dewn to write a book, 1 do net say tG    myself,  1 arn going to produce a work of a. rt,

  Iwrite it because there is some lie that I want

  to expose, some fact to which 1 want to draw

  attention, and my initial concern is to get a hea−

  rlng.(33)

 と書いている様に,Orwellは社会や政治のiniustice, hy・

pocrisy, dishonestyとの闘いを,彼の実践を通じての感覚 と倫理感を通じて訴えつづけて我々に警告を与えているので

ある。

 いかにも彼のような人間にとってはその現実認識が狭小で あったり,或は見当違いもあったり,主観的すぎる点はあっ

たとしても,

   The durability of Gulliver s Travels goes to show    that, if the force of belief is behind it, a world−

   view which only just passes the test of sanity is    suMcient to preduce a great work of art{3e

  とOrwe11が彼のGulliver s Travels論の中で, Swiftを 批評した言葉は彼自身にもあてはまる言葉であろう。最後に E.M. Fhomasの言葉をかかげておこう。

   He wa$ not a moral teacher but a moral perceiver    and to understand him is not to ask how he would    have so正ved a prob正em, but how he would ha▽e

   seen it.(3s)

一The End一

1) Raymon Williams, Culttere and Society 1780−1950   (Penguin Books ln Association With Chatto & Wjn−

  dus) p. 277.

2) George Orwell, The Road to  VVigan Pier (Penguin    Books ln Association With q.,ecker & Warbury) p. 126.

3) ゴうゴ4.pθ126.

4) George Orwell, op. cit. p. 129.

5) George Orwell, ibid. p. 129.

6) George Orwell, op. cit. p. 130.

7) George Orwell, ibid. p. 130.

8) Laurence Brander George Orzvell (Longman, Green   and Co London. New York. Toronto) p. 14.

9) George Orwel!, op. cit. p. 130.

IO) George Orwell, Decline of Tfre Ereglish Alecrder       (Penguin Books) p. E8

一 328 一

(7)

植月        oワ

11) C−eorge Orwell, The Road to Wigan Pier (Penguin    Books ln Associatin With Secker & VVTardury) p. 134.

ユ2) op. cit. pp.ユ47−148,

13) iろidっp.148.

14) op. cit. p. 149.

15) op. cit. p. 194.

16) op. cit. pp. 189−190.

17)OP. cit. P.19ユ.

18) John Atkins, George Orwell (John Calder London)

   p. 13.

ユ9)George Orwe11, Hcmage 1「o Cala/cm a(Pel〕guin Bocks    In Association With Secker & Warburg) p. 46.

20) Edward M. Thornas, Orwel/ (Oliver And Boyd Edin−

   burgh And London) p. 47.

2ユ)George Orwell, op. cit. p.57.

22) George Orwel!, op. cit. p. 160.

23) Edward M. Thomas, op. cit. p. 48.

24) George Orwell,

25) Tom Hopkinson, George Orwe/l (translated by Kei一

   ichi Hirano, Kenkyusha, Tokyo) p. 38.

26) George Orwell, Aninza/ Farm (Penguin Books ln

   Ag.sociation W. it.h Secker.&. Warburg) p. 12.

27) Edward M. Thomas, op. cit. p. 48.

28) The cover of Animal Far?n (Penguin Books ln Asso−

   ciation With Secker & Warburg.

29) A Critical Commentary Anima/ Farm (Study Master    Publication published by American R. P. M. Corpora−

   tion New York. N. Y.) p. 31.

3・O) Laurence Brander, op. cit. p. 184.

31) George Orwell, IVineteen Fighly−Foblr (Penguin Books    In Association With Secker & Warburg) p. 165.

32)George Orwell, op cit. pp.ユ75 ユ76,

33) George Orwell, Dec/ine of The Eng/ish Murder

       CPenguine Books) p. 186.

34) George Orwell, Selected Essays (Penguin Books ln    Assoc呈ation With Secker&Warburg)p.ユ42,

35) Edward M. Thomas, op. cit. po.. 98−99

       (昭和42年9月30日受理)

参照

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