朝鮮伝道論をめぐる海老名弾正の 「内地=日本」
認識 ―柏木義円 ・ 吉野作造との比較を中心に―
著者 洪 伊杓
雑誌名 明治学院大学キリスト教研究所紀要 = The
bulletin of Institute For Christian studies Meiji Gakuin University
巻 49
ページ 143‑183
発行年 2017‑02‑09
その他のタイトル Korean evangelism and Ebina Danjo's understanding of Japan as Naichi ‑ a comparison of Kashiwagi Gien and Yoshino Sakuzo
URL http://hdl.handle.net/10723/3077
海 名 正の 内 日本
洪 伊 杓
との を中 に
1. は に
た 欧 力の は日本の の ,明 治 による 代 を する と た。日本は の 全 を
とし, を たすとい 内 のた の に を た。(1) で した 内 とい は , 内の の内 を する (一 )名 として
,(2)日本で 内 は と 島 を いた日本の 内部を する で た。し し, 欧 の を る 内
論 (3)を て, , 海 た 他者を見 る と(4)と り,内 は の と を て行 。特に,日 , 台 と とい しい 部に し, 内 は 日本の を
す 有名 として た。( ) と 海 は しい の とと に 内 と 格する , 要 た 内 ( ) の 程は, 日本の 論の 別的 力に た。
のよ 的 内 の 程,す 的
に しては 一 日本の 内 (In erna o onia ism)( )
と している。 のよ の中で,日本は まで
の 欧の と り, い る に論 と
の を とに た。 欧の には見 い日
本 の特 に る。(7)す , 欧 の 論の と した内 の 要 内 の 定と の 的
び 大 で た。
本論 で り る,海 名 正の 論 は,明治 たに した日本の を する 有名 としての内 と,
的に として た , の を のよ
に 容したの とい と ている。 て,海 名と の で る 常 , 教会にお る 内 としての日本 と
としての とい 2 の 代 の を究明する とは,
代キリスト者の に する を し, するた に ると え る。 のた ,本論 は海 名の 論 を
的に した 教会の と の 内 日本
び との を る。
2 海 名 正と 常 の 論
の
1910 年の ,日本 は 内 日本 としての 有名 を徐 に 大し の 名 る。1910 年 7 月 日に た テ トスル ト とい 内 決 文では, の で (大 )とい 名 を の一
と すた と する とを決 すると に,( ) の に いて論 , の 日本 とい 表 を し, 内 と た。(9) で の内 文書は 内
と の に して基本的には で る 要 は 律 で 限 で ると , 的 きの を明 にし ている。 内 と とい 明文 たのは,すでに 内
と の区 による 別 の に た。 年 の 191 年の 日 を見ると,京 での 加 で日本
る を 内 とい で表 している。 内 とい は, 文書 では の日常的 にまで して行 た。(10)
, の ていた 有名 としての内 を 容するとい とは, まり の は 内と (11)
した とを た。す ての 基準 の内に た と り, 文明 た日本 内 ( )に て, 日 本 に 内 の を し, は未 文明 てい い 的
に した。 代文明を たした 内 としての日本は,
と の と り, の論 の中で 文明と日本とい 内 は,
では 代 とい 名の で とい 要 た。
一 で,日本 の は た 内 を 的に と によ て, 日本 文明 , 日本 の中 とい を てい た。
の
の
に 教師を 日的に した , キリスト教 まで 日本に 的 を よ に た , してしま た。
のた し, したの ま に 論 で
る。(12)すでに 1 92 年 日本基 教会の島 による 出 (13)を した , と , 教会の 論 は,
と した日本キリスト教 力の の 格 より た。
論 を 論的に した は海 名で り, した の で る で た。海 名は日 に して,
日 日本 文明を 大 に える に た。 は 特 別に日本に委 した で る (14)と ,日 の は,
のた の (1 )とい 表 と に, の 会に日本 は のよ に大 に 出し,( )日本 の を 由に行 , と中 日本 に る き (1 )とした。 のよ に海 名は明治日本を の
他 と区別する 的 に ていた。
の に基 いて,日 で る 1 9 年 4 月には, 教 会 中 と り 日的 を養 する学校として京 学 を ルに する。(17) の学校は 日,伊藤 文 日本 の にして に したのは京 の (1 )と た ,
的に た。し し, ルに ,京 学 の を た は, に 教 を 的に し い当 の伊藤 に する した。(19)日 の , での
をより本格 した日本のキリスト教 は,1904 年 3 月に日本中 教年会( スト教会) 原 ,本 一 を ルに し, は 日本 教に 中した。(20) 年(190 )には 原牧 師 京 教会を て,190 年には 田 に, 仁川 に教会を てる , に を た。(21)し し,日本 の 限 に すると,海 名 は を し
いとい をより 調する とに る。 の 論 は内 としての日本と としての とい に した ので り,
の 1907 年 教会は を 者として し,キリスト教 を本格 する。(22)
海 名 した『 の 』(1909) 『 と基 教』(1912)
には, の 論 に する見 まと ている。 は,
にで 出 て行 には 日本 を代表して行
い。 千 の代表者で ると とを ては 。(23)
と い, 二千 の とは きり区 して,日本 (内 )の の と を 調する。
のよ に日本 (内 )と海 ( )の を 格に区 する 由は, の( )中大 に りては 文明の た る い (24)とい 発 によ て明 で 。す ,文 明 をすでに した日本を の とは に いた
いとの え ,海 名は日本の 出と の (内
)は, の に て( ) の を する とし, 日 本 は し 東 文明の を と して に る きで
(2 )とした。 の での を ,発 るた には日本 のキリスト教,特にプロテスタント教会の 要で ると き,
のよ 論 に として行 たの のよ
論 で る。
は明治 代の 教として見る き の二 で るを る,一は 教にして他は プロテスタント教で る。( ) プロテスタント教に
りては, を の に て し, の に て
見るに, の 教たる を有する は い。 は
者 に る所 る きを と する。 し に て日
本本 の社 に り てたる社 を するに , の す き に して, し き といは るをえ い。( ) 日
本 の は の と て る所 。(2 )
して,日本のキリスト教 島と で 教し するのは,
正し を する の で る の で る大日本 (27)を に るた で る。 を とするには,( ) の
する日本 を に 。( ) の日本 を に す る のは,( )日本 の 者とい (2 )ので り, の を担 のに しい 教 キリスト教で る,と 論 た。
に たして の 力 るで ,( ) の中
には,( ) して を して 的を し える きを 。
基 教 に の る とは の る所 , の 未
力にして を する と は るは明白で る。 の二 より
名は に て , の たる ( ) 的の
を しえるので る。(29)
海 名は 日本を り出したるは 教に して 教育に た るので る ので, の の は 的教育を て を 日本 する と (30)で るとし, の , 日 の基 教 大日 本 に て を とは, の て は る所で る (31)
と 調した。特に に して 的 を きで り,
の は の (32)で ると 調した第一の 由は, を すると否 るとは,日本 大 と りて を し る 否 を する ので る。 は 日本 の 金 (33) た
。す ,有力 しい としての を 内 として の日本のよ に 文明 する とで た。
日本 に を文明 し日本 するの 力 る とは, を い所で る。( )し 未 を文明 する とは を を い。 (34)
海 名は, の を し る に,
を する , の 代史は に の で る。
より は い (3 )とい 表 るよ に, を している。 のよ に を 評 する海 名の は『 』 他の論 に り し する。(37) て, は の で る ,し し, は に日本 を て 文明の を する と で ると のよ に る。
は するに して, に するを る り( ) の文
明は に はして り,よ まで はした の
で る。 は を し, は を した に, の文
明は を までに た。 (3 )
文明の を する と 出 る。非常に 的 に る と 出 る。 の に て行 と 出 るので る。 治 の
見る には,日本 に して の 。( ) の
に るに て は日本 の に を ると
るに 遠 い。( ) の に て と日本 とは い基 教に て 学 と 出 る。(39)
を する第二の 由は, 日本 の大 を 的に 行す るた 的 力 で る 。海 名は, を し るの とは( )一 を する 力 りと,( ) し
力 い , の は全 一 的にして 的 る
(40)と た。また をす する と 出 い , を とは非 に い。 し を する と でき
い ,日本 は に 力を に する とはでき い
(41)とし, の の で る を
にし,日 の大 的を完 する所 (42)に ると た。 に 日本 の に行 者に て士 の を要 し,基 の を要 する (43)と,海 名は大 出において 論 と
にキリスト者の大 を一 して 調したので る。
第 の 由は, 東 の を 行し (44), 東 を するた で ると えた。
する と い , まで 日本 の大 と と す きで る。( ) を するの は り の に して,
日本 の で る,( ) に東 の で る。(4 ) 日本
の に するは, り日本 の たるの , の
と る, り の たるの , に る東 の大
る と る。(4 )
論として, 日本 を て に全力を し , に で東 の を全 するを い, して日本 の
は に に る(47)とした。 論 の は,
内 日本 の中 に , 的 の によ て,
全 日本 るとい を したので る。
のよ 大 に 部の に し
ていると のよ に ている。
の大 の発 で ります。 い で た。 は の,い に い た所の の中に た所の で た。
発 をして の て行 程 に の大 大き て行 ,
一 は大 の の は い , では た い
,大 の の , 内の大 の の ,所 て る。大
き て て る。( ) の 発 して東 の に て行き,
して に 海 に行き, 千島に行き に行き して の は
の して の に と て て るの 。 して の
は の の に て て る。(4 )
の
教会は (1910)を の と し,文明の 者
として を して行 いとい の ,
での を本格 に教 を してい た。(49)1910 年 10 月,
海 名は 『 論』に のた には, 第一, の を し る と,第二, は で るとの区別を し る と,第 ,日本 と を てる と,第 ,日本 的の基 教を て し る と ( 0)と した。 の にはす でに東 で完全 キリスト教は 内 としての日本 のキリスト教で るので, としての 完全に内 (日本)の一部に るた には 内 と し , を たすた には に より を 内 る と 的 と えた。 のよ
論 は, の 的, 的 を た。
と基 教 とい 1912 年『 日 』の には, のよ 内容 載 ている。
日本 基 教会に した京 基 教会(内 ), 基 教会(
)の,二 の教会は して, る 14 日 大 内 の に る京 基 教会で を行 た ( 1)
1912 年 7 月 30 日,明治 の を する 会 ,京 基 教会は 内 で り, 基 教会は で ると明
している。 に内 と の 別的 区 する中で と い 表 的 一を ている。 のよ の中で,明治 にお るキリスト者で る海 名 , たに た 有名 としての 内
日本 とい を 的に の文 に とは た。した て,1909 年発 た の『 の 』において 論 を 明し 内 ( ) は全 , と 日本( ) を
ている。し し, 行 て し 内
を の文 に い る。『 』に載 た社 日 の 本的
(1914)で の は内 の士 と して る訳では い。( )内 の教会に力 きを する ( 2)とい 表 てい る。海 名の にお る を した 原 の 海 名牧師と
(191 )には, 師(海 名)の大名を てして , り る のは に内 に て た と表 ているよ に, と 日本を し ,第 3 内 一の ,第 4 内 の
たる の中で 内 日本 と 内 とい 表 を に ている。
海 名師の 中には に の未 に る りでは い。内 た一大 に いて る。( )内 一 の を の るに る
る 。 に由りて内 た る ので る。( )内 に して 大の は る きは る , て を する 者として の を し,( ) の に て 海 名師の 力は に しは いので る。( ) は の の を見, 海 名師の と し , の に し る との りに るを いて た
, は と す る内 の で る。 ( 3)
内 一 を 調し , は内 の により ,
力と に いては内 の で ると し ている。 いて『 の 教』(191 )で , は の で る
, に る は に で, に る の る( ) 内 治 の中に見る き で る ( 4)と, で して いる 治 ( ) を 評 し, 内 を 的に
。 で, としての にお る 治 で るの 提 で, 内 日本 は 全ての基準に るとい る。
し し,一部 にお る 治 教育 の を のよ に てい る。
二 と いてをる。( ) は日本内 に て した の,
明治 る所の る のを に と してをる否 して
をる。日本内 に て に た い のを るのでは い,未 るよ い のを て行 て, に て を とするので る。( )
また, 内 の る の し るは
る で る。 は 内 の 力の を する。 して る 文明力は に発 して内 に ては行 と は る 画, を
に て とし るので る ( )と,内 のよ に と 文明 ( )して行 とい で,内 の 者の き を 定的に評 する。 で 内 ( ) とい は, に と非文明を する としての ( ) と て
ている。
海 名は, の い 内 にいる とを の と, 内 に は海 に, ,研究を たる ( 7)
要 ると提 した。 で 内 と海 は 日本と を す る , と 代と文明 を している。す ,海 名は 内
とい を 容し,より 明に の 欧 の え を表したので る。
のよ に 定 した 191 年 は, た 内
( ) を海 名のよ 明治 の 的に した と できる。 の の 内 は,海 名 て 調して た 文 明としての日本 を し, の 文明 の としての しい の は, (中 大 )にまで 。
否欧 に て 見る る文明的大 にして, をして を るをえ し る の る。( )内 の の に 出した の
る。( )文明の大 は の に るの , を し し て, を き の大海に き行 ので る。 ( )
の で 海 名は, 内 の 完全 を表している
, を し 全 の を えるた には 教的 ているとし, び 論 に基 いた 教 ,特にキ リスト教 の を 内 の完 において 要 要 として え ている。
にた し る のは内 の に るを見る一 の で る。 文明の を す き 教的 の で る。 日内 に
て い。 者の に る ,( ) 全 の
と る は出 いので る。 一大 は内 に て る に て りで る。 に の と る所で る。( 9)
し し,海 名 日本と を に表 する には 日 とい 表 に ま ている。191 年の 書『 的 教と 的 教』で
日 の は い, には に日 一 の 表は てをるので る。
の一 の力は 基 の で る ( 0)と たよ に,内 とい にまでは に てはい い。し し,日本 を た
の中 基準として える 内 日本 とい は 容して 行 と できる。
の
海 名は に 内 で る日本 内 で した。一 , の で
る 常 は 論 を で る で し,
行した。 で と出会い , い し
たとい において, の 内 日本 に する は,海 名 の とは 本的に た。また, しい に して敏 に する 代的 海 名と る で た。
において 1907 年に した文 を見ると, 内 より 日 とい 表 をより いている。 の中で, 日 東 文明の
に ( 1)と表し,日本を 文明 として える 内 日本 とい は たよ で る。し し,1910 年の
日本の完全 に た に いて, た と の ると に, の中 としての 内 と し
た。 のよ は, 論 を 的に した
教会 により た。 教会の 『基 教 』の 190 年 の には, に 日本の 教会 を 内 の 教会 ( 2)と してい
る 。
は 7 年 京 学 にと まり 日的キリスト教 ルー プの を し, の 日 の 要 を した。 して牧師
を た の 1910 年 10 月, 教会 論 を 的 に採択すると, は 年 月に び した。 , と日
本 の 的 を た は,7 年 りに ルの 教会と の 教会を 全 に 140 教会を て,13 000 の を した。( 3) の の ( ) 論 の は, のよ に 海 名の論 と している。
とは に する の とで る。( ) には の 教師 をして るので( )日本 の に る は 要で
は るまいと いと ,し し( )日本
。( ) では いと る。
( ) 治 と の に提 して の大 を全 とを
ので る。( 4)
は 的 として 論 を している。
特に の 的 内容は, , 教師的 に基 。 1907 年の ル ート(H. . H er ) 教師 による ー
を て, ( ) 教師に する非 を した とと に る。海 名 した 『 』で 教師の と の を 非 している。
る の す を , 日 の一 力たる と り,
い と 教師の に て, 当 者を ま り。 教師 る の し 日 の を明 に 。否 にして 日 の 者たる
の る し, ( )
に は『 教 の 』(1913)において の教 に を を欧 に一 して 日本 を して る と た 二大 (日 ,日 筆者 )の大
を し し るの しと 限 ( )とい 論 を載 , 論の 要 を力 した。 は の富は 限と て よい富の 出の に 全力を 。( ) しには日本 は大 に 出す は出 ( 7)と た , のよ ,
を の にしよ とした海 名の をより に表してい る。
で は, 内 の の教 と, の に
る教育( )は, をして興 し る ( ) 内 一 と て 文明を すと とは, る では い。( ) 内 に る教育の を, のま た ( 9)と る
, 的に 内 日本 とい を 容している。 で は 内 一 を 調している , の 本格的に たの は 1937 年の日中 ので, の 内 一 の は
い。1919 年,3.1 , 教会の 牧師 一 3.1 を による とし 的内 一 (70)とい で
を行 た とに を したよ に見える。 は『
教 の 』(1913) ,1917 年に の 日 に寄稿 した 内 一 の (71)とい 論 を発表する い 内 一 とい を した。 年, 論 の を す る文書で は を 内 のよ ルに るよ し
いと のよ に 調している。
の には , 大 の には を 行する
る に, と 的 を 容を , の に る
て内 の る と び きを しと はし る の り。 (72)
で に に ておきたい。 教会を代表する
としての 論 の で たのに して, は で た。 は 190 年に し,193 年に るま で で し,日本基 教 会 部 で り,日本 基
教会 部 部 で た。また の京 学 と する で した 明 学校を する , の日本 (内
, )のた 力した で る。 した文 に ,日本( ) よりは 内 ( ) とい に している。
に出 た本に る 史 を見ると, 内 と
とい で, の を 内 するた 力を
した る。
の 内 の と ては まで大 に いのです。
(73) の は( )内 の 学 より ります ,( )内 の より に て ります。( )一と しいのは 内 の と して するのを 有 に りました とです。( )内 と の 者
出 るので , の は 程 しい とは
は ま 。(74)
また は, での 教育 は 内 を するた で るとした。(7 ) のよ に 内 を 調する とによ て,
で する内 (日本 )としての を し,
( ) の を 正当 した。 は, に た 由に いて『 』に 内 のた に と して 内 の を て (7 )と に ている。 で 内 とい
の 日本と に する ン ランス を表 している。
のよ に して海 名は,193 年に した に, 年に に た の を , の に を表したとい (77)。
3 と の 論 と 内
した海 名 の 論 に いて,日本キリスト教 , 特に 教会内部で した。(7 )特に, は 日本
教会の において, 論を した 教会内部の として 治 , , の 名を ている。(79)
では, と の海 名(また ) に し, 論を
る の 内 の を する。
の
の 中教会で海 名 し, 教会の牧師に た は,海 名と い たに 海 名に する 的
を す とは た。( 0) え , の (191 )で のよ に ている。
中の会 に た。 の 教 て 執行 た。海 名牧 師の 教には別に し た。 ( 1)
に して は (海 名) 講 にた ,( ) たる を て, はル テルを き, は ロを いて, の の 基 に る は,全 として の学 と に と り, は し は を し, に の るを た ( 2)と
た た。特に,1910 年の の ,海 名 論 を本格的に した に行 た講 に いて , とと に で していた 本 は に い で り,一千の
は る , に する に,( ) に た ( 3)
と ている。海 名 的 を ていた に し て, は基本的に で り, で 的で たと え る。
の , 本 学校の する において
海 名 と 見を にした で た( 4)と している は,海
名 正 を とい で, の た 見
論 にまで ていたと のよ に る。
( )より 海 名 と び とは 見 する
た。 に 内 代の 教会の に しては
の しき ので た。 た と して 見 る
と た た。 として の を し 大で
た に て に き の たのは る とすると
で た。 ( )
社 に した海 名に た書 に ,教育 の に基 いている して 日本 の を
るの で ると 調している。 の , は 論 と して表 した中 と の 的 を している。
は日本教育 第一 教育 リト 。 ト ト
出 テ ル 日本 教育 ト 。 ル ト
ト リ日本 セラ ル限リ リ日本
ル ,( ) ル 。 イ 協的
ラ ル 由 テ リ出ル ラント 。( ) ( )
教育 の ,また を日本キリスト教と
するた に 力した海 名とは, の において決別する とに
た。 , 論 に する 論を 的,また 的に したのは, した『 教 の 』(1913)を, の出 に して 。 は,海 名と に牧師として の
には していた ,日本の に してしまい,
キリスト教的 と本 を た で に する と で る を している。 は, 島 の正 的 に し,
海 名 の 的 由 学に しては 的で た。( 7)す
者の と い を 調する正 と
者の 格完 を 調した 由 学 の で, 者を した は, 力と した で行 る に し,ま 日本 キリスト者の い ると えたので る。
した て は,日本 の 的 的 者に る資格 るの を ている。
に日本 は の の 者たる資格を有て るで
。 を基 するの 要より 日本を基 するの 要は に では
るまい 。日 に基 る限りは日本 を し る とは
と の ( ) を するに ま るを い。
の は の日本 で をして の 的 を り
治を の を 日 一 の に し るに て( )
に き日本 を して の 的 を とするに る で る。 し,
は 教育を て す き とでは ,( ) 教 に す き
で ( )
のよ に 教会の 論 を し , は当 に 一 していた 内 また 内 とい 表 を と ,日 本 とい 表 を 的に ている。 は内 に
定的で た海 名, の とは区別 る で る。 内 一 では , 日 一 の とい 表 を い, 内 とい
一 し してい い。( 9) のよ に の は,
有名 としての内 ( 日本)の を否定し, 名 として の内 に基 いて を ていたので る。また, は 1919 年に で 発した,3.1 の に , 教会,
教会 を し は( ) に
ての 日本 全 に て に 大 で る (90)とし,
は 内の日本( )の を し, のよ に 日本 の と の の を した。
の ( ) し に で行 日本は に の
的 の い として るるに るで 日本 は
の す は で を する ので る( ) 日本 の
日本 の る に は の りでは い。 年 の
に して で る。( )日本 には たして の る る は るを い 日本 には( ) の いのでは るまい 日本 の る に のは一
に の内容を する 由を有 い で 。( )日本には 論を る き正 い。( )日本 の に る き は
い。 して日本 的 た は日本より
で た( )日本には して社 の いので 。( ) 日本の 的 を発 する きでは い ( ) の 明と とにの
て るるのは たる に して では い 。 (91)
は海 名と て には 3.1 ,一 し してい い , の の を を見 るの にまと , に する
日本の を び した。(92) で , は 内 内
の 中 に基 いた発 を一 してい い。日本( )と
( )を に し, いを るを い と する の論 を している。 内 とい を に い,
的に内 した海 名 の 論 ループと
は る と る。
の
東京 大学 代,本 教会で海 名 大 を ,と に
『 』を し,師 を , 治 とし
て 内 および の る に いて た。し し,
したよ に海 名 提 した 論 に いては 的 を し, 内 および の において 海 名とは る えを見 る。 え ,海 名は 大 の
る ( )に ま て行 て, (内 ) 程 を ると 一 に ると えた。し し, は のよ に の は日本 に した 律 としての 日本 で る , 的 においては 大 では いので完全 は 本的に
で るとする。
は 律 日本の で る,日本 にして 日本の を し とい の , の行 の 律的評 は まで 一 の で る。( )一 を 本的に 決する所 で る 。 は 律 日本 で るに は い。 に て は大 では い(93)
は の に いて に え た ,
島と を して は 的に 論する。す 『中
論』191 年 月号に載 た を して において, は の 治の を し, ( )にお る は で り, の 治を る きで ると 調すると に 海 名の 論を した。(94)
教 に して る ので る , で に る
教 の は, 的に全 で るとい とを して い
ので る。( ) 教 は 規 しを , の基 教的
を に る とは て出 いと して は い ので る。 程 教 は 日 の に 頼を て る。( )決して
の を る所 では い。 (9 )
は 教会の 『基 教 』で 教的 は ま で ス リタンの特 を は , で 的 を びては
で る。 教 の 力と との非 るは 日 論のよ きまでに明 る で る (9 )とし, 力と して いる 論 の 本的 限 を見 ていると えた。 し
て, のよ 内 の の 出 を 内 と
い で表 し, の は したと のよ に ている。
本 の 治 の は内 で る。日本内 の を の豊 る に して, 全 の に日本 の 力を し , て 完全に を日本的 のにしよ とするので る。 に東 拓 会社とい
の た。 会社は他に を て る , の に
より, 年一定 の内 を に するとい の 一 大き で た。( ) を と 的には し る のでは い。内
は て( ) した。 (97)
の 文に た 日本内 とい は, 内 の に 日本を し, 名 としての内 を表している。 は , 当 ま て行 た日本の を する 有名 としての 内 とい
を ている。し し, して見ると 日本 と 日本
とい 的 を , 内 内 を採
する には の で 内 で たので い とい の表
のよ に, 部 に ているの に す
る 内 の を し, を 内 に るた
に ている。
日本 には の る の て い。 の で 内 で たので い , に を て い ,( )日本とは大
。 に 一 しき の る とは明 で る。 (9 )
は『中 論』に掲載した を中 として とい 文 で,
二内 ス 有 の に いて ている。(99) は すでに 港 に日本 と を区別するた 採 した 内
, 内を する (一 )名 としての内 に基 いていた とを明 に していた とを している。また, は
に において日本 に する 所有
に た (1914)に , は に ると内 に ると を は 力 に 力したので た (100)と ている ,
の の え , での 内 は 本 内 とい 一 名 としての ンス い。す , で 別を てい る日本 の は, ( )と ている 有名 と しての内 とい してい い。 は, の社会
に て で, のよ に 日本内 内 とい を 文
の中で い, 者を す 内 とい 表 より 日 とい 表 を採 し,できる 日本と を に しよ と て いる。
また日本内 の所 より の と とを とし る
に てを 。( ) 日 大 に , の に る の しきを
とき, は に の 興す き は る に 。
日本内 に り , る 者は,( ) は より に
の発 を と 。 内 に る 発 の
要を見 。( )日本内 に る 者の は 。( )内 の の はす ま い の 。( ) に の 者 日本内 に し るの 。( ) に の てより の , 者は の る きを て 日本内 に る に た。( )内 に る を する , 一 には由て て日本 の を す ,
者の をよ び,否 を とする 見 る。( )日
本内 に る 者の に き す る は,
会 の で る。( ) 月に り,月の中 内 の調査を て の 大 に 寄 た調査会の金 は, の に の い 者 と協 して一 の を企てた。(101)
中 にお る を い 東 とい 論 で 日本 内 に きまして, の を論 る (102)とし, 日本内 とい 一 名 としての表 を たり, 日 的 の と い 論 において, 別的 名 で る を , 中 中
を採 して中 の 内を す 中 内 と表 した。
日本の 中 を し て中 の 日 を し, の を
し と。日本 の と とを して,中 内 に し , 中 を し りて て中 の 日的 を き したる と。 (103)
また は, 内 ( ) と ( ) を区 し 的に 別す る を し, の 内 とい ている 限 を明 にするた 的に の を採 する。 に いて本格 的に を て論 を発表した は, にお る 3.1
で る。1919 年 月の『 論』においては は まり の すると と て い。( )加 , と内 との には の に いて 別的 て る (104) 内
の る 別的 を とで る。 論の 由を し,
と 内 に の す を , には出 る 発 の 会を とで る (10 )と , と内 の に する 別 を明 にするた 的に 内 とい を 採 する。特に 的 別 者に とい 文 はタイトル
的 別 を明 し, 内 は の 別の として している を 調する。
は の 的 別 者に て 治 の 否に を
とを るを い。 日 の に る
に しき 別的 を て る は い で る。 論中には
別する の で り, の で る の 。( )
の を き の 別的 全 いと し る 。
一 を採 の は全 日本 の学校 て る。
( ) は て内 と に教育 るる 会を有し い。( )
的 別 の してい の 論 出て と
る。( ) に して内 的 に て の を る
に し を し るる。 は の の に ては
と 内 と 別を して, を する全 に る
正 の の として, し に す 要 るまい 。
と は台 に いて , 日本の 力 に る の に て る は り すまで い。 (10 )
3.1 ま た 論で るに , は 台 中
と に いと している。『台
年』発 の (1920)において 日本内 に た文 を 台 に え とするのは大 る りで り( ) の文 的に するのは, に内 と協 です。( ) て協
の基 は です (107)として台 の 日本との協 の
で る を 調した。 には 内 の る の す てを に す きで ると えたので る。 て は,
のよ 内 学の学 の 学 るの (10 ) , の 別 を る は出 る ,台 ,中 を に
した。
日内 の に て ,( )寄 の いので大いに て る , に は に ると, の に て る。 (109)
のよ を した には, リ 会 で日本代表 ーストラリ にお る日本 の 別を し,
決 を提出した に日本 の を するた で た。す ,日本 の 的二 基準を て, に した を るた で た。欧 に しては日本 の の 別を し
,日本 ,す 内 は で る 台 を
別するのは 的正 と するとい えで た。 て,
, に 的 を えて (110), 治の とす
き は たる『 』では して,『正 』の で る (111)
と 調した。日本は 3 1 によ て,日本の 治 力の を に したので, にお る正 を するた には に 治を るとい とで いと の 治 力 (112)
において した。した て, は 別を ている の に 内 の 行 と に と で り, 治 , 律
には て 的, 的 は す きと
るとする。大 海 て た の東京会見
に いて 一 の 的 に て の を て るのに して,内 の 治 は て の を て に した(113)とし,
で 内 と の に する 別 を 調し,内 の の を するた 日本 では 内 とい を採 し ている。
日本とい に して 内 と の を有 て
たいとい とは, の に する所では る ,( ) の き
を有た のとして を とい きは て で い。
内 を企 とい の , に す る の に
い , の大 では い , の で
の で 治 た ,日本 に して内 と を
有 いのは, としては の では る , の 行としては
を いと はる 。 で の ,日本の に すると
い とは, の 的 て の 行とい とは出 い。
内 の , 一の を 律的に 的に を するに を い , の と ると, 律的には す き とで て,
的には大に を とす き 由 るので る。( )一 内 の として , 律一 りて を とい のは で る。( ) 治と
との を に 内に の と る。 (114)
また 1921 年, 内 に二 た 別 による を 二 と表 し, によ て日本は ,
的 の と , , , 者, ては , に るまで, 的 に て る のと て (11 )いる と し, のよ の 評 を日本の 内 では全
してい いと する。 で た 内 とい
は海 名 中 を 調するた では ,
し 全 を正 に してい い日本の を明 にするた 採 している。
で の は( ) は て を は い。 程
に る一部 の行 には て い
の た。 して日本内 に を るの を るの ,( ) の全 に 的行 を して る のと るに るの は い。
し 日本内 に の たる行 を非 するの を るは, 日 本 の の きに由るに , 当 る 論 由の に依 て,全 の を て い で る。( )所 二 は,日本をして に
り し る原 を たの と に るに た。 (11 )
した て, は (1921)とい 論 で, に に る の は 内 の を し ては る
, の は て い。 は する と一部の内 は 。( ) 内 の に て る。( ) は
律 日本 で る。 有の日本 と 一に する は 出 いとい に基いて,全 内 と の を て
い (117)とし, にお る日本の 治は 別に基 いて,
内 の を る で る を明 にした。 は に いて りに内 本 に ては い と, 内 とい ている 中 の否定的 を 的に表 している。
の (192 )において は内 の を る所と しての す き のでは るまい (11 )と ている。す ,
する内 の ,内 とい する否定的イ ー とと に特 所有者としての日本 を 調するた 内 とい
を採 してい と る。
のよ で は,1923 年の 東大 に発 した を する論 で , の加 者としての日本 を 内 として表 して 内 ている 者として を 調している。
の の は内 に い。( )特に たるの を て 日本 に加 た 行と 訳には行 い。( ) に る内 の は
りに常 を して た。( ) 一 内 , を り
に り たとい 。( )内 の は ま たと て る。( ) の して日本内 に まるのは, に一 の を
する。( ) の内 に し る,( ) し内 に の を て,学 ( ) に 学するとい き は, の き に する では い 。( ) 要するに, は に する内
の, は 的 し は を表する に, の 的
を講 るの 要を る ので る。( )日 の よりするのでは , を て大 としての の当 る 的 と る で る。 (119)
また, は の によ て の 年 に りま るの で ると 調し, のよ を日本 す
きで ると い で, 年と に に るのは に の る りでは りま 。内 の に の を
て きたいと ます(120)と ている。 で は
の を , 的 を一 している日本 を るた 内 とい を ている。 で紹介したの た 内 ( ) とい の と の で る , え海 名 の 論を提 した とは 本的に る
を している。
4 お りに
を 的に 治し,究 的には (日本 )を るた , したの 海 名 正と の , 常
した 論 で る。 は, (1910)を の と し, を文明 の 者として , し
いとい の , での を本格 た。海 名によ ,東 で完全 キリスト教は 内 としての日本 のキリスト教で るので,
としての 完全に内 (日本)の一部に るた
には 内 と し , を たすた には
内 キリスト教 の により を 内 る と 的で ると えた。 の , 的に 内 日本 とい を 容している。
し し,日本のキリスト教 内部で 論 に する した。 論 を した は, 本的に日本 して の 的 的 者に る資格 るの と
ている。 で は 内 とい 表 を と , 日本 とい 表 を 的に採 する。 は内 に 定的 で た海 名, の とは る を見 ている とに る。 のよ に の は, 有名 としての内 の を 否定し, 名 としての内 に基 いて を ていた。
また, 教会出 の代表的 キリスト者で り で た
, に 島と を 行した , で する日 本のキリスト教 に 的 を ていると し, 内
とい 表 より 日本 を に 。し し, は 内 ( ) とい を る , は 内 と の に する 別 を 調し,内 の の を するた 的に採 し た。内 キリスト教の を企てた 論 を した と
の基本的 は, 内 とい 別的 を 的
に すると に を有し, 内 とい を採 する 的 海 名 とは 本的に た。
は の所論は, の に して を 明にしてい い , に一 る ,基本的 は と 一 する (121)と 評 した。 に 島 の で り 一 にお る海 名 正, 常 ,他 にお る 治 , , , の二 の 容 見 ま るので と い, のよ に している。
海 名の 的 により, 力と する として,一
と 大 た で ,一 , の 的 , によ て,
の に た とする 本 として一 と し るので る。
して に いては,海 名は の に , はい 師に いた で, 島に する , と にいた たので る (122)
の評 のよ に, 教会内部の 論 に する二 の する の 格は,海 名 と 内 として の日本 と としての とい 2 の 代 を のよ に
し, の に したの を究明する とによ て,より明 に ると え る。
(1) 筆者の 稿 治 (1910 1919)にお る キリスト者の 内 日本
『 キリスト教 』第 14 号,201 年 3 月, .77 99。
(2) 1910 年 までの ( )では 内 の を し た。『 院日 』仁 7 年 7 月 20 日(1 29 年)には, とい 表 の 中に 内 とい 内を す として ている。 (『 院 日 』 仁 7 年 7 月 20 日(1 29) 1 99 年の に に す る日本 力 大に て に 行 をする とを する とい 文 する。( 의日 『 』(別 )1 99 年 12 月 2 日。)
(3) 井 二 『 論』,東京 書,1 9 年, .1 2。
(4) はは ,1 4 年 ロ と を に した
( , 海 )の で た。 の ,1 72 年には による と 。二 の は日本 に て 内 のた の の
, として た。( 二『日本 の , イ ,
台 , まで』,東京 社 200 , .27 2 ,. 0。)
(5) 의 論 와 代 의 글쓰기『 文 』第 37 号,
2010 年 7 月, .111 112。
(6) 一 「 日本と 内 「内 論 」 の 」『 館 文 研究』19(1),2007 年 9 月 30 日, 17 27 一 「 内 の 「 」
リン ン で えた と」『 史研究 い 』3,200 年 10 月 4 日,1 174 一 『 ステ 東 内
「 代」』,日本 評論社,200 年, .2 。 一 「 論 論」『 学 究』 0(1), 大学,2009 年 7 月 2 日, .1 20。
( ) のよ 日本的特 は した の と
ると え る。 の論文を 。 の の
執 『 代 』, 100 年特 号,42 11 号,2014 年,
.274 291。( ,1994 年 1 月号を )
( ) テ トスル ト 『 ル 大要
決定』( 文書 文書館所 ) 1910 年 7 月 日。
( ) 第二 特 テ別
ス ト 定 タル 全 内 ト 一 有ス, 「
ル 大要 決定」( 文書 文書館所 ) 1910 年 7 月 日。
(10) は, 1 11, 32 1 の 加を見 た ( 京 の , は 『 日 』,191 年 3 月 14 日。)
(11) 의 論 와 代 의 글쓰기, .11 。
(12) 日本 教会の 『 』,19 年 7 月号,東京, 書
, .9。
(13) 島 て に よ 『 』第 4 号 1 92 年 10 月 21 日。
(14) 史 の ,文明の 『 』第 1 9 号 1 94 年 10 月 2 日。
(1 ) 日本 의 와 『東 究』2(19 7),. 3。
(1 ) と基 教 『 』第 4 号 1904 年 月 2 日。
(17) 京 ヘ 金 ,1 9 年 月 29 日。
(1 ) 『 代教育の と 』(東京 東京大学出 会,19 2), .211。
(19) は の 治教育の一 を て 教 の に び,大 に伊藤 の に する を 評して の を にし( ) は 治を 調する伊藤に し, 教(キリスト教)によ て の
る きで ると した。( 『基 教 』,
第 1227 号,1907 年 3 月 7 日, .9。)
(20) 에 하여『 』第 71 号 1904 年 月 4 日。
(21) の 『 』第 9 号 190 年 1 月 11 日。
(22) 日 의 基 教 과 日基 教 의 『 史研究』第 114 ,2001 年 9 月, .1 。
(23) 海 名 正『 の 』, 文 ,1909 年, . 。
(24) 海 名 正『 の 』, . 2。
(2 ) 海 名 正『 の 』, . 。
(2 ) 海 名 正『 の 』, . 7。
(27) 海 名 正『 の 』, . 90。
(2 ) 海 名 正『 の 』, . 90。
(29) 海 名 正『 の 』, . 90。
(30) 海 名 正『 の 』, . 04。
(31) 基 の は の に ,( ) は で基 の を す きで る。 は を て し を して と し,
治的 を て, 明正大 る基 を きで る。 をして 的 大 し 所 では 。 の 的 大を発 し るときは日 の基 教 大日本 に て を とは, の て は る所 で る。日 の基 教 は 中に を発 す ので る。(海 名 正『
と基 教』, 文 1912 年, .13 。)
(32) 海 名 正『 の 』, . 03 04。
(33) 海 名 正『 の 』, . 7。
(34) 海 名 正『 の 』, . 99。
(3 ) 海 名 正『 の 』, . 91。
(3 ) 海 名 正『 の 教』, 社,191 年,147. 海 名 正『 的 教 と 的 教』,大 ,191 年, .49 499。
(37) の 代史は に の で る。 は に し