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菊池 昭先生 との出会 い

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Academic year: 2021

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大 島 稔

菊池 昭先生 との出会 い

私が菊池昭先生 と初 めてお会 い したのは

,1 981

年 (昭和

56

年)の

4

月で, 短期大学部 に講師 として採用が決 まった時です。当時の短大部 の英語担 当教 官 は,菊池昭教授 と高嶋稔教授 のお二人で,岩城産三助教授が札幌医科大学 へ転 出されたその後任 に講師 として私が採用 されたのです。大学院 を出たば か りの私 と菊池先生 とで は,親子 ほ ど歳 の差 があ ります。後 にお聞 きした こ とですが,私 と同 じ歳 の息子 さんがい らっ しゃる との ことです。菊池,高嶋 両先生 には公私 にわた りご指導 いただいた ことを感謝 してい ます。特 に菊池 先生 とは同 じ英語科 の中で もっ とも長 く親 しいおつ きあいをさせていただ き

ました。

先生 についての私 の最初 の印象 は,かな りお しゃれな先生 だな とい うもの で した。 その印象 はい まで も変わ ってい ませんが,私 があ ま り身 な りを構わ ないのでなお さらそ う思 ったのか も知れ ませ ん。 その事 について同僚 に尋ね た ことがあ ります。 同僚達 も私 と同 じ印象であ りましたか らどうや ら私 の偏 見 で はなさそうです。 しか し,先生 ご自身 は 「別 にお しゃれ じゃない。 これ

は身だ しなみだ」 とおっ しゃるで しょう

私が赴任 して まもな く (といって も

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ヶ月間 「内地研修」が あ り,北大 を 研修先 として

6

ヶ月後 に始 まる英語 の授業の準備がで きました。今 で はな く なった惜 しい制度 です。)授業が始 まる とい う時,私 は どんな服装 で教壇 に 立 った ら良いのか菊池先生 の研究室 に相談 に行 った ことが あ ります。私 は背 広が苦手 なので背広 を着 な くて も良いです よね, との確認 の意味で先生 の研 究室 を訪れたのですが,予想 に反 して先生 の答 えは 「教室 は教師の晴れの場 だ し, さあ勉強す るぞ とい う雰囲気 を学生 に与 えるために も背広 を着た方が

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人 文 研 究 第

8 8

良いです よ。」 との助言であ りました。

あの時の助言 は,心 ばか りで はな く形 に こだわ ることを大事 にされた先生 の人柄 の表 れだ と思 ってい ます。若 い世代 の人 は, とか く 「心が通 じれ ば形 なんか」 と言い,形 に こだわ ることを 「古 い」 とか 「ダサイ」 な どと簡単 に 片付 けて しまい ますが,「身だ しなみ」に して も 「晴れの場」にして も心 に形 の伴 う美 しさを良 しとす る日本文化 に伝統的な哲学 なんだな と思 った もので す。

その後 も授業 で は必ず背広 を着 てい ます。 ネクタイの暑苦 しさに も慣 れて 今で は背広無 しでの授業 は考 えられ ません。振 り返 ってみ ます と,授業 に慣 れていない新人 の私が形 にこだわ り,形か ら授業 に入 った ことは結果 として 良か ったのか も知 れ ませ ん。 日々の授業 に対 す る心構 え とか授業 の準備 とか

を含 め, 自分 な りの教師像 を作 るきっか けになった と思い ます。

フロイ ト流 に, あるい は単 な るこじつ けになるか も知れ ませんが,菊池先 生の この 「形への こだわ り」 はひ ょっ として学問分野 にお ける 「文体論」へ の傾斜 と同 じ趣意 なのか も知れない と最近 は思い始 めてい ます。研究者が学 問の分野 を選ぶ とき, 自分 の心性 に合 わ ない道 を選 ぶ はず もあ りませ んか

ら,選択 には個人 の心性が強 く働 いているの に違 いあ りません。

菊池先生 は,大学時代 は経済学専攻 です。経済学科か らアメ リカ文学, そ れ も南部 の開拓期 の文学 に どうして転身 されたのか, その理 由 を先生 にきき そびれた ままになってい るのが 悔や まれ ます。私 自身 も経済学科 か ら言語学 へ翻意 したので気恥ずか し くて聞 けなかったのか も知れ ません。

先生が文学 の研究者である とともに自らも作家 として同人誌 に作品 を書い てお られ る とい うことを知 ったのは短大 に勤 め始 めてか ら1年 もたった頃だ と思 い ます。私 は文学 に関 して は 「落 ち こぼれ」です。子供 の頃か ら本が好 きで,中学 ・高校 を通 じて

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冊以上 ものノー トに詩 や童話 を書 く文学少年 だったのですが,結局文学少年で終わ って しまい ました。ですか ら,文学者 の心情 とか文学者 の学問への姿勢 とかが未だ にわか らず じまいです。

そんな私 に も菊池先生 の文学者 としての心情 に触 れた ように思 える時があ

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りました。一度 は,先生 の 自宅へお伺 い した ときです。先生 は札幌市両 区の 川治 に居 を構 えてお られ ました。 自然 に囲 まれた静かな雰囲気 の家 に離れ を 作 りそ こを仕事場 として研究 し作 品 を書 いてお られ ました。訪れた私 を和服 姿で迎 えていただ きました。 その姿 に大学で普段 お会 いす る時 に感 じる 「研 究者」 とい う印象 とは異質 の もの を感 じました。話題 が書斎 の事 になった時 に,先生 は,研究室 では作 品 は書 けないので大学の研究室で はな く自宅で研 究 す ることに してい るとおっ しゃった ことが特 に印象 に残 ってい ます。手 に しっ くりくる某社 の太 めの万年筆 を愛用 してい る とも言 ってお られ ました。

なるほ ど作家 で もあ る文学者 とは こんな所 にこだわ る ものなのか と思い まし た

二度 目は,病気か ら回復 されて しば ら く車 の運転 を控 えてお られた頃で, 一緒 に電車 で札幌へ向か う途 中だった と思 い ますが,電車 に乗 り降 りす る乗 客 を見 なが ら 「あの乗客 を見 て どんな事 を考 えますか」 とい う質問があった 時 です。私 は,列車 を待 つ人 の列 の作 り方,歩 き方,話 し声 の大 きさを観察 した り,日本語の話 し言葉 の採集 をす るんです と答 えました ら,菊池先生 は,

「私 な ら,あの老夫婦 は孫の顔 を見 に出か けた帰 りで,これか ら二人 き りの家 に帰 る ところだ とか, あの会社貞風 の男性 は,今 日職場 で嫌 な思い をして普 段 の倍 も疲れたので酒 を飲 んで帰宅 す る ところだ とか,一人一人 の歴史だ と

か生活 を想像 します よ 大島君 はや っぱ り言語学 とか文化人類学 をや ってい るか らず いぶん見方が違 い ますね」 とおっしゃい ました。

なるほ ど私の見 どころ と先生 の見 どころは違 ってい ます。 この違 いはや は り個人 の心性 による違 いで しょうし,学問の違 いで もあるで しょう 心性が 先 にあって, それ に合致す る学問 を選 んだのか,学問 を続 けるうちにその よ うな心性 を身 につ けて しまったのか どち らとも分か りませんが,異 なる角度 か ら違 った 目で同 じ対 象 を観察 してい るのです。同 じ く人文科学

( human‑

i t i e s )

と総称 され る学問であって も分野が違 えば,た とえば言語学 と文学で は,人間 とい う対象 を違 う角度か ら捉 えるのです。 きっ と人間が人間 を観察 し分析す る とい う人文科学で は, さまざまな視点が用意 されている必要が あ

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6 文 研 88 輯

るか らなので しょう 人間 とい うものは, それ ほ ど複雑 な研究対象であ りま す。 また 自分 をも観察 の対象 に しえる学問ですか ら,客観 と主観 の 「対立」

ではな く 「融合」, あるいは 「批判J 「弁証法」 とい う方法論 を兄 いだ したの だ と言 えます。

菊池先生 との出会 いの中で,時折 の心 のふれ合 いか ら,個人 の心性 と学問 の違 いを感 じ取 りなが らやがて

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年が経 ち,先生が

2 3

年間

( 1 9 7 0 ‑1 9 9 3 )

勤 め られた小樽帝大 を退官す る日が きました。先生の退官記念 の最終講義で は,先生のライフワーク と言 って もよい フォー クナ‑文学の話 をす るもの と 思 っていましたが, 『言語 セ ンター広報

LanguageSt udi e s

』第

2

号 に も掲載

されてい ます ように,大方の予想 に反 し,「異文化 との出会 いについて ‑ ア メ リカ開拓期 の探検家 ジ ョン ・ス ミス と蝦 夷地調査者 松 浦武 四郎 の場 合

‑ 」 とい う演題 で した。 その講演 は, ジ ョン・ス ミス と松浦武四郎 とい う個 人 を通 して 「文明 とい うものあるいは人 間 とい うものが異民族,異文化 に接 した ときに見せ る両極 の態度」 を見事 に浮 き彫 りにした内容 で,私 には感動 的な話 で した。

その講演 には私 に とって二つの点で新 しい発見 と驚 きがあ りました。一 つ は,文学者 の文化論 が見せ るその説得 の技術 であ ります。表層では個人 の派 行 とその折々の心情 の意味す る ところを解説 しなが ら,深層でその時代 を, そ してそれ までの歴史 を, そ して人間 とい う全体 を語 るとい う,なかなか他 の学問分野で はまねので きない方法で した。落 ち こぼれの私 に も文学研究 の 意義が少 し見 えた思 いが しました。

もう一 つは菊池先生が 自か らの研究の過去 を語 らず に研究 の将来 を語 った ことです。最終講義 のあ と送別会 の機会 を とらえて,演題 を選 ばれた理 由を 尋 ね ました ところ, これか らはアメ リカ開拓期文学 の延長 ・発展 として開拓 期 にお ける日米比較文学 ・文化論 を退官後 の赴任校 で講義す るか らです と説 明 され ました。若 い精神 を もってお られ ます。 その時 に私 は,ふ と,先生が 自分 は健 康 に恵 まれ ず,今 まで の人 生 は病 気 との戦 い だった と以 前 お っ しゃっていたのを思 い出 しました。病気 のプロです よ,病気 した ときには私

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に相談 しなさい とい う冗談 を言われた こともあ りました。

先生が最終講義で選 んだ演題 はや は り先生 の精神 の若 さの象徴だ と思い ま す。い ま退官記念号 に寄せ ている私の 「菊池先生 との出会 い」 とい うこの拙 文 の表題 は,先生の最終講義 「異文化 との出会 い」 に感銘 した聴衆 の一人 と

しての返歌です。「異 なる心性,異 なる学 問 を教 えて下 さった菊池先生 との出 会 い」 との意で選 んだ表題 です。

これか らも先生が精神 の若 さを保 たれ, 肉体 の若 さも維持 していかれ るこ とを願 って筆 を置 きたい と思 い ます。

参照

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