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直接叙法の意味

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(1)

直接叙法の意味 

︱﹃古事記﹄の会話引用形式をめぐって︱

        ﹃古事記﹄の会話文は︑詔・白・告・日・問・宜・請などの動      詞にみちびかれ︑文中にその存在が明らかである︒欲・願などで       みちびかれる願望表現や︑思・以為などでみちびかれる思惟内容・

心中言︑あるいは聞などでみちびかれる伝聞内容などにまぎれる

ことがない︒

 これは︑漢文の表記法に拠るところの多い﹃古事記﹄の文章表現法の特色であり︑平安和文にみる会話引用形式とは全く異なる

様相を示すのは︑彼我の文章表現法の違いである︑といえば︑勿

論それまでである︒しかし︑そのような違いの意味するものは一

体何なのだろうか︒彼においてはきわめて明確︑我においてはか

なり不明確な直接叙法の持つ意味について︑﹃古事記﹄の会話文引

用形式を手がかりに︑若干の考察を加えてみたい︒

 ﹃古事記﹄の会話文については︑すでに多くのすぐれた論考に      ユ より︑明らかにされているところも多い︒﹃古事記﹄にあらわれる 会話引用形式一直接叙法のよって来たるところについては︑一方で漢訳仏典の影響がいわれ︵注1︑神田論文・小島論文︶︑他方で六朝以降の俗語流漢文スタイルの影響が説かれている︵注1︑原口論文︶︒又︑引用動詞についても﹃古事記﹄独特の用字法が見出されている︵注1︑古賀論文︶︒ これらの諸論考のいくつかに説かれ本論にも用いた﹁直接叙法﹂という用語は︑いわゆる直接話法会話文の引用形式のことで︑発話が語られた形のまま記しとどめられているという前提の下に引用される形式である︒登場人物の発話をそのままに記しとどめることは︑読者を物語の場面に立ち合わせるためには︑もっとも手早い方法であると︑一応考えられる︒だが︑そのために会話は直接叙法で引用されるのであろうか︒ ﹃古事記﹄においても少なからぬ会話文が引用されているが︑平安和文にまま見られるような︑地の文と会話文の融合︑もしくは︑会話文と心話文あるいは消息文との判別の曖昧さなどは︑ほとんど見出すことができない︒﹃古事記﹄においては︑発話行為・思惟行為・書記行為は︑それぞれ明確に別種の行為として記しとどめられ︑互いに交り合うことはない︒これは文章表現法としては︑まことに納得のいく尤もな姿であると思われる︒耳に聞こえ

る言葉で発話するのと︑心中に思うのと︑文字に記しとどめるの

直接叙法の意味︵山口︶

(2)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第三十三号

とは︑行為の主体にとっては︑言葉︵あるいはその言表内容︶と

の係わりにおいて同等の行為といえるかもしれない︒しかし受け

手の側からいうならば︑これらはそれぞれ全く違う行為である︒

受け手にとっては思惟行為を言葉として受けとめることは不可能

であるし︑音声表現か文字表現かは理解において大きく異なる︒

すなわち︑全く異なる感覚器官一聴覚か視覚一を駆使した上でな      けれぼ︑それを言葉として受けとめ︑言表内容に届くことはでき

ないのである︒これらをきちんと書き分ける言語は︑書き分け得

ない︑あるいは書き分けようとしない言語とは︑根本的な違いが

あると考えられる︒

 ﹃古事記﹄の本文成立について︑序文の記述を信じるならぼ︑

      太朝臣安萬侶が馨りをうけて﹁撰録稗田阿礼所調之勅語旧辞﹂し

      たものである︒阿礼の喫する所のコ論﹂の意味するところも必ら

ずしも明確とはいえず︑漢文で記された帝紀・本辞の訓法を﹁令

諦習﹂︵よみならはしめた︶ともいう︒訓点もしくは仮名文字の未      コ        だ工夫されない当時︑漢文の訓法をよみならうことも容易なこと

ではなかったことと推察される︒それとも﹁度目諦口︑梯耳勤心﹂

とあるように一切をそらんじていたのだろうか︒いずれにしても︑

太安萬侶の苦心の表記法を介して︑現在︑我々が訓み下す﹃古事

記﹄の文章は阿礼の卜したことぼにどのくらい近いのであろうか︒

       それは又別の問題ではあるが︑﹁写していたことぼを撰録した﹂と

される﹃古事記﹄本文中の会話文の意味は︑改めて問い直す必要

があると思われる︒

 まず︑﹃古事記﹂三巻の中に︑直接叙法がどのようにあらわれる

か調べてみよう︒尊話文その他も︑直接叙法で引用されるが︑表

現としてみるとき決して会話文と同質ではない︒従ってここでは

分けて示す︒又︑会話文は会話文だけで独特の効果を示すもので

もない︒和歌その他の引用数も合わせ調べてみる︒更に︑会話文

       がどのような形式で引用され

       ているかも︑大きく文体に影

       響を与える︒会話文の上下に             引用動詞を持つ双書引用・一

       文中に連続して二つの会話文

       を引用する連続引用・会話文

       中に更に会話文を引用する二

       重引用を区別して調査し︑そ

       の数値も合わせ示した︒右は

       重なり合うこともある数値で             ある︒以上︑﹃古事記﹄におけ       る直接叙法の概観として表1

       にまとめて示す︒

      上・中・下三巻の言語量を

       みるため︑大系本のページ数

       を示し︑大系本の一ページあ

       たりの会話文数の比率を︑会

釦      話文の欄の下段に0に入れた       数字で示した︒又︑和歌の頻   巻事項

大 系 本ページ数

鵬 恥

78

会 話 文

轟 認

︶8260︵

心 話文そ の 他

16

19 9 44

I

3の4に1紛6侃

0

5

0

5

1

3

0 4

双括引用

13

4㈲

2

p㈲

連続引用

10

17 7

34

二重引用

11 2

1

15

(3)

度は大系本一〇ページあたりの平均和歌数で示し︑歌の欄の下段

に⇔に入れた数字で示した︒双括引用の欄の中巻の㈹は︑双括引

用ともいえる用例の数である︒

 会話文は︑上・中・下と減少する︒大系本一ページあたりの会

話数は︑一・四︑一・○︑○・九と僅かずつながら減少し︑巻が進

むに従って会話文が少なくなる︒それとは対照的に和歌は巻が進

むにつれて大幅に増加する︒夢の記述は中巻にしかみられず︑諺

の記述も中巻に多い︒心話文は︑三巻ともほぼ同率であり︑会話

文に比しその数は極めて少ない︒ 会話文の引用の形式について見れば︑双括引用・二重引用は上

巻が圧倒的に多い︒問答の連続引用は中巻に際立って多い︒この

ような全体的な姿から︑﹃古事記﹄三巻の文体的な相違は明らかで

ある︒平安和文に即して︑大まかに印象的にいえば︑上巻は作り

       物語的︑中巻は日記的︑下巻は歌物語的とでもいえようか︒下巻

の和歌は詠歌の背景の記述は少なく︑叙述の中心が和歌にあるこ

とは明らかである︒

 それぞれの特性を個別に考えてみる︒上巻は会話文の引用が多

く︑双括引用・二重引用も多い︒会話文が質量ともに曲豆富で︑会

話文によって物語りを語りついでゆく形が多い︒中巻は会話文が

少なくなり︑和歌が増え夢の記述があらわれ︑連続引用の率が高

くなる︒下巻においては会話文が少なく和歌が多く︑引用形式に

はこれという特色はない︒

 以上︑﹃古事記﹄の会話引用式について概観した︒これらの会話

文は︑会話文としての目印を文中に持つことが多く︑漢字ばかり

の表記法とはいえ︑地の文や他の引用文とまぎれ合うことが少な

い︒次にその様相を具体的に眺めてみよう︒

 ﹃古事記﹄の直接叙法の明確さは︑勿論まず第一に︑言表行為

を示す引用動詞によって文中に導びかれることに起因している︒

この﹃古事記﹄の引用動詞あるいは引用形式そのものについては︑

既に注ωにあげた諸論考に詳述されている︒本稿ではや﹀視点を

かえて︑﹃古事記﹄の会話文には︑会話文に後接して何らかの目印

が置かれ︑広義の双括形式とでもいうべき機能を果して︑地の文

に対して会話文を際立たせていることが多いことに注目したい︒

和文においても︑イハクートイフ︑もしくは︑イフヤウートイフ

のような双括形式においては︑会話文は明確に認定することがで

きるし︑引用部分の終りは︑後接する引用助詞トなどによって一

般には明示されている︒この和文における引用助詞トにも匹敵す

る役割を果している目印が︑﹃古事記﹄においても何らかの形で示

され︑会話文に上接する引用動詞と相まって会話文を際立たせる

役目を果しているのではないかという疑問を明らかにするべく調

査し︑又そのことの意味を問うのが本稿のねらいである︒A・a

 まず第一には︑会話文の上下に引用動詞が置かれる︑いわゆる

双括引用形式︵安藤正次氏のいわれる首尾呼応語︑遠藤嘉基氏の

いわれる復調形︶をとる型がある︒これは︑会話文の直後に再び

引用動詞が置かれて︑会話文を明確に地の文から区切り取ってい

る︒この形式は﹃古事記﹄にはそれほど多くはないが︑次のとお

りにあらわれる︒

︿上巻﹀

①故爾伊邪那岐命詔之︑愛我那容認命乎︑︵訓注︶謂易子之一木

直接叙法の意味︵山口︶

(4)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第三十三号

 乎︑乃︑︵日本古典文学大系本︑60ぺ︑以下引用はすべて大系本

 による︶

②爾伊邪那岐命︑告其桃子︑汝如助吾︑於葦原中国所有︑宇都志

 伎︵訓注︶青人草之︑落野瀬而患惚時︑華押告︑︵66ぺ︶

③食菌須佐之男命︑白干天照大御神︑我心清明︑故︑我侭生子︑

 得手弱女︒因此言者︑自我勝心而︑︵78ぺ︶④故︑錐然為︑天照大御神者︑登賀米受写声︑乏尿︑酔而吐散

 愚亭曽︵訓注︶ 我輩勢之命︑蝉茸此︒又錐田之阿︑埋溝者︑

 地 阿多良斯登許曽︵訓注︶ 我那勢之命︑為如八事︵訓注︶

 詔錐直︑︵78ぺ︶⑤故爾八十神怒︑欲殺大穴牟竜神︑共議而︑至伯伎国之手間山

 翼翼赤猪在此山︒故︑和礼︵訓注︶共追下士︑汝待取︒若不待

 取者︑必将殺汝云而︵94ぺ︶⑥於是天忍穂主命︑於天浮橋多多志︵訓注︶而詔之︑豊葦原之

 千秋長五百秋之水穂国者︑伊多久佐当芸旦︵訓注︶有那理︑︵訓

 注︶告而︑︵mぺ︶

⑦爾天佐具費︑︵訓注︶聞悪鳥言而︑語天草日子言︑苫葺者︑其鳴

 音甚悪︒故︑可射殺鵬翼︑部︑︵mぺ︶

⑧郎示諸神等詔者︑或天若日子︑不誤命︑為射悪神之矢之至者︑

 不中天若日子︒専有邪心者︑天若日子︑於此矢麻賀礼︒︵訓注︶

 云而︑︵mぺ︶⑨自天降到︑天皇日子之父︑亦其妻︑皆実云︑吾子者不死有祁

 理︒︵訓注︶我君者不死坐祁理云︑︵mぺ︶⑩良心阿遅志貴高日子根神︑大怒日︑我者愛三十幕下耳︒何吾

 身動死人云而︑︵mぺ︶⑪於再起之︑此地者︑向韓国︑真中通笠沙之御前而︑朝日之直

 刺国︑夕日留日当国也︒故︑此地甚吉地響而︑︵鵬ぺ︶

⑫於是其兄火照命︑乞其鉤日︑山佐知母︑己之佐知佐知︑海佐

 知母︑里国佐知佐知︑今各謂返佐知之時︑︵悩ぺ︶

⑬其綿津見大神誇日之︑以此期義挙兄時︑言状者︑此鉤者︑於

 煩鉤︑須須田︑羽蟻︑宇流鉤︑云而︑於後手賜︒︵訓注︶然而其

 兄︑作高田者︑汝命営下田︒其兄作下田者︑国命営高田︒為然︑

 吾野水故︑三年之問︑必其兄貧窮︒平曲怨其翼然之事而︑攻戦

 者︑出塩盈珠而溺︒若其愁請者︑出塩乾球而活︑如此令憂苦云︑

 ︵蜘ぺ︶

︿中巻﹀

⑭長日︑僕者大物主大神︑嬰陶津平癒之女︑活玉依昆売︑生子︑

 名櫛御方命之子︑飯井巣見命之子︑建甕槌命之子︑僕意富多多

 泥古白︒︵㎜ぺ︶

⑮爾読妄日︑吾與汝共︑治天下︒故︑當殺天皇云而︑︵㎜ぺ︶

⑯於君父在日︑是者天皇坐要理︒︵訓注︶恐之︑岩子仕奉云而︵蹴

 ぺ︶⑰爾其兄日︑土量有得此嬢子者︑避上下衣服︑量身高而醸甕酒︑

 亦山河之物︑悉備設︑論理礼豆玖云爾︒︵訓注︶︵珊ぺ︶

︿下巻﹀

⑱印幸行其若日下部去月許︑賜入其犬︑令詔︑甘物者︑今日得

 道之奇物︒故︑都麻将比︵訓注︶之物云而賜入篭︒︵鵬ぺ︶

⑲天皇於是捏畏而白︑恐我大神︑有宇都志望美者︑︵訓注︶不寛

 白而︑︵緬ぺ︶

 右︑上巻一三例︑中巻四例︑下巻二例の計一九例のうち︑①④

⑦⑫は︑あるいは構文上問題があるとして除外するべきかもしれ

ない︒①は︑会話文の途中に﹁謂﹂がはさみおかれていると考え

(5)

られ︑二つの会話文がそれぞれ﹁詔之﹂﹁謂﹂で引用されていると

みるべきかとも考えられる︒④は管見によれぽ︑﹃古事記﹄中︑直

接叙法に関して引用助詞トが表記されている唯一の用例であり︑

下思動詞が﹁詔直﹂と複合動詞になるばかりか︑逆接条件になっ

て面接する唯一の例でもある︒⑦は︑会話文に上接する引用動詞

が︑﹁語︵目的語︶言﹂と二語あらわれるだけでなく︑下士の引用

動詞が﹁云進﹂という複合動詞になっている︒⑫は︑下士引用動

詞がきちんと上縁引用動詞﹁日﹂と呼応しているというよりも︑

﹁時﹂にかかる修飾句となっているとみるべきかもしれない︒右

の疑問のある四例のうち︑④⑦⑫の三例は︑注1ωの安藤論文で

は採っておられない︒但し安藤論文では︑本稿では認めていない

別の三例を採り︑上巻に計=二例︑下巻にも一例を加えて計三例︑

合計二〇例を︑首尾呼応語︵質草引用のこと︑山口注︶と認めて

おられる︒これについては後述する︒

 双括形式において︑上接・下接の動詞を厳密に言表行為だけを

示す事例をとれぼ︑右の計一九例であるが︑会話文引用について

の双括機能としては次のような例も認め得るのではないだろうか︒A・b⑳故爾詔︑吾者為日神之御子︑向日督戦不良︒故︑負賎奴之痛

 手︒自今者行書而︑背負日豊撃期而︑︵中︑珊ぺ︶⑳従其地廻幸︑到紀国話調水門而詔︑負賎奴落手乎死︑男建而

 崩︒︵中︑励ぺ︶⑳其御子詔言︑是於河下︑如青葉山者︑見山非山︒若坐出雲之

 石桐之曽宮︑葦原色許男大神以伊都玖之祝大宗手間賜也︒︵中︑

 鵬ぺ︶ これらにみる下意の動詞﹁期﹂﹁男建︶﹁問賜﹂は︑単なる言表 行為のみをあらわすものではないが︑言表を伴なう行為であり︑言表行為を前提としてもいる︒会話文の輪郭を明示するのに役立っているとみなすべきではないだろうか︒ 先に︑安藤氏が首尾呼応語の用例としてあげられた計二〇例のうち︑本稿で示した計二二例に含まれないのは︑﹁爾八十神子其菟云一﹂︵上90ぺ︶﹁告春子言i﹂︵94ぺ︶﹁爾天宇受費命謂海鼠云i﹂︵上㎜ぺ︶﹁其採白天皇日一﹂︵下鎚ぺ︶の計四例であるが︑いずれも︑会話文の上下に引用動詞を置いて双美する形式ではなく︑言表行為を示す引用動詞が会話文の受け手︵対象語︶を双議し︑引用動詞は二つとも会話文に上接している事例である︒この事例をも採るならぼ同様の事例を上巻九例︑中巻二例︑下巻三例計一四例を追加することができるし︑引用動詞として﹁問﹂

﹁答﹂﹁講﹂などを加えれば更に上巻五例︑中巻一二例︑下巻五

例︑計二二例を加えることができる︒これらの事例は︑会話文の

上下に引用動詞を置く双括引用とは区別して扱うべきであると考

え︑本稿ではこの引用形式には加えない︒

 そこで︑先にあげた計二二例を︑﹃古事記﹄にみる会話文に下接       はヨ して引用動詞を持つ型とその類型と認め︑上接・下接の動詞の組

み合わせ方を次頁に表Hとして示す︒表Hにみる限り︑A・bに掲

げた三例︵表中﹇H﹈で囲んだ部分︶は異質であることがはっき

り分る︒やはり︑上置・下書の動詞は︑はっきりと言表行為のみ

をあらわす動詞に限ることにして︑いわゆる双括引用形式は厳密

に限定すべきであろう︒但し︑本稿においては﹁会話文を明示す

る﹂目印としての下書部分という観点から調査するので︑この三

例も︑会話文に下接して引用動詞を持ちそれが会話文を明示する

機能を果していると認めて︑用例の中に加えて考える︒

直接叙法の意味︵山口︶

(6)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第三十三号

      表Hからは︑又︑上接・

       下接が同一動詞をとる事例       はむしろ少ないこと︑上

       接・下接の動詞のいずれに

       も︑又その組み合わせにも

      一貫性もしくは統一性はみ

       られないこと︑などを知る

       ことができる︒こうして︑

       計二二例の下接引用動詞を

       持つ型には︑上声・下接に

       よる動詞の使い分けは見ら

       れず︑組み合わせに一貫性

       もないところがら︑この型

       は︑会話文を際立たせる目

       印としての機能が大きいも

瓠       のと思われる︒

      その意味では︑会話文に

下接するのは必らずしも言表行為をあらわす動詞である必要はな

く︑他の目印でもよいわけである︒﹃古事記﹄には︑接辞その他︑

下接引用動詞にも匹敵する目印が︑会話文に下接してあらわれ︑

会話文の閉じめを示す役割を果しているようである︒次はそれを

検討する︒ 引用動詞上接i下接

刀ロ 一  刀口雪口       蓄口 謂 告 云

1111

1

1121

 期 男建詔・言・問畑加︵

111

語・言−云

1

1

日 一 白 云 謂

12 31

511

白 − 白 云

1

1

11

云 i 云

2

2

告 i 告 詔

11

11

13

4③

2 19G

B・a 会話文で文が終る場合︑又は︑会話文で一応句切れて文が中止

する場合︑後続文の冒頭に︑ある種の接辞が置かれることが多い︒

例えば次のような事例である︒

①爾自身上戸出向之時︑伊邪那岐命仏門之︑愛藤津魎妹命︑吾

 與汝所作之国︑未上智︒故︑可還︒爾⁝︵上︑64ぺ︶

②照影邪那岐命詔︑愛隔日耳茸命︑汝為然者︑吾一日目千五百産

 屋︒是以⁝⁝︵上︑66ぺ︶

③故於是速須佐之男命言︑然者干天照大御神中綿︑乃⁝︵上︑

 74ぺ︶

④爾天照大御神聞敬馬射詔︑我那勢命之上来由者︑必不善心︒欲

 奪我国耳︒劇⁝⁝︵上︑74ぺ︶

⑤爾天照大神詔︑然甲高心之清明︑何以知︒於是⁝⁝︵上︑74

 ぺ︶⑥爾思金神樗蚕︑可遣天津国玉神之子︑天若日子︒故爾⁝⁝

 ︵上︑mぺ︶

 これらの会話文は︑それぞれ︑語詔之︑詔︑言︑製出などの引

用動詞の直後から会話文が始まり︑その会話文で文もしくは句が

終っている︒そして︑次の文の冒頭にそれぞれ︑爾︑是以︑乃︑

部︑於是︑故爾のような接辞iつなぎことばが置かれ︑次文の冒

頭を鮮明にすることで︑前文末尾の会話文の終りを際立たせてい

る︒この目印も︑実際に文章を読んでいく上では︑会話文の終り

をはっきりと印象づける役割を果している︒

(7)

m

30

22

15

67

爾即

1

1 19

19

6

44

故爾

9

1

10

故帥

1

1

2

故是以

1

1

13

14

7

34

5

2

7

1

2

1

4

1

4

5

1

1

4

5

3

12

1

1

2

2

之時

1

1

2

2

之中

1

1

1

1

1

2

3

6

錐然

1

1

如此

8

5

3

16

是以

2

2

5

9

於是

8

11

5

24

是○

1

1

2

此○

3

1

4

1

1

2

1

1

m

94

53

 このような接辞ーつなぎ

のことぼには様々なものが

見られるが︑用例を整理し

てみると上の表mのように

なる︒ 接辞という語では覆いき

れない雑多な語句を採って

いるが︑文章を読みすすめ

るにあたって︑これらの語

句が画然と会話文の閉じめ

を指標していることは否め       のない︒特に数値の多い︑爾

       系六八例︑故系五七例︑即

三四例の三接辞︑及び︑如

       此一六例︑是以九例︑於是

二四例は︑﹃古事記﹄全体に

わたって会話文に直接後続

してあらわれ︑会話文の閉

じめを示すのに役立ってい

る︒上・中・下各巻の用法

にはいくらかの偏りはある

が︑特にとりたてていうほ

どの特色はいずれにおいて

も見出せないと思う︒下巻

の用例が形の単純なものに

限られているぐらいが目立 つところである︒ このように︑会話文の直後に置かれる語句が︑会話文に上接する引用動詞と相まって︑会話文の目印になり得ているとすれば︑次のような諸例も又︑同様の性格をもつものとして考えてよいのではないかと思われる︒B・b⑦師其御頭球之玉緒母由良遍︵訓注︶取由良迦志而︑賜天照大 御神而詔之︑汝命者︑所知高天原 ︑事依而賜也︒︵上︑72ぺ︶⑧次詔月讃命︑汝命者︑所知夜之食国 ︑事依也︒︵上︑72ぺ︶⑨次詔建速須佐之男命︑汝命者︑所知海原 ︑事依也︒︵上︑72ぺ︶⑩天照大御神之命以︑豊葦原之千秋長五百秋之水穂国者︑我御 子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命之所知国︑言因賜而︑︵上︑mぺ︶⑪是以随白之科詔日子番能逓遍芸命︑此豊葦原水穂国者︑汝将 知国︑言依賜︒︵上︑鵬ぺ︶右の五例は︑会話文に下接して﹁言︵事︶依﹂という語句があらわれ︑上部が会話文であることを示す目印が与えられているといえよう︒これに準じて考えてよいと思われる用例が︑上巻五例︑中巻三例︑下巻一例︑計九例見出され︑右五例とあわせて︑前掲の表mの数値に追加し得る用例が合計一四例見出されることになる︒ 以上によって︑会話文に下接して接辞その他の目印を持つ用例は表mにあげた計二六一例に︑これに準ずると考えられる計一四例を加えて合計二七五例に達することが証せられた︒これは﹃古事記﹄の全会話文数の八割にも達する数値である︒

直接叙法の意味︵山口︶

(8)

長崎大学教育学部人文科学研究報告第三十三号

 次に︑﹃古事記﹄においてはむしろ例外的に︑会話文に下接して

何らの目印も持たない用例を検討しよう︒上巻に計一七例︑中巻

に計一二例︑下巻に計=二例︑合計五︼例が見出せる︒

 下接の目印のない用例とは次のようなものである︒C・a①於是問罪翰墨邪那美命日︑心身者如何成︒白白吾身者︑成成

 不成合庭一華在︒爾⁝⁝︵上︑52ぺ︶②糾問汝剣士者何︑答二言中之算者︑自本在八号女︒測高志之

 八俣遠呂智︑︵訓注︶毎年来喫︒今其可来時︒故泣︒爾⁝⁝︵上

 84ぺ︶

③爾問汝者誰也︑答日僕者国神︑名謂井氷鹿︒︵訓注︶即⁝︵中

 鵬ぺ︶④又命詔︑何為日足奉︒答白︑取御母︑定大湯坐︑若湯坐︑宜

 日足奉︒故⁝⁝︵中︑浬ぺ︶

⑤爾天皇華燭︑吾玉章命若與墨江中王同心乎︒故不相言︒答白︑

 僕者三厩邪心︒亦不同墨江中王︒亦⁝⁝︵下︑獅ぺ︶

⑥爾語其二日︑汝有所思量︒答日︑被天皇能事澤︑何有所思︒

 於是⁝⁝︵下︑㎜ぺ︶ 右のような例において⁝をつけた会話文は︑上接した引用動

詞︑問・詔・語などで導かれているが︑下接部分に目印がない︒しかしいずれの用例においても︑ひきつづいて次の会話文があら

われるので︑その引用動詞・答白・答白言︑答日などが︑会話文

に直接下接しているのである︒二番目の会話文の下には︑爾・故・ 帥・亦於是などの接辞がいずれの事例にもあらわれている︒このような事例においては︑それぞれの二つの会話文は︑一まとまりのものとして地の文から区別されていると認められる︒この引用形式は︑どうやら︑問答の引用形式として﹃古事記﹄においては類型化しているものらしい︒この形式の中にあらわれる会話文は

一体に短かいものが多く︑会話の内容は大むね問いと答えから

成っている︒

 このような事例は︑上巻に計一〇例︑中巻に計一七例︑下巻に

計七例︑合計三四例を数える︒その中には︑次のような︑会話文

に接続する文の文頭に接辞を持たない次のような事例も︑例外的

ではあるが含めた︒例外例は︑中巻二例︑下巻︸例の合計三例が

見出せた︒

⑦亦問日何由︑答日︑時時也往往也︑錐為取而不得︒是以白不

 能界︒︵中︑珊ぺ︶

 これら計三四例の事例は︑問答という形の二つの会話文が一ま

とまりのものとして表現されている︒二つの会話文の引用されて

いる地の文には︑二文とみなすべき区切りの目印がない︒従って︑

これら計三四例は︑二つの会話文を一まとまりの表現として一文

中に連続して引用している事例とみなし︑これを私は︑﹁連続引用﹂

と呼ぶ︒﹃古事記﹄の連続引用は︑会話数において二会話文︑会話

内容において問答︑と非常に限定された形のものである︒

 ところで︑上記三四例の他にも︑内容的には問答であり︑形式

的にもきわめて類似した事例が見出される︒しかし︑次に述べる

ような理由で︑これらの事例は︑同質の引用形式とは認めない︒

 次に示す⑧は︑二つの会話文のいずれも主語をもつ事例である︒又︑⑨は︑二つの会話文に下接して︑問答のいずれにも接辞があ

(9)

らわれる事例である︒これらは︑前述した①から⑦のような事例

ときわめて近似しているが︑それぞれが独立した一文と認められ

る点が大きく異なっている︒一文中に二会話文の連続引用とみな

すことはできない︒⑧爾伊里那岐命詔︑我身者︑期成而鯨庭一塁在︒故以此吾身成

 鯨虚︑刺塞汝食思成合庭而︑以為生成国土︒生奈何︒︵訓注︶伊

 邪那美命︑答日然善︒爾⁝︵上52ぺ︶⑨爾具請之︑今如此言教之大神者︑欲知其御名︑師答詔︑是天

 照大神之御心者︒亦底筒男︑中筒男︑上筒男︑三柱大神者也︒︵訓

 注︶今宴思求其国者︑於天神地祇︑亦山神及河海之諸神︑悉奉幣

 畠︑我之御魂︑坐丁船上而︑真木灰納瓠︑亦箸及羅傅︵訓注︶

 多作︑皆皆散書大海以可度︒故⁝⁝︵中劉ぺ︶

 例文⑧のような用例が上巻二例︑下巻一例の合計三例︑例文⑨

に準ずる用例が︑中巻に三例みられた︒但し︑例文⑨に準ずる三

例のうち二例までは︑問答の両者ともに主語が明示されていて︑

例文⑧とも重なる用例である︒

 鋭きわめて例外的な一例として左のようなものもみられる︒

⑩故︑部還下難波︑欺所近習墨江中王之隼人︑名曽婆加里云︑

 若汝従吾言者︑吾為天皇︑汝作大臣︑治天下那何︒曽婆詞理答

 白随命︒爾⁝⁝︵下︑鰯ぺ︶

 これも又︑答の文は︑曽婆詞理という主語が明示されて︑独立

した文であり︑二会話文引用の一文ではなく︑一会話一文という

形式と考えるべきであろう︒

 このような事例は︑外見上︑連続引用に類似するが同質の表現

ではないと判断し︑この項における用例には加えない︒

 ところで︑先にあげた形の問答引用体としての計三四例の連続 引用においては︑引用されている二つの会話文のいずれか︑ある

いはどちらもが会話文に後接する目印をもたない︒前述の下接の

目印を持たない会話文計五一例のうち︑計三七例までば︑右の問

答引用形式の連続引用の中にあらわれる︒すなわち︑下五目印を

持たない会話文の七割までは問答引用形式の引用文の中にみられ︑

一つの表現類型をなしている︒従ってこれも又一つの目印の役割

を果しているとみられる︒

 以上︑会話文に下接して何らかの目印を持つ事例を検討した︒

今もう一度整理してみれぼ︑次の三種であった︒ AI会話文に下接して更に引用動詞を置く事例 BI会話文に下接して接辞その他の語句を置く事例

 CI二会話文が連続する問答形式の類型の中に会話文を置く事例

 三種の用例数を上・中・下巻に分けて表坪に示してみよう︒

表W

A・a   下接引用動詞をもつ型 b13

B

2

22

皿10943531

C・a 二会話文連続の問答形式の中の型1017

7

34

63

妙接叙法の意味︵山ロ︶

(10)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第三十三号 一〇

 ﹃古事記﹄の会話文数は︑前掲表1にみるとおり︑計三三四例

であり︑二重引用の会話文計二一例を加えても合計三四五例であ

る︒表Wにみるとおり︑そのうちの計三三一例までが︑会話文の

下関部分に何らかの目印を持ち︑広義の賜田形式とでもいうべき

効果をもって︑地の文の中で会話文を際立たせている︒これは実

に︑全会話文数の九割五分にも及ぶ高率であり︑﹃古事記﹄におい

ては︑単に︑会話文に上接している引用動詞が明確に言表行為を

示すのにとどまらず︑会話文に下接して何らかの目印を持ち︑地      はる の文の中で会話文はまぎれようもなく明示されているといえよう︒

漢字のみで表記され︑しかも︑純粋の漢文の表記法と異なり︑音

訓まぜ用いて表記してゆく中で︑会話文−直接叙法を際立たせる

ための工夫が種々こらされているとみるわけである︒

 とすれば︑太安曇侶にそのような努力を強いたものは何だった

のだろうか︒あるいは︑注1にあげた諸論文にいわれているよう

に︑漢訳仏典あるいは俗語流漢文スタイルにおいても︑上述のよ

うな特色は見出せるものかもしれない︒しかしそれを確めるべく

あまりにも浅学であるため︑その点の検討は識者にゆだね︑私は︑

別の見地から︑この現象のよって来たる要因を推察してみたいと

思う︒

 前章までに︑﹃古事記﹄の会話文が︑いかに明確に会話文として

の目印を置くかを見てきた︒会話文に先行する目印として︑明確

に言表行為だけを示す動詞がある上に︑更に会話文に後置される 目印として︑A・再び引用動詞を置く事例の他︑B・様々な接辞やつなぎのことばを置く事例︑C・形式の定まった問答の型の中に会話文を置く事例などを見出した︒﹃古事記﹄の会話文は︑結果的には上下におかれた目印のために︑地の文に埋没することを妨げられているといえる︒ 用例の分布状態からみると︑上巻に多く︑下巻に少ない︒年代さえ混沌として定かではない神代の時代ほど直接叙法の会話文が多く︑安萬侶撰録の時点に近づくほど少ないのである︒この現象は︑ある意味で甚だ興味深い事実である︒地の文から前述の如く際立たせることに徹している会話文が多用されるということは︑表現として︑場面に読者を連れこみ立ち合わせるものであり︑臨場感を強めるわけであるから︑時の隔たりのもっとも大きい神代の昔の神々の会話が︑もっとも数多く書きとめられていることには注目してよいと思う︒この事実はあるいは平安和文において︑

﹃竹取物語﹄や﹃落窪物語﹄のような作り物語において会話文の

頻度が高く︑身近のこと書きとめたことになっている日記類にお

いてかえって低いという事実とも照合する現象のように思われる︒

 この現象に対する解釈として︑私は︑次の三点をあげたい︒

  a︑音声化された言語を重視する古代人の言語観のあらわれ︒

  b︑神のことぼへの古代人の尊崇の念のあらわれ︒

  c︑音声言語を文字に定着させるために必要な過程の結果︒

 会話文の引用において︑ある意味で厳密に引用文を際立たせ

ようとする記載方式は︑言葉が音声化されたものか︑単なる文字

表現であるかにこだわる表現姿勢のあらわれである︒音声化され

た言語を重視する立場からは︑会話文の記述を明確にする努力と

方式が生まれるのも当然であろう︒音声化されたものを言葉と認

(11)

      たす      さきめ︑尊重するという姿勢は﹁言霊の佐くる国﹂﹁言霊の幸はふ国﹂      と自国のことを称する古代日本人にとってごく自然な言語のとら

え方であると思う︒ことぼが一端人の心に思い浮かべられてし

まった以上︑それは確かに存在するのであって︑音声化されよう

が文字化されようが︑あるいは音声にも文字にもならず人の心の

中にあるだけであろうが︑大した違いはないとでも捉えているか

にみえる平安和文の会話引用形式に比し︑﹃古事記﹄の会話引用形

式には︑音声化された言語を重視し︑地の文と峻別する姿勢がう

かがえると思う︒

 そして︑とりわけ重視される言語は︑神々のことばであろう︒

神言は何よりも重大な言葉であった︒とすれば︑それを一言半句

違えずに記しとどめようとし︑直接叙法が多用されることになる︒

上巻に会話文が多いのは︑それが神々の巻であり︑一言半句がそ

こに重大な意味を付与されるべき言葉であったからだと思う︒上巻において描写が活き活きとしており︑場面が活写され︑人物

︵神々︶の姿が生彩を帯びているのは︑そのようにして多用され

た会話文のもたらした副次的な結果であろう︒本来それをねらっ

て会話文を多用したのではない︒神々のことぼの尊さ︑ありがた

さのために︑それをそのままに記しとどめようとしたのである︒

神々も人問と同様に語ると考え︑又多くの人々は心耳に神のことばを聞いたものでもあろう︒古代の神々は天地に満ち満ちて﹁さ

      ばえなす﹂といわれるほどに語りたもうたのである︒それを忠実

に記しとどめること︑それが直接叙法のもつ真の意味であったの

だと思う︒

 更に︑音声言語を文字に写しかえる一その内容をとって意味を

表現するのではなく︑語られた言葉そのままに写しかえる一とい うことは本来不可能な事である︒どんな表音文字であっても音声をそのまま表記することはできない︒音声が異質の記号・文字に写しかえられるためには︑ある程度の口諦の期間を経ることが︑少くとも安萬侶の時代には︑文字化するに必要な条件だったのではないか︒口論の時代を経過する間に音声言語は︑ソシュールの       いうパロールとしての属性をやや薄められ︑固定化し︑ある意味で洗練されて︑文字化されるに耐えるだけの姿を獲得するのだと思う︒ 直接叙法の意味は︑音声化された言葉のそのままの記載にある︒音声化された言語は単に心中に思惟された無形の言語と違い︑ひとばと呼ぶに足る形をそなえた言語・力を持った言語なのである︒それをそのままの形で記しとどめ得るならば︑言葉の持つと信じられた力は︑そのままそこに封じこめられると思われたに相違ない︒文字を持たない古代の多くの人々にとって︑語られたことぼだけがことばであった︒古代の大多数の人々にとって︑文字は何の意味も持たぬ線の羅列であり︑音声だけがことぼの旦ハ象化であった︒わけても神の言葉は︑そのままに伝えられるべきものであり︑又︑長い口請時代の間に醇化されて︑文字化し得るに足る純正さと単純さを獲得していたであろう︒﹃古事記﹄上巻に会話文が多く︑それが︑上下に目印をおいて際立たせられている理由を私は上記のように解釈する︒

直接叙法の意味︵山口︶

(12)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第三十三号

 語られた言葉の重味は大きい︒私たちはそれをできるだけ忠実

に記しとどめようとする︒神々は沈黙し︑私たちは音声を不確か

な不安定なものと考え︑文字をより確実なものとして信じる世の

中に生きているけれども︑なお︑語られたことばは︑正確に記し

とどめられることを求める︒目印の少ない和文の世界では逐に

﹁ ﹂という形で歴然と会話文を区別する方法を生み出している︒

 長い歴史の間︑仮名文において直接叙法がどちらかといえぼ地

の文や噂話文・消息文とまぎれやすかったのは︑一つには表記法

の問題もあろう︒表意文字である漢字で引用動詞を記せば︑それ

が言表行為か思惟行為か書記行為かは一目瞭然であって︑引用文

が視野に入る前に︑そのいずれの行為の内容かが分っている︒と

ころが仮名書の和文においては︑引用動詞は原則として引用文の

後にあらわれるから︑引用文自体を読んでいる時には︑まだそれ

が言表行為なのか思惟行為なのか書記行為なのか判然としない︒

その上︑仮名書きされた引用動詞はイメージの喚起力が弱く︑引

フ︑カタルなどの明確な動詞はともかく︑例えばノロフなどにお      いては︑思惟行為か言表行為か最後まで決定しにくい︒呪などの

口篇の文字を用いて一目で音声化を知ることができる﹃古事記﹄

の表記体系とはきわだった違いがある︒

 ﹃古事記﹄の会話文が︑安萬侶選録の原文でみている限り︑き

わめて明瞭に認知できるのに︑むしろ訓み下し文にした場合には︑

﹁ ﹂をつけないと会話文の存在が稀薄になるのも︑表記法に起

因するところが大きいだろう︒

 そのような表記法で久しい間言語生活がいとなまれてきたこと を考えると︑そこには日本人の言語意識というものをうかがいみる手がかりが残されているように思われるが︑問題はあまりにも大きい︒今後︑更に会話文の性質を明らかにし︑音声の言語と文字の言語の接点を探りみることによって︑事の本質に一歩でも近づきたいと思う︒        注1︑ω安藤正次﹁上代における直接叙法について﹂︵国語国文13年8月︶  ② 安藤正次﹁古事記の文体的考察﹂︵本邦史学史論叢﹂所収︶  ⑧ 神田秀夫﹁古事記の文体に関する一試論﹂︵国語と国文学25年6月・  8月︶  ω神田秀夫﹁﹃古事記の文体﹄に就いて﹂︵国語国文26年7月︶  ⑤ 神田秀夫﹁日本文学と中国文学︵古代︶﹂︵﹁比較文学﹂所収︑28年10  月刊︶  ㈲ 小島憲之﹁古事記の文体﹂︵国語国文26年4月︶ ω 小島憲之﹁古事記の﹃ねらひ﹄﹂︵国語国文29年1月︶  ㈹ 古賀精一﹁古事記の﹃白﹄﹃日﹄両君について﹂︵国語国文29年8月︶ ⑨ 古賀精一﹁古事記における会話引用一白・奏・詔・告の用字法一﹂   ︵古事記年報2・30年1月︶  ⑩ 原口裕﹁古事記における直叙様式1□之・□者の用字について一﹂   ︵語文研究第十八号︑39年8月︶ ω 西尾光雄﹃日本文章史﹄上古篇第一章︵塙書房刊42年3月︶2︑ 例えば︑双括引用で引用されている会話文が二重引用であれば︑どち  らの項目にも用例1として数えている︒従って各事項の合計数が総数に  ︼致するわけではない︒3︑ 僅か一例の全く例外的な用例として︑次の注目すべき事例が見出され  る︒

 ○将待撃尊書聚軍︒︵中︑覇ぺ︶

(13)

   この用例は︑引用動詞が会話文に下接してあらわれ︑それしかない︒

  双括引用形式の下部だけが存在している形式で︑唯一の例であるが︑和

  文における引用形式と考え合わせて興味深い︒この事例も又︑会話文に

  下接して目印を持つことには違いがない︒しかし本稿において取り扱う

  直接叙法は︑この一例を除き︑すべて会話文に上接して引用動詞があら

  われる︒その事を前提として論を進め会話文に下接する語句に注目して

  いる本稿においては︑この上接引用動詞を持たない一例は︑例外として

  指摘するにとどめ︑ここでの用例には加えないことにする︒

4︑ 注1⑩の原口論文では︑全会話文数三四九例とされ︑他の諸論でも若

  干値は異なっていて︑本稿で採った計三三四例も確実な数値とはいいが

  たい︒しかし︑大局的にみて︑広義の双括現象が﹃古事記﹄の会話文に

  おいてみられることは動かないと思われる︒

5︑  ﹃万葉集﹄巻五・八九四︑巻十三・三二五四︒

6︑  ﹃古事記﹄﹁於是萬神之聲者︑狭蝿那須︵訓注︶満︑萬妖悉発︒﹂︵上︑

  80ページ︶

 ︵付記︶

   本稿の連続引用に関する部分は︑一九八三年国語学会秋季大会︵富山

  大学︶の研究発表会での口頭発表において言及したところであります︒

  席上︑又︑事後にご助言をたまわりました諸先生方にあつく御礼申し上

  げます︒

︵昭和五十八年十月三十一日受理︶

直接叙法の意味︵山口︶=二

表 m 上 中 下 計爾30221567爾即11故1919644故爾9110故帥112故是以11帥1314734乃527亦1214又145且11而45312次11時22之時11後22之中11所11然1236錐然11如此85316是以2259於是811524是○112此○314自112従11計m9453 罰  このような接辞ーつなぎ のことぼには様々なものが見られるが︑用例を整理してみると上の表mのようになる︒ 接辞という語では覆いきれない雑多な語句を採って いるが︑文章を読みすすめるにあたって︑これらの語句

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Frauwallner [1937:287] は下す( Kataoka (forthcoming1) 参照).本質において両者に意見の相違は ないと言うのである( Frauwallner [1937:280, n.1]

(自分で感じられ得る[もの])という用例は注目に値する(脚注 24 ).接頭辞の sam は「正しい」と

【こだわり】 ある わからない ない 留意点 道順にこだわる.