研究 ノー ト
両大戦間期 日本の貿易構造 (上)
一―統計指標 に よる分析一―
山 本 義 彦 I 問題の所在 .
I 日本貿易の推移 とその特徴‑1910年 代〜1930年代末=
Ⅲ 貿易相手国の多様化の進展
(め 輸出国別貿易額比重の変化 12)輸入国別貿易額比重の変化
t3)小括―「 多様化」の進展 (以上,本号)
Ⅳ 貿易品 目の多様化構成の進展 (以下,次号)
(D 主要輸出品 目の市場推移 121 重要資源海外依存の推移 131 貿易品 目金額 ランキングの推移
〔i〕 輸出額 ランキングの推移
〔│.〕 輸入額 ランキングの推移 14)小括一貿易品 目 `多様化、の意味
V 日本資本主義 と植民地 との貿易関係
(0 本土 と台湾の関係 121 本土 と朝鮮の関係 13)台湾 と朝鮮,「満州」
I 問題の所在
両大戦間期の日本資本主義は第一次世界大戦による飛躍と,世界恐慌までの動揺と沈滞 にみえる局面と,恐慌以降日中戦争に至る拡張と,その後の戦時化へと,わずか20年前後 の期間にっめまぐるしい変容を遂げていった。経済的には,大戦による周辺地域への急激 な進出と,恐慌に至る低迷,恐慌以降の再進出という貿易活動の推移ともあいまつて,軽 工業依存の再生産構造の漸次的な重化学工業化への萌芽とその成長が示された。日本経済 の対外活動の拡大は,さ しあたり軽工業部面:と りわけ綿業における中国・ インド民族資 本との,そして当該地域に前もって進出していたイギリス資本との角逐抗争を避け難いも
(120)45
法経研究 1号 (1987)
のとする一方で,製糸業に大 きく依存 して発展 した工業編成が大戦後の世界経済,と りわ けアメ リカ経済における生糸需要の構造的不振 (人絹の発展)と,恐慌 によるその激減 と に制約されて,外貨獲得代替産業 として限界性はあるものの,綿工業への依存を強めざる をえないことか ら,いっそ うの国際経済での矛盾の拡大をもた らす ところとなった。それ ばか りではない。代替産業 としてはもとより,日本工業の時代即応的対処たるべ き重化学 工業化をますます強化する必要があ り,それ とかかわって資源輸入の多角化が品目の上で
も,それを産出する地域別で もますます要請 され るところとなっていった。
こうした状況認識をいっそ う確かなものとするために,貿易構造分析は避けて通ること のできない分野 といってよい。イ端 は,前稿での方法論整理 (「両大戦間期 日本貿易構造 分析の再検討」『 法経 研 究』35巻304号,1987年3月)をふ まえてその一つの統計的 実証作業 とい うべ き位置にある。あ らかじめ小稿が主張 した若干の事柄について述べてお
くことが,'漏の課題を鮮明にするものと考えられる。
その第一は,産業資本確立以来,長く養蚕製糸業の巨大な外貨獲得能力に依拠 していた 日本資本主義にとって,その構造変化は産業構成 と貿易構造において緩慢に進行 したっと い うべきである。「 繊維工業段階」ともい うべき日本の工業水準はかな りの時期,維持さ れていたのである。 とりわけ1920年代中葉,アメ リカが戦後のブームを基礎にした経済発 展を示す中で,製糸業は貿易において大 きな地位を もつた。
だが第二に,そのことは 日本の産業振興政策において依然 として繊維工業依存の道を採 らせたのではな く,1924年 帝国経済会議にもみ られるように,大戦による重化学工業輸入 の社絶の経験 ともあいまって,「基本工業」育成方針を明確に採 り始めているのである。
1926年関税大改正 と輸出工業組合法 とはそ うした意図の一反映 といってよい。
第三に,第一に述べた緩慢な工業構成の変化が,貿易収支の大 きな改善には資するとこ ろが少 く,19207代に収支赤字の構造問題を継続 させた。むろん先にも述べた漸次的構造 変化 も一作用因 となって赤字幅の縮小傾向を生みだ しはしている。そ うした状況の推移の 下 での関東大震災による貿易赤字の急拡大は衝撃的意義を持つ ものだった,といえよう。
だか ら,貿易収支改善 に少 しで も寄与させ るべ く,外国米輸入の抑制を植民地産米増殖計 画で充てようとした政策主体の対応は一定の根拠をもつ。1924年の帝国経済会議はこれら のテーマの重要性をよく伝えている(拙稿「 大戦後日本の経済政策構想」山本編『第 1次 大戦後経済・ 社会政策資料集』全7巻編集解説,柏書房,1987年)。 '
第山た重化学工業化の性格についてみてお くと,周知のように中 0低級工作機械の製作 技術は自製 しうる水準に到達したものの,高級品では欧米製品にとうてい太刀打ちしうる ものとはな りえず,これは第2次大戦突入後にも引継がれた問題点であった。それゆえ
,
機械輸入は,国内自給化につれて一旦は低下するものの,恐慌以降っとりわけ準戦時,戦時期には増勢を示 したのである。しかし電気機械についてみると,大容量発電機はすでに 第一次大戦時には欧米水準にまで到達するものの,アメリカの1920年代にみた家電製品の
ような民間市場を対象とする分野ではなお幼弱であつた。輸送機械でみても,貨・ 客車な どは別 として,電気機関車,蒸気機関車は東アジアに輸出す るほどの ものを製作す るに至 った ものの,自動車は1920年代 より30年代後半に至るまで外国系企業の占拠する分野 とな っていた。紡績機械 もまた国内製作技術を持ち始めたものの,依然 として英国高級品の輸 入によって大経営が維持され,国内品は東 アジア市場に販路を求めざるをえない ものであ った。基軸産業の一角を占めた製糸業が紡績機械を獲得 したのはようや く1943年の豊田織 機の開発にかかるものであったが,少くとも戦前 日本の製糸業にとってはそれは無力であ った。化学工業については,周知のように第一次大戦期,外国資本の撤退にともなって雨 後の筍のように篠出された ものの,戦争が終わ り外国企業が再進出して くるや,コス ト面 で押されるに至る。硫安工業など化学肥料工業に大 きく依存 した化学工業の特徴がこの時 期を通して貫ぬかれた。要す るに重化学工業領域は,大戦後不況か ら恐慌過程を通 じて, 外国企業の国内市場か らのしめ出しに狂奔す るか,外国製品の高度技術に追いつかないこ
とか ら,依然 として高級品の対外依存,申・ 低級品の対外輸出をみる水準だ つたといえよ う。貿易活動 もこうした状況を反映して展開 したのであ り,とくに強調 しておかねばなら ないのは,これ らの分野での国家の保護育成政策の存在であろ う。
第五に,以上のような工業発展を通 して重視 されるのは資源問題である。第一次大戦期 軍需工業動員法施行 との関連で,総力戦のための重化学工業化の必要を志向 した軍部の応 援をえて行われた石原産業のマ レー半島進出だけではな く,ゴムその他諸資源開発への助 成 の開始,西原亀三の借款構想にみる中国資源への関心の表明 とこれの政府による支援
,
国勢院設置資源局官制の実施などを挙げることができよう。むろん こうした政策提起が常 に具体化 し現実化 したとみることはできない。政策化が意識 され着手される現実的背景を とらえることが必要であろ う。重要資源の海外調達態勢の形成を小稿では,貿易統計の推 移において把握 しよ うとしている。第六に,すでに述べたように,繊維工業を基底に重化学工業化を漸次押 し進めた 日本資 本主義にあっては,対象 とする約二〇年間に重化学工業品輸出を主力 とす るほどの発展を 示 したわけではないがために,依然 として貿易収支の赤字問題に逢着す る運命にあったの で,ここか ら要請されるテーマは,植民地圏の獲得により資源調達を容易 とし,こうして 節約された外貨を もって,欧米先進諸国の高級製品 とこれ ら諸国の勢力下にある資源の調 達を推進 して,蓄積をはか る,とい うことでなければならなかつた。以下の具体的分析を みる中で,このテーマが意外に大 きな意味を もつ ものであつた ことが仄かにみえて くるは ずである。
最後に,本稿の基本的性格について一っ二ふれておきたい。本稿は もと拙稿「 戦間期 日 本資本主義に関す る若干の理論的諸間囲『 歴史学研究』 511号 (1982年12月),「戦前期
日本資本主義の構造的特質」『 歴史学研剣 528号 (1984年 5月)が「 帝国主義 日本の危 機状況」歴史学研究会0日本史研究会編『 講座 日本歴史』9,近代3(東京大学出版会
,
法経研究 1号 (1987)
1985年)の執筆過程において準備した統計的分析の一つを基礎としてお り,今回の公表に
あた り,若干の補正を行った。以上の各論稿のパックデニタという性格から,貿易変化を 微細に過ぎるほど,既知の統計資料 (大蔵省外国貿易年表等)に依拠して,分析を試み, 貿易構造の特質をイメージ化することに努めたものであることを,予めお断わ りしておき たい。
I 日本貿易の推移とその特徴一‑1910年代〜1930年代末一一
両大戦間期の日本貿易構造を分析するにあたつて,まず,貿易の概観を与えておくこと が便利であろう。
貿易総額の検討からはじめよう。輸出額では,(0 1912‑19年の大戦勃発と東アジア市 場への突進による激増,121 20‑25年のわずかばか りのおちこみと増減の変動を示しつつ 漸増 した時期,t3)26‑31年の対中国貿易の銀貨低落と排日貨運動の展開ともあいまって の停滞から減退をしめし,しかも恐慌下の31年にはそれまでのピークである25年の水準の 半減,戦時のピークの55%水準を記録した。141 32‑40年 は東アジア市場を中心に,為替 低落を利用 した再進出によるほぼ一貫した増加と,34年には31年水準の2倍とい う激増を 示 した。輸入額では,(0 14・15年の戦時当初の為替取組み難を反映した減退,121 16‑
20年の戦中の貿易拡大による輸入増,これは20年恐慌を反映する21年の減少をはさんで,23 年関東大震災による復興需要を含み25年にまで達する。t3)その後26‑31年 の為替相場の 変動 とその漸次的上昇 ともあいまった収縮゛141 32年以降の為替相場下落にも拘わらず, 景気回復にともなう原料輸入の必要に対応した増加の時期に分れる。この結果,貿易差額 の変化は,(0 14年までのマイナス,121 15‑18年,戦争によるプラス,131 19‑24Tの マイナスの激増,f41 25‑33年ごろにいたるマイナスの減少,6)その後のプラスヘの転 化,とい う傾向を辿っている(表1)。
以上あ傾向をもたらした要因を考えてみよう。まず食料品の入超が1922‑273の時期に きわだって高い水準を示したことがわかる。この時期には,戦時,戦後の工業発展をつ う じて急増した都市人口に対する食糧供給の必要から,国内だけでは不足し,朝鮮′中国′
台湾その他からの輸(移)入がすすめられたのである。また原料品の輸入はほぼ一貫して 増加し,その輸出との差をいよいよ拡大した。これは綿業をはじめとする日本の加工型工 業の展開を基礎づける。他方,原料用製品はこの時期,29年頃まで輸出の拡大をすすめ
,
30年代初頭,後退を余儀なくされながらも,いぜんとして高い水準を維持することによっ て,出ilEを記録している。とくに20年代の差額がひときわ大きいことが特徴であるが,そ の中核には,生糸があった。全製品についてみると,こ こでも一貫して黒字である。16‑
"年期(ほぼ大戦期中
)・ ん‑29年 期(震災以降の復興期),33年以降の時期(為替低落′
「満州J支配の確立期)にそれぞれ多額の出超をしめしている。
48(117)
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)
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(116) 49
法経研究 (1987)
とはいつて も,原料品の大幅入超をこれらの製品の出超ではとて もまかないきれず,さ きにみたよ うに,貿易全体の入超構造を脱することは困難であったことが うかがえる。
なお,工業生産額全体の中で輸出に向か う製品額はどのていどを占めるか を み る と
,
1914年の戦時期の43.1%から漸次低下 して,19年31.1%,29年27。9%,35年 22.0%,40
年13.5%と なった。1920年代か ら世界恐慌期まで生産のほぼ4分の1が 輸出にまわされて いたとい う事実は,のちに確認するように,製糸業を中心 として 日本経済の対外依存性を 判断する有力な指標 とい うべきである。このことはまた国民所得に対す る貿易比率によつ て もみることができる。つまり輸出への国民所得の依存度は,第1次大戦期の15‑19年 の ように,5分の1か ら4分の1,またその後の経済停滞期には依存度が低下 してお り,25
‑29年の時期にはもりかえして,18%台を示 し,世界恐慌 の回復期である33年以降にはふ たたび4分の1に追 る勢おいを示 している。輸入依存度は,これをつねに うわまわってい る。
つ ぎに,主要品 目の貿易額の推移とその比重を検討 しよう。 まず輸出では生糸がますま す輸出額を拡大 してお り,と くに第 1次大戦後の価格暴落傾向を考慮するなら,それだけ 数量面での輸出の増強につ とめたことが分る。輸出比重でみて も,戦前・ 戦時の3分の1
た らずの水準であった ところ,20年代に急速に上昇 し,20年代末には4割に近 づ い て い る。世界恐慌期にはその比重は20年代の3分の1に まで縮小するが,輸出拡大期 と重なっ たので,金額的にはなお20T代初頭を うわまわる勢おいを示 した。絹織物の輸出も加えて みるなら,世界恐慌 に至るまでは製糸業の外貨獲得産業 としての地位は絶大であったこと になる。また1910年代か ら20年代にかけて,日本の産業の発展は製糸業の貿易にしめる地 位の上昇 とともに進んだ といってよいであろ う(表2)。
これに対照的なのは綿業である。1910年代末までは綿織物輸出の比重はきわめて低 く
,
綿糸輸出が これを超えてさえいたのでぁる。 ところがその後,綿製品の比重は,綿糸の地 位にとってかわ り(1917年起点),ますます上昇 し,20年代後半には輸出の5分の1を 占 めるに至 り,製糸業 (36〜38%)につ ぐのである。綿織物のこの地位はほぼ30年代中葉 ま で継続する。1922年に生糸および綿織物が輸出の過半 (54.5%)を占めて以降,29年の恐 慌 の年まで,こ の二部門優勢の位置が一貫して変わらず,この時期 こそが,絹・ 綿2部門 を先導 とする日本貿易構造の完成期 とするにふ さゎしぃのである。そ して恐慌を経て30年 代後半は,llH・綿両部門がほぼ タイの地位に立ち,両者合 して全体の5分の1程度,つまり20年段階の生糸の地位にようや くとどまったのである。以上の綿業海外輸出の隆盛 と対 応 して,輸入における綿花の比重は1910‑20年 の3分の1水準,20年代を通 じてほぼ4分 の 1水準,30年代前半の綿製品輸出の急増に規定 された3分の1水準 とい う推移をみせて いるも
機械類の貿易関係はどのような変化をみせたか。第 1次大戦期,海外需要の 急 増 に よ り,輸出比重が輸入比重を超えたが,これは一時的なことであって,20年代はふたたび10
表2 主要品目貿易額の比重 (%)
輸 出 輸 入
生糸
│麒 綿 糸 ヌ 惨渕 棉 花 1羊毛原坤│晏 米 小 麦
13 14 15 16 17 18 19
29 30 27 22 23 22 19 29
5。7 6.2 5.8 6.1 4.5 3.9 6.0 7.7
10.0 11.2 13.4 9.4 6.9 6.8 8.0 5.5
4.9
5。4
5。9 5.6 5.3 8,0 12.2 13.4
1.0 1.0 0.9 1.4 3,1 7.4 5:7 1.8
32.7 32.1 36.8
40。8 36.5
31。9
30。8 30.8
2.〔
2.乏 2.[
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5。C 3。(
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7.3 7.0 5,7 2.8
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3。7 2.8 1.7 1,0 2.0 2,7
2
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19.8 33.2 41.0 39.0 38.0 38.1
35。9 37.2 37.2 36.7
8,1 7.2 6.6 6.4 7.0
5。1 6.5 7.0 6.8 7.0
7.8 6.5 7.0
5。5 6.1
5。3 8.5 2.0 1.3 1.3
17.2 16.3 13.5 16.2
18。1 18,7 20.3
19。2 17.9
19。2
2.6 2,0 1.6 1.2
1.1
1.3 1.2 1.4 1.5 1.8
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︲3
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5。2 5,5 5.1
5。3 4.7 3.6
2.4 2.6 2.5 3.7
5。8 5.7 6.5 7.2 9.9
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23.4 23.9 31.3 31.5 32.0 29.0 30.8 22.5 16.4 15.8 14.6
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0。1
0。6 1.7 1,3 0.2 0,7 0.4 0.5 0,8 0.5
0。2 0.0 0.0 前掲表と同じ,ゴシックは最高値。
年代のように輸出比重はきわめて低下するが,その金額では,戦時の急増開始時点 (1916 年35白力円)を前後する水準を示した。これに対して輸入比重はむしろ戦前を凌駕するは
どに上昇を示し,ここに日本の工業水準の程度が予測される。世界恐慌の脱1出過程でも輸
法経研究
入比重はやはリー定の高さを保ったが,他方で,輸出比重が戦時期の水準に追 り,30年代 末にはこれを凌駕するに至っていることにも注意が必要であろう。よりくわしくみると
,
機械類の輸出は"年代後半の1,3〜1.8%台より,30‐33年の2.4〜3.7%台
へ,さ│らに34‑
40年 の5,8〜13.0%台 へと急上昇しており,金額でみても,20年代後半‑32年の30百万円 より,33年69自力円,34年126自力円,35‑40年の142自力円〜 475自 力円へと前進したの である。この間の輸入についてみると,1919‑24年の120〜216自 力円から25‑29年 の157
〜186自力円,30‑31年の125〜 94自力円,33‑38年の107〜314自万円,39,40年の289百 万円,266自 力円と変化した。
このような推移をみるとき,もっばら機械類の輸入に依存した日本資本主義,というイ メージのみで,当該期を評価してしまってはならないことが示唆されているといつてよい であろう。
日本の貿易構造を検討するさいに,いまひとつの視角として,貿易収支の面からみて
,
主要な貿易品目のはたす位置,役割もまた重要な課題となろう。主要品日という場合,生 糸輸出と,工業発展の傾向を示唆する原稿輸入―綿製品輸出,機械器具の輸出入をとりあ げてお くこととする。よく知られているように,原棉輸入―綿製品 (綿糸,綿織物)輸出の収支は,綿業の発 展 とともに,赤字を基調としたといってよいであろう。1912年の綿糸,綿織物輸出は79百 万円,綿花輸入202自力円であったが,その後1925年にそれぞれ553白力円,926自 力 円 を 記録し(表2),夕 議 4.6倍であって赤字額は123百万円から373百万円に,つまり3.0倍 にのぼったのである。表3に見 られるように,この赤字基調は1930031年 の全般的な貿易 差額の赤字圧縮の時期を例外として,37年に至る近代日本の綿業の対外関係を明秀する特 徴 とすべきことである。また,あたかもそれは綿業の発展 (輸出躍進)がとくに進行した 時期に赤字が拡大するともいえそ うであり,別の表現をとれば,輸出で大躍進をすると
,
これに励まされて原稿輸入が激増したということができるであろう。1919,20年,23‑27
年)32‑37年はそ うした時期にかぞえあげられよう。しかも金額でみて,この綿業赤字と い う要素は貿易差額全体の赤字化要因としてきわめて積極的な役害1をはたしていることも
うかがえる。
つぎに製糸業 (生糸,絹織物)の貿易関係であるが,こあ部門はもっばら原料の国内自 給に依存しているので,貿易収支上の黒字要因としての位置を有しているが,その黒字幅 がいかに巨大なものであるか,貿易差額全体と比べてみて明確である。むしろ製糸業は貿 易差額全体の赤字をはるかにうわまわる黒字を獲得していたのであって,しかも:綿業の赤 字を大きく超過して穴埋め役を果しているとい うのが実態である。製糸業輸出の重要性は 貿易収支中の他部門の収支の変動と対応させるといっそ う鮮やかである。さらに,ばく大 な黒字基調の製糸業と赤字基調の綿業収支の合計 (表3,6)欄 )をみると,実に,日 本の 繊維産業は貿易連関でとらえる限りっつねに巨額の黒字を累積し,貿易収支全体の赤字基
表3 貿易差額 と綿・ 絹業貿易収支及び機械収支の地位 (単位百万円)
稼キ晨%1撼温
1912年 13 14 15 16 17 18 19
27 32 20 2 5
・4 20 86
一 一 一 一
+ 十 一 一
2
. 22 23 Z 2 5 2 6 η 郎 29
932 867 1,032 1,192 1,459 1,263 1,199 1,067
‑1,092 1,006 30
31 32 33 34 35 86 37 38 39 40
‑ 76
‑ 89
‑ 21
‑ 56
‑111 +27
‑71
‑608 +27 +658 +203
‑ 75
‑ 88
‑137
‑204
‑‑218
‑143
‑‑328
‑‐225
+7 +15
‑47
559 487 452 5
. 0 620 49. 53.
・19 384
・04 280
一 一 一
121:綿糸輸出額+綿織物輸出額一綿花輸入額
131:生糸輸出額十絹織物輸出額,この欄はすべてプラス。
141:機械輸出額一機械輸入額
前掲表と同じ
調をこれに対照するならば,自未資未主義毒生産機轟を基底(易責晶主苔)とおじ、そ経轟t
+20 + 56 + 64 + 84
1‐185
+401 +413 1433
・ 5
・9 9 8
・9
8 58
一 一 一 十+
+ 一 一
‑40
‑ 45
‑ 29
‑ 5 +4 + 72 + 34
‑ 82 + 60 +101 + 93 + 89 +181 +329 4379 +515 +309 +354 1‑688 +458 +647 +624
■622 +679 +698 +808 +408
■310 4294
■250 +191 +321 4132
■286 +418 4569 +436
―‑ 92
‑97
‑ 5 +176 +371 +567 +2%
‑74
……123
‑129
‑‑105
‑110
‑‐138
‑ 93
‑‑118
‑273
・ 8 3
別
・ 9 8
・ 9 9 3. 9 4 2 2 4 9 7 7 8 8
一 優フ ー 715
‑ 941
‑ 992
‑1,293
‑ 890
‑ 954
‑ 866
‑ 922
‑ 875
‑ 484
‑ 399
‑ 315
‑ 306
‑ 302
‑ 294
‑ 203
‑ 894
‑ 391 + 89
‑ 233
……388
‑361
‑‑253
‑‑534
‑646
‑‑266
‑332
‑187
‑224
‑ 67
―‑235
‑…152
‑ 91
‑200
‑‑166
‑373
‑245
‑201
‑170
‑131
5 4 4 5 0 6 御6 5 8 8. 39 9 7 8 6 7 8 8 0 8 6 8 9 3 9
‑ 99
‑‑133
‑‑135̀
―‑146
……196
‑127
‑127
‑…103
‑137
‑‑147
■210
+221
■553 4312 +451 +497 +495 +576 +561 +661 +318 1260 4235
■212 4173 +302 4155 +273 +370 +648 +645
48 39 43 45 40 46
5
. 4
. 55 48
‑ 90
‑ 50
‑ 59
‑ 38
‑ 18
‑ 19 + 23
‑ 13
‑ 48 + 79 +209