• 検索結果がありません。

国語科の教科目標設定の根拠について

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "国語科の教科目標設定の根拠について"

Copied!
6
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

国語科の教科目標設定の根拠について

稲  田  繁  夫

 戦後の国語科教育は学校教育全般についての連合国総司令部の昭和20年10月22日付指令 から始まって,昭和22年度学習指導要領試案以来数次にわたる学習指導要領の改訂の中で その教科目標がその胃頭に掲げられてきた。

 その教科目標は昭和26年試案では一般目標のほかに,中学校についていえば各学年段階 を設けずして23項目の具体的学習指導目標が網羅的に並べられていて,その中にはたとえ ば(七)劇や映画のよしあしがわかる。などのように,生徒の言語表現理解行為以前のも のまで,国語科学習指導の目標にだき込んでいたが,昭和33年度改正版から,国語科とし ての固有の立場に立って教科目標学年目標を設定し,今次の昭和44年度改訂版で更に仕上 げられたことはその意義は大きいといわなければならない。

 さてここで問題にしょうとしているのは,学習指導要領国語科の教科目標を引き出す根 拠についての一般の解説書の説明の方法についてである。一般には戦後の国語科教育の教 科目標を説明するのに法令を根拠としていて,まず憲法前文の 日本国民は,恒久の平和 を念願し,人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって,平和を愛す る諸国民の公正と信義に依頼して,われらの安全と生存を保持しようとした。

というところから出発し,教育についてはこの憲法によってきめられた教育基本法前:文  民主的で文化的な国家を建設して,世界の平和と人類の福祉に貢献しようと決意。

 われらは個人の尊厳を重んじ,真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに,普  遍的にして,しかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならな

 い。

を受けて,更に第一条の

 教育は,人格の完成をめざし,平和的な国家及び社会の形成者として,真理と正義を愛  し,個人の価値をたっとび,勤労と責任を重んじ,自主的精神に充ちた心身ともに健康  な国民の育成を期して行なわれなけれぽならない。

を援用してくるのである。学校教育については学校教育法における第17,18条第35,36条 第41,42条の小・中・高の教育目的と目標を拠りどころとし,直接国語科教育について は,学校教育法第2章,小学校の第18条の小学校教育の目標第4項

 日常生活に必要な国語を,正しく理解し,使用する能力を養うこと。

同じく第8項の

 生活を明るく豊かにする器楽,美術,文芸等について,基礎的な理解と技能を養うこと。

を国語科教育の目標を示す法的根拠として説明するのである。更に学校教育法の第3章,

中学校の第36条中学校教育の目標の第1項

 小学校における教育の目標をなお充分に達成して,国家及び社会の形成者として必要な  資質を養うこと。

また,同法第4章高等学校の第42条高等学校教育の目標の第1項

 中学校における教育の成果をさらに発展拡充させて,国家及び社会の有為な形成者とし  て必要な資質を養うこと。

   

(2)

という学校段階に即応して,小学校の第18条第4・8項は小学校,中学校,高等学校を貫 いて国語科教育の大目標として設定されているが,一般にはこのような法令の条文を根拠 にし,この上位法から下位法へと条文を辿って,国語科教育の目標に説きおよんでいくの である。小・中・高を貫いての国語科教育に関する法文は以上の系列であるが,これを各 学校段階において実施する場合,学校教育法施行規則の第25条,55条,65条で,文部省は

それぞれの学校段階における学習指導要領を編集して,教科教育課程の基準を示している のであるが,国語科教育の目標を解説する場合,一般の行き方は以上の順序を追うて法令 の拠りどころの条文を挙げ,次に学習指導要領の国語科の教科目標を取り挙げていくのが 普通である。

 しかしながら,このように法令を第一の根拠として説明する行き方は戦前の法令規則を 根拠とする説明と同様に,法令の改訂とともに動くこともありうるのである。戦前の教育 の根底を支えていたものは「教育勅語」の精神で,これを教学の淵源として小学校から大 学令まで各学校段階に応じた勅令による法令を拠りどころとしていた。国語科が教科とし て設定されたのは明治33年の改正小学校令からであるが,翌明治34年中学校令施行規則第

一一

ヘ第三条に,

 国語及漢文ハ普通の言語:文章を了解シ,正確且自由二思想ヲ表彰スルノ能ヲ得シメ,

 文学上ノ趣味ヲ養ヒ兼テ智徳ヲ啓発スルヲ以テ要旨トス。

とある前段「国語……得シメ」までは,国語教育の目標を言語的表現理解行為,つまり聞 き方,読み方,話し方,書き方の能力を伸ばす教育として規定したのであるが,

 交学上ノ趣味ヲ養ヒ兼ネテ知徳ノ啓発二資スルヲ以テ要旨トス。

という後段は,文章を読むことによって到達する思想内容を問題にし,あわせてその内容 を規定しているのである。つまり国語科教育の目標は生徒の国語実践教育の能力であるば かりではなくて,教材を通して生徒に何等かの思想を植えつけることであったのである。

であるから国語科の教材は生徒の精神形成に好ましい思想内容のものが必要とされたので ある。国語科教育に対してはある種の思想的感化ということが要請されていたのである。

戦時下の国語教育ではこういう傾向は一層強められ,昭和15年8月改訂の国民学校教則案

では,

 国民学校ハ皇国ノ道二則リテ普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為ス。

ことが本旨とされた。国民学校は「皇国の道に帰一する」ことが根本方針であり,この根 本方針から国語修身地理歴史が統合されて国民科となり,国民科においては

 国民科ハ我が国ノ道徳,言語,歴史,国土国勢等ニツキテ習得セシメ,特二国体ノ精華  ヲ明ニシテ国民精神ヲ洒養シ,皇国ノ使命ヲ自覚セシムルコト。

が要旨とされ,この要旨実現のための四項目にわたる国民科の教授方針が掲げられてい る。国民科国語の目的は

 国民科国語ハ日常の国語ヲ習得セシメ其ノ理会力ト発表力トヲ養ヒ国民的思考・感動ヲ  通ジテ国民精神ヲ酒養スルコト。

となって,明治33年以来の小学校令施行規則以来の国語科の目標から更に一層の思想内容 の教育が打ち出されて来た。昭和15年8月21日付文部時報に掲載された国民学校教則案説 明要領によると,

 国民精神とは無窮に生生発展すべき皇国の理想に基づいて顕現する我が国民の精神であ

(3)

 って謂はばあらゆるものを包摂する博大な精神である。義勇奉公を中核として活動する のは勿論であるが,替優にやさしい「物のあはれ」もそれであり,外来文化を摂取して之 を自家薬籠中のものとし,やがては独自の文化を展開創造して行く精神もそれである。

といっているのは,前述した

 兼ネテ知徳ノ啓発二字スルヲ以テ要旨トス。

の「兼ネテ」というように国語実践能力の教育と好ましい道徳的な内容教育とを並行させ るという以上に,このことばを除いたのは,国語の理解力と表現力の教育の過程を経て,

 国民的思考・感動ヲ通ジテ国民精神ヲ酒養するところに到達することに本旨があったと 考えられる。そこでは,読むことの正しい方法の教育というよりも,読むことによって到 達する,皇国の道に帰一するところの国民精神の教育という精神・思想の教育であったの である。そしてこのような国語科の目標設定の言語観として言語思想一体観に基礎を置い ていることは,その説明要領に述べている通りである。

 戦後の教育制度は大きく変り,戦前戦中の教育の反省と批判の上に立って,学校教育は すべて狭i義の法律によって規定され,各学校段階の教育目的・目標,教科目標が規定され 設定されたのであるが,今日国語科の目標を説明するにあたり,まず最初に憲法以下の法 令を理論的根拠として説明を始めることは,たとえその説明の過程の中で,戦前の法令を 批判しながらも,再び現行法令に教科目標説明の根拠を置くことになる。ところが法令は 変更さるものである。「不磨の大典」とされた明治憲法も手続的には改正であるが全く別 の憲法が突然とってかわったのであり,教育法令もまた同様である。現行学校教育法にお ける国語科教育の目標を規定した条文は前述した第18条の4項・8項だけで,4項は  日常生活に必要な国語を,正しく理解し,使用する能力を養うこと。

つまり聞く・話す・読む・書くの国語実践能力の養成だけに限って,それ以上の思想内容 的なものの教育目標を掲げていないし,8項は

 生活を明るくする文芸の基礎的な理解と技能,

の養成,つまり文学教育を掲げていて,その文学教育の結果獲得される特定の思想・心情 内容までを規定していない。明治以来の我が国の教科目編成では「文学」を「国語」の外 に別立てせず,国語科として包摂されてきており,その教科学習指導の実践においては「

言語教育と文学教育」と二元的にとらえ,あるいはこれを学習指導の実践の中で総合させ ていこうというような方法上の立場の違いが認められるが,私は言語教育と文学教育の関 係を一元的にとらえ,たとえば「読む」ことの中に文学的な文章を読む,非文学的な文章 を読む,というように読み方の教育における読みの教材の違いとして位置づける立場に立 つのである。いずれにしても,いわゆる文学教育といわれるものは国語実践一聞き・話し・

読み・書く方法の教育であって,条文はこのような生徒の国語生活実践能力の養成以上の ことを付加していないので,適切な条文であるから,国語科の教科目標の根拠を現行法令 の条文から出発させるは,一見適切無難のようであるが,将来政治的社会的変動によって,

戦前のような法令に相当するような法令が生まれ,あるいは別の政治的社会的体制のもと

で,それに応じた法令が生まれれば,われわれ国語教師は終戦後経験したように,現行の

国語教科目標の根拠法令を批判して,新しい法令に立って国語科の目標を説明しなければ

ならないこととなるであろう。国語科教育が学校教育の一分科である限り,①教育一般の

考え方の変化,②社会の必要とか要求から制約を,③国語教育自体の理論的展開により,

(4)

その時期によって可なり異なった教育内容を担当して来たことは明治以来の国語教育の変 遷を辿るといえることである。以上三つの条件もそれぞれ孤立的に働くのでなく,相互関 連的に働いて国語教育の内容を規定して来た。従って一般的に教科の目標を設定すると

き,これらの時期に応じて担当させられた国語科の教育内容を反映して目標の言表がなさ れて来たのは自然のなりゆきであろう。しかしながら,社会科とか理科とかの,いわゆる 内容教科と異なって,言語実践能力の養成を目ざす国語科教育においては,政治的な社会 的な変化によって動かされないもっと不易な教科目標があり,それは時の法令の改訂によ っても変らないものとして説明されなければならないと考えられるのである。政治社会体 制が変われば,教育制度や教育法令も変わり,従って現行の国語科の目標も法令根拠が変 わることがありうるのである。

 大島康正二丁「中ソの教育事情と日本の教育⊥によると,中国では昭和41年4月から小

。中学校に週1時問特設の「道徳」の時間を設け,その時間に道徳教育として,中学校高 等学年(高校)では毛沢東選集甲和本,中学校初等学年(中学校)と小学校六年生には毛 沢東選集乙和本,小学校五年から三年生には毛沢東語録,一,二年生には毛沢東的話を教 材として用いている。それ以前はそういう道徳教育はやっていなかったかというとそうで はなくて,国語教育を通してやっていた。小学校1年から4年忌までは週の授業時数の50

%を国語教育にさいていで,学校全体で28学級あるとすると,国語科の教師は30人以上お かれ,この国語科の教師だけが同時に学級主任をやっていて,その国語科教育は徹底した イデオロギー教育である。6年忌の国語の教科書など,たとえば「共産党の勝利」などと いう文章が教材としてのっており,共産党の勝利が如何に素晴らしいかということが内容 になっていて,小学校1年生から, 日本の教科とちがって挿絵などぜんぜん入っていな い,完全にイデオロギー教育で貫かれているのである。このような国語科教育は「道徳」

科目の特設されるまでかというと決してそうではなく音楽,体育などすべての教科で共産 主義的イデオロギー教育を行なっているが,さらにそれだけでは足りないとして「道徳」

の時間を特設したということである。このような日本の現状とは異なった政治社会制度の 国になると,その国の国語実践能力の養成の教育に加えて,特殊な思想精神教育が国語教:

育内容を構成し,それはまた当然国語教育の目標として法令的根拠によって裏づけられて くるのである。

 明治以来の国語教育の史的変遷を辿ってみると,さまざまな目標設定がなされ,またさ まざまな目標観の提言があった。そしてそれらを概観すると,

 1.国語能力の養成        2.内容的価値による人間形成

の二部門にわたっているといえるであろう。前者は国語に関する知識,理解,技能,態度 などにわたる,聞き,話し,読み,書く国語実践能力の伸張をはかることであり,後者は 教材の意味内容,表現の内容価値による精神形成,つまり好ましい教材内容の感化による 人間性の育成として考えられて来た。後者の中には文芸を包含してとらえられ,これらの 両者をふまえて目標とした時代,すなわち両者の統一,一元観の時代や立場,両者を並列 的.二元観の時代や立場が交錯した。:文学教育と言語教育を二元的に並立させるのもその ような立場の一つの現われである。明治33年の小学校令施行規則の,

 国語ハ普通ノ言語,日常須知ノ文字及文章ヲ知ラシメ正確二思想ヲ表彰スルノ能ヲ養ヒ

(5)

は,これを現代的な表現に改めると,

 日常生活に必要な国語の理解力と表現力を養う。

ということになり,

 兼ネテ知徳ヲ啓発スルヲ以テ要旨トス。

つまり教材の内容価値による人間形成に寄与させるということになる。このように国語科 の目標設定にあたっては,国語能力と人間形成の二点が常に問題となってきたのである。

 昭和33年度学習指導要領においてもこの二点が引きつがれ,小学校国語科の目標では,

 目蓋生活に必要な国語の能力を養い,思考力を伸ばし,心情を=豊かにして,言語生活の  向上を図る。

とあって,この目標の大筋は小,中,高とほとんど変らず一貫している。

 前述したように,戦前の「兼ネテ智徳ヲ啓発スル」というように,国語の実践能力の養 成ということと前段とが二元的にとらえられていたのから,一元的にとらえられ,国語の 理解と表現力が養われてその結果として言語生活の向上に行きつくことが一本として目標 に掲げられた点はもっともであるが,「思考力を伸ばし心情を豊かにして」の部分と,そ の前の「日常生活に必要な国語の能力を養い」が,やはり並列的に二元的,三元的に掲げ られたと思われるものがあり,またはそのように理解するむきもあった。そこに国語教育 の目標は国語表現能力,国語理解能力以上にもっと深いものを考え,つまり生徒の「心情 を豊かにする」ことまでを抱き込むものだとしているようである。その場合の「心情を=豊 かにする」手立てはその時代の一般の道徳的評価にかなった好ましい道徳内容,あるいは 心情内容を素材とした文章を読ませることによって,道徳的感化を期待し,あるいは心情 を育てようとするのであるが,国語科教育の本道はそのような教材の文章内容の感化によ って「心情を豊かにする」内容的な教科ではないのである。このような教科であるならば

「道徳」などの教科と区別のつかないものとなるであろう。

 このような行き方は,読むことの正しい方法の教育であるよりも,読むことによって到 達する思想あるいは心情を獲得する行き方といわなければならない。国語科教育はそのよ うな結果を導くための読解の方法そのものの教育でなければならない。教材の文章内容に よる感化を問題としてきたために,戦前は国語科教育は日本精神を酒養する教科と考えら れ,戦後はそれにとって代って,民主主義的思想や,国際的感覚を磨くことが国語科教育 の一つの目的と考えられてきたのである。今日教科書批判をする人々が,ほとんどこのよ うな文章内容の思想傾向について取り上げることでも,このことが裏づけられているので

ある。

 国語科教育において「心情を豊かにする」働きがあるのは,そのような教材の文章内容 の心情を問題とするよりも,もっと一義的に,もっと根源的に言語教育の本質的領域に立 った「心情を豊かにする」面を取り上げなければならない。それはかって蜻蛉日記を輪読 させている時,兼家が以前通っていた源宰相兼忠の女が娘一人を連れて,湖の見える志賀 の山の麓に,心細く暮らすのを聞き伝えて作者は,

 身をつめぼ,なにごとをさる住まひにして,思ひのこし言ひのこすらむとそ,まつ思ひ  やりける。

の部分の「身をつめば」を,私は「その悲しい運命がわが身につまされて感じられたの

で」と解釈したところ,「身につまされる」とはどういうことですかとの質問があり,他

(6)

の学生に尋ねても答えるものがいなかったので,いろいろ説明を加えていると,ある者が

「それでは同情するということですか」と尋ねた。そこで「同情」という漢語と「身につ まされる」という本来の国語とでは,その心情内容は可成り重なっているが,単に同情と いう語に比べて,「身につまされる」というのは,自分の体をつねって人の痛さを知り,

我が座をおりて相手の座に我が身を置いて,自分自らのこととして相手に同情するので,・

同情よりもその心情内容はより深く切迫している,と説明した。彼等は尋ねてみると,今 まで「身につまされる」ということばをほとんど使っていなかったそうで,今までは同情 ということばで終っていたが,ここに同情とは違った新しい語い「身につまされる」を学 習することにより,同情という語で表現していた心情とは幾分違った心情が分析され,それ が必要によって使われ身についていくということは,今までよりも「心情を豊かにする」

ことになったといえるであろう。このように語いの学習そのことの中にも「心情を豊かに する」本質的な言語教育の領域があることを考えなければならない。昭和43年,44年改訂 小・中学校学習指導要領における国語科教育の目標を総括目標と具体的目標に分け,総括

目標を小学校で,

 生活に必要な国語を正確に理解し表現する能力を養い,国語を尊重する態度を育てる。

と規定したことは国語科教育の本義に即した目標の立て方としてまことにすっきりしたも のとなった。この場合の「国語を:尊重する態度」は,言語のよって立つ伝達の成立という ことからして,日本語としての言語行為の一般的習慣の保持ということに向けられなけれ ばならないであろう。言語に伝統性があるということは,時間と場所を超えて,話し手と 聞き手,書き手と読み手の間に伝達が成立するということで,そのためには,言語行為者 すべてが伝統性保持の意欲を持たなければならない。これが国語を愛護し尊重する態度の 根幹である。またそれは国語学習の根底的態度といわなければならない。

 ところが,具体的目標4項目は,言語行為と人間生活との間に存する関係,つまり言語 の機能という観点からとらえた為もあるが,

 2項の「知識を身につけ,心情を豊かにする」

 3項の「社会生活を高める能力と態度」

などは,言語教育の本質とその限界が十分学習指導者に徹底しないと,上述してきたよう な問題をはらむことになると思われる。ただし,学習指導要領の各学年の目標,2内容の 聞くこと,話すこと,読むこと,書くことのそれぞれの指導事項には,直接具体的目標の 前記の部分と関連するものが見出せないので,これは3内容の取り扱いとともに教科書編 輯の際,教材の文章内容選択の基準の拠りどころと関連すると理解すべきものと考えられ

る。 (46.8.12)

参照

関連したドキュメント

 本校は,2019年度から文部科学省WWL(ワール

明治33年8月,小学校令が改正され,それま で,国語科関係では,読書,作文,習字の三教

長尾氏は『通俗三国志』の訳文について、俗語をどのように訳しているか

長尾氏は『通俗三国志』の訳文について、俗語をどのように訳しているか

前述のように,本稿では地方創生戦略の出発点を05年の地域再生法 5)

②立正大学所蔵本のうち、現状で未比定のパーリ語(?)文献については先述の『請来資料目録』に 掲載されているが

実習と共に教材教具論のような実践的分野の重要性は高い。教材開発という実践的な形で、教員養

本文のように推測することの根拠の一つとして、 Eickmann, a.a.O..