長崎大学教育学部自然科学研究報告第21号33‑41 (1970)
貝殻結晶の成長に関する合成的研究
第7報 貝殻で見られる楕円結晶その他について
今井壮一・森下浩史
(昭和44年11月28日受理)
Synthetic Studies on the Growth of shell Crystals 7. On the Elliptic and other Crystals
Grown on Shell
Soiti IMAI and Hirohumi MORISHITA
貝殻の内表面を観察してアコヤガイとヨメガカサの殻に複雑な構造模様をもった楕円結晶が,と きどき付着していることに気づいた。その生成に硫酸イオンが頚要な因子をなしていることを推定 した。また硫酸イオンはアコヤガイなどの6角板状結晶や他の且の特有な結晶成長に大きな影響を 与えているらしいことを人工的な結晶作製を通じて推察した。
1.緒言
アコヤガイの真珠層表面には,しばしば正6角形に近い板状結晶が現われることはよく知ら れているo我々はその生成条件を明らかにしようとして努力を続けてきたが,その途上で一方
にやや長く延びた6角板状結晶を得たことは第5報1)で述べた。その後の試作により従来の母 液に硫酸イオンを適量加えると6角板, 4角板,円板,楕円板など種々な結晶が形成されるこ
とを知った。他方において貝殻内表面に楕円形の複雑な像を以前からときどき見かけたことも あったが,それを微生物の遺体と思って気にとめなかった。しかし多種類の貝殻内表面の結晶 観察から,その中には結晶の基本形が我々の人工結晶と対応するものもあるので,上記複雑な 楕円像も員の分泌液からできた結晶であると推定して,これらに関連した実験を報告する。写 真1はアコヤガイのものであり, 2はヨメガカサの同一殻で見た結晶であるo
2.実験
結晶をつくるための母液は塩化カルシウムと炭酸水素ナトリウムの反応を基本とし,これに アルブミン,プロタミン, RNAなどの高分子有機物,ならびに影響をしらべるための無機塩
*・*#長崎大学教育学部化学教室
54 今井 壮一・森下 浩史
類を適宜に加えた。
結晶を着生させる方法としては清洗したスライドガラス上に,調合母液の2滴をとり,液斑 の直径が2cm前後になるようにして,夏期以外は250Cのふ卵器中に放置して乾かした。実験 結果は主として,この点滴法によったものであるが,場合によっては母液を入れた試験管中ヘ ガラス板を浸しておく浸漬法も試みた。
試薬はなるべく特級品を用いるようにした。塩化カルシウムは炭酸カルシウムを塩酸に溶か してつくり,EDTAによる滴定でカルシウム濃度を定めて適当な濃度にした。アルブミンは 半井化学の溶性卵アルブミンを,プロタミンは同社の硫酸プロタミンをそのまま用いた。偶然 にもこのことが機縁となって,炭酸カルシウムの結晶に対して硫酸イオンが非常に重要な影響 を与えることを知った。
5。結果および考察
写真5と9は次の処方の母液から現われた結晶であって,,9の右方には6角形の結晶も見ら れる。括弧内は濃度でmg/cc単位,その次は液量をCC単位で示すことにする。
硫酸プロタミン(2)0.1+CaC12(Ca2)0,4+(NH4)2SO4(2)0.4+NaHCO3(9)0。2+
RNA(1)0,1+水0.6……合計1.6cc
ここでRNAはNaHCO3溶液に溶かしたものを用いた。
写真7は浸漬法で室内に1夜放置してガラス板上に生成したもので,母液の処方は次のよう であった。
CaCl2(Ca4)1.5+水4.1+(NH4)2SO4(6.5)1。5+Na2HPO4・12H20(0.56)0.1 +アルブミン(ろ)1.0+NaHCO3(10)2.0……合計10cc
なおこの液で作った結晶については赤外線吸収スペクトルを調べたが,波数1,450と860の所 に強い吸収が現われ,曲線全体の状況も特級の炭酸カルセウムのものとよく似ていたρ
写真6はコアセルベートに関連した実験のうち,下記の混合液が浅い穴の中で乾いたのち1 ケ所だけできていたものであるが,貝殻面の楕円結晶の生成を暗示しているように思える。し かしその後再現するまで追究はしていない。母液はA,B両液を混合してつぐった。
A液……硫酸プロタミン(2)0.2+CaCI2(Ca2)0.1+水0.2
B液……Na2SO4(7)0。1+コンドロイチン硫酸ナトリウム(9.5)0.1+NaHCO3(21)0・1 +アルブミン(5)0.2
写真4と8はヨメガカサで見た写真5の結晶と同様な長方形の結晶と思われるが,なお前 報2)の写真20と25で示したマツバガイやイタヤガイの結晶とも関連しているのではないかと考 える。この結晶の母液は次のようであった。
CaSO4(飽和水)0.6+CaCI2(Ca178)0。5+アルブミン(5)0.2+水0.05 +Na4P207・10H20(0.5)0。2+NaHCO3(10)0.15……合計1.5cc
写真4の中にも楕円や円に近い結晶が見られるが,上の処方のうちNaHCO3溶液を増し て0.2ccとし,ピロリン酸塩を減少するに応じて長方形の成長が悪くなり,6角板や4角板に 近い結晶ができやすくなった。逆にピロリン酸塩溶液を0・2ccに保ってNaHCO3溶液を減少 していくと長方形結晶の幅が狭くなり,ついには細い棒状や曲線的な細長い結晶ができるよう になった。NaHCO3を省いた組成ではリン酸カルシウムの結晶に硫酸イオンが影響した状態 を得ているものであろう。
員殻結晶の成長に関する合成的研究(第7報) 55
写真10の結晶が出た母液は次のとおりであった。
硫酸プロタミン(2)0。5+CaCl2(Ca2)0.4+(NH4)2SO4(2)0.1+NaRCO3(9)0.5+
水0.5……合計1.6cc
写真11。12の結晶に対する母液は
アルブミン(2)0.1+水0、5+CaC12(Ca2.5)0.25+(NH4)2SO4(2)0.15+NaHCO3(10)0.2 ・・合計1.Occ
であったが,このなかで(NH4)2SO4を0,2ccに増して水を0.05ccに変えた母液から出た結晶 を写真15に示した。点滴法では液が蒸発するにしたがって結晶が出ていくから,初めごろ出た 結晶に対する母液の組成と,終りごろ出た結晶に対する母液の組成とは変っているであろう し,また場所によって組成に違いがおこることも考えられるから,6角板状の結晶が丸みを帯 びる条件を適確に捕えることが困難であるが,概略の感じとしては有機物,硫酸イオン,リン 酸イオンなどが幾分多い時に丸みを増すように思える。上の処方式の中のピロリン酸液を増し て0.5ccとし水の項を省いた母液からは写真14に示したような結晶ができることを認めた。こ の結晶はアコヤガイの真珠層と稜柱層との境界域で見られることのある,からかさ状の結晶が できる条件としてリン酸根が関与していることを示唆しているように思われる。この区域では 前報2β)でも記したように微結晶が白雲状に集積していて,そのことからもリン酸イオンが豊 富であることが推察され,写真14の結晶からの推察とよく一致する。
写真/5はアシヤガマの殻で見た結晶であり,16は市販の焼石こうの飽和溶液1,2ccにアルブ ミンの5mg/cc液を0.4cc加えた液を用いて点滴法で得た結晶である。この母液からは他に 菱形板状,矢羽根状,S字形に曲った菱形,束針状など様々な結晶が現われたが,時には楕円 結晶の基本になると思われるような木の葉状の結晶もあった。このような結果から推察すると 写真15の結晶も硫酸カルシウムを主成分とする結晶のように思われる。
6角板状結晶については今回の実験で得たものがアコヤガィで現われるものと同程度の炭酸 塩であるか否かについては確証を得ていない。10や12の結晶は通常の炭酸カルシウムよりも,
かなり水に溶けやすいことを顕微鏡下で認めた。また中心から角頂へ向って稜線が見え,有機 物が少ない母液から現われた6角晶は中心が高くて屋根形になっている。しかし母液にRNA を加えると結晶は平板化して稜線も消え,RNAが増すに従って厚さも薄くなり角が丸くなっ て,ついには薄円ができやすくなる。なおリン酸イオンが少量共存すると結晶が小形化する が,量が増して写真14の結晶になると比較的大きく成長する。とにかく上記のような6角板状 結晶はまだ点滴法でのみ得られて,浸漬法では成功していないので幾分の疑惑が残る。
今回の報告はタンパク質やRNAのような高分子有機物を含む溶液中から炭酸カルシウム の結晶が成長する際に,硫酸イオンやリン酸イオンが適当に存在すると,貝殻で見られるよう な特徴ある結晶に近いものができることを述べた。このことは貝の外套膜や粘液中にかなりの スルファターゼ,ホスファターゼその他の酵素が存在し,また真珠の分析結果として硫酸塩の 存在が記されている4)ことによっても裏書されるであろう。
この研究に関する結晶の試作については渡部洋子・杉山勢智子・福島健一郎・阿久津隼人・
森智子・下田とも子の諸君の協力が大きかった.ことに対し深く感謝する。
56
1)今井壮一:
2) 同 上 : 3) 同 上 :
4)松井佳一:
今井 壮一・森下 浩史
文 献
長崎大学教育学部自然科学研究報告 第19号,74−61(1%8〉
同 上第21号,15−31(1970)
同 上第16号,59−48(1965〉
真珠の事典 p.ろ28一弱2,412北隆館(1965)
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・図版4〜2
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写 真 説 明
第 1 図 版
1.アコヤガイで見た結晶 2.ヨメガカサで見た結晶 5. 同 上
4.CaSO4,CaC12,アルブミン,ピロリン酸塩,NaHCO3を混合した母液からできた 結晶
5。硫酸プロタミン,CaC12,(NH些)2SO4,NaHCO3,RNAを混合した母液からでき た結晶
6。硫酸プロタミン,CaC12の混合液とNa2SO4,コンド白イチン硫酸ナトリウム,
NaHCO3,アルブミンの混合液をまぜ合せた液からできたもの
7.CaCl2,(NH4)2SO4,Na2HPO4・12H20,アルブミン,NaHCO3の混合母液を
用い浸漬法で作った結晶
8.写真7と同じプレパラート上の結晶
×400
同 上 同 上
同 上
同 上
同 上
同 上 同 上
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第 2 図 版
9,写真5と同じプレパラート上の結晶
10.成分的には写真5のものからRNAを省き,硫酸プロタミンを増量した母液からで きた結晶
11・ア々ブミン,CaCl2,(NH4)2SO4,NaHCO3を混合した母液からできた結晶 12。上の結晶の拡大図
15。写真11の母液に比べて(NH4)2SO4を少し増量し,さらにNa∫207・10H20を 加えた母液からできた結晶
14。写真11の母液へNa4P207・10H20をやや多量に加えた母液からできた結晶 15.アシヤガマの殻で見た結晶
16・市販医療用の焼石こうの飽和溶液とアルブミンの溶液とをまぜた液からできた結晶
×100
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×4GO
×100
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