︿論説﹀
近 世 後 期 に お け る 浅 草 寺 の 僧 侶 処 罰
小 島 信 泰
近世後期 における浅草寺の僧侶処罰
一二
三
四
五 はじめに
幕府の僧侶刑罰法と処罰
寛永寺の僧侶刑罰法と処罰
浅草寺の僧侶刑罰法と処罰
おわりに
丁 一 一
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(凡例)
一︑引用した史料の右傍の
注記である︒
一︑引用した史料の傍点・ ()内の注記は原典にある注記であり︑︹︺内の注記は引用者による
・・は引用者が付した︒
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はじめに
ハら﹃浅草寺日記﹄(以下﹃日記﹄とする)を旙くと︑浅草寺の寺中寺院や末寺の僧侶が御替を受けて処罰された事件が
散見される︒では︑そうした処罰はどこで行われたのであろうか︒当時の僧侶に対する刑罰権は︑世俗法に関わる通
常の犯罪事件に対しては幕府や藩といった世俗権力が掌握したが︑寺法に関わる事件に対しては第一次的には教団・
寺院が掌握し︑そこで解決できない場合は第二次的に世俗権力がそれを行使したといわれている︒これにしたがうと︑
いま考えられるのは︑幕府か︑浅草寺の本寺であり天台宗の実権を握った寛永寺か︑それとも浅草寺かのいずれかで
ハ ある︒
本稿においては︑﹃日記﹄に記された事件を調べて︑僧侶処罰を行った主体と処罰の内容について考察してみようと
思うが︑その前提として︑それらの処罰が準拠した僧侶刑罰法について可能な限り述べておきたい︒もっとも︑史料
ら の制約があるので近世後期の浅草寺の僧侶処罰に限定して論じることにならざるをえないが︑これまで近世の僧侶処
罰に関する体系的な研究が行われることはなかったので︑本稿はそうした研究に向けての一つの基礎研究になるもの
と思われる︒
注(1)浅草寺には︑寛保四(一七四四)年より慶応三(一八六七)年にいたる一二四年問の日記が残されている︒これを浅草寺日並
記研究会が編纂し︑﹃浅草寺日記﹄として第一巻︑第二巻は浅草寺出版部より︑第三巻以降は吉川弘文館より刊行されている︒一
九八七年から年}巻の割合で刊行されており︑既刊二六巻︑全三〇巻の刊行が予定されている︒
(2)江戸時代においては︑幕府が排他的に刑罰権を有したのではなく︑大名︑旗本・御家人をはじめ公家や特殊団体(臓多・非人
および当道の団体)︑そして寺社も幕府によって刑罰権を公認されていた︒この点については︑石井良助﹃日本法制史概説﹄(創
文社︑一九六〇年改版︿一九四八年初版﹀)四七〇〜四七二頁︑平松義郎﹃近世刑事訴訟法の研究﹄(創文社︑一九六〇年)本論
第一部参照︒(3)石井・前掲﹃日本法制史概説﹄三八七頁︑四七〇頁︑平松・前掲﹃近世刑事訴訟法の研究﹄三三七頁参照︒(4)浅草寺は江戸の大寺なので︑藩による処罰については考える必要はない︒(5)本稿にいう近世後期とは︑石井良助氏の時代区分による︑﹁公事方御定書﹂が制定された寛保二(一七四二) を意味する(石井良助﹃法制史﹄︹体系日本史叢書四︺山川出版社︑一九六四年参照)︒ 年以降の江戸時代 近世後期 における浅草寺の僧侶処罰
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二幕府の僧侶刑罰法と処罰
僧侶であっても世俗法に関わる通常の犯罪事件を起こしたならば︑﹁公事方御定書﹂を中心とする幕府刑罰法に準拠
して処罰が行われたが︑幕府法には特別に僧侶に限定された犯罪について規定した︑幕府の僧侶刑罰法ともいうべき
ユ 法(筆者の呼ぶ﹁幕府寺法﹂としての僧侶刑罰法)があった︒その中心にあったのが︑﹁寺社方御仕置例書﹂である︒﹁寺社方御仕置例書﹂は全二五条から成っているが︑神社・神職を除いた寺院・僧侶については︑本末の上下関係を守
り︑奉行所や触頭の支配に従うことを機軸に据えて︑条目・寺法の遵守や宗派・寺檀の秩序維持等が規定されている︒
これらに違反した場合に科される刑罰は︑俗界を離れた出家者であることから︑命に及ぶいわゆる生命刑をはじめ一
般に身体刑は除外され︑自由刑︑財産刑︑身分刑︑栄誉刑によって構成されていた︒最も重い刑罰としては自由刑で
ある﹁遠島﹂が科された︒自由刑としては他に︑追放刑である﹁重追放﹂・﹁中追放﹂・﹁軽追放﹂・﹁所払﹂と栄誉刑的
分子を多分に含んでいた﹁閉門﹂・﹁永蟄居﹂・﹁逼塞﹂が科された︒身分刑としては︑﹁脱衣重追放﹂・﹁脱衣中追放﹂・
な ﹁脱衣軽追放﹂が科された︒栄誉刑としては︑﹁隠居﹂が科された︒これらは︑﹁遠島﹂と各種追放刑を除くと︑あとは
みな当時の刑罰体系でいえば︑正刑ではなく閏刑と称すぺき刑罰であった︒﹁寺社方御仕置例書﹂のほかにも︑例えば﹁公事方御定書﹂の中に僧侶刑罰法に該当する数箇条がみられる︒その主
一一一3一
要なものは次の通りである︒三六条には︑寛保二(一七四二)年極として︑寺附の品を書き入れ︑もしくは売り渡し万2証文をもって金子を貸借した場合は︑借り主は﹁追院﹂︑証入は﹁逼塞﹂と定められている︒四七条には︑享保一四(一
七二九)年極として︑寺院円前町屋に売女を置いたならぼ︑寺院は寺社奉行にて﹁叱﹂を受け︑自らは﹁遠慮﹂する
ことが定められている︒五一条には︑元文四(一七三九)年極として︑女犯の僧侶は︑寺持の場合は﹁遠島﹂︑享保六
(一七二一)年極として︑同じく所化の類は﹁晒之上︑本寺鯛頭江相渡︑寺法之通可爲致﹂と定められ︑さらに寛保二
年極として︑﹁密夫之僧﹂に対しては︑寺持・所化の差別なく﹁獄門﹂が定められている︒このように﹁公事方御定書﹂
では︑﹁寺社方御仕置例書﹂とは違って︑僧侶の生命刑までも規定されていた︒五二条には︑従前々之例として︑三鳥
派・不受不施派類の法を勧めた僧侶には﹁遠島﹂が定められている︒五三条には︑寛保二(一七四二)年極として︑
新規の仏事を行った僧侶は︑その品重きは﹁所払﹂︑その品軽きは﹁逼塞﹂が定められている︒六九条には︑同じく寛
保二(一七四二)年極として︑寺院門前よりの出火に関連して寺院に一〇日の﹁遠慮﹂が定められている︒ここに処
ら 罰される寺院とは︑当該寺院の住持を指している︒このように﹁密夫之僧﹂以外は︑﹁寺社方御仕置例書﹂と同様に自
由刑︑身分刑︑栄誉刑が僧侶には定められていた︒これら以外の幕府の僧侶刑罰法については︑今後調べることにし
たい︒
さて︑﹃日記﹄には︑幕府が︑浅草寺の別当代および役者という執行機関の地位にあった役僧をはじめ寺中寺院や末
寺を処罰した事件が記されている︒ここではその主な事件を紹介し︑その処罰の内容について見てみよう︒
①幕府による別当代の処罰としては︑弘化(一八四五)
記﹄には次のように記されている︒ 二年七月の別当代の女犯事件がある︒この事件について﹃日
近世後期 における浅草寺 の僧侶処罰
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せカ 一本間庄太夫今日はまヲ召連久家家江罷出候処︑左之通被仰渡候趣届出候
差上申一札之事
ヘヘヘヘヘヘへ ヘへ カ 浅草寺別当代恵門院謙海及女抱候一件︑再応御吟味之上左之通被仰渡候
一恵門院謙海儀寺院取締二付兼而被仰渡之趣茂有之候処︑清僧殊二別当代二而︑地中寺院
之指揮をも致候身分︑浅草寺家来橘茂三妹はまヲ執心二存︑密通之上度々及女抱候始
ヘヘヘヘヘへ末不届二付︑遠島可被仰付候処︑牢屋近辺出火之節御放被遣立帰二付︑脱衣中追放被
仰付候
但︑御構場所俳徊致間敷段被仰渡候
一はま儀浅草寺別当代恵門院謙海清僧二而︑女抱不相成趣弁乍罷在︑同人任申度々密通
ヘへおよひ候始末︑不婚二付押込被仰付候
一土師専堂儀浅草寺別当代恵門院謙海者清僧二而︑女抱不相成趣弁乍罷在︑同人儀同寺
ヘへ家来橘茂三妹はまヲ執心之由二而︑任頼密通二手引致候始末︑不将二付押込被仰付候
右被仰渡之趣一同承知奉畏候︑若相背候者重科可被仰付候︑価御請証文差上申処如件
弘化二巳年七月廿二日浅草
天台宗
浅草寺別当代
恵門院
謙海書判
右
一5一
273
ヘヘヘへ へ寺社御奉行所
前書被仰渡之趣拙僧儀も罷出奉承知候︑ 浅草寺家来
橘茂三妹
は
同寺堂守
土師 ま爪印
専堂印
依之奥書印形差上申候︑以上
上野執当代
泉竜院
これによると︑別当代恵門院謙海は︑浅草寺家来の橘茂三の妹はまに執心し﹁密通之上度々及女抱候始末不届﹂と
して︑先に述べた﹁公事方御定書﹂の規定通りに寺社奉行により﹁遠島﹂を仰せ付けられたが︑牢屋の近辺に出火が
ありそこから放たれたことを機に﹁脱衣中追放﹂に減刑されている︒相手のはまと密通の手引をした土師専堂は﹁押
込﹂に処せられている︒
②幕府による役者および寺中寺院の処罰としては︑天明八(一七八八)
ハヱ 事件がある︒この事件について﹃日記﹄には次のように記されている︒ 年一〇月の寺中寺院監督不行届きに関する
近世後期 における浅草寺の僧侶処罰
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(前略)
ヘヘヘヘへ同泉蔵院追院二相成候二付一山へ回章出之
泉蔵院一件二付差上候口上書左之通
泉蔵院儀表門及大破建立為助成︑十王判断会と唱候而法事修行致度段相願︑右之体之
カ 儀難成段御奉行所君被仰渡候二付︑猶又本尊阿弥陀如来内拝致度旨相願御聞届有之候
連︑十王判断会者難成段被仰渡候儀を世話人共江者不申聞︑内々二而歌舞伎狂言紛敷
儀を興行致︑人集いたし席料を取座敷貸遣︑其上二興行御差留相成り候ハ・猶又可相
慎処︑申付方等閑6事起り︑外6雇候もの共心得違︑見物人押入候始末二相成候段︑
ヘへ労不届二付追院被仰渡候
カロ泉凌院儀十王判断会興行御差留︑泉蔵御預ケ被仰付候上者︑懸合候ものへ其段申談可
心付処︑外6雇候世話人共心得違候連御差留二相成り候後︑見物人等差入候始末二相
成候段︑等閑之至り不将二付逼塞被仰付候
境智院梅園院日音院儀︑泉蔵院表門及大破建立為助成本尊内拝井十王判断会興行
いたし度由申立︑添翰之儀申出候節趣意も不相糺︑御奉行所孟十王判断会難成段被
ママ 仰渡候段ハ及候得共︑於地中出家共集歌舞伎狂言二紛敷儀興行︑人集いたし候を不存
罷在︑其上右興行御差留二相成候ハ・︑慎罷在候様入念可申付処︑御差留二相成候後︑
外6雇候もの共心得違候連︑見物人等押込候段申付方等閑6事起り︑及右之始末候
ヘヘへ へ ヘへ段労不堵二付︑秀享ハ逼塞︑豪伝︑恵海ハ急度御呵被置候
ヘヘへ右之通今日牧野備前守様御内寄合御列座被仰渡︑一同承知奉畏候︑且過料銭之儀者三