サートリス家の人々と南部の歴史
太 田 直 子
1
1927年9月19日、William FaulknerはF吻g η屹㌦ρ)typescriptを完成させ、それまで 彼の作品を出版してきたBoni&Liveright社に送ったが、採用されなかった。その後、数社 からも拒否され、ようやくHarcourt Braceが110,000語を削ることを条件に発刊すると返答 してきたが、Faulknerはその条件を承認することを躊躇して、原稿を友人のBen Wassonに 渡した。Wassonは、 Horace Benbowにかかわる箇所を大幅に削ることを提案し、 Faulkner はその助言に従い書き直し、さらにタイトルもSkirtorisとした。その結果、1928年の終わりに 出版社に受理され、1929年1月31日、Faulknerの3番目の長編・」・説として発表された。
Faulknerの友人であり、小説家としての彼の可能性をいち早く認めていたPhil Stoneは、
この作品について、 It is a far better book than I ever thought Bill would write by now. と述べている。曾祖父、 Colonel FalknerをモデルとしたColonel Sartorisから始まる 80年間にもわたるSartoris一家の物語を、生まれ育ったアメリカ南部を舞台にして描き、さ
らに、1925年頃の流行の awar novel 的な要素をも持つ作品を書き始めたことで、 Philは Faulknerが自分の作品の原点を見出したように思い、いわゆる「傑作の時代」(The Great Years)を予感したのであろうか。
南部の歴史、知識を書物からではなく、直接、耳で聞き、目で見て育ったFaulknerにとっ て、自分の故郷を作品の舞台として考え始めたことは、大きな収穫であったことは確かであ
る。 structually...one of Faulkner s weakest novels (1)といわれ、小説の語りや、スタイ ルの未熟さを指摘されているが、 the last work of his apprenticeship そして the first work of his maturity (2)として注目され、完成された作品として充分に期待に叶うものであ
ると考えられる。
小論では、歴史と伝統の中に生きるSartoris家の人々の「時代」との関わり、さらに、作品 の中における「文学的時間」の意味を分析し、FaulknerのYokonapatawpha Sagaにおける Sartorisの位置と役割の意義を考察していきたい。
II
SartoriSは、 Young Bayardが帰郷したことから物語が始まる。物語が展開されるに従って、
舞台となるSartoris家の歴史、社会における位置づけが明らかになっていく。Sartoris家がそ の時代に同化できず、長い歴史と時間の流れに埋没している姿が、Sartoris邸の描写から明ら かにされ、読者に印象づけられていく。
The stairway with its white spindles and red carpet mounted in a tall slender curve into upper gloom. From the center of the ceiling hung achandelier of crystal prisms and shades, fitted originally for candles but since wired for electricity. To the right of the entrance, beside folding doors rolled back upon a dim room emanating an atmosphere of solemn and seldom violated stateliness and known as the parlor,
stood a tall mirror filled with grave obscurity like a still pool of evening water.(3)
Th・w・・tern wi・d・w・wr・e cl・sed・with 1・ttice bli・d・, th・・ugh whi・h sunlight seeped in yellow dissolving bars that but served in increase the gloom. At the opposite end a tall door opened upon a shallow grilled balcony which offered the valley and the cradling semicircle of the eastern hills in panorama. On either side of this door was a narrow window set with leaded panes of vari−colored glass that, with the bearer of them, constitued John Sartoris mother s deathbed legacy to him,
which his youngest sister had brought from Carolina in a straw−filled hamper in 69.(32−33)
部屋の装飾一つを見ても、粛々とながれる時間の中で、Sartoris家の宿命、
もっていることがわかる。さらに、部屋を見ていくと、
運命の黒い影がこ
And so it stayed closed nearly all the time, and slowly acquired an atmosphere of solemn and macabre fustiness. Occasionally young Bayard or John would open the door and peer into the solemn obscurity in which the shrouded furniture loomed with a sort of ghostly benignance, like albino mastodons. But they did not enter;already in their minds the room was associated with death, an idea which even
the holly and tinsel of Christmastide could not completely obscure.(71)
特別な客を迎えることがなくなり、次第にかび臭くなった部屋は、まさしく、時代にとり残 されたSartoris家の様子を的確に表現している。時代に取り残され、過去の時間から抜け出せ ないまま、邸宅の中には2人の老人、Old BayardとMiss Jennyが静かに生きついているので
ある。
01d Bayard,すなわち、この物語の主人公Young Bayardの祖父は、その父親のSartoris大 佐の時代から、Sartoris家の「過去、宿命、人の運命の前兆」(91)を見ながら、時を過して きた人物である。息子、そして孫とSartoris家の男達の生と死を見守り、「時間の流れ」を冷 徹に意識してきた人物といえよう。彼の墓石に刻まれた文字、 Bayard Sartoris. March 16,
1893−June 11.1920 (312)は、彼の人生が父Sartoris大佐の華々しい人生に対して、ただた だ simple (312)な人生であったことを示すものに他ならない。しかし、
Old Bayard s headstone was simple too, having been born, as he had, too late for one war and too soon for the next, and she thought what a joke they had played on him−forbidding him opportunities for swashbuckling and then denying him the privilege of being buried by men, who would.have invented vainglory for him.(313)
南北戦争に出陣するには幼すぎ、第一次大戦には年をとりすぎていた彼の運命は、戦争に行 くことが男性のすべてであると考えられていた時代と家の誇りに生きた一族の中で、彼はi丑 恨たる思いを抱いていたのではないかと思える。
Sartoris一族の中で、 Old Bayardと同様に、時代に恵まれず一生を終えた男性がもう一人 いる。Old Bayardの息子で、 John, Young Bayardの双子の兄弟の父、 John Sartorisである。
彼は、父親以上に一族の中では忘れられた存在であり、唯一、自らの「ストーリィ」を持た ない人物である。Sartoris一族の物語が一世代越えて語られていることについて質問された Faulknerは、次のように答えている。
Dramatically, yes. Dramatically there was no−well, the twins father didn t have a story. He came at a period in history which, in this country, people thought of and think of now as a peaceful one. That it was an optimistic one, nothing was happening. There would be little brush−fire wars that nobody paid much attention to, the country was growing, the time of travail and struggle where the hero came into his own had passed. From 700n to 1912−14, nothing happened to
Americans to speak of. This John Sartoris, the father, lived in that time
when there was nothing that brought the issue to him to be brave and strong or dramatic−well, call it dramatic, not brave, but dramatic,
nothing happend to him. But he had to be there for ths simple continuity of family.(4)
時代が彼に何もさせなかった。そして、ただ一族の存続のために存在した人物とFaulknerは 答えているが、まさしく、このJohn Sartorisなしには、この物語が存在しないのであるから、
彼の存在を無視することはできない。時代の中で忘れられた存在、言い換えれば、平凡な人 生を送った人に物語をもたせないFaulknerの考えは、ことに興味深いものである。すなわち これは、彼が一人の男性の人生を物語る小説を描こうとしたのではなく、何代にもわたる一 族の歴史を描こうとした現れであるとも考えられる。
物語を創る価値のある人物の一生を「動」として考えるならば、その生き様を見届ける者、
つまりは「静」の人生を送る人物が登場すべきである。2人のSartoris家の老人、01d Bayard とMiss Jennyがその役目を果していると考えられる。
その中の一人、01d Bayardは、「静」の中で生きる人物として、「時」にあわせ、規則正し い毎日を送っているが、決して「時代小の流れについていっているわけではない。これは、
彼一人だけではなく、Sartoris家それ自体が、時代に次第に取り残されていることを示すこと に他ならない。町の女性までもが自動車を使って・いる時代に、01d Bayardは召使いのSimon に馬車を運転させて、自動車を gasoline−propelled paupers (1uと蔑視して、自動車に乗る ことを潔しとしない。 なぜ、Old Bayardが馬にこだわっているのであろうか。作品の最後、
Young Bayardが、クリスマスイヴに5累馬に乗って駅に向かう場面で、馬に対する特別な意味 を理解することができる。
Some Homer of the cotton fields should sing the saga of the mule and of his place in the South. He it was, more than any other one creature or thing, who, steadfast to the land when all else faltered before the hopeless juggernaut of circumstance, impervious to conditions that broke men s hearts because of his venomous and patient preoccupation with the immediate present, won the prone South from beneath the iron heel .of Reconstruction and taught it pride again through humility, and courage through adversity overcome;who accomplished the well・nigh impossible despite hopeless odds, by sheer and vindictive patience.
(239)
馬と生死を共にして戦った南北戦争、そして敗北の中で馬の力をもって復興しようとした 南部。機械文明が北から押し寄せる時、Old Bayardは、南部を支えた「馬」を機械に乗り換
えることができないのである。これは、彼が従順に父からの習慣を守り抜こうという強い意 思を持っていたからではなく、意識をもって新しいものへ挑戦する機会と意欲を失っていた
と言った方が良いかもしれない。
非行動的なこのOld Bayardが、唯一自主的に行動したのが、 Young Bayardの運転する自 動車の助手席に乗ると決めたことであることは興味深い。しかし、帰郷して車を買い、猛ス
ピードで死に向かって藩進するYoung Bayardに、Old Bayardは車に乗ることを禁止する力 はなく、 ask してはどうかとMiss Jennyに答える。 I be▲ieve anyway that you like to ride in that car, only you won t admit it,... (91)とMiss Jennyに心の内を読まれ、憤慨 して部屋を出ていくOld Bayardであるが、Miss Jennyのこの一言で、ようやく彼は馬を捨て、
車に乗ることになる。しかし、彼は車が転覆するのを阻止するために自らすすんで車に乗る のではなく、転覆して自分が死ぬことで祖先の栄光を故意に傷つけることを、そして、己の 最後の時を「時」に逆らって決着をつけようとしているのである。
彼の意図したように、孫の運転する車の中でOld Bayardは死を迎えるが、その死によって、
もはや傷つける祖先の栄光は誰にも意識されることはなくなっている。そして、遂に彼の死 によってYoung Bayardが、故郷から離れ、死にむかって旅を始めるきっかけになる。
平凡に人生をおえることを余儀なくされた運命のOld Bayardは、「時」を敏感に感じなが ら、時代の中で取り残されていく自分を認識できずにいたといえよう。Sartoris家の人間と して、孫のYoung Bayardの気持ちを唯一理解できると信じているのであるが、「時」を感じな がらも時に逆らおうとはしないOld Bayardには、やはり時に逆らおうとするYoung Bayard をとうてい理解することはできなかった。
積極的に行動をおこそうとするYoung Bayardの生き様を、この老人は実際に自分の目で 見ながら、Young Bayardと同じくOld Bayardも死んだ者の「幽霊」を常に背負って生きて いたことがわかる。一家の運命に生きて決して平凡ではなかったはずのOld Bayardの人生 を平凡に終わらせてしまった 動 のSartoris、 Young Bayardの「時」の感覚はどんなもので あったのであろうか。
III
家に戻るとYoung Bayardは、双子の弟Johnと過ごした部屋、そして自分の妻とすごした 部屋のベッドに腰をかけ、死んだ弟のことを思い出していた。Faulknerは、 JohnとYoung Bayardを双子として登場させている。 Bayard love anybody,...He never cared a snap of his fingers for anybody in his Iife except John. (68−69)とMiss Jennyが語るように、
JohnとYoung Bayardの兄弟は、精神的なつながりをもっている兄弟として描かれている。
Faulkner自身は、4人の男ばかりの兄弟の中で育っているが、特に親しかった弟Johnとの間 にもこれ程の近親性の記録は残っていない。Sartorisのすぐ後に発行されたThe Sound and the Fury(1929)では、 Compson家の3人の兄弟であるQuentin,Jason, Benjyのお互いの
関係よりも、Quentinの妹Caddyと3人の男兄弟との関わり、QuentinのCaddyへの近親相 姦的な想い、CaddyのBenjyへの母性愛的な想い、そして2人の男兄弟とは全く異なる冷酷な JasonとCaddyの関係が強調されている。
Sartorisの場合、 FaulknerはJohnとYoung Bayardを双子という肉体的、精神的なつなが りを持つ兄弟に設定した。これは、JohnをYoung Bayardの分身にしようとする試みがなさ れていたからであろう。JohnとYoung Bayardは同じ日に生まれ、 Sartoris家の息子として 同じ運命を背負って誕生したのである。Young Bayardの尊敬する曾祖父Colonel Sartoris は、南北戦争の時代に生き、名誉と誇りを兼ね備えた英雄として後生に名を残し、彫像とな り今も存在している。JohnもYoung Bayardも曾祖父と同じく、戦争のある時代に生きなく てはならなかった。しかし、Johnは空中戦で戦死してしまうが、 Young Bayardは曾祖父の ように誇り高い活躍もなく、Johnのような名誉の死を迎えることもできない。
1920年代になると、名誉や誇りに対する価値観は変貌し、HemingWayもFarewell to、A rms の中で、名誉など不潔な色あせたものであると語っている。南北戦争の結果、南部のすべて の特色は否定され、南部人の誇りは踏みつぶされていった。北部の産業主義が浸透してきて、
失われていく南部の誇りと名誉を死守すべき運命をも担ったYoung Bayardは、その価値観 の変貌に対応することができない人間なのである。分身であるJohnの理想の死を目の前にし て、自分がその同じ死を迎えることができない苦しみの中で生きなければならない。
変貌した現実の世界、つまり時代の波にのりきれず、精神的に深く傷ついたYoung Bayard は、偉大なる曾祖父の時代感覚に宿命づけられた故郷のSartoris邸にもどってきたが、そこで も心の平安を迫ことはできなしi・S・・t・・i・邸に住む祖父Old B・y・・dやMiss J・nnyでも彼 の精神的苦痛を本当に理解することができなかったのである。
FaulknerはYoung Bayardと同じ帰還兵として、Horace Benbowを登場させている。前述 のように、Sllrtorisの発行にあたりBenbowの話を大幅にカットしなくてはならなかったが、
同様にロマン主義者であるYoungBayardと対照的な人物として描かれているHorace Benbow の存在価値は注目に値する。C. Brooksも述べているように、 Both are somehow cut off and lost. (5)二人は共に職にも就かず、特別に人生の目標ももたないといった共通点をもっ ている。戦争から帰っても a man of action で破壊的な世界から抜け出せないYoung Bayardに対し、Horaceは殺伐として破壊的な世界からGlass−blowing、ガラス吹きをもって 帰郷する。ガラス吹きで花瓶をつくる、すなわち物を創造する喜びを見出している。できあ がった花瓶に妹の名で呼びかけるなど、現実の世界からかけ離れた世界を持ち、妹を浄化し そこに美を見つけ出している一方で、誰からも反対されながらHarry Mitchellと離婚したBelle と結婚する。 areal bitch で、 dirty (6)と言われるBelleが、残酷で身勝手であることに気 づきながら、Horaceは現状を打破する力も気力も持ってはいない。 Belleとの現実の生活から かけ離れた、非現実的な世界をさまよって生きるHoraceは、その存在自体が自暴自棄した南 部貴族をあらわしているのである。この悲惨で見苦しい程の幻滅が自らもたらされたことを 深く意識しながらも、決して破滅することなく生きて行くのである。
一方、 Young Bayardは、破滅への道を走り続けている。双子のJohnの戦死、曾祖父の堂々 とそびえる彫像は、戦争の無益さや停さを、そして平和と平凡な人生の尊さをYoung Bayard に教えず、逆に彼は、一人だけ残されたという孤独感とそのいらだちにさいなまれる。さら
に、 It was a judgment on em, taking John instead of that other one. John at least tipped his hat to a lady on the street, but that other boy... (82)と、Aunt Sallyも言
うように、故郷の人々はJohnの方を認め、 Young Bayardをアウトローと見ている。彼 よ 環境的にも、故郷に暖かく迎え入れられ腰を落ち着けることはできなくなっていたのである。
Johnのように彼の美意識にかない、死の美徳をたたえさせるためにはどうしたらいいのか。
死を迎えること、それは時間を止めることに他ならないが、華やかにその時間を止めるすべ を、Young Bayardはスピードに求めた。メンフィスへ車を買いに行き、54マイルのスピード で車を飛ばした。Young Bayardが死を望んでいることを、祖父Old BayardとMiss Jennyは 気づいていた。Miss Jennyは、結婚させることで彼のスピード依存症を抑えようと試みた。
一方、Old Bayardは、自分が嫌う車に同乗することで、 Young Bayardのスピードと、車へ の依存に対抗したのである。
猛スピードで車を走らせ、曾祖父の眠っている墓地を通り過ぎ、木々に包まれた町に入る。
MacCallumとトディを飲み、今度は馬に乗って疾走する。自動車を追い抜き、青いズボンを はいた小さな人を避けて、均衡を失い落馬した。Peabody医師のもとに運ばれ、頭に包帯を 巻かれそして、傷を治すためと酒を飲んだ。自動車を追い越すスピードで馬を走らせても、
Young Bayardは馬も時を止める手段になりえないことに気づいた。その惨憤をはらすかの ように、酒を飲み続け、仲間と女性の家を夜渡り歩くうちに、彼の頭の中に一人の女性の顔 が浮かび上がった。
They drank again. It was high here, and the air moved with grave coolness. On either hand lay a valley filled with silver mist and with whippoorwills;beyond these valleys the silver earth rolled on into the sky. Across it, mournful and far, a dog howled. Bayard s head was as cool and clear as a clapperless bell. Within it that face emerged clearly at last:those two eyes round with grave astonishment, winged serenely by two dark wings of hair. It was that Benbow girl, he said to himself,
and he sat for a while, gazing into the sky.(140)
Narcissaは頻繁にYoung Bayardと顔を合わすようになった。彼は、 her shrinking and her distaste (182)を感じ取っていたが、その頃、車に乗ったまま川の中につっこんで怪我
し、これを機会に、彼女の気持ちが変化していくことが分かる。
怪我をしたその日、Miss Jennyに頼まれたNarcissaは、 Young Bayardを見舞う。 Miss Jennyに What s happened to you?Have you gone and falled in love with him?
(192)と問いかけられ、はっきりとそれを否定することもできなかった。Young Bayardに本 を読んで聞かせる為に、Narcissaは毎日のように彼を訪ねるが、自分の時間を止めてしまい たかったYoung Bayardは、この時、横たわってゆっくりと時の流れに身を委ねている。一方、
彼女の 時 の流れが急激にその速度を増し、Narcissaはその勢いに流されていったのである。
...as though she were in a contest with time (212)と描写されているように、
NarcissaはYoung Bayardの「静」の姿をみながら、時計の音だけを聞いていた。その時計 の音が、彼女の心を動かし、彼女に変化を与えた。いや、彼女に自分の変化を気づかせたので ある。彼女は、 these would be peace for her only in a world where there were no men at all (213)と考え、時の経過を意識しながら、次第に自分の進むべき道を認識し始める。
そして、
He was asleep now, depite his contrary conviction, and after a while she stopped and laid the book away. The long shape of him lay stiffly in its cast beneath the sheet, and she sat and Iooked at his bold, still face and the broken travesty of him and her tranquil sorrow over flowed in pity for him. He was so utterly without any affection for anything at all;so−
so...hard...No, that s not the word. But cold eluded her;she could comprehend hardness, but not coldness....(217)
眠っているYoung Bayardを眺めながら、水の力で押しのけられるように、自分がこれからと るべき行動を確認し、「時」への意識をなくした。その「時」こそ、Young BayardとNarcissa の間にあった垣根が、越えられそうな高さになったことを意味するに他ならない。2人の間 の障害が一瞬でも解き放たれたように感じられたことで、Narcissaはその後愚かしいまでに
どう猛で無神経なJohnの死のいきさつを聞いた時も、怯えながらも心惹かれていったのであ る。そして、Young Bayardの方も、 Narcissa同様に、2人の時の流れを同じ次元で感じた ことによって、今まで誰にも話すことのなかったJohnの死について話をするのである。この 時、読者ははじめて、断片的にしか知り得なかったJohnの最後の様子をYoung Bayardの言 葉で知り、Johnの死が彼にいかに重くのしかかり、彼の心境にいかに影響を及ぼしたかを理 解して、今までのYoung Bayardの行動を理解するのである。
ヒステリィをおこす子供をあやす母親のように、NarcissaはYoung Bayardの髪を撫でて、
車を速く走らせないことを彼に約束させてしまう。それ以来、彼女は終日彼と過ごすことと なる。お互いの存在を意識した時、Young Bayardは威嚇して彼女を踏みにじろうとする。し かし、その試みは彼女には通じず、ついに彼は諦めてNarcissaが本を読んでいる問は静かに
し、眠ったりするようになる。Miss Jennyは結婚して自分の人生に変化を加えて見てはどう かと聞くが、Narcissaは、
Ishall never marry, she told herself. Men...that was where unhappiness lay, gatting men into your life. And if I couldn t keep Horace, loving him as I did.... (224)
と答え、「静かな波」のように彼を包み込んでいくことを心に決めた。
一方、回復したYoung Bayardは再び車に乗って出かけるようになった。その彼の車に Narcissaも同乗するが、互いの体を近づけ合っても、 Young Bayardの目は、はるか彼方の 空を見ている。彼女は自分の運命、つまり「男」とともに平和に過すことのできない自分の 人生を認識し、それを受け入れることになる。そうして、彼女は昼間Young Bayardと外出す ることをやめ、ただ the temporary abeyance of his despair and the isolation of that doom he could not escape. (248)と、彼の休息の時にのみ時間を共有することになる。彼 女は2人の「時」が別々の流れを作り出していたことに気がつく。
the season of hazy, languorous days (253)の11月が過ぎ、12月 the season of dissolution and of death (253)と、冬の訪れが物語を「死」へと導いていく。 a ghost between them (253)と2人の間に存在する幽霊は、死へとむかうYoung Bayardのスピー
ドを弱めることもできなくなっている。自分の無力さを自問自答するNarcissaに対して、
Miss Jennyはそれは「サートリスの血」 Sartoris. It s in the blood. (254)のせいだと言 い切る。
そして、12月、Colonel Sartorisの華やかに右手を挙げている彫像を見上げ、彼のつくった 鉄道を目の前にして、YoungBayardはOld Bayardを隣にのせて、車を疾走させ、Old Bayard は死に、Young Bayardは家を出て、死への最終楽章を迎える。
祖父を死なせてしまったYoung Bayardは、 MacCallumの家に泊まる。彼はがむしゃらにそ してむなしく過ごしたこれまでの数ヶ月の生活を冷静に振り返って、自分の心の声を聞いた。
y∂Uwere afraid to 90 home. YOU mtzdeα纏lger .sneafe your horse out to夕OU.
YOU,ω加deliverately do thingS yoasr 7 udgment tellS夕OU m〈zy not be successful,
even Possible,α紹㎞掘τ0吻Cρthe consequences ofyour own acts....y磁4 4 捌You cazcsed it alなyou illed/bhnny.(264)
MacCallumの家でもてなしを受けるが、彼の心は落ち着くことはなかった。 MacCallum家 の古い置時計が時のうつろいを笑うかのように、時を告げていた。MacCallum家の人々の何 気ない会話の中で、何度も「時」が告げられている。時間通りに日常の仕事をするように MacCallum家の長老、 Virgibiusは家族の者に指図し、 Young Bayardには時間を気にせず
過ごすようにとすすめるが、MacCallum家の中で「時」に押されたYoung Bayardは、ゆっ くりと過ごすことができない。
そしてクリスマスイヴに、Young Bayardは、一軒の黒人の家にたどり着き、厩に泊めても らう。翌クリスマスの朝、黒人の家族とともに、厚切りの肉、とうもろこしパンと味の薄い コーヒーの朝食をとる。一つしかない部屋で、黒人の女達は炉で料理をし、子供達が遊んで いる中、Young Bayardは堅い椅子にすわってうつらうつらしていた。 time was lost ln a timeless region where he ligered unawake and into which he realized after a long while that something was trying to penetrate; (291) 黒人の家で、彼は自分が「時」を 忘れていることに気がつく。昼食の用意が出来、彼は黒人の一家とともにクリスマスを祝う ことになる。
The negroes drank with him, amicably, a little diffidently−two opposed concepts antipathetic by race, blood, nature and environment,
touching for a moment and fused within an illusion−humankind
forgetting its lust and cowardice and greed for a day.(291−292)
possum with yams, more gray ash cake, (292)と、南部ならではの食事をし、 Young Bayardは黒人達と心安らかな一時を過ごす。
作品の中で酒を飲むYoung Bayardはしばしば描写されてきたが、ゆっくりと食事をとる 場面は作品の最後に集中している。食事の内容は非常に詳細に描写され、南部の特色を印象 づけている。Young Bayardが故郷に帰ってきて、現代社会から取り残された南北戦争以前の 南部を引きずるSartoris家の場面では、これほど南部を強調する描写はなかった。
MacCallum家、そしてこの黒人の家でとる食事で、 Young Bayardの姿ははじめて故郷に帰 ったかのように落ち着いて見える。
Faulknerの後の作品、 Light in、Augttstで、 Joe Christmasが殺されるまで逃走中に、追手 に追われて切迫した状態でありながら、死に近づくに従って食事の内容が充実していき、そ れに伴って彼の精神状態も安定し人間らしくなっていくことがわかる。Young Bayardの場 合にも、それに類似した描写によって、彼の人間性と南部人としての気質が彼の心に蘇えっ ていることが読みとれる。Young Bayardは食べ物、黒人との会話を通して、南部の歴史と時 間にとけ込み、クリスマスの祝いの言葉を黒人達と交わし、彼らとの時間を共有している。
そして、Faulknerはさらに南部を強調し、 Old Bayardがこだわった「馬」、黒人の「螺馬」
にYoung Bayardをのせて駅につれていくのである。誇りと勇気をもって、南北戦争で破壊さ れた南部を再び蘇らそうとし、ひたすら報復を秘め、苦しみに耐え忍ぶ螺馬こそ、南北戦争 後の南部のあるべき姿なのである。その課馬に導かれてYoung Bayardは南部を去っていく。
Young Bayardには、騒馬となって再び南部に住み、かつての栄光を取り戻す力はなかった。
螺馬になりきれないYoung Bayardは、やはり南部の歴史がすすめる時間にそって暮らして
はいけないのであった。
V
OId Bayardが死に、 Young Bayardが去り、依然として歴史の刻む同じ流れの中に住んで いるのはMiss Jennyだけになった。彼女はYoung Bayardに送金し、 Narcissaと生まれてく る子供を見守る。 who was so spare and erect and brusque and uncompromising and kind, looking after the place which was not hers and to which she had been transplanted when her own alien roots in a far away place, where customs and manners and even the very climate itself were different, (299)というNarcissaの言葉 からもわかるように、Miss Jennyは男達が次々に勝手な終焉を迎える時の流れの中、彼らを 成人になるまで育てそして失って来たが、いかなる場合においても彼女は常に凛として不屈 の精神を持った人であった。時代の変化を感じながら、唯一、「時」の流れに流されることな
く、生きてきた人物といえよう。
Sczrtorisに描かれた女性は、Miss Jennyに代表されるように、また黒人達の描写にもよくみ られるように、植物と共に描写されることが多いことに気がつく。Miss Jennyは、庭の花を 切りながらNarcissaと話をし、いつも植物に囲まれている。花や木は、一年のうちで、その 姿を変えて、季節をそして「時」の流れを人間に教えてくれる。白人のもとで働く黒人もま た自然に接している人々である。植物と自然との結びつきは、人間の知らない間に「時の流 れ」にのり、開花の喜びをもたらす。Faulknerは作品の至る所で自然の営みの描写を入れる ことによって、読者に「時」を告げ、特に、のびやかな女性達の「時」の感覚を表現してい るのである。「時」はまた非情であり、そのうつろいは人間に厳しい。衰えを見せ始めたMiss Jennyは、生まれてくる子をJohnnyとよび、死んだJohnnyと混同し始めるようになり、彼女
の時は、未来へではなく、まるで巻き戻される糸巻きのように、過去から終末に向かって流 れ始めた。Miss Jennyの衰えをいち早く知ったNarcissaは、Miss Jennyの不屈な精神と決し て怯むことのない勇気に対して、これまでより一層尊敬の念を抱いた。
And now she is trying to make me one of them;to make of my child just another rocket to glare for a moment in the sky, then die away.
(300)
Sartoris邸では、新しいSartorisの誕生を女達と黒人が見守っている間に、 Young Bayard は死に向かって突き進んでいった。彼は無謀なテスト飛行を行なって死んだが、その同じ日 に男の子が誕生する。男の子の誕生を知らせようと電報をうちにいったMiss Jennyはそこで Young Bayardの死を知る。 Sartoris家の男の死を見守り続けてきた彼女は、 Thank God that s the last one (309)とSartoris家の男の最期をみるのはこれで最後だと語るが、この
あとすぐにSimonも殺されてしまう。心休まることなく家を取り仕切ってきたMiss Jennyで あるが、この時は rll be sick for a while. (310)と、部屋に籠もってしまう。彼女に残さ れたものは、Naricissaの子供だけになってしまった。子供の洗礼式の日取りを決め、 He is
aSartoris, all right,...but an improved mode1. He hasn t got that wild look of em. I believe it was the name. Bayard. We did well to name him Johnny. (310)とSartoris
の血をひく男の子の誕生を喜んでいる一方で、彼女は洗礼式に出席することを拒む。
Narcissaらが洗礼i式に出かけている間に、彼女はlsomを呼び、墓参りに出かけていく。黒人 墓地の中にあるSimonの墓を訪れたあと、Sartoris家の墓に向かう。 Bayard Sartoris.
March 16,1893−June 111920 (312)と新しく刻まれたYoung Bayardの墓石。
LIEUT. JOHN SARTORIS. R.A.F.
Killed in actioin,July 5,1918 Ibare him on eagles wings and brought him unto Me (313)
Young Bayardの弟Johnの墓、そして simple なOld Bayardの墓。 simple な墓もそして 誇大な文字が刻まれたが青かびで見えなくなりつつある墓も、なべてみなひっそりと静まっ ているだけであった。Miss Jennyは、 Sartoris家の男達の墓に詣でながら彼女の人生の決し 方をも見直していたのかもしれない。なんて浅はかな男達だろうと口では言いながらも、彼
らの一生の意味を否定することは彼女には出来ない。なぜなら、それはすなわち彼女の人生 をも否定することになるからである。Miss Jennyの存在は一族の過去の原点であり、彼女の 生き様こそSartoris家の「時」の流れを象徴していたのである。人生の終焉を迎えるMiss Jennyは、子供の名前を Benbow Sartoris と名づけたNarcissaにこう言う。
Do you think you can change one of em with a name? ....
Do you think...that because his name is Benbow, he II be any less a Sartoris and a scoundrel and a fool? (317)
ここで歴史と「時」に培われたSartoris一家の血の強さを誰よりも知っているM{ss Jennyは、
Narcissaの考えの甘さを指摘する。
Miss Jennyの終焉は、すなわちSartoris家の最期を意味することを彼女自身も気がついて いるのであろうが、それでいて子供にSartoris家の血が受け継がれていることに、かすかな期 待を寄せているのである。いずれにしろ、Faulknerはここで読者に新しい形のSartoris家の 再生への予感と、物語の継続性を伝えている。Miss Jennyのこの言葉を聞いてただ smile す
るNarcissaのこの微笑みこそ、新しい「時代」の訪れを予告させるものである。
20世紀、アメリカは数多くの大戦争を戦ってきた。Faulkner自身も参戦を熱望した第一次 世界大戦、ついで第二次世界大戦、さらに朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争など、勝利を おさめても敗戦となっても、アメリカの若者達は戦後の精神的な苦痛を味わってきた。唯一 アメリカ本土が戦場となった南北戦争(1861−65)は、国を二分して戦い、兵士のみならず その土地に住む人々にも大きな打撃を与えた。特に敗れた南部は経済的にも政治的にもすべ てを失い、世界の大国としてアメリカが発展していく中でとり残された。南北戦争が終わっ て100年以上たった今日になってはじめて、南部復興が注目されるようになった。南軍の敗北
とともに、北部の工業主義社会が押し寄せてきたが、南部は容易にそれを受け入れることが 出来なかった。人々は南北戦争前の南部の生活を誇らしく思い続けてその伝統を重んじ、新 しい時代に同化するのに手間取り、新しい社会に少しずつ適合していく度合いに反比例して 昔の南部を強く美化していったのである。
南部と同じく、戦争に負けた日本は、第二次世界大戦終結の後、いち早くアメリカの文化、
経済、政治を導入し、目覚ましい勢いで復興していった。しかし、南部が敗戦後、南軍兵士 の武勇伝を語り継いでいるのに対して、日本においては、第二次大戦は否定され、かっての 英雄の死の尊厳が語られることは少ない。Faulknerの故郷、 OxfordのCurthouseの前のロー
タリーに今でも南軍兵士の像が町を見下ろしていることからもわかるように、南北戦争敗北 の宿恨と栄誉への郷愁は、南部では今もなお生き続けているのである。
1920年代、Faulknerが・」・説を書き始めた頃は、第一次世界大戦が終わり、いわゆるLost Generationが文壇で活躍を始めた頃である。南北戦争に若者が競って参戦するのと同じく、
若者は情熱と希望を持って戦に出かけていった。Faulkner自身も第一次世界大戦への従軍を 強く希望した。敗戦の如何にかかわらず、戦争のもつむなしさ、残酷さを実感し、帰郷して も自分の居場所を見つけられないというジレンマを経験した一人であるFaulknerから、
5izrtorisは生まれるべくして生まれたと言えよう。Faulknerを戦争に駆り立てたものは、この
「時代」の力であったかもしれないが、それと同じくらい曾祖父Colonel Falknerの影響があ ったことは疑いのないことである。影の薄い祖父や父とは異なり、曾祖父の絶大なる力は、
若いFaulknerを戦争に駆り立てたと言って過言ではない。(7)
南北戦争と先祖、そして第一次世界大戦と若者というこの2つの組み合わせを柱に、彼は 作品を展開していったのである。南部を舞台にして小説、Sartorisを書くことは、南部から出 て活躍の場をほかに見つけようとしていた若きFaulknerにとって、 Sherwood Andersonの
ように故郷を題材にすることを決め、南部を舞台として、さらに自分の家族を彷彿とさせる 登場人物を登場させて(8)、彼のYokonapatawpha Sagaへの大きな一歩を踏み出すには、大
きな決断を伴ったことであろう。
Colonel Sartorisという華麗なる先祖を持つSartoris家の80年にも及ぶ歴史を語るにあた
り、Faulknerは「動」の役割を果たす自分と同年齢の男性Young Bayardを主人公にもって きた。その対照的な人物としてHorace Benbowを登場させ、 Young Bayardの時間に追われ るように過ぎた人生を描こうとしたが、出版の関係でHoraceの場面は大幅にカットすること になってしまった。自分の苦悩する心を代表させようとしてHoraceを描けなかったために、
主人公の対照的な登場人物としてOld BayardとMiss Jennyが重要な役割を担うことになっ たと考えられる。
しかし、Old Bayardは時代に取り残された「静」の人物として最初登場してくるが、彼は Sartorisの男として完全に「静」を全うすることが出来ない。そのため、 Miss Jennyが「動」
のバロメーターとも言うべき、「時」の基準となる役割を果すことになる。Faulknerが意図 的に始めからMiss Jennyをこのように描こうと思っていたかどうかは明らかではないが、
Miss Jennyという女性を見る限り、 women are much stronger, much more determined than men (9)と後にFaulkner自身が語った女性観が、初期の彼の作品の中ですでに描き始め
られていたことが分かる。
毒々しいまでの歴史を作り上げた男性は、猛スピードで死に向かい、子孫をかろうじて残 したという以外はその継続性をもっていないのに対し、残された子供を育て、その死を見守 るMiss Jennyのような女性が存在してはじめて、一族の歴史形成がなされ、「時」は流れ続け るのである。
このように、Yokonapatawpha Sagaの最初の作品と言われるS励o溶には、彼の小さな切 手みたいな郷土を作り上げていくための題材や特色が数多く書かれていることが分かる。
SartoriSが小説として完成度が低いものとの考え方もあるが、 FaulknerのYokonapatawpha Saga構想の試金石となり、「傑作の時代」へと展開する可能性を秘めた小説として高く評価さ れるべきであろう。
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3
4
註
Dorothy Tuck, A Handbook of Faullener(London,1965), p.16.
Michael Millgate, The、Achievement of William Faulkner(London:The Univ. of Georgea Press,
1989),p.76、
William Faulkner,&物η5(New York:The New American Library, 1953), p.31.
この作品からの引用及び作品への言及は、すべてこの版に基づくものとし、以後、引用箇所には、括弧内 に頁数を示す。
Frederick L Gwynn and Joseph L BIotner(eds)., Faullener in the Universily(The University Press of Virginia,1977), p.251.
5Cleanth B…k・哨W御㌦/』四・踊・⑭卿肋C・・吻(N・w Haven・Y・1, U・i。ersity
Press,1966), pユ06.
6 1bid., p.107.
7 ぴJoseph Blotner, Faulfenex A Biography vol.1(London:Chatto&WindUs,1974).
8
9
Of Richard Gray, The Lije q∫冊〃励2」eaulkner(Massachusetts:Blackwell Publishers,1996)
P.129.
Taulkneビs great−grandfather, The Old Colone1 , clearly lurks behind both Bayard Sartoris I and John Sartoris:with his r㏄kless behaviour during the Civil War being shadowed in Bayard, and much of the rest of his life−his killing of two men, his building of a railrord, and his death at the hands of a former business pertner and political rival−finding its echo in the tale of that fiest John.01d Bayard, in tum, recollects the banker, not least in his deafness and loneliness:Aunt Jenny recalls Faulkner s straight−talking great−aunt Alabama;Simon, Old Bayard s coachman, oives something to the Faulkner family servant Ned Barnett. And so on.
F.L. Gwynn and J. L. Blotner,、Faulkn〃仇z舵UniveTsiち〜p.46.