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岩宿竹
内 務 省 勧 業 政 策 と 市 場 構 造 変 貌 の 趨 勢
‑同居の所在
1明治期の勧業政策が日本資本主義の成立過程に果した役割については'肯定'否定の両極端の評価がある餌'政策
の表面上の態様を詳細にあとづけても結論は出し難く、政策の持った歴史的意義の確定も困難と思われる。むしろそ
の様な政策が、如何にして出現しうるに至ったのかを'とりわけ経済的条件に着目して考察することが'政策の歴史物的意義確定に不可欠となる様に思われる。ところで内務省の勧業政策の施行目的を見ると'「人民ノ生理日々凋耗ニ」即至ルノ実害」(明治八年五月「内務省伺])を「案心痛慮」(同上)Ltその対策を考察しているが'特に小野組破
綻は'「独り其本店分店所在ノ地ノミナラス全国一般ノ金融上二係シ終二外国貿易上ノ一大難事卜称ス可キ」(同上4付載「海外直亮ノ基業ヲ開クノ議J)事件として把握され'その対策が急務とされている。従ってこの様な内務省の
勧業政策の施行日的とその実現過程を'現実の不況過程と関わらしめて考察してゆくことが、勧業政策の意義の解明
に役立つと考えられる。
本稿は'以上の観点より'まず、明治七‑九年不況の性格を殊に小野組破綻に着目しつつ考察し'次いで内務省の
勧業政策の体系の構成とその実現過程に及ぼした不況の影響を見てゆき'最後に不況過程がもたらした市場構造変貌
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的の連勢と'内務省勧業政策との関わりを見て'勧業政策の意義の解明の1助とすることを目的とする。
藍
川土屋喬雄・服部之総両氏の論争以来の研究史を有するこの点についての諸見解については'石塚裕道﹃日本資本主義成立史
lb 研究﹄'1九七三年'﹃岩波講座日本歴史14﹄1九七五年'新版所収諸論稿等参照。又'今日での否定的見解を代表する古
島敏雄氏の見解(小西四郎他「座談会=最近十年間における明治維新史研究の動向と間露点」(歴史学研究会編﹃明治維新
研究講座別巻﹄'1九六九年所収))も参照。
この様な視角を採ることによって'勧業政策自休が一つの歴史的所産であることが明確化しうると考えられる。﹃太政類典﹄第二編第1類官制二文官職制二(T五巻)二五'以下編'巻'付載番号のみ記す。なお'これらの文書は'
日本史籍協会﹃大久保利通文書﹄第六巻'7九二八年に'夫々「本省事業ノ目的ヲ定ムルノ議」'「海外直売ノ基業ヲ開ク
ノ議」として所収されている。
これらの論点の考察に際Lt明治前期を通ずる勧業政策の基調の評価をめぐる諸見解(全国的な流通横構の掌握の企図に注
目する大石嘉一郎氏の見解(同「自由民権運動の「基本的人権」論とその基盤(東京大学社会科学研究所編﹃基本的人権2
歴史Ⅰ﹄'一九六八年所収)'「所与の国内における経済構造=基底」の再編策としての側面を重視する山田舜氏の見解(
同「明治権力による絹業の組織化過程」(川島武宜・松田智雄編﹃国民経済の諸類型﹄'1九六八年所収)に見られる統制
面の評価と'民業不干渉方針の基調をむしろ重視する正田健1郎氏の批判(同「明治前期の地方産業をめぐる政府と民間」(高橋幸八郎編﹃日本近代化の研究上﹄'1九七二年所収))を念頭に置いている。上山和雄「農商務省の設立とその政策
展開」(﹃社会経済史学﹄四一‑三'一九七五年所収)も'この論点を考察して'統制面を重視している。
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Ⅱ
明治七‑九年不況と小野組破堤1 倒産価額の推移(第一図)からも知られる七‑九年の不況過租は'当時最も流通量が多かった商品である米の価格吻動向から見て'二つの局面に分かれる。即ち'米価は七年前半の佐賀の乱'台湾事件の影響による「戦争高
」 ' 一 石
七‑八円(東京正米相場)の水準が八年九月まで続き'同十月以後六円'更に四‑五円台(同上)に低落し'地租改〜正反対闘争を惹起しっつ西南戦争によるインフレへと続いてゆv〜.後半の局面を米価下落によって特徴づけられる七
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第1図 不 況 過 程 諸 靖 専
(i)倒産価 額
(ii)横浜洋現
相場年平均
(iii)東京貸付金
利年平均
(iv)貿易収支赤
字額
505110
明治牟7 8 9 101112131415161718
(出典) (i) 「貨幣制度調査会報 告
」
(『明治前期財政経済史料集成』第12巻) (iii) 「明治三十年幣制改革
始末概要
」
(同上第11‑ 2巻) (ii)(iv) 『帝 国統計年鑑』各年次。
‑九年不況の前半の局面では'蚕種'生糸生産の不振が著しく'主産地の一つ白河近辺について'「細民営業ノ資4ヲ得ルニ所ナク殆ソー廃業失産ノ困厄二係rる事態が報告されている。殊に蚕種は'輸出数量と輸出価格の著しい5低下が進んでゆくことが明らかにされているV.更に七‑九年の不況過程を貫ぬく背景として指摘されるのが'金融遍㈲迫であり'利子率の推移(第一図)からもこれをうかがうことができる。
さて、この様な過程を辿る七‑九年不況の原因に関して'国際的な経済環境の影響の大きさと'不況過程と市場構
第1表 政 府 米 穀 納 入 推 移
期 間 l納 高*l(買収高)**I別途納研
( 3 4, 0 0 0 ) ( 61 , 7 4 9 )
(‑ )
( 6 8 8, 41 1 ) ( 6 2 7, 6 0 2 ) 5, 91 9, 4 0 1
2, 3 01 , 2 7 9 2 , 8 81 , 8 31 6 8 8, 4 1 1 6 2 7, 6 0 2 6
年1
月. ‑6
年1 2
月7
年1
月. ‑7
年1 2
月8
年1
月. ‑9
年3
月9
年4
月. ‑1
0年6
月1
0年7
月. ‑1
1年6
月(出典)辛「米穀経理紀事」 **「米価 ヲ平準 ニスル方案」
(いずれ も本庄栄治郎 『明治米価調節史料
』1 9 7 0
年所収)1)単位石
道の変貌の過程との関わりの密接さを指摘することができる。まず前者につい
て'絹業生産殊に蚕種生産の不振が、輸出市場の経済環境の変化によるもので㈹あることが指摘されておりへ金融逼迫も、国立銀行不振の一因たる免換堅持が㈱紙幣時価の安定を前提とし'貿易収支の逆調(第一図)と金貨流出(貿易収支ヽ/9が出超となる九年も流出)Vが続く中での紙幣時価安定自体が'ヨーロッパでの的銀貨下落の日本への波及に支えられていたことを想起すれば'国際的な経済環
境に影響されていたと言える。次に後者について'数量'価格両面での輸出不
振が著るしかった蚕種生産は'主産地での生産活動が維持され'国内生産量合■、川川山Ⅵu計が激減することはなく'濫造の弊が問題にされるに至る。これ以後内需への
転換が進んでゆくと言える。米価下落についても'地租改正の進展(従って政
府納入米の減少(第一表))の影響を無視しえない。殊に明治九年の米価下落
については'静迫販売の影響も指摘されている。即ち'「降テ九年ノ秋収亦豊
穣ノ見込立チ‑‑貢納ノ期限土迫り'復夕嶺益ヲ雇慮スルニ達アラスシテ一時
ニ之ヲ放売スルカ的ことは周知である 的米穀ノ需給其ノ均平ヲ失シテ米価低落シ‑‑」。この過程が米穀市場の変貌の過程である
そこで次に以上に見た特徴を持っていた七‑九年不況と小野組破綻との関わりを見て'「海外直売ノ基業ヲ開クノ
議」での不況把握の背景を確認しておこう。まず、小野組破綻の規模'実態については'大蔵省勘査局調査の中間報叫告「小野組負債概計表」(第二表)によって概観を得ることができる。これにより'以下の諸事実が知られよう。①
け1,/一.I.∵、、・.′4..:Kj・一∴...'r・.[一‑:
小野組破綻の影響の全国的な広がり。その活動は'為替方業務を行っていない官預りの皆無な府県にも及び'東京(本店)も含めて四十四府県が直接影響を受けている。②府県間金融の活発さ。預金合計と運用(資産)額合計との
差(前者が大であれば「不足」'小であれば「過」)を見れば'運用額合計が大である府県が十六である。このうち
官預りが皆無な府県でのかかる帰結は自明とも言えようが'過欄の数値の大である府県を見れば'京都'兵庫'宮城
神奈川'福島'若松、秋田'豊岡の順となり'官預りのある県も多く'他府県からの資金の導入によるこれらの地域
の支店活動の活発さが知られる。⑧金融機能の大きさ。運用額合計中に占める貸付証書額は'総計で四一・七%であ
り'次に多い抵当の一五・五%をはるかに凌ぐ。貸付証書の多い府県は'東京(本店)'京都'兵庫'神奈川'豊岡
青森'愛知'大阪'宮城'若松ヽ長崎の順となり'特に京都では運用額合計の九七・一%を占めている。官金を主た
る原資とする小野組の金融壊能の大きさが知られ'「小野組鎮店以来世上ノ金主疑催ノ念ヲ生シ既出ノ貸金ハ一時二
之レヲ収集し新二貸附スルモノハ必ス金銀公債証書及ヒ地券等ノ如キ確実堅固ノ抵当アルニ非サレハ之ヲ肯ンセス若的シ抵当ナクシテ貸付スル少数ノ金額ハ其利子一ヶ年割四乃至六割ノ昂貴二至レリ」(「海外直売ノ基業ヲ開クノ議」)鵬の表現が決して誇張ではないことがわかる。④不況の展開過程との関わり。小野組の活動の影響下にある府県のうち
で'既に見た他府県からの資金導入の多い府県'貸附証書額の多い府県は'三都'開港場に加えて、流通の中心地及
び産業の盛んな地域が多い。この中には福島'若松両県が含まれ'又、熊谷、長野、筑摩各県の貸付証書額がいずれ仲も一・五万円を超えていることを見れば、蚕種不振への影響がわかる。更に米穀代価欄を見れば、愛知、東京(本
店)、青森'宮城'若松'大阪'長崎'酒田の順に多く'産地'中継港'中央間の米穀流通への関わりを見ることが(ママ)できる。なお'小野組の米穀流通との関わりについては'借用金十七万円の抵当として、岩銀三四万貫余と共に設
定した米穀の所在と移動が、その一端を示している。即ち、小野組(代理古河市兵衛)が第一国立銀行に提出した借
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琴野野 1軍野賢第 2表 小 野 組 負
官 預l 民 金 預 借l 合 計J 有 金l 官 ‑ 立 替l 抵 当f 歪 腎書
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.メ..〜ハ(出典)
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太政類典J2‑162‑ 9 1)単位 円 .・1讃,[・T・・'.:I;7..5.I..,・副証書
米穀一万石余
此俵三万九百三十二俵
米穀四千石
米穀六千石
〆二万〇二百石
大坂廼シ
米千六百石
此売払代金一万千五百二十円也
米穀二千八百八拾五石余
但八千四百俵
合計二万四千六百八十五石余 但浅草御蔵へ積置侯分深川(ォ頭)蔵へ同断
秋田県下船川港へ積置候分
青森港へ積置侯分
米千六百石越後新潟港ヨリ廻漕米土佐堀江川重助預り分
但一石二村七円二十銭売上
当十一月十一日岡十五日東京表ヨリ蒸気千里九二テ積送侯分
右ノ通米穀蔵置石高井大坂表へ廻漕共相違無之侯也
七年十一月十八日
第一国立銀行
頭板
支配人御