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中等学校の経済教育における新自由主義の取扱い

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修 士 論 文 平 成 2 6 ( 2 0 1 4 ) 年 度

中等学校の経済教育における新自由主義の取扱い

三 重 大 学 大 学 院 教 育 学 研 究 科 教育科学専攻 人文・社会系教育領域

2 1 2 M 0 2 2

提出日:2015213

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序論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p.1 第1章 新自由主義と「効率」「公正」概念・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p.3 第1節 新自由主義の特質・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p.3

第1項 新自由主義の定義 第2項 新自由主義の成立背景

2節 新自由主義と「効率」「公正」概念の関係性・・・・・・・・・・・・・・p.10 第1項 社会的な見方や考え方を養うための概念枠組みとしての「効率と公正」

第2項 新自由主義と「効率」・「公正」概念の関係性

第2章 社会科学における「効率」「公正」概念・・・・・・・・・・・・・・・・・p.18 第1節 経済学における「効率」「公正」概念・・・・・・・・・・・・・・・・・p.18

第1項 パレート効率

第2項 経済学における「公正」概念

第2節 法哲学における「公正」概念・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p.23 第1項 「公正としての正義」

第2項 「重なり合う合意」論

第3章 現在の経済教育における新自由主義の取扱われ方・・・・・・・・・・・・・p.29 第1節 中等学校の経済教育における新自由主義の記述・・・・・・・・・・・・・p.29

第1項 学習指導要領の記述

第2項 公民科教科書における記述とその解釈

第2節 新自由主義を取扱った先行実践の分析・・・・・・・・・・・・・・・・p.35 第1項 「効率と公正」をトレードオフの概念として組み込んだ先行実践

第2項 CEE教材(政府の経済役割に関する教材)の分析

4章 中等学校の経済教育における新自由主義の取扱い・・・・・・・・・・・・・p.40 第1節 「効率」の観点からの新自由主義の取扱い・・・・・・・・・・・・・・p.40 第2節 「公正」の観点からの新自由主義の取扱い・・・・・・・・・・・・・・・p.42 第3節 中等学校の経済教育における新自由主義の取扱い・・・・・・・・・・・・p.43

結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p.45

参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p.46 謝辞・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p.47

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1 序論

2000年代以降、新自由主義は、わが国の政治学・社会学・経済学などさまざまな領域で 関心の高いテーマの一つとなっている。ただし、新自由主義という用語は、格差社会の拡 大という文脈で用いられることが多く、きわめて論争的な用語でもある。

新自由主義が論争となる理由は、市場機能を最大限に活かすことに対して評価が分かれ ているからである。八代尚宏など新自由主義を支持する人々は、市場が効率的に機能する ための健全な競争政策として新自由主義を捉えており、市場競争の行きすぎは問題ではな く、むしろ「政府の失敗」が問題だと考える1。一方、新自由主義に反対する人々は、市場 優位の経済政策は所得格差の拡大をもたらし、それが機会均等を妨げると考える。つまり、

この対立を一言で表すならば、経済発展を促進する「効率性」と国民福祉の向上で求めら れる「公正性」をめぐる対立である。そして、この関係は、効率性を追求しようとすれば、

公正性が損なわれるという相互に矛盾、対立するトレードオフの関係にある。そのためこ の対立は容易に解決することなく、最終的には「望ましい」経済社会の姿をめぐるイデオ ロギーの問題となるのである。よって、新自由主義は論争的になるのである。

本研究の目的は、このきわめて論争的な新自由主義を中等学校の経済教育においてどう 取扱うべきかを考察することである。そもそも、新自由主義を経済教育において取扱うと は、どういうことを意味するのか。それは、経済教育の目標と大きく関わってくるのであ る。経済教育の目標は、「経済の基本的概念や考え方を学ばせ、さまざまな経済問題に対し て合理的・倫理的に意思決定し、解決しようとする責任ある市民性を育成すること」2にあ る。この目標を新自由主義に即せば、新自由主義の基本的概念や考え方を学ばせ、さまざ まな新自由主義に関する問題に対して、合理的・倫理的に意思決定し、解決しようとする 責任ある市民性を育成することである。すなわち、取扱う内容には、子どもたちが新自由 主義という概念を客観的に捉えようとすること、新自由主義に対して自ら意思決定するこ とを含まれなければならない。では、経済教育において新自由主義を取扱う意義とは一体 何か。その意義は新自由主義を取扱うことによって、先ほど述べた「効率と公正」という 枠組みを用いて、社会的事象を評価・選択する力が身につくという点にある。なぜなら、

新自由主義を考えることは、「効率と公正」を考えることに他ならないので、新自由主義を 評価する過程で、「効率」「公正」概念を用いて思考することを身につけることができるの である。この「効率と公正」概念は、平成 20 年版中学校学習指導要領社会において「社 会的な見方や考え方」を養うために新しく追加された枠組みでもある。

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ただし、「効率と公正」のうち、「効率」概念は経済学の概念であるパレート効率を用い ることで明確に定義づけることが可能であるが、「公正」概念は、手続きにおける公正や分 配における公正などさまざまな意味合いが含まれており、定義づけることは困難である。

経済教育において「公正」概念を精緻に考察した事例は、猪瀬武則3や加納正雄4などを除 いて、現状では多くはないのである。しかし、新自由主義をどのように取扱うかを考察す る場合、「効率」概念だけ捉えてしまうと、新自由主義の理解は一面的なものとなってしま う。なぜなら、たとえ、新自由主義に基づく自由化政策を推進し、所得格差が拡大し続け、

その結果、極端な不平等社会が到来したとしても、新自由主義は効率的な資源配分を達成 できるので、「効率」の観点から見て、理想的な状態であると評価できるからである。格差 それ自体は否定するべきものではないが、人々の間で許容できる程度を超えた格差は不平 等、つまり「不公正」だと人々は感じるはずである。新自由主義を取扱う際には、「効率」

概念だけでなく、「公正」概念からも捉えられるべきと私は考えている。しかし、先ほど述 べたとおり、経済教育において「公正」概念は、確立していないのが現状であった。

したがって、本論文ではまず「効率」・「公正」概念を明らかにした上で、経済教育にお いて新自由主義をどのように取扱うかを考察したいと考える。以下は本論文の構成である。

第1章では、新自由主義を定義した上で、あらためて新自由主義と「効率」「公正」概念 の関係性を述べる。学習指導要領と先行研究における「効率と公正」概念の把握からは、

「公正」概念の定義が明らかにできないことを踏まえ、第2章では、社会科学における「効 率」「公正」概念の捉え方を検討する。それを踏まえて、新自由主義における「効率」「公 正」はどのように評価されるのかを明らかにする。第2章で得られた知見をもとに、第3 章・第4章では、経済教育における実践の場での新自由主義の取扱いを考察していく。第 3章は経済教育における新自由主義の取扱われ方の現状を述べる。学習指導要領や教科書 において新自由主義がどのように扱われているかを明らかにした後に、新自由主義を取扱 った先行実践の検討を行う。第4章では、最終的に「効率」「公正」それぞれの概念から 新自由主義はどのように取扱われるかを述べた上で、中等学校の経済教育における新自由 主義の取扱いを述べて本論文の結論とする。

1 八代尚宏『新自由主義の復権』中公新書、2012

2 宮原 悟「『経済教育』研究(第7版)」名古屋女子大学紀要第59号、2013年、p123

3 猪瀬武則「概説 中学校の教員が知っておきたい 対立と合意、効率と公正」猪瀬武則 編『究極の中学校 社会科―公民編』日本文教出版、2012年、p.38.

4 加納正雄「効率と公正を学ぶための経済教育―制度と政策の評価―」『経済教育』第30 号、2011年、pp.109-110.

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3 第1章 新自由主義と「効率」・「公正」概念 第1節 新自由主義の特質

新自由主義とは、政府などによる規制緩和と自由競争を重んじる考え方のことを指す1 しかし、仲正昌樹は「新自由主義」という用語について、あまりにも水ぶくれ気味になっ ているために、これをきちんと定義することは無理であると述べた上で、この言葉はそれ までの経済政策の原理との違いを示す相対的な名称にすぎないと指摘している2。つまり、

新自由主義には様々な考え方や解釈可能性が含まれているので、それを厳密に定義し、多 くの人々の合意を取り付けることは困難な用語なのである。しかし、新自由主義が定義し がたい名称であることを認めたとしても、それが1980 年代以降に世界的に支配的となっ た経済思想・政策の潮流を指していることには変わりはないのである。新自由主義に基づ いた政策は、多くの先進国や発展途上国の一部でも導入されており、日本も例外ではない。

日本での本格的な導入は、競争の拡大・規制緩和・小さな政府などを推進しようとした1990 年代以降の構造改革とされている。この構造改革においては「小さな政府」「官から民へ」

「中央から地方へ」などの理念を軸に、既得権に縛られた硬直的予算配分にメスを入れ、

公共サービスの民営化などで民間活力を引き出し日本経済の再生をめざした。そして、自 治体行政、教育・福祉制度、企業経営、地域経済等、国民生活に直結するあらゆる分野に、

多大の変化を引き起こした。改革の結果、国民生活の格差拡大、行き過ぎた市場・競争原 理や、社会保障制度見直しによる弱者切り捨てなどへの批判が高まったことも事実である。

新自由主義に対する評価という点では、経済学の学派間での対立、またはイデオロギー の対立を反映して賛否両論が渦巻き、未だ人々の間で一致した評価を下せる状態にない。

このように厳密な定義もなく、評価も分かれている新自由主義であるが、現在の経済教育 においては高等学校公民科の教科書にも掲載されているほど重要な語句ないし概念である。

新自由主義を生徒にどう教えるか、という現実的な教育上の要請を前にしたとき、少なく とも定義が曖昧な状態は避けたいと考える。そこで本節では、新自由主義がどのような概 念であるかを明らかにしたい。その際に、複数の論者による新自由主義の用語や特徴の説 明と解説を参考にするが、意味が「水ぶくれ」式に膨らまないようにするために、その内 容や副次的に生じている現象のすべてを網羅的に取り扱うことはしない。ここでは、新自 由主義の理論と政策に絞って定義することにしたい。また、概念を定義づけた後に、新自 由主義がどのような歴史的文脈の下で成立したのかについても明らかにする。

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4 第1項 新自由主義の定義

新自由主義は、定義づけが困難な用語であると述べたが、すでに辞書には記述がある。

有斐閣『経済辞典 第4版』は、新自由主義について次のように説明する。

「古典的な自由放任主義や計画原理にたつケインズ政策に基礎をおくのではなく、市場 の競争条件を利用し、価格の自由な動きに根本的な信頼をおこうとする考えで、第2次大 戦後、西ドイツやアメリカなどで台頭した。1980年代にイギリスのサッチャー政権やアメ リカのレーガン政権に影響を与えた3」。

この説明は、「市場」や「価格の自由な動き」に着目している。

八代尚宏は、この説明をより敷衍して新自由主義の思想を以下のように規定している4 第一に、資源配分面では、市場競争を重視し、それを妨げるような企業の行動をいっさ い禁止する。第二に、最少のコストで最大の効果を達成する効果的な所得再配分政策をと る。第三に、政府によって運用される社会保険制度は、その負担としての保険料が確実に 徴収できる公平な仕組みを構築する。

これは、八代が日本における伝統的な「反市場主義」への批判として、正しい内容の「新 自由主義」を提示したものである5。多様な商品・サービスが溢れている先進国経済では、

市場価格の変動に対応した分権的な意思決定の方が、中央集権による指令よりも優れてい るという経験則に基づいて、政府による市場への個別介入よりも、一定の枠組みのもとで 個人や企業が利益を追求する仕組みを活用するほうが、社会に望ましい結果をもたらすと 八代は考えている6。よって、八代は新自由主義を「市場機能を最大限に活かし、人々の生 活を豊かにする政府の役割と一体的な思想」と定義した7。定義のなかに「生活を豊かにす る」という価値判断を含んでいるのは、八代自身が新自由主義を擁護・推進する立場から 定義しているためだと考えられる。

これに対して、服部重幸は、価値判断は含まずに新自由主義を新古典派経済学の論理に 基づいて定義づけている8。服部によれば、現在のミクロ経済学と現代思想の考え方に支え られた新自由主義は、市場の見えざる手による資源配分が効率的と主張し、それだけでな く、市場における選択は自由の基礎であり、政府による強制は個人の自由を奪うと論じて きたとしている。これに関連して、荒井一博は、新自由主義は新古典派経済学から派生し た思想とみなすことができ、それときわめて親和的な主張を有していると解説する9。荒井 によれば、新自由主義や新古典派経済学の真髄は、「個人が自己利益を追求して自由に行動 すると、経済の資源配分が効率的(最適)になる」という「厚生経済学の第一命題」にある

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というのである。この命題を根拠に、新自由主義では個人の最大限の自由が正当化される のである。実際には、所得税の減税とその累進率の引き下げ、公的組織の民営化、各種規 制の緩和ないし撤廃、関税の撤廃、外国人による株の売買と投資の奨励、政府献金の禁止、

インフレ率の抑制、公的社会保障の廃止、年金の廃止などの政策をできる限り実行しよう とする。このように新自由主義の徹底は、すべての分野において国家の業務を民間にゆだ ねるリバタリアニズム(自由尊重主義)に至る。しかし、橋本努は、新自由主義はリバタ リアニズムほどラディカルな政策は訴えないと考える10。橋本によれば、一般にリバタリ アニズムは、諸個人の経済的自由や財産権を擁護すると同時に、思想・言論の自由といっ た精神的・政治的自由も最大限尊重するという立場をとる。リバタリアニズムは、原理的 な自由を重んじて、「たとえ経済秩序が収縮・崩壊するとしても自由を貫徹せよ」と主張す ることによって、福祉国家がおこなってきた従来の多くの活動を否定し、国家の意義と役 割を切り詰めようとする。これに対して、新自由主義は「低所得層の厚生水準を悪化させ ないために、高所得層を一層利してでも現行の秩序を維持せよ」11と発想する。すなわち、

リバタリアニズムは、「原理的な自由」を求めるのに対して、新自由主義は「秩序と成長」

のために「自由」を求めるのである。橋本は、新自由主義は福祉国家の規模を縮小しよう とするが原理的な自由を徹底する思想ではなく、むしろ福祉国家そのものは容認している と述べる12。橋本の考える新自由主義の論理では、もし市場経済が分散的な統治によって 活性化するのであれば、その場合には、政府支出が多くても構わないと考えるのである13

このように新自由主義は福祉国家を容認すると考える橋本に対し、二宮厚美は新自由主 義を「福祉国家解体戦略」として捉えている14。二宮は、新自由主義は経済・社会の隅々 にまで市場原理の適用・徹底をはかる概念であると指摘した上で、新自由主義は市場をな によりも福祉国家的規制の体系から解き放とうとする理論であると把握している15

ここに至って、新自由主義を定義する上での「水ぶくれ」的な意味の膨張と、新自由主 義の多義的な側面が明らかになる。新自由主義は概念としては、市場のメカニズムを信頼 し、国家の介入に反対する立場とされているが、実際の政策では、政治・経済・司法・軍 事などの面で、さまざまな国家による介入が行われており、政府の規模は比較する対象や 時期にもよるが大きいといるのである16。つまり、新自由主義は、理念と政策の間に矛盾 があるのである。さらに、大規模な減税や規制緩和を実施すれば市場は活力を回復し、経 済成長によって所得下位層の生活も底上げされると言われるが、現実には所得下位層の暮 らしは改善されず、所得格差が広がっているという矛盾も存在する。これらの矛盾を踏ま

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えて、新自由主義はどのように理解されるべきなのか。『新自由主義』を著したデヴィッド・

ハーヴェイは、この矛盾を包摂するようにして新自由主義をつぎのように定義している17

「新自由主義とは何よりも、強力な私的所有権、自由市場、自由貿易を特徴とする制度的 枠組みの範囲内で個々人の企業活動の自由とその能力とが無制約に発揮されることによっ て人類の富と福利が最も増大する、と主張する政治経済的実践の理論である。国家の役割 は、こうした実践にふさわしい制度的な枠組みを創出し維持することである」。すなわち、

新自由主義は、個人の最大限の自由を正当化し、市場の見えざる手による資源配分が最も 効率的と主張する一方で、その実践においては、「単なる市場原理主義でもなければ、グロ ーバリゼーションへの対応でもない」制度的枠組みを創出し維持するということである18 これに関して菊池は、新自由主義に基づく政治経済的実践とは、ニューディール政策や戦 後の福祉国家体制の下で浸食されてきたエリートの権力を目指す運動であり、これを遂行 するための新しい体制にほかならないという「階級権力の回復」というプロセスとして捉 えられると解説している19。先述の二宮は、新自由主義に迫る場合に問題になるのは、そ れが階級的視点からとらえるのか、市民的視点からとらえるのか、という点にあると述べ ている。つまり、階級的支配関係の視点から新自由主義を評価する場合には、新自由主義 は対決・克服・打倒すべき対象として“対峙”することになり、他方の市民的視点から捉 え評価する場合は、いわゆる労使間の階級的対立関係を考察の対象として扱わず、むしろ 市場の秩序や構成原理との関係で新自由主義を捉えることになる20

話を戻すと、新自由主義は市場のメカニズムを信頼し最大限の自由を正当化する一方で、

実際の政策においては、さまざまな分野で国家による介入が行われているのであった。

佐野誠は、新自由主義に基づいた上記のような実践ないし政策に着目した上で、新自由 主義を現代資本主義経済に固有の景気循環として位置付けている。佐野はこの景気循環を

「新自由主義サイクル」と呼び、以下のように要約している21

「まず国内外の利害・権力関係に規定された自由化政策の結果として、経済が実物面で も金融面でもマクロ的に不安定化する。ただし、それは不安定ながらも(かつ利害関係によ る偏りをもちながらも)、それなりに補整される。すると、これとほぼ併行して、またもや 類似した事態(自由化→不安定化→補整)が繰り返されることになる。一方で、この過程 では失業・格差・貧困も広がり、共生の多元的な仕組みが破壊される。その結果として内 需が次第に抑制されるようになり、このことがまた(外国の「新自由主義サイクル」など の外征的ショックに対する耐性を弱めて)循環の不安定性を増していく。

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この「新自由主義サイクル」は、新自由主義を景気循環として位置付けることによって、

新自由主義を単に政府などによる規制緩和と自由競争を重んじる政策を捉えるだけでなく、

新自由主義を構造的な政治経済的実践として捉えることが可能である22

ここまで複数の論者による新自由主義の定義や主張を検討した。それらの言説の違いを 取り急ぎ捨象して最大公約数的にまとめれば、次の3つの要素からなるように考えられる。

第一は、新自由主義が新古典派経済学から派生し、市場における最大限の自由を正当化し ようすること、第二は、国家の役割や制度的な枠組みを個々人の企業活動の自由とその能 力とが無制約に発揮されるにふさわしいものに転換し維持するという政治経済的実践を有 していること、第三に、新自由主義は市場における国家の介入に反対する一方で、政策を 実現するためには政府の規模が縮小されないこと、と要約される。したがって、本論文で は、主にハーヴェイと佐野に依拠して新自由主義を以下のように定義する。

新自由主義とは、強力な私的所有権、自由市場、自由貿易を特徴とする制度的枠組みの 範囲内で個々人の企業活動の自由とその能力とが無制約に発揮されることによって人類の 富と福利が最も増大する、と主張する政治経済的実践の理論である。この政治経済的実践 は、経済をマクロ的に不安定にし、それに対処する形で財政政策等の補整を呼びおこす。

しかし、経済的自由を広げるような政策・制度転換はこれに並行して続けられ、自由化、

不安定化、補整のプロセスを繰り返し行うサイクルを有する実践でもある。

以上が本論文における新自由主義の定義である。これから新自由主義という場合は、上 の定義を踏まえて議論を展開していくものとする。

第2項 新自由主義の成立背景

新自由主義はそれまでの経済政策の原理との違いを示す相対的な名称として用いられて いるとおり、「新しい自由主義」である。すなわち、新自由主義は本来の古典的自由主義と の対比のなかから登場してきたものであった。本項では、どのような点で新自由主義が「新 しい」のかを明らかにする。

本来の古典的自由主義とは、個人の自由な活動の領域をできるだけ広げようとする考え で、その発生は、J・ロックにまで遡ることができる23。この古典的自由主義は、絶対君 主や王政のもとでの国家の統制・介入から市民社会を自由化すること、経済的には市場社 会を自由に開放することを目的としていた。したがって、古典的自由主義には、政治的自 由主義と経済的自由主義がある。前者は、言論・集会・結社と政治参加を重視するが、後

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者は私有財産と契約の自由そして営業の自由を重視する。先述の二宮は、本来の古典的自 由主義に対比された「新」自由主義は、歴史的には二度あらわれた」と述べている24 一度目は、19世紀後半期から20世紀前半にかけての「新しい自由主義」である。当時、

危機を迎えた自由主義を立て直す目的をもって現れた。資本主義の発展がもたらす経済的 格差の拡大に対応し、伸長する社会主義勢力に対応するなかで、国家による市場への干渉 が拡大していったのである。長谷川一年によれば、このとき古典的自由主義は、機会の平 等と自由競争を保障するだけでなく、結果の平等と実質的な自由を追求し、国家に積極的 役割を要請する自由主義へ自己修正を遂げていったのである25。したがって、ここでの「新」

自由主義は市場社会を野放しにするのではなく、国家が市場を規制し、市場の暴走に是正 措置を加えようとするものであった。さらに、出口は 19 世紀に登場した新しい自由主義 について「20世紀の福祉国家への道を準備すること」になったと評価している26。その後、

1929年に始まる世界恐慌は、市場の自己調整機能が有効に働かないことを思い知らせた。

そのため大恐慌からの脱出過程においては、国家は金融政策によって通貨供給量を調整し たり、大規模な公共事業によって雇用を確保しなければならないというケインズの発想が、

F・D・ルーズベルト政権におけるニューディール政策や、イギリス福祉国家の基礎を築 いた『ベヴァリッジ報告』に反映されることになった。また、政府が市場に対して間接的・

直接的に干渉してバランスを取り、その結果として、富の格差をあまり広げないようにし ておいた方が、国民の国家に対する信頼をつなぎ留め、ソ連・東欧に対抗することにつな がる、という考え方が形成された。

そうした経済運営が第二次大戦直後はうまくいき経済成長も遂げていたが、次第に財政 赤字が増え、1970年代の石油危機の前後から各国とも景気が悪化し、それは不況下のイン フレ(スタグフレーション)という形で現れた。ケインズ主義に基づく政策は、不況時に 財政支出を増加させ需要を喚起することにより不況を軽減することを目的とするのだが、

不況時に物価は下がらず、停滞とインフレーションが併存するスタグフレーションは解決 できなかった。それに代わって、ハイエク、フリードマンなどの影響力が強まった。二度 目の新自由主義はまさにこの頃に立ちあらわれたのであった27。フリードマンは、スタグ フレーションはケインズ経済学に基づいたマクロ経済政策が原因であると論じた。その後、

80年代にはイギリスのサッチャー、アメリカのレーガン、日本の中曽根といった新自由主 義に基づく政権が誕生した。服部によれば、この頃はじまる新自由主義について「戦後資 本主義の政策理念を批判し、代替的な政策を提案した」と述べている28。これを要約する

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と、第一に、供給サイドの重視である。新自由主義は市場メカニズムが機能すれば、失業 は自ずと解決するという立場から、経済の活動水準は供給サイドによって決まるので、供 給サイドの改善(規制緩和と減税)を目指すべきであると主張したのである。第二に、自 由な市場の効率性を信じる新自由主義経済学は、金融市場を自由化するべきだと論じた。

第三に、富の再分配ではなく、富の創出に力を尽くすべきだと論じた。第四に、新自由主 義はケインズ主義国家、福祉国家による経済活動への介入は、個人の自由を侵害し、隷従 への道を歩むものであると論じ、福祉国家を転換させていったのである。以上が服部の示 す代替的な政策の要約である。

上記の政策を実践する新自由主義は、市場原理をできるだけ自由に発動させることを意 図しているため、19世紀後半期のそれとは異なり、形だけ取り出してみると、古典的自由 主義の立場に近いが、代替的な提案でみたように古典的自由主義と現代の新自由主義には、

市場原理が対抗する相手が異なるという点で決定的な違いがある29。二宮によれば、古典 的自由主義において市場原理は、絶対君主の国家に対抗したのに対して、新自由主義にお いて市場原理は、戦後世界の福祉国家体制に対抗したのであった30。したがって、新自由 主義は、古典的自由主義を中核的な理念としつつも、市場を何よりも福祉国家的規則の体 系から解き放とうとしたのであった。すなわち、新自由主義はケインズ主義にもとづく福 祉国家体制を否定する潮流として成立したのである。

最後に、新自由主義の定義とも関わって 1980 年代以降の世界的な経済構造の変化にも 触れておきたい。深井英喜はその構造変化について「技術革新である IT 革命によって発 展途上国を巻き込んで経済のグローバル化が進展したこと、そのグローバル化が、IMF 世界銀行などの国際組織によって準備されつつ多国籍企業を主役として展開された」と述 べている31。深井によると、資本の国際移動の自由化や貿易の自由化によって、多国籍企 業は生産活動に有利な地域へとグローバルに展開していき、その結果として、先進国の労 働者と途上国の労働者が雇用をめぐって競争する環境が生まれ、かつ資本の自由化によっ て資本を国内に呼び込むための金融・財政政策を各国に強要し、国内経済に重点を置いて いたケインズ主義的な政策運営を制限する環境が生まれたのである32。すなわち、新自由 主義は、このような世界的な経済構造の変化のなかで「国際競争力」の向上を目指して労 働市場など多くの分野における規制緩和や社会保障分野における市場化の実施などさまざ まな政策を行ってきたのである。

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第2節 新自由主義と「効率」・「公正」概念の関係性

ここからは、前節の新自由主義の定義と成立背景を踏まえて、経済教育においてどのよ うに新自由主義を取扱うかを考察していく段階に入る。経済教育において新自由主義を取 扱うとは、単に用語を知識として教えるだけではなく、新自由主義を概念として捉えるこ とや新自由主義を(生徒自身が)評価することも含まれるのである。それでは、新自由主 義を概念として捉えたり、政策を評価するためには、対象である新自由主義に対してどの ようにアプローチすればよいだろうか。経済教育にはすでに社会的事象への迫り方が存在 する。それは「経済的な見方や考え方」という概念的枠組みである。本節では、経済教育 における先行研究を通して、「経済的な見方や考え方」とはいったい何を指すのかを明らか にする。さらに、「経済的な見方や考え方」を養う上で重要な概念である「効率と公正」に ついても検討を行う。そして、「効率と公正」概念が新自由主義とどのように関係している のかについての考察を行う。

第1項 経済的な見方や考え方を養うための概念枠組みとしての「効率と公正」

社会科教育において目指すべき人間像は、公民的資質を持つ人間である33。公民的資質 の育成は、学校・教室内での学習主体の育成に留まることなく、国家や社会を形成してい く主体の育成までを含んでいる34。よって、社会科教育の一領域に位置づけられる経済教 育の目標は、「経済的公民資質の育成」ということになる35。言い換えると、子どもを含め、

現在私たちを取り巻く経済システムの中で、個人が果たすべき役割を効率的・合理的に遂 行するように導くという、「経済的社会化への援助」ということもできる。宮原悟は、この ことを踏まえて、経済教育の目標を「経済の基本的概念や考え方を学ばせ、さまざまな経 済問題に対して合理的・倫理的に意思決定し、解決しようとする責任ある市民性を育成す ること」とした36。ここでいう経済的意思決定とは「経済問題の把握」「経済目標の確認」

「複数の問題解決方法の提示」「経済目標観点からの問題解決方法の吟味」「問題解決方法 の実行と検証」などのプロセスをたどることである37。このプロセスにおいて決定的に重 要なのは、どのように意思決定をするかという判断基準である。文部科学省『中学校学習 指導要領解説 社会編』(平成20年版)のなかでは、この判断基準を「経済についての基 本的な見方や考え方」(以下、「経済的な見方や考え方」と略す)として示しているととも に、経済学習の最終的な目標としている38。では、「経済的な見方や考え方」とは一体どの ような判断基準なのだろうか。

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文部科学省『中学校学習指導要領解説 社会編』(平成20年版)では、政治や経済につ いての基本的な見方や考え方について、「政治的、経済的な諸事象をとらえる概念的な枠組 みのこと」と捉えている。その上で、「この枠組みが……社会的事象の関連や本質・意義を とらえ説明する政治や経済の基本的な考えや概念もよって形成されていれば、その解釈は より明確なものとなり、社会的事象をよりよくとらえることが可能である」と述べている。

この記述から学習指導要領は、具体的な「見方や考え方」を示していないということが分 かる。そこから「見方や考え方」は授業者の解釈の余地があるとも言えるが、一方でその 基本的かつ重要な点は共有をはかる必要がある。以下では、経済的な見方や考え方に関す る先行研究を通して、「経済的な見方や考え方」の意味と意義を検討する。

猪瀬武則は、「見方や考え方」を「概念的な枠組み」と一括りにした上で、「概念的枠組 み」を、①物事についての概括的な意味内容と、②普遍性、一般性、法則性をもった知識 の二つに分けて考えている39。前者の例として、中学校の「経済活動、経済制度、および それらの機能」に関する知識を中心としたものであり、高校では「基本的な経済理論と概 念」である。それに対して後者の普遍性・法則性をもった概念が経済学の考え方を示す経 済概念である。この経済概念は、経済用語や経済項目とは異なり、経済理論を反映させた 機会費用、限界理論などの経済学特有の考え方を示している。猪瀬はこれらの概念は、経 済学の基本概念である一方で、日常的な認識、直観的な認識とは異なる概念であるからこ そ、習得することが必要になると述べている。また、この概念は、習得すれば、他の社会 事象を説明、解釈することが可能となり、転用性、一般性をもった知識であるとも述べる。

加納正雄は、「経済的な見方や考え方」の中で重視すべきものとして、以下の二つを取り 上げている40。それは第一に、市場経済の理解に関するものである。例えば、需要と供給 という概念や需要と供給に関する知識の活用に関する事柄は、中学校学習指導要領でも「市 場の働きと経済」において、「価格の働きに着目させて市場経済の基本的な考え方について 理解させる」と記述がある。やはり、この箇所でも市場経済の基本的な考え方が明確にさ れているわけではないが、市場の機能や役割については理解する必要があると読み取れる。

加納は、第二に、市場の機能や役割を支える倫理についても理解する必要性も説いている。

つまり、市場経済で生きてゆくために必要な知識やスキルに関するものである。米国の経 済教育では、市場経済を前提とした合理的意思決定を重視している。それに対して、日本 の経済教育は、学んだことを生きていくことや仕事に関連づける意識が希薄であるという。

加納は、経済教育では市場経済において合理的意思決定ができる能力を育成することが必

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要であり、このためには、解決すべき状況を設定して、意思決定や選択をさせる課題が役 に立つと述べている。以上を踏まえて、加納は「経済的な見方や考え方」には、社会の出 来事が相互依存関係であることを認識する能力も取り入れられるべきだと考えている。

以上より、「経済的な見方や考え方」とは、個人が自己の経済的役割を責任を持って効果 的に果たすことができるようにするために、経済概念にもとづく論理や経済倫理を学び、

さらに合理的意志決定を行なうための概念的枠組みといえる。

では、この経済についての基本的な見方や考え方はどのようにして習得を目指すのか。

現行の平成20年版中学校学習指導要領社会の公民的分野では、「現代社会をとらえる見方 や考え方」の基礎として、「対立と合意」、「効率と公正」という概念を用いている。加納は、

「対立と合意」「効率と公正」は、制度や政策の形成にかかわる問題であるとし、特に、「効 率と公正」は、制度や政策の選択や評価の方法として、公民的資質ないしは市民的資質の 育成にとって重要な見方や考え方だと述べている41。先の猪瀬も、「効率と公正」は経済的 な見方や考え方における価値判断に関わる重要な部分であると述べている42。経済教育に おいて新自由主義を取扱うことは、新自由主義に基づいた制度や政策の選択や評価に関す る意思決定を行うことでもある。したがって、本論文で新自由主義をどう取扱うべきかと いう問題に取り組むにあたって、「経済的な見方や考え方」の基礎である「効率と公正」概 念を用いなければならない。以下では「効率と公正」の意味を具体的に検討していく。

『中学校学習指導要領解説 社会編』には「『効率』については、社会全体で『無駄を省 く』という考え方」と記述がある。先の加納は「効率とは、手段(制度や政策)の選択に関 わる概念であり、公正とは、目的や手段自体の価値に関わる概念」と説明する43。なぜな ら効率とは、社会や集団において、有限な資源を無駄なく使用してそれ以上事態を改善す る余地がない状態、すなわち経済学の概念であるパレート効率性を意味する。授業におい ては、生徒に希少性、機会費用といった経済の基礎的な概念を習得させることによってこ のパレート効率についての理解を深めさせなければならない。

一方、公正については、経済学において一義的な定義は存在しないことからも明らかな ように、「公正な手続き」「分配における公正」などの様々な意味合いが含まれている。加 納は、「公正の解釈が人によって異なるため、授業ではそれらを具体的な枠組みに置き換え る必要がある」と述べている44。猪瀬は、学習指導要領にある「効率と公正」について「ロ ールズの功利主義批判と権利に基づく正義の実現(格差原理=経済的不遇への優先的配分)

という枠組みから構成されたといっても過言ではない」と指摘した上で、ロールズの正義

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は、弱者救済では「平等化」(機会の平等と結果の平等、共を含む)であると述べている45 そもそも、学習指導要領にある「効率と公正」の関係に着目した場合、両者の間に概念の 上で何の関係もない並列の関係にあるのか、それとも「効率と公正」それぞれの概念を同 時に追求するような関係にあるのかという問題もある。これは第2章で詳しく考察するが、

あらかじめ結論を言えば、両者は概念上は無関係であるが、「効率」概念はどのような目的 とも結びつくことができるのである。

宮原は、「効率と公正」の関係について歴史から捉える視点を提供している46。すなわち、

経済学史を概観することによって得られる経済理論の特徴という観点から「対立と合意」

「効率と公正」を理解しているのである。宮原は、両者の関係について「『効率と公正』が 効率を優先・実現させる資本主義自由経済か公正・平等を目標とする社会主義計画経済か の試行錯誤や経済体制の選択そのもの」であるだと捉えている。公正のみを突き止めれば、

極端な平等主義に行き着き、社会主義にもとづく計画経済が採用されることになる。しか し、「効率と公正」を経済体制の選択そのものだと捉えると、議論がイデオゴリー色を帯び て極端になってしまい、柔軟な発想を妨げてしまうおそれがある。

ここまで経済教育における「効率と公正」概念の先行研究を概観してきた。しかし、「効 率」概念については十分に定義づけがされているものの、「公正」概念は、その扱われ方が 定まっておらず、授業者のさじ加減で運用がなされる可能性が高い。経済教育においては、

子どもたちの思考を直観や素朴概念から脱却させ、「経済的な見方や考え方」を育成すると いう目的がしっかり定まっているのであれば、教育現場に授業者の発想にもとづく工夫や アイデアが反映されることは、否定すべきことではない。しかし、授業者ごとに「公正」

の解釈が異なっているようでは、「効率と公正」概念から社会的事象を評価・選択すること はできず、結局「経済的な見方や考え方」は主観に基づくものとなってしまうのである。

そこで、本論文では、これらを問題意識として新自由主義という政策の選択ないし評価 をする際に、経済的な見方や考え方の価値判断に関する概念的枠組みである「効率と公正」

概念を用いること、そのために「効率と公正」概念、特に「公正」概念を明確化していく。

2項 新自由主義と「効率」「公正」概念の関係性

前項では、経済的な見方や考え方とは、「経済概念にもとづく論理や経済倫理を学び、さ らに合理的意志決定を行なうための概念的枠組み」であることを確認した。そして、社会 的な見方や考え方の基礎として「効率と公正」概念を紹介し、それがどのような意味と意

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義を有しているのかを明らかにした。本項では、経済教育において新自由主義を取扱う場 合、「効率と公正」概念はどのように関係するのかについて明らかにする。

これまで見たように、新自由主義は個人の最大限の自由を正当化しとうとする。これは 市場メカニズムが働くのであれば、市場の見えざる手によって効率的な資源配分が達成す るとともに、市場の規律づけ機能によって社会の公正性が実現し、さらに国際競争力が向 上すると考えるからである。この議論を踏まえて、深井英喜は、新自由主義の自由概念が 目指しているのは「効率・公正」であると指摘した上で、新自由主義は、「効率・公正」を、

ケインズ主義的な福祉国家体制が目指した「平等・公平」と対立するものとして位置づけ ている47。新自由主義が「効率・公正」を目指すとは、市場メカニズムによって、社会全 体の資源の効率的な使用が達成されるとともに、怠惰や不公正な経済行動には損失という 罰が下されるために、経済主体は規律づけられるという原理が適用され、人々は自分の利 得を最大にしようと利己的に行動することによって、意図せずに社会全体の効率性を高め るとともに公正性も実現するという意味においてである。これを一言でいうと、市場の効 率と市場参加の公正である。たしかに、新自由主義は効率性を重要な価値基準としており、

また自由が無制約に発揮されるように実践が行われるという意味で市場参加の機会は保障 されている。ただし、ここで用いられている「公正」は機会の公正に絞っており、分配的 正義という意味での「公正」は、「平等・公平」と表現されているようである。このように 理解すると、深井が指摘する「効率・公正」と「平等・公平」の対立は、パレート効率と いう意味の「効率」と分配的正義という意味の「公正」の対立と置き換えることができる。

ただし、「効率と公正」概念は、効率は経済学のパレート効率として位置付けることでき るが、公正はさまざまな意味合いがあるので、概念として捉えることが甚だ困難である。

上記の例より、「公正」の取り扱いは、「手続きとしての公正」か「分配としての公正」で 大きくことなることが分かるのである。新自由主義を取扱う際には、「効率」と「公正」そ れぞれから捉えなければならないが、「効率」と「公正」そのものを明確にしなければなら ない。そこで次章では「効率と公正」概念をより厳密に取扱えるようにするために、社会 科学における「効率」「公正」概念の検討を行う。

1 アメリカの近代経済学者たちをその中心的な担い手とする立場であり、ミルトン・フリ ードマン、ジェームズ・ブキャナン、フリードリッヒ・ハイエクなどの論客がその代表 される。

2 仲正昌樹『<学問>の取扱説明書』作品社、2012年、p.208

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3 金森久雄他編『有斐閣 経済辞典第4版』有斐閣、2008年 p.653

4 八代尚宏『新自由主義の復権』中公新書、2012年、pp.7-8

5 八代が想定する「反市場主義」の思想とは、「賢人政治」の思想や伝統的な「共同体重視」

の思想のことを指す。賢人政治の思想とは、政府による資源配分や所得分配の規模拡大 を重視するものである。共同体重視の思想とは、たとえば零細農家や中小企業、郵便局 などを重視し、国内の大企業などとの市場競争から保護すべきとする考え方のことを指 す。さらに、八代は日本においては新自由主義への誤解が蔓延していると主張する。八 代は、「日本では、新自由主義は、『市場原理主義』という、明確に定義もされていない 概念としばしば同一視され、人々の所得格差を拡大させた主因として非難の対象になっ ている」と考えている。そして、八代は、アダム・スミスの唱えた「神の見えざる手」

を、単純に「自由放任主義」とみなすこととも共通しており、逆の考え方の立場からの 一方的な決めつけであると主張する。

6 同上、p.5

7 同上、v

8 服部茂幸『新自由主義の帰結』岩波新書、2013年、p.5

9 荒井一博『自由だけではなぜいけないのか』講談社選書メチエ、2009年、p.53

荒井一博によれば、新古典派経済学とは、次の二つの基本的特徴を有する経済学である。

第一の特徴は、個人の最適化行動を仮定することである。第二の特徴は、市場において 需給が均衡する状態で取引が行われると仮定することである。新古典派経済学はこの二 つの仮定(特徴)を使って、まずすべての市場が均衡する「競争均衡」の存在を証明し、

ついでその競争均衡が効率的であることを示す。これにより、「各経済主体が自己利益を 追求するよう自由に行動すると、経済の資源配分が効率的になる」という命題が導き出 されることになる。この命題を「厚生経済学の第一命題」と呼ぶ。

10 橋本努『経済倫理=あなたは、なに主義?』講談社選書メチエ、2008年、p.73

11 同上、p.73

12 橋本による新自由主義の定義は次のとおりである。新自由主義とは、(1)市場経済のグロ ーバル化によって生じた先進諸国(民主主義と福祉国家の建設において成功した諸国)

の体制がもつ一つの特徴であり、それは(2)結果としての所得不平等を容認すると同時 に、(3)公的サービスの提供の仕方に貨幣原理や選択原理などを導入しようとする。こ こまでが新自由主義の基本的特徴である。以下はその副次的な特徴を述べたものである。

新自由主義の体制は、(4)地域―国家―国際機関の民主的運営を目指すよりも、多国籍 企業の支配力を優先するようなものであり、そこにおいては、(5)物質的な充足を追求 する画一的な消費文化というものが支配的な影響力を持ち、(6)企業が収益性を求めて 行動する結果として、人々の社会的紐帯が脆弱化すると同時に、(7)労働者たちが解雇 をおそれて企業に忠誠を誓うという「従順な主体化」を促している。さらにこの体制は、

(8)社会階層の分断化と階層間移動の非流動化を容認しつつ、(9)人的資本を高めるよう な訓練の機会を十分に提供できないでいるのである。

13 橋本努「(自由論題)新自由主義概念の変容」経済社会学会第49回全国大会、2013 出典:URL: http://www.daishodai.ac.jp/~soes49/C5.pdf(2015212日閲覧済)

14 二宮厚美『ジェンダー平等の経済学』新日本出版社、p.28

15 二宮によれば、新自由主義が福祉国家体制を打倒の対象とするのは、福祉国家の3つの 仕組み(現金給付型の社会サービス保障、現物給付型の社会サービス保障、③公的規制・

ルールの体系)が1970年代後半以降、市場と企業にとって許容しがたい「重荷と足枷」

に転化したからである。

16 国家の規模についてはトマ・ピケティ『21世紀の資本』みすず書房、2014年、pp.489-513 を参照。ピケティは政府の役割について、1980年代以降の富裕国(米国、イギリス、

フランス、スウェーデン)での政策を例に挙げて、「政府の規模はもともと空前の規模」

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であると述べている。

17 デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』作品社、2007年、

18 菊池恵介「格差社会からグローバル恐慌へ―デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』を 導きの糸として」三宅芳夫・菊池恵介編『近代世界システムと新自由主義グローバリズ ム』作品社、2014年、p.50

19 同上、p.50

20 二宮厚美『新自由主義の破局と決着』新日本出版社、2009年、p.140

この問題を経済教育に引きつけて考えると、現在の経済教育において、階級的支配関係 について取り扱う機会はほとんどないのが現状である。たしかに、社会における階級関 係に注目することは無益であるとは言えない。しかし、学校教育においては、さまざま な階層・文化的背景をもつ子どもが学んでおり、さらに学習指導要領において学習内容 が定められているという現状を踏まえると、階級的支配関係として新自由主義を扱う捉 えることは大変困難であると筆者は考える。だた、学問として新自由主義を捉える場合 には、階級的支配関係の視点から捉えることは意義あることなので取り上げた。そうい った視点を学校教育で取り上げることが全く不可能というわけではないが、そのような 視点を相対化して捉えるということは非常に困難であると考える。

21 佐野誠『99%のための経済学 理論編』新評論、2013年、p.2

22 佐野が「この循環構造の結果、利潤率と資本蓄積が長期的に低迷してきたこと、つまり

「民間活力」の利用を謳った新自由主義という名の「純粋資本主義」路線は、日本経済 の活力をむしろ奪うものであった」(p.17)という記述からも新自由主義を否定的に捉 えていたのは明らかである。

23 古典的自由主義については、長谷川一年「新自由主義―市場原理主義と国家の変容」出 原政雄編『歴史・思想からみた現代政治』法律文化社、2008年、pp.4-9を参照。

J・ロックは諸個人の生命・自由・財産の権利を人間の生まれながらの権利、すなわち 自然権として捉えた。

24 二宮、前掲書、2006年、p.29

25 長谷川、前掲書、2008年、p.7

26 同上、p.7

27 ハイエクが『隷従への道』を著し、計画経済は個人の自由を奪う専制主義を必然的にも とらすと論じたのは1944年である。47年にはハイエク、フリードマンなどによって モンペルラン協会が設立された。ケインズ主義、福祉国家に対する反対は、戦後直後に は既に存在していたが、彼らの主張が広く受け入れられることはなかった。

28 服部、前掲書、2012年、p.9

29 二宮、前掲書、2006年、p.29

30 同上、p.29を参照。二宮によれば、新自由主義が福祉国家体制を打倒の対象とするのは、

福祉国家の3つの仕組み(現金給付型の社会サービス保障、現物給付型の社会サービ ス保障、③公的規制・ルールの体系)が1970年代後半以降、市場と企業にとって許容 しがたい「重荷と足枷」に転化したからである。

31 深井英喜「経済思想にみる新自由主義」櫻谷勝美他編『新自由主義改革と日本経済』三 重大学出版、2008p.188

32 同上、p.188

33 公民的資質の具体的な内容に関しては、論者によってさまざまな見解があるが、学習指 導要領においては、平和で民主的な国家の形成者(国民)としての資質と、平和で民主 的な社会の形成者(市民)としての資質のことである。「国家・社会の形成者」とは、

さまざまな社会集団のあるべき関係性を、自己と一つの社会集団の利害を超えて客観的 に考察し、判断できる資質を有する者のことを指す。

34 重松克也「公民的資質」日本社会科教育学会編『新版 社会科教育事典』ぎょうせい、

参照

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