アンリ・メショニックにおける演劇性の概念
──ランガージュの声を翻訳するために
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻 博士課程在籍 森田 俊吾([email protected])
要旨 詩人アンリ・メショニック(1932 - 2009)にとって、あらゆる翻訳行為は言語をリズム化させる
「オラリテ」の実践であった。この「オラリテ」の実践によって翻訳された作品が「朗読」されるときも、
「オラリテ」は実践されるだろうか。また、されるとすればそれはどのように実現されるのか。本発表では まず、「オラリテ」を「演劇性」の観点から捉え直し、朗読における「オラリテ」とはどのようなものであ るかを明らかにしたい。
引用資料1〜14
1. 翻訳行為とオラリテの実践
書くこと、翻訳することは、それらがオラリテ(oralité)の実践であるときのみ達成される。
Henri Meschonnic, La rime et la vie, Verdier, 1989(Gallimard, 2006), p.340.
2. 聖書とオラリテの関係
聖書の言説(discours)は特異である。そこにオラリテがあるからだ。神性への関わりは、このオラリテ から分けることができない。過去の出来事として聖書を翻訳することがもはやできないのはこのためで ある。ここでは、翻訳行為の様態(mode du traduire)と言語の様態は連動している。
Meschonnic, Poétique du traduire, Verdier, 1999, p.427.
3. オラリテとは何か
オラリテとは主体が自らの語り(parole)を最大限にリズム化する、すなわち主体化する意味産出の様態
(mode de signifier)である。
Meschonnic et Gérard Dessons, Traité du rythme. Des vers et des proses, Dunod, 1999, p.46.
4. リズムとは何か
リズムは、もはや音声レベルにおけるアクセントをもつ拍節とアクセントをもたない拍節の交互生起で はない。むしろリズムとは、文字による主体の語りの運動の構造化である。そしてこの構造化の射程 は、言説体系におけるリズムの詩学にまで及ぶ。(下線部引用者)
アンリ・メショニック「リズム」、クリストフ・ヴルフ編『歴史的人間学事典』、
第 2 巻、藤川信夫・田中潤一ほか訳、勉誠出版、2005 年、308 頁。
5. テアトラリテ(演劇性)とは何か
劇の劇化(théâtralisation du théâtre)に対し、声の劇(théâtre de la voix)というものがある。演劇性とし ての言語(langage comme théâtralité)、それは、言語自らの演劇性(sa propre théâtralité)を見出すこと でしか真の言語たりえない。
Meschonnic, Poétique du traduire, Verdier, 1999, p.394.
6. 演劇性とリズム
こうした演劇性は、言語のリズムを発する(faire entendre)声を出すよう呼び掛ける。それゆえ、こうし た言語のリズムの復元に関心のある役者というのは、自らの主体性にテクストを置くことはしない。な ぜなら、彼らはテクストではない、別のものを耳にしている(entendre)からである。
Geneviève Jolly, « La paradoxe du théâtre : un anti spectacle», in Gérard Desson et alii(éd), Henri Meschonnic, la pensée et le poème, InPress, 2005, p.92.
7. 口にすること、聞かせること
おそらく知らずして、トリスタン・ツァラはこう言っていた。「思考は口の中で作られる(la pensée se
fait dans la bouche) 」いやちがう、おそらく彼はこの言葉によって言われていることのすべてを理解し
ていなかった。これはほとんど多くの場合詩(poème)と全く同じなのだ。詩とは、耳にすることのでき ないありとあらゆるものを私たちに向けて発する=口にする(faire entendre)ものだからだ。即座にそれ は、声の演劇性(la théâtralité de la voix)そのものとなる。
Meschonnic, Éthique et politique du traduire, Verdier, 2007, p.149.
8. 言語の中にある身体(言語内身体)
詩は主体を作り出し、主体は詩を作り出す。[…]もし詩の中に、声の中に、こうした伝達性
(communicativité)があるとすれば、声の演劇性や詩の演劇性といったものがあると言えるだろう。事
実、劇は声の演劇性の上演(mise en scène de la théâtralité de la voix)である。詩も同様である。ただ、詩 のときは、身体が舞台上で動き回る必要がないという点で異なる。詩は、言語の中にある身体だからで ある。
Meschonnic, « La voix-poème comme intime extérieur », in Marie-France Castarède et alii(éd), Au commencement était la voix, ERES, 2005 p. 65.
9. 劇とヒステリー
劇とは、複数の身体の中にある言語(le langage dans des corps)で出来ている。この意味で、興味深いこ とだが、劇はヒステリー(l’hystérie)に接近する。ヒステリーは言語の身体化(somatisation) であり、
それは「憑依」と呼ばれるところの現象に近いとも言えよう。
Meschonnic, Ibid., pp.65–66.
10. フロイトのヒステリー
あるとき、ツェツィーリエ夫人は右(recht)の踵の激痛に苦しんでいた。一歩ごとに突き刺すような痛 みが走り、そのために歩行が不可能となっていた。分析によって我々は、この女性患者がある外国の療 養所にいた頃の時期へと導かれた。彼女は一週間自室で床に就いていたが、その後、療養所の住み込み 医者に連れられて初めて会食の場に行くことになった。患者が部屋から出るために医者の腕をつかんだ 瞬間に、その痛みが発声したのである。この痛みはそのときの場面を再現させ、彼女が次の一文を口に した瞬間に消失した。──そのとき私は、知らない人々の中に「ちゃんと登場(﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ rechte Auftreten)」でき るだろうかという恐怖にとらわれていたのです!これは、ヒステリー諸症状が言語表現を介した象徴化 によって発声するのを示す、決定的かつ殆ど滑稽とも言える例である。
『フロイト全集2 1895年 ヒステリー研究』、芝伸太郎訳、岩波書店、2008年、230頁。
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11. 「逆ヒステリー」という考え方
おそらく、オラリテは、話者ではなく、言語の方がヒステリーになるときに存在すると言えるだろう。
オラリテは、逆ヒステリー(contre-hystérie)として、言い換えれば、言語の中にある身体を突き動かす ヒステリーの形式(une forme d’hystérie)として介入する。[…]反対にヒステリーは、身体の中にある 言語を突き動かす。
Meschonnic, La rime et la vie, p.339.
12. 身体から言語に向けられる「逆ヒステリー」
オラリテは、負担を軽減するのではなく、最大限に欲動の負荷(une charge pulsionnelle)をかけていると 言えよう。ヒステリーのように病的なものではなく、その反対である。同じ力ではあるものの、その力 は言語から身体に向けられているのではなく、身体から言語に向けられている。こうして言語の最大限 の効果が発揮される。
Meschonnic, La rime et la vie, p.339.
13. 言語内身体の参照項としてのフンボルトの言語有機体論
おそらくある意味では、連続的なものの歴史はフンボルトにおいて現実に始まったと言える。フンボル トを第一人者とする問いの歴史(われわれの考察も彼が立てた問いによってはじめて開始されたのであ り、それゆえむろんこの問いは「難解な」ものと見なされる)は、言語と文化のあいだの、言語と文芸 のあいだの相互関係に関する問いの歴史である。あるいは、フンボルトはこの問いを、 主体と言語、ま た言語と身体の関係についての問いと同様に考えていた──しかも、これらの関係を示唆し主張するこ と以外何らなしえなかった精神分析学よりも遥かに以前にである。(強調引用者)
アンリ・メショニック「リズム」、312頁。
14. 二つの演劇性(身体内言語の演劇性、言語内身体の演劇性)
われわれは限定された演劇性(théâtralité restreinte)と全面化した演劇性(théâtralité généralisée)につい て語ることができるだろう。限定された演劇性とは、劇のそれであり、モリエールやラビッシュ、コル ネイユ、チェーホフでおのおの異なっている…。そして、われわれは、そこに言語の全面化された演劇 性の表象を見ることができるだろう。
Meschonnic, Éthique et politique du traduire, p.142.
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結論 メショニックは言語が有機体であるという前提に基づいて、言語の中に身体があると仮定した。この
「言語内身体」こそがリズムであるが、この身体が言語に負荷を与える様態のことをメショニックは「オラ リテ」とし、さらにこれを「逆ヒステリー」とも呼んだ。これは、身体の中にある言語、「身体内言語」が 身体に症状を引き起こすというヒステリーの作用を反転させている。また、このヒステリーの作用における 身体と言語の関係は、劇と演劇性の関係に近いともされている。ここから、身体における言語と劇における 演劇性を対比させることで、言語の演劇性というものを考えることができる。「言語内身体」が言語に負荷 を与えるとき、この負荷がかかった言語から演劇性が生じている。朗読は、「身体内言語」としての演劇性 が外の身体にヒステリーとして表出されるのでここにオラリテはない。しかし、その表出されたテアトラリ
参考文献
【欧文】
George Didi-Huberman, Invention de l'hystérie : Charcot et l'Iconographie photographique de la Salpêtrière, Macula, 1982.
Roland Gori, Le corps et le signe dans l'acte de parole, Dunod, 1978.
Geneviève Jolly, « La paradoxe du théâtre : un anti spectacle», in Gérard Desson et alii(éd), Henri Meschonnic, la pensée et le poème, InPress, 2005.
Henri Meschonnic, La rime et la vie, Verdier, 1989(Gallimard, 2006).
Henri Meschonnic et Gérard Dessons, Traité du rythme. Des vers et des proses, Dunod, 1999.
Henri Meschonnic, Poétique du traduire, Verdier, 1999.
Henri Meschonnic, Au commencement, Desclée de Brouwer, 2002.
Henri Meschonnic, « La voix-poème comme intime extérieur », in Marie-France Castarède et alii(éd), Au commencement était la voix, ERES, 2005.
Henri Meschonnic, Éthique et politique du traduire, Verdier, 2007.
Serge Martin, Deleuze, Meschonnic, Régy: la réécriture continuée, Presses universitaires de Caen, 2011.
Antoine Vitez, « A l'intérieur du parlé, du geste, du mouvement - Entretien avec H. Meschonnic », Langue française, Nº56, 1982, pp.24–34.
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【邦文】ジークムント・フロイト『フロイト全集2 1895年ヒステリー研究』、芝伸太郎訳、岩波書店、
2008年、230頁。
水野信男『ユダヤ教の聖歌』、エルサレム宗教文化研究所、1986年。
ミルトス・ヘブライ文化研究所編『創世記 I 』、ミルトス、1990年。
アンリ・メショニック「リズム」、クリストフ・ヴルフ編『歴史的人間学事典』、第 2 巻、藤 川信夫・田中潤一ほか訳、勉誠出版、2005 年、304–318頁。
参考資料1
Henri Meschonnic, Au commencement, Desclée de Brouwer, 2002, pp.27–28.
参考資料2
ミルトス・ヘブライ文化研究所編『創世記 I 』、ミルトス、1990年、2‒3頁。