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レザノフ『日本語学習の手引き』第9章「会話」篇か らみた18世紀末石巻方言の敬語
江口, 泰生
岡山大学大学院社会文化科学研究科 : 教授
https://doi.org/10.15017/1462195
出版情報:語文研究. 116, pp.61-78, 2013-12-26. 九州大学国語国文学会 バージョン:
権利関係:
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レザノフ『日本語学習の手引き』第9章「会話」篇から みた18世紀末石巻方言の敬語
江 口 泰 生
1 『日本語学習の手引き』第9章「会話」篇とは
ロマノフ王朝時代のロシア人外交官、ニコライ・ペトロヴィチ・レザノフ
(Nikolai Petrovich Rezanov 1764年~1807年 ) は、1803年に日本語の教科書
“Руководство къ познанiю Японскаго языка содержащее азбуку, перьвомачальныя
Грамматическiя правила и разговоруы”(『日本語学習の手引き ―
アルファベッ ト、初級文法、会話―
』)を著した。レザノフが日本語を収集するに際し、調 査したのは仙台漂流民で石巻出身の善六であったと考えられている(ボンダレ ンコ 2000・田中継根 2001など)。書物が完成したのは19世紀に入ってからだが、善六たちの言語習得期は18世紀後半であるから、18世紀末の言語を反映した記 録とみなせるのではなかろうか。方言語彙・カ行タ行の有声化(江口 2010)・マ スとマスルの相違(江口 2012)などの言語現象から、規範的に整理された部分 もあるものの、レザノフ資料が東北方言を反映することも明らかになってきた。
この『日本語学習の手引き』の第9章に「会話」篇がある。会話例文集366例 が掲載されている。宮城県図書館にマイクロフィルムがあり、閲覧することが 可能である。本稿でもマイクロフィルムを参照した。また田中継根 2001に翻 刻・翻訳されたので、日本語研究の立場からも論ずることが容易になった。
レザノフ資料「会話」篇には以下のような特徴がある。以下、日本語訳は基 本的には田中 2001によるが、江口が訳した場合には特にその旨を記すことにす る。日本語部分はキリル文字を漢字カタカナ表記に直して掲げた。
対話形式であること、ロシア語例文によって文脈が特定されること、「マス ル」のように日本語文だけに加えられた敬意表現があること(1「Доброе
утро.」
(お早うございます)に対してう「今朝ハ 良イ 凪デ ゴザリ マスル」のよ うに)、音素文字で表記されているので語形が良くわかることなど、外国資料と して注目すべき資料といえると思う(注1)。
そこで本稿は特に敬語に注目したい。なぜなら、ナサル・クダサル・オメシ ナサレ・シャル・マイル・イタス・モウス・ゴザル・マス・マスル・マシ・マ シタ・マシテモ・マセン・マショウ・マスレバなど多くの敬語形式が出現する
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からである。東北方言を反映し、対話形式資料で、多くの敬語形式を有する資 料はそれほど多くない。本稿の目的は、これらの敬語諸形式の個々の用法を分 析し、それらを統合することによって18世紀末の石巻方言の敬語体系を明らか にし、そこから逆に中央語史への展望を論じ、方言研究や敬語研究に寄与する ことである。
なお敬語の分類については、菊地康人 1994が主張するように、敬意の方向、
補語の内容によって分類し、特に「謙譲語」を「謙譲語」「丁重語」に分ける。
実際には標準語のような、自分の動作をへりくだることによる「丁重語」は出 現しない。また名詞は対象としないので「美化語」は特に区別しない。
2 Ⅰ類(聞き手への尊敬語)
まず話し手以外の動作についての敬語について、いわゆる「尊敬語」を調査 するが、標準語の「尊敬語」とは内容に差があるので、Ⅰ類としておく。本動 詞としてはナサリマス・ゴザル・クダサレが用いられる。動詞に接続する補助 動詞としてナサル・クダサレが用いられる。助動詞としてシャル・サシャルが 用いられる。
▼ナサル ナサルは活用としてはナサリマスナ、ナサリマシ、ナサリマシタ(連 用)、ナサルカ(終止連体)、ナサレ(命令)が出現する。これより四段型に活 用したとみられる。湯沢 1954:130ではナサルが下一段とラ変に活用したとあ るが、『日本国語大辞典 第二版』ではより詳細に近世初期上方語では下二段や 四段で活用し、近世後期江戸語では四段活用が普通と記述する。したがって少 なくとも活用の面では江戸語式であるとみて矛盾はない。
ナサルは活用語連用形か動作性名詞(ヲがある場合もある)を前接し、後ろ にマスを下接して用いられた。
それなら 油断をなさりますな(128) お前様 良く 私をご馳走なさりました(105)
マスを後接しないナサルカが1例ある。
聞かせなされ まし、なんに なりとも 私の ことどもを 言い なさるか(239)
元となったロシア語文 “Скажите, что пронасъ говорят?”(言いなさい、なぜ私 のことを言うのか。江口訳)の下線部で、直訳すると「Tell me, what they say」
の後ろの「say」の部分である。что(=
what)節の内側で用いられたものなの
で、文末の敬語の支配を受けない従属節内でのみ、ナサル単独で用いられたの であって、それ以外はナサリマスで用いられるので、ナサリマス全体でひとま とまりと考えた方が良いかもしれない。( )
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ゴメンナサリマシ(106)という例がある。食事を見守った主人の言葉104「あ なたは塩気のものをたくさん食べました」(江口訳)に対して、客が「大変ご馳 走になりました」というか、「どうか怒らないで」(=
Не погневайтесь、江口
訳)というか、どちらかを答えるという例文の一方で、ゴメンナサリマシは後 者にあてられた日本語である。マシが出現するのは、御免ナサリマシと安堵イ タシマシの2例のみで、いずれも聞き手に許しを求めたり、聞き手に安堵を勧 めたりする場面で用いられている。このことからマシはマス命令形マセよりも 用法がきわめて狭く、聞き手の心情変化を求める表現として特化した言い方と 考えられる。「他人にあやまる時に言うことば」としては「コレハごめんなさ い」(噺本-無事志有意 1798『日本国語大辞典 第二版』)が挙げられているが、年代的にも本例は聞き手に許しを求める謝罪表現のごく初期の例と言えるので はなかろうか。
▼ナサレル すべての例が聞き手の動作が話し手に直接に及ぶ例なので、前項 ナサルに助動詞レルが接続した形式とするのが良いと思う。下一段活用型であ る。本動詞、補助動詞ともに話し手が聞き手から恩恵を受ける場面に用いられ る(次例参照)。
おまえ様 たくさんに 私を 喜びを なされました(249)(=あなたは私をずいぶん喜 ばせてくれました)
聞かせなされ まし、なんに なりとも 私の ことどもを 言いなさるか(239)(=私 たちのことをどういっているのですか?)
▼クダサル 本動詞用法(2例)は命令形のクダサレのみが出現し、補助動詞 用法(2例)は動詞テ形+クダサレで用いられる。しかも聞き手の行為が必ず 自分(話し手)に及ぶような場合のみである。意味的には命令というよりはむ しろ恩恵を請う表現に近いと思われる。
下され 硯を私に(139)(類例344)
大方 私 あの人を 見ます おまえ様 言いつけて くだされ あの人に おまえ様 ほ しく ござりました あの人を 見ましても(018)(類例283)
▼シャル/サシャル シャルは四段系統の動詞未然形に接続している。禁止と 命令のみ出現する。
命令シャレ8例 酢を 注が しゃれ(087)(類例111 137 142 143 152 155 180)
禁止シャルナ4例 嘘を いわしゃるな(287)(類例228 229 258)
シャルは上方と江戸では用法に相違があった。上方ではシャルは次第に用法 を狭め、江戸後期では「すべて他称の動作に使用した「しゃる」でこれが一般
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( )75四
的用法…(中略)…命令形だけは対称の動作に用いる」という状況であった(山 崎久之 1963:785や同:593)。一方、江戸では「客相手の商売人・老人・武士」
の間で使用され、命令形のみ町民の間に普通に用いられたらしい(湯沢 1954:
387)。また江戸では連用形の例も報告されている(小松 1971)。
しかし本資料のシャルは上方と江戸、両方とも異なる。本資料では用例数も 多く、有力な敬語であったと思われる。こうした点は上方語と相違する。一方、
本資料では前掲のとおり命令シャレと禁止シャルナの二用法であったと思われ る。ここは江戸語シャルとの大きな差異である。
サシャルはサ変動詞についた1例のみである。先行研究(湯沢 1954:388や 小松 1971)と同様、一段系統の動詞に接続する。出現するのは禁止の例のみで ある(注2)。
さいさい 案じ さしゃるな(236)
以上のとおり、Ⅰ類の場合、語形は江戸語や上方語と同一であっても、用法 や活用などにおいては相違している点が多い。その中でもっとも注目されるの が、本資料のⅠ類はほとんどが命令、禁止、恩恵を乞う表現に限られるという 点である。「対話資料だからだ」という反論もありそうだが、必ずしもそうでは ない。以下のように第三者の行動を客観的視点から述べる例もあり、こうした 例にはⅠ類がまったく用いられていないからである。
あの人どもは 早く 行きます?(182)
あの人は 書きました おまえの あまり 良くなく(251)
命令、禁止、恩恵を乞う表現は行為要求表現としてまとめることができる。
Ⅰ類が行為要求表現に偏っていることは、実は偶然ではなく、重要な意味があ るのではないか。この点については5節で述べる。
3 Ⅱ類(狭義の謙譲語)
話し手自身(及びその身内)の動作の敬語をⅡ類とする。いわゆる「謙譲語」
「丁重語」類であるが、本資料には「丁重語」は見当たらず、用例は「狭義の謙 譲語」に偏る。このように「謙譲語」「丁重語」と相違するのでⅡ類としてお く。本資料にはモウス・イタス・マイルが出現するが、その用法や例の数は標 準語とは相当に異なっている。
▼モウス モウシマス1例、モウシシラセマス1例、全てにマスが下接する。
聞き手に直接に「言う」意の謙譲表現として用いられる。他にモウサレマセン 2例があるが次項で扱う。
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― ―74五 お礼を 申します おまえ様に(267)
私 おまえ様を 申し知らせません(228)(=私はあなたのことを探ったりしません 江口訳)
▼モウサレマセン モウサレマセンの問題はその用いられ方である(注3)。モウスに 尊敬用法を認める立場(山崎 1963:361 大石初太郎 1964、宇野義方 1977など)
と、また丁寧語として扱う立場もある(古くロドリゲス『日本大文典』や湯沢 1954:172や小松 1971:359など)。後者はモウスが東国や江戸語で丁寧語とし て用いられたことを指摘している。亀井孝 1986は丁寧語のマスの成立には東国 で行われていた丁寧語モウスとの意味や語形の牽引があったと推定している。
私 これは 申されません(223)Я сказать не могу=(秘密なので)それは言えない。江口訳。
おまえ様 なんに なりとも よきように 申されません(234)выхотькогоуговоритъможете
(=あなたは誰でも説得できるでしょう。)
233は話し手の動作、234は聞き手の動作であるから、モウサレルを前者は尊 敬語、後者は謙譲語のように扱うこともできるが、後述マイルのように敬意の 視点が定まってないことになり、矛盾が生ずる。先行研究のとおり丁寧語とし て用いられていたのではなかろうか。意味的にみると、223は「秘密をばらすこ とは出来ない」、234「説得できない(注4)」のように、どちらも不可能表現として用 いられている。対応するロシア語「могу」「можете」も可能表現である。現代 語には「とても言えない」「よう言わん」のように言及が不可能であることに特 化した表現が存在するが、こうした類ではないだろうか。
▼イタス 10例全てマスを下接し、イタスで言い切る形はない。8例は前接語 に名詞(ヲ格を伴う場合もある)や動詞連用形を受ける。話し手の動作に用い られ、その動作が聞き手に及ぶ場合に限られる。したがって「丁重語」として の用法はないと考えられる。
ヲ 格 名 詞 おまえ様に 何なりとも わるいことを いたしましても(194)
漢 語 名 詞 承知 いたしました、ご了見を(161)(類例194 235)
動詞連用形 おまえ様がたを 剥ぎ取り いたしましても なります(129 229)
そ の 他 私 おまえ様を 当て事に いたします(191)(類例337)
一方で、イタスを聞き手の動作に用いた例が2例ある。最初の例は「(あなた が)私どもに邪魔をいたしますまいか」という例なので、聞き手の行動である。
私どもに 邪魔を いたします まいか(247)
湯沢 1954:167はイタスを第三者の動作・状態に用いた例を指摘し、謙譲語 として認めず、丁寧語として処理している。本稿も同様に、スルの丁寧語とし て扱ったほうが良いのではないかと考える。二例目もその根拠となる(以下)。
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( )73六 安堵 いたしまし(193)(=ご安心下さい)
聞き手の行動なので既述Ⅰ類の106「ごめん なさりまし」のような例からす ると「△安堵なされまし」が期待されるところである。しかし実際には「安堵 いたしまし」のように、イタスを尊敬語のように聞き手の動作に用いる。この 点もイタスを丁寧語として扱ったほうが良いと考える根拠である。また「安堵 イタシマシ」は、マシで終止する文型であるが、Ⅰ類で述べた「御免なされま し」のように聞き手の心情変化を促すものである。本例もそうした例の一つで、
本資料では慣用的な挨拶表現だった蓋然性が高い。
▼マイル 全8例中、6例は話し手(私)が聞き手のところへ移動する本動詞 である。
私 明日の 朝に 早く 参りて おまえ様聞かせましょう(285)(類例067 107 185 340 355)
1例が動詞+テマイルのように補助動詞として用いられている。
私どもの 書物は 持って 参っても 法度で ござりまする(357)
以上からすると「行く」相当の謙譲語であるが、他に1例、聞き手が話し手 の場所へやってくる動作に用いた例がある。
ときときに 参ります か ここに?(338)=あなたはしばしばここにいらっしゃるつ もりですか?
338はロシア人と日本人の対話の場面で、日本人の言葉である。「ロシア人で あるあなたが、日本のここに毎年いらっしゃいますか」の意味である。聞き手 の動作に用いられたマイルは現代語の基準に照らせば誤用ということになるが、
そうではないのではないか。古くはマイルを尊敬すべき人の動作に用いる例が みられるからである。例えば「おめが参たらば」(『虎明本狂言』鼻取相撲)の ようにである。338がこのような例だとすると、マイルは尊敬語の用法も持つと いうことになる(注5)。しかしある場合は謙譲語、ある場合は尊敬語として処理する のには問題がある。以下のような例がある。馬と馬車(駕籠)で郊外へ遊びに 行くという場面で、184「あなたはすぐにお宅に着きますか?」という質問に対 して、185に「夕方までには必ず着きましょう」というロシア語例文がある。185 に対して日本語訳は「晩方は違いなしに参りましょう」と訳している。「着く」
にマイルを当てており、到着点(お宅)に視点が置かれている例である。また 別の例340「выезжатъ изъ отечества」(直訳すると「祖国から出る」)を340「マ イリマシテモ(маиримаштемо=
mairimashtemo) 故郷ニ」と訳している。こ
の場面は「法律では日本から出国することが禁じられている」という場面であ( )
― ―72七
り、「故郷より参りましても」というつもりで訳を施したことになる。以上から みると、マイルを「行く」の意か、「来る」の意か、どちらか一方に決定するこ とがとても困難なのである。マイルは「行く」「来る」両方の意味で使用されて いたのではなかろうか。
さてこのことはさして珍しいことではなく、現代日本語でも「さあ参りましょ う」(=行く)とも言えるし、「昨日、こちらへ参りました」(=来る)とも言え るので同様である。しかし決定的に異なるのは、現代日本語の場合、マイルは 謙譲語として話し手側の動作として固定されている。話し手側の動作として固 定されているから、「行く」でも「来る」でも混乱しないのである。それに対し て、本資料のマイルは前掲285のように話し手の動作にも、338のように聞き手 の動作にも用いられているという決定的な違いがある。本資料のマイルは方向 の視点が欠如していて、しかも話し手の動作にも、聞き手の動作にも両方に用 いるということになると、マイルがはたして尊敬語や謙譲語として十分な機能 を果たせていたかどうか、はなはだ心もとないのである。このような点からす ると、マイルは視点の固定がなされていなかった、すなわち「行く」「来る」の 丁寧語として話し手の動作にも聞き手の動作にも用いられていたと考えるしか ないのではなかろうか。
以上をまとめると次のようになる。標準語と対応してⅡ類に相当する形式は モウス・イタス・マイルである。しかし、イタスはイタシマス形でスルの丁寧 語として、マイルも「行く」「来る」の意味の丁寧語として用いられていたと思 われる。モウスの場合、モウサレマセンは不可能表現に偏っており、しかも丁 寧語として用いられた可能性が高い。唯一モウシマス1例のみ謙譲語として使 用されていたようである。さらにまたⅡ類の特徴としては、所属語彙が極めて 少なく、用例数も少ないことが指摘できる。その所属語彙もさらに仔細に検討 してみると、話し手の動作にも聞き手の動作にも両方に用いられることが多く、
丁寧語とみなしたほうが良い場合が多い。確実なものはモウシマスのみである。
Ⅱ類は安定的に用いられていなかった蓋然性が高いという結論が導けそうである(注6)。
4 Ⅲ類(丁寧語)
Ⅲ類は聞き手へあらたまりを示す敬語である。いわゆる「丁寧語」に相当す る。ゴザル・マス(マスル)・ゴザリマス・オマスがある。オルが敬語に属する かどうかは検討する必要がある。オルに関連して存在詞を含む形式、テゴザル、
テイル、テオルもあわせて考察する。
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( )71八
ゴザルには本動詞ゴザルが11例、補助動詞が24例ある。動詞用法は必ずマス が下接する。マスには、動詞+マス系統(マス160例 マスル46例 マシ3例 マシタ62例 マシテモ16例 マセン55例 マショウ14例 マスレバ5例)があ る。ゴザルとマスが複合したゴザリマスには(ゴザリマス66例 ゴザリマスル 14例 ゴザリマセン18例 ゴザリマシタ5例 ゴザリマショウ1例)がある。
オマス1例、オル9例がある。マスとマスルの相違については江口 2012に詳細 は譲り、ここではその概要とマスルの敬語体系での位置づけについて述べる。
▼ゴザル 本動詞用法のゴザルはマスを下接してゴザリマス形で使用され、「存 在」「所有」の意味で用いられる。他人以外に自分の子供や女房にも用いている 点からすると、意味的にも尊敬語ではないと思われる。ゴザリマス全体で一語 として丁寧語と考えたほうが良いと思う。湯沢 1954:206、辻村 1968と同様の 考えである。
(ア)存在(有無)5例 この 米は 香りが ござります(051)(類例167 205 214 209)
(イ)存在(数量)3例 ここの 城に いかほど ござりまする 商人は?(220)(類 例058 062)
(ウ)所有8例 おまい様 女房 ござりますか?(288)(類例289 290 293 294 140 141 278)
(エ)否定の応答1例 ござりません、尋ねつきません(151)
先行研究では江戸後期には音便形ゴザイマス形とそれから転化したゴゼエマ ス形が出現しており、湯沢 1954:206によれば特に江戸語では音便形が普通の 言い方、ゴゼエマスがぞんざいな言い方、ゴザリマスが特に丁寧な言い方とす る。本資料では非音便形ゴザリマスがすべての場合に用いられていて、これが 通行の言い方であったと思われる。結論を先取りすると、現代東北方言では佐 藤亨 1982や本堂宏 1982で「ゴザリス」という語形が報告されていて、音便化し ていない。音便形の有無でいうと、本資料の非音便形ゴザリマスは東北方言と 対応していると考える。
また形容詞連用形に接続する例が59例ある。形容詞連用形はウ音便を生じた 例がない。上方語ではウ音便になることが普通で、この点も従来の資料とは相 違する。湯沢 1954:274では「うれしうござんす」などの例もあるので、江戸 でもある程度ウ音便が用いられたようにみえるが、口頭語では非音便形であっ ても文章にはウ音便で書いたものかもしれない。現代東日本では「おはようご ざいます」など、挨拶表現ではウ音便が生じるが、それ以外では生じない。こ
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― ―70九 れと対応していると思われる。
ゴザルの補助動詞用法のうち、マスがつかない言い切り用法が二種類ある。
一つ目が形容詞を受ける場合である。この場合、「はなはだ」のような話し手の 主観を担い、程度を修飾する副詞が多く共起するので、話し手の断定といった 主観的表現になっているのではなかろうか(次例)。
これは まったも 広く ござる(061) これは 本に はなはだ 良い銅 ござる(063)
時分は はなはだ 良く ござる(157) はなはだ 遠く ござる(203)
子は はなはだ 良く ござる(204)
二つ目は「欲しく」に接続する場合である。この場合、「欲シゴザリマス」に なる場合と「欲シクゴザリマス」になる場合がある。煩雑であるが、全パタン を掲げる。
• 「欲シ ゴザリマス」2例。いずれも「私」を主語とする。
私 欲し ござりますれば おまえ様方の 言葉を 書物に(354)(類例362)
• 「欲シ ゴザル」3例。いずれも「私」を主語とする。
私 欲し ござる 飲んでも(083)(類例283 330)
• 「欲シク ゴザル」1例。「オマエ様」を主語とする。
なぜまた おまえ様 知っても 欲しく ござる?(253)
• 「欲シク ゴザリマス」2例。「オマエ様」を主語とする。
おまえ様 欲しく ござりますれば、なりましょう(272)(類例328)
• 「欲シク ゴザリマセン」7例
欲しく ござりませんか お餅を?(077)(類例095 093 115 116 156 232)
• 「欲シク ゴザリマシタ」1例。「私」を主語とする。
私 ひやしく 欲しく ござりました おまえ様を 見ましても(038)
これらをル形かタ形か、肯定か否定か、一人称か二人称かで分類すると次表 のようになる。
ル形 タ形
マス形 言い切り ゴザリマシタ形
肯定 私 欲し ござります
2例 欲し ござる 3例 欲しく ござりました 1例 オマエ様 欲しく ござります 3例 欲しく ござる
1例
×
否定 欲しく ござりません 7例
×
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一〇69
否定や二人称においては省略のない普通の形式「欲しく」が使用されている。
また過去の出来事を描写したタ形においても「欲しく」が使用されている。つ まり客観的な描写の場合には「欲しく」が用いられている。逆に「欲し」が出 現するのは、一人称肯定のみである。「欲しござります」が話し手の願望表現と して意味を限定されていたのではなかろうか。「欲しく」ではなく短縮した形式 が用いられていることも意味があろう。意味が限定される際に形式の短縮が生 じることはよくある(テイル→テル、テシマウ→チャウなど)。また形容詞の語 幹「欲し」になることで、話し手の直接的な感情が表出されやすくなるのでは なかろうか(「さむっ」「キモっ」のように)。「欲しござります」は意味と形の うえで話者の願望表現として文法化したということになろう。また表からゴザ ル言い切りは肯定のみに用いられていて、言い切りが話し手の断定表現に用い られていることもわかる。
▼マス・マスル マスとマスルの相違の詳細については江口 2012に讓るが、以 下の違いを述べた。形式や用例数の多さからみてマスが普通に用いられた形(無 標)で、マスルが特殊な形(有標)であったこと、会話の場面という点におい ては挨拶の冒頭にはマスルが用いられること(例 今朝ハ 良イ 凪デ ゴザリ マ スル 再掲001)、公式な報告など丁重な場面ではマスルを使用すること(例 こ れは 内緒の、どの 他国の 人に 言いつけまする 法度でござります225)、話題として は、きわめて上位者、たとえば政治と関係した固有名への質問の場合はマスル が用いられること(例 光太夫は 私どもの 商人で ござりまするが ロシアの国に 行 きました あの人のことを 言いまする この世の 幸せを 334)、またマスルは一人称 の場合は依頼(例 私 願いまする 油を088)、二人称の場合は「オマエ様」「アナ タ様」のように聞き手をあらたまって扱う場面などに持ちいられること、疑問 の種類においては
y-n
疑問よりwh
疑問のように、疑問が聞き手に求める情報量 が多い場合はマスルが選択されること、聞き手の友人・奥方についての疑問の ように、聞き手も含めてあらたまりを示す必要がある場合、マスルが用いられ やすいこと(例 おまい様の 御ないほ様(内方様) 御息災で(di) ござりまするか 022) である。以上を総合すると、マスルがマスよりもより丁重なあらたまった表現 であったと考えられる。このマスとマスルの相違で非常に興味深いのが、マス ルが第三者を話題とする敬語として用いられる点である(前掲334の「光太夫」の例)。詳しくは5節で述べることになるが、本資料が反映する敬語体系は聞き 手への行為要求や聞き手に及ぶ話し手の行為に限られ、基本的に第三者への敬 意表現が見られないというものである。その例外的なものが上記、すなわちき
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― ―
一一68
わめて上位者の第三者を話題としたときにマスルが使用されるという用法なの である。これについては、敬語体系において通行の形はマスであって、マスル は特殊な場面に用いられる有標形であったことが関係してないだろうか。すな わち本資料の敬語体系は基本的には第三者への敬意表現には用いないというも のであるが、マスルがマスへ移行したのち、古めかしい言い方マスルを用いる ことによって特に重々しさを出現させたと考えるのである。この点については
「テゴザル、テイル、テオル」のところで再度述べる。
▼オマス 存在(有無)「ある」を表す動詞である。 案じる こと おません(169)
オマスは「寛政ごろ大坂新町の遊郭で通行していた遊女語であったが、文政 ごろから一般町人の言葉デヤスを凌駕して用いられるようになり、現在は京阪 地方などで用いられ」(『日本国語大辞典 第二版』)、現在では西日本的な語で ある。本資料で例が1例のみなので、大いに使用されたとは考えられないが、
東北でも限られた層で使用されたのかもしれない。というのは、この例は、166
「どこに 朝はんをくいましょ 私どもは?(どこで昼食を食べましょうか?)」
→167「あっちに ござります 茶屋は(=あそこに飲食店があります)」→168
「なりますまいか あっちに 何でも 尋ねて?(=あそこで何かみつけられる でしょうか?)」→169「当該例(=勿論です)」という場面で用いられており、
飲食する場所を探す場面であることから、茶屋などの商売言葉として用いられ ていたものが訳にあらわれた可能性もある。また「案ずるより産むが易し」は 良く用いられていたらしく(案じたより産むが易いと世の諺『春色梅児誉美』)、
その否定表現として「案じることおません」という慣用句で用いられていた可 能性もある。千石船や廻船が寄港する土地では京都の言葉が話されるというこ とがあるらしい。別の寄港地の事例になるが、青森県の下北半島の西、佐伊村 は近世期には廻船や北前船の交流で大変栄えた港町である。村の渡邊隆一氏(村 山七郎 1965の佐井村渡邊村長のご子息)からは「佐井村の挨拶は京言葉に近い」
と伺った。以上の考察からすると、善六は石巻出身であるが、石巻は当時貿易 港として栄えていたので、関西の流行語を取り入れるということも可能だった かもしれない。これが認められるならば、逆に18世紀末にオマスが茶屋などの 言葉として石巻で用いられていた可能性を示す例として注目しても良いのでは なかろうか。
▼オル(動詞) オルは本動詞2例、補助動詞テオル7例がある。本動詞、補助 動詞ともにマスが下接して用いられる。人間の動作にのみ用いられるので、オ ルの意味が生きている。アスペクト専用形式にはなっていないと思われる。本
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一二67
動詞用法は以下のとおり。
その時分に どこに おりました おまえ様がた?(125) ……二人称 どこに おります あの人は?(121) ……三人称
オルは西日本に広く分布する形式で、徳川 1979などでは東西対立分布をなす 言葉として扱われるが、日本言語地図53には宮城県仙台などでオルが報告され るほか、金水敏 2006も東日本にもオルが存在したと推定している。ただし西日 本のオルとは用法を異にするようである。
121・125の例は道に迷った使者(おそらく貴族相当)を迎える場面である。
本動詞のオルには二人称・三人称の例しか見当たらないことが特徴的で、尊敬 的意味があったかもしれない。迫野 1998:226は上方語から取り入れたとし、金 水 2006:233では武士言葉として品位のあるオルが用いられたと指摘している。
普通に用いられているイルではなくて、第三者の動作・状態に体系外のオルを 用いることで特に重々しさを出現させた例なのではなかろうか。普通に用いら れる形式でないものを利用してある種の重々しさを表す用法は前述マスルにも 通じる点がある。
▼テゴザル・テイル・テオル オルの本動詞用法、ゴザルの本動詞、形容詞+
ゴザル用法については前述した。他にテに接続する存在動詞の形式がある。オ ルやゴザルとの関係でこれらは別個に扱う必要があると思われる。
テゴザルの補助動詞的用法は、動詞に制限がある。動詞はすべて(3例)「揃 う」である。「揃う」は動詞の意味としては状態を表していると考えられる。し たがってテゴザルは状態表現専用といえるが、動詞「揃う」に偏っているので 語彙的な制限があったとみられる。
そろうて ござりますか 書き物(153)(154 190)
次にテイルである。テイルの例は1例あるが、「揃オテイマス」(114)という 例である。要するに「揃う」の場合テイル・テゴザルに集中するのである。前 項と同様に「揃う」という動詞は人の動作というより事物の状態を表す意味が 強いと考えられる。
次にテオルの例は以下のとおり。
私 おぼえて おります 内緒の ことを なりましても(237) …一人称
おっかなく 思わしゃるな、わたくし 知っております 吟味の よいことを おまえ様に
(258)……一人称
私 思います、小さい 娘は 大きに 私に 似ております(303)…一人称(身内)
おまい様は 持って おります おおきに 宝を(317)……二人称
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一三66
あの女は 兄に 顔が 似ております(305)……三人称
あの人どもは おまい様を 方に ついております(248)……三人称
そのうえ、私の 御公方様は 手前の 心で 良いか 悪しいか 知っております(261)
…三人称
テオルは「私」や身内など一人称に用いた場合と、「オマエ様」「御公方様」
など、二・三人称に使用した場合とで意味が異なるかもしれない。というのは 前者の場合、「覚エテオル」「知ッテオル」「似テオル」に用例が偏る。これらの 動詞は中世末期の大蔵虎明本狂言などでは「覚えた」「知つた」「似た」のよう に多くタ形で用いられる。これらのタ形は現代語テイルに相当する状態表現だっ た可能性が高い。動詞の語彙的意味に制限されたアスペクト形式だったのでは なかろうか。またテオルの二・三人称の場合、「あの女」「あの人ども」が主語 となっているように敬意は見られない。「似る」「知る」「持つ」「付く」のよう に知覚にも物にも使用されたと思われる。以上をまとめると下表になる。
テゴザル テイル テオル オル
事物 状態 状態
× ×
人 一人称
× ×
状態(知覚)×
二・三人称
× ×
状態(知覚と事物) 尊敬こうしてみるとテゴザル・テイル・テオルなどのテ形は、「揃う」など事物の 状態を表す動詞の場合テイル(テゴザル)、「覚える」「知る」「似る」など人間 の知覚を表す動詞の場合テオルという分担が不完全ながら存在したことになる。
アスペクト形式が人に関するものか、物に関するものかで二分される傾向が一 時期あったかもしれない。
また今後さらに検討を要するが、前述マスルと考え合わせると、存在にはオ ル、動作には動詞+マスルといったように、普通ならばイルやマスを用いると ころに、ことさら古めかしい言い方を用いて第三者の重々しさを出現させると いう、非常に不完全でかつ消滅寸前の敬語の仕組みが浮かび上がってくる。敬 語体系の中で第三者への敬語はこれらだけであり、用いられる語形も特殊なの で、畏怖畏敬の存在(たとえば神のような)に対して、通行よりも古い言葉を 利用して重々しさを出現させるという仕組みが、この方言の敬語の枠組みとは 別に存在した可能性があろう。
5 18世紀末石巻方言の敬語体系
以上をまとめると後掲(表1)が得られる。Ⅰ類には命令、禁止や恩恵を乞
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一四65
う表現など、聞き手へ直接に働きかけ、行為を要求する用法が主である。Ⅱ類 はⅠ類やⅢ類との差がなく、イタスはイタシマス形でスルの丁寧語として、マ イルもマイリマスの形で「行く」「来る」の意味の丁寧語として用いられていた と思われる。モウスの場合、モウサレマセン全体で不可能表現として用いられ た可能性が高い。唯一モウシマスのみ謙譲語として使用されていたかもしれな い。またⅡ類は話し手から聞き手へ直接に行動が及ぶ場合の意志表現に限られ ている。Ⅱ類は用例数も少ない。つまりこの方言では、尊敬語については、聞 き手への行為要求表現に偏り、謙譲語についてはあまり使用されていないか、
話し手の動作が聞き手に直接に及ぶ場合に偏っているということである。こう した中にあってこの方言で有力な敬語は丁寧語マスを用いる方法だと思われる(注7)。 ここで想起されるのが、東北方言の敬語である。菅野宏(国書刊行会 1982:
390)によれば福島県では尊敬の形式としては「命令形・禁止形が主」であると いう。本堂寛(国書刊行会 1982)によれば岩手県では謙譲語には「依頼表現」
が見られ、尊敬語は盛んではなく、丁寧の終助詞スで表現し、尊敬語と区別し ないという。佐藤稔(国書刊行会 1982:295)によれば秋田県では丁寧の終助 詞のスのみを指摘している。つまり東北方言では尊敬語は禁止や命令に偏り、
謙譲語はあまり盛んではなく、用いるとしても依頼表現ぐらいであり、敬語の 主要な方法は丁寧の終助詞スを用いるというものなのである。これらの指摘は 本資料とよく似ている。スの語源はマス(→ンス)であろうというのが通説で あるから、本資料の敬語形式マスをスに対応させてみれば、本資料は東北方言 体系を如実に反映しているのではなかろうか。
ただし相違もある。福島県では尊敬には命令・禁止のみが指摘されているが、
本資料ではそれ以外の行為要求表現も出現していた。岩手県では謙譲語に依頼 表現が指摘されているが、本資料では話し手の動作が直接聞き手に及ぶ場合に 限られていた。本資料のⅠ・Ⅱ類は話し手と聞き手の間でやりとりされる表現 全般に及んでおり、その点、現代東北方言よりもかなり整然とした体系を有し ているということになる。
それにしてもなぜ行為要求表現への偏りがあるのであろうか。一つの解決法 になるのが奈良時代の敬語体系との対比である。奈良時代の敬語については本 稿の主題ではないので、三省堂『上代語辞典』や『国文学 解釈と教材の研究』
17-4(学燈社 1966)や『講座国語史5 敬語史』(大修館書店 1971)の記述 を利用してまとめると次の表のようになる。
奈良時代の敬語では、貴人(=上位者)が存在するか、貴人のそばに存在す
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一五64
るか、貴人が与えるか貴人から受け取るか、貴人が移動するか、貴人の元へ移 動するか、尊敬語も謙譲語もすべて貴人が中心であって、敬語は貴人を中心と して存在することになる。奈良時代の敬語は素材敬語中心とされるが、なかで も特に貴人を出来事の中心に据えた敬語体系を持つと言え、貴人に関与しない 出来事については敬語の発達が十分ではなかったとみられる。
これに対し、18世紀末東北方言では前述のとおり、Ⅰ類とⅡ類は話し手から 聞き手への行為要求表現や聞き手へ及ぶ動作表現から成り立っているといえる。
そしてⅢ類が聞き手へのあらたまり表現(丁寧語)であるから、この方言はもっ ぱら話し手と聞き手を中心にした敬語であって、たとえ貴人=上位者であろう と第三者については無関与の敬語体系をなすと言って良いのではなかろうか。
貴人を中心に据える敬語(奈良時代の敬語体系)とは大きく異なったタイプな のではなかろうか。貴人を対象とするという敬語タイプは身分の上下関係や絶 対的存在を中心にすえた社会制度を背景にしたものであり、聞き手を対象とす る敬語タイプは、今まさに対話をしている者同士の関係を背景にしたものであ るとも換言できる。談話的敬語体系と言えるかもしれない。
さて加藤 1973は東北方言の敬語について正しく記述しながらも、「終助詞使 用と命令・依頼の場合以外に敬語の枠がゼロである、いわゆる無敬語地域」と 述べ、無敬語性を極端に強調した。しかしこの主張は標準日本語の敬語の仕組 みに依拠しすぎている。それに適合しない敬語にも整然とした仕組みがあるこ とを考慮しなかった解釈に思われる。事実は敬語タイプが異なるとみるべきな のではなかろうか。
更に現代日本語との対比も参考になる。日本語記述文法研究会 2009が指摘す るように、現代日本語の場合、規範的にはたとえば(a)「先生がいらっしゃっ
動詞 補助動詞 助動詞
素材敬語 尊敬語 存在 ます います たまふ たぶ す( おもほす きこす しろす けす せす め す をす)
授与 たまふ たぶ
謙譲語 存在 はべり さもらふ まをす × 移動 まゐる まかる まつる
言及 まをす 拝受 たまふ たばる
対者敬語 丁寧語 × × ×
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一六63
た」という形式が存在するが、実際の友人同士では(b)「先生が来た」のよう に表現する。他の教師がその場にいた場合には(a)を用いると思われるから、
敬語の仕組みと談話上の運用とを切り替えながら会話しているということにな る。しかし本稿が明らかにしたように、18世紀末石巻方言は敬語の仕組みと談 話上の運用が用例でみるかぎり等しい関係であり、その点からみると、きわめ て合理的な仕組みであるとも換言できる。
以上、レザノフ資料に反映する敬語体系は18世紀末石巻方言を反映するとと もに、敬語の一類型としても注目されると思われるのである。
(注1) インフォーマントと目される善六は石巻出身であって、方言資料としても注目で きる。本資料の敬語形式のうち、小松 1971:332によればマシは江戸語独自の変 化らしいこと、山崎 1963:785ではシャルは江戸後期では江戸語に残ったことな どが指摘されており、これらの語形が出現することから18世紀末の東日本の敬語 を反映している可能性があることになる。
(注2) なお命令シャレ・禁止シャルナと命令マシ・禁止マスナとの違いは、シャル系統 は動詞に直接につき(前掲)、マス系統の命令マシや禁止マスナは敬語形式ナサル やゴザルなどにつく。
ごめん なさりまし(106) 安堵 いたしまし(193)
聞かせなされ まし(239) それなら 油断を なさりますな(128)
(注3) 233と234は田中 2001ではモウサレマセンと転写するが、マイクロフィルムにあ たってみるとモウサリマセンとなっている。本資料にはe列であるものをi列で 写すという例がみられる。ワスレマシタが期待されるところで「васуримашта(=
wasurimasta ワスリマシタ)」(008)のようにである。善六の言葉にはエ列が狭 まった発音傾向があったと思われる。したがってこの箇所もモウサレマセンとし て処理することができるだろう。
(注4) この日本語訳は否定文に誤訳している。「мосаримашенъ」(モウサレマセン)と
「мосаримашей」(モウサレマセイ)を取り違えたのかもしれない。
(注5) ウカガウが1例ある。謙譲語「訪問する」ではなく、「こっそりとさぐる」の意味 である。
私 うかがえるように なります(284)(=探ってみましょう)
ウカガウは中央語では平安後期には謙譲語化していたとされる(堀畑正臣 2007:
616)。湯沢 1954:165では江戸語で「参上する意に用いた例には、まだ気がつか ぬ」とされたが、辻村 1968:227では 1865年『毬唄三人娘』の謙譲語化の例を挙 げた。辻村のいうように江戸語でも江戸後期・明治直前には謙譲語化していたと 思われるが、本資料では謙譲語化以前の古い用法を残していたと思われる。この 点も上方語や江戸語と違っている。
(注6) 謙譲語を尊敬語のように用いるのは、敬語の誤用としてよく指摘されている。「何 にいたしますか?」「あちらで伺ってください」「先生が申されました」など(『NHK 日本語のなるほど塾』2004ほか)。しかし本資料の用例はそうした誤用としては片 付けられない。こうした言い方が善六にあり、基盤とした方言にもあったという ことである。善六は通訳者としてなるべく正しい日本語を話そうとしたのである。
( )
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一七62
しかし、その言葉は方言色が濃く、口語的な言い方であった。レザノフはそれら を忠実に書きとどめたために、一見誤用とも思えるような例が出現したのではな かろうか。本資料は当時の実際の口頭語を反映している可能性が高いのである。
(注7) 表1の「畏敬」としたものが一応、第三者への敬語に対応するが、ことさら古い 形式を用いるという点で標準語の敬語と相違している。この事もこの方言では第 三者への敬語が備わっていないことの傍証になると思う。
引用文献
• 宇野義方(1977)「現代敬語の問題点」(『岩波講座日本4 敬語』岩波書店)
• 江口泰生(2012)「レザノフ「会話」からみた18世紀末石巻方言のマスとマスル」『国語 国文』81-12
• 大石初太郎(1964)「先生が申されました」(『口語文法講座3 ゆれている文法』明治書院)
• 大島幹雄(1996)『魯西亜から来た日本人』廣済堂書店
• 亀井孝(1986)「狂言のことば」(『言語文化くさぐさ』論文集5)
• 加藤正信(1973)「全国方言の敬語概観」(『敬語講座6 現代の敬語』明治書院 • 菊地康人(1994)『敬語』 角川書店・金水敏(2006)『日本語存在表現の歴史』ひつじ書房 • 金水敏(2006)『日本語存在表現の歴史』ひつじ書房
• 国書刊行会(1982)『講座方言学4 北海道東北地方の方言』国書刊行会 • 小松寿雄(1971)「近代の敬語 ⅡI」(『講座 国語史5 敬語史』大修館)
• 近藤泰弘(2000)『日本語記述文法の理論』ひつじ書房 • 迫野虔徳(1998)『文献方言史研究』清文堂
• 田中継根(2001)『ニコライ・レザーノフ編著 日本版 田中継根翻訳『露日辞書・露日 会話帳』』(東北アジア研究センター叢書第2号)
• 辻村敏樹(1967)『現代の敬語』共文社 • 辻村敏樹(1968)『敬語の史的研究』東京堂出版 • 徳川宗賢編(1979)『日本の方言地図』中公新書
• 日本語記述文法研究会(2009)『現代日本語文法 7』くろしお出版 • 堀畑正臣(2007)『古記録資料の国語学的研究』清文堂
• ボンダレンコ(2000)「Н. П. レザノフの『日本語辞典』における仙台方言の特徴」『東 北アジア研究』5
• 村山七郎(1965)『漂流民の言語』 吉川弘文館
• 山崎久之(1963)『国語待遇表現体系の研究』武蔵野書院(引用は2004『増補補訂 国語 待遇表現体系の研究』)
• 湯沢幸吉郎(1954)『江戸言葉の研究』(引用は1991『増訂 江戸言葉の研究』明治書院)
付記 宮城県図書館にはマイクロフィルム閲覧をご快諾いただいた。記して感謝申し上 げる。本稿は平成21年~平成24年度文部科学省科学研究費補助金、基盤研究(C)「ロシア 資料の文献方言史学的研究」(課題番号22520468)の支援を受けた。2011年8月筑紫日本語 研究会「レザノフ「会話」からみた18世紀末石巻方言の敬語体系」、2012年7月岡山大学言 語国語国文学会「一八世紀末東日本方言の敬語について」などの口頭発表を一部に含む。
席上、ご指導賜った諸先生方に感謝申し上げる。
(えぐち やすお・岡山大学大学院社会文化科学研究科教授)
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一八61
(表1) レザノフ「会話」篇の敬語一覧表
語彙
動詞 補助動詞 助動詞
基本形 マス形 基本形 マス形 動詞 ゴザル形
諸形 諸形 接続形 諸形 諸形 諸形 諸形
Ⅰ類
ナサル ナサリマシタ
ナサリマスナ禁止
ナサレル ナサレマ
シタナサレマ シ命令 クダサル クダサレ
命令 クダサレ
(クダサリ)命令
シャル シャレ命令
シャルナ禁止 メス オメシナ
Ⅱ類 サレ命令
モウス モウシマス
モウシシラセマセン
Ⅲ類
マイリマス マイリマス マイリマシタ マイリマシ ョ ウ 意志
-マシテモ
-マスレバ テマイル
イタシマス イタシマス イタシマシタ イタシマショウ意志 イタシマスマイカ 否定意志疑問 イタシマセン否定
-マシテモ
ゴザリマス ゴザリマス ゴザリマス
ゴザリマスカ 疑問ゴザリマセン 否定ゴザリマセンカ 否定疑問
マス マス
マスカ疑問 マスナ禁止 マセン否定 マセンカ否定疑問 マスマイカ否定 意志疑問 マスマイ否定意志 マショウ意志 マシタ過去 マシタノ マシタノハ オマス オマセン
畏敬 オル オリマス
マスル マスル
マスルカ ゴザリマスル 特定表現 要求・勧め ゴメンナサレマシ(許しの要求) アンドイタシマシ(安堵の勧め)
アスペクト形式 ソロウテゴザル ソロウテイル 知覚動詞(知る 似る 覚える)+テオル 断定表現 形容詞+ゴザル(言い切り)
願望表現 ホシゴザル(願望表現)
不可能表現 モウサレマセン