能 の 俗 語 的 表 現 を め ぐ る 試 論
石 黒 吉 次 郎
一 はじ めに 能の 詞章
︵
「
謡曲」
︶ は︑ セリ フに あた る詞 の箇 所と︑歌 謡︵ 時に 語り 物的
︶に あた る謡
︵狭 義の
︶の 箇所 から なる が︑ 謡は 早歌 のよ うに 古典 的な 雅語 を多 用し た文 体の もの が多 く︑ これ に対 して 詞は 候体 で︑
﹃平 家物 語﹄ のよ うな 軍記 物語 に見 られ る会 話文 に近 いも のが ある
︒五 十嵐 力は 室町 時代 の代 表的 な文 学と して 謡曲 をあ げ︑ その 詞章 につ いて
︑﹁ 能は 例の 幽玄 を貴 び︑ 品位 を重 んず る所 から
︑⁝
⁝一 昔前 なる 鎌倉 言葉 の﹁ 候ふ
﹂を 用ゐ
︑地 の文 には 二昔 前の 王朝 語を 用ゐ たの であ る()
﹂と した
︒
1
狂言 のこ とば が室 町時 代の 口語 性を 有す るの に対 し︑ 確か に能 のセ リフ は擬 古文 的で ある よう に思 われ る︒ しか し 優雅 な言 語表 現と され る謡 曲に おい ても
︑特 にセ リフ の部 分に おい て︑ 俗語 的な 表現 が数 少な いな がら 見受 けら れる のも
︑面 白い 現象 であ ると 考え てき た︒ たと えば 観阿 弥が 演じ て有 名な
﹁自 然居 士﹂ は︑ 説経 師自 然居 士︵ シテ
︶が 人買 い商 人︵ ワキ
︶と 対立 する スト ーリ ーで ある が︑
︵シ テ︶ 舟よ りは ふつ に下 りま じく 候⁝
⁝︵ ワキ
︶た だ返 せば 無念 に候 ふほ どに
︑色 々に なぶ つて 返さ うず るに て候
⁝⁝
︵ワ キ︶ まづ おん 舞を 見て その 時の 仕儀 によ つて 参ら せ候 ふべ し⁝
︵ ⁝ 日本 古典 文学 大系
﹃謡 曲集
・上
﹄︶
など は︑ かな り俗 語を 交え た表 現に なっ てい るの では なか ろう か︒ なぶ るは
﹃日 本国 語大 辞典
﹄に よれ ば︑ すで に
﹃日 本霊 異記
﹄巻 中に 見え る語 であ るが
︑決 して 雅語 では ない であ ろう
︒仕 儀も しか りで
︑﹃ 日本 国語 大辞 典﹄ では
︑
﹁事 のな りゆ き︒ 有様
︒経 過︒ 実情
﹂の 意と し︑
﹃曾 我物 語﹄ 巻六 の例 など が出 され てお り︑
﹃古 文書 古記 録語 辞典
﹄
︵東 京堂 出版
︶で は︑
﹁仕 宜と も書 く﹂ とし
︑﹁ 取合 共仕 儀候
︑不
レ可
レ有
二私
一曲 候︑ と用 いる
﹂と して いる
︒ ほか の能 の例 では
︑﹃ 申楽 談儀
﹄に 近江 猿楽 の犬 王が 演じ たと ある
﹁葵 上﹂ にお いて
︑
︵ツ レ︶ 六条 の御 息所 ほど のお ん身 にて
︑後うわ
妻なり
打ち のお んふ るま ひい かで かさ るこ と候 ふべ き⁝
⁝︵ シテ
︶い や いか に言 ふと もい まは 打た では かな ふま じと て︑ 枕に 立ち 寄り ちょ うど 打て ば︑
︵ツ レ︶ この 上は とて 立ち 寄り て︑ わら はも あと にて 苦を 見す る︑
⁝⁝
︵同 右︶ とあ るの も︑
﹃源 氏物 語﹄ には 見ら れな いく だけ た表 現で
︑こ れは むし ろ女 主人 とこ れに 仕え る女 が一 緒に なっ て後 妻を 責め る後 妻打 ちの 習俗 を伝 える もの であ る︒ もと もと 猿楽 の能 は︑ より 庶民 的な 場に 根ざ して いた もの で︑ その 庶民 性は 能の 世界 にお いて 底流 をな して いた
︒ これ につ いて は北 川忠 彦氏 の有 名な 提言 があ る︒ 南北 朝時 代に 能が 成立 した とい うこ とは 偶然 では ない
︒大 体演 劇と いう もの は︑ その 形体 や定 着に 当っ て︑ 役 者や 台本 の他 に観 客と いう もの が必 要で ある
︒日 本で 演劇 の発 達が 遅れ たと いう こと は︑ この 観客 面の 生長 が遅 れて いた から に他 なら ない
︒と ころ が南 北朝 から 室町 にか けて は庶 民的 なも のの 進出 した 時代 であ る︒
⁝⁝ 能と ても 例外 では なか った
︒﹁ 衆人 愛敬
﹂を 唱え た観 阿弥 の作 品が
︑い ずれ も見 せ場 を作 り劇 的変 化に 富み
︑十 分観 客を 喜ば せる もの ばか りで あっ たこ とか らも それ は察 せら れよ う︒
⁝⁝ この 傾向 は宮 増だ けで なく
︑世 阿弥
・禅 竹を 除く 当時 の他 の大 小の 作家 に通 じて いえ るこ とで あり
︑当 時の 能が どう いう もの であ った かと いう こと はこ
れで 察す るこ とが でき よう()
︒
2
と述 べら れ︑ 能の 大衆 性を 重視 し︑ 世阿 弥の 幽玄 能こ そ傍 流で ある とい う見 解を 示さ れた
︒こ のこ とか らし ても
︑古 作の 能に は俗 語的 な表 現が 垣間 見ら れる もの の︑ 能の 芸術 化を 目指 し︑ 能に 大き な変 革を もた らし た世 阿弥 以降 の作 品に おい ては
︑俗 語的 表現 が影 を潜 めた であ ろう こと は想 像さ れる
︒あ るい は古 作の 能で あっ ても
︑世 阿弥 以後 にお いて は︑ そう した 表現 は削 られ
︑改 めら れた こと であ ろう
︒し かし 宮増 の作 とさ れる 能な どに は︑ 依然 とし て素 朴な 俗語 的な 表現 も見 られ
︑謡 曲の 優雅 なこ とば の効 果を 追及 する 世阿 弥︵
﹃風 姿花 伝﹄ 第六 花修 云な ど︶ とは 対照 的な 古作 時代 の伝 統が 細々 と続 いた よう に見 える
︒こ うし たセ リフ は︑ 間狂 言の それ にも 通う もの があ る︒ ここ での 試論 は謡 曲の 俗語 的な 表現 の伝 統が どの よう に継 続し
︑ま たそ れが 能に おい てど のよ うな 機能 を果 たし たか につ いて
︑考 察を 試み るも ので ある
︒俗 語的 表現 とは
︑口 語的 表現 と言 い換 えて もよ い︒ この 問題 を雅 語と 俗語 の対 比に おい て︑ また 語彙 レベ ルと 表現 レベ ルの 両面 にお いて 考え てみ たい
︒ま たそ の際 その 俗語 的表 現は
︑前 代鎌 倉時 代の 言語 意識 を反 映し てい るこ とは
︑念 頭に 置い ても よい かと 思わ れる
︒ 二
人買 い物 と俗 語表 現
﹁自 然居 士﹂ は人 気の あっ た実 在の 説経 師を 主人 公と し︑ 成功 を収 めた 作品 であ った ため
︑﹁ 東岸 居士
﹂﹁ 西岸 居士
﹂
﹁婿 入自 然居 士﹂ とい った 姉妹 作品 を生 んだ が︑ 別の モテ ィ︱ フか ら見 ると
︑こ れは 人買 い物 の能 の一 種と いう こと にな る︒ この 人買 いを 扱っ た作 品は
︑当 代的 な社 会劇 とし ての 性格 が強 く︑ リア ルな 場面 表現 が多 いた めに
︑俗 語が 入り やす い分 野で はな いか と思 われ る︒ 人買 い物 の能 の系 譜に は︑
﹁婆ば 相そう
天てん
﹂﹁ 身売
﹂﹁ 信夫
﹂︵ いず れも 番外 曲︶ があ る︒
〇
﹁婆 相天
﹂︵ 番外 曲︶ この 曲は 越後 の国 直江 津を 舞台 とし た能 で︑ 問とい
の佐 衛門
︵ワ キ︶ は禁 を犯 して
︑ひ そか に奴 婢の 姉弟 を別 々の 船に 売っ た︒ これ を知 った その 母は
︑悲 嘆に 暮れ て入 水を する
︒彼 等は 日頃 観音 を信 仰し てい たた め︑ 千手 観音 が現 わ れ︑ 婆相 天︵ シテ
︶に 命じ て︑ 母を 極楽 に送 らせ
︑姉 弟は 富貴 の身 とな る︑ とい うも ので
︑﹁ 自然 居士
﹂と 同様
︑セ リフ の多 い長 い曲 であ る︒ 直江 津と いえ ば︑ 説経 節の
﹁さ んせ う太 夫﹂ で有 名な 人買 いの 場で ある が︑ この 能に つい ては
︑中 村格 氏が 中世 の日 本海 輸送 の実 情を 背景 とし て︑ 詳し く論 じら れて いる()
︒氏 の説 かれ るご とく
︑こ の能 は当
3
時の 海運 の状 況を 色濃 く反 映し てお り︑ 結末 は奇 跡譚 であ るも のの
︑全 体に 写実 的な 作品 であ ると 見る こと がで きる が︑ つま りは 親子 の運 命や 観音 のご 利生 に観 客の 感動 が向 かう よう に作 られ たの であ ろう
︒そ うし た現 実の 社会 劇性 によ って
︑こ の能 も俗 語的 な表 現が 見う けら れる
︒
︵ワ キ︶ 古へ は左 様の 人商 ひも はや りて 候へ ども
︑上かみ
より 御成 敗正 しき によ り︑ 惣じ て人 のあ きな ひは なら ず 候︒ 余の 事に おい ては
︑い か様 にも ちそ う申 さう ずる にて 候︒
⁝⁝
︵ワ キ︶ 上よ り御 成敗 正し く候 へど も︑ 色々 御 理ことわ りに て候 程に
︑さ あら ば隠 密を 以て
︑一 人づ つ参 らせ うず るに て候
︒︵ 謡曲 叢書
︶ こう した 人買 い物 など の社 会性 に富 む能 にお いて は︑ くだ けた 表現 を用 いる こと によ って
︑よ りリ アル に地 方的 な 雰囲 気を かも し︑ 演劇 的効 果を 出そ うと した ので あろ うが
︑曲 全体 が口 語的 なセ リフ 劇に なっ てい るわ けで はな く︑ 美文 風の 韻文 調に よる 叙述 もふ んだ んに 用い られ る点 が謡 曲ら しい とこ ろで ある
︒こ うし た口 語的 表現 の部 分は
︑あ るい は地 方の 観客 に有 効な 方法 であ った かと も思 われ る︒ 傍線 部の はや る︵ 流行
︶は ここ では
︑あ る時 期盛 んに 世に もて はや され る︑ の意 であ るが
︑﹃ 謡曲 二百 五十 番集 索 引﹄
︵赤 尾照 文堂
︶に よる と︑ 現行 曲で は﹁ 望月
﹂に
﹁は やり 候ふ もの は盲 御前
﹂と いう 一例 があ る︒ 古い 用例 では
︑
時め くの 意で
︑﹃ 日本 国語 大辞 典﹄ では
﹃大 鏡﹄ の例 等を あげ るが
︑の ちに ある 時期 世に もて はや され る意 とな り︑ この 意味 では
﹃申 楽談 儀﹄ 以下 の例 があ げら れて いる
︒こ の語 はす でに
﹃建 武年 間記
﹄所 引の
﹁二 条河 原落 書﹂ に︑
﹁此 比都 ニハ ヤル 物﹂ とし て見 えて いて 有名 であ る︒ ちさ う︵ 馳走
︶は
﹃日 本国 語大 辞典
﹄で は︑ かけ 走る こと
︑世 話を する こと
︑食 事な どの もて なし をす るこ と︑ 等々 の語 義を あげ る︒ ここ では
︑世 話を する こと
︑面 倒を みる こと の意 であ る︒ 一方 能﹁ 歌占
﹂に 見え る﹁ たれ か黄 泉の
︑責 めに した がは ざる
︒こ れが ため に馳 走す
﹂︵
﹃謡 曲集
・上
﹄︶ の例 は奔 走す るの 意で
︑原 義に 近い 用法 であ る︒ 先の
﹃古 文書 古記 録語 辞典
﹄に も﹁ 馳走
﹂の 項が あり
︑奔 走す る︑ 世話 をす る︑ 饗応 する など のい くつ かの 語義 をあ げて いる
︒隠 密は
﹃索 引﹄ には 見え ない ので
︑現 行曲 には ない 用語 であ る︒ この 語は
﹁物 事を 隠す こと
︒秘 密に して おく こと
﹂の 意で
︑﹃ 狂言 辞典
・語 彙編
﹄︵ 東京 堂出 版︶ によ ると
︑ 狂言
﹁地 蔵舞
﹂に
﹁御 おん みつ で︑ 一夜 の宿 をか せら れひ
﹂︵ 大蔵 虎明 本︶ とあ る︒ また 日葡 辞書 に項 目が ある ほか
︑
﹃太 平記
﹄巻 三十 三の 例な どが ある が︑ 雅語 には 入ら ない 俗語 的な もの であ ろう
︒
〇
﹁身 売﹂
︵番 外曲
︶ この 曲は 越後 の国 蒲原 の湊 を舞 台と した もの であ る︒ ここ の住 人︵ シテ
︶は
︑昔 は富 貴の 身で あっ たが
︑零 落し
︑ 亡母 の供 養に も事 欠く ため
︑我 が身 を売 って 費用 を得 よう とす る︒ これ を知 った 弟︵ ツレ
︶は
︑自 分も 貧苦 の身 であ った ため
︑兄 に代 わっ て我 が身 を売 ろう とす る︒ 人買 い商 人︵ ワキ
︶は 兄弟 の振 舞い を見 て感 じ入 り︑ 代金 を返 して 兄弟 を帰 す︑ とい うも ので
︑こ れも セリ フの 多い 長大 な曲 であ る︒ この うち
︑
︵シ テ︶ 散々 に尾 籠の 身と 罷り なつ て候
︒⁝
⁝一 僧を 供養 し申 すべ き料 簡も なく 候︒
⁝⁝ 然れ ども 彼者 の処 へ立 ち越 え︑ 談合 せば やと 存じ 候︒
⁝⁝
︵ツ レ︶ あら よう がま しや
︒此 方へ 御入 り候 へ︒
⁝⁝
︵ツ レ︶ 日本 一の 事︒ 何と 申し たる 事に て候 ぞ︒
⁝⁝
︵ワ キ︶ まつ と高かう
直じき
には 候へ ども
︑⁝
⁝十 貫に 買ひ 申さ うず るに て候
︒⁝
⁝︵ ワ
キ︶ 実に
〳 〵
はつ たと 忘れ て候︒⁝
⁝︵ ワキ
︶い や
〳 〵
汝 は粗 忽な る者 にて 候程 に︑⁝⁝
︵謡 曲叢 書︶ とい った 箇所 が注 目さ れる とこ ろで
︑比 較的 俗語 的な 表現 の多 い曲 であ るこ とが わか る︒ この うち 尾籠 は︑ 失礼 なこ と︑ 無礼 なこ と︑ ある いは 見苦 しい こと 等の 意で
︑﹃ 日本 国語 大辞 典﹄ では
﹃台 記﹄
﹃義 経記
﹄﹃ 平治 物語
﹄︵ 金刀 比羅 本︶ 等の 例を 載せ てい るが
︑﹃ 謡曲 二百 五十 番集 索引
﹄に は見 えな いの で︑ 現行 曲に は ない 用語 であ ろう
︒全 体的 に現 行の 謡曲 は雅 語を 目指 して いる もの が多 い︒ 尾籠 は番 外曲 にも あま り見 かけ ず︑ かな り特 殊な 例で ある と思 われ る︒ 料簡 は古 くは 考え て選 択す るこ との 意で ある が︑ ここ では とり はか らい
︑処 置の 意味 であ ろう
︒能 の﹁ 藤栄
﹂の
﹁何 とも 了簡 なく 候﹂
︵﹃ 謡曲 二百 五十 番集
﹄︶ の﹁ りょ うけ んも ない
﹂は 熟語 で︑ 手の 下 しよ うが ない の意 味に なる
︒﹁ 放下 僧﹂ の﹁ げに 是は 面白 き了 簡に て候
﹂︵ 同︶ の例 では
︑考 えの 意味 にな る︒ 狂言 で は﹁ 貰婿
﹂な どに も考 えの 意味 の例 があ るが
︑﹁ 鎌腹
﹂の
﹁身 共さ へ了 簡す れば 死る には 及ば ぬ事 じゃ
﹂︵ 大蔵 虎寛 本︶ の場 合は
︑我 慢す るこ との 意と なる
︒談 合は 相談 する こと で︑ これ も﹃ 平治 物語
﹄や
﹃太 平記
﹄と いっ た軍 記物 語に 例が ある
︒現 行曲 では
﹁放 下僧
﹂﹁ 錦戸
﹂に 例が あり
︑前 者は 武家 の敵 討ち 物︑ 後者 は源 義経 に忠 節を 尽く す泉 の三 郎が
︑兄 の錦 戸の 太郎 に生 け捕 りに され ると いう スト ーリ ーで
︑武 家の 社会 を取 り上 げた 現在 物の 能は
︑こ うし た軍 記物 語に 見え るよ うな 用語 と関 係す るこ とが よく ある と思 われ る︒ 狂言 では 大名 狂言 の﹁ 麻生
﹂に 見え る︒ 番外 曲で は﹁ 桜間
﹂︵ 義経 物︶
︑﹁ 大聖 寺︵ 親任
︶﹂
︵地 方の 武家 物︶
︑﹁ 長兵 衛尉
﹂︵ 平家 物語 物︶ に見 える が︑ いず れも 現在 物で ある
︒や うが まし はわ けが あり そう だ︑ もっ たい ぶっ た様 子だ 等の 意で
︑﹃ 源平 盛衰 記﹄
︑御 伽草 子﹁ 鶴の 草子
﹂ など に例 が見 える
︒﹁ 翁﹂ の三 番叟 には
﹁あ らや うが まし や候
﹂と いう セリ フが ある が︑ 現行 曲・ 番外 曲と もに 例の ない 珍し い用 語で ある
︒日 本一 の︵ にっ ぽん いち の︶ は︑ たい へん 優れ てい るこ と︑ たい へん 良い 状況 であ るこ とを 大げ さに 表現 した もの で︑
﹃平 家物 語﹄ 巻七
・真 盛に
︑﹁ おの れは 日本 一の 剛の 者と くん でう ずな うれ
﹂︵ 岩波 文庫
︶
あた りに まず 求め られ る用 語で ある が︑ 能の 武家 物に はよ く見 られ るも ので
︑﹁ 烏帽 子折
﹂﹁ 檀風
﹂﹁ 実盛
﹂︵ 平家 と同 文︶
﹁小 袖曾 我﹂
﹁鉢 木﹂
﹁望 月﹂ にあ るほ か︑
﹁国 栖﹂ や﹁ 西行 桜﹂
︵間 狂言
︶に もあ る︒ 番外 曲で も﹁ 春近
︵治 親︶
﹂
﹁大 聖寺
﹂﹁ 清重
﹂そ して
﹁美 人揃
﹂等 に見 える が︑
﹁清 重﹂ の例 は﹁ 言語 道断 梶原 に見 仕ら れて 候は いか に︒ 日本 一 の大 臆病 のや つに て候
﹂︵ 古典 文庫
﹃未 刊謡 曲集
・十 九﹄
︶と いう もの で︑ この
﹁日 本一 の﹂ はた いそ う悪 いこ とを 意 味す るも のと なっ てい る︒ これ は金 刀比 羅本
﹃平 治物 語﹄ 巻中 に︑
﹁日 本一 の不 覚仁
﹂と ある など
︑ほ かに も例 があ る︒
﹁日 本一
﹂は 江戸 時代 を通 して
︑今 日で もた いそ うす ばら しい こと の意 で使 用さ れる こと があ るが
︑謡 曲に おい て多 用さ れて いる とこ ろを 見る と︑ 中世 大い に流 行し た言 い方 であ るよ うに も思 われ るが
︑先 の﹃ 狂言 辞典
﹄に は項 目が ない ので
︑あ るい はこ れは 武家 社会 の雰 囲気 を出 すた めの 演出 的︑ ある いは 記号 的な 用語 かも 知れ ない
︒ま つと
︵ま っと
︶は もう 少し の意 で︑ 今日 の﹁ まち っと
﹂に 近い こと ばで ある
︒こ の語 は﹃ 日本 国語 大辞 典﹄ では
﹃史 記抄
﹄
﹃鹿 の巻 筆﹄
︵咄 本︶ 等の 例を あげ
︑﹃ 狂言 辞典
・語 彙編
﹄で は﹁ 宗論
﹂の 例を あげ る︒ この 語は より 口語 的な もの で︑ それ はこ の能 が時 代的 に遅 く成 立し たた めで ある こと も想 像さ れる
︒大 永四 年︵ 一五 二四
︶の 識語 のあ る﹃ 能本 作者 注文
﹄で は作 者不 分明 の能 の中 にこ の曲 があ る︒ 高直 は値 段の 高い こと の意 であ るが
︑こ れも 他の 能に は見 えず
︑狂 言﹁ 宝の 槌﹂
︵鷺 賢通 本︶ に﹁ それ は余 り高 値に はご ざれ ども
﹂︵ 日本 古典 全書
﹃狂 言集
・上
﹄︶ とあ る︒ 日蓮 遺文 に 先例 が見 られ
︑江 戸時 代に はよ く用 いら れた 用語 であ った
︒は つた と︵ はっ たと
︶は 能に おい ては いく つか の用 例が あり
︑﹁ 正尊
﹂に は﹁ ちや うと 打て ばは つた と合 はせ
﹂と あり
︑﹁ 大江 山﹂ に﹁ 走り かか つて はつ たと 打つ 手に
﹂な ど︑ 戦い の場 にお ける 擬態 語の 用法 がま ずあ り︑ 次に
﹁元 服曾 我﹂ の﹁ はつ たと 失念 して ある ぞ﹂ とい う﹁ 身売
﹂と 同様 の用 法が ある
︒狂 言で はさ らに しっ かり と︑ 確か にの 意味 にも 用い られ
︑﹁ 富士 松﹂ や﹁ 蚊相 撲﹂ の例 があ る︒ 最後 に粗 忽は あわ ただ しい こと
︑あ わて るこ との 意で
︑能 では
﹁橋 弁慶
﹂︵ 現行 宝生 流︶ にあ る︒
﹃日 本国 語大 辞典
﹄
では
︑﹃ 中右 記﹄
﹃吾 妻鏡
﹄﹃ 太平 記﹄ のほ か︑ 謡曲 大観 本の
﹁羅 生門
﹂の 例な どを あげ てい る︒
﹃狂 言辞 典・ 語彙 編﹄ では
﹁萩 大名
﹂﹁ 米市
﹂の 例を あげ る︒ これ もも とも とは 雅語 の系 統に はな いこ とば で︑ 同じ く雅 語の 系統 には ない と思 われ る古 文書 古記 録語 にも
﹁楚 忽﹂ があ る︵
﹃古 文書 古記 録語 辞典
﹄︶
︒
〇﹁ 信夫
﹂︵ 番外 曲︶ この 曲は 陸奥 の信 夫の 太郎
︵シ テ︶
・次 郎︵ ツレ
︶兄 弟が
︑京 都で の訴 訟が 不首 尾に 終わ り︑ 帰国 する 途中 の越 後 の国 直井 の津 で︑ 宿の 主人 によ って 佐渡 島の 松崎 兵衛
︵ワ キ︶ に売 られ
︑塩 焼き の労 働に 従事 させ られ るが
︑知 人の 板橋
︵ツ レ︶ に救 われ ると いう
︑こ れも 長い セリ フ劇 で︑ やは り﹁ さん せう 太夫
﹂に 似る とこ ろの ある スト ーリ ーで ある
︒こ の中 から 俗語 的な 表現 の箇 所を 拾う と︑
︵シ テ︶ 余り に草 臥れ て候 程に
︑⁝
⁝︵ ワキ
︶あ ゝ祝 着や 候︒
⁝⁝ 日本 一の 事に て候
︒⁝
⁝︵ ツレ
︶言 語道 断︒ それ 人を うり かふ とい ふは
︑女 わら んべ など の事 にて こそ 有る べけ れ︒ 真盛 りな る侍 を︑ うり かふ とは
︑存 外な るい ひご とか な︒
⁝⁝
︵謡 曲叢 書︶ とな る︒ 草臥 れた るは 現在 でも 用い られ る語 であ るが
︑﹃ 日本 国語 大辞 典﹄ では
︑﹃ 中務 内侍 日記
﹄﹃ 源平 盛衰 記﹄
﹃史 記抄
﹄等 の例 をあ げて いる
︒も とは 中世 語の よう であ る︒ 能で は﹁ 安宅
﹂﹁ 檀風
﹂に ある が︑ これ も謡 曲に おい ては 雅語 とは 意識 され てい ない よう であ る︒ 祝着 は喜 び祝 う意 で︑ 辞書 には 鎌倉 時代 以前 の用 例は 現わ れな い︒ 能に はい くつ か見 られ る語 で︑
﹁元 服曾 我﹂
﹁大 江山
﹂﹁ 藤栄
﹂﹁ 歌占
﹂﹁ 粉河 寺﹂ に見 える が︑
﹁歌 占﹂ の﹁ 近頃 祝着 申し 候﹂
︵﹃ 謡曲 二百 五十 番集
﹄︶ や狂 言﹁ 楽阿 弥﹂
︵鷺 賢通 本︶ の﹁ 懇ろ に御 教へ 祝着 致い た﹂
︑そ して
﹃日 葡辞 書﹄ の例 によ ると
︑満 足す るの 意と なっ てい る︒ 存外 は意 外な こと の意 で︑
﹃海 道記
﹄﹃ 源平 盛衰 記﹄ 等に 用例 があ り︑ 中世 らし い 用語 で︑
﹃古 文書 古記 録語 辞典
﹄で は︑ 反対 語の
﹁存 内﹂ の項 を立 てて いる
︒能 では
﹁関 原与 一﹂
﹁鳥 追舟
﹂に 例が あ
る︒
﹃狂 言辞 典・ 語彙 編﹄ では 項目 がな く︑ この 語は 堅苦 しい 表現 に属 する もの かも 知れ ない
︒ま た﹁ それ 人を うり かふ とい うは
﹂以 下云 々の セリ フは
︑﹁ 自然 居士
﹂の
﹁い や此 自然 居士 にも てあ つか ふて 候よ
﹂︵ 元和 卯月 本︶ を思 わ せる くだ けた 言い 方で
︑社 会劇 的な 人情 物と して の性 格を よく 創造 して いる
︒ こう した 俗語 の多 い能 は︑ 地方 を舞 台と した 能に 多く 見ら れ︑ 中央 では 雅語 の多 い能 が好 まれ たの に対 し︑ これ ら の能 はも とも と地 方を 地盤 に制 作さ れ︑ 地方 の文 化意 識を 反映 して いる もの と思 われ るの であ る︒ また 能は 一般 に類 型化 する 傾向 があ り︑ 古い 作品 を参 考に して 新し い作 品を 作る 場合 も多 いの で︑ 人買 い物 もあ る程 度似 たも のと なる 傾向 があ る︒ 親の 供養 のた めの 身売 りな どの プロ ット がそ れで ある
︒﹁ 信夫
﹂も 主人 公が だま され て人 買い の手 に渡 る点 は﹁ 婆相 天﹂ や幸 若舞 曲﹁ 信田
﹂・ 説経 節﹁ さん せう 太夫
﹂に 通じ るも のが ある が︑ それ にし ても 武士 が売 られ て佐 渡に 渡り
︑酷 使さ れる とい うス トー リー は特 異で
︑何 らか の社 会的 事件 を反 映し てい るこ とも 考え られ る︒ その ため に口 語的 なセ リフ が用 いら れ︑ それ が事 件の 異様 さを 伝え てい るの であ ろう
︒ 三
能に おけ る俗 語的 表現 の伝 統 前節 では 人買 いと いう 社会 問題 に関 わる 能に 見え る俗 語的 表現 を取 り上 げた が︑ 次に 先に あげ た古 作の 能﹁ 自然 居 士﹂
﹁葵 上﹂ の中 の口 語的
︑非 雅語 的表 現の 要素 を引 くも のと して
︑﹁ 横山
﹂﹁ 春栄
﹂﹁ 歌占
﹂﹁ 鐘巻
﹂を 考え る︒
〇
﹁横 山﹂
︵番 外曲
︶ この 能は
﹃申 楽談 儀﹄ に見 える
︑観 阿弥 が演 じた とい う﹁ 草刈 の能
﹂の 古名 とさ れる もの であ る()
︒武 蔵の 国の 武士
4
横山 の十 郎晴はる
尚なお
︵シ テ︶ は︑ 上意 に違 って 所領 を召 し上 げら れ︑ 零落 の身 とな り︑ 一頭 ある 馬の 飼料 のた めに
︑自 ら 武蔵 野に 出て 草を 刈る
︒そ こへ 昔馴 染ん だ遊 女初 雪︵ ツレ
︶が 鎌倉 から 尋ね てく る︒ 晴尚 は零 落を 恥じ て会 おう とし
ない が︑ 妻︵ ツレ
︶の 勧め で対 面し
︑酒 宴と なる
︒そ こへ 幕府 に嘆 願し てい た従 子の 久米 川︵ ワキ
︶が 帰っ てく る︒ 久米 川は 酒宴 に腹 を立 てな がら も︑ 所領 安堵 の御 教書 を示 す︒ 晴尚 は喜 んで 鎌倉 に向 かう
︑と いう もの であ る︒ この 能の 歴史 的背 景は 知ら れる
︒武 蔵国 多摩 の横 山氏 は武 蔵七 党の ひと つで
︑和 田義 盛の 乱に 連座 して 滅ん だ︒ そう した 事情 につ いて は︑ 以前 考察 した が()
︑こ のう ちく だけ た表 現の 箇所 は︑ 次の よう なも ので ある
︒
5
︵シ テ︶ 本領 悉く 召し 放さ れて
︒さ ん
〴 〵
の 疲労 の身 とな りて 候︒⁝⁝
︵ツ レ︶ いや 誰も なく 候︒
︵シ テ︶ 何と て見 え候 はぬ ぞ︒
︵ツ レ︶ 昨日 まで 候ひ し物 を皆 ちり
〴 〵
にな りて 候︒⁝⁝
︵シ テ︶ さら ば盥 に水 を入 れて 給は り候 へ︒ 水鏡 を見 うず るに て候
︒何 とし ても 散々 のし たて にて 候︒ 実に や親 にて 候ふ 者は 鎌倉 一の 男と 云は れし よな う︒
︵日 本名 著全 集﹃ 謡曲 三百 五十 番集
﹄︶ 疲労 は辞 典に よれ ば︑ もと は疲 れの 意で ある が︑ 中世 から は貧 困の 意味 も加 わる よう にな る︒ ここ でも その 意味 で 使用 され てい る︒
﹃狂 言辞 典・ 語彙 編﹄ に項 目は ない が︑
﹃史 記抄
﹄等 に例 があ る︒ いず れに して も雅 語で はな いと 思 われ る︒ した ては 中世 後期 以降 の用 例が あり
︑い くつ かの 意味 があ るが
︑こ こで は扮 装︑ 身な りの こと で︑
﹃風 姿花 伝﹄ 第二
・女 に︑
﹁先
︑仕 立見 苦し けれ ば︑ さら に見 所な し﹂ の意 味と 同類 であ る︒ 狂言
﹁金 津地 蔵﹂
︵狂 言記
︶の
﹁も はや した てす るば かり じや
﹂は
︑と との える の意 味で ある
︒﹃ 日葡 辞書
﹄で は︑ もの の準 備︑ 食物 の調 理の 意に な って いる
︒ この 能は 鏡を 売り 払っ てで も︑ 夫の ため に烏 帽子
・直 垂を 用意 し︑ 夫と 遊女 を再 会さ せる など
︑妻 の愛 情を 描き
︑ また 所領 回復 のた めに 奮闘 する 親族 の者 の姿 があ って
︑人 情物 とし てほ のぼ のと した 作品 とな って いる
︒後 半部 の酒 宴の 場︑ その 場に おけ る歌 舞は 能・ 狂言 によ く見 られ る構 想で ある が︑ この 曲で はそ れが たい そう 自然 であ る︒ 曲中 に挿 入さ れて いる 楚の 項羽 の騅 や盧 山の 慧遠 禅師
︑夏 狩り の故 事な どは
︑む しろ 邪魔 にも 思わ れる
︒和 田の 乱で 滅ん
だ横 山氏 の史 実を 題材 とし なが ら︑ その 復活 劇を 時に ユー モラ スに 構想 して いる
︒そ のセ リフ のや りと りに は︑ 狂言 の鎌 倉時 代版 を思 わせ る︒ また 鄙び た地 方的 な雰 囲気 が強 いこ とも 特色 であ ろう
︒こ うし た能 を好 んだ 観客 層が いた はず であ る︒ 能は 荘重
︑重 厚な 作品 が多 いが
︑ユ ーモ アを 盛り 込ん だ作 品に しよ うと すれ ば︑ 俗語 を用 いた くだ けた セリ フを 入れ るこ とに なっ たで あろ う︒ さて 地方 の武 家の 家庭 を描 いた 例と して
︑世 阿弥 の﹁ 砧﹂ があ る︒ 九州 の芦 屋の 里に 住む 某が 訴訟 のた め在 京す るう ち︑ その 妻は 夫の 帰り を待 ち︑ 砧を 打っ て心 を慰 める が︑ 夫の 帰り が遅 くな り︑ 妻は 死去 して しま う︒ 帰郷 した 夫は 妻を 供養 し︑ 妻と こと ばを 交わ すと いう もの で︑ 前場 では 砧を 題材 とし た漢 詩︑ 和歌 の世 界が 詩的 に表 現さ れ︑ 後場 では 地獄 に堕 ちた 妻の 苦し みが 述べ られ る︒ この 能に 俗語 的な 雰囲 気は な く︑
﹁横 山﹂ とは 対照 的な 能の 構想 であ る︒ ほか に家 庭悲 劇的 な能 とし て︑ 作者 不明 の﹁ 木幡
﹂︵ 番外 曲︶ をあ げて みよ う︒
﹃能 本作 者注 文﹄ 等の 作者 付に 見え る曲 で︑ 古い もの では ない
︒木 幡に 住む 木幡 左衛 門が
︑妻 に伏 見に 住む 母か ら送 られ た手 紙を 見か け︑ 妻が 浮気 をし てい ると 勘違 いを し︑ これ を刺 し殺 して しま う︒ 義母 の訴 えで これ が誤 りと わか り︑ 左衛 門は 出家 する とい うも の で︑ これ も深 刻な 家庭 悲劇 であ るが
︑こ の中 に﹁ 是よ りま ゐり 候御 文を
︑し れ物 文と おぼ しめ し﹂
︵謡 曲叢 書︶ とい う箇 所が ある
︒こ のし れ物 文は 愚か しい 横恋 慕の 手紙 の意 であ ろう
︒﹁ しれ もの
︵痴 者︑ 愚か 者の 意︶
﹂を 含む 熟語 と して は︑
﹃日 本国 語大 辞典
﹄で は︑
﹁痴 者翁
﹂﹁ 痴者 狂﹂ の例 があ げら れて いる
︒後 者は
︑愚 かし いこ とま た愚 かな 人 を意 味し
︑痴 者を 強調 した 言い 方で ある
︒﹃ 時代 別国 語大 辞典
・室 町時 代編
﹄で は︑
﹁痴 者﹂ の項 で︑ 自分 のや って い るこ とも わか らな いば か者 の意 で︑ 常軌 を逸 した 言動 をす る者 を非 難し てい う語 と丁 寧に 説明 し︑ 天正 本﹃ 節用 集﹄ の用 例な どを あげ てい る︒
﹁痴 者文
﹂は ある いは その 場の 造語 であ るか も知 れな い︒ いず れに して も俗 語的 な表 現で ある
︒世 阿弥 以降 の能 の詞 章は 全体 に雅 語的 な擬 古文 で構 成さ れて いる が︑ 実際 の社 会を 背景 とす る能 にお いて は︑
この よう に現 実的 な感 覚を 盛り 込ん だ俗 語が ふと 入っ てく るの が面 白い 現象 であ る︒
〇﹁ 春栄
﹂︵ 現行 曲︶ この 曲は
︑以 前は
﹃五 音﹄ の記 事に より
︑世 阿弥 の作 と考 えら れた こと もあ るが()
︑ク リ・ サシ
・ク セの 部分 のみ 世
6
阿弥 の作 詞・ 作曲 とす る考 える 方も あっ て︑ 決め 難く なっ てい る︒ 一応 世阿 弥が 関与 して いる もの とし て︑ 材料 の一 つと する
︒こ の能 も武 家社 会を 描い た現 在物 であ る︒ 宇治 橋の 合戦 で高 橋権 守︵ ワキ
︶は 増尾 春栄 丸
しゅ んね いま
︵る
子方
︶を 生 け捕 りと し︑ 伊豆 の三 島の 館で 預か って いる
︒鎌 倉幕 府か らは 春栄 の処 刑を 伝え てく る︒ そこ へ春 栄の 兄に 当た る武 蔵の 国の 住人 増尾 の太 郎種 直︵ シテ
︶が 尋ね てき て︑ 弟と の面 会を 申し 込む
︒春 栄は 兄を 家人 と称 して 会お うと しな いた め︑ 兄は 自害 を決 心す る︒ 弟は 兄に 詫び
︑兄 弟で 斬ら れる こと にな る︒ そこ へ赦 免使 がや って 来て
︑兄 弟は 助か り︑ 高橋 は春 栄を 養子 とす ると いう もの で︑ その 長大 な詞 章は 武家 の現 在物 によ く見 られ る特 色で ある
︒こ の曲 の特 徴は
︑① 承久 の乱 を背 景と して いる らし いこ と()
︵﹁ 光季
﹂等 と同 様︶
︑② 元服 前の 少年 の出 陣︵
﹁鶴 次郎
﹂等 と同 様︶
︑
7
③囚 人の 親族 との 対面
︵﹁ 檀風
﹂等 と同 様︶
︑④ 斬ら れそ うに なっ た武 士が 助か る︵
﹁盛 久﹂ 等と 同様
︶な どが あっ て︑ これ も武 家の 現在 物︱ この 場合 は﹁ 鎌倉 物﹂ と呼 んで もよ いと 思う がー にい くつ か見 られ る趣 向の 一つ であ る︒ ここ で俗 語的 な表 現の 箇所 をあ げる と︑
︵シ テ︶ 弟に て候 ふ春 栄深 入り し︑ やみ やみ と生 け捕 られ て候
︑⁝
⁝︵ ワキ
︶さ りな がら
︑ま ず物 の隙 より そと ご覧 候へ
⁝⁝
︵シ テ︶ それ がし 対面 して 家人 か兄 かの 勝劣 を見 せ申 し候 ふべ し⁝
⁝︵ ワキ
︶只 今の 者を ば荒 々と 申し て追 つ帰 して 候ふ
︵﹃ 謡曲 集・ 上﹄
︶ とな る︒
﹁春 栄﹂ は﹁ 横山
﹂の 系統 を引 く鎌 倉物 であ るが
︑﹁ 横山
﹂の 素朴 なの どか さと 比べ ると
︑切 迫し た事 態を 描 いて おり
︑詞 章も 洗練 され てい る︒ やみ やみ とに はい くつ が意 味が あり
︑暗 くて はっ きり しな いさ ま︑ 分別 のつ かな
いさ まを いう が︑ ここ では 安易 に︑ むざ むざ との 意味 で︑
﹃日 本国 語大 辞典
﹄に は﹃ 保元 物語
﹄の 用例 が見 え︑ 謡曲 には
﹁朝 長﹂ の﹁ やみ やみ と討 たれ 給ひ ぬ﹂ の例 があ る︒ 勝劣 は優 劣の 意で ある が︑ ここ では 正し さと 誤り のこ と で︑ 本来 の語 義と は違 って いる
︒謡 曲の 例で は︑
﹁姨 捨﹂ の﹁ いづ れ勝 劣な けれ ども
﹂は 優劣 の意 であ り︑
﹁白 髭﹂
﹁西 王母
﹂の
﹁日 夜の 勝劣 見え ざり けり
﹂も 優劣 のこ とで ある
︒し たが って
﹁春 栄﹂ の場 合は かな り異 例で ある
︒ 荒々 とは 荒々 しく の意 であ るが
︑﹃ 太平 記﹄ 巻三 十九 の﹁ 荒々 とし たる 鞋を 召さ れて
﹂の 例は
︑粗 末な の意 であ る︒
﹃義 経記
﹄巻 七に は︑
﹁﹃ 殊に 十六 人ま で御 入り 候へ ば︑ 尋ね 申さ では 渡し 申す まじ く候
﹄由 荒ら かに 申し けれ ば﹂
︵新 編日 本古 典文 学全 集︶ とあ り︑ この 荒ら かは 荒々 とと 同意 であ る︒
﹁丹 後物 狂﹂ の﹁ 荒々 しく 叱つ て候 へば
﹂は まさ に荒 々し くの 意味 であ る︒
﹁春 栄﹂ は鎌 倉物 ない し武 家物 では 品の ある 作風 であ るが
︑作 者は この 作品 には 俗語 とい うよ りは
︑全 般的 に武 家言 葉を 使用 しよ うと して いる ので あろ う︒ シテ の﹁ さて も宇 治橋 の合 戦に おい て︑ 弓手 の肩 を射 させ
︑⁝
⁝弟 にて 候ふ 春栄 深入 りし
︑﹂ とい うセ リフ も︑ 武家 らし い言 い方 であ る︒ こう した 言葉 遣い によ って 武家 社会 を写 実的 に描 く手 法が あり
︑そ れは 中世 の武 家達 に受 け入 れら れや すい 能の 基と なっ たこ とで あろ う︒ こう した 鎌倉 物の 能は 鎌倉 時代 の武 家言 葉を 意識 した もの かも 知れ ない
︒し かし 武家 がこ うし た分 野の 能の みを 好ん だわ けで はな いこ とは
︑演 能記 録か ら明 白で
︑武 士達 も色 々な 種類 の能 を鑑 賞し てい た︒
﹁春 栄﹂ が﹁ 砧﹂ に比 べて より 写実 性が ある のは
︑前 者が 現在 物で ある のに 対し
︑後 者は もと もと 夢幻 能だ から であ ろう
︒そ して こう した 鎌倉 物 も︑ 能の 一分 野と して 様式 化し てい った ので あろ う︒ この よう な俗 語混 入の 現象 は写 実的 表現 の能 と︑ それ と対 照的 な象 徴的 表現 の能 との 問題 に帰 する こと がで きる と考 えら れる
︒も っと も写 実的 な能 とい って も︑
﹁春 栄﹂ のよ うな 場合 は狂 言の 当代 性と は異 なっ て︑ 一時 代前 の古 風な 表現 とな って いる こと は否 めな いで あろ う︒
〇﹁ 歌うた
占うら
﹂︵ 現行 曲︶ 次に 世阿 弥の 嫡男 であ る観 世元 雅の
﹁歌 占﹂ を考 える
︒加 賀の 国白 山の 麓に 住む 男おとこ 巫みこ
︵シ テ︶ は︑ たく さん の短 冊の 中か ら歌 を引 かせ て占 いを する 歌占 をし てい る︒ 付近 の男
︵ワ キ︶ の問 いに
︑巫 は︑ 自分 はも と伊 勢の 神職 で︑ 国々 を巡 るう ちに 頓死 し︑ 蘇生 して 白髪 とな った
︑と 答え る︒ ここ に父 二見 の太 夫渡 会の 家次 を探 して いた 少年 幸菊 丸︵ 子方
︶も 歌占 を引 くこ とに なり
︑歌 占の 男巫 が父 とわ かっ て︑ 父子 は再 会す る︒ 家次 は帰 国す るこ とに なり
︑名 残に 地獄 巡り の曲 舞を 舞う
︑と いう もの で︑ 比較 的長 い曲 であ る︒ この 曲の 中か らく だけ た言 い方 の箇 所を 取り 出す と︑
︵ワ キ︶ 歌占 を引 き候 ふが
︑け しか らず まさ しき よし を申 し候 ふ間
︑⁝
⁝︵ シテ
︶当 年中 に帰 国す べき と怠 りを 申し て候
⁝⁝
︵ワ キ︶ さん 候ふ 親を 持ち て候 ふが
︑所 労仕 り候 ふ間
︑生 死の 境を 尋ね 申し 候︵ シテ
︶心 得申 し 候︑ 詳し く判 じて 聞か せ申 し候 ふべ し⁝
⁝︵ 子方
︶鶯 の 卵かいこ の中 のほ とと ぎす
︑し ゃが 父に 似て しゃ が父 に似 ず︑
⁝⁝
︵シ テ︶ この 謡ひ を謡 ひ候 へば
︑す こし 神気 にな りて 候︵
﹃謡 曲集
・上
﹄︶ とな る︒ この 能は 題材 が異 色で
︑こ れも 地方 を舞 台と して いる こと も︑ 俗語 的表 現が 交る 要因 とな って いる であ ろ う︒ 地方 の世 俗を 扱っ た能 は︑ 王朝 的な 雅語 とは 縁遠 い詞 章と なり がち であ ろう こと は想 像さ れる
︒こ の能 の背 景に は︑ 何ら かの 社会 的出 来事 があ るこ とも 考え られ る︒ まさ しは ここ では 占い が正 しい の意 で︑
﹃梁 塵秘 抄﹄ 巻二 にあ る︑
﹁わ が子 は⁝
⁝ 巫かうな
しぎ
てこ そ歩 くな れ⁝
⁝正まさ
しと て︑ 問ひ み問 はず みな ぶる らん
⁝⁝
﹂の 用例 を想 起さ せる
︒こ の﹁ 正し
﹂は
﹁ま だし
﹂で
︑ま だ未 熟で ある の意 味だ とす る解 釈も ある が()
︑こ うし た﹁ まさ し﹂ は占 いの 用語 で︑ 辞
8
典に は﹃ 古今 集﹄ 恋四
︑﹃ 古今 著聞 集﹄ 巻八 の例 が見 える
︒こ の家 次の 姿に は中 世の 男巫 らし い写 実性 があ るの であ ろう
︒狂 言の
﹁居 杭﹂ には
︑算 木を 用い て占 いを する 算置 が登 場す るが
︑﹁ 扨々 わご りょ は上 手じ ゃ﹂
﹁わ ごり ょは 最
前の 生類 が合 た斗 りで いか い下 手じ ゃ﹂
︵岩 波文 庫・ 大蔵 虎寛 本︶ とあ って
︑占 いの 評価 の表 現が より 口語 的に なっ てお り︑
﹁正 し﹂ とい う言 い方 は︑ 古風 なの であ ろう
︒怠 りは ここ では 謝る こと の意 で︑
﹃日 本国 語大 辞典
﹄で は﹃ 夜 の寝 覚﹄ 巻四 の﹁ 返々
︑百 かへ りお こた りを 言ひ つく いて も﹂
︑﹃ 堤中 納言 物語
﹄は いず みの
﹁泣 く泣 くお こた りを 言 へど も﹂ など の例 をあ げる が︑
﹁お こた りを 申す
﹂は 能に おい ては 古風 な口 語的 表現 のよ うに 思わ れる
︒ほ かの 能で は現 行曲 では
﹁怠 り︵ 謝罪
︶﹂ の例 はな い︒ 所労 は病 気の こと で︑
﹃中 右記
﹄以 来の 用例 があ り︑
﹃古 文書 古記 録辞 典﹄
﹃古 文書 用語 辞典
﹄︵ 柏書 房︶ にも 項目 が見 える が︑ 文学 作品 や能 の詞 章に は﹁ 悩む
﹂﹁ 病ふ
﹂が よく 用い られ
︑非 雅 語的 なこ とば であ ろう
︒所 労も 現行 の謡 曲に 用例 はな く︑
﹃狂 言辞 典﹄ にも 項目 がな い︒ しゃ はお のれ
︑汝 の意 で︑
﹃日 本国 語大 辞典
﹄で は︑
﹃宴 曲集
﹄巻 一の
﹁者しゃ
が父 なれ ども 鶯は
﹂の 例を あげ てい る︒ この 歌は
﹃万 葉集
﹄巻 九の ほ とと ぎす を詠 んだ 長歌 に基 づい てい ると いう()
︒﹃ 時代 別国 語大 辞典
・室 町時 代編
﹄で は︑
﹃万 葉集
﹄の 歌を
﹁し やが
9
てゝ に似 てな かず
﹂と 読ん だ︵
﹃俊 頼髄 脳﹄
︶の をう けた 固定 的呼 称で ある と︑ 詳し く説 明し てい る︒ 歌謡 の世 界で 伝 承さ れた もの のよ うで ある
︒ この よう に﹁ 歌占
﹂に おい て元 雅は 他の 能に は見 えな い特 異な 用語 を用 いる 傾向 があ る︒ そし て地 方の 庶民 的な 世 界を 描き
︑そ れに ふさ わし いセ リフ を作 って いる
︒同 じく 元雅 の能
﹁弱 法師
﹂に おい ては
︑天 王寺 に詣 でた 高安 の通 俊が
︑﹁ これ に出 でた る乞 丐人 は︑ いか さま 例の 弱法 師か
﹂︵
﹃謡 曲集
・上
﹄︶ と言 って おり
︑こ れも 日常 的な
︑リ アル な表 現を なし てい ると 思わ れる
︒こ うし た傾 向が 元雅 の能 の性 格を 特徴 づけ るも ので あり
︑そ れは 観阿 弥時 代の 古作 回帰 につ なが るも のが ある
︒
〇﹁ 鐘かね
巻まき
﹂︵ 番外 曲︶ 次に 時代 を下 げて
︑﹁ 鐘巻
﹂を 取り 上げ る︒
﹃道 成寺 縁起 絵巻
﹄の 内容 と関 わる 能で
︑能
﹁道 成寺
﹂の 原曲 とな った
もの とし て知 られ る︒ この 曲は
﹃歌 謡作 者考
﹄に 観世 小次 郎信 光の 作と する もの で︑ 他の 作者 付で は︑ 作者 不明 とし てい る︒ この 能は 間狂 言が よく 活躍 し︑ 曲の 中で 重要 な役 割を 果た す︒ この 狂言 は当 然当 時の 口語 的な セリ フが 多 く︑ それ が能 役者 の荘 重な セリ フと 対照 的で
︑よ り演 劇的 な効 果を 生む よう にな って いる
︒こ うし た傾 向は
︑﹁ 安宅
﹂
﹁船 弁慶
﹂と いっ た信 光の 作品 と言 われ てき たも の︵
﹃謡 曲集
・下
﹄︶ にも 見ら れる
︒こ こで も俗 語的 な表 現と 思わ れ る箇 所を 拾う
︒ツ レは 道成 寺の 若大 衆︑ ワキ は住 僧で ある
︒
︵ツ レ︶ いか に申 し候
︒若 大衆 達の 望の 御座 候︒ 此程 かね につ いて 皆々 心労 仕り て候 程に
︑此 白拍 子に 舞を まわ せて 見た き由 仰せ 候が
︑何 と仕 り候 べき
︒︵ ワキ
︶某 存ず る仔 細の 候程 に︑ 無用 とは 存じ 候へ ども
︑お の
〳 〵
衆 議に はも れ候 まじ︒と もか くに ても 候︒
︵謡 曲叢 書︶ この 箇所 は現 在の
﹁道 成寺
﹂で は省 略さ れて いる が︑ 寺の 撞き 鐘の 再興 で苦 労を した 若い 僧達 が︑ 寺に 推参 して き た所 の白 拍子 の舞 を見 たい と望 むと ころ は︑ 地方 の寺 院の 雰囲 気を よく 描い てい るの では ない かと 思わ れる
︒セ リフ のや りと りも
︑若 大衆 と住 僧の やり とり も︑ 実際 の寺 院で 行な われ てい るも のを 模し てい るの では なか ろう か︒ 心労 は気 苦労 のこ とで
︑﹃ 日本 国語 大辞 典﹄ では
﹃宇 津保 物語
﹄国 譲下 以下 の用 例を あげ るが
︑雅 語で はな いで あろ う︒ 現行 曲の 語彙 を網 羅し てい る﹃ 謡曲 二百 五十 番集 索引
﹄に は項 目が ない
︒﹃ 狂言 辞典
・語 彙編
﹄で は︑
﹁辛 労﹂ すな わ ち骨 折り
︑苦 労の 項目 はあ るが
︑﹁ 心労
﹂の 項目 はな い︒ 無用 も﹃ 日本 国語 大辞 典﹄ では
︑﹃ 日本 霊異 記﹄ 巻中
︑﹃ 太 平記
﹄巻 九な どの 例を あげ てい るが
︑こ の語 は﹃ 荀子
﹄に あっ て︑ 漢語 が一 般化 した もの であ るよ うで ある
︒こ れも
﹃謡 曲二 百五 十番 集索 引﹄ には 項目 がな く︑
﹁鐘 巻﹂ には 能と して はか なり 異色 の語 彙が ある とい うこ とに なる であ ろ う︒
﹃狂 言辞 典・ 語彙 編﹄ では
︑﹁ 無用 にす る﹂ の項 目を 立て
︑止 めに する
︑中 止す るの 意と し︑
﹁靱 猿﹂
︵大 蔵流
・狂 言選 集︶ の例 をあ げて いる
︒
〇﹁ 安宅
﹂︵ 現行 曲︶ 次に 歌舞 伎の
﹁勧 進帳
﹂の もと とな って 有名 な﹁ 安宅
﹂を 考え る︒ この 曲に は珍 しい 俗語 的表 現が 多く
︑こ の論 考 もそ の面 白さ にひ かれ て思 い立 った もの であ る︒ 周知 のよ うに この 曲は
︑﹃ 能本 作者 注文
﹄に 観世 小次 郎作 とあ り︑ 観世 信光 の代 表作 のよ うに 考え られ てき たの であ るが
︑表 章氏 は信 光の 伝記 を再 検討 し︑ 従来 の説 を正 し︑ その 生年 を十 五年 引き 下げ られ た︒ その 結果
︑﹁ 安宅
﹂初 演の 年に は︑ 信光 はま だ十 六歳 とい うこ とに なり
︑信 光が
﹁安 宅﹂ を作 った とい う従 来の 説は 成立 しな いこ とに なる と論 じら れて いる()
︒し たが って ここ では 信光 時代 の能 とし て扱 う︒
10
ここ で取 り上 げる べき 箇所 はい くら もあ る︒ この 能で シテ は弁 慶︑ ツレ
︵立 衆︶ は義 経の 郎等
︑子 方は 源義 経︑ ワキ は富 樫某
︵安 宅の 関守
︶で ある
︒
︵シ テ︶ それ がし きつ と思 案し 出し たる こと の候
︑わ れら を始 めて 皆々 憎い 山伏 にて 候が
︑⁝
⁝お ん笠 を深 ぶか と召 され
︑い かに もく たび れた るお ん体 にて われ らよ りは 後に 引き 退が つて おん 通り 候は ば︑ なか なか 人は 思ひ も寄 り申 すま じき と存 じ候
︑
︵シ テ︶ 汝が 笈を おん 肩に 置か るる はな んぼ う冥 加も なき こと にて はな きか
︵ワ キ︶ あら むつ かし や問 答は 無む 益やく
︑一いち
人にん
も通 し申 すま じい 上は 候
︵シ テ︶ 笈に 目を 掛け 給ふ は盗とう
人じん
候な
︵地
︶か ほど 卑し き強ごう
力りき
に︑ 太刀 刀を 抜き 給ふ は︑ 目垂 れ顔 のふ るま ひか
︑臆 病の 至り かと
︑
︵子 方︶ とか くの 是非 をば 問もん
答だ はず して
︑た だま こと の下 人の ごと く︑ 散々 に打 って われ をた すく る︑
⁝⁝
︵﹃ 謡曲 集・ 下﹄
︶ この よう な俗 語的 表現 の多 さは
︑こ れと 類似 する 信光 の作 品︱
﹁紅 葉狩
﹂﹁ 羅生 門﹂
﹁船 弁慶
﹂な どー には 見ら れる
もの で︑ 他の 信光 の作 品﹁ 胡蝶
﹂や
﹁遊 行柳
﹂な ど優 雅な 能と は対 照的 であ る︒ きっ と︵ 急度
・屹 度︶ はゆ るみ ない さま の意 を表 わし
︑こ こで はさ っと
︑ふ との 意で
︑ふ と思 いつ いた こと があ る︑ の意 味に なる
︒似 た表 現で は︑
﹁夜 討曾 我﹂ に﹁ ただ しき っと 案じ 出し たる こと の候
﹂︵
﹃謡 曲集
・下
﹄︶
︑﹁ 望月
﹂に
﹁急 度思 案仕 りた る事 の候
﹂︵ 謡曲 叢 書︶
︑番 外曲
﹁芳 野静 前﹂ に﹁ 某急 度案 じ出 した る事 の候
﹂︵ 未刊 謡曲 集・ 三︶ とあ り︑
﹃日 本国 語大 辞典
﹄で は︑ 金 刀比 羅本
﹃保 元物 語﹄ 巻中 の例 を初 出と して 出す ほか
︑﹁ きっ と思 案し 出し たる
﹂の 用例 では
︑仮 名草 子の
﹃竹 斎﹄ 下の
﹁腹 を切 らん と思 ひし が︑ きっ と思 ひ出 した り﹂ の例 をあ げて いて
︑よ く使 用さ れる 慣用 的な 表現 であ った
︒く たび れた るに つい ては
︑前 節の
﹁信 夫﹂ のと ころ で説 明し た︒ なん ぼう はな んぼ の変 化し たも ので
︑こ こで は程 度が はな はだ しい
︑の 意で ある
︒﹃ 日本 国語 大辞 典﹄ では
︑な んぼ につ いて は﹃ 閑吟 集﹄ の例 を︑ なん ぼう につ いて は
﹃義 経記
﹄巻 六の 例を 最初 にあ げて いる ので
︑室 町時 代か ら多 く使 用さ れる こと にな った 語で はな いか と思 われ る︒ 謡曲 には よく 用い られ るも ので
︑﹁ 道明 寺﹂
﹁隅 田川
﹂﹁ 鉄輪
﹂﹁ 烏帽 子折
﹂﹁ 土蜘 蛛﹂ 等々 に見 られ
︑番 外曲 にも 多く ある
︒室 町期 時代 のは やり 言葉 であ った よう にも 見え る︒
﹃狂 言辞 典・ 語彙 編﹄ では
︑鷺 流・ 狂言 集の
﹁二 千石
﹂の 例を あげ る︒ 作者 不明 曲﹁ 大江 山﹂ には
﹁馴 れて つぼ いは 山伏
﹂︵ 謡曲 叢書
︶と あり
︑こ のつ ぼい は︑ かわ いい
︑か わい らし いの 意で ある が︑ これ は反 対に 謡曲 に見 える 言葉 とし ては 珍し い︒ つぼ いも
﹃閑 吟集
﹄に 見え
︑こ れも なん ぼう 同様
︑室 町時 代に 流行 した 俗語 のよ うに 思わ れる
︒﹁ あら むつ かし や問 答は 無益
﹂や
﹁笈 に目 を掛 け給 ふは 盗人 候な
﹂は 古作 の﹁ 自然 居士
﹂を 思わ せる よう な俗 語的 な表 現で ある
︒次 の目 垂れ 顔の ふる まひ は︑ 目尻 を下 げた 男ら しく ない 振舞 いの 意の よう で︑
﹁烏 帽子 折﹂ にも
﹁あ らは かば かし や盗 人よ
︑目 垂り 顔な る夜 討ち はす ると も︑ われ には かな はじ もの を﹂
︵﹃ 謡曲 集・ 下﹄
︶と 見え る︒
﹃日 本国 語大 辞典
﹄に よる と︑ この 表現 はす でに
﹃平 家物 語﹄ 巻 一・ 御輿 振に 見え てい て︑
﹁山 門の 大衆 は目 だり がほ しけ りな ど︑ 京童 部が 申候 はむ 事︑ 後日 の難 にや 候は んず らむ
﹂
とあ る︒ 目垂 り顔
︑目 垂れ 顔は 京童 部な どが 使用 して いた 俗語 であ ろう
︒あ るい はも とも とこ うし た俗 語の 供給 源と して 京童 部の 存在 が大 きい のか も知 れな い︒ また 風流 能が 盛ん にな る信 光の 時代 とな ると
︑こ うし たく だけ た表 現を 交え た能 も︑ 再び 好ま れる よう にな った ので あろ う︒ さて 先に のべ たよ うに
︑こ の﹁ 安宅
﹂は 俗語 的な 表現 が比 較的 多く
︑全 体的 には 荘重 さを かも して いる 能で はあ る が︑ 中に 滑稽 味を 感じ させ る曲 とな って いる
︒こ れは この 曲が むし ろ﹃ 義経 記﹄ の世 界に 近い もの があ るた めで はな かろ うか
︒た とえ ば﹃ 義経 記﹄ 巻七
・如 意の 渡に て義 経を 弁慶 打ち 奉る 事の 一節 をあ げる と︑ 渡し 守の 権頭
︑﹁ 小賢 しき 事申 すか な︒ さ様 に見 知り たら ば︑ 御辺 渡し 候へ
﹂と 申せ ば︑ 弁慶
︑﹁ そも そも 判官 殿と 知り たら ば︑ 確か に指 して 宣へ
﹂と 言ひ けれ ば︑
﹁正 しく あの 客僧 こそ 判官 殿に てお はし けれ
﹂と 指し てぞ 申し ける
︒そ の時 弁慶
︑﹁ あれ は白 山よ り連 れた る御 坊な り︒ 年若 きに より 人怪 しめ 申す 無念 さよ
︒こ れよ り白 山へ 戻り 候へ
︒﹂ とて
︑船 より 引き 下ろ し︑ 扇に て散 々に こき 伏せ たり
︒︵ 新編 日本 古典 文学 全集
︶ とあ るが
︑こ こに は﹁ 小賢 し﹂
﹁こ き伏 す﹂ とい った 俗語 的な 表現 が見 られ る︒ また
︑こ の部 分の 前の 箇所 には
︑渡 し守 が義 経一 行を 偽山 伏と 見と がめ ると
︑弁 慶が
﹁さ りと も︑ この 北陸 道で
︑羽 黒の 讃岐 阿闍 梨見 知ら ぬ者 やあ るべ き﹂ と身 分を 偽る と︑ 渡し 舟に 乗っ てい た軽 はず みな 男が
︑﹁ 実に 実に 見参 らせ たる 様に 候︒ 一昨 年も 三十 講の 御幣 とて
︑申 し下 し給 ひし 御坊 にて まし ます や﹂ と言 い出 した ので
︑弁 慶は
﹁さ ても かし こく 見覚 えら れた り︒ あら 恐ろ しの 人や
﹂と 言い
︑一 行は 助か るこ とに なる
︒こ うし たユ ーモ アが
﹃義 経記
﹄に はあ り︑ これ が﹁ 安宅
﹂に も多 少影 響し てい るよ うに 思わ れる
︒﹃ 義経 記﹄ の文 体に は素 朴さ があ り︑ また 俗語 やユ ーモ アが あっ て︑ それ は源 義経 の物 語を 持ち 歩い たと 言わ れる 山伏 の語 り口 と関 わっ てい るこ とが 想像 され る︒ こう して 信光 周辺 の風 流能 の時 代と なる と︑ 世阿 弥や 金春 禅竹 の幽 玄主 義か らは 抜け 出て きて
︑俗 語的 表現 の面 白
さ︑ 効果 を取 り入 れた 能も 現わ れる よう にな った ので ある
︒
〇
﹁大 聖寺
︵親ちか
任とう
︶﹂
︵番 外曲
︶ 次に 観世 信光 の嫡 男弥 次郎 長俊 の作 品の 中か ら︑
﹁大 聖寺
︵親 任︶
﹂を 取り 上げ る︒ 上野 の国 那波 の荘 金沢 にあ る大 聖寺 とい う山 寺に
︑花 菊︵ シテ また は子 方︶
・千 満︵ 子方
︶と いう 幼い 兄弟 がお り︑ 二人 は蔵 立院 の尊 堯︵ ワキ
︶の 弟子 であ った
︒兄 弟に は那 波の 将監 成澄
︵ツ レま たは ワキ ツレ
︶と いう 敵が いた
︒成 澄は 寺の 本堂 に立 て籠 もり
︑自 分に 花菊 を差 し出 さな いと
︑本 堂を 焼失 させ ると 脅か した
︒尊 堯や 千満 は花 菊に 代わ って 殺さ れる 決心 をす る︒ 花菊 の乳 母子 親任
︵ツ レま たは シテ
︶は
︑花 菊と とも に出 向い て︑ 成澄 と刺 し違 えよ うと する
︒そ の間 能力
︵ア イ︶ が成 澄に 酒を 飲ま せ︑ こっ そり 本堂 の内 陣か ら本 尊を 運び 出し てい たた め︑ 兄弟
︑尊 堯︑ 親任 は成 澄を 攻め てこ れを 討ち 取る とい うも ので ある
︒地 方を 舞台 とし
︑豪 族同 士の 争い を描 いた 長い 謡曲 であ る︒ 間狂 言が たい へん 活躍 する 点で も︑ 珍し い曲 であ る︒ 次に 俗語 的表 現の 箇所 をあ げる
︒ア イの セリ フの 箇所 は対 象外 とす る︒
︵ワ キ︶ いか に能 力さ ても 不思 議な るこ との 出来
しゅ った
しい
てあ るよ な︒
︵ワ キ︶ また おん 身を おめ おめ と敵 に渡 し申 すべ きこ とは 痛は し︑ さて もな にと ある べき こと ぞと
︑胸 を抱 き手 を握 りた る談 合に てこ そ候 へ︑
︵親 任︶ 最前 より まか り出 てか くと 申し 上げ たく 存じ 候ひ つれ ども
︑ご 隠密 のこ とに てご ざあ りげ に候 間待 ち申 して 候︑
⁝⁝
︵ワ キ︶ これ は日 本一 のこ とを 仕り 候ふ もの かな
︑一 段汝 をば 褒美 せう ずる にて ある ぞ︑
⁝⁝ あら 嬉し や︑ 花菊 殿を 拾ひ 申し て候 ふぞ や︑
︵成 澄︶ 本尊 を奪 はれ てん に呆 れ︑ 頼む 木の もと に雨 漏り て︑ やみ やみ と討 たれ ん無 念さ よ︒
︵﹃ 謡曲 集・ 下﹄
︶