425
フリードリッヒ・ヘルダーリン
ディオーティマ
慎んでディオーティマの霊に捧げます
大 谷 欣 也
1
ディオーテイマ
おんみは沈黙しそして耐え忍ぶ,なぜならかれらはおんみを理解しないから,
おんみは 高貴なる生命よ!大地を見てそして口をつぐむ 美しい日に,なぜなら ああ!いたずらにさがし求めるばかり おんみはおんみのともがらたちを太陽の光のただなかに。
王たるひとびとは,かれらは,はらからたちのようにだが,
ひとつの森の群生する梢たちのようにかつては 愛そうしてふるさとそうしてかれらの つねにつつみ抱く天をぽよろこんだ,
根源をなお鳴りひびく胸のうちに覚えながら。
感謝する人々は,かれらは,かれらをわたしは愛するが,無比に誠実に タルタロスまで下方によろこびをぼもたらした,
自由なるひとびとは,神々のような人間たちほ,
優しく偉大なる魂たちは,かれらはもはや存在しない。
それでかのひとびとのことを泣き悲しむ,服喪の歳月が たしかにつづくかぎり,以前の星々によって
ひごと忘れぬよう促がされて,心はいまもなお
そうしてこの亡き人たちを悼む嘆きは,そは休息しない。
時はだがいやす。天の神々はいまや力づよく
敏捷である。いったいすでにそのいにしえの喜ばしい 権能を自然はとり返しつつあるのではないか。
観ぜよ!いまだわたしたちの塚が,おお愛する人よ,沈む前に,
そは出来する,そしてそれどころか!今でも見るわたしの死すべき歌は かの日をば,その日は,ディオーティマよ!神々についで
1)
英雄たちと共におんみの名を呼ぶ,そしておんみにふさわしい。
この詩の表題 ディオーティマ (Diotima)は,プラトンの『シュムポジ ォ・ン』においてソクラテスが,「私がかつてディオーティマという名前のマン ティネイアの女性から聞いたエnスについての話がある。この方は私にまた愛 2)
の問題を教えてくれた」と語るように,愛の本質についてさとす女性であるが,
その実在性については,「ディオーティマは,あらゆる蓋然性からしてプラトン 3)
によって創作された人物である」とされる。彼女は次のように,愛による人間 意識の展開を知らせた。「もし人がこのように真実の少年愛によって,そこか ら上昇してあの美を見ることを始めるならば,その人はほとんど完成に到達し 得るのである。なぜならこれが,愛に精魂を傾けたり別なものによって導かれ る正しい方法なのである。すなわち人は,この個々の美から始めて,あの一な る美のためにだんだん高くよじのぼり,いわば階段状にひとりの人物から二人
1) Grosse Stuttgarter Ausgabe (=StA), II, S. 28.
2) Platon, Gesamtausgabe, Darmstadt 1974, III, S. 311.
3) a. a. O.
フリードリッヒ。ヘルダーリン 427 へ,二人からあらゆる美しい人物へ,そしてもろもろの美しい人物から美しい 徳と行為の方法へ,そしてもろもろの美しい徳と行為の方法から美しい諸知識 へ,人は諸知識からついにあの知識に到達するのである。これはまさにほかな らぬあの美そのものに関する知識であり,そして人はかくてとうとう美である 4)
ところのあのものを認識するのである。」本稿ではこれをよすがとして,ディ オーティマについていわば詩人の 愛の軌跡 を探究しようとするものである。
ヘルダーリンは1770年3月20日誕生したが,そこは当時廃されていた女子修 道院の修道院館であったから,出生の時から宗教的女性のやわらかな雰囲気の なごりに包まれていたのである。その執事および聖職管理者であった父は2歳 の時突然亡くなり,それからは母と里国により二人の妹と共に育てられる,ま さに女性だけの家庭であった。二年後の1774年母は再婚し,詩人は義父にもよ くなつき愛されるが,義父は1779年に病死したから,それからは母と祖母の女 手だけによって弟妹たちと共に育てられるのである。彼は何人もの妹たちや近 親を失ったけれども,義父の死とそれを嘆く母の姿を目の当りにしたことが,
感じ易い少年の胸にいやしがたい強い衝撃を与え,幸福な少年時代はおわり,
それ以後根本において名状しがたい悲痛への心的傾向が身について行くことは,
5)
後年みずから母に告白している。すなわち詩人はひたすら目標をめざす強い意 志性のほか,繊細な,多感な,またものやわらかく優しい内面の少年であったが,
その深い奥底に二人の父の喪失が主因をなす,埋めきれぬ空白をつねに秘めて いたが故に,いつも何か優しい女の人の愛を求める風があったようである。
それは,1786年秋マウルブロンの上級修道院学校に進んでから,そこの管理 人の三人娘の末子ルイービ・ナスト(1768−1839)と知りあい,やがて愛しあ うようになるが,彼女が二歳年上である事実にも何がしか影響していたのでは なかったろうか。この初恋はまさしく愛のレッスンの始まりであるが,同級生 ならびにすべての在校生のライバルをさしおいて彼女の心を獲得したことには,
詩人がおそらく母親ゆずりのきわめて美しい容貌美しい姿をしていたことが
4) lbid. S. 349.
5) Vgl. StA VI, S. 333.
大いに与っていたであろう。その魅力的顔かたちは,これからいつも多かれ少 なかれ乙女達をまとわりつかせることになるが,少年は友人達の中傷,悪意,
嫉妬,ねたみ等を経験しつつ,青春のもろもろの苦しみ喜びを愛について学習 するのである。ルイーゼはきっと人並以上の美しい乙女であったが,今日残さ れている三通の手紙等からすると,感激しやすいところのある,優しい心情の もち主であったらしい。だから彼女は姉のような優しさで少年を包み,非人間 的な厳しい諸規則に苦しむ少年の心を大いに慰め,人生のさまざまについて言
うならぽ教える立場であったろう。
この年の最初の成果rシュテラに寄せる』では,「よしんばわたしがようや く白髪の頭を傾け亡くなっても/久しく憧れたのちついには極楽往生を遂げん と/よしんば巡礼老のおんみをもはや見ないとしても/シュテラよ!わたしは 6)
おんみに彼岸でふたたび会う」と歌い,『小夜哺鳥に寄せる』では,「おお,
シュテラよ!そを語れ!そを語れ!一わたしはふるえない!一/愛されている 歓びは殺した/この熱中せる者を一しかし涙流しつつわたしは/おんみの幸福 7)
な恋する人を祝福しよう」と詠じるから,二人の関係が決して平垣なものでは なく,彼女もその心をゆり動かすことがあり,少年は苦悩することが知られる。
翌年夏頃の『嘆き シュテラに寄せる』では, 「シュテラよ!ああ!わたした ちは多く苦しむ!墓さえ来るならば!来たれ涼しい墓よ!わたしたち二人を受 8)
け取れ!/見よシュテラの涙を,来たれ/涼しい静かな墓よ」と綴るから,二 人がせまい地域社会のなかで,うわさ等のさまざまな周囲の干渉に苦しむ様が うかがわれるのである。しかしこれらの試練をくぐりぬけて彼はルイーゼへの 愛を再確認し,卒業の1798年9月には,「嵐たちはおびやかせ,もろもろの苦 悩は/別れさせよ一別離の年々は/そはわたしたちを引き離さない!/そはわ たしたちを引き離さない!/なぜならおんみはわたしのもの!墓をこえて/そ 9)
は続く離すことのできぬ愛は」と記す。かくて彼は卒業の休暇を一緒に楽しく
6) StA 1, S. 21.
7) lbid. S. 22.
8) lbid. S. 26.
フリードリッヒ・ヘルダーリン 429 過ごすと共に,将来の結婚について決意し母の承諾を得たのである。彼女は20 歳であるからおそらく当時においても適齢期であったかもしれないが,詩人は 弱冠18歳であり,年上のルィーゼに影響されたとはいえ,若き情熱のほとばし
りにしては余りに性急にすぎるのではなかったろうか。
じじつ詩人は10月テユービンゲン大学神学寮に入学して,二級上のノイファ ーおよびマーゲナウといよいよ本格的な文学的交わりをするにつれて,次第に みずからの 軽率 に気づき新しい苦しみが始まるが,とうとう翌年3月彼は 婚約解消の手紙を出すに至る。いったんは若くしてすっかり官能的愛の虜とな
り,婚約という世俗的愛にほとんど埋没しかかったが,二人の文学的友人によ 10)
りかろうじて詩人をめざす 聖なる道 に戻り得たことは,『名誉に寄せる』
において, 「かつてわたしは安らかだった,まどろんでいた心配なく/静かな 苔むす泉のほとりに,夢見ていたシュテラの接吻を一/そのとき呼んだおんみ は,森の流れは止まりおののいた,塀の梢からノ跳び起きたわたしは,よろめ きながら感じた魔法の力を//ああ!夢見ていたならわたしは今なおシ=テラの 抱擁のかずかずを/だが否!マナにかけて否!努力もまた/飾りとなる,より 11)
弱きものたちの汗もまた高貴なり」と歌うことに現われていよう。さらに『昔 と今』では,「さらば,おんみら過ぎ去った時代の金色の時々よ/おんみら,
愛する幼子たちの偉大と名声の平々よ/さらば,おんみら遊び仲間たちよ/そ !2)
の若者のために泣け彼は軽蔑されている」と記して,彼はこの世的接吻と抱擁 の愛から精神的に目覚め,無軌道な青春の遊びをしていた仲間達から脱け出て,
それまでのよたり時代の過去一切を清算するのである。
詩人がこのように新しき未来をめざして歩みはじめても,彼自身その無知と 軽薄のなごりに苦しむように,生き身の女性の気持はそう簡単に片づくはずが なく,それは1790年復活祭の休暇に手紙と共に花を贈る形となって現われたの
9) lbid. S. 64.
10) Vgl. lbid. S. 79f.
11) lbid. S. 94.
12) lbid. S. 96.
である。彼はその意味するところをさとり,それまでの書簡と指輪を送り返し 最終的に結着をつけるが,その理由として「私の風変りな性格,私の気まぐれ,
私の計画高,そして(まさに本当のことを申しますと)私の名誉心が一すべて は危険なしには決して全部根絶され得ない特徴が一私が平和な牧師館で,静か 13)
な結婚生活で幸福になるであろうことを私に希望させないのです」と母に告げ たのである。文学をめざすことを名誉心を満たすと表現した故に,世間一般の 世俗的愛と生活のみを望むルィーゼの希望に従って田舎牧師に埋れるわけにゆ かず,彼我の精神的世界の相違を認めざるを得ぬところがら,彼女はやむを得 ぬと諦めざるを得なかった。だが止めを刺された彼女の悲しみ苦しみはいかば かりであったろうか,その余情は後まで続くが,詩人はこの件について周囲の 人々から悪しざまに言われたであろう。それは,「私にとってかくも貴重であ ったひとりの人に関して,彼女自身止むを得ぬと理解し,そして私にとっては.
千の戦闘に値した私の変化について,私がもろもろの批難を聞かなけれぽなら ないとは,お前はこの女の子に悲しい日々をひき起しているのだと私が思わな
14)
ければならないとは」と母に書くことから知られる。二人がはじめて出会った 時は,おそらくおそわる立場であった詩人であるが,詩人の根本的特徴である 急速な意識の進歩発展を如実に示すように,いまや彼女をはるかにしのいで精 神的に成長してしまったことを,彼女は認めざるを得なかったのであろう。
かくて詩人は青春の情熱的愛の課程を卒業し,それまでのもろもろの軽薄な 愚行をも過去のものとしてひたすら文学をめざすが,その 後遺症 にいかに 苦しんだかは,後年弟にあてた次の手紙が知らせていよう。「求愛したのが私 ひとりでなかったかぎり,私は軽率と軽視を耐え忍ぽねぽならなかったので,
私は最も美しい人生の時期において,かくもあまたの快い日を悲嘆のうちに過 ごした。後になって私は好意を乏い出しそして好意を与えた。しかし最初のよ り深い関心が,私が耐え忍んだ不当な苦悩のなかで消え去ってしまったことは.
困難なく気づかれた。テユービンゲンにおける滞在の第三年目と共に終ってい
a3) StA VI, S. 68.
14) lbid. S. 53.
フリードリッヒ・ヘルダーリン 431 た。のこりはうわべだけであった。そして私はテユービンゲソにおける最後の 二年間をそのような無関心の関心のなかで生きて,十分に償ったのである。私 は,それによって私の性格のなかにしのびこみ,そしてそこから私が名状しが たく苦痛な諸経験を通してのみ,ふたたび骨折ってのがれた軽薄によって十分 15)
・に贈ったのである。これが純然たる事実である。」第三年目とは婚約解消した 1790年春に当るから,まさにルイーゼを指しているが,それにまつわる深い憂 鶴iがこれ以後心に巣食うなかで,この頃創られた『愛の歌』では, 「愛は岩石 をうち砕いて/魔法で楽園を創り成し/天と地を再び創造する/神々しく劫初 におけるように/兄弟たちよ!姉妹たちよ!愛に歓呼せよ!/愛は時と墓を征
16)
服する」と歌う。みずからの個人的体験からやがて一般的普遍的真実に到達つ ることは詩人に特徴的であるが,詩人は,ルイーゼという個人的愛の対象から、
万象をむすび育くみ,宇宙を創造する普遍的力, 存在するものの高貴な絆 と しての愛に上昇したことがうかがわれ,ようやく詩人の天性が発露されたので ある。したがってルイーゼは,官能的世俗的愛の初期の段階を教える歴史的使 命を果した,有難い,貴重な, 第一のディオーティマ と呼び得るのではな
かろうか。
II
ヘルダーリンはかくて欝屈した心情のなかで暗い失意の日々を過すが,詩歌 だけを唯一の慰めとして精進努力するうち,この夏神学教授の娘,高貴な家系 のエリーゼ・レブレット(1774−1839)と知りあう。その時はそれきりであっ たが,秋あるオークションで再会し詩人は少しずつ彼女にひかれて行き,やが て彼女の好意を得たようであった。そこから年末までにrおが快癒 リュ 一一ダ に寄せる』が創られたが, 「すべての花は散ってしまっていた/樹木から。勇 気と力は/わが道を先へと旅する/戦闘のなかで衰え弱っていた/消え去った 歓楽と生気は/以前の年々の誇り高き安らぎは/わが悔恨に身をまかせ/わた
15) lbid. S. 264f.
16) StA 1, S. 111.
しは静かに墓によろめき進んだ//ああ,おんみの神々の饗宴で/わたしはいま や忘却を飲む/なみなみと注がれた魔法の杯に/おんみは力と甘美をさしだす
/己惚おくあたわず/わたしは変貌を驚き凝視する!/野と森は生れ変った/
神々しく春はこちらへ光り輝く/わたしが再び力をかち得て/かつてのように 自由かつ至福であることを/わたしはおんみの天上の心に感謝する/リューダ
17)
よ,甘美な救い主よ!」と歌った。
詩人がルイーゼとの婚約解消を契機として心情的に花々が散り落ちた,いわ ば 第一の生ける屍 の状態から,四歳年少のレブレットの愛によって 第一一 の復活 として救われたことはまちがいないが,それはかってのような向こう 見ずな激しい物質的愛ではなく, 無関心の関心 と称される,どろどろの愛 欲を閲した後の言うならば上澄みの愛により生命を甦えらせたのである。ひた ぶるに肉迫することのない, うわべだけ のような印象を与える,一般化さ れ非人格化されたような,何気ないような愛は,『メロディー リューダに寄 せる』において,「リューダよ,見よ!魔法のようにからめられて/森羅万象 を愛の創造者の手がたもつ/地と天は誠実にむすばれて運行する/ひびきと魂 18)
を愛の絆がむすびあわす」と綴る所にも現われていよう。しかもこの愛が本質 において長続きしなかったことは,この年末か1791年初のrリューダに寄せ る』で,「見よ!誇りに満ちてわたしはしばしば誓っていた/移ろわぬとこの 心の結合は!/リューダはわがために,わが幸福のために生れた/リューダは わがもの,おが魂がわがものであるようにと/しかし妬んで歩み来たれり別離 の時が/誠実な乙女よ!わたしとおんみの間には/もはや決して,もはや決し て地球の上では/リューダよ!うち解けた腕は近づきあわない/すぼやくもわ たしたちの春は飛び去ってしまった!/おお,おんみ唯一の人よ!許されよ!
許されよ!/おんみの平和をそは奪ってしまった/わが愛は,涙にくれて曇り
19)
ふさぐよう」と記す紀行から知られるのである。
17) lbid. S. 120f.
18) lbid. S. 122.
19) lbid. S. 128f.
フリードリッヒ・ヘルダーリン 433 あたかも16歳の彼女からすれぽ,ふわあっと近づいて来てあれやこれやの美 的言の葉を舞わせるから,その対応にとまどっている間に,またふわあっと何 か風のように遠去かってしまうのであるから,後になって時と共にようやく詩 人の魅力的人間性が少しずつ理解されるにつれて,彼女の側から断ちがたく惹 かれて行くのであった。しかもこの詩が未完のままであったことはやはり詩人 の徹底性を欠いた愛の反映とも見られ得るが,たちまち歌の泉が喋れたことは いち早く詩人が本質においてレブレットとの愛を卒業した事実の証拠と言えよ う。しかし詩人はその人間的本質であるあの優しさから,たとえ本心ではなく うわべだけであっても,彼女と会ったり手紙のやりとり等でき得る限りの対応 をするから,その限りにおいて詩人は,人の心と心との間にかよいあう甘美な 心情と想念という愛のエッセンスを吸収して生命の糧とすることができるから,
ますますレブレットは愛の糸が続くと思い込む結果となるのである。この 上 澄みの愛 はまさにそれが上澄みであるが故に逆に長続ぎすることになり,こ れ以後大学を卒業してからも,主として彼女の側から母をもまきこんで愛のな
ごりのなごりとして連綿と尾を引くのであるQ
かくて詩人は心情の死から甦り, もろもろの美しい人物から美しい徳と行 為の方法へ の段階に至り,さらに もろもろの美しい徳と行為の方法から美
しい諸知識へ の段階めざして努力するが,それはこの年以後大学時代の一大 特徴である諸讃歌となって結実するのであった。それはまず『静寂に寄せる』,
『不滅に寄せる讃歌』となり,つづいて未完ながらギリシャについての最初の ものとなる『ギリシャの守護神に寄せる讃歌』では,クロノスについて「神々 20)
の面前で/おんみの口は決した/愛の礎の上におんみの国を築くことを」と吟 じ,いと高き愛こそがギリシャの神々,その文化の本質と洞察するのである。
また『調和の女神に寄せる讃歌』では, 「太古の混沌の大波の上に君臨して/
威厳にみちて微笑みながらおんみは合図した/すると荒々しい諸元素は/愛し つつおんみの合図に応じてたがいに飛びあった/至福なる結婚の時をよろこび 21)
ながら/存在するものは今や存在するものにからみあった」と,この世の愛の
20) lbid. S. 126.
次元をはるかに越えた宇宙万象を創造する, 聖なる愛 , 無垢なる愛 が歌 われるのである。さらに『ミューズに寄せる讃歌』では,「聞け,地と天よ!わ れらは誓約す/女王の永遠なる司祭たることを!/地球上の幾百万の人々よ!
22)
/新しき至福なる天職に来たれ!」と,まさに詩人としての天職に目覚めたこ とを知らせた。またr自由に寄せる讃歌』では,はじめて 祖国愛 が格調高 く歌われたのである。
詩人は1791年の『人類に寄せる讃歌』で, 「青年はその本領を発見した/肉 23)
欲の魔法の手が彼に合図しても空しい」と,いまやこの世的愛を通りすぎ,よ り普遍的愛,詩人の天職という本来の活動領域に,美的世界に抜け出ているこ とを知らせるのである。この秋シュトイドリーンは『1792年版年刊詩集』を出 版し,『ミューズに寄せる讃歌』が巻頭をかざると共に,『調和の女神に寄せ
る讃歌』,『わが快癒 リューダに寄せる』が載り,ヘルダーリンははじめて詩 人としてデビューしたのである。さらに『美に寄せる讃歌』がっくられ,前の と異なる『自由に寄せる讃歌』では,詩人の生涯にわたる根本目標である よ り善き世界 が歌われた。翌1792年2月に彼は妹に 男子に成る べく努力す ることを伝え,青年から一人前の人間にならんとする意識の進展を示すが,復 活祭の休暇にノイファーをシュトゥットガルトにたずね,そこで知りあった
高貴と静けさ の女性に心ひかれる。彼はその後8月に再会して,9月には ノイファーに かすかに友情を願った 手紙をたくすが,名前も知られぬこの 女性とはそれきりで沙汰止みになったようである。この年は『友情に寄せる讃 歌ノイファーとマーゲナウに寄せる』,また『愛の歌』の第三稿として『愛に 寄せる讃歌』,『青春の守護神に寄せる讃歌』が生れたが,これらはこの年の r年刊詩集』に載せられた。そうして詩人は夏頃から 美しい諸知識 の段階 である諸讃歌を卒業して,それからは『ヒュペーリナソ』にもつばらとりくみ,
いよいよ現実世界をくぐりぬけて愛の理想像ディナーティマを求める遙かな道
21) lbid. S. 131.
22) lbid. S. 138,
23) lbid. S. 148.
フリーードリッヒ・ヘルダーリン 435 をまさぐり始めるのである。翌1793年にはr敢威の守護神に讃歌』が不思議 な美しき知識のなごりとして成立した。
彼はこの9月弟に書いた。「私は個々の人間にはもはやそれほど暖かく愛着 していない。私の愛は人類である。私は来たるべき諸世紀の世代を愛する。と いうのは,これが私の最も至福な希望,私を力強く活動的にさせている信仰な のだから。私たちは,すべてのものがより善き日々をめざして働く時期に生き ている。この啓蒙の芽,人類の教育のためのこの少数者の静かな願望と努力は 広がり,強まり,素晴しい果実を結ぶだろう。これが,私の願望と活動の神聖 な目標である一未来の時代に熟すべきもろもろの芽を,私が,私たちの時代に 目覚めさせるという,このことが。おお!私のようにあの目標に向かって努力 する魂のもち主が見つかるならば,その人は私にとって神聖で貴重だ,何物に
24)
もまして貴重である。」詩人はまさに美しい個々の人物や美しい諸知識を求め る愛の段階を通りすぎ,普遍的愛,透明な人類愛に到達するが,もちろんルイ ーゼやレブレットは より善き日々 をめざして共に努力する魂のもち主では あり得なかった。だがレブレットは,ルイーゼ後の傷心の詩人を救い,ともす れば諺屈しがちな,無味乾操な,空しい心情に彩をそえ,人類愛まで上昇する 愛の仲つぎの役割をたしかに果したのであるから,感謝の念をこめて 第二の ディオーティマ と呼んで差し支えないであろう。かくて詩人は牧師の資格を 取得して大学を卒業するが,副牧師になることを嫌い,もうひとつの神学生の 生きる道,家庭教師として1793年暮,シラーの紹介によりテユーリンゲンはヴ ァルターハウゼンのシャルPッテ・フォン・カルプ夫人宅めざして男子として の第一歩をしるす旅にいさんで立つのである。
彼は1794年新年から九歳の少年ブリッツの家庭教師をはじめると共に,詩作 にもはげむが,幸福な生活はせいぜい夏頃までであり,やがて少年の悪癖と凡 庸さに苦しみ始め必死の努力をすることになる。また彼はシラーに『運命』の 詩,『断篇ヒュペーリオン』を送るが,ここでは愛の女性はまだ メリーテ
(Melite)と呼ばれていた。これらは,詩人が教え子と共にイェーナに行き,
24) StA VI, S. 92f.
その生徒のように親しくシラーのもとに出入りする11月『タリーア』に載り,
彼はいわば中央文壇にデビューしたことになろうか。それから暮には三ケ月の 給料をうけて正式に家師教師をやめ,1795年はフィヒテの講義を聞いたり,ゲ ーテ,ヘルダー等にも会ったりして当時精神的興隆期にあったイェーナの精神 的活動に活発に参加する。また3月シラーの紹介によりコヅタから『ヒュペー
リオソ』を出版することになり,その執筆に全力を尽すが,ここで創られた『ヒ ュペーリオソの青春時代』において,はじめてディオーティマの名前が登場す
25)
るのである。
詩人はところが6月上旬頃シラーにも何も知らせぬまま突然イェーナを後に して周囲を驚かせるが,その帰途ハイデルベルクでやがて運命の銀の糸の結び 手となる医師・自然研究家工一ベル(1764−1830)と知りあい,すぐ友情を結ぶ。
彼はフランクフルト出身でゴンタルトの妹マルガレーテ(1769−1814)と知り あい相思相愛になるけれども,豊かな家庭との不衡合のため結婚できぬままゴ ンタルト家に親しく出入りしていたのである。詩人の謎の帰郷の原因について は,シラーをはじめとする精神の巨人達が無名の新人に与えた圧迫感等さまざ
まに言われ,それらは多かれ少なかれみな影響していたであろうが,おそらく 根本は,いさんで社会に旅立ったものの,みずからの責任ではないものの,わ ずか一年足らずで家庭教師の職を止めなけれぽならなかった挫折感であったろ
26)
う。しかしこの帰郷がなければ,きっとエーベルとは会えなかったであろうか ら,これは霊妙な運命の守護神のなせる御業と見なけれぽなるまい。
詩人が故郷で深い挫折感のまま失意のどん底に沈み暗い日々を生きたことは,
マーゲナウが,「彼は以前の彼のすべての同情に対して無感覚になっていた。
27)
生ける屍だった!」と翌年ノィファーに書くことから知られる。すなわち彼は 前よりひどい 第二の生ける屍 となったのである。8月工一ベルからゴンタ ルト家の家庭教師の紹介があり,詩人は引き受ける旨の返事を出す。詩人の心
2s) Vgl. StA III, S. 217.
26) Vgl. StA VI, S. 177. S. 183.
27) StA VII, 2: S. 44.
フリードリッヒ・ヘルダーリン 437 の凍てつきと枯渇は,この秋の『自然に寄せる』で, 「死せり今やわたしを育 て乳をふくませたものは/死せり今や若々しい世界は/かつて天が満たしたこ の胸は/死して貧しい刈りあとの畑のように/ああ!春はわたしのくさぐさの 憂いになお/かつてのように親切な慰めの歌をうたう/しかし去ってしまった 28)
わたしの生命の朝は/わたしの心の春は花咲きおえてしまった」と綴ることに も反映していよう。ところがなかなか後のたよりがなく,宗務局によってどこ かの副牧師に任命されないか恐れつつ,深い絶望,失意,挫折感のなかで苦し い日々を過ごしていたが,12月になってようやくエーベルから連絡があり,詩 人は救われた思いでただちに受諾の返事を出す。それから暮にフランクフルト に到着し,31日宏大な 白鹿館 にあいさつに出向くが,詩人はこの時はじめ てズゼッテ婦人,すなわち第三の真のディオーティマと運命的出会いをしたは ずであり,その比類なき,高貴な,面当な美しさに驚嘆して,さぞかし死に枯 れ眠り込んでいた心と魂は俄然ゆり動かされ目覚めさせられたであろう。
III
ズゼッテは,63歳の晩婚であった商業顧問官ハインリッヒ・ボルケソシ=タ イン(1705−1777)と,36歳も若い,フランスから亡命してきた改革派の名門 の出である母ズザンナとの最初の子供として,1769年2月9日ハンブルクに誕 生したが,生れながらにして優雅と美貌に恵まれていた。一家は夏小さな別荘 に移り住む豊かな暮らしをしていたが,彼女は八歳の時雨を失い,いわば 第 一の不幸 を経験し,母と四歳年少の弟ヘンリー・ボルケソシュタイン(1773
−1828)の三人は緊密に結ぼれて行くのである。母はズゼッテの教育に細心の 注意を払い,おそらく家庭教師により,母の本国とのつながりからフランス語 をはじめとする外国語,またフランス文学を中心とする文学,ピアノと歌唱を 主とする音楽,手芸等の女性らしい仕事を学ぶが,一般の主婦としての仕事は あまりなされなかったらしい。また母と娘はクロップシュトックときわめて親 しい関係にあったという。彼女は母の偶像であったが,黒い長.い髪とやはり黒
28) StA 1, S. 192.
い瞳はその肌の色白さをいっそう際立たせ,そのギリシャ的美しさによって会 う人を魅惑しないではおかなかった。
曽祖父の代にやはり信仰の故にフランクフルトに移住した改革派のヤーコプ
・ゴンタルト(1764−1843)は,祖父からはじまる銀行業にたずさわっていた が,言い伝えによれぽ純粋なビジネスマンであり,そのモットーは 仕事最優 先 であった。彼は神経質な興奮しやすさがあって,そこから少年の時事故に より右眼を損失したが,その性格は後半世全体をつらぬくものであった。ズゼ ッテは祖母によりやーコプとは第二世代のいとこ同志であったが,彼は商用旅 29)
行の途次彼女と知りあい,二人は1786年7月9日ハンブルクで結婚する。あた かも新郎22歳,新婦17歳であった。彼はおそらくその美貌に魅せられたにちが いなく,よるべなき未亡人は,宗教も同じ親戚同志であり,家格もつりあって いるところがらこのあわただしい結婚に賛成したのであろう。ズゼッテの 第 二の不幸 であった。そうして母は何故か,これを機にゴソタルト姓に変えて
しばらくはハンブルクに留まるのである。
ズゼッテはゴンタルト家に親しく迎え入れられたが,ヤーコプの所有ではな い白鹿館に最初から住んだかどうかは不明である。家の生活はその頃の富裕な 市民階級の風であり,また大変客をよろこび,結婚生活はおおむね伝統的なも のであったらしい。彼女は翌1787年長男ヘンリーを出産するが,その際正気を 失い一時的精神障害に陥り,その後少しずつ回復したのである。すなわち 第 三の不幸 であった。彼女はそれからヘンリエッテ,ヘレーネ,アマーリエの 三姉妹をこの世におくるが,母は1791年以来娘のもとに住み,やがて乳癌を病 み苦しみながら1793年亡くなった。 第四の不幸 である。最愛の母の喪失は ズゼッテに限りない深い悲しみを惹き起して,その空自を埋めるべくゴンタル トは,二人の家政婦をやとい,また子供達の教育は家庭教師に委ねることで済 まそうとしたのである。彼は,「取引所相場を私はきわめて精密に理解してい る。しかし,どのように子供達が導びかれるべきかとか,何を子供達が学ばね 30)
ぽならないかは,私の義務ではない。それは母親が世話しなければならない」
29) VgL StA VII, 2: S. 61ff. S. 772ff.
フリードリッヒ・ヘルダーリン 439 と語ったのである。
かくて詩人は1796年新年から当時八歳であったヘンリー(1787−1816)の家 庭教師として働きはじめるが,授業は午前中だけ,必需品は無料で供給され,
年報400グルデンであるから当時としては恵まれた:方であったろう。彼はもは やかつてのように興奮せずはりきらず,多くを望まず,孤独に耐えて行く覚悟 をしていたが,1月中旬ノィファーに「私はわずかなもので満足すること,ま た永遠の美に似たものを運命から期待するよりも,むしろみずからの努力と活 動によってそれに近づこうと努めるよう,私の心を向けることにより憧れて行
31)
くだろう」と伝えた。つまり詩人ははやくもズゼッテの美に捕えられつつある が,もはや人妻であるから,世俗的愛はすでに二人目ディオーティマにより学 習済みであるから,もはや運命から期待せず,その大前提からまさしく 永遠 の美 そのものをめざす,みずからの精神的 努力と活動 にはげむ心算とい
うのであろう。
やがて彼は弟に生涯のなかばで老人になってしまっていたが,今や若返った 32)
こと,神がこの幸福な平安を与えたことを伝え,ノイファーには申し分なく神 33)
神のように幸福に暮らしていると書くのである。彼はズゼッテとの出会いから ほどなく今日失われた最初の詩を創ったが,そこでは アテネーア (Athenaa)
と題されていたから,『ヒュペーリオン』におけると同様な事情が見られよう。
それ以後は ディオーティマ と題されるが,それは幾稿か存在し,またディオ ーティマの名前を含む詩はたくさん残されている。ディオーティマ中間(第三)
稿は1節が8行の15節という長大なものであるが,最初の三節は次のように歌 われた。「久しいあいだ死にそして深く閉ざれていたが/あいさつするわたし の心は美しい世界に/その枝々は芽吹きそして花咲いている/あたらしく生命 の力にみなぎりて/おお!わたしはやはり生命にたち帰る/さながら大気と光
30) StA VII, 3: S. 65.
31) StA VI, S. 200.
32) VgL lbid. S. 201.
33) Vgl, lbid. S. 205.
のなかへ/わたしの花たちの歓喜にあふれた切望が/干からびた殻から突き破 り出るように/何とかくも変貌してしまったことか!//ディオーティマ!神の 祝福を受けた人!素晴しき人,この人によりわたしの生命の息吹は/生命の不 安から救われて/神々の青春が約束された!/わたしたちの青空は存続するで しょう/測りがたくもたがいに近似して/わたしたちが会うより前に/たがい 34)
にわたしたちの最深奥は知っていた。」
詩人はディオーティマの愛により 第二の生ける屍 から 第二の復活 と して今や甦ったが,たがいの 近親性 (Verwandtschaft)は,初期のディオ ーティマの詩に通ずる根本認識である。ズゼッテは母亡き後たった一人の肉親 である弟とより親密にむすぼれていたが,豊:かなワイン商を営む弟は,ほとん ど毎年妻と共に訪ずれて長期滞在するのが常であった。その弟が詩人によく似 ていたと伝えられることはおそらく事実であったにちがいなく,この人生の不 思議がよく言われるように,二人をより容易に近づけたであろう。彼は子供達 の教育問題について忠実にズゼッテの相談に応じ,誠心誠意努力してあらゆる 期待にこたえると共に,音楽,文学,芸術一般等についても話し合ったであろ う。詩人は故郷からフルートを送ってもらい,娘達の教育係マリー・レツ=ル
(1772−1849),ズゼッテの三人は合奏して嬉しい音楽のひとときをもつように なる。二人用日一日と暮らすうちたがいの精神,心情,心,魂の近似をたがい に発見しておどろくが,かくて「愛のおのずから起るときまでは,ことさらに 35)
呼び起すことも,さますこともしないように」と歌われるように,いつしか二 人の間には親密なおもいが芽ばえ,次第に心を通わせるようになって行ったで あろう。すなわち二人はやがて外的物的近親性をこえて,精神的霊的近親,よ り美しき時代の理想 魂のはらから (brotherhood in spirit)の理解に上昇 して行くのである。それは,ズゼッテの「わたしは,あなたの近似した魂の答
36)
に憧れます」や,「私たちが類似している愛する魂に委託する,私たちのより
34) StA 1, S. 216.
35) Hoheslied 2, 7.
36) StA VII, S. 84.
フリードリッヒ・ヘルダーーリソ 441 善き本質の声以外に,いったい何が私たちをこのあいまいな生と死を通じて導
37)
き得るでしょうか」という言葉からも理解されよう。
かかる 魂の近似 からすれぽ,一方が生き返る時,他方のズゼッテもまた 詩人のように甦ったのではなかろうか。もともと教養豊かに育てられた彼女は,
おそらく青春の夢あふれる息吹も知らず,17歳の若さで求婚されるままたちま ち結婚し,芸術一般とはあまり縁のなさそうな実務的銀行家との平凡な生活を していたが,今や詩草に出会い,それまで失われ忘れられていたかつての美的 世界がよみがえり,それと共にもって生れた素晴しい天性が少しずつ花開いて,
真,善,美,聖の精神的世界に目覚めたのである。すなわち彼女は四人の子供 を創造した世俗的愛をようやく卒業して,より高貴な精神的愛,魂と魂との愛 に気づき,その階段をのぼり始めたとも言えよう。彼女はこのように本来の美 の世界に生き返ると共に,この世的には一歳年長の姉として,また愛の導き手 ディ〉 ・一ティマとして,詩人をば教えさとす人生の諸事象をくくつぬけて,み ずからが体現しつつある 永遠の美 へと誘うのである。
それは,まず詩人が5月コッタに対してrヒュペーリオン』を全面改作し,
全体を今日見られる一冊の書簡形式にする旨の申し出となって現われた。それ まで観念の創造物にすぎなかった愛の理想像は,ズゼッテという生ける美の典 型との親密な関係から,はじめて実在感あふれる,魅惑的な永遠の女性に変貌 し得たが,古代ギリシャの仮象の幻から現代に生きるディオーティマが誕生し たのである。かくて二人は,官能的愛による物質的存在ではなく,魂と魂との 聖なる愛から聖なる存在を生み出す,神的なる霊的なる創造に無上の歓びを味 わうのである。古代ギリシャは詩人にとって より善き日々 の具体的理想で あるから,その霞のなかから永遠の美の似姿としてディオーティマをよみがえ らせたことは,来たるべきより美しき時代の人類のあり方をまさに文学の形式 において現代に実現したことになろう。
それから夏フランス軍の襲来を予期してゴンタルトをのぞく一行は,ズゼッ テの故郷ハンブルクに向けて避難の旅をするが,彼女はなぜかカッセルが気に
37) lbid. S. 67.
入り故郷まで行くことを止め,やがてバート・ドリーブルクに移り滞在する。
それはもしかしたら不思議な愛のなせる画業であったろうか。おそらくこのニ ケ月程の旅は,天が二人に与えた希有なる至福の瞬間であったが,その親密振 りはまわりの人々に逸話の種を提供する程であったらしい。年あけて1797年に なってもノイファーに幸福な生活を伝え,詩人はまさに 美そのもの (das 38)Sch6he selbst)をまじかに眺める至上の歓喜の境地を伝え,天上的弓と美の
化身ディオーティマにこそ共に より善き時代 をめざして努力する 貴重な 魂のもち主 を見てとったのである。復活祭にはまちに待った,二人の天上的 愛の結晶,霊的子供たる『ヒュペーリォン第一巻』が世に出て,その幸福は頂 点を極めたのであろうか。ズゼッテが, 「至高の愛の情熱はおそらく地上では
. . ・ . ・ . ・ . ・ . . ・ . . 39)
その満足を決して見出しません」と綴るように,二人が精神的レベルにおいて のみの親密な関係であるから,何らやましい所がないと思っていたとしても,
世俗的愛しか知らない周囲の人はそのような魂の天上二二を理解できない故に,
二人は次第に妬みの視線を浴びるようになって行った。彼は7月ノイファーに,
40)
「おお!私の青春を私に返してくれ!私は愛と憎しみに引き裂かれている」と 最初の危機の勃発を伝え,二人目それまでの幸福な生活に止めを刺されて,あ
とは一年後の破局に至るまで忍耐と沈黙の重荷に苦しみながら,やがて自発的 平和的に別れることを話し合いながらも,別れ難く日をのばしてゆくのである。
まさに詩人は『ディオーティマに寄せる』で,「美しき生命よ!おんみは生き る冬の可憐な花々のように/年老いた世界のなかで咲いているおんみはうちと けず,ひとり/愛しつつおんみは外へと切望する,日向ばっこしようと春の光 に/それに暖まらんとおんみは世界の青春をさがす/おんみの太陽は,より美 しき時は,沈んでしまった/そして凍てつく夜のただなかで腿風だちがののし
41)
りあっている今は」と歌った。
38) Vgl. Platon, Gesamtausgabe, Darmstadt 1974, III, S. 349.
39) StA VII, S. 64.
40) StA VI, S. 243.
41) StA 1, S. 230.
フリードリッヒ・ヘルダーリン 443 それから秋にはノイファーとランダウエルが訪ずれてズゼッテの 高貴な美
しさ に驚いたが,11月弟にあて, 「このように私たちの最も純粋なものは運 命によって汚されるのか。そして私たちはまったくの無垢のまま滅びなければ
42)
ならないのか」と書いた。かくて翌1798年9月25日頃詩人は,誤解と邪推にか られたゴンタルトの激しい言葉と屈辱的振舞にあい,ズゼッテの ただちに の言葉に従い,いとま乞いもせず, この敵意のある色あいに染められて ゴ
ンタルト家を立ち去ったのである。覆水盆に返らず,致命的 第五の不幸 に 見舞われた彼女はすぐあとでこのみずからの処置を歯ぎしりして悔む。そして 詩人は,世俗的物質的諸価値のみを重んずる 野蛮人たち の象徴である銀行 家によって,人間が本来めざすべき真,善,美,聖を必死に守り歌わんとする 詩人がうち倒されたと感じたのである。今や詩人はいわば世界と人間たちとの 著しい敵対関係に陥り,徒歩三時間のホンブルクの親友シンクレーアを頼り,
その親身な世話を受けつつあえて別に下宿して,それまでの貯えにより新しい 43)
苦難の生活を始めるが,すなわち 第三の生ける屍 となったのである。
IV
ズゼッテはただちに, 「どうして!この最愛の純粋な愛が未来に煙のように 消え去り,そして溶けてどこにもひとつの永続的な痕跡も残さないはずなのか しら,とわたしはそれからしばしぼ考えました。その時あなたのために書き印 された言葉によって,時が消し去りがたく変えがたく保持するひとつの記念碑 を,その愛のために打ち建てようという願望がわたしのなかにやって志ました。
どんなにかわたしは灼熱するもろもろの色彩をもって,その最も細やかな明暗 44)
に至るまで心の高貴な愛を描き出し,そして根本を極めたいことでしょう」と 書いた。二人は彼女の提案により毎月ee一一木曜日ひそかに手紙を交換すること にするが,今日 ディオーティマの書簡 は17通残されて彼女の真実の愛の心
42) StA VI, S. 254.
43) Vgl. lbid. S. 337.
44) StA VII, S. 59.
がよくわかる一方,詩人のものはごくわずかの草稿しか伝えられていない。そ うだ,ディオーティマよ!たしかにおんみは人類の学ぶべき,永遠の不壊なる 天上的愛の記念碑を打ち建てたのだ。
詩人はこの苦悩のホンブルク時代,人生,芸術,文学,人類,社会等それま での一切を再検討吟味して深く広く思索するが,魂の底までとどく鋭い悲しみ の錐できりぎりもまれなければ,万人の胸にしみじみひびき滲み入る歌のしら べは生れ得ないから,この衝撃的事件は,あまりにその犠牲が大きすぎたとは いえ,真に偉大な詩人と成るためにはやはり必要な運命的試練であったのだろ うか。何とホンブルク時代の全作品からは,ディオーティマ事件に起因する魂 の高貴な美しい深い悲しみがひびいて来ることだろうか。人間は苦しみを通し てしか魂の浄化を行い得ず,ズゼッテが,「わたしは苦しみが私たちをより善 くするばかりであり,そして私たちをより親密に結びつけるであろうことを知
45)
っています」と言うように,二人目かくて苦悩のただなかからより高き世界へ 意識を上昇させ,真の天上的愛をたがいに学習して行くのである。詩人がかつ て,「〉神が愛する人には大きな喜び大きな悲しみが与えられるく小川の上を 舟行することは何の技術でもない。しかしもしも私たちの運命が,下は大海の 46)
底へそして上は大空へ私たちを投げるならば,それは舵手を練成する」と綴る 時,果してみずからの運命を預言していたのであろうか。
彼女は世界と人間たちと敵対し苦悩する詩人に対して,「晴れやかになって 下さい最愛の人よ。そしてあなたがそうしているより幾らか多く人間たちを信 47)
頼して下さい。人々は私たちが思うよりもおそらくしばしぼ善いのです」と言 い,「あなたの高貴な天性,あらゆる美の鏡はあなたのなかで壊れることは許 されません。あなたは,あなたに神々しくより高き姿のうちに現われるものを 世界に与え,そしてあなたの保存を考える義務がございます。あなたのような
. . . ・ . . ・ . . . . 48)
人はわずかしかいません」と励ます。逆に詩人はディオーティマの本質につい
45) lbid. S, 64.
46) StA VI, S. 237.
47) StA VII, S. 81.
48) lbid. S. 80.
フリードリッヒ・ヘルダーリン 445 て,「すべてのものが,親密な破壊することのできない,生き生きした結合を なして合一しているあなたの天性のような天性は,これは時代の真珠です。そ しておよそこの真珠を認識してしまった人は,そしていかにこの真珠に天上的 天性として賦与された本来の幸福が,その上またその深い不幸でもあることを 認識してしまった人は,その人もまた永遠に幸福であり,そして永遠に不幸な
49)
のです」と知らせた。彼はまた母に「私は,人が年輩の独身老の人生を品位を 50)
もっておくることができることを経験から知っています」と書くから,至高の 天上的愛と美を体験し見てしまった人にとっては,地上的愛の形式である結婚 はもはや遠い過去のものと言うのだろうか。
翌1799年秋,二人置さまざまに構想を話しあった二人の聖なる愛の第二子た る『ヒュペーリオン第二巻』が出版されるが,その献辞には「私たち二人が最 善の諸車をもちながら,もしかしたら私たちがたがいを欠いているが故に,や つれ衰えなけれぽならないと私たちが考えなけれぽならないとすれば,しかし 51)
それは天が絶叫します」と書き,献本には おんみ以外の誰に と記されたの である。それから1800年夏詩人はようやく故郷に帰り,シュトゥットガルトの ランダウエル家に下宿し,その子弟を教えたり私的講義をしたりしながら,友 人達の暖かな親身な世話により次第に心身の安らぎをとり戻す。彼は1801年新 年と共にスイスに家庭教師として赴き,そこで意識の大転回を経験し,その結 果それまで敵対していた世界と人間たちと和解すると共に,ディオーティマ事 件の最終的解決がなされたのである。
かつてディオーティマが,「結びついています私たちは強く,そして変化せず,
美と善において,あらゆる思考をこえて信仰と希望において。しかし愛のこの 関係は,私たちをとりかこむ現実の世界においては,精神だけによって成り立 っているのではありません。諸感覚(官能ではありません)もまたそれに属し ているのです。私たちがまったく現実から引き放し,精神のなかだけでしか感
49) StA VI, S. 337£
50) lbid. S. 362.
51) lbid. S. 370.
ぜず,もはやいかなる養分や希望も与えられないような愛は,さいごには夢に 52)
なるか,あるいは私たちの前で姿を消してしまうでしょう」と語る時,たしか に詩人は 永遠なるもの か 時間的なるもの か迷わざるを得なかったであ ろう。月に一回だけかろうじて書簡を交換する危機的状況から,手紙にこそた がいの心と魂の思いをこめることが学ばれて, 聖なるもの がこもる, 神的 なるもの が祝祭される書簡の至高の意味が発見されて行った。またわずかな 53)
瞬間にとり交される言葉は,「囚われのない魂の一言は甚だ多大である」と言 う如く,単純な言葉は無限の思いがこめられるべく修練され,たがいに見詰め あう眼差し,とり交される握手等の何気ない仕草は人間と人問との深い相互 理解,意志疎通,魂の交流の象徴とされるよう次第に洗練されて行ったのであ.
る。そうしてこれらすべては後期の作品にみんな生かされて行くが,愛がたと えどれほど霊化され天上的になり得ても,この現実世界ではイデアの世界の美 そのものには決してなり得ないのであるから,生き身の人間としてこのような 諸感覚 (die Sinne)が至高の愛にも必要であるとする言葉は何と深く切実 な真実ではなかったろうか。だが今やひとたび 聖なるもの によって魂と魂
との愛によって結ばれた二人には, 時間的なるもの は本質的に必要ない真 理がしみじみと得心されて, 永遠の愛 が再確認されたのである。すなわち 詩人は 第三の生ける屍 から真に甦り,白銀に輝くアルプスの如き,汚れな きより高次の人類愛に抜け出たのである。かくて4月には帰郷することになる が,これ以後真に偉大な詩人としていと高き人類愛から預言者的 祖国的詩 歌 が生れることになる。この頃商用でフランクフルトに出かけたランダウエ ルを通じておそらく詩人の消息が彼女に伝えられると共に,彼女の現状も友人 を通じて詩人が知ったであろうが,これがたがいのこの世的場面の最後であっ
たろう。
詩人はこの年三ボルドーに新しく家庭教師として旅立つが,翌1802年6月中 句頃突然変り果てた姿で友人の前に出現し驚かす。彼は極度の精神的興奮状態
52)StA VI工, S.67. Vgl. StA VI, S.418ff,
53) StA VI, S. 420.
フリードリッヒ・ヘルダーリン 447 にあったようであるが,故郷に行ったり来たりする間に少しずつ鎮まった後,
「君の愛の高貴な対象はもはや存在しない。しかしやはりそれは君のものだっ た。君は彼女がまだ生きている時不滅を信じていた。今月の22日,ゴンタルト 婦人は亡くなられた,風疹で,病気の10日目に。彼女はさいごまで同じであり 54)続けた。彼女の死は彼女の生のようであった」という,シレクレーアの有名な,
感動的な手紙が届いたのである。詩人はこの知らせに深く強烈な衝撃をうけ錯 乱状態になるが,逃げるようにして故郷に帰り,やがて時と共に発作も少しく 落ち着くことがあったらしい。彼女は子供達がかかっていた風疹の世話をして いて感染し亡くなったが,「彼女はすでに肺結核であった。風疹は,それ自身 たしかに繊細で,かなり久しい以前からぼろぼろになっていたものを打ち砕い 55)
た,最後の攻撃にすぎない。」 しかしこれは,詩人が「内面におけるこの永遠 56)
.の戦いと矛盾は,それはもちろんあなたを徐々に殺すにちがいない」と書き,
ズゼッテが「あなたなしでは,わたしの生命は次第にしぼみ,そして徐々に死 57)
ぬことをわたしは鮮やかに感じました」と綴る預言の成就であった。ディオー ティマは享年33歳であったから,美と愛の化身,いわぽ観世音菩薩i33変化の成 就でもあったのだろうか。詩人は翌1803奪いずれもかの聖なる 思い出 を根 本とするr追想』の後,秋rムネーモシュネー』を完成し得た最後のものとし て,あまたの断篇を残しつついわゆる精神の薄明に陥るのである。彼はディオ ーティマと同じ33歳で詩的精神的には死んだのであるから,文字通り 第四の 生ける屍 となったのである。パンテアが,「おお,おんみは!どのようにお んみは死ぬのでしょう。すでに疲れ果てて/おんみは地上で進もうと苦闘して いる,誇り高い鷲であるおんみは!/そしておんみの小径を血でしるしをつ けている,そして/臆病な狩人たちのひとりがおんみをすぼやくつかまえ/岩 58)
にぶつけておんみの頻死の頭を打ち砕く」と語る時,果してこのことを預言し
54) StA VII, S. 170.
55) StA VII, 2: S. 219.
56) StA VI, S. 370.
57) StA VII, S. 90.
58) StA IV, S. 46.
ていたのであろうか。
12月目ルガレーテは詩人の不幸を知ってからエーベルにあて,「この恋愛関 係には,完全をめざす永遠の努力に活発な空想がありましたが,それにはしか し至るところでいとも平凡な日常性が反対として置かれて,このより高き存在 たち(今もなおわたしはこの考えから離れられません)は,このように終ら なければならなかったのです!一亡くなった人は,彼女のすべての運命におい ら
て至るところで不幸と不調和がありましたが,仕合せです」と書いた。詩人ば それからホンブルクに暮らした後,テユービンゲン大学診療所を経て指物師親.
方ツイソマーのもとに,彼の死後はその娘 聖母ロッテ のこまやかな愛の世 話をうけて生きながらえるが,死の前年1842年秋,はじめて伝記のついた『ブ リードリッヒ・ヘルダーリンの詩』第二版が出版されたことは,およそ足かげ 40年,いわば荒野の40年を経て再び霊的詩的に永遠に復活したと言えようか,
ディオーティマと共に。かつて母に「私がそのために生きている事柄が高貴で あること,またそれが正しい言説と完成にもたらされるや否や,それが人間た ちにとって治病の効果がある(heilsam)ことを,私はみずから深く意識して います。それゆえ私は,私の現実存在が,必ずやこの地上に何らかの痕跡を留 60)
めるだろうことをまた希望できます」と書いたように。
そもそも男性と女性とが愛しあう起源は,いと高き秘伝者プラトンが正しく 61)
も『シュムポジオソ』で物語っているように, 「神秘教義では,男性と女性と が引き合う力は,相対する両性が再び一体にならんと求めているに過ぎず,魂 の完全一体性が肉体という幕を通る時に歪められたのであり,故に性の物質的 62)
欲望は,この歪みとしてもたらされたものであると教えている。」 つまり詩人 は,第一のディオーティマとの愛によってこの物質的官能的愛の場面を学習し,
そこから精神的愛への橋渡しとして第二のディオーティマとの愛によって感情
59) StA VII, 2: S. 268.
60) StA VI, S. 372.
61) Vgl. Platon, Gesamtausgabe, Darmstadt 1974, III, S. 267ff.
62)Dr・Doreal, M., Masters Visible and Invisible.『カバラの真義』,霞ヶ関書房.
fi召禾053年 84頁。
フリードリッヒ・ヘルダーリン 449 的心情的愛の上澄みへ至り,ついで第三の正真正銘のディオーティマとの運命 的愛により,もろもろの苦悩を通じてついに精神的霊的愛へと上昇し得たので ある。その愛と美の理想像ディオーティマは『ヒュペーリオソ』その他の諸作 品に永遠に生き続けるが,二人が運命の愛に殉じつつ到達した魂と魂との愛,
聖なる愛,普遍的愛,魂におけるはらからは,二人が予感し生命を賭けてめざ した,来たるべき人類のより善き日においてはじめて実現されるものの輝かし い先取,模範であったろう。だからこそ詩人は,「おんみ成長せよそして森とな れ!より魂の吹きこまれたる/満開に花咲きいずる世界よ!愛する入たちの言 63)
葉は国土の言葉であれ/かれらの魂はたみくさの声であれ!」と歌ったのであ
る。
神々はかつて造遙していた…
神々はかつて適堕していた人間たちのもとで,壮麗なるミ=一ズたちは そうして青年は,アポロンは,癒しながら,霊感を与えながらおんみのよ うに。
そうしておんみはわたしにとって神々のよう,あたかも至福なるものたちの ひとりが わたしをこの世に遣わしたかのように,わたしが歩めば。しずしずと歩む わが女性なる 英雄の姿はわたしと共に,わたしが耐え忍び陶冶するならば,愛をもって 死のなかまで。なぜならこのことをわたしは学びそうして聞いたかのひと から
私たちは生きよう,おお おんみ,おんみと共にわたしは苦しみ,おんみと 共にわたしは
63) StA II, S. 21.
真心からかつ信心深くかつ誠実に奮闘するより美しき時代めざして。
私たちこそそうなのだ!そうしてかれらがまさに到来しつつある年々のうち にも知ったならぽ 私たち二人について,いっか再び守護神が大いに尊敬されるならば,
話すだろうかれらは,かつて創りあげた,孤独なひとたちが愛しながら 神々にのみ知られて二人のよりひそやかな世界をと。
なぜなら死すべきものだけが世話する人々を,迎え入れるかれらを大地は,
しかしより近しく光に向かってうつりわたる,エーテルに向かって上方へ かれらは,真心からの愛に誠実な,そうして神的なる霊に誠実なひとびとは 64)
希望しつつかつ耐え忍びつつかつ静やかに運命にうち勝って。
あこや貝秘めたる珠の真白にぞ光りかがやくおみが生命は 1988.11.1
64) StA 1, S. 274.