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「日本における世界の食文化」  

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Academic year: 2021

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●学園祭協賛行事記録

第一部 明治期の西洋料理について  

<発表 要旨>

 「本学の貴重書からみる明治時代の食文化」

 西洋化と共に日本人の生活に浸透していく洋食文化の世界を、明治時代の貴重書を通してご紹介し ます。初めはカレーのお話ですが、日本に初めてカレーという言葉を伝えたのは福澤諭吉だと言われ ています。咸臨丸で渡米した際、清の商人から譲り受けた『華英通語』に和訳を加えて翻刻した単語 帳『増訂華英通語』(万延元年刊)の中に見られるcurry stuffの対訳として、カレーは「コレルリ ストフ」

と紹介されています。また、日本で最も古いカレーの作り方が載っていると言われる二冊の本は、仮 名垣魯文の『西洋料理通』と敬学堂主人の『西洋料理指南』(明治5年)で、後者は本学でも所蔵して います。『西洋料理指南』のカレーレシピを見ると、「鶏、エビ、タイ、カキ、そして赤ガエルなどを よく煮た後、カレー粉、塩、小麦粉を加えていく」と、現代の定番レシピとは異なったものです。食 材の赤蛙に関しては、英国人に仕えた中国の料理人が使用していたのではないか等、諸説ありますが、

小麦粉を加えてとろみを出すのはインドでなくイギリスの調理法だそうです。具材が示す通り、庶民 が手軽に揃える事の難しい贅沢なものが多く、実際に作って食べるというよりは、西洋の雰囲気を楽 しむ為に読まれたと考えられています。

 次に、牛乳・牛肉についてです。国学者、近藤芳樹が著した『牛乳考・屠畜考』(明治5年)によると、

牛乳は大化の改新の頃から飲まれていたとされ、「牛乳は最高の良薬で、体を強くし滋養の効果がある。

西洋のものだからと牛乳を穢れた物だと考えるのは大きな間違いだ」と説いています。ただ西洋文化 を真似するのではなく、元々あったものを皆で広めようと、庶民も牛乳が受け入れ易い論調になって います。欧化政策をとる明治政府は、肉食と牛乳飲用の普及を図り、天皇も牛肉を召し上がっている のだと奨励しました。文筆家の服部誠一は、『東京新繁昌記』(明治7年)で文明開化期の東京の風俗 を漢文調で活き活きと描き、当時の大ベストセラーとなりました。当時の牛鍋人気は大変なものだっ たようで、街の至る所に「牛」の看板が出ていたそうです。

 その後刊行された『家政要旨』(明治9年)は、その名の通り主婦の生活便利帳で、カロリー比較表 や買い物の仕方が記されています。原著者は米国人女性ハスケルで、上巻には料理にかかる経費、中 巻には栄養の事、食物の心得、下巻には食糧を買う時の心得等が載っています。この翻訳書には夫の 家庭での振舞いについても書かれていますが、西洋化の中で食生活と共に日本人のものの考え方が変 池井 みらい さん

(博物館学芸員)

学園祭協賛行事 フォーラム

「日本における世界の食文化」  

「日本における世界の食文化」  

「日本における世界の食文化」  

 11月2日(土)に学園祭協賛行事の一環として、「日本における世界の食文化」をテーマ とするフォーラムを本学図書館第2閲覧室で開催しました。その時の講演と発表をもと に図書館フォーラムを振り返ります。  

参照

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