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駒澤大学佛教学部論集 13 020松本 史朗「唯識派の一乗思想について : 一乗思想の研究(II)」

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全文

(1)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 駒澤 大佛教部論集第

13

號 昭 和

57

10

思 想

一一 一

乗 思 想

II

松  本  史  

 

稿

の 目的は, 唯 識 派の 一 乗 思 想(D− 一 乗に 関 する思 想一 の基 本 的 構 造 を

明する こ とに ある。

考察

素材

と し て は, 主 に次 の 二 つ の

資料

使

る。

A

Madhyamahalolea

MA

, 

D

. ed . 

No

3887

Sa

146a4

147b5

Sa

237a4

   

244a7

〔拙 稿 「

Madhyamah

loka

の 一乗 思 想一 一乗 思

研 究(

1

   

『曹 洞 宗研 究 員 研 究生研 究

要』

14

号,

1982

pp

295

277

和 訳

   

る。 な お , 以 下に こ の 論 文を, 本 研

究 (

1

, ま た は 単に

1

) と呼ぶ。

B

Mahdyanastitr

laptkarabha5ya

MSABh

, 

L6vi

 ed .) ad  

M

α觴 ッ伽 α.

   

sMralampleara

MSA

XI

, 

kk

53

59

 

資 料

A

和 訳は 既に 示 した の で , 本

稿

では まず

資料

B

和訳

を 呈 示 して お こ う。

M

読 δッ伽 αs葱〃 々

1

αη3々δ7α兢 δ

5y

α adXIkk

53

59

1

〕 一

る こ と (ekayfinata を求め る こ とに つ い て

な〕七 つ の

 

Sloka

)がある。 〔

2

〕 〔

3

 

聞等が 同 じもの を

るこ と(ekayanat

が ある。 行 く対 象

yatavya

 

〔= 法 界

乗 (

yana

)で ある と考 えて 。

4

〕 (

2)声 聞等に とっ て人 無我 性 (

atmabhavatE

, 

gah

 zag  rnams  

bdag

 med  

pa

 

が共 通で ある (samanya )か ら, 〔声 聞等が〕同 じもの を 乗 とす るこ と

eka ・

 

yanata )

がある。

く人

yat

る と

えて。

1

)法 (

dharma

) と (2無 我 性 (nairatmya

3

)解 脱 (mukti )が等 しい

tulya

)か ら, (4)種 姓の 区 別に も とつ い て(

gotrabhedata 毎

),

5)

二 つ の 想 念

aSaya

, 

bsam

る か ら,

6

(nirm 鋤 a

に ,

7

究竟 (

paryanta

る こ と (ekayanata

が ある。

k

53

(2)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty (

2

) 唯識 派の一思想につ いて (松 本) 〔

5

3)〔

声 聞

解脱

しい か ら(3), 〔

聞 等が〕 同 じものを乗 とす るこ

 

とがある。 行 くこ と (

yati

)が乗で ある と考 えて 。

6

4

声 聞 の種 姓 が 決 定 し て い な い の (aniyata §ravakagotra

) 達

は大

 

(mahayana

に よっ て

出離 (

niry 的 a) す るの で, 種姓 の 差 別に も とつ い て

 

〔彼

等が〕 同 じ もの を 乗 とする こ と

ekayanata

がある。 行 く手 段

yanti  tena ) 〔一 大 乗 〕が乗 ある と考えて 。 〔

7

5

二 つ の想

るか ら, 一

る こ とが あ る。 即 ち,

  

諸 仏は, 一切 衆生 想 念

atmaSaya

, 

bdag

d

 

kyi

 

dgohs

 

pa

る か , また 声 聞で, それ 〔 = 声 聞〕 種 姓が決 定 し て お り ,

 

以前

に は

pifrvam ) 菩提

資糧 (

bodhisarPbhtira

)を

じた人達は , 仏の威

 

buddhanubhava

)に よっ て, 如 来の勝れ た

摂 受

の 部 分 (

tathagatanugra

 

havigeSapradeSa

) を得る為に , 異な っ てい ない 相 続に 対す る信

(abhinnas −

 

arptan 五

dhimokSa

,  rgyud  

tha

 mi  

dad

 

par

 mos  

pa

)を得る こ と に よっ て,

 

自己に仏の 想

buddhfiSaya

, sa血s rgyas  

kyi

 

dgofis

 

pa

)を得るか ら (4) , 故

 

に, 同 一る と 想 念

ekatva §aya る こ い て , 仏 と声 聞は 同

 

一 で ある か ら, 〔彼 等に とっ て〕 一 ekayanata 。 〔

8

〕 (

6

化身

の 故に , 一

る こ とが ある。

経に

「私は, 何 百回 も, 声 聞乗

 

Sr

五vakayana

に よっ て般

涅槃

した

parinirvpta )

。 」 と所

の人

vineya

 

達 のた め に 化 身を 示 現 し た か らであ る(5)。 〔

9

 

7)

の故 か らも, 一 乗であ るこ とがある。 ある もの (x)以 上に (yatab

 

parepa

) 行 く

対象 (

y5tavya

)が無い とこ の その もの (x

が乗で あ る と

 

て, 仏 果 (

buddhatva

)が 一 ekayEna )であ る。

10

 

こ の に , あ れ これ の 経に, あれ こ れの 意趣 (abhipraya )に よ っ て , 一

 

であ る こ と

ekayanatE が 〔説かれた と〕(6) るべ し か し 三

 

yanatraya

)が無い とい の で は ない 。 〔

11

 

しか し, 何の 為に , あれ これ の 意 趣に よっ て 一 とが諸 仏 に よ っ  て示 され た の か。

12

何 とな れぽ ある人

達 (

ekesam

導 する (akarsapa

め に , また他 の人

anya

持 (sarpdhara4a ) す る た め に

に よっ て , 不 決 定の 人 (aniyata )

に 対し て, 一 ekayanata )が示 された の で

る(7)。

k

54

311

(3)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 唯識 派の 一乗思 想につ い て (松 本) (

3

13

〕 あ

る人 達 を 引導 す る た め とい うの は, 声 聞 の 種

を もち 不 決 定 な 人

 

SravakagotrS

 aniyat

引 導 す るた め〕で り, 他の 人

維持す

るた

 

め とい うの は,

菩薩

姓を もち不

定 な人

達 (

bodhisattvagotra

 aniyat

的 )

  〔

を維

する た め〕で る。 〔

14

〕 〔

15

 

drStarthayfina

, theg  

pahi

 

doll

 mthofl  

ba

), 即 ち, 〔四〕

(satya )を見た

 

もの で, 大 乗に よっ て出離 す る もの と, 乗の 義を見ない もの , 即 ち, 〔四〕

 

を 見 ない もの で, 大 乗に よ っ て出 離 す るもの で ある。

  

ま た義を見た もの とは , 諸の

欲 (

kama

か ら

欲し た もの と離 欲 し て い   ない もの で あ る。

  

また こ れ, 即 ち, 二 種 と言 わ れ た, 義を 見た もの は , 鈍 根で, 理

の遅い も

 

dhandhagatika

(11) で る。 〔

16

 

その 二 者は,

得 した聖

道 (

labdharyam5rga

を, 諸の生 存 (

bhava

   

え る (paripama ), か ら (12)’”可 思 議な 変 も と く生 ”(12)を も

   

(acintyapari mikya  upapattya  samanvitau )。

k

56

17

 

そ の 二

, 即 ち,

を見た もの は ,

た ところ の聖 者の 道を

の生

に 変

 

え る か ら, 不 可思議な変 化に も とつ く生 を もつ , と知るべ ぎで ある。 何 とな れ

 

ぽ, そ の 聖 者の 道が諸 の 生に 変わ る こ とが, 不 可思議であ るか ら, 故に , 不可

 

な変化 に も とつ く (acilltyapari miki ) 〔生 〕 なの で ある。

18

〕 不 決 定の 声 聞(s)は, 乗の

を見た もの と見ない もの (

drstad

;§

tarthayana

theg  

don

 mthofi  

daft

 ma  mthoft

, 二

種類

である。

 

を見た もの (

dr

§

tartha

は , 離 欲し た もの

vitaraga ) 〔 = 不還 〕(9)と

欲 し て い ない もの avitaraga ) 〔= 預 流 ・ 一

来〕

(9)で

り , これ 〔≒

を 見た もの は鈍 根(10)

m

uる。 (

k

.  

55

ま た 不決定 の

聞も, 二

で ある と

るべ きで

る。 乗の

を見 た も の

19

 

望み の ままに (

yathestam

) 生を 取る (

9

hnati

)。 他の もの は , (14>” 不

性の

 

瑜 伽の 力に よっ て,

の化

に よっ て , 〔生を取 る〕 ‘”C14 。 〔その 二 の うち〕 ある もの

= 預 流 ・一来 〕(13) , 願 (

prapidhana

) の 力に よっ て , 生を成 就 す る

prapadyate

)。

 

他 の の 〔一 不還 〕 , 不 還 性 (anagamita ) の

伽 (

yoga

)に も とつ い て , 諸の 化 身に に よっ て 〔生を〕 成

す る。 (

k

57

そ の 二

の うちある もの , 即 ち,

離欲

して い ない もの は , 願の 力に よっ て

(4)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty (4 ) 〔

20

〕 〔

21

〕 唯識派の一乗思 想に つ い て (松本)

その 二 者は , 涅 槃を

好する (abhirata , mhon  

dga

(15)

, 理解の 遅

い もの

dhandhagatika

, rtogs 

pa

 

bul

 

ba

え られ る。 繰 り返 し自

己の

samudacara

合 するか ら。 (

k

.  

58

また, その 二

は,

槃 を愛 好 する か ら, い ずれ も,長

ciratarepa

 

現等覚

する の で, 理

の 遅い もの と考え られ る。 自己 の , 即 ち, 厭離 (nirvid )

 

と共にある声 聞の , 心 が 繰 り返 し現 行する か らで ある。 〔

22

 

か の , 義 を

成 しない もの

ak τtartha )は ,

仏 の 〔時〕に 生 ま れ, 化 身

   

を 求 め て , 禅定 の た め に

力 し, それ

化身〕

に 依

し て, 最 高の

菩提

     に達す る。 (

k

59

23

 

ま た, かの 離欲 して い ない もの で, 諦 を 見てい ない もの (16) , そ れ が義を

 

成 して い な い ち,

Saiksa

)で あるが, 彼は ,

の い ない 時に

 

生 まれ, 化 身を 求 め て禅定 の た め に 努 力 する。 そし て, そ の化

に 依

し て次   第に (

krame4a

), 最 高の 菩 提に達 す る。

24

 

こ の , 三 つ の 時 期 (avasthatraya ) (17)意趣 し て , 

SrimalaNstitra

に お い

 

て世 尊に よっ て , 「声聞 と なっ て か ら独

とな り, ま た

に もな る。」 と火

 

の比

を もち い て かれ た。 〔三 つ の 時 期 とは〕 以 前に諦を見た 時

と, 仏 の

 

い ない に ,

ら (svayam ) 禅 定を生 じて , 生 身 (

janmakaya

)を捨て て,

 

化 身 (nirmapak 訌

ya

) を 取 っ た時 と,

最 高

菩提

した

であ る。

1

 

一乗

につ い て

 

MSABh

 ad  

XII

 

kk

19

23

に は, 次の

べ られ て い る。 〔

25

〕 不 決定な もの の別 (aniyatabheda い う障

avarapa

)の 対 治 の

 

pratipakSasarPbha

§

a

) とは , 大 声 聞 (mahaSravaka

)達

仏 果 (

buddhatva

 

に 関し て 授 記 (vyakarapa を示 すこ と (

de

§ana ) と, 一 乗 (ekayana を示   すこ とで る。 (

MSABh

84

2

3

 

こ の

記述

は ,

識 派の 一

の 基

本的

立場を 示す もの であ り, 極め て重

で あ るが , その 意味に つ い て は後に 考 察す る こ とに し て, こ こで は 単に , こ の 記 述 に お い て一

と声 聞授 記 とい う二 つ の 問題が別 個 の の と し て扱われ て い るこ と に注 意 し よ う。 本 研

究 (

1

で 見た

に , こ の二 つ の 問

は , 必ず しも切 り離 し て

る こ との で き ない 性

を もっ て い る。 即 ち, こ の 二 つ の 問 題に関

論を合 し て ,

い 意 味での 一乗 思 想 とが るの で ある。 し か し, この 一

309

(5)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 唯識 派の一乗 思想に つ い て (松本) (

5

述の

に両 者を 一応 独立 の

topic

として 扱 うこ と も不 可能では ない 。 本 稿で も ま

1

に お い て

識 派 の 一乗 それ 自体に 関 す る議 論を取 り上 げ, 次に

II

に おい て 声 聞 授 記に

する

識 派の

釈につ い て 考 察 しよ う。

 

本稿

記 述 〔

1

示 される様に ,

MSA

, 

XI

, 

kk

53

59

, 「 一 とを 求め る こ と (ekayanaparyesti )に つ い て の七頌」 と呼 ぼれ , こ こに

唯識

派 の 一乗 思

す ところ な く

明されてい る と思わ れるが, 頌の

作者

がそ の 七 頌を 著し た

図を,

Sthiramati

は次の 様に 述ぺ て い る。

26

 

る経 典

mdo  sde に は , 乗 は 一 説 明 , 三 つ は無い , と

 

説 か れ て い る。 ま た ある経 典に は , 三 つ と説か れ て い るの は何 を意趣 し て い る

 

の か

ci 

la

 

dgohs

と言 え 教 説

gsuh

 rab

に は二

が ある。 即ち ,

 

義 (

bkri

 

babi

 

don

 ney 五rtha

と了 義

hes

 

pahi

 

don

, nitartha )の 経

  典で る。

  

その 中で , 「乗は 一 。」 と説い た の は, 衆生 の た め に , 意趣 (

dgohs

 

pa

, abhipraya )に よっ て説かれた の であ り, 未 了

と言わ れ るが,

は 三 つ

 

で ある と

い た の は , 了

で ある。 乗は 三 つ ある の に , 乗は 一

 

れた の は, 何を意

し て説い た のか, とい うその 意趣を考察 するた め に七つ の

 

詩頌を 著 す, とい う

味で ある。 (

SAVBh

Mi

196a5

7

 

即ち, 仏

に よ る 一 説 示 , 未 了

義 (

neyartha

り,

有意

abhi

prayika )

で あ り, その意 趣が どの な もの かを考

するの が 七頌を

図で ある とい うの で あ る。 こ こ に , 所謂 「一乗 方 便 ・ 乗 真 実 唯 識 派 思 想の 基 本

立場が 示 さ れて い る。

 

なお, こ こ で注 意 す べ こ と は , 上述 の七 頌中 に は 厂一乗」(ekaytina )とい う 語は な く,「一 乗 性 」 (ekayanata ) とい う抽 象 名詞 だ けが

k

53

k

54

に 出 る と い う事 実であ る。 こ の語は ,

抽象

名詞で ある以上, 「何か が 一乗である こ と」 と い う 「何か」を

genitive

形 と して 期 待 す

で あ る か ら, まずこ の 言

自身が

の 「一乗 」 理 解が単

な もの でない こ とを 示唆 して い る様に 思 わ れ る。 記 述 〔

10

〕に 見 られ る様に , 「一乗 性」 とい う概

と, 「三 乗」(

yanatraya

)とい う

概 念

は, 必ず しも

矛盾

しない の で

る。

 

さて, 七 頌に よ っ て 「

趣を考

す る」 とは い え,

意趣

そ の もの は,

k

53

に 七 種 とし て示 されてい る。 その 内の 第 一 , 記 述 〔

2

〕に 示 され る 「声聞等の 法 界 が異な っ て い ない こ と」で あるが , こ の 「法 界の 無 区別 性」 こ そ,

識 派の 想

(6)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty (

6

) 唯識 派の一乗 思 想に つ い て (松 本) する一

説の 意

と して は

も重

な もの である と思わ れ る。

っ て,

本 稿

で は 以 下に.これ を

心に し て

る。

 

さて , 記 述 〔

2

〕で は , 法 界が乗で ある, と理解 され, 「乗」(

yana )

は 「行 く対象」(

yatavya

) で あ る とさ れ る。

っ て,  ekayanata とい う語は有 財 釈で 「声 聞

が 同 じもの

法 界)

る こ と」 とい う

意味

され る。

 

で は,

故に, 法界 が乗, 即 ち, 

yatavya

で ある の か 。 そ れに つ い て, 

Asvabhava

Sthiramati

は 記 述 〔

3

〕を註 釈 して の様に 述べ てい る。

27

 

どうし て それ 〔= 法 界〕が

yatavya

あ る か 。 法 界に 依 存 し法

を得て

 

か ら, 声 聞

に 声 聞

の 法が生 じ る こ とに な る か らで

る。 (

MSAT

, 

Bi

94a1

28

yatavya

,即 ち ,知 らるべ き境 (§es par  

bya

 

babi

 yul)た る法界 は 乗であ

 

る。 法 界を 理

し証悟 すれ ば, 声 聞 と独 覚 と如 来の 法が生 じる こ とに な る の

 

法 界 と確立 された の で る。

sAvBh

Mi

196b4

5

 

こ の 二 つ の 記 述意 味に つ い て考 察 す る まえに , 界 (

dhatu

) とい う語を

筆老

が どの様に 理 解 す る か を まず 明 らか に し て お こ う。 筆 者は

dhatu

locus

と訳 したい と

う(18) 。 こ の

英 語

は , 「場」 と和 訳 され

る と

うが, こ の 日

語に は ,

者が

locus

とい う

える

意味

以 上の

特殊

なニ ュ ア ン ス が

に も

わ れ , こ こ で は こ れ を使用 しない 。 筆 者は

locus

及 び super ・

locus

とい う語を, 次 の 意 味に お い て 用 い た い 。 即 ち, 何 で あ れ a が

b

に ある と き,

b

を a の

locus

び, a を

b

の super ・

10cus

と呼ぶ の で ある。 例え ぽ, 本が机の 上 に ある と

き, 本は super ・

locus

であ り, 机は

10cus

である。 ま た, 事 物に 本

があ る, とい う とき,事 物は

locus

であ り, 本

は super

10cus

あ る

。 

Skt

.に おい て は,

dhatu

以外に も, 

agraya

, 

adhara

, adhikara4a , 

alambana

, vastu

が, 同

locus

とい う

i

を もつ で ろ う し, また super ・

locus

に 対 応 す る語 と し

て は ,

5

§rita , 

adheya

等があ あろ う。

 

法 界, 即 ち,

dharma

dhatu

とい う語に関 し て言 えば, こ の 場 合 の

dhatu

10cus

とい

ろ う。 従っ て , 

dharma

dh

tu 語 義

, 

the

 

locus

 of

dharmas

とい うこ とに な る。 

Madhy

冴ntavibhagabh ∂

5ya

Nagao

 ed ,

29

 

聖 法 (

tiryadharma

) の 因 (

hetu

) であ るか ら, 法 界で あ る。 諸 の聖 法 が

 

そ れ

法界〕

依存

し て

tadalambanaprabhava

。 何

 

となれ ばこ こ で , 「界」 の 意 味は , 「因 」の 意味であるか ら。

p

1

と説かれ て い る様に 一般 に

dh5tu

とい う語は, 因 (

hetu

意味

で あ る と考 一

307

(7)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty

       

唯 識派の一乗思想に つ い て (松本)

         

7

) え られ て い る。 し か し,因 とは 言っ て も, 火か ら煙 が生 じ る とい うよ うな

な る 原 因で は な く, そ れに 依

して 何かが生 じる と こ

意味

で , あ く ま で も

10cus

っ て は い ない。 こ の 点は , 記

29

〕 だけでな く, 記 述 〔

27

〕に おい て , 「〜 に 依 存 し て 」 とい う語がある こ とに よ っ て, 容 易 に 認 め 得るで ろ う。

 

し か し

dhatu

語 義を最 も 明確に 示 すの は ,

有名

な 『大

毘達磨経

』 の 〔

30

 

無 始 時 来の 界は , 一

諸法

〕 所 依 。 そ れ がある とき, 一

 

切の趣は あ り, また, 涅

悟も あ る。

 

antidikaliko  

dhatub

 sarvadharmasamaSrayah  

i

 

tasmin  sati  

gatib

 sarva  nirv

dhigamo

pi

 ca 

11

とい う

で あろ う。 こ こ で ,

dhatu

locus

意味

で あ るこ とは ・ sama6raya とい う

に よ っ て明 示 さ れ る が, それが そ の ま ま因 (

hetu

)の 意 味を も もち

こ とが

tasmin

 sati

10cative

  absolute っ て示 されて い る。 即ち,

gatih

と nirvapadhigamo とい う nominative  case の

に対 して ・

dhstu

は tasmin とい う

locative

 case を取 る もの , 即ち, 

locus

なの であるが, そ れ が

tasmin

 satl

locative

 absolute に おい て表 現 され る時 そこ に は

「存在 しつ つ るそ れに お い て 」 とい うだけで な く, 「そ れがある な らぽ」 とい う

意味

が加っ て t こ こ に 「因」の

味が生 じるの で あ る。 従 っ て,

dhatu

とい う 語に 「因」 の

がある とし て も, そ れ は

10CUS

とい う第 一

i

義的意 味

し た もの と見るべ あ ろ う

 

さて , 本 論に もどっ て, 記

27

〕 〔

28

〕を通 し て, 記述 〔

3

〕 の 意 義を考察 し よ う。 そ こ に は,

識 派 的 な三

真 実 説が述べ られ て い る。 即ち, 声

と 独 覚 と如 来

又は

薩 ) とい う三者の 法 の

法 界 )

し い が, それに 依

し て生 じる法, 即ち, そ れ を悟 る こ とに よ っ てその 三 者に 生 じる法は異な る, と い う説で ある。 こ こで法 とい うの が

して い るの か

らかで は ない が, 記

29

〕に られ る様に , 三者 個々 の 「聖 法 」(

Sryadharma

)を意

する の であろ う。 とすれ ぽ, そ れ は 三 者 個 々 の悟 りを意 味す る と見て 良い であろ う。 記

述〔

3

で は, 三者に 同 一 法 界 乗 」 と呼 ぼれ る

で は

る が

りに 至 る

又 は コ ース 「乗」 と呼ぶ 一般 的理

を適 用 すれ ぽ, これ は 全 く三乗 各 別 説 である。 即ち,

唯識

説に おい て は, 法

locus

)の 同 一性 が諸 法

super

locus

こ の場 合は聖法 )の 別異 性を否 定 しない 。 否, そ れどこ ろか , その 別 異

(8)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty (

8

)           唯識 派の一 乗思想に つ いて (松本) する根 拠に な るの で あ る。

 

以 上,

記述 〔

3

の 所

を考

察す

る こ と に よっ て,

識 派 の 一 本的

造 が, 以 下 の図に 示 す 様に, 明 らか に な っ た と思われる。 ⇒ production 〔super −

locus

一・… 瞼 円 卿 く 曽 犀 閏 』 げ 四 同 目

t

 

げ 、

穿

t

富 →

噌 日 含 =

yanatraya

10CU5

… … … … (

hetu

dharma

dh

tu

= ekayana

 

なお 「諸

法 (

super −

locus

は異 なるが, 法

locus

差 別

。」 とい う説は ,

唯 識

説と

来 蔵 思 想 の い わ ぽ 共

で ある が , そ れ が

何な る思 想 的淵 源を

するか に つ い て は,

稿

を 改め て論 じた い。

II

 

声 聞 授 記の解 釈 につ い て

 

『法

経 』に おい て は ,

Sariputra

を始め とす る声

聞達

果が

記さ れ る。 既に 見た様な唯

派の 三乗 真 実 説 ま たは 三 乗 各別 説 に よる限 り, 声聞は声聞 の悟 りを

るの で

っ て , 声 聞が成

する こ とは あ り

ない

であ る。 で は 唯識 派は こ の

を どの

した の であろ うか。 『法 華 経 』 も仏 説 と見 な されるか ら に は , い か に唯 識 派 とい え ど も,

聞に成 仏が授記 された とい う事 実を否定す る こ と は で ない 。そこ で考え出された の が声 聞をい くつ か に 分 類す る

法で ある。

Vasubandhu

は 『法

華経 論

T

. 

No

1519

に お

法華

経 』 を註 釈 し て , 次の

べ て い る。

31

〕 声聞 人が授 記を得る と言 うの は ,(次の 意 味で あ る)。 声 聞に は四種あ る。  一は 決定 声 聞であ り, 二 は増上 慢 声 聞で あ り, 三 は 退 菩 提心 声 聞であ り, 四は

 

応 化 声 聞で ある。 こ の 中で, 二 種の 声 聞に

如来

記 した。

そ の 二 種 とは〕

 

応 化 と退 已

発 菩 提心 とで ある。 決 定 と増上

の二

聞は

未熟

る 一

305

(9)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 唯識 派の一乗 思 想に つ い て (松 本) (

9

 

か ら,

に は〕 授 記を与 え なか っ た 。

T

Vo1

26

, 

p

9

 a 

15

19

 

即 ち, 声 聞に は , 決定 声 聞 と

声聞 と退 菩 提心 声 聞と応 化声 聞の 四種があ り,

の み が

仏で

る の で

等に

授記

し た , と主

張す

る の で

る。 周 知の

く, 同様の 「四種 声聞」説を説 く

記述

は , 『大宝 積 経 論』 に も見 られ るが C19) , (

KPT

, 

P

. 

No

5510

そ れ とほ ぼ同 一

, 

Yagdcarabhtimi

YBh

, 

D

. ed .

Nos

4035

4042

) の

ViniScayasarpgraha4i

セこ も存 す る(19) 。 以 下に, 『大宝積 経 論』 を参 照 しつ つ

YBh

個 所訳 出し よ

32

 

声 聞は

種あ るの か。 … …声 聞 。 … …変 化 声 聞 (sprul  

pahi

 

fian

 

thos)

mhon  

pahi

 

ha

 rgyal  can  

gyi

 

fi

.)と廻 向菩 提 声 聞

 

byah

 chub  tu 

yohs

 su

辱gyur

 

ba

i

 

fi

と一向趣

声 聞 (shi  

ba

bgrod

 

pa

 

gcig

 

pabi

 

fi

あ る

  

そ の 中で,変化 声 聞は,衆 生を教化 する た め に菩 薩 ”(20) た は如

来達

”(2°)

 

化 作 した もの で る。 そ の 中で , 増上

の声 聞は , 人 無 我 知の み と, 法 無 我に

 

誤 っ て

執 着

す る

に よ っ て, (21)t一

清 浄

分別

a−C21) もの で

る。

  

そ の 中で, 廻 向 菩提 声 聞は , 最初だけは

dah

 

po

 

fiid

 nas  

adita

 eva

 

悲の

に 小 さい 種 姓を もつ もの であっ た が,

来に 親 近 するこ とに よっ て,

 

広 大な仏 法は功 徳で ある とい う想(22)

す る相

を もつ の となっ た の で ,

 

彼が究 極 的な もの とな り, 無 漏 界 (zag  

pa

 rned  

pahi

 

dbyihs

, attasravadhatu

 

し て も, 諸 仏が

を〕

め,

入 させ , 方 便を 示 すの である。 彼は こ の

 

様に 大 菩 提を成 就す る け れ ど も,c23)”寂 静を愛 好 する (shiba  

Ia

 mhon  

par

 

dgah

 

ba

, §amabllirata )の で,

は その 加

(sbyor  

ba

, 

prayoga

に お い て ,

 

理 解が非

rtogs  

pa

§

in

 tu 

bul

 

ba

,atidhandhagatika

であ る。

 

初 め て発心 し た は:か りの (

dafi

 

po

 sems  

bskyed

 

pa

, 

prathamacittotpadika

),

 

仏の種 姓を もっ た もの に も, そ の 様な こ とは ない ”’(23) 。

  

その で , 一 向趣

声 聞 , 本 来

adita

 eva

)慈悲

非常

さい

種姓

を も

 

っ て い るか ら, ま た

く (

gcig

 

tu)

衆生の 利 益 〔を なす こ と〕を回避 す る

mi

  phyogs

 

pa

, ま た苦を 恐 れ る か ら, 涅 槃に 住 す る意楽 (

bsampa

,譌aya )

 

を もつ もの とな り, 大 菩提 を成 就 す る可 能 性 (skal  

ba

の ない もの で あ る。

  (

YBh

Zi

113b7

114a6

 

法 華経

論』 の 決 定 声 聞

声 聞, 退菩 提心声 聞, 応 化

聞が

YBh

の 一 向趣 寂 声 聞, 増上

慢声

聞, 廻 向菩提声 聞, 変化声 聞に 対 応 す るこ とは , 言 うま で

(10)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty (10) 唯識 派の一乗 思 想につ い て (松本) もない 。 し か し

に お い て 「四

種声

聞」 説 が成立す る以 前に , 声 聞を 廻 向 菩 提 声 聞と一

声 聞の 二 つ に分け るい わ ぽ 「ご 種 声 聞 」 説

存在

し て い た よ うに思わ れ る。 それは , 次の様に 『解 深 密経』 (

Sanzdhinirmocanastitra

, 

SN

Lamotte

 ed られる の であ る。 〔

33

精 進

して

聞の

種姓

を もっ た, 一 向趣

gah

  zag

 

を, 道 場 (

byah

 chub  

kyi

 sfiifi 

po

tl

こ坐 らせ て,

上正

等覚

さ せ るこ と

 

は で きない の である。 それは 何 故か と言 う と,

は, 慈

(sfiifi rje

が非 常

 

に小 さ く, 苦 を非 常に 恐れ るの で , 本

(rah  

bshin

 

gyis) 劣

っ た

姓の 者

 

(rigs  

dman

 

pa

な ら ない か らで る。 彼は, 慈 悲が小さい 様に , そ の 様

 

衆生の利 益を なす こ とを全 く回避 する。 〔また〕 苦を非

に恐 れ る様に, そ

 

に一 切の 行

を なす こ とを全 く回避 する。 衆 生の 利益を なすこ とを全 く回

 

避 し, 一

行為

を な

とを全 く

, 私に よっ て無上正 等

に授

 

記さ れ なか っ た の で ある。 故 に , 一 向趣 寂

  

廻 向菩 提 声 聞 (

fian

 thos 

byafi

 chub  

tu

 

yohs

 su 

hgyur

 

ba

の は ,

 

に よ り

異門

(rnam  

grahs

に よっ て, 菩

であ ると示される。 何 となれぽ,

 

彼は

煩悩 障

か ら

解脱

し, 如 来

に よっ て勧め られ るな らぽ, 所 知

か ら心 を

 

脱 させ る か らであ る。 彼は , 最 初は (

dah

 

por

, 

aditas

) 自己 の

益に お い て加

 

行 す る行 相

rnam  

pa

, 

akara

) に よっ て煩 悩

か ら解 脱す る。 故に ,

如来

は ,

 

彼を, 声 聞の 種 姓を もつ もの と仮 説 する の で ある (

hdogs

 so)。

SNS

, 

p

74

.)

 

「四種 声 聞」説が 「二 種 声 聞 」

か ら

展 した こ に,

問の 余 地は ない で

ろ う。 即 ち, 三 乗各別 説, 換言すれ ば 「声聞は成 仏 しない 」 とい う立 場に 立つ

識 派は, 『法 華 経』 の 声 聞 授 記 とい う事 実を解釈 す るに は , 成 仏 しない 声聞 と し て の 一 向趣

声 聞 と, 成

仏す

る声 聞と して の廻

向菩 提声聞

を区 別 し,

者に の み 仏 果が授 記さ れた と解釈せ ざるを得なか っ た の であ るが, 後に は 声 聞の 分 類が更 複 雑 化 して い た の である。

 

で は , 廻 向

提 声 聞 とは 一

して

声 聞

であるの か。 こ れが, 筆 者が本 項で 究 明し た い と

え る 問題で る。 こ れに つ い て, 筆 者の 結 論を先に 述べ て お 。 簡単に 言 え ば ,

者は , 廻 向菩 提 声 聞 と は, 声 聞で は な く

菩薩

で ある, 即 ち,

薩の 種 姓を もっ た もの である と考え る。 で は 何 故に こ の 様に 考え

るの か。 それは,

に おい て廻 向菩 提 声 聞の 性 格 を 考察 す るならぽ 自ず と 明らか に なる が, まず, 記 述 〔

32

〕 〔

33

に おい て 廻 向

菩提声

聞が どの 様に説 明 一

303

 一

(11)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty

       

唯 識派の一思 想に つ い て (松本)

      

11

) されて い る か 見て み よ う。 記 述 〔

32

〕 〔

33

〕に共 通 して言 えるこ とは ,

廻 向菩

提 声 聞は,

初は声 聞であっ た もの が,

如 来

に 親 近 する こ とまた は

来の加 護に よ っ て大

向する もの で ある とい うこ とで あ り, それは, 「

提に 変わ る声 聞」 ま た は 「菩 提に 廻 向する声 聞」 とい う名 称 自

が指示 す る性

で ある。 ただ, 最 も問 題なの は, 廻

向菩

提 声 聞は , 声 聞

乗)

姓を も つ の か , それ と も

大 乗

種 姓を もつ の か とい う点で る。

 

『解 深

密経

記 述 〔

33

)の 説 明を見 る と, そ こ に は , 廻 向

提 声 聞は, 「異

に よっ て菩

であ る と示され る 」 と出でい る。 その 意 味は 良

で きない が, 「声 聞の 種姓を もつ もの と

説 す る」 とい う記

るな らぽ, 本

薩 の 種 姓を もつ の で

る, と説か れて い る様に思わ れ る。

 

で は ,

YBh

記 述 〔

32

〕)の 「最 初だけは , 慈 悲 の 非 常に小 さい 種

を もつ

の であっ た が 」 とい う説 明は ,

何 な る意

か 。 「

慈悲

の 非 常に 小 さ い

種 姓

」 と い うのが小 乗の 種 姓であ るこ とは

白で ある。 故に , こ れは 最初, 小 乗の 種 姓で あ っ た もの が大 乗の

種姓

を もつ もの に変わ る, とい う意

に 解釈 しなけれ ぽ な ら ない であろ う。 し か し, 種姓が 変わ るこ とを 認 め るな らば,

識派 の 三 乗 各別 説 は 成 立 しな くな るの で ある(24)。

 

さて

YBh

, 

Vini

§cayasarTigraharPi で は , 「有 余 依及 び無余 依の地 の決 択」 の

に至 っ て廻 向

声 聞

題が

中 的に 取 り上 げられ るが, そ こ で は次の 様に

向 声 聞の もつ 種 姓が考察 され てい る。

34

 

(質 問 ) 廻 向菩 提 〔

は, 最 初だ け (

adita

  eva (25) 声 聞の 種 姓を も

 

の で ある と

られ る , それ とも最 初か ら (

adita

  eva ) 菩 薩の種

 

姓を もつ の で ある と述べ られ るべ か。

   

答 )

 

は〕 その種

が決 定 し て い ない もの (ma  

hes

 

pa 与

i

 rigs  can ,

 

aniyatagotraka , 不定 種

)で ある と

られ

YBh

, 

Zi

126

  a5−

6

 

即ち,

向菩 提 声聞 の 種 姓は決定 し て い ない , と され るの で ある。 しか し ,

姓が決 定 し てい ない とい の は, 三乗

別の 立場か ら

れ ば, 不

徹底

れ ない

わ れ る。

 

MSA

MSABh

, 廻 向

提 声

は, 「種 姓の決 定 し て い ない もの 」と し て

ら れて い る様 であるが , しか しその 議 論は か な り難 解であ る。 ま

Maha

 

yanasa

ηzgraha (

MS

, 

Lamotte

 ed .

に 引用された

MSA

(12)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty

12

) 唯識派の一乗思 想に つ い て (松 本)

gotrabhedatah

…ekayanata

Asvabhava

, 

Mahdy

あnasampgrahoPan ・

ibandhana

MAU

, 

D

. ed . 

No

4151

)に お い て ,

35

 

「種 姓の 別 に とつ い て 」 とい の は , 種 姓 が 決

し て い ない か らであ

 

る。 廻 向

提 (

byah

 chub  tu 

bshos

 

pa

) 〔声 聞〕達は

, 声 聞の種 姓を もつ も

 

の である とし て も, 仏 の 種 姓を もつ もの に

わ る。 故に, 一乗 性

 

る。 (

MSU

Ri

293a4

と註 釈 してい る。 従 っ て,

MSABh

述 〔

6

〕)

の 「

聞の

姓が 決定 し てい ない

aniyata §ravakagotra が , 廻

向菩

提 声 聞相 当

とが理 解 され る。

i

か に, 記

6

の 「声 聞の

姓が決定 し て い ない もの」 が, 如 来 等と の 親 近を 通 じて

小乗

ら大 乗転 向す る廻 向

菩提声

聞の 性格を もつ こ とは, 記述

6

に対 する

Sthiramati

StZtr

δ

la2

zleδrav .rttibh δ

5ya

SABh

 

D

. ed . 

No

4034

に お ける次 のな註釈 を見て

に理 解さ れ るで あ ろ う。 〔

36

〕 種 姓が異な っ た もの

rigstha  

dad

 

pa

一乗 〔= 大 乗 〕 よ っ て

 

仏にな る の で

lam

,  mtirga )が 一つ で ある か ら, 一 乗で ある と説 明され

 

た。 即 ち, 菩 薩の 種 姓が決定 し た もの (

byah

 chub  sems  

dpabi

 rigs  

hes

 

pa

 

niyatabodhisattvagotra 菩 薩 種 姓 し て い

byah

  chub

 

sems  

dpabi

 rigs  ma  

hes

 

pa

, aniyatabodhisattvagotra )が 大乗に 入 っ て

 

成仏を得 る様に , 声 聞の 種 姓が

定 してい ない もの (

fian

 thos  

kyi

 rigs   ma

 

hes

 

pa

,  aniyataSravakagotra ) 達は , 以前は 声聞の 行 (spyod  

pa

)を

じて

 

い た が,

ま たは

菩薩

知 識 (

kalyapamitra

)と会っ て か ら,声 聞の 行を捨

 

大 乗の 法を

じて

に な る。

故に 〕 大 乗 だ けの

に よ っ て

る か ら, そ

 

れ を意 趣 して

は 一つ と 〔仏に よっ て〕

かれ た, とい う意 味で ある。

  

種 姓が何 故 「乗」 と言われ るの か , と言 え ぱ, それ 故に 〔それ に

え るため

 

行 く手 段が乗で ある と考えて 」 とっ た の で ある。 こ の種姓は , 菩 提に

 

発心 させ

菩薩

を行 じ させ て仏 とな らせ る の で,

種姓

を 「乗 」 と仮

した の で

 

ある。 (

SAVBh

Mi

197a5

b1

 

しか し, こ こ で再び, 廻 向菩 提 声聞 の もつ 種 姓は何か とい う問題 意識に立ち 返えろ う。 こ の 記 述 の前 半は , 理解 しやすい 様に 見え る。 即 ちそ こ で は , 菩 薩の 種 姓が 決 定 し た もの と決 定 し な い もの が 大 乗に よっ て 成仏 す る様に , 声聞の 種姓 が 決定 して い ない の , 即ち, 廻

菩提 声聞 も大乗 に よっ て成 仏 す るか ら, 乗は

大乗

一つ で ある と説かれて い る。 こ の

説 明

は , 記 述 〔

6

〕 と

容 的に合 致 し て い 一

301

(13)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty

              

唯識派の一乗思想に いつ て (松本)

         

13

る。 即ち

記 述 〔

6

に は , mahayanena  niryapat  

yanti

 

tena

 yanam  

iti

 

k

τtva

とあ る が,

instrumental

で 示 され る 「行 く手 段」が具体的 に は 大乗 (mahEyEna ) を 示すこ と は, 確 実で あろ う。 し か し, 記

32

〕の

半に は, 全 く

然に 種

が乗で ある, と説か れて い るの で ある。 「種 姓が

であ る。」 とい う理

は,

Asvabhava

MSU

に も見 られ る(26)

。 で は , 種 姓が乗で ある とい うこ とと,

gotrabhedatab

… … ekayanata とは どのびつ の で あろ うか 。 もし, 

gotra

bhedatah

を 「

種姓

が 異なる か ら」即ち 「種 姓 が 個々 々 で あ る か ら」 と

な ら, 種姓が

yana

)で あ るとする とき, 

gotra

bheda

か ら

る の は

ekayEnatA で は な く, む しろ nanayanata (多 乗 性)で あろ う。従 っ て,

gotrabheda

la

 

diff6rence

 

des

 

gotra

(27)訳 す の は , 不

切だ と思わ れ る。

 

で は ,

gotra

bheda

の 意 味は何か。 

Vasubandhu

は , 

Mahdyanasaptgraha

bhae

ツa

MSBh

, 

D

、 ed . 

No

4050

に お い て, 

MSA

 

XI

 

k

53

の 当該 部 分を註

釈 して ,

37

〕 gotra

bheda

を もつ 即 ち, 種 姓が決 定 し て い な い 声 聞

が仏にな る

 

を意

して 一乗 性が示さ れ た の で る。

MSBh

187a7

bl

べ て い るが, こ こ で始め て 「声 聞の 種 姓が決定 して い ない もの」 と

gotra

bheda

との 二 概 念間 の 関係を確 認 し得た と思われ る。 即ち, 

gotra

bheda

を も

の が, 「

聞の

姓が決 定 し てい ない もの 」 なの で ある。

っ て ま た, 記 述 〔

36

冒 頭の 「

種姓

が異 なっ た もの 」 も, 様々 の

種姓

の もの を 指 すの で は な く, 「声聞 の 種姓が決定 して い ない もの だけ を 示すと見るぺ る。

 

で は ,

gotra

bheda

, 

gotra

とは何で あ るの か。 結論 よ り言お

う。

者は,

gotra

bheda

とは

gotra

か らの

bheda

the

 

difference

 

from

 

the

gotra

)であ り, 

gotra

と は 大 乗 (mahayana ), 即 ち, 大乗 の種 姓で あ る と考え

る。 そ して , 筆 者が こ の 様に 考え る第一 の 理 由は, 第

1

項の 冒頭に示 し た 記 述

25

する。

記 述 〔

25

は,

本来

38

〕 仏に

し, ま た法に 対し て の

軽侮

と,

懈怠

と,

量 の み に よる満 足 と,

 

にお い て, また

に お い て の

悪 作

と, 不

定 な もの の区別 (aniyata ・

bheda

, 皿 a

 hes

 

ldog

 

Pa

, 諸 の 衆生 の 障

avarapa

)で あ り, そ れ の 対 治 (

pratipak

§a

 

は,

乗 (

agrayana

〔 ==大

乗〕

sa 甲

bha

a)

る。

MSA

, 

XII

 

k

19

20ab

(14)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty

14

) 唯識派の 一思想につ い て (松本) か。 それに つ い て は,

MSABh

に 次 の

な説 明 が ある。

39

〕 そ の 中で ,「決 定な もの の 区別一

1

とは , 不決 定な (aniyata ) 菩 薩 達の ,

 

大 乗 (mahayana か らの区別

bheda

)で る。 (

MSABh

83

18

19

 

そ して , こ の 「不決 定 な菩 薩」に つ い て ,

Sthiramati

に 説 明し て い

る。

40

〕 菩 薩の 種 姓を もち不 決定な もの

byah

 chub  sems  

dpahi

 rigs  ma  

fies

 

pa

 

dag

 

bodhisattvagatra

 aniyatah

, 以

菩薩

(spyod  

pa )

 

じて い た が, 後に 声 聞 等の 善 知 識 と会っ て か ら, 「無上菩

は, 三 阿

 

お い て完 成 し なけれ ばな らない の で, 自己 の 三 寿

だけの 間

成 し て,

聞の

 

果を 取ろ う。」 と考 えて , 菩 薩 の行を捨て て , 声 聞の 行に 入 っ た もの で あ り,

 

「不

決定

」 とわ れ るの で

る。 (

SAVBh

Mi

244a4

5

 

即 ち, 記 述 〔

39

〕で 「不決 定な菩 薩」 と言 わ れ た もの は, こ こ で 「菩薩 の 種姓 を もち不 決定な もの 」 と言い か え られ て お り, 彼は, 大乗か ら小乗に 転 向す る と い う意 味で

記述 〔

6

の 「声 聞の 種 姓が決 定 し て い の 」, 即 ち, 「

廻 向菩

提 声 聞」 に 相 当する もの と全 く逆 で

に 見 え る。 そ し て , こ の 様な 種姓が決 定 し て い ない 二 種の もの は , ま さに記 述 〔

13

〕に示 され る二 種 の不 決定な もの に 他な らない の であ る。

 

し か し, こ こ で註 釈を離れ ,

MSA

文の み に お い て 考えて見 よ う。 果 し て, 記 述

12

, 即ち,

MSA

 

XI

, 

k

54

に, 不

決定

な もの の 二 種がそ れほ ど明

に 区 別 され て説かれ て い る だ ろ うか。 筆 者は そ の 様に は考え ない 。 始 め は , 単に, 廻 向菩提声聞 に 当 す る 「種 姓が 決 定 しない もの 」 (aniyata −

gotra

 

とい の 人々

想定

さ れ て い ただ けであろ う。

にそ れ が, 声 聞の種 姓 を もつ もの と菩 薩 の種 姓を もつ の の 二 に分 類 され た ため に ,

々 の 矛 盾 も生 じる こ と に な るの で ある。 例え ば, 記 述 〔

13

〕に依 存 し た と し て も,

MSA

 

XI

, 

k

54

で は , 一

性の 示は 二 の不 決 定な もの の い つれ に し て もな される は

で ある。 し か る に , 記

25

〕を記 述 〔

39

〕に 依

し て解 釈す るな らぽ, 菩 薩の 種姓 を もっ た 不 決 定 の もの だ けに 一

が説か れる こ とに な る。 何 故な らば, 記 述

25

の 「不決 定な もの 」 を記述 〔

39

〕で は , 「不 決定 な菩 薩」 と解 す る か らで あ る。 そ の こ と は , 記 述

25

〕に 対 す る次の 様 な

Asvabhava

の 註 釈に よっ て知 られ よ う。

41

 

菩薩

の 種 姓を もち不

定な もの は,

薩の

を行じてい た が, 不

知 識に

 

会 っ た の で, そ の菩 薩 の 行を捨て て , 声聞 の 乗に よっ て涅 槃 し た い と望む の で 一

299

(15)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 唯識派の一思想につ い て (松本) (

15

 

あ る。

彼等

に とっ て

劣乗

theg

 

pa

 

dman

 

pa

)に 趣 き, 落ち る こ とが, 障で

 

あ り, そ れ の対 治 と して

Arya

SaddharmaPur4arilea

に お い て, 「乗は 一

 

つ だけであ , 第二 の もの は ない 。」 と 一 , 大

声 聞達

仏 果

に 授 記

 

された の である。 声 聞の 授 記 と 一 説 示

薩の種 姓を もち不決 定

 

な もの 達は , 声 聞の 乗を捨て て , 大 乗だ け を修 習 し, そ れ だ けに おい て加 行 す

 

るの である。

MSAT

Bi

108b2

4

 

即ち, ここ で は, 声 聞の

種姓

を もっ た 不決 定 な もの に は , 一

示 さ れ い の で ある。 しか し記

25

〕に 対 する

Sthiramati

の 〔

42

 

こ の と声 聞 授 記が〕 説 示 され たこ とに よっ て,決 定 し て い ない

 

種 姓を もつ

aniyatagatraka は次 の 様に 考え る。 即 ち, 「こ の

に 乗 が 一

 

つ だ で あ り, 大声 聞達 も成 仏 するな らぽ,

聞の 乗に 入っ て何に なろ うか。

 

最初

か ら

大乗

に 入 るべ

る。」 と, この様に

えて大乗に 入 るこ とに なる

 

の で る。 (

sABh

Mi

246b5

6

) とい う

釈を見 ると, こ こ で 「決 定 し て い ない 種 姓を もつ もの 」 とい う

に よっ て考

さ れ て い るの は, 必 ず しも, 「菩

の 種 姓を もち不 決定 な もの 」 だけで は ない 様に思われ る(28) 。 い ず れに せ よ, 不 定種 姓を二 種に 分 類 する

MSABh

の 解 釈は ,

MSA

の 「決 定 して い ない もの 」(aniyata ) とい う言

の 本 来的な意 味を 伝えてい い と思われ る。

 

そ こ で 以 下に, 不 定

種 姓

を二

分類

す る

法だけを除い て ,

MABh

等に依 りつ つ ,

MSA

, 

XII

, 

k

19

の aniyata ・

bheda

XI

, 

k

53

gotra

bheda

の 意 味

を探 求 して 見 よ う。 まず, aniyata

bheda

, 記 述 〔

39

〕に よ っ て,  aniyata な もの に

る mahayEna か らの

bheda

る。 〔そ してその

bheda

を対 治 す る もの が一乗及 び声 聞授 記の 示 で あ る。〕 次に ,

gotra

bheda

, 記述 〔

37

に よれ ぽ, aniyata な もの に ある もの である。 従っ て, 

gotra

と mahayana が

同一 である とすれば,

gotra

bheda

, 

gotra

か らの

bheda

で ある と考え ざる を

ない 。 しか るに ,

gotra

が mah5yana で ある こ とは , 記 述 〔

36

半で 「

gotra

yana

である と述べ られ こ とに よっ て 示 され て い る。 即ち, そ こ で

gotra

菩提心 させ 菩 薩 行を 行 じさ せ成 仏さ せ る もの と規 定され

て い る か ら, そ の

gotra

は rnahayana の

gotra

る と し か

え ら れ

ない ので ある。 故に ,

gotra

bheda

, aniyata な もの に ある, 

gotra

〔= ma ・

参照

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