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送改革が始まった 超党派の国会議員, 関係各省の官僚, それに放送界の代表らが招集された委員会で議論が行われ,2009 年 3 月, 公共放送改革を柱とする新しい放送法が制定された その眼目は, 財源とガバナンスの両面で, 国家による公共放送への影響力をより強化するものであった まず財源全体のおよそ

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はじめに

今,世界各国で,政権から公共放送への影 響力強化の動きが目立っている。フランスでは 公共放送会長の指名権が,独立規制機関から 大統領に移されたほか,韓国では前政権時代 に任命されたKBS の社長が,反政府デモを詳 細に報道して与党から厳しい批判を受ける中, 大統領から解任された。両国ではいずれも保 守政権発足後からこうした動きが出てきたが, 台湾でも2008 年に保守系の国民党が政権に 復帰したあと,公共テレビの役員人事に影響 力を行使しようとする動きが相次ぎ,反発した 役員と政府の間で泥沼の訴訟合戦を招くにい たった。 本稿では,2011年2月下旬に実施した現地 調査を踏まえ,台湾公共テレビの人事紛争を 通じて,揺れ動く公共放送の「政治的独立」に ついて考察したい。全体の構成は以下の通り とする(なお関係者の肩書きは4月中旬現在の ものとする)。 1 強まる政権から公共放送への影響力行使 1-1 フランス 1-2 韓国 2 台湾における公共放送への“政治圧力” 2-1 台湾放送メディアの歴史 2-1-1 国民党の長期一党支配から自由化へ 2-1-2 台湾における公共放送の発展・拡大 2-2 公共テレビの運営システムと人事紛争 2-2-1 公共テレビのガバナンスと組織 2-2-2 公共テレビの人事紛争の経緯 2-2-3 人事紛争をめぐる与野党の諸論点 2-3 公共テレビ役員人事の最新状況 3 考察

1 強まる政権から

公共放送への影響力行使

1-1 フランス フランスでは,2007年 5月, 保 守 の国 民 運動連合(UMP)を率いるニコラ・サルコジ 氏が大統領に就任した。サルコジ大統領は 2008 年1月,フランスでは公共放送の主要な 財源の一つであった広告を廃止すると突然宣 言した。それ以来,大統領の主導で,公共放

揺らぐ公共放送の「政治的独立」

~台湾公共テレビの事例から~

メディア研究部(海外メディア研究)

山田賢一 

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送改革が始まった。超党派の国会議員,関係 各省の官僚,それに放送界の代表らが招集さ れた委員会で議論が行われ,2009 年 3月,公 共放送改革を柱とする新しい放送法が制定さ れた。その眼目は,財源とガバナンスの両面 で,国家による公共放送への影響力をより強 化するものであった。 まず財源全体のおよそ3分の2を占める受信 料について,「公共放送負担税」として国の税 体系の中に明確に位置づけ,住民税とともに徴 収することにした。また広告廃止にともなう財 源補塡措置として,商業放送の広告収入への 課税と,電気通信事業者の視聴覚サービスに 対する課税が新たに制度化された。これによっ て公共放送の財源は,ほぼ国の税収によって 賄われることになった1) 一方,ガバナンスについては,公共放送の会 長の指名方法が大きく変更された。従来の放送 法では,会長は独立規制機関のCSA(視聴覚 高等評議会)が指名することになっていた。しか し,唯一の株主であり,出資者でもある国が役 員人事に関与しないのは,ガバナンスの原則に 反するとの理由で,新しい放送法では,公共放 送機関のFrance Télévisions,Radio France, AEF(国際放送)の会長については,大統領が 直接指名し解任することも可能になった。 これに対して野党の左派勢力は,「この改革 は,広告廃止によって公共放送が全面的に国 庫に頼ることになる上,大統領がその会長を指 名することで,公共放送への政府のコントロー ルを強化するもので,公共放送の独立に対する 攻撃である」と批判した。 ただ,現在にいたるまで,公共放送の編集 権に対する政治圧力が表立って伝えられたこ とはない。これは,公共放送と政府・政党の 間に独立規制機関の CSA があって,放送法 に明記されている公共放送の独立と不偏不党 を保障すべく規制・監督を行っていることが 背景にある。 1-2 韓国 韓国では,2008 年2月25日に保守のハンナ ラ党のイ・ミョンバク氏が大統領に就任した。そ の直後に成立した,放送と通信を管轄するKCC (放送通信委員会)の初代委員長に大統領側近 が就任したため,野党からKCCの独立性と中 立性を保つ上で問題だと非難する声が上がった。 こうした保守政権のメディア「介入」は,そ の後 KBS 社長の解任にまでエスカレートする が,その背景には,2008 年 4月から5月にかけ て,MBCの調査報道番組『PD 手帳』がアメリ カ産牛肉の安全性の問題を取り上げた「事件」 があった。この番組が牛肉輸入を解禁した政 府を批判したところ,ソウル中心部で連日抗議 集会が開かれ,首相が辞任を余儀なくされるな ど,テレビの影響力の大きさを見せつけたので ある(その後一部誤報があったことが判明して, MBCは謝罪した)。前政権の時代にKBS 社長 に就任したチョン・ヨンジュ氏は,このアメリカ 産牛肉の輸入再開を発端とする反政府デモを 詳しく報道し,与党ハンナラ党などから激しい 批判を受けていた。同年 8月,イ・ミョンバク 大統領は,KBS 理事会からの提案を受ける形 で,チョン社長の解任を決めた。直接の契機 は,大統領直属の組織で,KBSの特別監査を 行った監査院が,KBS 理事会にチョン社長の 解任を求めたことで,その理由としては,KBS の累積赤字を約 90 億円にまで拡大させたこと や,「特定の幹部を重用して組織内の対立を深 刻化させた」ことなどが挙げられていた。

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2 台湾における公共放送への

      “政治圧力”

2-1 台湾放送メディアの歴史 台湾の公共放送をめぐる現状分析に先立っ て,台湾の放送界の歴史に触れておく。 2-1-1 国民党の長期一党支配から自由化へ 台湾では国民党の一党支配の下で,1962 年 から1971年にかけて台湾テレビ・中国テレビ・ 中華テレビの3局が国民党系の商業局として相 次いで開局した。この3局は長く寡占体制下で 莫大な利益を上げていたが,自由化を求める 世論が高まる中,1980 年代末に当時はまだ非 合法だったケーブルテレビが急速に普及すると, 当局はこれを黙認,1993 年には追認する形で 合法化した。このためケーブルテレビ向け衛星 チャンネルが急増し,競争は一挙に激しくなっ た。商業局は利益を確保するため,制作費が 少なくて済む番組ばかり作るようになり,番組 の質の低下が指摘された。また一方で,政治 的立場が偏ったテレビ局が大部分だったことか ら,政治的に中立な放送局を求める声も上が り,メディア学者らが中心となって公共放送の 設立運動が起きた。 こうして商業局に遅れること36 年,公共テ レビは1998 年にようやく開局した。台湾では 現在テレビチャンネルが 200以上と多い上,視 聴者が先に市場を席巻した商業局の番組に慣 れていることもあって,公共テレビの視聴率は 2009 年平均の数字で 0.18%と決して高くない。 しかし,毎年質の高い番組に贈られる「金鐘賞」 の受賞は,公共テレビが常にトップクラスにあ るなど,有識者からはその番組の質の高さが 評価されている。 2-1-2 台湾における公共放送の発展・拡大 台湾における公共放送の発展・拡大は図1 のようになっている。特に民進党政権の時代, 2006 年に商業局の中華テレビが公共放送に移 行したほか,2007年には少数派住民向けの2 つのチャンネルとテレビ国際放送の1チャンネル (以下,この3つをまとめて「公益性チャンネル」 と呼ぶ)も公共テレビの傘下に入り,中華テレ ビと合わせて「公共放送グループ」を形成する 一員となった。グループといっても現状では法 的な裏づけはなく,公共テレビを中核として資 源の共有化を図る目的があるという程度のもの なのだが,ともあれテレビのアナログチャンネル の数でいうと,台湾の公共放送は開局から10 年で1チャンネルから5チャンネルに増えたこと になる。 次に公共放送拡大の経緯を詳しく見てみる (図 2 参照)。2003 年に当時の民進党政権が 「党・政・軍のメディア撤退」政策を打ち出した。 それまでは地上テレビ局のうち,中国テレビは 国民党の系列企業が株式を所有,民視テレビ は民進党の関係者が株式を所有,また中華テ レビと台湾テレビは行政院の国防部など関係 部署が株式の多数を支配する「政府持ち株テ レビ局」だった。「党・政・軍のメディア撤退政 図 1 台湾における公共放送の発展・拡大 '08民進党から国民党に政権交代 '07客家 CH,原住民 CH,宏観 CH(国際 放送)が公共放送グループ入り '06中華テレビ公共化, 公共放送グループ入り '04地上デジタル放送開始 '03「党 ・ 政 ・ 軍のメディア撤退」政策 '00国民党から民進党へ政権交代 '98公共テレビ(公視) ,放送開始 公共放送の チャンネル数 (アナログ) 1 2 5

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策」によって,党・政・軍による株式所有を禁 止すると共に,政党役員や政府幹部がテレビ 局の幹部に就任できないようにした。この政策 の結果,政府持ち株会社の中華テレビと台湾 テレビのうち,政府持ち株が相対的に多い中 華テレビを公共化し,相対的に少ない台湾テレ ビについては政府持ち株を売却し,民営化す ることになった。中華テレビの公共化は,具体 的には政府持ち株を公共テレビの運営主体で ある財団法人公共テレビ文化事業基金会に譲 渡すると共に,公共テレビの理事長が中華テレ ビの理事長を兼任するという,歴史の浅い公 共テレビの方が主導権を持つ形で行われた。 しかし,中華テレビは公共化した後も,行政 予算の制約などで公共テレビのように政府交付 金を受けることができなかったため,子供向け 番組を除いて基本的には広告放送を維持する ことになった。このため中華テレビが視聴率を 優先せざるを得ない状況が変わらないまま,公 共テレビとの統合を図ることになったが,最初 に試行したニュース部門の統合は,何をニュー スと考えるかという「ニュース判断」をめぐる双 方の意見対立の表面化で失敗に終わった。こ れによって公共テレビと中華テレビの統合の動 きは中断し,現在の中華テレビは公共放送とい うには,やや中途半端な状態となっている。 一方の公益性チャンネルについては,図3のよ うな改革が行われた。まず少数派エスニックグ ループ向けのチャンネルを見てみる。 「客家」は,漢民族だが独自の言語を持ち, 人口全体の15%程度を占めるエスニックグルー プである。一方「原住民」2)は,マライ・ポリ ネシア系の先住民で,タイヤル族など 14 族に 分かれ,人口全体の2%を占める。客家チャ ンネルと原住民チャンネルは,台湾の民主化 にともなう少数派エスニックグループの発言権 拡大を背景に,それぞれ 2003 年と2005 年に 政府予算で運営するテレビチャンネルとしてス タートした。行政が自ら運営するには予算上の 制約もあり,当初その運営は,毎年の入札で 落札した商業局が行っていた。しかしこの場 合,毎年担当局が替わることで,人材・ノウ ハウの蓄積に影響が出るほか,商業局は利益 を優先するため番組の質が下がるとの批判も 出ていた。そこで同様に入札によって運営して いた国際テレビ放送の宏観チャンネルを含め, 3 チャンネルまとめて2007年1月から公共放送 グループに加入し,公共テレビとの間で設備 などの資源の共有化を進めることになったので ある。 図 2 党・政・軍のメディア撤退政策による公共放送拡大 図 3 公益性チャンネルの公共放送グループ入り 政府持ち株 テレビ局 商業局 民営化 公共化 公共放送グループ 台湾テレビ 東森 台湾 テレビ 中華 テレビ 公共 テレビ 三立 TVBS 中華テレビ 従来 2007 ~ 少数派住民向け 客家 ch 商業局間の競争入札 → 公共放送グループ 原住民 ch 商業局間の競争入札 → 公共放送グループ テレビ 国際放送 宏観 ch 商業局間の競争入札 → 公共放送グループ

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2-2 公共テレビの運営システムと人事紛争 2-2-1 公共テレビのガバナンスと組織 公共テレビの組織は図4のようになっている。 運営主体は,公共テレビ法で定められた財団 法人の公共テレビ文化事業基金会である。最 高意思決定機関は理事会(中国語では董事会) で,NHKの経営委員会にあたるが,理事の互 選で選出される理事長は常勤のため,日常業 務への影響力はより強いといえる。この理事会 が執行部のトップである社長(中国語では総経 理)を一般公募によって選出し,その下に副社 長がいる。部門は番組制作部や報道部など 10 部ある。公共テレビ法では,理事会は公共テレ ビの運営方針を定めるほか,予算と決算の審 議,番組制作の方針や発展方向を決めると共 に,その執行を監督するとされている。 公共テレビの理事・監事の選出方法は,図 5のようになっている。まず国会にあたる立法 院が,政党の持つ議席数に比例した数の審査 委員(11人~ 15人)を推薦する。審査委員は, 内閣にあたる行政院が選考した理事・監事候 補一人一人について信任投票を行い,委員の4 分の3以上から賛成を得られた人を選出する。 4分の3という高いハードルを設けることで,少 数勢力からも受け入れられる人材を選び出す狙 いがある。 公共テレビの歴代経営陣は,図6の通りであ る。理事長と社長の任期は1期3 年だが,再任 も可能となっている。第1期と第2 期の理事長・ 社長は政権交代の後も再任となっており,国民 党と民進党の双方が受け入れられる人材であっ たことが分かる。これに対して民進党政権末期 の第 4 期の理事長・社長人事には当時野党だっ た国民党が強い不満を持ち,政権交代後,そ の更迭をめぐって動き出すことになった。 2-2-2 公共テレビの人事紛争の経緯 国民党が特に不満を持ったのは,社長人事 だった。馮賢賢社長は社会運動家の出身で, 国民党から見ると民進党色が強かった。このた め国民党は野党時代から,立法院(国会)で 図 4 公共テレビの組織 公共テレビ文化事業基金会 諮問委員会 番組制作部 報道部 番組編成部 広報・営業部 国際事務部 ニ ュ ー メ デ ィ ア 部 番組企画部 技術部 人事・総務部 経営企画研究部 社長 副社長 理事長(常勤) 理事会(17-21 人) 監事会(3-5 人)常務監事 図 5 理事・監事の選出方法 図 6 公共テレビの歴代経営陣 理事・監事候補(行政院が選考) 立法院が推薦 した審査委員 の 3/4以上が 同意 信任投票 理事・監事 第 1 期 第 2 期 第 3 期 第 4 期 暫定 第5 期 理事長 呉豊山 呉豊山 陳春山 鄭同僚 陳勝福 ? 社長 李永得 李永得 胡元輝 馮賢賢 曠湘霞 政権 国民党 民進党 国民党 1998 2001 2004 2007 2010 年

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多数を占めていたことを利用し,公共テレビの 年間予算9 億元(約25 億円)のうち半額を「凍 結」,一時的に使えないようにして公共テレビを 兵糧攻めにした。そして政権交代後は,鄭同僚 理事長に対して「陰に陽に社長の更迭を求めた」 (筆者が行ったインタビューでの鄭氏の発言)と いう。しかし鄭理事長が応じなかったことから, 国民党は理事長自体の更迭を図ることにした。 その第一弾となったのは,2008 年10月の公 共テレビ理事の審査委員選任である。公共テ レビ法では,審査委員は「社会の公正な人物 で構成する」とされているが,国民党の推薦枠 には同党の立法委員(国会議員)4人が含まれ ていた。これに対してメディア学者などで作る NGOの「媒体改造学社」からは,公共テレビ 法違反だとの厳しい批判が出た。 国民党が目指した理事長更迭の段取りは, 図 7 のようになっている。政権交代時,国民 党は立法院で4 分の3の勢力を確保していたた め,審査委員会で主導権を握ることができた。 そこで 2008 年11月にまず欠員補充などで国民 党系の理事 5人を増員した。しかしこの段階で は,まだ理事会で多数派とならなかったため, 2009 年 6月,公共テレビ法を改正,理事の定 数を6人増やした上,定数枠の最大限である 21人の理事になるよう,国民党系の理事 8人を 増員した3)。これによって公共テレビの理事会 は国民党系が多数を確保,同年12月の理事 会で,多数決により鄭理事長の更迭を決めた。 一方,同じ12月に,公務員や国家機関の不 正への弾劾や会計監査を行う行政機関である 監察院は,8人の新規理事の選出について,本 来は審査委員会を新規に設立すべきなのに, 以前からある審査委員会をそのまま運営するな ど,選出方法に瑕か し疵があったとして,管轄機 関である行政院新聞局に是正を勧告した。こ の勧告を頼りに鄭理事長は2010 年1月,裁判 所に8人の新規理事の職務停止仮処分を申請, これがいったんは認められたことから,今度は 新聞局が鄭理事長の解任を求める申請を裁判 所に提出,泥沼の訴訟合戦となった。訴訟の 最終決着は2011年 4月現在もついていないが, 鄭理事長の任期は2010 年12月で終了した。 訴訟合戦の一方で,第5 期の理事・監事を 選出するための作業が行われた。2010 年11月, 新規に設立した審査委員会が開かれ,行政院 が推薦した27人の候補に ついて投票が行われた。 しかしこの審査委員会は, 国民 党が 4分の3を握っ ていた前回までとは委員 の構成が違っていた。国 民党の馬英九政権の人気 が当初より落ち込んだこと もあって,補欠選挙では 野党民進党が相次いで勝 利し,11月の審査委員会 開催時にはその議席比率 図 7 国民党が目指した鄭理事長更迭   政権交代時 (’08.5) 8人 (欠員3人) 13人 21人 ’08.11 ’09.6 国民党 公共テレビ法改正,理事定数を 11∼15人から17∼21人に増加 理事会の多数決で鄭理事長を解任 ’09.7 ’09.12

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は3分の1近くに達していた。このため15人の 審査委員のうち民進党推薦枠は4人となり,こ の4人が一致して投票した場合,4分の3に必 要な12 票が獲得できないことになるのである。 投票の結果は,図8のようなものだった。27 人の候補者のうち理事に当選したのはわずか 4 人,17人から21人とされる理事数には全く足り ないことになった。しかも落選した候補のうち 13人が,15 票のうち11票を獲得し1票だけ足り なかったのである。行政院が新しい候補者の 選考を拒む中,2011年1月に同じ候補について 行われた第二回審査委員会でも,新たに理事 に選出されたのは1人だけで,定数に10人以上 足りないという状態は解決されなかった。民進 党推薦の審査委員が結束して投票したことで, 理事選出手続きは暗礁に乗り上げたのである。 理事がなかなか決まらない中,審査委員に対 する圧力も高まった。国民党と民進党の間で水 面下の折衝が行われ,理事数を国民党系15人 と民進党系6人に分け合うとの妥協が成立した との情報も流れた。しかし民進党推薦の審査委 員の盧世祥氏は,「自分は民進党のかいらいで はなく,記者出身の専門的見地と良心に基づい て投票している」と述べ,政党の介入を否定し た。そして盧氏は,なぜ一部の候補に投票しな いのかを含め,以下の3つの点を主張した。 Ⅰ 人選が適切であること 盧氏は,新規に選出された8人の理事を含む 10人の現職理事が,第5 期にも理事として続投 するのは好ましくないと主張する。それは,こ の10人の現職理 事が,鄭同僚 前 理事長を追い落 とすための国民 党の政治の道具 にされたからだと いう。こうした見 方は民進党推薦 の4人の 審 査 委 員の間で共有さ れているようで,その場合,何回投票しても10 人の現職理事から当選者は出ないであろう。 Ⅱ 選出の手続きが正しく行われること 盧氏が 2010 年11月の最初の審査委員会に 出席したとき,新聞局から事前に候補者名簿は 提示されず,会合のその場で投票するよう求め られたという。盧氏はこれでは人物をじっくり審 査することは不可能であるとして,審査のため の時間的余裕を設けるよう,新聞局に要求した。 Ⅲ 情報の全面公開 盧氏は NCC(国家通信放送委員会)の委員 選出のための審査委員も経験したことがあり, 公共テレビの理事候補についても,投票結果 を含め公表するよう新聞局に要求した。これ に対し新聞局は,NCC委員は政務官だが,公 共テレビ理事の地位はそこまで高くないので公 表する必要はないと答えたという。そこで盧氏 は審査委員による採決に持ち込み,7 対 5で情 報公開を実施する方針が決定された。さらに メディアNGOも情報公開を強く要求していたこ 盧世祥氏 図 8 審査委員による投票結果('10 年 11月) 陳勝福 10 票 林谷芳 11 票 盧飛易 11 票 周建邦 11 票 程宗明 11 票 須文蔚 11 票 趙雅麗 11 票 廖元豪 11 票 林淇瀁 11 票 蔡憲唐 11 票 巴奈・母路 13 票 彭恵圓 11 票 頼祥蔚 11 票 陳以亨 11 票 何旭初 11 票 陳郁秀 15 票 呉作楽 14 票 鄭自隆 14 票 李根正 7 票 顔雪花 7 票 張学舜 6 票 呂郁女 3 票 林書宇 1 票 鄭明椿 1 票 孫青 2 票 徐青雲 0 票 馬紹・阿紀 5 票 →理事当選は 4 人のみ 当選に必要な票数・・・12 票

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とから,新聞局は 2月になってようやく2010 年 11月の審議内容の公開に踏み切った。現在は 2010 年11月の第1回会合と,2011年2月の第 2 回会合の内容の録音が,新聞局のホームペー ジ(http://info.gio.gov.tw/ct.asp?xItem=8061 1&ctNode=5283&mp=1)で公開されている。 2-2-3 人事紛争をめぐる与野党の諸論点 ここで,公共テレビの人事紛争をめぐる与野 党の論点をまとめる。議論となっているのは, 第 4 期における理事長・社長人事や公共テレビ の運営をどう評価するかという「ミクロ」の問題 と,「政治的独立」を含めた公共放送の役割や カバー範囲をどう定義するかといった「マクロ」 の問題がある。与党国民党は林益世立法委員, 野党民進党は管 碧玲立法 委員へ のインタビューを もとに,それぞれ 見ていくこととす る。 まずミクロの問 題 だが, 国 民 党 の林 氏は, 特に 馮社長について, 公共テレビ職員の多くが反対していたことを強 調した。職員から社長交代要求があったので, 社長の交代を求めても公共テレビへの干渉には あたらないというわけである。一方,民進党の 管氏は,馮社長は個性が強いとして,職員か らの反対が強かったことは認めるが,一方で専 門性があったと述べると共に,馮社長の時代 に視聴率が 0.11%から0.18%に上がったことや, 自社番組比率が上昇したことなどを挙げてその 業績を強調した。これに対し林氏は,公共テレ ビによる機材の購 入価格が高すぎる と指 摘,1,000万 元で買えるものを 3,000万元で買っ たなどと,その経 済 効率性を問題 視した。そして立 法院が公共テレビ の帳簿を検査しよ うとしたとき,公共テレビが拒否したとして,ガ バナンスに問題があるとの見方を示した。 具体的な番組に関しては,特に公共放送の 政治的中立性の観点から批判も出ている視聴 者参加型「コールイン番組」の『有話好説』に ついて聞いた。『有話好説』は,馮社長が就任 後まもなく始めた番組で,毎晩 7 時から8 時ま でのゴールデンタイムに放送される討論番組で ある。「コールイン」というのは,こうした討論 番組でよく行われる,視聴者からの電話による 意見を受け付けることで,『有話好説』では必 ずしも毎日行ってはいないのだが,林氏と管氏 はいずれもコールイン番組と見なしていたので, ここではコールイン番組として扱う。国民党の 林氏は,視聴者の声を紹介するコールイン番組 は政治的立場が出やすいので,中立を標榜す る公共テレビがコールイン番組を放送するのは 問題があると指摘した。一方民進党の管氏は, コールイン番組には視聴者のニーズがあるとし た上で,『有話好説』の場合,商業局と違って 話題が政治一辺倒でなく,社会・経済・文化と 多元的で特色を持っていると評価した4) 次にマクロの問題だが,国民党の林氏は, 法律で「独立自主」が明記されている公共テレ ビはともかくとして,客家チャンネルなどの公 林益世立法委員 管碧玲立法委員

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益性チャンネル3つについては,政府の宣伝を すべきで,政府批判をすべきではないと主張し た。そしてこの3チャンネルについては,公共テ レビグループに残る場合でも,公共テレビとは 運営方針を分離するべきだと述べ,それができ ないなら3チャンネルはグループから切り離すと の意向を示した。これに対し民進党の管氏は, 客家などの3チャンネルも公共テレビと同様の 公共メディアであって,政府のメディアではない と主張した。 2-3 公共テレビ役員人事の最新状況 公共テレビ第 4 期の理事の任期は2010 年12 月で既に切れているが,第5 期の理事が決まら ないことから,2011年 4月現在も暫定的な運営 を続けている。ただし訴訟の結果,鄭前理事 長系とされる7人は職務執行停止状態となって いるため,現在の理事会は国民党系が完全に 押さえた形となっている。この暫定理事会は 2011年2月,ついに社長の公募を第5 期理事 選出に先立って行う方針を決めた。通常はまず 理事を選出し,理事の互選で理事長を選出し てから社長の選考に入るのだが,理事がなかな か決まらないため非常手段に出たわけである。 そして,筆者の現地調査が終了した後の2月 26日,唯一応募していた曠湘霞氏を社長に選 出した。曠氏は大学・行政・メディアの現場と, メディア関係の業務経験は豊富である。ただ専 門性は高い一方,中国テレビという国民党系メ ディアでの仕事が長く,「党への忠誠心が強い」 との評価も出ており,あるメディア関係者は, 「曠氏は理事長として中央ラジオにいたとき,同 社の社長とかなり衝突していたようだ。彼女が 公共テレビの社長になった場合,独立心の強い 公共テレビの職員との間で今後衝突が起こる可 能性は否定できない」と話している。また,メ ディアNGOの媒体改造学社と台湾媒体観察教 育基金会は連名で2日後に声明を発表,理事 が決まる前に社長を決めるという,手続きが変 則的なことに疑問を呈すると共に,「与党が公 共テレビの人事に干渉しているとの懸念を残す」 と指摘した。

3 考察

今回の人事紛争の根源として考えられるの は,台湾における政治の激しい二極対立の構 図である(図 9 参照)。国家アイデンティティや イデオロギーの面では,国民党は中華意識が 強いのに対し,民進党は台湾意識が強い。ま た中国との関係をどうするかについては,現在 の国民党は「協調」を重視するのに対し,民進 党は中国からの「自立」を重視する。さらにメ ディア政策では,国民党の現政権は中央通信 社や国際放送の中央ラジオに国民党系の人物 を送り込み,政権批判を封じるなど5),直接的 介入の色彩が強い。一方民進党は,自らに近 い人物を送り込もうとはするが,もともと権威 主義体制下で民主化を求める政党として出発 した歴史もあり,直接的な介入は控える傾向が ある。 こうした政治的二極対立の中で政治的独立 を維持するのはもともと大変なことであるが, 図 9 紛争の根源  二極対立が激しい台湾の政治 国民党 民進党 イデオロギー 中華意識 台湾意識 対中国関係 「協調」重視 「自立」重視 対メディア 直接的介入 間接的介入

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公共放送の政治的独立をめぐる現状の問題を 「法律」面と「運営」面に分けて見ていく。 法律上の問題については,まず公共放送の 法的位置づけである。公共テレビ法には,公 共テレビが「独立自主で,干渉を受けない」と 明記してある。この精神は公共テレビ職員の間 にかなり浸透しているようで,過去3 年間,公 共テレビが役員人事をめぐって内紛を続けてい た間も,番組自体は特に“偏向”を批判される こともなく放送されてきた。むしろ,現在問題 になっているのは,公共放送グループが出来た 後,4 年以上にわたって公共テレビ法の改正に 手がつけられず,公共放送グループに法的裏づ けがないことである。これについては,公共テ レビ改正法原案が 2011年 3月3日に行政院の 会議で承認され,公表されているが,その条文 の中には「公共放送グループ」のカバー範囲や 予算等について明確な記載がない。これにつ いて公共放送拡大を求めるメディア学者などで 作るNGOの「媒体改造学社」は3月11日,声 明を発表し,以下の理由をもとに強い失望と抗 議の意思を示した。 Ⅰ 公聴会の際に示された法改正案の中にあっ た「公共テレビの最低限の予算の保障」の 文言がなくなったこと Ⅱ 公聴会の際に示された法改正案の中にあっ た「少数派エスニックグループ向け放送サー ビスの保障」の文言がなくなったこと Ⅲ 2 年前に 6 人増やしたばかりの公共テレビ理 事の数を 17 ~ 21 人から 13 ~ 17 人へと再 度減らしていること このうち,Ⅰは以前に国民党が行った公共テ レビへの予算凍結という「兵糧攻め」に見られ るように,公共放送の政治的独立に少なからぬ 影響を及ぼす問題である。また,Ⅱは少数派 エスニックグループ向けサービスを公共放送の 枠組みからはずすことを検討している国民党の 意向を反映しているように見える。そしてⅢは, 前理事長更迭のために国民党が公共テレビの 理事人数を恣意的に増減させたと疑われている 問題である。 次に運営上の問題だが,公共テレビ法には先 述したように,理事の選出にあたる審査委員に は「社会の公正な人物」がなるとされている。と ころが国民党は,自党の立法委員を審査委員に した。抽象的な法規定だけでは党派間の抗争 を抑止できない実例である。また,特に選挙が 近くなると,与党は党派色の強い人物を公共テ レビの理事や理事長に送り込もうとする傾向も見 られる。そしてこれが野党の反発を買って,対 立がエスカレートすることになる。 次に,公共テレビの今後のあり方について, 「政治的独立」と,これと関連して「公共放送 グループの規模」の二点を取り上げる。 Ⅰ 公共テレビの政治的独立 この課題については,第 1期と第 2 期の理 事長で,国民党と民進党の双方から受け入れ られていた呉豊山氏の意見が参考になると思 われる。 呉 氏 は, 公 共 テレビにとって最 大の課題は,第1 期から第2 期の頃 のように,経営陣 が「超党派」の理 念を取り戻すこと だとしている。そ のための方法とし て呉氏は3つの点 呉豊山氏(現監察委員)

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を挙げる。1つは,政党がそれぞれ自制心を持 つことである。政党の一方が自党の利益にこだ われば,対立は必然的にエスカレートするから である。2つめは,市民が公共テレビに関心を 向け,その運営を監督することである。そして 3つめは,理事になった人が,就任後は自分の 支持する政党のことを忘れ,公共の利益に基づ いて発言すべきということである。呉氏はこうし て時間をかけて組織文化としての「超党派」の 伝統を作っていくことが必要だと結論づけた。 Ⅱ 公共放送グループの規模 次に政治的独 立と関連するも う1つの課題とし て,客家チャンネ ルなどの公益性 チャンネルを 含 めた公共放送グ ループの規模を どうするかという 点がある。行政 院の江啓臣新聞局長は,筆者が 2月に行った インタビューで,公共テレビ法を改正した後は, テレビ国際放送の宏観チャンネルの管轄を従 来のように行政院僑務委員会に戻して公共放 送グループから離脱させるほか,原住民チャン ネルについても,公共テレビが担当するか,原 住民の組織である原住民族文化事業基金会に ゆだねるかを,行政院の機構である原住民族 委員会が選べるようにするとの方針を示してい る。その場合,法案が可決すれば,公共放送 グループは 5チャンネル体制から1 ~ 2 チャンネ ル減り,少なくとも公益性チャンネルの分野に 関しては縮小の道をたどることになる。この問 題について, メ ディア学 者の間 では,意見が分 かれている。 世新大学の陳 清河教授は,公 共放送縮小派で あ る。 陳 氏 は, もともと公 共 放 送は拡大すべき との考えだったが,公共放送グループの現状 を見て考えを変えたという。公共テレビは客家 チャンネルや原住民チャンネルをグループに取 り込むことで規模を拡大したのだが,陳氏は, 政治家にとっては,こうした少数派住民向け チャンネルを味方につければ選挙の際に少数 派住民の票を獲得しやすい面があるため,少 数派住民向けチャンネルは政治からの干渉を 受けやすいと指摘する。公共テレビ本体の政 治的独立を守るには,むしろ客家チャンネル や原住民チャンネルは切り離した方が得策とい うのが,陳 氏の 考えである。 一方, 政 治 大 学の馮建三教授 は公共放送拡大 派である。規 模 が拡大すればそ れだけ社会の関 心が 高くなるの で, 政 治 介入へ の監視もいきわたるようになるというわけであ る。馮氏は,客家・原住民・宏観の3チャンネ ル全てを公共放送グループに残し,資源の共 有化を進めるべきとしている。 江啓臣新聞局長 陳清河教授 馮建三教授

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台湾公共テレビの人事紛争を題材に,公共 放送の政治的独立問題を見てきたが,そもそも 視聴率が 0.18%しかない公共テレビの役員人事 に政権がこれだけ影響力を行使しようとするこ とは,逆にいえば,公共テレビが特に有識者 から,政治的中立性や番組の質の高さを評価 されていることの表れともいえよう。もちろん国 民党が公共テレビの役員人事に「介入」した直 接のきっかけは,民進党色が強いとされ,職員 の間での評判も良くなかった人物を社長に抜擢 したことなので,当時の社長人事の是非自体は 議論すべきものである。ただ,台湾のメディア 研究者の間では,公共テレビの人事紛争に関し て,与党国民党のメディア対応への「自制」を 求める声が強い。 しかし,先に国民党色の強い人物の公共テレ ビ社長就任が決まったことで,その前途は不透 明さを増している。また,国民党の馬英九政 権が 2008 年5月に発足して以来,国際人権団 体フリーダム・ハウスによる世界各国・地域の 報道の自由度評価で,台湾の世界ランキングが 2008 年の32位から2009 年には43位,2010 年 には47位と下がり続けており,この点を懸念す る声も少なくない。 台湾のメディア研究者やNGOの間では主流 である公共放送拡大論に対し,先述した陳清 河教授が公共放送の政治的独立を守るため, あえてその規模を縮小すべきとしたのも,こうし た「政治介入」の実態を直視した現実論なので ある。 一方,世界の公共放送の「政治的独立」問題 を考える上で,台湾のケースが参考になる点も いくつか見られた。1つは,国会の各党派が推 薦する審査委員が審議の上,投票で理事を選 出することである。これは時によって理事選出 が滞ることもあるなど,手間暇はかかるが,選 考過程がブラックボックスであるケースと比べ ると,より民主的なやり方といえる。また,審 査委員の4分の3の承認を必要とするという条 項も,少数派の意見を最大限尊重するやり方と いえる6)。もう1つの注目点は,審査委員会の 審議内容の全面公開である。この措置はもとも と制度化されていなかったが,審査委員の多数 とメディアNGOの強い要求で実現した。審査 委員会の審議の公開によって,市民やメディア NGOが公共テレビの理事選出についての監督 を強めることが可能になり,公共放送の「政治 的独立」に貢献しうる。 公共放送の政治的独立の確立・維持には, 台湾や韓国などで見られる政治の二極対立をど う緩和させるかという「土壌の変革」が根本的 には重要なのだが,当面の方策としては,「市 民に対する情報公開の拡大」を中核として,制 度・運用の両面で様々な工夫をこらすことが欠 かせないといえるだろう。  (やまだ けんいち) 注: 1)実際にはフランス政府の財政難もあって,広告の全面 廃止は延期され,2011 年 4 月現在は,午後 8 時か ら翌朝 6 時までの広告放送廃止にともなう広告収 入の一部減少分を国の補助で補う形になっている。 2)台湾の先住民は「原住民」の呼称を主張してい ることから,本稿では「原住民」を使用する。 3) 理事増員の理由は,表向きは「社会の多様な声 を反映するため」とされていた。 4)公共テレビが民間の会社に委託して行った,商業局 を含むコールイン番組への視聴者の満足度調査で は,『有話好説』は比較的中立的だとして評価は高 かったが,一方でコールイン番組そのものについて は有識者からの批判が多いのも事実である。 5)詳細は拙稿「新政権の“圧力”に揺れる台湾の公 共放送」(『放送研究と調査』2009 年 4 月号)参照。 6) ただし,国民党は現在,公共テレビ法改正によっ て,4 分の 3 による多数決を 3 分の 2 による多数 決に変えようとしている。

参照

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