ビル・ゲイツの経営思想とマイクロソフトの経営
高 井 紳 二
Ⅰ ビル・ゲイツの人物像
Ⅱ マイクロソフト社の経営とビル・ゲイツ
マイクロソフト社(以下
MS
社)といえば現代を代表する企業であるが,その歴史 はまだ設立後27
年しか立っていない。しかし,この間,売上,従業員数ともに巨大企 業になり,経営管理においても独自のマイクロソフトウェイを確立し,成功を収めてき た。これはGM
やフォードといった米国を代表する企業が初期の30
年間に成し遂げた 成功と匹敵するような内容をもっている。つまり急拡大する市場を作り上げ,組織的な 革新,そして独自の経営管理手法の確立,その後の多くの企業に普及することになっ た。すなわち,事業部制を確立させたGM,大量生産方式を確立させたフォードを連想
させるものと思えるのである。MS
社の経営管理は,ビル・ゲイツの経営思想でもある。ゲイツの経営思想とは明確 なものとしては理念や方針といったものよりは仕事の進め方に関するものが多い。最近の
IT
関連のトップマネジメントに見られる特徴でもあるが,事業の運営方針,開 発のユニークな方法論,市場に対する独特の洞察力,提携や競争に対する独特の見解と いったことが前面にだされることが多い。この点でもゲイツの市場への独自の洞察力,また自身が創業者であることから,仕事に対する厳しい見方や方法論における実践者と しての経験が大きな特徴になっている。
創業者の経営には自身が実践してきたことからくる特徴がある。創業者ははじめから 大きな社会観や人生観をもって仕事をするというよりは,仕事が大きくなるにつれて次 第に経営観が醸成されてくるのである。一方大企業の経営者は当初から人や組織にたい する経営観を持っていることが多いが,競争相手は社内と社外という決定的な違いもあ り,それらが経営観に違いをもたらすことがある。
現代の米国の創業者たちはその生い立ちや学歴にしても伝統的な米国の創業者たちと は異なるところがある。豊かな家庭と高学歴が主流になりつつある。典型的な例は共同 で事業を進める意識が強いことだ。その結果,事業に大きな貢献をしたものには徹底し た報酬を与えることが多い。ストックオプションに見られるように,参加者も裕福にな れるのである。創業者は創業者利得を得るが,初期の参加者も大きな利得をえることが できる。またはじめから共同で事業を進めることが多く,個人一人でなにもかも立ち上
(539)95
げるのではないところも現代米国の創業者達の特徴を見ることが出きる。
マイクロソフトにおいても,ゲイツのみならず,ポール・アレン,スティーブ・バル マー,ネイサン・ミルボルトといった大物が活躍してきた。決して成功はゲイツ一人に よってもたらされたものではない。技術者として,アレンやミルボルトらは天才的な才 能を発揮したとされている。さらにバルマーとの共同経営的な側面があり,ゲイツ個人 の経営観がマイクロソフトに反映されてきたというよりは,ゲイツのリーダーシップの 下で小さな集団からはじまり,次第にその経営観を作り上げてきたといったほうがよい だろう。
Ⅰ ビル・ゲイツの人物像
マイクロソフト社の会長であるビル・ゲイツは現代の企業経営者の代表者であるが,
その事業がコンピュータソフトウェアにおける
OS(オペレーション・システム)とい
うきわめてユニークなプラットフォーム戦略(基本モデルの構築を進め,ある製品の優 位性のある中核となる製品,部品やシステムを構築することにより,関連する企業がそ の中核となる部品やシステムをベースにして多くの付加価値部品やシステムをつくりあ げる)であること,さらに若手であり一代で事業を作り上げたこと,それが世界のトッ プ企業になっていることなど,いくつかの点で驚異的な経営者といえる。いまだかつ て,これだけ急成長した企業はきわめてまれなことであり,莫大な個人資産を作り上 げ,数年で世界制覇をなしえた企業は珍しい。また産業構造が知的化し,物財型の価値 創造が変化してきたことを考えると,大きな産業の変革,経済構造の変化の中から出て きたとも言える。このことは時代が要請した人物という側面もある。マイクロソフトの 成功は一つの企業の成功物語というよりも,世界で一つの新しい産業が立ち上がり,そ の結果新しいビジネスモデルが作られ,新しい価値の創造が行われたことを考えれば,大きな企業社会の変革の起爆剤としてその大きな役割をになった企業,人物として位置 付けることが大事である。
ビル・ゲイツ,正式名ウィリアム・ヘンリー・ゲイツは
1955
年にシアトルで生まれ る(ビルはウィリアムの略称)。家代々がこの名前を使っており,祖父がウィリアム・ヘンリー・ゲイツ・シニア,父はウィリアム・ヘンリー・ゲイツ三世,弁護士であっ た。母親のメアリー・マクスウェルの実家は銀行関係の名門でありシアトルの名家であ る。
近年の
IT
の実業家たちによくみられる出自についての特徴は,一代のたたき上げで 財をなしたというよりはもともと裕福な家の出で学生時代も名門の学校にかよっていた同志社商学 第54巻 第4号(2003年2月)
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ということが多いといわれるが,ビル・ゲイツはまさしくそのような名門の出であった といえよう。
ゲイツは子供のころから成績もよく,特に数学の成績は上出来であった。現在のゲイ ツの姿が垣間見えるのは高校に入ってからだといわれている。シアトルの北部に位置す るレークサイド高校は地域の名門校であり,独自の学風で知られていた。1968年にこ の高校では父兄の資金的な援助もありコンピュータが導入された。ゲイツはここでコン ピュータのとりこになっていく。ビル・ゲイツは
13
歳の時にはじめて三目並べのプロ グラムを書いたといわれている。さらにコンピュータ・センター・コーポレーションと いう会社がワシントン大学のコンピュータ学科の教員によって作られ,市民に開放され る。ここでゲイツは天才的な能力を発揮するとともに,コンピュータの仲間にのちにマ イクロソフトの礎を作った2
歳年上のポール・アレンがいた。この2
人でゲイツは高校 生から事業をはじめることになる。2人は別々の大学へ行くが(ゲイツはハーバード大 学)シアトルとボストンを往復しつつコンピュータソフトウェアの仕事を請負い,事業 家として目覚めていく。この事業への関心が高まるにつれて,アレンとの信頼感も醸成され,ハーバードを中 途退学することになる。大学を中途で止めて事業を起こすこと自体が日本ではなかなか 認めてもらえないことかもしれない。まして米国の最難関大学に入り,将来が約束され ていたのである。しかし彼の自伝を読んでも親からの反対があったという記述はない。
実力があればどこでも生活が出きる社会が作られているからだろう。
Ⅱ マクロソフト社の経営とビル・ゲイツ
1.初期の展開から IBM−PC
の幸運ゲイツはアレンとともに事業を拡大していくが,最初の成功は
MITS
社のアルテアPC
キット用のBASIC(プログラム言語)を開発したところから本格的な事業が開始さ
れる。しかし当初は成功したかに見えたが,MITS社が他社に買収され,取引が中断さ れ一切の収入がなくなり,事業は危機に陥る。キャッシュが一切入らなくなったのであ る。このときの経験からゲイツは常に一年分のキャッシュをキープしておくことに拘っ た。MS
社の歴史は1975
年にポール・アレンとビル・ゲイツがアルバカーキにマイクロ ソフト社を設立した時に始まる。同年マイクロソフトBASIC
を発売し本格的なソフト ウェアビジネスが開始される。翌年にはマイクロソフトBASIC
が大手企業で採用され 事業が軌道に乗っていく。1977年には売上高38
万ドル,従業員9
人になり,さらにマ イクロコンピュータ用のFORTRAN
発売する。1978年には売上高が100
万ドル,従業ビル・ゲイツの経営思想とマイクロソフトの経営(高井) (541)97
員
13
人になり,日本のアスキーと事業提携し日本での売上が大きく貢献することな る。1979年には,VisiCalc, Wordstarを発売し,売上高が250
万ドルになり,現在のワ シントン州ベルビューに移転した。次第に仕事の量以上の注文が来るようになる。当時 は30
人くらいの企業であったが,このときにゲイツはハーバード時代の友人であるス ティーブ・バルマーに入社を願う。バルマーは早速50
人の人員増強策を実施し,MS の急成長が始まることになる。この
PC
用の各種ソフトウェアアプリケーション事業の特徴は当時の大手企業があま り参入してこなかったことがある。この結果,MSやロータスといったベンチャー企業 が大きな市場を制覇することが可能になった。さらに
MS
にとって最重要な事件のひとつが1980
年に起こる。それはIBM
がPC
に本格的に参入するにあたって早急な参入を計画し,1年以内にすべての準備を整えて 参入する計画を立てたことによってその期間内では従来IBM
がとってきたすべての部 品やシステムを内製することができず,マイクロプロセッサーはインテル,OS(オペ レーション・システム)をMS
からライセンスする戦略をとることになった。このと きにMS
社にはOS
は存在しておらずシアトルコンピュータからDOS
を購入して,こ れを改良して製品化に成功する。またMS
がとった戦略は無料でIBM
に提供して,そ こでIBM
が優先的な地位を確保し,互換性のある企業がMS
のOS
を有料で使うこと を狙ったものであった。この戦略はその後この業界ではよく使われるものとなるが,こ れが成功を収めることになる。この結果1980
年には売上高が800
万ドルに大きく成長 することになった。つまり
IBM−PC
がPC
のスタンダードになることと,これがオープンアーキテクチ ャー(設計仕様が公開されているので,多くの企業がこれらにつながる機器の開発やソ フトウェアの開発が可能になる)であったことが,尚一層,MS社のOS
のもとで,多 くの企業が各種アプリケーションプログラムを開発することにつながった。ここからIT
産業におけるプラットフォーム戦略が重視されることになる。MS
社はIBM・PC
へのOS
開発に多くの力をそそぐことになった。特にOS/2
にお いては共同プロジェクトで進められるが結果的には袂を分かつことになる。これはIBM
とMS
社の開発文化の違いが大きな原因とも言われている。しかし,もっと大きな原 因はOS/2
の使い勝手の悪さだといわれていている。このことからIBM
とMS
の関係 に大きな変化をもたらすことになる。IBMは本格的なMS
対抗戦略を実施する。一つ はOS/2
については完全にIBM
の製品としてMS
への対抗製品とした。さらに91
年に なるとIBM
とアップルは協力してタリジェントとカレイダ・ラボをつくった。タリジ ェントはウィンドウズをしのぐOS
を作ることを目的として創られ,カレイダ・ラボマ ルチメディアの研究のメッカになることが主目的であった。このようにそれまでIBM
同志社商学 第54巻 第4号(2003年2月)
98(542)
と
MS
は共同歩調できたが,ここからははっきり路線が異なってくる。特にMS
社はIBM
の望むことはなんでもしてきたのにという思いだったらしい。しかしこの研究所 からの成果は評価されず,95年にはIBM
とアップルは製造を中止した。2. OS
の圧倒的優位戦略の成功:デファクト・スタンダードの確立MS
社はその後OS
戦略をベースに成功を収めていく。1981年にMS−DOS
発売し,株式会社になる。1982年には
PC
用のFORTRAN
発売,マルチプラン発売,ヨーロッ パに子会社設立とその市場を大きく広げていった。1983年にはMS
用のGUI(グラフ
ィカル・ユーザー・インターフェース)発売するが,この幸運はPARC(ゼロックス・
パロアルト研究センター)からもたらされた。GUIのベースになるマウス技術はこの ゼロックスの研究所で開発されたが,ゼロックスはこれをどのように使うか,商品とし ての展開するかについてはアイディアがなく,研究員ベースではあったが企業としては その方向性を把握していなかった。この技術は
MS
社とアップル社に提供された。こ の時点でMS
社は自社の開発技術に加えてDOS
の例に見られたように外部からの2
つ の大きな技術導入に成功した。MS社は外部からの技術導入に積極的な企業と言われて いるが,このあたりに起源があるのかもしれない。1984年にはアップルがマッキント ッシュを発売し,本格的なアップル対MS
社の競争が始まることになる。日本では,NEC
がDOS
を採用したのち,NEC−PC搭載のDOS
の開発も依頼することになった。これ 以降,NEC−PCが日本市場でシェアNO 1
になるにつれ,日本市場においてもMS
社のOS
が優位になってくることになった。1985
年には売上高が1
億4000
万ドルに達し,設立10
年にして1
億ドルを超えるこ とになった。その後OS
はDOS
からウィンドウズへと移行する。1986年に上場し,そ の後,時価総額のトップ企業に向かって驀進することになる。1990年には10
億ドルを 超え,この年ウィンドウズ3.0
発売,その改良版として1992
年にウィンドウズ3.1
を発 売し,大成功を収める。1993年にはウィンドウズNT,オフィス 4.0(ワード 6.0,エク
セル5.0,パワーポイント 4.0
等の統合ソフト),1995年にはウィンドウズ95
発売し圧 倒的なOS
市場での優位性を確保した。その後これらのOS
はウィンドウズ98,ウィ
ンドウズ2000, XP
とバーションをあげ,現在までOS
業界のNO 1
の座を占めてきて いる。この結果
OS
におけるMS
社の成功はデファクト・スタンダード戦略の代表例とし て扱われてきた。デファクト・スタンダードとは競争の結果,ある特定の製品やサービ スが勝ち残り,それがその後の標準となっていくことを意味するが,ゲイツはデファク ト・スタンダードが生まれるときは「成長期の市場にあっては,何らかの目的を実現す るためのある手段が,競争相手と比べてわずかなアドバンテージをもっているときだ。ビル・ゲイツの経営思想とマイクロソフトの経営(高井) (543)99
ごくわずかな限界原価で大量に生産することができ互換性が商品の価値をある程度まで 左右するハイテク製品に関しては
DS
が生まれやす1
い」といっている。このあと
MS
社にとってデファクト・スタンダード戦略が重視され,多くの競争に勝つ事,そして標 準を獲得することによる多くの優位性確保が重要であることが強く認識される。コンピ ュータ業界において,ユーザーにとってコンピュータの価値を決めるのはその機種で利 用できるソフトの質と量で決まるということが重要な戦略になってくる。このことは,ビデオの例で,米国ではビデオの規格競争が(VHS対ベータ)行われている間はレン タルビデオの伸びは少なく,1983年ころ
VHS
がどうやら勝ちそうであるというころか ら急激にVHS
の機器の伸びが急増した。これは当初におけるVHS
の録音時間の長さ が勝敗を決したといわれる。このときに単純にVHS
のソフトの提供量が多かったとい うことだけではなく,消費者自体が小さな選択をしたことが大きな市場への起爆剤にな りその後は圧倒的な力を発揮することになったり,その後は量的な変化が多くの産業を 作り上げたりする。テレビの例にしても当初はなかなか普及しなかったが,閾値を越え ると(1万台から10
万台になったとたん100
万台に膨れ上がる)急速に伸び,関連産 業も成長してくる。CD
プレイヤーも当初はあまり売れなかった。というのも多くのCD
タイトルをおいている店が少なかったことによる。この量と質の関係を戦略の重要要件 としてきたのである。────────────
1 ビル・ゲイツ『ビル・ゲイツ未来を語る』西 和彦訳,アスキー出版,1997, p. 100.
第1表 マイクロソフトの最近の業績
会計年度 全世界の社員数 売 上 高 成長率 純 利 益 成長率
6/30/90 5,635 11.8億ドル 47% 2.79億ドル 63%
6/30/91 8,226 18.5億ドル 56% 4.63億ドル 66%
6/30/92 11,542 27.8億ドル 50% 7.08億ドル 53%
6/30/93 14,430 37.9億ドル 36% 9.53億ドル 35%
6/30/94 15,017 47.1億ドル 25% 11.5億ドル 20%
6/30/95 17,801 60.8億ドル 29% 14.5億ドル 27%
6/30/96 20,561 90.5億ドル 49% 22.0億ドル 51%
6/30/97 22,232 119.4億ドル 32% 34.5億ドル 57%
6/30/98 27,055 152.6億ドル 28% 44.9億ドル 30%
6/30/99 31,575 197.5億ドル 29% 77.9億ドル 73%
6/30/00 39,170 229.6億ドル 16% 94.2億ドル 21%
6/30/01 48,030 253.0億ドル 10% 73.5億ドル −22%
(マイクロソフト社ホームページから)
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アンダーセン・コンサルティング,キャップ・ジェミニ,
コンパック,EDS,富士通,IBM,ICL,SNI,ほか システム・
インテグレーター
エンテックス,INS,バンスター,ワング,ほか ネットワーク・
インテグレーター
シスコ,ルーセント・テクノロジーズ,
ノーテル,スリーコム,ほか ネットワーキング・
インフラ
バーン,J.D.,エドワーズ,オラクル,
ピープルソフト,SAP,ほか 財務システム
IBM,マイクロソフト,オラクル,ほか データベース
ソリューション
アプリケーション
システム ソフトウエア
コンピュータ
プロセッサー
アップル,HP,マイクロソフト,
サンマイクロシステムズ,ほか システム
ソフトウエア
アドバンスト・マイクロ・デバイス,インテル,ほか チップ
NDR DEC HP IBM
コンピューター産業(1980年) コンピューター産業(1999年)
3.マイクロソフト社新方向とのゲイツの経営理論
この業界における変化の大きさがゲイツの経営に大きな影響を与えている。ゲイツ自 身の自叙伝的性格のもつ著書である「ビル・ゲイツ未来を語る」は
1995
年に出版さ れ,その後1997
年改訂版がだされた。自叙伝でこれだけ早く改訂版が出されることは 稀であろうが,IT業界の変化の速さと将来に対する対応の変化の大きさを十分理解す れば納得のいくことでもある。(1)新しいコンピュータ産業の出現
コンピュータ産業が垂直統合的な産業構造から水平型に移行してきたことにより,顧 客思考が定着し,価格が大きく下がり,提供される商品やサービスが大幅に拡大したと いわれる。1980年代のコンピュータ業界はコンピュータ本体,プロセッサー,システ ムソフトウェア,アプリケーションソフトが統合的に行われ,IBM, HP, DEC, NCR,
NEC,富士通,日立等が活躍していた。しかし 2000
年を見てみると,チップはインテル,AMD等,システムソフトウェアでは
IBM,アップル,HP,マイクロソフト,サ
ンマイクロシステムズ,NEC,データベースではIBM,マイクロソフト,オラクルが
中心企業になり,ネットワークシステムではシスコシステムズ,ルーセントテクノロジ ース,スリーコムなどが,ハードではIBM, DELL, NEC, HP
等に大きく分化してき た。この結果,分化しそれぞれの領域で規模の拡大が起こり,価格が下がることになる とともに,新しい技術革新が連続して行われた。これは垂直統合型企業が減るにつれ て,参入障壁が下がることにより多くの企業が参入したが,その後それぞれでデファク ト・スタンダードが確立されてくると投資力と技術力に優れた企業が圧倒的な参入障壁第1図 コンピュータ産業の垂直構造から水平構造の変化
ビル・ゲイツ『思考スピードの経営』大原進訳,日本経済新聞社,1999, p. 475.
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を作り出すことになった。このことは
MS
社がいかに大きな利益を作り出しても,コ ンピュータそのものには進出せずにソフトウェアの分野にとどまっている理由であると ともに,この分野の最大の投資能力(R&D)をもつことにより,圧倒的な優位性,継 続性を確保しようとする戦略である。ゲイツは自社をコンピュータ
OS
の会社からインターネットソフトの会社に変わりつ つあることを指摘して,これからの社会自体がインターネット化することに重視した戦 略をたてている。B 2 BやB 2 C(ビジネスとビジネスまたは顧客とを結ぶ事業)や家
庭のインターネット化によるデジタル化,さらにエンターテインメントの方向が示され ている。さらにゲイツはインターネット社会においては「摩擦ゼロの資本主義」という売り手 と買い手が時間と金をかけずに完全な状況で取引を行うことが出きるようになり,中間 業者が不必要になり摩擦が激減することを指摘し,この結果中間の取引業者は新たな付 加価値をつけなければならなくなることから多くの取引形態の変更が必要になることを 強調する。
(2)ニューウェーブとビッグウェーブ
ゲイツが事業をはじめたときは
PC
産業があたらしい産業として勃興したときであっ た。このときは大手の企業がこれほどの産業になるとは考えていなかった。この新しい 波にMS
社やアップル社をはじめとしてサンマイクロシステムズ等のシリコンバレー の企業が成長してきた。しかしこれからのインターネット社会に対しては多くの企業が 参入を進めており,決してMS
社にとってOS
があるからといって優位な立場にある わけではない。これからの大波に対して多くの企業が凌ぎを削っているのである。インターネットの最初の目的は,ARPANETといわれ,政府にとって防衛上の必要か ら開発されたもので,いかなるときも(核攻撃を受けた後でさえ)防衛産業や研究者が コミュニケーションを持てるように
1969
年国防省によって構築された。そこではネッ トワーク資源を分散して情報の流れが止まらないようにした。当時は商用に使うことは 当然考慮されてはいなかった。次にこれが大学の研究者へと広まっていった。これらが モザイクをはじめとするインターネットブラウザ−の開発が進展し,現代のインターネ ット・エクスプローラにいたるより高度で使いやすいものに進化してきた。各種のブラウザーと
Yahoo
出現以降のインターネットでの多様なサービスの開始が新しい産業の機軸といわれてきている。どんどん新しい産業が創られ変化していく。この変化につい て行くこととともに,変化を自分で起こしていくことが必要であるとゲイツは言う。経 済や技術の発展は新しい社会の創造をもたらす結果,過去の職業や製品を陳腐化させる ことになろう。IT産業にいるからといって安心はしていられない。フォードが
100
年 前に自動車を作ってから,自動車もずいぶんと進化した。ITもこれから一層進化する同志社商学 第54巻 第4号(2003年2月)
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ことが予想される。そこでは新しい職業が創られてくる。DTP(デスクトップパブリシ ッシングによって職業のなくなった植字工はいるだろうが,その多くは
DTP
の再教育 を受けただろうし,それまで以上のひとがDTP
によって新しい職をえることができた はずだ。インターネット社会に対する
MS
社の対応はコンテンツとの関係をどのように構築 するかが問われる。コンテンツの内容と伝達技術の進展によるところが大きな問題であ る。さらに利用者がどこまで要求しているか。TVが100
チャンネルになることが必要 なのか見極めることの重要性をゲイツは指摘する。このことについてゲイツは過去の失 敗からの学習であるとしている。たとえばCDROM
は1986
年にこの技術がこれから2
−3
年できわめて重要なるだろうと予測したが,96年ころになってようやくPC
の標準 装備になった。1994
年ころには広帯域のインタラクティブネットワークに接続すると考えていた が,多くのひとはインターネットに接続した。現在の最大の問題は帯域幅の問題であ る。実際は家庭へのアクセスは峡帯域であり,これが中帯域さらには広帯域が完成する とソフトウェアのあり方も大きく変わってくるといわれている。この技術を読むことの 難しさを指摘するともに,かつてのロータス1・2・3,エクセルといったキラーアプリ
ケーションの必要性とともにソフターソフトウエア(より柔軟なソフトウェア)のよう なユーザーの過去の履歴をコンピュータが記憶し,エージェントがより機能的な行動を とるようなソフトウェアの必要性を求めている。これは使えば使うほど利口になってい くソフトウェアである。(3)米国のインターネット型社会と日本のユビキタス社会
米国の情報化社会の中心がインターネット社会を中心に論じられているの対して,日 本ではユビキタス社会として論じられている。ユビキタスとはどこにも偏在するコンピ ュータを指し,つまり家電をはじめとして携帯電話,交通機関,自動車,定期券,ビデ オ,カメラ,そして
PC
等がネットワークでつながることを意味する。機器をベースに したネットワークの構築である。この結果インターネット社会と同様に家庭や職場での 高度なネットワーク生活が実現され,職務形態を大きく変えるといわれている。B 2 B 等は直接の対象にはならないが,物流情報のデジタル化が進めば工場での生産から顧客 にいたる商品の流れがオンラインで管理されることになる。日本がユビキタス社会をアピールするには米国に圧倒されたインターネット技術に対 する対抗的な方向性を見ることができる。インターネットの技術特許は大半が米国の企 業で占められている。今後,更なる展開があるにはしても,この技術のパスの強さと投 資力については大きな差がある。しかし,ユビキタスという切り口で見ると,この参加 者である各機器はほとんどが日本製品または日本企業が得意とする技術の集約されたも
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のである。近年の電気機器産業の落ち込みに対してもその起死回生策とも言われるゆえ んである。しかし実現にはいくつかのハードルが存在する。各家庭に強力なネットワー クを張るには一人当たり
6 bps
の帯域幅が必要とされ,家庭あたりに直すと24 Mbps
以 上が必要といわれ2
る。この水準は光ファイバーによる
FTTH(Fiber To The Home)の
インフラの構築が必要である。それにはまだ多くの時間が必要とされ,2010年以降に なると思われる。日本企業にとっては,インターネットにしても高速の大容量ネットワ ークの構築には時間がかかり,さらにその主役はPC
から情報家電を始めとする新しい 機器のネットワーク構築であるとすれば大いにインターネットの遅れを取り戻す機会と とらえることができるのである。日本企業にとって,ユビキタスネットワークは魅力があるが,米国の企業にとっては これらのネットワークの技術はインターネットを利用することになるのだから,その延 長線上にあると考えている。しかし機器の
OS
は現状では日本型のI
又はB−TRON
が 使われている場合がおおく,MS社のウィンドウズの産業用よりも優位性を持ち始めて いる。どちらにしてもネットワーク化が進み,機器では日本企業の優位さ,ネットワー ク技術では米国の優位さの中で攻ぎ合いがおこなわれることになる。(4)ゲイツの経営理論の背景として経験値と
WEB
への見識ゲイツの経営理論を考えるとき経営者として経営管理の学習をしたものと,情報化社 会に対する洞察力からくる事業の方向性に関するものとを分けて述べたほうがわかりや すいだろう。はじめに経営管理の側面から見ると,従業員としての役割と経営者として の役割,さらに実際の投資行動を含む多くの経営機能とが連動していることに特徴があ る。これはゲイツが
PARC
から学んだこととしてあげているのだが,研究開発が影響 力を持つには,研究対象分野と会社の事業領域が同じでなければならない。そうして初 めて研究開発が生きてきる。PARCでは多くの成果が外部に流出してしまったのはこの 点であると考えられた。このことから幹部社員が研究開発の管理をする。これはブレー ントラストと呼ばれる人たちが会社の方向性を研究開発にあわせかつ,会社の方向に研 究開発をあわせるような努力をしている。これはMS
社の経営の重要な基軸である。多くの社員特にマネジャー以上のクラスにおいては企業がどの方向に進んでいるかを明 確に共通理解すること,さらには技術の新しい方向への認識を共通理解とすることがよ く言われる。ゲイツ自身がインターネット社会に対して多くの発言と指示を出すのは社 員の認識に方向性を明らかにするためである。この背景にはゲイツ自身がプログラマー としての長年の経験があり,常に現場感覚を持つ経営者であることがあげられる。IT 企業の多くはトップが常に現場の指揮官としての実力を持っており,そこから離れない ことがあげられる。
────────────
2 野村総合研究所『ユビキタス・ネットワーク』2000, NRI, pp. 30−31.
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ゲイツは多くの創業者がそうであるように,鋭い経験値を経営に生かしている。これ はプログラムにしても自らが常に積極的に関与すること,そして常に同期化する進捗管 理を進めるをことも,互いに進捗を管理し,進捗に競争環境を作り出すことによって強 制的な進歩と革新を求めることで成功に近づくという考え方でもある。
また事業観として徹底したインターネット社会に対する取り組みを進めていること,
さら主な経営管理業務をバルマーにまかせて,自ら進んで技術の最高担当者(Chief Ar-
chitecture)となって率先して開発に取り組むというのも,現場感覚を常に経営者がもつ
ことの意義を知っているからである。MS社における幹部はある部門での専門家である ことが要請される背景でもある。インターネット社会における
WEB
ビジネスの成功条件は顧客サービスが決定的であ り,この顧客との成功体験を持つ事の重要性を指摘している。つまりWEB
ライフスタ イルが近々始まると,顧客と企業,社会,政府の関係が変化し,顧客,市民,消費者が 主人になる。このWEB
では企業組織は大きな変化にさらされ,組織のさまざまな障壁 がなくなり,企業内,組織間の隔たりが少なくなり,場所的な制約もなくなり,自宅作 業や遠隔地からの会議への参加が可能になる。仕事の仕方が大きく変わる。ネットワー ク型の情報伝達手段の選択と機器の選択から始まり,コンテンツマイニングとそのサー ビスが仕事の優劣を決め,これらを活用したコミュニケーションが確立され,いわゆる テレワークが重要になる。これらの成功体験が重要ということが自社で体験すること,そこでの成功と普及という知的生産物のマーケティング手法の一つとなってくる。社内
β
テストでの成功と失敗からの学習のスピードということが求められてくる。サイク ルタイムが短くなり,より早く製品を市場に出すことが必要とされる。スピードは文化 の問題であり,企業の組織の従業員が理解することが必要である。この事業観は徹底し たβ
テストの成功から導かれたものともいえよう。(5)経営観としてのデジタルナーバスシステム
ゲイツの経営に関する視点はデジタルナーバスシステムによってより明確にされてき たといえよう。これはゲイツが企業組織や事業運営について情報技術の活用をベースに して提言したものである。デジタルナーバスシステムとは,人間神経系統の会社版,つ まり,適切な時期に会社の最適な部門にうまく統合化された情報を提供することを指し ている。特にここでゲイツはマイケル・デトゥルゾーの情報作業概念を用いて,それま での情報に対する認識はメモや写真,財務報告といった静止した情報であり,これから は動詞としての情報つまり人間の脳,コンピュータプログラムによって情報を変換する ことが重要であり,情報作業こそがこれからの企業にとっての最重要な観点であるとい う指摘である。情報を作るための各種の仕掛け,つまりシステムやデータベース,加工 技術などを組み合わせたものが必要になるのである。そのためには,経営管理の基本と
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して,標準化により社員が扱う情報や数字の作り方が統一されることで,より客観的に 情報を加工し実態を把握することが出きる。情報の流れはデジタル時代の企業にとって 自社の差異化に最大の武器である。しかし,この仕事を情報作業としてとらえたとき,
ビジネスの進めるには多くの情報が必要だが経営の意志決定をする人に多くの情報が渡 っているとは思えない。情報を適切な人と人へと正確に結びつける。紙の仕事と別れ,
デジタルに変える努力をすることによって思考のスピードが上がる。デジタル化される と大半がセルフサービスの取引なる。これは社内の各種の手続きにしても,社外との取 引にしても同じことがいえる。つまり多くの作業は個人化し,ネットワーク化と個人の 情報作業が可能になる権限の委譲がもとめられてくる。これらがゲイツの経営思想の重 要な部分である。
4.マイクロソフトの組織と管理
(1)人材の重視と管理原則
MS
社の経営の成功の特徴として「マイクロソフトシークレット」においてクスマノ とセルビーは技術とビジネスの両方を深く理解している人がCEO
になること,技術と ビジネスの両方を深く理解している人を管理者にすること,技術とビジネスの両方を深 く理解している人を採用するこ3
とをあげており,人材の確かさがソフトウェア企業にと ってはいかに重要かを指摘している。以下,MS社における組織と管理の
7
つの特徴を あげている。第
1
にマイクロソフトの重要な戦略のひとつは徹底した人材の確保である。対面する 市場における技術の動向を把握し適切な手が打てることが求められる。これは利益を生 むようなビジネスに仕上げることが求められる。このことはパソコンメーカー向けのOS
から多様なアプリケーションソフトへのシフトが主たる製品戦略であったが,現在 はこれをさらに進化させてインターネットの活用によるB 2 B
ビジネスや家庭における 徹底したインターネット化の進展に主眼をおいている。第
2
に少人数のチームで職能を遂行する。製品の設計,マーケティング,製造等にお けるそれぞれの専門家によって小さなチームを作ることが大事で,多能工的な仕事の進 め方はサービスの水準が高くなってくると処理しきれなくなってくる。第
3
には 発展性のある大量販売市場を開拓し組織化する。開発チームは製品を絶え ず段階的に改良していき,追随を難しくする第
4
機能を進化させて資源を固定化して,創造性を高める。このことはソフト開発 者への圧力にもなる。ソフトの市場の動きは大変速く,すぐに陳腐化したり新たな競争────────────
3 マイケル・クスマノ,リチャード・W・セルビー『マイクロソフトシークレット 上下』山岡洋一訳,
日本経済新聞社,1996, p. 27.
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相手が出現する。そこで資源を制約してプロジェクトの完成に圧力をかけることが必要 になる。そのためにはいくつかのプロジェクトを細分化し,それぞれに中間目標を設定 する。この手法は市場が急速に進むようなときとか,競争相手が誰かわからないときに 有効である。プロジェクトの途中で新たな競争相手が新たな製品を持ち込むかもしれな い。
第
5
には開発における同期化戦略である。各開発者は分担して開発しているが,これ を毎日それぞれの作業の進捗を同期化させコンポーネントを確認していく作業である。同期安定化プロセスとも言われているがスパイラルモデルとか並行開発とも言われてい る。
第
6
として,フィードバックと知識の共有化により不断の改善努力が続けられること で製品の強さが一層強化される。最後の
7
番目としては常に未来を見据えているというものである。このような方針のもとでさらに細分化した原則を立てている。それは
1.優秀な人材
で小さなチームつくり,2.チーム間の相互依存を減らすアーキテクチャーの採用,3.製品開発は一ヶ所で行う,4.巨額の設備投資をすることで社員を支援する,5.自社の 開発ツールを利用,6.管理者は製品開発をすると同時に技術上の決定もする。そのた めに全管理職に対して,毎月支社製品,チャネルでの売上情報が今年度,前年の分析を ふまえて提供される
MS
における経営情報の共有化が徹底される。7.ユーザーから大 量情報をえるなどである。これらの詳細なルールつくりが行われる。MS社における開 発の特徴は同期安定化プロセスといわれる開発方法である。個人やチームが進めている 作業を常に同期化させ,段階的に製品としての安定性を確保する。多くのソフトウェア 企業においてプロトタイプ法,設計や製作等においてコンカレント方式を採用すること が行なわれ,逐次改善法,スパイラルモデル,並行開発が試みられてきたが実際はなか なか浸透せず,従来型のウォーターフォール方式がとられることが常であった。MS社 では大規模な開発においても,乖離できる程度に細分化して,それらを確実にチームで 作業し,それぞれのコンポーネントを同期化させる。その結果大きなチームでも小さな チームのように活動することができることをねらいとしている。各製品部門(ウィンド ウズ等の開発部門)は300
人から400
人以上の人数を抱えている大規模部隊である。こ れらを機動的に使うには小さなチームのように管理することが必要なのである。ゲイツは自身が開発者であったことから常にプロジェクトの進捗状況報告を求める。
プロジェクトの数も
100
を越えるといわれている。常に大規模な投資が行われ,他社を 圧倒する研究開発投資が行われているが,それらに現在でも積極的に関与してくるので ある。これらを可能にするのが上記の細分化と同期化と段階的安定化の方法である。この考
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えかたはソフトウェア産業だけではなく多くの製造業においても導入されてきている。
経費としては研究開発費は売上高比では
12
から13% くらいであるが(金額的には 30
億ドルをこえる),絶対額の大きさではソフト業界屈指である。このほか最大の費用項 目はマーケティングでありそのうちでも特に広告宣伝費用は最大である(売上高比で30
%を超える)。
(2)教育への関心
最後にゲイツ自身の教育に対する関心の高さがあげられる。この要素は現代の企業家 にとって新たな資質として要求されることだろう。ゲイツ自身教育については多くの紙 面を割いて発表しているが,それは自身の経験からくるところも多いが,関心が積極的 に行動を起こし,コーネルでのファインマンの授業の公開や保存への関心など,ネット ワークや
IT
を活用した教育システムに対する関心が高い。さらには不登校への支援,学校の
IT
教育への支援など盛んな活動を展開してきている。経営者としての見識の広 さが意識され,ゲイツは教育や自身の専門分野であるIT, INTERNET
等々,さらには 環境問題が,自身の事業として関連つけられている。CDROMの百科事典もその一貫と して考えられる。このことはソフトウェア産業が単なる製品を作り出す産業ではなく て,知識産業に近くなればなるほど,あらゆる場面への提言が可能になってくる。つま り知識をシステム化しようとすると,工業的な配慮だけではなく,教育からの視点が求 められてくるといえよう。(3)今後の展開
MS
社は,ゲームやエンターテインメントに入ろうとしているがこれは今までとは本 当に異なった事業への参入である。情報家電への道でもあるし,競争相手も,ソフト会 社から,ソニーや松下,任天堂といった今までとは大きく異なってくる。教育をビジネ スとしてとらえるには,ゲイツは学校にPC
やインターネットを引くことによって子供 達がこれからの新しいIT
社会でのアイディアをつくり出すことを考えている。そこへ の関係を作り上げるためには,2つのことが考えられよう。子供達が育ってくる中にあ って,その道具としてMS
社の製品を使うことによって,MS社のファミリーとしての 関連つけられる商品がでてくるというもの。一度慣れ親しんだ技術からはなかなか抜け られないというもの。もう一つは新しい技術の展開は必然的に出てくるのであって,そ ればどうしようもないものである。それにあらかじめ対応することは難しいし,それを 阻止するのも社会的に無駄である。そこでより積極的にそのような動きを支援して,多 くの技術の支援者,市場の協力者になることによって,その資本力と技術の拡大への最 大のサポーターとしての役割をもつというものである。全方位の最大の課題は情報家電 を自動車や交通機関等におけるネットワーク技術へのかかわりをつけることである。イ ンターネット対応の戦略形成が行われているが,その本質は知的生産物の市場の多角化同志社商学 第54巻 第4号(2003年2月)
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という新たな挑戦でもある。知的生産物の拡大が,どのような経緯で進展するかまたは 多角化,多様化した事業を作り上げることが出きるか,さらにあたらな知的生産物の優 位性確保の戦略とはいかなるものか,この点で
MS
社の将来において安定的な方向は なく,チャレンジすることからくる創造の世界があるのみといえよう。〔参考〕マイクロソフトの歴史
1975年 マイクロソフト社設立。マイクロソフトBASIC発売 1976年 マイクロソフトBASICが大手企業で採用
1977年 売上高38万$,従業員9人。
マイクロコンピュータ用のFORTRAN発売。日本でBASIC発売 1978年 売上高100万$,従業員13人。COBOLを発売
日本のアスキーと事業提携
1979年 VisiCalc, Wordstarを発売。売上高250万$。ワシントン州ベルビューに移転 1980年 IBMからBASIC, FORTRAN, COBOL,の開発依頼。売上高800万$
スティーブ・バルマーが入社。IBMがPCに搭載の言語をマイクロソフトに依頼する。シアトル コンピュータからDOSを購入
1981年 MS−DOS発売。売上高1600万$,株式会社になる。IBM用DOS 1.0を発売。アップルと提携 1982年 売上高3400万$。PC用のFORTRAN発売。ヨーロッパに子会社設立。マルチプラン発売 1983年 MS用のGUI発売。売上高5000万$。DOS 2発売。ウィンドウズを発表。
1984年 アップルがマッキントッシュを発売。NECがDOSを採用。売上高9700万ドル。MS−DOS 3を 発売。NEC自社PCにDOS開発を依頼
1985年 売上高1億4000万$。IBMと次世代OS(OS 2)の共同開発開始。ウィンドウズ1.03発売 1986年 売上高1億9700万$。上場
1987年 ウィンドウズ2.0発売
1988年 ネットワークPC用のOSを発売
1990年 売上高10億$を超える。ウィンドウズ3.0発売。オフィス1.0発売 1991年 MS−DOS 5発売
1992年 ウィンドウズ3.1発売大成功を収める
1993年 ウィンドウズNT,オフィス4.0(ワード6.0,エクセル5.0,パワーポイント4.0等の統合ソフ ト)
1994年 独占禁止法違反の調査に対して司法省と和解 1995年 ウィンドウズ95発売
(マイクロソフト,マイクロソフトシークレット,ホームページから作成)
参考文献
ダニエル・イクビア&スーザン,L・ネッパー『マイクロソフト』椋田直子訳 株式会社アスキー,
1992。
マイケル・クスマノ『日本のソフトウェア戦略』三田出版会,1993。
G・パスカル ザカリー『闘うプログラマー 上下』山岡洋一訳,日経BP,1995。
マイケル・クスマノ,リチャード・W・セルビー『マイクロソフトシークレット(上)(下)』山岡洋一 訳,日本経済新聞社,1996。
ビル・ゲイツ『ビル・ゲイツ未来を語る』西 和彦訳,アスキー出版,1997。
ジュリー・ビッグ『私がマイクロソフトで学んだこと』三浦明美訳,アスキー出版,1998
ウェンディ・ゴールドマン・ローム『マイクロソフト帝国 裁かれる闇(上)(下)』倉骨 彰訳,草思 ビル・ゲイツの経営思想とマイクロソフトの経営(高井) (553)109
社,1998。
野口 祐・林 倬史・夏目啓二編著『競争と協調の技術戦略』ミネルバ書房,1999。
ビル・ゲイツ『思考スピードの経営』大原 進訳,日本経済新聞社,1999。
S・メインズ&P・アンドルーズ『帝王ビル・ゲイツの誕生 (上)(下)』中公文庫,2000。
野村総合研究所『ユビキタス・ネットワーク』NRI, 2001。
マイケル・ドラモンド『マイクロソフト帝国の反逆社たち』内田昌之訳,徳間書店,2002。
坂村 健『21世紀日本の情報戦略』岩波書店,2002。
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