• 検索結果がありません。

マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる 「ルネサンス工学書」の特徴

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる 「ルネサンス工学書」の特徴"

Copied!
26
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる

「ルネサンス工学書」の特徴

著者 白幡 俊輔

雑誌名 文化學年報

号 67

ページ 185‑208

発行年 2018‑03‑15

権利 同志社大学文化学会

URL http://doi.org/10.14988/00027598

(2)

マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる

「ルネサンス工学書」の特徴

著者 白幡,俊輔

雑誌名 文化學年報

号 67

ページ 185‑208

発行年 2018‑03‑15

権利 同志社大学文化学会

URL http://doi.org/10.14988/00027598

(3)

マ リ ア ー ノ ・ デ ィ

・ ヤ ー コ ポ ﹃ 第 三 の 書

﹄ か ら み る

﹁ ル ネ サ ン ス 工 学 書 ﹂ の 特 徴

白 幡 俊 輔

は じ め に 本稿

でと りあ げる マリ アー ノ・ ディ

・ヤ ーコ ポ

Mariano di Jacopo

︑ 通称

﹁タ ッコ

Taccola

﹂︵ 一 三八 一年

〜一 四 五 八 年頃

︶は

︑一 五世 紀に イタ リア 中部 の都 市シ エナ で活 躍し た工 学者 であ る︒ 彼は 木彫 師と して シエ ナ大 聖堂 の建 設 に 携わ った だけ でな く︑ 機械

・工 学技 術・ 建築 など に関 する 多く の手 稿を 残し

︑と くに

﹃尋 常な らざ る装 置と 建物 に つ いて の第 三の 書﹄

Liber tertius de ingeneis ac edifitiis non usitatis

︵ 以下

﹃第 三の 書﹄ と略 す︶ とい う機 械・ 工学 の 書 を 執筆 した こと で知 られ る︒ 彼に 対す る後 世の 評価 はさ まざ まで ある

︒た とえ ばイ タリ ア・ ルネ サン スに おけ る第 一 世 代の 工学 者

︑ 同時 代の 人 々 から は

﹁シ エ ナ のア ル キ メデ ス

﹂と 評 され た 優 れ た工 学 的 才能 の 持 ち主

︑あ る い は 同 時代 の偉 大な 建築 家フ ィリ ッポ

・ブ ルネ レス キに も称 賛さ れた 発 明 家

︑ ロレ ン ツ ォ・ ギベ ル テ ィや レ オ ナ ルド

・ ダ

・ヴ ィン チに も影 響を 与え た工 学書 の執 筆者

など であ る︒ しか し タ ッ コラ の

﹃第 三 の書

﹄を 実 際 に読 む と き︑ 必 ず しも こう いっ た﹁ 工学 上の 偉人

﹂と して の評 価︵ もち ろん それ を完 全に 否定 する こと は出 来な いが

︶以 上に

︑複 雑

― 185 ―

(4)

な 彼の 科学 技術 観や 思想

︑そ して タッ コラ

﹃第 三の 書﹄ が持 って いた 多面 性を 感じ ずに はい られ ない

︒ タッ コラ

﹃第 三の 書﹄ にい たる

︑ヨ ーロ ッパ での 工学 の系 譜を たど るこ とは 容易 では ない

︒工 学が 古代 ギリ シャ 以 来 ヨー ロッ パ社 会や 人々 の生 活に とっ て重 要な 学問 領域 であ った こと はい うま でも ない

︒古 代ギ リシ ャで は都 市の 発 達 と城 郭都 市の 出現 によ って

︑軍 事技 術の 分野 で極 めて 早い 段階 から 工学 知識 が求 めら れた に違 いな い︑ とジ ルは 推 測 して いる

︒城 壁や 要塞 の築 造に も︑ 城攻 め・ 要塞 攻略 にも 高度 な道 具や 武 器 が 必要 だ っ たか ら で ある

︒現 存 す る 最 古の 軍事 理論 書で ある アイ ネイ アス

︵前 四世 紀ご ろ︶ の﹃ 攻城 論﹄ でも 城を 防備 する さま ざま な機 械的 仕掛 けに つ い て解 説さ れて いる

︒ま たア ルキ メデ ス︑ ピタ ゴラ ス︑ ヘロ ンと いっ たギ リシ ャ 哲 学 者た ち が その 知 的 営為 の 結 果 と して 水力

・風 力な どを 利用 した 様々 な機 械を 考案 して いた

︒古 代ロ ーマ 世界 にお いて もこ うし た工 学的 知識 は重 要 で あっ た︒ ここ では 水利 工学 にお ける フロ ンテ ィヌ スと

︑建 築・ 工学 全般 にお ける ウィ トル ウィ ウス の二 名を 挙げ る に 留め る︒ 前者 はロ ーマ 市の 水道 監督 官で あり

︑現 在も その 優れ た技 術水 準で 知ら れる ロー マの 水道 に関 する 著書 を 残 した

︒ま た後 者は

︑デ ィス ポジ ティ オ︵ 配置

︶︑ デ コル

︵適 正︶

︑シ ュム メト リア

︵比 例︶ とい った 建築 の一 般に 適 応 され るべ き原 則の 解説 から 始ま り︑ 材料

・都 市計 画・ 時計 そし て機 械類 を一

〇書 にま とめ

﹃建 築十 書﹄ とし て皇 帝 ア ウグ スト ゥス に献 呈し た︒ この 書物 はの ちに ザン クト

・ガ レン 修道 院で 一四 一四 年に

﹁再 発見

﹂さ れ︑ ルネ サン ス 期 のイ タリ ア人 建築 家や 工学 者に 多大 な影 響を 与え た︒ こう した 古代 の知 識が どの よう に中 世ヨ ーロ ッパ へと 受け 継が れ︑ どの 程度 の広 がり で普 及し てい たの かに つい て は 明確 なこ とを いう のは 難し い︒ だが 古代 の工 学 書の 類 が 完全 に 失 われ て い た わけ で は なく

︑た と え ば﹃ 建 築十 書

﹄ に して も再 発見 され る以 前か らペ トラ ルカ やボ ッカ チオ が言 及す るな ど︑ イタ リア では 中世 を通 じて 読ま れて いた こ と が分 かっ てい る

︒ また アラ ブ世 界の 知識 が中 世ヨ ーロ ッパ の工 学に 影響 を 与 え たこ と も 指摘 さ れ てい る

︒た と え

マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる「ルネサンス工学書」の特徴 ― 186 ―

(5)

ば 一三

〇六 年に トル コの 君主 に献 呈さ れた アル

・ジ ャザ リー の著 書に は水 時計 や噴 水︑ 水で 動く 自動 人形 など が図 と 共 に解 説さ れ︑ こう した 機械 装置 や歯 車の 仕掛 けは スペ イン 経由 で一 三世 紀以 降ヨ ーロ ッパ に伝 わっ たと 考え られ て い る

︒ アル プス 以北 では 一三 世紀 フラ ンス のヴ ィラ ール

・ド

・オ ヌク ー ル

︑一 四 世紀 末 ド イツ の コ ンラ ー ト

・キ ー ザ ー︑ そし て一 四三

〇年 ごろ の﹁ フス 戦争 に関 する 無名 の著 者﹂ とい った 人物 によ って 機械

・兵 器・ 建築 など につ い て 記し た手 稿が 執筆 され た︒ こう した 北ヨ ーロ ッパ での 工学 者の 活動 にや や遅 れる 形で

︑一 五世 紀イ タリ アで はブ ル ネ レス キ︑ タッ コラ など が現 れる

︒さ らに 一五 世紀 後半 から 一六 世紀 にか けて フラ ンチ ェス コ・ ディ

・ジ ョル ジョ

・ マ ルテ ィー ニや レオ ナル ド・ ダ・ ヴィ ンチ とい った イタ リア 人が 次々 と機 械や 工学 の研 究・ 実践 の面 で活 躍し たの で あ る︒ とく にタ ッコ ラは 後の イタ リア およ びヨ ーロ ッパ の工 学に 多大 な影 響を 与え たシ エナ 人工 学者 の第 一人 者で あ る

筆 ︒ 者 は二

〇一 七年

﹃第 三の 書﹄ を全 訳す る機 会を 得た

︒そ こで 本稿 では これ ま で 我 が国 で は ほと ん ど 紹介 さ れ て こ なか った タッ コラ と﹃ 第三 の書

﹄に つい て解 説し

︑こ の工 学書 とそ こに 現れ る﹁ イタ リア

・ル ネサ ンス の工 学﹂ の 特 徴に つい て考 察し たい

︒ 1.

タ ッ コラ の 生 涯と

﹃ 第 三の 書

﹄ 1

1. 生涯 タッ コラ

︵マ リア ーノ

・デ ィ・ ヤー コポ

︶は イタ リア

・ト スカ ーナ 地方 の都 市シ エナ 出身 であ る︒ ブド ウ農 家を 営 む 父ヤ ーコ ポと 母ノ フリ アの 息子 とし て一 三八 一年 二月 四日 に生 まれ た︒ なお 当時 のシ エナ 歴は 三月 で年 を切 り替 え

― 187 ― マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる「ルネサンス工学書」の特徴

(6)

て いた ため

︑現 在の 一三 八一 年二 月四 日は シエ ナ歴 では 一三 八〇 年二 月四 日と なる

︒彼 の少 年期

・青 年期 のこ とは ほ と んど わか って いな い︒ ただ タッ コラ

︵コ クマ ルガ ラス とい う烏 のこ と︑ 転じ て﹁ おし ゃべ り﹂ の意

︶と いう あだ 名 は

︑父 ヤー コポ から 受け 継い だも ので あっ たら しい

︒な おマ リア ー ノ

・デ ィ・ ヤ ーコ ポ と いう 名 前 も﹁ ヤー コ ポ の 息 子マ リア ーノ

﹂と いう 意味 であ る︒ タッ コラ への 言及 は一 四〇 八年

︑彼 が二 七歳 のと きに 初め て現 れる

︒そ の年 の六 月二 六日

︑シ エナ 大聖 堂建 設局 か ら 建設 中の 大聖 堂の 内陣 席に 彫刻 を施 した 代価 とし て八 リラ 八ソ ルデ ィを 受け 取っ てい る︒ ここ で彼 がブ ドウ 農家 の 息 子か ら木 彫師 へと 転身 を遂 げた こと がわ かる

︒次 にタ ッコ ラが 現れ る文 書は

︑画 家ビ ンデ ィー ノ・ ダ・ トラ ヴァ ー レ の書 いた 一四 一三 年の 日記 であ る︒ ビン ディ ーノ は︑ 教皇 ヨハ ンネ ス二 三世 の大 使た ちと 交わ した 会話 の中 で︑ 自 分 の息 子の 家に 住む シエ ナ市 民﹁ マリ アー ノ・ ディ

・タ ッ コ ラ

Tacchola

﹂に 言 及 して い る

︒ し かし ビ ン ディ ー ノ と マ リア ーノ の交 流関 係に つい ては 不明 であ る︒ 次に 現れ るの は一 四一 七年

︑タ ッコ ラは 公証 人の ため の学 校に 籍を 置く こと を認 めら れる

︒彼 は一 四二

〇年 六月 二 六 日に 最終 的に 除籍 され るま で二 度も 公証 人学 校に 在籍 して いる が︑ おそ らく 公証 人の 資格 は得 られ なか った と考 え ら れ る︒ しか し そ の後 彼 は 死ぬ ま で﹁ セ ル・ マ リア ー ノ︵ セ ル

ser

は公 証 人 な どに 付 さ れる 尊 称︶

﹂ と名 乗 っ た︒ ま た 彼が 皮革 職人 ジャ コモ

︑通 称セ ル・ コッ チョ の娘 ナン ナと 結婚 した のも この ころ と言 われ る

︒ 一 方で タ ッ コラ は シ エナ 市 民 と して

︑外 国 人 学生 の 宿 泊 施設 で あ る﹁ カ ー サ・ デ ィ・ サ ピ エ ン ツ ァ

︵知 恵 の 館

︶﹂ の カメ ル レ ン ゴ︵ 財産 管 理 人︶ を一

〇 年 勤め る こ と にな っ た

︒ こ の期 間 の どこ か で 彼 は機 械 や 建築 の 勉 強 を始 め

︑ や がて その 分野 での 仕事 を請 け負 うよ うに なる

︒タ ッコ ラ自 身の 説明 によ れば

︑ロ ーマ 市の 橋や ジェ ノヴ ァ港 の突 堤 を 手掛 けた のが この ころ だと いう

マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる「ルネサンス工学書」の特徴 ― 188 ―

(7)

﹃ 第三 の 書﹄ の 執筆 が 始 まっ た の は 一 四 二 七 年︑ タ ッ コ ラ が カ メ ル レ ン ゴ の 四 期 目 を 務 め て い た こ ろ で︑ 完 成 は

﹃第 三の 書﹄ 末尾 の記 述に よれ ば一 四三 三年 一月 一三 日と な る︵ シ エナ 歴 に 基づ く タ ッ コラ 自 身 の記 述 で は一 四 三 二 年 一月 一三 日︶

︒ この 書物 は皇 帝戴 冠の ため イタ リア を訪 れ

︑シ エ ナに 滞 在 中だ っ た ボ ヘミ ア 王 ジギ ス ム ント に 献 呈 す るた めに 書か れた もの であ る︒ 献辞 の中 でタ ッコ ラは ジギ スム ント を﹁ 不敗 のロ ーマ 皇帝

﹂と 呼び

︑自 分を 水利 工 学 の マ エス ト ロ︵ 親 方︶ と認 め ハ ン ガリ ー の 宮廷 に 迎 え入 れ て く れる よ う 求め る な ど︑ 皇帝 へ の 追 従 を 隠 し て い な い

︒し かし これ はタ ッコ ラ自 身の 願望 だけ では なか った

︒伝 統的 にギ ベリ ン︵ 皇帝 派︶ の都 市で ある シエ ナは

︑当 時 フ ィレ ンツ ェと 教皇 庁︑ ヴェ ネツ ィア の同 盟に よっ て劣 勢に 立た され てお り︑ ジギ スム ント の訪 伊は 敵対 的な 同盟 に 対 抗す る強 力な 同盟 者を 得る 絶好 の機 会だ った ので ある

︒一 四三 一年 一一 月二 五日 ミラ ノで ジギ スム ント に鉄 の王 冠 が 授け られ ると

︑シ エナ はさ っそ く使 節を 送っ てシ エナ へと 招待 した

︒皇 帝の 宮廷 を歓 待す る莫 大な 支出 と引 き換 え に

︑皇 帝が シエ ナと 同盟 を組 み︑ 敵国 フィ レン ツェ に対 抗し てく れる こと を望 んだ ので ある

︒ だが 少な くと もタ ッコ ラ個 人に 関す る事 柄に 限れ ば希 望は 受け 入れ られ なか った

︒タ ッコ ラは 生涯 シエ ナに とど ま っ たこ と︑ さら に一 四三 三年 直後 にフ ィレ ンツ ェで

﹃第 三の 書﹄ の写 本が 作ら れた こと から みて

︑彼 はジ ギス ムン ト の 宮廷 の一 員に はな れな かっ たし

︑皇 帝も

﹃第 三の 書﹄ をハ ンガ リー に持 ち帰 らな かっ たと 考え られ る

︒ 一四 三五 年︑ 彼は シエ ナ大 聖堂 建設 に関 する 評議 会の 一員 であ り︑ さら に自 らも 一四 三七 年か ら三 八年 にか けて 再 び 内陣 席の 木彫 を担 当し た︒ だが 彼が 工学 者と して の栄 達を あき らめ たわ けで はな かっ た︒ この ころ 彼は 自分 の書 物 や デッ サン を盛 んに 他の 人々 へ見 せて いた

︒と くに 有名 なの がフ ィリ ッポ

・ブ ルネ レス キに 自著 を見 せた とき の対 話 で ある

︒タ ッコ ラ自 身の 記述 によ れば

︑ブ ルネ レス キは

﹁親 切心 から

﹂盗 作と 批判 から 守る ため 自分 の発 明を 他人 に 見 せな いよ うに アド バイ スし た

― 189 ― マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる「ルネサンス工学書」の特徴

(8)

だが タッ コラ はそ れで も自 著を 様々 な有 名人 に見 せ続 けた

︒一 四三 八年 には シエ ナ大 学教 授で 教皇 ピウ ス二 世の 師 で もあ った マリ アー ノ・ ソッ ツィ ーニ に︑ 一四 四一 年に はト ゥー ルー ズ司 祭ア ント ニウ ス・ カテ ラヌ スに 手稿 を見 せ て いる

︒さ らに

﹃第 三の 書﹄ に続 いて 一

〇 巻か ら な る﹃ 機械 十 書﹄

De machinis

の 執筆 を 構 想し

︑一 四 四 九年 に は 高 名 な傭 兵隊 長バ ルト ロメ オ・ コレ オー ニに その 一部 を献 呈し てい る

︒ 彼 の最 後 の 記録 は 一 四五 三 年 の 課税 証 明 で︑ 彼は シ エ ナ 市か ら 年 金を も ら い︑ サン

・ジ ャ コ モ 修 道 会 の 一 員 と な り

︑父 の遺 産で ある ブド ウ畑 や嫁 資の 一部 であ る家 屋な どか ら︑ 年間 一三 六リ ラ一 一ソ ルデ ィの 収入 を得 てい た︒ 彼 は 美術 史家 ミラ ネー ジに よっ て﹁ 一四 五八 年に は既 に亡 くな って いた

﹂と され てい るが その 根拠 は不 明で ある

︒ タッ コラ の生 涯は ある 種の ルネ サン ス工 学者 の典 型で あっ た︒ 農民 出身 で︑ 職人 とし て都 会に 出て

︑正 式な 学問 を 学 ぶ機 会は 無か った もの の独 学で 工学 や建 築学 を身 に着 け︑ やが て王 侯貴 族の 愛顧 を求 め︑ 執筆 活動 には いる

︒タ ッ コ ラ同 様︑ 後世 の建 築学 や工 学に 大き な影 響を 持っ たシ エナ 出身 のフ ラン チェ スコ

・デ ィ・ ジョ ルジ ョ・ マル ティ ー ニ

︵一 四三 九│ 一五

〇一

︶も 似た よう な人 生を 送っ てい る︒ フラ ンチ ェス コは 養鶏 農家 出身 で︑ タッ コラ 同様 木彫 職 人 とな り︑ シエ ナ大 聖堂 建設 など に携 わっ た︒ その 後ウ ルビ ーノ 公フ ェデ リー コ・ ダ・ モン テフ ェル トロ の愛 顧を 受 け て建 築家 とし て活 躍す る︒ そこ でウ ルビ ーノ 公に 捧げ た﹃ 建築 論﹄ を執 筆し

︑イ タリ ア各 地で 活動 した のち シエ ナ に 戻っ て没 した

︒つ まり 彼ら 初期 のイ タリ ア人 工学 者に とっ て工 学書 とは

︑知 識 の 伝 達の た め とい う よ り立 身 の 道 具 ある いは パト ロン への 献呈 品と して 書く もの だっ たと 言え よう

︒ 1

2.

﹃第 三の 書﹄ 前節 でも 述べ たと おり

︑タ ッコ ラ﹃ 第三 の書

﹄は 一四 三三 年に 皇帝 ジギ スム ント に献 呈さ れる ため に書 かれ た工 学

マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる「ルネサンス工学書」の特徴 ― 190 ―

(9)

書 であ る︒ 現在 フィ レン ツェ 国立 中央 図書 館に 所蔵 され てい るこ の手 稿 は 全 部 で 四八 枚 の 紙片 か ら なり

︑表 側 に は タ ッコ ラの 手に よる 機械 や装 置︑ 建築 物な どの 図版 が描 かれ

︑裏 には その 図版 に対 応す る解 説が 綴ら れて いる

︒全 体 を 通し てタ ッコ ラ自 身の 思想 や技 術に 対す る考 え方 など が言 葉で 明示 され るこ とは なく

︑一 見し て機 械や 装置 のカ タ ロ グの よう な体 裁を とっ てい る︒ 本節 では やや 詳し く﹃ 第三 の書

﹄の 内容 を紹 介し たの ち︑ 本書 に込 めら れた タッ コ ラ の意 図や 思想 を分 析し たい

︒ ま ず第 一 葉・ 表 側︵ 以下

︑欧 米 の 表記 に 倣 っ て﹁ 第一 葉

・表 側﹂ は﹁

f.1 r.

﹂︑ 裏 側は

f.1 v.

﹂と 表 記す る

︒た と え ば 第一 三葉 裏な ら﹁

f.13 v.

﹂と する

︶に は︑ この 手稿 が一 四三 二 年︵ シ エナ 歴

︶に ジ ギ スム ン ト がシ エ ナ を訪 れ た 機 会 に皇 帝か ら タ ッコ ラ に 対し て 課 され た

﹁コ ン パ スを 使 っ て数 値 を 測定 す る こ とで 分 か る﹂ 諸 問題 を 解 説し た も の で ある こと と︑ その 内容 につ いて 無知

・無 謀・ 大胆 があ って も寛 容な 心で 許し て欲 しい 旨が 記さ れた 献辞 があ る︒ だ が その 下部 には

︑塔 の高 さを 四分 儀︵ 円の 四分 の一 の扇 形を した 測量 機器

︒象 限儀 とも

︶を 用い て測 る方 法が 何の 説 明 も 付 され ず に 描 か れ て い る︒ こ の 図 版 は の ち に

f.32 v.

で 解 説 され るの だが

︑こ うし た未 整理 な構 成は タッ コラ が元 々書 き 溜 めて いた 素描 やノ ート を集 めて 一書 にま とめ た名 残と 考え ら れ る︒ そう した 名残 は﹃ 第三 の書

﹄の 各所 にみ られ る︒ さら に

f.1 v.

には キリ スト か ら﹁ 汝 を番 兵 と して 選 ん だ︑ 我 が 羊 た ち を 守 れ﹂ と 命 じ ら れ る 騎 士 の 素 描 が 描 か れ て い る

fig.1

﹈︒ 騎 士は 皇帝 冠を 頂い てお り︑ ライ オン の 尾 を踏 み つ け て いる

︒こ こに 描か れて いる のが ジギ スム ント であ るこ とは 言

fig.1 騎士とライオン(f.1 v.)

― 191 ― マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる「ルネサンス工学書」の特徴

(10)

う まで もな いが

︑﹁ ラ イオ ンの 尾を 踏み つけ る﹂ とい う 仕 草に も

﹃第 三 の書

﹄に 込 め ら れた タ ッ コラ お よ びシ エ ナ 政 府 の政 治的 意図 が隠 され てい る︒ なぜ なら ライ オン は敵 国フ ィレ ンツ ェを 象徴 する 紋章

﹁マ ルゾ ッコ

﹂に 使わ れて お り

︑そ の尾 を踏 みつ ける 行為 は皇 帝に フィ レン ツェ を攻 撃・ 支配 する よう 示唆 して いる から であ る

︒ 1

.井 戸・ 噴水

f.2 r.

f.9 v.

︶ 続く

f.2 r.

で は﹁ 尋常 なら ざる 装置 と建 築に つい ての 第三 書 が始 ま る

﹂と い う一 文 と とも に 最 初の 装 置

﹁噴 水﹂ が 図 示さ れる

︒原 理と して は高 所に ある 水を 水道 管で 低 所に あ る 噴水 に み ちび き

︑重 力 の 作用 で 吹 き出 す も の であ る

︒ こ こで は高 所か ら水 を下 降さ せる 水道 管と

︑噴 水内 部を 通っ て水 を噴 き上 げる ため の水 道管 の太 さの 比率 を︑ 下り 三 に 対し て上 り一 にす べき こと が述 べら れて いる

︒し かし 解説 の結 びに ある

﹁す べて にお いて 長さ や面 積を きっ ちり と し た寸 法で 作れ ば︑ この ペー ジの 表側 に描 かれ たよ う な噴 水 に なる こ と はお 分 か り 頂け る だ ろう

﹂と い う 言 葉に は

︑ 後 述 す るル ネ サ ンス 工 学 に お け る﹁ 隠 蔽﹂ の 片 鱗 が 表 れ て い る

︒タ ッ コ ラ の 文 章 に よ る 説 明 は 曖 昧 な こ と が 多 く

﹁図 に示 され た と おり 作 る﹂ と いっ た よ うに 素 描 に 解説 を 預 けて し ま うこ と も 多 い

︒ その た め この 書 を 読ん で 実 際 に 機械 を作 成す るの は困 難だ と想 像さ れる

﹁ 噴水

﹂に 続い て井 戸が 二種 類︑ サイ フォ ンの 原理 で谷 を ま たぐ 水 道 橋と

︑複 数 の 渓 谷を ま た ぐ水 道 橋 の建 設 法 が 示 され る︒ また 十分 な水 量の ある 河川 がな い地 方で

︑ポ ンプ ない し潮 力を 使っ てあ らか じめ 水を 貯え

︑そ の水 を使 っ て 水車 を回 す仕 組み につ いて 解説 され てい る︒ ここ では タッ コラ が以 降で もし ばし ば記 す﹁ 発明 の独 自性

﹂を 主張 す る 一 文 が現 れ る︒ 井 戸で 使 う ク ラン ク 式 のポ ン プ︵

f.3 v.

︶ とサ イ フ ォン 式 水 道橋

f.6 v.

︶の 解 説 に は︑ ど ち ら も タ ッ コラ が既 に執 筆し てい た﹃ 第一 の書

﹄︵ ま たは

﹃ラ イオ ンの 書﹄

︶と

﹃第 二の 書﹄

︵ また は﹃ ドラ ゴン の書

﹄︶ で提 示 済 みで あり

︑そ の執 筆は

﹁セ ル・ マリ アー ノ﹂ つま り自 分自 身の 手で 行っ たと 述べ られ てい る︒ 執筆 済み の自 著に お

マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる「ルネサンス工学書」の特徴 ― 192 ―

(11)

け る当 該ペ ージ まで 挙げ

︑自 らの 手で

︵つ まり 他者 の助 言や 介入 なし に︶ それ らを 解説 した とい う表 現か らは

︑発 明 の 独自 性を 強く 主張 し︑ 模倣 を否 定す る意 図が うか がえ よう

︒自 著を 引用 して 独自 性を 主張 する 記述 はこ れ以 降も し ば しば 現れ る

︒ 1

.歯 車装 置︵

f.10 r.

f.13 v.

︶ 井戸

・噴 水・ 水道 橋に つづ いて

︑人 力な いし 畜力 で作 動す る歯 車装 置が 五種 類紹 介さ れる

︒そ の技 術的 特徴 は① 人 力 や畜 力の みに 依存 せず

︑錘 の反 動を 利用 した 省力 化︑

②異 なる ギア 比の 歯車 を組 み合 わせ て速 度と 力を 変換 する 装 置

︑③ 歯車 のか み合 わせ を変 える こと で回 転方 向を 変え る装 置︑ であ る︒

②と

③は 現在 の変 速機 構︵ トラ ンス ミッ シ ョ ン︑ ギア ボッ クス

︶に 通じ る発 想で あり

︑歯 車の 組み 合 わせ に よ って 単 純 な回 転 運 動 の回 転 方 向や 出 力 を 変換 し

︑ よ り少 ない 労力 で複 雑な 仕事 を行 える よう にな って い る︒ たと え ば 車輪 に つ なが れ た ロ ープ で 荷 物を 釣 り 上 げた り

︑ 釣 り 下 ろし た り する 場 合 も﹁

﹇ 歯車 を 切 り替 え る こと で

﹈常 に 馬 は車 輪 を 回す た め に前 へ と 歩 き︑ 向 き を 変 え た り

︑ 反 対方 向 に 行 っ た り は 決 し て せ ず

︑右 回 り に 進 み 続 け る﹂ と い った こと が可 能に なる ので ある

fig.2

﹈︒ こ れら の解 説で 示さ れる のは 歯車 の原 理に 対す るタ ッコ ラの 素 朴な 理解 と︑ 仕事 の効 率化

・省 力化 とい う思 想で ある

︒タ ッコ ラ は﹁ 小さ な歯 車に よっ て大 きな 歯車 が回 され ると き︑ より 大き な 歯車 が小 さな 方の 歯車 を素 早く 回す

﹂と いう のは 普遍 的な 現象 で あり

︑歯 車装 置の 一般 法則 であ ると 述べ てい る︒ また 大き な歯 車 を 使 っ た 方 が﹁ 大 き な 仕 事 を す る

﹂つ ま り 重 い 物 体 を 動 か せ る

fig.2 馬を繋いだ歯車装置(f.11 v.)

― 193 ― マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる「ルネサンス工学書」の特徴

(12)

︵よ り大 きな 力が 出力 され る︶ とい うこ とも 理解 して いた が

︑速 度 が遅 い た めに 一 般 的 には こ う した 機 械 は忌 避 さ れ る

︑と も述 べて いる

︒こ の理 解は 正し いが

︑記 述全 体を みる かぎ り彼 は素 早く 回 転 す る歯 車 の 方が 結 果 的に 多 く の 仕 事を こな せる と信 じて おり

︑物 理学 にお ける

﹁速 度﹂ と﹁ 力﹂ を混 同し てい たこ とが わか る︵ 実際 には 回転 速度 を 早 くす ると 得ら れる 力は 小さ くな る︶

︒ 大き な歯 車は 回転 速度 の遅 さゆ えに 忌避 され ると いっ た指 摘や

︑早 く回 転す る歯 車の 方が より 多く の仕 事を する と い う言 及は

︑タ ッコ ラが 仕事 の効 率化 こそ 機械 を利 用す る意 義と 捉え てい たこ とを 示し てい る︒ 彼は 自分 の発 明を 紹 介 する うえ でし ばし ば﹁ この 機械 は﹇ 以下 の理 由で

﹈優 れて いる

︒第 一に 高速 で回 転さ せら れる

︒第 二に 高く 持ち 上 げ られ た大 きな 錘の 助け によ り引 っ張 るの がよ り容 易で ある

︒第 三に この 機械 は大 変効 率が 良く

︑逆 回転 しな い︒ 第 四 に 時 間を 無 駄 にし な い﹂

﹁ こ の車 両 は 一度 に 十 人 分 の 石 材 を 運 ぶ

︒﹇ 中 略

﹈職 人 た ち の 時 間 を 浪 費 し な い で あ ろ う

﹂ など と 述 べ︑ 効率 化 や 省力 化

︑時 間 の節 約 が 機 械の セ ー ルス ポ イ ント で あ る と考 え て いた

︒こ う し た考 え 方 は 近 代の 機械 化促 進に 通じ る発 想で あり

︑奴 隷労 働に 依存 した 古代 ロー マ世 界の 思想 から は決 して 生ま れな いも のと い え よう

︒ 1

.水 辺で の工 事︵

f.14 r.

f.19 v.

︶ 続い て水 辺あ るい は水 域で の様 々な 工事 のや り方

︑巨 大な 石柱 の切 り出 しと 船で の運 搬法

︑海 岸や 岩礁 ある いは 水 面 下の 土台 に建 築物 を建 てる 方法

︑水 中に ある 重量 物を サル ベー ジす るた めの 方法 と潜 水服

︑そ して 錫の 管で 出来 た ポ ンプ と横 置き 水車

︵ム リー ノ・ リテ チー ノ︶ を紹 介す る︒ 最後 の水 車に つい ては これ まで のタ ッコ ラ自 身が 発明 し た 水車 と違 い︑ 既知 のも のの 紹介 だと 思わ れる

︒彼 は横 置き 水車 につ いて ムリ ーノ

・テ ッラ ニョ ーロ

︵地 面に 置か れ た 水 車︶ あ るい は

﹁フ ラ ンス 人 た ち のや り 方﹂ に 従 って い る ので ム リ ー ノ・ ガッ リ ゲ ヌム

︵ガ リ ア 人 式 水 車︶ と 呼

マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる「ルネサンス工学書」の特徴 ― 194 ―

(13)

ば れて いる と述 べて いる

︒こ こで 興味 深い 記述 は︑ 大規 模な 建築 工事 につ いて のタ ッコ ラの 考え 方で ある

︒ 以上

︑概 論に つい ては 指示 を与 えた が︑ 個々 の事 柄に つい ては 原則 通り とは いか ない

︒な ぜな ら大 工事 は︑ 図面 や 文 章の 中と いう より むし ろ︑ 技術 者の 知性 や頭 脳の 中で 組み 立て られ るも のだ から

︒そ して 現実 では

︑技 術者 や作 業 員 が考 えて もい なか った よう な︑ 多く のこ とが 突発 する のだ

︒同 時に こう した 技術 者は 実務 的で

︑知 的で

︑記 憶力 が 良 く︑ 多く を読 んだ り見 たり し︑ 常に 事態 に備 えて いる べき だ︒ しか しひ とつ 一番 重要 なこ とを 記し てお かね ばな ら な い

︒そ れ はも し 技 術者 が 自 然 の天 分 に おい て 鋭 敏さ や 先 見 性に め ぐ まれ て い ない な ら

︑価 値 は低 い と い う 事 で あ る

︒し かし 運よ く天 分が 与え られ てい れば

︑こ うし た技 を大 胆に 用い るこ とが でき る

︒ 我々

現代 人か らす れば

︑実 際の 現場 では 原則 や計 画通 りに はい かな いと いう 主張 には 首肯 でき るだ ろう が︑ 大工 事 は 図面 や文 章で はな くむ しろ 技術 者の 頭の 中で 組み 立て られ ると いう 主張 には 首を かし げる ので はな いだ ろう か︒ 現 代 の巨 大プ ロジ ェク トが 一人 の技 術者 の頭 の中 で完 結で きる とは 到底 考え られ ない だろ う︒ これ はタ ッコ ラが 生前 常 に 関与 して いた シエ ナ大 聖堂 の建 設を 念頭 に置 いた 意見 かも しれ ない

︒シ エナ 大聖 堂は 他の イタ リア 都市 の例 にも れ ず

︑完 成ま で一 世紀 以上 を費 やし てい るが

︑一 三三 六年 には 敵国 フィ レン ツェ の大 聖堂

︵花 のド ゥオ ーモ とし て知 ら れ るサ ンタ

・マ リア

・デ ル・ フィ オー レ大 聖堂

︶に 対抗 する ため

︑フ ァサ ード など を残 して 一応 の完 成を みて いた 大 聖 堂の 大拡 張工 事が 決定 され る︒ これ は内 陣と 翼廊 を長 大化 し︑ 完成 して いた 聖堂 の身 廊を 逆に 翼廊 とし て九

〇度 回 転 させ た形 で巨 大化 させ ると いう もの であ った が︑ ペス トの 流行 や戦 争な ど の 影 響で 頓 挫 して し ま う

︒ 前述 の 文 章 は

︑こ うし た大 工事 の紆 余曲 折に 関与 した タッ コラ の率 直な 感想 とも とれ る︒

― 195 ― マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる「ルネサンス工学書」の特徴

(14)

同時 にこ こで は技 術者

︵建 築家

︶は 実務 と共 に学 知が 必要 であ り︑ さら に天 分も 欠か せな いと いう 一種 の﹁ ルネ サ ン ス的 技術 者︵ 建築 家︶ 像﹂ が示 され てい る︒ これ はの ちに 人文 主義 者レ オン

・バ ッテ ィス タ・ アル ベル ティ が執 筆 し

︑以 降 のヨ ー ロ ッパ に お け る建 築 理 論書 の 先 駆と な っ た﹃ 建 築に つ い て﹄

De re aedificatoria

の中 で 示 され る 建 築 家 の理 想像 に通 じる もの があ り︑ 興味 深い

︒ 1

.ク レー ン︵

f.20 r.

f.27 v.

︶ さら に続 いて 吊り 上げ 装置

︵ク レー ン︶ 四種 と可 動式 はし ご車 二種 が紹 介さ れる

︒こ れも また シエ ナ大 聖堂 建設 の 影 響が はっ きり と見 て取 れる

︒ど の道 具も 高い とこ ろに 物資 や人 を送 り届 ける のに 便利 であ り︑ 大工 事で 活躍 する と 述 べら れる だけ でな く︑

﹁ とり わけ 神殿 や教 会堂

︑聖 堂な どの 屋根 を築 くた め﹂

﹁聖 堂を 建設 す る のに 大 変 便 利﹂ と 明 言さ れる から であ る︒ 1

.水 陸両 用車 とサ イフ ォン

f.28 r.

f.30 v.

︶ とは いえ これ が完 全に 大聖 堂建 設を 念頭 に置 いた 紹介 順と は考 えら れな い︒ こう した 建設 機械 の紹 介に 挟み 込ま れ る よう にサ イフ ォン を利 用し た揚 水装 置と

︑帆 と牛 の牽 引に よっ て陸 上・ 泥濘 地・ 潟・ 水上 を自 由に 航行 でき ると い う 空 想 的な 水 陸 両用 車 が 紹 介さ れ る から で あ る︒ さら に 唐 突 に

f.31 r.

で は﹁ 一 般的 な 装 置 につ い て の第 四 の 書 を 始 め る﹂ とい う一 文が 差し 込ま れる

︒こ れ をも っ て ここ で

﹃第 三 の書

﹄が 終 わ り︑

﹃ 第四 の 書﹄ が 始ま る と する 研 究 者 も いる が

︑ この 書の 末尾

f.45 v.

﹁建 築 と 機械 の 書 第三 部 を︑ 幸 福の う ち に 結び と す る﹂ と結 ば れ て おり

︑﹃ 第 三 の 書﹄ 校訂 を行 った ベッ クは 別々 に執 筆し てい た二 書を 一冊 にま とめ よう と し た 名残 だ と 指摘 し て いる

︒全 体 の 混 乱 した 構成

︑そ して とに かく 皇帝 ジギ スム ント のシ エナ 滞在 に合 わせ て献 呈し なく ては なら なか った 事情 を考 える と ベ ック の指 摘は 妥当 なも のだ ろう

マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる「ルネサンス工学書」の特徴 ― 196 ―

(15)

6. 測量 術と 幾何 学︵

f.31 r.

f.33 v.

﹁第 四 の書 を 始 める

﹂と い う 言 葉を 額 面 通り 受 け 取っ て は な ら ない と して も

︑こ こ で突 然 テ ーマ が 変 わ るの は 事 実で あ る︒

f.31

r.

から

f.33 v.

ま で

︑機 械 や 装 置 で は な く 四 分 儀 を 用 い た 測 量 術 と︑ コン パス を用 いた 地中

︵地 下道

・坑 道︶ の測 量術 が提 示さ れ るの であ る︒ ここ で示 され るの は奇 妙な

︑し かし 実際 的な タッ コ ラの

﹁幾 何学

﹂で ある

︒タ ッコ ラは まず 高所 から 湧き 出る 水が 斜 面を 流れ 落ち てい る場 合︑ どれ くら いの 長さ の斜 面を 流れ 落ち て い るか 求め る方 法を 次の よう に解 説す る︒

fig.3

﹈ も

しこ の 絵 の状 況 で︑ そ れ﹇ 水が 湧 き 出 る場 所 の 地面 か ら の 高さ

﹈が 八 ブ ラッ チ ョ﹇ 一 ブラ ッ チ ョ は 約 六

〇 セ ン チ

﹈で あっ たと した ら︑ 水は 一〇 と三 分の 二ブ ラッ チョ にわ たっ て傾 斜を 流れ 落ち てい るの であ る︒ どの 程度 の傾 斜に なっ てい るか

︑そ の量 を測 るた めに は︑ 以下 の計 算を しな くて はな らな い︒ まず 測定 した ブラ ッ チ ョを 三等 分し てテ ルテ ィア

﹇三 分の 一ブ ラッ チョ

﹈に 換算 しな くて はな らな い︒ すな わち それ は数 値を 三倍 する こ と で あ る︒ いま

︑高 さ 八 ブラ ッ チ ョ のと こ ろ から 水 が 落ち て い る とす る

︒す る と︑ 八の 三 倍 は二 四 テ ル テ ィ ア で あ る

︒そ こに 昇り の傾 斜分 を足 す︒ これ は三 分の 一加 える こと であ る︒ 二四 の三 分の 一は 八で ある から

︑二 四に 八を 加 え て三 二す なわ ち三 二テ ルテ ィア であ る︒ これ をブ ラッ チョ に戻 すと

︑一

〇と 三分 の二 ブラ ッチ ョと なる

fig.3 斜面を流れる水の測量(f.31 v.)

― 197 ― マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる「ルネサンス工学書」の特徴

(16)

ま た︑ 山 の 高 さ を 四 分 儀 で 測 る 場

合﹇

fig.4

﹈は

﹁第 一 ペ ー ジ

f.1 r

﹈の 余 白 に 素描 さ れ た塔 が 測 定 さ れ た の と 同 じ 方 法﹂ で 測 定す ると いう あい まい な説 明を 加え たの ち︑ 観測 地点 から 山の 頂 上ま での 距離 を求 める とい う問 題を タッ コラ は提 示す る︒ これ は

﹁ 短辺 の 長 さが 一 の 直角 二 等 辺 三角 形 の 斜辺 の 求 め方

﹂と 言 い 換 える こと が出 来よ う︒ 現在 の我 々は その 長さ はピ タゴ ラス の定 理 か ら導 か れ︑ 正 解は

! !

1.414

︶ で ある こ と を 知 っ て い る

︒ し かし タ ッ コ ラ は こ れ を 次 の よ う に 述 べ て 解 説 を な か ば 放 棄 す る

︒ い

まb

﹇山 頂﹈ か らc

﹇山 麓 の観 測 地 点﹈ まで ど の 程 度空 間 が 離れ て い る の か

︑と い う 別 の 測 量 を 考 え て み る

︒す ると それ は﹇ 山の 高さ より

﹈三 分の 一と さら に少 々多 い︒ これ に関 して

︑全 部の 正確 な距 離を 得る のは 困 難 であ る

︒﹇ 下線 は筆 者に よる

﹈ 確か

! !

は無 理数 であ る から 決 し て整 数 の 比 とし て 表 現す る こ とは 出 来 ず︑

﹁ 正確 な 距 離を 得 る のは 困 難

﹂で あ る

︒し か し すで に ピ タゴ ラ ス の 著作 や 無 理数 の 概 念が 知 ら れ てい た 当 時に あ っ て︑

! !

を﹁

﹇ 一 と﹈ 三 分 の 一 と さ ら に 少々 多い

﹂と 表現 する のは かな り拙 い︒ とは いえ 当時 の測 定技 術や 加工 技術 の限 界か らし て︑ そこ まで 精密 な計 算 は 不必 要な こと も明 らか であ り︑

! !

を求 める には 元の 長さ に 三分 の 一 を加 え て さ らに 目 分 量で 少 々 加え る

︑と い う

fig.4 山の測量(f.32 v.)

マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる「ルネサンス工学書」の特徴 ― 198 ―

(17)

方 法が 実際 的で あっ たこ とは 確か であ る︒ この 測量 術に つい ての 解説 から

︑タ ッコ ラは 理論 的な 精緻 さよ り実 務現 場 で の使 いや すさ を優 先す る人 物だ った とい えよ う︒ 1

.水 中作 業の 道具 その 他と 結語

f.34 r.

f.48 r.

︶ 測量 術に つい て幾 何学 的に あい まい な解 説を した のち 再び タッ コラ は水 利技 術に 戻り

︑船 上に 設置 され たク レー ン と 水中 に沈 んだ 財宝 をサ ルベ ージ する 照明 付き の釣 り針 やハ サミ を紹 介す る︒ さら に歯 車を 切り 替え るこ とで 風に 合 わ せて 羽根 の方 向を 変え る必 要の ない 風車 を解 説し て︑ 唐突 に﹃ 第三 の書

﹄は 結語 をむ かえ る︒ ここ で皇 帝ジ ギス ム ン トに 対フ ィレ ンツ ェ同 盟を 呼び 掛け たの ち︑ 水利 技術 のマ エス トロ

︵親 方︶ と認 める よう 求め

︑ジ ギス ムン トの 統 治 する ハン ガリ ーで 水利 工事 に携 わり

︑ま たジ ギス ムン トと 祖先 たち の絵 入り 年代 記を 執筆 した いと いう 希望 を述 べ る

︒さ らに

﹁シ エナ 人と フィ レン ツェ 人が 悪し き隣 人同 士で あっ た﹂ シエ ナ歴 一四 三二 年に この 本を 書き 上げ たと 結 ぶ

︒結 語の あと には 解説 文の ない 図版 がい くつ か並 んで いる

︒そ れは 水中 に仕 掛け て敵 船を 自動 的に 沈め る罠 装置 や 水 流の 力で 小舟 を川 の上 流へ 牽引 する 仕掛 け︑ 木材 の﹁ ほぞ

﹂に つい ての デッ サン

︑そ して 球面 状の 鏡で 太陽 光線 を 集 める 方法 など であ り︑ 最後 の紙 葉に はド ラゴ ン を退 治 す る聖 ゲ オ ルギ ウ ス が 描か れ て いる

︒﹃ 第 三 の書

﹄は 皇 帝 冠 を 頂い た騎 士の 素描 で始 まり

︑最 後が 騎士 の守 護聖 人・ 聖ゲ オル ギウ スで 閉じ られ てい るわ けだ が︑ この 構成 もや は り ジギ スム ント への 配慮 とみ るべ きで あろ う︒

― 199 ― マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる「ルネサンス工学書」の特徴

(18)

2.

﹃ 第 三の 書

﹄ の思 想 2

1. 披露 と隠 蔽 前節 では タッ コラ

﹃第 三の 書﹄ の内 容に つい てや や詳 しく 紹介 した

︒そ の執 筆意 図は 明ら かに タッ コラ とシ エナ 政 府 から 皇帝 ジギ スム ント への アピ ール であ る︒ だが この 書物 に込 めら れた 意図 や思 想が 権力 者へ のア ピー ルだ けと は 考 えに くい

︒タ ッコ ラは

︑こ の一 見機 械と 装置 の解 説が 列記 され ただ けの 書物 にい かな る思 想を 込め たの だろ うか

︒ 技術 史家 ポッ プロ ウは

︑ル ネサ ンス の工 学書 とく に井 戸・ 水車

・水 道建 設な どに つい て論 じた 水利 工学 書に 関し て 重 要な 指摘 をし てい る︒ 様々 な揚 水装 置や ポン プ︑ 水車 の知 識は 古代 以来 長い 伝統 を持 ち︑ 中世 初期 には アラ ビア か ら ヨー ロッ パへ と工 学系 の写 本が 流入 して いた が︑ 一五 世紀 には いる とア ルプ スの 南北 で挿 絵入 りの 手稿 が執 筆さ れ る よう にな った

︒﹃ 第 三の 書﹄ もそ うし た一 連の 挿絵 入り 手 稿 に数 え ら れる の だ が︑ ポ ップ ロ ウ によ れ ば これ ら の 手 稿 は機 械装 置の 制作 に携 わる 技術 者の ため の手 引書

・ノ ウハ ウ本 とし て書 かれ たも ので はな い︒ 多く の著 者が 想定 し た 読者 は王 侯貴 族や 都市 政府 など であ って

︑絵 と解 説で 自 分の 優 れ た工 学 知 識を ア ピ ー ルす る た めに 書 か れ てお り

︑ 実 際 に 利用 さ れ てい る 機 械 技術 の 紹 介・ 解説 は 意 に介 し て い な か っ た

︒実 現 可 能 な 技 術 の 解 説 の 紹 介 を 試 み た の は

︑有 名な 鉱業 技術 書﹃ 金 属に つ い て﹄

De re metallica

︵一 五 五六 年

︶を 書 い たゲ ル マ ニウ ス

・ア グ リコ ラ や

︑技 術 百 科的 著作

﹃巧 妙な るも のに つい て﹄

De subtilitate

︵ 一五 五

〇 年︶ の著 者 ジ ロ ラモ

・カ ル ダ ーノ な ど︑ 一 六世 紀 の わ ず かな 工学 者に 限ら れる とい う︒ 一五

〜一 六世 紀に 著作 を成 した ほと んど のル ネサ ンス 工学 者に とっ て関 心が あっ たの は自 分の 発明

・着 想の 披露 で

マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる「ルネサンス工学書」の特徴 ― 200 ―

(19)

あ った

︒ポ ップ ロウ は︑ こう した 工学 書を

﹁文 芸の 一ジ ャン ル﹂ とま で呼 び︑ これ らは 披露 と解 説を 目的 とし なが ら 同 時に

﹁情 報の 隠蔽

﹂が 行わ れて いる とす る︒ 紹介 され る機 械群 は空 想的 であ り︑ 材料 や摩 擦と いっ た重 要な 問題 が 無 視さ れて いる ばか りで なく

︑そ れが 実在 する のか 設計 段階 なの かさ え論 じら れな い︒ さら に実 際に 作成 する にあ た っ て必 要不 可欠 な情 報︱ 各部 品の 大き さや ギア 比︑ 材質 など

︱に つい ても まっ たく 説明 しな い︒ 図と 文章 によ って 解 説 され てい るに もか かわ らず

︑著 者の 工学 知識 は巧 みに 隠蔽 され てい るの であ る

︒ こう した 指摘 を念 頭に おい て改 めて タッ コラ

﹃第 三の 書﹄ を読 むと

︑情 報の 取捨 選択 と﹁ 隠蔽

﹂が なさ れた こと が う かが える

︒彼 はし ばし ば﹁ 図に 明瞭 に示 さ れ たと お り⁝

﹂と い う 表現 を 使 う が︑

﹃第 三 の 書﹄ がそ の 言 葉通 り に 理 解 しや すい 工学 書で ある とは 言い 難い

︒ま た﹁ 図に 示さ れた よう に作 る﹂

﹁ しっ かり と作 る﹂

﹁適 切に 作れ ば⁝

﹂と い っ た表 現も 解説 の体 をと った 隠蔽 のレ トリ ック の一 種と 言え るだ ろう

︒ では なぜ この よう なレ トリ ック が用 いら れた のか

︒ポ ップ ロウ はそ の理 由と して ルネ サン ス工 学書 のも う一 つの 機 能

︑﹁ 発 明上 の権 利の 主張

﹂を 挙げ る︒ 一五 世紀 から 一六 世 紀 はい わ ゆ る特 許 制 度 が出 現 し た時 代 に あた る

︒た と え ば 一四 七四 年に ヴェ ネツ ィア 共和 国元 老院 は発 明者 の保 護と 無許 可の 模倣 を 禁 じ る法 を 可 決し て い る

︒ 一六 世 紀 に は こう した 試み はヨ ーロ ッパ 中に 広が り︑ オラ ンダ やド イツ 諸邦

︑ス ペイ ン王 室に よっ てヴ ェネ ツィ アの 特許 制度 が 模 倣さ れた が︑ こう した 制度 がど れほ どの 実効 性を 持っ てい たの かは 不明 であ る

︒ すで に述 べた よう にタ ッコ ラの 特許 問題 に関 する 態度 はブ ルネ レス キと の対 話で 示さ れて いる

︒ あ

なた の 発 明に 多 く の人 を 関 与 させ て は なら な い︒ さ も なけ れ ば 知性 浅 く︑ 諸 学へ の 愛 の 乏 し い 人 々 に よ っ て

︑発 明や 仕事 を暴 露さ れた り︑ その 着 想を た だ 否定 さ れ たり し て し まう

︒﹇ 中 略﹈ 大 胆に も

﹁そ の 発明 を 考 え

― 201 ― マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる「ルネサンス工学書」の特徴

(20)

出 した 発明 者は 自分 であ る﹂ など と言 って のけ るの だ︒ こう して 発明 をし た人 間が 悪い 立場 にお かれ

︑代 わり に 栄 光を 他人 に譲 る羽 目に なる

︒他 方︑ 実利 的で 大変 正直 な者 がい る︒ そう いっ た人 は︑ これ まで 聞い たこ との な い 新し い話 を聞 くと 大変 驚き

︑発 明者 を嘲 る︒ そし て発 明者 に自 分の 考え を述 べて 屈辱 を与 える

︒あ なた は彼 を 獣 とみ なし

︑こ れ以 上馬 鹿に され るよ うな こと は言 うべ きで はな い︒ そう いっ たわ けで

︑ね たみ や無 知に 動か さ れ て悪 口を 言っ てく る連 中で はな く︑ 我ら の神 に与 えら れた 恩恵 に対 して 注意 を払 い︑ 従い

︑実 行し なく ては な ら ない

︒そ うす れば 智者 の美 徳や 才能 が活 かさ れる のだ から

︒ ここ

に示 され る隠 蔽の 論理 はア ルベ ルテ ィが

﹃建 築に つい て﹄ で提 示し た建 築家 の心 得﹁ 何故

︑自 分の 有益 適切 な 考 案 を 無報 酬 で 説明 し よ う とし

︑自 発 的 に報 告 し よう と す る のか

?﹂

︑ つま り

﹁安 易 にア イ デ アを 吹 聴 す る な︒ 案 を 盗ま れ る の が落 ち だ﹂ と い う考 え に 通 じる も の があ る

︒こ の ルネ サ ン ス にお け る 発明 家 の 心性 こ そ︑

﹃ 第 三の 書

﹄ や そ の 他の 工 学 書に 通 底 す る﹁ 披露 と 隠 蔽﹂ とい う ア ンビ バ レ ン トな 態 度 を説 明 す るも の で あ ろ う︒ 実 際﹃ 第 三 の 書

﹄に は﹁ すで に﹃ 第一 の書

﹄︑

﹃ 第二 の 書﹄ で示 し た﹂

﹁ それ は セ ル・ マリ ア ー ノ が自 ら の 手で 描 い たも の だ

﹂と い う 言葉 が繰 り返 し登 場す るこ とは すで に指 摘 した

︒こ れ は︑ 図 示さ れ た 機械 に 見 覚 えが あ っ たと し て も﹃ 第 三の 書

﹄ 以 前に タッ コラ 自身 が発 表し た物 であ るこ と︑ そこ に他 者の 関与 はな かっ たこ とを 主張 する もの だ︒ ルネ サン スの 工 学 者 は 自ら が 最 初の 発 明 者 であ る こ とを 主 張 しつ つ も

︑そ の 最も 肝 心 な部 分 を 明か す わ け には い か なか っ た の で あ る

マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる「ルネサンス工学書」の特徴 ― 202 ―

(21)

2. 万能 機械 をめ ざし て しか し︑ 知識 の披 露と 発明 の隠 蔽だ けが

﹃第 三の 書﹄ の思 想で はな い︒ そこ に列 挙さ れた 機械 や知 識は 確か に空 想 的 かも しれ ない が︑ 決し て実 用を 軽ん じて いた わけ では ない

︒そ れは 既に みて きた とお り︑ 機械 の効 率の よさ や時 間 の 節約 にな るこ とを 喧伝 する 文言 や︑ 大規 模な 建設 工事 は図 面や 文書 では なく 建築 家の 頭の 中で 組み 立て られ るも の で

︑現 場で の予 想外 の状 況に 対応 でき るこ とが 建築 家の 才知 であ ると いう 主張 から も伺 える

︒ま た山 の測 量法 で見 ら れ たよ うに

︑タ ッコ ラは 数学 的に 正確 なピ タゴ ラス の定 理や 無理 数は 理解 して いな かっ たか

︑あ るい はあ えて 取り 上 げ なか った

︒だ が﹁ 正確 に測 定す るの は困 難で ある

﹂と 断っ たう えで

︑代 わり に﹁ 三分 の一 とさ らに 少々 多い

﹂と い う 実用 的な 測量 手段 をわ ざわ ざ紹 介し たの は︑ あく まで 自分 の知 識を 実用 に供 せん とす る態 度の 現れ とみ るべ きだ ろ う

︒ ひる がえ って

﹃第 三の 書﹄ 全体 をみ ると

︑そ こに 現れ るの は大 半が 水利 工学 に関 係す る記 述で ある

︒井 戸・ 揚水 装 置

・水 車に くわ え︑ サル ベー ジな ど水 中作 業の 仕掛 けや

︑水 運を 利用 した 重量 物の 運搬

︑水 辺や 水中 での 建設 工事 の 方 法な どを 加え れば

︑全 三三 個の 解説 のう ち二

〇個 が﹁ 水﹂ に関 する 技術 であ る︒ これ は近 くに 大き な河 川が ない 丘 陵 都市 で︑ 常に 飲料 水や 生活 用水 の確 保に 悩ま され たシ エナ とい う都 市固 有 の 事 情も あ る だろ う が

︑ 中 世ヨ ー ロ ッ パ 社会 にお ける 水利 工学 の重 要性 を反 映し てい ると 考え るこ とも でき る︒ すで に技 術史 家リ ン・ ホワ イト やJ

・ギ ャン ペル など が指 摘し てい る通 り

︑中 世 ヨ ーロ ッ パ は工 学 的 にみ れ ば 古 代 ロー マ社 会と 比べ て大 きく

﹁機 械化

﹂が 進ん だ社 会で ある

︒そ の中 核と なっ たの が﹁ 水力

﹂で あっ たこ とも ホワ イ ト やギ ャン ペル 等の 指摘 して いる とこ ろだ

︒ヨ ーロ ッパ の水 力利 用は ロー マ帝 国末 期に まず 穀物 製粉 用の 水車 とし て 現 れた

︒穀 物製 粉用 の水 車は すで にウ ィト ルウ ィウ ス﹃ 建築 十書

﹄の 中で 紹 介 さ れて い る が

︑ これ が 古 代ロ ー マ 社

― 203 ― マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる「ルネサンス工学書」の特徴

(22)

会 で広 く普 及し てい たと はい いが たい

︒し かし 西ロ ーマ 帝国 滅亡 以降

︑四

〜六 世 紀 に はイ タ リ ア半 島 と 南フ ラ ン ス に

︑七

〜九 世紀 には フラ ンク 王国 全体 に︑ そし て一

〇世 紀に は北 欧諸 国へ と普 及し た︒ また 一二 世紀 中期 から 一三 世 紀 中期 には 急激 にそ の数 を増 大さ せた

︒一 一世 紀の イギ リス の国 勢調 査で ある

﹁ド ゥー ムズ デイ

・ブ ック

﹂に よれ ば イ ング ラン ドの 三〇

〇〇 か所 で五 六二 四台 の水 車が あり

︑こ れは ほぼ 五〇 世帯 に一 台の 割合 であ った

︒そ の密 度も す さ まじ いも ので

︑多 くの 地域 で各 水車 は川 沿い に一 マイ ルと 離れ ず設 置さ れて いた ので ある

︒ この 観点 から みれ ば︑ たと えば タッ コラ が様 々な 揚水 装置 や水 車の 紹介 をし てい るこ と︑ シエ ナや ジギ スム ント の 統 治す るハ ンガ リー など 内陸 部で は利 用す る機 会も ない であ ろう 潮力 水車

﹇1

1. 節参 照﹈ を二 葉に わた る大 判 の 素描 に描 いて いる こと など は︑ タッ コラ 自身 の関 心と 同時 にヨ ーロ ッパ 社会 全体 の水 利工 学へ の関 心を 示し てい よ う

︒ さら にタ ッコ ラは 特定 の目 的に のみ 合致 した 専用 機械 より も︑ 様々 な仕 事に 利用 でき る汎 用機 械を 好ん でい たよ う に 見え る︒ そう した 思想 は︑ たと えば 人が 大き な車 輪を 漕ぐ こと で水 をく み上 げる 装置 につ いて 述べ た﹁ これ と同 様 の 車輪 は︑ あら ゆる 水車 の機 械と して も︑ 水を 汲む こと にも

︑多 くの リー ルを 回し て絹 糸や 紐を 撚る のに も用 いる こ と がで き る︒ こ れは 一 般 的で あ る がゆ え に 便 利な 装 置 であ る

﹂ と い う 言葉 に も 表 れて い る︒ 水 流か ら 力 を取 り 出 す 水 車に も︑ 逆に 取り 出し た力 を仕 事に 応用 する のに も同 じ仕 掛け が使 える とい う発 想は

︑決 して 突飛 で空 想的 な知 識 を ひけ らか す態 度で はな い︒ タッ コラ が好 んだ 汎用 機械 の典 型は

︑畜 力や 水力 によ って 一定 の方 向に 回転 し続 ける 車 輪 を︑ 歯車 を切 り替 える こと で逆 回転 させ る機 構﹇ 1

.節 参照

﹈で ある

︒彼 は同 様の 機構 を応 用し て︑ 風向 き が かわ って 風車 が逆 回転 を始 めて も常 に同 じ回 転運 動を 出力 し続 ける 装置 も紹 介し てい る﹇ 1

.節 参照

﹈︒ タッ コラ の関 心は 水車 や井 戸に 限定 され ず︑ より 一般 的な

﹁運 動の 変換

﹂に 向け られ てい た︒ だか らこ そ歯 車装 置

マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる「ルネサンス工学書」の特徴 ― 204 ―

(23)

の 解説 とと もに

﹁小 さな 歯車 によ って 大き な歯 車が 回 され る と き︑ より 大 き な歯 車 が 小 さな 方 の 歯車 を 素 早 く回 す

﹂ の は一 般法 則で ある と明 言し たう えで

︑︵ 現 代物 理学 の観 点か らは 間違 って いる が︶

﹁早 い回 転は 遅い 回転 より 力強 さ を 欠く が︑ より 多く の仕 事を こな す﹂ とい う一 般的 力学 の問 題に まで 考察 を広 げて いる ので ある

︒ お

わ り に 以上

︑タ ッコ ラ﹃ 第三 の書

﹄の 特徴 につ いて 分析 を試 みた

︒同 書は 読者 が一 見し て感 じる

﹁機 械の 羅列

・百 科事 典 的 著作

﹂と いう 印象 とは 正反 対に

︑﹁ 知 識の 披露 と隠 蔽﹂

﹁応 用性 のあ る汎 用機 械へ の挑 戦﹂ とい う方 向性 をも った 著 作 であ った

︒先 述の ポッ プロ ウは

︑一 五世 紀か ら一 六世 紀に 書か れた ルネ サン ス工 学書 に描 かれ てい る機 械・ 装置 類 は 原則 とし てす べて

﹁汎 用機 械﹂ だっ たと 述べ てい る︒ ルネ サン スの 工学 者は

︑た とえ ば特 別な 水車 の作 成法 とい っ た 個別 知識 によ って では なく

︑よ り一 般的 で応 用性 の高 い﹁ 歯車 装置

﹂の 知識 で国 王や 政府 とい った パト ロン に自 ら を アピ ール した

︒こ うし た﹁ 歯車 装置

﹂は 近代 以降 に現 れる あら ゆる 機械 装 置 の 基礎 を な すも の で あり

︑産 業 の 機 械 化を 可能 にす るも ので あっ た︒ こう した 歯車 やそ れに 類す る装 置を 考察

・応 用し

︑機 械工 学に おけ る基 礎的 知識 と 技 術を 準備 した こと が︑ ルネ サン スの 工学 が果 たし た重 要な 歴史 的役 割で ある

︒タ ッコ ラも こう した ルネ サン ス工 学 に 貢献 した 最初 の工 学者 のひ とり とい えよ う︒ タッ コラ

﹃第 三の 書﹄ は稚 拙な 解説 文や 遠近 法の 狂っ た素 描︑ そし て 整 理さ れて いな い構 成な ど︑ 決し て精 緻な 著作 とは いえ ない

︒し かし そこ には のち の一 七世 紀科 学革 命や 産業 革命 へ と つな がる 技術 開発 の足 跡が 記さ れて いる ので ある

― 205 ― マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる「ルネサンス工学書」の特徴

(24)

⑴ ベ ル ト ラ ン

・ ジ ル

︑﹃ ル ネ サ ン ス の 工 学 者 た ち

﹄︵ 山 田 慶 兒 訳

︶︑ 以 文 社

︑ 二

〇 五 年

︑ 一

〇 五 頁

MarianodiJacopodettoilTaccola,Libertertiusdeingeneisacedifitiisnonusitatis,J.H.Beck(ed.),Milano,1969,p.12.

FrankD.PragerandGustinaScaglia,MarianoTaccolaandHisBook“DeIngeneis”,Cambridge,Massachusetts,1972,pp.11-12.

⑷ 池 上 俊 一

﹁ 解 説 ル ネ サ ン ス 自 然 学

﹂︑

﹃ 原 典 ル ネ サ ン ス 自 然 学

﹄︵ 上

︶︑ 池 上 俊 一

︵ 監 修

︶︑ 名 古 屋 大 学 出 版 会

︑ 二

〇 一 七 年

︑ 二 六 頁

⑸ ジ ル

︑ 一

〇 頁

⑹ 高 畠 純 夫

﹁ ア イ ネ イ ア ス

﹃ 攻 城 論

﹄│ 訳 お よ び 註 解

│︵ 5

︶﹂

﹃ 東 洋 大 学 文 学 部 紀 要

﹄ 第 四 二 号

︑ 二 二 二

︵ 九

︶│ 二 二

︵ 一 一

︶ 頁

⑺ ア ン ソ ニ ー

・ グ ラ フ ト ン

﹃ ア ル ベ ル テ ィ イ タ リ ア

・ ル ネ サ ン ス の 構 築 者

﹄︵ 森 雅 彦

︑ 足 達 薫

︑ 石 澤 靖 典

︑ 佐 々 木 千 佳 訳

︶︑ 白 水 社

︑ 二

〇 一 二 年

︑ 三 二 六

│ 三 二 七 頁

⑻ ダ ニ エ ル

・ ジ ャ カ ー ル

﹃ ア ラ ビ ア 科 学 の 歴 史

﹄︵ 遠 藤 ゆ か り 訳

︶︑ 創 元 社

︑ 二

〇 六 年

︑ 七 一 頁

⑼ ル ネ サ ン ス の シ エ ナ 人 工 学 者 の 活 躍 に つ い て 1991.eonardelterritorio,PrimadiLdo,tuP.Galluzzi(ed.),Milano,ra はinnovaRiGalluzzi,Lemachinesenesi.cezionercaantiquaria,spiritodiu-culP.e

を 参 照

⑽ マ リ ア ー ノ

・ デ ィ

・ ヤ ー コ ポ

︵ タ ッ コ ラ

︶﹃ 尋 常 な ら ざ る 装 置 と 建 築 に つ い て の 第 三 の 書

﹄︵ 白 幡 俊 輔 訳

︶︑

﹃ 原 典 ル ネ サ ン ス 自 然 学

﹄︵ 下

︶ 所 収

︑ 名 古 屋 大 学 出 版 会

︑ 二

〇 一 七 年

Pager&Scaglia,p.3.

Beck,p.13.

Beck,p.13;Prager&Scaglia,p.7.

Beck,p.13;Prager&Scaglia,pp.8-9.

Beck,pp.13-14;Prager&Scaglia,p.10.

Beck,pp.19-21.

Beck,p.14.

Beck,p.15.

マリアーノ・ディ・ヤーコポ『第三の書』からみる「ルネサンス工学書」の特徴 ― 206 ―

参照

関連したドキュメント

前項の規定にかかわらず、第二十九条第一項若しくは第三十条第一項の規

 (4)以上の如き現状に鑑み,これらの関係 を明らかにする目的を以て,私は雌雄において

この説明から,数学的活動の二つの特徴が留意される.一つは,数学の世界と現実の

存する当時の文献表から,この書がCremonaのGerardus(1187段)によってスペインの

向老期に分けられる。成人看護学では第二次性徴の出現がみられる思春期を含めず 18 歳前後から

 当図書室は、専門図書館として数学、応用数学、計算機科学、理論物理学の分野の文

第○条 附属品、予備部品及び工具 第○条 小売用の包装材料及び包装容器 第○条 船積み用のこん包材料及びこん包容器 第○条 関税上の特恵待遇の要求. 第○条 原産地証明書 第○条

第 98 条の6及び第 98 条の7、第 114 条の 65 から第 114 条の 67 まで又は第 137 条の 63