契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上 の責任
著者 上田 貴彦
雑誌名 同志社法學
巻 58
号 7
ページ 597‑631
発行年 2007‑03‑31
権利 同志社法學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011116
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 五九七同志社法学 五八巻七号
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任
最高裁平成一八年九月四日第二小法廷判決︵裁時一四一九号六頁︶
原審東京高裁平成一七年二月一六日判決︵刊行物未登載︶︑第一審不明
上 田 貴 彦
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︵二九六五︶ ︻事実の概要︼ 私立大学であるY︵被告︑被上告人︶は︑Yの大学構内に研究教育施設用建物︵以下﹁本件建物﹂と言う︒︶を建築
することを計画して︑文部科学省に補助金の交付を申請し︑平成一四年初春︑Aを代表者とする有限会社A建築研究所︵以下﹁A研究所﹂と言う︒︶に︑本件建物の企画設計を依頼するとともに︑補助金の交付の決定があったときには本件
建物の設計監理を委託したい旨の申入れをして︑その決定があり次第直ちに本件建物の建築を始められるように準備を進めていた︒
一方で︑建築資材の輸入販売等を業とする株式会社であるX︵原告︑上告人︶は︑平成一四年三月中旬ころ︑A研究
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 五九八同志社法学 五八巻七号
所から︑本件建物の壁面にドイツのB社のガラス製品を用いたガラスカーテンウォール︵以下﹁本件建具﹂と言う︒︶
を使用する計画であるので設計に協力してほしいとの依頼を受けて︑技術的な検討と見積作業を開始した︒
Yは︑前記申請に係る補助金の交付の内定があったことから︑平成一四年四月一五日ころ︑A研究所に本件建物の設
計監理を委託し︑同研究所は︑本件建物の基本設計を開始した︒しかし︑本件建物の竣工は平成一五年三月と予定されていたところ︑これに間に合うように本件建具の納入等をするためには︑遅くとも平成一四年六月初めころには︑本件
建具の形状︑寸法等の打合せや製作図の作成等の準備作業を開始し︑同年九月初めころには︑ドイツの工場で本件建具の製作を開始する必要があった︒A研究所は︑平成一四年五月下旬ころ︑Xの担当者から︑そうした事情の説明を受け︑
直ちに本件建具の納入等の準備作業を開始することについて了承を求められたことから︑Yにおける本件建物の建築に関する担当者である助教授に︑上記事情を説明した上で︑サッシ業者に上記準備作業の開始を依頼すること及び依頼後
は別の業者を選ぶことができなくなることについて了承を求めたところ︑同助教授はこれらを了承した︒なお︑建物建築工事における建具の納入等は︑建具の納入業者が建物の施工業者との間で下請契約を締結して行うのが通常の形態で
あるが︑本件建物の施工業者は︑この当時︑いまだ決定しておらず︑同年八月末に決定する予定であった︒
Xは︑A研究所から︑右のとおりYの了承があった旨の説明を受けるとともに︑直ちに右準備作業を開始するよう依
頼を受けたことから︑本件建具の製作図の本格的な作成︑打合せ︑製造ラインの確保等の準備作業を開始した︒A研究所は︑平成一四年六月中旬ころまでに基本設計を︑同年七月二〇日ころまでに実施設計を行い︑これらについてYの了
承を得た︒Yは︑同月初旬ころ︑本件建物の建築確認申請をする一方︑大学施設増築及び高度制限解除等の許可を受けた︒
ところが︑Yは︑平成一四年八月二七日に至って︑将来の収支に不安定な要因があることを理由として︑本件建物の ︵二九六六︶
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 五九九同志社法学 五八巻七号 建築計画の中止を決定し︑補助金の交付の申請を取り下げたため︑Xは右準備作業にかかった費用等の賠償をYに対して求めたものである︒
︻原審︼※刊行物未登載のため最高裁判決文より引用する︒
﹁上告人と被上告人との間で本件建具の納入等についての直接の請負契約が締結されたものではなく︑また︑そのような契約の締結を目指して交渉が重ねられたものでもないから︑上告人は︑いずれ被上告人から本件建物の建築を請け
負う施工業者との間で︑本件建具の納入等の下請契約が締結されることを期待する立場にあったにすぎず︑上告人と被上告人との関係は︑契約締結のための準備交渉段階において信義則が妥当する場合とは異なる︒
また︑⁝Aが︑上告人からの説明と要請を受けて︑被上告人に本件建具の納入等の準備作業の開始について了承を求めたものであること︑上告人が︑それ以前から︑A研究所の要請により︑本件建具の納入等の検討や見積作業を行って
いたものであることなどに照らすと︑上告人による本件建具の納入等の準備作業は︑本件建物の施工業者が選定されるまでは︑上告人と同研究所との間の契約関係に基づいて行われたものと推認するのが相当である︒そうすると︑その後
の被上告人の対応いかんによって︑直ちに上告人のA研究所に対する契約上の権利が害されるという関係にはないとい
うべきであり︑本件における上告人の損害は︑同研究所との間で解決が図られるべきものである︒
さらに︑本件において︑被上告人に上告人との関係で本件建物の施工業者を選定して請負契約の締結を図るべき法的
義務があったとまでは認め難い︒
被上告人に本件建物の施工業者を選定して請負契約の締結を図るべき法的義務があったとまでは認め難い以上︑被上
告人が本件建物の建築計画を中止したことが︑上告人の権利︑利益を害する不法行為に該当するものとまではいえず︑
︵二九六七︶
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 六〇〇同志社法学 五八巻七号
被上告人は損害賠償責任を負わない︒﹂
︻判決要旨︼破棄差戻し
﹁上告人がAから上記準備作業に要した費用等についてはA研究所で負担するとの説明を受けていたなどの特段の事情のない限り︑上告人は︑被上告人の上記了承があったことから︑被上告人が誰を本件建物の施工業者に選定したとし
ても︑その施工業者との間で本件建具の納入等の下請契約を確実に締結できるものと信頼して︑上記準備作業を開始したものというべきであり︑また︑被上告人は︑上告人が上記準備作業のために費用等を費やすことになることを予見し
得たものというべきである︒原審は︑上記特段の事情に関して︑上告人による本件建具の納入等の準備作業は︑本件建物の施工業者が選定されるまでは︑上告人とA研究所との間の契約関係に基づいて行われたものと推認されるから︑本
件における上告人の損害は︑同研究所との間で解決が図られるべきものであると判示しているが︑前記事実関係だけからは︑上告人による上記準備作業が本件建物の設計監理を受託したにすぎない同研究所と上告人との間の契約関係に基
づいて行われたものと推認することはできない︒そして︑上記特段の事情が認められず︑上告人が本件建物の施工業者との間で本件建具の納入等の下請契約を確実に締結できるものと信頼して上記準備作業を開始したものであり︑被上告
人が上記のとおりの予見をし得たものとすれば︑信義衡平の原則に照らし︑上告人の上記信頼には法的保護が与えられなければならず︑被上告人に上告人との関係で本件建物の施工業者を選定して請負契約の締結を図るべき法的義務があ
ったとまでは認め難いとしても︑上記信頼に基づく行為によって上告人が支出した費用を補てんするなどの代償的措置を講ずることなく被上告人が将来の収支に不安定な要因があることを理由として本件建物の建築計画を中止すること
は︑上告人の上記信頼を不当に損なうものというべきであり︑被上告人は︑これにより生じた上告人の損害について不 ︵二九六八︶
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 六〇一同志社法学 五八巻七号 法行為による賠償責任を免れない ︵
︒﹂ 1︶
︻研 究︼
一 序 説
契約準備交渉段階に入った当事者は︑相手方に損害を被らせないようにする信義則上の義務を負い︑それに反して自らの過失によって相手方に損害を生じさせた場合には︑その損害を賠償する責任を負う︒こうした﹁契約締結上の過失
︵culpa in contrahendo︶﹂に基づく責任規範の拡張を図る理論は︑外国法︵とりわけドイツ法︶に多大な示唆を得る形でわが国の民法学に解釈学的に取り込まれるとともに︑従前から学説において広く展開され︑それを肯定する裁判例も
とくに下級審レベルで数多く集積されてきた︒本件も︑社会的に一定の関係に入った者の信義則上の責任を認めたものであり︑その意味では契約締結上の過失責任法理を用いた新たな最高裁判決と位置づけることができよう︒だが︑本判
決が従前から集積されてきた事例群の単なる焼き直しではないことは容易に見て取れる︒認定事実によれば︑﹁上告人と被上告人との間で本件建具の納入等についての直接の請負契約が締結されたものではなく︑また︑そのような契約の
締結を目指して交渉が重ねられたものでもない﹂︒すなわち︑XY間には直接的にも間接的にも契約交渉の事実はなく︑さらに将来的に契約当事者になる可能性すらない関係にあった︵いわゆる﹁可能的契約関係 ︵
﹂にもなかった︶のである︒ 2︶
近年の学説は︑ほぼ共通して︑当事者の拠るべき行為規範の具現化と要件効果論の精緻化を図る目的から︑契約締結上の過失が問題となる事例群をその発現形態に則して四つのカテゴリーに類型化している︒すなわち︑①﹁契約無効・
︵二九六九︶
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 六〇二同志社法学 五八巻七号
取消し﹂事例︑②﹁交渉挫折﹂事例︵一般的用語によれば﹁交渉破棄事例﹂とされているが︑それに含まれるのは必ず
しも﹁破棄﹂事案に限られないため︑﹁挫折﹂と表現するのが適切である︶︑③﹁契約有効成立+情報提供義務違反﹂事例︑④﹁︵狭義の︶保護義務違反﹂事例︑である︒契約責任なのか不法行為責任なのかという契約締結上の過失責任の
性質論から離れて︑信義則によって規律される契約締結過程で当事者が従うべき一般的行為規範の定立を企図するとき︑この類型論が真に有用なものなのか︵結果として単なる場合分けに終わるのではないか︑さらに言えば︑これらの
類型のすべてを﹁契約締結上の過失﹂という一つの枠組みの内で把握できるものなのか︶という疑念はここでは一先ず差し置き︑この類型論において本件事案の分類を試みると︑②の交渉挫折事例に最も近いように思われる︒たしかに︑
この交渉挫折事例において契約締結上の過失責任が問われうるのは︑―責任設定面でいかなる理論構成を採ろうとも―事実上の当事者間に契約交渉が持たれていることがこれまで当然の前提とされてきた︒その意味では︑本件は︑
直接的にも間接的にも契約交渉関係にない︵将来的にも契約を締結する可能性のない︶二者間での責任が問われたケースであり︑従来から論じられてきた純粋な交渉挫折のケースとは異なる︒しかし︑①Xが仮想的施工業者との間に下請
契約を確実に締結できるものと信頼して上記準備作業を開始した場合に︑②その信頼保護の観点から︑③予定された建築計画のYによる一方的な中止による責任が認められた点で︑事案のみならず責任の認定方法の面でも交渉挫折類型と
の高度の類似性が見られる︒本判決から浮上する法命題は︑まさにこうした非契約交渉当事者間にも信義則が規律するパターナリスティックな規範的介入が及びうるのかというところにある︒
そこで以下では︑まず︑交渉挫折型﹁契約締結上の過失﹂の帰責構造に関する学説の理論展開の整理と近時の裁判例の傾向分析を通して本判決の意義とその位置づけを探り︑そのうえで︑契約関係にない二者間における保護義務の成否
という観点から別の問題領域にもその手がかりを求めつつ︑検討を進めることにしたい︒ ︵二九七〇︶
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 六〇三同志社法学 五八巻七号 二 交渉挫折型﹁契約締結上の過失﹂の帰責構造
1
学説の整理 ⑴ 初期の学説と議論の焦点 わが国の民法学において契約締結上の過失が論じられ始めたのはそれほど昔のことではない ︵︒ドイツ民法学説 3︶︵
からの 4︶
継受によってわが国においてもその萌芽を見た﹁契約締結上の過失法理﹂は︑その後大陸法とは法的基盤を異にする英米法からも示唆を得て ︵
図鳩山︑学説主導でその理論面での整備が説られてきたが︑導入当初の学説︵ 5︶︵
︑我妻説 6︶︵
など︶は︑ 7︶
その法理の適用場面として︑契約無効取消し事例や情報提供義務違反事例を考えていたものの︑交渉挫折事例を議論の念頭においてはいなかった ︵
︒ 8︶
しかも︑そこでの議論は︑契約締結上の過失に基づく責任の性質論に主眼が置かれており︑帰責構造面からの分析は不十分であった︒いまだに責任の性質論に特化した議論が一部に見受けられるが︑そうした性質論は︑少なくともわが
国の民法においては同法理の本質的問題ではなく︑考えるべきはむしろ︑それが契約責任に位置づけられようとも不法行為責任に位置づけられようとも︑どのような状況下にそれまでは負っていなかった義務ないし行為規範が発生︵ある
いは潜在的に存在していた規範が当事者間あるいは対第三者間に具体化︶するのか︑そしてその違反はどのような責任を生み出すのかにある︒議論の焦点はこの要件効果論にこそ当てられるべきであり︑責任の性質論は請求権競合論との
関係でのみ議論の有益性をもってくるものである︒また︑とくに裁判例にあがってくる責任の性質に関する言及は︑訴
訟物︵原告の請求原因︶に全面的に左右されるものであるから︑裁判所が性質論に関してどのように考えているのかは一概に判断できるものではない︒このことは本件についても同様である︒
︵二九七一︶
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 六〇四同志社法学 五八巻七号
次項では︑交渉挫折事例における契約締結上の過失法理について︑こうした帰責構造面︵とりわけ規範の発生とその
違反の判断基準︶に焦点を当てて独自の視点から簡潔に学説の整理と分析を試みる︒
⑵ 信頼責任構成と契約構成の対峙 一九六〇年代以降︑わが国の民法学説は契約締結上の過失の帰責根拠に関する論争に鎬を削り︑様々な角度から理論
的体系化を試みてきた︒その多様性は交渉挫折型についてとりわけ顕著である︒だが︑そうした多様性のなかにも一定の共通項を見出すことができ︑その共通項は学説全体を大きく二分する指標となる︒すなわち︑交渉挫折の責任根拠を
﹁意思﹂または﹁契約﹂に求める立場と︑特定の者の間で形成された信頼関係に求める立場である︒本判決との関係では︑こうした視点からの分析がきわめて重要になってくる︒
ⅰ 意思から信頼へ 我妻博士によって説かれた︑事後的に少なくとも事実上は締結された契約に依拠して契約締結上の過失を債務者に帰 責する方法は︑その理論構成上すでに︑契約締結に至らないことを前提とする交渉挫折事例の把握を不可能とするものであった ︵
としてが信頼関係﹁は過失の契約締結上︑かれるなかで説独自性の保護義務する対に給付義務やがて︑だが︒ 9︶
の債務関係﹂から生ずる責任として理解されるようになる︒松坂博士は︑﹁契約の当事者は契約締結のために商議を開始した瞬間において信頼関係に立つに至り︑契約の締結という共同の目的に向って相協力すべき︑一般市民としてより
も一層緊密な結合関係を構成する﹂とし︑さらに︑そうした﹁信頼関係としての債務関係が成立すると解するときは︑契約締結上の過失の責任は︑かかる債務関係から生ずる保護義務の違反に対する責任となる︒そして保護義務は契約上
の給付義務とは関係がないから︑契約が有効に成立したと否とに拘らず︑その違反によって損害を加えた者はその賠償 ︵二九七二︶
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 六〇五同志社法学 五八巻七号 の責に任じなければならない﹂と説く ︵
成立︑な信頼関係に立つという事実によって事者し当事者がの意思に基くものでない﹂ことを明らかにしている相互的 ︵ 務当は係関債のののうえで︑これを契約類似責︒任と性質づけるものの︑﹁こそ 10︶
︒ 11︶
同じく信頼関係に基づく保護義務論を展開するものとして︑北川説 ︵
︑今西説 12︶︵
ほか多数存在するが 13︶︵
一歩進はんでそうした信頼責任の根拠を具体化している ︵ ︑なかでも本田教授 14︶
︒本田教授によれば︑単に契約交渉を拒絶したというだけでは︑ 15︶
契約交渉のさいに生じる注意義務違反を基礎づけることはできないが︑契約交渉のさいに事実上交渉した内容をもって契約が成立するとの期待を相手方に抱かせたときには例外的に責任を負うとされる︒そして︑その例外的な場合として︑
契約の締結が確実であると言明して相手方を信頼させておきながら︑正当な理由なく突然契約交渉を一方的に打ち切った場合︑契約交渉に際し︑相手方の誤信を誘発しながら︑それを矯正すべき何らの措置もとらなかった︵告知義務
違反によって契約締結を妨げた︶場合を挙げ︑契約締結上の過失の根拠を︑契約交渉によって生じた―強められた信頼に基づく― 各種の行為義務︵告知・説明義務︑保持義務︑注意義務︑助言義務等︶を生じさせる法定債権関係に求
めている︒
他方で︑内田教授は︑より根本的に契約観的側面から︑当事者の信頼が基礎にある契約関係 00に着目し︑古典的契約モ デルに対抗する新たな契約モデルとして︑﹁関係的契約﹂モデルの解釈学的構成を試みる ︵
︒内田教授によれば︑今日の 16︶
契約法は︑古典的契約法としての性格を濃厚に残す実定契約法と契約実践に根ざす内在的契約規範との相剋というジレンマをかかえており︑信義則の活用はそうした内在的規範︵関係的契約規範︶の実定法への吸上げであるとの理解を示
す︒そこに言う﹁関係的契約﹂とは︑当事者が相手方の損害の発生や拡大を容易に回避しうるときはそのための作為義務を負う関係のことを意味し︑そうした﹁関係﹂を契約法のなかに取り込むことを企図する︒そのとき︑当事者の義務
の根拠は︑締結時の意思というより︑当事者が形成した﹁関係﹂そのものであるとして︑まさに契約のパラダイムが要
︵二九七三︶
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 六〇六同志社法学 五八巻七号
請する契約原理そのものとしての信頼関係に基づく責任であることを強調する︒そして︑契約交渉破棄に関する裁判例
が示しているのは︑相手方を信頼させ相手方の費用支出や法的地位の変化をまねいた者は︑その信頼を裏切ったことによる損害を賠償すべきであるという一種の信頼責任の法理が︑契約当事者間だけではなく契約締結過程でも妥当するこ
とであると分析し︑そうした責任は当事者間に一定の﹁関係﹂が存在する場合に肯定されるとする︒こうした理解からは︑まさに信頼責任法理を意思に基づく責任と並ぶ契約法の中核に据えようとする内田教授の意図が窺える︒
ⅱ 意思原理からの再アプローチ 信頼関係理論からの説明は合意原則の壁にぶつかる︒それを回避すべく︑法律行為︵意思︶に基づく﹁契約の成立﹂
を柔軟に捉え︑契約はその端緒から履行の完了に至るまで段階的に成熟していくものであるから個々の法律問題についてはその成熟度︵法的結合関係の評価としての熟度︶に応じた法律効果を認めるべきであるとするのが︑鎌田教授の提
唱する熟度論である ︵
ち責任範囲く中間的合意論と︑責任根拠としてではなく単にのきを変動の基準として契約の熟度を持置重﹂意思﹁のに 合意原則意味熟度論的発想はのちに︑積極的なをよりでの︒徹底し責任正当化根拠としてそうした 17︶
出す段階的責任論との二方向に分岐して派生していく︒
河上教授は︑﹁﹃契約﹄として一括されているものの中味に︑単体の約束として存在するものばかりではなく︑むしろ
小さな﹃部分的約束﹄の有機的な結合体とか︑経過的な約束の積み重ねと見られるべきものが少なくないとすると︑その限りでは交渉過程での挫折の責任の根拠︵少なくともその一部︶は︑出来上がりつつあった小さな約束に対する違反
と考えられるべき﹂と説き︑契約締結上の過失の責任正当化根拠を交渉過程で当事者が行った﹁小さな約束﹂︑すなわち中間的合意に求めている ︵
︒この立場からは︑意思のないところに義務はないという原則をあくまでも貫くことになる︒ 18︶
また︑合意の捉え方に多少違いがあるが︑横山教授らによって提唱されている﹁予備的合意﹂論も︑交渉過程における ︵二九七四︶
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 六〇七同志社法学 五八巻七号 当事者の意思に依拠してその違反の責任を認める点で︑同じく中間的合意論として括ることができよう ︵
︒ 19︶
熟度論からもう一方の発展経路を辿った段階的責任論は︑責任範囲の画定においてのみ熟度論的発想を引き継ぐ︒松
本教授は︑契約交渉の開始から契約締結・契約成立までの段階は︑当事者の接触はあるが具体的な商談は始まっていない段階︵第一段階︶︑契約締結準備段階︵第二段階︶︑代金等を含む契約内容についてほぼ合意に達し正式契約の締結日
が定められるに至った段階︵第三段階︶の三つの段階に分けることができるとしたうえで︑﹁第一段階では一般不法行為法上の注意義務を除き︑特段の義務は生じない︒第二段階での契約交渉当事者に信義則上課される義務が開示義務を
中心としたものにあるのに対し︑第三段階ではそれに契約成立に努めるべき義務が加わる︒第二段階では自己の都合のみで交渉を打ち切っても︑別に開示義務違反が存在していなければ賠償責任を負わされることはない︒第三段階では︑
各当事者は正当な理由なくして契約締結を拒むことは許されない︒とはいえ︑契約締結自体が義務づけられているのではないから︑締結を強制することはできない︒﹂と述べ︑契約交渉の時間的・内容的な進展の度合いに応じた責任規範
論を展開する ︵
契に渉の進展度合い応約じて異なると説く交 ︵ じくも︑円谷教授も多少違ったメルクマールのもとに同段階的責任論︒を採り︑責任規範の法的性質また 20︶
︑着進展度合いに目渉しているのはの交こ︒契が授教両で約こ︑もとっも 21︶
責任範囲やその法的性質の解明を目的とするものであり︑中間的合意論のように責任根拠を交渉段階における意思に求
めるわけではない︒責任根拠はあくまでも信義則や不法行為規範に求めており︑その意味では︑同じく熟度論から派生した段階的責任論はもう一方の中間的合意論とはまったく違った方向に歩みを進めている︒
他方で︑滝沢説はこれらとは全く違った視点からのアプローチを試みる︒滝沢教授は︑意思実現による契約の成立に着目し︑それは意思の一致がない限り債権は発生しないとする原則へのアンチテーゼであり約束制度の名残であるとの
考えを示したうえで︑契約の成立には必ずしも﹁意思の一致﹂が要求されるわけではなく︑一方的な意思表示︵+α︶
︵二九七五︶
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 六〇八同志社法学 五八巻七号
によって債権は発生すると説く ︵
契めたや事実的契約関係することによって解と制度認を約束を五二六条二項︑そして︒ 22︶
約締結上の過失が問題とするいくつかの事例の解決も可能となると述べる ︵
︒ 23︶
2
裁判例の分析 消極的な意味における契約自由の原則からすると︑契約準備交渉段階では未だ交渉当事者には契約を締結しない自由があり︑いつでも交渉を打ち切ることができるのであるから︑それによって責任が発生することはないはずである︒それにもかかわらず︑契約締結上の過失責任が発生するのは︑契約交渉を挫折させる行為が︵通常観念しえない契約締結
義務以外に︶交渉当事者に課せられる何らかの義務ないし行為規範に違反するからであって︑かつその場合に限られる︒それでは︑契約準備交渉のどの時点でそうした義務ないし行為規範が発生し︑債務者のいなかる行為︵作為または不作
為︶がその義務違反ないし行為規範違反と判断されるのか︒このような視点で一九七〇年代以降現在まで集積されてきた交渉挫折に関する裁判例を眺めたとき︑そこには特定のパターンが存在していることに気がつく︒すなわち︑その帰
責根拠に着目したとき︑それらの裁判例は︑①先行行為+信頼裏切り型︑②交渉進展+信頼裏切り型︑③誤信放置型︑の三類型に分けることができるのである︵もっとも︑①事例と②事例の区分は信頼保護義務の発生要因の差異に基づく
ものであり︑両者の厳密な線引きが難しい場合もある︶︒これまでにもすでに交渉挫折型の裁判例に関する紹介分析は多数行われているので ︵
行為規のないし義務に類型別って絞つかに幾から中裁判例の最近に主︑都合上の紙面ここでは︑ 24︶
範の発生とその違反の判断基準について概観していくことにしたい︒ ︵二九七六︶
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 六〇九同志社法学 五八巻七号 ⑴ 先行行為+信頼裏切り型 本類型は︑交渉の一方当事者が自らの具体的行為︵先行行為︶により契約締結に対する相手方の信頼︵誤信も含む︶
を惹起しておきながら︑正当な理由なく交渉を一方的に破棄することによってその信頼を裏切ったことが責任の根拠とされる事例である︒ここでは︑信頼の惹起が契約締結に対する信頼保護義務を生じさせ︑その義務に違反して正当な理
由なくその信頼を裏切る行為が義務違反と判断される︒
東京高裁平成一四年三月一三日判決 ︵
とのとYをしている建築計画の建物で賃貸目的Xとする業を経営等の学習塾︑は 25︶
間で当該建物の一室ついての賃貸借契約交渉が挫折した事案で︑XがYに対して主意的に賃貸借契約の債務不履行を理由とする損害賠償を︑予備的に契約締結上の過失に基づく損害賠償を求めたものである︒Yは本件建物の建築計画段階
で賃借人の募集及び賃貸借契約の締結についての仲介を不動産仲介業者Aに依頼し︑Aの従業員BはXに対し本件貸室の賃借の勧誘を行ったところ︑Xは事務所として賃借したいとの意向を示した︒XはYに対し賃貸借契約の内容に関す
る要望書を提出し︑建物建築の際にコンセントの位置や電灯の数及び位置ならびに電話線の位置などを指定したところ︑Aはこのとおりの工事を行った︒また︑XはAに対し看板取付位置の変更を求め︑Xの費用負担でその工事を行っ
たが︑Yはこれらの準備行為について格段異議を述べなかった︒ところが︑その後になってXよりも有利な条件で契約
できる賃借希望者が出現したため︑Yは建物が完成する直前に至って突然Xとの交渉を一方的に破棄した︒こうした事実のもとで同裁判所は︑﹁契約は︑成立しなければ︑当事者間に何らの債権債務関係も生じないものであるが︑契約成
立に向けた交渉の結果︑当事者の一方が相手方に対し契約の成立についての強い信頼を与えたにもかかわらず︑この信頼を裏切って契約交渉を一方的に打ち切った場合は︑信義則上︑一種の契約上の責任として︑相手方が被った信頼利益
の侵害による損害を賠償するのが公平に適するものというべきである﹂として︑Aを介したYの行為︵異議を述べない
︵二九七七︶
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 六一〇同志社法学 五八巻七号
という不作為も含む︶によりXに契約締結に対する信頼を与えた場合には︑その信頼を裏切ることは信義則上の責任を
構成することを示した︒
東京地裁平成一〇年一一月二六日判決 ︵
設計訴外会社の用機械プラント工場する納入にAが︶反訴被告︑原告︵Y︑は 26︶
及び設置に関する請負契約交渉がX︵被告︑反訴原告︶との間で持たれたが契約締結の要件とされていたYからXへの信用状の交付がなかったため締結に至らなかった事案において︑Yが信用状をXに交付できる十分な見通しもないのに
これが確実であるかのようにXに説明し契約書案を作成し︑これを受けて本契約の成立は確実であると信頼︵誤信︶して工場建物建設等についての指揮監督︑一部機械機器の設計図の作成等の業務を遂行したXがそれらに要した費用の賠
償をYに請求することができるかが争われた事案である︒同地裁は︑﹁このような多くの業務は︑すべて︑原告が被告に対して本契約締結前に本契約の成立は確実であると誤信させて本契約の内容を一部実行してほしい旨を要請し⁝たた
めに︑被告において実行に移した﹂ことを認定し︑そのような誤信について﹁被告に格別の落ち度があったことを認めるに足りる証拠はない﹂として誤信の正当性を示したうえで︑﹁契約締結交渉関係にあった者の間の関係を規律する信
義誠実の原則に照らし︑原告は︑被告が本契約の締結を信じて行った右各業務にかかった費用相当額の損害を︑被告に対して賠償すべき義務︵いわゆる契約締結上の過失の理論に基づく義務︶を負うものというべきである﹂とした︒
また︑京都地裁平成元年一月二六日判決 ︵
によ了承本件土地建物取引契約を締結し︑丙はそのことをしていたにもかかわらず︑丙が自己の一方的な翻意めのある 定のを違約金乙が仲介人として丙への転売当初はから予定して甲との間に︑ 27︶
り乙との転売契約交渉を打ち切ったことで乙に甲に対する違約金支払債務を負わせたという事案である︒同裁判所は︑﹁契約の準備段階に入ったものは︑互いに相手方に対し︑財産上の損害の発生を防止すべき信義則上の義務があり︑右
準備段階において事実上交渉した内容をもって︑相手方に対し︑契約が成立するとの信頼を抱かせながら︑正当な理由 ︵二九七八︶
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 六一一同志社法学 五八巻七号 なく契約交渉を打ち切った場合これにより相手方が蒙った損害を賠償すべき責任があると解される﹂としたうえで︑丙は違約金の定めのある売買契約を乙が甲と締結することを事前に了承することにより︑乙と丙との本件土地の売買契約
が成立すると乙に信頼させておきながら︑正当な理由なく乙との売買契約を不成立に至らしめ︑その結果乙に損害を蒙らせたとして︑丙にその損害の賠償を命じた︒
これらのほか︑最高裁昭和五六年一月二七日第三小法廷判決︵民集三五巻一号三五頁︶や最高裁昭和五九年九月一八日第三小法廷判決︵裁判集民一四二号三一一頁︑判時一一三七号五一頁︑判タ五四二号二〇〇頁︶などの事案も本類型
に分類することができる︒
⑵ 交渉進展+信頼裏切り型 本類型は︑具体的な信頼惹起行為はなくとも︑交渉の進展自体が契約締結に対する信頼の基礎となり︑それに基づい
て交渉の相手方が契約締結に対する信頼を抱いたにもかかわらず︑正当な理由なく契約交渉を一方的に破棄することによりその信頼を裏切ったことが責任の根拠とされる事例である︒ここでは︑交渉の進展自体が契約締結に対する信頼保
護義務を生じさせ︑その義務に違反して正当な理由なくその信頼を裏切る行為が義務違反と判断される︒
大阪地裁平成五年六月一八日判決 ︵
理由相当程度進行Xとの間に契約交渉がしているにもかかわらず︑︑Xが在日韓国人であることを主たる申込人がY人 介マンションの賃貸借につき︑仲介業者をしては入居の申込誘引行為をした賃貸︑ 28︶
として契約を拒絶した事案である︒同裁判所は︑﹁信義誠実の原則は︑契約法関係のみならず︑すべての私法関係を支配する理念であり︑契約成立後はもちろん︑契約締結に至る準備段階においても妥当するものと解すべきであり︑当事
者間において契約締結の準備が進展し︑相手方において契約の成立が確実なものと期待するに至った場合には︑その一
︵二九七九︶
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 六一二同志社法学 五八巻七号
方の当事者としては相手方の右期待を侵害しないように誠実に契約の成立に努めるべき信義則上の義務があるというべ
きである︒したがって︑契約締結の中止を正当視すべき特段の事情のない限り︑右締結を一方的に無条件で中止することは許されず︑あえて中止することによって損害を被らせた場合には︑相手方に対する違法行為として︑その損害につ
いての賠償の責を負うべきものと解するのが相当である﹂としたうえで︑Yが仲介業者を用いて賃貸借契約の申込の誘因行為を開始し︑YとXとの間で︑契約交渉が相当程度進行し︑Xが契約の成立を確実なものと期待するに至った以上︑
Yが合理的な理由なく契約締結を拒絶することは許されないとし︑さらに︑YはXが﹁在日韓国人であることを主たる理由として︑契約の締結を拒否したものと認められ︑右締結の拒否には︑何ら合理的な理由が存しない﹂と締結拒絶の
正当性も否定した︒
東京地裁平成一八年七月七日判決 ︵
Y関株式会社とする業を投資顧問等するに有価証券および委託の証券投資信託︑は 29︶
︵被告︶が不動産仲介業者X︵原告︶との間に建物の賃貸借契約をめぐって十ヶ月以上にわたって多数回の交渉を行い︑賃料や契約期間︑保証金額︑賃借対象階といった契約内容の主要部分についてはXY間で合意がなされており︑残され
た交渉の焦点はXの損害賠償責任制限条項︑非常用発電機の利用等に絞られていたにもかかわらず︑その後Y社会長の翻意により賃貸借契約の締結を拒絶したという事案である︒同裁判所は︑右のような契約交渉の進展度合いの高さを示
す事情を考慮して︑﹁契約締結の準備段階にあった被告は︑原告が近く本件建物の賃貸借契約が結ばれるものと信じて行動することが容易に予想できるものである︒従って︑被告は︑信義則上︑原告のかかる契約締結上の利益を故なく侵
害しないように行動すべき義務を負っており︑正当な理由なく原告の契約締結上の利益を侵害した場合には︑被告にいわゆる契約締結上の過失が認められ﹂るとした︒そして︑﹁被告が本件建物の賃貸借契約を結ばなかった理由は︑もっ
ぱらジョンソン会長の気が変わって本件建物への移転を承諾しなかったことに尽きるのであり︑本件賃貸借契約の内容 ︵二九八〇︶
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 六一三同志社法学 五八巻七号 に問題があったためではなく︑しかもジョンソン会長自身︑平成一五年九月三〇日に本件建物の賃借対象階を視察していたのであり︑被告側は︑その後四か月近く本件建物の賃貸借契約交渉を継続した後で︑ジョンソン会長が承諾しない
という理由で賃貸借契約の締結を拒絶したことは︑到底正当な理由があったとは認められない﹂として締結拒絶の正当性も否定した︒
東京地裁平成六年四月二六日判決 ︵
下請業者工場用建物の自動車部品られた迫を建築のう伴を溶接作業に緊急︑では 30︶
Y1
が︑事務所用建物資材の代替により建築を勧める建築業者X及び敷地所有者である別途の建築業者
Yと合意の下に︑右2
建物の建築請負契約の締結に向けて準備を重ねたが︑同建物の二階部分について予定していた用途では建築確認許可が下りないことが分かり︑
Yす力関係から離脱るて旨申し出たところ協い︑をがこのまま建築進抱めることに危惧を2
Yも1
それに追随して本件工場の建築を断念するに至ったことが︑準備を進めていたXとの関係で不法行為による損害賠償責任を構成するかが争われた︒同裁判所は︑﹁本件当事者間には右契約締結の実現のために尽力すべき協力関係ないし協
力義務が生じていたことは認められる﹂とする一方で︑契約締結に至らなかったことにつき﹁正当な事由﹂の存否を検討する︒そして︑建築確認申請で問題がある旨の指摘を受けたことにより計画遂行の無理が露呈したことを前提に︑こ
のような事態の下で︑
Yたじ︑事故が発生し場を合における施主及感険び接がXの提供する溶工危場用建物の﹁建築に2
請負人としての責任及び建築業者としての信用の毀損を慮り︑右建築請負契約の締結のための協力関係を離脱し︑⁝締結を拒否したことにはやむを得ない正当な事由があった﹂とし︑さらに︑
Yと否拒を結締約契のX︑し随追に応対のし2
た
Yらづくものと認めれにる﹂と判断して基由︑やの対処もまた﹁む事を得ない正当な1
Y及び1
した︒ Yの損害賠償責任を否定2
福岡高裁平成七年六月二九日判決 ︵
︑買間での土地の売契X約交渉においてYる取あともに不動産引はの専門業者で︑ 31︶
︵二九八一︶
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 六一四同志社法学 五八巻七号
買主であるY︵被告︑被控訴人︶が主導的に手続きを進めており︑YはY本社の稟議決済を条件とする買付証明書を売
主X︵原告︑控訴人︶に交付して︑その稟議決済さえ下りれば売買契約が成立するところにまで交渉は進展していたにもかかわらずYが契約締結を拒絶したという事案である︒同高裁は︑﹁契約締結の準備がこのような段階にまで至った
場合には︑被控訴人としても控訴人の右期待を侵害しないよう誠実に契約の成立に努めるべき信義則上の注意義務があると解するのが相当であって︑被控訴人が正当な理由もないのに控訴人との契約締結を拒んだ場合には控訴人に対する
不法行為が成立するものと言うべきである﹂としたうえで︑﹁本件のように︑被控訴人が主導的に契約締結に向けての手続きを進め︑その結果被控訴人本社の稟議決済さえおりれば売買契約が成立する段階にまで進んでいる事案において
は︑契約締結上の過失は当然に考慮されるべき﹂と判示し︑さらに︑﹁被控訴人が本件売買契約を締結しなかったことにつき正当な理由があることを認めるに足りない﹂としてYの損害賠償責任を肯定した︒
これらのほか︑最高裁昭和五八年四月一九日第三小法廷判決︵裁判集民一三八号六一一頁︑判時一〇八二号四七頁︶や最高裁平成二年七月五日第一小法廷判決︵裁判集民一六〇号一八七頁︶などの事案も本類型に分類することができる︒
⑶ 誤信放置型 本類型は︑契約交渉の一方当事者が交渉開始後に相手方が契約の条件や内容等について誤信していると知ったにもかかわらず︑告知することをせずそれを放置したため︑のちに契約締結に至らないという事例である︒これは︑当事者が
交渉を一方的に破棄したわけではなく︑契約締結の意図自体はあるが最終的な合意に至らなかった︵交渉が挫折した︶にすぎないという点に右に見てきた二つの類型との差異がある︒ここでは︑契約交渉の開始によって︑相手方の誤信を
防止し又は相手方の誤信を知った場合にはそれを訂正する義務が発生しており︑その義務に反して相手方の誤信を放置 ︵二九八二︶
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 六一五同志社法学 五八巻七号 したことが責任の根拠とされる︒
大阪高裁平成一七年七月七日判決 ︵
の過失責任喫茶店︒われた問が成否のの契約締結上のもとで事案のような次︑では 32︶
経営を業とするYが金属加工業を営むXに対してコーヒードリッパーの金型製造及び商品製造を依頼しその見積が欲しい旨伝えたところ︑金型や製品の詳細については未確定な要素があり︑またXはそのようなコーヒードリッパーの製造
は初めてであったことから︑Xとしてもその時点では金型製造がどのようになるか正確には確定できない状況であったため︑概算の見積をとして金額を算出しYに伝えた︒その後︑Yから金型製造を早くして欲しい旨の依頼があったため︑
最終的な金型製造代金や製品単価に関しては後日話し合うことにして代金額の合意がないままXは金型製造に取り掛かった︒Xは幾つかの金型の試作品を製造したがYから繰り返し設計変更の要望があり︑Xはこれに応じて金型の設計変
更を行った︒Xは本件金型を完成させ︑Yに対して金型製造代金の請求書を送付した後︑両者の間で代金交渉が行われたが合意には達せず︑金型製造契約は不成立に終わったことから︑Xは契約締結を信じて支出した費用の賠償をYに対
して求めた︒第一審である大阪地裁平成一七年一月二七日判決 ︵
以︑用はその分だけ高くなることは当然であるから被告としては代金額の合意をしないまま金型製造に取りかからせた 作費製のの一度製作した金型変は更をすれば︑金型︑﹁ 33︶
上︑予算額に限度があるのであれば︑予算の限度を明示して既に金型製造に取りかかって相当額の出捐をしてしまって
いる原告が変更の要望に応えられるかどうか検討させる余地を与えるべきであるし︑これをしないで金型を変更させたのであれば︑その変更によって発生した費用については契約金額に算入して契約を成立させるよう努力する義務がある
というべきである﹂としたうえで︑﹁被告は上記義務を怠り︑予算額を明示しないまま原告に金型の変更をさせた上で︑⁝変更をさせたことを全く考慮しない代金額を主張して契約不成立の結果を招いたのであるから︑被告には契約締結上
の過失があ﹂るとして︑Xに対するYの損害賠償責任を肯定した︒控訴審である大阪高裁判決も︑過失相殺により損害
︵二九八三︶
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 六一六同志社法学 五八巻七号
額は減額されたものの︑第一審の判決文をほぼそのまま引用して︑Yの契約締結上の過失責任を認めている︒
大阪地裁平成一七年九月九日判決 ︵
確されなかったため給与について合意に至らずY会社から採用︑が主意的に雇用上の権利を有する地位にあることの︑ ︶を原告Y会社︵被告︶への転職の要請受はけ︑勤務先の銀行を中途退職したX︵︑ 34︶
認等を求め︑予備的に契約締結上の過失に基づく損害賠償を求めた事案である︒Xは︑Yから直接に入社と再建への協力を依頼されたものであり︑Xが承諾しさえすれば相当よい条件で雇用されると期待して銀行を中途退職した︒その一
方で︑当初Yは︑Xの経歴などを見込んで︑Xが銀行において培った経理に関する知識や金融機関との交渉能力をYに提供できることを期待してXに転職を要請していたが︑交渉過程のなかでYはXの経理や銀行関係の実務についての知
識に疑念を抱き始めたことから︑給与等について一定の条件でしか雇用することができないと考えるに至った︒それにもかかわらず︑YはXに対して右のような意向を伝えることをしていなかった︒同裁判所は︑Xの主意的請求について
は棄却したうえで︑右事情を考慮して︑﹁被告としては︑⁝原告に対する評価を修正した結果︑原告との雇用契約を締結しないでおきたいと考えるようになった場合︑あるいは︑一定の条件でしか雇用することができないと判断するに至
った場合︵たとえば︑月額三〇万円以上の給与を支給することができないと考える場合︶︑できるだけ早期にその旨を原告に対して伝えるべきであったといえる︒原告に対し被告への入社と再建への協力を依頼したのは被告であることを
考えると︑上記義務の程度は︑より高いということができる﹂と判示して︑Xの誤信を放置したことにつきYの義務違反を認めた︒もっとも︑Xの退職による損害︵信頼利益︶の賠償については︑﹁被告の契約締結過程における信義誠実
義務違反︵契約締結上の過失︶を認めることができるのは︑被告が︑原告が想定しているであろう給与に比べると︑著しく低額である金額の給与でしか雇用契約を締結できないと判断するに至ったにもかかわらず︑これを原告に告げず︑
放置したことにあるところ﹂︑原告が退職届を提出した時点では︑﹁未だ︑上記の判断をすることができたと認めるのは ︵二九八四︶
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 六一七同志社法学 五八巻七号 困難﹂として︑義務違反と損害の因果関係を否定し︑慰謝料についてのみ賠償を認めている︒
3
小括 交渉挫折に関する裁判例はここで紹介したほかにもとりわけ下級審レベルで多数存在するが︑右のような責任の認定方法はそれらにほぼ共通している︒裁判例によって示されているこうした交渉挫折の責任根拠は︑契約交渉過程で特別な社会的関係に入った当事者間において形成された法的信頼関係の毀損による責任であり︑それはまさに信義則よって
生ずる法定債務関係に基づく信頼責任にほかならない︒
交渉挫折型事例の分類として︑学説には︑﹁誤信惹起型︵惹起の時点からすでに誤信︶﹂と﹁信頼惹起型︵惹起の時点 では誤信ではない︶﹂を区別し︑その帰責根拠を前者の場合には誤信の惹起︵説明義務違反︶に︑後者の場合には交渉破棄自体に求めるとする捉え方も見られる ︵
るときに発生見から観点という違反とそのの行為規範ないし義務︑しかし︒ 35︶
は︑惹起したのが信頼であろうと誤信であろうと︑それを惹起したことが信頼保護義務の発生という効果をもたらし︑それを裏切ることが義務違反とされることに何ら変わりはなく︑両者を区別する必要はないように思われる︒誤信惹起
型の帰責根拠が誤信の惹起自体︵説明義務違反︶にあるとすれば︑一旦誤信が惹起されてしまえば義務違反があったこ
とになってしまうが︑誤信を惹起してもその誤信内容を事後的に実現すれば︑そこに義務違反性を肯定する必要はない︒信頼ないし誤信の惹起によって発生するのは︑契約締結義務ではなく︑あくまでも相手方の信頼保護義務であり︑一方
的な交渉破棄によって違反したと判断されるのもその信頼保護義務違反なのである︒このような理解をもとにすれば︑裁判例が契約締結を義務づける形で消極的な意味での契約自由の原則と抵触しているとの判断には至らないはずであ
る︒
︵二九八五︶
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 六一八同志社法学 五八巻七号
他方で︑この先行行為型に交渉進展型を加えた二種の信頼裏切り型に対して︑残された誤信放置型の位置づけは難し
い︒誤信放置型は︑相手方の誤信︵ただし︑一定の契約内容ないし契約条件下での締結に対する誤信であり︑単なる契約締結に対する誤信ではない︶を解く行為の懈怠自体に帰責根拠が存していることからすれば︑厳密には交渉破棄類型
とは区別されるところの一種の説明義務違反事例にあたるのかもしれないが︑結果的に契約締結に至らない点を強調すれば他の説明義務違反事例群とも多少の異質性が窺われ︑やはり交渉破棄類型にそれを取り込んで総称的に交渉挫折類
型とすべきようにも思える︒いずれにしても︑それらを同じく信頼責任法理の発現ケースとして捉える以上は︑そうした類型論上での位置づけのみを取り出して論じることは実益に乏しい︒むしろ︑議論の目的は各類型における信頼対象
の違いとそれを起因とする信頼保護義務の発生時期に関する相違点にこそ置かれるべきであろう︒
概して︑先の検討で見てきたように︑様々な方面に広がった学説による交渉挫折の責任根拠に関する論争は︑詳細で
は幾つかの相違点があるものの︑結局のところ﹁意思﹂か﹁信頼﹂かという契約責任論のきわめて根本的な部分に帰着していることが分かる︒こうした帰責構造としての﹁契約構成と信頼責任構成の対峙﹂現象は︑契約締結上の過失の問
題領域のみならず契約責任論全般において各所に確認することができ︑それは今後の議論を進めていくうえでも一つの重要な視点となるであろう︒
三 別角度から見える糸口
―
第三者責任論との連関―
冒頭でも述べたように︑本件は可能的契約関係にない二者間での信頼責任が問われたケースである︒将来に向けての契約交渉関係にない二者間でも信義則に基づいて相手方の信頼を保護する義務が発生しうるのか︒こうした法命題解決 ︵二九八六︶
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 六一九同志社法学 五八巻七号 の糸口は︑意外にも交渉挫折型契約締結上の過失とは違った領域においても垣間見られる︒それは︑﹁第三者のための保護効を伴う契約︵Vertrag mit Schutzwirkung für Dritte︶﹂や﹁第三者の契約責任︵Dritthaftung︶﹂といった法形式を 伴って︑旧来からすでに議論の壇上にあがっていた ︵
学説りあでのもたれさ受継らやか ︵ 判例理論じくドイツの同と過失の契約締結上︑はいずれも両法理︒ 36︶
為拡れを契約責任の大﹂︵とするか不法行こ大失拡約締結上の過が︑﹁責任の時的契 37︶
責任の拡大とするか︑あるいは第三類型としての信義則に基づく法定責任の擁立とするかはともかくとして︶の機能を果たす横軸の制度であるのに対し︑これら二つの法理は﹁責任の人的拡大﹂に目指された縦軸の理論であると理解され
ている ︵
な類型扱ってきた事案そのものとは異なる新たなであることは確かだが︑その基本的構造は両ケースの重畳的スとして ケー中心的づけをが視点で見たとき︑本判決の位置考︒えるのは非常に困難である︒これまで各理論このような 38︶
性格を有するもの︑すなわち﹁責任の時的・人的拡大﹂ケースとして理解することができるようにも思われるし︑またそのいずれでもないようにも思われる︒
第三者のための保護効を伴う契約の法理は︑債務者は債権者に対してだけではなく債権者と一定の関係にある第三者︵直接的な契約関係にない第三者︶に対しても契約法上の保護義務を負っており︑その違反は契約責任を生ずるという 理論であり ︵
にに契約された締結や事例んだ及が被害第三者によって︶積極的債権侵害︵不完全履行においても国わが︑ 39︶
付随する安全配慮義務の第三者への拡張場面で裁判例にも上っている ︵
岐阜地裁大垣支をわれた問が責任の小売業者で事案になった食中毒が家族しその購入卵豆腐された汚染に菌サルモネラ が買主から小売業者︑なものとして代表的その︒ 40︶
部昭和四八年一二月二七日判決 ︵
理になでけだ主買単︑︑﹁は務義意注きく信す使合が費消・用の義物的目のそ上則べ慮上を財産の法配益害しないよう が売主の売買契約生命︑は同地裁に買主・対し信義則上負っている買主のがある身体・︒ 41︶
的に予想される買主の家族や同居者に対してもあると解するのが相当である﹂とし︑その法的構成に関しては﹁売買の
︵二九八七︶
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 六二〇同志社法学 五八巻七号
交渉に当った者がその家族や同居者のためにそれらの者の使者又は締約補助者として売買契約を結んだもので︑それら
の者全員が買主であるとか︑買主がそれらの者に対する注意義務を伴う契約︵第三者のためにする契約︶を結んだからだと考えることもできよう﹂と述べる︒ここでは﹁第三者のためにする契約﹂という表現が用いられているが︑それは
第三者に対して給付義務ではなく保護義務としての注意義務のみを伴う契約を意味するものであるから︑その実質はまさに﹁第三者のためにする契約﹂とは区別されるところの﹁第三者のための保護効を伴う契約﹂を指すものである ︵
︒こ 42︶
のように︑第三者のための保護効を伴う契約法理は︑可能的契約関係にない第三者に対しても一定の範囲で信義則に基づく︵狭義の︶保護義務を負うことを認めている︒しかし︑それは︑当事者の契約に依拠してその効力を第三者にまで
拡張するものであるから︑本判決とは法的構成の面で大きな違いがある︒
むしろ︑﹁第三者の契約責任﹂として括られる問題領域のほうが本判決とのかかわりは大きい ︵
︒これまでに第三者の契約 43︶
責任が論じられてきた中心的ケースは︑契約外の第三者の誤った情報によって︑あるいは第三者が情報を提供しなかったことによって︑当事者が不利益な契約を締結してしまった場合︵ドイツ判例法理の﹁プロスペクト責任︵Prospekthaftung︶﹂
事例等︶である ︵
誘伝情報を伝え︵または情報をえず誤︶誤った認識のもとに当事者間での契約締結をったに交渉当事者が第三者などの 銀行ば︑契約準備交渉段階で契約委託関係になどのはない︒金融機関や不動産取引業者︑税理士たとえ 44︶
導した場合などがそれにあたる︒ドイツの学説においては︑従来からその責任根拠として﹁黙示の契約﹂や﹁第三者のための保護効を伴う契約﹂とならんで︑﹁信頼責任﹂の法理が主張されていた︵ここでも契約構成と信頼責任構成の対
峙が見られることに着目されたい︶︒それは︑契約関係にない第三者︵専門家︶に情報提供責任が生じる根拠を︑その第三者たる専門家が社会的に一定の関係に入った者に対して自らへの特別の信頼を惹起しておきながら︑誤った情報を
伝える等の行為によってその信頼を裏切ったことに求める︒その意味では︑プロスペクト責任は可能的契約関係にない ︵二九八八︶
契約締結に対する信頼を損なった第三者の信義則上の責任 六二一同志社法学 五八巻七号 二者間における信頼責任法理が具体化された一場面であり︑反対に言えば︑信頼責任法理はそうした可能的契約関係にない二者間においても妥当することがこの領域ではすでに指摘されていることが分かる︒
わが国においても︑こうした契約関係にない第三者の情報提供責任の問題は︑とりわけ金融機関による与信情報の提供や変額保険等の提携型融資などのケースを中心として︑従前から下級審レベルでは多数見られたが︑最近では最高裁 判決にも一部あらわれてきており ︵
信頼の兆しにある︒この問題に対する学説評価肯定は︑プロスペクト責任論に示唆を得てされるが情報提供義務にも者 信義則上﹁特段の事情﹂がある場合のには︑義務として契約関係にない第三そこでは 45︶
責任の問題として扱うべきとする見解 ︵
︑第三者による債権侵害の問題として処理することができるとする見解 46︶︵
に﹁﹂作為義務づく基であるとする先行行為じられている一種論において違法性論の見解の ︵ ︑不作為 47︶
︑専門家責任論の観点から 48︶
のアプローチを試みるもの ︵
︒されている示唆も可能性する 変競合や可能性わるによって対象事例は法的構成その︑にあり錯綜状況している乱立などが 49︶
だが︑いずれにしても︑そこで言われている︵広義の︶保護義務たる情報提供義務の人的拡張原理は︑本件のような契約締結に対する信頼ないし期待の保護とも広く共通するものであり︑本件最高裁判決における問題も今後はこうした
第三者の情報提供責任や専門家責任の問題領域とも照らし合わせながら総合的に検証していく必要があるだろう︒
なお︑ドイツでは近年の債務法現代化に伴い︑こうした第三者の情報提供責任は契約締結上の過失と同一の規定のなかで一種の信頼責任として立法的にその根拠基盤を獲得するに至っており︑その規定は同時に第三者保護 00事例︑すなわ ち従前の﹁第三者のための保護効を伴う契約﹂法理の問題領域をもその射程に置いたものとなっている ︵
潮契わけ情報責任論における約と構成から信頼責任構成へのり︵契向年のドイツにおける約責任の第三者拡張論の動 ︒近このような 50︶
流︶については︑稿を改めて詳しい紹介と検討を予定している︒
︵二九八九︶