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日本語学習者の口頭発表データに見られる文末表現の問題

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日本語学習者の口頭発表データに見られる文末表現の問題

― 論証の過程における判断の示し方に注目して ―

八木真生・大津友美

キーワード:アカデミック・ジャパニーズ、上級日本語学習者、口頭発表、文末表現 話し手の判断

1. はじめに

 日本語学習の最終目標を、大学での学習や研究活動に必要な、いわゆるアカデミック・ジャパ ニーズを身につけることとした場合、上級レベルでは、実際に、専門的なテーマについて研究発 表を行ったり、レポートや論文を書いたりすることが求められる。例えば、「JLPTUFSアカデミッ

ク日本語Can-doリスト」(東京外国語大学留学生日本語教育センター,2017)では、専門的な

テーマについて、研究発表を行ったり、レポートや論文を書いたりできるようになるレベルが上 級レベルとされている。

 では、研究発表を行ったり、レポート・論文を書いたりするためには、具体的にどのようなス キルが求められるのだろうか。佐渡島・吉野(2008)によると、先行する研究を踏まえた新しい 発見を書いて公に発表したものが学術論文である。これに倣うと、口頭で公に発表したものが研 究発表ということになるであろう。いずれの場合も、他者が書いた文献などからの引用と、自分 の研究の結果わかったこととを明確に区別し、自らの学術的貢献が他者にわかるようにすること が求められる。

 そこで、まず必要となるのは、適切な引用の技術である。引用部分と自説とを区別し、引用元 の出典を明らかにしなければ、研究上の深刻な不正行為とみなされる。そのため、引用のルール や表現は、日本人学生へのリテラシー教育ではもちろん、留学生へのアカデミックな日本語の教 育においても重要な指導項目とされ、論文作成やアカデミックスキル養成の教科書に取り上げら れることも多い。また、具体的に引用に関してどのような問題があるのか、なぜそのような問題 が起こるのかを分析した研究も行われている(山本,2016;中村他,2016;大津・八木,2017 な ど)。

 一方、適切な引用の技術と同時に、身につけておかなければならないのは、自身の研究結果を わかりやすく伝えるための技術である。しかし、それについては、その表現形式が教科書に紹介 される程度で、引用ほどの重点的な指導や問題点の検討は行われていない。上級日本語学習者の 口頭発表やレポートを見ると、学習者自身の考察のポイントが何なのかはっきりわからないこと がある。なぜそのような事態になってしまうのか、自身の考えの述べ方に焦点を絞り、その問題 点を明らかにする必要があるのではないだろうか。

 研究発表やレポート・論文で自説を述べるためには、何らかの根拠を挙げて自身の判断を述べ る論証の過程が必要である。自身の判断を述べる際には、「以上の結果から判断すれば、~」「以 東京外国語大学国際日本学研究 プレ創刊号 Tokyo University of Foreign Studies Japan Studies Review №0

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上から言えることは、~」のように、前置きをすることで、聞き手や読み手に後に続く内容を予 示するという方法が取られることがある。一方、文末では、「である」「と考えられる」「と言え る」といった表現で、断定や推定などといった話し手の判断・態度を表す必要がある。前置きは、

ある程度、形の決まった表現なので、使用はさほど難しくないと思われるが、文末表現は、話し 手の判断・態度に応じて適切なものを選択しなければならない。自説が適切に伝わらないという 問題には、このような文末表現の運用の問題が関わっているのではないだろうか。

 そこで、本研究では、論証の過程において自身の判断を述べる際に用いられる文末表現に注目 し、日本語学習者による口頭発表を談話分析する。そうすることにより、文末表現の選択が、自 説を適切に伝える上でどのような問題を引き起こしているのか、そして、なぜ学習者はそのよう な文末表現を使用してしまうのかを明らかにする。

2. 先行研究

 論証の過程において自身の判断をどのような文末表現を用いて表すかは、レポート・論文を分 析対象とした研究において論じられている。口頭発表を分析対象とした研究は管見の限り存在し ないが、レポート・論文における文末表現の使用と共通する特徴も見られるであろうと思われる。

そこで、本節では、2.1 節で、日本語母語話者によって書かれたレポート・論文における文末表 現に関する研究を概観する。日本語母語話者を対象とした学部初年次教育や留学生を対象とした アカデミック日本語教材において、自説の述べ方がどのように扱われているかも見ていく。その 後、2.2 節では、専門性という点で性質は異なるが、意見文や感想文といったジャンルの文章の中 での日本語学習者の意見の述べ方に関する研究を概観する。

 

2. 1 レポート・論文における文末表現

 これまでの研究により、レポート・論文を構成する各セクションにおいて用いられる表現形式 の特徴が明らかにされてきており、その中で自説を述べる際に用いられる文末表現についてもそ の特徴が明らかにされている。

 例えば村岡(2001)は、農学系学術雑誌の論文の中の「結果および考察」のセクションに見ら れる文体的特徴について論じている。分析の結果、動詞述語類では、タ形と受身形が、テイル形 とル形より多く用いられていたとしている。タ形で高頻度に用いられていた動詞は、「示した」と

「なった」で、それぞれ図表に言及する文、実験や調査の結果を示す文で用いられていた。一方、

受身形で高頻度に用いられていた動詞は、「考えられる」「認められた」「見られた」といった論文 著者の認識的態度を示す動詞であり、これらは実験結果や先行研究をもとに考察を行う場合に使 用されていたと報告している。

 日本語母語話者を対象とした学部初年次教育や、留学生を対象としたアカデミック日本語の教 材においても、論文の各セクションにおいて、どのような表現形式を用いるべきかを解説してい るものがある。たとえば、二通他(2009)は日本語母語話者・学習者を対象としたレポート・論 文作成のためのハンドブックであるが、レポート・論文の各セクションで用いられる表現が実例 とともに収録されている。考察のセクションで用いられる表現としては、「(実験・調査)の結果 から、(解釈内容)と[言える/考えられる]」などが提示されている。石黒(2012)では、論文 の各セクションにおいて、どのような動詞、活用形が多く用いられるかが解説されている。その

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うち論証の過程における判断の示し方に関するものとしては、調査結果の背後にある、目に見え ないメカニズムを想定する時には、「思われる」「見られる」のように自発・可能の思考・伝達動 詞が多く使われると説明している。

 さらに、石黒・筒井(2009)のように、日本語学習者が論文やレポートなどを書くときに間違え やすい表現を取り上げ、練習が考案されている教材もある。自身の判断の示し方のバリエーショ ンとして、主観的な言い方の「と思う」、客観的な言い方の「と思われる」、そして個人的な言い 方の「と思える」を提示し、使い分けを解説している。また、引用と自説の区別の必要性につい て扱っている課もある。自分の意見を読み手に納得させるためには、根拠となる事実を示すこと が大切だとし、意見を表す表現(「と考えられる」「だろう」など)と、他者から得た事実を表す 表現(「~は、~と述べている」など)を紹介し、それらを区別して表す練習を提供している。一 方、論文・レポートだけではなく、口頭発表のための教材の中にも、発表の各セクションで用い られる表現形式がまとめられ、練習が用意されているものもある(犬飼,2007;山本,2007)。

 自身の考えを述べる際に用いられる表現形式に関するこれらの知識は、学習者にとってもちろ ん必要なものであろう。しかし、これらの教材を学習者に提示し、セクションごとに用いられる 表現形式を確認させるだけでは、指導として十分ではないであろう。学習者に見られる問題点を 把握した上で、効果的な指導法を再考する必要があるのではないだろうか。

2. 2 学習者の意見文・感想文における文末表現

 日本語学習者を対象とした研究には、社会的なテーマで意見文や感想文を書かせ、そこで意見 表明に用いられた文末表現を分析したものがある。

 渡部他(2005)は、感想文をデータとし、そこでの学習者の文末モダリティ表現を母語話者の ものと比較している。学習者の文には、命題で終わる文が多く、学習レベルが上がるにつれて、

文末モダリティ形式の使用が増えていくと指摘している。さらに、母語話者は、文末モダリティ 形式の中でも「と思う」「気がする/感じがする」「だろう」など多様な形式を用いていたのに対 し、学習者は「と思う」のみを多用していたとしている。俵山(2010)は、日本人と学習者が書 いた意見文を対象に、段落末や文章末など、談話終結部の文末表現の出現傾向を探っている。そ の結果、母語話者は、思考動詞、「のだ」、「問題である」「賛成です」といった名詞述語文など、

特定のいくつかの文末表現を用いていたのに対し、学習者は、文末表現を伴わない無標の動詞を 用いたり、「か」や「べきだ」など母語話者があまり用いない形式を使用したりする傾向にあった と報告している。

 通常、レポートや論文を書く際には、あらかじめ資料を集め、準備した上で執筆を始めるのに 対し、これらの研究で分析の対象となった作文はそういった準備は必要とされてはいなかった。

作文にも様々な種類があるだろうが、これらの作文では、意見はすでに自分の中にあったもので あり、論拠として挙げることがらも一般的に知られているような事実にとどまるため、複雑な論 証の過程がない。そのため、レポートや論文、さらに本研究が分析の対象とする口頭発表では、

意見文や感想文とは異なった問題が見られることが予想される。参考文献からの情報や自ら行っ た調査結果に基づいて論証する必要があるため、学習者は、村岡(2001)、石黒(2012)で挙げら れていたような様々な文末表現を複雑に使い分ける必要がある。

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3. 研究方法

 さて、論証とは、何らかの根拠を挙げて判断を述べることである。研究発表やレポートで行わ れる論証と言うと、一般的に、「結果と分析」といった章でなされる、自身の行った調査結果や収 集した事例を根拠とした判断述べを想起するかもしれない。しかし、研究発表のデータを見てい くと、それだけでなく、実験方法の説明の中で、理論に基づいた実験結果の予測を行ったり、一 連の考察を踏まえ発表の最後に最終的な結論づけをしたりする局面などにも、論証の過程が含ま れていることが分かった。そこで、本研究では、発表の中のどの部分に現れるかに関わらず、こ れらすべての論証の過程を分析の対象とする。本研究では、上級レベル学習者が、口頭発表にお ける論証の過程で自身の判断を示す際に用いる文末表現に注目しながら談話分析を行う。それに より、文末表現の選択がどのような問題を引き起こすのかを明らかにした上で、学習者はなぜそ のような文末表現を使用してしまうのかについて考察する。

 分析の対象としたのは、筆者らが担当した「総合日本語」という上級クラスでの学習者 12 名 分の口頭発表である。このクラスでは、各自、研究テーマを選び、4 ページ程度のレポートを仕 上げ、15 分程度の口頭発表を行う。学習者が選ぶテーマは、「ゲーム理論」「日本のストリート ファッション」「仮想現実(VR)」「絶対音感」など多岐にわたっていた。

 学習者がレポートも書いているにもかかわらず、本研究が口頭発表を分析対象とするのは、次 の理由からである。口頭発表では、発表者は発表内容をその場で言語化し、聞き手は即座に理解 する必要がある。レポートは読み直しが可能だが、口頭発表は聞き直しが不可能なので、聞き手 にとってわかりやすい表現を瞬時に選択することが求められる。学習者にとっては、そのような 状況で文末表現を適切にコントロールすることは難しいであろうが、だからこそ、口頭発表にお ける問題点を明らかにし、指導につなげる必要がある。そこで、単なる原稿読み上げではない口 頭発表の談話をデータとすることにした。

 口頭発表はすべて録音・録画し、文字化した。口頭発表時に配布されたハンドアウトやスライ ドも参考にしながら録音・録画データと文字化資料を観察した。まず、筆者ら 2 名1が別々に、

論証の過程で自身の判断を述べている箇所で、文末表現の選択が適切な箇所と不適切な箇所を特 定し、その後、結果を付き合わせた。その際、2 名の間で判断の不一致があった箇所については、

協議をし、適切か不適切かを決めた。口頭発表のテーマが専門的である上に、学習者の発話には 意味や伝達意図の曖昧な箇所も多々あった。さらに、文末表現の解釈は文脈依存性が高く、分析 者間の判断の不一致は不可避であった。しかし、不一致箇所をすべて分析対象から除外するとい うやり方では、かえって解明しようとする現象の現実の姿を歪めると判断したため、協議の上、

適切性の判断をするという手続きをとった。その後、不適切な箇所については、そのような判断 に結びつく要因を検討した。

 本研究において使用するのは、教育実践の中で得られたオーセンティックな談話データである。

このような談話は、それが生起した状況が個々に異なるため、実験をして得られたデータのよう な均質性に欠ける。各学習者は異なったテーマで発表している。また、学習者は研究を行う上で、

教師による個別指導を受けているが、指導の際に教師がどれだけ深く関与するか、その程度は学 習者によって異なる。しかしながら、実際の教育的文脈での口頭発表をデータとすることで、そ のような談話でどのような問題が起こっているのか、その現実の姿に近接できるのではないだろ うか。また、その教育的文脈を熟知している教師自身による分析であるからこそ、そのような問

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題が起こっている原因を多面的に検討できるのではないだろうか。

4. 学習者の背景・既習事項

 今回、研究の対象とした学習者の学習背景は、次の通りである。学習者は、学部進学前の予備 教育課程の学生で、滞日歴は 9 ヶ月である。4 月にゼロから日本語学習を始め、12 月までに中級 段階の学習を終えている。そして、上級レベルの「総合日本語」授業は、1 月から 2 月にかけて 行われる。

 この学習者たちが中級段階までに学習している項目は、表 1 の通りである。口頭表現指導にお いては、「自国の学校制度」「文化紹介」「自国の環境問題/人口問題」といったテーマで 5 分程度 の発表を行う練習をする。その課題においては、データや文献からの情報はほとんど必要がなく、

人口の話をする時などに政府の統計を引用する程度であり、順序だてて論拠を示しながら主張す るような複雑なタスクはまだ行われていない。口頭発表において必要な文末表現としては、将来 の予想や自分の考えについて話す時に使う、「んじゃないかと思います/のではないかと思いま す」を学習している。一方、文章表現指導においては、原稿用紙半分から 1 ページ程度で、「小学 校から英語教育を始めるべきか」「拡声器を禁止すべきか」といったテーマの意見文を課してい る。この課題に関しても、データや文献からの情報はほとんど必要なく、自分の中にあるものを 材料に書くことだけが求められている。自分の意見を表す表現として、「と思う/考える」「だろ う」「のではないか」「と思われる/考えられる」を学習している。

表 1 中級段階での学習項目(教科書からの抜粋)

口頭表現 課題:

 ①自国の学校制度  ②文化紹介 

 ③自国の環境問題/人口問題 文末表現:

将来の予想や自分の考えについて話す  「んじゃないかと思います/

  のではないかと思います」

文章表現 課題:

①小学校から英語教育を始めるべきか

②拡声器を禁止すべきか 文末表現:

意見の表現

 「と思う/考える」

 「だろう」「のではないか」

 「と思われる/考えられる」

(横田・伊集院,2010;工藤,2013)

 次に、上級「総合日本語」クラスにおいて、学習者が口頭発表に至るまでに受けている指導に ついては、表 2 のとおりである。口頭発表及びレポートの指導は、週 3 回のペースで約 6 週間に わたり行われ、総コマ数は 15 コマであった。そのクラスで行われた指導は、レジュメの書き方、

アウトラインの発表、文献検索の仕方・選び方、良い発表を考える、口頭発表の談話構成と話題 移行の示し方、口頭でのブックレポート、図表説明のし方、参考文献表の書き方などであった。

 口頭発表、レポート作成に向けて上記のような表現練習をしたが、論拠を示した上で主張をす るという練習は、取り立てては行わなかった。

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表 2 上級段階での指導内容(口頭発表・レポート関連)

総コマ数:15 コマ(週 3 回、6 週間程度)

学習項目・活動:

レジュメの書き方、アウトラインの発表、文献検索のし方・文献の選び方、良い発表を考え る、口頭発表の談話構成と話題移行の示し方、口頭でのブックレポート、図表説明のし方、

参考文献表の書き方

5. 結果と考察

 文末表現の不適切な選択が行われた箇所を検討した結果、不適切な使用により、以下の二つの 問題が生じていた。

 ① 自らの判断であることが伝わらない。

 ② 研究発表のルールに対する理解不足という印象を与える。

 この二つの問題には、どのような文末表現の使用が結びついているのだろうか。また、なぜそ のような文末表現を学習者は選んだのだろうか。以下、5.1、5.2 で、これらの問題点について、例 を示しながら論じる。

 尚、検討する例には、文末表現以外に、文法・語彙の誤りや説明不足といった別の問題が同時 に起こっているものもある。しかし、仮にそれらをすべて修正したとしても、文末表現の不適切 な使用によって自説が適切に伝わらないという問題が生じていると判断できたため、文末表現に 注目して分析を行うこととする。

 尚、談話例の中で、議論の焦点となる文末表現には   を引く。また、長い談話においては 問題の文を際立たせるために   を施す。学習者の発話の誤りや不適切な表現により、全体の 意味が分かりにくくなっている箇所は、必要に応じて、   を引き(→ )内に言い換え可能性 を示す。

5. 1 自らの判断であることが伝わらない

 論証を行う際には、自身の行った調査結果などの客観的な根拠に基づいて、答えを導き出す必 要がある。そこでは、客観的な事実を断定形で表し、自身の判断を「と考えられる」のような文 末表現で表すといった方法で、明確に区別する必要がある。しかし、本研究のデータでは、学習 者が両者の区別を明確にせず、すでに確定した事柄を述べるように自らの意見や推論結果を述べ ている場合が見られた。その結果、肝心の主張が何であったのかがわかりにくくなってしまって いた。

 例 1 は、学習者Jが論証の際に、根拠とする事実の説明の後、そこから導き出した自身の判断 を断定形を用いて表してしまった例である。Jは、「ポケモンナズロックチャレンジは公式ゲーム プレーになりえるか?」という発表を行った。「ナズロックチャレンジ」とは、本来のポケモン ゲームとは別のルールを作って縛りを課して、難しくした遊び方のことである。Jは、ポケモンの ナズロックチャレンジを公式ゲームプレーとして認めて発売できるかどうかを、ブランドアイデ ンティティ理論に依拠して検討している。ブランドアイデンティティは、6 つの要素から構成さ れるものであり、ナズロックチャレンジが各要素を満たすかどうか分析することにより評価しよ うという研究である。ここでは、その一つ「ブランドと消費者の関係」という要素について、ポ

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ケモンブランドの持つ、プレイヤーとポケモンの間の「友情」という特徴をナズロックチャレン ジも備えているか検討している。

  【例 1 学習者J】断定形の文末を使用している箇所は「Φ」で示す。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12

まずはナズロックの基本定理は、ポケモンは元気を取り戻せることで す、しか、あ、もと、戻せないことです。それで、これは友情から考え ると、はい、あ、ポケモンが、友情、あ、友達としてより強く感じらせ される(→感じさせられる)ことですΦ。これはどういう意味かという と、例えば、私は再びポケモンゲームをします。このポケモンゲーム は、負けて、そしてもう元気を戻ります。そして再びチャレンジしま す。負けて再びポケモンの元気も戻ります。しかし、それを繰り返せ ば、時々運がよっかった、そして勝利しました。私は子どものとき、こ のようなゲームをします。でも、これをし、これをすると、ポケモンは 実は道具みたいにかわると考えられます。だから、ポケモンは大切にし なさいという声があって、このナズロックチャレンジに、あ、そのチャ レンジは、この面をこの声をもっと強く伝えられますΦ。

 ナズロックチャレンジでは、通常のポケモン公式プレーとは異なり、ポケモンは死んでしまっ たら、それでゲームオーバーになる。そのため、プレーヤーがポケモンに対して持つ友情はより 強くなるというのがJの評価である。この談話は、まず 2 行目からの網掛け部分で、その評価内 容を簡潔に述べ、その後その根拠を説明し、11 行目からの網掛け部分で「ナズロックチャレンジ は、友情という要素をより強く伝えられるゲームである」という評価を繰り返して論証を締めく くる構成になっている。

 2 ~ 4 行目の文、及び 11 ~ 12 行目の文の文末を見ると、自身の評価を述べているにも関わら ず、「と思われる」「と言える」などの表現ではなく断定形が用いられている。このうち 2 ~ 4 行 目の文に関しては、文頭で副詞節「~から考えると」を用いて、自身の考えであることは示して いるため、文末に「と言える」のような表現がなくてもさほど問題はないのかもしれない。問題 は 11 ~ 12 行目の文である。ここは、ポケモン公式プレーの「負けても何度でも復活できる」と いうルールと、それによって起こる冷酷な遊び方、消費者の否定的な反応といった事実を説明し た後で、それを根拠として、ナズロックチャレンジについて評価を述べる位置である。にも関わ らず、「この声をもっと強く伝えられます」と断定形を用いているために、これが自身の評価であ ることがはっきりせず、この部分も先ほどからの事実説明がまだ続いているかのように聞こえて しまい、論証がなされたことが聞き手に伝わらない。公式プレーに関する事実説明に対比させ、

ナズロックチャレンジに対する評価を締めくくるには、「一方、このナズロックチャレンジは」と 話題の転換を明示した上で、文末に「と言える」を用いて、「この声をもっと強く伝えられると言 えます」などとするのがよいであろう。

 同様の不適切な断定形の使用は、実験結果の予測を行う箇所においても見られた。学習者Bは

「封筒交換ゲーム」という実験を行った。「封筒交換ゲーム」とは、被検者 2 人がそれぞれお金の 入った封筒を渡され、それを相手と交換するかどうか選択するというものである。相手の封筒の 金額はお互い知らないが、自分の 2 倍または 1/2 倍と決まっている。二人とも交換を望めば、交

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換が成立することになっている。Bは実験に先立ち、「被験者は皆、封筒の交換を望むだろう」と いう予測を立てた。例 2 は、なぜそのような予測にたどり着いたのかを説明しているところであ るが、7 ~ 8 行目で、その予測を述べる部分に、不適切な断定形の使用が見られる。

  【例 2 学習者B】断定形の文末を使用している箇所は「Φ」で示す。

1 2 3 4 5 6 7 8

例えば、マナさんが封筒を開けたら、中には、あ、40 円の金額が入って います。マナさんは、次のように考えるだろう、でしょう。私の金額は 40 円ですから、アリさんは 80 円か、20 円、この 2 つの場合にしかあり ません。もしアリさんは 80 円もらったとしたら、私と交換すると、私は 40、あ、40 円の利益が得られます。でも一方、アリさんは 20 円のとき 交換すると、あ、20 円損することになります。でも、利益は差損より大 きいので、交換したほうがいいと被験者が思うかもしれません。でも、

は、だから、みんなは交換する可能性が高いですΦ。

 学習者Bは、まず、マナさんという想像上の人物が 40 円の金額を手にした場合を例としてそ の行動を予測し、それをもとに、7 ~ 8 行目の文で「みんなは交換する可能性が高い」と被検者 全体の行動予測を帰結させている。ここは、それまでの流れを踏まえるとどのような予測が成り 立つか示すべき位置であるので、「だから、みんなは交換する可能性が高いと考えられる」のよ うに推定の文末表現を用いる必要があるであろう。しかし、学習者Bはここで断定形を用いてし まっているため、予測を述べたことが伝わらず、わかりにくくなっている。

 本研究のデータを分析した結果、自身の判断を述べるところで断定形を用いている例は、4 名 の発表で観察された。学習者は、中級段階の学習で既に「と思われる」「と考えられる」という 表現は学習済みであるのに、なぜこのように断定形を用いてしまうのだろうか。その原因として は、これらの文末表現がそもそも習得が難しいことが考えられる。今回の口頭発表データ 12 件 のうち、「と思われる」「と考えられる」「と言える」という文末表現を使用していたのは学習者J の一名のみで、「と考えられる」の使用が 3 回あった。これらの表現がこれほど習得が難しい原因 については、より多くの使用例を集め、学習者の母語との比較等の分析を行わなければ正確には 解明できない。

 しかし、それ以外の要因として、中級と上級で求められる課題の違いが影響していることが考 えられる。意見を述べたり社会問題について口頭発表したりする中級のタスクにおいては、根拠 をもとに意見や主張を展開することは求められるが、複雑な論証までは求められない。聞き手に とっては、根拠を聞けば、次にどのような意見や主張が続くのか予測可能な比較的単純な構造の 談話である。そのため、これらの文末表現を使用しなくてもそれが発表者の意見であることぐら いは伝わるであろう。

 一方、研究発表は、専門性が高いため、聞き手にとっては、この分野で何が前提となっていて、

話し手が新たに論証したいことがらとは何かは、必ずしも明らかではない。根拠の提示がいつま で続くのか、そこからどのような主張がなされるか、先の展開も予測できない。そのため、どこ までが根拠の説明であるのか、そこからどのような主張が導かれるのかを明確に区別する表現形 式を用いる必要性が生じる。根拠となる事実の説明は断定文を用い、自身の判断は「と思われる」

「と考えられる」「と言える」などの文末表現を用いることにより、その区別を明示することが必

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要となるのである。このように、中級レベルの口頭発表課題と上級レベルの研究発表との間には、

課題遂行に求められる文末表現の使用に関して隔たりがあるにも関わらず、それを埋めるような 指導が行われなかったことが、例 1、例 2 で観察された問題と関わっていると考えられる。

 

5. 2 研究発表のルールに対する理解不足という印象を与える

 研究発表においては、研究課題の問いに対してその解が正しいことを、妥当な論拠を挙げて、

推論する。しかし、あくまでもそれは推論結果にすぎない。そのため、断定形ではなく、「と考え られる」「と言える」のような文末表現を用いることが求められる。一方、自らの推論結果が独り よがりなものに聞こえないようにすることも重要である。そのため、論拠から自ずとその主張が 導き出せること、つまり主張の客観性を示すために、「と思う」のような文末表現ではなく「と思 われる」のような文末表現を用いる必要がある。しかし、本研究のデータでは、不適切な文末表 現を用いたために、「言い切りすぎ」、「自信過剰」といった、研究にそぐわない印象を与えたり、

客観性を欠き不自然な印象を与えたりしてしまっている例が見られた。

 例 3 は、先ほどの学習者Jが、結論部分で、自身の研究課題への直接的な答えを出す際に、断 定形を用いている例である。学習者Jは、「ポケモンのナズロックチャレンジを公式ゲームプレー として認めて、発売できるか」という研究課題を立て、ポケモンのブランドアイデンティティを 分析した上で、現在行われているナズロックチャレンジを評価し、「ナズロックチャレンジを今の まま公式ゲームプレーにすることはできない」という結論に達した。例 3 は、その結論の一部で ある。 Jは 1 ~ 4 行目で、ナズロックチャレンジにも公式ゲームになりうる素地はあると認めつ つも、4 ~ 5 行目で自身の最終的な結論を述べている。

  【例 3 学習者J】断定形の文末を使用している箇所は「Φ」で示す。

1 2 3 4 5 6

ポケモンブランドアイデンティティをより、えん、あ、ポケモンブラン ドを、アイデンティティを(→から)見ると、実は、ナズロックチャレ ンジはそんなに悪くないですΦ 。だって、さっき言ったとおり、友情を 強く感じらせる(→感じさせる)ことができますΦ 。しかし、そのまん まポケモンナズロックを取り入れることはできませんΦ 。どうしてかと いうと、子ども向き、そして自由に捕まえられないことからです Φ 。

 この例では、断定形の文末が多く、全体的に言い切りすぎという印象があるが、特に 4 ~ 5 行 目の断定形で終わる文は、「取り入れることはできないと考えられます」などとするのが適当では ないかと思われる。

 この談話部分は発表の結論部分にあたる。したがって、たとえ断定形の文末を使っていても、

その談話位置から、研究課題に対する自身の考えをまとめようとしていることは、聞き手に伝わ りはする。そうであっても、断定形を用いると、断言しすぎているように聞こえてしまうため、

「と考えられます」などとして、限られた資料に基づく一考察に過ぎないことを示すのが研究にふ さわしい態度だと思われる2

 次に、一般的な意見スピーチなどで自分の意見を述べる場合には「と思う」のような主観的な 文末表現を使うこともあるだろうが、研究発表において自説を述べる場合には、自説の客観性を 表すために、「と思われる」「と考えられる」といった受身形の表現を用いる必要がある。第 4 節

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で述べたように、学習者らは中級で意見文の書き方を学んだ際に、主張の客観性を強調するこれ らの文末表現を既に学んではいる。しかし、本研究のデータを分析したところ、「と思う」のよう な主観的な主張を表す表現を用いている例が 6 名の発表において観察された。

 例 4 は、前出の学習者Jがナズロックチャレンジの評価をしている箇所である。自身の考察で あることは示せているが、表現の選択に問題があり、客観性に欠け不自然な印象を受ける。

  【例 4 学習者J】

ナズロックチャレンジはこの場合、あ、ちょっと悪い(→ふさわしくない)んだなと思い ます(→のだと考えられます)。

 

 ここでは、「悪い」という意味範囲の広すぎる形容詞を用いて評価をしている点、感嘆の終助詞

「な」という研究発表の場にはくだけすぎた表現を用いている点も問題である。それに加え、「と 思う」を用いることにより、客観的に論を進めてきたのに主観的な評価であるように聞こえてし まっている。このように、客観的な主張を表す表現ではなく主観的な主張を表す表現を選択して しまう原因は何だろうか。原因の一つとして、中級レベルで課される意見述べなどのタスクでは、

主観的な主張の述べ方でも構わないのに対して、上級レベルの研究発表のようなタスクでは、自 らの主張が客観性を持つことを示す必要があるという違いがあるにも関わらず、その違いに留意 した指導が行われなかったことが関わっているのではないだろうか。

 ただし、そういった指導を行う際には、形式の似た別の表現との混同への注意喚起も必要であ ろう。本研究のデータには、学習者が、研究発表では客観的な主張を表す表現を用いなければな らないことを認識していても、「と思われる」と「と思われている」というよく似た形式の文末 表現を混同してしまったために、自らの判断ではなく、通説を述べているかのように聞こえてし まった例もあった。

 例 5 は、学習者が、自らの考えに言及する際に、「と思われる」という受身形を用いてそれが自 身による判断であることを表さなければならないところを、テイル形を用いてしまったために、

一般的な認識について話しているかのように聞こえてしまう例である。学習者Gは、「DMFC(メ タノール直接型燃料電池)」についての調査結果を説明した後で、その結論として、今後のDMFC の発展の可能性について述べている。

  【例 5 学習者G】

DMFCの研究とともに、え、DMFCの性質が改善させる(→改善される)と思われています。

 DMFCには問題点もあるが、研究が進めばそれらは解決され、性質が改善されるだろうと、自 らの見解を自然な帰結として述べているので、村岡(2001)、石黒(2012)にあったように、思 考・伝達動詞の受身形を用いて、「改善されると思われます」とすべきであろう。しかし、「と思 われています」とテイル形を用いているため、自分自身の判断ではなく、一般的に抱かれている 認識を示しているかのように聞こえてしまう。

 このような不適切な文末表現が選択された原因としては、「と思われている」「と思われる」と いう、形式が類似した文末表現の意味・用法の区別が未定着だったことが考えられる。そもそも 思考動詞の受身形という文末表現は、5.1 で見たように、習得が難しいことが伺われる。「と思わ れる」の習得が進んでいないので、それがさらにテイル形になった「と思われている」との区別

(11)

は困難なのであろう。それに加え、研究発表という一連の論理構成を持った枠組みの中の、どの 部分で「と思われている」が使われ、どの部分で「と思われる」が使われるのかといった理解が 不足していたこともその原因として考えられる。「と思われている」は、研究テーマに関わる通説 や先行研究を概観し自身の研究の背景を説明するセクションで、「と思われる」は考察のセクショ ンで多く使われるという知識が学習者に不足していたのかもしれない。

 

6. まとめと今後の課題

 本稿では、上級レベルの口頭発表の論証の過程において、自身の判断を表す際の文末表現の使 用を観察し、文末表現が適切に用いられていない例を分析し、そこで生じる問題を特定した。そ の結果、①自らの判断であることが伝わらない、②研究発表のルールに対する理解不足という印 象を与える問題が見られた。これらの問題が生じてしまう原因を検討し、①は、中級で課される 意見述べのような発表と異なり、上級で課される専門性のある研究発表では、複雑な論証が求め られ、どこまでが根拠でどこが判断か、論証の構成が聞き手にとっては予測困難であるため、そ れを適切な文末表現によって明確に表す必要があること、②は、研究発表においては、自身の主 張が聞き手に伝わりさえすればいいのではなく、主張の述べ方に特有のルールがあり、自身の主 張が限られた資料に基づく推論にすぎないこと、そして主張に客観性があることを、適切な文末 表現を使って示さなければならないことに対する理解が学習者に不足していたために起こった可 能性があることを指摘した。

 これまで、学習者による文末表現の使用の問題は、意見文を対象に研究されてきたが、本稿で は研究発表を対象としたことにより、上級での口頭発表指導への示唆を得ることができた。

 以下に、指導のポイントを挙げる。まずは、研究発表の論証で求められる態度について、理解 を促す必要がある。学習者に馴染みがある数学の証明などと比較し、数学ではそれが唯一正しい と断言する証明がなされるが、論証はそうではないことを示し、推定の文末表現などを使うこと によりルールに則っていることを表明する必要があることを教えるとよい。

 そのうえで、口頭発表、レポートを構成するセクションによって文末表現が異なることを、二 通(2009)のようなハンドブックを利用して指導する。その際に、文末表現の不適切な使用が、

自説が自説として伝わらないといった大きな問題につながりうることを強調する必要があるであ ろう。

 さらに、研究発表は、専門性が高いため聞き手には展開が予測しにくいものなので、論証の過 程を順序良く丁寧に説明するだけでなく、文末表現を使い分けることによって、根拠と主張の区 別を明確に示す必要があることを指導する。

 また、教育実践への応用を考えると同時に、研究結果の客観性を高める努力も続ける必要があ る。今回、筆者ら二名が別々に分析し、結果を持ち寄ることで客観性を確保しようとしたが、そ の結果はあくまで筆者らの言語直感に基づくものである。今後は、学習者の口頭発表が日本人学 生のものとどう違うかを具体的に示せるようにするために、日本人学生の言語使用との比較など も行っていきたい。

(12)

1 筆者ら 2 名は日本語母語話者であり、いずれも 15 年以上の日本語教育経験がある。また、大学におい て、上級レベルの学習者に対するアカデミック・ジャパニーズ指導の経験を有する。

2 例 3 には、5 行目の断定形使用以外にも、不自然な印象を与える箇所はある。3 行目の「そんなに悪くな い」は、「そんなに」がくだけた言葉であるし、「悪くない」は評価の語彙としては大雑把すぎるので、

「そこまで不適切というわけではない」とした方がいい。またその次の「だって~ことができます」も、

話し言葉の「だって」を使っている点、文末に「からだ」が抜けている点が不適切なので、「というの は~ことができるからです」とすべきであろう。

参考文献

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犬飼康弘(2007)『アカデミック・スキルを身につける聴解・発表ワークブック』スリーエーネットワーク 大津友美・八木真生(2017)「アカデミックな言語活動における引用の問題:日本語学習者の口頭発表デー

タから指導方法を考える」『東京外国語大学留学生日本語教育センター論集』43, 1-17.

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(やぎ まき 東京外国語大学世界言語社会教育センター 特任助教)

(おおつ ともみ 東京外国語大学大学院国際日本学研究院 准教授)

(13)

Problematic sentence endings

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KEYWORDS: academic Japanese, advanced learner of Japanese, oral presentation,

sentence ending expression, conclusion

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参照

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